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蘗(ひこばえ)は、何故評価されない?
蘗(ひこばえ)は、何故評価されない?

稲の‘ひこばえ’については、次のような解説がある・・。

https://kotobank.jp/word/%E3%81%B2%E3%81%93%E3%81%B0%E3%81%88
(%E5%86%8D%E7%94%9F%E3%82%A4%E3%83%8D)-887644

朝日新聞掲載「キーワード」の解説
ひこばえ(再生イネ)
刈り取り後のイネの茎から自然に出る側芽が伸びたもの。そのままにしておくと穂が出る前に枯死するか、穂が出ても高さ40センチ程度にしか成長しない。肥料や水を適切に与えると60~70センチほどに伸び、最初の収穫から20日目ごろに出穂し、40~50日目で収穫できる収穫量は苗から育てたイネの半分ほど。収穫したイネは稲わらごと圧縮し、発酵させて飼料とする
(2009-02-02 朝日新聞 夕刊 2社会)


と言う訳で、蘗(ひこばえ)は、今のところ人間様は食さないことになっている!

‘Why?’ ナゼ?なぜ?何故?

今年(2015年)の我が家の近辺(千葉県・茂原市付近)での蘗(ひこばえ)は、何だか例年とは違うように思えた!

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これが、これが、本当に‘稲わらごと圧縮し、発酵させて飼料とする’
言って切り捨てられるものだろうか?

この蘗を試食して評価したことがあるのだろうか?

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何だか本番の米よりも美味そうに見えないだろうか?

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到る所に蘗が存在するが、蘗を嫌う農家では、意識的に蘗を耕してしまう!
蘗が何らかの理由で、例えば‘せんべい’や、‘米パン’の原料として好評を得たなら、こぞって蘗を刈り取って、ということになるのではないだろうか?

研究が足りないというか、勿体無いという気が無いのか?

それでは、新コーナーへ!

「‘トリミング’拡大画像コーナー」(第8回)問題編

問題:次の画像は、一体何の一部でしょうか?

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(つづく)
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[2015/11/08 23:23] | 常識のウソ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
春の皇居近辺(その5)二重橋の不思議?
皇居の二重橋といえば、日本人、外国人を問わず、皇居近辺を訪れる人は必ずと言っていいほど、この場所へ行ってしかも二重橋を‘背景’に写真を撮る!

しかし、‘常識のウソ’が、この皇居の二重橋の場合も適用なのだそうである!
これには、一寸驚いた!

いつもの‘二重橋’が、実は‘二重橋ではない!’というのである!

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E9%87%8D%E6%A9%8B
二重橋(にじゅうばし)は、東京都千代田区千代田の皇居内にある橋の通称である。皇居正門から宮殿へ向かう途上、二重橋濠に架かる鉄橋で、本来の名称は正門鉄橋(せいもんてつばし)である。
正門には皇宮警察の皇宮護衛官の儀仗隊がおり、通常一般人は二重橋を渡ることはできない。ただし、事前に手続きをして皇居の参観をする場合は、鉄橋を渡ることができる。また、新年や天皇誕生日の皇居一般参賀時には正門が開放され許可なく渡ることができる。

橋の誤認[編集]

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正門石橋。二重橋だと誤認されることがあるが、この石橋の奥にある正門鉄橋が「二重橋」である。

皇居の入口には皇居前広場側から見て、石で造られた手前の「正門石橋」と、鉄で作られた奥の「正門鉄橋」という2つの橋がある。「二重橋」とは正しくは奥の正門鉄橋の呼称である[1]。正門(江戸城の西の丸大手門)は普段は閉じられており、天皇の即位大礼、天皇、皇后、皇太后の大葬儀など特別な行事のある時や国賓来訪の際以外は使われない。使用される時は皇居前広場〜正門石橋〜正門〜正門鉄橋〜宮殿というルートをたどる。
奥の鉄橋は、江戸城の西丸下乗橋のあった位置で、木造橋時代に橋桁が上下二段に架けられていた。そこから、「二重橋」と呼ばれるようになった。現在の鉄橋は昭和39年(1964年)に架け替えられたもので、橋桁は二重ではない。手前の石橋は江戸城の西丸大手橋があった位置で、現在の石橋は明治20年(1887年)の建造である。二重アーチ構造であることから、「この石橋が二重橋である」との誤認が多い。
「手前の石橋と奥の鉄橋が同じ濠に2つ重なって架かる橋だから二重橋」というのは正確な解釈ではない。また、手前の石橋を言う場合もあるが前述のとおり誤りである。


‘本当の?’二重橋は、次の写真である!

741px-Nijuubashi2.jpg
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:
Nijuubashi2.jpg


これが、‘二重橋’??
現状は、‘二重ではない’が、上記引用文献に明記されている通りの理由で‘二重橋’なのである!


さて、2014年04月11日は、東京は好天気に恵まれた。
打ち合わせの時間に余裕が出来たので、問題の‘二重橋’を観に行ってみた!

先ずは、‘誤認二重橋’から・・・。

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誤認、誤認と言われるが、やはりこの橋が‘二重橋’に‘ピッたし’のように思われる。

‘常識のウソ’は怖い!

それじゃあ、二重橋は・・・

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誤認の二重橋を左に見ながら・・・

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これが、誤認二重橋の上・・・

そして、これが‘正真正銘の’二重橋!

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2014年04月11日13:26

「やっぱり、‘しっくり’こないなあ!」

島倉千代子さんが歌った‘東京だョおっ母さん’に出てくる‘ここが、二重橋、記念の写真を撮りましょね’の場合、

東京だョおっ母さん(昭和32年)1957年
作詞:野村 俊夫  作曲:船村  徹
唄:島倉千代子 

~~~

ここが ここが 二重橋
  記念の写真を とりましょね

~~~


‘二重橋’の場所の設定は、きっとこの‘本当の’二重橋ではなく、誤認の二重橋だったと思う方が自然である!

何故なら、本当の二重橋を観るには、以下の写真にあるとおり、通常写真を撮る場所から、約100mも移動せねばならないし、背景の良さからしても、誤認の二重橋をバックに記念写真を撮りたくなるのは人情というもんだろう!

以下の写真は、本当の二重橋が見える場所から、通常写真を撮る場所方向を見た画像である1

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拡大!

改めて、‘Google’マップの航空写真で、誤認二重橋と本当の二重橋を確認しておきたい!

日本東京都東京駅 - Google マップ二重橋0001
https://maps.google.com/maps?hl=ja

① 画面中央部の‘二重橋’と表示があるのが、‘本当の’二重橋

② 画面中央部の‘皇居正門’と表示がある場所の橋が、‘誤認’二重橋

③ 画面中央右部の‘丸の内警察署・祝田町見張所’と表示がある場所から南南西の方向の場所が、通常‘二重橋を撮影する’場所である!!

一旦、インプットされた‘常識’を覆すのが如何に難しいかということの典型的な例なのだろう!

「みなさん、‘常識のウソ’には気をつけましょう!」

(つづく)
[2014/04/15 23:31] | 常識のウソ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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