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サフランモドキは、今!
サフランモドキは、今!

花の名前(植物の名前が花の名前で代表される?)の命名方法は、一体どうやって決まるのだろうか?

同じものを、それぞれの立場や昔からのその地域や伝統?によって名前を主張する?のだろうか?

ただし、この風潮で迷惑をこうむる?人達もいるのではないか?

花そのものは、人間様からどんな名前を付けられようと知る由もないから、やはり名前の紛争?は、人間様の‘エゴ’に過ぎないのかも知れない!

ということで、いつもその「論争」に巻き込まれる?のは、「サフランモドキ」さんであるのであ~る!

https://suna-kaze.blog.so-net.ne.jp/2016-09-03
ゼフィランサス(サフランモドキ)とハブランサス 比較と違い [草花 夏]

近縁種であるゼフィランサスとハブランサス

混乱しますよね。

そこで2つを比較して、その違いを明らかにしてみたいと思います。<後略>


という記事だから、もう「サフランモドキ」という言葉が、最優先ではない!

その際に掲載された画像は次の通り・・。

<ゼフィランサス>
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出典:https://suna-kaze.blog.so-net.ne.jp/2016-09-03

<ハブランサス>
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出典:https://suna-kaze.blog.so-net.ne.jp/2016-09-03

「イヌサフラン」や「コルチカム」という名前も登場するから、「サフランモドキ」も忙しい?

私自身も、花の名前に疎かったこととそんなに重要視してもいなかった浅学非才のこともあって、「サフランモドキ」を「コルチカム」としてこの弊ブログに掲載したために騒動に巻き込まれた経験がある!間違えた理由は簡単で、ある人から頂戴した「サフランモドキ」の鉢に小さな名札が付いていて、そこに書かれていたのが「コルチカム」だったのである!

まあこの議論は、別の機会に譲ることとして・・・。

我が家の玄関先には、美しい花が咲いていた!

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この花の特長で欠点?は、寿命が、短いことである!ほぼ3日間!

(つづく)
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[2019/07/28 11:19] | 言葉の威力 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top
長寿の心得
長寿の心得

我が家の和室に二十年も前から掛かっている扁額がある・・・。

「長寿の心得」という扁額である!

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結構大変なことが書かれているが、これが世間一般に通用するものかどうかは知らないが、大変参考になると思っている!

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「白寿」までは、何となく知っているのだが、「茶寿」と「皇寿」は聞いたことがなかったので、検索してみると、実に巧いことが書かれている!

これを知っていると、何だか博識の部類に入れてもらえるかも知れない???

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私もつい最近「傘寿」を迎えさせて貰った!

ダジャレで申し訳ないが「傘寿≒30」と思っている!

「人生これからだ!」 「人生これ身体!」

という訳で、「身体」を大事にするためには何をすれば良いのか?

私の場合は、

10 ,000万歩/日以上の散歩
46℃のお風呂に毎日10分以上

と決めている!

(つづく)
[2019/07/17 09:40] | 言葉の威力 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top
砂場
‘砂場’というお蕎麦屋さんがある!

その名前の由来について調べてみようと思っていたが、ついつい忘れてしまってしまう。
何故か?
それは由来を知らないからといって、生活に差支えがないからである!

今年(2017年)の10月10日、虎ノ門の或る特許事務所で打ち合わせがあることになって、JR新橋駅から歩いて行くことにした。
そこで見たのが、あの評判のお蕎麦屋さんの‘砂場’さん!

新旧の‘対称’が余りにもはっきりしていて、これはこれで‘観光の目玉’になる!
外国人はきっと喜ぶに違いない!
日本人の私が「面白い!」と思うのだから・・・。

①DSC_3358-2
②DSC_3358-3
③DSC_3361-2
④DSC_3361-3
⑤DSC_3361-4
⑥DSC_3361-5

場所は、下の図の中央の‘虎ノ門砂場’というところ・・・。

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http://www.kibati-kai.net/02kamei/kameiten/toranomon_sunaba/index.html
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 「砂場」ちょっと変わった名前ですが、大坂城築城の際に砂置き場で営業していたことに由来します。初代の女将ヨソは57、徳川家康と縁の深い武家、刈谷家の娘で、父は鍋島半の剣術指南役でした。
 東京の砂場本家とも言える糀町七丁目砂場に養女として預けられ、明治五年、虎ノ門大坂屋砂場として現在の地に店を構えました。
 当店は創業当初、幕末、明治の剣術家の山岡鉄舟らにひいきにされ、家宝の書も残されています。
 現在の店舗は大正十二年、関東大震災直前に普請されたもので、ビルの立ち並ぶオフィス街における、都会のオアシスとして皆様に愛されています。

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当店は、地下鉄銀座線虎ノ門駅近くに位置する蕎麦屋で、大正時代の建物です。蕎麦は甘味と香りの強さに惹かれ北海道産蕎麦粉を使用、季節折々の変わり蕎麦も有ります。酒肴は定番の玉子焼き、焼き鳥に始まり、アスパラ豆腐、穴子サラダなど、天種はソラマメと百合根の天種など季節物各種、酒は田酒、磯自慢 愛山、手取川など18種類ご用意しています。落ち着いた雰囲気の中でゆっくりとお楽しみ下さい。お待ち申しあげます。


江戸前そばの御三家は、「藪」「更科」「砂場」という。
この詳細は別途このブログで・・・。

(つづく)
[2017/10/14 22:31] | 言葉の威力 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
竹の秋
竹は、不思議な植物である❗

何れ、この弊ブログでも、その全貌に迫りたいと思っているが、今やこの時期、竹にある変化が起きている。

'竹の秋'という季語がある❗秋と言っておきながら、'春の季語'なのである❗

この事から考えて見ても、竹が不思議な植物である事が解るのである。

「一般の草木は秋に黄ばむのに対し、
竹の古葉は春に黄ばむ」から、'竹の秋'は、春の季語だそうだ❗

先日も散歩の時に、注意して見ていると、なるほど❗と頷かされた❗

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この季語を使った俳句は、沢山あるのだが、秀逸は、以下の久保田万太郎の句である❗

竹の秋 道山科に 入りにけり

当然、山科が竹の名産地である事を知らない人には、何の事か解らない…。

(つづく)
[2017/05/09 12:12] | 言葉の威力 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
‘必死’という言葉
‘必死’という言葉

‘必死’を辞書で見てみると・・・

https://kotobank.jp/word/%E5%BF%85%E6%AD%BB-610826
大辞林 第三版の解説
ひっし【必死】
一( 形動 ) [文] ナリ 
失敗すると取り返しがつかないという気持ちで全力を尽くすさま。死に物狂い。一生懸命。 「 -になる」 「 -に逃げる」 「 -で勉強する」 「 -の努力」 「 -の形相」
二( 名 )
必ず死ぬこと。 「正成-の鏃(やじり)に死を遁れ/太平記 3」
② (「必至」とも書く)将棋で,どう守っても必ず詰んでしまう状態。また,その攻め手。


つまり、‘必死で生きようと思った!’という表現は、‘死に物狂いで生きようと思った!’ということになる。

まあ、解説をするまでも無く、‘必死で’という‘形容動詞’なら理解出来るが、‘必死’という‘名詞’の意味が頭を掠めるので、‘必ず死ぬために生きようと思った!’という矛盾を感じてしまうのである!

まあ、そんなことは‘余裕のある人間様’が感じて偉そうにほくそえんでいればいい!

‘蚊’は、正に今の時期、‘必死’なのである!

今朝(2015年09月22日)、久し振りに爽やかな朝になったので、カメラを持って庭に出てみた・・・。

青じそが実を付け始めている。

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そして、韓国の国花と言われる‘むくげ’も今も盛りである!
その花にカメラを向けて・・・

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むくげの花に心を奪われていると、

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足が痒~い!

いた!いた!いた!

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痒い!かゆい!カユ~イ!

おっと、足にばかり気を奪われていると、遂に手にも・・・

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「えいやの~やっ!」で見事に!

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これこそ、正に‘必死’である!

人間も痒いので‘必死’に「えいやっ!」でもいいのだが、蚊にとっては、正に、‘(名詞の)必死’だったのである!

ある情報誌で、大昔に見たことがある!

小乗仏教の終着点である‘スリランカ’では、仏教の精神が小さい子供まで染透っていて、「蚊は殺さない!手で追い払うだけ」だという!

蚊を‘パシリッ!’とやった後で、必ずこの話を想い出す!

(つづく)
[2015/09/22 23:34] | 言葉の威力 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
四月馬鹿と選抜高校野球決勝戦!
四月馬鹿と選抜高校野球決勝戦!

<四月馬鹿!>

我々が小学校時代だったから、もう60数年以上も昔の話である!
当時は、‘四月馬鹿’としか言わず、‘エープリルフール’などという‘気障な言葉は、九州の田舎では使わなかった!

‘エイプリル・フール’とは、騙された人のことをいう!
4月1日のことは、‘エイプリル・フール・デイ’である。

いつも、4月1日になると‘四月馬鹿’のことは思い出すのだが、どんな起源かを調べたことはなかった!
お馴染みの‘Wikipedia’さんでは、次のように解説してある!

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%A4%E3%83%97%E3%8
3%AA%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BC%E3%83%AB

エイプリルフール(英語: April Fools' Day)とは、毎年4月1日には嘘をついてもよい、という風習のことである。4月1日の正午までに限るとも言い伝えられている[1][2]。英語の"April Fool"は、4月1日に騙された人を指す。

エイプリルフールは、日本語では直訳で「四月馬鹿」[3]、漢語的表現では「万愚節」または「愚人節」、フランス語では「プワソン・ダヴリル」(Poisson d'avril, 四月の魚)と呼ばれる。

起源[編集]
BBCは「ビッグベンのデジタル化」と嘘の報道をしたエイプリルフールの起源は全く不明である。すなわち、いつ、どこでエイプリルフールの習慣が始まったかはわかっていない。有力とされる起源説を以下に挙げるが、いずれも確証がないことから、仮説の域を出ていない。

その昔、ヨーロッパでは3月25日を新年とし、4月1日まで春の祭りを開催していたが1564年にフランスのシャルル9世が1月1日を新年とする暦を採用した。これに反発した人々が、4月1日を「嘘の新年」とし、馬鹿騒ぎをはじめた[4]。しかし、シャルル9世はこの事態に対して非常に憤慨し、町で「嘘の新年」を祝っていた人々を逮捕し、片っ端から処刑してしまう。処刑された人々の中には、まだ13歳だった少女までもが含まれていた。フランスの人々は、この事件に非常にショックを受け、フランス王への抗議と、この事件を忘れないために、その後も毎年4月1日になると盛大に「嘘の新年」を祝うようになっていった。これがエイプリルフールの始まりである。そして13歳という若さで処刑された少女への哀悼の意を表して、1564年から13年ごとに「嘘の嘘の新年」を祝い、その日を一日中全く嘘をついてはいけない日とするという風習も生まれた。その後、エイプリルフールは世界中に広まり、ポピュラーとなったが、「嘘の嘘の新年」は次第に人々の記憶から消えていった。

インドで悟りの修行は、春分から3月末まで行われていたが、すぐに迷いが生じることから、4月1日を「揶揄節」と呼んでからかったことによるとする説もある[4]。

エイプリルフール中の習慣[編集]
東京新聞は「東京タワーが傾く。原因は足元の“おなら”」と嘘報道した(2006年)
「多摩地区だけはやたらと詳しい3D地球儀ソフト」の偽記事も登場した(2005年)4月1日には、世界中で新聞が嘘の内容の記事を掲載したり、TVニュースでジョークニュースを報道したりといったことが広く行われている。インターネットが普及してからは、実用性のない冗談RFCが公開されたり、ウェブサイトではジョークコンテンツを公開するといったことも行われる。

ジョークの規模についても、簡易なものから大きな労力をつぎ込んだものまで存在し、公式ウェブサイトにおいては、個人発から大手企業発まである。時に、閲覧者から嘘の情報の内容についての問い合わせが来ることもある(BBCの「ビッグ・ベンのデジタル化、およびそれによる時計針のプレゼント」(1980年、2008年)「ペンギンが空を飛ぶ」(2008年)[5]など)。

なお、かつては通信社が配信した嘘記事を、日本の新聞社が本当のニュースとして掲載したことがあったほか、2005年に日本の新聞社が掲載した「スマトラ沖地震の余波で沖縄南端に新島が出現」という記事を、大韓民国の新聞社がニュースとして掲載するなど、別のメディアが情報元を真に受けてしまった事例もある。

東京新聞の「こちら特報部」は、2001年から4月1日に、エイプリルフールの記事を紙面に掲載していると共に、エイプリルフール連動広告を組んでいる[6]。

情報として公開するインパクトが強い日でもあるため、本当の記事や発表も紛れ込ませ、後の日に本当であることを公表し印象付けるケースもある。

フランスではエイプリルフールを"Poisson d’avril"(4月の魚)といい、子供達が紙に書いた魚の絵を人の背中にこっそり張り付けるいたずらをする。この『4月の魚』とはサバのことを指すと言われ、ちょうどこの頃にサバがよく釣れるためこう呼ばれるとされる。


1564年に‘処刑’という事態になったことは由々しきことだが、‘1564’が‘ひとごろし’と符合していることに日本だったら因縁を感じたのかもしれない!

ここで、このエイプリルフールの最強ジョークの一つを紹介したい!

「有名な天文学者の壮大なジョーク」
出典/http://www.huffingtonpost.jp/2014/03/31/epic-
april-fools-day-pranks_n_5066827.html

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イギリスの著名な天文学者で、BBC番組のキャスターも長年務めていたパトリック・ムーア氏は、1976年4月1日のBBCラジオで奇想天外な話をした。同日9時47分に、木星、冥王星、地球が一直線に並ぶため、地球の重力が軽くなるという、極めてまれな現象が起きるというのだ。 ムーア氏はこのとき、ほんの一瞬、浮遊感を体験できると説明した。そして、9時47分きっかりに、ラジオを通じて「せーの、ジャンプ!」と呼びかけた。 1分と経たないうちに、自分の浮遊体験を伝える電話が数十名から入った。自分も夫も部屋の中で体がぷかぷか浮いたと話す人、自分を含め12名の体が椅子から浮いたと言う人、体が突然浮かんだため頭を天井にぶつけたと訴える人もいた。



<2015年選抜高校野球決勝戦!>

.【東海大四―敦賀気比】(1-3)で

‘敦賀気比’が初優勝!

和歌を引用して選手宣誓をした‘主将’!
投げ抜いた‘ピッチャー’!
そして、偉大なる記録を作った松本選手!彼のホームランが優勝へ導いた!
勿論、他の選手や応援団、そして監督その他の協力者の力がなかったら優勝はあり得ない!

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出典/http://mainichi.jp/graph/2015/04/01/20150401k0000e050261000c/008.html
.【東海大四―敦賀気比】八回裏敦賀気比1死二塁、松本が左越え2点本塁打を放つ(捕手・小川)=阪神甲子園球場で2015年4月1日、須賀川理撮影

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<ここまでの画像は、NHKのTV画面をカメラで撮影したもの>

<ここからの画像は、日本テレビのTV画面をカメラで撮影したもの>

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敦賀気比高校が気になって、例の通り‘Wikipedia’を見てみると、昨日(2015年4月1日)の18:13には優勝したことが既に掲載されている!

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%A6%E8%B3%8
0%E6%B0%97%E6%AF%94%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD
%A6%E6%A0%A1%E3%83%BB%E4%BB%98%E5%B1%9E%E4%
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敦賀気比高等学校・付属中学校(つるがけひこうとうがっこう・ふぞくちゅうがっこう)は、福井県敦賀市沓見に所在し、中高一貫教育を提供する私立高等学校・中学校(併設型中高一貫校)。
<中略>
、第80回選抜高等学校野球大会(2008年3月)、第91回全国高等学校野球選手権大会(2009年8月)、第82回選抜高等学校野球大会(2010年3月)への出場も果たしており、完全復活を果たした。
また、2012年の選抜高校野球に出場し、開幕2戦目で浦和学院に敗れた。
2013年の選抜高校野球大会では、準決勝で浦和学院(優勝)に敗れた。
2014年の第96回全国高等学校野球選手権大会では、再びベスト4の成績を残した。
2015年の選抜高校野球大会では、決勝で東海大第四を破り、北陸勢として初優勝した。
<後略>


こんなことを言っては、怒られるかも知れないが、この優勝が‘エイプリルフール’でなければ良いのだが・・・!?

(つづく)
[2015/04/02 00:02] | 言葉の威力 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
回文は、怪文か?快文か?
回文という‘おもろい’言葉遊びがある!

でも、優れた‘回文’は、遊びどころではなく、‘芸術’である!

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9E%E6%96%87
回文(かいぶん)とは、始めから(通常通り)読んだ場合と終わりから(通常と逆に)読んだ場合とで文字や音節の出現する順番が変わらず、なおかつ、言語としてある程度意味が通る文字列のことで、言葉遊びの一種である。英語では palindrome (パリンドローム)という。


先ずは、お堅いところから・・・。

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http://www16.tok2.com/home/ichinose/everyday.html

正に‘言い得て妙’! 回文で無くったって十分!


そして、以下が、笑い転げる‘回文’! やはり、これらは‘快文’!

世の中ね顔かお金かなのよ
http://matome.naver.jp/odai/2136167149377922801
これを創った人、天才!

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http://matome.naver.jp/odai/2136167149377922801?page=2


けだるき一日、生きるだけ
http://matome.naver.jp/odai/2136167149377922801?page=2

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http://www.ikete9.com/cat/hiroi/001.php


イカのダンスは済んだのかい
http://matome.naver.jp/odai/2136167149377922801?page=2

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http://illpop.com/png_animalhtm/squid_a09.htm

(つづく)
[2014/05/28 23:53] | 言葉の威力 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
新シリーズ・キッシー君の‘人生訓’(その1)のつづき
新シリーズ・キッシー君の‘人生訓’(その1)のつづき

さて、人生訓の表題の「面倒くさいことにこそ価値がある!」‘静なる感動’とはどんな関係があるのだろうか?

これまでが、‘人生訓’の前哨戦!

(つづく)で昨日のブログは終わっている!



さて、「面倒くさいことにこそ価値がある!」と‘静かなる感動’との関係について

結論:もし‘静かなる感動’を得ようとお望みでしたら、‘面倒くさい’事に手を染めねばなりません!

逆に申しますと、‘面倒くさいこと’を‘面倒くさい’とお思いなって‘手を染めない’でおられたら、‘静かなる感動’を手に入れることは出来ないのでございます。

人生の総決算は、詰まる所‘積分’してしまうと‘ゼロ’になってしまうものでございます。
それが、人生哲学で最も正しい見方でございます。
だって、ゼロから産まれて来るのですからゼロに戻らなければ辻褄が合わないじゃぁあございませんか!

‘面倒くさいこと’ってのは、謂わば‘マイナス’の量でございます。
それとの対比で申し上げますと‘感動’は、お気づきの通り‘プラス’の量なのでございます。
積分で‘ゼロ’になるのでございますから、‘マイナス’のものがなければ‘プラス’のものは発生しないという事は言うまでもございません!

いやいや、ノーベル賞をお貰いになられた様な優れた御仁は、積分しても‘プラス’になるのでは?とのご疑問を抱かれる方もお出ででしょうが、それは違うのでございます。そんなご立派な方にも‘面倒くさい’事をそれなりにこなして来られたのです。そんな方こそ‘死ぬほど’面倒くさいことをやって来られた筈なのでございます!

そして、何もしない人には何の感動も生まれないのでございます。これはこれで、お判りのように積分すれば‘ゼロ’になることは明白でございます。

そんな意味合いでも人間はみな平等なのでございます。

では、もう少し踏み込んで、殺人を犯したり、強盗をしでかしたりで、‘マイナス’ばかりをしでかす人間に‘プラス’評価があるのか?とのご疑問を抱かれる向きもあろうかと存じます。実は、これも上手い仕組みになっておりまして、世間様には‘反面教師’としての役割を身をもって演じさせられておるのでございます。

それじゃあ、人間何やったっていいじゃあないか、と言う事になるじゃあありませんか!そんなことって一体??とお思いになられるお方もお出でにならないとも限りません!
この事にやはり宗教家は悩んだに違いございません。親鸞聖人もそのお一人です!

