緊急無責任井戸端会議(怪疑?)<その3>(その2)
緊急無責任井戸端会議(怪疑?)<その3>(その2)

大塚家具事件!

<出席者>

Aさん(75歳):怪しい何でも評論家
Bさん(81歳):馬鹿な芸術熱中老人
Cさん(73歳):千葉県・茂原市出身の自称経済学者
Dさん(68歳):駄目な元政治評論家

Dさん:「Cさんの前によ、Aさん、あんたが‘緊急井戸端会議’って言うもんだから、また‘ドイツのLCC航空会社事件’か、又は‘沖縄辺野古事件’かな?と思ったけんど、笑わしちゃァいけね~、‘大塚家具事件’かよ?」

Aさん:「まあ、そういいなさんな!さっきは‘何か解決策は?’って言ってたジャン?」

Dさん:「そうねぇ~、こんな下らん事件にも‘人生’があるのかもネ?」

Bさん:「俺だって、多少は下らんことやってんが、これほどじゃあね~な!」

Cさん:「やっぱ、事件ですたい、これ!」

Aさん:「解決策は?って言ったって、単なる親娘喧嘩を真剣に考えてやる奴がいるのかねぇ?」

Cさん:「おれは、この事件、実は俺たち世間を‘たぶらかしてる’んじゃねえの?と思ってるんだけんど・・」

Bさん:「えっ?えっ?何それ?」

Cさん:「親娘共同謀議で、マスコミを使って自社の宣伝をやってんじゃぁね~の?ってこと!」

Aさん:「な~るほど、面白れ~!」

Dさん:「俺もその意見、賛成!」

Bさん:「あっ、そうか!あれだけ経営方針が違うのなら、本当の解決策は‘会社を二つに割って’社員だって自分の思う方針の方に行きゃ良いじゃんよ!」

Aさん:「それをしないで、世間様に大事件のように見せかけたってことか!?」

Cさん:「あれだけマスコミが騒いで‘只(ロハ)で’大宣伝をして貰った!ってことよ・・・」

Bさん:「多分、宣伝費数億円を・・・」

Cさん:「きっと見ててご覧よ!親父の方が‘新会社’を作って、今度こういうことになりまして・・ってことに!半年後以内に!」

Cさん以外:「すげえ!すげ~!TVに出ておられる評論家様やコメンテーター様の皆様方にもっとも簡単な解決策である‘二社に分割’というアドバイスをした御仁が一人もいないってこと!そりゃぁみんな騙されるよね~!?」

<以下の画像は、全て日本テレビのTV画面をカメラで撮影したのもである>

画像ー290 大塚家具骨肉の争い 010-2
画像ー290 大塚家具骨肉の争い 012-2
画像ー290 大塚家具骨肉の争い 013-2
画像ー290 大塚家具骨肉の争い 014-2
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画像ー290 大塚家具骨肉の争い 022-2
画像ー290 大塚家具骨肉の争い 023-2
画像ー290 大塚家具骨肉の争い 024-2
画像ー290 大塚家具骨肉の争い 025-2
画像ー290 大塚家具骨肉の争い 027-2
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画像ー290 大塚家具骨肉の争い 029-2
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画像ー290 大塚家具骨肉の争い 043-2
画像ー290 大塚家具骨肉の争い 045-2
画像ー290 大塚家具骨肉の争い 051-2
画像ー290 大塚家具骨肉の争い 055-2
画像ー290 大塚家具骨肉の争い 059-2
画像ー290 大塚家具骨肉の争い 060-2
画像ー290 大塚家具骨肉の争い 061-2
画像ー290 大塚家具骨肉の争い 065-2
画像ー290 大塚家具骨肉の争い 066-2

さて、さて、一体この事件の真相は?

半年後迄に、元会長は、どんな手を打ってくるのだろうか?
以上に述べた‘Cさんの予測’通りのことだったら、赦し難い!

(つづく)
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[2015/03/30 23:50] | ビジネスと経済 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
緊急無責任井戸端会議(怪疑?)<その3>(その1)
緊急無責任井戸端会議(怪疑?)<その3>(その1)

大塚家具事件!

<出席者>

Aさん(75歳):怪しい何でも評論家
Bさん(81歳):馬鹿な芸術熱中老人
Cさん(73歳):千葉県・茂原市出身の自称経済学者
Dさん(68歳):駄目な元政治評論家

Aさん:「おい、おい、やっぱりまだ解決しないなァ~、大塚家具事件!」

Bさん:「まあ、株主総会で一応の解決はあったじゃァねぇ~か!?」

Cさん:「Bさん、やっぱあんた芸術家じゃな!これ、資本主義の大事件たい!」

Dさん:「うん、うん、なんか解決策はないもんかの~!」

大塚家具事件!

この親娘の意地の張り同士の茶番劇は、Cさんの仰る通り、自由がというより我儘が罷り通る資本家のエゴを顕にしてもいいと思ってしまった厚顔無恥人種のお粗末さを物語っている!

以後徹底した討論を現役をほとんど引退した自称自信家の4人に無責任な評論をして貰う事にした!

<以後の画像は、全て日本テレビのTV画面をカメラで撮影したものである>

画像ー290 大塚家具骨肉の争い 002-2
画像ー290 大塚家具骨肉の争い 003-2
画像ー290 大塚家具骨肉の争い 005-2
画像ー290 大塚家具骨肉の争い 006-2
画像ー290 大塚家具骨肉の争い 007-2
画像ー290 大塚家具骨肉の争い 010-2
画像ー290 大塚家具骨肉の争い 012-2
画像ー290 大塚家具骨肉の争い 013-2
画像ー290 大塚家具骨肉の争い 014-2
画像ー290 大塚家具骨肉の争い 008-2

Aさん:「この状況を見て、どうですか? 始めにCさんから・・」

もっと知恵者はいないのか?

(つづく)
[2015/03/29 23:15] | ビジネスと経済 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
香港の超高層ビル高さランキングベスト10!(その4)
香港の超高層ビル高さランキングベスト10!(その4)

古い言い方で申し訳ないが、我々のように70歳以上の者にとっては、‘超高層ビル’というより‘摩天楼’と言った方が何となく‘心が篭っていて夢がある’ような気がする!

以下の表に、香港の摩天楼・高さランキングベスト10が纏められている。

香港の超高層ビル高さランキングベスト10!0001-2
出典/http://bb-building.net/project/hongkong.html

<第1位>から<第3位>までは、私がそれとは知らずに撮った写真を掲載させてもらったが、残念ながら香港島には長時間いなかったこともあって、<第4位>から<第9位>までの写真は撮影していなかったようである。これらは、是非上記の出典のアドレスをクリックして頂ければ、画像を見ることが出来るので・・・。

しかし、<第10位>は、確実に撮影していたのである!

<第10位> 名鑄 高さ257m

http://www.wakoproperty.com.hk/uat/p-photo.php?name=The%20Masterpiece
名鑄 ザ・マスターピースThe Masterpiece

九龍サイドの最も繁華な尖沙咀にファミリー向け豪華高級マンション!比較的築の浅いマンションは当エリアは単身向けの間取りが多い中、名鑄 The Masterpiece(ザ・マスターピース)は1タイプを除き全て1,123sqft.~と広い間取りで取り揃えていてファミリーにはもってこいのマンションです。KCR尖沙咀東駅徒歩すぐで中国方面への中国出張便利ご出張が多い方には最適です。数少ない単身向け間取りも約842sqft.でゆったりとした1ベッドルームタイプです。


画像ー268 香港 019-2
画像ー268 香港 022-2
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画像ー270年末&香港2 023-2
画像ー270年末&香港2 089-2
画像ー270年末&香港2 089-3

(つづく)
[2015/01/30 00:02] | ビジネスと経済 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
香港の超高層ビル高さランキングベスト10!(その3)
香港の超高層ビル高さランキングベスト10!(その3)

香港の摩天楼の凄さは、聞いてはいたが、行って見てやっぱり驚いた!
正に‘ニョキ、ニョキ’という表現が適切かもしれない!
以下の表が、その高さランキングベスト10である。

香港の超高層ビル高さランキングベスト10!0001-2
出典/http://bb-building.net/project/hongkong.html

<第3位> 中環廣場 374

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%8
8%E3%83%A9%E3%83%AB%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%B6

セントラルプラザ(英語:Central Plaza、中国語(繁体字):中環廣場)とは、香港(中華人民共和国・香港特別行政区)の香港島北部にある湾仔 (Wan Chai) 地区に位置する超高層ビルのことである。完成当時(1992年8月)から1996年までは、アジアで最も高い超高層ビルであった。現在(2010年12月)でも世界で15番目の高さを誇っている。

概要[編集]
セントラルプラザは、香港島北部の湾仔地区に建設され、1992年に完成した。現在の湾仔地区のヴィクトリア湾沿いに広がる区域は全てが埋立地であり、新しく造成されたものである。湾仔地区は山側から古い街区(街市)が広がり、何本か通じる東西の大通りを境に街の年代が異なっている。セントラルプラザはこの先端に位置し、香港でも新都心として開発された比較的新しい土地に建っている。セントラルプラザは香港の大手不動産会社である新鴻基地産 (San Hung Kai Properties) などの手により、テナントオフィスビルとして建築された。

