fc2ブログ
東京駅前のこんなところに銅像が!誰?(その3)
東京駅前のこんなところに銅像が!誰?(その3)

さて、さて、さて、一体この銅像様の「井上勝」とはどなたでしょうか?

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%
BA%95%E4%B8%8A%E5%8B%9D

井上勝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

220px-Inoue_Masaru.jpg
井上勝

井上 勝(いのうえ まさる、天保14年8月1日(1843年8月25日) - 明治43年(1910年)8月2日)は、日本の幕末から明治にかけて活躍した武士(長州藩士)、官僚。正二位勲一等子爵。幼名は卯八(うはち)、通称は弥吉(やきち)。鉄道発展に寄与し、日本の鉄道の父と呼ばれる。長州五傑の1人。ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン卒業。

<中略>

鉄道事業の推進
大蔵省に勤務してからは伊藤や大隈重信といった鉄道敷設推進派らと共に1幹線3支線との構想を発表する。とはいえ、当初は鉄道技術が日本にないためイギリスのお雇い外国人に頼るしかないという現実があり、勝は明治2年11月5日に岩倉具視・澤宣嘉とイギリス公使ハリー・パークスの会見に出席して岩倉らの通訳を務めていたが、まだ鉄道に関する方針に踏み込めなかった。続いてパークスが紹介したホレーショ・ネルソン・レイと伊藤らとの交渉で、イギリスが外債および技師と建設材料を提供して鉄道敷設を進めることになった。しかしレイは日本国債をロンドン株式市場に流して自分の個人口座に利ざやが入るようにした。政府はレイとの交渉を打ち切り、外債をとりつける新しい交渉相手を決めた。1845年に香港で創立されたオリエンタル・バンクである。

政府はイギリス人技師エドモンド・モレルを中心として敷設事業を展開、勝はその下で実技を習得しつつ路線を敷くことを始め、先の構想に基づき新橋駅 - 横浜駅(後に桜木町駅に改称)間の鉄道に着手、合わせて明治3年(1870年)10月19日に新設された工部省に所属を移し、山尾と共に工部権大丞となり、翌明治4年(1871年)7月23日に工部大丞に昇進、8月15日に鉱山寮鉱山頭と鉄道寮鉄道頭も兼任(後に鉄道頭を専任)、鉄道事業との関わりを本格化させていくことになる。

明治3年3月17日の測量から始まった新橋 - 横浜間(29km)敷設は鉄道頭では無かったため直接関与はほとんどなかったが、鉄道建設を反対する一般国民や政治家達(黒田清隆など)の説得に当たり、海上に線路を敷くために手掛けた築堤工事に参加、明治4年9月23日に建設途中で死去したモレルの後を継ぎ工事を継続させるなど間接的に工事を推進、明治5年(1872年)9月12日に全線開通させ日本の鉄道開業に尽くした。また、明治3年7月30日に開始された神戸駅 - 大阪駅間(32.7km)に続く明治4年6月15日の大阪駅 - 京都駅(43.4km)の測量に加わり、お雇い外国人が見積もった金額より安い算出で工事変更を工部省に願い出て許可され、鉄道知識と手腕は外国人にも引けを取らない物になった。

だが、工部少輔となり上司になっていた山尾と対立、明治6年(1873年)7月22日に辞任した。関東の鉄道事業が一段落付き、次の仕事に大阪へ出張させて現場指揮を執らせ、鉄道寮も大阪へ移転してくれるよう提案したが、山尾に却下されたことに怒ったこと、山尾の干渉に耐えられなかったのが理由だったといわれる。この問題は岩倉使節団に加わりヨーロッパを外遊していた伊藤が勝の辞任をしたためた手紙を受け取り、帰国し工部卿として山尾の上司になった伊藤の説得で勝が明治7年(1874年)1月に鉄道頭に復帰、2月に鉄道寮移転も認められたことで解決した。以後しばらく関西方面の鉄道敷設に集中していくことになる[3]。

明治7年5月11日に神戸 - 大阪間がお雇い外国人の手で開通、明治10年(1877年)2月5日に大阪 - 京都間も開通。ひとまず関西方面も開拓されたが、この間に士族反乱が相次ぎ(佐賀の乱、萩の乱、西南戦争など)政府は財政難と治安悪化に直面した。勝は事態打開のため明治9年(1876年)に伊藤に更なる鉄道網の延長を迫り、計画は京都から大津へ東の延伸が決定されたが、西南戦争で工事どころではなくなり明治10年中に敷設は行われなかった。代わりに日本人の鉄道技術者育成は認められ、明治10年1月に鉄道寮が鉄道局に改称し勝が鉄道局長に就任、5月に大阪駅構内で工技生養成所を設立し飯田俊徳とトーマス・シャービントンの2人と協力して技師を養成、長谷川謹介・国沢能長らを輩出した。やがて工部省が創設した工部大学校からも技術者が養成されると、目標を達成したとして明治15年(1882年)に閉鎖したが、明治10年からお雇い外国人を順次解雇して養成所卒業生と入れ替え、彼らと力を合わせ鉄道工事に傾注していく。

明治11年(1878年)4月に政府の国債発行で資金調達の当てが出来ると8月21日に京都 - 大津駅間(後に浜大津駅に改称、18.2km)の工事に取り掛かり、逢坂山トンネルを着工。作業は全体を4区に振り分け、飯田俊徳を総監督に長谷川・国沢・武者満歌・千島九一・佐武正章・三村周・南清ら養成所の第1回入学生に実習を兼ねた工事作業をやらせ、自らも草鞋・脚絆を履いて現場を指揮、鶴嘴を振るい開拓した。外国人を排除しての作業は逢坂山を掘り進める区間が難航、明治12年(1879年)8月20日に落盤事故が発生して4人が死亡することもあったが、明治13年(1880年)7月15日に完成、日本人のみの手によって施工された初のトンネルとなる。

更なる延伸も検討されたが、京都 - 東京間のルートが決まっていない財政難の状況で、琵琶湖南岸の大津から直接東へ進出するのは無理があったため、大津からの工事は中断、代案として京都 - 大津間は途中の馬場駅(現在の膳所駅)でスイッチバックして大津駅へ到着、琵琶湖を鉄道連絡船の太湖汽船で渡り湖東の長浜駅まで航行する手段が採用され、明治15年5月から藤田伝三郎の企画で太湖汽船会社が創業、連絡船巡航が始められた。これに先立ち、明治12年に琵琶湖から敦賀港に接続する路線測量を実行、明治13年4月に着工され4年後の明治17年(1884年)4月16日に長浜駅 - 金ヶ崎駅(現在の敦賀港駅)間が開通した。工事は京都 - 大津間の時と同じく飯田が総監督を請け負い、長谷川ら養成所出身の技師が工事を手掛けて着工、逢坂山トンネル以上に距離が長い柳ヶ瀬トンネルを開いたことは確実に日本人技師が自立していることを示していた[4]。


DSC_0077-2.jpg
DSC_0078-2.jpg
DSC_0078-3.jpg
DSC_0079-2.jpg
DSC_0080-2.jpg
DSC_0080-3.jpg
DSC_0083-2_201907071558481e7.jpg
DSC_0083-3.jpg
DSC_0084-2.jpg

こんなに優れた人物を知らなかったとは、情けない!

今後、東京駅前へ行った時には、鄭重にご挨拶を!

(つづく)
スポンサーサイト



[2019/07/09 07:13] | 発見! | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
東京駅前のこんなところに銅像が!誰?(その2)
東京駅前のこんなところに銅像が!誰?(その2)

さて、さて、この銅像は、一体誰?