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東京・浅草・東本願寺の親鸞聖人立像

キリストだってこの問題には悩まれたのでございましょう!私自身は宗教上の事はよく理解出来ている訳ではございませんが、きっとここで私めが申し上げている‘人生積分ゼロ’が思想の根本にあるのではないか?とそう思い始めている訳でございます。

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http://www.geocities.jp/kazuyanobaka1947/2006nobelphysics.html

宇宙の始まりは‘ビッグバン’という大爆発からだったと申します。一説によりますと、今が折り返し点で、同じ年月が過ぎるとブラックホールに何もかも吸い込まれて結局は元通りの‘ゼロ’の戻って行くのでじゃないか?との説、正しいのじゃあございませんでしょうか?

(つづく)
[2014/01/06 23:40] | 言葉の威力 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
私の文化の日
‘文化の日’の由来が、日本国憲法にあったとは知らなかったが、そう言われてみると、公布(発布)から施行までに半年の期間があることに気付けば、憲法記念日と文化の日が‘無縁’であるという事にはならない、と気づくべきである!

そして同時に、日本国憲法の精神が、「自由と平和を愛し、文化を進めることにある」という事にも気付いておくべきであることを再認識させられた。

そこで、文化の日には、我々も何か‘文化的な事’をと考えた結果、

① 曼荼羅の世界を覗きに行こう!

② 文化の象徴(?)である‘本’について、神田古本市を体験しよう!

という事になった。

① の曼荼羅の世界については、後日報告することにする。

さて、曼荼羅のお寺を拝見して、多少消化不良気味ではあったが、それなりの満足感はあった。そして、神田古本屋街に着いたのは、もう日暮れも近い時刻であった。

今想い出しても可笑しいのだが、九州の田舎から東京へ出て来て間もなく、そう、もう45年の前の事なのだが‘神田古本屋街’へ行こうと、何も調べずに‘神田駅’に着きさえすれば、‘古本屋街’なんて直ぐそこにあるに違いないと思って出かけたのである。

ところが、国鉄・神田駅(当時)を降りて、周辺を歩き回ったが、古本屋さんなんて一軒もない!
とうとう、恥ずかしながら‘交番’で聞いてみると、それは‘神保町’だと教えて呉れたのだが、そこへの行き方がまた判らない!

こんな時には‘タクシー’に限ると御厄介になった!
「神保町のどこですか?」と運転手さん。
「ええっと、ほらあの交差点の・・・」と私。
「御茶ノ水駅から降りて来たところの交差点?」
「そうそう!」

こんなことでその時、やっと神田・神保町の古本屋街に着いたのである!

こんな昔話をカミサンにしたら、
「へえ~!JR神田駅の近くじゃあないの?」
というから、彼女は、まだ私の45年も前と同じ状態なのである!

http://www.tokyoguide.net/spot/199/
神田神保町古書店街とは

神田神保町古書店街 神田神保町古書店街は、世界最大級といわれる古書店を中心とした書店街。秋の読書週間に催される「神田古本まつり」は名物となっている。
約180にも及ぶ書店が軒を連ねる。専門店も多く、音楽・近代文学・美術・漫画・演劇などありとあらゆるジャンルが揃う。
主に靖国通り沿いにあり、一部は白山通りの水道橋方面にもある。本を求めて訪れずとも、ただ眺めて歩くだけでも楽しめるスポットである。



そんな訳でJRで言えば、神田駅よりもお茶の水駅の方が近くて判り易い!
御茶ノ水駅に着いたのは、文化の日・11月3日の16時を廻っていた。

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およそ、一時間弱古本屋さんの‘文化’に浸って、ゲットした本、二冊の内の一つ‘800円也’の本(?)が下の‘墨絵’画集である。

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当時、2,700円もしたらしい!(800円でゲット!)

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今後の‘仏画’に活かせるといい、とカミサンが言っている。一寸は‘文化’の匂いはするのかも??

(つづく)
[2013/11/21 23:25] | 言葉の威力 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
‘朝顔’の句への子規の評価
‘朝顔’の句への子規の評価

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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E5%B2%A1%E5%AD%90%E8%A6%8F

加賀千代女の‘朝顔の句’について、正岡子規は、俳句ではない!ともで言い切っているという!

朝顔に(や) 釣瓶取られて 貰い水 (千代女)

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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%B3
%80%E5%8D%83%E4%BB%A3%E5%A5%B3


この句に関して、「俳句は写生を以って貴しとなす」と言ったかどうかは知らないが、正岡子規は、徹底して写生を大切にしたから、千代女の句作の態度に疑問を投げているという。

つまり、写生ではない思惑が入り込んでいるとして、謂わば‘こきおろしている’というのだ!

http://www1.odn.ne.jp/~cas67510/haiku/shikihaikunoshinka.html
自己のやさしさ思わせぶりを嫌う

 子規は、古句の批評により、俳句に対する「視点」を具体的に示している。

   朝顔に釣瓶取られてもらひ水   千代

 加賀の千代の有名な句だが、子規はこの句を「人口に膾炙する句なれど 俗気多くして俳句といふべからず」と厳しく言い切っている。どうしてなのか。子規は、次のように説明をする。

 「朝顔の蔓が釣瓶に巻きつきてその蔓を切りちぎるに非れば釣瓶を取る能はず、それを朝顔に釣瓶取られたといひたるなり。釣瓶を取られたる故に余所へ行きて水をもらひたるといふ意なり。このもらひ水といふ趣向俗極まりて蛇足なり。朝顔に釣瓶を取られたとばかりにてかへって善し。それを取られてとは最も俗なり。ただ朝顔が釣瓶にまとひ付きたるさまをおとなしくものするを可とする」と。

 千代女(元禄16年~安永4年)は、加賀松任の人で、生前「千代尼句集」が出たほど評判が高く、なかでもこの朝顔の句は、芭蕉の「古池」と並ぶほどひろく知られ、俳句の代表的な句と親しまれていた。句意は句の通り、井戸の釣瓶に朝顔がからみ咲いていたので、隣から貰い水したというもの。朝顔へのやさしい心づかいが出ていて、平明で分かりやすいものの、「釣瓶取られて」と朝顔を擬人化し、朝顔へのやさしさを詠むことにより自身の心持ちを炙り出しているところを「趣向俗極まりて蛇足なり」と看破したものである。


子規は、どうやら‘説明’や‘思惑’を嫌ったのだろう。

上記引用文のタイトルにある通り、‘自己のやさしさ思わせぶりを嫌う’余り、「可哀想だから、私は朝顔の蔓を切ることをしなかった」という‘押しつけがましい’‘優しさの押し売り’に嫌気が射した、といったところなのであろう。

「ただ、朝顔の蔓が釣瓶に撒きついている様をそのまま詠めばいいじゃあないか!」というのが子規の主張である!

なるほど、例えば、私が最も好きな芭蕉の句

「五月雨を 集めて速し 最上川」

においては、子規が指摘する‘自己のやさしさ思わせぶり’などは全くない!

ただ、芭蕉の「古池や 蛙飛び込む 水の音」については、子規は俳句としての‘価値’を否定していると言うから面白い! 

これについては、また後日この弊ブログで紹介したい!

(つづく)
[2013/10/19 22:22] | 言葉の威力 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
‘倍返しだ!’
今流行りの‘半沢直樹’の

「倍返しだ!」

を英語では、なんと表現するのだろうか?


とメールを下さった方がおられる!

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http://www.news-us.jp/article/375968377.html

<某氏からのメールの一部>

・・・・・・・・・・・・・・・

英語を勉強している人の多くが、
自分が知らない単語や表現を全て暗記しなければ
英語は話せないと思っている方が多いです。

しかし、本当にそうであるならば、
いつまで経っても英語は話せるようになりません。


なぜなら、
覚えるものが多過ぎてるからです。


それでは、
どうやったら英語が話せるようになるのか?


それは、知らない単語・表現を
言い換える事によって話せるようになります。


例えば、
今流行りの半沢直樹の「倍返し」という表現。

The Wall Street Journalには
次のように紹介されています。

If your enemies hurt you, take double the payback.


「この表現を覚えなければ話せない」

今までであれば、このように思っていたのを、
言い方を少し変えてみるだけで、言えるようになります。


例:
彼にパンチをしたら、パンチを2回される。
→ If you punch him, he will punch you twice.

目には目を!倍の復讐だ!
→ An eye for an eye! I'm gonna get double revenge!


このように、
言えないと思ったら【言い換えられる】ようになれば、

英検準2級であれば
充分に仕事でもプライベートでも英語が話せます。


ただ、独学で私が今言った事を
実践するのは少し難しいと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


因みに、「倍返しだ!」を‘Google’の翻訳ソフトを使ってみると、

「倍返しだ!」 → 「Times it returns!」

「やられたら、倍返しだ!」 → 「Once done, it's times return!」

‘ある場面の表現’というのは、それぞれの母国語において‘習慣’を取り入れて変化したり、その国の中でも地方、地方によって表現の仕方に違いがあったりして、なかなか伝わりにくかったりするので‘ピッタシ(リ)’の表現は出来ないものなのであろう!

「今でしょう!」に引き続いて、この「倍返しだ!」も今年の流行語にノミネートされるのは確実に違いない!

ひょっとすると、これら日本語が、そのまま英語圏やフランス語圏で使われることだってあり得る!

Stop-Sign.jpg
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Stop-Sign.jpg

例えば、英語の「Stop!」は、日本語でも「ストップ!」であり、フランス語でも「Stop!」と言ったり書かれたりしているという!

‘英語嫌い’なフランス人が‘Stop!'を‘ストップ’させようとしたが、‘Arrêter!’出来なかったという逸話も残っている!

(つづく)
[2013/09/29 23:48] | 言葉の威力 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
‘呼び名’の不思議!
‘呼び名’の不思議!

‘人間の記憶’は、一旦インプットされると中々‘更新’出来ないようになっているらしい!

① 未だに‘銭湯’という! (また、‘風呂屋’とも)

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http://eonet.jp/travel/family/index_121218.html

② ‘釣り銭’とまだ言っている!

現時点では、お金の最小単位は‘円’であるのに、まだ‘銭’が残っているのである!

その反対に‘円タク’という言葉は聞かれない。これはお金の単位は‘円’であるが、何処まで行っても‘一円’という昔の状況ではないから、そうなのであろう。

③ ‘床屋’とまだ言っている!

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http://www.barberfuji.com/

通常の会話では、「床屋に行って来る」が普通であって、「バーバーに行って来る」とは言わない!‘理容室’や‘理髪店’なんて看板はあっても呼び名は‘床屋’なのである。

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http://cplus.if-n.biz/5000238/

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http://cutmaster.blog81.fc2.com/blog-entry-83.html

④ ‘本屋’もそうである!

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http://aichi1ban.livedoor.biz/archives/cat_50007374.html

‘本屋さん’で「00本屋」という看板を掲げている‘書店’は無いに違いない!それにしても現状の‘本屋さん’の呼び方は‘書店’なのだろうか?

http://okwave.jp/qa/q7053751.html
Q:書店と本屋の違い
どっちも本を売る店でしょう。どんな違いがあるか教えてください。お願いします。

A:書店も本屋もどちらも書物を売る店と言う点では変わりません。
いまはどこのお店もOO書店という看板をかかげています。

日常の話し言葉では本屋と言う言葉のほうをよく使います。
「この本どこで買ったの」「駅前の本屋」
「ホームセンターの2階に本屋が出来た。」

「本屋」は出版社に勤めている人、脚本やシナリオを書く人が
会話で自分のことを本屋と云ったり、会社のことを本屋と云ったりします。

書店は本を売る店だけでなく本を作る出版社も書店を使います。
岩波書店、福音館書店 角川書店など名の通った出版社です。


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http://www.hontai.or.jp/shop/fair2011.html

最近では、‘本屋大賞’というのも出てきたりで、‘書店’の人は、自分達の店は‘本屋’だと思っているに違いない! こんなの‘英語’に訳す時どうするのだろうか? どちらも‘Bookstore’では意味が通じない!

因みに、上の文章「最近では、‘本屋大賞’というのも出てきたりで、‘書店’の人は、自分達の店は‘本屋’だと思っているに違いない!」を‘Google’翻訳システム’で‘英訳’してみた!

「People in recent years, the 'bookstore', in or come out because 'bookstore Award' is, must have thought it 'bookstore' shop of their own!」

やっぱり!

そして、この‘英訳文’を今度は‘日本語’に訳し直してみると

「近年、人々、中に'本屋'、または '書店賞'であるため、出てくるには、それ独自の'本屋'店と思っていなければなりません!」

となってしまう!  翻訳も‘心と経験’が無ければ意思は通じないらしい。


さて、話を元に戻して、

‘本’=‘書’という時代もあったろうが、印刷・コピー技術の発展と共に‘書き写す’時代はもうとっくに終わっている。

しかし、このコピー時代にまだ‘書’、つまり‘書き写すこと’にこだわっておられる有名な大学教授(Aさん)がおられる。最近親しくして戴くようになった先生である。

このブログでも以前紹介したことがると思うが、

「近頃の学生の‘レポート’は、皆同じ内容の‘部分’が重なり合っている!何故なら、そのテーマに‘合致する’文献をみんながインターネットで探して‘パソコンでコピーして貼り付ける’からである。これじゃあ果たして??」

と嘆いておられる大学の先生がおられた。私の友人の‘先生だった’人に聞いても同じ答えが返ってくるから、もう10年以上も前からそうなのだろう。

しかし、この‘A教授’は、‘ふつ~’とは違っている!

「レポートは、‘必ず手書き’」

と仰っている。

「パソコンんで‘編集しても構わない!しかし、提出書類はそれを‘自分の筆跡で書き写して’持って来い!」

と学生に言っておられて、実行されているという。

見上げたもんである!

「書き写す時に、必ず少しでも‘頭に入る’から、これは‘学生のため’なんですよ!」

この先生も素晴らしい本を何冊も出版しておられて‘読本’としてお使いになっておられるというが、レポートに‘コピー’を提出されても困るのだろう。

この先生の心の中は、やはり「‘本’=‘書’」なのだと思う。「これが勉学の基本だ!」との‘A先生’の言い分に最近甚く感動させられた!  

‘学問に王道なし’、正にその通りである!

最後に、「‘書店’には、必ずしも‘書’は売っていない!」ことを付け加えておきたい。


⑤ ‘ディズニーランド’も今は正式名称は‘東京ディズニーリゾート’なのに、未だにみんな‘ディズニーランド’と言ってしまう!

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http://matome.naver.jp/odai/2133462561375278601/2133463004475609303

かと思ったら、そうではないらしい。東京ディズニーリゾートは、‘ランド’と‘シー’で構成されている。

これも違うらしい!

お馴染みの‘Wikipedia’で調べてみると次のような解説がある。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA
%AC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%BA%E3%83%
8B%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%BE%E3%83%BC%E3%83%88

東京ディズニーリゾート

概要[編集]

TDRは、2つのディズニーパークとディズニー関連ホテルを核にショッピング施設などから構成される。経営・管理・運営はオフィシャルホテルを除き株式会社オリエンタルランド (OLC) および同社の関連会社で構成される「OLCグループ」が行っている。世界のディズニーリゾートでは唯一ライセンス契約による経営・運営であり、経営・運営会社にディズニーの資本が全く入っていない。なおディズニー関連の著作権や商標権ビジネスはウォルト・ディズニー・ジャパンが担当しており、オリエンタルランドは東京ディズニーリゾートの経営・運営のみ担当している。


つまり、‘東京ディズニーリゾート’、は、‘東京ディズニーランド’と‘東京ディズニーシー’と‘関連ホテルとショッピング施設’の総称だという事である。

ただし、みんなは

「きのう、‘ディズニーランド’に行ったよ!」

としか言わない。‘ディズニーシ―’だとか‘ディズニーリゾート’に行ったよ!とは言わないのである。

ということは、一旦‘ディズニーランド’ということでインプットされると、後から出来た‘ディズニーシ―’やその後‘施設全体’を‘東京ディズニーリゾート’と言おうとお構いなく‘ディズニーランド’ととしか言わないのである!

銀行が‘統合’されて名称が変わったとしても

「ええっと、ほら昔の‘00銀行’よ」と言うのである。

そして、銀行は銀行で、内部では「あいつは00銀行、こいつは××銀行」と区別しないと‘事が進まない’という事情のようである。

人間の記憶と事の進め方は旧態依然としているから、‘紛争’が絶えない!

‘尖閣問題’もこの範疇のような気がしてならないのだが・・・。

(つづく)
[2013/09/21 23:17] | 言葉の威力 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
日本語は‘難しい’!(その2)
日本語は‘難しい’!(その2)

日本語の表現は難しい! 

しかし、それだけに‘面白み’も多い。

③ 中卒

‘就職難’という時代があった。

世の‘教育ママ’は、自分の子供をいいところへ就職させようとして‘教育ママ’になっている。それだけならまぁいいが、自分の息子を‘自慢する’ために‘教育ママ’になる人の方が多いというから子供にとっては‘いい迷惑’なのかもしれない!

さて、その就職難の時代(今でもそんな例はあるとも思われるが・・)に、こんな例があった。

教育ママに育てられて、東大に入った人がいる。大学に入ったから、その教育ママの‘野望’は達せられたかと思われたが、そうではなかった!

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http://blog.goo.ne.jp/midorigf2/e/adebae58b1f5cecf9edfef4a1213c834

4年生を卒業しても、その後に‘大学院’があることを知ってしまった教育ママの野望はまだまだ続いた。息子は大学院に行くことを余儀なくされ、しかも‘修士課程’で終わるのではなく、‘博士課程’まで行くことを息子は要求されたのである!

しかし、息子もよく頑張ってとうとう見事、東大・大学院博士課程を無事終了した!
最も喜んだのは、勿論その母親・教育ママさんだった!

ところが、ところがである!
東大大学院博士課程を修了したその時、世の中は全くの就職難の時代だった。

当人は勿論、その教育ママも必死の就職活動を展開したが、超一流の会社は勿論、中小企業に至るまで、大学卒はその年は、採用を見送る企業続出で、その子はとうとう‘就職浪人’という憂き目を見ることとなってしまったのである。

こればっかりは、その教育ママさんだって‘想定外’のことだった。
捲土重来を期して一年待った!しかし、益々世間の不景気は続いていた!

やっとかすかな望みを抱いてその息子は或る会社の就職試験を受けるところまで来た!

小企業の会社社長「うちは、中卒でもいいんだが・・・」

博士課程修了の息子「はあ、私も‘中学を卒業’しているんですが・・・」

その息子は、その年も就職浪人することになったという。学歴が禍することもあるという笑えない実話だそうである!


④ 世界中、まだ誰も使ったこのない‘マジック’!

何とか言う‘マジシャン’で、‘縦じま’のハンカチを一瞬で‘横じま’のハンカチに変えるという‘技術’をお持ちのプロ手品師がいる!

インチキではないが、この‘言葉遊び’にも似た‘ジョークマジック’は、何度見ても面白い!ネタが判っていても憎めないのである。

凄技のマジシャンは、こんな‘手’は使わない。ネタは絶対にバレナイから凄~いとは思うが、面白おかしくはないから、見た後で「どうなっているのだろう?」という多少の‘欲求不満’が残る。

しかし、縦じま手品師氏の‘手品’は、笑えてしかもネタばれだから‘欲求不満’はないからスッキリする!

昔、「‘カメラ’と‘写真機’の違いは?」という‘設問’があって、その答えは、‘写真機’は、‘蛇腹式のカメラ’が正解!ということだった。

そんな言葉の使い方からすれば、‘縦じま’氏こそ‘手品師’で、彼は‘マジシャン’とは違うというのが‘当たり’というべきだろう!

さて、或る友人から聞いたのだが、ある講演会の‘前振り’で或る人から「世界中、まだ誰も使ったこのない‘マジック’!」を見せられたという!

聴衆は、「マジシャンでもない普通の人が一体どんな凄~いマジックを見せてくれるのだろうか?」と一瞬息を呑んだ!

ところが、彼が‘内ポケット’から取り出したのは、ナント‘買ったばかり’の‘マジックペン’だったというから‘素晴らしい’!

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なるほど! 買ったばかりのマジックなら、‘世界中で誰も使ったことはない’というのは‘インチキ’とは言えないが・・・。

これもネタばれしているから‘欲求不満’はない! お見事!

(つづく)
[2013/09/15 22:04] | 言葉の威力 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
日本語は‘難しい’!(その1)
日本語の表現は難しい!

