1963年というから、年号で言えば、昭和38年である。「拝啓天皇陛下様」という映画が封切られた。松竹の喜劇映画で、主役は、ご存じ今は亡き‘渥美清’。その概略は、昭和12年の支那事変で南京が陥落し、兵隊は皆「これで戦争が終わって皆日本へ帰れる!」と喜んだ。しかし、渥美清演じる‘山田正助’は、読み書きもろくに出来ない為、三度三度の飯も食え風呂にまでタダで入れる軍隊は天国だと思っていたため、この戦争が終わっては食えなくなると心配した。軍隊でやさしい上官から読み書きを多少教わった山田正助が、自分だけは軍隊に残して貰おうと、事もあろうに天皇陛下様に手紙を書いたのだ!「ハイケイ天ノウヘイカサマ・・・」
![]() http://www.sugarcom.co.jp/laser/ldphoto/LSK-0011.html この映画に出演したのは、正しく‘大物俳優’ばかり。渥美清を筆頭に、長門裕之、左幸子、桂小金治、加藤嘉、西村晃、藤山寛美、多々良純、穂積隆信、森川信、上田吉二郎、高千穂ひずる、清川虹子、中村メイコ、山下清、それに天皇陛下役としてあの浜口庫之助まで、まるで‘キラ星の如く’である。大ヒットとなり、続・拝啓天皇陛下様が翌年封切りとなっている。 その後、畏れ多い人・偉い人・知らない人に‘何かを申し上げる’場合に「拝啓 00様」という言い方をする風潮が生れた。 現状は極めて深刻な‘不況’である。しかし、個人預貯金・タンス預金は十分にあるという。タンス預金なんてどうやって推計するのだろか? そこで、千葉県知事にブログでは失礼かもしないですが、「千葉県の活性化」について私見を申し上げたいと思っております。( これ以降は、言い方も一寸‘丁寧語’で・・・) ![]() 森田健作千葉県知事 http://sunmusic-shop.jp/products/detail16.html 「拝啓千葉県知事・森田健作様」 千葉県を活性化させるための方策の一つは、‘観光’を目玉することです。‘県内外からのお客様’をお迎えして十分にご満足戴ける‘商品’をご提供申し上げることだと存じます。 ‘商品’とは、一般的には、‘商売のための品物’のことです。でも‘商品’は広い意味では‘品物’だけではないと思います。綺麗な海岸線、これって立派な‘観光商品’です。 千葉県の活性化のためになる‘千葉県の観光商品’を考えてみました。それは次の3つです。 <1> 千葉県の観光商品 ① 海水浴場とゴルフ場 ② 花と食べ物と遊園地 ③ 海岸線の景色と名所旧跡 実は、こんなことは皆さんは誰でも知っています。では、何故、千葉県の観光収入は増えないのでしょうか? それには、‘戦略’が必要です。 ‘戦略’の基本は‘情報をもっと有効に活用する’ことです。今の状態では、インターネットの活用が十分ではないのです。大口の消費者は、皆パソコンから情報を得ているのです。このことを見逃してはなりません!そして、戦略を実施する場合、各市町村が‘バラバラに’対策を打ってはならないのです。森田健作知事の下でコントロールされた‘戦略’の実施が必要なのです。 各市町村での実施重点項目が年度毎に‘一致’していることが必要です。それには、コントロール&司令塔が必要ですし、それが県のお役目です。ひょっとすると、県は、どの市町村がどんなことをやっているかの調査と分析だけに終わってはいませんか?千葉県一体となった実行戦略が必要なのです。それもインターネット活用の戦略です。お客様を巻き込まなければ戦略とは言えません! では、具体的な‘実行戦略案’を以下に述べさせて戴きます。 <2> 千葉県の観光戦略 a) 海岸線の美化と道路整備&道路活用 b) 受け入れ態勢の充実 c) コントロールされた宣伝活動・・・ブログ所有者の活用と‘音頭’で盛り上がり この戦略を 商品①、②、③毎に実行するのです。 多分、これまでになかった戦略は以下の通りです。 <3> 新戦略 A) 千葉県の観光事業を各自治体に任せず‘県’が情報を完全に収集し、コントロールすること。 従って、観光事業予算は、各市町村の分の大半を県にプールし、合意の下に最適な使用方法を決定する。 B) 宣伝活動に、全国の‘ブログ所有者に働きかける。そして、‘千葉県音頭’を知事が唄って・・。 この戦略の新しさには、多分セクト主義の残っている自治体・市町村は反対するに違いありません。しかし、よ~く考えてみましょう。観光客は自治体の境界線を認識はしないはずです。 実行には反対でも、A)の意味するところは理解出来るが、そのB)ちゅうのは‘何やねん?’と思われるかもしれません。 実は、これが本日のご 提案の目玉 なのです。 (つづく) ![]() ![]() ![]() スポンサーサイト
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「わかちた物語」という話はご存じないと思う。何故なら、未だ公表されていないからだ。この主人公は、昭和1桁生まれの実に真面目な研究者である。ただ欠点と言えば、少々アルコールが過ぎること。
或る晩のこと、その日もアルコールが少し入っていた。彼の住いは中野駅で降りてすぐのところにある。勤務地は武蔵野市の市役所のすぐ近くであるから、中央線・三鷹駅で下車し、バスで会社へ向かう。ご存知の方も多いとは思うが、三鷹駅の前には‘特殊な’飲み屋があって、‘ウミガメの刺身’や‘カンガルーの刺身’、‘ワニのステーキ’など普通ではお目にかかれない‘特殊料理’がメニューの中にあった。 噂によれば、今現在その店はもうないそうだ。 ![]() ウミガメの刺身 http://blogs.yahoo.co.jp/kkkuroyuri/52078656.html ![]() カンガルーの刺身 http://photozou.jp/photo/show/2026087/107774149 ![]() ワニのステーキ http://seiji0.blog.so-net.ne.jp/index/17 その日に彼がそこで飲んだかどうかは定かではないが、兎に角少々酔っていたという。彼はいつも通り三鷹駅で中央線の‘上り’に乗った。中野駅に向かうためだ。それからしばらく経って彼が目を覚ますと駅のホームの‘駅名看板’名が、なんと「わかちた」ではないか! 彼は驚いた。中央線に「わかちた」駅はない!彼は直ぐ跳び降りたそうだ。でも、何でもなかった。中央線の「たちかわ」駅にいたのだ。まだ脳が半分眠っていた。そして眠気眼で、駅のホームの駅名を見たのだ。 ![]() http://f.hatena.ne.jp/c-frappuccino/20081024231814 昭和1桁生まれの人達がまだ小学生の時には、横読みの場合「右から左へ」読むことになっていた。 アルコールの影響でついつい昔の‘くせ’が出たのであろうか?アルコールは頭脳を昔の状態に戻すのだろうか?彼もその時、「たちかわ」を右から左へ読んだのだ!(駅名の下にある緑帯の矢印?が右から読め!と言っているようにも見える) そう言えば、アルコールの入った人は必ずと言っていい程「昔は良かった!」という。やはり、アルコールは、脳みその状態を現状から過去へ引き戻すのだ! それでは何故三鷹駅から‘上り’の電車に乗った彼が‘たちかわ’駅で目を覚ましたのか?それは彼が一旦‘上り’で東京駅まで行き、そのまま降りずに眠り込んでいたために、電車が‘下り’に変わって「たちかわ」駅まで行ったとい訳である。それにしても三鷹駅から東京駅まで約35分、再出発待ち時間5分、東京駅から立川駅まで約60分、合計100分、1時間40分彼は眠っていたことになる。いやいや、立川から東京までを2回往復した(計240分・4時間)のだ!という人まで出てきて「わかちた物語」は、未だに飲み会の‘懐かしい話題’の一つとして活きている。 ところで、駅ホームの駅名看板(正式には‘駅名標’という)の‘大きく書いてある駅名’は、昔は平仮名だったが、近年は下の写真にあるように漢字になっている。「わかちた物語」の‘事件’は、昭和50年前後の頃の話である。 その頃‘漢字’になっていたら彼も驚かなかったかもしれない。でも「川立」と読んでやはり同じだったかも? ![]() http://tirol.moe-nifty.com/blog/2010/05/2010-6d75.html http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A7%85%E5%90%8D%E6%A8%99 ‘電車事件’は、‘乗り越し’を筆頭に、‘忘れ物’事件等々面白いものが沢山ある。 (つづく) ![]() ![]() ![]() |
![]() 冬の田んぼ http://www.geocities.jp/tansakuki2/2007jan/tanbo.htm 千葉県茂原市で、今年最初に今日(2012年02月27日)採った‘つくし’だ。‘寒風吹きすさぶ’田んぼのあぜ道で1時間かけた結果である。気温7℃、風速5m/秒。 ![]() 画像-2 359 posted by (C)mobaradesu 本日収穫の2012年のつくし 今年の春は全国的に遅い。梅も未だ房総半島でも3分咲きといったところで、桜も2~3週間は遅くなるかもしれないという予測である。実は‘いいこと’が一つある。‘花粉’が未だ飛んでいない。何時もつくしの時期には‘花粉’の‘全盛期’で、くしゃみをしながらのつくし採りである。が、今年はくしゃみをしないでつくしが採れた。 今から20年前、私は愛媛県・松山市へ単身赴任していた。石手川の土手にはつくしが一杯。地元の人達はつくしを食べないらしく、したがってつくしを採りをしないから、独り占めである。 ![]() 石手川 http://jakotenno.exblog.jp/page/52/ ![]() 石手寺 http://www.city.matsuyama.ehime.jp/kybunka/1177337_1047.html 四国霊場八十八番札所の第51番札所・石手寺。その裏山に弘法大師(空海)の立像がある。高さ約16mである。私は‘大漁’のつくしを持って、その立像の前にお供えして、「このつくし、‘食うかい’?」と聞く。そうすると、タイミング良く石手寺の鐘が‘くわぁ~ん’となる。それじゃあという訳で、私はお供えしたつくしをみんな引き上げて帰って自宅で料理をして食べてしまう。この話の‘題名’を「弘法‘筆’を嫌がり」という。‘つくし’は漢字で‘土筆’と書くではないか! ![]() 石手寺裏山の弘法大師立像・全長約16m・筆の長さ約3m http://blog.goo.ne.jp/cherrita/e/8b89885dd53ce308195309b190e62a5d この話を地元の或る新聞記者に話した結果、うちの新聞に載せましょうか?とお誘いが掛かったことがある。しかし、何だか弘法大師を少しからかったと思われては、弘法大師様にも失礼だし、地元の方々にも悪いのでその話には‘乗らなかった’。従って、新聞にも‘載らなかった’という‘オヤジギャグ’。失礼しました! つくしにはこんな思い出がある。今年もやっと、やっと春が来た! ![]() ![]() ![]() |
