‘蚊’について
8月もいよいよ終わりである。しかし、まだまだ、蚊は一杯いる。

世の中知らないことだらけ。‘蚊’についても、ほんの少しの知識しかない。

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http://www.kincho.co.jp/gaichu/ka.html

昔から‘蚊’について疑問に思っていた項目は次の通り。

① 何故、人間から‘血’を吸い取るのか?

② 血を吸うのは、メスだけと聞いてはいるが本当か?

③ 高いとところにはいないと言うがどの程度の高さか? 

④ その高さは、‘海抜’か?それとも‘地表高’か?

⑤ 刺された後の‘痒み’は何故起こる?

⑥ 痒みを止めるにはどうすればいい?

⑦ 蚊取り線香の効果の源は何?

⑧ 蚊の寿命は?

⑨ 蚊の害は?

⑩ 血を吸った蚊を、止まったところを‘汚さない’ように殺す方法は?

等々、昔から疑問に思っていたことが多い。

調べてみるといろいろな情報がある。

先ずは、‘蚊’とは何者?から・・・。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB

(蚊、学名: Culicidae)は、ハエ目(双翅目)・糸角亜目・カ科に属する昆虫である。ハマダラカ属、イエカ属、ヤブカ属、ナガハシカ属など35属、約2500種が存在する。ヒトなどから吸血し、種類によっては各種の病気を媒介する衛生害虫である。

概要 [編集]

成虫はハエと同様、2枚の翅を持ち、後翅は退化して平均棍になっている。細長い体型で、頭は丸く、足は長い。大きさはさまざまだが、ほとんどは15mm以下である。飛行能力は低く、エアコン、扇風機といったわずかな風によって飛行障害を起こしてしまう

重量はわずか2–2.5mg、飛行速度は約1.5–2.5km/hほどであり、通常でも1秒間に520回以上羽ばたくが、吸血後は体が重くなるため大幅に羽ばたく回数が増え、それに伴い飛行速度は落ちる。カの飛翔距離やそれに起因する行動圏の広さは種によって様々である。長崎県における調査によるとコガタアカイエカの通常の1日の行動範囲は1km程度であるが、中には1日で5.1kmの距離を飛ぶ個体もあり、また同種が潮岬南方500kmの位置から採集されている。これは風速を考慮すると高知県から24時間、あるいは静岡県から19時間で到達したと考えられている。その一方で、バンコクにおけるネッタイシマカの調査では24時間で37mしか移動していないことが記録されている。JICAの公表する資料によれば、ハマダラカの中でタンザニアのダルエスサラーム市(最大都市)とタンガ市(北部の港湾都市)で流行している土着マラリアの主要な媒介蚊 Anopheles gambiae(真水で棲息)と An. merus(塩水で棲息)の成虫の飛翔範囲は幼虫棲息地を中心に数百mであるという。また同じハマダラカ類で、一日の飛翔距離は An. funestus で800 m 程度、An. pharoensis で9kmであることが記録されている。
蚊の最も古い化石は1億7000万年前の中生代ジュラ紀の地層から発見されている。



この引用文献から、種類の数、飛行能力、羽ばたき回数(近寄った時の音に関係?)、一日の行動範囲や蚊の祖先誕生時期等が判った。

さてさて、それでは、疑問点の解明に・・。

① 何故、人間から‘血’を吸い取るのか?
② 血を吸うのは、メスだけと聞いてはいるが本当か?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB

全ての‘カ’はオスもメスも長い口吻を持つ。この口吻は円筒状に巻いた上唇が食物を吸収する管となり、その下面には唾液を送り込む管となっている下咽頭、左右には針状の大顎、小顎が添えられている。そしてその全体を樋状になった下唇が鞘となって保護している。吸血に際しては下唇以外の部分が、小顎先端の鋸歯で切り開かれた傷に侵入していき、毛細血管を探り当てる。通常の餌は植物の蜜や果汁などの糖分を含む液体だが、メスは卵を発達させるために必要なタンパク質を得るために吸血する。吸血の対象はヒトを含む哺乳類や鳥類だが、爬虫類・両生類・魚類から吸血する種類もある。オスはメスと違い、血を吸うことはない。またオオカ亜科の場合、メスであっても吸血を行わない。



特殊な例を除けば、「メスだけが、卵の成育に必要なたんぱく質を得るために吸血する」が、正解のようだ。

③ 高いとところにはいないと言うがどの程度の高さか? 
④ その高さは、‘海抜’か?それとも‘地表高’か?


http://sooda.jp/qa/138567

Q:蚊やハエはマンションの何回まで飛んでくるのでしょうか。

A:蚊と蝿の飛翔能力は、周りになにもない場合2~3階が限度です。
実際、私が街中の6階に住んでいたころはほとんど入ってきませんでした。

しかし、裏や周りが藪とか高い木がたくさんあったりするとそれ以上に飛んでくる可能性は高くなります。
又、エレベーターが曲者で、こいつに乗って上がってくるやるがいます。(単独だったり、人について)。でも、1~2階に比べると雲泥の差ですね。


ただし、

http://knowledge.livedoor.com/4945
A:ワタクシ五反田のマンション住まいをしてた頃、9階でしたが、目黒川で発生した蚊はイマシタ。



という回答があったりして、蚊と高さには‘決着がついていない’様子。例の‘wikipedia’にも高さの事は触れられていない。


⑤ 刺された後の‘痒み’は何故起こる?
⑥ 痒みを止めるにはどうすればいい?


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB

吸血の際は皮膚を突き刺し、吸血を容易にする様々なタンパク質などの生理活性物質を含む唾液を注入(この唾液により血小板の凝固反応は妨げられる作用がないと血液は体内で固まり、蚊自身が死んでしまう)した後に吸血に入る。この唾液が、人体にアレルギー反応を引き起こし、その結果として血管拡張などにより痒みを生ずる。

唾液は本来、吸引した血とともに蚊の体内に戻される。血液を吸引し終われば、刺された箇所の痒みは、唾液が戻されなかった場合よりは軽度になる。[1]。何らかの理由で吸引を中断し飛び立った場合、唾液を刺された体内に残したままであるため、痒みが残る。中和剤は存在せず、抗ヒスタミン薬軟膏の塗布により抑える事になる。蚊を叩き落す際、上から潰すと唾液が体内へ流れ込むため、指で弾き飛ばすと、痒みを減らすことができる。



⑦ 蚊取り線香の効果の源は何?

http://www.kincho.co.jp/gaichu/column/katori.html

除虫菊(シロバナムシヨケギク)の花に含まれているピレトリンという成分は、殺虫効果を持っています。そのピレトリンと、これに似た殺虫成分を化学的に合成したものを総称して”ピレスロイド”と呼んでいます。金鳥のかとり線香にはこのピレスロイドのひとつである「アレスリン」が含まれています。アレスリンはかとり線香の燃焼部分(温度は700~800℃)より6~8mm手前の部分(約250℃)から揮散し、殺虫効果を示します。



ど素人には、蚊取線香の‘煙’に効果があるように思えていたのだが、どうやら違うらしい。

⑧ 蚊の寿命は?

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http://www.kincho.co.jp/gaichu/ka.html

成虫の寿命は、2~3週間と言う事の様である。


⑨ 蚊の害は?

http://kenkousyoukai.ojaru.jp/ka-gai.html

蚊に刺されると何がコワイかって言うと、蚊を介していろんな病気にかかることがあるからです。

どんな病気があるかというと・・・
   マラリア
   日本脳炎
   デング熱
   黄熱病
   ウエストナイル脳炎
   フィラリア症

などがあります。

「日本に住んでる限りは「日本脳炎」の予防接種をしておけば、とりあえず大丈夫」と思うかもしれませんが、ここ数年の温暖化で日本も「亜熱帯化」してますから熱帯に住むような種類の蚊がもし飛行機なんかで運ばれてきた場合、他の病気をうつす蚊が繁殖してしまう可能性も十分あります。

また、肌のやわらかい子供が刺されると、かきむしって傷口にバイキンが入り、「とびひ」になってしまうことがあります。

蚊に対する「免疫」というようなものもあるようで、大人は蚊に刺されても少しふくれてかゆくなるだけでおさまりますが、乳幼児の場合は大きく腫れてしまうこともあるようです。

とにかく刺されたくないですよね!
刺されないための対策を考えていきましょう!

まず、蚊を家に入れないこと!>>



⑩ 血を吸った蚊を、止まったところを‘汚さない’ように殺す方法は?

こんなユニークな対処法があるそうだ!

http://allabout.co.jp/gm/gc/220720/

蚊を気絶させてとる方法


蚊がとまったら、どうしますか?

蚊がとまれば叩くのが一番ですが…
ブーン…ブーン……あっ、蚊がとまった。
様々な蚊とりグッズを使っていても、目の前で蚊がとまっていたら叩いてとるのが一番。腕でも、頬でも、壁でも、ペチンと叩き潰せば手っ取り早く退治できます。

しかし、せっかく蚊が退治できても後悔する場合があります。それは、潰した場所を汚してしまうこと。きれいな服や白い壁に、潰された蚊の汚れや血液がついてしまうと厄介です。手も汚れますしね。

そんな時におすすめなのが、蚊を気絶させてとる方法。覚えておいて損はありません。


蚊を気絶させてとる方法

やり方はいたって簡単。手の平でかるく空洞をつくり、その手で蚊を素早く叩きます。叩き潰すのではなく、覆うような感じです。すると、その風圧で(?)蚊が気絶するんです!

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【手の平で叩くのはNG】 潰れた蚊の汚れや血液がついてしまい厄介です。 【空洞をつくればOK】 素早く叩き、蚊が気絶している隙に退治します。


そして、気絶している隙に素早く摘まんで退治しましょう。気絶から醒めるのは結構早いので、近くにティッシュペーパーなどがなければ素手でつまみ、それから包んで捨てましょう。覚醒して逃げられると悔しいですよ。

蚊を気絶させてとるなんてユニークですが、これなら蚊が潰れないため汚れることもありません。



‘蚊’について、これだけの知識があれば、少しは快適に!




























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[2012/08/31 10:28] | 学習と文化 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
アメダス観測所の移転
地域気象観測システム・アメダス練馬観測所が移転すると言う。

これには一寸ばかり驚いた!

NHKもラジオニュースで聞いたので、もっと‘視覚’に残るハードコピーを web で探したら、あった、あった。

http://www.asahi.com/national/update/0725/TKY201207250222.html
「東京一暑い街」、ついに卒業? 練馬の観測所移転へ

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武蔵大学、武蔵高校・中学校の東門のそばにある現在のアメダス観測所。風速計や雨量計などが設置されている=東京都練馬区豊玉上1丁目

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アメダス観測所が移転される日本銀行石神井運動場跡地=東京都練馬区石神井台1丁目

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移転先の「日本銀行石神井運動場跡地」

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昨年7、8月の練馬、都心、八王子の最高気温


 東京都練馬区にある気象庁のアメダス観測所が、今年度いっぱいで移転する。周辺にビルが建つなどして風通しが悪くなり、正確な観測が難しくなったという。練馬は猛暑の夏に気温が高い地点としてしばしば紹介されるが、移転先では気温が低く観測される可能性も。「東京で一番暑い、というイメージが変わるかも」と期待する声もある。

 練馬が暑いとされる理由について、気象庁気象研究所で都市型気象を研究している藤部文昭さんは「アスファルトなどの影響で都市の気温が上がるヒートアイランド現象と、練馬の地理的条件が要因」と分析する。海からの風が都心で暖められ、練馬などの内陸部を通るため、気温が上がりやすいという。

 こうした現象は練馬に限らず、周辺の内陸部ではどこでも同じはず。だが実際には、練馬は東京都内のほかの地点より気温が高く出る傾向にある。今年も6月から今月24日までの54日間で、都内の観測地点(島嶼〈とうしょ〉部を除く)で練馬が最も気温が高かったのは37日。次が都心の10日なので、差は歴然だ。

 観測所を管理する東京管区気象台の担当者は「現在の練馬の観測所は風通しが悪くなり、気温の上昇といった影響を与えている可能性がある」とみる。



いやはやこの記事を見て、‘正常な物の考え’をする人達は、きっと‘驚く’に違いない!

正に‘異常’そのものである。

‘正確な観測が難しくなった’とはどういうことだろうか?

その理由として述べられていることは、

‘周辺にビルが建つなどして風通しが悪くなり’と言うことらしい。

そのままに状態で観測するのが、‘アメダスの役目’だと思うのに、何故?

気象庁気象研究所で都市型気象を研究している藤部文昭さんは「アスファルトなどの影響で都市の気温が上がるヒートアイランド現象と、練馬の地理的条件が要因」と分析する。

この現在の練馬観測所のデータが‘都市型気象’を解明するデータではないのだろうか?

石神井へ観測所が移転すれば、‘思惑通り’夏の平均気温は低下するかもしれないが、冬の平均気温も低下してしまい、‘練馬は暑い所’というイメージは払拭出来るかもしれないが、冬は‘練馬葉寒い所’というイメージになる可能性がある。

誰がお決めになったことかは知らないが、‘データ’の‘歪曲’にも繋がり兼ねない!

予算もままならぬとは思われるが、現在の観測所はそのまま残して、ここでは‘都市型気象観測’を続けて、歴史的継続データ採取をすべきと思う。

己の都合の良いような‘データ’を出したい、なんて気象庁の国家公務員が考えるべきではない、と思う。
何となく、‘練馬区からの要請があった’のではないか?とさえ勘繰りたくなるのだが・・・。

練馬区のイメージを石神井で上げたければ、練馬区が費用を負担すべきである。

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http://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/amedas/kaisetsu.html
アメダスの概要について

アメダス(AMeDAS)とは「Automated Meteorological Data Acquisition System」の略で、「地域気象観測システム」といいます。 雨、風、雪などの気象状況を時間的、地域的に細かく監視するために、降水量、風向・風速、気温、日照時間の観測を自動的におこない、気象災害の防止・軽減に重要な役割を果たしています。 アメダスは1974年11月1日から運用を開始し、現在、降水量を観測する観測所は全国に約1,300ヶ所あります。このうち、約840か所(約21km間隔)では降水量に加えて、風向・風速、気温、日照時間を観測しているほか、雪の多い地方の約310か所では積雪の深さも観測しています。



気象庁のHPにも上記引用文の如く、‘気象災害の防止・軽減云々’とある。

そうなら尚更のこと、‘都市型気象の変化’を研究するためにも、是非とも現在の練馬観測所を残すべきなのだろう!



















[2012/08/30 09:37] | 気象 | トラックバック(0) | コメント(4) | page top
総合芸術家・藤田嗣治の科学的発想法
Ismael_Nery_-_Retrato_de_Foujita,_déc._1930
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%
E3%83%AB:Ismael_Nery_-_Retrato_de_Foujita,_d%C3%A9c._1930.jpg

藤田嗣治の肖像(イスマエル・ネリ、1930年代)


藤田嗣治の名作・‘乳白色の肌’を世界で初めて表現した「寝室の裸婦キキ」は、当時大評判になったが、その‘作製方法’については、パリの芸術家達にも判らなかったし、彼もその方法を公開しなかった。

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http://www2.plala.or.jp/Donna/foujita.htm「寝室の裸婦キキ」

inseculaより転載しています
「寝室の裸婦キキ」1922

漆黒の背景に浮かび上がる素晴らしき乳白色の肌。
全体の色調を抑えることで、より肢体の優美さが強調される。
画面に流れる静けさや、極限までデフォルメした輪郭に繊細な細部描写は、
北斎が好きだったというFoujitaの体に流れる日本人の血がよくあらわれている。
”モンパルナスの女王”と呼ばれたキキがモデルで、
マネ「オランピア」を模したような構図は、西洋の名作に挑戦する心意気が窺い知れる。
http://www2.plala.or.jp/Donna/foujita.htm


その方法は、正に現代の‘科学者の研究方法’と同じである。やはり、日本人の発想法だ。

先ずは、藤田嗣治とはどんな人物だったかを解説しておかないと‘科学的発想法’を理解することが出来ない。

次のブログに、明確に簡潔に示されている。

 

http://www2.plala.or.jp/Donna/foujita.htm

藤田嗣治は家老の家柄に次男として生まれた。母を早くに失い、畏敬する軍医の父(のちの軍医総監)は医者になることを望んでいたが、14の時嗣治が画家になりたいとあらたまって告げると、黙って画材を買うための大金を渡したという。東京美術学校への入学するも、当時の師であった印象派の流れをくむ『紫派』の黒田清輝には、嗣治の暗くクラシックな趣の画風はまったく評価されなかった。

 卒業後、最初の妻・登美子と駆け落ちしながらも、画業で生活を成り立たせることができなかった嗣治は、翌年期限付きの仕送りを得てパリへと向かう。芸術の都で、日本では考えられないほど自由な表現と画家の地位が認められていることを知った嗣治は、日本人の自分がパリを魅了する絵描きになってやると強く心に誓う。

 日本に残してきた登美子とパリで暮らすことを夢見ながら、おりしも第一次世界大戦が勃発する。灯火規制の中、ひたすら絵だけを追求する生活を通して、貧しいがようやくこの地で手ごたえを感じ始めていた嗣治は、父の仕送りを断り、成功するまで日本に戻らぬ意志を伝える。最愛の登美子とも、どうにも避けられぬ別れを迎えることになる。ここにのちのFoujitaの基盤が出来たといえる。

 異国の地で傷心のFoujitaはさらに絵に打ち込んだ。まだ芽を出す前の彼を喜んで支えた2番目の妻・フェルナンド、モディリアーニをはじめとする貧しいながら志し高い画家仲間との出会い、初めての個展でピカソに注目されたこと、日本では得られなかったこれらひとつひとつが、生きる糧となったであろう。

 そしてパリへ来て8年がたった1921年、サロン・ドートンヌで独特の「乳白色の肌」と精緻な表現が絶賛を集める。絵を焼いて暖をとるほどの貧しい生活の中、Foujitaは血の滲む努力で”素晴らしき乳白色の肌”と絶賛される独自の方法を生み出したのだった。平滑で白いキャンバスの地に墨で描かれる陰影は、今でもどうやって描いたのかすべては解明されていない。日本人として世界とわたり合う覚悟を決めたFoujitaは、こうして一躍パリの売れっ子へと躍り出たのだった。



NHKの番組を見たが、次のアドレスで内容が良く判ることになっている。

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https://pid.nhk.or.jp/pid04/ProgramIntro/Show.do?pkey=001-20120822-10-17974

番組タイトル:極上美の饗宴「藤田嗣治・乳白色の裸婦の秘密」

チャンネル:BSプレミアム
放送日時: 2012年8月22日(水)
午前8:00~午前9:00(60分)
ジャンル: ドキュメンタリー/教養 > カルチャー・伝統文化
趣味/教育 > 音楽・美術・工芸
番組HP: http://www.nhk.or.jp/bs/gokujou/

“乳白色の肌”の裸婦像で、パリの人々をあっといわせた日本の画家がいた。藤田嗣治。藤田が生涯秘密にした乳白色の肌の描法を修復家によって初めて再現、その謎に迫る。

およそ90年前、パリの人々をあっといわせた日本の画家がいた。藤田嗣治。人々を魅了したのは、象牙のような半透明の白い肌、“乳白色の肌”であった。藤田は生涯、乳白色の肌の描法を秘密にした。しかし近年、修復家などによって、その驚きの描き方が解明されてきた。代表作「寝室の裸婦 キキ」の描法を徹底的に再現! 西洋と日本を見事に融合させてフランスで大成功を収めた、藤田嗣治の絵の秘密に迫る。

木島康隆, 林洋子, マーシャル・ルノワール, ジャクリーヌ・ジョケ, 【語り】井上二郎



これらを総合して見ると、藤田嗣治の‘発明’は次のように纏められる。

① 日本画独特(ex.浮世絵等の水墨画)の技法を西洋画に適用した。

② カンバスに目の細かい麻布を使った。

③ カンバスに‘下地塗り’をした。その材料は、炭酸カルシウム+オイル

④ その上に‘タルク’と白絵の具を混合したもので‘上塗り’をした。

⑤ 輪郭の均一な極細線。この手法はまだ‘解明されていない’という。

⑥ シーツに影を入れて、人物の白さを強調した。

⑦ ベッドの天蓋にフランスの伝統織物(ジュイ布)のデザインを活用した。

等々の‘知恵’が窺われる。お見事である。


この手法こそ、われわれ‘材料研究者’がいつも‘新材料’を開発する時の心構えの一つである。
あらゆる手法を総合せねば、新材料は生み出せない。

ここに出て来る‘タルク’とは・・・。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BB%91%E7%9F%B3

滑石(かっせき、talc、タルク)は、水酸化マグネシウムとケイ酸塩からなる鉱物で、粘土鉱物の一種である。
組成式は Mg3Si4O10(OH)2 である。蛇紋石(Mg3Si2O5(OH)4)が熱水変質、あるいは苦灰石(CaMg(CO3)2)が接触変成してできる。

2Mg3Si2O5(OH)4 + 3CO2 → Mg3Si4O10(OH)2 + 3MgCO3 + 3H2O
3CaMg(CO3)2 + 4SiO2 + H2O → Mg3Si4O10(OH)2 + 3CaCO3 + 3CO2

色は一般に白でろうそくの蝋や真珠のような光沢を持っているために、これを主成分とする岩石(後述)はろう石と呼ばれることもある。微細な薄片状の結晶が集合し、固まっている産状を呈することが多く、大きな単結晶状態で産出することはまれである。不純物により灰色や緑色をしたものもある。
滑石はモース硬度1の基準となる標準物質で、鉱物の中で最もやわらかいもののひとつである。爪で傷つけることもできる(爪の硬度は2.5度)。純粋なものは安定した硬度を示すが、不純物が含まれる場合は硬度が高くなる。

用途 [編集]

用途としては、粉末にして黒板用のチョーク、玩具、工事現場などでのマーキング用、ベビーパウダーなど化粧品類、医薬品や上質紙の混ぜ物など
がある。ベビーパウダーをタルカムパウダーと呼ぶ事があるのは、滑石の英語名 talc に由来する。
低品質のものは、アスベストを含有することがあるので不用意に吸入したりすることのないよう注意が必要である。一般的には北イタリア産のものが上質とされている。
利尿作用、消炎作用があるとされ、猪苓湯(ちょれいとう)、防風通聖散(ぼうふうつうしょうさん)などの漢方薬に配合される。 海外においては悪性胸水患者に対する胸膜癒着術に用いられる。日本においても、医薬品としての承認を目指して医師主導治験が行われている。



また、次のような解説もある。

http://homepage3.nifty.com/okadamasa/enjoypai/FujiLion.html
藤田 レオナール 嗣治 xx Fujita, Leonard Tsuguji

絵も売れぬ貧乏に長い間苦しんだが、やがて徐々に売れる様になった。35歳の時にキキを モデルに描いてサロン・ドートンヌに出品した 《寝室の裸婦キキ》 で、細い面相筆による繊細な 筆致と "素晴しき 乳白色 の地" と賛嘆された塗りが大評判となり、会員に推されて一躍 エコール・ド・パリの寵児となって、ヨーロッパに名を轟かせた。39歳の時にはベルギーから レオポルド勲章を贈られた。この "素晴しき 乳白色 の地" の技法の秘密を藤田は一生 明かさなかったが、後年の修復時の分析により、硫酸バリウムを下地に用い、その上に 炭酸カルシウムと鉛白を1:3の割合で混ぜた絵具を塗っていた事が分っている。 炭酸カルシウムは油と混ざるとほんの僅かに黄色を帯びる。更に、面相筆の中には 針を仕込む事で均一な線を描いていたと言う。



もうこうなったら、藤田嗣治は‘単なる画家’ではない。絵画に‘新技術’を持ち込んで、絵画の魅力を引き出した総合芸術家・天才というところだろうか?