特に、‘省略’が入ることが多いので、言い回しそのままでは意味が判らない場合が多い!

たとえば、

‘彼は、耳が聞こえない’という表現がある。

‘耳’と‘が’の間に「で、もの音」が省略されているのだが、‘不思議なことに’誰でも理解は出来ている!

‘彼は、目が見えないのよ!’の場合も同じである!

この場合は、「でもの」が省略されているのである。

但し、次のような場合、つい意味を取り違えてしまう場合が起こる!


① 霧のロンドン

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http://kyosukelove.blog58.fc2.com/blog-entry-133.html

実は、この話は、ず~と昔にこのブログで紹介した覚えがあるのだが・・・。

A「おや、今日は、異常気温のお蔭で‘霧’は発生していますね! この霧を見ると‘又、ロンドンに行きたくなりましたねえ、B君」

B「えっ!?先輩、今何と仰いました? ‘ロンドンに行かれたことがある’のですか? 初耳ですが・・?」

A「いや、いや、ロンドンには行ったことはない!」

B「でも、‘又、行きたくなった’と」

A「そう、‘又、行きたくなった’のだよ!」

B「そりゃあ、おかしいじゃあないですか? 一度も行ったことがないのに、‘又、行きたくなった’なんて・・」

A「何がおかしい! ‘行きたくなった’のが‘又’! つまり、ず~と以前にも‘行きたくなった’ことがあっただけ!何がおかしい!」

B「そんな!」


② 夏の甲子園

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C「もう15年も前のことだけど、僕は高校生の時に‘野球部’に入っていてさ、正選手だったんだ。夏の甲子園行ったことある!」

D「へ~っ!そんな話、今まで聞いたことが無かったが、本当なの?」

C「勿論、本当さ!」

D「えっ? それで、それで、甲子園での一回戦は勝ったの?負けたの?」

C「甲子園では、野球はしてねェよ!」

D「えっ? えっ? 今、‘野球部に入っていて、正選手でさ、甲子園へ行った1’って言ったじゃん!?」

C「ああ、言ったよ!」

D「じゃあ、一回戦は?」

C「試合は、甲子園でしてない! 予選で負けてさ、その後甲子園へ試合を見に行った、だけ!」

D「おい、おい!」

こんな‘騙しのテクニック’に決して引っかからないように!

(つづく)
[2013/09/12 23:06] | 言葉の威力 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
語源探し(その10):‘うどん(饂飩)’
うどん(饂飩)というけれど、日本語なのだろうか?

l-kansei.jpg
http://www.fushitaka.com/saijiki/200811-kitsuneudon/
(きざみ)きつねうどん

何となく‘外国語’のような気がしないでもないが・・・。例えば、オランダ語だとするとオランダに‘うどん’がなければならないが、実際にはオランダ産のうどんがあるとは思えない!

うどんの漢字が難しい‘饂飩’なので、中国が発祥地とも思われるが、ラーメンはあっても中国にはうどんはないと思われる。

では、やはり日本独特のものだろうか? それにしては、‘うどん’の意味が判然としない!

讃岐の地方弁なのだろうか? 

①‘う’+‘どん’なのか? 

②‘う’+‘ど’+‘ん’なのか?

③‘うど’+‘ん’なのか?

④‘うどん’なのか?

①の場合、‘う’+‘丼’と考えると、何だか有りそう??

それにしても漢字の‘饂’+‘飩’って、一字一字はどんな意味を持っているのだろうか?

こんな風に身近な言葉の語源って、知っているようで知らないものが沢山ある!

さて、うどんについて‘知識’が無ければ、どんな風に考えたって、その謎は解けない!従って例の通り‘WEB'を活用して見ると・・・。

先ずは、漢字のそれぞれの意味から・・・。

<漢字辞典>
titleimg.jpg
http://www.kanjijiten.net/jiten/8101.html#k8111

‘饂’とは?

漢字辞典 8101顱→8194髷:漢字辞典ネットunn0001

‘饂’の前後の漢字には、‘音読み’と‘意味’が書かれてあるが、この‘饂’には音読みだけで意味が書かれていない。

‘飩’とは?
漢字辞典 8101顱→8194髷:漢字辞典ネットdonn0001

残念(?)ながらこの‘飩’も同じく音読みだけで、この漢字の意味が書かれていない!

‘饂飩’のそれぞれの意味は、漢字辞典では、今のところ(?)不明である!

それでは、‘うどん(饂飩)’を‘Wikipedia’の解説で・・・。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%86%E3%81%A9%E3%82%93
うどん

うどん は、小麦粉を練って長く切った、ある程度の幅と太さを持つ麺。またその料理。饂飩[1]とも書く
細い物などは「冷麦」「素麺」、薄い物は「きしめん」などと称え、別の麺(麺料理)である。

概要 [編集]

手軽な庶民食、米食の代用食として、また、祝い事に際して振る舞われる「ハレ」の食物として、古くから日本全国で食べられてきた。地域によって、調理法や具材が違っている。
麺を大きな鍋で茹で上げる場合には、鍋の周囲に引っ掛けた状態で茹でることができるよう、金属製あるいは竹製で深いザル状になっているうどんてぼ(うどん揚げ)が用いられることも多い。うどんを供する場合には丼(かけうどん)、皿(うどん鉢など)やざる(ざるうどん等)、鍋(すき鍋等)のほか、桶(うどん桶)も用いられる。
うどん専門店や蕎麦も提供する麺類の専門店のほか、外食チェーン店などのメニューともなっている。また、麺はスーパーマーケットなどで乾麺または茹で麺の状態で販売される。また、カップ麺としても販売されている。
自動販売機では、カップ麺の他に、茹で麺を湯切りしたあと調理し天ぷらを入れたものも販売されている(埼玉県等)。

歴史 [編集]

うどんの誕生には諸説があり、定かではない。

仁治2年(1241年)に中国から朝鮮半島を通って帰国した円爾(聖一国師)は製粉の技術を持ち帰り、「饂飩・蕎麦・饅頭」などの粉物食文化を広めたと云われている。また、その円爾が開いた福岡市の承天寺境内には「饂飩蕎麦発祥之地」と記された石碑が建っている。

饂飩蕎麦発祥之地
http://blogs.yahoo.co.jp/hachimituwine/10543106.html

奥村彪生によれば、うどんは中国から渡来した切り麦(今の冷や麦)が日本で独自に進化したものであるという。

奥村によれば、麵を加熱して付け汁で食する(うどんの)食べ方は中国には無く、日本の平安時代の文献にあるコントンは肉のあんを小麦の皮で包んだもので、うどんとは別であり、うどんを表現する表記の文献初出は南北朝時代の「ウトム」であるという[2]。

「うどん」と呼ばれるようになったのは江戸時代に入ってからであり、切麦を温かくして食べる「温麦」と冷やして食べる「冷麦」は総じてうどんと呼ばれた[3]。

奈良時代に遣唐使によって中国から渡来した菓餅14種の中にある索餅(さくべい)が、平安時代に完成した『新撰字鏡』 では「牟義縄(むぎなわ)」と呼ばれて、「麦縄(むぎなわ)」が日本の麺類の起源とされる。ただし、麦縄は米と小麦粉を混ぜて作られていた。やがて鎌倉時代になると、円爾など入宋した禅僧らが小麦粉で作る素麺を博多経由で日本に持ち帰って「切麦(きりむぎ)」が誕生した。室町時代には一条兼良の著書『尺素往来』に、「索麺は熱蒸し、截麦は冷濯い」という記述があり、截麦(切麦)がうどんの前身と考える説もあるが、その太さがうどんより細く、冷やして食されていた事から、冷麦の原型とされている。
奈良時代に遣唐使によって中国から渡来した小麦粉の餡入りの団子菓子「混飩(こんとん)」に起源を求める説もある。

平安時代に空海が唐から饂飩を四国に伝えて讃岐うどんが誕生したという伝説もある。

青木正児の「饂飩の歴史」によれば、ワンタンに相当する中国語は「餛飩」(コントン)と書き、またこれを「餫飩」(ウントン、コントン)とも書き、これが同じ読み方の「温飩」(ウントン)という表記になり、これが「饂飩」(ウドン)となったという。

備考
現代の中華圏では、日本のうどんを「乌冬」あるいは「烏龍麵」と表記するが、いずれも日本語の発音に基づく当て字であり、うどんそのものの起源・由来とは関係がない。



そこでそこで、肝心なこと!

私が好きな‘うどん’ランキングの発表で~す!

<第一位>四国松山市・JR松山駅構内・改札口そば・「かけはし」の‘じゃこ天’うどん!

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http://6987452.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-f796.html
JR松山駅構内の「かけはし」屋さん

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http://tabelog.com/ehime/A3801/A380101/38000028/dtlrvwlst/3438924/
これが、値段表に出ている‘普通’。「じゃこ天うどん」と頼むとこれが出て来る。(セルフサービス制!)

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http://6987452.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-f796.html
私は必ず「もう一枚じゃこ天を!」と注文することにしている。合計、じゃこ天2枚。このお店は親切で、必ずじゃこ天を‘熱く’して乗っけてくれる。実は、このじゃこ天、お隣でじゃこ天屋さんが造っているので冷え切っていれば出来立てのものにして呉れる。そして、じゃこ天屋さんで買う一枚の値段と「かけはし」屋さんの一枚追加値段が同じである。ということは、細かい話だが「かけはし」屋さんでは、じゃこ天のマージンを取っていないという事になる!私のような‘貧乏人’にとっては、こんな些細なことが気になるのである。

勿論、この松山・宇和島を中心とした西四国一帯は‘じゃこ天’の本場であるから、‘じゃこ天うどん’は、この一帯ではどこにでも売っている。当然「松山空港」にも‘じゃこ天うどん’を食べさせてくれるお店が何軒かあるが、何故か「かけはし」屋さんのに比べると味が落ちる!

松山に用事があって泊まる‘はめ’に陥った場合には、このJR松山駅の近くのホテルに宿を取ることにしている。そう、朝食にこの「かけはし」屋さんの‘じゃこ天2枚うどん’をと思うからである!

この‘じゃこ天’の製造屋さんは?と調べてみると・・・、

http://www.rpm.or.jp/yasuoka/
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四国の玄関「JR松山駅」構内にて、アツアツのじゃこ天を販売しております。その他かまぼこ・ちくわ、各種詰め合わせを取り揃えておりまず。お土産に、ぜひご利用ください。また隣接している、うどんコーナでは名物の「じゃこ天うどん」もございます。

<直売所 かけはし松山店>
愛媛県松山市南江戸町1丁目(JR松山駅構内)
TEL 089-945-9850
営業時間  7:30~20:00 ・ 休業日  なし アクセス
●JR「松山駅」構内
●松山空港よりリムジンバスで約15分「JR松山駅」下車


おや、この情報からすると、「かけはし」屋さんは、このじゃこ天製造メーカの‘安岡蒲鉾’の経営なのだ!それなら一枚追加の‘マージン’は取らないはずだ! なっとく、納得!

<第二位>東京駅地下街の「博多うどん」屋さんの‘ごぼう天’うどん!

 実は、今はもうこの店舗はない!東京駅地下街には、少し離れて‘2軒’同じ店があったのだが、1年くらい前から2軒とも姿を消している!

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http://blog.livedoor.jp/kikidasu/archives/2006-09.html?p=2
「博多うどん」屋さんの暖簾

ごぼうてんうどん
http://etizenya0.blog20.fc2.com/blog-entry-737.html
牛蒡は、切り方によって味が変わる。‘ごぼう天’うどんの牛蒡の切り方は、色々あるが私は‘笹掻き’の切り方でないといけない! 丸ごと棒状が好きな人もおられるようだが、センスが知れない!

<第三位>どこのでもいい‘きつね’うどん!

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http://katada.jp/todays-lunch-20093rd/%E3%81%8D%E3%81%A4%E3%81%AD%E3%81%86%E3%81%A9%E3%82%93-9/
九州のど田舎から東京へ就職して一番驚いたのは、うどんのスープが‘真っ黒い!’事だった。

関西では御存じの通り、‘つゆの色’が濃くない!ラーメンにしてもとんこつが主体だけに‘麺類のツユは透き通っているか白濁である’と思っていたからである。今思えば‘濃い口’の醤油が使ってあるのだろうが、当時は本当に‘真っ黒!’に見えた。

今でもやはり‘うどんのつゆ’や‘ラーメンのツユ’は黒くない方がいい!

きつねうどんについては、ご存じの通り、呼び方に京都と大阪で違いがある。

http://www.fushitaka.com/saijiki/200811-kitsuneudon/
きつねうどん
うどんと言えば油揚げがきつね、天かすがたぬきと思っていたのですが、

京都ではとろみの入ったきつねうどんの事をたぬき

大阪ではきつねがうどんたぬきが蕎麦の事を言うそうです。


またこんな解説も・・・。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8D%E3%81%A4
%E3%81%AD_(%E9%BA%BA%E9%A1%9E)

きつねうどんについて

京都 [編集]

京都の方言では、けつねとも発音し[13][14]、味付けをしていない刻んだ油揚げを具としたものを指す[15]。京都ではこれを「きざみうどん」と称し、日本全国で一般的な甘く煮た油揚げの載ったものを「甘ぎつね」と呼ぶこともある[要出典]。 『芦屋道満大内艦』に描かれた泉州の信太の森の葛の葉狐にちなんで「しのだ」と呼ばれることもある[16]。「信太[6]」、「信田[3]」、「志乃田[3]」とも表記される[6][3]。「きつね」と「しのだ」を両方出す店舗では、「きつね」は油揚げを1枚、「しのだ」は油揚げを2枚乗せて提供される場合が多い[要出典]。

大阪 [編集]

大阪を中心とした近畿地方では、醤油と砂糖で甘辛く煮た薄揚げを乗せたうどん料理を「きつね」と呼ぶ。きつねそばという呼称は存在せず、油揚げをのせたそばは「たぬき」と呼ぶ。けつねなどと訛って発音する者もいるが[17]、多くの場合はジョークであり、メニューには存在しない[18][19]。「たぬきうどん」を「ハイカラ」として売り出している店もあるが、西日本ではノーマルのうどんに揚げ玉や天カスがトッピングされることが多く無料サービスのため、ハイカラとノーマルのうどんは同様のものである[20][3]。



<きつねうどん>についてこんな笑い話がある!

或るうどん屋に来たお客が‘きつねうどん’を注文して店員さんに聞いた。

お客:「きつねうどんをお願いします。」

店員:「は~い!有難うございま~す。キツネ一丁!」

お客:「ところで店員さん、‘肉うどん’と注文すれば‘お肉’が入ったうどんが出て来るのに、‘きつねうどん’と注文しても出て来たうどんに‘きつね’が入っていないのはどうしてなんです?」

店員:「‘きつね’が入っていたら、多分‘食べにくい’からじゃあないですか?」

お客:「えっ? あっ、そうか!???」


(つづく)

[2013/05/05 00:22] | 言葉の威力 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
語源探し(その9):‘泥棒’
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http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/seian/ppiking/akisu.htm

‘泥棒’という言葉は誰でも知っているし、当然使ったことも何度もあるに違いない!

そして、実際に実行したことも少しはあるかも・・・???
食堂の‘爪楊枝’を一本だけ余計に頂戴して来るとか、飲み屋の`‘箸置き’が気に入ったとか、etc.

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http://hanausagi.way-nifty.com/sanpo/2010/05/index.html

‘どろぼう’という言葉があって‘泥棒’という字を当てたのか、それとも‘別の表現’があって、それにつれて‘表現’も‘表示’も変わって行ったのか?

実に判り易い解説・意見を見つけたので、全部転載を! 私はWEBで見つけては己のブログに‘転載’する‘天才’!(転載も一種の‘こそ泥’??)

さて、その‘判り易い解説・意見’のブログとは・・・。

http://www.freeml.com/wefree/origin/robber/
『泥棒はなぜ泥棒っていうの?』調査

こんなメールをいただきました!

◆泥の棒じゃなくて、「どら坊」の訛りでしょう。
やくざもの、または、浮浪者の意。それから転じて、悪者、または盗人、という意味になった。
それにしても、ホンワカとした、憎めない語感ですね。

「泥」はそのイメージから,盗人,取る、の意味でつかわれる。
一般に「悪いもの」をいうのじゃ。「棒」はさげすむ呼び名じゃ。
したがって,「盗みをするヤロウ」ということにナロウ。

◆『ドラえもん』がなまったんじゃない?きっと。

◆いろいろな説があるみたいですね。
(1)お坊さんが、盗みを働く→物を取る坊主→取る坊(とるぼう)→泥棒
(2)人のものを取り奪う→とりうばう→泥棒
等、諸説あるようですが、どの説をとっても「泥棒」と言う感じは 当て字のようです。

三省堂によると泥棒は「泥・坊」とも書くようです。
ここからは小生の勝手な解釈ですが、「汚い奴」つまり人間として泥のような汚れた、卑怯な奴ということではないでしょうか。

◆私は2年ほど前、たおかもとつぐという人が書いた「大泥棒懺悔録」という本を読んだ事があります。
この本は前科何犯という泥棒による犯罪歴のある著者が、立ち治るべく今までの行いを懺悔の意味も込めて反省する事を目的に、著者の手によって書かれた本です。
泥棒をするときの手口などが具体的に書かれているのですが、私はこの本を読んで「泥棒と言うのは靴を脱がずに他人の家に忍び込むむものである事」を知りました。
そういえば漢字を見ると「泥」(どろ)という字が使われていますよね。
よく考えてみれば、靴等脱いでいたらもし相手に見つかってしまった場合そう簡単に逃げる事はできませんよね。下手をしたら警察に通報 されて終わりになってしまう(笑)
泥棒と言うのは靴も脱がずに他人の家に忍び込みものを盗むから泥棒なのでは。と思うのですが、いかがでしょうか?

「泥棒の事典(新評社刊)」によると・・・・、
この本は昭和54年に出版された本で、怪盗ルパンとか世界的な大泥棒を作家や評論家が 語っている本です。
以前に古本屋で面白いタイトルの本だなと、買ってから、そのままになっていました。
改めて読んでみると面白い本です。
その本の中に「泥棒の語源」として、以下のような記述もありました。
でも、正確な語源は不明のようです。
----------------------------------------------------------
泥坊とも書く。「泥」という字は、水がとどまって動かない様をいう。
尼の「尸」は死骸の意があり、「ヒ」は、あいくちに通じる字形だと見ていくと、水に浮いた死骸にヒ首がつき刺さっているような気配になる。

普通にみて、ドロは汚らしいので、盗人の意に転じていったのだろう。

むかしは闇の中で、顔が目立たないように泥をぬっていたか、人相を隠すために泥で変装していたかしたためにこの字があてられ、ついでに声を立てたれたら殴ってしまおうと棒を持っていたかもしれない。
「棒」ではなく「坊」と書いたのは、この字が「街」を意味するところから、盗人の仕事場は、街に限っていたわけだ。山で仕事をる奴は泥坊には入れてないだろう。しかも「泥」という字は、水の中にいる骨のない虫の 名でもあるそうだから、街に巣食う虫めらというのはいかのも盗人に ふさわしい。 ちなみに、「泥酔」は、この虫が水を得ているときは活発に動き回るが、 水を失うと泥のようになってしまうところからきているという。 そういえば、酒を飲むと脱水症状をおこすからおもいあたる。 あるいは坊は「坊主」のいことだから「坊主マルもうけ」のくやしさから、 泥坊といったかもしれない。一説には「取坊」が転じて「どろぼう」に なったというのもある。
フランスの宿屋で泥棒にあった日本人が「ドロ・ポウ」と言うと、パトロン(主人)が、うれしそうな顔をしたという人がいる。
トレ・ボウ(非常にすばらしい)と店をほめられたと思った。

ついでに江戸の隠語で「ドロボウ」というのは「ろうそく」のこと。

◆回答って訳では、ありませんが。。。
似た言葉で、用心棒ってのが、ありますよねぇ。
それは、昔の長屋などの玄関(?)の引き戸に鍵がわりのつっかえ棒(斜めに掛けて)のことをいったそうで、そこからきているそうです。泥棒と何か関係ありそうななさそうな・・・・・


昔も昔、大昔多分小学生の5、6年生の頃だったと思う。

イタリア映画で「自転車泥棒」というタイトルの名作があった。

もう‘あらすじ’はほとんど忘れてしまったが、子供心に感動して泣いてしまった記憶がある。その当時は、小学生が一人で‘映画館’に行こうものなら、忽ち‘不良’扱いを受ける時代であったから、多分両親のどちらかに連れて行って貰ったか、いやいや両親に映画に連れて行った貰った記憶は二つだけ、「ベルリンオリンピック」(1936年のオリンピック。題名:オリンピア)と古橋廣之進選手が1,500mを18分19秒フラットという世界記録を出したロサンゼルス大会(1949年の全米選手権大会)のニュース映画位のものだったから、学校から全員が見に行った映画だったに違いない!

