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今年(2021年)の春のお彼岸
今年(2021年)の春のお彼岸

今年の春のお彼岸は、3月17日~3月23日である。従って、彼岸の中日は、その真ん中であるから、3月20日ということになる!

今年も、お世話になっているご住職に、中日に来て戴いた。

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マスク着用であることが窺える!

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やはり、「マスク着用でのお経」なのである。お経が終わっての法話の際に、「万が一のことですが、御仏のおわす仏壇に新型コロナウイルスが掛かってはいけないという思いで・・・」と仰せであった。

今日(2021年03月25日)、このブログを書き始めていたのだが、たった今(2021年3月25日09:29)四国松山から親友の訃報が届いた!

その親友は数ヶ月前に脳梗塞で入院後、一旦回復・退院して自宅療養中だったのだが、「コロナではなく、どうも心不全らしく、たった今!」という悲報である・・・。早過ぎる!本当に残念であるが、ご冥福を祈りたい・・・。

以下の画像は、急遽PCの画像を探した結果見つかった画像で、2013年に彼が住宅を新築した際のお祝いに私がお贈りした屏風である!この際、少しでも供養になれば・・・。

成重剛三氏-2

画面の中央の右に見える文字は、「欲速則不達」であるが、自戒も込めて下手な文字を書かせて貰ったのである!

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(つづく)
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[2021/03/25 11:52] | 先祖供養 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
2020年、お盆の頃
2020年、お盆の頃

毎年お盆はやって来る!

日本人にとっては、通常の行事であるから、普通に例年通りのことをやれば、安心である・・・。

① 7月の終わりにお墓掃除に行った・・。
② 8月13日には、御坊さんに来て戴いた・・。


昨年の暮れ以来、半年以上も掃除に来なかったために、少々荒れ放題かも?

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②DSC_1818-3
③DSC_1818-4

以下の通り、約40分の作業で、綺麗になった!

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⑦DSC_1834-3
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墓地の様子も変わりつつある・・・


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お隣の墓地も「墓じまい」のようで、「今後のお墓の在り方」も少しずつ変わりつつある・・・。

そして、後日自宅では・・・

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②DSC_2024-2
③DSC_2025-2
④DSC_2023-3
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そろそろ「新型コロナウイルス禍」も終わりにして貰いたいと、お祈りもしたのだが・・・。

(つづく)
[2020/08/16 07:21] | 先祖供養 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
遅れ遅れの墓参り
遅れ遅れの墓参り

このところ忙しさに紛れてお墓参りが疎かになっていた・・。

2019年12月11日の昼下がり、打ち合わせの合間を縫って、東京・上野へ行った!

東京都台東区西浅草1-5-5 にある「浄土真宗東本願寺派 本山 東本願寺」の境内にある「浅草浄苑」である。

このお寺の本堂は、その瓦葺きが見事なことでも有名である!

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「浅草浄苑」は、下の写真の建物の中にある・・。

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其の4階に・・・

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出典:http://www.asakusajoen.jp/image/gallery/img08_big.jpg
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こんな風に「お香」の中にいると気持ちが安らぐのは、何千年もの歴史があるからに違いない!

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%99
香(こう、英: incense)とは、本来、伽羅、沈香、白檀などの天然香木の香りをさす。そこから線香、焼香、抹香、塗香等の香り、またこれらの総称として用いられる。お香、御香ともいう。

歴史

香の歴史はかなり古く、古代のオリエント世界では乳香、没薬などの薫香が盛んに用いられた。紀元前3000年前のメソポタミア文明ではシダーが香木として称えられ、古代エジプトではキフィ(英語版)と呼ばれる調合した香が重要な輸出品となっていた。オリエントの香りに関する知識はインドを経て中国・日本までもたらされた[1]。

北アメリカのインディアンは、セージやジュニパーなど虫除けや人体にある種の効能を与える植物を使った香の伝統を培っている[1]。

原料
種類は多く、白檀、丁香などのように樹木の皮、葉、根などの粉末や、乳香、安息香など、芳香のある樹脂や麝香、竜涎香など動物性のものがあり、ふつう香木(明香)と練香(煉香、合香)とに分けられる。


(つづく)
[2019/12/31 07:38] | 先祖供養 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
お寺さんにも休日が・・・
2018年4月10日、所用があって東京へ行った。

打ち合わせまでに2時間以上の余裕があったので、2ヶ月以上すっかりご無沙汰している両親のお墓へ行った。

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おやおや、御寺さんにも休日が・・・。工事中とか。

(つづく)
[2018/04/13 23:28] | 先祖供養 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
東本願寺・浅草浄苑の展示物
東本願寺・浅草浄苑の展示物

昨日(2017年1月20日)、朝9時から東京駅近辺で約一時間の打ち合わせを終えた頃から、東京都心は小雪がちらつき始めた。

次の打ち合わせは、上野駅近辺のホテルである・・。
これは、16時過ぎからだから、かなりの時間がある。
日頃の運動不足も気になっていたから、それじゃあ、と東京駅から上野まで歩いてみようと思った!

雪のちらつきはそんなにたいしたことも無く、傘は持ってはいたが、差すほどのことでもなかった・・。
昨年、神田駅の近くの‘岩本町’のあるビルに事務所を借りていたこともあって、東京駅からは、日本橋三越本店の前を通り岩本町経由で上野を目指すことにしたのである!

途中、岩本町に勤務していた時にいつも通っていた‘カフェテリア’で食事をして、上野駅に向かおうとしたのだが、まだまだ十分な時間がある!
それじゃぁ、元浅草にある、浄土宗東本願寺派・総本山東本願寺内にある‘浅草淨苑’へ寄ってみることにした!
つい先日訪れたばかりであったが、両親が眠っているお墓であるから、暇さえ出来れば寄ることにしているのである・・・。

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出典/http://www.reien-tokyo.com/detail/id1339056936-741822.html
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出典/http://www.reien-tokyo.com/detail/id1339056936-741822.html

‘浅草淨苑’の4階に上がると、昨日は上述の通り‘小雪’がちらつく日でもあったために、誰もいない!
‘琥珀の間’へ行けとの‘アナウンス’があった!

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焼香を終えて、展示品を見た!
先日(1月6日)に来た時と展示品は替わっていなかった・・・。

① 棟方志功の作品!

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② 若山牧水の作品!

