fc2ブログ
近頃の演歌!(その1)
近頃の演歌!(その1)

私は、自分が‘音痴’であることを自覚しているが、音痴だからと言って感動する音楽がないかというと、そうではない!

ただし、いわゆる‘4,7抜き’の音階と言われる‘演歌’だけに、痛く感動する!
まあ、極端に言わせて貰えば、‘演歌’以外は雑音にしか聞こえないと言ってもいいほどである・・・。

ここのところ、そんな私の心に響く‘演歌’に出会わなかったが、とうとう10月になって素晴らしい演歌に出会ったのである!

それは、森昌子が、切々と歌う

‘心は悲(哀?)しいものですね’

という歌である!

これは、毎日夜寝ながら聞いている‘NHKラジオ深夜便’で、2曲ずつ3ヶ月毎に入れ替わる‘深夜便の歌’で10月から流れている曲である!

まあ、聴いて頂こう!


出典/https://www.youtube.com/watch?v=qMn9RtNjNEQ

作詞家・作曲家・歌手、この3者のいずれもが最高の出来栄えである!

歌に関して、昔から言われることは

「曲、つまりメロディーが大事なのか?それとも詞に重きがあるのか?」

という‘論争’(?)なのだが、それは一概に言えないが、我々のような凡人には‘メロディー’に重点が置かれているかのように思われてならなかった!

しかし、しかしである!

この深夜便の歌、「心は悲(哀?)しいものですね」を聴いていると、メロディーを‘従えた’文学作品になっていることが解る!

今は昔、かの正岡子規が‘俳句を純文学に昇華させる’努力をした結果、芭蕉依頼の俳句の品格が一段と増して、俳句の今日の繁栄があると思われる・・・。

作詞家・松井五郎さんには、何だか‘子規が乗移っている’とさえ思われる節がある!

この展開については、また後日ゆっくりと言及したいが、兎に角この作品は、‘別格’である!

続いて、新設コーナー!

「‘トリミング’拡大画像コーナー」(第4回)問題編

問題:次の画像は、一体何の一部でしょうか?

写真2枚、これがヒントになると思いま~す!

DSC_2460-4.jpg
DSC_2456-11.jpg

(つづく)
スポンサーサイト



[2015/10/31 23:56] | 文学と社会 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
JR電車の中の広告談義
Aさんは、数十年も昔からの私の友人なのだが、難関な或る有名な国立大学の文学部国文科を卒業されて或る国立研究所で約30年務められて最近千葉県茂原市へ引越しされてきた‘堅物’である。

そんなに頻繁にお会いする訳でもないが、先日千葉県のJR外房線で偶然出会った!

A:「最近のJR広告で気づいたことない?」

私:「えっ?どんな?」

A:「ほら、ほら、あそこの‘あれ’!」

と言って指さしたのが、これで・・・。

DSC_2500-2.jpg
DSC_2501-2.jpg

私:「これが、何か?」

A:「気付きません?」

私:「えっ!えっ?」

ということで、Aさんのご意見を聞くことになった。

Aさんの‘怒り’と言ってもいい「‘日本語の乱れ’にJRさんは気づいておられないのか、それとも積極的に日本語の気品を崩すお積りなのか?」というのである!

これは、これは、Aさんにとっても、ことは重大である!
生涯日本語の研究をされて来たといっても過言ではない程の方だから‘怒り’も相当のようだった!

A:「日本語の流れが‘七五調’で出来ていることはご存知でしょう!日本語は、七音、五音の場合にスムーズに聞こえ、心地よく理解されるんですよ!俳句や和歌がそれを物語っているはずです!」

私:「ええ、な~るほど。それで?」

A:「あの‘キャッチコピー’の表現を音の数で見てみて下さい!‘街ナカの(5)、コンビニでも(6)、スイカ(3)使えます(5) or スイカ使えます(8)’となっていて、5-6-3-5 or 5-6-8 となり、七五調とは無関係になっている!」

私:「じゃあ、どうすれば?」

A:「‘街ナカノ(5)コンビニで(5)、スイカなら(5)使えます(5)!’にすべきでしょう!」

私:「な~るほど!でも 5-5-5-5 ってことになりますよ?!」

A:「それは構いません!」

A:「そして、同じ画面でもう一箇所!」

私:「えっ?」

DSC_2501-3.jpg

A:「スイカならば(6)、スイスイ(4)お買い物(5)で、6-4-5、こりゃあまずい!また、スイカならば(6)、スイスイお買い物(9)でも、6-9 となって、やっぱりおかしい!!」

私:「じゃあ、どうすれば?」

A:「スイカなら(5)、スイスイスイと(7)お買い物(5)! 5-7-5 で俳句と同じ!どうです?」

私:「お見事!そして、お美事!」

A:「そして、そしてもう一つ!」

今度は別のCMである!
 