材料の開発には、ここで言う‘総合力’が必要であるが、予期せぬ‘出来事’が、‘発明の要’になる場合が多い。

最も有名な開発秘話は、‘ジュラルミン’である。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A5%E
3%83%A9%E3%83%AB%E3%83%9F%E3%83%B3


ジュラルミンは、1906年ドイツ中西部のデュレン (Düren) で、ウィルム (Alfred Wilm) によって偶然に発見された。このデュレンとアルミニウムの合成語が、ジュラルミン (duralumin) である。また、ウィルムによって、ジュラルミンの時効硬化現象が見出された。もともとは薬莢の材料として、銅と亜鉛の合金の黄銅を用いていたが、「もっと軽いアルミニウムを銅と混ぜたらよいのではないか」という発想から得られたものである。結果としてその試みは失敗したが、思わぬ大きな成果を得た。



藤田嗣治の後を継ぐような総合芸術家はまだ現れてはいないような気がする。

時代は、まだ要求しないのだろうか?

























[2012/08/29 12:23] | 芸術 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
オリンピック凱旋パレード‘仕掛け人’の魂胆
2012年8月20日の東京銀座。

オリンピック凱旋パレードで50万人の人達で埋め尽くされたという。

この報道で、日本人が感じないといけないのは、

① Q1:凱旋パレードの真の狙いは何か?

② Q2:その効果のもたらすものは?

であって、単なる‘ミーハー騒ぎ’や‘ご苦労さん会’ではないのである。

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http://hamusoku.com/archives/7401935.html

主催者は「JOC」。JOCの役員は以下の通り。(http://www.joc.or.jp/about/executive/

JOC - JOCについて | 役員名簿0001JOC - JOCについて | 役員名簿0002

さて、この中の誰が知恵者なのであろうか?

① A1:凱旋パレードの真の狙いは、東京オリンピック招致である。

② A2:その効果は、IOCのメンバーへのアピールである。

IOCがオリンピック候補地を選定するのに重要な条件の一つが、その国の‘国民の盛り上がり度’にあるという。このことが判明したのは、一度東京誘致に失敗したからである。

それまで、東京都は、‘情報収集能力’や‘設備の充実’や‘交通の便’などばかり考えていたが、実は‘国民の盛り上がり度’に重点が置かれていた事には余り注目していなかった節がある。

したがって、今回のロンドンオリンピックの凱旋パレードの実施については、公にはなっていないかもしれないが、恐らく東京都の知事・副知事がJOCに働きかけたに違いない。

JOCには金が無い。経費のほとんどは東京都から出たのだろう。尖閣諸島買収の寄付金が使われたとは思いたくないが・・・。

当日のTV(テレビ朝日・‘報道ステーション’)は、猪瀬副知事の意見も明確に伝えている。(以下のTV画面写真は、‘報道ステーション’のTV画面をカメラで撮影したもの)

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この横断幕が、このパレードの目的を明確に伝えている!

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この字幕が、東京都への誘致策の弱点を指摘している。

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猪瀬さんも‘申し訳なさそうに’問題点を指摘

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東京都ももう少し早く問題点を把握すべきだったと‘反省しきり’

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さて、この凱旋パレードが本当に‘リカバリーショット’として、IOC委員の眼に止まるのか?

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猪瀬さん主導で、早急に‘関心度の調査’を開始すべき。

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これだけで‘勝ちですよ’は、甘過ぎる! 頑張れ!猪瀬。‘他人の噂も75日’、危ない危ない!


それにつけても、今の野田政権はオリンピック始め経済発展に無関心である。‘前例がないからやれない’とでも言いたそうである。‘政治主導’の看板は何処へ行ってしまったのか!

本当の‘仕掛け人’は、多分JOCの竹田会長と見て良いのではないか!?

竹田会長の素顔。

平成14年4月~現在 国際馬術連盟 名誉副会長(終身)

昭和47年8月 第20回オリンピック競技大会(ミュンヘン)馬術 障害飛越出場
昭和51年7月 第21回オリンピック競技大会(モントリオール)馬術 障害飛越出場

という経歴が示す通り、ご自身でもオリンピックに選手として参加された経験があるという。

http://www.joc.or.jp/about/president/
JOC - JOCについて | 会長の略歴0001-2

この経歴に加えて、会長就任の時の‘所信表明’が泣かせる!
既に、‘船中八策’を示しておられるのだ!

橋下市長の‘船中八策’、この竹田会長の龍馬の船中八策に准えての所信表明が発想の基になっているのではないか(=パクリ)?とも思わせる。

http://www.joc.or.jp/about/president/policy.html
JOC - JOCについて | 会長の略歴 平成23・24年度会長就任所信表明「JOCが取り組む8つの重点施策」0001-2

この‘船中八策’の第3番目に東京誘致の意気込みが表れている。

JOC - JOCについて | 会長の略歴 平成23・24年度会長就任所信表明「JOCが取り組む8つの重点施策」0001-4

‘馬’が専門だから‘上手’く行く! という親父ギャグは、本当に‘うま’く行ってからにして貰いたい!














[2012/08/28 06:49] | スポーツ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
源氏ボタルと平家ボタル
今、NHKの大河ドラマは「平清盛」である。

ど素人の評価で申し訳ないが、‘面白くない!’から余り見ない。

案の定、NHKの大河ドラマとしては、最低の視聴率だそうだ。

http://kyousoku.net/archives/9880506.html

平清盛、遂に視聴率最低を記録

(6月)24日に放送されたNHKの大河ドラマ「平清盛」の平均視聴率が関東地区で10.1%と、89年以降放送された大河ドラマとしては94年8月14日放送の「花の乱」に並ぶ最低を記録したことが25日、ビデオリサーチの調べで分かった。関西地区は11.3%だった。
「平清盛」は放送開始以降、「画面が汚い」「登場人物が多くてわかりにくい」などの声が視聴者から上がり、視聴率も10%台前半と低迷を続けている。


ただし、‘題字’の‘字’は、大変素晴らしいから、毎回それだけは見ている。

20120108_29344.png

作者は、「ダウン症の女流書家 金澤翔子さん」という。幼い時からその‘才能’は抜群だったとそうだ。

この字から、平清盛の‘躍動感’や‘時代を背負う不屈の精神’までが感じられる。まるで、作者の金澤翔子さんが平清盛に会って来たのではないかとさえ錯覚してしまうほどの傑作である。何百枚も書いた中の一枚なのだろう。

横道に逸れた話だが、「油絵」の場合は、修正も含めて‘上塗り’の繰り返しで一枚の作品が出来上がる。

一方、「書」の場合は、‘上塗り禁止’だから、その分‘枚数’を増やすことになる。その中の最上出来の一枚が作品なのである。この‘平清盛’の字の実物大の大きさがどのくらいなのかは判らないが、この場合、一枚書くのに30分以上は掛かったに違いないから、一日に10枚書いたとしても、数百枚書くのに一ヶ月以上は掛かったのだろう。

書の方が油絵より時間的には早い、と思うのはそう言った意味では誤解である。一枚の作品には、書も油絵も同じくらいの時間と情熱が注ぎ込まれているのである。

そして、ドラマの印象を決定する‘題字’は、‘大事’だなあとつくづくそう思う。

この平清盛の大河ドラマの場合、結局‘題字’の素晴しさに‘中身’が追いついていない、いわゆる‘名前負け’という状態なのだろう。清盛自身もあちらで‘もう一寸何とかならないの?’とご不満なのかも知れない。

さて、このドラマは、平家と源氏という蔑まれていた‘侍・武士’を国を治める表舞台の主役に抜擢する時代の物語である。

この二つの武士軍団の象徴である‘赤と白’の色は、日本で‘戦う’場面ではそのまま引き継がれている。運動会の場合、必ず‘赤と白’に分かれる。

ホタルの時期はもう去ってしまったが、ホタルにも‘源氏’と‘平家’があると言う。

ゲンジボタルとヘイケボタルのちがい0001-2
http://www.kisoji.com/hotaru/difference.html

源氏ボタルについて:

hotaru101.jpg
http://xoox.cocolog-nifty.com/photos/cfl/hotaru101.html

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%B3%E3%8
2%B8%E3%83%9C%E3%82%BF%E3%83%AB


(源氏ボタルの)和名の由来 [編集]

平家打倒の夢破れ、無念の最期を遂げた源頼政の思いが夜空に高く飛び舞う蛍に喩えられた。 平家に破れた源頼政が亡霊になり蛍となって戦うと言う伝説があり、「源氏蛍」の名前もここに由来している。
また、腹部が発光する(光る)ことを、「源氏物語」の主役光源氏にかけたことが由来という説もあり、こちらの場合は清和源氏とは関係はない。
違う種類のホタルが、清和源氏と対比する意味で「ヘイケボタル」と名づけられたという説もある。



平家ボタルについて:

img_395354_3834947_0.jpg
http://blogs.yahoo.co.jp/violetfighter/3834947.html

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%82%A4%E3
%82%B1%E3%83%9C%E3%82%BF%E3%83%AB


(平家ボタル)概説 [編集]

日本では、ゲンジボタルと並んで、身近な光るホタルである。ゲンジボタルより小型で、より汚れた水域にも生息する。また、ゲンジボタル、クメジマボタルと並んで幼虫が水中棲息するホタルであり、日本産水生ホタル3種の中では最も小型である。
名称は、ゲンジボタルとの対比で、似ているがより小型であることからの名づけられたものと思われる。ゲンジボタルが渓流のような清冽で、流れのはやい水域に生息するのに比べ、ヘイケボタルは水田、湿原といった止水域を主たる繁殖地としている。幼虫の餌になるのは、止水に生息するモノアラガイなどである。
雄の光の点滅の速さはゲンジボタルより明らかに早く、明滅時に星が瞬くような光り方をする。発生期間も長く、2種が同じ水域で発生することも多い。山間部の農村では、水田周辺に本種が、河川付近にゲンジボタルが発生し、実際には両者が一部で入り交じって発光する。ただし、ゲンジボタルのように、短い期間に集中的に発生することが少なく、発生は長期に渡るが密度は高くならないのが普通である。
ゲンジボタルが各地で保護活動の対象とされるのに対して、ヘイケボタルの保護をうたう活動はほとんどない。かつては水田周辺ではどこでも簡単に見られたものだが、水田への農薬散布や水田周辺の環境変化に伴い、生息環境が狭められている。



蛍の見分け方について:http://www2.ocn.ne.jp/~s-sawada/kansatukiroku.htm

観察記録0001

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http://www.nikkeibp.co.jp/style/secondstage/tanoshimu/furusato_080515_sub02.html

「 いまはむかし、ほたるの大群に逢ひけり。伊予の郷の或る小川の畔なり。その数数千にして、乱舞のさま、まるでこの世に非ず。ほたるを愛でる大和びとのこころ、さくらを愛でる気持ちに似たり。その潔さ、儚さ、これぞ大和魂なりと覚えける。(徒然草・第244段)」

兼好法師がもしもその光景を見たとしたら、最後の段の次に上記のようにもう一段付け足したのではないかとでもと思われる印象だった。その場所は大体記憶に残っているが、TV局が来たり大勢の観光客が来るとほたるの環境が破壊されると言うので、そのほたる飼育に励んでおられる方達から、他言無用と言い渡された。もう20年も昔の話である。

























[2012/08/27 20:47] | サイエンス | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
新しい朝
「今年の夏は、やはり異常だ!」と言う事を弊ブログ(http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-218.html)でも記事にした。

秋の虫がまだ鳴かない事に触れ、‘今年の異常気象の項目にもう一つ加えなければならない。’とも書いた。(http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-248.html

嬉しいかどうかは別として、昨夜(2012年8月25日)今季初めて‘虫の声’がした! ただし、22時頃から約30分間だけだったから、本格的ではまだない。

このところの暑さで、一寸疲れ気味のこともあり、22:00~2:00の4時間の睡眠を逃してはならないとの或る医者の意見もあって、深夜の‘作業’を止めて早朝に切り替えてみた。

3:50起床。

 4:03に新聞屋さんが来た。

 4:05 最近電柱の‘街灯’が蛍光灯から‘LED’に替わったので、まだ暗いうちにと思ってカメラで撮影して見た。

画像ー40 012-3

LEDの特徴は、前面にしか光を出す事が出来ないから、直下は明るいが、蛍光灯のように周り、特に後方は暗い。でもこれが幸いして、‘星空’を見るには適している。

画像ー40 008-3

周りを良く見るためにこの写真は‘フラッシュ’を焚いた。

画像ー40 005-3

LEDであることがこく判る。信号機は既に大分前からLEDに替わっているのだが、街灯がLEDに替わったのは市当局の施策なのだろうか?

画像ー40 038-3

フラッシュなしでの撮影。カメラの機能を使わずの写真。結構明るい。

 4:15 東の空に見えた‘オリオン座’を撮影。

画像ー40 053-4

画面の中央の星が、オリオン座の‘ベテルギウス’である。

これをPCで処理してオリオン座部分を拡大して見ると・・・。

画像ー40 053-5

次の‘プロの写真’と見比べて欲しい。

sldd03-4.jpg
http://www.astron.pref.gunma.jp/inpaku/gallery/cons/cons1/sldd03.html

画面左の‘赤みがかった星’が、ベテルギウスである。まだ、‘超新星爆発’の‘光’が地球に届いていない。640年前の今、まだ爆発していないのだろうか?

④ 4:25 NHK・TVは、3:37の地震を伝えている。また、福島沖という。震度4、マグニチュード5,1 という。福島原発は大丈夫だろうか?

画像ー40 056-2NHK/TV画面

 4:41 NHKラジオ・深夜便では、五木寛之が出演している。

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(4:00)
▽ニュース
▽特集・作家 五木寛之の“歌の旅びと”
「広島県編」
作家…五木寛之
【きき手】須磨佳津江

‘白い花の咲く頃’を岡本敦郎が歌っている。

ラジオのニュースでは、あの香川が、公式戦で‘初ゴール’を決めたと報道している。

私は、このブログを書いている。

今日もまた暑くなるという。

このところの暑さ対策として、夕方の散歩は18:00過ぎから。それが出来ない状況の場合は、スーパーや100円ショップの中を歩き回ることにしている。

冷房が利いていて快適である。

今日、日曜日は、8月最後の日曜日。さあ、今日が始まる・・・・。午前5:00。















[2012/08/26 05:10] | 学習と文化 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
電車の乗り方(その4)
電車の乗り方 次第で、その人の社会通念に関する意識の持ち方の程度が判る。

相当前に、何かの雑誌に、電車に乗って自分の‘荷物(=鞄やバッグ)’を何処に置くか or どう持つかについて書かせて貰った覚えがある。

大原則として、座席に腰をかける人は、自分の荷物は自分の膝の上におくこと。網棚は立っている人の荷物の置き場だと言う事を認識すべきである。

座席は占めるは、荷物で網棚を占めるでは、立って荷物を持っている人との差が大き過ぎる。

定年も真近かと思われる程の歳を取った人でも、こんな風に社会通念の欠如した人が多いのには驚く。




さて、今日の‘電車の乗り方’は、腰を掛けている人のマナーについてである。

‘足の投げ出し’、これ迷惑千万!

前々から、電車の床に‘或る一線’を引いて、これより先に足を出していれば‘いくら踏んづけてもよい!’という電車会社があってもいいのに、と思っていた。

踏んづければ、或る種のトラブルは起こって‘喧嘩’にまで発展するケースだって生じる恐れもある。しかし、その喧嘩が大きく報道されて、みんなが認識し始めれば効果は期待出来る。

早くそんな‘粋な計らい’電車が出来ればいいのに、そう思っていたが、実はそんな電車にとうとう出くわしたのだ!

2012年8月21日、八王子まで出かける必要が生じたので、茂原市の最寄りの駅・本納からJR外房線に載って千葉駅まで行き、各駅停車のローカル線で市川市の‘本八幡駅’に着いた。

そこから、都営新宿線で、神奈川県・相模原市・橋本駅までの急行に乗り込んだ。

電車に乗った瞬間に‘ハッと’した。それは私が長年‘あったらいいな!’と思っていた上述の‘足元制限区域’を表示した電車だったからである!

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12:08

本八幡12:02発、橋本駅行き急行である。座席の下の足元にご注目戴ければお判りの通り、普通に座れば靴が出ない程度のところにまで、中央の床の色よりも‘濃い’色にしてある。これは、明らかに‘意図的’に‘この領域より靴を出すな!’の警告である。

でも、社会通念に欠ける人には、先ずこの領域が何なのかが判らないし、判ろうともしない!

電車の車掌さんが‘説明’でもするかと思ったが、期待はずれで、そんなことは一言も言ってはくれない。

手前の‘居眠り’を決め込んでいる若い男女は、‘偶然’かどうかは知らないが、きちんと‘領域内’に足を納めている。意識しているのなら、この人達の親御さんの躾が功を奏したということだ。

気になるのは、その向うの‘いい歳をした’初老のおじさん’である。これじゃあ、車内の通行人に足をかけて転ばせようとしている、と言われても仕方がない。‘何年人間をやっておられるか’は知らないが、普段の非常識さがこんなところで証明されてしまっている。

その奥の人達は、どうだろうか?

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12:08

全員‘喝!’である。

一般の常識と言うのは、まあこんなもんなのであろう。

隣の車両では?と思ってシャッターを切った。

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12:09

この車両も、向かって右座席の一番手前の人を除いては、全員‘喝!’である。

ああ、嘆かわしや!

八王子で用件を済ませて、今度もやはり京王線、17:24橋本発調布行き急行に乗り込んだ。

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17:22

この車両には、上述の‘足元領域表示’は無かったが、その代わり‘つり革’に工夫がされている!
5本のつり皮の内、1本だけ長さが長い! つまり‘身長の長くない人’用に特別誂えである。これはいい!
‘親切心’・‘こころ’が感じとれるではないか! <拍手!>

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17:23

かなり複雑なパターンではあるが、‘小さな人達’への配慮が滲み出ていて好感が持てる。
大いに結構!(拍手!)

ところが、17:24に発車してからがいけなかった。‘つり革’の問題ではない。

車内の案内アナウンスの事である。

‘妙に崩れた東京弁’で、‘いやいやながら’声を発しているようにしか聞こえない。それも電車が走る大きな音のことなど全く気にせず、自分勝手に小さな声で、早口で・・・。

これじゃあ、‘英語’より判りにくい!

電車の‘乗り方’にもよくないところが沢山あるが、‘乗せ方’にもまだまだ問題がありそうである。

(つづく)
























[2012/08/25 10:26] | 旅行・散策 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
‘黄昏’の九十九里(その2)
‘黄昏’の九十九里海岸に魅了されて、また昨日(2012年8月23日)夕刻訪れた。

ここのところ2,3日、NHKTV全国放送をはじめ民放でも、日本でも有数の‘高温’地域として、なんと‘茂原市’が紹介されている。

猛暑
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00230068.html
FNNニュース(2012年8月23日11:51)

昨日の午前11時現在では、どうやら‘日本一暑かった’ようである。茂原市がニュースになるなんてことは滅多にない。余りいいニュースではないとも思われるが・・・。画像は、埼玉県・熊谷市である。TV局のカメラマン達は、最高温度は多分熊谷市だろうと予測していたに違いないが、どっこい、茂原市が11時現在35.5℃だったので、字幕には書かれたがカメラマン達は茂原市には来ていなかったという訳だ。

兎に角暑い!

例年では、お盆も過ぎ立秋も過ぎている8月の20日過ぎには、朝晩は裸ではいられない位‘冷えて’来る。
そして、‘虫の鳴き声’が騒がしくなる程であるのに、今年は一体どうしたと言うのだろうか?
虫の声など全くしない!

このことは、今年の異常気象の項目にもう一つ加えなければならない。

そんな訳で、8月8日の第一回以来昨日が3度目の‘夕刻の海岸涼み’である。

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18:12

夏至からおよそ2カ月が経っている。いい加減なことでいうと、夏至以降は一日に約1分ずつ日没が速まっている計算になるらしいから、18:00過ぎれば、まだ‘つるべ落とし’とまでは行かないまでも日に日に暗くなるのが速まっている。もう海岸にも人数は疎らで、海の色も昼間のそれとは随分違っている。望遠で水平線に迫ってみると・・・。

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18:12

千葉県・房総半島の太平洋側であるから、画面は東側を見ている。つまり、この水平線に‘夕日’が沈んだ訳ではないが、明らかに‘夕焼け’の様相である。小さい時から、‘夕焼け’は、‘西の空’とばかり思っていたから、意外といえば意外である。もう少し迫ってみると・・・。

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18:13

洋上はまだ明るく、そして、水平線の上に漂う雲がハッキリと夕日の赤を反映しているのが見て取れる。

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18:14

一方、南の空には‘お月様’が三日月と半月の中間の状態で顔を出している。

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18:14

望遠で拡大して見た。普通のカメラの望遠だから、月の表面の模様はよくは見えない。

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18:17

随分涼しくなってきた。海風が吹いている。まだ海よりも‘陸側’の方の温度が高いと見えて、陸側の上昇気流の穴埋めをするために海風が吹く。そんな訳で、黄昏時の夕暮れの海岸は海風が吹いて気温の低下とともに涼しいと感じるのである。

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18:18

日没の西側と違って東側の海にもこの写真のような‘珍現象’が一瞬現れる。方角を認識出来ていない初めての人がここへきてこの夕焼けを見れば、この画面の方角が‘西側’と勘違いしそうな風景である。

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18:28

本当の‘西側’の空は、この通り‘夕焼け’が鮮やかである。

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18:28

同じ時刻の東側は、この写真の通り、もう相当に暗くなってきた。我々と同じようにこの風景と涼しさと静寂を求めてやって来た人がいる。

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18:31

折りたたみ式の椅子を東の方向が見えるように砂浜に置いて、ここに‘じっくり’と座ると別世界である。車や町の喧騒も全く聞こえない。ただただ、波の音と風の音のみの世界。この歳になるまでこの世界に気付かなかったのは‘不覚’であった。

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18:34

犬を散歩させる初老の人が現れた。

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18:36

西の空もすっかり暗くなってきた。でも、この暗さと静寂は、ここだけのものであって、街中へ帰ればまたまた普通の喧騒の世界。

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18:38

だ~れもいない海。波打ちの音が、一層静けさを強調する。

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18:39

南の空に掛かる月も段々明るさを増してきた。

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18:39

海はもう真っ暗。

画像ー39 115-2
18:45

今日はこれでお終い。30数分の夕涼み、これ明日からの元気の源。

次は、満月が水平線から出るところを是非見に来たい。後一週間後、多分。

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18:47

温泉街には、テニス合宿中の中学生達が食事の最中。その中を抜けて我が家へ。昨日の夕食は、‘イワシの刺身’。

(つづく)






















[2012/08/24 10:01] | 観光 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
‘気功’と‘夏祭り’
或る先生に‘気功’の手ほどきを受けてみて、‘気’が或る意味では‘身体’を支配していると言う‘実感’が湧いてきた。

気功


‘気功’は、中国に源を発して以来、約4,000年。先人の‘知恵’の塊なのだろう。

「下の図は前漢初期(紀元前2世紀)の馬王堆漢墓で出土した絵の一部ですが、内気功のポーズを描いたものです。」 とある。

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http://homepage1.nifty.com/kikou/kikou.htm


http://www.e-kiko.com/01/

気功の歴史
 
 現状知られている気功に関する最古の資料は、新石器時代の壷に描かれ ている「亀の呼吸をしている人の絵」です。新石器時代のことですから、4000年以上も前に遡ることになります。古代の人達は、舞踊によって健康を維持し ていたと考えられるので、それが気功の原点に繋がるのではないかと言われています。

 紀元前~紀元後に書かれた中国最古の医学書「皇帝内経」にも、「気」と病気との関係について詳しく書かれています。このことからも、2000年以上前の人達は、「気」・「気功」に関して既に認識し、実践していたことがわかります。その後に書かれた中国の歴代医書の中にも、「気功」に関する記述は数え切れないほどあります。

