スカイツリーに纏わる見所として、水族館がオープンになった。‘すみだ水族館’である。水族館施設で最も重要な設備は‘水槽’である。
http://www.sumida-aquarium.com/zone/mainpool.html すみだ水族館の水槽 世界の大きな水族館の水槽はほとんどこの会社が引き受けていると言ってもいい程で、それは日本の会社である。 日プラ株式会社 ‘日プラ’は‘ニップラ’と発音する。 http://www.nippura.com/cgi-local/re_index.cgi 日本が世界に誇る‘超最先端技術’を持った会社の一つである。バックには‘住友化学’がついている。アクリルの製造は、この住友化学である。 対象が一般大衆ではないので、TVで宣伝する必要がないから、一般には知られていない。 丁度、冷蔵庫のパッキンを造っている会社が、製品が冷蔵庫メーカ向けであるからTVで宣伝しないのと同様である。 兎に角実績が素晴しい! しかし、この実績を齎した‘背景’には、社長ご自身の並々ならぬご努力とユニークな発想とが相俟っての実績なのである。 この経営方針は、これまでの‘官僚型’会社組織の行き詰まりを打破する「‘未来型’会社経営法 」とでも呼ぶべき会社経営の‘原点’があるように思える。後半でこのことを述べる積り。
ドバイ、アラブ首長国連邦のザ・ドバイモール(ショッピングモール新築工事) もその中にあるアトランティス・パーム水族館(水族館新設工事)も‘当然’このニップラが引き受けた(2008年・完成)。 http://www.thelocationguide.com/directory/view/16931-the-talkies ドバイアクアリウム しかし、2010年2月、不吉なニュースが流れ、会社は勿論、知っている日本人は‘ひやり’とさせられた事があった。 http://unkar.org/r/news/1267369315
しかし、これは、以下に示す通り、‘日プラ’の責任では全くなかったし、‘日プラ’は問題を起こした‘競合会社’に技術的な‘手助け’をする手を打った。そのことで、ますます‘日プラ’の評判は良くなり世界一の座をゆるぎなきものにしたと思われる。 まさに‘情けは人の為ならず’である。
さてさて、私が‘絶賛する’「‘未来型’会社経営法 」とは? 以下の文献(香川県の訓練教材?)から、‘箇条書き’して見る。 http://www.pref.kagawa.jp/shoko/startup/case2(nippura).pdf 【C a s e2 】大型アクリルパネルで世界中に夢と感動を与えるオンリーワン企業 : 日プラ株式会社 ① 会社概要 設立年月 1 9 6 9 年9 月 資本金 8 , 0 0 0 万円 代表者 代表取締役 敷山 哲洋 所在地 香川県木田郡三木町井上3 8 0 0 - 1 工 場 ◆ 志度工場: 香川県さぬき市鴨庄4 5 3 2 - 2 8 ◆ 沖縄工場: 沖縄県うるま市洲崎1 2 - 6 1 ◆ U S N I P P U R A I N C .: 3 6 1 1 T r y c l a n D r . C h a r l o t t e , N C 2 8 2 1 7 従業員数 7 5 名( 2 0 0 8 年3 月1 日現在) 事業内容 アクリルパネル「アクアウォール」の設計・製作・施工 水槽内防水ライニング工事( スミライニング) 映像スクリーン「ブルーオーシャン」の製造・販売 ( 沖縄美ら海水族館「黒潮の海」 日プラ〔2 0 0 8 〕より) ( 日プラ〔2 0 0 8 〕等を基に県が作成) ② 代表取締役である敷山哲洋氏 :高校卒業後、香川県に渡り、アクリルの接着方法を研究。試行錯誤の末、その技術を身につけた。「技術をもっと付加価値のあるものに利用できないだろうか」(『潮』2 0 0 7 年 1 1 月、8 3 頁) と考え、それまでの量産品生産に見切りをつけ、同僚数名を伴い退職。現在の日プラの前身である日プラ化工を新たに設立した。1 9 6 9 年のことであった。 ③ 日プラ化工設立直後、屋島水族館の回遊式水槽工事を受注し、アクリル製回遊式水槽を手掛けることとなった。