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兎に角、この‘浅草淨苑’には、いつも名品が揃っているのである!

(つづく)
[2017/01/21 23:55] | 先祖供養 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
2016年のお盆(その2)
2016年のお盆(その2)

お盆の風習は、日本全国で何百年も行われている!
どうやら、日本に仏教が伝来してくる以前からの風習と仏教との合体で出来上がったものだそうである!

http://号外.jp/4134.html
お盆の意味と時期について

お盆とは、ご先祖様や亡くなった人たちが苦しむことなく成仏するように、子孫が供養をすること期間のことです。

ご先祖の霊が死後の世から現世に戻ってきて、再び死後の世に帰るという日本古来の信仰と仏教が結びついてできた行事です。

「お盆」は「盂蘭盆会(うらぼんえ)」を略した言葉です。

「盂蘭盆会(うらぼんえ)」とはサンスクリット語のウラバンナ(逆さ吊り)を


ウ→盂
ラ→蘭
バン→盆
ナ→会


と、漢字にあてたものです。

何故、(逆さ吊り)からの当て字かと言いますと、仏教辞典には、「死者が死後に逆さまに釣り下げられる様な苦しみを受けている人を救う法要」からとのことです。


そんな訳で、日本人なら誰しも、そんなに疑いも無くこの風習を受け入れている。ただし、地方毎に色々な仕来りがあって、それはそれでそのように行われているし、仏教の宗派による‘決め事’もあるという・・・。

宗派と言っても、特別の人達を除けば、それぞれの宗派について色々研究を重ねて「俺はこの宗派でなくてはならない!」と結論付けた人はほとんどいないと言っても過言ではあるまい!

‘親が、OO宗だったから’という一見情けない選択の仕方であるが、いずれ仏教の開祖のお釈迦様の教えに辿り着くのだから・・という考え方でほとんどの人が‘満足’(?)しているように見える!

まあ、そんな訳で、私の実家は‘浄土真宗’だったから、そうしようと思っていたが、ご近所のお寺さんに法要をお願いしたところ、その宗派が、‘日蓮宗’だったので、仏壇に飾る仏具等もそのようになっている!

宗派によって、その唱え文句に違いがある。

私だけの場合は、浄土真宗の枠から日蓮宗の枠内に‘移動’したために、その唱え文句が変化した!

‘南無阿弥陀仏=阿弥陀仏に帰依します’から、‘南無妙法蓮華経=法華経に帰依します’に変わったのである!

今現在、お釈迦様が現在に蘇って来られて、この現状をご覧になったら、何と言われるのだろうか?

まあ、仏教の研究もしたことが無い我々は、こんな感想を持っても良いだろう、という情け無い宗教心!

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こんな不謹慎極まる気持ちしか持っていなくても、仏壇の前や提灯の傍に座ると、何となく‘厳かな’気持ちになるから不思議である!

この舞台造りも、何百年もの歳月を掛けて先人が知恵を絞った遺産なのであろう!

(つづく)
[2016/08/16 07:49] | 先祖供養 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
今年のお盆法要
今年のお盆法要

日本では、お盆の前後、年末年始は‘民族往復大移動’という現象が起こる。
この移動に関わるエネルギーは、電力に変換してみると、‘何億kwh’に相当するのだろうか?
でも、まあ、このエネルギー消費のために国民が働いているといってもそうはおかしくはない!

それは、人間社会というものが、元来ハード(エネルギー)よりもソフト(気持ち)に重点が置かれている証拠でもある!
その‘気持ち’の中心は、社会生活を行うための‘人間関係’という一番難しい世渡り術の‘確かめ’にあるのだろう。
先祖供養しかり、孫見せしかり、同窓会しかり・・・。

だが、この人間関係或いは国際関係が、ともすると‘親子の断絶’や‘戦争’という最悪の関係に成り下がってしまうことは、人間がまだまだ未熟であることを示している!

‘平和’を求めてという名目の‘戦争’という事態は、これまでに何度も経験して来たというのに・・・。

今日、2015年08月13日いつもの通り、ご住職にお出で戴いてお盆法要をして頂いた・・・。

ご住職は、今年39歳になられるということだったから、まだ‘38歳’、ということは、私の丁度半分の歳である!
‘携帯木魚’持参の汗だくでの読経だった!

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本日夜には、次男夫婦が名古屋から帰ってくる!

(つづく)
[2015/08/13 14:18] | 先祖供養 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
墓参
墓参

2015年3月11日、次の打ち合わせまで、2時間の余裕があったので、このところご無沙汰していた両親のお墓へ行った!
場所は‘元浅草’だから、JRで東京駅から上野駅迄行き、そこから歩きで約15分である。

浄土真宗東本願寺派の本山・東本願寺の境内にある永代供養式の近代的お墓である。

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お墓のある‘浅草浄苑’は、この‘慈光殿’の4階にある。
ここに京都からお墓を移したのは、実兄夫婦である。関西に住んでいた時代に京都にお墓を作ったのだが、ある事情で東京に住まうことになったので、東京に移したのであるが、京都にはそのままで永代供養の墓を残したままである。

そんな訳で、2箇所にお墓がある。昨年の暮れには、娘一家と京都に行く機会があったので、京都清水のお墓へ行った。

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これが、本殿である。

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こちらには、浄土真宗・中興の祖といわれる‘蓮如上人’の像がある!

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また、浄土真宗・開祖の親鸞聖人の像がある。

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この写真の中央部!
拡大すると・・・、

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ボタン一つで、自分家のお墓が、‘せり上がって来る仕掛け’である!

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ここへ来ることのもう一つの楽しみは、浄苑のロビーに展示されている日本の遺産である!
今期は以下の遺産が展示されていた。

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いずれも素晴らしいものばかりだった!
ロビーの窓からは、スカイツリーがその日もくっきりと見えていた!

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(つづく)
[2015/03/19 10:05] | 先祖供養 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
盂蘭盆会(うらぼんえ)
今年も‘盂蘭盆会’の時期になった。

こちら、千葉県茂原市へ引っ越して来て以来、ご近所と言っても車で約20分位掛かるのだが、そこのお寺さんにお願いをして、年末年始・春秋の彼岸会・盂蘭盆会の時に自宅へ来て戴くことにしている。

今年も、一昨日(8月12日)に来て頂いた。

この暑い最中、お坊さんも大変である!
移動は、車であるからそれほど大変ではないにしても、お経をあげている間は、‘正座’をしていなければならないから、いくら慣れているとは言いながら、それはそれは大変である。

足の痺れたまま車にも乗れないだろうから・・・。

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2014年08月12日09:01

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木魚は、携帯用であるから、ポクポクと甲高い音がして、ボクボクという大型木魚の深みは無いが・・・。

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この足の組み方をすれば、‘しびれ’は少ないのだろうか?