2003年に中環 (Central) 地区に建てられた国際金融中心・第二期(Two International Finance Centre:415.8m)が完成するまで、高さ374mで地上78階を有するセントラルプラザは香港で最も高い超高層ビルであった。

また1996年に中華人民共和国、広東省の深圳市中心部にある信興廣場 (Shun Hing Square) に建てられた地王大厦 (384.0m) が完成するまで、アジアで最も高さのある超高層ビルでもあった。構造部では1998年、マレーシアのクアラルンプールにペトロナスツインタワーが完成するまで、鉄骨鉄筋コンクリート(SRC構造)の超高層ビルとしては世界で最も高い建物であった。

現在でも香港を象徴するビルのひとつであり、また非常な高さゆえ、ヴィクトリア湾を挟んだ対岸の九龍(Kowloon)地区からも望む事が出来る。

建物の最上階には教会があり、世界で最も高い場所にある教会となっている。香港最大の展示施設である、香港会議展覧中心 (Hong Kong Convention & Exhibition Centre) とも隣接し、近隣の建物とは概ねペデストリアンデッキによって繋がっている。

夜間にはライトアップが施され、建物頂部の尖塔には時間ごとに変化するイルミネーションが点る。展望施設は設置されていないが、46階がエレベーターの乗り換え用フロア(スカイロビー)となっており、一般の人でもそこから景色を眺めることができる。


画像ー268 香港 100-2
画像ー268 香港 160-2
画像ー270年末&香港2 035-2
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画像ー270年末&香港2 182-2
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やはり、目立つビルだから、色々な場所から撮影した!
撮った際には、このビルが香港超高層ビル高さランキング第3位とは知らなかった!

ビルの構成というか、設計というかは知らないが、シンメトリー?でもなさそうなので、角度が違えば別のビル?ってナことになりそうだが、天辺の様子で解かる!

(つづく)
[2015/01/29 00:42] | ビジネスと経済 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
香港の超高層ビル高さランキング・ベスト10!(その2)
香港の超高層ビル高さランキング・ベスト10!(その2)

香港摩天楼の高さランキング・ベスト10は、次の通りだという!

香港の超高層ビル高さランキングベスト10!0001-2
出典/http://bb-building.net/project/hongkong.html

第1位については、昨日ご紹介した。

<第2位> 国際金融中心・第二期 415m

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E9%87%91%E
8%9E%8D%E4%B8%AD%E5%BF%83_(%E9%A6%99%E6%B8%AF)

国際金融中心(こくさいきんゆうちゅうしん)とは、香港の香港島北部、中西区の中環地区に位置する、複合施設の名称である。 駅舎やオフィス、ショッピングモール、ホテル、映画館などで構成される。
英語名では『International Finance Centre』、中国語(繁体字)名では『國際金融中心』と表記、また英語表記の頭文字を取って『IFC』と略される。
中でもこの複合施設における建築の 『国際金融中心・第二期』 (Two IFC)は地上415.8mの高さを持ち、香港で環球貿易広場に次いで高く、世界で9番目の高さを誇る超高層ビルである。



画像ー270年末&香港2 042-3
画像ー270年末&香港2 084-3
画像ー270年末&香港2 083-3

東京の霞ヶ関ビルが、147mというから、このビル415mは、2.8倍!流石に高い!

(つづく)
[2015/01/28 09:05] | ビジネスと経済 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
香港の超高層ビル高さランキング・ベスト10!(その1)
香港の超高層ビル高さランキング・ベスト10!(その1)

香港には、何故超高層ビルが多いのか?

いろいろの説があるらしいが、①地震が少ない!②ビジネスのメッカなのに敷地面積が少ない!③のっぽビルがのっぽビルを呼ぶ!

理由はそんなところらしい。
400mを越えているビルもあるらしいから、傍に近寄って眺めてみると、首が痛くなる!
ただし、まだベスト10のビルに入ったことはない・・・。

以下が、NETで調べた文献

http://bb-building.net/project/hongkong.html
【香港の摩天楼】超高層ビル高さランキングTOP10! - OSAKAビル景
bb-building.net/project/hongkong.html‎キャッシュやってきました香港!(…といっても2012年の訪問ですが) わずかな平地に高さ200m
を超えるビルが林立する世界に冠たる摩天楼都市です。 数百棟はある超高層ビルの中
から高さ順に10棟をピックアップしてご紹介します。 ※2015年時点で順位に変動はない


に書かれているベスト10を以下の表に纏めてみた!

香港の超高層ビル高さランキングベスト10!0001-2
出典/http://bb-building.net/project/hongkong.html

この表からだけでは、超高層ビルの高さは判っても、そのビルの様子が判らない!
したがって、出典のアドレスをクリックして貰えば、それぞれのビルについての‘解説’つきの‘画像’が見れる。

私が実際に香港で撮影してきた写真には、1位、2位、3位のビルと10位のビルが写っていたので、そのご紹介をしておきたい。そのほかの4位~9位のビルの様子は、出典をクリックしていただきたい。

<第1位> 環境貿易廣場 484m

http://www.47news.jp/CN/201103/CN2011033001001292.html
世界一高い場所のホテル 香港、490mビル最上層
最上層部に高級ホテルグループのリッツ・カールトンが開業した超高層ビル、環球貿易広場=30日、香港(共同)
 【香港共同】世界屈指の高さを誇る香港の超高層ビル、環球貿易広場(490メートル)の最上層部に29日、高級ホテルグループのリッツ・カールトンが開業した。102階からビル最上階の118階に312部屋が入り、「世界一高い場所にあるホテル」とアピールしている。
 ビルは九竜半島南部に位置し、香港島の夜景が望める好立地。最高級の部屋は1泊10万香港ドル(約107万円)という。
 ただ香港メディアによると、中国・上海で2014年に完成予定の121階建てビル(高さ632メートル)には、別のホテルが84~110階に入り新たな「世界一」となる見通し。2011/03/31 00:33 【共同通信】 


画像ー270年末&香港2 080-2
画像ー270年末&香港2 092-3
画像ー270年末&香港2 092-4
流石に、500m近い巨大ビルは、堂々たる風格である!
手前に写っている豪華客船・処女星号である。

処女星号
出典/http://www.geocities.jp/minoufuzei/ajian/ajiankuru.html
この‘処女星号’の全長は、268m だそうだから、ビルの‘長さ?’の方が長~い!

上3枚の写真は、香港島側から見た環境貿易廣場であるが、下の写真は、九龍地区の陸上からの写真である!

画像ー268 香港 249-2

そこいらの高いビルも何だか小さく見える!

(つづく)
[2015/01/26 00:00] | ビジネスと経済 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
香港歩き記(その5)
2014年も本日で終わり!

この記事も今日で書き収めなのであるが、それが‘香港歩き記(その5)’となってしまった。

実は、今後も香港と付き合う羽目になってしまいそうだから、来年の書き始めも香港かも知れない!
香港にはご承知の通り、日本企業が沢山ある。
中でも、食文化は、お馴染みの‘すし’を中心とした日本企業(中国企業かもしれない?)が数多く進出している!

今年最後の紹介は、ご存知‘吉野家’さん!

われわれと打ち合わせをする企業が入っている九龍地区の‘半島広場’ビルへ歩きで行く途中に見つけていたのが、牛丼の吉野家さんである。

吉野家さんは、日本でも2,3度しか行った事がないので、本当の吉野家さんの‘牛丼の味’を云々する立場にはないが、果たして、香港の九龍地区の‘吉野家’さんの牛丼のお味は?

画像ー268 香港 040-2
画像ー268 香港 040-3

これが、前以て紹介していた香港・カオルーン(九龍)地区の‘吉野家’さんである!
まだ、12時を回ってはいなかったから、お客さんも少なかった!

聞くところによると、香港の官庁や会社は、お昼休みが、12:30~13:30だそうだから、12時前と言えば一般のお客さんか観光客なのだろう!

兎に角、中に入ってみた。

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画像ー268 香港 068-2
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2セットで、81香港ドル(1ドル:約16円、ほぼ元と同じらしい)だから、1セット:40.5ドル=648円也!
半熟卵と味噌汁がついてである。

そんなに安くはないが、高くもない!

お茶もお水も出てこなかった。セルフサービスでもないみたいだった・・・。

画像ー268 香港 069-2
画像ー268 香港 070-2

「牛丼の味の評価は?」
「そうですね、中の下ってところかな!」
「えっ?!」
「香港人味にしてあるみたいで・・」
「そう・・・?」

画像ー268 香港 071-2
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お店の外を通っていた子供達の表情と仕草画面白かった!

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画像ー268 香港 073-4

‘じゃんけん’なのだろうか?

画像ー268 香港 074-2
画像ー268 香港 074-3

窓・ウインドウ越しに見えるお店は、川魚の料理店なのだろうか?
漢字を余り信じてもいけない!
何しろ‘手紙’が、‘トイレットペーパー’の国だから・・・。

来年もよろしく・・・・・!

