サフランモドキは、今!
花の名前(植物の名前が花の名前で代表される?)の命名方法は、一体どうやって決まるのだろうか? 同じものを、それぞれの立場や昔からのその地域や伝統?によって名前を主張する?のだろうか? ただし、この風潮で迷惑をこうむる?人達もいるのではないか? 花そのものは、人間様からどんな名前を付けられようと知る由もないから、やはり名前の紛争?は、人間様の‘エゴ’に過ぎないのかも知れない! ということで、いつもその「論争」に巻き込まれる?のは、「サフランモドキ」さんであるのであ~る!
という記事だから、もう「サフランモドキ」という言葉が、最優先ではない! その際に掲載された画像は次の通り・・。 <ゼフィランサス> ![]() 出典:https://suna-kaze.blog.so-net.ne.jp/2016-09-03 <ハブランサス> ![]() 出典:https://suna-kaze.blog.so-net.ne.jp/2016-09-03 「イヌサフラン」や「コルチカム」という名前も登場するから、「サフランモドキ」も忙しい? 私自身も、花の名前に疎かったこととそんなに重要視してもいなかった浅学非才のこともあって、「サフランモドキ」を「コルチカム」としてこの弊ブログに掲載したために騒動に巻き込まれた経験がある!間違えた理由は簡単で、ある人から頂戴した「サフランモドキ」の鉢に小さな名札が付いていて、そこに書かれていたのが「コルチカム」だったのである! まあこの議論は、別の機会に譲ることとして・・・。 我が家の玄関先には、美しい花が咲いていた! ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() この花の特長で欠点?は、寿命が、短いことである!ほぼ3日間! (つづく) スポンサーサイト
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‘砂場’というお蕎麦屋さんがある!
その名前の由来について調べてみようと思っていたが、ついつい忘れてしまってしまう。 何故か? それは由来を知らないからといって、生活に差支えがないからである! 今年(2017年)の10月10日、虎ノ門の或る特許事務所で打ち合わせがあることになって、JR新橋駅から歩いて行くことにした。 そこで見たのが、あの評判のお蕎麦屋さんの‘砂場’さん! 新旧の‘対称’が余りにもはっきりしていて、これはこれで‘観光の目玉’になる! 外国人はきっと喜ぶに違いない! 日本人の私が「面白い!」と思うのだから・・・。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 場所は、下の図の中央の‘虎ノ門砂場’というところ・・・。 ![]()
江戸前そばの御三家は、「藪」「更科」「砂場」という。 この詳細は別途このブログで・・・。 (つづく) |
‘必死’という言葉
‘必死’を辞書で見てみると・・・
つまり、‘必死で生きようと思った!’という表現は、‘死に物狂いで生きようと思った!’ということになる。 まあ、解説をするまでも無く、‘必死で’という‘形容動詞’なら理解出来るが、‘必死’という‘名詞’の意味が頭を掠めるので、‘必ず死ぬために生きようと思った!’という矛盾を感じてしまうのである! まあ、そんなことは‘余裕のある人間様’が感じて偉そうにほくそえんでいればいい! ‘蚊’は、正に今の時期、‘必死’なのである! 今朝(2015年09月22日)、久し振りに爽やかな朝になったので、カメラを持って庭に出てみた・・・。 青じそが実を付け始めている。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() そして、韓国の国花と言われる‘むくげ’も今も盛りである! その花にカメラを向けて・・・ ![]() むくげの花に心を奪われていると、 ![]() 足が痒~い! いた!いた!いた! ![]() ![]() ![]() ![]() 痒い!かゆい!カユ~イ! おっと、足にばかり気を奪われていると、遂に手にも・・・ ![]() ![]() 「えいやの~やっ!」で見事に! ![]() ![]() これこそ、正に‘必死’である! 人間も痒いので‘必死’に「えいやっ!」でもいいのだが、蚊にとっては、正に、‘(名詞の)必死’だったのである! ある情報誌で、大昔に見たことがある! 小乗仏教の終着点である‘スリランカ’では、仏教の精神が小さい子供まで染透っていて、「蚊は殺さない!手で追い払うだけ」だという! 蚊を‘パシリッ!’とやった後で、必ずこの話を想い出す! (つづく) |
四月馬鹿と選抜高校野球決勝戦!
<四月馬鹿!> 我々が小学校時代だったから、もう60数年以上も昔の話である! 当時は、‘四月馬鹿’としか言わず、‘エープリルフール’などという‘気障な言葉は、九州の田舎では使わなかった! ‘エイプリル・フール’とは、騙された人のことをいう! 4月1日のことは、‘エイプリル・フール・デイ’である。 いつも、4月1日になると‘四月馬鹿’のことは思い出すのだが、どんな起源かを調べたことはなかった! お馴染みの‘Wikipedia’さんでは、次のように解説してある!
1564年に‘処刑’という事態になったことは由々しきことだが、‘1564’が‘ひとごろし’と符合していることに日本だったら因縁を感じたのかもしれない! ここで、このエイプリルフールの最強ジョークの一つを紹介したい!
<2015年選抜高校野球決勝戦!> .【東海大四―敦賀気比】(1-3)で ‘敦賀気比’が初優勝! 和歌を引用して選手宣誓をした‘主将’! 投げ抜いた‘ピッチャー’! そして、偉大なる記録を作った松本選手!彼のホームランが優勝へ導いた! 勿論、他の選手や応援団、そして監督その他の協力者の力がなかったら優勝はあり得ない! ![]() 出典/http://mainichi.jp/graph/2015/04/01/20150401k0000e050261000c/008.html .【東海大四―敦賀気比】八回裏敦賀気比1死二塁、松本が左越え2点本塁打を放つ(捕手・小川)=阪神甲子園球場で2015年4月1日、須賀川理撮影 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() <ここまでの画像は、NHKのTV画面をカメラで撮影したもの> <ここからの画像は、日本テレビのTV画面をカメラで撮影したもの> ![]() ![]() ![]() ![]() 敦賀気比高校が気になって、例の通り‘Wikipedia’を見てみると、昨日(2015年4月1日)の18:13には優勝したことが既に掲載されている!
こんなことを言っては、怒られるかも知れないが、この優勝が‘エイプリルフール’でなければ良いのだが・・・!? (つづく) |
回文という‘おもろい’言葉遊びがある!
でも、優れた‘回文’は、遊びどころではなく、‘芸術’である!
先ずは、お堅いところから・・・。 ![]() http://www16.tok2.com/home/ichinose/everyday.html 正に‘言い得て妙’! 回文で無くったって十分! そして、以下が、笑い転げる‘回文’! やはり、これらは‘快文’! 世の中ね顔かお金かなのよ http://matome.naver.jp/odai/2136167149377922801 これを創った人、天才! ![]() http://matome.naver.jp/odai/2136167149377922801?page=2 けだるき一日、生きるだけ http://matome.naver.jp/odai/2136167149377922801?page=2 ![]() http://www.ikete9.com/cat/hiroi/001.php イカのダンスは済んだのかい http://matome.naver.jp/odai/2136167149377922801?page=2 ![]() http://illpop.com/png_animalhtm/squid_a09.htm (つづく) |
新シリーズ・キッシー君の‘人生訓’(その1)のつづき
さて、人生訓の表題の「面倒くさいことにこそ価値がある!」と‘静なる感動’とはどんな関係があるのだろうか? これまでが、‘人生訓’の前哨戦! (つづく)で昨日のブログは終わっている! さて、「面倒くさいことにこそ価値がある!」と‘静かなる感動’との関係について 結論:もし‘静かなる感動’を得ようとお望みでしたら、‘面倒くさい’事に手を染めねばなりません! 逆に申しますと、‘面倒くさいこと’を‘面倒くさい’とお思いなって‘手を染めない’でおられたら、‘静かなる感動’を手に入れることは出来ないのでございます。 人生の総決算は、詰まる所‘積分’してしまうと‘ゼロ’になってしまうものでございます。 それが、人生哲学で最も正しい見方でございます。 だって、ゼロから産まれて来るのですからゼロに戻らなければ辻褄が合わないじゃぁあございませんか! ‘面倒くさいこと’ってのは、謂わば‘マイナス’の量でございます。 それとの対比で申し上げますと‘感動’は、お気づきの通り‘プラス’の量なのでございます。 積分で‘ゼロ’になるのでございますから、‘マイナス’のものがなければ‘プラス’のものは発生しないという事は言うまでもございません! いやいや、ノーベル賞をお貰いになられた様な優れた御仁は、積分しても‘プラス’になるのでは?とのご疑問を抱かれる方もお出ででしょうが、それは違うのでございます。そんなご立派な方にも‘面倒くさい’事をそれなりにこなして来られたのです。そんな方こそ‘死ぬほど’面倒くさいことをやって来られた筈なのでございます! そして、何もしない人には何の感動も生まれないのでございます。これはこれで、お判りのように積分すれば‘ゼロ’になることは明白でございます。 そんな意味合いでも人間はみな平等なのでございます。 では、もう少し踏み込んで、殺人を犯したり、強盗をしでかしたりで、‘マイナス’ばかりをしでかす人間に‘プラス’評価があるのか?とのご疑問を抱かれる向きもあろうかと存じます。実は、これも上手い仕組みになっておりまして、世間様には‘反面教師’としての役割を身をもって演じさせられておるのでございます。 それじゃあ、人間何やったっていいじゃあないか、と言う事になるじゃあありませんか!そんなことって一体??とお思いになられるお方もお出でにならないとも限りません! この事にやはり宗教家は悩んだに違いございません。親鸞聖人もそのお一人です! ![]() 東京・浅草・東本願寺の親鸞聖人立像 キリストだってこの問題には悩まれたのでございましょう!私自身は宗教上の事はよく理解出来ている訳ではございませんが、きっとここで私めが申し上げている‘人生積分ゼロ’が思想の根本にあるのではないか?とそう思い始めている訳でございます。 ![]() http://www.geocities.jp/kazuyanobaka1947/2006nobelphysics.html 宇宙の始まりは‘ビッグバン’という大爆発からだったと申します。一説によりますと、今が折り返し点で、同じ年月が過ぎるとブラックホールに何もかも吸い込まれて結局は元通りの‘ゼロ’の戻って行くのでじゃないか?との説、正しいのじゃあございませんでしょうか? (つづく) |
‘文化の日’の由来が、日本国憲法にあったとは知らなかったが、そう言われてみると、公布(発布)から施行までに半年の期間があることに気付けば、憲法記念日と文化の日が‘無縁’であるという事にはならない、と気づくべきである!