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この屏風は、約20年前に作った‘六面屏風’で、自分自身のものが2面ある。向かって右が、私の書道の師匠のもので、左が私めの作品である。

お経の途中の文句はほとんど判らないが、前後は‘現代語訳’であげて頂くので判り易い!

不思議なもので、お経の文句は、判らなほど‘有難い’ような気がする。
そして、長いほど、実際は厭なのだが有難い気がするのは何故だろうか?

一般的には、「ほんの一寸の時間しかお経をおげてくれないのよ!」という不満がある。
やっぱりみんな‘長いお経’を期待しているのである!

この日の‘お経の長さ’は、約4分!
この数日は、一日に数十軒お廻りになるそうだから、仕方がない・・・。

(つづく)
[2014/08/14 23:23] | 先祖供養 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top
年始のお墓掃除!
年始のお墓掃除は、初めてである!

昨年の年末は、何となく忙しくて、お墓掃除に行けなかったのである。

正月前にお墓の掃除をしていないというのは、一寸まずいとは思ったものの、子供達が帰って来て一緒の方がいいかなとも思った次第!

ものは考えようである!

「正月前には、お墓のお掃除は終えておくものでしょう!」

誰だって、言われなくたってそんなことぐらい判っている!
でも世の中には‘いじめ’に命をかける人だっているのだ。
どんなに弁解しても、この‘筋論’で押しまくる。

「いや、今年の春のお彼岸前には一寸早いですが、お正月にやっておこうと思って・・・」

人それぞれ、他人には言えない事情があるのである!

そんな訳で、2014年01月03日に千葉県・松戸市に東京都が創り管理している‘八柱霊園’へ向かったのである。
いわば、この‘八柱霊園’は、東京都の‘飛知’である!

このお墓は、我々が東京都内の会社のアパートに住んでいた時に応募して運よく当たったのである。数百倍の応募数だったそうであるが・・・。私は、次男なので自分のお墓をと若い頃からそう思っていた。50歳そこそこでもう既に自分のお墓を確保していたことになる。今は、カミサンの両親が仲良く眠っている!

昨年(2013年)の夏、お盆前(8月14日)に掃除に行った時の写真が以下の3枚である。

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春のお彼岸以来で、草茫々!

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これをみんなで・・・

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と言う訳で、この柘植の樹が、すっかり綺麗になったのである!

今年もこれにならって、ま~るく‘駆り込もう’と思った。しかし、長男が「もう20年にもなるのだから、一度丸裸にしてみようか?」という!「おお、それも、いいかも!」と言う訳で・・・

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切るは、切るは・・・

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とうとうこんなに丸裸になってしまったのである!

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こちらの‘水子’の方のお地蔵さんが久し振りによく見えるようになった!

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綺麗さっぱり!

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前の写真と比較してみると・・・

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「これもまたサッパリして中々いいじゃん!」みんな一寸清々しい気持ちになった!

「皆さん、ご苦労さん!有難うございました!」

今年の春には、この柘植の樹どうなっているだろうか?

(つづく)
[2014/01/24 23:58] | 先祖供養 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
今年最後の法要
2013年12月27日、本法寺のご住職に来て戴いて今年最後の法要を行なった。

【顕本法華宗】本法寺、千葉県長生郡白子町関3888

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2013年12月27日09:46 10時頃、との電話が昨日あったので、この時刻には準備万端!

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10:16にご到着。早速お経を・・。屏風の面を替えて・・・。

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木魚は、ご持参で・・・。

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(内緒話:床の間の掛け軸は、いずれ早々に入れ替わる予定だが、それは後日。現在の掛け軸は、良寛さんの‘天地’!)

お経が終わって、こちらからも質問してみた。

「この辺のお寺さんは、日蓮宗が多いのは、日蓮さんの‘誕生寺’等々のことで・・?」

「それは、違います!日蓮さんは、現在の誕生寺の直ぐそばでお生まれになりましたが、修行されたの比叡山・延暦寺で、その後身延山で本格的な活動をされましたので、日蓮宗のお寺が多いのは、身延山近辺です。」

「では、どうしてこの辺で?」

「いやあ、実は、白子町を過ぎて東や南北へ行っても日蓮宗のお寺さんはほんの少しです。」

「えっ? じゃあ、日蓮さんの‘地元’っていう事ではないのですか?」

「この辺に日蓮宗のお寺さんが多いのは、昔‘土気城’のお殿様が、日蓮宗に助けられたことがあって、そのお殿様の‘命令’(?)で、この辺一帯に日蓮宗のお寺が沢山建てられたのです。」

「それは、それとして、千葉県には、やはり日蓮宗のお寺さんの数は多いのでしょう?」

「いやいや、数だけで言えば、多いのは浄土宗及び浄土真宗です。」

「千葉県全体で、お寺さんは、どのくらいの数ですか?」

「住職不在や、小さな‘祠(ほこら)’まで入れると、多分‘数万’のオーダーです!」

「えっ! そんなに???」

「お得意のPC/WEBでお調べになったらお判り頂けます!」

そうか、我々はこの千葉県・茂原市へ越して来て、周りの近辺ではほとんど‘日蓮宗’のお寺さんばかりだったので、これはもう千葉県全体が‘日蓮宗’のお寺さんばかりと想像していたのだが・・・。

こんなことを‘独善’という。そして、他人様にも‘伝染する’病原菌を産み出してしまう!くわばら、くわばら!

後日のブログ素材の仕入れに成功した!

おおっと忘れていた、「ご先祖様のご供養法要、どうも有難うございました!」

(つづく)
[2013/12/27 23:06] | 先祖供養 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
老夫婦のクリスマス・イヴ
老夫婦のクリスマス・イヴ

クリスマスってのは、クリスチャンだけが祝うものでもない。

ただ、クリスチャンとクリスチャンでない人とでは、お祝いの仕方が違う!

