「朝まで生テレビ!」 2013年2月23日(土)を全部ではないが、午前1時半頃から1.5時間ばかり見た。
以下に示す通り、‘3つの発言’に感心させられた。 ① 乙武洋匡氏の発言 ![]() http://www8.cao.go.jp/jisatsutaisaku/week/message.html いい意味で気になったのは、乙武洋匡氏の発言 である。 激論は以下のような内容だったが、このサイトの記録には、私が感心した乙武洋匡氏の発言は載せられていない。
乙武洋匡氏の発言:記録を録っていないので、正確さに欠けるかもしれないが要約すると以下のような内容だった。 「 私は、最近映画出演をして‘役者’の勉強をした。小学校の教師をしていた時の経験と役者をやってみて‘教師’について感じたことは、‘教師’を‘役者’であると認識してやってみると、‘冷静さ’を失わないのではないか?と強く感じた。教える側に‘余裕’があれば、‘体罰’は無くなる!」 乙武洋匡氏がそう感じたというから、これは他人の‘受け売り’ではない。そして、上記引用文献にある通り、田原総一郎氏の「体罰絶対反対は反対」に反対した。これには、田原総一郎氏も反論しなかった。
② 藤原和博氏の発言 ![]() http://kk-online.jp/column004_01.html もう一つ、いい発言だったと思ったのは、藤原和博氏の次のような意見だった。 「‘体罰’という言葉を使わない。指導と暴力にきちんと分けた方がいい!」
③ 八木秀次氏の発言 ![]() http://nippon-end.jugem.jp/?eid=1439 更に今後の問題として重要だと思ったのは「文部科学省の中には、何を教えるかを決めるセクションはあるが、どうやって教えるのかを考えるセクションはない」という八木秀次氏の発言である。
これら三人の発言は、日頃からこの問題を自分の問題として考えておられるからこその発言であろう。 これらの発言には、 <1> 教師としての在り方と意識改革 <2> 教育全体を考える場合の基本姿勢 <3> 文部科学省自体の今後の在り方と意識改革 の基本が隠されているように思われる。 いずれにしても、関係者が‘あなた任せ’であって、本当に自ら苦しんでの措置を取っていないところに最大の問題がある。その基本は‘自分さえよければ’の考え方に埋没しているからなのだろうと思われる。 教育者とは何かを改めて考えさせられた番組であった。 テレ朝さんへのお願い:この番組をもっと早い時間帯に持って来て貰いたい。録画して自分の起きている時間帯に見ればいいではないかという意見もあるかもしれないが・・・。 最後に、2013年02月20日の讀賣新聞・朝刊に乙武洋匡氏の‘教育委員会の改革’に関する記事が掲載されたのを転載しておきたい。 ![]() (つづく) スポンサーサイト
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数学で2次元といえば、‘x’軸と‘y’軸の2次元座表軸で示される‘平面’である。
‘0’を中心にした‘+、-’でその平面を図示すれば次のようになる。 ![]() そして、上図のように、それぞれの領域を ① (x:+、y:+)→ 第Ⅰ象限 ② (x:ー、y:+)→ 第Ⅱ象限 ③ (x:-、y:ー)→ 第Ⅲ象限 ④ (x:+、y:-)→ 第Ⅳ象限 という。 物事の‘或る現象’をこの2次元座標軸で表すとその現象を極めて明快に理解出来ると同時に何時までも記憶に残すことが出来る。 例えば、 x軸:為になる y軸:面白い とした場合には、平面図は次のようになる。 ![]() それでは、それぞれの象限に‘社会現象’を嵌め込んでみると一例として次の図のように示すことが出来る。 ![]() <解(怪)説> 先ずは、第Ⅱ象限から・・・。 ・第Ⅱ象限:面白いが余り為にならない → 「落語」 ![]() ・第Ⅲ象限:面白くもなくそんなに為にもならない → 「普通のブログ」 ![]() ・第Ⅳ象限:面白くは無いが為になる → 「親父の説教」、「社長の訓示」etc. ![]() さて、手前味噌解説での最後は、 ・第Ⅰ象限:‘面白くて’その上‘為にもなる’! → 「弊ブログ」 ![]() ここまでは良い悪いは別にして、ご理解を戴くための‘例示’であるから、お気に召さねばご勘弁を! さて、言いたいのはここから! 2次元座標グラフの活用法 <例ー1>:人事考課での活用術 人事考課で悩ましいのは、どのパラメーターをどのくらいの重みで評価するかである。 評価パラメーターは以下に示す通り沢山ある。 <評価の基本1> (http://www.sabcd.com/01kihon/11kihon.htm) によれば、一般論として人事考課における評価の基本は以下の通りという。 ![]() ![]() これだけ評価項目が多いとそれぞれに標準点数を設け、その標準値と相対的にどうかと判断しながら‘個人評価’をしていくことになる。最終的な結果は、それらの項目の点数の合計点ということになる。 しかし、ここで厄介なのは、それぞれの項目が同じ重みを持っているかというとそうではなかろう。従って、単純合計方式は普通何処でも採らない。