![]() 伊達政宗公騎馬像 http://blogs.yahoo.co.jp/dachshund_taro/42943373.html 伊達政宗が自ら設計したと言われる青葉城(青葉城は‘雅称’で、正式名は‘仙台城’という)は、1601年築城が開始され、翌年にはほとんど完成を見たという。関ヶ原の戦いは1600年10月21日である。政宗は東軍に加わって家康が三成討ちに引き返した後東北に留まって上杉の家康追討を阻止した。その功績のお陰で築城についても家康の許可を貰うに当たり比較的すんなりと事は運んだのだろう。その面積は約2万坪で、江戸城に次いで2番目に広い。(因みに、江戸城は約70万坪) http://joukan-tamashy.web.infoseek.co.jp/joukan/miyagi/sendai/sendai.html ![]() 青葉城復元模型写真 http://aiailife.seesaa.net/article/95347942.html 関ヶ原の戦い後の築城は家康の許可無しには当然無理だった事は容易に想像出来るし、青葉城の場合も上記の通りである。各大名がその権勢を誇り近隣大名への威圧感を醸し出すには、天守閣は大事な役目を果たしたに違いないが、その構築に当たっては、幕府の戦略下に置かれたことは間違いない。 註):「天守閣」に‘閣’をつけて表し始めたのは、明治に入ってから或いはその少し前頃と言われている。また、通常の「天‘守’閣」を「天‘主’閣」と記するのは、信長の‘安土城’のみで、①信長のゼウス(天主)信仰との関係或いは②信長が唯一‘てんしゅかく’で生活していたために、‘主の住い’の意味を強調した 等の意見がある。 http://nownow.tenkomori.tv/e185547.html ところが、上図を見ても判る通り、青葉城には‘天守閣’がない! 当然これには‘伊達政宗の戦略’が隠されているに違いない。 天守閣がなかったお城は、青葉城だけではない。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%AE%88 天守閣のなかった③&④のケースは‘外様’が多いという。それはそれなりの意味があったに違いない。 親藩・譜代・外様の定義とそれらの分布図を以下に示した。 親藩・譜代・外様の定義: http://okwave.jp/qa/q5618721.html 政宗は、関ヶ原の戦いでは、東軍に属したが‘外様’である。その理由は、上記の通り‘戦国大名’とは、 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1426992464 だったから、仙台藩は‘外様’である。 分布図: ![]() http://earlgreyimperial.bufsiz.jp/edo_q/edo_q02_daimyouhaiti.htm さてさて、本題のテーマである‘青葉城に天守閣がなかった理由’につては、次のような解説がある。 http://morinomiyako.blog37.fc2.com/blog-entry-53.html ご参考までに、ただ一つの「天‘主’(閣)」である信長の安土城復元図を示す。 ただ一つの「天‘主’(閣)」安土城復元図:http://naraten.blog24.fc2.com/blog-date-20111012.html ![]() 以上の如く、天守閣一つに絞ってみても‘時代背景’、‘諸大名の思惑’が蠢いていて数々の憶測・推理・創作が入り混じっての‘歴史観’には興味が尽きない。 その中でも‘独眼竜・政宗’の時代を生き抜く戦略には‘敬服’せざるを得ない。 今の、またこれまでの政権与党は勿論、野党の政治家の人達それぞれに、もっと‘己の戦略’が欲しい。全くの‘勉強不足’と指摘されても仕方がない程のテイタラクである! そろそろ一年を迎えようとしている‘東日本大震災’に関しても、何ら手が打てず進展しないと思われていしまっているのは、‘政治家がの大半が、全てを他人様の責任にすり替えるから’である。そんな政治家は不要、‘総入れ替えが相応しい’のかも知れない。 政宗時代に東北地方は以下の二つの大地震・津波に襲われている。 この時に政宗公の打った手が今回の東日本大震災の復旧・復興に参考になるのではないか? http://www.jma-net.go.jp/sendai/jishin-kazan/higai.htm この時、伊達政宗の打った手とは? (つづく) ![]() ![]() ![]() |
2012年02月23日、ニュートリノに関するニュースが流れた。
ニュートリノ 測定装置に欠陥 名古屋大「速度誤りの可能性」 東京新聞・2012年2月23日 夕刊 http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012022302000180.html
![]() http://blog.goo.ne.jp/dreamupworld/e/a781b20a28de4281e57f40b734dbfb00 ![]() http://ameblo.jp/souldenight/entry-11027796771.html この記事を見た大半の人は多分「やっぱりね!?」と思ったに違いない。 ① この実験の目的はなんだったのか? ② ニュートリノが光速より速いという理論的な計算は事前にあったのか? ③ 実験の前に「ニュートリノは我々の計算では、きっとこれ位光速より速い筈だから、今回の実験データは多分間違いない」というような事前予測はあったのか? 等々我々素人でも、昨年9月の発表時にはいろんな疑問を持っていた。そして、小松准教授等の発表の数日後には、別の研究グループから「間違いじゃぁないのか?!」との報道がなされていたことも承知していただけに、今回の発表を聞いて「やっぱり!?」という気になった。 ①の実験の目的については、 http://www.sankeibiz.jp/compliance/news/110926/cpc1109261200001-n1.htmと明らかになっている。つまり‘副産物’だったという訳である。 それならもっと慎重にあらゆることを確かめて報道発表されるべきだった。②も③もなく、「逆にニュートリノがもっと速かった可能性もある」と話している。とはどんな‘可能性’を言っておられるのであろうか? 理論的裏付けもなく、「実験したら、‘ひょっとしたら’もっと速い結果が出るのかもしれない」などと仰っておられるのなら、昔の‘錬金術師の発想’と揶揄されても仕方あるまい。約3年もかけて、1万5,000回の実験だったと言うが、今後この問題に決着がつくのは何時なのだろうか? ![]() アインシュタインになった森村泰昌さん http://shumpein.blogspot.com/2010_12_01_archive.html 森村泰昌さんのご紹介:自ら編み出した(?)‘セルフ・レポート’という手法を使って、自分自身が有名な絵画や写真の題材となって作品を世に問うユニークな‘芸術家’。作品は、「第三のモナリザ」など多数。http://www.morimura-ya.com/gallery/ アインシュタインが生きていたら何とコメントするだろうか? ![]() ![]() ![]() |
1925年まで生きた‘天才’、シュタイナーが‘肉食’について‘警告’を発していたという。「肉食は‘攻撃心’を増長させる」と。
![]() ルドルフ・シュタイナー<Rudolf Steiner 1861年2月27日 - 1925年3月30日(満64歳没)> http://wind.ap.teacup.com/naoskoba/446.html ①‘たばこ’の害については、その良さもあるであろうが、肺ガンその他の弊害について指摘されながらもまだまだ‘たばこ’は生き残っている。この良さ、つまり‘鎮静効果’よりも‘たばこがもたらす弊害’の方が大きいことは今では誰もが認めると共に、喫煙しない人にも悪影響があるために、もう‘市民権’が剥奪されるところまで来ていると言ってよい。 ![]() http://www.phcd.jp/katsudou/tabacco/kituentaisasku.html 一方、②‘牛乳’の弊害についても一時期かなり騒がれたことがあったが、今は鎮静化の時期と見えてそんなに騒ぎは大きくない。それに、ご本人だけの問題で他人には‘余り影響がない’ためにたばこほどの騒ぎにはならないと見える。 骨粗鬆症の問題は、今後の長寿社会にとっては大変重要な問題であるだけに心配される問題ではあるが。この骨粗鬆症は直ぐには症状として現れないから‘自分で飲んでみて何でもないじゃん!’で済まされてしまって専門家の警告に耳をかさない傾向にあるが、後になって後悔してももう間に合わない。飲む人飲まない人との‘差’は、たばこの場合と同じくらい深刻なのだが、一般人とはそんなものだろう。 ![]() http://blog.chase-dream.com/2007/01/18/170 さて、今度は、③‘牛肉’の害である。‘狂牛病’で大騒ぎになって日本人は神経質になったが、当のアメリカ人はどうやら平気のようだ。もともと‘西洋人’と‘東洋人’特に‘日本人’とは‘腸の長さ’が異なることから、日本人が西洋人と同じ大カロリー量を摂取するとそれはそれは大変な超摂取カロリーになるということは以前から指摘されていたことである。日本人は何百年何千年もの間‘低カロリー食品’で生きてきたから、出来るだけ‘腸を長くして’徹底的に食物からカロリーを摂取出来るように人体改造が行われれてきた結果だという。だから、急激に腸の長い日本人が腸の短い西洋人の食品を常時食することが悪いことは小学生の知識があれば判るはずである。どうやら今の現状をみると日本人の若者の知識レベルは、小学生以下ということになる。 ![]() http://www.1ginzaclinic.com/DHA/DHA.html ‘牛肉’についての問題は、その‘カロリー’だけのことではなさそうである。冒頭の‘シュタイナー’さんは、‘牛肉を食してはならぬ’と言った訳ではないらしいが、考えようでは‘人類の平和’についての極めて重大な‘警告’であったようにも思える。 シュタイナーさんの業績は凄まじい。‘Wikipedia' の解説は次のようになっている。
シュタイナー氏は、‘人智学’という「人間の叡智」を意味する学問体系を纏め上げ、人間が関与するあらゆる分野に亘ってその業績が高く評価され支持されている。ここではその一端をご紹介し、‘肉食の弊害’を考える礎としたい。 そもそも、人類(ホモサピエンス)は、ネアンデルタール人との戦いに勝ってその勢力をヨーロッパ全域からアジアまで伸ばした。これは‘農耕’と言う安定した‘文化’を身に付けたお陰である。(ネアンデルタール人との勢力争いについては別途) ‘人間が肉食に適さないワケ’の理由を‘ちょここ’さんが「肉食と狂牛病」の中で指摘しておられる。http://apocalypsenow.jugem.jp/?eid=15
極めて説得力のあるご指摘で敬服に値する。このご指摘から、「なるほど、西洋人は肉食をし続けてきたから‘腸が短くなった’のだ」と頷ける。それとも、東洋人・日本人が肉食をしないから‘腸が長くなった’のか、いずれにしても西洋人と東洋人・日本人の違いが説明出来そうである。歴史的には、‘狩猟’から‘農耕’へと進化したと小学校で教わったように思うが・・・。 その真偽はは別途考察するとして、重要なのは‘肉食’についてである。‘菜食主義者’の方達のご意見は?そして結果としてどの方向を目指すべきなのか?少々の検討時間では決め難い興味ある問題である。 ![]() ![]() ![]() |
昨晩のTV番組で、錦織圭選手の勝利の報道があった。(TV朝日・報道ステーション)
![]() 画像-2 271 posted by (C)mobaradesu 詳細は以下の通りである。 http://www.nikkansports.com/sports/news/p-sp-tp0-20120222-907201.html
彼の応援ブログである本ブログも大変嬉しい! しかしだ、‘フェレーロ選手’は、報道によれば現在32歳。2003年の23歳の時に全仏オープンでの覇者とはいうが現在は報道にある通り47位だというから17位の錦織圭選手が勝って当たり前、そんなに喜び過ぎてはいけない!しかし、フェレーロ選手も‘堂々たる’実績を残している。
http://news.tennis365.net/news/tour/players/details/index.html?id=men00012 ![]() http://athlete.ninja-x.jp/C_Ferrero/C_Ferrero.html やってる、やってる!例の‘ガッツポーズ’。これなら安心だ。 頑張れ、錦織圭! ![]() ![]() ![]() |
シャッター通りが‘出現’して随分時間が経ったが、‘手の打ちようがない’と見えて、誰も・何処も改善に向けて行動しないらしい。自然の成り行きとして手を拱いていて良いのだろうか?