気功という名称が初めて使われるようになったのは、1950年代、劉貴珍によって記述された「気功療法実践」です。

 その後、1999年に中国で起こった気功団体「法輪功」による騒動で、中国では大掛かりな集団での気功活動は禁じられるようになりました。しかし「法輪功」騒動後、中国政府としては健全な気功までも消滅してしまうことで一般市民の健康状態が低下することに危機感を覚えるようになりました。実際、1999年に気功活動が禁止されてから、老人の医療費が増加するという変化も起こったことから、中国政府は健康気功管理中心を設立し、気功の普及活動を再開しています。

気功の種類

 一口に気功と言っても、皆さんはどのようなものを思い浮かべますか? 気功は何千年に渡って発展する過程で、様々な流派、功法へと分派を繰り返してきました。 中国だけでも、2000以上の流派があるといわれています。 それらの気功は大きく二種類に分かれます。

内気功

内気功は、体内の気を循環させることで気を増幅させ、主に健康を維持、増進する目的で行います。 また、病気治療のために使われる場合もあります。これは、内気功の中でも軟気功と呼ばれています。 そのほか、硬気功として武術に使われる場合があります。 これは、気功師が体の特定の部分に気を集中させることでその部分を硬くし、相手の攻撃を無効化してしまう方法です。首に槍を突き刺して、その槍を首の力だけで折曲げたり、割れたビンの上を素足で歩くとい った方法は、この硬気功を用いた方法です。ただし、硬気功は大量の気を消費するので、あまりやりすぎ ると体調を崩すことがあります。

外気功

外気功は、気功師が患者に対して気を放射することで、患者の不足した気を補うと共に調整し、病気治療に役立てる方法です。気の放射方法は、患者に接触するもの、接触せずに行うものがあります。いずれにしろ、患者は気功師から放射される気を受けるだけで特別な知識や経験は必要ありません。接触せずに行う外気功の中には、遠隔気功があります。これは、遠く離れた場所にいる患者に気功師が気を送る方法です。患者はどこにいようと、気を受け取ることができます。
世界的に有名な指揮者 小澤征爾 氏がヨーロッパ公演中に肩が上がらなくなり、日本にいる気功師の遠隔気功によって肩を治した話は有名です。



一方、四国の‘阿波踊り’や‘よさこい祭り’の激しさを見ていると、これ‘日本の気功の対抗面’ではないかと思ったりする。

‘気功’の定義は、‘ゆっくり’が基本。そうでないと‘気’の‘出入り’に支障を来す。‘太極拳’を見れば判る。

http://npo-kikou.cocolog-nifty.com/blog/2004/05/post_1.html

気功と太極拳

気功と太極拳はどう違うのですか?
という質問を時々受けます。

気功と太極拳の共通の入り口はゆるんで動くことです。
上半身から、ほどよく力が抜けて、ゆっくり動くことが常です。
自然の原理に従って動くということも同じです。
中国では、自然の原理のことを陰陽で表します。陰と陽はプラスとマイナス、相対する2つの性質ですが、昼と夜が交互に訪れるように、常に変化し続けています。また、昼間には日陰の心地よさがあり、夜中には光の美しさが際立つように、陰の極みの中にも陽、陽の極みの中にも陰があると説明されます。陰陽は不二。そのことを図に表したのが太極図です。そして、その太極図のように体を使っていく武術が太極拳です。
気功の核心もこの陰陽自然の原理です。ただ、武術ではありませんから、相手を倒すための技は必要ありませんし、大きな力を出す必要もありません。手軽ににやさしく自然の原理が体験できるのが、気功の特徴です。
ただ、最近はやりの太極拳は形や見栄えの綺麗さが強調されるようになり、どんな原理で動いていたのかを半分忘れかけています。一方古典的武術太極拳は難しい鍛練を強調する面があります。



‘阿波踊り’も‘よさこい祭り’も日本人の持つ本来のリズムと波長が合うのか、どちらも全国的な夏祭りとして地方に伝染病の如く伝搬しつつある。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E
9%98%BF%E6%B3%A2%E8%B8%8A%E3%82%8A


阿波おどり

阿波おどり(あわおどり)は徳島県(旧・阿波国)を発祥とする盆踊りである。日本三大盆踊りのひとつ。約400年の歴史があり、夏季になると徳島県内各地の市町村で開催される。なかでも徳島市阿波おどりは国内最大規模で最も有名であり、四国三大祭りに数えられる。近年では全国各地で行われるようになってきている。


阿波踊りエキスポランドsk2k
http://farmexpo.osakazine.net/e356783.html




http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%88%E3%81%95%E
3%81%93%E3%81%84%E7%A5%AD%E3%82%8A


よさこい祭り

よさこい祭り(よさこいまつり)は、毎年8月9日の前夜祭、8月10日と8月11日の本番、8月12日の全国大会と後夜祭の4日間にわたって高知県高知市で開催される祭り。前夜祭の行われる9日には、約4,000発の花火を打ち上げる高知市納涼花火大会も開催される。延べ約100万人の人出があり、四国三大祭りの一つである。


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http://sendai-akiu.com/event/item-78.php

‘よさこい’の意味は、‘夜さ来い’だと言うから、昼間は盛り上がりが少ないのだろうか?


兎に角、見ているだけで、‘こころも身体も’が洗われるような気がする。

となれば、この激しい‘おどり’にも‘気功’とは別の心と体を新鮮にする‘機構(メカニズム)’があるのだろう。

オリンピックの競技だって、ゴルフのTV中継だって野球の観戦にしろ、何で見る方も夢中になるのかといえば、著名な選手が‘自分の代わりに’心身の健康維持を‘代替わり’してくれているからという説がある。

阿波踊りの文句に‘同じアホなら、踊らにゃ そんそん’というくだりがある。

気功や太極拳や阿波踊りもよさこいも見ているだけでは、‘そんそん!’




















[2012/08/23 13:14] | 健康と医療 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
‘無常’と‘現在’
‘無常’という言葉の意味は、文字通りであれば‘常では無い’であるが、‘非常’という意味ではない。

‘無常’は、仏教用語であって、「一切のものは消滅・変化して常住ではないこと」を意味すると同時に「人生ははかないもの」という認識を持たせる意味が強い。

「方丈記」の冒頭の「行く河の流れは、云々」にもそのことは強く表現してあって、「方丈記」全体がこの‘無常観’で貫かれているから、‘冒頭’の書き出しがそうなっている。

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http://www.bookservice.jp/ItemDetail?cmId=4207186&target
CategoryId=101&categoryLayerIndex=2



平安・鎌倉時代の‘3大随筆’といわれる「枕草子」「方丈記」の二つのもう一つ「徒然草」にもこの‘無常観’が全243段のあちこちに鏤められている。

次に示す第155段にも‘無常’という言葉そのものは出てはこないが、‘常ならず’を言いたいことがよ~く表現されている。

‘生老病死’と‘春夏秋冬’の対比 をして見せ、‘無常’そのことを認識せよと言っている。

‘物理学’という‘硬たそうな’学問で、この事を考えてみると、この‘無常’が証明される。

先ずは、「徒然草」から。

徒然草・第155段。

http://www.h3.dion.ne.jp/~urutora/turepage.htm

【世に従はむ人は】 ~第百五十五段
 
 世に従はむ人は、まづ機嫌を知るべし。ついで悪しきことは、人の耳にもさかひ、心にも違(たが)ひて、そのこと成らず。さやうの折節を心得べきなり。ただし、病をうけ、子産み、死ぬることのみ、機嫌をはからず。ついで悪しとて止(や)むことなし。生(しやう)・往・異・滅の移り変はるまことの大事は、たけき川のみなぎり流るるがごとし。しばしも滞らず、直ちに行ひゆくものなり。されば、真俗につけて、必ず果たし遂げむと思はむことは、機嫌をいふべからず。とかくのもよひなく、足を踏みとどむまじきなり。
 
 春暮れて後、夏になり、夏果てて、秋の来たるにはあらず。春はやがて夏の気を催し、夏よりすでに秋は通ひ、秋はすなはち寒くなり、十月(かみなづき)は小春の天気、草も青くなり、梅もつぼみぬ。木の葉の落つるも、まづ落ちて芽ぐむにはあらず。下より兆しつはるに耐へずして落つるなり。迎ふる気、下にまうけたるゆゑに、待ち取るついではなはだ速し。生・老・病・死の移り来たること、またこれに過ぎたり。四季はなほ定まれるついであり。死期(しご)はついでを待たず。死は前よりしも来たらず、かねて後ろに迫れり。人皆死あることを知りて、待つこと、しかも急ならざるに、おぼえずして来たる。沖の干潟はるかなれども、磯より潮の満つるがごとし。
  
(現代語訳)
 
 世間に順応しようと思う人は、まずは時期を知らなくてはいけない。順序が悪いと、人の耳にも逆らい、気持ちにも背いて、しようとしたことがうまくいかない。そういう時期をわきまえるべきだ。ただし、病気になったり、子供を産んだり、死ぬことだけは、時期を考えることができない。時期が悪いからとて止まるものではない。万物が生じ、とどまり、変化し、なくなっていくという四相の移り変わりの大事は、勢いのある川が満ちあふれて流れていくようなものだ。少しの間も止まることなく、まっすぐに進んでいくものだ。だから、仏道修行においても日常生活においても、必ず成し遂げようとすることは時期のよしあしを言ってはいけない。あれこれ準備などせず、足踏みしてとどまってはいけない。
 
 四季の移り変わりにおいても、春が終わって後、夏になり、夏が終わってから秋が来るのではない。春はやがて夏の気配を促し、夏にはすでに秋が入り交じり、秋はすぐに寒くなり、十月は小春日和で、草も青くなり梅もつぼみをつける。木の葉が落ちるのも、まず葉が落ちて芽ぐむのではない。下から芽が突き上げるのに耐え切れなくて落ちるのだ。次の変化を迎える気が下に準備しているために、交替する順序がとても速いのだ。生・老・病・死が次々にやってくるのも、この四季の移り変わり以上に速い。四季には決まった順序がある。しかし、人の死ぬ時期は順序を待たない。死は必ずしも前からやってくるとは限らず、あらかじめ背後に迫っている。人は皆、死があることを知りながら、それほど急であるとは思っていない、しかし、死は思いがけずにやってくる。ちょうど、沖の干潟ははるかに遠いのに、急に磯から潮が満ちてくるようなものだ。



‘おぼえずして来たる’すなわち‘死は思いがけずにやって来る’と兼好法師は言っているのだ。

上述した‘物理学’は、一見‘仏教’とは違った‘基軸’に見られがちな分野であるが、実はそうではない。

‘天地創造’も‘無常’もいわば‘物理学’の‘範疇’の出来事である。

‘天地創造’については別の機会に譲るが、‘無常’を物理学的に‘解明すると以下のようになるに違いないと常日頃思っている。

誰でも気楽に使う言葉、‘過去・現在・未来’。(語呂としては、‘現在・過去・未来’かも?)

これを‘時間軸’でよ~く考えると‘無常’という意味が‘物理学’的にもはっきりする。

結論から言うと、

   「現在は存在しない」

ということになる。従って、‘無常’なのであることに今更ながら気付かされる。

では、時間軸で考えると何故「現在は存在しない」のか?

「過去」と「未来」は、わざわざ‘時間軸’を持ち出さなくても誰でも理解出来る。

しかし、極めて厳密な意味において「現在」とは一体どんな‘時間帯’を指すのであろうか?

「未来」の一瞬は、想像に難くは無い。でもよ~く考えればこの「未来の一瞬」は、正に‘一瞬にして’「過去の一瞬」に変化する。

「現在」という‘時間帯’に‘時間’は止どまる事が出来ないのである。

「時間」と「時刻」を間違える人が多い。

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http://www.astron.pref.gunma.jp/events/110604kozai.html

「時間」には‘間’という字があるから、ある‘幅’を持っているが、「時刻」には‘幅’が無い。

「時刻」の集まり(足し算)が「時間」などと思ってはいけない。

(因みに、「時と時間と時刻」を‘Google翻訳’にかけてみると‘Time and time and time’と翻訳されてくる。)


そんな訳で、実は‘物理学’は初めから「現在」など存在しないことを教えていたのだが‘受け取り側’が理解していなかったに過ぎない。

仏教では、この‘無常’を説くのに数百年もの‘時間’をかけた。釈迦は一瞬にして「現在」がない事を悟ったに違いないが、その弟子達がやっと時間をかけて理解をし、一般民衆にこの‘無常観’を提示するのに吉田兼好や鴨長明まで動員せねばならなかった。

さて、問題は「現在」が無くて‘無常’という事が理解出来た時、「‘その後’の行動をどうするか?」である。

これがまた「何故、何の目的で‘人間は産まれてきたのか?’の問題」に発展するからややこしい。

そんな意味で、‘宗教と物理学’は形は違うように思われがちだが、根本の思想は全くと言っていい程‘同じ’である。

またそうでなければならない。

「天地創造」など、物理学的に考えれば‘たちどころに’とは言わないまでも、案外大枠が見えて来るのかもしれない。

(つづく)


















[2012/08/22 22:02] | サイエンス | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
逸品の硯
趣味の欄には、いつも‘書道’と厚かましく書かせて貰っている。もう‘お習字’の段階は通り過ぎたとは思っているが、まだ‘お習字’の‘お’がとれた‘習字’の段階である。

とてもとても‘書道’という‘道(どう or みち)への段階には来ていない。

何故か?

まだ、‘手本’を見ずに自分の‘意識’だけでは‘作品’にはならない段階だからである。

早くこの段階を‘脱出’してしまわないと、‘書道’の入り口にまでも到達しない恐れがある。

それには、日々の‘臨書’と‘創作’が必要だと書道の先生から60年以上も前から教わったのに、未だに実行していない。

それでも、「‘先生の手本’さえあれば、‘真似ごと’だけは多少出来るようになったネ!」と言われる事があるが、これは、完全に‘カラカワレテいる’だけであって褒め言葉でも何でもない。

これを自覚していないと‘とんでもない大失敗’をする羽目に陥る可能性がある。

‘書道が御趣味なら、ここで一筆’と頼まれる恐れがあるからである。その時、「お手本は?」だとか、「筆は自分のものでないと・・」とかは、言ってはおれないのである。



‘書道への入り口’、これに入る場合、取り組む前の‘気持ちの持ち方’に大きな差がある。

① 本気で取り組む場合:将来の収入がどうなろうと考えずにのめり込む。

② 趣味の段階:将来余裕が出来たら是非やりたいと思う。

①の場合でなければ、‘書道’への道は無理である。

事は何も‘書道’だけに限らず、‘絵画’にしても、‘小説’にしても‘競技’でないものは全て‘自分との戦い’だから、如何様にも頑張れるし、また如何様にもサボれる。実行者と監督者が同一人物だからである。

しかも、上達の時期は決まっていて、出来れば10歳以下から少なくとも10代の前半からでないと、もう遅い。

大成した人は、みな‘貧乏’を味わっている。

‘この種の頑張り’は、‘貧乏人’にしか出来ない事になっている。食うに困らぬ奴は‘のまず食わず’では頑張らない。

世の中、上手くしたもので、貧乏人には‘大成’という‘特権’の道が用意されていると言う訳だ!



さてさて、前置きが長くなったが、職場の大先輩に‘硯’を頂戴したことがある。

単に‘硯’と言っても、正に‘ピンからキリまで’あるのである。

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硯の下にもう一つ‘石’がある。この石の使い方が判らない。カミサンは‘筆置き’というが・・・。
これがド素人の悲しさである。でも何時か誰かが教えてくれるに違いない。

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桐箱の蓋には、銘が書かれている。

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伝統的工芸品産業功労
日本伝統工芸展入選
翆川布石刀

と読める。

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‘硯’の裏面に銘が彫ってある。‘龍渓’‘翆川布石刀’。

web で調べてみると次のようなことが判った。



http://nagano.world.coocan.jp/tatsuno/suzuri/index.html

龍渓硯(りゅうけいすずり)

概要

・龍渓石の原石

 小横川、横川川から産出されます。

・石質

 学名「黒雲母粘土板」で石齢は2億年以上といわれていて、  硯の特徴は、石質が緻密で粒子の細かい墨をすることができます。  赤褐色の美しい錆も特徴の一つです。

・龍渓硯(龍渓石)名前の由来

 昭和10年、当時の長野県知事大村清一氏によって「龍渓石」と名づけられました。  この石で作った硯を龍渓硯といいます。
「龍」
天龍(竜)川系で石が産出することから、
「渓」
天龍川系の横川川の渓流・その美しさからという説と  中国広東省の有名な硯石の産地である「端渓」で作られている硯が世界で  有名であることにちなんで「渓」を頂いたという説があります。

・龍渓石で作られるもの

 龍渓石は、硯だけではなく、花器・一輪ざし、筆立て・ペン立て、文鎮、朱肉入れなども  作られます。
 また、その錆の美しさから形・色が整ったものは、飾石として鑑賞されます。

歴史

~江戸時代~龍渓硯の起源~

時代は江戸時代末まで遡ります。
昔、上島村(現辰野町渡戸、上島地区)の百姓が作間稼ぎに 砂岩を採掘し砥石を作っていました。
その採掘場近くで、黒い粘土板が発見され、それが硯に適していることが判明し、 医師・寺子屋師匠の漢学者で書家でもある渕井椿斎氏が自ら硯製作をし硯製作を導きました。
これに目を付けた高遠藩が全ての硯石を所有し、甲州雨畑(現山梨県)の硯職人を招き 指導させ硯を作らせました。
作られたその硯は、民間には流出せず大名などへの贈り物とされ、一時は 秘硯とされることもありました。
その後、領外へ「高遠硯」「鍋倉硯」として売られるようになりました。
ここから、龍渓硯作りは始まりました。

~明治・大正時代~龍渓硯の衰退~

明治初期、渡戸を中心に近隣には数十名の硯職人がいましたが、大正時代になり、 鉛筆・万年筆などが海外から入り普及し、龍渓硯は衰退していきました。

~昭和~龍渓硯の復興~

一度は衰退した龍渓硯ですが、昭和に入り国民精神の高揚とともに、書道は徐々に 盛んになってゆきました。
それに伴い、地元の方の努力もあり伝統は復興しました。
その頃、山梨県から硯石を求めて、川口丁郷さん、翠川希石さん、深沢秀石さんが 移住し硯作りを始め、龍渓硯は復興しました。
また昭和62年2月に長野県伝統工芸品に指定されました。

~現代~翠川さんのお話~

今回、翠川堂硯店さんにお話をお聞きしました。

・創業

 昭和9年、硯の産地であった山梨県の雨畑から硯石が採れなくなってしまったので、移住されたことから始まったそうです。
戦争の間は、出兵され戦後戻って本格的に始められました。

・硯職人の数

 戦後、5~6人で始められたそうで、一番ある時で7軒の硯店があったそうですが、現在では2人になってしまったそうです。
 その背景には、墨汁が普及しほとんど墨をすらなくなってしまい需要が減ってしまった  ことが、一番の理由だとおっしゃっていました。

・硯を制作される上での注意点

 国産の最も高級品の石の形を生かすように制作されているそうです。
 また、使いやすさと、見た目の美しさに注意しながら制作されているそうです。
 形は、原石を割った時にどんな硯にするかを決めて作られていました。

・硯の制作期間・製作過程

 形や大きさによってまちまちですが展覧会に出品されるものは1カ月、それ以上かかるものもあるそうです。
硯ができる工程
1、 原石を採石場で採る。
2、 塊で採石されるので、割る。(この時にどんな硯にするかを決める)
3、 両面を平らに研ぐ。
4、 石の形に合わせて硯を彫ってゆく。一気に彫るのではなく、徐々に丸みを出してゆく。
道具は、大きさによってさまざまな四角・丸・くり(半月型)の鑿(のみ)を使い分ける。
5、 表面・側面・背面をやすりで丁寧に磨く。
きれいに磨くには、手首の返しがとても重要です。
6、 木漆を塗り光沢をだす。
7、 完成
時に大胆に、時に繊細に一つ一つ丁寧に作っていらっしゃいました。

・龍渓硯の良い点

 鋒鋩が細かく墨がよくすれることだそうです。鋒鋩が細かいと良い墨をすることができます。




実は、これを送って頂いた私の職場の大先輩が、先月7月の5日に大往生を遂げられたと言う葉書が来た。御歳85歳。

そんな訳で、本日御線香を上げに参上した次第である。‘極上硯’を頂戴している手前、少なくとも色紙の一枚くらい持参せねば、と思って・・・。

喫茶去0001

‘喫茶去’については、弊ブログに書いたのでご参照あれ。

http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-date-20120701.html


臨済宗妙心寺派 宝津院 ホームページ ( http://www.kissako.org/houtsu/ )を見てみると、次のように親切に解説してある。

http://www.kissako.org/kissako/

「喫茶去」は「お茶でもいかがですか?」という意味です。
お茶でもいかが・・・ごゆっくり。

ただし、禅語としての「喫茶去」のニュアンスはそれとは少し違います。

しかし、それはそれとしてごゆっくりサイトをご覧いただければと思います。

「喫茶去」の本来の意味ですか? ・・・ 「喫茶去」

禅語「喫茶去(きっさこ)」

● 相反する意味

  茶席の禅語、あるいは禅語をやさしく解説した本を読むと、
 「まあ、お茶でもお飲みなさい」と解説されます。

しかし、禅語としての本来の意味は「お茶でも飲んで去れ」
 あるいは「お茶でも飲んで来い」と叱咤する語
です。

広辞苑にも以下と書かれています
 「お茶でも飲んで来い。もともと相手を叱咤する語であるが、
  後には、お茶でも召し上がれ、の意に解され、日常即仏法
  の境地を示す語と誤解された」


● 趙州喫茶去

  この言葉は次のような話にちなんでいます。

趙州禅師のところに二人の修行僧が来た。

師 : 前にもここに来たことがあるか?
僧一: 来たことがありません
師 : 喫茶去

もう一人の僧に趙州がたずねた。

師 : 前にもここに来たことがあるか?
僧二: 来たことがあります
師 : 喫茶去

院主が師に尋ねた。

院主: 前に来たことがない者に『喫茶去』とおっしゃり、前にも来たことがある者にも、『喫茶去』とおっしゃる。 なぜですか?
師 : 院主さん!
院主: はい。
師 : 喫茶去

● 意味を拾えば

訓註 禅林句集(改訂版)
  「まあ、お茶を一杯召し上がれ」 

茶の湯 禅語便利長 (主婦の友社)
 「喫茶はお茶を飲むの意味、去は意味を強める助字。
  従って、お茶でも飲もうよの意味」

禅語字彙 (柏林書店)
 「茶でも飲んで行け」の機語。

禅語辞典 (恩文閣出版)
 「喫茶し去れ」お茶を飲んでから出直してこいの意味。

禅林名句辞典 (国書刊行会)
 「むずかしい話は抜きにして、まあお茶でも召し上がれ。
  お平らに、お楽にという意味」

● 結局のところ

  これがどちらの意味でも、よいと思います。 どちらの意味にしても、人生を豊かにする教訓が含まれています。

ちなみに、「ゆっくりお茶でもお飲みください」は「且座喫茶(しゃざきっさ)」と言うべきなのです。



‘喫茶去’の議論は議論として、大先輩の大往生の前にお目に掛かれなかったのが悔しい。

御冥福をお祈りしたい。

「大先輩、いろいろご指導有難うございました。そして長い間ご苦労様でした。安らかにお眠り下さい。」

















[2012/08/21 22:53] | 趣味 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top
折り紙自動販売機
‘折り紙自動販売機’なるものがあるという。(数日前のNHK/TV)

これは、最近の‘禁煙ブーム’で、たばこの自動販売機の需要が減って来たのを逆手にとっての‘廃物(?)利用’という極めて素晴しい‘アイディア’から生まれたものだそうだ!