DSC_2515-2.jpg
DSC_2515-3.jpg

A:「どうして、こうなんだろう?!こちらは、五七調とは無関係なのだが ‘キミと 夏と 山形’よりも、‘キミと 夏と 山形’のように、山形の後にも‘と’を入れるべきでしょう! そうでなければ、‘キミと 夏 山形’にして欲しい!」

Aさんの‘怪気炎’は、まだまだ続いたのだが・・・。

恐らく‘今時の若いモン’の日本語の乱れについて彼に語らせれば、このブログの1年間分の‘ネタ’は充分にあると思われる!

こんなことに敏感な御仁がまだ居られることは悦ばしい!

(つづく)
[2014/08/21 23:48] | 文学と社会 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
帰ってきた‘シャーロック・ホームズ’!(その1)
帰ってきた‘シャーロック・ホームズ’!

NHKが、また「シャーロック・ホームズの冒険」の放映を開始してくれた!

<断りのない画像は全てNHK・TVの画面をカメラで撮影したものである>

画像ー231シャーロックホームズ 041-2

画像ー231シャーロックホームズ 065-3

何故、‘帰ってきた’とシャーロック・ホームズのタイトルの前に付けたかと言うと、‘ジェレミー・ブレット’が演じる「シャーロック・ホームズの冒険」にしか興味がないからである!

彼ほどこの役にぴったりの役者は、恐らく今後も現れることはないと言い切ってもいい!

画像ー231シャーロックホームズ 005-2

画像ー231シャーロックホームズ 004-2

画像ー231シャーロックホームズ 009-2

画像ー231シャーロックホームズ 026-2

画像ー231シャーロックホームズ 036-2

画像ー231シャーロックホームズ 037-2

画像ー231シャーロックホームズ 038-2

舞台の背景は、こうでなければならない!

画像ー231シャーロックホームズ 011-2

画像ー231シャーロックホームズ 018-2

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%
83%AC%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%96%
E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88

ジェレミー・ブレット(Jeremy Brett, 本名:Peter Jeremy William Huggins, 1933年11月3日 - 1995年9月12日) は、イギリスの俳優。

来歴・人物[編集]

生い立ち[編集]
イングランドのウォリックシャー州バークスウェルに、州地方長官の息子として生まれる。出生年月は諸説あり、1933年11月3日または12月3日に生まれたとされる。1935年に生まれたとの出典も存在する。
一族は食品会社キャドバリー社の経営者一族であったため、ブレットは恵まれた環境で育った。パブリック・スクールの名門イートン校に進むが、在学中はディスレクシアのために苦労したという。

舞台・映画での活動[編集]
セントラル・スクール・オブ・スピーチ・アンド・ドラマで演技を学び、1954年にマンチェスターで初舞台を踏む。俳優となったことでの家名の不名誉を避けるべしとの父の要求により、初めて着たスーツのラベルに書かれていた「Brett & Co.」という店名に因み「ジェレミー・ブレット」という芸名を名乗る。ナショナル・シアター・カンパニーに参加したこともあり、舞台出演が多い。1980年、舞台でジョン・H・ワトスンを演じたこともある(シャーロック・ホームズ役はチャールトン・ヘストン)。
1958年に女優のアンナ・マッセイ(俳優レイモンド・マッセイの娘)と結婚したが、1962年に離婚。マッセイによると、離婚の理由はバイセクシャルのブレットが男性と不倫したためだという。マッセイとの間に生まれた息子のデイヴィッド・ハギンズはイラストレーター兼小説家となった。
ブレットは1960年代から多くのテレビドラマにも出演した。1966年の『三銃士』や、ローレンス・オリヴィエがシャイロックを演じた1973年の『ヴェニスの商人』などが有名である。
また、1964年に出演した映画『マイ・フェア・レディ』では、オードリー・ヘップバーン演じる主人公に思いを寄せる若き貴族フレディを演じた。ちなみに、ブレット演じるフレディがイライザの住む家を見上げるシーンで、有名なナンバー「君住む街角」(On the Street Where You Live)が歌われている。
1969年の映画『女王陛下の007』ではジェームズ・ボンド役の候補に名前が挙がるが、結局ジョージ・レーゼンビーがボンド役を獲得した。また、『007 死ぬのは奴らだ』のオーディションも受けたが、結局ボンド役を得ることはなかった。
1969年から1976年まで俳優のゲイリー・ボンド(英語版)と交際する。1970年代後半にはポール・シナー(英語版)とも交際した。


画像ー231シャーロックホームズ 044-2

画像ー231シャーロックホームズ 046-2

画像ー231シャーロックホームズ 049-2

画像ー231シャーロックホームズ 053-2

画像ー231シャーロックホームズ 064-2

画像ー231シャーロックホームズ 065-2

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3
%82%A7%E3%83%AC%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%
BB%E3%83%96%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88