(つづく)
[2014/12/31 17:15] | ビジネスと経済 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
香港歩き記(その4)
香港は、金融ビジネスでは世界一位、二位、三位の中に入ると言われる。
まあ、我々には余り関係がないのだが、そんな雰囲気は判る!

巨大なビルが、にょきにょきと建っている。
我々が滞在したカオルーン(九龍)地区は、金融ビジネスの中心地ではないからそんなに高いビルはないのだが、ホテルとショッピングの中心地らしい。

ただし、われわれの製造業に関係のある事業所は、このカオルーン地区にある。
そんな訳で、ホテルから事業所のある‘半島広場’(peninsular square)へ歩きでやって来たという訳。

画像ー268 香港 043-2
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画像ー268 香港 045-3
この半島広場には旅行会社が入っていると見えて、バス旅行の人達が集まっていた。

画像ー268 香港 046-2
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画像ー268 香港 049-2

裏手へ回ってみることにした。
この付近には巨大なマンションが沢山あった!

画像ー268 香港 053-2
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画像ー268 香港 059-2
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香港で、日本企業の看板を見つけるとやはり何となく誇らしく感じるのは日本人なら誰でもそうなのだろう!

画像ー268 香港 060-2
半島広場に別れを告げて、お昼を食べに‘吉野家’さんに向かった!
その途中に見たのはやはり、‘香港!’と言いたい南国の美しい‘花’である!

画像ー268 香港 064-2
画像ー268 香港 064-3
画像ー268 香港 065-2

(つづく)
[2014/12/28 00:01] | ビジネスと経済 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
香港歩き記(その3)
2014年12月の香港は、寒い訳ではないが、そんなに‘暑い?’訳でもなかった!
何もしなければ、上着を着ていて丁度いいし、少し歩き回れば上着は取った方がいいという丁度良い気温だった。
最低気温が、13℃程度で最高気温が21℃位だったから、過ごし良かった。

我々は、後日の打ち合わせに備えて九龍地区のホテルからやはり九龍地区の打ち合わせ会社が入っている‘半島広場’というビルまで歩いて行って見ることにした。

片道およそ40分、約2.5kmの距離である。

直ぐに目に付いたのは、お馴染みの‘お船’の格好が売り物の‘Whampoa’,この中には,昔は‘ジャスコ’が,今は‘イオン’が入っている!

画像ー268 香港 033-2
画像ー268 香港 034-2

異国情緒の中で,‘イオン’の看板を見るとやはり懐かしい!
12月に入ると香港も‘クリスマスムード’らしいから、子供さん達もその気になっている、というより親御さんがその気になっている!

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画像ー268 香港 036-3
画像ー268 香港 037-2

しかし、香港はまだまだ発展しそうな雰囲気丸出しで、行くところ行くところ工事中だらけ!
ここで活躍するのは、日本製の作業機械!

画像ー268 香港 039-2

そんな訳で、町中騒音だらけである!

画像ー268 香港 035-2

そして、しばらく歩くと目に留まったのが、‘吉野家’さんである!

画像ー268 香港 040-2
画像ー268 香港 040-3

お昼はここに決めた!
果たして香港の吉野家さんの牛丼のお味は?

さあ、目的の半島広場ビルが見えてきた!

画像ー268 香港 041-2
画像ー268 香港 041-3

これが、‘半島広場’ビルである!

スマホのお陰で、全く迷わずに目的地に着くことが出来た!

(つづく)
[2014/12/27 18:35] | ビジネスと経済 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
香港歩き記(その2)
香港歩き記(その2)

香港は、緯度からいうと沖縄や台湾よりも南にあるから12月と言えど勿論コートなど要るはずがない。

i_hongkong_map.jpg
http://www.jp-bank.japanpost.jp/kojin/tukau
/kaigai/sokin/kj_tk_kg_sk_hongkong.html


2014年12月09日10時過ぎから歩き始めた!
明日以降打ち合わせをする半島広場へ向かって・・・。
カオルーン・シャングリラホテルの直ぐ傍にあるリーガル・カオルーンホテルから!

画像ー268 香港 012-2
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流石に香港である。こんな花があちこちに咲いている。

画像ー268 香港 028-2
ごった返している九龍地区だが、こんなに静かな通りもあったりして・・・

画像ー268 香港 029-2
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画像ー268 香港 032-2
おっと、画面の左隅に見える看板!?
拡大してみると、なななんと‘板長’という回転すし屋さんじゃぁ、あっりませんか!

画像ー268 香港 032-3

(つづく)
[2014/12/24 00:20] | ビジネスと経済 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
香港歩き記(その1)
香港歩き記(その1)

発音しにくいタイトルで申し訳ない!
2014年12月8日~12日、所用があって香港に滞在した。

観光で香港に立ち寄ったことは何度かあったが、長期間?香港に滞在したことはこれまでなかったから、初めてといえば初めてである。

香港が、何故‘金融都市’と言われるのか?、また‘観光都市’と言われるのか?
この疑問は、たった4,5日の滞在でも何だか少し判った様な気がした。

兎に角、どこも‘人だらけ’であり、‘車だらけ’であり、さらに‘高層ビルだらけ’であり、‘工事中だらけ’である!
これを一言で言うと「‘活気’に満ち溢れている!」という表現しかない、と思った。

相手会社との打ち合わせの時間帯を掻い潜って、香港の九龍地区を歩き回ったので、そのほんの少しを書いてみることにした。

滞在したホテルは、‘カオルーン・シャングリラ’ホテルの傍の‘リーガル・カオルーン’ホテル。
お金があれば、シャングリラに泊まりたいのは山々だが、香港の超一流のホテルは高い!一泊4万5千円では、我々には手が届かない!

12月8日は、キャセイパシフィックの成田出発10:35が約45分も遅れて出発したため、ホテルに到着したのは17時(現地時間)を回っていた。

翌朝、打ち合わせの会社が入っている半島広場まで徒歩で行ってみることにした。打ち合わせは、10日以降。
2014年12月09日10:20 天気:晴れ、気温:19℃

画像ー268 香港 007-2
これが、リーガル・カオルーンホテルである。

画像ー268 香港 008-2
同行者の‘Oさん’もカメラで記録しておられる。

画像ー268 香港 009-2
対岸が香港島。やはり、例のスモッグの影響なのか?いいお天気なのにはっきりせず、日本の春先みたいに‘霞’が懸かっている!
霞は‘水滴’なのだが、果たしてこれは、霞なのかスモッグなのか?

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日本のスマホがここで威力を発揮した!
目的地の半島広場まで、‘35分’、‘2.6km’という表示が出た!
そして、行く経路をリードしてくれる!

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さあ、出発である!

(つづく)
[2014/12/23 00:00] | ビジネスと経済 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
東京・丸の内仲通りのオブジェ(その2)
東京・丸の内仲通りのオブジェ(その2)

仲通り
青線の部分が‘丸の内仲通り’

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B8%E3%81%A
E%E5%86%85%E4%BB%B2%E9%80%9A%E3%82%8A

丸の内仲通り(まるのうちなかどおり)は東京都千代田区の通りの一つである。
晴海通りから永代通りまでを結び、日比谷通りに並行しているが、晴海通りから行幸通りまでは北方向への一方通行となり、さらに現在では行幸通りの中が廃道となり通り抜けられなくなっている。
通りの両側に街路樹が施され、冬にはイルミネーションされる。沿道には三菱グループ各社のビルが立ち並び、「三菱村」と称される。


兎に角、街が‘垢抜け’している!
この様な雰囲気は、これまでの‘銀座通り’にも無かった(と思う)。
それに、銀座に比べて‘人通りが少ない’ことが、皮肉にも‘上品さ’や‘高級感’を漂わせると言うのも不思議である!

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それに、詳細は知らないが、‘不思議な看板’も謎めいていて大変いい!
‘パリ’にある‘昔の英国’が東京にある!と言うのだから面白いではないか!

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兎に角、この通りには、多分‘決り’があって、横文字にしなければならないのだろう!
日本語は、そのお店の‘ロゴ’くらいのものである。
それがまたなんとも言えぬ雰囲気を醸し出しているのである。

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黙って此処に連れて来られたら、多分「パリ?」と言いかねない雰囲気がある。

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我々のような貧乏人は、直ぐに「これで採算が合うのだろうか?」などと品の無い推測をしがちだが、どっこい、此処へお店を出すような経営者は、充分に利益が上がり過ぎている人達だから、この通りに店を構えても、この店で‘稼ぐ’などとはお考え遊ばしてはおられないに違いない!

活気に溢れていないところが、上品さの象徴なのだろうか?
そして、そんなところだから、‘オブジェ’がきっと似合うのだろう!

(つづく)
[2014/04/30 01:45] | ビジネスと経済 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
東京・丸の内仲通りのオブジェ
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東京・丸の内仲通り

が、注目されている!