これには拍手喝采を贈りたい。

‘愛媛美味探訪'というブログ(http://39001919.at.webry.info/201112/article_6.html)から一部引用させて頂くと次のような記事になっている。


先週の雨模様の中 車で移動中 (愛媛県)内子町五十崎天神で 怪しい自販機を発見

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http://39001919.at.webry.info/201112/article_6.html

よく見てみたら

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http://39001919.at.webry.info/201112/article_6.html

折り紙 ビーズの自販機 一個10円と50円です!

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http://39001919.at.webry.info/201112/article_6.html


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http://39001919.at.webry.info/201112/article_6.html

つまり、この自動販売機は、元々‘たばこ’の自動販売機。それをそっくり利用して、‘折り紙’と‘ビーズ’を自動販売するというものである。

したがって、折り紙もビーズも‘たばこの箱型のボール紙の箱’に入って出て来る。この入れ物の箱は勿体ないから、販売機に‘回収袋’が取りつけてあるのが写真から判る。何度も箱は利用すると言うことだ。

折り紙が10円で、ビーズが50円らしい。箱は回収。このことも省エネに繋がっていて中々よろしい!【拍手】

ここ数年、茂原市郊外でも‘稲作’を止めて‘たばこの栽培’に切り替えている農家が急速に増えている。

稲の収穫には約半年掛かるが、たばこはその半分、そう3カ月で収穫されるようだ。

近所のたばこ畑に散歩のついでに行ってみた。

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2012年8月17日17:50のたばこ畑。

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もう収穫の時期。収穫するのが遅い位である。

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この畑の半分はもう収穫してある。

単位面積当たりの収入は、やはり‘稲作’よりもいいのだろう。作業量だって稲作より少なくて楽なのだろうか?

たばこ農家の方々には、大変申し訳ないことだが、たばこの害は誰でも知っている。しかし、生計を立てねばならぬ身にとっては、楽で高収益が約束される方に就きたいのが人情である。

たばこ産業の今後の行方は一体どうなるのだろうか?

それにしても、‘たばこ’から‘折り紙’への変身、これは今まで誰も思いつかなかった事だろう!
もう一度改めて‘拍手!’

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[2012/08/20 14:36] | 学習と文化 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
御来光と御来迎
‘御来光’という言葉があり、‘御来迎’という言葉もある。

御来光は、‘ごらいこう’と読み、御来迎は、‘ごらいごう’と読む。(ただし、浄土宗では‘来迎’を濁らず‘らいこう’というそうだから注意が要る。<http://jodo.or.jp/radio/web_radio/wma_09_06_03.html>)

極めて紛らわしい。

調べてみると、これら二つの言葉の意味は、次の通りの様である。

http://kotobank.jp/word/%E5%BE%A1%E6%9D%A5%E5%85%89
世界大百科事典 第2版の解説

ごらいこう【御来光】

今では山頂の日の出の意味に使われているが,もともとは御来迎(ごらいごう)と書いて,山頂近くの雲に自分の影がうつされると,色の付いた光の輪を背負った仏の像に見えることをいったものという。グローリー【畠山 久尚】


グロリーは、ブロッケン現象のことらしい。

http://www.weblio.jp/content/%E5%BE%A1%E6%9D%A5%E8%BF%8E

ブロッケン現象

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/02/07 07:01 UTC 版)

(御来迎 から転送)
ブロッケン現象(ブロッケンげんしょう、Brocken spectre)は太陽などの光が背後からさしこみ、影の側にある雲粒や霧粒によって光が散乱され、見る人の影の周りに、虹と似た光の輪となって現れる大気光学現象。 光輪 (グローリー、glory(英語))、ブロッケンの妖怪(または怪物)などともいう。



http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/82565/m0u/

ご‐らいごう〔‐ライガウ〕【御来▽迎】

1 「来迎」を敬っていう語。
2 高山の頂上で太陽を背にしたとき、前面の霧に自分の影が大きく映り、その周りに光環が見られる現象。阿弥陀仏が光背を負うて来迎するのになぞらえていう。御来光。《季 夏》「雪渓をさきだつ禰宜(ねぎ)や―/爽雨」
3 江戸時代の玩具の名。紙の張り抜きや木・土で作った小さな仏の像を竹筒に納めておき、糸の仕掛けで竹筒を下げると、黄色の紙を畳んで作った後光が開き、仏の像が現れるもの。
4 「御来光(ごらいこう)1」に同じ。



これらの解説から自分なりに解釈して見ると、

「高山で、朝日を背にした時にブロッケン現象が起こって自分の影が眼下に立ち込めた霧・雲海に‘光輪’と共に映り、それが、光の輪を背負った仏の像に見えた時、その現象と朝日をも含めて‘御来迎’という」

それが時代と共に段々解釈が広くなり、「高山での‘日の出’を‘御来光’というようになった。例え、ブロッケン現象がなくても」さらに更に「高山でなくても、‘日の出’であれば、‘御来光’と呼ぼう」ということらしい。

さて、いよいよ本題。

外房に引っ越しをして来て約18年になるが、外房では太陽が水平線から昇るのが見られるから‘初日の出’を3度程見に行ったことがある。

しかし、新年の頃の気象状況のせいであるかどうかは判らないが、水平線から太陽が頭を出す場面には出くわさなかった。いつも水平線にはかなり厚い雲が棚引いていて、その雲からお出ましになるのだ。

そんな訳で、折角房総半島の東側に住んでいながら、朝日を見に行く機会を作らなかった。

ひょんな話から、‘御来光’を見たいと言うことになった。従って、今朝3:30起床。4:15出発。房総の東海岸に到着したのは、日の出の丁度30分前の4:31である。

もう周りはかなり明るくなっていた。

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画像ー36 149-2 posted by (C)mobaradesu
4:32

何だか、日本ではないような雰囲気でもある。

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4:34  

もう数台の車が来ている。

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4:34

この車ガードレールには、朝露がいっぱい。

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4:37

乗って来た車の周辺はまだ仄暗い。

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画像ー36 171-2 posted by (C)mobaradesu
4:39

よ~く目を凝らさないと見えないが、空の左右中央で、画面の上から上下1/4辺りに、‘明けの明星’が見える!

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5:00

きた、来た! ‘御来光’の寸前!

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5:01

遂に来た! 水平線からの‘頭出し日の出’。これ、正に‘御来光!’

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画像ー36 226-2 posted by (C)mobaradesu
5:01

この画像、同じ5:01であるが、一つ手前の写真の数秒後の望遠写真。
水平線からの‘頭出し日の出’は、今まで一度も見たことは無かった!

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画像ー36 230-2 posted by (C)mobaradesu
5:02

1分後には、太陽は体半分を出してきた。周りはみんな一挙に明るくなった。

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5:04

3分後には、太陽は全て水平線から‘浮かび上がった’!

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画像ー36 258-2 posted by (C)mobaradesu
5:09

上手い具合に、適当な雲の存在で、見事な朝焼けが見れた! これを望遠で見てみると・・・。

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5:10

正に自然が産み出す‘芸術作品’!

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画像ー36 278-2 posted by (C)mobaradesu
5:14

頭出しから13分後。真夏の朝の始まりである。

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5:16

我々の車にも朝日が射した! 何だか車が生き返ったみたい。太陽の力は素晴しい!

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5:17

私の足も‘朝焼け’の光で真っ赤に染まっている。脛の黒い線は、ガードレールの陰。

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画像ー36 311-2 posted by (C)mobaradesu
5:22

岡本太郎が生きていたなら、きっと‘芸術は爆発だ! 爆発こそ芸術だ!’と叫ぶに違いない!

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5:23

サーファーも早速お出ましだ! 海の水は案外温かい。

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5:32

海の水も生き返った! 外房の海は美しい! 「遊ぼう、外房、皆呼ぼう!」

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画像ー36 349-2 posted by (C)mobaradesu
5:33

子供達も増えて来た。

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5:33

私の影。雲海や霧と違って影が映っているのは‘砂原’だから、‘ブロッケン現象’は、当然起こってはいない!
上手く行けば、‘波しぶき’で‘ブロッケン現象’を、と思い随分待ったが今回は難しかった。でも、強い東風が吹いて、温度と湿度の関係が上手く行けば、‘海浜でのブロッケン現象’で後光が射すことが起こり得ないとも限らない!

そうなると、‘御来光・御来迎’は、高山だけのもに非ず、となって‘一大発見’に繋がる可能性があるではないか!

気温が下がって来る今年の‘秋口’辺り、その可能性は十分にあると考えられる。

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5:39

海の家は、まだまだ5時40分じゃあ、お店を開けてはいない。合宿をしていると思われる子供達がランニング。

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5;40

サーファーも気持ちよさそう。

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画像ー36 400-2 posted by (C)mobaradesu
5:45

押し寄せる波も足元では泡となって・・・。

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5:50

‘朝明けや 一直線の 靴の跡’

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5:58

合宿中の女子中学生(?)。段々海岸も人が増えて来た。

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6:07

サーファー天国のようだが、‘遊泳禁止’の旗が翻っているのに、サーフィンは禁止ではないのだろうか?

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6:07

上手く波に乗ったのは、この人だけ!

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6:23

おやおや、もうこんなに車が増えている。

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6:23

今日は日曜日。左は、宇都宮ナンバー。右は、足立ナンバー。いやいや、遠くからご苦労さん。

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6:23

左から、品川、足立、品川ナンバー。

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6:30

海岸に約2時間。本日の‘御来光’は、期待以上に素晴らしかった!

まだまだ、海岸行きの車が走る。此方はこれから家でひと寝入り。朝の海岸、どうやら癖になりそう。
















[2012/08/19 20:40] | 学習と文化 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
‘カニ’の集団移動?
昨日を境に、我が家の敷地に沿って流れる小川の‘カニ’が約4~5mほど、‘出現場所’を変えた。

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こちら側(此岸<しがん>)のこの部分に‘カニ’達は、出現していたが、昨日からこの場所には一匹も姿を現さなくなった。

小川を挟んで対岸(彼岸<ひがん>)を見ると、うじゃうじゃいる!

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少々判りづらいので、望遠で拡大して見ると・・・、

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さらに拡大して見た。

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こちら岸からあちら岸への移動! この距離が大凡、4~5m。

カニの世界にも此岸<しがん>と彼岸<ひがん>の‘思想’があるのかもしれない!?

そうだとすれば、この小川が‘三途の川’ということになる。

この際だから、‘此岸’と‘彼岸’と‘三途の川’について蘊蓄を蓄積しておこう!



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A4%E5%B2%B8

此岸

此岸(しがん)とは、仏教において、彼岸に対比される世界をいい、私たちが住んでいる現世のこと。

概要 [編集]

仏教の民間信仰の教えの一部では、仏の世界は大きな川を隔てた向こう側にあるとされ、彼岸と呼ばれる。それに対し、人間の住む世界を此岸と呼び区別している。死後には彼岸へいけると考えられ、彼岸では、煩悩に煩わされることなく永遠に平穏無事に暮らせると考えられている。それに対し現世である此岸は生きた人間であるゆえの煩悩に苦しめられ、あくせく暮らすとされる。彼岸と此岸の距離は、暦により変化すると考えられ毎年、3月20日の「お彼岸」は彼岸と此岸がもっとその距離が縮まると考えられる。



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%BC%E5%B2%B8

彼岸

彼岸(ひがん)とは、煩悩を脱した悟りの境地のことで、煩悩や迷いに満ちたこの世をこちら側の岸「此岸」(しがん)と言うのに対して、向う側の岸「彼岸」という。
「彼岸会(ひがんえ)」は、雑節の一つで、春分・秋分を中日とし、前後各3日を合わせた7日間のこと。また、この期間に行われる仏事のこと。暦の上では最初の日を「彼岸の入り」、最後の日を「彼岸明け」なお、地方によっては最後の日を「はしりくち」という地方もある。俗に、中日に先祖に感謝し、残る6日は、悟りの境地に達するのに必要な6つの徳目、六波羅蜜を1日に1つずつ修めるためとされている。



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E9%80%94%E5%B7%9D

三途川(冥界) [編集]

此岸(現世)と彼岸(あの世)を分ける境目にあるとされる川。一般的に仏教の概念の1つと思われがちだが、実際は仏教に民間信仰が多分に混じって生まれた概念である。

起源 [編集]

三途川の出典は『金光明経』1の「この経、よく地獄餓鬼畜生の諸河をして焦乾枯渇せしむ」である。この地獄・餓鬼・畜生を三途(三悪道)といい、これが広く三悪道を指して三途川と称する典拠であるといわれる。しかしながら俗に言うところは『地蔵菩薩発心因縁十王経』(略称:地蔵十王経)の「葬頭河曲。於初江辺官聴相連承所渡。前大河。即是葬頭。見渡亡人名奈河津。所渡有三。一山水瀬。二江深淵。三有橋渡」に基づいて行われた十王信仰(閻魔大王は十王のうちの1人)による。

この十王経は中国で成立した経典であり、オリジナルの仏教の教義にはなく中国で変容した際に付け加えられた偽経である。この経典の日本への渡来は飛鳥時代と思われるが、信仰として広まったのは平安時代末期とされる。正式には「葬頭河」といい、また「三途の川」・「三途河」(しょうずか、正塚)・「三瀬川」・「渡り川」などとも呼ばれる。

一説には、俗に三途川の名の由来は、初期には「渡河方法に三種類あったため」であるともいわれる。これは善人は金銀七宝で作られた橋を渡り、軽い罪人は山水瀬と呼ばれる浅瀬を渡り、重い罪人は強深瀬あるいは江深淵と呼ばれる難所を渡る、とされていた。
しかしながら、平安時代の末期に、「橋を渡る(場合がある)」という考え方が消え、その後は全員が渡舟によって渡河するという考え方に変形する。渡船の料金は六文と定められており、仏教様式の葬儀の際には六文銭を持たせるという習俗が以来ずっと続いており、現在では「文」という貨幣単位がないことや火葬における副葬品制限が強まっていることから、紙に印刷した六文銭(→冥銭)が使われることが多いようである。

また、三途川には十王の配下に位置づけられる懸衣翁・奪衣婆という老夫婦の係員がおり、六文銭を持たない死者が来た場合に渡し賃のかわりに衣類を剥ぎ取ることになっていた。この二人の係員のうち奪衣婆は江戸時代末期に民衆信仰の対象としてブームとなった。




この川は、15,6年前引っ越しをして来て以来長年に亘って毎日見ている小川であるが、まさかこれが‘三途の川’に当たるとは想像もしていなかった。

でも‘カニ’がそれを教えてくれた。

ものの考え方一つで、現世もいろいろ変化出来る。

何だか彼岸へ行ったカニが‘悟り’を開いているようにも見えて来た。此岸に居る我々人間よりも立派に見える。

これ、僻ん(彼岸)でるって?

















[2012/08/18 11:58] | 趣味 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
国家の戦略
国際社会を生き抜くためには、‘国家の戦略’が必要であることは言うまでもない。

今の政権は、人の良い日本国民を上手く‘騙して’政権は取ったものの、‘御人好しではない’周辺の国々からの‘戦略’に負けてしまっている。

北方領土、竹島問題しかり、そして尖閣諸島問題に関して、何の手も打つことが出来ないではないか!

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http://surveillance.seesaa.net/article/168131352.html

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http://www.newsweekjapan.jp/headlines/world/2012/08/79918.php

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http://quasimoto.exblog.jp/18653431/


この問題の発端は、民主党政権発足当時の‘鳩山首相の発言’から始まっていると思った方がいい。

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http://omoixtukiritekitou.blog79.fc2.com/blog-date-20100621.html


沖縄普天間基地移転問題に関しての発言、「最低でも県外」のこの一言で、周辺の諸国、ロシア、中国、韓国、台湾、そして北朝鮮は、「日本とアメリカの協力体制にひびが入った。それっ!日本を揺さぶれ!」という気になったに違いない。

そして、衆議院の解散前・この戦略なき民主党政権の間に‘既成事実’を作ってしまっておく事を戦略としたに違いない。

それにこの政権はまんまと載ってしまった。

自民党・小泉政権の時に‘強制送還’したのだから、今度も‘強制送還’で良いという判断は間違っている。あの時は、‘アメリカという世界最大の暴力団’が、しっかりと支援してくれたいるのを周辺の小国・暴力団は見ていたのだ。

周辺諸国の狙いは、‘「日米安保条約」の切り崩し’にあることに何故気付かないのだろうか?

‘アーミテージ’を使え!’ これが、今の日本にとっての最良の戦略である。

これは今の政権では到底無理である。

以前にも弊ブログで述べたし、上述の通り、現時点では、‘国家’は‘暴力団’に等しい。そんな状況で、外務大臣たるものひょろひょろの青二才でどうしようと言うのだ!

日本は、共同防衛国・アメリカに対してこれまでに‘莫大な費用’を負担し続けている。
この際、この穴埋めは当然の権利である。

完全に舐められているのは、‘日本が善人面をしている’ことに‘妬み・恨み’をもつ人種がいるからだ。善人面をするのには‘100年早い!’

自民党では、もう着々とアメリカと交渉に入っていることだろう。

それが‘外交’というものである。

‘周辺諸国の増長’をこれ以上させない為には、‘一日も早い解散・総選挙・政権交代’以外の戦略は無い!

















[2012/08/17 10:40] | 政治と社会 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
花火大会
8月15日は、千葉県・木更津市の花火大会である。近郊のあちこちでここのところ立て続けに花火大会が開催されている。

大昔、私が小学生だった頃は、もう60年以上も前だから、当然車社会でなかった。みんな5~6kmは平気で歩いて、河原の一番いい席を取るために明るい時間から出かけたものである。

千葉県・茂原市から車で木更津市まで、17:00出発で、会場近くになると沢山の車でノロノロ運転。やっと‘隙間’を見つけて駐車出来た時には開始の時刻19:30になっていた。

改めて‘車の多さ’には驚いた。

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兎に角、‘車、車’の行列である。海岸付近には、開始前30分の19:00の時点で駐車場所は皆無だったと思われる。

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打ち上げ場所から恐らく1.5km位の距離があるのだろう。これじゃあ、花火の醍醐味が感じられない。

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多分、1km位の地点。少しは綺麗に、そして‘ド~ン’というお腹に響く爆発音にも迫力が出て来た。

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行けども行けども車で一杯。車の隙間から眺めると言った感じ。

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同じこの場所からでは、これが限界!

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遂に、打ち上げ場所が直接見える海岸線を発見!  
この場所は、‘ひ・み・つ’!

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おやおや、いいぞ!

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これもいい!

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終わりがこんなに上手く綺麗に良く行くもんだ!(望遠)

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きっと火薬の詰め方が立派なのだろう!(望遠)

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こんな不思議な‘造形’まで。きっとこの花火の‘製造技術レベル’は相当に高いに違いない!

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‘絵葉書’用にいいかも?!

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この‘ひ・み・つ’の場所には、岸壁に漁船が・・・。

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この場所は、ほとんど人がいないが、こんな‘お婆ちゃんとお孫さん’連れも。この頃の中学生(?)は、花火を見ながらでも携帯を・・・・・。

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花火もいよいよ終盤で・・・。

今年も十分堪能できた! ありがとう! ご苦労さん!





(付録)<打ち上げ花火製造工程・豆知識>

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http://www.japan-fireworks.com/basics/making.html

花火製作の流れ
   
 花火製作のおおよその流れを簡略に説明すると上の図のようになります。
 工程は、火薬の調合、構成パーツの製作、組立に大きく分かれています。
 構成パーツは、火薬を使用するものではまず星の製造があげられます。ほかに割火薬の製造もあります。ほかの玉殻(玉皮)や親導(おやみち=導火線)などのパーツについては現在は既製品が使われますが、競技などで使用する玉、または製作にこだわる花火作家はいまでも重要な構成部品を手作りします。
 また、こうした構成パーツは星にしてもただ一種類だけのものではありません。込める玉の号数(大きさ)によりまず星の大きさが違います。そして発する色やその変化、作る花火の種類によって、花火職人は多種類の星やパーツをを作り分けていきます。
 またその製作工程の各段階で天日乾燥という天候次第の重要な工程が間に入ります。


















[2012/08/16 13:46] | 観光 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
家族全員でのお墓参り
昨日の8月14日、前日に集まった我が家の家族総計10名。長女夫婦+その息子2名。長男夫婦。そして次男夫婦。それにカミサンと私。

長男夫婦に飼われているワンちゃんが一匹同行してくれるので、この10名+1匹で、お墓の清掃とお参りをするのが、我が家のお盆の時期の習慣となっている。

お墓の場所は、千葉県・松戸市・八柱霊園。出発点は、我が家の存在する場所、千葉県・茂原市・千沢。

前日からの気象状況変化を見ていると、松戸市は14日に‘雷注意報’が出ている。9:00~15:00までは局所的に40~50mm/h の猛烈な雨だろうという。

じゃあ、と言う訳で、15:00頃到着の予定で、3台の車に分乗して13:00に出発した。お盆の真っ最中だから高速道路も混み合っているという予測である。

ところが実際には高速道路は思ったほどに混み合っていなくて、1時間20分で八柱霊園に到着した。予定より30分以上早い。

春のお彼岸以来だから、花は枯れ、草は茫々と言う訳である。

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このお墓は、実は先祖代々のお墓ではなく、私が新たに作ったものだが、これには訳がある。

私は次男であるので、いずれは自分自身のお墓を作る積りでいた。

カミサンもそのことは了解していて、平成3年に東京都が公的に‘霊園’を分譲するために公募を行なった際に、倍率は100倍以上と言う予想だったが、応募したのである。

その当時、私は単身赴任の最中で、社宅のある東京都・国立市にはいなかった。そん訳で応募したことは私は知らなかったのである。

ところが、ところがである。倍率の高さをものともせず、初めて応募してその難関を突破して、松戸市の‘八柱霊園’の分譲の抽選に当たってしまったのである。

東京都にも決まりがあって、当選から3年以内に分譲地にお墓を建立しなければ、権利が剥奪されるという。

そんなこんながあって、平成4年9月に入る人もまだいないお墓を建てたという次第である。

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それ以来、いろいろな経緯があって、今はカミサンの両親が仲良く入って呉れていて、我々夫婦が入るのを待ってくれている。

気温33℃、湿度80%位はあると思われる‘カンカン照り’の中で、先ずは剪定と掃除が始まった。

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人間ばかりで、足の踏み場もない。

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草ひき後の‘土固め’に同行のワンちゃんも協力してくれている。おおきに!

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新発見!カメの子たわしが‘水に浮いた!’しっかり沈むものと思っていたが・・・。

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炎天下の中での39分間の悪戦苦闘の結果、すっかり綺麗になった!孫二人のどちらも懸命にお墓を磨いて呉れた。39(サンキュウ)!

10人が一人一人手を合わせた。

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孫の背中が、一生懸命に頑張って呉れた事を証明している!

お墓-2

これでお墓もすっきりしたし、我々の気持ちもすっきりした。仲良く眠っている義理の両親も少しは寝心地がよくなったのかもしれない。

また、暮れにはやって来ることを約束して帰路に着いた。

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御苦労さん! ありがとう!














[2012/08/15 09:31] | 先祖供養 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
体脂肪率(その2):自分のデータと健康管理
世界中がオリンピック一色になっていたので、報道もアスリート達の素晴しい‘体躯’を何度も何度も画面に映し出していた。そうなればやはり‘自分自身の体つき’が気になって来ていた。

2012年8月6日に自分の‘体脂肪率がらみ’の数値を測定した結果が下表である。

kissy君の体脂肪率がらみの数値0001

① 年齢:73歳。平均余命は、これまでの統計から推察すると‘あと13年’と言うことらしい。(http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/life09/01.html
ご案内の通り、平均寿命と平均余命は違う。‘0歳’児の平均余命が平均寿命である。73歳まで生きてくれば、当然73歳の人の寿命は、平均寿命より長くなる。上記の資料によると、平成21年の男性の平均寿命は、‘79.59’だそうだから、平均余命の‘86’歳と比べれば、そのことがよ~く理解出来る。6~7歳も平均寿命より長い。
ただし、それにしても平均的には、あと‘13年の命’かと思うと一寸だけ淋しい気がして来た。

② 身長: 163cm。日本人73歳の男性の身長が、163cmとは偶然の一致かもしれないが、平均値がもっと大きいと思っていただけに、そんなに小さくは無かったことで多少満足でもある。(http://diet.netabon.com/diet/basic/average_height_weight.html

③ 体重: 71.5kgは、‘イエローカード’だ!10kgの減量が必要だ。毎月1kg減でおよそ一年間で済む。でも、一番難しいのがこの減量である。一カ月で、‘1kg’だから、毎日‘33g’でいい。これがいけない!33gといえば、そう、ビール3杯を2杯にすれば‘簡単ジャン!’この‘容易さ’が、最大の敵なのだ!
体重さえ減らせば、他の機能も調子良くなる事は誰も判っていながら、‘食欲という欲望’には逆らえない。

④ 体脂肪率: 24.8%。これも、‘イエローカード’。理想の中央値点の体脂肪率‘20’を目指すべきだ。当然体重減で可能であるが…、簡単ではない!