![]() http://homepage1.nifty.com/kobayasi/diary/201105.htm 手を打つには、‘その原因’をきちんと明らかにすると同時に‘被害者救済計画案’を作成する必要がある。 <1> 先ずその原因であるが、それを知るには二つのアプローチが必要である。 ① 誰がお客を奪ったか?‘量販店が客を奪った’と言うのが一番の理由だろう。 ② そしてその場所、シャッター通りの場所は、‘駅前繁華街’が圧倒的に多いという。 何故、①と②の現象が起こったか?この原因の究明こそシャッター通り復活対策への道である。 ① 量販店は、読んで字の如く‘大量に販売する店’のことである。量販店が、大量に、計画的に、長期間仕入れをすることを約束してくれるなら、生産者及び卸業者は量販店に格安で商材を運びこむ。これが資本主義経済の原理・原則である。消費者は‘いい物が安く手に入る’と判れば、少々の時間とエネルギーをを掛けても買い出しに行く。量販店には必ず‘大駐車場’がくっついている。誰もがご経験のように、今やこの方式が定着したかのように見える。 ![]() ショッピングモール http://building-pc.cocolog-nifty.com/helicopter/2009/05/2009528-3083.html ② 何故、‘駅前繁華街’なのか? 昔の商店街は駅を中心に繁華街となり市場となった。それは一家の内誰かが必ず駅を利用して一日の勤めに出向いたからである。それには駅近くに住むことが求められる。家庭を守るためのお買い物を担当する主婦も当然駅中心の繁華街・商店街・市場の近辺に住んでいるから、その商店街や市場で買い物をする。 ところが、ところがである。車社会が実現した。‘車社会の是非’については別途考えるとして、現実には日本の経済を引っ張っている柱の一つが自動車産業であることには間違いなく今更車社会は嫌だと言っても現実には後に戻れない。 誰もがお気づきのように、‘簡単に言えば’この‘車社会’が実現したために‘シャッター通りが出来た’と言っても過言ではない。 従って、シャッター通りを復活させるために「‘量販店’建設反対!」を叫ぶのは間違っている。原因は‘車社会だから’なのだ。 ではでは、シャッター通りを復活するには、その原因である‘車社会’をなくせば良いか?原理的には間違っていないが、上述の通り残念ながら車がここまで庶民に浸透し、経済を引っ張っているのが自動車産業だとしたら、そうは簡単に‘車をなくせ!’とデモる訳にも行くまい。何故か?‘己の足を己が食う’からである。 これは丁度、今の‘原発問題’や‘沖縄問題’と同じである。原発居住区(?)に生活する人達へのアンケート調査や聞き込みでは、意外や意外、‘原発反対’の%が低かったりする。沖縄問題も同じで、いわゆる‘総論反対’‘各論賛成’なのである。社会的一般論としては、勿論、‘そんな危ないものいや!’であるが、己の生活となると‘少々危なくっても生活が掛かっている’から渋々ではあるが‘各論賛成’となる。みんな自分の生活が一番大事なのだ! 社会のために‘反対だ!’を貫くご仁は大変かっこよく褒められるが、家庭内では‘問題児’なのだ! さて、シャッター通り出現の原因も大体判ったし、原因を直ぐには排除出来ないという‘矛盾’も判った。 では、シャッター通り復活の具体策は何であろうか? それには、今はシャッター通りとなってしまったがそれらのお店・小売店と量販店それぞれの長所・欠点を検討して‘量販店の弱点’を探してみることだ! 随分昔の話だが、量販店と小売商との違いについて、或る著名な‘評論家’さんが、次のように述べられたことを覚えている。 「量販店は、‘POS(Point Of Sales)システム’を採用しているから‘売れる商品’しか並べない。一方、小売商店では、売れ残った商品が売れるまで新商品を仕入れないから‘売れない商品’を並べている。従って、勝負ははっきりしている!」 正に‘言い得て妙’である。 ![]() スーパー内部 http://www.0909.jp/home/tenpo/aruk.htm この名言・助言は、シャッター通り復活運動者は‘かみしめて’おかねばならない。 買い物をする際の‘キーポイント・キーワード・パラメータ’を考えてみた。 a) 価格 b) 新鮮さ c) 愛想・情報(買い物の楽しみ感) d) 駐車場 e) ついでの要件(ワンストップ)f)距離 パラメータとしては、これくらいのものであろうか? 地域毎にその点数には‘格差’があるから一概には点数はつけられないが、まあ対策を練るには強引にでもそれぞれに点数をつけてみるのも必要である。 下表がそれである。 ![]() 数字は、100点満点で考えた場合のそれぞれの点数である。 これで言いたい量販店の長所と欠点は以下の通りである。 ・量販店の長所:価格が安く新鮮である。そして、駐車場が広い事。 ・量販店の欠点:愛想など全くないし、噂話の情報もないから買い物の楽しみがない。そして、遠いこと。 一方、小売店については、 ・小売店の長所:売り手が顔なじみであるため、愛想が良くうわさ情報もありで人間味があって買い物が楽しい。 また、ついでの要件(例えば、郵便局や美容室などでの用事)を済ませることが出来る。価格も物によっては値切ることも出来たりたたき売りサービスも期待出来る。 ・小売店の欠点:駐車場がない。 この整理の仕方に問題はあるにしても、どうやらシャッター通りの最大の欠点は、‘駐車場がない’と言うことにつきそうである。量販店での買い物に慣れてきてマヒ状態になって、これがお買い物だ、と思っておられる主婦の方達も昭和時代のTV映画番組を見て改めて下町での人間味のある買い物風景に触れたりすると何だか小売店でのお買い物の復活を!の気持ちになられるのかも知れない。 繁華街だったところに‘大駐車場の建設’これこそシャッター通り復活のシナリオだ! ![]() http://www.ms-plus.com/46910 さて、問題はどうやって大駐車場を建設するか?土地問題も含めた敷地(ビルも)の確保と資金の調達問題の解決に向かって今からアイディアを出し合わねばならない。行政はいわばそのためにある。全国市町村長会議に期待するところ大である。 人情味あふれた楽しい買い物が出来る買い物繁華街の復活に向けて頑張ろう!! ![]() 下町商店街 http://blog.goo.ne.jp/triarrowstar/m/200909/1 ![]() ![]() ![]() |
またまた錦織圭君へ!私の主張する‘勝つと思うな!’の精神を実行していた人がスポーツ界で今日見つかった。これはその場面を昨年の夏にTVで自分で見ておきながら気付かなかった私が悪い。何と今夜(2012年02月20日)放送の5チャンネルTV朝日の‘報道ステーション’。‘松岡修造レポート’の中で発見して思わず唸った!(でも、松岡修造が‘勝つと思うな!と言った訳ではない)
それは、‘ナデシコジャパン’のキーパー・海堀あゆみ選手(INAC神戸レオネッサ)が、女子サッカーワールドカップ(W杯)2011で不動の王者アメリカと現地時間の7月17日(日本時間の18日3時30分頃)、日本は決勝戦を戦い、PK戦で見事優勝を果たし時に見せた‘GK海堀あゆみ選手の不可解な行動’である。多分これまでこんな場面で世界中で誰もしなかった‘行動’であるに違いない。 そのPK戦での不可解な行動とは何か?これぞ正に‘勝つと思うな!’の‘奥儀’そのものであった。試合の結果は、 アメリカ: ボックス×/ロイド×/ヒース×/ワンバック○ 日本 : 宮間○/永里×/阪口○/熊谷○ で、日本が奇跡の優勝!となった。 ![]() http://ameblo.jp/aikawanachi/day-20110718.html ![]() http://number.bunshun.jp/articles/-/146965 ![]() これが海堀選手の‘悟りの雄叫び!’だ http://ameblo.jp/stadium-project-mori/entry-10959328916.html ![]() http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/jfootball/2011/07/19/w/ GK・海堀あゆみ選手のPK戦での不可解な行動 彼女は、「アメリカ選手のキックの際に、眼をつぶったまま天を仰いでいた」のだ。(残念ながら、その写真は今まだ手に入っていない ![]() もしもこの時、GKの彼女が勝敗に気を取られてアメリカ選手のキックを見ていたとしたら、「多分こんな素晴らしい結果は出せなかったに違いない」と彼女自身が松岡修造のインタビューにそう答えている。 この勝負のことは忘れて‘無の状態’になった精神状態こそ‘勝つと思うな!’の精神状態である。 錦織圭君、これだ!君もとうとう世界順位17位にランクされたそうだが、この‘無の状態’の意味が理解出来たら‘勝つと思うな!’の精神状態になれる。そうなりゃあ、直ぐにベストテン入りだ! ![]() http://moriken1ro.exblog.jp/i3/ さて、それからが少し苦しい。理解出来てもそのことが‘行動に移せる’には一寸の時間が必要だ。でも君のことだ、一年間この‘勝つと思わない’精神状態で猛特訓に励んだら一年後にはウインブルドンで準決勝まで行ける。世界4強の仲間入りだゾ!この爺が保証する。頑張れ!錦織圭君。あのPK戦のビデオをよ~く観察して‘本物は何か’を自分で掴み取れ! ビデオテープがなければ、TV朝日に言えば済む。TV朝日がテープを貸さないはずはないが、もしも貸さない時はこの爺が松岡修造に言って借りてやる。何せこの爺は松岡修造を昔からよ~く知っているのだ。(ただし、松岡修造はこの爺のことは知らない!一度も会ったことなんかない。こっちが昔から知っているというそれだけだ。これでいいのだ!) ![]() ![]() ![]() |
昨日(2012年02月19日)或る用件があって新幹線・こだま号に乗って東京から静岡県・掛川まで行くことになった。今年の冷え込みもあって富士山はきっと裾野一杯に雪を被っているに違いないと思いながら、馬鹿チョンカメラに近い安物カメラで富士山を狙うことにした。東京からだからわざわざ進行方向に向かって右端の窓側のE席に座ったという訳である。
ところが、そろそろ富士山が見えてくる三島駅少し手前で見た富士山は、裾野一杯になんか雪もなく、おまけに雪が積もっているであろう所から頂上まで運悪く雲が掛かっている。でもこれはチャンスかもしれないと思った。 富士山を写真に収めるにはみんな誰でも思惑通りの富士山、つまり頂上がくっきりと見え出来るだけ雲が少なく、雲があったとしても裾野に少し懸っている程度か頂上だけに懸っている笠雲富士山。そして太陽の当たり方については、富士山に直接日光がまともに当たっての爽快感のある富士山。或いは朝焼け・夕焼けの富士山。又は、上空からの富士山等々である。代表的な写真を他人様のブログから拝借して以下にご紹介。こんな立派な写真を撮られる方に一度お会いしてみたい。 ![]() http://shurifujiko.ti-da.net/e2552109.html つまり、富士山を題材にするする以上、日本一の山であるから、‘日本一美しい富士山’を俺が、私が撮ったぞ!と言いたいのである。きっと皆さん同じ気持ちであろうし、またそうでないと富士山に失礼である。 だがだがである。本日の気象状況、撮影時間帯の限定、動く新幹線の中から、そしてカメラの質と撮影者の技量等々どれ一つとってみても‘美しい富士山’を撮るにしては最悪の条件ばかりである。それじゃあ開き直って富士山には申し訳ないが、‘最も不出来な富士山の写真’を撮ってやろうと思った次第である。これは‘天の邪鬼’の言うより、もう‘ひがみ’である。 狙った場所は、新幹線の中から富士山が一番きれいに見えると言う場所、そう富士川の鉄橋である。鉄橋であるから‘鉄骨’が見えて‘当たり前だのクラッカー’と言う訳である。この鉄骨を潜り抜けての一瞬を!いやいや一瞬の‘鉄骨!を一緒にと二つの画像を狙ってみた。 ![]() 画像-2 233 posted by (C)mobaradesu これは富士川鉄橋にさしかかる前の写真である。船村興産倉庫(株)の看板が見えるから、調べてみたところ、田子の浦港に注ぐ潤井川の鉄橋の上辺りで新富士駅の約1km手前である。上記の通り、昨日の富士山は残念ながらこんな富士山だった。これでは著名な富士山撮影家が撮ってもいい富士山には写りまい。丸で富士山が‘手前なんかに撮られたくない!’と言っているように見える。 さてさて、肝心の目論見である富士川の鉄橋上からの写真が以下である。 ![]() 画像-2 235 posted by (C)mobaradesu 目論見の一つ、‘鉄骨を写す’という狙いは見事成功したが、‘鉄骨なし’は、情けないほどピンボケでとても公開出来ない。でもでも、素晴らしいと思いませんか?富士山と鉄骨がまともに重なっている。この確率はどうやって計算するかは知らないけれど、そんじょそこらの素人には絶対に撮影出来ない写真だと思って思わず小さな叫び声を上げた。 タイトルの‘これまでにない富士山の写真’と言う訳である。多分富士山の写真で公開されたものの中には‘絶対にあり得ない’と思われる。それだけに‘貴重’な作品だと思う。でも、この写真に‘何の価値’があるか?と問われれば‘何の価値もありません!と言わざるを得ない。こんなことを合成写真で見せて喜ぶ馬鹿もいないだろうからこれは合成写真ではない。 自分がこだま号に乗って自分が写した証拠(?)写真を以下に貼りつけた。 ![]() 画像-2 236 posted by (C)mobaradesu 何の縁起を担いだか、7号車に乗っている。自由席だ。 ![]() 画像-2 237 posted by (C)mobaradesu これは‘心霊写真’ではない。丁度トンネルに入った際に窓ガラスに映った映像である。カメラを持っているのが私である。二重に見えるのはお判りのように、ガラスの‘表・表面’と‘裏・表面’とから反射してきた‘虚像’である。 日曜日だったが、こだま号はやはり満員ではなかった。 これだけでは話題がつまらないので、ここら辺りの新幹線にまつわる話を一つ。もうご存じの方も多いと思われるが・・。それは、上りの新幹線車窓から右手に富士山が見える場所のこと。東海道本線の「阿部川駅」辺りらしい。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1311564823 残念ながら、この話を思い出したのは掛川駅に着く直前だった。 それでは、他人様の写真をご紹介。 ![]() http://furukawa1961.hamazo.tv/c512739.html 他人様のブログからの地図をどうぞ! ![]() http://tarouroom.blog89.fc2.com/blog-entry-781.html 貴重な資料、勝手に拝借しました。有難うございました。 ![]() ![]() ![]() |
福岡県・直方市は、昭和の初期から中期にかけて当時のエネルギー・石炭の採掘で大いに栄えた。そして、かなり早く市制が布かれた。1931年(昭和6年)というから日本に市制が初めて布かれた1889年(明治22年)から数えて42年後に第111番目の市となった。