今の若い人が聞いたら驚くに違いないが、昭和20年代は、‘いい映画’といわれる映画は‘学校の行事’として先生に引率されて映画館へ行ったものである。小学低学年生は別として・・・。

http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=10055
自転車泥棒(1948)
LADRI DI BICICLETTE
THE BICYCLE THIEF[米]
BICYCLE THIEVES
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メディア 映画
上映時間 88分
製作国 イタリア
公開情報 劇場公開(イタリフィルム=松竹)
初公開年月 1950/09/08
リバイバル →IP-79.10
ジャンル ドラマ


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http://mamdarin.blog87.fc2.com/blog-entry-619.html

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http://hori109.blog.ocn.ne.jp/blog/2010/03/ladri_di_bicicl.html

製作は、1948年でアカデミー賞もその年なのだが、日本での初公開が1950年だそうだから、昭和25年である。私が小学5年生。今でも上の写真のシーンは覚えている!

(つづく)
[2013/05/01 00:30] | 言葉の威力 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
語源探し(その8):‘弁当’
数年前、岡山で勤務したことがある。岡山から新幹線で東京方面へ向かう時の楽しみの一つが、岡山の‘桃太郎の祭りずし弁当’を新幹線の中で‘使う’ことだった。そして、その‘弁当箱’が‘桃の形’をしているので捨て難かった思い出がある。

岡山祭りずし弁当
http://itp.ne.jp/contents/obt/sp_area/chugoku/chug02.html

‘べんとう’を漢字で‘弁当’と書くことは小学生の低学年でも知っている。ただし、あの‘べんとう’を何故‘弁’と‘当’と書くのだろうか?

その前に、何故‘べんとう(弁当)’の事を‘べんとう’というのだろうか?
そしてまた‘弁当を使う’という言い方がある。これって、どうして?

① ‘べんとう’という言葉の由来

② なぜ‘弁当’という漢字を当てるのか?

③ なぜ‘弁当を使う’というのか?

先ずその由来から・・・。

① ‘べんとう’という言葉の由来

http://www.yuraimemo.com/2010/09/post-46.html
弁当の語源と由来

中国南宋時代 の俗語に「便当もしくは便當(べんとう)」という言葉があったのだそうです。意味は「好都合」「便利なこと」など。
この「便当」が日本に入り、「便道」「弁道」」「辨道」などの漢字があてられた。
その中でも意味が通るように、「弁えて(そなえて)用に当てる」ことから「弁当」「辨當」の字が当てられ、弁当箱、辨當箱などの用法で使われだしたと考えられているようです。

「飯桶(めしおけ)」を意味する「面桶(めんつう)」を漢読みした「めんとう」からきたとする説も存在するそうですが、歴史的仮名遣いでは「べんたう」なので信憑性は低いようです。
容器として歴史に登場するのは桃山時代からで、弁当という言葉としては鎌倉時代に存在したようです。
その前は器をいくつかに割ることから「破子・破籠(わりご)」と呼ばれていたようです。
他にも、平安時代には「頓食(とんじき)」と呼ばれたおにぎりや、「干し飯(ほしいい)」または「糒(ほしいい)」と呼ばれる調理済みの乾燥米が携帯用の食料としてあったようです。


もともと中国の南宋時代(1127年 - 1279年)と言えば、日本では、鎌倉時代の少し前の平安時代(794年-1185年/1192年頃)である。下の引用文献によれば、弁当は平安時代にあったという。古来の日本では‘べんとう’という言い方をしてはいなくて、‘べんとう’という言葉は‘輸入物’のようである!



② なぜ‘弁当’という漢字を当てるのか?

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http://www.niji.or.jp/home/kagawapta/kagawa_pta/kagawa_ekiben2.html

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%81%E5%BD%93
弁当(辨當、べんとう)とは、携帯できるようにした食糧のうち、食事に相当するものである。家庭で作る手作り弁当と、市販される商品としての弁当の2種に大別される。

<語源>
「弁当」は、「好都合」「便利なこと」を意味する中国南宋時代の俗語「便當」が語源ともされており、「便當」が日本に入り、「便道」、「辨道」などの漢字も当てられた。「弁えて(そなえて)用に当てる」ことから「辨當」の字が当てられ、「辨當箱」の意味として使われたと考えられる[1]。

各国の弁当 [編集]

調理が済んだ食べ物を携帯する習慣は、世界中で見られる。例えば、最も簡単な形式では、チベットのツァンパのような物がある。
インドでは、チャパティとカレーをダッバーと呼ばれる積み重ね式容器に入れて携帯する習慣が見られ、アメリカ合衆国(大陸)では、ピーナッツバターとジャムを塗った簡単なサンドイッチ(PBJと呼ぶ)や果物などをランチボックスに入れ、昼食として携行する。

日本では、古くから弁当の習慣が起こり、他の諸国では例を見ないほどの発展を遂げていった。これは、日本で一般的に食べられるジャポニカ米が、インディカ米などと比べ、炊いた後、冷めてしまっても比較的味が落ちにくいという特徴を持つためであるとされる。伝統的な日本の弁当は、ご飯と魚介類や肉料理などのおかずを主に、付け合わせとして梅干しなどの漬物を付ける。おにぎりや稲荷寿司などを詰めた弁当も人気が高い。弁当の具材は持ち運びがしやすい容器に入れられ、その容器は「弁当箱」という名で呼ばれる。

英語では、日本語をそのままに「bento」と呼ばれている。

Google 翻訳弁当0001
‘Google’翻訳

日本の伝統的な弁当は、それぞれの家庭でこしらえていくものであり、これは家事の1つとして重要な位置を占めていた。

明治時代の日本では、鉄道駅で「駅弁」として弁当が売られるようになり、第二次世界大戦後はスーパーマーケットや前述の販売店などでも販売され始めた。1980年代後半から1990年代にかけての日本では、持ち帰り(テイクアウト)専門の弁当製造・販売店やコンビニエンスストアが台頭し、これらで販売される市販品の弁当を利用する者も増えた。

日本のコンビニエンスストアに納入する弁当の製造工場は24時間体制で操業しており、多いものでは日産数万食にも及ぶ規模となっている。これらの弁当ではプラスチック製あるいは紙製の容器が用いられていることが多い。
団体旅行や法事など、弁当に大量かつ一定の豪華さが要求されるような状況に向け、これらの製造に当たる仕出し料理店や料亭なども多い。仕出し弁当などの場合には上面に「御弁当」や「御料理」の文字の入った掛け紙が付けられていることも多い。

また、日本が周辺諸国を併合していた時代に、弁当文化は日本国外にも広まっていった。台湾では、日本に統治されていた時代に、駅弁も含めて弁当を利用する習慣が根付いていった。そのため、現在も台湾では市街地や国道沿いなどに多くの弁当店が店舗を構え、盛況を見せている。なお、弁当ではなく、「便當」と表記される。池上米など、日本に近い品種の米が導入されたことも、台湾での弁当の普及に大きく関係しているものと推測される。それと比べると、韓国では、トシラクと呼ばれる駅弁を除くとあまり弁当はなかったが、それでもコンビニエンスストアでは弁当が売られている。

中国には、そもそも冷めた米を食べる習慣がなかったが、近年は米飯の入った弁当箱に料理を上から載せ、電子レンジなどで温めて食べるような習慣が形成されている。同じ中国内でも、上海等では、日系のコンビニエンスストア等を中心に、「弁当」の語源でもある「便当」として普及を狙い、現在では日本のものと似た弁当も売られるようになり、一般化しつつある[2]。
フランスには、密閉容器にパンを入れる「ガメル」と呼ばれる習慣はあったが、肉体労働者向けのイメージが強く、ホワイトカラーなどには無縁だった。いわゆる「弁当」は、日本のマンガを通して知られるようになった。さらに、リーマンショック後の不景気で会社員の昼食時間が削られる事になり、対策として、簡便で早く食べられるという事で弁当が普及し、弁当箱を皿代わりにしているレストランまで現れている[3]。

日本における弁当の歴史 [編集]

弁当の起源は平安時代まで遡ることができる。当時は「頓食(とんじき)」と呼ばれたおにぎりのほか、「干し飯(ほしいい)」または「糒(ほしいい)」と呼ばれる、調理済みの乾燥米が携帯用の食料として利用されていた。干し飯は小さな入れ物に保管することができ、そのまま食べる、あるいはこれを水に入れて煮るなどして食べられていた。

安土桃山時代には、現代でも見られるような漆器の弁当箱が作られるようになり、この時代より、弁当は花見や茶会といった場で食べられるようになった。

江戸時代になり、天下泰平の時代になると、弁当はより広範な文化になると同時に、優雅な文化となった。旅行者や観光客は簡単な「腰弁当」を作り、これを持ち歩いた。腰弁当とは、おにぎりをいくつかまとめたもので、竹の皮で巻かれたり、竹篭に収納されたりした。現代でも人気が高い弁当として、「幕の内弁当」があるが、これも江戸時代に作られ始めた。能や歌舞伎を観覧する人々が幕間(まくあい)にこの特製の弁当を食べていたため、「幕の内弁当」と呼ばれるようになったという説が有力である。そしてこの時代、弁当のハウトゥー本が多数出版されたという。雛祭りや花見に向けての準備を行う庶民のために、これらの本には弁当の具体的な調理方法や包み方、飾り方などが詳しく書かれていた。

明治時代、給食もなく、また現代のように外食施設が発達していなかったこの時代、役所に勤務する官吏たちは、江戸時代からあるような腰弁当を提げて仕事に出掛けていた。そのため、安月給の下級役人は「腰弁」などと呼ばれていた。また明治初期の学校では昼食を提供していなかったので、生徒と教師たちは弁当を持って来なければならなかった。この頃、鉄道駅で最初の「駅弁」が発売された。最初に駅弁の販売が始まった年に関しては複数の説があり、はっきりとは判らないが、おおむね1870年代後半から1880年代前半にかけての時期ではないかと推測されている。当初の駅弁は、おにぎりと沢庵を竹の皮に包んだような簡易なものだった。サンドウィッチのようなヨーロッパスタイルの弁当が現れ始めたのもこの頃からである。また、富国強兵政策を推し進める日本政府は、国民の健康と連体を高めるために、弁当普及を推進した。昭和初期にはマニュアル本が多く出版されるようになり、栄養価を考え、弁当に入れるおかずのバリエーションも多彩になっていた。

大正時代、学校に弁当を持って来る慣例を廃止する動きがあり、社会問題に発展した。第一次世界大戦とそれ以降に不作が続くと、東北地方からの都会への移住者が増えた。そのため、所得格差が大きくなり、弁当に大きな貧富の差が現れた。当時の人々は、この現象が、肉体的な面からと精神的な面から、子供たちに好ましからぬ影響を与えるのではないかと考えた。

昭和時代になり、多くのアルミニウムをアルマイト加工した弁当箱が開発された。壺井栄の小説『二十四の瞳』に描写されるように、それは目の覚めるような銀色をしており、またメンテナンスの容易さもあって、当時の人々から羨望の的となる。また、かつて小学校の冬の暖房装置にストーブ類が多用されていた頃は、持参したアルマイト弁当箱ごとストーブの上に置き、保温・加熱するということも行われた。

第二次世界大戦の後、学校の昼食は給食に切り替えられ、全ての生徒と教師に対し、用意されるようになった。これによって、徐々に学校に弁当を持参して来る習慣は少なくなったが、現代になって、食物アレルギーなどで食べられない食材がある人が食べられる食材だけを使った弁当を作ったり、行政がコストを削減させる目的で一部地域の学校では給食制度が廃止となり家から弁当を持って来る習慣が復活しているという。弁当の調理は家庭の主婦の仕事とされてきたが、女性が外に勤めに出ることも多くなったなどの事情もあり、コンビニエンスストアで買ってきたおにぎりや、パンを持参する生徒も多くなった。

1970年代、駅弁は国鉄のディスカバー・ジャパンキャンペーンもあって、鉄道で観光旅行に出かける人が増えると、各地の素材や郷土料理を活かしたもの、観光地にまつわる物など、より多様なものとなった。中小規模の企業で、自前の食堂を持たないところを対象に、弁当を配達する業者も一般的となった。
またこの時代、ジャー式の保温弁当容器が開発され、販売された。これが普及したことによって、職場や学校に弁当を持参していく者たちも温かい弁当を食べられるようになった。しかし、この容器はサイズが大きいという欠点があり、とても鞄の中に収まるようなサイズではなかった。したがって、昼に温かい弁当を食べるためには、鞄以外にもこの弁当容器を肩に提げて出掛けなければならなかった。また、落とすと容器の内部が破損してしまうという問題もあった。

1970年代後半から1980年代にかけて、弁当は新たな市場にて登場する。
1つは、持ち帰り弁当専門店(通称:ホカ弁)の台頭で、1976年(昭和51年)に創業したほっかほっか亭が、フランチャイズシステムで急激に伸びたことが挙げられる。もう1つは、急激に普及したコンビニエンスストアでの販売で、そこで販売される弁当は、店の電子レンジを使用して、いつでも温めて食べられることが売りとなった。同時に、スーパーマーケットの惣菜コーナーにも弁当が並ぶようになった。これらは、「弁当を持ち帰って食べる」という新しい流れを作り出した。
また、都心部の食堂が少ない地域に、弁当を売りに来る業者も急増した。弁当の配達業者も、時間指定で温かいものを届けることを売りにするものが現れ始めた。これらの現象と呼応するように、ドカベンに象徴される金属製の弁当箱は、耐熱性プラスティックなどの弁当箱に変わっていった。

平成時代へと突入した1990年代、コンビニエンスストアが地方でも一般的になり、温かい弁当が一般化すると、駅弁でも化学反応を利用して加熱できるタイプのものが登場した。2003年(平成15年)頃から、空港で販売される弁当「空弁」がブームとなっている。乗客は空港での待ち時間や、飛行機に乗っている間にそれを食べている。2005年(平成17年)からは、(主に母から子への)愛情弁当の「キャラ弁」が流行となっている。

2007年(平成19年)頃から、低価格の250円弁当が路面店で売り出され、採算の合う大都市中心部で流行している。以前から低価格の弁当は存在していたが、カテゴリとして確立したのはこの頃である。

2008年(平成20年)は、不況の影響もあり、節約のために弁当持参をする人が増えた。弁当男子という、独身男性が自ら弁当を作って持参する言葉が生まれた[4]。さらに、1970年代に開発、発売された保温弁当容器も進化を遂げて、一昔前の大きな弁当箱というイメージは薄れ、男性用ビジネス鞄に入るスリムなタイプが登場した。近年は、女性向けに小型化されて、カラフルでおしゃれなタイプの保温弁当箱も登場している[5]。

様々な弁当 [編集]

日の丸弁当 - 白飯の中央に梅干しを1つ載せて、日の丸を模した弁当。最もシンプルな弁当の1つ。
幕の内弁当 - 白米といくつかのおかずをセットにした弁当。
海苔弁当 - ご飯に海苔を敷き詰めた弁当。
松花堂弁当 - 略式懐石料理で、十字に仕切った弁当箱に様々な料理を入れたもの。
沖縄県の弁当 - ご飯の上に副菜を無造作に載せるスタイル。食物の傷みやすい気候のため、おかずはほとんどが揚げ物や炒め物で、味付けも濃く、非常にカロリーが高い。

その他 [編集]

宮城県仙台市宮城野区福室字「弁当」二番という地名がある。「弁当二番」までが地名であり、「二番」は地番ではない。その昔、仙台藩の足軽たちが、この地で弁当を広げたことから、その地名(小字)となった。弁当一番から弁当三番まであったが、弁当一番は住居表示の実施により、消滅している。
俗に、禁錮刑・懲役刑の執行猶予期間のことを、「お弁当」と呼ぶ場合がある(例:2年のお弁当つき)。
ファイルメーカー社のパソコンソフト「Bento」の名称の由来は「弁当」から来ており、そのアイコンは弁当箱をモチーフにしている。

日本の代表的な弁当専門店チェーン [編集]

ほっともっと(Hotto Motto) 業界チェーン1位
本家かまどや 業界チェーン2位
ほっかほっか亭 業界チェーン3位

オリジン東秀


③ なぜ‘弁当を使う’というのか?

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http://www.kyoeikasai.co.jp/kpa/agent/monosiri2012-22.htm

http://aichi-coop.sakura.ne.jp/mamechishiki/2012/02/post-166.html
お弁当って「使う」もの?

年配の方や小説の中の表現で「弁当を使う」という言葉に触れた覚えはありませんか?「朝ごはんを使う」とか「赤飯を使う」などとは言わないのに、なぜ、弁当だけ「使う」なのでしょうか?

この場合の「使う」は、「消費する」という意味ではなく、「それによって特定の動作を行う」ということ。現代の辞書にも載っている表現です。

「お弁当」を用いる場合、特定の行動というのはもちろん、「食べる」という行為です。用便を済ませることや神社などで手を清める意味の「手水を使う」、お風呂に入ることを指す「(産)湯を使う」が同じ用法の代表例です。
「弁当」という言葉が、元々中身でなく、弁当箱のことを指していたため、「弁当(箱)を用いて食事を取る」という考え方もあるようですが、この「使う」が特定の単語にのみ結びつくことから、別の理由があるとされています。それは、本来食事をするための場所でないところで物を食べる行為やトイレ、お風呂は、どれも他人に直接的に話すのはとてもはしたないことである、とされていたこと。だから、わざわざ遠回しな表現を用いたのです。
いずれにせよ、「失礼して、ちょいとここいらで、弁当を使わせていただきます」って、粋な江戸の職人さんの姿が思い浮かぶ表現だと思いませんか?
日本の美意識を感じる残したい言い回しだよね。



<最近の超豪華な弁当!>

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http://www.nikkei.com/article/DGXNASGF2101H_R20C12A8000000/
東京駅に近く「食品フロアの男性客の割合が4~5割にのぼる」(藤野晴由店長)だけに、男性向けのボリュームのある弁当も豊富に取りそろえる。肉を使った弁当を集めたのが「お肉の細道」で、ハンバーグ弁当の「ミート矢澤」では黒毛和牛のステーキとハンバーグが入った9600円の「極味弁当」がひときわ目を引く。

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http://www.masuzushi.com/maizou/maizou1.html
日光埋蔵金弁当1万円

日光彫りの器に日光鱒寿し、日光揚巻ゆば、
和牛ステーキ、海老の塩焼き、鱒の塩焼き、その他盛り沢山の豪華弁当です。

10.500円(税込)


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http://blogs.yahoo.co.jp/w_hikari1965/35094515.html
金沢駅大友楼の幻の1万円駅弁『加賀野立弁当』をついに食す
1万円以上の高額駅弁と言えば、松阪駅駅弁あら竹の「極上松阪牛ヒレ牛肉弁当 」や、東武日光駅日光鱒鮨本舗の「日光埋蔵金弁当」、そして金沢駅大友楼「加賀野立弁当」が有名ですが、その中でも今回は「加賀野立弁当」がインターネット予約で入手出来、しかも現地では3個からの販売が1個でも購入可能とのことで即予約をしました。


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http://www.jojoen.co.jp/news/2012/12/post-90.php
大丸東京店にて待望のプレミアム弁当、ついに登場!!

焼肉会席弁当"游玄"

叙々苑グループの最高峰"游玄亭"の料理を会席仕立ての弁当に仕上げました。
ご飯の上に特選ロース薄切焼と特選カルビ焼をたっぷりのせた逸品。上質で確かな素材と、更に丹念に吟味したおいしさの数々をご堪能ください。


こうなってくると本来の‘弁当’の意味合いはもうとっくに無くなってしまっている!
‘「弁えて(そなえて)用に当てる」’というのは、やはり‘1,000円’まで、という事なんだろう。

‘弁当の文化’を守るためにもこんな高い弁当は???

(つづく)
[2013/04/28 00:18] | 言葉の威力 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
早起きは三文の徳!
早起きは三文の徳!