DSC_0073-3_20190707155825738.jpg

裏面には、こんな風に刻まれているのだが・・

DSC_0074-2.jpg
DSC_0074-1-2_20190707155827987.jpg
DSC_0074-1-3.jpg

上から順に、「建立」、「再建」、「移設」、「移設」と読み取れる・・・。

これまでの画像では、未だ誰だか解からない!

DSC_0075-2.jpg
DSC_0075-3.jpg

まだ、まだ、解からない!

DSC_0076-2.jpg
DSC_0076-3.jpg
DSC_0077-2.jpg

やっと、やっと、

「正二位勲一等子爵井上勝君像」

ということが判明した!

さて、さて、この人物とは?

(つづく)
[2019/07/08 08:00] | 発見! | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
日比谷公園は、今!
日比谷公園は、今!

今年(2019年)4月24日、午後新宿へ行く用事があたっため、有楽町から日比谷公園を横切って霞が関駅へ向かったのである・・。

ここのところ日比谷公園へ行ったことがなかったのだが、樹々の梺には、季節の花が咲き誇っていた風景は初めてである!

以前には、こんな風情の日比谷公園を見たことはなかった!

素晴らしい!

「ネモフィラ」と「シャガ」が満開である!


①DSC_4140-2

<ネモフィラ>

②DSC_4138-2
③DSC_4138-3
④DSC_4139 -2
⑤DSC_4139 -3
⑥DSC_4141-2
⑦DSC_4142-2
⑧DSC_4142-3
⑨DSC_4142-4
⑩DSC_4143-2
⑪DSC_4143-3
⑫DSC_4144-2
⑬DSC_4144-3

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%83%A2%
E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%A9

ネモフィラ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動検索に移動
ネモフィラ属
Nemophila01s3872.jpg

230px-Nemophila01s3872.jpg
ネモフィラ・インシグニズブルー

分類(APG III)
界 : 植物界 Plantae
階級なし : 被子植物 angiosperms
階級なし : 真正双子葉類 eudicots
階級なし : キク類 asterids
階級なし : シソ類 lamiids
科 : ムラサキ科 Boraginaceae
属 : ネモフィラ属 Nemophila
学名
Nemophila Nutt. [1]
タイプ種
Nemophila phacelioides Nutt.

本文参照

ネモフィラはムラサキ科ネモフィラ属(Nemophila)に分類される植物の総称。または、ルリカラクサ(瑠璃唐草、学名:Nemophila menziesii)のこと。 ネモフィラ属は、APG植物分類体系では、ムラサキ科であるが、新エングラー体系、クロンキスト体系では、ハゼリソウ科に分類される。


概要
ネモフィラ属は、カナダ西部からアメリカ合衆国西部、メキシコにかけてとアメリカ合衆国東南部に11種が分布する。

ルリカラクサは、種として園芸上ネモフィラ(英語で five spot または baby blue eyes )と呼ばれる。耐寒性一年草。草丈10-20cm 、茎は匍匐性(ほふくせい)で横に広がる。葉には羽状の深い切れ込みがあり、茎と葉に柔毛がある。花は4月-5月に開花し、花径2cmくらいで、白に空色または青紫色の深い覆輪で、中心部に黒い点が5つある。白色花もある。属名は「林を愛する」の意味で、茂みの中の明るい日だまりに自生していることによる。



<シャガ>

⑭DSC_4146-2
⑮DSC_4147-2
⑯DSC_4147-3
⑰DSC_4147-4

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%82%AC
シャガ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動検索に移動
シャガ

250px-Iris_japonica1_flower.jpg
Iris japonica1 flower.jpg

シャガ
分類(APG III)
界 : 植物界 Plantae
階級なし : 被子植物 angiosperms
階級なし : 単子葉類 monocots
目 : キジカクシ目 Asparagales
科 : アヤメ科 Iridaceae
属 : アヤメ属 Iris
種 : シャガ I. japonica
学名
Iris japonica
Thunb.
和名
シャガ
シャガ(射干、著莪、胡蝶花、学名:Iris japonica)は、アヤメ科アヤメ属の多年草である。

特徴
人家近くの森林周辺の木陰などの、やや湿ったところに群生する。開花期は4 - 5月ごろで、白っぽい紫のアヤメに似た花をつける。花弁に濃い紫と黄色の模様がある。根茎は短く横に這い、群落を形成する。草丈は高さは50 - 60 センチ・メートル程度までになり、葉はつやのある緑色、左右から扁平になっている。いわゆる単面葉であるが、この種の場合、株の根本から左右どちらかに傾いて伸びて、葉の片面だけを上に向け、その面が表面のような様子になり、二次的に裏表が生じている。

分布と生育環境
シャガは中国原産で、かなり古くに日本に入ってきた帰化植物である[1]。三倍体のため種子が発生しない[1]。このことから日本に存在する全てのシャガは同一の遺伝子を持ち、またその分布の広がりは人為的に行われたと考えることができる。したがって、人為的影響の少ない自然林内にはあまり自生しない。スギ植林の林下に見られる場所などは、かつては人間が住んでいた場所である可能性が高い。そういう場所には、チャノキなども見られることが多い。中国には二倍体の個体があり花色、花径などに多様な変異があるという。

名前について
学名の種小名はjaponica(「日本の」という意味)ではあるが、上記のように中国原産である。また、シャガを漢字で「射干」と書くことがある。しかし、ヒオウギアヤメ(檜扇)のことを漢名で「射干」(やかん)というのが本来である。別名で「胡蝶花」とも呼ばれる。


(つづく)
[2019/04/28 08:08] | 発見! | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
今日は立春!
今日は立春!

今日、2019年2月4日は、「立春」である・・。

日本国中、正に「立春」という春の兆しが見えた。

我が家の房総半島・千葉県・茂原市では、20℃を超えた!

Screenshot_20190204-153608.png

トイメンの‘Kさんち’の白梅、もうそろそろかな?

DSCN0296-2.jpg
DSCN0296-3.jpg

気温は20℃を超えていたためだろう!ほんの2~3輪が顔を出しているのにご近所の‘Mさん’が気付いた!しかし、かなりの風が吹いていて、対象物が動く・・・。

DSCN0306-2.jpg
DSCN0311-2.jpg

風が止まった一瞬!

DSCN0303-2.jpg
DSCN0303-3.jpg

いや~、今年も春が来た!

(つづく)
[2019/02/04 23:05] | 発見! | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
自動販売機の憂鬱
ご案内の通り、今年の異常気象は、「特別」である!

「自動販売」の「売切」が続くのもそ所為かも知れない・・。


<2018年8月30日21:29>
DSC_9106 (1)-2

<2018年8月31日22:05>
DSC_9109-2_20180901083723f4b.jpg

<2018年8月31日22:06>コーヒーまで売切になっている!
DSC_9112-3_20180901083724b23.jpg
DSC_9112-4_20180901083727cbe.jpg
DSC_9112-5.jpg

この「蛾さん」も「澄みきった香ばしさ」の「爽健美茶」を買いに来たのかも知れないが、残念がら、「売切」の文字が読めないと見えて??・・・。

(つづく)
[2018/09/02 11:02] | 発見! | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
ヒルザキツキミソウ
我が家(千葉県茂原市)の直ぐ傍で見つけた「花」を調べようとは思ったが、毎回毎回書かせて戴いているように「名前」がまず判らない!

「名前をどうやって探すか?」が大問題である!
もう仕様がないから、「図鑑」を丁寧に捲って「花の形」で一致するまでの根気が必要である!

と言う訳で、ネットの花図鑑に挑戦した!

判った「花の名前」は、「ヒルザキツキミソウ」である!