われわれ、クリスチャンでない人間は、そして特に日本人は、‘商戦’に載せられて‘お祝い’の片棒を担ぐという形でクリスマスを迎える。

だから、クリスマスの‘本当の意味・意義について‘正確に答えられる’人は少ないに違いない!
極端な話、‘クリスマス・イヴ’が、‘教会歴で何日の何時から何時までか’を知っている人は、まあいないと思っていいくらいである!

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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%
B9%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%B4

教会暦における降誕祭の日付の概要。教会暦の一日は日没から始まり日没に終わるためクリスマスは24日の日没から25日の日没までとなる。ユリウス暦を使用する正教会(エルサレム総主教庁、ロシア正教会など)では、1月6日の日没から1月7日の日没までがクリスマスである。カトリックの典礼暦は一般の暦と同様午前0時に日付が変わるが、復活祭やクリスマスなどの祭日の典礼は前日の晩の祈りから始まる。


まあ、そんな硬いことは、さておいて(おやおや、それが一般の日本人!)、まあケーキを食べながら、ってところでしょう!

我が家も老人二人だけ。これじゃあ、アンマリ盛り上がらない!

ケーキだって、二人じゃあ、そんなに大きくも当然ないのだから・・・。

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真ん中の‘白く見える’玉は?

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そう、キリストの‘降誕’の時の様子の磁器。

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これって、娘が造ってくれた‘蝋燭’と飾り!

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これが‘小さい’ケーキ! これだって二人で‘半分’しか食べれなかった。

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トナカイさんも・・・

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サンタさんも、何故か‘上を向いて’いる??

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さて、次は、何故ケーキの蝋燭が‘3本’なのか? 小さくて安物だから??

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最後に、「クリスマスは、キリストの産まれた日ではない!」こともハッキリ認識しておこう!

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83
%AA%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%82%B9

キリスト教においてもクリスマスは「降誕[10]を記念する祭日」[3]と位置づけられており、「救世主イエス・キリストの誕生日」と考えられているわけでは無い。イエス・キリストが降誕した日がいつにあたるのかについては、古代からキリスト教内でも様々な説があった(例えば3世紀の初め頃には、アレクサンドリアのクレメンスは5月20日と推測していた)[3]。
降誕祭とは別に、西方教会では1月6日にキリストの公現を祝う(公現祭)。12月25日の生誕祭は、遅くとも345年には西方教会で始まった。ミトラ教の冬至の祭を転用したものではないかと言われている。


(つづく)
[2013/12/24 23:23] | 先祖供養 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
上野の森から浅草へ(その5:浅草<2>)
上野の森から浅草へ(その5:浅草<2>)

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2013年12月03日13:41
供養のために訪れた東本願寺。ここは、浄土真宗・東本願寺派の本山である。

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‘東本願寺’のパンフ。

昭和14年(1939年)に再建されたとあるから、私と同い年で、満74歳。何となく親しみが湧くのは、その所為なのだろうか?

納骨されているのは、‘慈光殿’の4階にある‘浅草浄苑’である。この浄苑については、既に何度かこの弊ブログでご紹介した。

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慈光殿

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拡大。これが、浅草浄苑の入り口でもある。

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パンフ0001-2
パンフ。

一階で受付を済ませて、4階へエレベーターで上がると、TV画面に案内が出る仕組みになっている。

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TV案内画面

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ここで指定された‘参拝場所’へ行けば、参拝出来る、という訳である。

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ここが指定場所。青ボタンを押すと・・・、

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扉が開く・・。

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ご焼香用セットが用意されている。

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これで参拝が終了する。

参拝室から出ると、待合室には、素晴しい展示物が目に留まる。

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窓からは、スカイツリーが拝める!

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いずれも‘文化財’として価値のあるものばかり・・・。その日は、これで退出することとした。

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(つづく)
[2013/12/22 23:14] | 先祖供養 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
上野の森から浅草へ(その4:浅草<1>)
上野の森から浅草へ(その4:浅草<1>)

<上野公園から東本願寺まで>

2013年12月03日は、好天に恵まれたこともあって、また‘全日展’を見る機会でもあったので、東京・上野の森の紅葉を見て感動した。そして、その足でバスに乗って浅草へ向かった。

浅草へ行くのは、実兄が今年の10月に我々の両親のお墓を京都から東京浅草へ移して呉れたからである。
これは大いに有難いことで、東京へ出て、少し時間が出来れば直ぐにお参りが出来る。
10月には、3度、11月には1度で此の3日に行けば、5度目という事になる。

さて、上野公園から浅草行きのバスに乗ったのは初めてである。

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2013年12月03日13:03
バスの案内も、日本語、英語、中国語、韓国語と4ヶ国語の表記である。浅草まで料金は均一で、大人210円也。

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13:13 稲荷町の交差点。約十分で来た!

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13:18 浅草ビューホテル前で、バスを降りた。向かうのが、浄土真宗総本山・東本願寺だからである。ここからは少し上野の方へ戻らねばならない。

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13:22 途中、スカイツリーがよ~く見える小路があった!

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13:26 これまで東本願寺へ4回程来たが、表の入り口から入るばかりで、裏に回ったことはなかったので、今回は裏を一周して表門へ向かう事にした。

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13:27 裏から見ても堂々たるものである!

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13:30 この角度から見ると一層厳かに見える。

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13:31 
下の案内図が、この辺一帯の地図である。字が小さ過ぎて見え難いかも知れないが・・・。(クリックすれば多少は大きくなる!)
パンフ-2
東本願寺パンフ

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かっぱ橋道具街通りへ出た!

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この辺りが、‘食品サンプル’と‘食器’で世界的に有名な商店街である!

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あった、あった! これこそ‘世界一’の食品サンプル! 店員さんに撮影許可を戴いて‘パチリ!’

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野菜も、そっくり!

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おにぎり、味噌汁、お新香まで、本物と見分けがつかない!

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味噌汁の‘具’だって、何でもござれ!といった感じで・・・。

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こちらは、海苔巻き寿司! 

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こちらの握りは、本物よりも美味しそう!

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うなぎのかば焼きや焼き魚!

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ステーキ用の赤みに至っては、本物以上!

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丼物に・・・

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ラーメン、ちゃんぽん!

「お求めやすい価格になりました!」とあるが、価格は聞いて来なかった!

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こちらは‘ストラップ’。これは、1500円也!