判ってはいるが確認から・・・。

title (2)

http://kotowaza-allguide.com/ha/hayaokisanmontoku.html
早起きは三文の徳
【読み】 はやおきはさんもんのとく
【意味】 早起きは三文の徳とは、朝早く起きると良いことがあるということ。
【早起きは三文の徳の解説】
【注釈】 朝早く起きれば、健康にも良いし、それだけ仕事や勉強がはかどったりするので得をするということ。
「三文」とは、一文銭三枚のことで「ごくわずかな」という意味。
わずか三文だとしても、得るものがあるということで、朝寝を戒める意味を込めて使う。
元々は「早起きしても三文ほどの得しかない」という意味で使われていたともいわれる。
「徳」は損得の「得」と同じ意味で、「朝起きは三文の得」とも書く。
【出典】 -
【注意】 「早起きは三文も徳」というのは誤り。
【類義】 朝起き千両、夜起き百両/朝起きは三文の徳/朝の一時は晩の二時に当たる/早起き三両倹約五両/早起き三両始末五両/早起き千両/宵寝朝起き長者の基
【対義】 長寝は三百の損
【英語】 The early bird catches the worm.(早起きの鳥は虫をつかまえる)
The cow that's first up, gets the first of the dew.(最初に起きる牛は最初の朝露を吸う)
【用例】 「夜型生活を改めて、毎朝5時に起きる生活を続けたら、すこぶる体調が良くなった。早起きは三文の徳というが、それ以上の徳を得た気分だよ」



<その1:三文の内の一文目> 朝の富士山が撮影出来た!

富士山がここ千葉県茂原市千沢の平地から見える!という大発見を去年の秋に‘Mさんご夫婦’がされて以来何度となくその‘富士山ヴュースポット’から富士山を撮影してきたが、その99%は‘夕暮れの富士山’である。何故なら朝やお昼には、空や雲という背景と富士山との色ではコントラストがつきにくい。その点夕刻の場合は、富士山を‘黒いシルエット’にしてしまえば、空や雲は夕日に染まってコントラストをつけるなといっても自ずからついてしまうから、写真にし易いのである。

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2012年12月12日16:48 これを千葉県・茂原市千沢の‘富士山ヴュースポット’から見た‘夕刻の富士山’の代表作と現時点では考えており、本弊ブログの‘プロフィール写真’として採用している。

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2013年04月08日08:43 これが今度初めての同ポイントから撮影した‘朝の富士山’である!上の‘夕刻の富士山’と立ち位置がほんの少しだけ違っているため‘構図’が完全には一致していないが・・・。今後の構図は、立ち位置を固定したので、この構図になる。

さて、そんな訳で4月8日は、前日の‘爆弾低気圧’のお蔭で黄砂もPM2.5も吹き飛んで、まるで空気清浄機を日本国中にかけたような快晴となった。まさかとは思ったが‘朝の富士山’が見えたのである!


富士山ポイントー30001-2
‘Google’マップ。Aが我が家で、‘富士山撮影スポット’はこの‘赤線’の場所、たったこれだけしかない!□数字は、富士山の撮影場所(後出)である。

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2013年04月08日08:37 朝もっと早ければ良かったが、遅ればせながら、‘富士山撮影スポット’の□4に出てみて驚いた! 朝の富士山が見えるではないか!後からも述べるが、この‘4’の場所では富士山は見えるが‘構図’が悪い! 一目散にポイント‘1’へ走った!‘1’は、赤目橋の上。

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2013年04月08日08:41 ‘1’からの写真。ポイント‘4’から‘1’まで約300m、4分かかっている。これが、ポイント‘1’からの写真である。やはり、朝の写真はコントラストが付き難いために、この写真も‘眼を凝らさないと’‘富士山、どこ?’の世界である!

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2013年04月08日08:41 ‘1’からの写真。望遠で・・・。

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2013年04月08日08:41 ‘1’からの写真。更にトリミングで拡大。(評価:○)

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2013年04月08日08:41 ‘1’からの写真。さらに、更にトリミングで拡大すると、少しピンボケではあるが冠雪の富士山の朝の情景が撮れている。残念ながら、手前の‘小枝’にピントが合っているため富士山がボケているのである。これは、少しは技術の腕が無いこともあるが‘カメラ’のせいである。レンズの‘焦点深度’が浅いのである。そりゃあそうだろう。せいぜい数万円のカメラだから・・・。

さて、このスポット‘1’からの写真は、電線という写真にとっての人工の邪魔物がどうしても避けられない。
それで、撮影場所を変えてみた。以下の4枚は、スポット‘2’を東から西へ少しずつ移動した場合の画像である。

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2013年04月08日08:47 ‘2’からの写真。
電柱が富士山の傍に来過ぎている!(評価:△)

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2013年04月08日08:48 ‘2’からの写真。
この位置からでは、電柱が富士山の‘ど真ん中’で、富士山の写真にならない!(評価:×)

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2013年04月08日08:48 ‘2’からの写真。
これも電柱は近いは、電線も垂れ下がるは、で・・・。(評価:×)

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2013年04月08日08:49 ‘2’からの写真。
電線が右肩上がり(?)で、面白くない!(評価:△)

そんな訳で、この‘2’の立ち位置は、背景との絡みがそんなに良くないことから、‘朝の富士山の写真’としての評価は、余りよろしくない!

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2013年04月08日 08:51 ‘3’からの写真。この‘3’の位置は、赤目橋の東側へ少し(約10m)這入った場所。これ以上東へ行っても‘下り坂’で、肝心の富士山が見えなくなる!
写真の構図としては、富士山の山頂は電線を越すから、まあいいものの、富士山と‘木’が近づき過ぎている。(評価:△)

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2013年04月08日08:51 ‘3’からの写真。 トリミング拡大。(評価:△)

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2013年04月08日09:11 ‘4’からの写真。‘4’へ戻って来た。富士山が電線に懸らないから立ち位置としてはいいが、今度は‘家’が真下過ぎる!(評価:△ or ○)

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2013年04月08日09:11 ‘4’からの写真。
トリミング拡大。(評価:△ or ○)

という訳で、‘朝の富士山’の撮影立ち位置は、やはり‘1’が良さそうである。夕刻の富士山も構図から言ってやはり、‘2’。改めて、朝の写真と夕刻の写真、‘1’からの2枚を再掲。

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2013年04月08日08:43

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2012年12月12日16:48

さて、続いての‘一文の徳’は、・・・。

<その2:三文の内の二文目> 朝の‘ダイアモンド富士’(?)が撮影出来た!

昨日(2013年04月08日)、朝の富士山の撮影に‘成功?’した勢いで、今度は‘朝日’そのものを撮ってみようと思い立った。もう春だから日の出時刻も冬とは違う。大凡の言い方をすれば、一日に約1分、夜明けの時刻が早くなる。(詳細は別途報告)

そんな訳で、その日(2013年04月09日)は、朝05:15分起床! 雲もそんなには無い!絶好のお天気である。

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2013年04月09日05:28 赤目橋の方向(東)に‘キラキラ’や‘ギラギラ’ではない‘太陽’がお出ましである。正に‘卵の黄身’状態。これなら‘被写体’として申し分ない!これは行ける!と思って何度も太陽にむけてシャッターを切ったが、不思議なことが起こった!

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2013年04月09日05:28 卵の黄身状態の太陽に望遠で迫ると、ピントは‘太陽’に焦点が合う。この自動カメラのソフトはそうなっている(全部ではないが・・)。従って、太陽にピントを合わせ、他は‘ボケてしまう’のである。勿論、どちらにもピントを合わせての撮影も可能ではあるのだが・・・。この手を使おうと思った。

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2013年04月09日05:28 正に、フィルターなしで太陽の輪郭がハッキリ撮影出来る!

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2013年04月09日05:31 これは、赤目橋の上から、普通の撮影方法での写真である。この写真の目的は、赤目川に映る朝の太陽も一緒に撮影したかったからである。この風景も初めてである。

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2013年04月09日05:31 この建物の屋根を利用すれば、‘偽富士’の‘朝のダイアモンド富士’が撮影出来ないとも限らない!橋を横に移動すれば、丁度屋根の頂点に太陽が重なって呉れる!しかし、このチャンスは、数分間もない!

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2013年04月09日05:31 正に、ダイアモンドに・・・。でもこれでは、直ぐに‘屋根’と見破られてしまう。屋根にピントが合い過ぎているからである。

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2013年04月09日05:32:46 太陽にピントを合わせて・・・。よし、上手く行った! 屋根も電線もボケて呉れている。大成功!

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2013年04月09日05;33:08 一つ上の写真の約22秒後の写真も上手く行っている!
そんな訳で、この写真‘ダイアモンド富士’に見えませんか?!

下の写真は、正真正銘の‘夕日ダイアモンド富士’である。

img_574988_21493967_1 (1)-3
http://blogs.yahoo.co.jp/pengin212003/21493967.html
これは、下の写真を‘無断で’トリミングをしたものである。

img_574988_21493967_1 (1)
http://blogs.yahoo.co.jp/pengin212003/21493967.html
これが、引用したダイアモンド富士。

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2013年04月09日05:34 赤目川には、段差が設けてあるために水面には‘3つの太陽’が見て取れる貴重な写真である。

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‘偽富士山’にさせられた赤目川にある‘可動堰’。

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施設名盤。


さて、そろそろ急がないと太陽が昇り過ぎれば‘鉄塔ロケット’ではなく、鉄塔が攻撃を受けている状態になる。予期せぬ‘疑似ダイアモンド富士’の撮影に約5分以上手間取った。


<その3:三文の内の三文目> 朝の‘鉄塔ロケット’が撮影出来た!

そう思いながらも、こんな早い時刻の西側の‘本物の富士山’も気になった。朝日を浴びて周りは紅く染まり始めているが、肝心の富士山は見えない!

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2013年04月09日05:35 いつもの場所に富士山の姿は見えない!

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2013年04月09日05:35 上の写真のトリミング拡大。前日のようには富士山は見えない!やはり前日は特別だったのだろう! それにしてもこの‘朝焼け’の2枚の風景、あの夏目漱石の‘坊っちゃん’に出て来る‘ターナー’が描いた写実の絵のような気がした。

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http://treeart.exblog.jp/15063212/
ターナーの絵

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http://item.rakuten.co.jp/art-meigakan/turner5-f8/
ターナーの写実的な絵

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http://lcymeeke.blog90.fc2.com/blog-date-20090627.html
ターナー島の由来看板

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2013年04月09日05:36 朝のシンメトリーも気になるが・・・。

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2013年04月09日05:36 此方も上下のシンメトリー

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2013年04月09日05:37 ‘鉄塔ー1’もターナーの絵のようで・・・。

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2013年04月09日05:37 この辺は、カラスよりも‘鵜’の方が強いようで・・。海鵜か川鵜かは素人には区別がつかないが・・・。これは後日解明(?)の予定。

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2013年04月09日05:37 明らかにカラスではなく‘鵜’なのだが・・・・。

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2013年04月09日05:43 場所の設定に一寸時間が掛かったが、鉄塔ロケットが・・。以下同様。

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2013年04月09日05:43  

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2013年04月09日05:45

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2013年04月09日05:45

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2013年04月09日05:45

もう少し鉄塔の低い部分に‘太陽’があればもっと良かったのだが・・・。

<その1:三文の内の一文目> 朝の富士山が撮影出来た!

<その2:三文の内の二文目> 朝の‘ダイアモンド富士’(?)が撮影出来た!

<その3:三文の内の三文目> 朝の‘鉄塔ロケット’が撮影出来た!


何も‘三文の徳’だからといって‘一文’毎に例を挙げる必要もないが、偶々‘3つのメリット’があった。
明日からも早起き? そりゃあ、一寸無理かも・・・・。

(つづく)

[2013/04/10 23:15] | 言葉の威力 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
‘食’という漢字の本当の意味
我が千葉県の出身タレント、中尾彬さんが出ているCMで、‘食’と言う字 について、

「‘食’と言う字を見てみると、‘人’が‘良’くなると書いて‘食’となっている。つまり、‘人’の身体を調子の‘良’い状態に保つには‘食’が大切だ!ということなのだ」(註:これは、CMの内容を私が把握した内容から多分こういう事であったと再現させたもので、CMそのものの文語ではない)

という意味の事を‘言わされている’。このCMのスポンサー(どの会社かは記憶にない)から、「そう言って下さい」と頼まれているのである。

このCMを見て‘おや?’と思った。私は‘漢字研究のプロ’ではないが、‘食’という文字の成り立ちは、‘人’+‘良’ではないはず、と思ったからである。

確か、‘食’という漢字の‘部首’は、‘食’そのものであって‘人’ではないはずだ!

註:部首とは?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%A8%E9%A6%96

部首(ぶしゅ) とは、漢字を分類する際に用いられる漢字の一部分である。また、それによる分類の、各グループである。部首による分類では、全ての漢字に、一つの部首が割振られる。

字書などで漢字を分類する際、偏旁冠脚、すなわち偏(へん)や冠(かんむり)など、字の一部分を用いる方法がある。部首とは一つには、そのような分類での、一つ一つの項目である。部首による分類は、字書における漢字の分類・配列方法であるのみならず、字書を引く際の検索方法も与える。

ある漢字がどの部首に分類されるかは字書による。形声文字では、意味を表す部分が用いられることが多い。たとえば「鉄」の字は、左半分の金属を意味する「釒」(金偏、かねへん)を部首とすることが普通である。これは、字書では「金」の部に置かれる。

一方で、「心」部とされうる部分は、いくつかの変形がある。
「志」の字の下側。これは、ほぼそのままの形である。
「快」の字の左側、「忄」。これは、普通「りっしんべん」と呼ばれる。
「慕」の字の下側、「㣺」。これは、普通「したごごろ」と呼ばれる。

これらは、いずれも心に関係した意味を表す。字書により、これら全てを「心」部に入れたり、引き易くするために、形を重視して各々を別の部首としたりする。

このように、部首とは、「心」の部など、文字のグループであると同時に、「快」の字の左側、すなわち漢字の偏旁冠脚の中の、分類に使われる部分をも指す。文字の部分のうち部首となるのは、旁(つくり、字の右側)よりも偏(へん、左側)、あるいは脚(下側)よりも冠(上側)の方が多い。

日本では部首の名称に「正式」なものはない。
漢字以外でも、部首による分類は、漢字と同じ字形要素を持つ古壮字、チュノムや、漢字を参考にして考案された西夏文字、漢字圏にあるイ文字、トンパ文字などでも行われる。


早速、我が家に眠っている古めかしい‘漢和辞典’で調べてみた。

食0004-2
昭和58年出版とあるから、30年も前のものである。この部首索引を見ると・・・

食0002-2

‘二画’のところに‘人(イ)’とある。これは、‘人’及び‘人偏’を表しているので、この部首の52ページ以降を探してみたが、‘食’の文字はない。

‘食’の画数は‘9’である。部首索引の‘九画’を見てみると

食0-2

ちゃんと‘食’偏として存在する。そして、‘発見’したのは、一つ上の画像の‘三画’のところにも‘食’の部首がある! 何故? どうやら‘*’印の注釈を見てみると‘中国新字体’とある。中国の略式新字体では‘三画’と言う事のようである。

いずれも‘1156ページ’である。この1156ページとは、

食-1-2

この通り、‘しょくへん’として分類されている。つまり予測通り、‘食’という漢字は、‘人’と‘良’がプラスされて出来た漢字ではないようである!

‘食’は、その成り立ちが‘人’に‘良’いものと言う事とは違うのである。その辺をトリミング・拡大して見ると・・・、

食-2

‘解字’のところをよ~く見てみると、「穀物が放つかおり」と「集める」をプラスした漢字であると書かれている。穀物の代表が‘米’であるから、「米」を「集める」=「食」だという。

これが‘食’の本当の意味と言う訳である!

文字の誤解について、WEBで検索していたら以下に示す通り大変興味のあるブログにぶち当たった。やはり、中尾彬さんのCMについて‘大間違い’と指摘してある。全文転載。

http://ameblo.jp/gesaku/entry-11410304975.html

文字に関する誤解

2012年11月22日(木) 13時08分39秒
テーマ:小説家、脚本家をめざす人の勉強法

よくいわれるものに、武田鉄矢演じた金八先生の授業。

人という字は、人が人を支えているという、とんでもない読み方。
もし人と人が寄り添っているというなら、短いほうの人は、長いほうの人を支えているだけで、とても平等な関係じゃないよね。
人という文字は人間の腕と足を形どったもので、もちろん短いほうは腕、長いほうは足を表しています。

これと同じで最近、中尾彬がCMでやっているもので、クライアントは忘れたけれど、「食」という文字は、人が良くなるといっているんだけれど、これも大間違いなんだね。
t02200220_0300030012297341011.png
実は食という字は「人」「一」「艮」という文字で構成されているんですね。
食の上部、人型部分は、「今」という文字の「人」「一」と同じでね、これは人が集まっている様子を意味しているんですね。


集客という仕事をしていたから、これは間違いなく正しい。
で「艮」は一般的に使われている「艮」ではないんですね。

「艮」という文字は「目」と「匕」で校正された文字で、意味はたくさんの目の複合体でにらむという意味。
対して食で使われている「艮」は、「目」ではなく「白」と「匕」なんだね。

簡単にいうと「白」で「にらむ」ということなんだけれど、「白」という文字は「入」と「二」で構成された文字でね、入るというのは、上から下に落ちる、つまり人でいえば、口に入れることを意味するわけなんだけれど、「二」というのは「一」より多いという意味でたくさんということを表しているわけです。で、転じて上から下に注意深く入れていくのが「艮」で、それを「人」と「一」で集める。すなわちたくさんのものを集めて注意深く入れるという意味が「食」という意味になっているわけです。

飽食といわれてずいぶんたちます。
世の中はTPPといって、農業政策のことと偽りの説明をする代議士にごまかされているけれど、TPPというのは貿易の自由化だけではなく、政治主導による国家間のすべての決めごとを食うか食わないかという選択肢なんです。
国家間の決めごととは、当然、戦争も入ります。
経済というのは、戦争もマーケットである以上、戦争鎖国をもはや日本はいえない時代でもあるわけです。

自民も民主も口ではいっていませんが、TPPは戦争容認というサインでもあることを知って選挙に参加しようではありませんか。


このブログの解説は、私が引用した‘漢和辞典’には載っていない情報が載せられている。

漢字の成り立ちを研究しておられる人達からすれば、‘人’という文字や使いなれている‘食’という文字をCMのためかドラマ作りのためかは知らないが、‘勝手に’事実を無視して如何にも真実の如く言いふらされるのは‘耐えがたい’感情があるに違いない。

特に有名なタレントさんがTV画面で発言すれば、誰しも‘本当だ!’と思ってしまう。CMを創る方だって有名タレントさんに言って貰えば‘信憑性’が増すという気が働いているに違いない!

我々受け取る側としては、今回のように気付けばいいが、そうでなければCMやドラマの内容を信じてしまう事になり事実誤認に陥ってしまう事になる。

昔から「常識のウソ」と言われて、一般に信じられていることが実は全く違うことだったりすることが多い。

タレントさんだって、やはり‘台本通り’にしゃべる必要はあるのだろうが、それだけではご本人の‘品格’が落ちてしまわないとも限らない。

へたをすると、あのタレントさんがしゃべっているのはみんな‘ウソ!’等と言う評判が立てば命取りである。

創る方もしゃべるタレントさんにも正しい文化継承のために一考をお願いしたい物である。

(つづく)


[2013/02/25 23:53] | 言葉の威力 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
語源探し(その7):‘お年玉’
お年玉の風習 は、その意味もその存在意義も理解してはいるが、一体どんな理由で‘年の玉’というのか?‘玉’とは何?という疑問が残っていた。また何時ごろからこの風習は始まったのだろうか?更に、諸外国ではこんな風習はあるのだろうか?