そして同時に、日本国憲法の精神が、「自由と平和を愛し、文化を進めることにある」という事にも気付いておくべきであることを再認識させられた。 そこで、文化の日には、我々も何か‘文化的な事’をと考えた結果、 ① 曼荼羅の世界を覗きに行こう! ② 文化の象徴(?)である‘本’について、神田古本市を体験しよう! という事になった。 ① の曼荼羅の世界については、後日報告することにする。 さて、曼荼羅のお寺を拝見して、多少消化不良気味ではあったが、それなりの満足感はあった。そして、神田古本屋街に着いたのは、もう日暮れも近い時刻であった。 今想い出しても可笑しいのだが、九州の田舎から東京へ出て来て間もなく、そう、もう45年の前の事なのだが‘神田古本屋街’へ行こうと、何も調べずに‘神田駅’に着きさえすれば、‘古本屋街’なんて直ぐそこにあるに違いないと思って出かけたのである。 ところが、国鉄・神田駅(当時)を降りて、周辺を歩き回ったが、古本屋さんなんて一軒もない! とうとう、恥ずかしながら‘交番’で聞いてみると、それは‘神保町’だと教えて呉れたのだが、そこへの行き方がまた判らない! こんな時には‘タクシー’に限ると御厄介になった! 「神保町のどこですか?」と運転手さん。 「ええっと、ほらあの交差点の・・・」と私。 「御茶ノ水駅から降りて来たところの交差点?」 「そうそう!」 こんなことでその時、やっと神田・神保町の古本屋街に着いたのである! こんな昔話をカミサンにしたら、 「へえ~!JR神田駅の近くじゃあないの?」 というから、彼女は、まだ私の45年も前と同じ状態なのである!
そんな訳でJRで言えば、神田駅よりもお茶の水駅の方が近くて判り易い! 御茶ノ水駅に着いたのは、文化の日・11月3日の16時を廻っていた。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() およそ、一時間弱古本屋さんの‘文化’に浸って、ゲットした本、二冊の内の一つ‘800円也’の本(?)が下の‘墨絵’画集である。 ![]() ![]() ![]() 当時、2,700円もしたらしい!(800円でゲット!) ![]() ![]() 今後の‘仏画’に活かせるといい、とカミサンが言っている。一寸は‘文化’の匂いはするのかも?? (つづく) |
‘朝顔’の句への子規の評価
![]() http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E5%B2%A1%E5%AD%90%E8%A6%8F 加賀千代女の‘朝顔の句’について、正岡子規は、俳句ではない!ともで言い切っているという! 朝顔に(や) 釣瓶取られて 貰い水 (千代女) ![]() http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%B3 %80%E5%8D%83%E4%BB%A3%E5%A5%B3 この句に関して、「俳句は写生を以って貴しとなす」と言ったかどうかは知らないが、正岡子規は、徹底して写生を大切にしたから、千代女の句作の態度に疑問を投げているという。 つまり、写生ではない思惑が入り込んでいるとして、謂わば‘こきおろしている’というのだ!
子規は、どうやら‘説明’や‘思惑’を嫌ったのだろう。 上記引用文のタイトルにある通り、‘自己のやさしさ思わせぶりを嫌う’余り、「可哀想だから、私は朝顔の蔓を切ることをしなかった」という‘押しつけがましい’‘優しさの押し売り’に嫌気が射した、といったところなのであろう。 「ただ、朝顔の蔓が釣瓶に撒きついている様をそのまま詠めばいいじゃあないか!」というのが子規の主張である! なるほど、例えば、私が最も好きな芭蕉の句 「五月雨を 集めて速し 最上川」 においては、子規が指摘する‘自己のやさしさ思わせぶり’などは全くない! ただ、芭蕉の「古池や 蛙飛び込む 水の音」については、子規は俳句としての‘価値’を否定していると言うから面白い! これについては、また後日この弊ブログで紹介したい! (つづく) |
今流行りの‘半沢直樹’の
「倍返しだ!」 を英語では、なんと表現するのだろうか? とメールを下さった方がおられる! ![]() http://www.news-us.jp/article/375968377.html
因みに、「倍返しだ!」を‘Google’の翻訳ソフトを使ってみると、 「倍返しだ!」 → 「Times it returns!」 「やられたら、倍返しだ!」 → 「Once done, it's times return!」 ‘ある場面の表現’というのは、それぞれの母国語において‘習慣’を取り入れて変化したり、その国の中でも地方、地方によって表現の仕方に違いがあったりして、なかなか伝わりにくかったりするので‘ピッタシ(リ)’の表現は出来ないものなのであろう! 「今でしょう!」に引き続いて、この「倍返しだ!」も今年の流行語にノミネートされるのは確実に違いない! ひょっとすると、これら日本語が、そのまま英語圏やフランス語圏で使われることだってあり得る! ![]() http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Stop-Sign.jpg 例えば、英語の「Stop!」は、日本語でも「ストップ!」であり、フランス語でも「Stop!」と言ったり書かれたりしているという! ‘英語嫌い’なフランス人が‘Stop!'を‘ストップ’させようとしたが、‘Arrêter!’出来なかったという逸話も残っている! (つづく) |
‘呼び名’の不思議!
‘人間の記憶’は、一旦インプットされると中々‘更新’出来ないようになっているらしい! ① 未だに‘銭湯’という! (また、‘風呂屋’とも) ![]() http://eonet.jp/travel/family/index_121218.html ② ‘釣り銭’とまだ言っている! 現時点では、お金の最小単位は‘円’であるのに、まだ‘銭’が残っているのである! その反対に‘円タク’という言葉は聞かれない。これはお金の単位は‘円’であるが、何処まで行っても‘一円’という昔の状況ではないから、そうなのであろう。 ③ ‘床屋’とまだ言っている! ![]() http://www.barberfuji.com/ 通常の会話では、「床屋に行って来る」が普通であって、「バーバーに行って来る」とは言わない!‘理容室’や‘理髪店’なんて看板はあっても呼び名は‘床屋’なのである。 ![]() http://cplus.if-n.biz/5000238/ ![]() http://cutmaster.blog81.fc2.com/blog-entry-83.html ④ ‘本屋’もそうである! ![]() http://aichi1ban.livedoor.biz/archives/cat_50007374.html ‘本屋さん’で「00本屋」という看板を掲げている‘書店’は無いに違いない!それにしても現状の‘本屋さん’の呼び方は‘書店’なのだろうか?
![]() http://www.hontai.or.jp/shop/fair2011.html 最近では、‘本屋大賞’というのも出てきたりで、‘書店’の人は、自分達の店は‘本屋’だと思っているに違いない! こんなの‘英語’に訳す時どうするのだろうか? どちらも‘Bookstore’では意味が通じない! 因みに、上の文章「最近では、‘本屋大賞’というのも出てきたりで、‘書店’の人は、自分達の店は‘本屋’だと思っているに違いない!」を‘Google’翻訳システム’で‘英訳’してみた! 「People in recent years, the 'bookstore', in or come out because 'bookstore Award' is, must have thought it 'bookstore' shop of their own!」 やっぱり! そして、この‘英訳文’を今度は‘日本語’に訳し直してみると 「近年、人々、中に'本屋'、または '書店賞'であるため、出てくるには、それ独自の'本屋'店と思っていなければなりません!」 となってしまう! 翻訳も‘心と経験’が無ければ意思は通じないらしい。 さて、話を元に戻して、 ‘本’=‘書’という時代もあったろうが、印刷・コピー技術の発展と共に‘書き写す’時代はもうとっくに終わっている。 しかし、このコピー時代にまだ‘書’、つまり‘書き写すこと’にこだわっておられる有名な大学教授(Aさん)がおられる。最近親しくして戴くようになった先生である。 このブログでも以前紹介したことがると思うが、 「近頃の学生の‘レポート’は、皆同じ内容の‘部分’が重なり合っている!何故なら、そのテーマに‘合致する’文献をみんながインターネットで探して‘パソコンでコピーして貼り付ける’からである。これじゃあ果たして??」 と嘆いておられる大学の先生がおられた。私の友人の‘先生だった’人に聞いても同じ答えが返ってくるから、もう10年以上も前からそうなのだろう。 しかし、この‘A教授’は、‘ふつ~’とは違っている! 「レポートは、‘必ず手書き’」 と仰っている。 「パソコンんで‘編集しても構わない!しかし、提出書類はそれを‘自分の筆跡で書き写して’持って来い!」 と学生に言っておられて、実行されているという。 見上げたもんである! 「書き写す時に、必ず少しでも‘頭に入る’から、これは‘学生のため’なんですよ!」 この先生も素晴らしい本を何冊も出版しておられて‘読本’としてお使いになっておられるというが、レポートに‘コピー’を提出されても困るのだろう。 この先生の心の中は、やはり「‘本’=‘書’」なのだと思う。「これが勉学の基本だ!」との‘A先生’の言い分に最近甚く感動させられた! ‘学問に王道なし’、正にその通りである! 最後に、「‘書店’には、必ずしも‘書’は売っていない!」ことを付け加えておきたい。 ⑤ ‘ディズニーランド’も今は正式名称は‘東京ディズニーリゾート’なのに、未だにみんな‘ディズニーランド’と言ってしまう! ![]() http://matome.naver.jp/odai/2133462561375278601/2133463004475609303 かと思ったら、そうではないらしい。東京ディズニーリゾートは、‘ランド’と‘シー’で構成されている。 これも違うらしい! お馴染みの‘Wikipedia’で調べてみると次のような解説がある。
つまり、‘東京ディズニーリゾート’、は、‘東京ディズニーランド’と‘東京ディズニーシー’と‘関連ホテルとショッピング施設’の総称だという事である。 ただし、みんなは 「きのう、‘ディズニーランド’に行ったよ!」 としか言わない。‘ディズニーシ―’だとか‘ディズニーリゾート’に行ったよ!とは言わないのである。 ということは、一旦‘ディズニーランド’ということでインプットされると、後から出来た‘ディズニーシ―’やその後‘施設全体’を‘東京ディズニーリゾート’と言おうとお構いなく‘ディズニーランド’ととしか言わないのである! 銀行が‘統合’されて名称が変わったとしても 「ええっと、ほら昔の‘00銀行’よ」と言うのである。 そして、銀行は銀行で、内部では「あいつは00銀行、こいつは××銀行」と区別しないと‘事が進まない’という事情のようである。 人間の記憶と事の進め方は旧態依然としているから、‘紛争’が絶えない! ‘尖閣問題’もこの範疇のような気がしてならないのだが・・・。 (つづく) |