この‘食品サンプル’については作り方等々、別途調査の予定!

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この‘かっぱ橋道具街通り’と‘かっぱ橋本通り’でどのくらいのお店があるのだろうか? ここなら一日懸かっても見きれないくらい!

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勿論、食器屋さんも・・。

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東本願寺への曲がり角。

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13:40 ここからも‘スカイツリー’が見える!

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13:41 やっと到着! 上野公園でバスに乗ったのが、13:03。 途中で‘食品サンプル屋’さんで時間を費やしたが、約40分で東本願寺に到着!

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これが、表入口。

(つづく)
[2013/12/18 23:01] | 先祖供養 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
浅草浄苑へ改めて参拝!
2013年10月08日、つい3日前に‘改葬’の儀式を行なった、浄土真宗・東本願寺派本山・東本願寺の境内にある‘浅草浄苑’へ行ってみた!

午前中に少し時間が出来たからである!

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2013年10月08日10:35 銀座線・田原町の駅を出て、のどが渇いていたので販売機で・・。

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2013年10月08日10:35 昔から‘リアルゴールド’に決めている!

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2013年10月08日10:37 10月5日と違って今日はまた夏がぶり返した!正門である。

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2013年10月08日10:38 境内では、幼稚園生が何やらお祭りのお稽古なのだろうか?

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2013年10月08日10:38

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2013年10月08日10:38

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2013年10月08日10:39 本堂に向かって左手に‘蓮如上人’の御象が立っている!

蓮如上人とは、浄土真宗の立て直しを図った人物であり、‘中興の祖’と呼ばれている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%93%AE%E5%A6%82
蓮如[1](れんにょ)は、室町時代の浄土真宗の僧。本願寺第8世。本願寺中興の祖。同宗旨[3]では、「蓮如上人」と尊称される。諱は兼壽。院号は信證院。明治15年(1882年)に、明治天皇より「慧燈大師」の諡号を追贈されている。しばしば本願寺蓮如と呼ばれる。

親鸞の直系とはいえ蓮如が生まれた時の本願寺は、青蓮院の末寺に過ぎなかった。他宗や浄土真宗他派、特に佛光寺教団の興隆に対し、衰退の極みにあった。その本願寺を再興し、現在の本願寺教団(本願寺派・大谷派)の礎を築いた。

応永22年2月25日(1415年4月13日[2])、京都東山の本願寺(現在の知恩院塔頭崇泰院(そうたいいん)付近)にて、本願寺第7世存如の長子として生まれる。母は存如の母に給仕した女性と伝えられているが、詳細は不明。一説には、大阪の信太の被差別部落出身だったともいう[4][5]。幼名は「布袋丸」。
応永27年(1420年)、蓮如6歳。存如が本妻を迎えるにあたって、生母は本願寺を退出しその後行方知れず。蓮如幼年期の本願寺は、佛光寺の隆盛に比し衰退の極にあり、参拝者(後に蓮如の支援者となった堅田本福寺の法住ら)が余りにも寂れた本願寺の有様を見て呆れ、仏光寺へ参拝したほどであった。
永享3年(1431年)、17歳。青蓮院で得度し、中納言広橋兼郷の猶子となる。名を「中納言兼壽」と改める。その後、本願寺と姻戚関係にあった大和興福寺大乗院の門跡経覚(母方が大谷家(本願寺)の出とされ、父存如の従兄弟と推定されている)について修学。父を補佐し門末へ下付するため、多くの聖教を書写した。永享6年(1434年)5月12日の識語をもつ『浄土文類聚鈔』が、蓮如の書写になる現存最古のもの。永享8年(1436年)、祖父の第6世巧如が住持職を父に譲る(巧如は4年後の永享12年10月14日(1440年11月17日)に示寂)。

蓮如の布教は、教義を消息(手紙)の形で分かりやすく説いた『御文』(『御文章』)[7]を中心に行われた。後に蓮如の孫、円如がこれを収集して五帖80通(『五帖御文』)にまとめた。これに含まれない消息は『帖外御文』と言われ、倍くらいの数の消息が数えられている。
文明5年(1473年)3月、吉崎で親鸞の「正信念仏偈」(「正信偈」)、「三帖和讃」を開版し、門徒たちの朝夕の勤行に用いるよう制定した。
また、門徒個人が所有する「道場」、村落ごとに形成された「惣道場」の本尊に「十字名号」(文明期以降は、「六字名号」や「阿弥陀如来絵像」)を与えた[8]。
その他の著作に『正信偈大意』『正信偈証註釈』、信仰生活の規範を示した「改悔文」(「領解文」)などがある。
また蓮如の死後、弟子達が蓮如の言行録を写し継いだ書物として『蓮如上人御一代記聞書』(『蓮如上人御一代聞書』)全316箇条が残されている。


親鸞が、1173年の生まれだから、蓮如は、それより242年後に生まれた。本願寺8世。

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2013年10月08日10:40 さて、いよいよ‘浅草浄苑’の前である。この建物の4階に浄苑がある。
1階の受付で受け付け用紙に氏名を書き込んでエレベータで4階へ上がった。

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2013年10月08日10:44 指定された参拝室へ入った。

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2013年10月08日10:45 お墓の右側の‘緑色’のボタンを押すと扉が開き、お墓が現れた!

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2013年10月08日10:46 扉が開くと同時にヒーターに電源が入り‘焼香’が可能状態となっている。

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2013年10月08日10:49 これが参拝の手順書である。

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2013年10月08日10:53 3日前は曇天だったために、スカイツリーは頭を雲の中に隠していたが、本日は晴天である。‘空木'(スカイツリー。この‘空木’の語訳は、兄。)がよく見えた。註):この写真の空の部分に見える菱形の‘物体’は、‘UFO’ではない!ロビーの電燈が窓ガラスに反射して、まるで‘UFO’のように見えているだけある。

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2013年10月08日10:58 参拝を済ませて本堂の前に来た。上記の通り、本堂に向かって左手には‘蓮如上人’の御像が立っている。そして右側には、親鸞聖人の御像がある。

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2013年10月08日10:58 接近。

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2013年10月08日10:58 拡大。

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2013年10月08日10:58 更に拡大! こんなお顔だったのだろうか?