![]() 直方市出身者で一番有名なのは、ご存じの通り日本一の元大関・魁皇である。相撲界でも人気第一人者の魁皇は地元直方市では、それはそれは子供から大人まで‘全員がファン’である。大相撲の本場所の時には、勝てば必ず花火が上がる。魁皇が勝ったかどうかは‘野良仕事’に出ている人にも判る仕掛けになっている。花火が上がるということでも有名になった。また、「直方」の読み方については、相撲放映の際に「福岡県のおがた市出身・・・」と言ってくれるので、‘ちょくほう市’と呼ぶ人はまずいない。そんな訳で魁皇は直方市を有名にしてくれた。 ![]() http://blog.livedoor.jp/freshlif/tag/%E9%AD%81%E7%9A%87 もう一人スポーツで忘れてはならない直方出身者が居る。ガッツ石松を世界チャンピオンに育て上げたヨネクラボクシングジムの会長・米倉健司氏である。彼も世界に挑戦したが、日本のフライ級チャンピオンで終わっている。実は私も直方市の出身であるので、もっと凄~い直方を紹介したい。 それは、この頃またブームを盛り返しそうになった‘宇宙探査・宇宙旅行’の話題の際に必ず出てくる‘隕石’についての情報である。 世界最古の隕石が直方市にあるというのだ。その名も「直方隕石」 「直方隕石」の保管は、その境内に降って来たという‘須賀神社’である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B4%E6%96%B9%E9%9A%95%E7%9F%B3 ![]() 福岡県・直方市の須賀神社:http://blog.goo.ne.jp/noyamany/e/a7958a1fdd26cf14d5675407039cb062 ![]() ![]() ![]() http://kazenoyadori.seesaa.net/article/210169790.html
http://kazenoyadori.seesaa.net/article/210169790.html なお、1992年、島根県に落下した約6kg の隕石、「美保関隕石」と「直方隕石」の成分が一致しているという。この辺の事情については、以下の文献をご参照あれ。「美保関隕石」と「直方隕石」:http://www.asj.or.jp/geppou/archive_open/1993/pdf/19930704.pdf 世界にアッピール出来るこんな貴重な宝物が直方市にある。是非是非この貴重な宝物・世界最古の隕石「直方隕石」を世界中にアッピールして宇宙への関心を深める活動に一役買うために、向野敏昭直方市長が元大関・魁皇を「直方隕石大使」として任命するという企画はどうであろうか? ![]() 向野敏昭直方市長:http://www.city.nogata.fukuoka.jp/ 本ブログにも書かせて頂いたが、ひょっとすると今年辺り、オリオン座のベテルギウスが既に640年前に超新星爆発を起こしていて、その光が届くかも知れないと言う観測もある。そうなったら、一気に‘隕石ブーム’は間違いないだろう!鉄(Fe)より重い金属は超新星爆発の際にしか生まれない。ベテルギウスのすぐ近くにある地球には金(Au)や白金(Pt)が隕石となって降り注ぐ可能性はかなりの確率であるに違いない! ![]() http://blog.goo.ne.jp/stella0706/e/853a6d7882c14b657ea4954b9730ac5a ![]() http://s-yamaga2.web.infoseek.co.jp/dokusho/2012/betelgeussupernova.htm きっと「直方隕石」が再び脚光を浴びる日は近い! ![]() ![]() ![]() |
2012年02月18日(土)日本国・千葉県・茂原市・千沢地区では、今季初めての積雪を観測した。2,3日前にも降雪はあったが残念ながら‘積雪’までには至らなかった。
![]() ‘遊ぼう、外房、皆呼ぼう!’の茂原市:‘花’はコスモス ‘木’はツツジ いっぺん行こうよ 茂原市へ!http://abf.jp/12/2106.htm 豪雪地帯ので雪に悩まされておられる方達には大変申し訳ないが、やはり嬉しくて家の周りの雪景色をデジカメで撮りまくった。関係のない方達には‘糞面白くもない’風景に違いないが・・・。 ![]() 画像-2 174 posted by (C)mobaradesu ![]() 画像-2 172 posted by (C)mobaradesu ![]() 画像-2 170 posted by (C)mobaradesu ![]() 画像-2 182 posted by (C)mobaradesu ![]() 画像-2 185 posted by (C)mobaradesu ![]() 画像-2 189 posted by (C)mobaradesu ![]() 画像-2 192 posted by (C)mobaradesu ![]() 画像-2 195 posted by (C)mobaradesu ![]() 画像-2 203 posted by (C)mobaradesu ![]() 画像-2 204 posted by (C)mobaradesu ![]() 画像-2 211 posted by (C)mobaradesu ![]() 画像-2 209 posted by (C)mobaradesu 2時間後には雪が溶けてしまっている。 ![]() 画像-2 229 posted by (C)mobaradesu ![]() 画像-2 215 posted by (C)mobaradesu このアングルの写真・ウサギの置物も2時間後にはすっかり雪は無くなってしまった。 ![]() 画像-2 231 posted by (C)mobaradesu 豪雪地帯もこんな風に2,3時間で溶けてしまえば問題ないのだが・・・。 ![]() ![]() ![]() |
アポロ11号が、歴史上初めて1969年7月20日(日本時間21日)に人類を月面に到達させて42年以上が過ぎた。私は既に就職をしていて勤勉に会社勤めをしていたが、この日ばかりは有給休暇の申請を出していた。休暇の理由ははっきりとは覚えていないが、多分‘腹痛’か‘頭痛’か‘風邪’だったのだろう。昭和で言えば44年であるからカラーテレビは普及し出してはいたが我が家はまだ白黒だった。
日本時間7月21日11時56分、月面に降りる時、アームストロング船長は「ひとりの人間にとって小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍だ。(That's one small step for [a] man, one giant leap for mankind.)」と述べ、歴史的な一歩を踏み出した。まだまだ技術的には今のような‘ハイビジョン’では当然ないから、我が家で見る映像はコントラストのないぼんやりとした映像だったが、私は胸を躍らせながら画面を食い入るように見ていた。 この年は実は絶対に忘れられない年である。我が家族にとっての最初の子・長女が一カ月後に生まれた年なのである。 少なくとも‘科学者の端くれ’である私は、この歴史上初の‘天体宇宙科学ショー’をリアルタイムで見たかったのである。 ![]() http://kobajun.chips.jp/?p=966 ![]() http://spaceinfo.jaxa.jp/ja/apollo_program.html 誰かの文句ではないが、‘あれから40年!’ ![]() http://store.shopping.yahoo.co.jp/felista/00001007484.html あれから40年、宇宙探査・宇宙旅行の夢は、確実に進歩し続けているという。 ① 月に基地を作る構想 ② 火星探査準備 ③ 木星の衛星・エウロパの解析 これらはもう‘夢物語’の段階を通り越して、鮮やかな‘CG’で解説をされると信じやすい私には、明日にでも実現出来るところまで来ているという感じさえする。 ①の、月に‘今後の宇宙探査のための基地’を作って人間が常駐する計画をNHKのアーカイブス(2月14日・「人類再び月へ進む月面基地計画」)を拝見したが、かなりの実現性が高い計画のように聞こえる。 人間が常駐・常住するとなると、最低先ずは‘水’と‘住居’が必要となる。 水の確保は、月の表面を覆っている‘砂や岩石’が地球のそれと同じく酸化物であることから、‘水素’を‘持って行けば’化学反応を起こさせて水を作り出す方法もあると言う。それより水があるのならを直接探す方が楽に決まっている。そこで目に付けたのが、月の南極・北極付近の‘永久影’だという。 この‘永久影’に水が存在する確率が高いというのだ。‘Wikipedia’ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%88%E3%81%AE%E6%B0%B4 によれば、「月の水」という項目に次のように記述されている。
![]() http://hiroto1201.blog47.fc2.com/blog-date-200910.html 月の北極に少なくとも数mの厚さを持つシート状の少なくとも6億トンもの氷というから、水の再生技術もあることだろうから、もう月では‘断水’の心配はないと思っていいのだろうか? 日本の探査衛星‘かぐや’は、残念がら‘月面に氷の存在が確認出来なかった’旨の発表を‘宇宙航空研究開発機構(JAXA)’が行っていた(平成20年10月24日)。
http://www.jaxa.jp/press/2008/10/20081024_kaguya_j.html (つづく) ![]() ![]() ![]() |
ひまわりの花が太陽を追随する言うのは、きちんとした観察からそうでもないとの答えが正しそうである。
![]() http://www.hagakie.jp/himawari3.htm http://freett.com/kiguro/z-seibutu-02.html#himawari 窓辺に寒さ避難をしている我が家の‘君子蘭’は、やはり春を感じて2月の初め前後から蕾が膨らみ始め、花が咲きだした。よ~く観察していると、光(太陽)に向かって花が開いている。 ![]() 画像-2 081 posted by (C)mobaradesu ![]() 画像-2 089 posted by (C)mobaradesu 直ぐ上のこの写真は、外に回って太陽の方向から撮ってみた。明らかに太陽(光)の方向を向いている。 ![]() 画像-2 096 posted by (C)mobaradesu 直ぐ上のカーテンが下りている夜の写真を見ても花は窓辺を向いたままである。この君子蘭の花が本当に‘花になった後’にでも、太陽(光)の方向を向くかどうかを調べるには‘鉢を180度回転’させてみて、その様子を窺えばよい。 しかし、この君子蘭の花が太陽の方を向いて咲いているには、‘それはそれは深い理由’があるに違いない。この花が必死で咲いている切ない努力を一日でも振り切って己の興味のためだけに180度鉢を回転させることはしてはいけないし、私には出来ない。出来ないもう一つの理由は、この君子蘭を一生懸命に育てているのは私ではなく‘カミサン’だからでもある。 それ程君子蘭は‘可憐な’花である。蘭という名が付いてはいるが、蘭の仲間ではないという。(ヒガンバナ科クンシラン属) ![]() ![]() ![]() |
擦りおろした大根は辛い!これは皆経験があるので知っています。これまで私は‘その原因は、大根を形作っている分子が空気に触れることで酸素と反応を起こして(酸化して)別の辛い物質に変化するからだ’とばかり思い込んでおりました。
丁度レモンの場合のように、レモンにストローを突き刺して吸ってみるとちっとも‘酸っぱく’ないのと同じように。(このレモンの場合もきちんと調べ直さないと危ないかも!?) ![]() http://gazoo.com/g-blog/yokotyou/446152/Article.aspx ![]() http://www.yumetai.co.jp/shop/g/g09655000000/ さて、大根のこのことに気付かされたのは或るTV番組でした。天の邪鬼で頑固な私は、これまでの`‘自説(といっても聞きかじった自説ですが)’を簡単には曲げません!そりゃあ、TVで言っていることがおかしいのじゃあ?と最初そう思っておりました。しかし、 Super源さんの雑学事典 http://supergensan.blog36.fc2.com/blog-entry-689.html に次のように解説してあります。
http://eco.kinomama.jp/lohas/yogo/cat45/post_3486/ http://kotobank.jp/word/%E3%83% 81%E3%82%AA%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%82%B3%E 3%82%B7%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%BC http://kotobank.jp/word/%E3%82%A4 %E3%82%BD%E3%83%81%E3%82%AA%E3%82%B7% E3%82%A2%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%83%88 ここに登場して戴いた‘Super 源さん’のようなお方がおられるので、難しい化学反応のことをいとも簡単に我々のような素人に判るように解説して頂ける。有難いことです。今後ともよろしくお願い致します。 我々にはまだ判らないことだらけです。何故大根にそんな分子構造をしたものが‘同居’しているのでしょうか? 多分、それが判ったところで何の役にも立たないからでしょうか? これらのことを調べている間に、私にとっては大変な発見がありました。それは上記の‘グリコシノレート’の解説記事です。このグリコシノレートは花粉症などのアレルギー疾患を予防するといわれている。という記述です。長年花粉症に悩まされ続けています。一度は‘アロマ’で良くなった経験があるのですが・・。 今年の初めから、‘大根ダイエット’なるものに挑戦しております。まだ花粉症対策は何もしておりません。このままで今年花粉症症状が出なかったら!ダイエットの成功よりそちらの方が嬉しいかも知れません。出来れば、両方の効き目があればなおさら結構ですが・・・。 ところで、大根の‘根’って知ってます? 下の図の‘根’の部分にある‘細い根(側根)’が大根の‘根’とばかり思っていましたが・・・。 ![]() http://www.geocities.jp/fkyh21012/migisita/biological/plant/daikon.html 大根の‘根’についての説明で一番わかり易かったのが上の絵です。出典は上記の通りです。 http://scienceportal.jp/contents/guide/rikatan/0902/090223.html という説明で大体納得の出来る事態となりました。資料ご提供戴きました皆様、有難うございました。 ![]() ![]() ![]() F.A.G.E. |
カラオケが普及するまでは、忘年会といい新年会といい又は新人歓迎会といいみんな‘アカペラ’で、伴奏がないから勝手に歌うのが普通だった。その時の盛り上がり程度のバロメーターは、聞いているみんなの‘手拍子の大きさ’であった。‘アカペラ’は‘合唱’を基本とするが、合唱でない‘独唱アカペラ’も当然有りである。勿論、当時‘アカペラ’等としゃれた言い方もなかった。