日本語は‘難しい’!(その2)
日本語の表現は難しい! しかし、それだけに‘面白み’も多い。 ③ 中卒 ‘就職難’という時代があった。 世の‘教育ママ’は、自分の子供をいいところへ就職させようとして‘教育ママ’になっている。それだけならまぁいいが、自分の息子を‘自慢する’ために‘教育ママ’になる人の方が多いというから子供にとっては‘いい迷惑’なのかもしれない! さて、その就職難の時代(今でもそんな例はあるとも思われるが・・)に、こんな例があった。 教育ママに育てられて、東大に入った人がいる。大学に入ったから、その教育ママの‘野望’は達せられたかと思われたが、そうではなかった! ![]() http://blog.goo.ne.jp/midorigf2/e/adebae58b1f5cecf9edfef4a1213c834 4年生を卒業しても、その後に‘大学院’があることを知ってしまった教育ママの野望はまだまだ続いた。息子は大学院に行くことを余儀なくされ、しかも‘修士課程’で終わるのではなく、‘博士課程’まで行くことを息子は要求されたのである! しかし、息子もよく頑張ってとうとう見事、東大・大学院博士課程を無事終了した! 最も喜んだのは、勿論その母親・教育ママさんだった! ところが、ところがである! 東大大学院博士課程を修了したその時、世の中は全くの就職難の時代だった。 当人は勿論、その教育ママも必死の就職活動を展開したが、超一流の会社は勿論、中小企業に至るまで、大学卒はその年は、採用を見送る企業続出で、その子はとうとう‘就職浪人’という憂き目を見ることとなってしまったのである。 こればっかりは、その教育ママさんだって‘想定外’のことだった。 捲土重来を期して一年待った!しかし、益々世間の不景気は続いていた! やっとかすかな望みを抱いてその息子は或る会社の就職試験を受けるところまで来た! 小企業の会社社長「うちは、中卒でもいいんだが・・・」 博士課程修了の息子「はあ、私も‘中学を卒業’しているんですが・・・」 その息子は、その年も就職浪人することになったという。学歴が禍することもあるという笑えない実話だそうである! ④ 世界中、まだ誰も使ったこのない‘マジック’! 何とか言う‘マジシャン’で、‘縦じま’のハンカチを一瞬で‘横じま’のハンカチに変えるという‘技術’をお持ちのプロ手品師がいる! インチキではないが、この‘言葉遊び’にも似た‘ジョークマジック’は、何度見ても面白い!ネタが判っていても憎めないのである。 凄技のマジシャンは、こんな‘手’は使わない。ネタは絶対にバレナイから凄~いとは思うが、面白おかしくはないから、見た後で「どうなっているのだろう?」という多少の‘欲求不満’が残る。 しかし、縦じま手品師氏の‘手品’は、笑えてしかもネタばれだから‘欲求不満’はないからスッキリする! 昔、「‘カメラ’と‘写真機’の違いは?」という‘設問’があって、その答えは、‘写真機’は、‘蛇腹式のカメラ’が正解!ということだった。 そんな言葉の使い方からすれば、‘縦じま’氏こそ‘手品師’で、彼は‘マジシャン’とは違うというのが‘当たり’というべきだろう! さて、或る友人から聞いたのだが、ある講演会の‘前振り’で或る人から「世界中、まだ誰も使ったこのない‘マジック’!」を見せられたという! 聴衆は、「マジシャンでもない普通の人が一体どんな凄~いマジックを見せてくれるのだろうか?」と一瞬息を呑んだ! ところが、彼が‘内ポケット’から取り出したのは、ナント‘買ったばかり’の‘マジックペン’だったというから‘素晴らしい’! ![]() なるほど! 買ったばかりのマジックなら、‘世界中で誰も使ったことはない’というのは‘インチキ’とは言えないが・・・。 これもネタばれしているから‘欲求不満’はない! お見事! (つづく) |
日本語の表現は難しい!
特に、‘省略’が入ることが多いので、言い回しそのままでは意味が判らない場合が多い! たとえば、 ‘彼は、耳が聞こえない’という表現がある。 ‘耳’と‘が’の間に「で、もの音」が省略されているのだが、‘不思議なことに’誰でも理解は出来ている! ‘彼は、目が見えないのよ!’の場合も同じである! この場合は、「でもの」が省略されているのである。 但し、次のような場合、つい意味を取り違えてしまう場合が起こる! ① 霧のロンドン ![]() http://kyosukelove.blog58.fc2.com/blog-entry-133.html 実は、この話は、ず~と昔にこのブログで紹介した覚えがあるのだが・・・。 A「おや、今日は、異常気温のお蔭で‘霧’は発生していますね! この霧を見ると‘又、ロンドンに行きたくなりましたねえ、B君」 B「えっ!?先輩、今何と仰いました? ‘ロンドンに行かれたことがある’のですか? 初耳ですが・・?」 A「いや、いや、ロンドンには行ったことはない!」 B「でも、‘又、行きたくなった’と」 A「そう、‘又、行きたくなった’のだよ!」 B「そりゃあ、おかしいじゃあないですか? 一度も行ったことがないのに、‘又、行きたくなった’なんて・・」 A「何がおかしい! ‘行きたくなった’のが‘又’! つまり、ず~と以前にも‘行きたくなった’ことがあっただけ!何がおかしい!」 B「そんな!」 ② 夏の甲子園 ![]() C「もう15年も前のことだけど、僕は高校生の時に‘野球部’に入っていてさ、正選手だったんだ。夏の甲子園行ったことある!」 D「へ~っ!そんな話、今まで聞いたことが無かったが、本当なの?」 C「勿論、本当さ!」 D「えっ? それで、それで、甲子園での一回戦は勝ったの?負けたの?」 C「甲子園では、野球はしてねェよ!」 D「えっ? えっ? 今、‘野球部に入っていて、正選手でさ、甲子園へ行った1’って言ったじゃん!?」 C「ああ、言ったよ!」 D「じゃあ、一回戦は?」 C「試合は、甲子園でしてない! 予選で負けてさ、その後甲子園へ試合を見に行った、だけ!」 D「おい、おい!」 こんな‘騙しのテクニック’に決して引っかからないように! (つづく) |
うどん(饂飩)というけれど、日本語なのだろうか?
![]() http://www.fushitaka.com/saijiki/200811-kitsuneudon/ (きざみ)きつねうどん 何となく‘外国語’のような気がしないでもないが・・・。例えば、オランダ語だとするとオランダに‘うどん’がなければならないが、実際にはオランダ産のうどんがあるとは思えない! うどんの漢字が難しい‘饂飩’なので、中国が発祥地とも思われるが、ラーメンはあっても中国にはうどんはないと思われる。 では、やはり日本独特のものだろうか? それにしては、‘うどん’の意味が判然としない! 讃岐の地方弁なのだろうか? ①‘う’+‘どん’なのか? ②‘う’+‘ど’+‘ん’なのか? ③‘うど’+‘ん’なのか? ④‘うどん’なのか? ①の場合、‘う’+‘丼’と考えると、何だか有りそう?? それにしても漢字の‘饂’+‘飩’って、一字一字はどんな意味を持っているのだろうか? こんな風に身近な言葉の語源って、知っているようで知らないものが沢山ある! さて、うどんについて‘知識’が無ければ、どんな風に考えたって、その謎は解けない!従って例の通り‘WEB'を活用して見ると・・・。 先ずは、漢字のそれぞれの意味から・・・。 <漢字辞典> ![]() http://www.kanjijiten.net/jiten/8101.html#k8111 ‘饂’とは? ![]() ‘饂’の前後の漢字には、‘音読み’と‘意味’が書かれてあるが、この‘饂’には音読みだけで意味が書かれていない。 ‘飩’とは? ![]() 残念(?)ながらこの‘飩’も同じく音読みだけで、この漢字の意味が書かれていない! ‘饂飩’のそれぞれの意味は、漢字辞典では、今のところ(?)不明である! それでは、‘うどん(饂飩)’を‘Wikipedia’の解説で・・・。
そこでそこで、肝心なこと! 私が好きな‘うどん’ランキングの発表で~す! <第一位>:四国松山市・JR松山駅構内・改札口そば・「かけはし」の‘じゃこ天’うどん! ![]() http://6987452.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-f796.html JR松山駅構内の「かけはし」屋さん ![]() http://tabelog.com/ehime/A3801/A380101/38000028/dtlrvwlst/3438924/ これが、値段表に出ている‘普通’。「じゃこ天うどん」と頼むとこれが出て来る。(セルフサービス制!) ![]() http://6987452.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-f796.html 私は必ず「もう一枚じゃこ天を!」と注文することにしている。合計、じゃこ天2枚。このお店は親切で、必ずじゃこ天を‘熱く’して乗っけてくれる。実は、このじゃこ天、お隣でじゃこ天屋さんが造っているので冷え切っていれば出来立てのものにして呉れる。そして、じゃこ天屋さんで買う一枚の値段と「かけはし」屋さんの一枚追加値段が同じである。ということは、細かい話だが「かけはし」屋さんでは、じゃこ天のマージンを取っていないという事になる!私のような‘貧乏人’にとっては、こんな些細なことが気になるのである。 勿論、この松山・宇和島を中心とした西四国一帯は‘じゃこ天’の本場であるから、‘じゃこ天うどん’は、この一帯ではどこにでも売っている。当然「松山空港」にも‘じゃこ天うどん’を食べさせてくれるお店が何軒かあるが、何故か「かけはし」屋さんのに比べると味が落ちる! 松山に用事があって泊まる‘はめ’に陥った場合には、このJR松山駅の近くのホテルに宿を取ることにしている。そう、朝食にこの「かけはし」屋さんの‘じゃこ天2枚うどん’をと思うからである! この‘じゃこ天’の製造屋さんは?と調べてみると・・・、 http://www.rpm.or.jp/yasuoka/ ![]() ![]()
おや、この情報からすると、「かけはし」屋さんは、このじゃこ天製造メーカの‘安岡蒲鉾’の経営なのだ!それなら一枚追加の‘マージン’は取らないはずだ! なっとく、納得! <第二位>:東京駅地下街の「博多うどん」屋さんの‘ごぼう天’うどん! 実は、今はもうこの店舗はない!東京駅地下街には、少し離れて‘2軒’同じ店があったのだが、1年くらい前から2軒とも姿を消している! ![]() http://blog.livedoor.jp/kikidasu/archives/2006-09.html?p=2 「博多うどん」屋さんの暖簾 ![]() http://etizenya0.blog20.fc2.com/blog-entry-737.html 牛蒡は、切り方によって味が変わる。‘ごぼう天’うどんの牛蒡の切り方は、色々あるが私は‘笹掻き’の切り方でないといけない! 丸ごと棒状が好きな人もおられるようだが、センスが知れない! <第三位>:どこのでもいい‘きつね’うどん! ![]() http://katada.jp/todays-lunch-20093rd/%E3%81%8D%E3%81%A4%E3%81%AD%E3%81%86%E3%81%A9%E3%82%93-9/ 九州のど田舎から東京へ就職して一番驚いたのは、うどんのスープが‘真っ黒い!’事だった。 関西では御存じの通り、‘つゆの色’が濃くない!ラーメンにしてもとんこつが主体だけに‘麺類のツユは透き通っているか白濁である’と思っていたからである。今思えば‘濃い口’の醤油が使ってあるのだろうが、当時は本当に‘真っ黒!’に見えた。 今でもやはり‘うどんのつゆ’や‘ラーメンのツユ’は黒くない方がいい! きつねうどんについては、ご存じの通り、呼び方に京都と大阪で違いがある。