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http://blog.goo.ne.jp/themesalon/e/23b648fad7aba585c4313a3675878b4b

‘Wikipedia’には、次のように解説されている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E5%B9%B4%E7%8E%89

お年玉(おとしだま、御年玉)は、正月に新年を祝うために贈答される品物のこと。単に年玉(としだま)ともいう。現在では特に子供に金銭を与える習慣及びその金銭の意で用いられている。年末に贈られる歳暮と異なり、目上の者が目下の者に贈るのが特徴[1]。子から親への新年祝などの場合には表書きを「お年賀(御年賀)」とする。

概要 [編集]

これをもって年の賜物(たまもの)であるとして「としだま」という名がついた という説があり、また、古くは餅玉を与えたために「年玉」の名前がついた との説もある。

「たま」とは、「たましい」のことであり、「としだま」とは新年を司る年神への供え物の下げられたもののことであると民俗学的には説明される。供え物には祀った神霊の分霊が宿るとされ、それを頂くことにより、人々は力を更新して新たな一年に備えるのである。

年玉の習慣は中世にまでさかのぼり、主として武士は太刀を、町人は扇を、医者は丸薬を贈った。

日本国以外のお年玉 [編集]

旧正月に子供に金銭などを与える風習はアジア諸国でも見られる。中国では「圧歳銭」と呼ばれるが、これは中国語で「歳」と「祟」が同じ発音であり、年始に大人が子供に金銭などを与えることで子供を襲う祟りが抑えられ、その一年を平穏無事に過ごすことができるという民間信仰から来ている。


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http://www.mizuhikiya.com/shopping/shugi-poti-ume.html

更に別の文献では、お年玉の‘相場’について、調査の結果が示されている。

http://www.zoto.jp/mame/otoshida.html

お年玉について

「お年玉」の語源は、古来の風習であった年神様に奉納された鏡餅を参拝者に分け与えた神事からきているといわれています。鏡餅は元々鏡を形どったものであり、魂を映すものと言われていたことから「魂=玉」とも言われていたようで、年神様の玉ということから「年玉」、神様のお下がり物だから「御」をつけて「御年玉」と称され、これをいただいた参拝者でもある家主が家族や使用人に砕いて半紙に包み分け与えたのが「お年玉」の起源ともいわれています。

その後、正月の訪問時に「御年始」「御年玉」と称して、贈答物を持参することがさかんになり、形を変えて家人への贈答物を「御年賀」「御年始」とし、子供達へのおみやげとして持参したものを「お年玉」と使い分けるようになったともいわれています。

豆知識<お年玉(おとしだま)・ぽち袋・祝儀袋>

お年玉袋を「ポチ袋」とか「祝儀袋」ともいいますが、その語源は僅かとか心ばかりという古い 関西弁の「ぽちっと」、関東弁の「これっぽち」という言葉からきていると言われています。 小銭(僅かなお金)を入れる袋であることから「ポチ袋」、祝儀を包む袋であることから「祝儀袋」 と言われるようになったようです。

お年玉をあげる年齢

お年玉をあげる対象の年齢には、きまりや制限はありません。誰にあげるかはあげる側の気持ちによっても異なりますが、お金の価値を知らない幼児や大学生にまであげる必要があるかどうかについては、あげる対象の子供の年齢ではなく、その子の父母や祖父母などの家族との「お付き合い関係の度合」によって判断するのが一般的な考えのようです。また、子供が年老いた父母に「お年玉をあげる」という習慣も各地にあるようです。

お年玉の相場

お年玉を幾らにするかについても、無論きまりや制限はありませんが、昨今では親同士や親戚同士で「年齢ごとの額」や「幾つから幾つまでの年齢を対象にするか」などを、事前に話し合って決めておくケースが多いようです。自分の子供が貰ったことへのお礼の必要性から、親の目の前で子供に手渡してあげるのが礼儀と言えます。お金の価値がまだ良く分らない幼児にあげる際は、子供さんの名前を告げて親御さんに渡してあげましょう。


ご贈答マナー【お年玉】0001-2

これで、お年玉の意味も‘玉’の意味もそして中世時代から始まったことも、アジアでもこの風習があることも判ったし、その相場まで判って我々の行為が常識的であったことも判明した。

子供達が年老いた父母に「お年玉をあげる」という風習があることも判った。この場合の‘相場’は、是非前出の表の10倍程度を望みたい!

そうなれば、え~と、一人からあれだから、三人だとえ~と、お~い、大分になるぞ~!



[2013/01/05 01:10] | 言葉の威力 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
弊ブログの今年の月一番
今年2012年も今日で終わりである。

弊ブログは昨年の11月下に開設したから、一年以上が経ったことになる。

今年の締め括りとして、それぞれの月で一番印象に残ったブログを再掲して、今年の総括としたい。

<01月>

● ‘オヤジギャグ’で感激!
http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-35.html

そのウィキペディアの内容に嬉しい記述を見つけてしまった。
‘代表的なオヤジギャグ(編集)’の項目に、

「今日の料理とかけて、赤穂浪士の討ち入りと解く」
「そのこころは?」
「おおしかった!」を意味する解説がなされている!

忠臣蔵
http://blog.livedoor.jp/waruneko00326-002/archives/21363542.html



<02月>

● ‘ヒッチ俳句’のすすめ 
http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-44.html

‘ヒッチ俳句’とは、‘歩きながら’俳句を作るところから来た命名だが、これには決まりがあって、俳句の‘季語’が‘掛詞’になっていて二つの意味を持たねばならないという約束事がある。
紅梅や-2
 紅梅(勾配)や 自転車(チャリンコ)降りて 押して行く (解説:寒い寒い冬がやっと過ぎ去って仄かに紅梅の香りがし始めた。これまで寒さに震えながらも自転車で梅林を突っ切っていたが、やっと一年振りに芳しい紅梅の香りだ。私は自転車を降りてゆっくり香りを愉しみながら初春の梅林の中を自転車を押して行った。これが表の意。勿論掛詞の裏の意味は‘勾配’では自転車は乗ったままでは乗り越えられない、の意)

紅梅
紅梅 http://sanpophoto2.blog18.fc2.com/blog-entry-185.html



<03月>

● 救急車 
http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-85.html

昨年(2011年)の夏、私は突然の高熱と激痛のため‘救急車’で運ばれた経験がある。激痛は‘歯の痛み’だったが、この高熱の意味が判らなかった。

kyuukyuusha
 http://plaza.rakuten.co.jp/chiba611/12000

しかし、公立病院について宿直医の診断によると‘敗血症の疑い’という。どうやら歯磨きの途中で‘何かの菌’が体内に入ったらしいのである。



<04月>

● ‘義務教育’の意義 
http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-105.html

義務教育-1
 http://www.hiroshima-u.ac.jp/news/show/id/754/dir_id/23

<我が家の‘義務教育’に関する‘認識と取り決め’事項>

① 中学3年生になる前の春休みに、必ず子供と親が‘義務教育について認識をしあう話し合い会’を持つ。

② 高校へ‘進学する’か‘進学しない’かは、‘本人自身’が決める。

③ 同じように、高校から大学等へ進学する場合も同様に、‘本人自身’が決める。

④ ただし、親はどんな相談にも応じ、出来るだけの助言はすることとし、決して‘どの学校に進学せよ!’などとの‘強要’をすることはしない。

⑤ 学生の間は‘稼ぐ’ことは余り出来ないだろうから、必要な‘学資・生活費’は親が出す事にするが、これは‘無利子’で貸し与えるので、自分に返済能力が出来た場合に‘元金’分だけを親に返済する。そして、親は返済を催促しない。そして、いつ頃どんな形で返済するかは本人が決める。


以上が、‘無い頭を振り絞って’考えた我が家の進学に関する‘憲法’である。

子供3人に同じ様に接触し、同じように話をして、お互いに納得して我が家の進学問題は終わった。



<05月>

● 茂原市の日食
 ( http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-142.html

2012年05月21日07時36分~40分、千葉県茂原市千沢で金環食をカメラで撮影することが出来た。

日食
2012年05月21日07:36 千葉県茂原市千沢での金環日食



<06月>

 第Ⅲ象限からの脱出!
 ( http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-181.html

第Ⅲ象限からの脱出

<解(怪)説>

先ずは、第Ⅱ象限から・・・。

・第Ⅱ象限:面白いが余り為にならない → 「落語」

・第Ⅲ象限:面白くもなくそんなに為にもならない → 「普通のブログ」

・第Ⅳ象限:面白くは無いが為になる → 「親父の説教」、「社長の訓示」etc.

さて、手前味噌解説での最後は、

・第Ⅰ象限:‘面白くて’その上‘為にもなる’! → 「弊ブログ」



<07月>

 徒然草117段:‘物くるゝ友’ 
http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-208.html

ぐい飲み

友とするに悪き者、七つあり。一つには、高く、やんごとなき人。二つには、若き人。三つには、病なく、身強き人、四つには、酒を好む人。五つには、たけく、勇める兵。六つには、虚言する人。七つには、欲深き人。

よき友、三つあり。一つには、物くるゝ友。二つには医師。三つには、智恵ある友。



<08月>

● 家族全員でのお墓参り 
http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-239.html

お墓

昨日の8月14日、前日に集まった我が家の家族総計10名。長女夫婦+その息子2名。長男夫婦。そして次男夫婦。それにカミサンと私。

長男夫婦に飼われているワンちゃんが一匹同行してくれるので、この10名+1匹で、お墓の清掃とお参りをするのが、我が家のお盆の時期の習慣となっている。

お墓の場所は、千葉県・松戸市・八柱霊園。



<09月>

 巨大‘きのこ’?
 ( http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-280.html

我が家のオ二フスべ

何でもない普通の植え込みの中である。植え込みの中から取り出してきて見ると、どうやら‘きのこ’のようである。

函館キノコの会の石垣充一会長によると、ホコリタケ科のオニフスベ。道南での確認例は少なく、「食べられるが、あまりおいしくないと思います」



<10月>

● ひこばえ(蘖/孫生え)のその後とセイタカアワダチソウ 
http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-312.html

hikobae
2012年09月19日の田圃。8月の終わりに稲刈りを終えて、その後に急成長した‘ひこばえ’

勿論、‘ひこばえ’になる前の第一次収穫と同じ程度とは言えまいが、9月初旬から10月下旬の約2ヶ月間で、もう一度6~7割の収穫があるように思えるのに、なぜもっと積極的に‘ひこばえ’を活用しないのであろうか?



<11月>

● 富士山が見えた!(続報)
 ( http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-334.html

富士山ー1
2012年11月14日17:00 千葉県茂原市千沢からの富士山

望遠写真をPCで拡大。富士山頂付近には、多少の‘雲’が掛かっており、またカメラの性能が良くない為富士山頂付近の積雪までは見えない。

方位及び大きさから見て、先ず‘富士山’に間違いないだろうと思われる。

この検証及び朝方・昼間の写真撮影は、今後何度も実施したいと思っている。先ずは第一報ということで・・・。
お手柄は、発見者のご夫婦である!多分地元の方達も富士山が見えるとは思っておられないのかも知れないが、この写真が動かぬ証拠、となれば嬉しいではないか!


富士山ー3
2012年11月15日08:13

電柱と電線の位置からすると、(昨日の写真と)一寸だけずれてはいるが、明らかに富士山の積雪である。



<12月>

● 「クリスマスって、なあに?」と聞かれて・・・(その1)
 ( http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-375.html

我が家のクリスマスの飾りつけー1

①‘クリスマスデー’は、本当に‘キリストの誕生日’か?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E
3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%82%B9
クリスマス(英:Christmas)とは、イエス・キリストの降誕(誕生)を祝う祭[1][2](降誕を記念する日)[3]。 12月25日に祝われるが、正教会のうちユリウス暦を使用するものは、グレゴリオ暦の1月7日に該当する日にクリスマスを祝う[4][5]。

キリスト教に先立つユダヤ教の暦、ローマ帝国の暦、およびこれらを引き継いだ教会暦では日没を一日の境目としているので、クリスマス・イヴと呼ばれる12月24日夕刻から朝までも、教会暦上はクリスマスと同じ日に数えられる。

新約聖書には、イエスの誕生日を特定する記述は無い。
イエスがヘロデ王の代に、ユダヤのベツレヘムでお生れになったとき、見よ、東からきた博士たちがエルサレムに着いて言った、

—マタイによる福音書第2章第1節(口語訳聖書)
恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生まれになった。このかたこそ主なるキリストである。

—ルカによる福音書第2章第10節 - 11節(口語訳聖書)

キリスト教においてもクリスマスは「降誕[6]を記念する祭日」[3]と位置づけられており、「救世主イエス・キリストの誕生日」と考えられているわけでは無い。

イエス・キリストが降誕した日がいつにあたるのかについては、古代からキリスト教内でも様々な説があった(例えば3世紀の初め頃には、アレクサンドリアのクレメンスは5月20日と推測していた)[3]。

降誕祭とは別に、西方教会では1月6日にキリストの公現を祝う(公現祭)。12月25日の生誕祭は、遅くとも345年には西方教会で始まった。ミトラ教の冬至の祭を転用したものではないかと言われている。


以上が、月に一つを選抜して再掲したものである。今年の夏以降は、毎日一つを目標にして実行して来た。

毎日一つの実行はそんなに簡単ではなかった。ただ、毎日のアクセス数を調べてみて、こんなに大勢の方にご覧戴いていることをバネに頑張った。また、毎日のランキングが気になって少しでも上位にとの思いがあったことは事実である。まだまだ‘悟り’の境地には程遠い。

まだまだ世の中知らないことだらけ。来年も一日一ブログを目標に続けて行く積りである。

除夜の鐘
知恩院の除夜の鐘 http://s0510552.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post-f68f.html


来年もよろしくお願い致します。
[2012/12/31 00:50] | 言葉の威力 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
‘どうかしてるぜ!‘ シリーズ(第1弾)
‘どうかしてるぜ!’という言葉が流行っているという。

調べてみた。例の通り、‘WEB'で。  何でもかんでもWEBに頼るなんて‘どうかしてるぜ!’と言われそうだが・・・。

どうかしてるぜ!
http://blogs.yahoo.co.jp/rainbow_bridges4/34148526.html

ここに「ブラマヨ吉田・新ギャグ」とある。判っている人には判っているが、我々のように判らん奴には判らんので‘解説(怪説?)’がいる。

「つまり、その~、早い話が、え~と、そうそう、この吉田さんって誰だっけ?」

「おいおい、しっかりしてくれ! この吉田さんって、ほら、ほら、あのさぁ~、ブラマヨのさぁ、」

「ブラマヨって、何?」

もうこれじゃぁ、話がちっとも進まない!

ブラックマヨネーズ(BLACK MAYONNAISE)は、小杉竜一と吉田敬の2人による日本のお笑いコンビ。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。1998年4月結成。2005年M-1グランプリ王者。略称はブラマヨ

吉田敬(よしだ たかし、1973年6月27日 - )ボケ担当/
立ち位置は向かって右。
小杉竜一(こすぎ りゅういち、1973年7月5日 - )ツッコミ担当
立ち位置は向かって左。

コンビ名は、日本のロックバンド「Mr.Children」のように正反対でアンバランスな意味の単語を組み合わせたもの。マヨネーズという身近なものの名前を入れることで「マヨネーズを見るたびに自分たちのことを思い出してくれたら」という願いも込められている。ただし、当初はこの名前を吉本興業に申請した際、「ブラック」はイメージがいまいち良くないとして一時保留扱いとなっていたが、同時期にブラックビスケッツのヒットがあったため、イメージが払拭されて話を通った事を明かしている[1]。

2005年、第5回M-1グランプリ決勝に進出し、優勝。翌年2006年東京進出する。優勝直後、他のM-1優勝コンビに比べて優勝後のメディア出演が少なかった(実は関西ですでに売れ始めていたため、すぐに東京に拠点を移せなかった)。2007年頃からはキャラも浸透し始め、少しずつ全国区でのテレビ出演が増え、M-1覇者には珍しい「時間差ブレイク」を果たした[2]とも言われた。しかし、メンバーはこれに対してやや否定的であり、「関西での仕事ばかりしていただけ」「自分達では全力疾走してたけど周りからは歩いているようにしか見えてなかったのかも」と振り返っている[3]。

決勝ファーストラウンドでは直前の出番だったチュートリアルが「バーベキュー」のネタで松本人志から絶賛され、吉田は「死ぬほど羨ましかった」という。小杉は舞台袖で人のネタを聞くのが嫌いなため、控え室で見ていた。ブラックマヨネーズは5番手で登場し、「ボウリングの球の扱い方」というネタを披露。王道だがオーソドックスな漫才の強さ、ネタの完成度が高く評価されファーストラウンドを1位で通過、審査員の大竹まことから「あまりオーソドックスは好きじゃないけど、オーソドックスの凄さにびっくりした。別に新しいことをやらなくても十分面白いんだと再認識しました」島田紳助からは「4分の使い方、抜群。4分の使い方に感動したね。噂は聞いてたけど、ほんまに凄かったわ。昔、僕の番組の前説来てくれてたからよう見てたんやけど、ほんまに成長してるし、4分の使い方上手い」と絶賛された。最終決戦は3番手を選び、「喧嘩の強い男を目指そう」というネタを披露。7人中4票(3票は笑い飯)を獲得して優勝を果たした。彼らの登場以後、4分間をいかに上手く使うかがM-1で勝つための大命題になったとされる。[4]

ビートたけしは気に入っているお笑い芸人としてブラックマヨネーズの名前を挙げ[6]、特に雛壇芸人としての彼らの才能を称賛し、「失礼な言い方だけど、メインがいて、横にいてサポートするのは巧えなあと思う。」と述べている[7]。また自身が審査委員長を務める『ビートたけしのエンターテインメント賞』で、日本芸能大賞を受賞したブラックマヨネーズについて「バラエティでの“保険”だね。この二人がいると安心して見ていられる」と絶賛した。[8]

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E
3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%9E%E
3%83%A8%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%82%BA


漫才ブームが、やすし・きよしを筆頭にして興った後、‘ちょい出’の奥義を極めない奴らの未完成・舐めやがった漫才師達に腹が立ってこのところ漫才は全く見なかったが、上記引用資料の如く、たけしや伸助、まことさん達も‘べた褒め’のコンビらしいが、まだきちんと見たことがない!

でもまだ判らない!‘どうかしてるぜ!’が、何故‘ギャグ’なのだろうか? ‘どうかしてるぜ!’

それとも‘ギャグ’の定義(?)が変わったのだろうか?

ブラックマヨネーズのお二人はこの‘ギャグ’を一体どんな風に使っているのだろうか?

ブラックマヨネーズ
http://curly-rudy.com/owarai/black-mayonnaise/post-2.html

http://natalie.mu/owarai/news/54545
<抜粋>

① 1つ目の叫びは、「ダチョウ肉を食べないなんて、どうかしてるぜ!」

② 続いて日本のコンビニエンスストア第1号店「ココストア」について、「ココストアがマイナーだなんて、どうかしてるぜ!」とプレゼン

③ 最後は「湖南市に観光客が来ないなんて、どうかしてるぜ!」と、滋賀県湖南市の谷畑英吾市長が叫ビストとして登場


どうにもこうにも、これがギャグとは我々には考えられない!

勿論、臨場感がないからかも知れないが、何故こんなことで‘ギャグ’として今の人達に受けるのだろうか?
不思議である。

まあ、これはこれとして、大いに頑張って欲しい!


さて、この「どうかしてるぜ!」を私はギャグとしてでなく、‘怒りを込めて’このフレーズを使ってみたい。

長年、技術屋として特許やノウハウの世界に生きて来たために、このフレーズで物事をやろうとした場合に、このフレーズが今や‘ギャグ’として流行っていることを聞かされたので、一応どんなものかを調べてみたという事である。

でも、このフレーズは、普通の歴とした日本語である。ギャグとして使うのなら一応の仁義(?)が必要かとも思ったが、どうやらその必要はないのだろう。

そんな訳で、「どうかしてるぜ!」シリーズを今後弊ブログで発進させたいと思っている。



‘どうかしてるぜ!’シリーズ第1弾 :

先ず最初は、「野田首相、このままで済ませようなんて、どうかしてるぜ!」

images (6)
<衆院選>惨敗民主、失職秘書は800人
毎日新聞 12月17日(月)22時59分配信
当選確実を示す印がない候補者ボード前で頭を下げる野田佳彦首相=東京都内のホテルで2012年12月16日午後、丸山博撮影

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121217-00000117-mai-soci.view-000

やはり、やはり、現時点では、これが最初に来なくてはいけない!

選挙戦に備えての民主党の(というより野田首相の)キャッチフレーズは、「決断」

‘恐れ入りました!’ 

普通は‘恐れ入りました!’と言えば、‘完全に参りました!素晴らしいで~す!’という事だが、言葉が‘進化’したり或いは‘枯れて’くると逆説的意味を持ってくる。

「‘先生’と言われるほどバカでない !」

この表現から判る通り、最初は或いは本来は‘学徳の優れた人’や‘自分が師事する人’又は、その人達への敬称であったはずだが、それが年月を重ねて‘枯れて’くると、他人を‘からかって’使う意味に変貌する。

先程の野田首相の‘決断’に対しての‘恐れ入りました!’は、その意味である!