![]() http://prtimes.jp/ topics/keywords/%E9%9D%92%E6%98%A5%E3%82%A2%E3%82%AB% E3%83%9A%E3%83%A9%E7%94%B2%E5%AD%90%E5%9C%92/ 私が就職して、私の‘歓迎会’で無理やり歌わされた歌をご紹介したい。何とか記録に残していなければ、忘れ去られてしまう恐れがある。 ‘奈良’県の民謡<独唱アカペラ> ひとつ、一人でするのを‘下宿オナラ’と申します。気分爽快です! ふたつ、風呂でするのを‘あぶくオナラ’と申します。匂い昇ります! みっつ、道でするのを‘警笛オナラ’と申します。人がよけまする! よっつ、夜にするのを‘半鐘オナラ’ともうします。火事と間違える! いつつ、勇んでするのを‘豪傑オナラ’と申します。パンツ破けます! むっつ、無理にするのを‘しびりオナラ’と申します。パンツ汚れます! ななつ、並んでするのを‘並列オナラ’と申します。音が続きます! やっつ、山でするのを‘やまびこオナラ’と申します。音が帰ります! ここのつ、炬燵でするのを‘毒ガスオナラ’と申します。猫が気絶する! とおお、跳んでするのを‘ジャンプオナラ’と申します。倍も跳べまする。!‘どっか~ん!’ 合いの手は、‘プンがプ’であった。 ![]() http://topics.j-cast.com/keywords/%E7%8B%AC%E5%94%B1/ 現在のカラオケしか知らない若者が聞いたら何と言う感想を漏らすだろうか?多分、‘無視’ということになるであろう。今後カラオケもどんな変遷を辿るのだろうか? ![]() ![]() ![]() |
1998年の暮れだったから、もう13年以上も前のことである。ある雑誌に連載を頼まれてコラムを頂戴したことがある。たまたま整理中にその雑誌の記事を見てみた。‘美辞レス・コミュニケーション’というのがそのコラムの名前である。挨拶抜きのコミュニケーションをという意味である。筆者がヴァーチャルカンパニーを訪問して取材をするという想定で、かなり言いたいことを言おうという趣向である。
中身を見てみると以下の記事となっており、日本の不況の低迷はその当時に既に始まっていたことが判る。 ーヴァーチャルカンパニー ボス会見記ー (その19) 文明が文化を食う・・・。 師走に入っても東京では、‘本当の’お天気の方は南風が吹いて一カ月逆戻りしたのかと思われる小春日和が続いて暖かだったのだが、世の中は金融業界倒産の煽りを食らって不況の冷たい嵐は収まりそうになかった。 「日本国の実力は、個人貯蓄額が1,200兆円以上、技術力は世界一やから、そんなに慌てることはない。マスコミが一寸騒ぎ過ぎるんや」と仰る評論家の先生のお言葉を私は信じることにした。だって、株も土地もない者にとってそんな意味での騒ぎには関係はない。ただそれによっての物価の上昇や給与の上昇ストップだけが関心事なのである。バブルが弾けようと弾けまいと何ら直接関係なかったではないか、こんなことを考えながら、登場したばかりの新・新幹線500系に乗って、一路九州へ向かっていた。何と、東京ー博多間を4時間49分という。定刻通り超特急は博多駅に滑り込んだ。 ![]() 新幹線500系 http://www.sssoft.net/tetu/contents/200404mishima_shinnkansen.html 「・・・君は自由業に近いのだから、時間を作って久し振りに博多へ戻って来たら・・・?」そんな手紙を貰ったからなのだ。手紙の主のS教授は私の大学生の時の同級生で、さる大電機メーカに就職。トントン拍子に出世して取締役開発本部長にまでなったのだが、何故か母校の大学の先生になって、故郷へ舞い戻って来たのだった。下手すると社長にまでと噂まであった人物なのに何故?とそんな疑問にはまだ彼は答えてくれてはいなかったのだ。 「旬のふく(博多では‘ふぐ’のことを濁らずに‘ふく’と発音する)は、よかですよ。二人で‘文明論’でも如何?」こんな手紙につい乗せられたという訳である。 S教授の住居は福岡市東区の高見台という所にある。この辺は随分早くから開けた所らしく、周辺の家は建て替え期に入ったということでどんどん新しくなっていた。彼もそんな家の一つを新しく購入したのだと言う。 「やあ、いらっしゃい。待ってたよ」 「・・朝から落ち着かないんですよ!」 奥様も玄関まで一緒にお出迎えである。彼等は学生結婚で、30年前には珍しかったので、‘勇気があるナ!’と感心していたことを思い出した。突然の大学の先生への転換劇にしても。彼女がすんなりと理解したのだろう。給料は恐らく半分以下になったのだろうから・・。 「久し振りに博多のふくもいいけどサ、何だいその文明論でもって?」昔の同級生ということもあって‘美辞less’で聞いてみた。 「まぁまぁ、風呂にでも入って一杯やろう。それからだ。」 性急なのが私の取り柄だったり、欠点だったりするのだが、この‘文明論’が、彼をして今をときめく情報関連のトップメーカの一つである大会社の社長の地位を棒に振ってまで大学の教授にさせたいきさつなのだろうか?私は最新式の泡の出るお風呂に浸かりながら考えていた。 その日のメインディッシュはやはり‘ふく料理’であった。何でも彼の従兄弟がその道の達人とかで、博多では有名な人らしく特別に料理をして届けて貰ったのだそうだ。 「う~ん、うまい!やはりこれが一番よか!」 東京では、‘ふぐ刺し+てっちり’なんて自分の給料からでは先ず無理なのだ。 ![]() http://japaneseclass.jp/trends/about/%E3%81%B5%E3%81%90%E6%96%99%E7%90%86 「最近の年賀状、どう思う?」 「えっ?」 S教授の文明論は、意外や意外年賀状から始まった。私はただ呆気にとられていた。そう言えば師走は恐怖の年賀状書きの月なのだ。彼も私も年賀状は印刷にかけない主義で近頃珍しく筆書きを押し通してきた変わり者。彼の文明論はこうだった。 人間の技術的・物質的所産を‘文明’と定義し、宗教・道徳・学問・芸術・音楽など精神的所産を‘文化’と定義するなら、‘文明は文化という目的のための手段’に過ぎない。しかし、今の世の中を見てみろ。人間の目的が文化ではなく文明だと‘勘違い’され過ぎている。それが証拠に、パソコンやインターネットが情報社会の主流で、それを使いこなす奴が‘優秀’で、使えない奴が‘劣っている’と評価されてはいないか?そして、‘文化’たるコンテンツがおろそかにされている。人間の人間たる所以は‘感動のコンテンツ’だ! 「この頃戴く年賀状には感動がなくなったよナ」 私もそれは感じていた。昔とはいえ印刷がなかった訳ではないが、習慣として手書きか手作り芋判だった。これらには正しく‘個性’しか現れず、下手は下手なりの‘味わい’があったもんだ。友人の数も限られていたから、それなりの個人情報も盛り込むことが出来た。だから‘感動’があったのだ。当時はそれが普通だったから、特に‘感動’などとは思いもしなかったが・・。 ![]() http://photozou.jp/photo/show/368635/60914714 ところが今は、宛名書きだって全員のデータがパソコンに入れてあるから、印刷中に‘自分の感情’が入り込むということは絶対にない。手書きなら、住所を書きながら‘こいつは確か10年前にここに移りよったな。などと思いを馳せながら、顔を思い浮かべながら筆を運ぶことになる。 ![]() http://xn--xckta0a0d5dj3j.com/blog/1575/16.html 「文明が文化を食い始めたと思わないか?」 なるほど。我々人間は文化的に生きたいが、大抵の人はそれだけでは食って行けない。生活費稼ぎに文明を発達させるのではないのか?車に乗ろう。電化製品で豊かな生活を。さあ、情報社会の到来だ!そして、肝心の文化は‘退職後にゆっくりと’と初めから決め込んでしまってはいないか? 彼は元の会社で随分悩んだに違いない。自分は、本当の意味で世の中に貢献しているのだろうか?会社は営利が目的だからそれ以外のことは考えてはいけない。多分、彼はそんな環境の中に自分の身を置くことに嫌気がさしたのだ。 「これから大学で何をやる積りだ?」 美辞less でまた聞いてしまった。 文化的感動を与えるコンテンツ造り、これがS教授の答えである。 文化こそ人間の価値なのだと誰が教えるべきなのか?政府・文部省・学校・先生・親それとも・・・。 自立の道こそ大切だろうから、芸術家・音楽家・評論家・小説家の皆さんにももっと支援をして貰いたい、と彼は付け加えた。文明が文化を食うのを少しでも食い止めたい。それをS教授は私に言いたかったに違いない。 東京に帰ったら早速‘総手作り’の年賀状づくりに励みたい。「日本に‘のぞみ’あり」のCM通り、帰りにもまた新・新幹線に乗った私にも‘望み’と‘勇気’が湧いてきた。(接) ![]() この文字は、「にひとしの およろこびを もうしあげます」と書かれています http://q-labo.info/memo/000207.php ![]() ![]() ![]() |
芸術の街パリには素晴らしい美術館が沢山ある。19世紀に限らず何故画家達は我も我もとパリに憧れたか?勿論何かの切っ掛け、例えばフランスの貴族がお抱え絵師を持つことが貴族(パトロン)の‘条件’だったからという‘経済的な’理由もあったに違いない。絵描きの方には大変申し訳ないが、貧乏を嫌がる程度の情熱なら超一流の絵描きになることは難しいと言われるほど昔から絵描きさんには貧乏人が多い。しかし、逆に‘貧乏’という経済的に‘不利な’立場の経験があってこそ‘真の絵画芸術が生まれる’とも言える気がする。人間は、‘経済的に豊かな’立場になると‘努力’を忘れることになっている。生活にゆとりが出来ると命を掛けて自分の芸術作品を本気で造ろうとはしないのが一般的である。
![]() モンマルトルの丘 http://www.fivestar-club.jp/premium/unitedkingdom7.html 人間の人生は上手く出来ている。ほとんどの人は、経済的な安定さを求めて‘すまじきものは宮仕え’等と嘆きながらも一生懸命に働く。人間にとって一番大事なものは‘文化’だとは理解していたとしても、それは生活が楽になってから‘文化を享受すればいい、芸術を学べばいい’等々と自分に言い聞かせながら・・・。しかし、その時には‘芸術を生み出す機能・能力はほとんど亡くなってしまっているのだ。音楽だって3歳児からでは遅すぎるというし、ゴルフだって超一流選手はみんな小学校入学以前からアイアンを振り回している。‘絵’はピアノやゴルフのように‘一瞬芸’ではない。描いたり消したり修正したりの連続であるから、他のもの以上に‘忍耐’が必要だと思われる。ただ、一瞬芸のように3歳からでは遅過ぎるということはないが、‘感受性’の強い時期を逃せばいわゆる‘画伯’にはなれない。したがって、経済的に有利な道を選択した人達は、その後‘芸術家’にはなれない。一方、貧乏路線を選んだ人達はひょっとすると‘芸術家’に成れると同時に大金持ちになれるかもしれない。大金持ちになれなくても人間にとって一番大事な‘文化’を享受出来る。さあ、あなたはどっちを選んだ人でしょう? もう少し意見を述べると、‘絵’は‘ゆったりとした芸術’であるから、みんなの前で一瞬で描いてしまうなんてこともない。したがって、家庭に少々の裕福さがあってもその目立ちたがり屋の親御さん達には‘流行らない’。それ故才能のある・情熱のある絵描きさん達は‘能力を最大限発揮するための下地作りの時代’にはみんな‘貧乏’なのである。 さて、前振りが長くなってしまったが、パリが何故?ということに対する専門家の意見を集約すると、‘空気が違う’ということになるらしい。画家にとっての命は‘対象とするもの’が、‘描きたい’という気を絵描きさんに思わせる‘オーラ’を発散している必要がある。その‘介添え役’をするのが‘パリの空気’だという。化学反応でいえば‘触媒’が空気と言う訳である。 パリの美術館は、きちんと‘ある整理’がしてあって、それぞれが‘役割分担’をしている。 ① 誰もが知っていて一番有名な‘ルーブル美術館’の役割: 13世紀~19世紀の絵画 ② 最近リニューアルオープンした‘オルセー美術館’の役割: 19世紀中頃~20世紀初頭の絵画 ③ パリ近代美術館(ポンピドーセンター)の役割: 20世紀初頭~現代まで ![]() ルーブル美術館 http://www.travelerscafe.jpn.org/france3/image014.htm ![]() オルセー美術館 http://plaza.rakuten.co.jp/laurier/diary/201003240000/ ![]() ポンピドーセンター http://rinkou.blog.so-net.ne.jp/2010-12-04 そんな訳で、ここで話題にしたい‘印象派’絵画は、19世紀末~20世紀初頭にその隆盛期があった作風だから印象派を見ようと思って、ルーブルが一番有名だからそこへ行ってみて何にもないにやっと気がついたと言っても後の祭りというものだ。事前の調査をきちんとして行かないと失敗する。ただし、上手い具合にこれら3つの美術館はかなりの至近距離にあるから、まあ大丈夫かも知れないが・・・。 印象派と言えば、マネ、モネ、ドガ、ルノアール、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン等々その名は小学生でも知っている。「印象派絵画の技法」として、‘Wikipedia’には以下のように解説してある。 とある。 私がこれからご紹介したい画家・佐々木亮介氏の作品であるが、上記印象派の解説:印象派は、当時主流だった写実主義などの細かいタッチと異なり、荒々しい筆致が多く、絵画中に明確な線が見られないことも大きな特徴である。 と言うところが一寸違うが・・・。 佐々木亮介氏の作品:「静けさ」 ![]() 佐々木亮介作・静けさ 2004 http://www2.plala.or.jp/sasaryo/04-10.html 印象派・モネの「睡蓮」と比較してみたい。 ![]() モネ作・睡蓮 1906 シカゴ美術館蔵 http://abekaheki.blog72.fc2.com/blog-entry-10.html どちらも‘水’がテーマの一部を占めている。そりゃあ、モネ様の方が‘有名度’から言えば‘上’でしょうし、失礼ながらお値段だって比較にならないでしょう。でも、でも‘訴えようとしている中身’や‘技量’の点や‘癒し度’からすれば、我々日本人にとってどちらが‘良い’かと言えば、それはそれは、佐々木氏に軍配が・・とまで思い始めた。 モネには油絵の逞しさがある。水の表情だって素晴らしい。この作品は、モネ46歳の時の作品。 一方、佐々木氏の作品は、59歳の時の作品。間もなく還暦を迎えられようとされた時期の作品である。‘透徹した美’と悟りを開かれたのであろう‘悠々しさ’と‘わび・さび’の奥深さが感じ取れる。まさに絶品である。彼の作品には‘水’を主題・副題にされている作品が多いように思う。この佐々木亮介氏の作品の水は、水の鏡効果も描かれていて水の質感も十二分で‘水よりも瑞々しい’。少しずつじわじわと溢れて自然石を抉って造られた手水鉢の淵を這いまわっている水の表情がまた堪らない! 作品の製造年に約100年の開きがある。勿論佐々木氏の作品が製作されるまでに、作風まで範疇に入れれば‘周辺技術’の発展・進歩もあったに違いないし、後発の画家が有利なるのは当然としても、佐々木氏がモネと同時代に活躍されていたとしたら、評価は果たしてどちらに?・・・。 以上、自称ど素人似非絵画評論家の意見でした。 因みに、佐々木亮介氏が出品されておられる絵画展は以下の通り。 ・第16回 銀座水彩画展 2012年02月27日(月)~ 03月04日(日)AM11:00~PM6:30(最終日PM5:00)会場:銀座 渋谷画廊 東京都中央区銀座7-8-1渋谷ビル2階 TEL:03-3571-0140 ・隗絵画展 2012年03月5日(月)~11日(日)10:00~19:00(初日:13:00~、最終日:17:00まで)会場:船橋市民ギャラリー(第4展示室)船橋市習志野1-4-10 (スクエア21ビル3F)TEL:047-464-2236 是非是非ご高覧あれ! ![]() ![]() ![]() |
勝つと思うな!(その1)で申し上げたかったのは、歌の文句通り「勝つと思うな、思えば負けよ!」の解釈である。やはり「勝つと思う」こそ、勝つ条件だと勝負をするご本人も聴衆もそう思うに違いない。その段階ではまだ本当のプロではないのだ!