体脂肪率(その1)で使わせて貰った図を再掲。

523529_4121942333211_715640599_n_20120805103602.jpeg
http://andohiroyuki.com/diet/2012/230.html
これは、体脂肪率が変わると人の見た目がどのくらい変わるかを表した
とってもわかりやすい図です。


⑤ 内臓脂肪レベル:17という値は大き過ぎ。是非一桁に!これもイエローカード。

これら、3つの‘イエローカード’を早急に‘イチローカード’(?!)に。

ところで、‘イチロー’の体脂肪率は?


http://www.47news.jp/CN/201102/CN2011021901000341.html
イチロー体脂肪率は昨年同様6% 19日始動 

イチロー
キャンプイン前日、打撃練習するマリナーズのイチロー=ピオリア(共同)

 【ピオリア(米アリゾナ州)共同】11年連続のシーズン200安打を狙う米大リーグ、マリナーズのイチロー外野手は、加齢を感じさせない体で19日のキャンプインを迎えた。恒例の身体検査を行った18日、森本貴義球団トレーナーがあらためてその結果に感心した。

 長年プレーした選手の多くは、30歳を超えるころから体のどこかに慢性的な痛みやひずみを抱えている。だが今年10月に38歳となるイチローには無縁の話だという。同トレーナーは「37歳の体とは思えない。悪いところが一つもない」と、状態がほとんど変わらないことに驚きを隠さない。

 主だった検査結果も際立っている。体脂肪率は昨年までとほぼ同じ6%台で、チーム内では一、二を争う数値だという森本トレーナーは「イチローと競っているのは20代の選手たち。30歳代ではずばぬけている」と語る。

 研ぎ澄まされた体が軽やかで切れのある動きを生む。それぞれの細かい感覚を整える作業がいよいよ始まるが、土台の整備は今年も完璧のようだ。2011/02/19 14:47 【共同通信】



昨年の記事だが、今年も同じだったのだろう。でも、‘6%台’とは凄い!やはり‘怪物’だ!

⑥ 骨量: 標準値より多い。多い方が良いのかどうかは知らないが、少ないよりいいのだろうと一応、○。

⑦ 筋肉量: これも標準値より多い。これも素人考えで、○。

⑧ 新陳代謝: 代謝量少ないより多い方がいいに決まっている、との素人判断で、これも○。


どうやら、‘体重をこの一年間で、10kg減’が結論のようだ。

















[2012/08/14 10:21] | 健康と医療 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
オリンピックの閉幕
受け取り側の方が、これまでの状態とは違っていたのかもしれないが、今回のオリンピックは日本人にとって‘感動’の連続だった。

日本は、一日も欠かさずメダル受賞者が出たというから凄い!

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http://jp.wsj.com/Life-Style/node_493517/(tab)/slideshow


私個人に関しては、これまでのオリンピックは‘ハイライト’でしか見たことは無かった。

結果だけ知って、オリンピックを評価してはならぬとつくづくそう思った。
結果だけが価値ではない!そう言ったのは、やはり‘クーベルタン男爵’その人だった!

日本のお家芸の‘柔道’は奮わなかったが、まあ、国際試合はそんなもんだと思わなくてはならないかもしれない。
世界は、‘柔道の本質’を理解していないから、それはそれでもいいという意見もあるらしい。

それにしても理解して戴けないのは悔しい。こんな‘つまらぬ’柔道に日本の柔道界は参加しない方がいい、ということまで言う人がいると言うが、正にその通りである。なにも‘迎合’する必要などないのではないか、と冷静になった今でもそう思う。

それにしても、今回のオリンピック程‘審判のあり方’に‘異論’を唱える人が沢山いるのには驚いた。

古い、ふる~い体質の相撲の世界でも‘ビデオの映像’が基準となっている。

世界は何を躊躇しているのであろうか?

人間の持つ‘闘争本能’がこれほど明らかになる‘事件’は、そう沢山ある訳ではない。

そして、野球やソフトボールを競技種目から外すことに賛成する大義名分は一体何なのであろうか?

オリンピックは本当に‘世界平和’を謳うに相応しいのだろうか?

アスリートは、本当に‘明日をリードする’人達なのだろうか?(一寸、‘ト’と‘ド’の違いが気になるが・・・。)


ここで‘新鮮な’親父ギャグ。

   我々は、‘金をゴール’と思っています!

   ‘チャうチューの!’‘金’は、‘ゴール’ではなくて‘ゴールド’!

聞くところによると、佐々木監督の‘ダジャレ’も最近は余り受けないそうだから、せめてもの慰めの積りで監督へ・・・。

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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120810-00000086-jijp-spo.view-000

ひょっとして、これ、佐々木監督の‘ダジャレ’の直後? それなら嬉しいが・・・。

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http://www.asahi.com/olympics/news/TKY201208120096.html
男子ミドル級で金メダルを獲得した村田諒太=ロイター

この村田選手への進言。‘ミドルネーム’を付けられては如何でしょうか?

例えば、村田・ボクシング・諒太 とか・・・。ミドル級と絡ませて‘ミドル’ネーム?!

















[2012/08/13 09:52] | スポーツ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
盂蘭盆会(うらぼんえ)
本日、2012年8月12日は、旧暦6月25日。年間通算225日である。

毎年この時期になると日本中が、8月13、14、15日を‘お盆休み’と言うことにして、‘帰省ラッシュ’が始まる。

我が家でも、子供3人の家族が‘帰省’してくれて、合計10人の大家族になる。
電話やメールで普段は情報交換はしてはいるものの、顔を見ての‘談笑’は、また格別である。

孫の二人もとっくに爺婆の身長を追い越すまでに成長した。

今日今現在は、まだ誰も帰って来てはいないが、いつもお頼みしているお坊さんのご都合もあって、本日供養のための御経を上げて頂いた。

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2012年8月12日午前8:57

我々夫婦の両親はいずれも故人になっているので、この時期には‘帰って来てくれる’というから、10+4=14人
と言うことになる。

案外知っているようで知らないのが‘行事やしきたり’の意味とその歴史である。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%82%E8%98%AD%E7%9B%86

盂蘭盆

盂蘭盆会(うらぼんえ、ullambana、उल्लम्बन)とは、安居(あんご)の最後の日、7月15日 (旧暦)を盂蘭盆(ullambana)とよんで、父母や祖霊を供養し、倒懸(とうけん)の苦を救うという行事である。これは『盂蘭盆経 』(西晋、竺法護訳)『報恩奉盆経 』(東晋、失訳)などに説かれる目連尊者の餓鬼道に堕ちた亡母への供養の伝説による。

語義 [編集]

盂蘭盆は、サンスクリット語の「ウランバナ」の音写語で、古くは「烏藍婆拏」「烏藍婆那」と音写された[1]。「ウランバナ」は「ウド、ランブ」(ud-lamb)の意味があると言われ、これは倒懸(さかさにかかる)という意味である。亡くなった魂は中空に逆さにつり下げられたような苦しい状況にいると考えられていたのである。[要出典]
近年、古代イランの言葉で「霊魂」を意味する「ウルヴァン」(urvan)が語源だとする説が出ている。サンスクリット語の起源から考えると可能性が高い。古代イランでは、祖先のフラワシ(Fravaši、ゾロアスター教における精霊・下級神。この世の森羅万象に宿り、あらゆる自然現象を起こす霊的存在。この「フラワシ」は人間にも宿っており、人間に宿る魂のうち、最も神聖な部分が「フラワシ」なのだと言う。ここから、フラワシ信仰が祖霊信仰と結びついた。)すなわち「祖霊」を迎え入れて祀る宗教行事が行われていた。一説によると、これがインドに伝えられて盂蘭盆の起源になったと言われている。[要出典]

目連伝説 [編集]

一般にはこの「盂蘭盆会」を、「盆会」「お盆」「精霊会」(しょうりょうえ)「魂祭」(たままつり)「歓喜会」などとよんで、今日も広く行なわれている。
この行事は本来インドのものではなく、仏教が中国に伝播する間に起こってきたものであろう。現在、この「盂蘭盆会」のよりどころとしている『盂蘭盆経 』は、『父母恩重経』や『善悪因果経』などと共に、中国で成立した偽経であると考えられている。したがって、本来的には安居の終った日に人々が衆僧に飲食などの供養をした行事が転じて、祖先の霊を供養し、さらに餓鬼に施す行法(施餓鬼)となっていき、それに、儒教の孝の倫理の影響を受けて成立した、目連尊者の亡母の救いのための衆僧供養という伝説が付加されたのであろう。[2]
盂蘭盆経に説いているのは次のような話である。
安居の最中、神通第一の目連尊者が亡くなった母親の姿を探すと、餓鬼道に堕ちているのを見つけた。喉を枯らし飢えていたので、水や食べ物を差し出したが、ことごとく口に入る直前に炎となって、母親の口には入らなかった。
哀れに思って、釈尊に実情を話して方法を問うと、「安居の最後の日にすべての比丘に食べ物を施せば、母親にもその施しの一端が口に入るだろう」と答えた。その通りに実行して、比丘のすべてに布施を行い、比丘たちは飲んだり食べたり踊ったり大喜びをした。すると、その喜びが餓鬼道に堕ちている者たちにも伝わり、母親の口にも入った。

(中略)

日本での盆会 [編集]

日本では、推古天皇14年(606年)4月に、毎年4月8日 (旧暦)と7月15日に斎を設けるとあり、また斎明天皇の3年(657年)には、須弥山の像を飛鳥寺の西につくって盂蘭盆会を設けたと記され、その5年7月15日には京内諸寺で『盂蘭盆経 』を講じ七世の父母を報謝させたと記録されている。後に聖武天皇の天平5年7月(733年)には、大膳職に盂蘭盆供養させ、それ以後は宮中の恒例の仏事となって毎年7月14日 (旧暦)に開催し、孟蘭盆供養、盂蘭盆供とよんだ。
奈良、平安時代には毎年7月15日に公事として行なわれ、鎌倉時代からは「施餓鬼会」(せがきえ)をあわせ行なった。 また、明治5年(1872年)7月に京都府は盂蘭盆会の習俗いっさいを風紀上よくないと停止を命じたこともあった。 主として現代日本における風習についてはお盆もあわせて参照のこと。



また、安居(あんご)の意味を学習しておくべきである。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%B1%85

安居

安居(あんご)は、それまで個々に活動していた僧侶たちが、一定期間、一カ所に集まって集団で修行すること。及び、その期間の事を指す。

安居とは元々、梵語の雨期を日本語に訳したものである。
本来の目的は雨期には草木が生え繁り、昆虫、蛇などの数多くの小動物が活動するため、遊行(外での修行)をやめて一カ所に定住することにより、小動物に対する無用な殺生を防ぐ事である。後に雨期のある夏に行う事から、夏安居(げあんご)、雨安居(うあんご)とも呼ばれるようになった。
釈尊在世中より始められたとされ、その後、仏教の伝来と共に中国や日本に伝わり、夏だけでなく冬も行うようになり(冬安居)、安居の回数が僧侶の仏教界での経験を指すようになり、その後の昇進の基準になるなど、非常に重要視された。
現在でも禅宗では、修行僧が安居を行い、安居に入る結制から、安居が明ける解夏(げげ)までの間は寺域から一歩も外へは出ずに修行に明け暮れる。



先祖・祖先へ思いを馳せるとこの時に一番の反省と慈しみの‘こころ’が芽生える。

一年中で一番大事な時期かもしれない。
















[2012/08/12 12:58] | 学習と文化 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
腰痛とエアーマッサージャー
今週の月曜日だったから5日前、立ったままズボンを履こうとして、ズボンを両手の持って片足を少し持ち上げた瞬間、‘ぎっくり腰’の洗礼を受けた。

私の‘ぎっくり腰’の歴史は長い。

最初は、昭和52年だっだから、かれこれ35年前である。茨城県・水戸市の国立病院に一週間ほど入院して‘牽引治療’を受けた。椎間板ヘルニアによる‘ぎっくり腰’の痛みは良くなったが、最後の仕上げに‘造影剤’注入による確認検査を受けたために、その後‘頭痛’が続き、今度はそれが治らず‘頭痛持ち’になってしまった。

それから数年経って、‘ぎっくり腰’が再発した。やはり、水戸市に住んでいた頃であったが、今度は国立病院には行かずに‘ハリ治療’を受けた。この水戸市にある(あった?)‘ハリ治療院’は、有名な治療院らしく、何でも東京や神奈川県辺りからも‘国立病院’というような‘西洋医学’の高度な技術を以ってしても治らない患者さん達が続々と訪れるというから、大変な評判である(あった?)。

長いこと待たされたあと、やっと自分の番が来て‘ハリ’を背中に10本以上打たれた後‘9Vの乾電池’でパルス電流が流され、その間中伝熱の赤外線に20分くらい照射された後、先生がベッドの上に立ったまま私の両足を持って90度の回転をプラスマイナス一回行なうと‘ギクリ、ギクリ’と音がした。

先生が「さあ~、立ってごらん」と仰る。治療院に来るまでは、人に支えられないと動けなかったが、ナナ、なんと!立てるだけでなく歩けるではないか!腰部に‘鈍痛’は残ってはいるものの、たった一回での治療で‘完治’と言う訳である。なるほど、これなら県外からの患者がぞくぞく、も頷けるというものだ。

その後、かる~い‘腰痛’には、何度か‘遭遇した’が、‘バイブレーション’装置等々で凌いできた。

ところが、昨年の夏、丁度一年前、一人で歩けない程ではなかったが‘少々重いぎっくり腰’が再々発した。
インターネットで調べたところ茂原市にも‘特殊治療’で腰痛を始めいろいろな症状を‘鍼灸’で治す評判の鍼灸院があるという。

そこへ行ってみると、問診を受けた結果、院長先生が、「あなたの場合、‘ハリを打たないハリ治療’をやってみましょう!」と仰る。こちらは何が何でも治して貰いたい一心だから、仰せの通りにした。一時間で治療は終わった。十分に立って歩ける。一週間後にもう一度同じと思われる治療を受けたが、たった二回ですっかり良くなった。

それが、5日前、また少しおかしい。‘ぎっくり腰’の前兆のような気がした。そんなに辛くは無かったが、‘気功師’の先生に‘気’を送って貰ったら、ほとんど回復したようだった。

しかし、腰が容易には曲がらないから、何をするにも不便である。やはり本調子ではない。昨年治療して戴いた鍼灸院へ行こうとも思ったが、家に‘エアーマッサージャー’があることに気がついた。

どうなるのかは判らないが、兎に角‘コルセット効果’を試してみることにした。

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画像ー32 141 posted by (C)mobaradesu

これは、‘ダイエット用’の‘エアーマッサ―ジャー’であるが、何もダイエット用以外に使ってはならないという理由は無い。

この‘エアーマッサ―ジャー・コルセット’、なかなか調子がいい。

装着して、5日になるが、普通通りに動けるし、装着していれば、水撒きだって、掃除だって、パソコン操作だって平気である。

椎間板ヘルニア等による腰痛に‘コルセット’が利くのかどうかは知らないが、今のところ成功である。

(つづく)
















[2012/08/11 22:21] | 健康と医療 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
ブログランキング・オリンピック
今、世界中は‘オリンピック’の話題で持ちきりである。

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http://blogs.yahoo.co.jp/muscle_builder_bob/63017294.html


ブログの世界でも‘一年中、毎日がオリンピック’である。

私のブログ競技(FC2)は、‘日記’部門(ジャンル)。種目は、‘創作日記’(サブジャンル)。

現在の競技人口:

① ジャンル・‘日記’部門:   747,267人

② サブジャンル・‘創作日記’種目:15,066人

2012年8月10日現在の‘mobaradesu’(ブログ名:‘ピンからキリまで’のランキング:

更新日時:2012/08/10 08:37

① 日記部門:1143位(昨日:1388位)/747267人中

② 創作日記種目:30位(昨日:39位)/15066人中

という発表である。

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画像ー32 134 posted by (C)mobaradesu

パソコンの画面をカメラで撮ってみたが、なかなか見えずらい。印刷に掛けると、ランクを上下するが消えて無くなるが・・・・。

8月10日ブログランキング

8月10日ブログランキング-3

8月10日ブログランキング-4

となっている。①及び②のパーセントランキング(全体を100とした場合のランキング)は、それぞれ次のように計算出来る。

① 日記部門:

  (1143/747267)×100=0.152957376(こんなに細かい数値は余り意味がないが・・)


② 創作日記種目:

  (30/15066)×100=0.199123855


全体を100人とした場合、①では、0.15番であり、②では、0.20番と言うことになる。数値の頭(はじめ)が‘0’では判りにくいから、

全体を1,000人とした場合は、

①の日記部門では、1.5番目

②の創作日記種目では、2番目

となる。

と言う事は、オリンピックの競技の部門(例えば、水泳部門)で、‘「アスリートの人数が、1,000人だとする」と’と思えば大体判る。

水泳部門の種目で言えば、‘平泳ぎ’という種目で、今回のオリンピックの出場選手が、各国で予選を勝ち抜いてきた訳だが、その‘平泳ぎ’と言う種目の予選に参加した全世界のスイマーが、1,000人だった場合の2位。もしも500人だったら、1位という訳である。

500人だったら、‘金メダル’!

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http://rondonorinpicgoodsok.blog.so-net.ne.jp/2012-08-09-7

因みに、この上の写真は‘レプリカ’で、現在‘オークション’のさなかとか。1万円から始まって、今日現在、26,500円!とか。

詳細は、こちら!

http://page6.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/f118674307

現在の価格
: 26,500 円
残り時間 : 2 日 (詳細な残り時間)
入札件数 : 14 (入札履歴)

詳細情報
個数
: 1
開始時の価格 : 10,000 円
最高額入札者 : pqc***** / 評価:19
開始日時 : 8月 8日 21時 19分
終了日時 : 8月 12日 22時 12分
カレンダーに追加
入札者評価制限 : あり (評価の合計がマイナスの方は入札できません)
早期終了 : あり
自動延長 : あり
オークションID : f118674307
商品の状態 : 新品
返品の可否 : 返品不可


この企画も中々面白い。



さて、話を元に戻すと、ブログを書く場合、このランキングの結果を見るのが一つの楽しみでもある。

この‘分析’は大変だと思われるが、「FC2」さんの場合、毎日午前8:30前後に発表される仕組みになっている。

こんな仕掛けがしてあれば、人間の‘性(さが)’と言うか‘業(ごう)’と言うかは知らないが、ブログの書き手は‘止められない’衝動に駆られる。

これは、FC2さんにとってもブログ作者にとっても、どちらにも‘メリット’になる。

こんな‘上手い仕組み’を誰が考え出したのだろうか?

と言う訳で、‘毎日一つ’を目標に約3時間の時間を毎日ブログ作成に費やしている。

多分‘老化防止’には、これが一番!

「FC2」さんに、‘金メダル’を!


(つづく)次回は、8月中のランキング一覧表を作ってみたい。


























[2012/08/10 12:56] | スポーツ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
長崎平和祈念式典と親父の祥月命日
毎年8月9日は、長崎原爆に日であると同時に、個人的なことで恐縮だが、私の実の親父の祥月命日である。

正直なところ、祥月命日であるから長崎の原爆に日を思い出すのではなく、長崎の原爆の日であるから親父の祥月命日を忘れずにいる。

それ程原爆の日の印象が我々世代の人間には深いふか~い傷跡として‘こころ’に刻まれているのである。

ところで、広島の原爆の日に関する弊ブログでは、朝日新聞ともあろう大メディアの朝刊の一面にその見出しが見つからないことを指摘した。風化を自ら促進させているのではないかと思ったからだ。

さて、本日の朝日新聞の朝刊には、一面は勿論、どの紙面にも「今日が、‘長崎原爆の日’」という見出しどころか記事さえ無い。看板の‘天声人語’にも忘れられている!

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この新聞で唯一‘長崎平和祈念式典’の文字が見えるのは、TV&ラジオ番組紹介欄だけである。これで、世界へ向けて‘原爆禁止’を訴え続けなければならない日本のメディアとしての責任が果たせると思っているのであろうか?新聞社の記者の間で既に‘原爆に関する風化’が進行してしまっているのだろう!

でも、67年と言うのがそんなに長~い時間なのであろうか? 確かに、この新聞社の幹部連中は67年前には生まれていなかったに違いないが、そんなに‘視野の狭い’気持ちで記者が務まるものなのだろうか?疑問だらけである。

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しかも驚いたことに、NHK以外は‘長崎原爆の日、平和祈念式典’に関する特別番組を組んでさえいないのだ!

この国のマスコミ・メディア関連者の頭脳は、先人達の苦しみを理解することも出来ない程に狂ってしまっているのであろうか?

8月9日朝日新聞記事0001-2

8月9日朝日新聞記事0002-2

NHKによる‘長崎平和祈念式典’の放映は、10:30から始まった。(以後の中継映像は全てNHK・TVをカメラで撮影したものである)

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10:38  もう二度と‘被爆者’を作るなと全世界に歌で訴えている。

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10:38  北村西望作・長崎平和祈念像もこの日を待っていたようにも見える。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3
%E5%92%8C%E7%A5%88%E5%BF%B5%E5%83%8F


平和祈念像(へいわきねんぞう)は、長崎県長崎市松山町にある平和公園の北端に建てられた像。北村西望(きたむら せいぼう)によって造られた。
神の愛と仏の慈悲を象徴し、垂直に高く掲げた右手は原爆の脅威を、水平に伸ばした左手は平和を、横にした足は原爆投下直後の長崎市の静けさを、立てた足は救った命 を表し、軽く閉じた目は原爆犠牲者の冥福を祈っている。被爆10周年にあたる1955年8月8日に完成。像の高さ9.7メートル、台座の高さ3.9メートル、重さは約30トンあり、鉄骨を芯にして、青銅製のパーツをステンレスのボルトで縫ってある。右手の人差し指には避雷針が設置されている。



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10:40  本日の司会を務める二人の高校生

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10:42  原爆死没者名簿の奉納のために代表者が登場

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10:43  死没者名簿

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10:43  長崎市原爆死没者名簿(新たな3巻の内一つ)

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10:46  被爆二世もやっと腰を上げられる状態になったという。

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10:49  献水の儀式。広島にはない長崎の特徴。被爆者は皆水を欲しがった。

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10:50  水は奉納された。

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10:51  続いて献花の儀式。

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10:52  続いて野田内閣総理大臣の献花。

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10:53  高校生平和大使。

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10:53  高校生平和大使の高野桜さん。福島で原発の被害を受けた。

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10:56  彼女も悩んだ末に平和大使を引き受けた。

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10:58  長崎の人達も福島を応援。

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11:02  原爆投下の時刻がきた!‘長崎の鐘’が鳴らされる!

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11:02  全員黙祷。

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11:03  野田総理も黙祷。

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11:05  主催者・長崎市長の平和宣言。

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11:05  原稿は自分で書かれたのだろう。ほとんど原稿に目を落とされない堂々とした平和宣言である。

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11:12  市長による7分間の平和宣言が終了した。

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11:14  被爆者代表の挨拶

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11:14  家族の悲惨な被爆状況が切々と語られた。

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11:22  生々しい被爆者の報告に場内は静まり返った!