①DSCN8413-2
②DSCN8413-3
③DSCN8416-2
④DSCN8414-2
⑤DSCN8414-3
⑥DSCN8414-4
⑦DSCN8414-5
⑧DSCN8415-2
⑨DSCN8415-3

さて、「花の名前」が判ったら、やはりどんな植物の花なのかが知りたくなるのは人情というものである!
昔は大変だったに違いないが、今やパソコンさえあればこんなことは容易な事である・・・。

http://arakawasaitama.com/hanaindex/subhiruzakitsukimiso.html
<ヒルザキツキミソウ(昼咲月見草)>
アカバナ科マツヨイグサ属
学名(属名+種小名)Oenothera speciosa
属名はoinos(酒)+ther(野獣)で根にぶどう酒様の香気があり野獣が好むためといわれる
種小名のspeciosaは美しいとか華やかなの意

葉 互生し線状披針形で縁に低鋸歯。 根・茎 根は匍匐し、茎の下部は木質化し易い
花 花径は約5㎝。花弁は倒卵形で先は凹む 果 実 蒴果は棍棒状で長さ約1㎝
高さ 30~60㎝ 花 期 5月~9月
生育地 路傍、荒地、空地等 分 布 本州以南
別 名
花言葉 無言の愛
渡 来 大正末期に観賞用として渡来 近似種 ツキミソウ、マツヨイグサ

和   名 江戸時代末期に渡来した純白の大きな花を咲かせるツキミソウに似て、昼間に咲くので昼咲月見草。
ツキミソウも観賞 用として渡来したが、野生化せず一部で栽培されているにすぎないというが、ヒルザキツキミソウは繁殖力旺盛でアチコチで野生化 している。

雑   記 マツヨイグサ属は夜に花開くものが多いが、ヒルザキツキミソウとアカバナユウゲショウは昼に花を咲かせる。両方とも華や かな花を付けるので一目で逸出栽培種と分かるが、その美しさで堤防などの除草から免れ咲き残っているのもよく見かける。


この情報を見せつけられると、やはり「マツヨイグサ」と「宵待草」の関係を知りたくなるのも又人情である!

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%84%E3%83%A8%E3%
82%A4%E3%82%B0%E3%82%B5

マツヨイグサ(待宵草)は、アカバナ科マツヨイグサ属の一年生または多年生草本植物で、この語は主にマツヨイグサ属に含まれる植物について種を特定しないで呼ぶ場合に使用される。標準和名マツヨイグサは学名 Oenothera stricta で呼ばれる種を指すが、こうした用法では滅多に使用されない。

(中略)

その他
上述したように、日本では種を特定しない場合、マツヨイグサとは別に「月見草」、「宵待草」(よいまちぐさ)ともいうが、標準和名でいうツキミソウはメキシコ原産の白花を咲かせる O. tetraptera を指す。「宵待草」の呼び名は竹久夢二の作詞による流行歌の題名に誤記された名称が定着したものである。

ヤライコウ(夜来香)と呼ばれることもあるが、これも本来は全く別のガガイモ科のつる性植物の標準和名ないしはナス科のヤコウボクの別名である。

なお、ゴデチアの園芸名があるイロマツヨイグサ Clarkia amoena は、同じアカバナ科ではあるが、本属とは異なる別属の植物である。


「ああ、ややこしい!」

(つづく)
[2018/06/02 23:55] | 発見! | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
名前を知らない植物
植物の種類の数は、生物の分類の仕方によって違う、とも言われているという。

https://kids.gakken.co.jp/kagaku/110ban/text/1372.html
植物の種類は全部でいくつあるの

植物の種類をいうときには、アサガオ、ダリア、グラジオラスのように、花の色や大きさ、形、 しくみなどがそれぞれ違っているものを数えます。 このような方法で種類分けして植物の種類を数えてみても、およその数しかわかりません。なぜなら、科学が進むにつれて、種類の分け方がいろいろと変わったり、つぎつぎに新しい植物が見つかったりするからなのです。

また、学者によって、バクテリアやカビも植物の仲間だと考える人と、植物ではないと考える人がいて、それを植物の仲間に入れるか入れないかで数は大きく変わってきてしまうのです。

たとえば、ある学者の本を見ると、植物は全部で250万種ある、と書いてありますが、別の学者は、ちがう本で23万3000種の植物が地球上で知られている、と書いているのです。ずいぶん差がありますが、考え方のちがいでこんなにも数がちがってしまうのです。
一般的には、だいたい20万から30万種といわれていますから、この数をおぼえておくのがいいかもしれません。


それにしても20万種類以上もある植物の名前を探し出す方法は、かなり難しい!

2017年9月27日、午前中に行われた我が町千葉県茂原市の健康診断(胃がん・大腸がん)会場の前で、これまでに見たことがなかった植物にお目にかかった!

当然、名前を知らない!
まあ、名前を知らないからと言ったってそんなに驚くことはない。
その植物について詳しく知りたいとは、そう余り思ってもいないからである!

ただし、知らないより知っていた方が良いことも確かであるのだが・・・。

①-1DSC_2936-2
②-1DSC_2936-3

この茂原市豊岡福祉センターの前の道路脇で見つけたのである。

③-1DSC_2937-2

その日の空は、久し振りの晴天で、清々しかった。

(1)一つ目の名前を知らない植物

①DSC_2940-2
②DSC_2941-2
③DSC_2942-2
④DSC_2942-3
⑤DSC_2942-4
⑥DSC_2942-5
⑦DSC_2943-2

ど素人は情けないもので、この植物を見て、「この実、ひょっとして食べれるの?」程度の発想しか浮かばない!

⑧DSC_2949-2

見上げれば、秋の象徴、‘鱗雲’が出ている!

(2)二つ目の名前を知らない植物

「こりゃあ、また何じゃ?」
「そうねえ・・・」

⑨DSC_2957-2
⑩DSC_2957-3
⑪DSC_2957-4
⑫DSC_2957-5
⑬DSC_2963-2

「どこがどう繋がっているのかも判らんなあ~!豆類?」
「無い頭で考えるのはよしましょうよっ!」

「一寸は面白いっ!」
「何が?」

(つづく)
[2017/09/30 14:19] | 発見! | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
ドイツ街道?
千葉県茂原市に20年前に引っ越して来た理由の一つは、「いい空気が吸いたい!」という想いからだった!

東京の空気は、東京に居るとそんなに気にならないが、空気のいいところへ行ってみると‘その違い’がよ~く解る!
やっぱり、東京は永住するところではない、と長年そう思っていた!

下品な例えで申し訳ないが、他人様から「外房だったら、空気がいいでしょう!?」と聞かれると必ず言うことにしている・・・。

「そう、‘鼻くそ’が、黒くならないんですっ!」

そんな訳で、結構この土地が気に入っている!、
もう一つこの土地に越して来た事で健康に良いことは、空気の良いこととは別に、通勤に要する時間は東京新宿から我が家まで2時間超を要するから、飲み会では、

「10時(22時)過ぎると家に辿り着かないから」

という理由で、‘深酒’が全く無くなった!周りもみんな理解してくれているから、健康に良い!

「長時間の通勤って大変でしょう!」

と言われと

「そうなんですよっ!」

と答えることにしているが、実はそうではない!(あれっ、これでバレた?)

まあ、そんな話はよしにして、茂原市の近所に素敵なロードを見つけた!
電柱もなく針葉樹の中を突っ走れる!