本当のプロとは何か?ここで言う‘プロ’とは、‘アマチュア’という言葉の対比・対抗にある‘プロ’のことではない。勝負という段階を通り越しての‘領域’に到達した‘悟り’の境地のことを指す。アマチュアが何もそんな領域に入り込まなくてもいいではないか、という話もあろう。でもここでは、その領域のことを考えたみたい。 (その1)でテニスの全豪オープン男子シングルで‘勝ち残された’4強は屹度その領域に到達しているのかもしれないゾ!と書いては見たものの自信はない。 私の考えでは、試合中に相手から点数を取った時に‘ガッツポーズ’をする選手はまだその領域に到達してはいない。試合が終わった後のガッツポーズのことではない。何故か?答えは簡単だ。ガッツポーズは明らかに‘勝負にこだわっている証拠’だからであるからである。勿論この‘ガッツポーズ’の意味するところは選手個人個人にとって違うのであろう。自分自身に気合を入れるためでもあろうし、また相手への威嚇の意味もあるかもしれない。ただし、見ている方では、相手への‘威嚇’でのガッツポーズにしか見えない。これはまだ、私の思う‘悟りの境地・勝つと思うな!の境地’に到達していない。そんな‘条件付き’で見直してみれば、例の全豪オープン男子シングルでの4強は、まだみんな‘ガッツポーズ’をしている。 ![]() ノバク・ジョコビッチ http://shop.blog.tennis365.net/archives/article/307268.html ![]() ラファエル・ナダル http://blogs.yahoo.co.jp/sunafunafu/56102331.html ![]() ロジャー・フェデラー http://sandars.blog78.fc2.com/blog-entry-330.html ![]() アンディ・マレー http://www.wowow.co.jp/sports/tennis/australia2010/players_murray.html 錦織圭君、今がチャンスだ!彼らはまだ‘悟りの境地’に達していない。今こそ、‘勝つと思うな、思えば負けよ’の境地に達してくれ!そうすれば、君が‘グランドスラム’を達成することも可能である。圭君の目標値は4大大会の一つでも優勝したいことかもしれないが、この‘悟りの境地’に達した時には、4大大会(全豪オープン、ウィブルドン選手権、全仏オープン、全米オープン)全てを制して‘グランドスラマー’になる日は近い。 頑張れ、錦織圭! 日本の国技・大相撲では‘ガッツポーズ’をする力士は今はいない。実は‘ガッツポーズ’は大相撲では禁止されているという。 大相撲での‘ガッツポーズ’について、以下のような記事があるのでご紹介しておきたい。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1115713671 日本人ではないのに、この日本の‘武道精神’を見事に会得して‘悟りを開いた大横綱・白鵬’は見事ではないか! ![]() 大横綱・白鵬 http://hikariy.exblog.jp/i15/ 日本人の大関にも当然見習って貰い早く日本人の横綱誕生の期待に応えて欲しいが、錦織圭君、この精神の取得こそグランドスラマーへの道なのだ!頑張れ! ![]() ![]() ![]() |
日本が金融危機を乗り越える方策を確立すれば、それが‘地球危機を救う方法’の大きな一つの柱になることは間違いない。これには日本人に限らず誰もが認めることに違いない。それなのに、それなのに何故今の日本に、或いは日本人に出来ないのだろうか?
どうやら‘出来ない’のではなく、‘やらない’のだ!‘やろうとしない’と言った方が良いかも知れない。その理由はまだ日本に余裕があるからなのだろうか?それとも‘世界のことなんか知っちゃいない!’と思うくらい日本人は冷たいのだろうか? このところ国会中継を毎日TVで見ることが‘日課’になったが、与党も野党も全員が、私利私欲の政局ばかりに汲々とするばかりで、日本全体のこともましてや世界のことなんて考えての質疑応答とは到底考えられないお粗末さである!前々から国会議員の先生がそんなに立派な先生方ばかりではないとは思っていたが、このお粗末さ、この体たらくいったいどういうことなのか?政党政治の破綻について本ブログでも取り上げたが、もっと国民は‘怒りを爆発’させねばならない。そのためには、‘案’を自ら提案せねばならない! そんな訳で、政治に‘ど素人’の私も‘遅ればせ’ながら、提案をさせて貰いために本ブログを立ち上げた。 公共事業の再検討と推進! これがテーマである。 公共事業を‘Wikipedia’http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E5%85%B1%E4%BA%8B%E6%A5%ADで見てみると、 とある。また、
と解説してあって、‘経済的波及効果はあっても景気対策にはならない’ということらしいが、次のようにも説明してある。
更に、日本における代表的公共事業として次の例が示されている。
‘Wikipedia’の丸写しで申し訳ないが、皆さんが‘Wikipedia'を別枠で見られるとしたらその時間を節約するためと考えたまでであるのでお許し願いたい。 <公共事業費の大きさ> 日本における公共事業費の大きさを別の資料で見てみると諸外国に比べて極めて大きいらしい。しかし、社会保障の大きさはお粗末という。(ここで言う‘大きさ’とは、グラフ中にもあるが、GDPに対する比率の大きさである) 以下のグラフを見て欲しい。 上記2つのグラフから判ることは、先進諸外国に比べて圧倒的に日本の‘公共事業投資’が、GDP比率及び絶対額でも多いということである。これには諸外国におけるこれまでの歴史的背景や現在のその国の施政方針との兼ね合いもあって、諸外国と比較して日本の公共事業投資が十二分過ぎるという結論にはならない。 そして、上記の日本における公共事業の代表例を見ての感想から言えば、‘えっ!?、たったのこれだけ?’の印象である。諸外国との比較でその推進に歯止めをかける必要などまったくない! ‘社会保障と税の一体化改革’についての議論が今の日本では優先していて、公共事業に関する議論が国会でもほとんどなされない。社会保障事業費の増額が、‘経済波及効果と雇用効果’に絶大なる影響を及ぼすことは上記グラフが示すとおりであり、是非推進して貰いたい大きなターゲットである。しかし、ここで取り上げている‘公共事業’への投資もその効果は絶大である。どうかこの二つを同時に進めて欲しい。 二つを同時に進めるには‘財源’がないとの反論は必ずある。しかし、このブログでも以前に述べたごとくそれこそ‘政府紙幣’の発行である。数兆円の発行で、経済波及効果と雇用効果が完全に良い方向へ回りだす。そうすれば、確実に税金の増収に結び付くのは明らかである。 ‘政府紙幣’の発行こそ、この3点セット 経済波及効果と雇用効果と税収効果 を上手く転がす‘国家戦略’なのである。 ただ‘政府紙幣’発行に関して、歴史的見地から眺めてみると、二つの事例・事件のことも見逃してはならない。 <1> リンカーン事件 ![]() リンカーン http://meigen-artgallery.com/entry63.html http://blog.livedoor.jp/nandeya_umeda/archives/50933564.html <2> ケネディ事件 ![]() ケネディ http://kaikyou.exblog.jp/i5/18/ http://shibui.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-e475.html ![]() ![]() ![]() |
‘勝つと思うな、思えば負けよ・・・’という名文句は日本人なら誰もが知っている。あの不世出の天才、世界一の歌姫・美空ひばりが歌った‘柔’の出だしの文句である。この作詞は、関沢新一氏で、このレコード大賞に輝いた‘柔’の他にも人口に膾炙している都はるみの‘涙の連絡船’の作詞家として夙に有名である。
![]() http://www.sbrain.co.jp/theme/V-38.htm 一見矛盾したこの表現は、作者の関沢新一氏が‘世間を驚かして自分に注目を集めよう’とか、作曲を担当された古賀政男先生と組んで‘柔の売り上げを増やそう’とかそんな‘下品な’発想からではない。この文句は、‘関沢新一の哲学’なのである。 勝負に勝つ者、‘勝負にこだわるな!’という教えである。もっと言えば‘悟り’の境地に近い。 ここのところスポーツ面で話題を独占していると言っても良い、或いはこれ程日本人に希望を持たせる話題はないと思わせた人物は、‘錦織圭選手(22歳)’である。彼についての評判は上々である。 彼のインタビューを聞いていると‘勝つことをイメージしないと絶対に勝てない’と言っている。これは私が少しだけ‘拾い聞き’しただけでの印象であるので、彼の本心かどうかは判りかねる。でも話の流れ等々から判断しても、彼はそう思っているのではないかと私には推察できる。 ![]() http://blog.keinishikori.com/ 全豪オープンでの大活躍。日本人なら誰もが興奮して見た!でも結果はベスト8止まりである。ベスト4に‘残ってしまった’人物達。これらの選手は毎回上位を占めるお馴染みの選手である。だから‘残ってしまった’の表現に値する。 ‘勝つと思わなければ勝てない’これもきっと事実に違いない!でもこれは、ある‘上部のひとくくり’の中に入るまでの間の‘金言’である。しかし、本当の勝負はその‘ひとくくり’の中で、‘まぐれでなく’確実に‘トップに居座る’にはどうすればよいか?である。 ここで、表題の文句が効き目を発揮する!‘勝つと思わなければ勝てない’を勝負師の「第一段階」とすれば、「第二段階」は、‘勝つと思うな!’ということになる。つまり、「第一段階」は、ソフトというより肉体を鍛え上げ技術を磨く、いわば‘ハード’面の充実であろう。しかし、残念ながらそれだけではトップに君臨は出来ない!精神力の鍛え上げがあるかないかが今後の錦織圭を左右する。 早く気付け!錦織圭。日本のためにも世界のためにも。多分世界の4強は‘勝つと思うな!’に既に気付いているゾ! ![]() ![]() ![]() |
95が出た!とカミサンが叫ぶ。今年になって初めてだ!これまでの記録は夫婦ともそれぞれ92である。昔は、‘点数’と言えば試験のことばかりで点数と言うのは大きいに越したことはなかったが、最近は‘ゴルフ’といい、‘ゲーム’といい‘点数’が少ない方がいいのだゾ!というものが出回っている。
![]() 画像-2 076 posted by (C)mobaradesu 我々はその昔‘ゲームは亡国の・・・’等と思っていたが、やはり‘ゲーム’は人間の心理状態を上手く利用している‘遊び’で‘亡国’にだけ繋がるものではないらしい。この‘スパイダソリティア’ゲームも嵌ると中々抜けきれない。抜けきれないから‘嵌る’という。もう一度、もう一回と‘本能の命令’でついつい何時間も費やしてしまう。寝る時間さえ惜しんで・・・・。 この‘嵌る’という‘DNA’は多分人類だけでなく今現在行き残っているあらゆる動物や植物までもが毎日・毎秒の生活の上で見出し、少しずつ進歩・改良を積み重ねた結果だろうと考えてもいいのではないか。 ‘嵌る’機能を有していて、なおかつそれが人間の場合‘高度に発達している’から、文明や文化の‘進歩’があるとも言える。‘進歩’と言えばこれまでは誰もが許してくれたが、考えようによっては‘進歩’程怖いものはない。この議論はまた別途する積りであるが・・・。 いわゆる‘高等動物’と人間が勝手に分類している‘学問’の範囲では、‘高等’のバロメータは、‘嵌り具合’の程度と相関関係があるのかも知れない。 こんな‘機能’が、‘戦争を生み平和を生みだすことを拒絶している’としたら・・・。また逆に、‘平和運動に没頭する’機能に繋がっているとしたら・・・。生きとし生けるもの、人類・動物然り、植物然り、‘戦争と平和’という命題を意識する・しないは別として、背負わせれた宿命の中で生き続ける覚悟はせねばならない。 どうやらいわゆる‘平和’は人間の場合望めないのかもしれない! ![]() ![]() ![]() |