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11:22  続いて原爆で焼かれた学校関係者の歌が始まった。

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11:22  学校は丸焼け。人々はどうなったのだろうか?

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11:23  モニュメントが建立されている。

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11:23  現在の山田小学校の皆さんによる合唱。

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11:23  「あの子」という歌。作詞は、永井隆博士である。

http://www.nagasaki-city.ed.jp/yamazato-e/05%20heiwa/04%20nagai%20hakase.htm

 ~ 人を愛し,平和を願い,忍耐と奉仕に生きた 永井隆博士 ~

 明治41年2月3日,島根県に生まれた永井博士は,医者を目指して長崎医科大学に入学し,卒業後は放射線医学を研究した。研究熱心な永井博士は,このころ治らない病気と言われていた結核を研究するために,一日に何百人ものレントゲン写真を撮るという無理が重なって,37才の時,白血病にかかってしまった。しかし,その後も病気の体をおして,熱心に治療と研究を続けていた。
 昭和20年8月9日,午前11時2分。長崎に原子爆弾が落とされ,この1発の爆弾で15万人もの人々が死んだり,けがをしたりした。この時,永井博士もこめかみの血管を切るという大けがを負ったが,「如己愛人」(自分と同じように人も愛する)の精神で,自分のけがの手当は後回しにし,生き残った看護婦を集め,自分が失神して倒れるまでの3日間,必死にけがの手当にあたった。

その後,奇跡的に回復した永井博士は,しばらくは原爆の被害報告書を書いたり,大学での研究を始めたりしていたが,病気は永井博士の体を確実にむしばんで,とうとう立てなくなってしまった。しかし,「腕や指はまだ動く。自分には書くことができるではないか」と,平和への強い願いをこめて「如己堂」で本を書き始めた。病気は日に日に悪くなる一方だったが,それでも永井博士は本を書くことをやめず,HBから2B,さらに4Bへと濃い鉛筆に変え,最後はこするように一生懸命,本を書き続けた。永井博士が書いた「長崎の鐘」「ロザリオの鎖」などの本は,日本中の多くの人々に読まれ,感動を与えている。また,半紙1000枚に「平和を」の3文字を記して多くの人々に送り続け,遠くはヨーロッパやアメリカの人々にまで平和を強く訴えた。
 不自由な体で平和を祈り,本を書き続けている永井博士のもとには,ヘレン・ケラーさんをはじめ,外国からも多くの人々が励ましにやってきた。こうして永井博士の平和への願いは,世界中の人々にますます知られるようになった。
 また,永井博士は,焼け野原になった長崎の町に,「平和を」「如己愛人」の思いを込めて1000本の桜を贈った。
 昭和26年5月1日,ついに病が重くなり,多くの人々に見守られながら43才の若さで亡くなってしまったが,永井博士の「平和を」の願いは,いつまでもいつまでも人々の心の中に生き続けていくことだろう。


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11:23 大合唱が始まった。

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11:24  永井博士の思いが込められている!

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11:25  「ああ、あの子が生きていたならば・・・」

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11:34  やっと野田内閣総理大臣の挨拶の出番が回って来た。
私は彼の挨拶を瞬きもせずに見ていたが、彼は、式典に集まった人達を一度も見なかった!原稿を必死で読むだけである。勿論自分で作った原稿ではないだろうから、読み間違えないようにと必死のご様子だった。これでは、長崎に失礼である!心は‘政局’に向いているらしく、何とも情けない!これで一国の指導者だろうか?

広島原爆の日の挨拶文の中の‘広島’の部分を‘長崎’に替えただけだったら、と危惧していた。(8月6日の弊ブログ)

比較の意味で‘広島原爆の式典’での首相の挨拶文を掲載した。
それぞれの挨拶文で‘共通の文字’を赤字表示してみた。

完全に一致しているとは言わないが、試験なら‘カンニング’である。これなら‘こころ’が入っているいないの議論の外であろう。彼には‘恥ずかしい’という気持ちなど全くないのであろうか?

本当に、本当に一度も原稿から目を外さなかった!
 

http://www.asahi.com/national/update/0809/TKY201208090182.html

長崎平和祈念式典・野田首相あいさつ(全文)

67年前の今日、原子爆弾が長崎を襲い、約万人もの尊い命が一瞬にして奪われ、多くの市民の方々が筆舌に尽くしがたい苦痛を受けられました。長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に当たり、原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊(みたま)に対し、謹んで哀悼の誠を捧げます。そして今なお原子爆弾の後遺症に苦しまれている方々に、心よりお見舞いを申し上げます。

 人類は、核兵器の惨禍を決して忘れてはいけません。そして、人類史に刻まれたこの悲劇を二度と繰り返してはなりません。唯一の戦争被爆国として核兵器の惨禍を体験した我が国は、人類全体に対して、地球の未来に対して、崇高な責任を負っています。それは、この悲惨な体験の「記憶」を次の世代に伝承していくことです。そして、「核兵器のない世界」を目指して「行動」する情熱を、世界中に広めていくことです。被爆から67年を迎える本日、私は日本国政府を代表し、核兵器の廃絶と世界の恒久平和の実現に向けて、日本国憲法を順守し、非核三原則を堅持していくことを、ここに改めてお誓いいたします。

 67年の歳月を経て、被爆体験を肉声で語っていただける方々もかなりのお年となられています。被爆体験の伝承は、歴史的に極めて重要な局面を迎えつつあります。「記憶」を新たにする社会基盤として何よりも重要なのは、軍縮・不拡散教育です。その担い手は、公的部門だけではありません。研究・教育機関、NGO、メディアなど、幅広い主体が既に熱心に取り組んでおられます。そして、何よりも、市民自らの取り組みが大きな原動力となることを忘れてはなりません。被爆体験を世界に伝える、世界49カ所での「非核特使」の活動に、改めて感謝を申し上げます。政府としては、これからも「核兵器のない世界」の重要性を訴え、被爆体験の「記憶」を、国境を越え、世代を超えて確かに伝承する取り組みを様々な形で後押ししてまいります。

 また来る8月10日から11日には、長崎市と国連大学の協力を得て、「軍縮・不拡散教育グローバル・フォーラム」を開催します。政府や国際機関の関係者に、有識者や市民の皆さんが加わって、軍縮・不拡散教育のあり方について議論する予定です。皆様とともに、いっそう精力的に取り組み、世界に広げてまいります。「核兵器のない世界」の実現に向けて、国際社会も確かな歩みを進めています。核兵器保有国の間でも、昨年、米露の「新START」が発効し、我が国が国連総会に提出した核軍縮決議が圧倒的な賛成多数で採択されました。こうした動きを発展させ、世界全体の大きなうねりにしていかなければなりません。

 原子爆弾の後遺症により、現在も苦しんでいる方々に目を向けることも忘れてはなりません。認定制度のあり方については、有識者や被爆者団体などの関係者に熱心にご議論いただき、本年6月に「中間とりまとめ」をいただきました。原爆症の認定を待っておられる方々を一日でも早く認定できるよう、最善を尽くします。これからも、被爆者の方々の声に耳を傾けながら、より良い制度への改善を進め、総合的な援護策を進めてまいります。

 東日本大震災、そして東京電力福島第一原子力発電所の事故から、1年以上が経過しました。ここ長崎からも、福島の再生に心を砕き、様々な支援を寄せていただいています。今なお不自由な生活を余儀なくされている方々が一日も早く普通の日常生活を取り戻せるよう、除染などの生活基盤の再建に全力を尽くします。また、脱原発依存の基本方針の下、中長期的に国民が安心できるエネルギー構成の確立を目指します。

 結びに、原子爆弾の犠牲となられた方々のご冥福と、被爆された方々、ご遺族の皆様の今後のご多幸を心からお祈りするとともに、参列者並びに長崎市民の皆様のご健勝を祈念申し上げ、私のあいさつといたします。





http://kissyarita.blog.fc2.com/

広島原爆の日>野田佳彦首相あいさつ(全文)

67年前の今日、原子爆弾が広島を襲い、約14万人もの尊い命が一瞬にして奪われ、多くの市民の方々が筆舌に尽くしがたい苦痛を受けられました。

 広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式に当たり、原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊に対し、謹んで哀悼の誠を捧げます。

 そして今なお原子爆弾の後遺症に苦しまれている方々に、心よりお見舞いを申し上げます。

 人類は、核兵器の惨禍を決して忘れてはいけません。そして、人類史に刻まれたこの悲劇を二度と繰り返してはなりません。

 唯一の戦争被爆国として核兵器の惨禍を体験した我が国は、人類全体に対して、地球の未来に対して、崇高な責任を負っています。それは、この悲惨な体験の「記憶」を次の世代に伝承していくことです。
そして、「核兵器のない世界」を目指して「行動」する情熱を、世界中に広めていくことです。

 被爆から67年を迎える本日、私は、日本国政府を代表し、核兵器の廃絶と世界の恒久平和の実現に向けて、日本国憲法を遵守(じゅんしゅ)し、非核三原則を堅持していくことを、ここに改めてお誓いいたします。

 67年の歳月を経て、被爆体験を肉声で語っていただける方々もかなりのお年となられています。被爆体験の伝承は、歴史的に極めて重要な局面を迎えつつあります。

 「記憶」を新たにする社会基盤として何よりも重要なのは、軍縮・不拡散教育です。その担い手は、公的部門だけではありません。研究・教育機関、NGO、メディアなど、幅広い主体が既に熱心に取り組んでおられます。そして、何よりも、市民自らの取り組みが大きな原動力となることを忘れてはなりません。被爆体験を世界に伝える、世界49カ所での「非核特使」の活動に、改めて感謝を申し上げます。政府としては、これからも、「核兵器のない世界」の重要性を訴え、被爆体験の「記憶」を、国境を越え、世代を超えて確かに伝承する取り組みを様々な形で後押ししてまいります。

 「核兵器のない世界」の実現に向けて、国際社会も確かな歩みを進めています。核兵器保有国の間でも、昨年、米露の「新START」が発効し、我が国が国連総会に提出した核軍縮決議が圧倒的な賛成多数で採択されました。こうした動きを発展させ、世界全体の大きなうねりにしていかなければなりません。

 我が国は、志を同じくする国々とも連携しながら、核軍縮・不拡散分野での国際的な議論を主導し、「行動への情熱」を世界に広めてまいります。再来年には、ここ広島で、我が国が主導する非核兵器国のグループである軍縮・不拡散イニシアティブ(NPDI)の外相会合を開催いたします。

 原子爆弾の後遺症により、現在も苦しんでいる方々に目を向けることも忘れてはなりません。認定制度のあり方については、有識者や被爆者団体などの関係者に熱心にご議論いただき、本年6月に「中間とりまとめ」をいただきました。原爆症の認定を待っておられる方々を一日でも早く認定できるよう最善を尽くします。これからも、被爆者の方々の声に耳を傾けながら、より良い制度への改善を進め、総合的な援護策を進めてまいります。

 東日本大震災、そして東京電力福島第1原子力発電所の事故から、1年以上が経過しました。ここ広島からも、福島の再生に心を砕き、様々な支援を寄せていただいています。今なお不自由な生活を余儀なくされている方々が一日も早く普通の日常生活を取り戻せるよう、除染などの生活基盤の再建に全力を尽くします。また、脱原発依存の基本方針の下、中長期的に国民が安心できるエネルギー構成の確立を目指します。

 結びに、原子爆弾の犠牲となられた方々のご冥福と、被爆された方々、ご遺族の皆様の今後のご多幸を心よりお祈りするとともに、参列者並びに広島市民の皆様のご健勝を祈念申し上げ、私のあいさつといたします。


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11:35  続いて長崎県知事の挨拶。

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11:35  長崎県知事さんも長崎市長さんと同じく集まった人達の方を見て切々と訴えられた。

ここまでで中継は終了した。




さて、最初に述べた通り、8月9日は、私の‘実父’の祥月命日である。

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昭和51年だったから、今から36年前だ。やはり第二次大戦では‘一兵卒’とし、マレー半島の戦線に派遣された。シンガポールに滞在したらしいが、終戦後は捕虜として‘レンバン島’に抑留され、食うものも食わずに痩せ衰えてはいたが、昭和21年5月21日(実兄の誕生日)に無事福岡県・直方市へ帰還した。

明治45年(1911年)1月5日の生まれだったから、昨年(2011年)、生誕100年記念祭を長男の実兄が幹事役となって挙行した。

実際に、戦線に兵役義務を負って参加した親父達は、原爆に関して我々とは違った思いがあっただろうが、親父の生前には原爆についての議論はした覚えがない。

兎に角、‘戦争はしてはならない’という事は、我々以上に深く深く思っていたことは事実である。

上述した通り、マスコミはもっと核戦争の恐ろしさを世界にアピールすべきである。

マスコミが自らの体たらくで、「‘原爆’の風化」に拍車をかけるような真似だけは決してして貰いたくはない!




























[2012/08/09 23:18] | 戦争の記憶 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
‘黄昏’の九十九里(その1)
黄昏(たそがれ)とは、黄昏時の‘短縮型’で、黄昏時とは、夕方になって日暮れになる頃「誰(た)そ、彼?」と、‘人の顔’の見分けがつかなくなる時間帯の事を言うという。

人間も、認知症が進んで‘あなた、どなた?’と自分の家族に言い出した場合、やはり人生の‘黄昏時’ということになる。

自分自身でも余り自信がある訳ではないので、そろそろ‘黄昏時’かもしれないと思う事が近頃少しずつ増えたように思える。

それは歳も歳だからそれでいいとして、昨日は友人に誘われて‘九十九里海岸’に‘夕焼け’を見に行った。

おかしなもので、‘夕焼けなど、何時でも何処ででも見れる’という潜在意識が多分あるのだろう、1.5時間近くも夕焼け空を眺めていたのは、生まれてこの方一度もなかった。

そして、こんなに素晴らしい時間が持てるのに‘何故今まで放っておいたのだろうか?’と思うと少々残念で、自分の反省も含めて、‘人生の楽しみ方を知らない人が多い’ことに今更ながら気付かされ、驚かされた。

この友人は、‘気功術’の大家で、長年に亘り中国でも日本でも修行を積まれた方である。

したがって、人一倍‘健康’については造詣が深く、‘こころ’の持ち方次第で‘身体の元気’はコントロール出来ると思われているから、‘自然の威力’を‘気’に変えて己に摂り入れることに極めて熱心である。

上述した通り、この度初めて、この友人からお誘いを受けて千葉県・外房・九十九里海岸へ‘夕焼け’を見に行ったという訳である。

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http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-129.html

場所は、上図の下部、‘一松海岸’から地図上で‘数mm’上(北方面)の‘白子町の白里海岸’である。

‘白寿’とは、ご案内の通り、‘九十九歳’の事である。‘百’から‘一’を引けば、‘白’であるから、‘白’は‘九十九’ということになっている。

と言う事は、‘九十九里’と‘白里’は、同じことになるから、‘白里海岸=九十九里海岸’と言うことになる。

さて、この‘九十九里’海岸の長さは、本当に(九十九)×(里=4km)= 396km なのだろうか?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E5%8D%81
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九十九里浜

九十九里浜(くじゅうくりはま)は、千葉県房総半島東岸にある、刑部岬と太東崎の間の、太平洋に面している全長約66キロメートルの海岸。日本の白砂青松100選と日本の渚百選に選定されている。

古名は玉浦(玉の浦)であるが、源頼朝の命で6町を1里として、1里ごとに矢を立てたところ99本に達したという伝承から「九十九里浜」と言われるようになったとの説が有名である。古くから用いられていた長さの単位の1里は6町(1町は約109メートル)であり、109メートル×6町×99里=約64.7キロメートルなので、実際にほぼ99里である。



九十九里海岸の全長は、約66km。現在で言う99里(396km)の約17%の長さである。源頼朝が絡んでいるとは、これも驚きである。



さて、白里海岸の海水浴場に到着したのが、2012年8月7日17:20頃である。

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何だか波打ち際に人だかりが見える。望遠で拡大して見ると・・・、

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海の中には誰も入っていない。でも彼等は何をやっているのだろうか?

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目の前に‘遊泳禁止’の旗が立っている!

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なるほど、打ち寄せる波は荒い。

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遠くを見てみると‘遊泳禁止’の旗が沢山・・・。それで誰も泳いでいないのだ!

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こちらもこんな‘出立ち’で海尾に過ぎにでも入れるようにと出て来たのだが・・・。

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波打ち際の彼等も何処かへ姿を消して、今は誰もいない。トアエ・モアの‘今はもう秋、誰もいない海・・・’は未だ早過ぎる。これからが夏本番である。

それにしても、‘遊泳禁止’は、何故なのだろうか?多分夕刻になったからなのだろうか?監視員も暗くなるまでやっている訳にもいかないのだろう。

近くには‘海の家’もあることだから昼間も‘遊泳禁止’と言うことではないに決まっている。

でも、この遊泳禁止のお陰で、海岸での‘夕焼け観賞会’は大成功である。人がほとんどいないし、車も極々わずかである。自分達だけで、‘夕焼け天体ショー’が満喫出来るからだ。

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波は益々荒々しく・・・・。

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またどこかの女子大生の3人組が海に入れないで悔しそうに波を見ている・・・。
この白子町は、温泉もあり、テニスコートが何面もあって、テニスの夏の合宿組が多数押し寄せる事でも有名だそうだ。彼女達もそんなテニスグループかもしれない。

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我々の今日の目的は、‘海風に吹かれながら、美しい夕焼けを観ること’。そのためには、椅子と‘おにぎり’が必要なのだ。

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出ました! おにぎりの前に、ビールに枝豆! まだ夕焼けには一寸早い。只今18:00ジャスト。

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少しずつ、西の空が赤みを帯びて来た!

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さあー、‘夕焼け天体ショー’の始まりで~す! 夕日の部分を望遠で拡大して見ると・・、

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もう真っ赤な夕日になっている。

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雲全体が赤く染まり始めた。

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雄大な‘夕焼けパノラマ’が・・・。

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刻々と変化を見せる。18:26

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18:32。この時、海岸の方(東側)の雲は、

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予想だにしなかった!東側の雲も赤く夕焼けになっている!

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海の水も夕焼けの赤みを反映して・・・。

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そして、いよいよ、・・・

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夕日はもう地平線の向こうにすっかり隠れてしまっている。18:44。

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19:15、これで完全に本日の‘夕焼け天体ショー’は終了。

こんなに長時間(18:00~19:15)に亘っての夕焼け鑑賞は、これまでの生涯73年間で初めてである。

そして、真夏とは言え夕日が沈めば、海風は一瞬で‘涼風’に早変わり。この‘涼風’正に値千金!

何で、もう少し早く気付かなかったのだろう

これを気付かせてくれたのは、気功術の大御所である。大いに感謝。謝々!

これは一週間に一度は経験しなければ勿体ない!

‘夕焼け観賞会’でも結成すべきかもしれない。

この大御所の友人が言うには、‘日の出・朝焼け’がまたまた素晴らしいらしい。

ここの海岸の近くで、元旦の初日の出は、何度か鑑賞した記憶があるが、駐車場が一杯で人だらけ。それに海風が冷たく‘鑑賞’と言う訳にはいかなかった。

今度は早起きをして、‘日の出’の鑑賞を。そして、満月の時の水平線から出始める月鑑賞を。

オリンピックが終了してから、気付かなかった‘夕焼け’&‘朝焼け’&‘月’観賞会を本格的に開始したい。
本当にそう思い始めた。

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合宿中の‘アスリート’達なのだろうか?直ぐ近くで‘花火’が始まった。19:18。

明日は、お近くの友人ご夫婦を‘夕焼け天体ショー’に無理矢理誘ってある。

さてさて、どんな夕焼けが見られるだろうか?

(つづく)























[2012/08/08 23:35] | 観光 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
ゴーヤの連作障害
‘西日除け’と‘収穫’を目的に、我が家の西側窓壁に昨年から‘ゴーヤ’を栽培し始めた。

昨年は、苗3本で約30~40本のゴーヤが収穫出来た記憶がある。それもみんな大きさが30cm以上の大物であった。

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http://pomemaru.blog46.fc2.com/blog-entry-886.html

今年もまた期待して、苗は3本。

今年の異常気象が祟ったのか、発育がどうも好ましくない。

以下の3枚が、7月26日の夕刻の写真である。

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画像ー25 066 posted by (C)mobaradesu

これでは、まだ‘グリーンカーテン’には程遠い。

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手のひらサイズにまでもいかない。

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軒先に、ちらっと!

これが、本日(8月7日)、上の写真から、12日も経っているのに収穫は覚束ないどころか、大きくなる前に‘腐り始めているものも出て来た。

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10日以上も経っているのに成長が悪い。今年は‘グリーンカーテン’はお預けらしい。

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7月26日の‘手のひらサイズ’にまで行かないと言っていたのが、これ。完全に腐ってしまっている。

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これも危ない!

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これも大きくはならずにもう黄色みを帯びている。

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一寸見えづらいが、新たに二つ希望が持てそう。これらを拡大して見ると・・・

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まあ、いけそう。

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これだけがやっと2~3日内にものになりそう。

ところで、キュウリやナスやトマトの場合、‘連作’が利かないという事なので、我が家の家庭菜園でも、これら三つを輪番制にして廻している。

これまで、気付いてもいなかったが、やはり‘ゴーヤ’にも‘連作障害’があるのだろうか?

沖縄に行ってみれば、少し自動車道路から奥へ入った一般住宅などでは、何処の家も軒先に棚を作ってそこに‘ゴーヤ様’がぶら下がっている光景ばかりが目についていたから、ぼんやりとは‘ゴーヤに連作障害なし’のイメージがあったのだが・・・。

WEBで調べて見ると、連作障害はあるらしい!


http://bittergourd.kagechiyo.net/mm1/sm4/sm.html

ゴーヤの連作障害

家庭菜園では、ゴーヤの連作障害はあまり聞いたことがありませんが、存在します。畑1面で、ゴーヤを育てていて、かつ、生活に直結する生産者の方は当然のことながら、しっかりとした予防策をとっています。連作障害は、主に3つの要因で発生します。 気にするとすれば、一番最初のものとなると思います。また、4,5年目あたりから被害が出てくるようです。

1.ゴーヤの連作障害(根に寄生する虫などによるもの)

根から侵入して、ネコブセンチュウやつる割れ病などが発生すると言われています。これらの寄生虫はゴーヤの根を餌にして生きていますので、根がたくさんあればそれだけ餌となって増えていきます。毎年増えていき、ある年に大増殖して被害をもたらすことがあります。2,3年程度では出ない、家庭菜園ではゴーヤだけを畑に植えるということではなく、他に周りに他種類の野菜を植えているため、少しずらして植えてやれば気にするほどではないかと思います。また、これに対抗する接ぎ木苗も、一般向けにはあまり売っていませんが存在します。また、化成肥料施肥で根の表面を痛めることは寄生を助けることになりますので、たい肥などを使用したほうが無難かと思われます。


2.ゴーヤの連作障害(特定の物質が減少することによるもの)

土壌中からNPK以外の微量元素が不足することにより、ゴーヤの成長に不良が発生するもの。植物は、NPKだけではちゃんとは育ちません。土壌中には微量な物質も含めると、数えきれないくらいの物質が含まれています。これらは植物にとって必要で、ある植物は特定の物質を必要とするが、ある植物は必要としない、というような物質が存在するようです。ゴーヤだけを作り続ければ、ある特定の物質が足りなくなる可能性はありますが、長期間、かつ、あたり一面ゴーヤだけを育てて、実だけでなく、茎や葉、根などをごっそり畑の外へ捨ててしまうようだと、発生する可能性が高くなるかもしれません。対策は、たい肥などの土に近いような物質を土壌にまぜることです。化成肥料のように決まった物質だけが補充されるのではなく、たい肥などは微量元素も数多く含まれているのでこれを解決できる可能性を持っています。


3.ゴーヤの連作障害(根から発生する成長阻害物質などによるもの)

植物の根から発生する物質で他の植物の成長を止めようというものが知られています。それらが大量に生成されると、同じ作物や違う作物でも成長を妨げる可能性があるということのようです。実際に経験したことがありませんし、確かめようもありませんので説明はこれくらいにさせて頂きます。



結局、ゴーヤの連作障害は気にする必要があるか?