名付けて「ドイツ街道」

と言いながら、私はドイツに行ったことはないから、いい加減である・・・・。

①DSC_2826-2
②DSC_2827-2
③DSC_2828-2
④DSC_2828-3
⑤DSC_2829-2
⑥DSC_2830-2
⑦DSC_2832-2
⑧DSC_2836-2
⑨DSC_2837-2
⑩DSC_2837-3

この標識で、ドイツでないことが解る!
わずか、2km程度なのだが、一寸遠回りしても、この道を通りたくなるから不思議である!
ここから見える「月がとっても蒼いから」という理由ではないので念のため・・・。

(つづく)
[2017/09/26 01:30] | 発見! | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
ツバメ!
ツバメ!

今日(2016年7月13日)、‘ツバメ’を発見した!

変に聞こえるかも知れないが、最近我々が住んでいる千葉県の田舎でも、最近何年間も‘ツバメ’を見たことが余り無い!
今日、或る所で、そのお家にツバメの巣が沢山あることを‘発見’して、驚いた!?

その巣の幾つかには、‘ひな’がいて、その‘ひな’の撮影には成功したが、数羽の親鳥が何度も餌を運んで来るのを見たが、動作が早過ぎて、飛んでいるところの撮影には成功しなかった!

九州の田舎町で育った私達は、スズメと同じくらいの数のツバメが居ることを疑わなかった!
勿論、‘渡り鳥’であることは、小学生だって知っていた・・・。

今日‘ツバメ’を見て、50~60年も昔のことが、一瞬にして甦ったような錯覚に襲われた!
ヒナが‘赤い口’を開けて親鳥から餌を貰っている光景は全く変わってはいない!
残念ながら、その一瞬も撮り損なった!

Q:「国鉄が何故‘ツバメ’をシンボルマークにしたのか?」
A:「汽車で‘座わろー’と言う意味で!」

こんな馬鹿げたことを言い合ったりしていたことが、つい思い出されたりして・・・・。

DSC_7576-2.jpg
DSC_7576-3.jpg
DSC_7582-2.jpg
DSC_7582-3.jpg
DSC_7582-4.jpg
DSC_7580-2.jpg
DSC_7580-3.jpg
DSC_7580-4_20160714013247cdc.jpg
DSC_7588-2.jpg
DSC_7588-3.jpg
DSC_7588-4.jpg
DSC_7587-3.jpg
DSC_7581-2_20160714014301a41.jpg
DSC_7581-3_20160714014259b56.jpg
DSC_7584-2.jpg
DSC_7583-2.jpg

こちらのお宅では、写真の通り、ツバメの巣が合計10個以上もあり、今現在‘ヒナ’がいるのは、新聞紙に糞が落ちている場所を見れば判るので、そこは数ヶ所だけだった!

ツバメが何故日本から居なくなりつつあるのか?
この課題は、後日・・・。

(つづく)
[2016/07/13 23:58] | 発見! | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
東京国際フォーラム(その1)
東京国際フォーラム(その1)

私の最寄り駅は、千葉県・JR外房線・本納駅。

この駅から東京へ出るのには、外房線で蘇我駅まで行って、JR京葉線に乗り換えて東京駅へ行く方法とJR外房線でJR千葉駅まで行き、JR総武線に乗り換えて、東京駅まで行く方法がある。勿論途中で私鉄に乗り換える方法だってある。

この中で、最も便利なのが、本納駅→東京駅、乗り換え無し直行便というのがある!
これで行くと車中約66分で、乗り換え方法より約20以上早く到着する。
しかし、午前中に‘2本’、午後‘4本’、夜‘2本’という淋しさなのだが・・・。

さて、東京駅に着いても、丸の内側や八重洲側へ行き着くまでには、約500m・5~8分間歩かねばならない!
それが面倒なので、大概は、JR有楽町駅や地下鉄・有楽町駅や地下鉄・日比谷線や千代田線へ行く事が多い。

さて、またしても前置きが長くなったが、その時に必ず通るのが、‘東京国際フォーラム’の建物である!

その、東京国際フォーラムとは?

https://www.t-i-forum.co.jp/what/
tit_what_01.png

首都東京の中心・丸の内に位置するコンベンション&アートセンター「東京国際フォーラム」は、大小8つのホール、34の会議室などからなる総合的な文化情報発信拠点です。個性豊かなホールや会議室等では、国際会議、式典、
学会、展示会、コンサート、ミュージカル、ファッションショーなど、幅広いジャンルのイベントが一年を通じて開催され、様々な人々が集い、交流し、多様性に満ちた文化と情報を発信しています。

東京国際フォーラムは、建築物としても高く評価され、東京を代表するランドマークの一つになっています。
シンボリックなガラスのアトリウム「ガラス棟」など建物や施設にも見どころが多く、イベントの参加者だけでなく、ふらっとお立ち寄になられた方も含め、ご来館いただく全ての方にお楽しみいただける魅力に溢れています。

東京国際フォーラムのシンボリックな建物であるガラス棟

pho_what_05.jpg

東京国際フォーラムで最もシンボリックな建物であるガラス棟は全長約207m、地上高57.5m、最大幅約32mの巨大な舟形のアトリウム空間です。施設全体のロビー機能と31室の会議室、ラウンジやレストランを備えています。

使用されているガラスは壁面だけでも約2600枚。透明感のあるこの空間は地上1階から最上階の7階までスロープで一周でき、4階から6階部分の空中ブリッジで連結し、ホール棟と大きく二分された施設群を機能的にジョイントしています。 耐震性能も大震災発生時(最大速度振幅50cm/secを想定)に耐えることを想定して設計されており、火災発生時も巨大な空間を利した自然排煙ルートを設け、ガラス棟独自の放水設備を備えるなど備えも万全です。

類例のない巨大なガラス棟ロビーから、圧倒的なアトリウム空間を眺めるとき、世界都市東京の「ランドマーク」たらんとした、この時代の日本の勢いを感じさせる当時の代表的建築と言えるでしょう。


pic_facilities_01.jpg
出典/https://www.t-i-forum.co.jp/facilities/

https://www.t-i-forum.co.jp/company/outline/
2015年6月24日現在
社名 株式会社東京国際フォーラム
英文社名 Tokyo International Forum Co., Ltd.
会社所在地 東京都千代田区丸の内三丁目5番1号 東京国際フォーラム11階

設立年月日 2003年4月4日
(ただし、本格稼働は(財)東京国際交流財団から事業譲渡を受けた7月1日から)

代表者 代表取締役社長 : 上條 清文

資本金 4億9,000万円
発行株式 : 普通株式9,800株
出資割合 東京都51% / 民間49%

株主 東京都、東日本旅客鉄道株式会社、三菱地所株式会社、サントリーホールディングス株式会社、株式会社電通 、東京電力株式会社、東日本電信電話株式会社、東京瓦斯株式会社
常勤役員人数 2名
常勤従業員人数 55名

主要事業

東京国際フォーラムのホール・会議室等の管理運営
東京国際フォーラムのサービス施設の管理運営
国際交流促進等のための催事の企画、制作、実施及びその受託
その他上記に付帯する一切の業務


役員 代表取締役社長:上條 清文
常務取締役:澤 章
取締役:上垣 智則
監査役(常勤):松宮 庸介(元東京都水道局理事)
監査役(非常勤):貝瀬 厚
※常勤役員のうち東京都退職公務員については東京都の最終職名を付記


という訳で、「こんな一等地にこんな空間だらけの建物があって良いのか?」という貧乏根性でいつも通過させて貰っている!

2016年6月13日、この日は関東地方がとっくに入梅していたのに、なかなか前日(6月12日)まで雨が降らなかったのだが、この日になって、東京駅付近は‘土砂降り’となったのである!