その前に‘千代田区’のマークについて

上の写真をご覧下頂きたい!丸の内仲通りという文字の上にあるマークが‘千代田区’のマークである。

http://library.kodaira.ed.jp/local/tkk/tkk30/tkk30_04.html
昭和(しょうわ)25年(ねん)3月(がつ)26日(にち)制定(せいてい)。
千代田(ちよだ)の「千」の字(じ)を飛(と)ぶ鶴(つる)の姿(すがた)にかたどり、さらにこれを「よ」の字(じ)に似(に)せ、全体(ぜんたい)を「田」と読(よ)んで、千代田(ちよだ)区(く)をあらわす。


そして、‘丸の内’という名前の由来は?

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/
q1311457363;_ylt=A2RAEEhog1tTcTsAqAFzAPR7?pos=1&ccode=ofv

お城のある場所を「丸」と呼びます。
お城には、本丸(城主が住むところ)、二の丸(親近者が住むところ)、三の丸(家臣が住むところ)がありました。
yahooの古地図で見ると、現在の東京丸の内は内堀と外堀の間に挟まれた「江戸城の三の『丸の内』側」であることがわかります。
http://map.yahoo.co.jp/kochizu/maptop?lat=35.6751091353046&lon=139..


さて、さて、名前の由来やマークの意味は、また議論するとして、本日のご紹介は、ここのところ注目されているのが、丸の内仲通りの整備(?)である!

<丸の内・仲通り>は、下図の青線の通りが仲通である。

仲通り

① 日本で一番センスのある上品な通りになった!
② 高級感溢れている!
③ これまでの日本には無かった通りになったから、何だか‘ヨーロッパに来た!’という感じがする。
④ 通りが、美術館になっている!

早速、歩いてみよう!

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オブジェに花篭、日本にも新しく、美しく、上品な通りの出現である!

(つづく)
[2014/04/28 00:32] | ビジネスと経済 | トラックバック(1) | コメント(0) | page top
この頃の東京・日本橋界隈 (その3)
日本に最初に銀行を創ったのは、渋沢栄一である。ただし、その最初の銀行は、現在の‘日本銀行’ではなく、‘第一国立銀行’である。更に‘ただし’であるが、この‘第一国立銀行’は、民間の銀行で、現在の‘みずほ銀行’である。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1192954641
渋沢栄一の第一国立銀行というのは国立と言う意味ではありません。国立銀行法という法律に基づいた銀行という意味です。ですから全くの民間の銀行です。一番最初だったから第一です。この法律に基づいた銀行が次々と創られましたが登録順に百五十三銀行まで創られました。
松方正義の日本銀行は日本銀行法に基づく国の中央銀行です。これが現在の日本銀行です。



渋沢栄一銅像
‘Google’マップ 上図のが渋沢栄一銅像

日本東京都千代田区東京駅 - Google マップ-10001
‘Google’マップ この画面の上部・中央右よりの建物が日本銀行。日銀の南側の建物は、ご承知の通り、‘円’の文字となっている。

日本東京都千代田区東京駅 - Google マップ-30001
‘Google’マップ 上図の拡大。丁度中央に渋沢栄一の銅像が見える。

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2014年03月24日 ‘スマホ’で撮影。

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次の画像の方が見易いかも?

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http://kobacho-niwaijiri.at.webry.info/201110/article_16.html

読みほぐして見ると、多分以下の通り。(旧文字がない場合は、現文字で)
<縦書きから、横書きで申し訳ない!>

青淵渋澤榮一翁は 天保十一年埼玉縣
の農家に生れたが時勢に激して志士と
なり 後転じて幕臣となって 慶應三
年欧州に赴き民主主義自由主義を知
る機会を得た 帰朝後大蔵省に仕官し
て諸制度の改革に當ったが 明治六年
退官し 同年創立された第一國立銀行
の頭取となり 爾来産業経済の指導育
生に任じ開興した会社五百 常に道徳
経済合一主義を唱えて終生之を實践し
我が國運の發展に偉大貢献をした
また 東京市養育院等社会事業の助成
一橋大学日本女子大学等實業及び女子
教育の育成 協調会等による労使の協
調 日華日米親善等世界平和の促進
道徳風激振作のために九十二歳の高齢
に達するまで尽力し 昭和六年十一月
十一日逝去した
翁の歿後 財界有力者によりその遺徳
顕彰の目的で設立された渋澤青淵翁記
念会が 昭和八年此処に銅像を建立し
たが 第二次世界大戦中金属供出のた
めに撤去された 然るにこのたび 銅
像再建の声が盛り上り各界の有志によ
つて 再び朝倉文夫氏に製作を依嘱し
旧位置にこの銅像を建て 東京都に寄
附したのである
 昭和三十年十一月
     渋澤青淵記念財團龍門社

そして、渋沢栄一という人の概要は、次の文献でも、日本の経済発展の父とも言うべきだということがよ~く判る!

‘銀行’というシステムを日本に導入したのは、彼がフランスへ行った時に‘スエズ運河’の大規模工事を見た際に思い立ったことだったという!

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%8B%E6%B2%A2%E6%A0%84%E4%B8%80
渋沢 栄一(しぶさわ えいいち、天保11年2月13日(1840年3月16日) - 昭和6年(1931年)11月11日)は、江戸時代末期(幕末)から大正初期にかけての日本の武士(幕臣)、官僚、実業家。第一国立銀行や東京証券取引所などといった多種多様な企業の設立・経営に関わり、日本資本主義の父といわれる。理化学研究所の創設者でもある。
正二位勲一等子爵。雅号に青淵(せいえん)。

経歴[編集]

生い立ち[編集]

天保11年(1840年)2月13日、武蔵国榛沢郡血洗島村(現埼玉県深谷市血洗島)に父・市郎右衛門、母・エイの長男として生まれた。幼名は栄二郎[1]。のちに、栄一郎、篤太夫、篤太郎。渋沢成一郎は従兄。
渋沢家は藍玉の製造販売と養蚕を兼営し米、麦、野菜の生産も手がける豪農だった。原料の買い入れと販売を担うため、一般的な農家と異なり、常に算盤をはじく商業的な才覚が求められた。市三郎も父と共に信州や上州まで藍を売り歩き、藍葉を仕入れる作業も行った。14歳の時からは単身で藍葉の仕入れに出かけるようになり、この時の経験がヨーロッパ時代の経済システムを吸収しやすい素地を作り出し、後の現実的な合理主義思想につながったといわれる。
徳川慶喜の家臣・幕臣として[編集]
一方で5歳の頃より父から読書を授けられ、7歳の時には従兄の尾高惇忠の許に通い、四書五経や『日本外史』を学ぶ。剣術は、大川平兵衛より神道無念流を学んだ。19歳の時(1858年)には惇忠の妹・尾高千代と結婚、名を栄一郎と改めるが、文久元年(1861年)に江戸に出て海保漁村の門下生となる。また北辰一刀流の千葉栄次郎の道場(お玉が池の千葉道場)に入門し、剣術修行の傍ら勤皇志士と交友を結ぶ。その影響から文久3年(1863年)に尊皇攘夷の思想に目覚め、高崎城を乗っ取って武器を奪い、横浜を焼き討ちにしたのち長州と連携して幕府を倒すという計画をたてる。しかし、惇忠の弟・長七郎の懸命な説得により中止する。
親族に累が及ばぬよう父より勘当を受けた体裁を取って京都に上るが、八月十八日の政変直後で勤皇派が凋落した京都での志士活動に行き詰まり、江戸遊学の折より交際のあった一橋家家臣・平岡円四郎の推挙により一橋慶喜に仕えることになる。仕官中は一橋家領内を巡回し、農兵の募集に携わる。
主君の慶喜が将軍となったのに伴い幕臣となり、パリで行われる万国博覧会に将軍の名代として出席する慶喜の弟・徳川昭武の随員として御勘定格陸軍付調役の肩書を得て、フランスへと渡航する。パリ万博を視察したほか、ヨーロッパ各国を訪問する昭武に随行する。各地で先進的な産業・軍備を実見すると共に、将校と商人が対等に交わる社会を見て感銘を受ける。ちなみにこの時に彼に語学を教えたのは、シーボルトの長男で通訳として同行していたアレクサンダーである。帰国後もその交友は続き、アレクサンダーは弟のハインリッヒと共に後に明治政府に勤めた渋沢に対して日本赤十字社設立など度々協力をするようになる。なお フランス滞在中に、御勘定格陸軍付調役から外国奉行支配調役となり、その後開成所奉行支配調役に転じている。[2]
パリ万博とヨーロッパ各国訪問を終えた後、昭武はパリに留学するものの、大政奉還に伴い、慶応4年(1868年)5月には新政府から帰国を命じられ、9月4日(1868年10月19日)にマルセイユから帰国の途につき、同年11月3日(12月16日)に横浜港に帰国した。

大蔵省出仕〜実業家時代[編集]