結局のところ、ゴーヤの連作をしてしまったがどうすればいいのか?ということで悩むことは家庭菜園ではあまりしないほうがいいかと思います。気にすると、同じウリ科の作物、きゅうり、ズッキーニ、かぼちゃ、ウリ、ヘチマ、スイカ、メロン、トウガン、、、あらゆるウリ科の野菜が同じように作れないことになります。しかし、家庭菜園の場合場所がないので、あまり気にせず作っています。そうせざる得ない理由のほうが多いのです。

もし、プランターならば土を毎年かうということも考えられますが、去年の土を捨てるというのは何か間違っていると思ってしまいます。一年自然にさらされ、微生物が増えて生きた土になったものをあえてゴミとして捨てるなんて、もったいないという考えがあります。

もし、センチュウ類を恐れるなら根から侵入してくるわけで極力、化成肥料を使わず、根やけを起こさせない。また、元肥にコーヒー粕を使うことでセンチュウが減ったなどということもあるようなので、有機栽培に徹していけば、それほど恐れることはないのではないかと思っています。また、マリーゴールドをコンパニオンプランツとして植えるなども対策として考えられます。しかし、水はけの悪い湿った環境などではよく発生するようです。

いずれにしても、無責任に大丈夫とも言えませんので、出来る範囲で対策をとるのがいいのではないでしょうか。

また、ゴーヤが上手く成長しない、実が成らない、元気がない、ということも一概に連作障害だと決め付けるのもどうかと思います。植物は生き物ですので、条件が同じでも上手く育たないものもありますし、眼に見えないところで問題が発生していることもあります。そして、得てして、ベランダや庭は日当たりが十分とは言えない場合が多いですので、それが原因となっていることもあります。



これらの情報を踏まえた上で、我が家のゴーヤは?

余り期待出来ないが、一生懸命肥料と水やりに精を出してみることにした。

(つづく)


























[2012/08/07 09:35] | 家庭菜園 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
8月6日は広島原爆投下の日
8月6日は、言わずと知れた‘広島原爆投下の日’である。

今朝(2012年8月6日)の朝日新聞第一面を見て驚いた!

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2012年8月6日の朝日新聞朝刊第一面。‘原爆’の見出しは何処にも見当たらない!

第二次世界大戦での‘最大の悲劇’、そして人類誕生から今日までの‘最大の悪夢’としか言いようのない‘原子爆弾’が日本に投下された日。

人類が決して忘れてはならぬこの日の大新聞の朝日の一面の見出しに‘原爆’の文字がない!

今日は8月6日ではないのかと一瞬そう思った。でも日付けは、明らかに8月6日。

一面のトップ記事が何のとご覧の通り、‘フェンシング銀以上’である!

これには恐れ入った!

原爆の記事に比べて、フェンシング関係者には申し訳なしが、その価値など一万分の一ほどもない!

‘原爆の日’を‘風化させてはならない’と日本の新聞なら第一面のトップ記事にすべきだ!

‘風化’の文字さえこの新聞には出て来ない。

‘原爆の風化’のお手伝いをこの新聞はしているのであろうか、と疑いたくなる。

今日の朝刊は、オリンピックの記事など一面から外すべきだろう!

そうしなければ、広島で被爆した人達に、また第二次大戦で辛酸をなめた先輩達に顔向けが出来まい。

唯、申し訳なさそうに、‘天声人語’に原爆の事が掲載されているが、世界に向かっての‘平和祈願’という立場ではない! 視点が大きく間違ってしまっている。

天声人語 8月6日
朝日新聞・天声人語(2012年8月6日)

8月6日朝日新聞記事
朝日新聞・39面の記事(2012年8月6日)

第39面に、小さく‘きょう原爆の日’という見出しである。何だかこれもおかしい!世界に訴える気はあるのか?!
‘きょうからお盆の帰省ラッシュ’程度の扱いに朝から頭に来たのは私だけではあるまい。

社説に原爆の事が書かれていなかったら、‘こんな新聞明日からお断りだ!’と思ったが、‘恐る恐る’「核廃絶と脱原発・破滅リスクのない世界へ」と言う見出しである。

社説0001
朝日新聞・社説(2012年8月6日)

この論点も、‘ヒロシマ原爆の恐ろしさ’を世界へ向けて発信するということではない。

本当に日本のジャーナリズムは、ジャーナリストは、‘原爆の恐ろしさ’を世界に向けて訴えようとしているのだろうか?

それとも‘悲惨さ’を封印しようとしているのだろうか? もっともっと熱く語る必要がある。そして、それが出来るのは日本人だけである!



それに比べて、今朝のNHKが放映した‘平和祈念式典’での広島市長の挨拶は流石である。(写真は全てNHK・TVの画像をカメラで撮影したもの)

http://news.goo.ne.jp/article/mainichi/life/education
/20120806dde007040078000c.html


<広島原爆の日>広島平和宣言(全文)

<2012年8月6日(月)18:00>

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 1945年8月6日8時15分、私たちの故郷は、一発の原子爆弾により灰じんに帰しました。帰る家や慣れ親しんだ暮らし、大切に守ってきた文化までもが失われてしまいました。――「広島が無くなっていた。何もかも無くなっていた。道も無い。辺り一面焼け野原。悲しいことに一目で遠くまで見える。市電の線路であろう道に焼け落ちた電線を目安に歩いた。市電の道は熱かった。人々の死があちこちにあった。」――それは、当時20歳の女性が見た街であり、被爆者の誰もが目の当たりにした広島の姿です。川辺からは、賑(にぎ)やかな祭り、ボート遊び、魚釣りや貝掘り、手長えびを捕る子どもたちの姿も消えてしまいました。

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 そして原爆は、かけがえのない人の命を簡単に破壊してしまいました。――「警防団の人と一緒にトラックで遺体の収容作業に出る。少年の私は、足首を持つように言われ、つかむが、ズルッと皮がむけて握れない。覚悟を決めて指先に力を入れると、滴が垂れた。臭い。骨が握れた。いちにのさんでトラックに積んだ。」――この当時13歳の少年の体験のように、辺り一面は、無数の屍(しかばね)が重なり、声にならない呻(うめ)き声の中、息のない母親のお乳を吸い続ける幼児、死んだ赤子を抱き締め虚(うつ)ろな顔の母親など、まさに生き地獄だったのです。

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 当時16歳の少女は、大切な家族を次々と亡くしました。――「7歳だった弟は、被爆直後に全身火傷で亡くなり、ひと月後には、父と母、そして13歳の弟と11歳の妹が亡くなりました。唯一生き残った当時3歳の弟も、その後、癌(がん)で亡くなりました。」――広島では、幼子からお年寄りまで、その年の暮れまでに14万人もの尊い命が失われました。

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 深い闇に突き落とされたヒロシマ。被爆者は、そのヒロシマで原爆を身を以(もっ)て体験し、後障害や偏見に苦しみながらも生き抜いてきました。そして、自らの体験を語り、怒りや憎しみを乗り越え、核兵器の非人道性を訴え、核兵器廃絶に尽力してきました。私たちは、その辛(つら)さ、悲しさ、苦しみと共に、その切なる願いを世界に伝えたいのです。

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 広島市はこの夏、平均年齢が78歳を超えた被爆者の体験と願いを受け継ぎ、語り伝えたいという人々の思いに応え、伝承者養成事業を開始しました。被爆の実相を風化させず、国内外のより多くの人々と核兵器廃絶に向けた思いを共有していくためです。

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 世界中の皆さん、とりわけ核兵器を保有する国の為政者の皆さん、

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被爆地で平和について考えるため、ぜひとも広島を訪れてください。

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 平和市長会議は今年、設立30周年を迎えました。2020年までの核兵器廃絶を目指す加盟都市は5300を超え、約10億人の市民を擁する会議へと成長しています。その平和市長会議の総会を来年8月に広島で開催します。核兵器禁止条約の締結、さらには核兵器廃絶の実現を願う圧倒的多数の市民の声が発信されることになります。そして、再来年の春には、我が国をはじめ10の非核兵器国による「軍縮・不拡散イニシアティブ」の外相会合も開催されます。核兵器廃絶の願いや決意は、必ずや、広島を起点として全世界に広がり、

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世界恒久平和に結実するものと信じています。

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 2011年3月11日は、自然災害に原子力発電所の事故が重なる未曽有の大惨事が発生した、人類にとって忘れ難い日となりました。今も苦しい生活を強いられながらも、前向きに生きようとする被災者の皆さんの姿は、

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67年前のあの日を経験したヒロシマの人々と重なります。皆さん、必ず訪れる明日への希望を信じてください。私たちの心は、皆さんと共にあります。

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 あの忌まわしい事故を教訓とし、我が国のエネルギー政策について、「核と人類は共存できない」という訴えのほかさまざまな声を反映した国民的議論が進められています。日本政府は、市民の暮らしと安全を守るためのエネルギー政策を一刻も早く確立してください。

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また、唯一の被爆国としてヒロシマ・ナガサキと思いを共有し、さらに、私たちの住む北東アジアに不安定な情勢が見られることをしっかり認識した上で、

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核兵器廃絶に向けリーダーシップを一層発揮してください。そして、原爆により今なお苦しんでいる国内外の被爆者への温かい支援策を充実させるとともに、「黒い雨降雨地域」の拡大に向けた政治判断をしてください。

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 私たちは、今改めて、原爆犠牲者の御霊(みたま)に心から哀悼の誠を捧(ささ)げるとともに、この広島を拠点にして、被爆者の体験と願いを世界に伝え、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に全力を尽くすことを、ここに誓います。

 平成24年(2012年)8月6日

 広島市長 松井一実


こども代表の‘平和への誓い’、これだまた良かった!

http://mainichi.jp/area/news/20120806ddf010040010000c.html

広島原爆の日:こども代表平和への誓い(全文)
毎日新聞 2012年08月06日 大阪夕刊

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 67年前、一発の原子爆弾によって、広島の街は、爆風がかけめぐり、火の海となりました。たくさんの人の尊い命が、一瞬のうちに奪われました。建物の下敷きになった人、大やけどを負った人、家族を探し叫び続けた人。

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身も心も深く傷つけられ、今もその被害に苦しむ人がたくさんいます。

 あの日のことを、何十年もの間、誰にも、家族にも話さなかった祖父。ずっとずっと苦しんでいた。でも、一生懸命話してくれた。戦争によって奪われた一つ一つの命の重み。残された人たちの生きようとする強い気持ち。伝えておきたいという思いが、心に強く響きました。

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 故郷を離れ、広島の小学校に通うことになったわたしたちの仲間。はじめは、震災のことや福島から来たことを話せなかった。家族が一緒に生活できないこと、突然、友だちと離ればなれになり、今も会えないこと。でも、勇気を出して話してくれました。「わかってくれて、ありがとう。広島に来てよかった。」その言葉がうれしかった。

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つらい出来事を、同じように体験することはできないけれど、わたしたちは、想像することによって、共感することができます。悲しい過去を変えることはできないけれど、わたしたちは、未来をつくるための夢と希望をもつことができます。

 平和はわたしたちでつくるものです。身近なところに、できることがあります。

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違いを認め合い、相手の立場になって考えることも平和です。思いを伝え合い、力を合わせ支え合うことも平和です。わたしたちは、平和をつくり続けます。仲間とともに、行動していくことを誓います。

 平成24年(2012年)8月6日

 こども代表

 広島市立比治山小学校6年・三保竜己(みほ・りゅうき)

 広島市立安北小学校6年・遠藤真優(えんどう・まゆ)






未だに福島原発の適切な処理も出来ない野田首相の紋切り型の挨拶には、心がこもってなく、広島の人々や福島の人達は、どんな思いでこの挨拶を聞いたのであろうか?

http://news.goo.ne.jp/article/mainichi/life/20120806dde007040079000c.html

<広島原爆の日>野田佳彦首相あいさつ(全文)

<2012年8月6日(月)18:00>

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 67年前の今日、原子爆弾が広島を襲い、約14万人もの尊い命が一瞬にして奪われ、多くの市民の方々が筆舌に尽くしがたい苦痛を受けられました。

 広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式に当たり、原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊に対し、謹んで哀悼の誠を捧げます。

 そして今なお原子爆弾の後遺症に苦しまれている方々に、心よりお見舞いを申し上げます。

 人類は、核兵器の惨禍を決して忘れてはいけません。そして、人類史に刻まれたこの悲劇を二度と繰り返してはなりません。

 唯一の戦争被爆国として核兵器の惨禍を体験した我が国は、人類全体に対して、地球の未来に対して、崇高な責任を負っています。それは、この悲惨な体験の「記憶」を次の世代に伝承していくことです。そして、「核兵器のない世界」を目指して「行動」する情熱を、世界中に広めていくことです。

 被爆から67年を迎える本日、私は、日本国政府を代表し、核兵器の廃絶と世界の恒久平和の実現に向けて、日本国憲法を遵守(じゅんしゅ)し、非核三原則を堅持していくことを、ここに改めてお誓いいたします。

 67年の歳月を経て、被爆体験を肉声で語っていただける方々もかなりのお年となられています。被爆体験の伝承は、歴史的に極めて重要な局面を迎えつつあります。

 「記憶」を新たにする社会基盤として何よりも重要なのは、軍縮・不拡散教育です。その担い手は、公的部門だけではありません。研究・教育機関、NGO、メディアなど、幅広い主体が既に熱心に取り組んでおられます。そして、何よりも、市民自らの取り組みが大きな原動力となることを忘れてはなりません。被爆体験を世界に伝える、世界49カ所での「非核特使」の活動に、改めて感謝を申し上げます。政府としては、これからも、「核兵器のない世界」の重要性を訴え、被爆体験の「記憶」を、国境を越え、世代を超えて確かに伝承する取り組みを様々な形で後押ししてまいります。

 「核兵器のない世界」の実現に向けて、国際社会も確かな歩みを進めています。核兵器保有国の間でも、昨年、米露の「新START」が発効し、我が国が国連総会に提出した核軍縮決議が圧倒的な賛成多数で採択されました。こうした動きを発展させ、世界全体の大きなうねりにしていかなければなりません。

 我が国は、志を同じくする国々とも連携しながら、核軍縮・不拡散分野での国際的な議論を主導し、「行動への情熱」を世界に広めてまいります。再来年には、ここ広島で、我が国が主導する非核兵器国のグループである軍縮・不拡散イニシアティブ(NPDI)の外相会合を開催いたします。

 原子爆弾の後遺症により、現在も苦しんでいる方々に目を向けることも忘れてはなりません。認定制度のあり方については、有識者や被爆者団体などの関係者に熱心にご議論いただき、本年6月に「中間とりまとめ」をいただきました。原爆症の認定を待っておられる方々を一日でも早く認定できるよう最善を尽くします。これからも、被爆者の方々の声に耳を傾けながら、より良い制度への改善を進め、総合的な援護策を進めてまいります。

 東日本大震災、そして東京電力福島第1原子力発電所の事故から、1年以上が経過しました。ここ広島からも、福島の再生に心を砕き、様々な支援を寄せていただいています。今なお不自由な生活を余儀なくされている方々が一日も早く普通の日常生活を取り戻せるよう、除染などの生活基盤の再建に全力を尽くします。また、脱原発依存の基本方針の下、中長期的に国民が安心できるエネルギー構成の確立を目指します。

 結びに、原子爆弾の犠牲となられた方々のご冥福と、被爆された方々、ご遺族の皆様の今後のご多幸を心よりお祈りするとともに、参列者並びに広島市民の皆様のご健勝を祈念申し上げ、私のあいさつといたします。

 平成24年8月6日

 内閣総理大臣 野田佳彦



この挨拶が済んだら、広島の件は終わったと思って貰っては困る。黒い雨に関する処置がここまで延び延びになった事の責任を国の為政者は、もっと真剣に考えるべきだろう。

9日の長崎での挨拶文が今回の‘広島’の文字を‘長崎’に書き換えるだけであってはならぬ!
























[2012/08/06 23:53] | 戦争の記憶 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
体脂肪率(その1)
オリンピックの水泳競技を見ていて気付くのは、選手の誰もが‘体脂肪’がそれ程ついてない(=腹が出ていない)と見えて、‘体脂肪率’が極めて小さい値だろうと思えわれることだ。

北島康介
http://heritager.com/?p=8471
北島康介選手


彼等の体脂肪率は一体どれ位なのだろうか?

そして、誰かが言っていたが「体脂肪率が、10%以下であると‘水に浮かない’or‘浮きづらい’」と言う事そうだが、これ本当だろうか?

多分、‘体脂肪率’と言うのは、‘全体重’の内、その人の‘脂肪の重さ’の占める百分率のことだと思われる。

でも、全体重を測ることは、それは容易いとしても、‘脂肪の重さ’は、どうやれば測れるのだろうか?

以下のような問答をWEB検索で見出した。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1248450897

Q:水泳選手の体脂肪率はどのぐらいなんでしょうか?
また水泳をすると低温のなかで活動するので脂肪がつきやすくなるというのは科学的な根拠はないと何かで見たのですが本当 の所はどうなんでしょう?
よろしくお願いします。


A1:私のスクールの選手は少い人で約8%、多い人で約15%です。
平均としては約12%でしょうか。
水温が低いと血管が収縮し、筋肉も硬直して体脂肪を燃焼する環境としては良くないです。

人間はある程度、環境に適応する生き物です。
寒いと血管が収縮し、筋肉も硬直するので運動量が減ります。これが長期間続くのであれば、身体は寒さから身を守るために脂肪を増やします。

A2:僕も 毎日泳ぎ込んでます 今は、13%ですが、最低10%はあったほうがいいらしいです。脂肪があると浮くので、競泳やってる人は比較的 体脂肪率高いですよ~



またこんな素晴らしい解説もある。

http://www.sports-n.com/ntrtn/htm/051-j.htm

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減量する前に、体重よりも体脂肪に注目!
からだの重さ(体重)は、体脂肪の重さ(体脂肪量)と、筋量・骨量・体水分量を含むそれ以外の重さ(除脂肪量)にわけることができます。理想的な減量とは、競技に必要な除脂肪量を保ちながら、余分な体脂肪量を減らすことです。

注意すべきポイントは?
1) 体脂肪を測定する条件(時間帯、服装など)は、一定にしましょう。体重は、朝、昼、夕の時刻差や練習の前後、水分や食事を摂ることにより変動します。好ましい測定時間は、朝起きてトイレに行った後です。または、早朝、練習前後、寝る前など数回測ることで、1日の体重変化を把握する方法もあります。

2)
体脂肪率は、競技やポジション、各個人によって理想値が異なります(以下の表を参照)。スポーツ選手の体脂肪率の限界は、男性で5%、女性で12%といわれています。この表はあくまでも目安ですが、種目によっては理想体脂肪率が限界のレベルに達しています。個人によって理想値は異なってきますし、体脂肪が少ないほど競技力の向上につながるわけではありません。指導者やトレーナー、栄養士などに、自分に適した体脂肪率を相談してみましょう。また、スポーツを趣味とする人、これからはじめようとする人は、右のBMIの計算方法を参考にしてください。
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各種スポーツにおける、スポーツ選手の理想体脂肪率の範囲
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http://andohiroyuki.com/diet/2012/230.html
これは、体脂肪率が変わると人の見た目がどのくらい変わるかを表した
とってもわかりやすい図です。



また、次のような計算をしている方がおられる。
この計算をよ~く理解出来れば、体脂肪と体脂肪率の‘意味’が判る。この中で注意が必要なのは、ρのノーテイションを忘れておられる。これは、水の密度である。(ρ)と継ぎ足しておいた。

http://blog.livedoor.jp/mahuyuchan/archives/7534995.html

今回の記事は完全に自己満足のために書くので, 分かりやすさには配慮しません.

理系でちょっとした数式処理が分かる方だけ読んでください.

体脂肪を測定する方法にはいろいろなものがありますが, ここでは, 水中で体重を計り, そこから体の体積を求めて, さらにそこから体脂肪率を求める方法を説明します.

では, 以下からガチ理系でいきます.

問. 陸上体重が80kg, 水中体重が5kgの人の体脂肪率を求めなさい. ただし, 脂肪組織の密度は0.9007g/cm3, 除脂肪組織の密度は1.100g/cm3とする. また, 水の密度(ρ)は1000kg/m3とする.

解答.

体積をVとして浮力で式を立てて

5g=80g−ρVg

V=(80−5)/ρ

V=75/1000=0.075

脂肪組織1m3あたりの重さは0.9007・10−3・106kg

除脂肪組織1m3あたりの重さは1.100・10−3・106kg

体脂肪の総重量をxkgとすると, 除脂肪体重は(80−x)kgと書ける

体積について一次方程式を立てる


x/900.7+(80−x)/(1100)=V

0.0011x+0.0009(80−x)=0.075

0.0011x+0.0720−0.0009x=0.075

0.0002x=0.003

x=15

よって, 体脂肪の重量は15kg, 除脂肪体重は65kg

よって体脂肪率は15/80=0.1875=18.75%

以上です.




次回は、自分自身の‘体脂肪率’について、‘実測値’を元に、自分自身の今後の健康維持について‘考察’をしてみたい。

(つづく)





















[2012/08/05 10:29] | 健康と医療 | トラックバック(1) | コメント(0) | page top
開催日程の決定に関する配慮・イスラム‘ラマダン’
今季のオリンピック は、数々の話題を提供してくれる。

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http://www.albatro.jp/birdyard/graphic-design/london-olympic-2012/index.htm

① イギリス経済の落ち込み

② 開催日程の決定に関する配慮・イスラム‘ラマダン’

③ チケットの販売方法

④ 審判員の採点の価値

⑤ 1/100 秒の意味

⑥ 選手個人の成長度

⑦ オリンピックの開催が、4年に一度は果たして公平か?