この日東京での打ち合わせがあり、前述のJR外房線・本納駅から直通で東京駅・京葉線ホームに着いた!
打ち合わせ時刻まで、およそ1.5時間という貴重な時間があったので、この国際フォーラムを一寸だけ探検?してみようと思い立ったのである!

<その1> 地上一階

東京国際フォーラムの一階に行く前に、東京駅から丸の内の方面へ地下道を通って、千代田線・二重橋駅方面へ歩いてみた!
その途中で、地上を覘いてみると、

DSC_7066-2.jpg
DSC_7066-3.jpg
DSC_7066-4.jpg
DSC_7067-2.jpg
DSC_7067-3.jpg

ご覧の通り、東京駅・丸の内側は、‘土砂降り’で、普段と違って人っ子一人いない!午前11:49分である!
東京駅もパレスホテルも雨に霞んで見える!
多分こんな情景は珍しいに違いない!

DSC_7068-2.jpg
DSC_7068-3.jpg
DSC_7070-2.jpg
DSC_7070-3.jpg
DSC_7069-2.jpg

ご覧の通り、皇居側も人通り無しである!
新丸ビルも、雨に煙ると多少豪華に見えるのは、何故なのだろうか?

さて、この場所を離れて、いよいよ東京国際フォーラムへ!

とうとう、やっと地下道通って、国際フォーラムへ到着した!12:30頃。
依然として雨は強く降っている!
この分だと、関東地方の水瓶にもいい影響が、とその日はそう思った!

DSC_7071-2.jpg
DSC_7071-3.jpg
DSC_7071-4.jpg
DSC_7073-2.jpg

外は、久し振りの雨に濡れた新緑が美しかった!
地下一階は、12:30頃というのに普段より人が少ない!

DSC_7073-3.jpg
DSC_7073-4.jpg

ここに来たら、太田道灌公の銅像を!

DSC_7077-2.jpg
DSC_7077-3.jpg
DSC_7076-2.jpg
DSC_7076-3.jpg
DSC_7076-4.jpg
DSC_7074-2.jpg
DSC_7074-3.jpg
DSC_7074-4.jpg

太田道灌公は、丁度皇居の方角を見ているように設置されている、と書かれている!

(つづく)
[2016/06/22 18:18] | 発見! | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
‘シクラメンのかほり’の謎?
‘シクラメンのかほり’の謎?


出典/https://www.youtube.com/watch?v=7ENChwV7Wic

シクラメンに香り(かおり or かをり、であって決して、‘かほり’ではない!)が無いことは周知の通りである!
ただし、特殊なシクラメンを除いてである・・。

‘例外の無い規則は無い’と言う通り、何にでも例外はある・・・。
‘香り’については、後日!

上述の通り、いわゆる‘香り’の仮名書きは、‘かおり’または、旧仮名使いでは、‘かをり’であって、決して‘かほり’では無い!

それなのに、それなのに、なぜ、何故、あの小椋佳さんともあろう御仁が、‘かほり’という間違い(?)をするのか?

これは、私にとってそんなに強い疑問でもなかったが、何となく気持ちに引っ掛かっていた!

たまたま、‘シクラメン’に関して、NETで検索していると次のような文献に出遭った!
そこには、この問題に関して、素直に疑問を持ち、そして、そして明確にこの疑問を考察・解明して‘謎解き’を見事にやってのけられた経緯と考察力に感銘を受けた!

こんな凄い御仁もおられるのである!

そんな訳で、全文を以下に引用させて貰った!

http://blog.goo.ne.jp/shugohairanai/e/bc06ee91dde2c6b5ab274898b8ffeff2
第31回 謎解き「シクラメンのかほり」
2005-11-08 11:17:54 | 日本語ものがたり 

前回「赤ちゃんの名前」で、女の子の名前には、平成の今に至るまで、依然として花に関する言葉が好んで使われることに注目した。例えば「花、萌、凛、咲、菜」などの字である。今回はそれを受けて「シクラメンのかほり」という題でひとときのおつき合いを。ただし今回は謎解きである。

 シンガーソングライターにして現役の銀行員でもあった小椋佳が作詞・作曲。本人よりもむしろ布施明の声で大ヒットした「シクラメンのかほり」だから、読者にもお馴染みの歌であろう。だが、この曲は題名に謎が隠されていることは御存知だろうか。先ず初めにその謎をご紹介し、それから謎解きを試みよう。

 「シクラメンのかほり」という題名は二重の意味で間違っているという指摘 が以前からあった。それは次の2点である。

(1)「かおり(香り・薫り)」の旧かなは、「かをり」で「かほり」ではない。
(2)シクラメンはそもそも匂わない。つまりシクラメンに香りはない。


 (1)は国語学者や(旧かなをよく使う)歌人や俳人が直ちに指摘した。今は「かおり」だが、旧かなでは「かをり」であって「かほり」ではないことは、語源を考えてみても分かる。「かをり」は実は「香+居(を)り」から来ているからだ。「名詞+をり」で女の名前になる例では、他に「緑(みどり)」がある。これには「水(み)+鳥」など様々な語源説があるが、私は「水(みづ)+をり」だと思う。和語の「みどり」が色としての緑(英語のGreen)と対応していないことは以前から指摘されている。「嬰児(みどりご)」(green baby!?)とか「緑の黒髪」(green black hair!?)などの用法があるからだ。これらは「緑色でないみどり」の例である。「みどり」の語源が「水鳥」であったとしたら「みどりご」や「みどりの黒髪」が説明しにくくなるだろう。私は、「みどりの黒髪」は「つやのある黒髪」、「みどりご」は「ぴちぴちした赤ちゃん」の意味であって、水の存在(みづ+をり)が故の生命力を言ったものと思う。わざわざ「鳥」を持って来る必要は感じない。「みどり=水(みづ)+をり」と考えてみると同じ和語の「みづ」が「瑞々しい」とか「瑞穂の国」などの表現にも使われている理由が分かる。逆に水がないと生命は死ぬ。「死ぬ」の語源は「しなびる」や「しなる」と同源の「撓(しな)ゆ」から来ているとされることも「水」と「生命」の深い繋りの傍証だろう。

 さて、「シクラメンのかほり」に話を戻そう。「かほり」という表記が歴史的に間違いであり、加えてこの花が「かほり」もしないことを長年指摘されて来たのに、何故小椋佳はこの題名を一向に直そうとしないのだろうか。それがこの歌の謎なのである。私もどこかでこの題名の謎を知って、それ以来何となく気になっていた。

 それがある日、謎が一気に解けたのは、ネット上で小椋桂の奥さんの名前を偶然に知った時だった。

何と、佳穂里さんというではないか。佳穂里なら、発音は「かおり」でも表記上では「かほり」だ

その瞬間、旧かなの間違いを指摘されても小椋桂は「極めて意図的に」これを直さないのだ、ということが分かった。

 そう思って、再度「シクラメンのかほり」の歌詞を読み返してみて驚いた。名詞で「シクラメンのかほり」とは言っても、動詞で「シクラメンが香る」とはどこにも言っていないのである。1番に「真綿色したシクラメンほど清しいものはない」2番に「うす紅色のシクラメンほどまぶしいものはない」そして3番に「うす紫のシクラメンほど淋しいものはない」とあるだけだ。しかもこれらの後にはそれぞれ「出逢いの時の君のようです」「恋する時の君のようです」「後ろ姿の君のようです」とあって、シクラメンに「君」が見立てられている。つまり、この曲は自分の妻に捧げた愛の讃歌だったのだ。