随分昔、そう、もう20年以上前に「全日本‘ヒッチ俳句’協会」という集まりを作ったことがある。元来天の邪鬼に出来ているし、その才能に欠けていることぐらいはご本人も認識していたので、まともに‘本道’から挑戦しようという愚かなことはしない。
ただ、日本に生まれた日本人として‘俳句は知らない’と何の挑戦もしないのは悔しいし、俳句の自分作が一つもないというのも恥ずかしい!そんな不純な動機で俳句作りに挑戦しようと思ったのである。俳句は世界一短いがその品位と言いきれの良さと言い確かに立派な文学であり、日本人の心が育てた日本人にしか出来ない文学である。 俳句には、①5・7・5の17文字 ②季語を入れる という2大規則があるということは小学校でも教わる。勿論、規則には例外が付き物で、‘例外を作ることにこそ意義がある’と思う人達も存在する。種田山頭火や尾崎放哉がそんな気持ちであったかどうかは知らないが・・。(種田山頭火:鈴をふりふりお四国の土になるべく) ![]() 種田山頭火 http://www.sakai.zaq.ne.jp/piicats/santouka.htm さて、そんな訳で私が勝手に作った‘新・ルール’は、①の5・7・5の文字数も守り、②の季語を入れることも当然守るが、③季語が、必ず‘掛詞・懸詞(かけことば)になっていること、という決まりである。 落語の‘枕’に素晴らしい例がある。 梔子(口無し)や 鼻から下は 直ぐに顎 これが‘新ルール’の模範であるから、どんなに足掻いても奥深い文学になろうはずがない。単なる駄洒落、暇つぶしである。歩きながら作るのを原則としたいということから‘ヒッチ俳句’という新ジャンルを勝手に作ったのである。 ![]() クチナシ http://www.shigei.or.jp/herbgarden/album_kutinasi.html 以下に私が20年前に作った‘ヒッチ俳句’の代表作を記す。 紅梅(勾配)や 自転車(チャリンコ)降りて 押して行く (解説:寒い寒い冬がやっと過ぎ去って仄かに紅梅の香りがし始めた。これまで寒さに震えながらも自転車で梅林を突っ切っていたが、やっと一年振りに芳しい紅梅の香りだ。私は自転車を降りてゆっくり香りを愉しみながら初春の梅林の中を自転車を押して行った。これが表の意。勿論掛詞の裏の意味は‘勾配’では自転車は乗ったままでは乗り越えられない、の意) ![]() 紅梅 http://sanpophoto2.blog18.fc2.com/blog-entry-185.html ![]() 花屋の子 推薦(水仙)入学で Vサイン! ![]() 水仙 画像 465 posted by (C)mobaradesu つまづいて 買ったばかりの 饅頭しゃげ(曼殊沙華) ![]() 曼殊沙華 http://photozou.jp/photo/show/228257/51788864 (蕪村の句:<牡丹散って 打ち重なりぬ 二三片>を真似て詠める) ボタンちぎれて 打ち重なりぬ 二人連れ (一寸イミシン!) ![]() 牡丹 http://homepage3.nifty.com/kisetu_sikisai/0504botan.html ポンジュース 開発はまだか 未完成(蜜柑製) ![]() 蜜柑の花 http://blogs.yahoo.co.jp/frommarveloustosilk/20018722.html 書いてみて読んでみて恥ずかしいが、馬齢を重ねるとこんなにも厚かましくもなれる。 駄洒落は‘掛詞’の一種である。したがって、掛詞と言えば‘格好いい’が、駄洒落である。駄洒落を‘掛詞’と言えば、今度は駄洒落の品位が増す。そんなこんなで「全日本‘ヒッチ俳句’協会」なるものを思い切って立ち上げてみた。会費は月1,000円と言ったら誰も入会しない。いやいや会費は皆さんが支払うのではなく、会長の私がご苦労様と言って会員になって頂いた皆様に月々1,000円づつお支払いするのですと言っても未だに会員は皆無である。 俳句と言えばその第一人者は‘松尾芭蕉’と教わったものである。小学生の時に先生からのご指導もあって一ヶ月に一度回ってくる学級当番の折に黒板の隅に俳句を書く義務を負わされた。今ではそのほとんどは忘れ去っているが、次の二つだけは未だに記憶に残っている。 北風に運動場の広さかな 勉強の後のおやつに柿一つ どちらの句も添削という形で親父に少し手伝ってもらった記憶がある。今振り返ってみるとどちらの句にも‘屁理屈’が付いている。小学生が素直に詠んだとは考えにくい。自分の‘原作’がどんなものであったかは全く記憶はないが・・。 さて、芭蕉と言えば思い出すのは、昭和30年代の初期、受験戦争の走りだっ頃のことだ。当時受験勉強の強い味方に旺文社発行の‘螢雪時代’という雑誌があった。この雑誌に‘息抜き投書欄’があって、芭蕉の句‘古池や 蛙飛込む 水の音’をもじっての‘素晴らしい句’が載せられていた。 古池や 蛙飛込む 水の音 はせを (これで、‘ばしょう’と発音せねばならない。‘てふてふ’を‘ちょうちょう’と発音せねばならないのと同じように) これが、芭蕉をして‘俳聖’と呼ばせしめた名句である。その理由については別途近々本ブログで紹介したい。 ![]() http://www.yamasan-art.com/Itam-Art/index.html 何と大胆にもこの名句を捩っての‘傑作’が以下の句である。 古本屋 買わずに飛び出す 下駄の音 当時の日本の世相を背景にした‘貧乏学生’の‘日本発展に向けた探究心の深さ’と‘物悲しさ’を端的にしかも‘滑稽さ’を含めて俳句の‘諧謔精神’の真芯にヒットした名句中の名句ではないか! 誠に残念ながら、‘古本屋’も‘下駄’も季語としては登録されていない。 そ、あの頃(40年以上昔)はまだ下駄だった。この名句の作者は今どうしておられるだろうか? 短冊の写真は、芭蕉(はせを)の自筆とされていて、伊丹市立美術館と併設されている‘柿衛文庫’に残されている。 柿衛文庫:清酒醸造で栄えた江戸期の伊丹では俳諧文化が花開き、文人たちの往来も頻繁で、その中で蓄積された文化遺産に故・岡田利兵衞氏(号・柿衞)の系統的な収集を加えて、財団法人柿衞文庫が発足。収蔵資料は芭蕉直筆の「古池や」句短冊を始めとする俳文学関係の軸物や短冊、書籍など約9,500点に及ぶ。日本の三大俳諧コレクションの一つ。 http://www.art-express.co.jp/guide-net/hyogo/kakimori/index.html ‘螢雪時代’の息抜き投書欄での思い出はもう一つある。 昭和30年に発売になった三橋美智也の‘おんな船頭唄’という歌が流行っていた頃である。その歌詞を捩って、 嬉しがらせて(東大一次試験合格)泣かせて(二次試験不合格)消えた(受験料) ![]() http://www.disclegend.com/index.php?main_page=index&cPath=826 これにも大いに泣かされた思い出がある。この作者の方も今どうしておられるだろうか? ![]() ![]() ![]() ![]() |
今日の参議院予算委員会の国会中継午前中の分をNHKTVで拝見した。
![]() http://www.sangiin.go.jp/japanese/taiken/bochou/ph/ph5.html 特に印象に残った‘重大課題’は、これからの日本をどうするかに関する‘政府方針’についての議論であった。 質問に立った野党の礒崎議員が聞く。「現時点での最大の努力は、円高対策とデフレ対策ではないか?日銀総裁どうか?」 白川日銀総裁が答える。「その通りだ。」 礒崎議員「具体的には何をやってきたか?」 日銀総裁「金融緩和で‘零金利政策’を行ってきた。」 礒崎議員「零金利政策だけでデフレ対策、円高対策が上手く行くと思うか?」 日銀総裁「それだけで直ぐに解決は出来ないかもしれないが、徐々に効果はあると考えている。」 磯崎議員「総理はどうか?」 野田総理「総合的に検討して早急に対策を打ちたい。今その‘検討中’だ。」 (以上のやり取りの‘正確さ’は、議事録からの転載ではないから誠に怪しい。ただ、視聴者の一人はこんな受け取り方をしている、とい見本のようなものであることはお断りしておきたい) ![]() 本ブログでも取り上げた(2012年1月22日記事)「‘円高・デフレ対策’である‘政府紙幣’発行」の言葉は質疑応答の中で出なかったが、日銀と政府が検討・相談をして‘それらしき’対策もあるというニュアンスの発言と取れる雰囲気はあった。具体的に早急に議論する場を作って欲しい。 最近の国会中継を見ながら何時も思うこと。 ① 今の内閣を一言で表現するなら「‘検討中’内閣」であるということ。 ② 野党も答弁が‘検討中’というのなら、何故「何時までにどんな答えを出すのか?」と切り込まないのか? ③ 民主党議員は‘具体的な施策’は言わない。理想目標だけに終始する。 ④ 従って、国民は‘議論のための議論’を聞かされているようで‘もどかしい’。 もう一度声高に言いたい! ‘政府紙幣’の発行で‘円高・デフレ対策’を行って、日本経済を建て直せ! 経済研究のプロが集まって議論して欲しい。集まってと言っても‘誰も自分からは集まらない’から、政府が集めればいいではないか!その昔、ノーベル経済学賞受賞者まで招聘して意見を聞いた事実だってあるのに・・。 ⑤ この国会中継は、何故だか知らないがNHK独占のようだ。NHKは独占とは言いながら、全部を中継する訳ではない。その申し開きのためではないかもしれないが、深夜に放送出来なかった部分を流している。民間でも何故中継出来ないのか?深夜まで待たなければならないことの解消にもなるに違いないのに・・。そして、この中継の‘視聴率’はどの程度のものであろうか?国民の知能レベルを明らかに低下させることに努力しているとしか思えない‘低能未熟タレント’の起用による民間TVの質の悪さ解消にも繋がる‘国会中継’を是非民間TVでとお思いの方達も多いのであろうと思われるのに・・。 ![]() ![]() ![]() |
2月5日はお目出度い日だそうだ。
① 1901年2月5日、八幡製鉄所(官営製鉄所)操業開始。 ② 1920年2月5日、早稲田大学と慶応大学:大学令による大学となる。 ③ 1936年2月5日、プロ野球スタート。 ④ 1971年2月5日、アメリカの「アポロ14号」が月面軟着陸に成功。 次のこれもお目出度い日に入るだろう。 ⑤ 1862年2月5日、リンカーンが最初の政府紙幣を発行。 ![]() ![]() |
苺の種は、苺の実の‘皮’にくっついている。普通の果物の種は必ず実の中心にあるのに、苺の種は何故皮の表面にむき出しになってくっついているのか?