そして、1 9 7 0 年1 月1 日、屋島水族館は、世界初のアクリル製回遊式水槽を配し、オープンした。 ④ 「苦難の連続」:『技術はあっても知名度がない。大きなプロジェクトでは相手にされず、入札ではいつも、大手に負けとりました。』(『日経ベンチャー』2 0 0 7 年1 月号、5 0 頁) ⑤ 水槽用アクリルパネルの受注が思うように伸びない日プラは、生き残りを図るため大手電器メーカーの照明器具の傘のデザインコンペに参加。そこで企画力が認められ、大手電器メーカーの下請けとしてアクリル製の照明製品を製造することとなった。 ⑥ 哲洋氏はここで、『「下請けは止めよう」と決意した』(『日経ベンチャー』2 0 0 7 年1 月号、5 0 頁)結果的にこの決断が、現在の日プラをつくりあげる重要なポイントになり、アクリルパネル事業に特化する大きな転換期となった。 ⑦ アクリルは、非常に透明度が高いことから水槽として適している。ただ、水族館の大型水槽となると、とてつもない水圧に耐えられるものでなければならない。万が一壊れた場合、大惨事になるのである。そのために、水槽の製造には高度な技術と緻密な作業が必要となる。幅1 0m とか、厚み5 0 0 m mなどといったものをつくろうとするとそう簡単にはいかなくなる。問題は、接着時の温度である。温度により接着剤の硬化速度が変わる。硬化速度が変わることによりパネルの部分ごとの収縮率が変わり、パネルに気泡ができてしまう。 この問題は、当然パネルが大きくなればなるほど顕著になる。日プラは、この問題を克服する技術、つまり、パネル接着時の環境を安定させたり、接着剤を均等に注入し均等に押さえ込む技術を持っている。このことがオンリーワン企業としての日プラを支える土台なのである。 ⑧ 哲洋社長:『振り返ってみれば、物造り技術屋なので、私自身、商品に妥協はしません。検査で大丈夫だと言われても、「ダメだ」とはねてしまうことがあります。アクリルは、美しく透明というだけではいけません。この中に歪みがあり見れば分かりますが、すぐに熱処理で除去しないといけません。それが残っていると1 0 年、2 0 年経って一気に壊れることがあります。』 (『宙舞』2 0 0 7 N O . 6 0 、2 4 頁) ⑨ ちなみに、初めて手掛けた屋島水族館のアクリルパネルの厚みは、7 0 m m。それから3 2 年後に納入した沖縄美ら海水族館の「黒潮の海」のメインパネルは、厚さ6 0 0 m m( 幅2 2 . 5 m)。さらに、2 0 0 8 年オープン予定のドバイショッピングモールの水槽は、それを超える厚さ何と7 5 0 m m( 幅3 3 m) である。 ⑩ 人がやることには手を出さない :、「人がやっていることに対しては絶対手を出すな」、「その場で儲かると思っても手を出すな」との考えを貫いた。。会社を解散するか否かというところまで追い込まれた日プラは、活路を見出すべく市場を求めて海外に進出することとした。これが日プラを世界のオンリーワン企業にならしめる起点となったのである。 ⑪ 早速カリフォルニア州モントレー・ベイにある世界最大の規模を誇るモントレー・ベイ水族館が増築するとの情報を入手する。この情報は、意外にも米国競合メーカーからもたらされたものである。増築工事は当初、国内の大手メーカーと米国競合メーカーとの一騎打ちの予定だったが、米国競合メーカーは、当時米国で実績のなかった日プラに対し、その技術力を見込みJ V( 企業共同体)の提案を行ってきたのである。ここで、米国競合メーカーは、日プラが同意していない段階で、水族館側に対し技術力を持った日プラに下請けさせるから大丈夫だ、といった話を持ち込んだ。 『水族館側から直接電話があり、「何故自ら米国市場に乗り込んでこないのか。米国の市場に興味がないのか。もし、技術力があるのなら自分達で直接乗り込んで来い」と言われた。そこで、すぐに米国競合メーカーに直接米国市場に乗り込む旨のF A X をし、会社の命運を賭け米国に乗り込むこととした。』