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2013年10月08日10:59 本堂。

本堂にも別れを告げて、少し時間もあることだし、浅草寺へ行ってみることにした。

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2013年10月08日11:05 歩くこと約5分の場所。路地から‘スカイツリー’が見えている。何となく‘これが浅草だ!’という雰囲気。

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2013年10月08日11:07 この看板の「‘愚留芽’処 」の看板がいい! ‘グルメ’にこんな漢字を当てた人はどんな人だろうか? まだ、午前中だからお店は開いていないから、当て字の意味を聞くことは出来ないが、きっと「愚か者だって、集まってワイワイやれば、いつか‘芽’の出ることだってあり得るサ!」という意味なのだろう。いいネ~!

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2013年10月08日11:11 浅草ビューホテルである。

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2013年10月08日11:13 今年開園160周年を迎えたと言う‘浅草花やしき’!といことは江戸時代から・・・!

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http://www.hanayashiki.net/info/160_info.html

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2013年10月08日11:18 東本願寺から歩くこと約20分で‘浅草寺’へ着いた。ここからもスカイツリーがよく見える。 境内には日本人はほとんどいない!中国人と韓国人とそれに少し‘目の青い’人達で一杯である!

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2013年10月08日11:28 雷門を抜けて左折したところに‘人力車’の溜まり場があった。誰も乗らないのだろうか?一度は乗ってみたい!

以前、バングラディッシュ国の首都ダッカ市で人力車に似た自転車に繋がった乗り物に乗った経験がある!その名は、‘人力車’ならぬ‘リキシャ’(rickshaw)!

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http://www.pelican-travel.net/blog/bangladesh/2008/11/06/%E3%83
%AA%E3%82%AD%E3%82%B7%E3%83%A3%E2%91%A0/

これが‘リキシャ’!

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2013年10月08日11:47 帰りは銀座線で日本橋で降りて‘明治屋’の前まで来た。

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2013年10月08日11:48 少しばかり休業するという。

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2013年10月08日11:53 歩きで東京駅まで来た! 工事中のテントかと思ったら、そうではないらしい!

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2013年10月08日11:54 丸の内側は、昔を蘇らしたが、こちら八重洲口側は、垢ぬけしたヨーロッパ風に変貌した!

(つづく)
[2013/10/08 23:12] | 先祖供養 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
改葬の儀式:東京浅草、東本願寺・‘浅草浄苑’(その2)
改葬の儀式:東京浅草、東本願寺・‘浅草浄苑’(その2)

2013年10月05日(土)は、われわれの家族・親戚にとって記念すべき日となった!

私達の父母、父方の祖父及び実兄の長男の遺骨を京都の‘東山浄苑’から東京の‘浅草浄苑’に改葬する儀式の日だからである。

昨日の弊ブログで、‘浅草浄苑’のフロアについての紹介をした。

本日は、いよいよ‘改葬’の儀式の様子である。

この‘浅草浄苑’の方式は、最も新しい方式のようで、それだけに最も合理的に出来ている、と感じた!

この記録は、あくまで個人的な記録のためのものであって、決して他意はないことを始めにお断りしておきたい。

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‘改葬’の儀式が行なわれる‘七宝の間’の入り口。

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まだ灯りが灯されていない儀場。

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2013年10月05日12:02 灯りが灯されて、4体の遺骨が置かれているのが判った!
この時点では、まだ遺骨は収容・安置されてはいない。

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それは、まだ家紋と00家の入った安置箱が見えないことで判る。

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そして間もなくご住職がお出でになり、遺骨の確認がなされた。

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「これで、間違いありませんか?」

この確認が4つの遺骨一つずつについて行なわれ、無事遺骨は安置される事になった。

無題-3
家紋と00家と書かれた安置箱が祭壇に運ばれセットされた!

そして、読経が始まったのである。

無題

この読経が終わった後、安置箱は、通常の参拝所へ運ばれた。

無題-2
ここが、通常親戚・知人の誰もが参拝出来る場所である。

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ボタン一つで開閉が可能だそうだ!

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この状態は、参拝の際の扉が閉まった状態である。

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このお花は、浄苑の方で毎日取り替えて呉れることになっているという。

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このご焼香システムは、扉が開いている場合には、電熱ヒーターが作動して焼香が可能。扉が閉まるとヒーターの電源が切れる仕組みとなっているという。

正に、何時でも手ぶらで参拝が出来ると言う近代的システムである。

1階の受付で申し込めば、何時でも参拝可能というから、実に巧く出来ている!

ここ浅草に‘改葬’したのは正解だった。今後なるべく早めに来て一度参拝したいと思っている!


(つづく)
[2013/10/06 23:36] | 先祖供養 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top
改葬の儀式:東京浅草、東本願寺・‘浅草浄苑’(その1)
2013年10月05日(土)、京都、東本願寺・‘東山浄苑’から、私達の両親、父方の祖父そして兄の長男(甥)の4人の遺骨を東京浅草、東本願寺・‘浅草浄苑’に葬りかえる‘改葬’の儀式が行なわれた。

これらの遺骨は、当初‘東山浄苑’に安置され、当時兵庫県・西宮市及び宝塚市に住んでいた実兄の家族が主として責任を持って墓守役をやって呉れているのであるが、兄の家族は、仕事の都合もあって今は東京都・江戸川区に移住して来ている。

何度も京都へは往き来していたのだが、兄夫婦も75歳をとっくに過ぎたのと兄の家系を継ぐ次男も東京に住んでいることから、この際4人の遺骨を京都から東京都へ移す決断をしたのである。

「京都から‘東’京都へ移すのだから、そんな長距離ではない!」という誰かのつまらぬ‘駄洒落’はともかくとして、次男の私も千葉県に住んでいることから大いに賛成した。

やはり、両親のお墓は近くにあった方が良い!

そんな訳で、浅草には‘浅草寺’以外には行ったことが無かったが、浄土真宗・東本願寺・本山の境内にある‘浅草浄苑’に昨日下見に行ったことは、昨日のブログに書き記した。

さて、本日は、残念ながら好天ではなかったこともあって、12時からの儀式だったのだが、千葉県・茂原市から出向くので少し余裕を持って09:01外房線・本納駅発の電車に乗ったのである。

千葉駅には、30分後の09:31に到着。この電車の場合接続がよく、09:36発の総武線東京行き快速電車が千葉駅から発車する。そして、新日本橋駅には、10:12に到着するから、その後地下鉄・銀座線・三越前駅まで徒歩で5分。

三越前駅から浅草駅の一つ前の田原町駅まで電車で約10分、そして田原町駅から東本願寺まで、徒歩で約5分だから、10:40には、‘浅草浄苑’に到着という訳である。

我が家から本納駅までは、車で15分を見れば良いから、08:40分に我が家を出て、浅草浄苑まで‘2時間’という短時間で到着出来ることとなったのである。

九州からわざわざ実姉も出てきて呉れて納骨の儀式に参加してくれることとなった。

今後のこともあって、ここにその時の様子を記述しておきたい!