小椋桂にとっては妻の佳穂里さんは「シクラメンの君」であり、それならばこそ題名は「シクラメンのかほり(=佳穂里)」でなくてはいけなかった。

 3番には確かに「暮れ惑う街の別れ道にはシクラメンのかほりむなしくゆれて」という箇所がある。我々をはぐらかそうとする小椋桂の意図をここに感じるものの、「別れ道」で揺れていた「かほり」は「香り」ではなくて「佳穂里」さんだったのだろう。

結局、小椋桂に誤字はなく、「かをり」は「香り」、「かほり」は「佳穂里」と使い分けたのだ。
 何で「かほり」なんだろう、シクラメンは匂わないのに、と我々はこれまで首を傾げてきた。妻と2人だけの小さな秘密を分け合って、小椋桂は背中で笑っているに違いない。愛とは秘密を共有することだから。成程、これでは題名は直らない。作者が直すはずがない。香らないシクラメンをわざわざ持って来たのが謎解きのヒントだったというわけか。周到に仕掛けられた謎がやっと解けた。 
 こんなことを考えながら板張りのテラスをを見ると、ちょうど拙宅にも白いシクラメンが咲いている。因みに俳句では「シクラメン」は春の季語。その姿はまるで白蝶が羽を休めている様に見える。ふと思い立って鼻を近付けてみたが、やはり香りは、ない。  

蝶の来て飛び行きてなほその白き姿残せりシクラメン咲く

(2004年6月)


20160127 SHIKURASMENN 001-3
20160127 SHIKURASMENN 004-2
おしべとめしべ

当のシクラメンは、こんな‘騒動(?)’、自分には何の関係も無いと、今日も‘粛々と’命のある限り咲き続けているのである!

(つづく)
[2016/01/31 23:23] | 発見! | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
高滝湖(その2)
高滝湖(その2)

高滝湖の全体の‘形’は、前ブログにもご紹介済みであるが、かなり複雑な形をしている!

日本千葉県市原市養老 高滝湖 - Google マップ-30001-2
出典/‘Google’マップ

何となく‘琵琶湖’に似てる?

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E
6%BB%9D%E3%83%80%E3%83%A0

高滝ダム(たかたきダム)

千葉県市原市の二級河川・養老川に建設されたダム。

堤高24.5メートルの重力式コンクリートダムで、千葉県営の多目的ダムである。ダム湖の名称は高滝湖(たかたきこ)[ 2]。

歴史[編集]
房総半島中部を貫流する養老川はしばしば氾濫して流域に被害を与えていたが、十分な河川改修が施されていなかったため、流域住民からは本格的改修が望まれていた。これに加え、京葉工業地帯発展に伴う人口増に対応すべく、利根川以外の河川水源開発も必要とされるようになり、多目的ダムの建設計画が立てられた[3]。

1958年(昭和33年)に建設候補地選定が行われ、1970年(昭和45年)4月から実施計画調査が開始。1974年(昭和49年)4月より建設事業が始まり、調査開始から20年後の1990年(平成2年)4月に完成した[3]。

特徴[編集]
堤高24.5メートルに対して堤頂長が379メートルと長い。また、堤体積が総貯水容量と比較して小さく、効率の良い貯水が可能となっている[1]。

1987年(昭和62年)から1989年(平成元年)にかけて行われた[3]本ダムのコンクリート打設工事は、堤高が低く幅広の形状をしていることなどを考慮してベルトコンベヤ工法がとられた[1]。この工法が用いられた例としては、小平ダム(北海道)と並ぶ初期のものであり[2]、本州においては初の事例であった[1]。

周辺[編集]
ダムに隣接して高滝ダム記念館が立地するほか、ダム湖周辺にレストランや水生植物園などがある。ダム湖の高滝湖ではブラックバス釣りや冬季にはワカサギ釣りなどが行われ、貸しボートも用意されている[2]。

・千葉県道173号南総月出線
・千葉県道168号鶴舞馬来田停車場線
・千葉県道81号市原天津小湊線
・小湊鉄道線 高滝駅
・首都圏中央連絡自動車道 高滝湖パーキングエリア

アクセス[編集]
高速道路での最寄りインターチェンジは首都圏中央連絡自動車道(圏央道)市原鶴舞インターチェンジとなる。市原鶴舞インターチェンジより県道168号を経由して2km。


日本千葉県市原市養老468 高滝ダム管理事務所 - Google マップ-90001-2
20160110 高滝湖2016 007-2

「このベンチの場所は、その上にある‘Googleマップ’の画像(航空写真)の何処に当たるか?」
の設問の答えは、次の画像!

矢印

その日、この場所は‘特等席(禿頭席ではない!)’だった・・。
気温15℃、無風、無音(時たまバイクの音のみ)!

こんなところに住むとのんびり出来るだろうと思われる!
しかし、人間って傍から見ているとどんなに素晴らしいだろうと思われても、それはそれなりに‘悩み’があるというもの・・。

「たま~に、こんなところに来るといいのよ!」
という‘神(さん)の声’に納得!

20160110 高滝湖2016 017-2
20160110 高滝湖2016 018-2
20160110 高滝湖2016 010-2
20160110 高滝湖2016 011-2
20160110 高滝湖2016 011-3

おや、おや、以前には‘川鵜’が居たのに?と思っていたら、‘昼食にお出かけ’のようで・・・。
しばらくすると・・・

20160110 高滝湖2016 022-2
20160110 高滝湖2016 022-3
20160110 高滝湖2016 022-4
20160110 高滝湖2016 022-5
20160110 高滝湖2016 023-2
20160110 高滝湖2016 038-2
20160110 高滝湖2016 032-2
20160110 高滝湖2016 034-2
20160110 高滝湖2016 034-3

‘筆の木’といわれる‘どうだんつつじ(満点星)’も、もう‘筆’の頭になっている!

(つづく)
[2016/01/16 12:28] | 発見! | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
この樹何の樹?
この樹何の樹?

弊本ブログの2015年08月31日版(http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-1343.html)では次のような記事を出させて貰っている。

この樹は、一体何の樹?

<2015年06月08日>の画像

20150608 散歩 117-2
20150608 散歩 119-2
20150608 散歩 124-2
20150608 散歩 123-2
20150608 散歩 143-2

以下は,栗の樹・・・。

20150608 散歩 049-2
20150608 散歩 052-2

でも、栗とはやっぱり違うみたい・・・。
第一、栗の樹とは、ご覧の通り、大きさがぜんぜ~ん違う!

はてさて、この大木は栗の樹とは違うのだろうが、一体どんな‘実’を付けるのだろうか?
そして、そして、この樹の名前は一体何?

これが、6月8日から、ず~と疑問だったのである!

その‘実’を見に田圃の散歩の普段のルートから外れたって言う訳!

さて、その正体とは!

(つづく)
で終わっている。

さて、この樹になった‘実’とは一体?

いやいや、驚いた!

<2015年08月26日>の写真

20150826 稲刈りとどんぐり 030-2
20150826 稲刈りとどんぐり 040-3
20150826 稲刈りとどんぐり 031-2
20150826 稲刈りとどんぐり 039-2
20150826 稲刈りとどんぐり 033-2

こりゃあ、‘どんぐり’じゃん!

栗の花と似ていることは認識していたが、それが‘どんぐり’とは!

これくらい植物に関する認識が甘く、自然関する知識の無さで過ごしてきたことが恥ずかしい!

しかし、今やインターネットという武器がある!
付け焼刃の程度の知識は直ぐに集まるのだが、それじゃあ‘本物’ではない!

でも、でも、‘入り口’の知識は、これは大事・・・。

そこで、

① どんぐりって何?
② どんぐりって‘栗の仲間’?
③ いや、いや、‘栗ってどんぐりの仲間’?