大蔵省時代
帰国後は静岡に謹慎していた慶喜と面会し、静岡藩より出仕することを命ぜられるも慶喜より「これからはお前の道を行きなさい」との言葉を拝受し、フランスで学んだ株式会社制度を実践するため、及び新政府からの拝借金返済の為、明治2年(1869年)1月、静岡にて商法会所を設立するが、大隈重信に説得され、10月に大蔵省に入省する。大蔵官僚として民部省改正掛(当時、民部省と大蔵省は事実上統合されていた)を率いて改革案の企画立案を行ったり、度量衡の制定や国立銀行条例制定に携わる。しかし、予算編成を巡って、大久保利通や大隈重信と対立し、明治6年(1873年)に井上馨と共に退官した。
退官後間もなく、官僚時代に設立を指導していた第一国立銀行(第一銀行、第一勧業銀行を経て、現:みずほ銀行)の頭取に就任し、以後は実業界に身を置く。また、第一国立銀行だけでなく、七十七国立銀行など多くの地方銀行設立を指導した。
第一国立銀行ほか、東京瓦斯、東京海上火災保険、王子製紙(現王子製紙・日本製紙)、田園都市(現東急電鉄)、秩父セメント(現太平洋セメント)、帝国ホテル、秩父鉄道、京阪電気鉄道、東京証券取引所、キリンビール、サッポロビール、東洋紡績など、多種多様の企業の設立に関わり、その数は500以上といわれている。
若い頃は頑迷なナショナリストだったが、「外人土地所有禁止法」(1912年)に見られる日本移民排斥運動などで日米関係が悪化した際には、対日理解促進のためにアメリカの報道機関へ日本のニュースを送る通信社を立案、成功はしなかったが、これが現在の時事通信社と共同通信社の起源となった。
渋沢が三井高福・岩崎弥太郎・安田善次郎・住友友純・古河市兵衛・大倉喜八郎などといった他の明治の財閥創始者と大きく異なる点は、「渋沢財閥」を作らなかったことにある。「私利を追わず公益を図る」との考えを、生涯に亘って貫き通し、後継者の敬三にもこれを固く戒めた。また、他の財閥当主が軒並み男爵どまりなのに対し、渋沢一人は子爵を授かっているのも、そうした公共への奉仕が早くから評価されていたためである。
なお、渋沢は財界引退後に「渋沢同族株式会社」を創設し、これを中心とする企業群が後に「渋沢財閥」と呼ばれたこともあって、他の実業家と何ら変わらないのではないかとの評価もある。しかし、これはあくまでも死後の財産争いを防止するために便宜的に持株会社化したもので、渋沢同族株式会社の保有する株は会社の株の2割以下、ほとんどの場合は数パーセントにも満たないものだった。


「商業銀行」創立の発想の原点が、次の文献で判る!

http://d.hatena.ne.jp/shins2m+tenka/20130407/p1
慶応2年(1866年)、14代将軍家茂が21歳の若さで亡くなると、当時、30歳の一橋慶喜が徳川宗家を継ぐことになり、15代将軍徳川慶喜となりました。翌年、慶喜の実弟で、後に最後の水戸藩主となる徳川昭武が、将軍慶喜の名代としてパリ万国博覧会に派遣されます。このとき、慶喜に仕えていた渋沢は、昭武のお供を命ぜられ、57日間かけてフランスへ渡ることになる。これが渋沢と「会社」の出会いをもたらすのです。
スエズ運河で、フランスの会社が建設作業を行なっていました。
それを見た渋沢は、大勢の人間からカネを集めて「会社という仕組み」をつくれば、個人ではできない大きな事業も運営できることを知ったのです。

また渋沢は、パリで1人の銀行家に会います。そしてこの銀行家から「多くの人々から集めた資金を賢い経営者に貸し、大きな事業をさせれば、儲けた利益がみんなに還元される。結果として国も豊かになり栄える」という話を聞いて驚きました。事業を起こすためには会社が必要ですが、その会社に大きな仕事をさせるためには、みんなからカネを集めて会社に貸す「商業銀行」という仕組みが必要であることを教えられたのです。


現在の‘商業銀行’が、優良産業にばかりに資金を貸し、これから成長するかもしれない事業には一円たりとも資金を融通しない現状を渋沢栄一氏が知られたら、どう感じられるだろうか?

今の日本の銀行が、日本の成長に力を貸すのが主旨ではなく、己の銀行の地位を伸ばすためにのみ汲々としているという本末転倒の動きを嘆いているのは我々だけではあるまい!

渋沢先生、もう一度生き返って来られて、日本の経済を建て直して下さい!

(つづく)
[2014/03/31 07:59] | ビジネスと経済 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
同窓会とスカイツリー
2013年10月16日。この日は、半年も前から企画されていた学校の同窓会の日であった!
元々産まれが九州人という人が90%を占める学校の同窓会なのだが、卒業が昭和39年だから、既に49年が経っている。

昭和39年に故郷を離れて、全国に散らばったと言う事は、故郷で生活をした期間よりもそれ以外の場所で生活した期間の方が長いことは当然として、70歳も半ばに差し掛かっている訳であるから、それぞれ自宅を構えてからだって、既に1/4世紀を越している人ばかりである。

そんな訳で、もう随分前から、故郷の九州と‘縁’が切れてしまっている人も多い。

さて、その同窓会の日、10月16日、会場は色々な意見を総合して幹事が東京は墨田区の或る‘割烹屋’さんに決めた。勿論、昨年5月に開業した‘スカイツリー’も場所決定の動機の中に入っている。

多分に‘この世の見納め’の一つに‘スカイツリー’を入れておきたいと思う人が多いのではないかという幹事役の配慮でもあったのだろう。みんなこの提案に賛成した!勿論九州に残った人もいるのだが、全国から集まるのには、交通の便等も考慮すれば、それは東京がいい。

ところが、ご承知の通り、10月16日は、関東地方は、数日前から台風26号が吹き荒れて、当日は飛行機は勿論飛ばないことも、交通機関の乱れも数日前から予測出来たのである!

実は、今回の‘あっぱれ幹事殿’は、技術屋として超一流大手企業に就職していたのだが、そんな幹事役をこなしていたとしか思えない‘鮮やかさ’で、割烹屋さんと‘予備日交渉’をしていたのである。
「16日が駄目になった時は、30日に」!何とこの交渉成立のお蔭で、無駄に諸経費を払わなくて済んだのである!

「‘あっぱれ’をあげて下さい!」 みんな同じ気持ちだった。

という訳で、2013年10月30日 は、晴天に恵まれ、スカイツリーも微笑んで呉れた記念すべき同窓会と相成ったのである。

卒業生の数は、約25名。その内‘7人が物故者’というから、残りの約18名の内、天皇陛下ご主催の‘秋の園遊会’のリハーサルがあると言う事で一人が抜ける。そん訳で、約18人中10人が出席という事になった。何故‘約’というかというと、落第して一学年下がった御仁や一学年上から落第して一緒になった御仁の‘入り乱れ’で、必ずしも昭和39年に卒業した人達ばかりではないからである。

集合時刻は、12:30。

私は、少し早めに自宅を出て、朝の‘スカイツリー’を撮影しておこうと思ったのである。この日は、数日前から東京は、季節外れの‘寒気’に襲われていたのだが、その前の日から急に気温が上昇して、晩夏を想わせる陽気となった。

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錦糸町駅付近の錦糸公園から見た‘スカイツリー’。

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錦糸公園内では、この陽気に乗じて‘花見’ならぬ‘芝生遊び’のためなのだろう親子連れが見られた。

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こちらもそうである。

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これは、JR錦糸町駅から、約10分程四つ目通りを歩いてスカイツリーがよく見える場所からの画像である。

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我々の会場は、この春日通りを約1.5km西に向かって歩いたところにある‘割烹屋’さんである。

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春日通りを歩き始めたとろろで、面白い被写体が・・・。TVのアンテナに乗っかっている!

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これは多分、春日通りで一番よくスカイツリーが見えるスポットに違いない!

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これが‘割烹屋’さんの入り口。

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洒落た上り階段が付いている。

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宴会座敷の入り口。

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置き物も、スッキリと。

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まだ、料理は出ていない。

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2013年10月30日12:43 顔に自信のある奴はいないから、PCで少し暗くして・・。これが生き延びて来た同期の桜である!その数10名。勿論私も入っている!右後ろには、スカイツリーが・・。

さあ、これから宴会が・・・。

(つづく)
[2013/11/17 23:57] | ビジネスと経済 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
マツコの知らない世界(その3):カジノの世界。そして日本では?
先日の‘マツコの知らない世界’(TBS・TV)にはがっかりした。(弊ブログ<12/13>:マツコの知らない世界(その2):団地の世界 http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-360.html

それだけに、今回の‘カジノの世界’は大いに期待していたし、結果としては多少物足りないものの、まあ満足であった。

そもそも私が‘カジノ’に興味があるのは、この弊ブログでも何度か取り上げさせて貰ったように、‘日本にカジノを創るべき’派 であるからである。


① 拝啓千葉県知事・森田健作様(その2)<2012年03月15日> ( http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-87.html

② 幕張カジノ<2012年04月02日>( http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-103.html

③ いよいよ‘カジノ’が・・・。<2012年05月09日> ( http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-132.html


さてさて、私の‘カジノ設置賛成派論’は、上記 ①、②、③ の資料を後から見て頂くとして、今週のカジノの様子をど~ぞ!