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2013年10月05日10:34 浄土真宗・東本願寺派・本山、東本願寺の正門に到着した時刻である。

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2013年10月05日10:34 正門。

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2013年10月05日10:36 本堂。

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2013年10月05日10:37 慈光殿 この4階に‘浅草浄苑’がある。

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2013年10月05日10:39 自宅出発から、2時間でこの場所に到着した!

この4階には色々な展示品がある。

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2013年10月05日10:39 

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2013年10月05日10:40

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2013年10月05日10:40

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2013年10月05日10:41

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2013年10月05日10:42

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2013年10月05日10:43 昭和皇后さまの短冊。

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2013年10月05日10:43

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2013年10月05日10:43
昭和天皇陛下の皇后さまは、良子とお書きして‘ながこ’と読む。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%99%E6%B7%B3%E7%9A%87%E5%90%8E
香淳皇后(こうじゅんこうごう、1903年(明治36年)3月6日 - 2000年(平成12年)6月16日)は、昭和天皇の皇后。名は良子(ながこ)、久邇宮家出身で、皇后となる以前の身位は女王。


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2013年10月05日10:43

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2013年10月05日10:43

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2013年10月05日10:44

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2013年10月05日10:44

浅草本願寺 024-2
2013年10月05日10:44

浅草本願寺 024-3
2013年10月05日10:44

浅草本願寺 033-2
2013年10月05日10:47

(つづく) 次回は、いよいよ‘改葬’の儀式!
[2013/10/05 23:27] | 先祖供養 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
お盆とお墓の清掃
お盆については、昨日(2013年08月13日)の弊ブログで‘触り’とその意義について述べた。

今日は、‘お墓の清掃’についてである。

私は、次男であるため‘自分のお墓は自分で創る’という事を何となく思っていた。

偶然が重なって、もう20年も前に‘自分のお墓’を持つようになった。その経緯は別の機会に譲るとして、千葉県・松戸市にある‘八柱霊園’にある。

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http://www2.ocn.ne.jp/~tsutaya/sub2-2.htm

上図の‘27’区画の一番右の区画が、我が家のお墓がある場所である。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9
%83%BD%E7%AB%8B%E5%85%AB%E6%9F%B1%E9%9C%8A%E5%9C%92

東京都立八柱霊園(とうきょうとりつやはしられいえん)は、千葉県松戸市田中新田にある東京都立の霊園。

概要[編集]

本霊園は1935年(昭和10年)に東京市が東方墓地として開設した。都市計画法に基づく都市施設名称は、東京都市計画墓園第5号八柱墓園として、東京都市計画区域外ながらも1944年に都市計画決定されている。面積は105ヘクタール(約1平方キロメートル)東京ドーム約20個分の面積に相当する。
周辺一帯は起伏に富んだ地形となっており、霊園も小高い丘とその谷間に造られている。なだらかな丘は芝生でおおわれ、谷間にはフランス風の幾何学模様の庭園がある。 700mの参道の両側にはケヤキ並木を有し、長方形の敷地の半分が墓所、残りは園路、植え込み地、広場などになっている。ほかに宝塔形の給水塔や噴水などがあり美しい景観を誇る。
近隣住民の遠足やウォーキングコースとして人気があり、都内近郊の公園としても親しまれている。
都立霊園は通常、申込時に一定要件を満たした東京都在住者に利用が限られるが、この霊園については立地に対する配慮として松戸市民に対しても利用枠が割り当てられている。園内には西條八十、嘉納治五郎、松山恵子などといった著名人の墓もある。

歴史[編集]

1935年(昭和10年)7月 - 東京市営の霊園として当時の千葉県東葛飾郡八柱村に設立。
1943年(昭和18年)7月 - 都制施行により東京市営霊園が東京都に引き継がれる。

埋葬されている主な著名人[編集]

嘉納治五郎(柔道家)
千葉さな子(千葉定吉の二女)[1]
レオニード・クロイツァー(ピアニスト・指揮者)
大村能章(作曲家)
山之口貘(詩人)
西條八十(詩人)
土門拳(写真家)
松山恵子(演歌歌手)


お墓の清掃のため、2013年08月14日、12:30頃、女性3名、男性4名合計7名の清掃班が到着した!

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この木の成長は早く、半年来ないと凄くデッカクなっている!

枝葉が、お隣さんの‘空間’に食み出してしまっている。これじゃあ、お隣さんは、不愉快に違いない!

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早速、枝葉の刈り取りから・・・。

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花立て洗って水を汲んで来る人、枝葉を刈る人、記録を残す人(この人が一番楽?)皆が一斉に動き始めた!

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ここでよそ様の様子を一寸覗いてみると・・・

まだ掃除にお出でになっていないところは、雑草が伸びている!

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一方、綺麗に掃除がされているお墓もある!

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うちも負けてはおれない!

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スマホで温度を聞くと「‘37℃’です」と言う! 暑い暑い!

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それでも段々綺麗になってきた!

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お隣様との境界線が重要!

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何回も‘ハサミ’で繰り返し切って行くと、手の感覚が無くなって来る!

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これは最後に、お墓の前に敷く‘石板材’!

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この‘のこぎり’は、休憩中!

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こんなゴミの集積場所を今年やっと創って呉れた!

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この八柱霊園のお墓の創り方は色々あって、この一帯は我々のお墓とは違う創りとなっている。

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さあ、段々終盤に差し掛かって来た・・・・

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この‘魂’の宣言がいい!

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境界線のところも上手く行きそうで・・・

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中2の孫の腕は‘汗だく’!

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高1の孫の背中も‘汗だく’!

こちらはすっかり涼しくなったようで・・・

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凍っていた飲み物も、50℃以上の御影石の上では、直ぐに解凍!

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境界線も完成!