この疑問を解消するために、一寸調べてみた。 イチゴの種の本当の場所?http://www.shokuiku-daijiten.com/out_search_mamechisiki_list.php?p=&f=214&r= ![]() ふつうイチゴといえば、赤い果実の表面についているツブツブが種だと思われがちです。でも本当は、この種にみえるものが”痩果”(そうか)と呼ばれる果実にあたるんだそうです。では種はどこにあるのかといえば、果実の中。この固い実の中に、しっかり種があるんだそうです。そして実と思われている赤い部分は、”花托”(かたく)と呼ばれ、いわばクッションのような役割を持っています。痩果の数が多いほど、花托も大きく育つんだそうです。 要するに、種と思っていた‘ゴマ粒’状のものそものが‘果実’で、肝心の種は、その実の中に鎮座しておりま~す、ということらしい。 従って、書き出し冒頭の表現は、全て間違っている。苺の種は、‘苺の実の皮’にくっついているのではないのだ! ![]() http://karapaia.livedoor.biz/archives/51779826.html 上の画像、いったい何のパーツかわかるかな?実はこれ、イチゴの子房と果実なんだそうだ。白い部分が本来の果実で赤い部分は子房だという。これらの写真は、ロンドン在住のブランドン・ブリルというフォトグラファーが、走査型電子顕微鏡(SEM)を使って撮影、着色したもので、「Microcosmos」という本から一部公開されたものなんだ。身近にあるものも、拡大してみると、まったく違った世界があるということを、改めて実感させてくれる素晴らしい写真がたくさん収められているんだ。 上の走査型電子顕微鏡(SEM)写真でお判りのように、苺の‘ゴマ粒状’の‘実’の外観はよ~く判ったが、肝心の‘種’の写真は見当たらない。機会があれば、自分自身で、苺の実の皮を剥がして、‘苺の種’をSEMで観察し、上手く写真撮影に成功したら是非公開してみたい。SEM写真の着色方法はまだ知らないので、モノクロ写真にはなると思われるが・・。乞うご期待! ![]() ![]() ![]() |
間接体験は、大昔には中々出来なかったことであるが、最近はIT技術の進歩・発展のお陰で間接体験だらけである。エヴェレスト登頂のドキュメンタリーTVを見ると何だか自分までもがエヴェレストの登頂に成功したと思ってしまう気分になる。或る意味ではこの経験は大いに‘役立つ’効果を持つが、そのことが人間とって‘禍’になってはしまいかと思うことがある。
![]() 植村直己さんのエヴェレスト登頂 http://htbt.jp/?p=924 1970年5月111日の植村直己さんのエベレスト登頂(松浦輝男氏とともに日本人初登頂)のニュースには全国民が自分も一緒に登頂した気分になった。 茶の間でビールを飲みながら呑気に見ているのと本物の苦労は、∞の違いがある。下手すると自分にだって‘容易に’夢が達成出来るのではないかと錯覚する。勿論、この本当の苦労を認識して自分もと‘夢と希望’を持って真摯に努力を決意する人達にとっては、この間接体験は極めて‘有意義’に違いない。これは大いにいい事であるが、そうでない場合を考える必要がある。努力もろくにせずに俺にだって運はあるさとばかり、‘努力と運’を勘違いして運を頼りに失敗した例はごまんとある。 直接体験は、五感を使っての体験である。つまり、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の5つ感覚を全部使っての体験であるが、間接体験は5つの内、視覚と聴覚だけの体験である。つまり、嗅覚と味覚と触覚を使わない体験であるから、その‘感動’は、直接体験に遠く及ばないのは必然である。 特に、嗅覚と触覚を使わないから間接体験には‘におい’と‘おんど’がない。 これでは‘感動’の強度が実体験に比べて何倍も‘小さい’ことは明らかである。 植村直己さんのエヴェレスト登頂で言えば、お茶の間でビールを飲みながら間接体験をする訳だから、寒さも感じなければ8,848mの空気の味も雪の感触もない。それなのに間接体験をしてみると自分が植村直己さんと一緒にエヴェレストに登頂した気分になってしまう。 これら間接体験だけを積み重ねて出来あがった‘人格’が如何に薄っぺらなものか、解説する必要もない。 世の中がこんな薄っぺら人格の持ち主ばかりになってしまっているのではないか? ![]() 長年カンボジアでボランティア活動をされている小山内美江子さんが、NHKラジオ深夜便・隠居大学で嘆いておられた。日本から来たボランティアの‘学生’がカンボジアでは役に立たないという。知識だけはあっても何をやらせても実際の仕事は何も出来ないというのだ。こんなボランティアの人達を‘ボランティア難民’と呼んでおられるという。 小山内美江子さんといえば、あの「3年B組金八先生」の生みの親である。 彼女はボランティアの学生に「匂いと温度を感じて仕事を・・・」と仰っているという。どうやら全うな人格が今の日本では出来上らないと言いたかったように聞こえた。 ![]() http://www.tbs.co.jp/tbs-ch/lineup/d0645.html 最近の大学では、学生のレポートがみんな同じ言葉使い同じ表現だという。同級生のレポートを写したのではない。みんなが同じソースからパソコンの‘コピー機能’を使ってレポートを作成するからだという。 自分の文章も書けない学生、果たして日本の再生を彼らに任せていいのだろうか? ![]() ![]() |
房総へ引っ越してきて今年で17年なる。外房は特にいい。こんな‘キャッチフレーズ’を作った。
‘遊ぼう、外房、皆呼ぼう!’ これを或るコピーライターの先生にお見せしたら、‘いいね~!’と仰るではないか!特に‘韻を踏んでいる’ところがいい、との評価である。当然嬉しくなった。 ![]() http://www.pref.chiba.lg.jp/kankou/boshuu/osusumekankou.html 房総半島も特に外房は、直接太平洋に面しておりその点では内房よりも当然海が美しいし、空気も綺麗といえる。 東京から引っ越してきて空気の綺麗さに驚いたのは変な体験からだ。尾籠な表現で申し訳ないが、‘鼻くそ’が黒くならない。白いままである。これには一寸驚いたし、嬉しい気持ちなった経験がある。 こんなちょっとした経験が益々外房を好きになる切っ掛けとなった。 ![]() http://blogs.yahoo.co.jp/machakun1128/25053321.html 犬吠埼灯台は、明治7年(1874)11月15日、日本で24番目の洋式灯台として点灯し、現在も海上交通の重要な道しるべとして立派にその使命を果たしています。また、犬吠埼灯台には毎年10万人以上の人々が訪れ、初点灯以来これまで参観者数日本一の座をほぼ独占してきました。さらに、平成10年(1998)6月に「世界の歴史的灯台100選」、同年11月には「日本の灯台50選」に選ばれました。 http://www.inubo.net/brunton/ablth.html ![]() 地球の丸く見える展望館からの景色:奥に見える岩が連なっているのが、屏風が浦です。俗に東洋のドーバーと言われてます。 http://www.cocoii.net/j-oceanview/marukumieru.html ![]() http://www.pref.chiba.lg.jp/kankou/boshuu/osusumekankou.html 九十九里浜は、古名は玉浦(玉の浦)であるが、源頼朝の命で6町を1里として、1里ごとに矢を立てたところ99本に達したという伝承から「九十九里浜」と言われるようになったとの説が有名である。古くから用いられていた長さの単位の1里は6町(1町は約109メートル)であり、109メートル×6町×99里=約64.7キロメートルなので、実際にほぼ99里である。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E5%8D%81%E4%B9%9D%E9%87%8C%E6%B5%9C ![]() http://nanja-monja.co.jp/around/newyear/sunrise.php 九十九里海岸は新年の‘ご来光’を日本で最初に拝むことでも知られており、その経験はまた特別である。一年の計が元旦にあるとはこういうことかという気分なる。お試しあれ! ![]() http://welcomemik.exblog.jp/i34/ 上の写真は、お天気の日には多分何時だって見られる光景である。地元の方達は‘普通’と思っておられるようだが、日本の中でも滅多に見られない極めて美しい海岸なのである。なんでもう少し地元は‘観光資源’として宣伝に努めないのであろうか?九十九里海岸の周辺には工業地帯はないから河川の汚染も少ないと思われる。東京首都圏から車で2時間以内で‘美しい景色と空気’が満喫出来る。 多少気になることといえば、道路状況である。海岸像の道路だけを利用するとなると行きも帰りも‘渋滞’が発生し、恐らく夏の場合夕方4時過ぎであれば2時間以上の‘待ち・のろのろ’は覚悟しなければならない。でも海岸縁道路への直角進入道路は沢山在る。一度試したことがあるが、房総半島の中央を通る道路を選択すれば、東京首都圏まで渋滞なしで行きつける方法が見つかるはずだ。 ![]() http://www.realbosoestate.jp/baba/2008/02/016.html これだけカーナビが発達した。地元の観光客誘致を担う市町村の観光課の皆さんが連合して誘致計画を立案すべきだ!この時のキャッチフレーズには是非この‘遊ぼう、外房、皆呼ぼう!’を使って欲しい。勿論無料! これは、内房の場合も使える。‘外房’を‘内房’に替えればよいのだから・・。 ![]() 外房で最も有名な観光地の一つに月の沙漠記念像と記念館がある。 ![]() 月の沙漠記念像:http://http://www.mapple.net/byarea/0303030100/guide_all.htm ![]() http://www.town.onjuku.chiba.jp/ 月の沙漠記念館:「月の沙漠記念館」は、御宿をこよなく愛した詩人加藤まさをの作品や資料の展示・公開をはじめ御宿にゆかりのある文人や画家たちの紹介等、御宿の再発見と新しい文化の創造を目指して建てられた夢とロマンあふれる記念館です。 ![]() http://www.gochiba.com/picture/sum1/DSCN3549.jpg 野島崎灯台:房総半島の最南端、太平洋に向かって突き出た岬に立つ野島崎灯台は、明治2年(1869年)にフランス人技師ウェルニーによって設計され、関東大震災によって一度倒壊したが、大正14年(1925年)に再建される。そして現在に至っている。 この灯台は開国の歴史を飾る慶応年2年にアメリカ、イギリス、フランス、オランダの四ヶ国と結んだ「江戸条約」によって建設を約束された八ヶ所の灯台の一つです。 http://www.boso.ne.jp/web/10001/nojima.htm ![]() http://bicycle-touring.cocolog-nifty.com/boso/cat5937139/index.html 上の写真は、九十九里浜のほぼ中央大網白里海岸です。九十九里浜の典型的な海岸です。 九十九里浜には、白里や白子、白浜など地名に‘白’のついたところが多数あります。 もうお判りの通り、九十九は‘百’から‘一’を時いた数、すなわち‘白’という訳です。(つづく) ![]() ![]() |
この冬はここ数年感じたことのない‘異常現象’が見える。冬の季節と関係のない‘地震’が東日本大震災の余震かもしれないが、ここのところ引き続き起こり過ぎている。この一年近く‘地震慣れ’してしまっていて、少々の揺れには慣れっこになってしまっている。この問題は国家挙げての努力でも‘防ぎようもない’程のエネルギーだから、防御の方法の検討しかないと思われる。
さて、ここで議論したいと思っているのは、‘豪雪’問題である。 ![]() http://www.sekkankyo.org/zenkoku.htm 有史以来と言ってももいいと思われるが、‘雪下ろし’という極めて危険な行為に頼るだけで、何の対策も打てないというのは一体何故だろうか? (1) どう考えても対策を打たねばならない人達つまり行政を司る人達が、本当に親身になって考えないからだろうか?それとも (2) 日本の技術者 or 技術者を抱えている製造メーカーが怠慢なのが原因なのだろうか?または (3) 行政を預かる人達には出来ない条例では済まない法律を作る国会が優先順位を間違えている結果なのだろうか? これらの‘担当者’に聞いてみたところで、いずれも‘問題解決の意思がない’とは言うまい。方法が見つからないのである。それは何故か?問題の本質に迫る議論がなされないからだろうと思われる。では、問題の本質の議論とは何か?実は、豪雪の原因は国民のほとんどの人達が知っている。それなのに何故? ![]() http://blog-imgs-48.fc2.com/k/i/s/kissyarita/20120201171207c1a.jpg 防災対策ガイド(http://bousai.apk7.com/ )によれば、日本海側に降る大雪の原因の項目に次のように述べられている。 日本海側に降る大雪の原因は以下のようなものが考えられる。 ① 北西季節風が日本海を吹き渡るとき、シベリア大陸の沿岸から北陸までの距離が最も長い。 ② 北陸沿岸には、冬でも10~14℃の高水温の対馬暖流が流れている。①と②によって、冷たい北西季節風に熱と水蒸気が大量に供給される。 ③ 北陸地方の背後には、険しい脊梁山脈がびょうぶのように立っているので、水蒸気をたっぷり含んだ北西の季節風が衝突すると、上昇気流が発生して大雪が降る。 ④ 寒気に伴う筋状の雲とは別に、その南に見られる帯状収束雲の持続性と進入も一因となる。 この③に注目して欲しい。この事実は小学生でも知っている。 ‘ああ成程’と思われるかも知れないが、ここが大事なところである。 私の提案は、‘険しい脊梁山脈がびょうぶのように立っている’のが原因であるから、これを‘取り除く’のだ!すなわち、日本列島の屏風のように聳えていて‘降雪の原因’を作っている‘山を削る’のだ! この提案を聞いた人達は、多分ほとんどが反対するに違いない。本当に豪雪に悩まされておられる人達を除いては。 1)景観が失われる 2)費用がない 3)時間がかかる 4)他への影響が大き過ぎる 等々の理由で。 しかし、よ~く考えてみよう。 1)景観は自然から与えられたものだ。山を低くして景観の良いように作り直せばよい。 2)費用は国家予算とすべきである。 3)時間をかけないようにするにはどれだけの予算が必要か検討すればよい。 4)他への影響はどんものか?出来るだけ悪影響が出ないようにするにはどんな手を打てばよいか? こんな検討は今迄屹度されてはいないはずだ。 この国家プロジェクトを計画実行すれば、以下のメリットが考えられる。 a) 勿論出来あがった暁には、豪雪地帯は無くなって人命を落とす確率が極端に低減出来る。 b) 恐らくこのプロジェクトには相当巨大な投資が必要だから、何十万人の人を数年間以上雇用する必要がある。失業率を一 挙に減らすことが出来る。 c) やり方次第では、世界一住みよい国に変貌させることも出来る。 ![]() http://yassy.system-a.org/keiei/kouhout/gosetsu/photo/060107ii6.jpg 大昔から、エジプトのピラミッドはどんな目的で建設されたか?の疑問に、「王様が奴隷を酷使して自分の墓を造った」の次が「ナイル川の氾濫の時期に仕事の出来ない農民を救うための公共事業」とその目的が変わってきたが、現在は更に検討・研究が進んでいて、公共事業のためだけではないらしい。 その正解は、エジプトのピラミッド研究に待つことにして、日本の豪雪地帯をなくして、穏やかな 日本の再生プロジェクト「豪雪地帯をなくせ!」 の目的が失業対策であっても一向に構わない。 一刻も早くこのプロジェクトを立ち上げて貰いたいものであるが、最大の困難は‘予算の確保’である。これにこそ、例の‘政府紙幣’を使うのだ。百兆円をかけちゃってもいいではないか!十分に引き合う事業だ。 ![]() ![]() ![]() |
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