またこんな解説も・・・。
<きつねうどん>についてこんな笑い話がある! 或るうどん屋に来たお客が‘きつねうどん’を注文して店員さんに聞いた。 お客:「きつねうどんをお願いします。」 店員:「は~い!有難うございま~す。キツネ一丁!」 お客:「ところで店員さん、‘肉うどん’と注文すれば‘お肉’が入ったうどんが出て来るのに、‘きつねうどん’と注文しても出て来たうどんに‘きつね’が入っていないのはどうしてなんです?」 店員:「‘きつね’が入っていたら、多分‘食べにくい’からじゃあないですか?」 お客:「えっ? あっ、そうか!???」 (つづく) |
![]() http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/seian/ppiking/akisu.htm ‘泥棒’という言葉は誰でも知っているし、当然使ったことも何度もあるに違いない! そして、実際に実行したことも少しはあるかも・・・??? 食堂の‘爪楊枝’を一本だけ余計に頂戴して来るとか、飲み屋の`‘箸置き’が気に入ったとか、etc. ![]() http://hanausagi.way-nifty.com/sanpo/2010/05/index.html ‘どろぼう’という言葉があって‘泥棒’という字を当てたのか、それとも‘別の表現’があって、それにつれて‘表現’も‘表示’も変わって行ったのか? 実に判り易い解説・意見を見つけたので、全部転載を! 私はWEBで見つけては己のブログに‘転載’する‘天才’!(転載も一種の‘こそ泥’??) さて、その‘判り易い解説・意見’のブログとは・・・。
昔も昔、大昔多分小学生の5、6年生の頃だったと思う。 イタリア映画で「自転車泥棒」というタイトルの名作があった。 もう‘あらすじ’はほとんど忘れてしまったが、子供心に感動して泣いてしまった記憶がある。その当時は、小学生が一人で‘映画館’に行こうものなら、忽ち‘不良’扱いを受ける時代であったから、多分両親のどちらかに連れて行って貰ったか、いやいや両親に映画に連れて行った貰った記憶は二つだけ、「ベルリンオリンピック」(1936年のオリンピック。題名:オリンピア)と古橋廣之進選手が1,500mを18分19秒フラットという世界記録を出したロサンゼルス大会(1949年の全米選手権大会)のニュース映画位のものだったから、学校から全員が見に行った映画だったに違いない! 今の若い人が聞いたら驚くに違いないが、昭和20年代は、‘いい映画’といわれる映画は‘学校の行事’として先生に引率されて映画館へ行ったものである。小学低学年生は別として・・・。
![]() http://mamdarin.blog87.fc2.com/blog-entry-619.html ![]() http://hori109.blog.ocn.ne.jp/blog/2010/03/ladri_di_bicicl.html 製作は、1948年でアカデミー賞もその年なのだが、日本での初公開が1950年だそうだから、昭和25年である。私が小学5年生。今でも上の写真のシーンは覚えている! (つづく) |
数年前、岡山で勤務したことがある。岡山から新幹線で東京方面へ向かう時の楽しみの一つが、岡山の‘桃太郎の祭りずし弁当’を新幹線の中で‘使う’ことだった。そして、その‘弁当箱’が‘桃の形’をしているので捨て難かった思い出がある。
![]() http://itp.ne.jp/contents/obt/sp_area/chugoku/chug02.html ‘べんとう’を漢字で‘弁当’と書くことは小学生の低学年でも知っている。ただし、あの‘べんとう’を何故‘弁’と‘当’と書くのだろうか? その前に、何故‘べんとう(弁当)’の事を‘べんとう’というのだろうか? そしてまた‘弁当を使う’という言い方がある。これって、どうして? ① ‘べんとう’という言葉の由来 ② なぜ‘弁当’という漢字を当てるのか? ③ なぜ‘弁当を使う’というのか? 先ずその由来から・・・。 ① ‘べんとう’という言葉の由来
もともと中国の南宋時代(1127年 - 1279年)と言えば、日本では、鎌倉時代の少し前の平安時代(794年-1185年/1192年頃)である。下の引用文献によれば、弁当は平安時代にあったという。古来の日本では‘べんとう’という言い方をしてはいなくて、‘べんとう’という言葉は‘輸入物’のようである! ② なぜ‘弁当’という漢字を当てるのか? ![]() http://www.niji.or.jp/home/kagawapta/kagawa_pta/kagawa_ekiben2.html
③ なぜ‘弁当を使う’というのか? ![]() http://www.kyoeikasai.co.jp/kpa/agent/monosiri2012-22.htm
<最近の超豪華な弁当!> ![]() http://www.nikkei.com/article/DGXNASGF2101H_R20C12A8000000/ 東京駅に近く「食品フロアの男性客の割合が4~5割にのぼる」(藤野晴由店長)だけに、男性向けのボリュームのある弁当も豊富に取りそろえる。肉を使った弁当を集めたのが「お肉の細道」で、ハンバーグ弁当の「ミート矢澤」では黒毛和牛のステーキとハンバーグが入った9600円の「極味弁当」がひときわ目を引く。 ![]() http://www.masuzushi.com/maizou/maizou1.html 日光埋蔵金弁当1万円 日光彫りの器に日光鱒寿し、日光揚巻ゆば、 和牛ステーキ、海老の塩焼き、鱒の塩焼き、その他盛り沢山の豪華弁当です。 10.500円(税込) ![]() http://blogs.yahoo.co.jp/w_hikari1965/35094515.html 金沢駅大友楼の幻の1万円駅弁『加賀野立弁当』をついに食す 1万円以上の高額駅弁と言えば、松阪駅駅弁あら竹の「極上松阪牛ヒレ牛肉弁当 」や、東武日光駅日光鱒鮨本舗の「日光埋蔵金弁当」、そして金沢駅大友楼「加賀野立弁当」が有名ですが、その中でも今回は「加賀野立弁当」がインターネット予約で入手出来、しかも現地では3個からの販売が1個でも購入可能とのことで即予約をしました。 ![]() http://www.jojoen.co.jp/news/2012/12/post-90.php 大丸東京店にて待望のプレミアム弁当、ついに登場!! 焼肉会席弁当"游玄" 叙々苑グループの最高峰"游玄亭"の料理を会席仕立ての弁当に仕上げました。 ご飯の上に特選ロース薄切焼と特選カルビ焼をたっぷりのせた逸品。上質で確かな素材と、更に丹念に吟味したおいしさの数々をご堪能ください。 こうなってくると本来の‘弁当’の意味合いはもうとっくに無くなってしまっている! ‘「弁えて(そなえて)用に当てる」’というのは、やはり‘1,000円’まで、という事なんだろう。 ‘弁当の文化’を守るためにもこんな高い弁当は??? (つづく) |
早起きは三文の徳!
判ってはいるが確認から・・・。 ![]()
<その1:三文の内の一文目> 朝の富士山が撮影出来た! 富士山がここ千葉県茂原市千沢の平地から見える!という大発見を去年の秋に‘Mさんご夫婦’がされて以来何度となくその‘富士山ヴュースポット’から富士山を撮影してきたが、その99%は‘夕暮れの富士山’である。何故なら朝やお昼には、空や雲という背景と富士山との色ではコントラストがつきにくい。その点夕刻の場合は、富士山を‘黒いシルエット’にしてしまえば、空や雲は夕日に染まってコントラストをつけるなといっても自ずからついてしまうから、写真にし易いのである。 ![]() 2012年12月12日16:48 これを千葉県・茂原市千沢の‘富士山ヴュースポット’から見た‘夕刻の富士山’の代表作と現時点では考えており、本弊ブログの‘プロフィール写真’として採用している。 ![]() 2013年04月08日08:43 これが今度初めての同ポイントから撮影した‘朝の富士山’である!上の‘夕刻の富士山’と立ち位置がほんの少しだけ違っているため‘構図’が完全には一致していないが・・・。今後の構図は、立ち位置を固定したので、この構図になる。 さて、そんな訳で4月8日は、前日の‘爆弾低気圧’のお蔭で黄砂もPM2.5も吹き飛んで、まるで空気清浄機を日本国中にかけたような快晴となった。まさかとは思ったが‘朝の富士山’が見えたのである! ![]() ‘Google’マップ。●Aが我が家で、‘富士山撮影スポット’はこの‘赤線’の場所、たったこれだけしかない!□数字は、富士山の撮影場所(後出)である。 ![]() 2013年04月08日08:37 朝もっと早ければ良かったが、遅ればせながら、‘富士山撮影スポット’の□4に出てみて驚いた! 朝の富士山が見えるではないか!後からも述べるが、この‘4’の場所では富士山は見えるが‘構図’が悪い! 一目散にポイント‘1’へ走った!‘1’は、赤目橋の上。 ![]() 2013年04月08日08:41 ‘1’からの写真。ポイント‘4’から‘1’まで約300m、4分かかっている。これが、ポイント‘1’からの写真である。やはり、朝の写真はコントラストが付き難いために、この写真も‘眼を凝らさないと’‘富士山、どこ?’の世界である! ![]() 2013年04月08日08:41 ‘1’からの写真。望遠で・・・。 ![]() 2013年04月08日08:41 ‘1’からの写真。更にトリミングで拡大。(評価:○) ![]() 2013年04月08日08:41 ‘1’からの写真。さらに、更にトリミングで拡大すると、少しピンボケではあるが冠雪の富士山の朝の情景が撮れている。残念ながら、手前の‘小枝’にピントが合っているため富士山がボケているのである。これは、少しは技術の腕が無いこともあるが‘カメラ’のせいである。レンズの‘焦点深度’が浅いのである。そりゃあそうだろう。せいぜい数万円のカメラだから・・・。 さて、このスポット‘1’からの写真は、電線という写真にとっての人工の邪魔物がどうしても避けられない。 それで、撮影場所を変えてみた。以下の4枚は、スポット‘2’を東から西へ少しずつ移動した場合の画像である。 ![]() 2013年04月08日08:47 ‘2’からの写真。 電柱が富士山の傍に来過ぎている!(評価:△) ![]() 2013年04月08日08:48 ‘2’からの写真。 この位置からでは、電柱が富士山の‘ど真ん中’で、富士山の写真にならない!