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今週の‘先生’は、大岩根成悦氏である。知られざる‘カジノディーラー’らしい。

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どんな動機かは定かでないが、多分日本にも近々カジノが出来るだろうという思惑から「日本カジノスクール」を2004年に作ってしまったという。

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従って、職業は‘日本カジノスクール校長’先生である。

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2004年から8年間、毎年50人のディーラーを卒業させてきたために、今現在400人ものディーラーを抱えているという。

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切っ掛けは、飛鳥でバイト(?)で、ディーラーをやったというが真相は?

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書かれている通り、日本には‘3年以内にカジノが出来る’らしい!

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やはり、石原暴走老人が前々から言っていた通り、その経済効果は凄いらしい。

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ディーラーの給与は、年間1,000万円というから凄~い!

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400人もの卒業生がいるが、現在日本人のディーラーは、わずか‘100人’しかいない。世界中には数十万人だというのに・・・。

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日本国内の立候補地は、今のところ16ヶ箇所。そこなら、という場所もあるが、何でそんなところに?と首を傾げたくなるようなところも・・・。

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日本人が知らないカジノの雰囲気とは?
セキュリティにおいては、カジノが一番。何せ世界で最も安全(?)と言われている東京よりも安全らしい。確かに私が一昨年ラスベガスへ行った時にも、セキュリティについては、通常の海外旅行と同じ程度というよりむしろ国内旅行並みの注意事項しかなかったような気がする。

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収益の多いカジノはどこ?

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カジノの経済効果は、上記の通り、もの凄いが、その効果を齎すのはやはり収益である。収益3大カジノは画像の通り。先般の弊ブログにも書かせて貰った通り、ラスベガスが世界一ではない! ただし、この収益はカジノの分だけである。ラスベガスが凄いのは、後述もするが、世界中のカジノ近辺に滅多にない‘ショウビジネス’である。そして、グランドキャニオン。

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こんなショウが毎晩何十か所ものホテルや劇場で開かれている。この写真は実際に一昨年ラスベガスへ行った時に撮影したものである。

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カジノだけの収益世界一は、今のところ‘マカオ’である。マカオにも一昨々年行ったことがある。

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http://www.kabegami.com/shashin-bu/C00201/show/id/PHOT000000000000684F/

さて、日本の最初のカジノの場所は?

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お台場の何処なのだろうか?

いよいよ、対決が始まった!

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これで今回の‘カジノ’編はおわり!



<付録> ラスベガス&カジノ&グランドキャニオン

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モンテカルロ リゾート アンド カジノ (トリップアドバイザー提供)
一昨年泊まったホテル・モンテカルロ

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モンテカルロ リゾート アンド カジノ (トリップアドバイザー提供)
モンテカルロのロビー

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モンテカルロ リゾート アンド カジノ (トリップアドバイザー提供)
部屋からの眺め

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モンテカルロ リゾート アンド カジノ (トリップアドバイザー提供)
これも部屋からの眺め。真下にプールがある。

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モンテカルロ リゾート アンド カジノ (トリップアドバイザー提供)
このプールで泳いだ。(10月 )

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モンテカルロ リゾート アンド カジノ (トリップアドバイザー提供)
勿論、ホテルの中には、高級ブティックがあって、高価なものばかり。カジノで勝った人達が買って行くのだろう。

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モンテカルロ リゾート アンド カジノ (トリップアドバイザー提供)
カジノの中は撮影禁止になっている!

ラスベガス スロット
http://blog.goo.ne.jp/sekai-kikoh-2007/e/1de38b106592cfdad5a7caa98db480e9
やはりスロット・マシーンが大部分を占めている。

ラスベガスの噴水
http://la-pan.com/?p=2862
これが有名な噴水!何百種類もの水の芸術は最大の見ものの中の筆頭!

ラスベガスのカジノ
http://pinklady.cocolog-nifty.com/lasvegas/2008/05/post_59bb.html
外人の‘おのぼりさん’、はしゃぎ方も大きい!

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http://a27.jp/
皆が賭けている。その中に、毎日でもないだろうが‘プロ’らしき人がいる。日本で言えば‘パチプロ’に当たる人だろうか?その人が賭けたところに賭けると案外大当たりすることがある。これ、私の発見!


一夜明けて、次の日、今度は‘ショウ’を見に行くことになった。

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ホテルを出るところ。

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ショウの場所はどこ?

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通りのアーケードの天井では、映像が目まぐるしく変わる。大音響とともに・・。

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さて、ショウが始まった。(前出)

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騎馬戦である。

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太鼓隊が打ち鳴らす!うるさ過ぎて隣りの人と話も出来ない!


さて、次の日はラスベガスから小型バスでグランドキャニオンへ

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朝まだ夜明け前に出発!車の到着をホテル前で待っているところ。

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携帯で自分を撮っている人がいる。

グランドキャニオン
http://www.ab-road.net/sekaiisan/grand-canyon/index.html

ラスベガスの良さは、近所と言っても何百kmのあるのだが、グランドキャニオンがあることが魅力の大きな一つになっている。

日本でのカジノ開設で諸外国から観光客を呼ぶのに必要なことは、ラスベガスのように‘巨大な’世界中が知っている‘観光名所’との抱き合わせであろう。そして、盛りだくさんの‘ショウ’であるが、‘歌舞伎’がその役目を担ってくれるであろうか?そうなって来ると、さ~て日本での第一候補地は、果たして何処??

(つづく)


[2012/12/22 02:00] | ビジネスと経済 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
徒然草第117段:物くるる友
一昨日【2012年11月26日】夕刻、予想だにしなかった(失礼!)大量の‘渋柿’が届いた!

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段ボール箱に、い~杯!それも‘二段重ね’である!

に~い、し~い、ろ~く!、一段で20っ個以上あるから、2段で約50っ個! 正に大量である!

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‘親子’というか‘夫婦(めおと)’というか、枝続きの二つ、これも送って呉れた大親友‘K.Tさん’の計らいである。

今から吊るすと正月には丁度いい塩梅になるに違いない。

早速、お礼のメールと電話をした。

K.Tさんが現在住んでおられるのは横浜市・磯子区である。御自宅にお伺いしたことは無いから、御自宅に柿の木があるかどうかは存じ上げないが、磯子区と言えば‘大都会’であるから、多分御自宅の敷地内には柿の木は無いのだろうと思った。

クッションに使ってある‘新聞紙’をみて、はは~ん、御実家だなと思った。それはこの新聞が「山梨日日新聞」だったからである。そしてもう一つ驚いたことがある。

それは、この新聞の‘日付け’である。ナナ、何と・・・・、

新聞-2

11月6日である。これはK.Tさんには余り意味の無い日付けであるが、我々夫婦にとっては記念日なのである!

そう、‘結婚記念日’なのである! 

それに因んで、‘めおと柿’とは!

徒然草の‘第117段’(これも日付の‘116’の次!)には、吉田兼好が次のように書いている。


http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/knowledge/japan/tsuredure034.html
‘徒然草’

第117段:友とするに悪き者、七つあり。一つには、高く、やんごとなき人。二つには、若き人。三つには、病なく、身強き人。四つには、酒を好む人。五つには、たけく、勇める兵。六つには、虚言する人。七つには、欲深き人。

よき友、三つあり。一つには、物くるる友。二つには医師。三つには、知恵ある友。


K.Tさんは、正に‘よき友’である。

然るに、私は、人に贈り物はしないし、残念ながら医者でもない。まして、知恵なんぞ持ち合わせがない!そして、そして、‘病なく、身強き人’なのである。

兼好法師的に言えば、私は、最も‘悪しき者’であって、尚且つ‘よき友’の三つにも入っていない輩である。

でも、私は常に‘健康でなければ、ご奉仕が出来ない!つまり‘健康奉仕’とはこのことだと言って‘兼好法師’様を‘駄洒落’に使わせて貰っている。

それでは、ついでにで‘申し訳ない’( =孟子は毛ない、孟子は禿げていたのだろうか?)が,その‘徒然草’の‘第116段’には何が書かれているのだろうか?これは、結婚記念日の‘116’なのに、今まで調べていなかった。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/knowledge/japan/tsuredure034.html
‘徒然草’

第116段:寺院の号、さらぬ万の物にも、名を付くる事、昔の人は、少しも求めず、ただ、ありのままに、やすく付けけるなり。この比は、深く案じ、才覚をあらはさんとしたるやうに聞ゆる、いとむつかし。人の名も、目慣れぬ文字を付かんとする、益なき事なり。

何事も、珍らしき事を求め、異説を好むは、浅才の人の必ずある事なりとぞ。

[現代語訳]

寺の名前やその他の物でも、名を付ける事を昔の人は少しも欲張らずに(こだわらずに)、ただ、ありのままに気安くつけたものだ。最近は、深く考え込んで、自分の才覚を表そうとでもするかのように聞こえる名が多くて、とても煩わしい。人の名前も、見慣れぬ文字を使おうとするのは、(読みにくいだけで)無益なことである。