<1>‘決断’を今頃掲げて平気で居れるのは、常識人でもおかしいし、ましてや原発問題で苦しんでいる人達が大勢おられるのにちっとも救いの手を差し伸べない現政府の最高責任者が今更‘決断’をキャッチフレーズにするなんて、‘どうかしてるぜ!’である。

<2> 景気対策としても大きな価値のある災害対策を何故もっと積極的に進めないのだろうか?理由は地方自治体にあるという。聞いて呆れるという事はこのことである。地方自治体がスムーズに仕事が出来るようにするのが国家の役目ではないのだろうか?‘どうかしてるぜ!’である。

<3>‘決断’をもう一度俎上に乗せると、‘決断’は一歩下がってやって頂いて結構。しかし、野田総理は、‘決断’はするかも知れないが、‘実行’は多分しない。これは上記<2>の災害対策の進行状況を見れば、中学生でも判る。その時に「何故実行をしないのか?」と問い質せば「私は‘決断’をすると言ったが‘実行する’とは言っていない!」という答えが返って来そうな気がする。‘詭弁’とはこういう事を言う。‘どうかしてるぜ!'

<4> 民主党の後継者が、昨日現在まだ決められない。決断はもう舌の根も乾かないのに行なわれない。‘どうかしてるぜ!'

http://news.biglobe.ne.jp/domestic/1219/ym_121219_7655998675.html
細野政調会長、不出馬の意向…民主代表選
読売新聞12月19日(水)20時40分

images (5)
民主党の代表選日程などに反対意見が続出し、紛糾する両院議員総会(左から、野田首相、輿石幹事長ら=清水健司撮影)

 民主党は19日、代表選の日程を22日から延期することを決めた。
 衆院選で惨敗した総括を先行させる。また、待望論が出ている細野政調会長は、代表選不出馬の意向を明らかにした。
 19日に党本部で開かれた両院議員総会では、野田首相が冒頭、「痛恨の極みだ。深く深くおわび申し上げたい」と衆院選の結果について陳謝し、現執行部の辞任が了承された。26日の首相指名選挙に間に合わせるため、22日に代表選を行うとする執行部案に対しては、出席議員から「落選した人や地方議員の意見を聞かないで、新代表を決めることはあり得ない」などと反対意見が相次ぎ、輿石幹事長が提案を撤回した。その後、輿石氏や首相らが協議し、「両院議員・衆院選候補者・全国幹事長懇談会」を22日に開き、その結果を踏まえ、代表選を25日の両院議員総会で行うか、26日以降に先送りするかを判断することを決めた。


19日には、代表選を22日に行うことを決定する予定だったらしいが、‘決断’は何処へ行ったやら、25日以降に延期である。これじゃあ、この党に国を任せる訳にはゆくまい! やっぱり‘どうかしてるぜ!’

(つづく)


[2012/12/21 00:05] | 言葉の威力 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
弊ブログ2012年11月のランキングとアクセス数
2012年11月も昨日で終わり、とうとう今年もあと1ヶ月を残すのみとなった。

街はもうすっかり‘クリスマス’気分である。我が家でも、2階への階段にサンタさんが勢揃いしている。

画像ー64 030-3

11月に弊ブログにアクセスして戴いた方々に感謝の意を表す積りで、ランキングとアクセス数を御報告しておきたい。

このFC2のブログにおける位置づけは次の通りである。

ジャンルと母数:日記、母数は、34万~39万

サブジャンルと母数:創作日記、母数は、0.8万~1.5万

2012年11月期のサブタイトルでの順位と月平均順位0001-2

最高位:17位(11月14日)
最低位:60位(11月25日)

11月期の平均順位:37位 (10月期の平均順位:40位)

平均値推定近似直線の勾配は、(-)であるから、今後順位は向上する傾向にある。

一方、アクセス数は、以下の通り。

2012年11月期の日毎アクセス数と平均アクセス数0001-2

最高アクセス数:360回(11月13日)→ この結果は、どうやら集計PCのミスのような気がする。異常である。
最低アクセス数:110回(11月02日、03日、04日)

平均アクセス数:153回 (10月期の平均アクセス数:144回)

平均値近似曲線の勾配は、(+)であるから、今後のアクセス数はわずかであるが増加の傾向にある。

まあこれからも頑張ってブログ一日一編を着実に実行して行きたいと思っている。

画像ー64 034-2

画像ー64-2

玄関前のサンタさんにも一年振りで・・・。

(つづく)












[2012/12/01 00:16] | 言葉の威力 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
語源探し:(その6)‘チャリンコ’
私が開発した(?)‘ヒッチ俳句’にこんなのがある。

紅梅や-2

先程書いてみた。余り出来は良くないが、それはそれとして、ここに‘自転車’という文字が出て来る。

これを‘チャリンコ’と発音して戴くようにお願いしている。

じゃあ、‘ルビ’を振っておけば? という御仁もおられるが、これも色紙(一応)の積りである(落款有り)ので躊躇している。(厚かましいが、私の‘雅号’は、松月で~す。

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http://blog.goo.ne.jp/matukaze_2006/e/ed87ff693da898756c143fcefe24ecbe

‘ヒッチ俳句’の意味は、‘歩きながら’作る‘俳句’という事 である。それじゃあ、‘何故、歩きながら?’については、こうお答えすることにしている。

何かの景色や対象物を観察しようとする場合、次の3通りの方法がある。

① その場所に‘じっとして’よくよく観察したい対象物を眺める。

② 車や電車や飛行機に乗って、全体を把握しながら、観察したい対象物を把握する。

③ 歩きの速さで、移動しながら全体の中で観察したい対象物の置かれた‘位置づけ’に配慮しながら観察する。

①、②、③ いずれもそれなりに‘成果’を期待することが可能であるが、私の推奨は③である。

‘歩きながら’観察し続けると、色々な‘付帯事項’に気付くことが多い。

例えば、梅林の中をゆっくり歩きながら沢山の‘梅の木’を見て行くと

「な~る程、‘白梅’よりも‘紅梅’の方が先に咲いて、そろそろ紅梅が満開に近くなってから‘白梅’がほころび始めるのか!」

ってなことが判明する。すなわち‘歩きながら’でないと発見出来ないものが沢山あるのだろうな!という気がしている。それが‘新発見’の‘芽’になることがあるのではないか? という訳である。

このことを私は勝手に「‘歩き芽です’の原理」と名づけている。あの偉大な‘アルキメデス’さんに准えて・・・。

そこで、‘改めてこの色紙を見てみよう’(‘鑑定団’風、言い回し)

‘ヒッチ俳句’の‘きまり’は、俳句の‘季語’が‘掛詞’になっていること、たったそれだけである。

この場合の季語は、当然‘紅梅’。これが‘掛詞’であるから、‘こうばい’のもう一つの意味は‘勾配’である。

つまり、この‘ヒッチ俳句’は次の二つの意味を持っている。

(a)冬の寒い時期には、自転車で梅林の中を通り抜けていたが、ようやく春の兆しが見えてふくよかな香りと共に‘紅梅’がほころび始めた。待ちに待った春の到来である。ここは一つ、自転車(チャリンコ)を降りて、ゆっくりと歩きながら紅梅の馥郁とした香りを楽し見ながら自転車を押した、という‘誠に優れた’(?)写生俳句である。

(b)‘勾配’がきつければ、自転車(チャリンコ)に乗ったままでは、その勾配(坂道)を越えることは無理である。仕方がないから、チャリンコを押しながら峠を越えた、という‘誠に下らない’(そうでしょう、登りなんだから)俳句とは言えない、5,7,5なのであります!という訳である。

00679f34.jpg
http://blog.goo.ne.jp/matukaze_2006/e/ed87ff693da898756c143fcefe24ecbe

さて、ここで、この‘チャリンコ’という名詞、どうも片仮名で書くこと多いように思われる事もあって‘日本語ではないのでなないか?’とずっと以前から思い続けていた。

http://zokugo-dict.com/17ti/charinko.htm
『チャリンコ』の解説

[1] チャリンコとは子供のスリのことである。この意味では江戸時代から使われていたが、現在は[2]が主流となり、この意味は認知度自体低い。

[2] チャリンコとは自転車のこと。1970年代以降、東海地方を除き(東海エリアではケッタと言う)、全国的にこの意味で浸透している。チャリンコの語源は自転車のベル音「チャリン」からきたとする説朝鮮語で自転車を意味するチャジョンゴからきたとする説、また二つが合わさって出来たとする説がある。[1]からきたという説もあるが、関連性が薄く、俗説と思われる。
チャリと略される他、ちゃりきといった変形も使われる。


こうやって調べて行くと、自転車のことを‘チャリンコ’という説には、な~る程とも思う所があるが、江戸時代において‘子供のスリ(掏摸)’のこと、という事の方が気になりだした。この語源は一体?

(つづく)













[2012/11/12 23:38] | 言葉の威力 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
桂文珍師匠の‘枕’
桂文珍という‘天才落語家’は、稀に見る逸物である。

文珍
http://www.sakai-bunka.jp/heartopia/saiji/2011-4-3/hatsuwarai/hatsuwarai.html

もう一人の天才落語家、桂枝雀は、既に自ら命を断ってしまったが、この人のファンは日本国中に大勢居て、いわばどの落語家にも真似の出来ない一種の‘狂気’があった。

枝雀ー2
http://mars-craft.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-1c63.html


この上方落語会の名門・桂一門は一本に纏まっている訳ではないらしい。

文珍は、桂文枝(五代目)の弟子であり、枝雀は、ご存じの通り人間国宝・桂米朝の弟子である。

五代目
http://plaza.rakuten.co.jp/ishigoh/diary/201201030004/

米朝
http://ceron.jp/w/%E6%A1%82%E7%B1%B3%E6%9C%9D?mode=photochange

どうした訳か、名前が‘おもろい’ことに、この天才落語家二人が‘文枝’の‘文’と‘枝’を別け持っている。

そして、もう一人の経営者感覚の名落語家・元三枝師匠が、六代目・桂分枝を引き継いだ。

六代目文枝
http://www.c-o-all.co.jp/mt/creative_of_all/angle/archives/2012/0729_232126.html

なぜ、元・三枝に‘名’といって、‘天才’と言わないかというと、六代目・分枝師匠は、‘落語一筋’ではなく、上述の通り、経営者感覚がある。つまり‘才能’が邪魔をして‘狂気’になれないのである。

そういう意味での‘天才的’という観点からすれば、第一位が枝雀で、第二位が文珍であり、第三位が元・三枝かもしれない。

ただし、これは上方だけの範疇であって、関東は含まない。

‘文珍’は、随分前にTVのキャスターまがいのことをやったことがあるが、これに関しては、‘見るに堪えれなかった’と感じたのは私だけではあるまい。

TV局側も無責任である。彼に落語以外のことに時間を割かせるなどという‘暴挙’は決して許されるものではないことに気付かなかったのだから・・・。

‘国の宝は、人づくり’だと作詞家・いではく氏も言っている(演歌・比叡の風)通り、人材を育ててこそ国の繁栄がある。

文珍もまだ若かったから、当時はその判断が出来なかったのだろうが、今は気づいているに違いない。その証拠に近頃の彼の落語には‘狂気’とまでは言わないが‘殺気’が出始めた!

そんな桂文珍の名作落語・「心中恋電脳(しんじゅうこいのバーチャル)」を見て、これまでとは違った‘一皮剥けた天才ぶり’を見せつけられた。

彼の落語の魅力の一つは、‘枕’がいい。

① この頃の人間、小さい時には、直ぐに電話に出たがる。先日もあるお宅に電話をしたところ、3,4歳の女の子が出たので、「おかあさん、いる?」と言ったところ「要りません!ガチャ」(大笑い)

② この頃髪の毛が薄くなって‘バーコード’になってしまった。先日コンビニのレジの前を通ったら‘ピッ!’と鳴って、‘380円、有難うございました!’(大笑い!)

③ ・・・・・・・

こんな‘枕’とも‘本題’ともつかぬ話が盛りだくさん!

これは大いに笑えたし、‘活用’も出来る。

早速、カミサンに試してみたら、これまた‘大笑い!’

みなさんも是非‘YOUTUBE’で「落語 桂文珍 心中恋電脳」 をご覧あれ!

落語 桂文珍 心中恋電脳 - YouTube0001-2
https://www.youtube.com/watch?v=LPiWRiA6aV4













[2012/10/30 23:36] | 言葉の威力 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
語源探し:(その5)‘20歳(はたち)’
‘20歳’と書いてある文字を読む場合、‘にじゅっさい’と読んでしまうと‘教養が無い’というより‘馬鹿!’とさえ言われかねない。

はたちのつどい
http://www.city.bunkyo.lg.jp/sosiki_busyo_koho_houdou_2009_1.html

これは、日本人の中学生以上なら誰でも知っているが、外国人には特に難しいらしい。

私も、もう数十年以上前に英国人の英会話教師から聞かれた記憶がある。

その時どんな風に答えたかはハッキリとは覚えていないが、多分いい加減なことを言ってごまかしたに違いない。

それは、今の今まで‘はたち’と発音する‘正確な理由’を知らなかったからである!

ただし、調査の結果もこれぞという‘定説’は無いらしく、しっくりとは納得出来ていない。という事は、強引に自己主張する人を除けば、日本人がきちんとした理由を理解していないのではないかとさえ言える。

‘語源由来辞典'によれば、次のように解説されている。

二十歳(はたち) - 語源由来辞典0001-3
http://gogen-allguide.com/ha/hatachi.html
二十歳(はたち) - 語源由来辞典0001-2-2

上の引用文に出て来る‘助数詞’とは?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A
9%E6%95%B0%E8%A9%9E

助数詞(じょすうし)は、数を表す語の後ろに付けてどのような事物の数量であるかを表す語要素である。数詞を作る接尾辞の一群。同音の序数詞との混同に注意。
日本語の助数詞は、卑弥呼の時代から使用されている。日本語のほか、中国語・韓国語など東アジアの多くの言語、またアメリカ大陸先住民の言語などにある。中国語などでは、例えば「个」は数の後につけて「一个人」(ひとりの人)とするほか、「那个人」(あの人)のように指示代名詞を伴ったり、単独で名詞と結び付いたりする場合も用いるので、類別詞あるいは量詞とも呼ばれる。


http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/
question_detail/q137886128
chiebukuro.png


Q:「二十歳」を「はたち」と読みますが、なぜなんでしょうか?「はたち」の語源が知りたいです。

A1:「果て」は俗説のようです。

「はたち」は「はた」+「ち」に分けられ、「ち」は「ひとつ」の「つ」と同じで「個」にあたる助数詞。
「みそち」(三十個)「いほち」(五百個)という語例があるそうです。
三十歳以上の何十歳は「みそぢ」というように「~そぢ」といわれますが、その「ぢ」は「ち」と同じ。
何歳の歳を一歳から九歳までは「ひとつ」から「九つ」と「つ」であらわされるのと同じで「はたち」となる。

「はた」は「ふた」=2と関係があるだろうと普通いわれている。
「はた」+助数詞の例は「はたたり」二十人、「はたとせ」二十年があり、他の数詞と同じ。
二十日は「はつか」と特別に変化した形で、「か」は時間単位の「日」をあらわす数助詞の古語。

↓年齢以外も「二十日」「二十重(はたえ)」などあることを考えると、
仮にそういう字が実在したとしても、読みからの後づけだと思います。

http://homepage1.nifty.com/hankai/backnum8/mag458.htm
http://blogs.dion.ne.jp/spring/archives/445735.html


A2:「二十歳」は本来「ふたそじ」という別の言葉があります。
それを「はたち」と読ませるのは二十歳という年齢がもつ特別な意味から来ています。
「はたち」は元来「旗乳」と書きました。

それは戦国時代、青年武将たちは20歳になると
主君の紋所を染め抜いた旗を背中にくくりつけて
勇ましく戦場を駆けることができたことから来ているみたいです。

そして旗の竿に通す輪(乳)も年齢に合わせ、二十個ついていました。
現在、神社の幟り旗や大相撲力士の旗にその名残がありますが
二十歳は「命を賭けた決断のできる年齢」を意味する言葉であったみたいです。


A3:「個」を意味する、果てが語源のようです。両手両足の指をあわせて二十本というのが関係しているようです。



どうやら‘スッキリした’由来が私には理解出来ない。でも、こんなに皆が知っている言葉にも不可解なことがあるなんて・・・。

はたちの献血
http://www.jrc.or.jp/blood/news/l4/Vcms4_00001961.html

最近は、もう‘20歳’とは表記しなくなったのだろうか?














[2012/10/28 04:38] | 言葉の威力 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
誤報記事と‘詐欺師’
本日(2012年10月26日)、読売新聞は、一面左トップに以下の記事を掲載した。

読売新聞誤報記事-2

例の、iPS細胞に関する‘誤報事件’に関する読売新聞社内での‘処分’記事である。

社会は、個人の参加で成り立っている。

‘社会’の定義(?)を辞書で調べてみると次のように解説してある。

http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/101506/m0u/
しゃ‐かい〔‐クワイ〕【社会】
《明治初期、福地源一郎によるsocietyの訳語》
人間の共同生活の総称。また、広く、人間の集団としての営みや組織的な営みをいう。「―に奉仕する」「―参加」「―生活」「国際―」「縦―」
2 人々が生活している、現実の世の中。世間。「―に重きをなす」「―に適応する」「―に出る」
3 ある共通項によってくくられ、他から区別される人々の集まり。また、仲間意識をもって、みずからを他と区別する人々の集まり。「学者の―」「海外の日本人―」「上流―」
4 共同で生活する同種の動物の集まりを1になぞらえていう語。「ライオンの―」
5 「社会科」の略。


上記引用文にあるように、‘society’を‘社会’という日本語にした‘福地源一郎’は、明治時代、福沢諭吉と並び称され‘天下の双幅’と言われたという。

また、「福澤の死の際に両者の人物が比較され、福地は才において優る。しかし意思の強固さでは福澤が数等上であると評された。」( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%9C%B0%E6
%BA%90%E4%B8%80%E9%83%8E
)というから相当な人物であった。

更に、

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%9C%B0%E6%B
A%90%E4%B8%80%E9%83%8E

福地は江戸城開城後の慶応4年閏4月(1868年5月)に江戸で「江湖新聞」を創刊した。翌月、彰義隊が上野で敗れた後、同誌に「強弱論」を掲載し、「ええじゃないか、とか明治維新というが、ただ政権が徳川から薩長に変わっただけではないか。ただ、徳川幕府が倒れて薩長を中心とした幕府が生まれただけだ」と厳しく述べた。これが新政府の怒りを買い、新聞は発禁処分、福地は逮捕されたが、木戸孝允が取り成したため、無罪放免とされた。明治時代初の言論弾圧事件である。


正に、明治初期の‘ジャーナリスト’の第一人者である。

今回の‘誤報事件’は、日本最大の新聞社の一つである‘読売新聞’が、‘功を焦って’の大失敗劇で、‘ジャーナリストの面汚し’であり、‘ジャーナリストの官僚化’を臭わせる。

勿論、読売新聞社も‘法人’であり、‘会社’であるから、経済活動を最大目標の一つにせねばならないことは誰の目にも明白であるが、大袈裟に言えば、‘日本社会の思想’を左右しかねない‘大新聞社’である。

その大新聞社においてさえ、‘他社を出し抜くことにのみ’にエネルギーを注いで、‘国民・社会の為の道しるべ’となる思想形成の役割を放棄していることが最大の問題である。

「・・・、裏付け取材の甘さに弁明の余地はありません。・・・」とあるが、問題は、‘裏付け取材の甘さ’だけではない! 

昨年もノーベル賞候補に挙がり、今回の受賞という時期に起こった‘事件’である。

もう少し、この方面に詳しい‘スタッフ’を読売新聞が抱えていたら、‘森口詐欺師’の言動が‘おかしい or 怪しい’という判断が出来た筈である。

こういうスタッフを置いていないことにこそ‘最大の問題がある’のに、一面左トップ記事にはそんなことは一つも書かれていない!

実は、これこそ‘ジャーナリストとしての大失敗’であることに読売新聞はまだ気づいていないという、この記事こそが‘茶番劇’なのである!