重みづけ集計方程式をそれぞれ独自に持っているのだ! ああ、面倒くさい! 何とかならないか?! そこで考えたのが、パラメーターを二つにするという方法。 ・パラメーター(1):仕事が出来るかどうか(x軸) ・パラメーター(2):人物が良いかどうか(y軸) 前出の評価パラメーターは、集約すればこの二つのどちらかに入れ込むことが出来る。 そして、それぞれAさん、Bさん、・・・・Eさん、Fさんの確保得点を2次元のグラフの座標(x、y)の位置に書き込んでいくのである。例えば、 ![]() とグラフ化されれば、それぞれの人が職場の何処に配属されるべきかが一目瞭然という訳である。 こうなれば誰しも人事考課の際に‘異動がらみ’であれば、Eさんを自分の職場にということになるし、Cさんは敬遠される。 また、職場における‘OJT’では、第Ⅰ象限に居ない人に注視して活性化が計られるべきであろう。 さて、それでは、‘目標’を掲げるために、これまでの歴史的人物をこのグラフの中の座標軸に置いてみることにする。 <例ー2> 歴史上の人物とは? そう、以下の3人の人物である。 ![]() http://history4u.net/archives/463 織田信長 ![]() http://amesei.exblog.jp/14390712/ 徳川家康 ![]() http://www.shouzou.com/mag/p11.html 豊臣秀吉 そして、 x軸:仕事が出来るパラメーターの代表として、「独創力」とした。 y軸:人物の善し悪しの代表として、「人格」としてみた。 ・織田信長:「鳴かぬなら、殺してしまえホトトギス」であれば、(10,-10) ・徳川家康:「鳴かぬなら、鳴くまで待とうホトトギス」であれば、(-10,10) ・豊臣秀吉:「鳴かぬなら、鳴かせてみしょうホトトギス」であるから、(10,10) 第Ⅲ象限の人物は、歴史に残らないのである。何故って、「独創力もなければ人格もなし」では歴史の舞台には登場出来ない。 この第Ⅲ象限に居るのが、我々一般‘庶民’なのである。 ![]() それでは、我々一般庶民が‘歴史に登場する’には‘どうしたら良いか?’ 或いは、‘どうせねばならないのか?’ これには、それ相当の‘決心と努力’が必要である。 何しろ第Ⅲ象限から出来れば第Ⅰ象限へ行かねばならない。少し努力が足りなければ、第Ⅱ象限か第Ⅳ象限行きであるが、まあまあこれでも良い。 以下に私流の‘第Ⅲ象限からの脱出方法’について述べる。 <こころえと努力> ① 出る杭は‘育てる’。‘出る杭は打つ’ではないのだ!<人格の向上> ② ‘でたらめ’をやってみる。出たら‘芽’となる。<独創力のアップ> ③ ‘非’真面目。‘不真面目’ではない。<独創力の向上> ④ 一捻り。最後の結果をもう‘一捻り’するのだ。<独創力のアップ> この中でも難しいのは‘人格の向上’である。出る杭を育てる、誰にでも出来ることではない。しかし、これが出来ればもう占めたものである。 ‘馬鹿になれる人ほど人望がある’という。元々馬鹿ではしょうがないが、立派な人が‘馬鹿になれる’、そのことが本当に立派で、皆の尊敬を集めるという訳だ。 でも、自分自身のことで言えば、その 道のりはまだまだ遠い! ![]() ![]() ![]() |
4月になった。そろそろ新学期が始まる。
この時期になるといつも思い出すことがある。それは、‘義務教育’の意義 についてである。 ![]() 義務教育フォーラム http://www.hiroshima-u.ac.jp/news/show/id/754/dir_id/23 義務教育の意義とは何か? 義務教育を受ける側、つまり‘生徒’は、日本人である以上自分が社会生活をするために‘最低身につけねばならない知識や教養(道徳や礼儀なども含む)’についての授業を小学校・中学校において、受ける‘義務’がある。 一方、義務教育を自分の子供に受けさせる側、つまり‘親・保護者’は、その子供が社会生活をするために‘最低身につけねばならない知識や教養(道徳や礼儀なども含む)’に関する授業を小学校・中学校において、子供に受けさせる‘義務’がある。 ここまでが‘義務教育’の意味である。 では、‘その意義’とは何か? 我が家では、義務教育について以下の通りに、‘その意義’を決めた。
以上が、‘無い頭を振り絞って’考えた我が家の進学に関する‘憲法’である。 子供3人に同じ様に接触し、同じように話をして、お互いに納得して我が家の進学問題は終わった。 それから暫らく経ってから、ある雑誌に次のような‘駄文’を寄せることとなった。 ![]() 画像-2 983 posted by (C)mobaradesu 1997年当時の「(月刊)ビジネスコミュニケーション 」の表紙 (発行所:株式会社 ビジネスコミュニケーション社)
![]() 国立の春 http://ekitan.com/mamo/sp/spot.do?sid=hanami2010&id=65099 国立市の学園通りは、春と秋では全く様子が一変する。上の3枚の写真は、ほぼ同じところの写真である。 ![]() ![]() ![]() |
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