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お墓の前に石の板材を敷いて・・・

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この水子地蔵さんの前もすっかり涼しくなった!

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お花を生けて、線香を焚けば、これで清掃の終わり!

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今度は暮れに参上します!

(つづく)
[2013/08/14 23:47] | 先祖供養 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
8月13日
一般的には、8月13日を‘お盆の入り’という。

例に漏れず、我が家でも子供達が家族を連れて帰って来てくれるから、大いに楽しい!

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E7%9B%86
お盆(おぼん)は、太陰太陽暦である和暦(天保暦など旧暦という)の7月15日を中心に日本で行なわれる、祖先の霊を祀る一連の行事。
一般に仏教の行事と認識されているが、仏教の教義で説明できない部分も多い。古神道における先祖供養の儀式や神事を、江戸幕府が庶民に強いた檀家制度により仏教式で行う事も強制し、仏教行事の「盂蘭盆」(うらぼん)が習合して現在の形が出来たとされる[1]。

由来[編集]

仏教用語の「盂蘭盆」の省略形として「盆」(一般に「お盆」)と呼ばれる。盆とは文字どおり、本来は霊に対する供物を置く容器を意味するため、供物を供え祀られる精霊の呼称となり、盂蘭盆と混同されて習合したともいう説もある。現在でも精霊をボンサマと呼ぶ地域がある。

盆の明確な起源は分かっていないが、1年に2度、初春と初秋の満月の日に祖先の霊が子孫のもとを訪れて交流する行事があった(1年が前半年と後半年の2年になっていた名残との説がある)が、初春のものが祖霊の年神として神格を強調されて正月の祭となり、初秋のものが盂蘭盆と習合して、仏教の行事として行なわれるようになったといわれている。日本では8世紀ごろには、夏に祖先供養を行うという風習が確立されたと考えられている。地方や、佛教の宗派により行事の形態は異なる。
また、お盆時期の地蔵菩薩の法会は「地蔵盆」と呼ばれ、(天道)大日如来のお盆は大日盆といわれる。
お盆は成句(イディオム)して使われることもある。「盆暮れ(ぼんくれ)」などと時季を指す言葉としての使用や、「盆と正月が一緒に来たよう」という"とても忙しいこと"または"喜ばしいことが重なること"のたとえ(慣用句)としての使用がそれである。



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久し振りに玄関の靴脱ぎが一杯になった! 孫たちの靴が一番大きい!

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駐車場も満杯!

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やはり田舎! 命尽きた昆虫にはもう蟻がたかっている!

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駐車場の奥には、小川がある。その‘岸壁’には・・・

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‘カニ’がいる!

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拡大!

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対岸にも・・・

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今年産まれたばかりのカニも・・・。

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二人の孫(高1と中2)が寝ている!

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高1の足は、28cm!

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中2は、26cm!

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玄関先に来た‘メスのカブト虫’!

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明日のお墓参りの‘花’も既に買ってある!

久し振りの‘大勢での乾杯’の味は、また格別だった!

(つづく)
[2013/08/13 22:17] | 先祖供養 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
家族全員でのお墓参り
昨日の8月14日、前日に集まった我が家の家族総計10名。長女夫婦+その息子2名。長男夫婦。そして次男夫婦。それにカミサンと私。

長男夫婦に飼われているワンちゃんが一匹同行してくれるので、この10名+1匹で、お墓の清掃とお参りをするのが、我が家のお盆の時期の習慣となっている。

お墓の場所は、千葉県・松戸市・八柱霊園。出発点は、我が家の存在する場所、千葉県・茂原市・千沢。

前日からの気象状況変化を見ていると、松戸市は14日に‘雷注意報’が出ている。9:00~15:00までは局所的に40~50mm/h の猛烈な雨だろうという。

じゃあ、と言う訳で、15:00頃到着の予定で、3台の車に分乗して13:00に出発した。お盆の真っ最中だから高速道路も混み合っているという予測である。

ところが実際には高速道路は思ったほどに混み合っていなくて、1時間20分で八柱霊園に到着した。予定より30分以上早い。

春のお彼岸以来だから、花は枯れ、草は茫々と言う訳である。

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画像ー33 019-2 posted by (C)mobaradesu

このお墓は、実は先祖代々のお墓ではなく、私が新たに作ったものだが、これには訳がある。

私は次男であるので、いずれは自分自身のお墓を作る積りでいた。

カミサンもそのことは了解していて、平成3年に東京都が公的に‘霊園’を分譲するために公募を行なった際に、倍率は100倍以上と言う予想だったが、応募したのである。

その当時、私は単身赴任の最中で、社宅のある東京都・国立市にはいなかった。そん訳で応募したことは私は知らなかったのである。

ところが、ところがである。倍率の高さをものともせず、初めて応募してその難関を突破して、松戸市の‘八柱霊園’の分譲の抽選に当たってしまったのである。

東京都にも決まりがあって、当選から3年以内に分譲地にお墓を建立しなければ、権利が剥奪されるという。

そんなこんながあって、平成4年9月に入る人もまだいないお墓を建てたという次第である。

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画像ー33 021-2 posted by (C)mobaradesu

それ以来、いろいろな経緯があって、今はカミサンの両親が仲良く入って呉れていて、我々夫婦が入るのを待ってくれている。

気温33℃、湿度80%位はあると思われる‘カンカン照り’の中で、先ずは剪定と掃除が始まった。

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人間ばかりで、足の踏み場もない。

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草ひき後の‘土固め’に同行のワンちゃんも協力してくれている。おおきに!

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新発見!カメの子たわしが‘水に浮いた!’しっかり沈むものと思っていたが・・・。

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炎天下の中での39分間の悪戦苦闘の結果、すっかり綺麗になった!孫二人のどちらも懸命にお墓を磨いて呉れた。39(サンキュウ)!

10人が一人一人手を合わせた。

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画像ー33 043 posted by (C)mobaradesu

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孫の背中が、一生懸命に頑張って呉れた事を証明している!

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これでお墓もすっきりしたし、我々の気持ちもすっきりした。仲良く眠っている義理の両親も少しは寝心地がよくなったのかもしれない。

また、暮れにはやって来ることを約束して帰路に着いた。

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画像ー33 066 posted by (C)mobaradesu

御苦労さん! ありがとう!














[2012/08/15 09:31] | 先祖供養 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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