(評価:×) ![]() 2013年04月08日08:48 ‘2’からの写真。 これも電柱は近いは、電線も垂れ下がるは、で・・・。(評価:×) ![]() 2013年04月08日08:49 ‘2’からの写真。 電線が右肩上がり(?)で、面白くない!(評価:△) そんな訳で、この‘2’の立ち位置は、背景との絡みがそんなに良くないことから、‘朝の富士山の写真’としての評価は、余りよろしくない! ![]() 2013年04月08日 08:51 ‘3’からの写真。この‘3’の位置は、赤目橋の東側へ少し(約10m)這入った場所。これ以上東へ行っても‘下り坂’で、肝心の富士山が見えなくなる! 写真の構図としては、富士山の山頂は電線を越すから、まあいいものの、富士山と‘木’が近づき過ぎている。(評価:△) ![]() 2013年04月08日08:51 ‘3’からの写真。 トリミング拡大。(評価:△) ![]() 2013年04月08日09:11 ‘4’からの写真。‘4’へ戻って来た。富士山が電線に懸らないから立ち位置としてはいいが、今度は‘家’が真下過ぎる!(評価:△ or ○) ![]() 2013年04月08日09:11 ‘4’からの写真。 トリミング拡大。(評価:△ or ○) という訳で、‘朝の富士山’の撮影立ち位置は、やはり‘1’が良さそうである。夕刻の富士山も構図から言ってやはり、‘2’。改めて、朝の写真と夕刻の写真、‘1’からの2枚を再掲。 ![]() 2013年04月08日08:43 ![]() 2012年12月12日16:48 さて、続いての‘一文の徳’は、・・・。 <その2:三文の内の二文目> 朝の‘ダイアモンド富士’(?)が撮影出来た! 昨日(2013年04月08日)、朝の富士山の撮影に‘成功?’した勢いで、今度は‘朝日’そのものを撮ってみようと思い立った。もう春だから日の出時刻も冬とは違う。大凡の言い方をすれば、一日に約1分、夜明けの時刻が早くなる。(詳細は別途報告) そんな訳で、その日(2013年04月09日)は、朝05:15分起床! 雲もそんなには無い!絶好のお天気である。 ![]() 2013年04月09日05:28 赤目橋の方向(東)に‘キラキラ’や‘ギラギラ’ではない‘太陽’がお出ましである。正に‘卵の黄身’状態。これなら‘被写体’として申し分ない!これは行ける!と思って何度も太陽にむけてシャッターを切ったが、不思議なことが起こった! ![]() 2013年04月09日05:28 卵の黄身状態の太陽に望遠で迫ると、ピントは‘太陽’に焦点が合う。この自動カメラのソフトはそうなっている(全部ではないが・・)。従って、太陽にピントを合わせ、他は‘ボケてしまう’のである。勿論、どちらにもピントを合わせての撮影も可能ではあるのだが・・・。この手を使おうと思った。 ![]() 2013年04月09日05:28 正に、フィルターなしで太陽の輪郭がハッキリ撮影出来る! ![]() 2013年04月09日05:31 これは、赤目橋の上から、普通の撮影方法での写真である。この写真の目的は、赤目川に映る朝の太陽も一緒に撮影したかったからである。この風景も初めてである。 ![]() 2013年04月09日05:31 この建物の屋根を利用すれば、‘偽富士’の‘朝のダイアモンド富士’が撮影出来ないとも限らない!橋を横に移動すれば、丁度屋根の頂点に太陽が重なって呉れる!しかし、このチャンスは、数分間もない! ![]() 2013年04月09日05:31 正に、ダイアモンドに・・・。でもこれでは、直ぐに‘屋根’と見破られてしまう。屋根にピントが合い過ぎているからである。 ![]() 2013年04月09日05:32:46 太陽にピントを合わせて・・・。よし、上手く行った! 屋根も電線もボケて呉れている。大成功! ![]() 2013年04月09日05;33:08 一つ上の写真の約22秒後の写真も上手く行っている! そんな訳で、この写真‘ダイアモンド富士’に見えませんか?! 下の写真は、正真正銘の‘夕日ダイアモンド富士’である。 ![]() http://blogs.yahoo.co.jp/pengin212003/21493967.html これは、下の写真を‘無断で’トリミングをしたものである。 ![]() http://blogs.yahoo.co.jp/pengin212003/21493967.html これが、引用したダイアモンド富士。 ![]() 2013年04月09日05:34 赤目川には、段差が設けてあるために水面には‘3つの太陽’が見て取れる貴重な写真である。 ![]() ‘偽富士山’にさせられた赤目川にある‘可動堰’。 ![]() 施設名盤。 さて、そろそろ急がないと太陽が昇り過ぎれば‘鉄塔ロケット’ではなく、鉄塔が攻撃を受けている状態になる。予期せぬ‘疑似ダイアモンド富士’の撮影に約5分以上手間取った。 <その3:三文の内の三文目> 朝の‘鉄塔ロケット’が撮影出来た! そう思いながらも、こんな早い時刻の西側の‘本物の富士山’も気になった。朝日を浴びて周りは紅く染まり始めているが、肝心の富士山は見えない! ![]() 2013年04月09日05:35 いつもの場所に富士山の姿は見えない! ![]() 2013年04月09日05:35 上の写真のトリミング拡大。前日のようには富士山は見えない!やはり前日は特別だったのだろう! それにしてもこの‘朝焼け’の2枚の風景、あの夏目漱石の‘坊っちゃん’に出て来る‘ターナー’が描いた写実の絵のような気がした。 ![]() http://treeart.exblog.jp/15063212/ ターナーの絵 ![]() http://item.rakuten.co.jp/art-meigakan/turner5-f8/ ターナーの写実的な絵 ![]() http://lcymeeke.blog90.fc2.com/blog-date-20090627.html ターナー島の由来看板 ![]() 2013年04月09日05:36 朝のシンメトリーも気になるが・・・。 ![]() 2013年04月09日05:36 此方も上下のシンメトリー ![]() 2013年04月09日05:37 ‘鉄塔ー1’もターナーの絵のようで・・・。 ![]() 2013年04月09日05:37 この辺は、カラスよりも‘鵜’の方が強いようで・・。海鵜か川鵜かは素人には区別がつかないが・・・。これは後日解明(?)の予定。 ![]() 2013年04月09日05:37 明らかにカラスではなく‘鵜’なのだが・・・・。 ![]() 2013年04月09日05:43 場所の設定に一寸時間が掛かったが、鉄塔ロケットが・・。以下同様。 ![]() 2013年04月09日05:43 ![]() 2013年04月09日05:45 ![]() 2013年04月09日05:45 ![]() 2013年04月09日05:45 もう少し鉄塔の低い部分に‘太陽’があればもっと良かったのだが・・・。 <その1:三文の内の一文目> 朝の富士山が撮影出来た! <その2:三文の内の二文目> 朝の‘ダイアモンド富士’(?)が撮影出来た! <その3:三文の内の三文目> 朝の‘鉄塔ロケット’が撮影出来た! 何も‘三文の徳’だからといって‘一文’毎に例を挙げる必要もないが、偶々‘3つのメリット’があった。 明日からも早起き? そりゃあ、一寸無理かも・・・・。 (つづく) |
我が千葉県の出身タレント、中尾彬さんが出ているCMで、‘食’と言う字 について、
「‘食’と言う字を見てみると、‘人’が‘良’くなると書いて‘食’となっている。つまり、‘人’の身体を調子の‘良’い状態に保つには‘食’が大切だ!ということなのだ」(註:これは、CMの内容を私が把握した内容から多分こういう事であったと再現させたもので、CMそのものの文語ではない) という意味の事を‘言わされている’。このCMのスポンサー(どの会社かは記憶にない)から、「そう言って下さい」と頼まれているのである。 このCMを見て‘おや?’と思った。私は‘漢字研究のプロ’ではないが、‘食’という文字の成り立ちは、‘人’+‘良’ではないはず、と思ったからである。 確か、‘食’という漢字の‘部首’は、‘食’そのものであって‘人’ではないはずだ! 註:部首とは?
早速、我が家に眠っている古めかしい‘漢和辞典’で調べてみた。 ![]() 昭和58年出版とあるから、30年も前のものである。この部首索引を見ると・・・ ![]() ‘二画’のところに‘人(イ)’とある。これは、‘人’及び‘人偏’を表しているので、この部首の52ページ以降を探してみたが、‘食’の文字はない。 ‘食’の画数は‘9’である。部首索引の‘九画’を見てみると ![]() ちゃんと‘食’偏として存在する。そして、‘発見’したのは、一つ上の画像の‘三画’のところにも‘食’の部首がある! 何故? どうやら‘*’印の注釈を見てみると‘中国新字体’とある。中国の略式新字体では‘三画’と言う事のようである。 いずれも‘1156ページ’である。この1156ページとは、 ![]() この通り、‘しょくへん’として分類されている。つまり予測通り、‘食’という漢字は、‘人’と‘良’がプラスされて出来た漢字ではないようである! ‘食’は、その成り立ちが‘人’に‘良’いものと言う事とは違うのである。その辺をトリミング・拡大して見ると・・・、 ![]() ‘解字’のところをよ~く見てみると、「穀物が放つかおり」と「集める」をプラスした漢字であると書かれている。穀物の代表が‘米’であるから、「米」を「集める」=「食」だという。 これが‘食’の本当の意味と言う訳である! 文字の誤解について、WEBで検索していたら以下に示す通り大変興味のあるブログにぶち当たった。やはり、中尾彬さんのCMについて‘大間違い’と指摘してある。全文転載。
このブログの解説は、私が引用した‘漢和辞典’には載っていない情報が載せられている。 漢字の成り立ちを研究しておられる人達からすれば、‘人’という文字や使いなれている‘食’という文字をCMのためかドラマ作りのためかは知らないが、‘勝手に’事実を無視して如何にも真実の如く言いふらされるのは‘耐えがたい’感情があるに違いない。 特に有名なタレントさんがTV画面で発言すれば、誰しも‘本当だ!’と思ってしまう。CMを創る方だって有名タレントさんに言って貰えば‘信憑性’が増すという気が働いているに違いない! 我々受け取る側としては、今回のように気付けばいいが、そうでなければCMやドラマの内容を信じてしまう事になり事実誤認に陥ってしまう事になる。 昔から「常識のウソ」と言われて、一般に信じられていることが実は全く違うことだったりすることが多い。 タレントさんだって、やはり‘台本通り’にしゃべる必要はあるのだろうが、それだけではご本人の‘品格’が落ちてしまわないとも限らない。 へたをすると、あのタレントさんがしゃべっているのはみんな‘ウソ!’等と言う評判が立てば命取りである。 創る方もしゃべるタレントさんにも正しい文化継承のために一考をお願いしたい物である。 (つづく) |
お年玉の風習 は、その意味もその存在意義も理解してはいるが、一体どんな理由で‘年の玉’というのか?‘玉’とは何?という疑問が残っていた。また何時ごろからこの風習は始まったのだろうか?更に、諸外国ではこんな風習はあるのだろうか?