( 県による敷山靖洋専務取締役へのインタビュー 2 0 0 8 年3 月6 日に実施) モントレー・ベイ水族館は、全世界のパソコン出荷台数の約2 0% を占めるヒューレット・パッカード社( 以下「H P」という。) の子会社が運営し、H P 創業者の令嬢であるジュリー・パッカード氏が社長兼館長を務めていた。 『アメリカの人から見ると、東京の大企業だろうが香川の中小企業だろうが関係ないんですね。同じ日本の企業なんです。それから、企業の国籍も関係ないんです。アメリカの企業からでないと買わない、なんてことはないんです。最終的には、自分達がものを買うのに品質や技術レベルの低いものを買いたくない、最高のものを買いたいという考えなんです。そこには、企業に対する偏見がなかったんです。』 ( 靖洋氏 2 0 0 7 年7 月2 4 日 産業振興クラブでの講演等より) 採用に当たり、入札に参加した3 社から提出された、アクリルのテストピースの破壊検査等が実施された。その結果、日プラのテストピースが、他社のテストピースより重合度合と分子量が優れていた。しかし、入札額が参加 した3 社のうち2 番目であった。日本からの輸送費などに多額のコストがかかる日プラと、1 番であった米国競合メーカーとの金額の差は、1 5 %ほどもあった。ところが、水族館側は金額ではなく技術と品質を重視し、日プラを採用した。そして金額の差について、次のように述べたという。『あなたたちの技術の素晴らしさを我々は認めた。この1 5 %はあなたたちの技術料だ。だから、その技術をつぎ込んで世界一のものを作ってくれ。』 (『潮』2 0 0 7 年1 1 月、8 5 頁) 結局、水族館側は、当時大手でも有名でもなく米国では誰も知らない、日本の香川県の中小企業を採用したのである。日プラを採用したことについて、水族館側は様々な批判を受け、疑問を投げかけられたという。しかし、これ に対し水族館側は、次のように反論したという。『自分達がちゃんと目で見て耳で聞いて、彼ら( 日プラ: 県注釈) の技術を判断して選択したから、我々の選択に間違いはない。まぁ見ててごらん。』 水族館側からこのように反論したと聞かされた日プラは、何としてでも成し遂げる決意をし、「ここで失敗したら終わり。明日がない」( 前記講演) という気持ちで取組むこととした。まさに社運を賭けた仕事であった。 ⑫ 組織体制と人材育成 : 日プラの組織体制は、基本的に役職( 組織)がないフラットな体制である。役職は、とりあえず社外用に自己申告で各々が決めているという。また、役職にこだわる必要が全くない。つまり、役職に関係なく社員全員に様々な技術を習得させ、幅広い能力を持たせようとしているからである。 さらに、通常の企業なら当然存在する人事部( 課) が設置されていない。そして、新規社員の採用方法が、極めて異色である。哲洋氏は、代表取締役でありながら、直接新規社員の採用には関わらない。 社員自らが面接を行い、採用するべきかどうかの判断をするのである。つまり、一緒に仕事ができるかどうかを現場の社員が判断し、自己責任で採用を決定する。そして、採用決定した社員自らが、その新入社員に対し一生懸命仕事を教え、技術を習得させる。いわゆる「社内での身元引受人」( 前記インタビュー) である。そうすることにより、極めてスピーディーに新入社員の技術がレベルアップするのである。 日プラに必要な人材について、靖洋氏は、要旨、次のように述べている。『長期間、現場へ団体で行く中で、まず協調性、体力、海外での環境対応力が求められる。手先の器用さなども求められるが、一番大事なのは、この仕事に魅力を感じているか、みんなと一緒にやっていけるか、である。まさにノリは体育会系である。』 『会社規模を大きくすることは、全然企業理念にはない。自分達の技術を認めてもらいながら、そこに付加価値があって世の中の方々が喜んでくれるようなものづくりをする。そのものづくりをする仲間としては何人でもいい。規模を大きくして利益をたくさん上げることを目的としているのではない。自分達がつくったもので、どれだけ世の中を明るくしていくか、有益にしていくかということに着目している。( 会社の規模は: 県注釈) そ の時の状態で判断するし、大きくすればするほど企業の方向転換が難しくなる。そして、ものづくりが面白くなくなる。』 ⑬ 営業はやらない : 通常の企業が行う「営業活動」は行なわない。『うちは「水族館作りませんか」みたいな営業はできません。完全な「待ちの営業」なんですね。』 (『潮』2 0 0 7 年1 1 月、8 5 頁)もともと、概して「待ちの営業」ではあった。しかし、日プラ社員の営業能力は、モントレー・ベイ水族館の増築工事の入札に参加した際に活かされている。米国競合メーカーが、営業は営業、開発は開発というように、各部門ごとに分かれていたのに対し、日プラの場合は、社員が営業だけでなく技術に関しての知識も備えていたため、他社との差別化が図られたのである。そして、オープニングセレモニーでパッカード氏が、日プラの技術力や製品の品質の高さを称賛したこともあり、口コミで全世界に広がり、世界各地から引き合いが来るようになった。それ以後は、完全に「待ちの営業」になったのである。 ⑭ 大型パネルを運べない : 世界中から注文がくるにつれ、発注先の要求や、日プラのチャレンジ精神がスケールアップされる。超大型のアクリルパネルの製作を依頼されるようになったのである。ここで、日プラを悩ましたのが、あるサイズ以上の大型パネルは、道路交通法上、公道を使用して輸送できないという問題であった。 仕方なく、現場で接着をすることとなった。現場は当然埃だらけである。透明なアクリルパネルをつくるには、極めて厳しい環境である。そこで、工場と同じ環境を現場に作ることを考えた。現場接着を実施することになり、現在施工している現場では、社員がチームを組んで作業を行っている。 また、超大型アクリルパネルの生産と海外への搬出をスムーズにするため、2 0 0 7 年9 月、神戸市のポートアイランドの第2 期造成地約5 , 0 0 0 ㎡ を購入。総工費約1 5 億円、従業員約2 0 名で新工場を建設する。新工場が完成すれば、超大型アクリルパネルをそのまま神戸港から搬出できることとなり、「大型パネルを運べない」という問題が解決される見込みである。 ⑮ 今後の展開 : 一時は会社の存続さえ危ぶまれた日プラであるが、高い技術力と優れた経営方針などにより、現在は、大型アクリルパネルで世界のオンリーワン企業に成長している。日プラの事業に対するこだわりは、既に述べてきたところであるが、オンリーワン企業となったことにより、以前より重圧を感じていることも事実である。 『実績で1 位、2 位、負けた、取られたなんてやってた頃は、まだよかったです。やりたくない物件は、値段を上げて逃げたりもできましたが、今はそれができません。先方から言われたものを、全部請け負わないといけない状態になっています。値段は高くてもいい、やってくれと言われます。これは、ナンバーワンか、オンリーワンかの違いだと思います。』 (『宙舞』2 0 0 7 年 N O . 6 0 、2 4 頁) うれしい悲鳴のように聞こえるが、オンリーワンとなればかなりのプレッシャーである。発注先から求められるものも必然と厳しいものになる。甘えは一切許されないのである。 ⑯ 日プラは、これまで世界約5 0 カ国を股に架けている。これほどグローバルな中小企業は極めて稀ではないだろうか。さらに、全世界を相手に事業を行っているにも関わらず、商社を一切通していない。全て自らが発注先と交渉し、事業を展開しているのである。『商社を通すとお客さんの声が直接聞こえてきませんので』(『宙舞』2 0 0 7 年 N O . 6 0 、2 5 頁) ⑰ 主要事業は当然水槽用アクリルパネル事業であるが、新規事業として、2 0 0 3 年から「ブルーオーシャン」事業を展開している。これは、1 0 0 インチ以上の大画面でもシームレスなリアプロジェクションスクリーンで、3 0 0 インチまでの巨大スクリーンが可能である。 以上が、‘日プラ’の誕生とオンリーワンにまで上り詰めるまでの経緯と経営方針である。 まさに、‘官僚型’経営の短所を削り取った‘未来型’経営方針である。 よく経営研修時等で言われる「社員全員一人一人が皆‘社長’の経営」を地で行っている! <拍手!> スポンサーサイト
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