が気になった。

先ずは、自分で撮ったどんぐり(多分!?)の写真は、何と言うどんぐりなのか?
をWEBで調べた・・・。

① どんぐりって何?

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AA
ドングリ出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

Donguri.jpg
写真は、マテバシイのドングリ

ドングリ(団栗、英: acorn)とは、ブナ科の、特にカシ・ナラ・カシワなどコナラ属樹木の果実の総称[1]である[2]。ドングリは、一部または全体を殻斗(かくと、英: cupule)に覆われる堅果であるが、これはブナ科の果実に共通した特徴であり、またブナ科にほぼ固有の特徴である。よって本項ではコナラ属以外のブナ科の果実についても述べる。

ブナ科の果実には、「どんぐり」以外の固有の名称を持つものもある。クリの果実は「栗」もしくは「栗の実」と呼ばれる。「椎(しい)の実」、「楢(なら)の実」の語もある。ブナの果実は「そばぐり」と呼ばれることもある。


② どんぐりって‘栗の仲間’?
③ いや、いや、‘栗ってどんぐりの仲間’?


「どんぐりは、ブナ科の果実ではあるが、一般的に‘どんぐり’と呼ばれる‘コナラ属樹木の果実’とは異なる」 というのが上記文献から読み取れる!

しかし、色々な観点から整理分類をすれば、いわゆるどんぐりも栗も同じ‘ブナ科’で‘属’が異なるから、 ‘兄弟’と言うべきなのだろう!

ここまでは判ったが、どうやって見分けるのか?
それが次の資料!

どんぐり図鑑(どんぐりを見分ける)
出典/http://www.enyatotto.com/donguri/acorn/acorn.htm

どんぐり-1-2
どんぐり0003-1-2
どんぐり0003-1-3
どんぐり0004-1-2

これらの資料からすると、私の撮った写真は、 ‘マテバシイのドングリ or マテバシイの椎の実’と言うことになる!

それでは、

‘マテバシイ’とは?

(つづく)
[2015/09/03 15:16] | 発見! | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
発見!「日本野球発祥の地」記念碑
発見!「日本野球発祥の地」記念碑

2016年06月04日、偶々東京神田錦町の学士会館での会合に参加する機会があった。

予定よりも40分以上前に学士会館に到着したので、周りを‘見学’することにした。

ここ学士会館に初めて来たのは、そう、もう45年以上も前のことである!
親友の結婚式があり、私がその司会を仰せ付かったからである。
その後も、何度か先輩との打ち合わせに利用させてもらったことがある・・・。

そんな訳で、全く知らない訳ではなかったが、近年の再開発でこの辺の変わりようは激しい!
ましてや、ここに

「日本野球発祥の地」記念碑

があるとは気づかなかった。(以下の引用文献にある通り、2003年に建立というから、それ以前にはなかったのであるが・・・)

20150604 小川と学士会館 002-2
20150604 小川と学士会館 003-2
20150604 小川と学士会館 007-2
20150604 小川と学士会館 004-2
20150604 小川と学士会館 005-2
20150604 小川と学士会館 006-2

碑文の内容は、次の通り!

http://www.baseball-museum.or.jp/guide/floor/monument2.html
碑 文

この地には、もと東京大学およびその前身の開成学校があった。
一八七二(明治五)年学制施行当初、第一大学区第一番中学と呼ばれた同校でアメリカ人教師ホーレス・ウィルソン氏(一八四三~一九二七)が学課の傍ら生徒達に野球を教えた。この野球は翌七三年に新校舎とともに立派な運動場が整備されると、本格的な試合ができるまでに成長した。これが 「日本の野球の始まり」といわれている。 七六年初夏に京浜在住のアメリカ人チームと国際試合をした記録も残っている。
ウィルソン氏はアメリカ合衆国メイン州 ゴーラム出身、志願して南北戦争に従軍した後、七一年九月にサンフランシスコで日本 政府と契約し、来日。七七年七月東京大学が発足した後に満期解約、帰国した。同氏が教えた野球は、開成学校から同校の予科だった東京英語学校(後に大学予備門、第一高等学校)その他の学校へ伝わり、やがて全国的に広まっていった。二〇〇三年、同氏は野球伝来の功労者として野球殿堂入りした。
まさにこの地は 「日本野球発祥の地」である。

二〇〇三年十二月 財団法人 野球体育博物館


20150604 小川と学士会館 008-2
20150604 小川と学士会館 009-2
20150604 小川と学士会館 010-2
DSC_1516 (3)-2

こんなにも大きい!

その由来については、次の様な記述がある!

http://www.baseball-museum.or.jp/guide/floor/monument2.html

「日本野球発祥の地」記念碑は、日本に野球を伝えたホーレス・ウィルソン氏の野球殿堂入りを記念して、2003年に当博物館と社団法人学士会により、学士会館敷地内(東京都千代田区神田錦町3丁目)に建立されました。
同碑の除幕式は2003年12月6日(土)に開催。学士会の團藤重光理事長をはじめ日本野球連盟の山本英一郎会長(当館理事・当時)、日本学生野球協会の松前達郎会長(当館理事)、プロ野球の川島廣守コミッショナー(当館理事長・当時)らが出席し、神事の後に除幕しました。

ボールを握る右手をかたどった記念碑はブロンズ製で高さ237cm、製作者は彫刻家の松田光司氏、手のモデルはウィルソン氏の教え子の後輩ということで東京大学野球部主将(当時)が務めました。


「‘野球’という言葉の由来について」は、次回!

(つづく)
[2015/06/08 14:57] | 発見! | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
東京にある‘マロニエ’通り!(その1)
東京にある‘マロニエ’通り!(その1)

‘マロニエ’と言えば、松島詩子が歌う‘マロニエの木陰’しか知らないので、まだ戦前の‘大陸的’雰囲気、そんな仄かな感情がある!


出典/https://www.youtube.com/watch?v=ZU_cn0WJ-YE

ところが、ところがである!
その日、東京で‘マロニエ通り’を発見したのである!

2015年05月06日、連休中ではあったが東京で打ち合わせがあった!
打ち合わせは、夕刻18:30からだったので、元浅草の東本願寺境内にある‘浅草浄苑’へお参りすることとした。久し振りに両親のお墓へのお参りと言う訳である。

DSC_0894-2.jpg
DSC_0870-2_201505152136208e1.jpg
DSC_0872-2.jpg
DSC_0872-3.jpg

ここ‘浅草浄苑’では、ロビーに展示されている‘芸術作品’が、2,3ヶ月に一度は入れ替わる!(多分!?)
これもここへ来る楽しみの一つである・・・。
今回の目玉は、あの‘棟方志功’のど迫力の作品だった!

DSC_0878-2.jpg
DSC_0875-2_20150515213622248.jpg
DSC_0877-2_20150515213623cee.jpg

窓からは、相変わらずの‘初夏のスカイツリー’が見えていた・・・。

DSC_0890-2_201505152140227e5.jpg

まだ打ち合わせの時刻まで2時間以上・・。
「じゃあ、元浅草から神田まで、日ごろの運動不足をカバーする積もりで歩いてみるか!」
ということで、歩き始めた!

その途中で、‘マロニエ通り’を発見したのであ~る!

DSC_0903 (1)-2

<追記>:2015年05月15日のブログ・サブタイトルでの順位::第10位!(ベスト10入り3回目!)