![]() http://blog.goo.ne.jp/themesalon/e/23b648fad7aba585c4313a3675878b4b ‘Wikipedia’には、次のように解説されている。
![]() http://www.mizuhikiya.com/shopping/shugi-poti-ume.html 更に別の文献では、お年玉の‘相場’について、調査の結果が示されている。
![]() これで、お年玉の意味も‘玉’の意味もそして中世時代から始まったことも、アジアでもこの風習があることも判ったし、その相場まで判って我々の行為が常識的であったことも判明した。 子供達が年老いた父母に「お年玉をあげる」という風習があることも判った。この場合の‘相場’は、是非前出の表の10倍程度を望みたい! そうなれば、え~と、一人からあれだから、三人だとえ~と、お~い、大分になるぞ~! |
今年2012年も今日で終わりである。
弊ブログは昨年の11月下に開設したから、一年以上が経ったことになる。 今年の締め括りとして、それぞれの月で一番印象に残ったブログを再掲して、今年の総括としたい。 <01月> ● ‘オヤジギャグ’で感激!( http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-35.html ) そのウィキペディアの内容に嬉しい記述を見つけてしまった。 ‘代表的なオヤジギャグ(編集)’の項目に、 「今日の料理とかけて、赤穂浪士の討ち入りと解く」 「そのこころは?」 「おおしかった!」を意味する解説がなされている! ![]() http://blog.livedoor.jp/waruneko00326-002/archives/21363542.html <02月> ● ‘ヒッチ俳句’のすすめ ( http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-44.html ) ‘ヒッチ俳句’とは、‘歩きながら’俳句を作るところから来た命名だが、これには決まりがあって、俳句の‘季語’が‘掛詞’になっていて二つの意味を持たねばならないという約束事がある。 ![]() 紅梅(勾配)や 自転車(チャリンコ)降りて 押して行く (解説:寒い寒い冬がやっと過ぎ去って仄かに紅梅の香りがし始めた。これまで寒さに震えながらも自転車で梅林を突っ切っていたが、やっと一年振りに芳しい紅梅の香りだ。私は自転車を降りてゆっくり香りを愉しみながら初春の梅林の中を自転車を押して行った。これが表の意。勿論掛詞の裏の意味は‘勾配’では自転車は乗ったままでは乗り越えられない、の意) ![]() 紅梅 http://sanpophoto2.blog18.fc2.com/blog-entry-185.html <03月> ● 救急車 ( http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-85.html ) 昨年(2011年)の夏、私は突然の高熱と激痛のため‘救急車’で運ばれた経験がある。激痛は‘歯の痛み’だったが、この高熱の意味が判らなかった。 ![]() http://plaza.rakuten.co.jp/chiba611/12000 しかし、公立病院について宿直医の診断によると‘敗血症の疑い’という。どうやら歯磨きの途中で‘何かの菌’が体内に入ったらしいのである。 <04月> ● ‘義務教育’の意義 ( http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-105.html ) ![]() http://www.hiroshima-u.ac.jp/news/show/id/754/dir_id/23 <我が家の‘義務教育’に関する‘認識と取り決め’事項> ① 中学3年生になる前の春休みに、必ず子供と親が‘義務教育について認識をしあう話し合い会’を持つ。 ② 高校へ‘進学する’か‘進学しない’かは、‘本人自身’が決める。 ③ 同じように、高校から大学等へ進学する場合も同様に、‘本人自身’が決める。 ④ ただし、親はどんな相談にも応じ、出来るだけの助言はすることとし、決して‘どの学校に進学せよ!’などとの‘強要’をすることはしない。 ⑤ 学生の間は‘稼ぐ’ことは余り出来ないだろうから、必要な‘学資・生活費’は親が出す事にするが、これは‘無利子’で貸し与えるので、自分に返済能力が出来た場合に‘元金’分だけを親に返済する。そして、親は返済を催促しない。そして、いつ頃どんな形で返済するかは本人が決める。 以上が、‘無い頭を振り絞って’考えた我が家の進学に関する‘憲法’である。 子供3人に同じ様に接触し、同じように話をして、お互いに納得して我が家の進学問題は終わった。 <05月> ● 茂原市の日食 ( http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-142.html ) 2012年05月21日07時36分~40分、千葉県茂原市千沢で金環食をカメラで撮影することが出来た。 ![]() 2012年05月21日07:36 千葉県茂原市千沢での金環日食 <06月> ● 第Ⅲ象限からの脱出! ( http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-181.html ) ![]() <解(怪)説> 先ずは、第Ⅱ象限から・・・。 ・第Ⅱ象限:面白いが余り為にならない → 「落語」 ・第Ⅲ象限:面白くもなくそんなに為にもならない → 「普通のブログ」 ・第Ⅳ象限:面白くは無いが為になる → 「親父の説教」、「社長の訓示」etc. さて、手前味噌解説での最後は、 ・第Ⅰ象限:‘面白くて’その上‘為にもなる’! → 「弊ブログ」 <07月> ● 徒然草117段:‘物くるゝ友’ ( http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-208.html ) ![]() 友とするに悪き者、七つあり。一つには、高く、やんごとなき人。二つには、若き人。三つには、病なく、身強き人、四つには、酒を好む人。五つには、たけく、勇める兵。六つには、虚言する人。七つには、欲深き人。 よき友、三つあり。一つには、物くるゝ友。二つには医師。三つには、智恵ある友。 <08月> ● 家族全員でのお墓参り ( http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-239.html ) ![]() 昨日の8月14日、前日に集まった我が家の家族総計10名。長女夫婦+その息子2名。長男夫婦。そして次男夫婦。それにカミサンと私。 長男夫婦に飼われているワンちゃんが一匹同行してくれるので、この10名+1匹で、お墓の清掃とお参りをするのが、我が家のお盆の時期の習慣となっている。 お墓の場所は、千葉県・松戸市・八柱霊園。 <09月> ● 巨大‘きのこ’? ( http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-280.html ) ![]() 何でもない普通の植え込みの中である。植え込みの中から取り出してきて見ると、どうやら‘きのこ’のようである。 函館キノコの会の石垣充一会長によると、ホコリタケ科のオニフスベ。道南での確認例は少なく、「食べられるが、あまりおいしくないと思います」 <10月> ● ひこばえ(蘖/孫生え)のその後とセイタカアワダチソウ ( http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-312.html ) ![]() 2012年09月19日の田圃。8月の終わりに稲刈りを終えて、その後に急成長した‘ひこばえ’ 勿論、‘ひこばえ’になる前の第一次収穫と同じ程度とは言えまいが、9月初旬から10月下旬の約2ヶ月間で、もう一度6~7割の収穫があるように思えるのに、なぜもっと積極的に‘ひこばえ’を活用しないのであろうか? <11月> ● 富士山が見えた!(続報) ( http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-334.html ) ![]() 2012年11月14日17:00 千葉県茂原市千沢からの富士山 望遠写真をPCで拡大。富士山頂付近には、多少の‘雲’が掛かっており、またカメラの性能が良くない為富士山頂付近の積雪までは見えない。 方位及び大きさから見て、先ず‘富士山’に間違いないだろうと思われる。 この検証及び朝方・昼間の写真撮影は、今後何度も実施したいと思っている。先ずは第一報ということで・・・。 お手柄は、発見者のご夫婦である!多分地元の方達も富士山が見えるとは思っておられないのかも知れないが、この写真が動かぬ証拠、となれば嬉しいではないか! ![]() 2012年11月15日08:13 電柱と電線の位置からすると、(昨日の写真と)一寸だけずれてはいるが、明らかに富士山の積雪である。 <12月> ● 「クリスマスって、なあに?」と聞かれて・・・(その1) ( http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-375.html ) ![]() ①‘クリスマスデー’は、本当に‘キリストの誕生日’か? http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E 3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%82%B9 クリスマス(英:Christmas)とは、イエス・キリストの降誕(誕生)を祝う祭[1][2](降誕を記念する日)[3]。 12月25日に祝われるが、正教会のうちユリウス暦を使用するものは、グレゴリオ暦の1月7日に該当する日にクリスマスを祝う[4][5]。 キリスト教に先立つユダヤ教の暦、ローマ帝国の暦、およびこれらを引き継いだ教会暦では日没を一日の境目としているので、クリスマス・イヴと呼ばれる12月24日夕刻から朝までも、教会暦上はクリスマスと同じ日に数えられる。 新約聖書には、イエスの誕生日を特定する記述は無い。 イエスがヘロデ王の代に、ユダヤのベツレヘムでお生れになったとき、見よ、東からきた博士たちがエルサレムに着いて言った、 —マタイによる福音書第2章第1節(口語訳聖書) 恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生まれになった。このかたこそ主なるキリストである。 —ルカによる福音書第2章第10節 - 11節(口語訳聖書) キリスト教においてもクリスマスは「降誕[6]を記念する祭日」[3]と位置づけられており、「救世主イエス・キリストの誕生日」と考えられているわけでは無い。 イエス・キリストが降誕した日がいつにあたるのかについては、古代からキリスト教内でも様々な説があった(例えば3世紀の初め頃には、アレクサンドリアのクレメンスは5月20日と推測していた)[3]。 降誕祭とは別に、西方教会では1月6日にキリストの公現を祝う(公現祭)。12月25日の生誕祭は、遅くとも345年には西方教会で始まった。ミトラ教の冬至の祭を転用したものではないかと言われている。 以上が、月に一つを選抜して再掲したものである。今年の夏以降は、毎日一つを目標にして実行して来た。 毎日一つの実行はそんなに簡単ではなかった。ただ、毎日のアクセス数を調べてみて、こんなに大勢の方にご覧戴いていることをバネに頑張った。また、毎日のランキングが気になって少しでも上位にとの思いがあったことは事実である。まだまだ‘悟り’の境地には程遠い。 まだまだ世の中知らないことだらけ。来年も一日一ブログを目標に続けて行く積りである。 ![]() 知恩院の除夜の鐘 http://s0510552.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post-f68f.html 来年もよろしくお願い致します。 |
‘どうかしてるぜ!’という言葉が流行っているという。
調べてみた。例の通り、‘WEB'で。 何でもかんでもWEBに頼るなんて‘どうかしてるぜ!’と言われそうだが・・・。 ![]() http://blogs.yahoo.co.jp/rainbow_bridges4/34148526.html ここに「ブラマヨ吉田・新ギャグ」とある。判っている人には判っているが、我々のように判らん奴には判らんので‘解説(怪説?)’がいる。 「つまり、その~、早い話が、え~と、そうそう、この吉田さんって誰だっけ?」 「おいおい、しっかりしてくれ! この吉田さんって、ほら、ほら、あのさぁ~、ブラマヨのさぁ、」 「ブラマヨって、何?」 もうこれじゃぁ、話がちっとも進まない!