シャーロック・ホームズ[編集]
舞台や映画などで幅広く活動を展開したブレットだが、1984年より放映されたグラナダテレビ版(日本ではNHKで放映)の『シャーロック・ホームズの冒険』でのシャーロック・ホームズ役が特に有名である。

原作からイメージされるホームズの風貌や仕草、性格を完璧に体現し、これ以上のハマり役はいないと高く評価された。ブレットのホームズは史上最高であると高く評価されており、伝説のホームズ俳優であるウィリアム・ジレットや、英国のホームズファン協会の公認する唯一の俳優といわれたピーター・カッシング、数多くの映画でホームズを演じたベイジル・ラスボーンをも凌ぐとされる。アメリカ合衆国の著名な演劇評論家であるメル・ガッソウ(英語版)は「息を呑むほどの分析力、奇怪な変装術、落ち着いた雰囲気、複雑極まりない事件を解決するという熱意。ブレットこそは理想的なホームズである」とブレットのホームズ役を絶賛している。
1976年にはアメリカ人のプロデューサー、ジョアン・ウィルソンと再婚。1985年にウィルソンが癌で亡くなった後は再婚することはなかった。


(つづく)
[2014/06/06 23:49] | 文学と社会 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
芥川賞と直木賞
2013年01月16日、第148回芥川賞と直木賞 が決まった。

私の友人で、某大学名誉教授の‘Iさん’は、‘最年長の直木賞’を是非獲得(?)したいと頑張っている。私と同い年だから、今年74歳である。実は、このことは弊ブログ(2012年07月28日)に書いている。

自分で書いたブログを引用するのは何だか気が引けるが、以下の通りである。実は、直木賞という題目で彼の事を弊ブログに書かせて貰ったことをすっかり忘れてしまっていた!今回の芥川賞受賞の黒田夏子さんが、芥川賞では最年長記録という報道があったので、それでは直木賞の最年長は?と思って‘web’で調べてみたら、何と弊ブログが一番先に出て来たのである!これには少々驚いた(一寸、自慢  )という訳で‘久し振りに’その中身を読み返した。

直木賞の最年長者 - Google 検索0001-2

http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-219.html

直木賞

平成24年度上半期の‘芥川賞・直木賞’受賞者が決まった。

私の友人に大学の名誉教授で歌の上手い酒好きがいる。
彼の将来の夢は、この‘直木賞’を最年長で受賞することだそうである。彼は只今、満73歳。
最年長者は誰かと調べてみると以下の記事が見つかった。

この記事は、2010年4月28日付けの記事であるが、それ以降に高齢者がいたという報道は耳にしていないのでこの記事通り、68歳が直木賞受賞最高齢者ということになる。

それなら、彼にはもうとっくに資格がある。多分そう言うと彼は「ず~と最高齢者でいたいから、もう一寸後にしよう。今後74歳の人が出て来ないとも限らないから・・・」と言うに決まっている。

私にはそんな才能は無いので、「そんなに歳をとって書き始めても受賞出来るくらい簡単なのかなぁ~?」と言ったら叱られてしまった。彼の自尊心とやらを逆なでしたようだった。

彼は、建築学者である。‘ラーメン構造’がどうとか言うので、飲み終わったら‘ラーメン’を喰いたいと思っているのかと思ったら、そうではないらしい。


芥川賞・直木賞の選考は年に2回という事になっている。今回の第148回の受賞者は、報道の通りである。

画像ー77 027-2
2013年01月16日22:31(画像は、テレビ朝日のYV画面を‘デジカメ’で撮影。以下同様)

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130116/k10014847551000.html
第148回芥川賞と直木賞の選考会が16日夜、東京で開かれ、芥川賞に75歳の史上最高齢で候補になっていた黒田夏子さんの作品「abさんご」が選ばれました。また、直木賞には朝井リョウさんの「何者」と、安部龍太郎さんの「等伯」の2つの作品が選ばれました。



http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130116/k10014847551000.html
芥川賞・黒田夏子さんの「abさんご」

このうち芥川賞の受賞が決まった黒田夏子さんは東京都出身の75歳。
私立の中高一貫校で国語の教師を務めたあと、事務や校正の仕事を続けながら執筆活動を続け、去年、文芸誌の新人賞を受賞して注目を集めました。
芥川賞は今回が初めての候補で、75歳での受賞は史上最高齢です。受賞作の「abさんご」は、50代の親と思春期を迎えた子どもの親子2人の家庭に家政婦が雇われたことで、親子の大切な日常が失われていく様子や親子の愛情を描いた作品です。
戦前から戦後にかけて生きてきた黒田さんの自伝的な小説とも言われ、カタカナやかぎかっこを一切使わず、登場人物の名前や性別をあえて明らかにしないなど、特徴のある作風となっています。