何事でも、珍しい事を求めて、奇抜なものを好むのは、浅はかな才知を持つ人が必ずやる事だと言われている。


子供の名前になかなか読めない文字を或いは読みにくい漢字を付けられた先輩がおられたので、‘どうしてまた?’と聞いたことがある。‘一度聞いたらなかなか忘れられないという<特権>がある’という答えが返ってきたことを覚えているが、鎌倉時代にだってこんなことがあったというのは面白い。


さて、K.Tさんにお礼の電話した際に伺ったのだが、今年は‘柿(渋も)の当たり年’だそうで、山梨の御実家に2本の‘渋柿’の木があり、およそ‘1,000個’の収穫があったそうである。

鈴なりの柿
http://blogs.yahoo.co.jp/yamato2863/55147597.html

K.Tさん御夫婦二人で‘処理’をされたそうである。

相当に大きな木に違いない!一本で何と500個である。

それにしても、第一、高い梢から‘もぎ取る’のが大変である。

次のような計算が成り立つ。

もぎ取るのに掛かる時間:道具を使っても一個に平均5分(移動も考えて)とすれば、これだけで

5分 × 1,000 = 5,000分 ≒ 83時間

もしも手慣れておられて3分であった場合、

3分 × 1,000 = 3,000分 = 50時間 = 一日5時間(これ重労働)働いても、10日間である。

それに、枝の部分を吊るせるように‘加工’するのに、一個当たり3分だとすると、それに約‘10日間’、いやいや合計何と‘20日間’にもなってしまう!

大変安い見積もりで申し訳ないが、時給1,000円だとすると、

1,000円/h× 100h = 100,000円

一個の値段にすると、

もぎ取り3分、加工3分、合計6分だから、
1,000円/60分 ×6分/個 = 100円/個

別に言い方をすれば、100時間で10,000円の経費で、1,000個だから、1個当たり100円の人件費である。

これは、作業に掛かった費用(コスト)である。柿そのものの価格を50円/個とすれば、原価だけで150円/個となり、利益及び運送費を入れると、200円/個くらいがいい値であろう。

多分今の‘デフレ’状態では、この値段では買い手が付かないに違いない。

やはり、店頭に‘渋柿’は並んでいない理由の一つはこの辺にあるのかもしれない!

そして、農家の方が‘柿’をもがないでそのままにしてある理由も何となく判ったような気がして来た。



<K.Tさんへ>

K.Tさん、本当に有難うございました。

‘来年もよろしくお願い致します。’等とメールには書いてしまいましたが、もう結構でございますので、お身体を大切に!

もしもおよろしければ、こちらから出向いて言っても結構ですが、それも何かと御迷惑でしょうから、無理にとは申しません。

本当にこの度はご苦労様でした。お聞きしましたところ、H.NさんとM.Uさんにもお送りされた由、その他の方々もあったのでしょう!本当に大変でしたね!

ごゆっくりご休養を!奥様へもよろしくお伝え下さい。

有難うございました。

(つづく)

今後の状況を次々と写真入りで報告の予定。












[2012/11/28 02:57] | ビジネスと経済 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
自然エネルギー買い取りの検証
2012年7月1日から‘自然エネルギー’の買い取り が実施される事になった。
7月1日の朝日新聞は次のように伝えている。

朝日新聞7月1日
朝日新聞の記事(7月1日・朝刊)

そして、肝心な‘買い取り価格’は、次の通りである。

朝日新聞7月1日0001-2
同上・買い取り価格

一方、電力会社の‘電力料金’は、以下の通りになっている。

東京電力の電力料金表0001
http://www.tepco.co.jp/e-rates/index-j.html
東京電力の電力料金表

中国電力の電力料金表
http://www.energia.co.jp/online/hayami.html
中国電力の電力料金表

ここで注目すべきは、‘深夜電力料金’と‘業務用電力料金’である。

東電の‘深夜電力料金’は、上の引用資料から、

 深夜電力B (低圧供給):1kWh につき 9円17銭
 第2深夜電力(低圧供給):1kWh につき 8円22銭

と読み取れる。

一方、中国電力の資料からは、

 業務用TOU・夜間時間 :1kWH につき 9円23銭

と読み取れる。

これは、基本料金は別だから、実際にはもう少し支払い料金は増えるはずであるが、大量に使えば、大雑把に言って、また概略計算が容易なために、業務用であれ深夜電力であれ、

  1kWh : 10円

と思っていれば、そう大幅に計算は、ずれない。


さて、自然エネルギーの固定買い取り価格で、朝日新聞の資料から、高価の順に並べれば、

  ① 風力の20kW 未満 : 57.75円 /kWh

  ② 太陽光       : 42.00円 /kWh

③ 地熱の1.5万kW未満 : 42.00円 /kWh

④ バイオマス
    (汚泥などをガス化) : 40.95円 /kWh

  ⑤

  ・・・・・・・・・・

となっている。

ここでは、②の太陽光発電の場合の、買い取り価格‘42円/kWh’との比較を考える。

何故こんな風に買い取り価格が決められたかについての詳細は書かれていないが、まだまだ今の発電方式に比べてこの自然エネルギーの発電効率の悪さ加減と設備投資をするシステムの普及度が小さいため高価であることも考慮されての買い取り価格なのであろう。

そんなこんなを考慮すれば、実際に設備投資をして電力会社に買い取ってもらう事業が成り立つ、という計算に違いない。

メガソーラー
http://alphaaviation.aero/ja/nikki/30520
メガソーラー発電所



しかし、ここで注意が必要な事態が発生する可能性がある

どんな法律や規制にも抜け道がある!

この電力買い取りについて、こんなことが起こり得るという‘警告’を発する意味で以下のようなことを考えてみた。

1.太陽光発電事業株式会社「A社」を設立する。

2.A社に偽の太陽光パネルを設置する。

3.同時に、大電力を使う偽の工場を持つ会社「B」設立する。

4.B社に偽の大電力を必要とする製造設備とこれまた偽の大電力蓄電装置を設置する。

5.B社からA社へ電力ケ-ブルにより送電し、これをA社が電力会社へ送電して買い取ってもらう


実際に運用するには、細かい管理のための作業が必要であることも確かであるが、大まかにはこの筋書きで事は足りる。

これが上手く行くと、‘営業利益’としては、次の方程式が成り立つ。

営業利益 = 販売価格 -(仕入価格+管理費)であるから、

1kWh の営業利益は、

 42円 ー(10+α)円 = 32円 ーα円

となり、仮に、α=2円  だったとすると、

 営業利益 = 42円 ー12円 = 30円/kWh

となる。

B社の使用電力が、一日に10万kWh(一日の電力料金が、約100万円)であると仮定する。そんなに大電力を必要とする会社も珍しいが、あり得ないことではない。特殊発熱炉を持つ工場ではあり得る事である。

そうすると、A社の営業利益は、計算通りとすれば、300万円/日 となる。

A社とB社が同じ資本家であれば、この二つの会社での年間(稼働300日とする)の営業利益は、

年間営業利益 = 300万円/日 × 300日 = 90,000万円

つまり、A社とB社合わせての営業利益は、9億円/年 ということになる。

こんな会社が出来たとしても、今の法律では、何らおかしい所は無い。

B社は、確実にB社で使った(と思われる)電力料金を間違いなく支払うのだから、何ら法律には触れない。

A社は、それなりの(偽の)太陽光発電システムを設置して、電力会社に買ってくれと申請すれば、法的には電力会社は買わざるを得ない。

何の‘査察・検証’の規定がないとすれば、こんなことぐらい誰だって考える!

この方式は、自分で自然エネルギーを作らずに、安い電力を電力会社からB社が買って、電力会社に買い上げて貰うという‘インチキ’発電会社Aと偽電力消費会社Bとの共同作戦なのである。

A社とB社は、資本家・経営者がほとんど同じであるから、ばれない!

こんな会社が、100社で来たら、・・・・・・・!?

野田政権さん、これ大丈夫?



































[2012/07/14 07:16] | ビジネスと経済 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
シャッター通りと自動車産業:さぁ、もう一度シャッターを開けよう!
シャッター通りが‘出現’して随分時間が経ったが、‘手の打ちようがない’と見えて、誰も・何処も改善に向けて行動しないらしい。自然の成り行きとして手を拱いていて良いのだろうか?