漫才ブームが、やすし・きよしを筆頭にして興った後、‘ちょい出’の奥義を極めない奴らの未完成・舐めやがった漫才師達に腹が立ってこのところ漫才は全く見なかったが、上記引用資料の如く、たけしや伸助、まことさん達も‘べた褒め’のコンビらしいが、まだきちんと見たことがない! でもまだ判らない!‘どうかしてるぜ!’が、何故‘ギャグ’なのだろうか? ‘どうかしてるぜ!’ それとも‘ギャグ’の定義(?)が変わったのだろうか? ブラックマヨネーズのお二人はこの‘ギャグ’を一体どんな風に使っているのだろうか? ![]() http://curly-rudy.com/owarai/black-mayonnaise/post-2.html
どうにもこうにも、これがギャグとは我々には考えられない! 勿論、臨場感がないからかも知れないが、何故こんなことで‘ギャグ’として今の人達に受けるのだろうか? 不思議である。 まあ、これはこれとして、大いに頑張って欲しい! さて、この「どうかしてるぜ!」を私はギャグとしてでなく、‘怒りを込めて’このフレーズを使ってみたい。 長年、技術屋として特許やノウハウの世界に生きて来たために、このフレーズで物事をやろうとした場合に、このフレーズが今や‘ギャグ’として流行っていることを聞かされたので、一応どんなものかを調べてみたという事である。 でも、このフレーズは、普通の歴とした日本語である。ギャグとして使うのなら一応の仁義(?)が必要かとも思ったが、どうやらその必要はないのだろう。 そんな訳で、「どうかしてるぜ!」シリーズを今後弊ブログで発進させたいと思っている。 ‘どうかしてるぜ!’シリーズ第1弾 : 先ず最初は、「野田首相、このままで済ませようなんて、どうかしてるぜ!」 ![]() <衆院選>惨敗民主、失職秘書は800人 毎日新聞 12月17日(月)22時59分配信 当選確実を示す印がない候補者ボード前で頭を下げる野田佳彦首相=東京都内のホテルで2012年12月16日午後、丸山博撮影 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121217-00000117-mai-soci.view-000 やはり、やはり、現時点では、これが最初に来なくてはいけない! 選挙戦に備えての民主党の(というより野田首相の)キャッチフレーズは、「決断」 ‘恐れ入りました!’ 普通は‘恐れ入りました!’と言えば、‘完全に参りました!素晴らしいで~す!’という事だが、言葉が‘進化’したり或いは‘枯れて’くると逆説的意味を持ってくる。 「‘先生’と言われるほどバカでない !」 この表現から判る通り、最初は或いは本来は‘学徳の優れた人’や‘自分が師事する人’又は、その人達への敬称であったはずだが、それが年月を重ねて‘枯れて’くると、他人を‘からかって’使う意味に変貌する。 先程の野田首相の‘決断’に対しての‘恐れ入りました!’は、その意味である! <1>‘決断’を今頃掲げて平気で居れるのは、常識人でもおかしいし、ましてや原発問題で苦しんでいる人達が大勢おられるのにちっとも救いの手を差し伸べない現政府の最高責任者が今更‘決断’をキャッチフレーズにするなんて、‘どうかしてるぜ!’である。 <2> 景気対策としても大きな価値のある災害対策を何故もっと積極的に進めないのだろうか?理由は地方自治体にあるという。聞いて呆れるという事はこのことである。地方自治体がスムーズに仕事が出来るようにするのが国家の役目ではないのだろうか?‘どうかしてるぜ!’である。 <3>‘決断’をもう一度俎上に乗せると、‘決断’は一歩下がってやって頂いて結構。しかし、野田総理は、‘決断’はするかも知れないが、‘実行’は多分しない。これは上記<2>の災害対策の進行状況を見れば、中学生でも判る。その時に「何故実行をしないのか?」と問い質せば「私は‘決断’をすると言ったが‘実行する’とは言っていない!」という答えが返って来そうな気がする。‘詭弁’とはこういう事を言う。‘どうかしてるぜ!' <4> 民主党の後継者が、昨日現在まだ決められない。決断はもう舌の根も乾かないのに行なわれない。‘どうかしてるぜ!'
19日には、代表選を22日に行うことを決定する予定だったらしいが、‘決断’は何処へ行ったやら、25日以降に延期である。これじゃあ、この党に国を任せる訳にはゆくまい! やっぱり‘どうかしてるぜ!’ (つづく) |
私が開発した(?)‘ヒッチ俳句’にこんなのがある。
![]() 先程書いてみた。余り出来は良くないが、それはそれとして、ここに‘自転車’という文字が出て来る。 これを‘チャリンコ’と発音して戴くようにお願いしている。 じゃあ、‘ルビ’を振っておけば? という御仁もおられるが、これも色紙(一応)の積りである(落款有り)ので躊躇している。(厚かましいが、私の‘雅号’は、松月で~す。 ![]() ![]() http://blog.goo.ne.jp/matukaze_2006/e/ed87ff693da898756c143fcefe24ecbe ‘ヒッチ俳句’の意味は、‘歩きながら’作る‘俳句’という事 である。それじゃあ、‘何故、歩きながら?’については、こうお答えすることにしている。 何かの景色や対象物を観察しようとする場合、次の3通りの方法がある。 ① その場所に‘じっとして’よくよく観察したい対象物を眺める。 ② 車や電車や飛行機に乗って、全体を把握しながら、観察したい対象物を把握する。 ③ 歩きの速さで、移動しながら全体の中で観察したい対象物の置かれた‘位置づけ’に配慮しながら観察する。 ①、②、③ いずれもそれなりに‘成果’を期待することが可能であるが、私の推奨は③である。 ‘歩きながら’観察し続けると、色々な‘付帯事項’に気付くことが多い。 例えば、梅林の中をゆっくり歩きながら沢山の‘梅の木’を見て行くと 「な~る程、‘白梅’よりも‘紅梅’の方が先に咲いて、そろそろ紅梅が満開に近くなってから‘白梅’がほころび始めるのか!」 ってなことが判明する。すなわち‘歩きながら’でないと発見出来ないものが沢山あるのだろうな!という気がしている。それが‘新発見’の‘芽’になることがあるのではないか? という訳である。 このことを私は勝手に「‘歩き芽です’の原理」と名づけている。あの偉大な‘アルキメデス’さんに准えて・・・。 そこで、‘改めてこの色紙を見てみよう’(‘鑑定団’風、言い回し) ‘ヒッチ俳句’の‘きまり’は、俳句の‘季語’が‘掛詞’になっていること、たったそれだけである。 この場合の季語は、当然‘紅梅’。これが‘掛詞’であるから、‘こうばい’のもう一つの意味は‘勾配’である。 つまり、この‘ヒッチ俳句’は次の二つの意味を持っている。 (a)冬の寒い時期には、自転車で梅林の中を通り抜けていたが、ようやく春の兆しが見えてふくよかな香りと共に‘紅梅’がほころび始めた。待ちに待った春の到来である。ここは一つ、自転車(チャリンコ)を降りて、ゆっくりと歩きながら紅梅の馥郁とした香りを楽し見ながら自転車を押した、という‘誠に優れた’(?)写生俳句である。 (b)‘勾配’がきつければ、自転車(チャリンコ)に乗ったままでは、その勾配(坂道)を越えることは無理である。仕方がないから、チャリンコを押しながら峠を越えた、という‘誠に下らない’(そうでしょう、登りなんだから)俳句とは言えない、5,7,5なのであります!という訳である。 ![]() http://blog.goo.ne.jp/matukaze_2006/e/ed87ff693da898756c143fcefe24ecbe さて、ここで、この‘チャリンコ’という名詞、どうも片仮名で書くこと多いように思われる事もあって‘日本語ではないのでなないか?’とずっと以前から思い続けていた。
こうやって調べて行くと、自転車のことを‘チャリンコ’という説には、な~る程とも思う所があるが、江戸時代において‘子供のスリ(掏摸)’のこと、という事の方が気になりだした。この語源は一体? (つづく) ![]() ![]() ![]() |
桂文珍という‘天才落語家’は、稀に見る逸物である。
![]() http://www.sakai-bunka.jp/heartopia/saiji/2011-4-3/hatsuwarai/hatsuwarai.html もう一人の天才落語家、桂枝雀は、既に自ら命を断ってしまったが、この人のファンは日本国中に大勢居て、いわばどの落語家にも真似の出来ない一種の‘狂気’があった。 ![]() http://mars-craft.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-1c63.html この上方落語会の名門・桂一門は一本に纏まっている訳ではないらしい。 文珍は、桂文枝(五代目)の弟子であり、枝雀は、ご存じの通り人間国宝・桂米朝の弟子である。 ![]() http://plaza.rakuten.co.jp/ishigoh/diary/201201030004/ ![]() http://ceron.jp/w/%E6%A1%82%E7%B1%B3%E6%9C%9D?mode=photochange どうした訳か、名前が‘おもろい’ことに、この天才落語家二人が‘文枝’の‘文’と‘枝’を別け持っている。 そして、もう一人の経営者感覚の名落語家・元三枝師匠が、六代目・桂分枝を引き継いだ。 ![]() http://www.c-o-all.co.jp/mt/creative_of_all/angle/archives/2012/0729_232126.html なぜ、元・三枝に‘名’といって、‘天才’と言わないかというと、六代目・分枝師匠は、‘落語一筋’ではなく、上述の通り、経営者感覚がある。つまり‘才能’が邪魔をして‘狂気’になれないのである。 そういう意味での‘天才的’という観点からすれば、第一位が枝雀で、第二位が文珍であり、第三位が元・三枝かもしれない。 ただし、これは上方だけの範疇であって、関東は含まない。 ‘文珍’は、随分前にTVのキャスターまがいのことをやったことがあるが、これに関しては、‘見るに堪えれなかった’と感じたのは私だけではあるまい。 TV局側も無責任である。彼に落語以外のことに時間を割かせるなどという‘暴挙’は決して許されるものではないことに気付かなかったのだから・・・。 ‘国の宝は、人づくり’だと作詞家・いではく氏も言っている(演歌・比叡の風)通り、人材を育ててこそ国の繁栄がある。 文珍もまだ若かったから、当時はその判断が出来なかったのだろうが、今は気づいているに違いない。その証拠に近頃の彼の落語には‘狂気’とまでは言わないが‘殺気’が出始めた! そんな桂文珍の名作落語・「心中恋電脳(しんじゅうこいのバーチャル)」を見て、これまでとは違った‘一皮剥けた天才ぶり’を見せつけられた。 彼の落語の魅力の一つは、‘枕’がいい。 ① この頃の人間、小さい時には、直ぐに電話に出たがる。先日もあるお宅に電話をしたところ、3,4歳の女の子が出たので、「おかあさん、いる?」と言ったところ「要りません!ガチャ」(大笑い) ② この頃髪の毛が薄くなって‘バーコード’になってしまった。先日コンビニのレジの前を通ったら‘ピッ!’と鳴って、‘380円、有難うございました!’(大笑い!) ③ ・・・・・・・ こんな‘枕’とも‘本題’ともつかぬ話が盛りだくさん! これは大いに笑えたし、‘活用’も出来る。 早速、カミサンに試してみたら、これまた‘大笑い!’ みなさんも是非‘YOUTUBE’で「落語 桂文珍 心中恋電脳」 をご覧あれ! ![]() https://www.youtube.com/watch?v=LPiWRiA6aV4 ![]() ![]() ![]() |
‘20歳’と書いてある文字を読む場合、‘にじゅっさい’と読んでしまうと‘教養が無い’というより‘馬鹿!’とさえ言われかねない。
![]() http://www.city.bunkyo.lg.jp/sosiki_busyo_koho_houdou_2009_1.html これは、日本人の中学生以上なら誰でも知っているが、外国人には特に難しいらしい。 私も、もう数十年以上前に英国人の英会話教師から聞かれた記憶がある。 その時どんな風に答えたかはハッキリとは覚えていないが、多分いい加減なことを言ってごまかしたに違いない。 それは、今の今まで‘はたち’と発音する‘正確な理由’を知らなかったからである! ただし、調査の結果もこれぞという‘定説’は無いらしく、しっくりとは納得出来ていない。という事は、強引に自己主張する人を除けば、日本人がきちんとした理由を理解していないのではないかとさえ言える。 ‘語源由来辞典'によれば、次のように解説されている。 ![]() http://gogen-allguide.com/ha/hatachi.html ![]() 上の引用文に出て来る‘助数詞’とは?