言論界・思想界の第一人者たる自覚が不足しているとしか言いようがない。

現時点での‘政界における不様さ’を糾弾する‘資格の放棄’であり、‘自殺行為’であったとしか思われない。

早急に‘信頼出来る記事、安心して読める新聞’として‘蘇生される’ことを望みたい。

‘読売(讀賣)’新聞なんだから、‘読まれてなんぼ’でしょう。

讀賣新聞といえば、何時も‘ロゴ’が気になっていた。

下の画像を、よ~く見て欲しい! 何処か間違っていませんか?

読売新聞誤報記事0001-2

そう、讀賣‘賣’の字が‘明らかに’間違っているのである。

‘ロゴ’だからいいではないか!では済まされない。今からでも‘ロゴ’を新しくするくらいの‘勇気’が必要である。そうでなければ‘恥っさらし’である!

どなた様が‘揮毫’されたかは知らないが、その瞬間に‘訂正すべき’であった。

それも出来なかった人達が果たして、物事を正確に捕え、‘言論の自由’を叫ぶことが出来るのであろうか?

因みに、‘web’で検索して見たところ、まだ誰もこの‘間違い字’に気付いていないようである。

当の‘讀賣新聞社のHP’にも、そんな記事は当然無い!

<追記>

上記の通り書いた後、気になって‘再調査’をしたところ、ありました!HPに!

 

http://info.yomiuri.co.jp/contact/faq/faq13.html
いまの読売新聞の題字は、1946年7月1日付から使用されています。当時、有名な書家だった印南渓龍(いんなみ・けいりゅう)という人が書きました。隷書体という独特の文字が使われています。

 印南さんは3日間で100枚くらい書いて、その中から、今使われている1枚を選んだと言われています。

 よく見ると、「賣」という字の上の「士」が「十」という字になっていませんか。同じつくりの「讀」と比べてみて下さい。これは間違いではなく、隷書体では、こういう省略がよくあるそうです。



でも何となく‘逃げ口上’のように聞こえて仕方がない!

‘隷書体’にそう言う省略があるのではなく、‘書道の作品’の場合に‘字体変更’があるのであって‘省略’があるのではない!

讀賣の場合、隣に同じ文字(賣)があるので、‘字体’を変化させるのが「書道作品の‘暗黙の’決まり」である。

そのことは、当然作者の印南渓龍先生は、知っておられるからこそ、‘字体’を変えておられる(四と貝の大きさを変化)のだが、多分‘うっかりされて’一を外されたのだろう。

そして、ご本人も、新聞社側も誰も気づかないという‘不祥事’になったのではないか?

これこそ、無責任体制である。今ではもうこの字体は使わないから、それ程の問題にはならないかもしれないが。小学生が新聞を見て‘この字’を覚えていて、‘試験に不合格’となった場合、どう言い訳するのだろうか?

書道作品なら、‘芸術’だから、‘省略’しようと‘書き足し’しようと、それは自由である。

ことは、新聞のロゴである。

社会的重要さを見逃していた、と追及されても致し方あるまい!

‘弘法にも筆の誤り’の場合、弘法大師は‘筆を投げつけて’足りなかった‘点’を正したという。流石である!


















[2012/10/26 12:00] | 言葉の威力 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
語源探し:(その4)‘風呂’
普段この言葉‘風呂’も普通の家庭であれば、ほとんど毎日聞かれる言葉であるが、何で‘風(かぜ)’と‘呂’なのだろうか?

これは、小学校の時、漢字を習った際に一寸だけ‘疑問’に思っていたが、その後何の‘ためらい’もなく使っていてそんなに疑問視もしていなかったが、考えてみるとどうにも判らない!

風呂
http://oishiya.co.jp/bath/
最も憧れる風呂の風景:大きな湯船と沢山の洗い場、そして外の景色

http://www.nhk.or.jp/kininaru-blog/72559.html
「風呂」の語源 は?2011年2月15日(火)
寒い日こそお風呂!でも、そもそもなぜ「風呂」というのでしょうか。日本の風呂の起源は、自然の石穴や窯に蒸気を充満させた蒸し風呂形式のものでした。そのため、穴蔵や岩屋のことをいう「室(むろ)」が「ふろ」に変化したと言語学者の柳田国男はいいます。また、茶道で使われる「風炉」という道具があります。もともと、火を入れて暖をとったり、湯を沸かしたりするもので、沸かした湯の蒸気を利用した蒸し風呂もあったことから、「風炉」と書かれたのがのちに「風呂」になったともいわれています。奈良時代、主たる寺院には、大きな浴室、湯屋が備えてあり、僧侶が仏に仕えるため、垢を落として清浄にする場所として使われていました。それを、『施浴(せよく)』といって、寺に訪れる貧しい人や病人などにも開放したことから、人々の間に風呂の習慣が根付いていったということです。さらに、江戸時代になると、井戸を掘る技術が発達したために、蒸し風呂ではなく沸かした湯につかる風呂の形態に変わっていきました。町には銭湯も増え、こうして、日本人は無類の風呂好きとなったということです。ところで、ゆでた大根に味噌をつけた料理を『風呂吹き大根』と呼びますが、この由来について、江戸後期の随筆に面白いことが書かれていました。風呂に入った者の垢をとる商売人がいて、体に息を吹きかけるとうるおいが出てよく垢がとれたことから、垢とりを『風呂吹き』と呼んだそうです。同じように、熱い大根をほおばるときにもふぅふぅと息を吹きかけますよね。そこで、『風呂吹き大根』と呼ぶようになったとのこと。・・・食べるときにはあまり想像したくないでしょうか。


色々調べて行くうちに、民俗学者の‘柳田國男’氏が、この‘風呂’について考察していることをほとんどの人達が指摘していて、孫引き状態である。

皆自分の責任で‘風呂’の考察をせずに、誰かがこう言っている、で済ませている。勿論このブログでもそうだが・・・。その背景は、① 風呂の意味が判ったって何の意義がある? ② 学問的にはもっと面白いテーマがある。
といった理由なのだろうか?お金にもならないし・・・。

したがって、100年近くも前の‘柳田國男’氏の説(大正4年・1915年)を以って風呂語源談義は終了と言う事の様である。

http://www.konishi-ph.jp/blog.php?ID=201
延寿通信第98号 2011年10月 [延寿通信]

柳田國男の「風呂の起源」

風呂の発生、起源については本欄にて、いろいろな立場から取り上げてきましたが、これまでの理論とは一味違うのが、民俗学者柳田國男の「風呂の起源」です。今から100年近く前に発表されました。残念ながら、あまり深く突っ込んでなくて、結論がややあいまいなのですが、民俗学の立場からみた「風呂の起源」ということで紹介します。
 柳田國男(1875-1962年)は日本の民俗学の生みの親として、民俗学に基づいた沢山の論文、随筆を発表しております。東北地方寒村の民話を集めた『遠野物語』は柳田國男の代表作で、今日も広く読まれております。柳田は大学卒業後、農商務省に勤め、官僚の職にありながら、民俗資料を集めて日本の各地を調査しました。官僚を辞めたのち、朝日新聞社に入社して本格的に民俗学分野を固めて、その一方では民俗学普及に努め、研究成果を発表しました。
  民俗学というのは、風俗や習慣の言い伝えほか、有形・無形の資料を用いて日常の暮らしの歴史を明らかにして、現在の生活文化に反映させてゆく学問です。今、流行の文化人類学に近い学問領域です。
 このような立場で柳田は日本各地の風呂にかかわる民話、言い伝えを集めて、入浴・風呂の起源を論じているのです。民俗学という学問を理解するうえでも、参考になるところが多いのではないかと思います。

1.風呂(ふろ)という言葉の語源

 柳田國男は冒頭に、風呂という言葉の解釈にこだわります。語源というか、風呂と言う言葉が、どこから、どのように発生したか、ということです。
 明治の中頃、わが国で最初に出来た近代的な国語辞書『言海』の編者大槻文彦は、風呂は茶の湯の風炉(ふうろ、ふろともいう:釜をのせて炭火で湯を沸かす小型の炉)からきているという解釈をしておりますが、この説明を柳田は否定しています。
 風呂の構造上、および語句の点では、この風炉というのは風呂に近いので理解しやすいのですが、中世の上層階級の高級な茶の湯の道具は風呂には似つかわしくないと柳田は判断したのでしょう。
 茶の湯説でゆくと、風呂という言葉が中世に生まれたということになりますが、古代から続いている温泉や河川で浸かる行水的入浴、あるいは仏教の浴堂は長い歴史がありますので、時代の面でずれを生じ、十分の説明が出来ません。
 なぜ入浴することを風呂に入るというのでしょうか。また、入浴する場所を風呂場ともいいます。柳田は 風呂(フロ)は森と林にかかわりがあり、森が風をさえぎる暖かい場所ということから、きているのではないかということを一つの説としてあげています。森や林のことを、中国地方はじめ、紀州ではフロとよんでいるところがあるそうです。日本の各地で神の社(やしろ)もフロという地域があり、これらも、やはり風呂につながるのではないかというのが柳田説の一部です。
 一方、山奥に風呂という地名がところどころにありますが、これは、もともと寺の浴場があった場所や、温泉があった所につなげることはできないので、このことは直接、風呂の語源には結びつかない、といっております。



それにしても‘風呂’は、ストレスを忘れさせてくれる最大の癒し空間、現代人には必須の場所・設備であることに間違いない! お風呂に,乾ぱ~い!

kazokuhuro
http://dom.jtb.co.jp/yado/PhotoList.aspx?st=1558002

rotenn.jpg
http://dom.jtb.co.jp/yado/PhotoList.aspx?st=1558002

そして、関連用語の‘風呂敷’。今ではその名前さえ知らない‘新々人類’が多いと聞く。何故‘風呂敷’?

風呂敷
http://matome.naver.jp/odai/2134681735156948301/2134682411057808703


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%A8%E5%91%82%E6%95%B7
風呂敷の概要 [編集]

起源は定かではないが正倉院の所蔵物にそれらしきものがある。古くは衣包(ころもつつみ)、平包(ひらつつみ)と呼ばれていた。それが風呂敷と呼ばれるようになったのは室町時代末期に大名が風呂に入る際に平包を広げその上で脱衣などして服を包んだ、あるいは足拭きにしたなどの説があるが明確ではない。言葉自体の記録としては、駿府徳川家形見分帳の記載が最初のものとされる。


風呂敷の寿命も‘風前の灯’なのだろうか?

(つづく)














[2012/10/22 22:56] | 言葉の威力 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
語源探し:(その3)‘屋根’
普段何気なく使っている言葉、よ~く考えてみると現在のものに相応しくないというかその言葉からは想像しにくい物が沢山ある。

例えば、電車に乗った時に「この電車は、00駅を出る時に少々揺れますので、‘つり革’や手摺にお掴まり下さい」と言うアナンウスを聞いたことがあると思う。

この‘つり革’って何?と元来の‘つり革’を知らない平成生まれの‘新々人類’は思うに違いない。何処にも‘革’なんて使ってないからだ。

同じく‘電車’関連で言うなら‘網棚’だって、何処にも‘網’はない!

‘銭湯’だってそうだ。

こんな風に言葉は、社会の文化や風習の変化や技術の進歩で‘様変わり’をする。

さて、今日の話題は‘屋根’である。

画像ー61 115-2

‘屋’は誰でも理解出来るが、‘根’が、どうにも理解出来ない。

‘ね(根)’を辞書(大辞林)で引いてみると、

http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E3%81%A
D%E3%80%90%E6%A0%B9%E3%80%91&stype=1&dtype=0

ね【根】

1 維管束植物の基本器官の一。普通は地中にあって、植物体を支え、水・養分を吸収する。先端に根冠に包まれた生長点があり、根毛をもつ。「植木の―がつく」「竹が―を張る」

2 立ったり生えたりしているものの下の部分。「歯の―」「髷(まげ)の―」

3 物事の基礎・土台。根本。「息の―を止める」「思想の―」

4 物事の起こるもと。根本原因。「悪の―を絶つ」「両国の対立の―は深い」

5 はれ物などの中心になっている堅い部分。「できものの―」「魚の目の―」

6 本来の性質。生まれつきの性質。「―は心のやさしい人だ」

7 釣りで、海底にある岩礁帯。「―魚」

8 名詞の下に付いて、複合語をつくる。

地に根ざしている、立っている意を表す。「垣―」「岩―」

語調を整えるために用いる。「杵(き)―」「島―」


とある。多分、‘屋根’の‘根’は、上記引用文の8にあたり、‘屋が地に根ざして立っている’と言う事になる。

えっ! どう言う事?!

以下の解説で‘謎’が解ける!!

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/
question_detail/q1315522688

Q:語源についての質問です。 屋根は、なぜ天井に近いのに「根」がつくんですか?
lawliet28さん

A:ベストアンサーに選ばれた回答
senyo77jpさん

竪穴式住居のように、古代の家は屋根と壁との区別が明確になく、その全体が地面に接していました。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%AA%E7%A9%B4%E5%BC%8F%E4%BD%8F%E...

そのことから、もともと「屋根」という言葉は、家を意味する「屋」に全体を支えているという意味の「根」が付き、家全体のことを表していたのではないでしょうか。

のちに柱や壁が独立して屋根が地面から離れた構造になっても、その呼び名が残ったのではと考えられます。



そうか、‘屋根’の始まりは、‘家’という建築物の始まりの‘竪穴住居’を考えればいいという訳である!

tateanakozo.jpg
http://kouko.bird-mus.abiko.chiba.jp/main/terms/index.html#ta

そして、‘つり革’が革でなくなっても‘つり革’と言うが如し、式で・・・。納得!!

(つづく)













[2012/10/21 22:12] | 言葉の威力 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
語源探し:(その2)‘すき焼き’
日本語を普通に使っていて、そんなに気がつかないが、‘すき焼き’という言葉は、よ~く考えてみると何故‘すき’がつくのだろうか?

すき焼き
http://www.kobebeef.co.jp/shop/suki.html

鉄の鍋が何処にでもあった訳ではない時代に‘鋤’の上でお肉を炒めて食することが流行ったから、それで‘鋤焼き’と言うようになった、とたしか教わったことがある。小学校の時だったから、もう60年も以上前のことである。

鋤、鍬、鎌-thumb-autox340-560 (1)
http://www.rentall-oyama.com/item/2010/12/post-388.html
鋤、鍬、鎌

本当だろうか?

改めて、web で調べてみたい。Wikipedia では以下のように解説してある。

先ずは、‘すき焼き’の‘定義(?)’から・・・。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81
%99%E3%81%8D%E7%84%BC%E3%81%8D

すき焼き鋤焼、すきやき)は、薄くスライスした食肉や他の食材を浅い鉄鍋で焼いてたり煮たりして調理する日本の料理である。調味料は醤油、砂糖が多用される。
一般的なすき焼きは薄切りにした牛肉が用いられ、葱、春菊、椎茸、焼き豆腐、シラタキなどの具材(ザクと呼ぶ)が添えられる。味付けは醤油と砂糖が基本である。溶いた生の鶏卵をからめて食べることもある。しゃぶしゃぶの薄切り肉は熱湯にくぐらせるだけで食べられるほど薄いが、すき焼きの薄切り肉はしゃぶしゃぶに用いる肉よりも厚いことが多い。
合わせ調味料の割下を用いた甘辛い味付けの料理の総称として「すき焼き風」という呼称も用いられる。


上記の通り、‘鋤’と言う文字が使われている。60年以上も前の情報もそんなに的外れの情報ではなかったらしい。さらに、下記引用文にきちんと説明がしてある。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9
9%E3%81%8D%E7%84%BC%E3%81%8D

歴史 [編集]

鋤焼

日本では幕末になるまで、牛肉を食べることは一般には行われていなかったが、別に「すきやき」と称された料理は存在していた。古くは寛永20年(1643年)刊行の料理書『料理物語』に「杉やき」が登場しており[1]、これは鯛などの魚介類と野菜を杉材の箱に入れて味噌煮にする料理である。さらに享和元年(1801年)の料理書『料理早指南』では、「鋤やき」は「鋤のうへに右の鳥類をやく也、いろかはるほどにてしょくしてよし」と記述されている。また、文化元年(1804年)の『料理談合集』や文政12年(1829年)の『鯨肉調味方』にも具体的な記述が見られ[1]、使い古した鋤を火にかざして鴨などの鶏肉や鯨肉、魚類などを加熱する一種の焼き料理であった[2]。他にも、すき身の肉を使うことから「すき焼き」と呼ばれるようになったという説もある。この魚介類の味噌煮の「杉やき」と、鳥類・魚類の焼肉という「鋤やき」という二種類の料理が、「すき焼き」のルーツとして挙げられている[1][3]。

すき焼き

安政6年(1859年)の横浜が開港後、居留地の外国人たちから食肉文化も入ってきた。日本に肉牛畜産の産業がなかったため、当初は中国大陸や朝鮮半島あるいはアメリカから食用牛を仕入れていた。しかし居留地人口の増加に伴い牛肉の需要が増加し、のちに神戸の家畜商が横浜へ食用牛を搬送するようになった[4]。このような状況をうけて、幕府は元治元年(1864年)居留地に指定されていた海岸通 (横浜市)に屠牛場の開設を認めた。
1869年神戸に、牛肉すき焼き店「月下亭」が開店した。
関西では先に焼いた牛肉を砂糖・醤油で調味する「すき焼き」が行われており、関東大震災で牛鍋屋が被害を受け多くの店が閉店し、震災後に関西から進出したすき焼屋が牛鍋をアレンジして関東風すき焼きを作り上げ、「すき焼き」という呼称も広がっていった[3][5]。

牛鍋

ぶつ切り牛肉を使った牛鍋
屠場開設から二年遡った文久2年(1862年)に横浜入船町で居酒屋を営んでいた伊勢熊(いせくま)が一軒の店を二つに仕切り、片側を牛鍋屋として開業したのが最初の事例とされる[6][1]。幕末期、開港場の横浜では牛肉の煮売り屋台があった。1867年江戸の芝で珍しい牛肉屋を開いていた中川も牛鍋屋を開業した[3]。明治元年(1868年)、高橋音吉が「太田なわのれん」を創業し、当時主流の味噌煮込み風牛鍋であった[7]。同年、横浜につづき東京の芝にも外国人向け屠牛場ができると牛鍋屋の流行は飛び火し、以後牛食は文明開化の象徴となった[8]。
幕末から明治時代初期の牛肉は質が低く固くて獣臭さが目立ち、それらを緩和するため関東の牛鍋はぼたん鍋や紅葉鍋に類似した内容で、具材は牛肉の薄切り肉を使うことが定着しておらず、角切り肉を使う場合もあり、野菜はネギのみで味噌仕立ての味付けで煮る・炒め煮にする調理法が主流で[6][3][2][5]、ネギを五分の長さに切ったことから明治初期には具材のネギが「五分」と呼ばれたこともあった[9]。明治初期の「牛屋(ぎゅうや)」の牛鍋もこうした味噌鍋が主流であった。しかし、肉質が良くなるにつれて、関東の味付けは味噌から醤油と砂糖などを調合したタレ(割下)が主流になっていった[3][2]。
仮名垣魯文はこうした状況を『安愚楽鍋』(1871年)[10]で「士農工商老若男女賢愚貧福おしなべて、牛鍋食わねば開化不進奴(ひらけぬやつ)」と表現していた[11]。1877年の東京における牛鍋屋は550軒を超えるほどであった[3]。
1887年(明治20年)頃になると、具材において牛肉や野菜の他に白滝や豆腐が使われ始め、ネギはザクザクと切ることから「ザク」と呼ばれ、この「ザク」という言葉は具材全体の総称にもなっており、これらを沢山の割下で煮た牛鍋が関東風すき焼きの原型となった[9][8]。

坂本九のSUKIYAKI (上を向いて歩こう) [編集]

アメリカ合衆国では、1963年に坂本九の曲『SUKIYAKI(原題・上を向いて歩こう)』が大ヒットした。曲名の由来はすき焼きが日本を代表する料理であり、またレコード会社の社長が日本で食べた「スキヤキ」が旨かったからであるとされる。同曲は、1963年6月15日にはビルボードおよびキャッシュボックスの第1位にランキングされた。日本人の歌がアメリカでヒットチャートのNo.1になったのは、現時点でこの曲だけである。


松茸すき焼き
まだ味わったことが無いが、‘松茸すき焼き’、堪えられんでしょうね!

(つづく)


















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