画像ー77 013-2

画像ー77 015-2

画像ー77 016-2

画像ー77 020-2

ど素人の我々には、従来の小説形式でないという今回の「abさんご」は、その題名からして‘意味不明’であるし、TV画面で見る文章の内容を読んでみても‘何これ?!’の範疇である。内容も検討せずにあれこれ言うのは大変失礼でおこがましいが、読者は本当に‘感動する’のだろうか?いや、芥川賞の受賞基準に‘感動させる’という事が条件かどうかも知らないが・・・。

文学を絵画に例えることは、両方に失礼なのかもしれないが、この作品を絵画に例えさせて戴くなら、‘前衛絵画’か‘ピカソ’と言ったところだろうか?

‘町を離れる’が漢字で、‘がっこう’が、何故‘学校’ではないのだろうか?音声なら‘学校’は‘がっこう’で構わない!しかし、文章を‘眼と頭脳’で認識するという範疇から飛び出して、‘行間を読め!’と仰るのだろうか?

兎に角、‘読みづらい’事は確かである。なぜこうまでして‘気を引く’必要があるのだろうか?

そこで、芥川賞の今回の選考委員を調べてみた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%A5%E5%B7%9D
%E9%BE%8D%E4%B9%8B%E4%BB%8B%E8%B3%9E

選考委員は小川洋子、奥泉光、川上弘美、島田雅彦、高樹のぶ子、堀江敏幸、宮本輝、村上龍、山田詠美の9名(2012年上半期から)
因みに、
石原慎太郎 第114回(1995年) - 第146回(2012年)


今の選考委員の作品を読んだことがないために、どんな人達かも知らない。名前くらいは存じ上げている人もおられるが・・・。今後は、‘選考委員を誰が選考するのか’も問題にしなければならないのかもしれない。

また、もしも石原慎太郎氏が選考委員だったら、この「abさんご」をどう評価するだろうか?というのにも興味がある。

不可解な‘題名’で、読めば判るから‘読んでみろ!’というのであろうか?
それとも、私自身が‘もうとってもふる~い’人間になり下がってしまった証拠なのだろうか?

菊池寛が生きていたとすれば、どう評価するだろうか? ましてや、芥川龍之介が読んだとしたら??

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130116/k10014847551000.html
直木賞(平成生まれで初)・朝井リョウさんの「何者」

直木賞の受賞が決まった朝井リョウさんは、平成元年生まれの23歳。
平成生まれでは初めての直木賞の受賞者となりました。
朝井さんは岐阜県垂井町の出身で、早稲田大学の学生だった平成21年に書いたデビュー作「桐島、部活やめるってよ」で文芸誌の新人賞を受賞し、その後も若者たちの日常を等身大に描いた青春小説で人気を集めています。
去年からは都内の企業で働きながら作家活動を続けています。
直木賞は、今回、2度目の候補で受賞となりました。
受賞作の「何者」は、就職活動中の大学生たちが抱える心の闇を描いた作品です。
表向きは友人どうしが協力して、それぞれの思いをツイッターで発信する一方で、実は互いに本心を深読みし、不安を抱えながら前に進もうとする若者たちの姿を朝井さん自身の経験などを基に丁寧に描いています。


画像ー77 029-2

画像ー77 025-2
勿論、題名を聞いて中身が判る訳ではないが、それなりの想像はつく。その想像と作者の意図のずれがその作品の‘評価’となるのである。彼はきっと我々老人の察知できない‘若者の姿’を提供してくれるに違いない。これは‘買ってみたい’と思われる作品であろう。彼が、直木賞の最年少だそうだ。


http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130116/k10014847551000.html
直木賞・安部龍太郎さんの「等伯」

また、同じく直木賞の受賞が決まった安部龍太郎さんは福岡県八女市出身の57歳。
大田区役所で図書館司書などを務めたあと、平成2年に歴史小説「血の日本史」でデビューし、その後も「天馬、翔ける」など数多くの作品を発表してます。
直木賞は、2度目の候補で受賞となりました。
受賞作の「等伯」は、安土桃山時代に活躍した絵師、長谷川等伯の生涯を描いた歴史小説です。
家族の死や裏切りなど、戦乱の中で次々と襲いかかる悲劇を乗り越え、「松林図屏風」で等伯がたどり着いた心の境地やそれを支え続けた家族愛を丁寧に描いています。


画像ー77 023-2

画像ー77 022-2
等伯研究者は数多いるに違いないが、その人間性への挑戦は、歴史的事実も確実に咀嚼しておかねばならないからこの一冊を書き上げられるには、誰でも良い通常の主人公ではないだけに、人並み以上の努力が必要だったに違いない!これだけでも評価に値する!是非読んでみたい。
[2013/01/18 00:00] | 文学と社会 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
| ホーム |
designated by FC2