どうやら‘スッキリした’由来が私には理解出来ない。でも、こんなに皆が知っている言葉にも不可解なことがあるなんて・・・。 ![]() http://www.jrc.or.jp/blood/news/l4/Vcms4_00001961.html 最近は、もう‘20歳’とは表記しなくなったのだろうか? ![]() ![]() ![]() |
本日(2012年10月26日)、読売新聞は、一面左トップに以下の記事を掲載した。
![]() 例の、iPS細胞に関する‘誤報事件’に関する読売新聞社内での‘処分’記事である。 社会は、個人の参加で成り立っている。 ‘社会’の定義(?)を辞書で調べてみると次のように解説してある。
上記引用文にあるように、‘society’を‘社会’という日本語にした‘福地源一郎’は、明治時代、福沢諭吉と並び称され‘天下の双幅’と言われたという。 また、「福澤の死の際に両者の人物が比較され、福地は才において優る。しかし意思の強固さでは福澤が数等上であると評された。」( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%9C%B0%E6 %BA%90%E4%B8%80%E9%83%8E )というから相当な人物であった。 更に、
正に、明治初期の‘ジャーナリスト’の第一人者である。 今回の‘誤報事件’は、日本最大の新聞社の一つである‘読売新聞’が、‘功を焦って’の大失敗劇で、‘ジャーナリストの面汚し’であり、‘ジャーナリストの官僚化’を臭わせる。 勿論、読売新聞社も‘法人’であり、‘会社’であるから、経済活動を最大目標の一つにせねばならないことは誰の目にも明白であるが、大袈裟に言えば、‘日本社会の思想’を左右しかねない‘大新聞社’である。 その大新聞社においてさえ、‘他社を出し抜くことにのみ’にエネルギーを注いで、‘国民・社会の為の道しるべ’となる思想形成の役割を放棄していることが最大の問題である。 「・・・、裏付け取材の甘さに弁明の余地はありません。・・・」とあるが、問題は、‘裏付け取材の甘さ’だけではない! 昨年もノーベル賞候補に挙がり、今回の受賞という時期に起こった‘事件’である。 もう少し、この方面に詳しい‘スタッフ’を読売新聞が抱えていたら、‘森口詐欺師’の言動が‘おかしい or 怪しい’という判断が出来た筈である。 こういうスタッフを置いていないことにこそ‘最大の問題がある’のに、一面左トップ記事にはそんなことは一つも書かれていない! 実は、これこそ‘ジャーナリストとしての大失敗’であることに読売新聞はまだ気づいていないという、この記事こそが‘茶番劇’なのである! 言論界・思想界の第一人者たる自覚が不足しているとしか言いようがない。 現時点での‘政界における不様さ’を糾弾する‘資格の放棄’であり、‘自殺行為’であったとしか思われない。 早急に‘信頼出来る記事、安心して読める新聞’として‘蘇生される’ことを望みたい。 ‘読売(讀賣)’新聞なんだから、‘読まれてなんぼ’でしょう。 讀賣新聞といえば、何時も‘ロゴ’が気になっていた。 下の画像を、よ~く見て欲しい! 何処か間違っていませんか? ![]() そう、讀賣の‘賣’の字が‘明らかに’間違っているのである。 ‘ロゴ’だからいいではないか!では済まされない。今からでも‘ロゴ’を新しくするくらいの‘勇気’が必要である。そうでなければ‘恥っさらし’である! どなた様が‘揮毫’されたかは知らないが、その瞬間に‘訂正すべき’であった。 それも出来なかった人達が果たして、物事を正確に捕え、‘言論の自由’を叫ぶことが出来るのであろうか? 因みに、‘web’で検索して見たところ、まだ誰もこの‘間違い字’に気付いていないようである。 当の‘讀賣新聞社のHP’にも、そんな記事は当然無い! <追記> 上記の通り書いた後、気になって‘再調査’をしたところ、ありました!HPに!
でも何となく‘逃げ口上’のように聞こえて仕方がない! ‘隷書体’にそう言う省略があるのではなく、‘書道の作品’の場合に‘字体変更’があるのであって‘省略’があるのではない! 讀賣の場合、隣に同じ文字(賣)があるので、‘字体’を変化させるのが「書道作品の‘暗黙の’決まり」である。 そのことは、当然作者の印南渓龍先生は、知っておられるからこそ、‘字体’を変えておられる(四と貝の大きさを変化)のだが、多分‘うっかりされて’一を外されたのだろう。 そして、ご本人も、新聞社側も誰も気づかないという‘不祥事’になったのではないか? これこそ、無責任体制である。今ではもうこの字体は使わないから、それ程の問題にはならないかもしれないが。小学生が新聞を見て‘この字’を覚えていて、‘試験に不合格’となった場合、どう言い訳するのだろうか? 書道作品なら、‘芸術’だから、‘省略’しようと‘書き足し’しようと、それは自由である。 ことは、新聞のロゴである。 社会的重要さを見逃していた、と追及されても致し方あるまい! ‘弘法にも筆の誤り’の場合、弘法大師は‘筆を投げつけて’足りなかった‘点’を正したという。流石である! ![]() ![]() ![]() |
普段この言葉‘風呂’も普通の家庭であれば、ほとんど毎日聞かれる言葉であるが、何で‘風(かぜ)’と‘呂’なのだろうか?
これは、小学校の時、漢字を習った際に一寸だけ‘疑問’に思っていたが、その後何の‘ためらい’もなく使っていてそんなに疑問視もしていなかったが、考えてみるとどうにも判らない! ![]() http://oishiya.co.jp/bath/ 最も憧れる風呂の風景:大きな湯船と沢山の洗い場、そして外の景色
色々調べて行くうちに、民俗学者の‘柳田國男’氏が、この‘風呂’について考察していることをほとんどの人達が指摘していて、孫引き状態である。 皆自分の責任で‘風呂’の考察をせずに、誰かがこう言っている、で済ませている。勿論このブログでもそうだが・・・。その背景は、① 風呂の意味が判ったって何の意義がある? ② 学問的にはもっと面白いテーマがある。 といった理由なのだろうか?お金にもならないし・・・。 したがって、100年近くも前の‘柳田國男’氏の説(大正4年・1915年)を以って風呂語源談義は終了と言う事の様である。
それにしても‘風呂’は、ストレスを忘れさせてくれる最大の癒し空間、現代人には必須の場所・設備であることに間違いない! お風呂に,乾ぱ~い! ![]() http://dom.jtb.co.jp/yado/PhotoList.aspx?st=1558002 ![]() http://dom.jtb.co.jp/yado/PhotoList.aspx?st=1558002 そして、関連用語の‘風呂敷’。今ではその名前さえ知らない‘新々人類’が多いと聞く。何故‘風呂敷’? ![]() http://matome.naver.jp/odai/2134681735156948301/2134682411057808703
風呂敷の寿命も‘風前の灯’なのだろうか? (つづく) ![]() ![]() ![]() |
普段何気なく使っている言葉、よ~く考えてみると現在のものに相応しくないというかその言葉からは想像しにくい物が沢山ある。
例えば、電車に乗った時に「この電車は、00駅を出る時に少々揺れますので、‘つり革’や手摺にお掴まり下さい」と言うアナンウスを聞いたことがあると思う。 この‘つり革’って何?と元来の‘つり革’を知らない平成生まれの‘新々人類’は思うに違いない。何処にも‘革’なんて使ってないからだ。 同じく‘電車’関連で言うなら‘網棚’だって、何処にも‘網’はない! ‘銭湯’だってそうだ。 こんな風に言葉は、社会の文化や風習の変化や技術の進歩で‘様変わり’をする。 さて、今日の話題は‘屋根’である。 ![]() ‘屋’は誰でも理解出来るが、‘根’が、どうにも理解出来ない。 ‘ね(根)’を辞書(大辞林)で引いてみると、
とある。多分、‘屋根’の‘根’は、上記引用文の8にあたり、‘屋が地に根ざして立っている’と言う事になる。 えっ! どう言う事?! 以下の解説で‘謎’が解ける!!
そうか、‘屋根’の始まりは、‘家’という建築物の始まりの‘竪穴住居’を考えればいいという訳である! ![]() http://kouko.bird-mus.abiko.chiba.jp/main/terms/index.html#ta そして、‘つり革’が革でなくなっても‘つり革’と言うが如し、式で・・・。納得!! (つづく) ![]() ![]() ![]() |
日本語を普通に使っていて、そんなに気がつかないが、‘すき焼き’という言葉は、よ~く考えてみると何故‘すき’がつくのだろうか?
![]() http://www.kobebeef.co.jp/shop/suki.html 鉄の鍋が何処にでもあった訳ではない時代に‘鋤’の上でお肉を炒めて食することが流行ったから、それで‘鋤焼き’と言うようになった、とたしか教わったことがある。小学校の時だったから、もう60年も以上前のことである。 ![]() http://www.rentall-oyama.com/item/2010/12/post-388.html 鋤、鍬、鎌 本当だろうか? 改めて、web で調べてみたい。Wikipedia では以下のように解説してある。 先ずは、‘すき焼き’の‘定義(?)’から・・・。
上記の通り、‘鋤’と言う文字が使われている。60年以上も前の情報もそんなに的外れの情報ではなかったらしい。さらに、下記引用文にきちんと説明がしてある。
![]() まだ味わったことが無いが、‘松茸すき焼き’、堪えられんでしょうね! (つづく) ![]() ![]() ![]() |