歌舞伎座で、歌舞伎を見たことがない!
外人はみんな不思議がる。日本人ならみんな誰でも一年に一度くらいは歌舞伎を見ていると思っているからだ。 昔は、日本人ならみんな‘柔道’や‘空手’の達人と思っていたことと同じである。 歌舞伎は、一つの外題を通しで見たことなどない。 名場面だけをTVで見るだけである。 或いは、梨園の稽古の苦しさ・素晴しさを‘ドキュメンタリー’等で見るだけである。 でも一度くらいは、‘本物’を見てみたいという‘願望’は持っている! 2013年12月12日、忘年会が銀座であると言うので参加することとなった。 忘年会なんて、ここ2,3年やったことがない! 18:00からというのに、ここ千葉県茂原市に住んでいると、どうしても電車の遅延やその他のことを考慮して1時間以上のゆとりを持って家を出る習慣が見に付いてしまっている。これは勿論‘歳の所為’でもあるのだろう。 そん訳で、新装なった歌舞伎座を見てみようと思い立ったのである。 歌舞伎座に到着したのは、17:20頃であった。30分は十分見れる! ![]() 2013年12月12日17:24 空はスッキリと晴れ、上弦過ぎの月が懸かっていた! ![]() 拡大してみた。 ![]() 更に・・・。 ![]() ‘歌舞伎座’の大垂れ幕。此の垂れ幕の色はこの色に決まっているのだろうか? ![]() ![]() ![]() 歌舞伎座の色を見てみると、上の大垂れ幕の色は別として、‘白’、‘赤’、‘黒’の3色である。これは役者さんの色の3色と同じなのだろう! ![]() http://ameblo.jp/koto8888/day-20120201.html やはり3色で出来ている! ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() http://ichie-inc.blog.so-net.ne.jp/2013-04-15 これが昼間の歌舞伎座 ![]() http://ichie-inc.blog.so-net.ne.jp/2013-04-15 ![]() http://ichie-inc.blog.so-net.ne.jp/2013-04-15 歌舞伎座の紋章は、‘鳳凰丸’
![]() 17:34 今回は、ほんの数十分、夜の歌舞伎座を外から見ただけ。でも何だか純日本風な雰囲気が歌舞伎座の周りには漂っていた! 気が落ち着くと同時に高貴な文化に触れた感じがした! 戻って来た銀座4丁目の交差点は、廻りもリニューアル化され、流石に気品に溢れていた! さあ、これから何年か振りの‘忘年会’! (つづく) スポンサーサイト
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昨日は、‘切られ与三郎’の墓についての記事だった。この与三郎のモデルは、今年の1月1日から市へ昇格した大網白里市の出身である。そして、‘お富さん’のモデルが我が市・茂原の出身という訳である。ここまでは、昨日の弊ブログに、その詳細を書いておいた。
‘切られ与三郎’の墓は、これは‘拝み墓’なのだが、東金市の最福寺境内にあり、与三郎のモデルとなった‘中村大吉’の生まれ故郷が大網白里市で、‘お富さん’のモデル‘きちさん’の生まれ故郷が我が市・茂原であるという訳である。地図上の位置関係は、以下の通りである。 ![]() ‘Google’マップ。ピンク色で囲まれたところが、2013年01月01日に市となった大網白里市。その北側が東金市で、南側が茂原市である。 さあ、それで、肝心の‘お富さん’の墓が見つからない!
そこで、この上の文献にある「別格山天妙国寺」のHPを見てみると以下の情報が載せられている。 ![]() ![]() 顕本法華宗・鳳凰山天妙国寺は、弘安8年(1285年)に、日蓮大聖人の直弟子である天目上人により創建されました。堂宇建立の時、天より鳳凰の羽が舞い下りてきところから山号を「鳳凰山」と名づけ、また、本宗所依の経典である『妙法蓮華経』により国家安穏を祈る精舎として寺号を「妙国寺」と名づけましたが、現在は天妙国寺と改称しています。 http://tenmyokokuji.jp/history/index.html 境内施設のご案内 ![]() ![]()
このすぐ上の写真の右側のお墓が与三郎とお富さんのお墓だという! ![]() ![]() 一つ上の写真のトリミング拡大。正面の文字は、明確には判らない! TVドラマ「科捜研の女」や「相棒」に出て来るPC処理のようには、現実は上手くは行かないのである! 勿論特別誂えのソフトがあれば出来るのかも??
こうなった以上は、次に東京へ出る際に時間を作って天妙国寺へ出かけて行きこのお墓の写真を撮影してお二人の‘戒名’をハッキリさせたい! (つづく) |
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