ピンからキリまで - FC2 BLOG 管理ページ201505150002-2
ピンからキリまで - FC2 BLOG 管理ページ201505150002-3

(つづく)
[2015/05/15 22:15] | 発見! | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
銀座のキューピッド
キューピッド と言えば、

a0206332_745487.jpg
http://kojiro12.exblog.jp/tags/%E8%87%86%E7%97%85/

http://kotobank.jp/word/%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83
%BC%E3%83%94%E3%83%83%E3%83%89

キューピッド 【Cupid】

ローマ神話の恋の神クピドの英語名。ビーナスの子。弓矢を持つ裸の有翼の少年で、その矢に当たった者は恋心を起こすという。ギリシャ神話のエロスに当たる。


ということで知られている。

それが、銀座に出現しているのである!実は、これは‘駄洒落’の・・・、これは最後に種明かしを!
先ずは、銀座のこのキューピッドが現れている場所から・・・!

<以下の地図及び航空写真は、‘Googleマップ’>

青丸○の場所が、銀座のキューピッドの場所である。

k-1.jpg
銀座四丁目の交差点から、少しだけ有楽町駅の方に行ったところである!

k-5.jpg

航空写真では、以下の通り。

k-2.jpg

k-3.jpg

k-4.jpg

2014年05月02日の今日、東京は銀座に行く所要があって、その時この‘銀座のキューピッド’に出会ったのである!

このキューピッドの面白さは、「物陰に姿を隠しながら、誰に‘恋の矢’を・・・」と一寸ふざけているところである!

画像ー221銀座画廊・宥惠先生個展 065-2

画像ー221銀座画廊・宥惠先生個展 066-2

画像ー221銀座画廊・宥惠先生個展 067-2

画像ー221銀座画廊・宥惠先生個展 068-2

画像ー221銀座画廊・宥惠先生個展 068-3

この‘笑顔’にキューピッドのふざけ心が表れている!

さて、このキューピッドを創ったのは?

http://www.ginza-guide.com/photo/show/id/149
1997年11月、銀座のジュエリー・ウォッチショップ「銀座天賞堂」がリニューアルした際、 「お店のシンボル」として40年にわたって天賞堂の記念品を手がける彫刻家、山田朝彦氏の手によって誕生したのがこの天使。
天賞堂(てんし(天使)ょうどう)との言葉合わせや、ブライダルジュエリーを扱っていることなどから「キューピッド役」を任命されての誕生でした。
彼の仕事は、路地から歩いてくるカップルに向って愛の矢を射ること。
この矢で射られたカップルは「幸福」になれると言われています。

所在地 東京都中央区銀座4-3-9 (銀座天賞堂前)


流石にこの余裕は、銀座である!

一度見に行けば、思わず微笑ましい気分になること請け合いである!

(つづく)
[2014/05/02 23:34] | 発見! | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
浅草橋
‘浅草橋’とだけ聞くと、最初に思い起こすのは「JR総武線の浅草橋駅」である。勿論、それに都営地下鉄・浅草線の浅草橋駅である。

停留所の名前でなく、本当の‘橋’である‘浅草橋’は、何処にあってどんな橋なのだろうか?
このことは、もう何十年も昔から思ってはいたが、わざわざ通勤の帰りに‘浅草橋駅’で下車して‘探し回る’ほどのことではあるまいという訳で、本当の(?)‘橋’の‘浅草橋’を見たことはなかった!

2014年04月07日(月)、偶然にも、その‘浅草橋’に‘遭遇’した!

神田で一つの打ち合わせを11:20に終えて、その後は13:30から日比谷公園近くでの打ち合わせ、第三の打ち合わせは、四谷4丁目である。

二つ目までには、2時間以上の時間がある!
それじゃあ、日頃の散歩をサボっていることもあって、神田から日比谷まで歩いてみようと思った!

しかし、時間は沢山あるからということだったのか、うっかりして神田・室町4丁目の角を曲がって江戸通りを東へ行ってしまったのである!馬喰町を過ぎた頃には気づいたのだが、「まあ、このまま真っ直ぐ行ってみよう!」ってなことで、とうとう‘浅草橋’へ辿り着いたのである!

日本東京都台東区浅草橋 - Google マップ-40001
①‘Google’マップ 西から流れてくるのが、‘神田川’で、北から流れてくるのが‘隅田川’である!

日本東京都台東区浅草橋 - Google マップ-40001-2
②‘Google’マップ 上図の拡大!  ‘浅草橋’は、JR総武線・浅草橋駅から南南西に下った神田川に掛かる橋、のことであることが判った!

これを‘Google’マップの航空写真で見ると・・・

日本東京都台東区浅草橋 - Google マップ-30001
③‘Google’マップ・航空写真

日本東京都台東区浅草橋 - Google マップ-50001
④‘Google’マップ・航空写真

日本東京都台東区浅草橋 - Google マップ-60001
⑤‘Google’マップ・航空写真

今度は、浅草橋の北側の端を東側から、‘Google’マップ・ストリートビューで見てみると・・・

日本東京都台東区浅草橋 - Google マップ0001
⑥‘Google’マップ・ストリートビュー

日本東京都台東区浅草橋 - Google マップ-20001
⑦‘Google’マップ・ストリートビュー 上画像の拡大!

と、これまでは、‘Google’マップを使いこなせば、画像を手に入れることが出来る!

さて、この浅草橋上から私がスマホで撮った写真が以下の画像!

DSC_1769-2.jpg
⑧ ⑦の画像の中央に見える案内看板

DSC_1769-3.jpg
⑨ この案内看板の表示は、下方が‘北’になっているので、面食らう!左方が、東という訳である!



⑤の画面に写っている船とは違うのかもしれないが・・・

DSC_1766-2.jpg
⑩ 神田川に浮かぶ‘遊覧屋形船’!

DSC_1766-3.jpg


DSC_1766-4.jpg


この神田川に、散ったばかりの‘桜の花びら’が浮かんでいる!
正に、武島羽衣作詞・滝廉太郎作曲の‘花’を想いうかべるのに十分である。神田川なのだが、隅田川まで、約100mの地点。

http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/hana.html
「花」

武島羽衣作詞・滝廉太郎作曲

春のうららの隅田川(すみだがわ)、
のぼりくだりの船人が
櫂(かひ)のしづくも花と散る、
ながめを何にたとふべき。

見ずやあけぼの露浴びて、
われにもの言ふ桜木(さくらぎ)を、
見ずや夕ぐれ手をのべて、
われさしまねく青柳(あおやぎ)を。

錦(にしき)おりなす長堤(ちょうてい)に
くるればのぼるおぼろ月。
げに一刻も千金の
ながめを何にたとふべき。


DSC_1767-2.jpg
⑬ 

DSC_1767-5.jpg


DSC_1767-3.jpg


DSC_1767-6.jpg


DSC_1768-2.jpg
⑰ 浅草橋、これが長年心の隅にあった浅草橋! 浅草橋というからには、浅草にあるのだろうと思ったが浅草にあるのではない! 下記の引用文献にある通り、‘都心と浅草を結ぶ橋’というから、田舎ものには判り辛い!

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E8%8D%89%E6%A9%8B
浅草橋(あさくさばし)は、東京都中央区と台東区にまたがる、神田川にかかる橋。

概要[編集]

その名の通り都心と浅草を結ぶ橋であり、かつては浅草寺の門前橋(浅草橋御門)であった。江戸時代には、明暦の大火の際、牢獄での非常時の罪人解き放ちを「集団脱獄」と取り違えた役人が門を閉めたため、神田・日本橋側から浅草の方へ避難しようとしていた一般民衆までもが行き場を失い、2万人以上もの犠牲者を出すという過去もあった。
1873年に、技術の高さで有名な肥後の石工である、橋本勘五郎に架けられ、1930年に当時の最新技術を駆使して現在の浅草橋が建設された。


(つづく)
[2014/04/07 23:37] | 発見! | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
| ホーム |
designated by FC2