⑧ 豪華・長時間の入場行進と選手の疲れ



ラマダンは、毎年その期間が、西暦では違って来る。

今年のラマダンは、後述する通り、7月20日頃から8月18日頃までである。

この期間にオリンピックを開催することは、世界中に‘摩擦’を起こす火種を作る。

こんなことも配慮できない国には、オリンピックの開催を認めるべきではなかろう。


② 開催日程の決定に関する配慮・イスラム‘ラマダン’

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http://gigazine.net/news/20080922_observing_rmadan/

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http://www.muraisika.com/blog/1242.html


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%9
E%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%B3


ラマダーン(アラビア語: رمضان ‎ペルシア語: 発音:Ramazan ‎)は、ヒジュラ暦の第9月。ラマダンとも表記。この月の日の出から日没までのあいだ、イスラム教徒の義務の一つ「断食(サウム)」として、飲食を絶つことが行われる。「ラマダーン」を断食のことと誤って捉える人も少なくないが、あくまで月の名である。

期間 [編集]

イスラム暦は純粋な太陰暦で閏月による補正を行わないため、毎年11日ほど早まり、およそ33年で季節が一巡する。そのため「ムスリムは同じ季節のラマダーンを人生で2度経験する」と言われる。
ラマダーン月の開始と終了は、長老らによる新月の確認によって行われる。雲などで新月が確認できなかった場合は1日ずれる。夏に日が沈まない極地地方にあっては、近隣国の日の出・日没時間に合わせるなどの調整も図られる。
ラマダーン中には世界中のイスラム教徒が同じ試練を共有することから、ある種の神聖さを持つ時期であるとみなされている。

2012年 7月20日~ 8月18日

断食 [編集]

断食といっても1ヶ月間という期間を完全に絶食するわけではなく、日没から日の出までの間(=夕方以降から翌未明まで)に一日分の食事を摂る。この食事はふだんよりも水分を多くした大麦粥であったり、ヤギのミルクを飲んだりする。
旅行者や重労働者、妊婦・産婦・病人、乳幼児など合理的な事情のある場合は断食を免除されるなど、ひと口に「断食」と言ってもその適用範囲にはある程度の柔軟性と幅を持つ点にも注意が必要である。
断食をするかどうかは原則として宗教的モラルの問題である。旅行者は断食を免除されるというのを拡大解釈して、イスラム教徒の富豪の一部にはラマダーンに旅行に出かけ、断食逃れと呼ばれるようなことをする者もいる。また、基本的に異教徒には強制されない。


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http://sankei.jp.msn.com/london2012/news/120719/otr12071909550002-n3.htm
産経ニュースに次のような記事が掲載されている。

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http://sankei.jp.msn.com/london2012/news/120719/otr12071909550002-n3.htm

【ロンドン余話】

「断食」と五輪がバッティング!! イスラム教選手、日中飲まず食わず? メダルいらない?
2012.7.19 09:54 (1/3ページ)[ロンドン余話]


 今年のロンドン五輪は7月27日から8月12日まで。この日程がイスラム教を信奉する選手にとって、ちょっとした問題となっている。“聖なる月”とされるラマダンとちょうど重なるのだ。

 イスラム世界では太陰暦(ヒジュラ暦)を用いているため、ラマダン(第9月)は毎年、11日ほど早まっていく。今年の場合は7月20日から8月18日の予定だ。なぜ、“予定”なのかというと、最終的な日付は長老らによる新月の確認によって決定されるためだ。

 4年前の北京五輪(8月8日~8月24日)の際、ラマダンは9月1日から9月29日だったので重ならなくて済んだ。しかし、今年のロンドン五輪はラマダン期間にスッポリと入ってしまっている。ラマダン中は日の出から日没まで、一切の飲食が禁じられているため、スポーツ選手にとっては深刻な問題だ。

 当然、イスラム教国家は国際オリンピック委員会(IOC)に対して、「フェアではない」として、ラマダンと五輪の日程が重ならないように働きかけてきた。しかし、五輪の日程は以前から決まっていたため、変更はされなかった今回の五輪で、イスラム教の選手は約3000人に上るとみられている。日没から日の出までの夜間は“食いだめ”ができるとはいっても、真夏の暑いさなか、日中に一切飲まず食わずというのはかなりのハンディだ。

 とはいえ、もともとラマダンには柔軟性がある。妊産婦や病人、乳幼児など、事情がある場合は断食が免除されるほか、旅行者も除外の対象となる。この“旅行者”を拡大解釈して、ラマダン中に旅行に出かけ、“断食逃れ”をすることも実際には可能なのだ。

ロンドンに派遣される選手も、“旅行”であることに違いはない。アラブ首長国連邦(UAE)のサッカー代表も「五輪期間中の断食は免除される」としている。ただし、これはあくまでも信仰心の問題。同代表のマハディ・アリ・コーチは「われわれが選手に断食を強制することはないが、彼らは何をすべきかを知っているはずだ。責任は彼らにあり、正しい決断を下すだろう」と話す。つまり、断食をするもしないも選手の自主判断。アラーに忠実なイスラム教信者は、五輪期間中でもあえて断食を敢行する可能性があるわけだ。

 実際、昨年8月のサッカーU-22日本代表対エジプト代表の親善試合では、日本が2-1で逆転勝ちしたのだが、エジプトのハニ・ラムジ監督は敗因として、ラマダンによる断食の影響を挙げている。ラムジ監督いわく「メンバー中の8人が断食していて前夜の午前2時以降、何も飲んでいないし、何も食べていなかった」というのだ。

 いわば満タンの車とガソリンが半分しか入っていない車が競争するようなもので、特に持久力が要求される競技への影響が大きい。医療関係者は「ラマダン中の食物摂取の減少は、肝臓や筋肉中に貯蔵されているグリコーゲンを使い果たす恐れがあり、パフォーマンスの低下につながる可能性がある」と指摘する。実際に、ラマダン期間中のサッカー選手の運動能力が著しく低下するという研究データもある。

 もちろん、IOCもこの辺の事情を全く考慮しなかったわけではなく、2009年に会議を開いてこの問題が検討されている。その結果、いくつかの競技には影響があるとしながらも、全体的な影響は少ないとして、日程の変更は見送られた。

 一方で、イスラム教を信じる選手の中には「ラマダンはとても神聖な期間であり、たとえ断食中でも、むしろ集中力が増してパフォーマンスが向上する」として、精神的な側面からプラスにとらえている人もいるという。もちろん、戒律を厳格に守りながらメダルを獲得するようなら、イスラム世界から大喝采を浴びることは間違いない。しかし、実際のところ、断食とメダルの両立は難しいだろう。中にはラマダン期間を自主的に五輪後に“延期”する選手もいるほどだ。

 いずれにせよ、信仰を取るかメダルを取るか…。イスラム教を信じる選手はこの夏、“究極の選択”を迫られることになりそうだ。(五輪取材班)



オリンピックの開催については、守らねばならぬ言わば‘憲法’に当たる‘オリンピック憲章’がある。

http://www.joc.or.jp/olympism/charter/

オリンピック憲章は、国際オリンピック委員会(IOC)によって採択されたオリンピズムの根本原則、規則、付属細則を成文化したものです。憲章はオリンピック・ムーブメントの組織、活動、運用の基準であり、かつオリンピック競技大会の開催の条件を定めるものです。

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表紙を含めて、堂々の94ページにも及ぶ‘憲法’である。

この‘オリンピック憲章’に、次のような記載がある。

olympiccharter20110009-2.jpgolympiccharter20110010-2.jpg

6. 人種、宗教、政治、性別、その他の理由に基づく国や個人に対する差別はいかなる形であれオリンピック・ムーブメントに属する事とは相容れない。


と‘明記’してあるのである。

関係者は、このオリンピック憲章を知っているのであろうか?

上記の通り日本語版で‘94ページ’にも及ぶ‘大作’である。
これを1ページも飛ばさず真剣に読んだ人は世界中に何人いるだろうか?

多分、執筆も何人かに依頼されたに違いないし、全部を通して読んだのは、‘編集グループのスタッフ’の数人だけだろう。

お偉方は読むはずがない! お偉方はどの組織でも‘事務局’の、いわば‘傀儡’である。日本政府が霞が関・官僚の傀儡であると同様に!

オリンピックは、まだ半分も日程を消化していない。ラマダンを続ける人達の考えはなかなか理解し難い事も含んでいる。‘自爆テロ’を誰もが良しとしているとは思えないが、そんなことがこの‘平和に貢献する’であろうとほとんどの人達が思っているこのオリンピックの会場で起こってしまえば、一体誰がどんな責任をとるというのであろうか?

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http://www.joc.or.jp/games/olympic/london/map/28.html

オリンピックの開催国にとっては、開催期間について、それぞれ事情があるに違いないが、今季の開催期間についはいささか疑問に思われる所が多過ぎる。

上記引用の通り、北京オリンピックでは、重ならなかった。これは、その認識があったからなのだろうか?それとも‘偶然’?

多分、‘偶然’の方だろう。何でも有り、の今の中国政権に‘そんな配慮’があるはずがない。

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http://www.joc.or.jp/games/olympic/london/map/28.html

オリンピックの会場が‘血で染まる’と言うことがないように祈るばかりである。

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http://www.joc.or.jp/games/olympic/london/map/28.html

(つづく)






























[2012/08/04 10:25] | スポーツ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
‘オリンピックの開催が4年に一度、は果たして公平か?(その2)
‘オリンピックの開催が4年に一度、は果たして公平か?(その2)

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今朝(2012年8月3日)の朝日新聞・天声人語には、次のような記事が掲載されている。

天声人語 8月3日0002

「・・・オリンピックは‘閏年’にめぐり・・・云々」という表現はあっても、「・・・、毎年開催されるべきだ!云々」をにおわせる表現は無い。

したがって、この筆者の表現は、‘オリンピックは、当然4年に一回開かれれば良いのであって、それが閏年に当たるから、話をしてみると、その人の年代が判って面白い??’とも取れる‘文学的表現である。

オリンピックに関する‘危機感’や‘平和を願う社会的価値’や‘経済的効果と世界の安定’という観点から考えてみたというような客観的意見ではない。

もう少しきつく言えば、‘天声人語’ではなく‘人声人語’であって、立場が損なわれている。

「大人と子供の差は何か?」という問いがある。

子供は経験が少ないし、行動範囲が狭いから、自分が今まで見聞きした範囲内においてしか、物事の価値を考えることが出来ない。

したがって、「・・・。それは子供の意見でしょう!」と片づけられてしまって、発言の内容に価値が与えられない。

大人は、そうはいかない!

一人前の大人として認められるには、経験の深さとそれを踏まえた‘客観的’なものの見方が要求される。

いわば、大人には、常に‘自分を遠くから眺めることが出来、その自分を眺めながら意見を述べることが出来る’事が要求される。

‘激昂する’人も‘無責任発言’をする人も、そういった意味では、大人になりきっていない人だと言える。

上記の‘天声人語’を書かれた人が、大人ではないと言っているのではない。これは著者のほんのほんの一部の作品だから、これだけを以って著者の評価するなんておこがましい。

でも、この‘天声人語’(人声人語?)での表現で大いに気に入ったものがある。

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http://www.gorin.jp/news/photo/20120802_01026.html
「お色直しの‘金’」を掲げる内村航平選手

内村航平選手に関して、北京の銀からロンドンの金へについて、‘見事な「お色直し」’と表現されている事である。

今まで、いろいろな人がこの類の表現をしてきたが、「これより一番輝く・・」だとか「これよりもっと高貴な・・」とかの表現に止まっていたが、今回の「お色直し」に勝る表現は無い!

この表現に「金メダル」を差し上げたい!



でも「金メダル」は、‘純金無垢’ではない!

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E3%83%A1%E3%83%80%E3%83%AB

金メダル

金メダル(きんメダル)は、スポーツや音楽などの競技会・競演会(コンクール)において、各部門中、最も優秀な成績をあげた個人または団体に対し、その栄誉を称え授与される賞牌である。
概要 [編集]

本来は金製で、円盤形をしており、表面には勝利を象徴する月桂樹などの模様が施されているメダルをこう呼ぶ。また、本体上部には、首に掛けてぶら下げるための幅広の紐やリボンがつけられている。また、比喩的表現として「勝利」「優勝」などの意味としても使われる。
多くの金メダルは金メッキであるが、ノーベル賞やアメリカの議会名誉黄金勲章(Congressional Gold Medal)のメダルは純金である。
近代オリンピックにおける金メダルは、“純度92.5%以上の銀製メダルの表面に6g以上の金メッキしたもの”とオリンピック憲章(規則70 付属細則2-2)に定められている(銀製金メッキ)。これは、開催国によって経済的な不利が無いようにとの配慮である。メダルには競技の名前を入れる事になっており、授与される者の名前は入っていない。意匠は大会によって異なる。たとえば長野オリンピックでは一部に漆塗りが用いられたほか、トリノオリンピックでは形状がドーナツ型であった。ただし夏季オリンピックのおもて面については統一されている(2004年アテネより2代目)。


オリンピックの金メダルは、上記引用文にある通り、銀メダルの上に、‘たった6gの金’がメッキしてある だけである。

これぞ、正に「お色直し」。天声人語さん、言い得て妙!

因みに、メッキされた金のお値段は?

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http://gold.tanaka.co.jp/commodity/souba/d-gold.php
d-gold_graph_02.gif

縦軸の単位は、(円/グラム)である。横軸は、今年の(月/日)。

このグラフから、4,300円/グラム とした場合、

   (4,300円/グラム)×6グラム = 25,800円

と計算が示す通り、金メダルと銀メダルの‘地金’の価値は、3万円にも満たない。



さて、さて、今回のオリンピックでもいろいろなもめごとがある。

我々は、小学校の時にこう教わった。

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http://www.bm-poitiers.fr/medias/medias.aspx?INSTANCE=EXPLOITATION&PORTAL_ID=portal_model_instance__page_culture3.xml
クーベルタン(Coubertin)男爵<‘クーバーチン’とは、俺のことかとクーベルタン言い(字余り)>

「オリンピックは、勝つことより参加することに意義がある」:クーベルタン男爵

私は、小学校の時から、この言葉に或る疑問を抱いていた。

その‘或る疑問’とは、「国内で勝たないとオリンピックに参加出来ないのに、何故?」というつまらぬ疑問である。

当時は、今のように‘情報’が直ぐに取れるという時代でもないし、そんなことを言っても馬鹿にされるだけだと思っていた。

さて、このことについてWEBで検索すると、そんなことよりも面白い‘ブログ’に遭遇することが出来た。

愛・蔵太の気になるメモ(homines id quod volunt credunt)
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20100531/olympic

いちいち解説するより、また引用文アドレスを紹介しても見ない人がきっといるだろうから、全文紹介を・・・。

http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20100531/olympic

2010-05-31
■[ネタ]オリンピック「勝つことより参加することに意義がある」の起源と謎について

 オリンピック精神(の一つ)として伝えられているこの言葉ですが、起源はクーベルタン男爵でない、というのが定説。

→オリンピックは参加することに意義がある:オリンピックの精神:心理学総合案内こころの散歩道

第4回ロンドンオリンピック(1908)の陸上競技では、アメリカとイギリスとの対立が絶え間なく起こり、両国民の感情のもつれは収拾できないほどに悪化していました。
 
 その時に行われた教会のミサで、
「このオリンピックで重要なことは、勝利することより、むしろ参加することであろう」というメッセージが語られました。
 
このメッセージを、当時のIOC会長のクーベルタンがとりあげ、次のように述べました。
 
「勝つことではなく、参加することに意義があるとは、至言である。人生において重要なことは、成功することではなく、努力することである。根本的なことは、征服したかどうかにあるのではなく、よく戦ったかどうかにある。」
 「近代オリンピック100年の歩み」(ベースボールマガジン社)より
 要するに、教会のミサでのセリフをうまくクーベルタン氏が引用して膨らませた、という話。

→ロンドンオリンピック (1908年) - Wikipedia

本大会では、ホスト国で世界に君臨していたイギリスと急速に国力を伸ばしていたアメリカがお互いをライバル視し、険悪な関係になった。特に陸上400m決勝ではアメリカ選手のファウルの判定に対し、それを不服としたアメリカが他の決勝進出選手も出場をボイコット、イギリスのウィンダム・ハルスウェル一人で走るという前代未聞のレースとなった。こうした状況を危惧したペンシルベニア大司教(アメリカ選手団に随行していた)のエチュルバート・タルボットは、「オリンピックにおいて重要なのは勝利することよりむしろ参加したことであろう」と説教で語り、これを知ったクーベルタンはオリンピック精神の表現としてこの言葉を引用するようになった。
 誰が言ったかは分かりました。

→参加するべきか否か? | 透明人間たちの気まぐれ日記

 第4回ロンドン大会(1908年4月27日~10月31日)でのことです。
 実は、この大会は、いろいろな意味で近代オリンピックの基礎がつくられた大会でした。
 それまでは、個人やチームごとに申し込めば参加することが可能だったものが、各国のオリンピック委員会(NOC )を通じての参加となった最初の大会だったのです。
 それだけ、参加基準のハードルが上がったというだけではなく、正式に国を代表する選手であるという特別の意味合いも生まれました。
 つまり、国どうしの争いが激化する キッカケ となった大会でもあるのです。
 そこで、ある有名な事件が起きたのでした。
 当時、陸上競技の種目だった綱引きでのトラブルです。
 シューズ履きのアメリカチームに対し、警察官で編成したイギリスチームがスパイクを履いて圧勝するという大騒動が勃発したのです。
 米・英、両国はルールや判定をめぐって、もつれにもつれ、国民感情むき出しのケンカ状態を続けていました。
 そんな最中にセントポール寺院に各国選手団を招待して行なわれた日曜日のミサで、ペンシルベニアから来ていたエチュルバート・タルボット司教が、「この五輪で重要なことは、勝利することより、むしろ、参加することにある」と説教したのです。
 ↑こちらの記述では、司教の演説のきっかけは「陸上400m」ではなく「綱引き」ということになっています。

→Ethelbert Talbot - Wikipedia, the free encyclopedia

He was invited to preach at St Paul's Cathedral on July 19, a service to which athletes and officials of the games were specially invited. In his sermon, he said,
“We have just been contemplating the great Olympic Games. What does it mean? It means that young men of robust physical life have come from all parts of the world. It does mean, I think, as someone has said, that this era of internationalism as seen in the Stadium has an element of danger. Of course, it is very true, as he says, that each athlete strives not only for the sake of sport, but for the sake of his country. Thus a new rivalry is invented. If England be beaten on the river, or America outdistanced on the racing path, or that American has lost the strength which she once possessed. Well, what of it? The only safety after all lies in the lesson of the real Olympia - that the Games themselves are better than the race and the prize. St. Paul tells us how insignificant is the prize, Our prize is not corruptible, but incorruptible, and though only one may wear the laurel wreath, all may share the equal joy of the contest. All encouragement, therefore, be given to the exhilarating - I might also say soul-saving - interest that comes in active and fair and clean athletic sports.” (emphasis added)
Pierre Coubertin, the father of the modern Olympic movement, paraphrased Talbot in a speech the following Friday, "The importance of these Olympiads is not so much to win as to take part." The sentence has been paraphrased and modified over time, but remains an important part of the Olympic ideals.
 ということで、演説があったのは1912年7月19日、クーベルタン氏の発言があったのはその週の金曜日、ということのようです。

 ところがなんと。

「ウィンダム・ハルスウェル」が一人で走ったのは7月25日。

 アメリカ人を含んだ4人の決勝が「7月23日」に行われています。

 要するに、いずれにしてもエチュルバート・タルボット司教が「勝利することより、むしろ、参加することにある」と言ったのは、オリンピックの400メートル徒競走に関して、ではなさそうです。

→ウィンダム・ハルスウェル - Wikipedia

翌年の1908年、ハルスウェルは地元ロンドンでのオリンピックの400mに出場する。7月21日に行われた準決勝を48.4秒のオリンピック新記録で決勝に勝ち上がった。2日後の7月23日に決勝は、彼と3人はアメリカ人による4人で行われることとなった。
さて、決勝のレースは、ウィリアム・ロビンスが先頭、2位にジョン・カーペンター、3番目にハルスウェルという順番で最後のホームストレートに入ってきた。ここで、カーペンターとハルスウェルがロビンスを抜きにかかると、ここで審判から反則の声が上がった。レースは、カーペンターが1位、ロビンスが2位、ハルスウェルが3位でフィニッシュした。しかし、カーペンターがハルスウェルの走路を侵害したとのことでレースは無効の判定が下された。写真判定では、確かにカーペンターはハルスウェルの走路をブロックしていた。しかし、このようなブロックはアメリカのルールでは認められているものであった。しかし、この大会は、イギリスのルールを適用し運営されていたため、カーペンターは失格。カーペンターを除いた3人により、2日後の7月25日に再レースを行うこととなった。しかし、残り2人のアメリカ選手は再レースを拒否。再レースはハルスウェル1人によって行われ、歩いても優勝という中、50.0秒で金メダルを獲得。銀メダル、銅メダルは該当なしという珍事となった。
 ここで重要なのは、エチュルバート・タルボット司教が誰に対して叱ったのか、ということです。

 時系列的に考えて、「陸上400mの決勝をボイコットしたアメリカ人選手」ということはあり得ません。「綱引き」の行われた日時が不明なので断定できないのですが、綱引きに卑劣な手段で勝った「イギリス人選手」に対する非難であるんじゃないかと思います。

 それに対して、クーベルタン氏の発言は、「陸上400m決勝」の行われた日の夜? それだとすると、英米の両選手を叱っていることになります。

 要するに「勝利することより、むしろ、参加することにある」の裏にも、ある種政治的な意味合いが、発言の日によって読み取れそうな気がする、ということですな。

 

(2010年6月2日追記)

 トラックバック先に、もっと細かなことが書いてあります。1908年ロンドン・オリンピックの「綱引き」をやった日、普通に英語版ウィキペディアに書いてありました。

→1908年ロンドンオリンピックの話 - 蟹亭奇譚

・7月17日(金)・18日(土) - 綱引き試合開催
・7月19日(日) - タルボット司教、St Paul's Cathedral の礼拝説教で 「この五輪で重要なことは、勝利することより、むしろ、・参加することにある」 と語る
・7月23日(木) - 陸上400m 決勝。アメリカ選手カーペンター失格になる
・7月24日(金) - クーベルタン氏、タルボット司教の言葉を引用する
・7月25日(土) - 陸上400m決勝再試合。アメリカ選手2名がボイコットしたため、イギリス選手ウィンダム・ハルスウェルが一人で走る



オリンピックには、もっともっと面白い‘秘話’がきっと沢山あるに違いない!


(つづく)























[2012/08/03 14:42] | スポーツ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
‘オリンピックの開催が4年に一度’は果たして公平か?(その1)
昨日の弊ブログ:「卓球・福原 愛 選手の成長」では、以下の通り、‘⑥ 選手個人の成長度’について、私見を書かせて貰ったが、本日は、「⑦ オリンピックの開催が4年に一度、は果たして公平か?」について・・・・。

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http://digital.asahi.com/article_search/s_list3.html?keyword=
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① イギリス経済の落ち込み

② 開催日程の決定に関する配慮・イスラム‘ラマダン’

③ チケットの販売方法

④ 審判員の採点の価値

⑤ 1/100 秒の意味

⑥ 選手個人の成長度 (私見記述済み)

⑦ オリンピックの開催が、4年に一度、は果たして公平か?

⑧ 豪華・長時間の入場行進と選手の疲れ

改めて、今回のテーマ:

⑦ オリンピックの開催が4年に一度は果たして公平か?

何故‘不公平’か?

オリンピックを目指すアスリート達にとっては、競技種目にも当然依るが、その人の‘旬’の時に参加出来ないという‘恨み’がある場合が多い。

だって、4年間も自分の‘旬’を持続させることなど難しい場合が多いに決まっている。

また、男子サッカーの場合など年齢制限があれば尚更である。

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そこで提案であるが、もう一歩踏み込んで、

‘オリンピックを毎年開催してはどうか?’

これなら、‘旬’の問題は、そう‘問題にされずに済む’。

<長所>

(1)アスリートの‘旬’の時に参加出来る可能性が極めて高くなり、アスリートの数が増え、社会の健全化に貢献出来る。

(2)開催希望国がこれだけ多いのだから4倍もその満足度が増す。

(3)開催国の経済発展が4倍の‘速さ’で世界に広がる。

(4)アスリート同士の交流で、戦争撲滅・世界平和に繋がる確率が大幅に高まる。

(5)観客の方も4倍に増える訳で、世界中の各国同士の交流が増え、延いては世界平和に繋がる。

(6)人事交流が活性化し、輸出入貿易が活性化される。

(7)少々の小金持ちが‘旅費・その他雑費’を使うことで‘タンス預金’を叩いてくれるので経済が廻る。

等々いいこと尽くめである。

<短所>

(1)各国の‘選手派遣費用’が嵩む。 → しかし、これはその費用が一般の収入になる訳だから‘経済の活性化’に繋がる。だから、この項目は<短所>と言うより<長所>に入れるべきかも??

(2)その他には、短所は見つからない!

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http://matome.naver.jp/odai/2130554793612177701
ナデシコ・ジャパンのメンバー

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http://matome.naver.jp/odai/2130554793612177701
錦織圭選手

そうすりゃあ、ナデシコだって、錦織圭だって、オリンピックに挑戦する彼等を毎年楽しめるという訳だ!

そして、オリンピック毎年開催のお陰で、世界の経済が廻り出す!

オリンピック発祥の地、そして‘経済が危ない国’ギリシャが言い出すべきかもしれない!






























[2012/08/02 12:00] | スポーツ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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