シャッター通り
http://homepage1.nifty.com/kobayasi/diary/201105.htm

手を打つには、‘その原因’をきちんと明らかにすると同時に‘被害者救済計画案’を作成する必要がある。

<1> 先ずその原因であるが、それを知るには二つのアプローチが必要である。
① 誰がお客を奪ったか?‘量販店が客を奪った’と言うのが一番の理由だろう。
② そしてその場所、シャッター通りの場所は、‘駅前繁華街’が圧倒的に多いという。

何故、①と②の現象が起こったか?この原因の究明こそシャッター通り復活対策への道である。

① 量販店は、読んで字の如く‘大量に販売する店’のことである。量販店が、大量に、計画的に、長期間仕入れをすることを約束してくれるなら、生産者及び卸業者は量販店に格安で商材を運びこむ。これが資本主義経済の原理・原則である。消費者は‘いい物が安く手に入る’と判れば、少々の時間とエネルギーをを掛けても買い出しに行く。量販店には必ず‘大駐車場’がくっついている。誰もがご経験のように、今やこの方式が定着したかのように見える。

モールショッピングセンター
ショッピングモール http://building-pc.cocolog-nifty.com/helicopter/2009/05/2009528-3083.html

② 何故、‘駅前繁華街’なのか? 昔の商店街は駅を中心に繁華街となり市場となった。それは一家の内誰かが必ず駅を利用して一日の勤めに出向いたからである。それには駅近くに住むことが求められる。家庭を守るためのお買い物を担当する主婦も当然駅中心の繁華街・商店街・市場の近辺に住んでいるから、その商店街や市場で買い物をする。

ところが、ところがである。車社会が実現した。‘車社会の是非’については別途考えるとして、現実には日本の経済を引っ張っている柱の一つが自動車産業であることには間違いなく今更車社会は嫌だと言っても現実には後に戻れない。

誰もがお気づきのように、‘簡単に言えば’この‘車社会’が実現したために‘シャッター通りが出来た’と言っても過言ではない。

従って、シャッター通りを復活させるために「‘量販店’建設反対!」を叫ぶのは間違っている。原因は‘車社会だから’なのだ。

ではでは、シャッター通りを復活するには、その原因である‘車社会’をなくせば良いか?原理的には間違っていないが、上述の通り残念ながら車がここまで庶民に浸透し、経済を引っ張っているのが自動車産業だとしたら、そうは簡単に‘車をなくせ!’とデモる訳にも行くまい。何故か?‘己の足を己が食う’からである。

これは丁度、今の‘原発問題’や‘沖縄問題’と同じである。原発居住区(?)に生活する人達へのアンケート調査や聞き込みでは、意外や意外、‘原発反対’の%が低かったりする。沖縄問題も同じで、いわゆる‘総論反対’‘各論賛成’なのである。社会的一般論としては、勿論、‘そんな危ないものいや!’であるが、己の生活となると‘少々危なくっても生活が掛かっている’から渋々ではあるが‘各論賛成’となる。みんな自分の生活が一番大事なのだ!

社会のために‘反対だ!’を貫くご仁は大変かっこよく褒められるが、家庭内では‘問題児’なのだ!

さて、シャッター通り出現の原因も大体判ったし、原因を直ぐには排除出来ないという‘矛盾’も判った。
では、シャッター通り復活の具体策は何であろうか?

それには、今はシャッター通りとなってしまったがそれらのお店・小売店と量販店それぞれの長所・欠点を検討して‘量販店の弱点’を探してみることだ!

随分昔の話だが、量販店と小売商との違いについて、或る著名な‘評論家’さんが、次のように述べられたことを覚えている。

「量販店は、‘POS(Point Of Sales)システム’を採用しているから‘売れる商品’しか並べない。一方、小売商店では、売れ残った商品が売れるまで新商品を仕入れないから‘売れない商品’を並べている。従って、勝負ははっきりしている!」

正に‘言い得て妙’である。

スーパー内部
スーパー内部 http://www.0909.jp/home/tenpo/aruk.htm

この名言・助言は、シャッター通り復活運動者は‘かみしめて’おかねばならない。

買い物をする際の‘キーポイント・キーワード・パラメータ’を考えてみた。

  a) 価格  b) 新鮮さ  c) 愛想・情報(買い物の楽しみ感)  d) 駐車場  e) ついでの要件(ワンストップ)f)距離

パラメータとしては、これくらいのものであろうか? 地域毎にその点数には‘格差’があるから一概には点数はつけられないが、まあ対策を練るには強引にでもそれぞれに点数をつけてみるのも必要である。

下表がそれである。
量販店と小売店0001
数字は、100点満点で考えた場合のそれぞれの点数である。

これで言いたい量販店の長所と欠点は以下の通りである。
・量販店の長所:価格が安く新鮮である。そして、駐車場が広い事。
・量販店の欠点:愛想など全くないし、噂話の情報もないから買い物の楽しみがない。そして、遠いこと。

一方、小売店については、

・小売店の長所:売り手が顔なじみであるため、愛想が良くうわさ情報もありで人間味があって買い物が楽しい。
また、ついでの要件(例えば、郵便局や美容室などでの用事)を済ませることが出来る。価格も物によっては値切ることも出来たりたたき売りサービスも期待出来る。
・小売店の欠点:駐車場がない。

この整理の仕方に問題はあるにしても、どうやらシャッター通りの最大の欠点は、‘駐車場がない’と言うことにつきそうである。量販店での買い物に慣れてきてマヒ状態になって、これがお買い物だ、と思っておられる主婦の方達も昭和時代のTV映画番組を見て改めて下町での人間味のある買い物風景に触れたりすると何だか小売店でのお買い物の復活を!の気持ちになられるのかも知れない。

繁華街だったところに‘大駐車場の建設’これこそシャッター通り復活のシナリオだ!

駐車場
http://www.ms-plus.com/46910

さて、問題はどうやって大駐車場を建設するか?土地問題も含めた敷地(ビルも)の確保と資金の調達問題の解決に向かって今からアイディアを出し合わねばならない。行政はいわばそのためにある。全国市町村長会議に期待するところ大である。

人情味あふれた楽しい買い物が出来る買い物繁華街の復活に向けて頑張ろう!!

下町商店街
下町商店街 http://blog.goo.ne.jp/triarrowstar/m/200909/1



























 
[2012/02/21 02:32] | ビジネスと経済 | トラックバック(0) | コメント(4) | page top
山口百恵さんと‘資本主義’
経営者養成講座という研修事業を展開する会社があって、もう40年以上も前であるが、その研修を受けたことがある。この研修の内容が事実に即していたかどうかは知らないが、我々100人の研修受講生に講師から先ず始めに設問の提示があった。
それは、当時売り出し中の‘山口百恵さん’の所属事務所‘ホリプロ’の経営方針についての設問だった。多分、研修のために創られたのだろうと思われるが内容というのは以下の通りであった。

51JJABy6uiL._SL500_AA300_(山口百恵さん)
51JJABy6uiL._SL500_AA300_(山口百恵さん) posted by (C)mobaradesu
http://www.amazon.co.jp/
%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E7%99%BE%E6%81%B5-%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%
BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%
A0-%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%94%E3%82%8D/dp/B0001N1KV4



  「絶大の人気を誇る山口百恵さんの稼ぎを会社の収入の何%にすべきか?」

という設問である。一瞬誰もが耳を疑った。何という設問だ!? 稼げるだけ稼がせれば良いではないか!だが、講師の説明に研修受講生は皆納得した。会社の経営にとって極めて重要なことの一つに‘危機管理’があるという。百恵さんの収入を会社の収入の100%とした場合、もしも百恵さんが突然の事故に遭遇して稼ぎが全くなくなった場合のことを想定してみれば、従業員の給与はおろか社長まで収入にありつけない状態に陥るではないか。
第一百恵さんの身体を酷使することにもなり兼ねない。だからこそ、そういった意味での‘危機管理’が必要なのだ。百恵さん以外のタレントを確保して、もしもに備えねばならない。さあ百恵さんの稼ぎ比率を何%にしておけば、百恵さんもそれ程のプレッシャーを感じずに、また社長以下従業員も安心して働けるか?





研修受講生はまだ経営に実際には携わったことのない人達ばかりである。したがって、まだまだ自信を持って‘何%’という研修受講生は一人もいない。
沈黙が暫く続いて、講師の先生から発言があった。「100%はまずいことはお判りでしょうから、75%と思う人挙手を!」約半数の研修受講生が手を挙げた。「それでは、50%と思う人!」後残りのほとんどが挙手をした。「では、25%と思う人!」最後まで挙手しなかった私ともう一人の研修受講生二人だけが手を挙げた。
「それでは、ご納得のいく説明を致しましょう!」ということで話が始まった。内容はこうである。「安定した4本脚のテーブルを例にして説明を・・・」



「4本脚では、テーブルは極めて安定しております。脚それぞれが会社の収入だと仮定します。百恵さんの収入が75%を占めるとした場合、何かの突発事故発生で百恵さんの収入が途絶えたとします。ということは、4本脚の
3本が無くなったら、テーブルは‘ずっこけ’ます。したがって、危機管理という概念からすると75%では、会社経営が上手く行くでしょうか? 50%でも残りの2本脚で立つ場合極めて不安定です。そう、25%なら、4本脚のうち1本が無くなったとしても、不安定でもありますが、そこそこ安定してテーブルが直ぐにこけることも無いものと思われます。したがって、危機管理の点から考えて会社の安定は25%前後が正解だと思われます!」
思わず皆が拍手をした。判り易いではないか!皆が納得した。そこで出たがり屋の私が手を挙げた。「先生、経営を考える基本は‘4本主義(発音は、しほんしゅぎ)ですね!」先生が「あっ!それ使わせて頂こう!」

ホリプロで実際にそんな経営が行われたかどうかは不明であるが、今や押しも押されもしない芸能界の雄である。











[2011/12/06 23:35] | ビジネスと経済 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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