昨日(2012年9月29日)、今日の中秋の名月は、台風17号の日本上陸が予報されていたことから、念願の‘水平線からの満月の頭出し’を拝む訳にはいくまいということで、千葉県・茂原市付近の外房海岸へ出かけては見たが、雲が厚く海岸線からの月の出観測は見事に失敗した。
このことは昨日の弊ブログに認めておいた。 そんな訳で、2012年9月30日の‘中秋の名月’を中心に画像でおっかけてみた。 昨日の夜、ほんの一時だけ‘一日前の中秋の名月’が我が家の玄関先(外房海岸線から直線距離で約6km)に顔を出した。 ![]() 9月29日20:55 一日前の中秋の名月が「遅ればせながら、やっと・・・」という顔つきをしている。 ![]() 9月30日03:04 9月30日になって、17号台風はまだ関東地方には影響していない為に、雲一つない程の‘晴天’である。 でも、この月は、9月30日にはなったものの、やはり中秋の名月とは言わないのかもしれない。その日の‘月の出’以降の月を‘本当の’中秋の名月と言うのだろう。でも素人にはその区別はつかないが・・・。 ![]() 9月30日03:05 兎に角明るい。この写真は当然‘フラッシュ’を使っていない。人間の眼の瞳孔は、カメラ以上に明かりを取り入れることが出来る場合もあると見えて、肉眼で見た場合、この写真よりも‘明るく’感じられた。03:05だから、周りはみんな寝静まっている。いわゆる‘丑三つ時’を少し超えた時間帯である。 これだけ明るければ、新聞だって、見出しの活字くらいは楽に見える。 ![]() 9月30日06:35 さて、夜が明けて、朝方の6時半を過ぎれば、この季節はもうこんなに明るくなっている。 昨日の丑三つ時超えに撮影した場所とほぼ同じアングルである。勿論、お月さまは西の空から消えてしまっているが・・・。 ![]() 06:36 このアングルの方向を眺めていたら、急に鳥の集団が現れた! でも烏(カラス)とは違うようだ。 ![]() 06:37 鳥の集団が、此方へ近づいてきた!一羽だけ、何故か‘白い’のが混じっている。 ![]() 06:37 ここで、‘旋回’し始めた。 ![]() 06:37 同じ写真をPCで拡大して見た。明らかにカラスとは違う。こんな時、専門家ならこれは‘これ’と判断出来るのだろうが、こちとらは、自慢じゃぁ無いが、鳥は‘カラス’、‘ハト’、‘サギ’、‘ツル’、‘ツバメ’か‘スズメ’ぐらいしか区別がつかない。‘タカ’と‘ワシ’の区別も知らない。 ![]() 06:37 でもこんな‘編隊’を組むのだから、きっと‘渡り鳥’に違いない。 ![]() http://yamataka.blog.ocn.ne.jp/abasoto/cat6092788/ この写真は、他人様のものだが、‘マガン’と書かれている。丁度中秋の名月のあたりに移動するのだろうか? ![]() http://www5.famille.ne.jp/~kabukuri/06wildlifes2007.html
マガンとは、こういう鳥らしいから、私の撮った06:37の写真とはどうやら違うものらしい。この先‘ガマン’して‘マガン’の調査でもしてみますか? ![]() 06:47 やっと地上にも朝日が入り始めた。こんな穏やかな日に台風が来るなんて・・・。 ![]() お昼からは、外に出してある花鉢の移動。玄関も臨時花壇になってしまった。 ![]() 靴脱ぎだって・・・。 ![]() 22:35 台風の真っ最中に、これこそ本物の‘中秋の名月’が姿を現した! ![]() 22:36 真っ黒い雲が、猛烈なスピードで南から真北へ流れて行く、その合間の一瞬! 九州に住んでいたころに、やはり台風には何度も出くわしたことがある。台風の‘眼’の中に入ったこと何度かはあった。台風の眼の中では‘風は吹かない’。最初は、千葉県・茂原市の真上を17号が通過して‘眼’に入ったのかとも思ったが、風は滅法強い。風速30m/秒位の感じである。従って、眼ではない! ![]() 22:42 雨は止んでしまったが、猛烈な風である。竹が大いに‘しなって’いる! ![]() 22:52 また、中秋の名月が顔を出した。 ![]() 22:52 直ぐに雲が隠してしまう。これで今年の中秋の名月は‘見納め’と言う事になってしまった! 願わくは、明日の‘十六夜の月’の‘水平線頭出し’を拝みたい! (つづく) ![]() ![]() ![]() スポンサーサイト
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台風17号と18号が同時に日本列島に近付きつつある。
18号はどうやら逸れるらしいが、問題は17号である。 ![]() http://typhoon.yahoo.co.jp/weather/jp/typhoon/1217.html これじゃあ、9月30日の‘中秋の名月’を関東地方では、見れないに違いない。 9月30日の‘月の出’は、茂原市や白子町の海岸線では、次の時間帯になっている。 (以下の図面及び月の出等の時刻表の出典:http://www.hucc.hokudai.ac.jp/~x10508/cgi/Srss2.php ![]() 千葉県・茂原市&白子町での9月30日の‘月の出’時刻は、下表の通り、17:10(±2)であるが、台風17号の予想進路とガチンコしてしまう。 ![]() そこで、一日前の今日(29日)と一日後の10月1日の月の出時刻を調べてみた。 ![]() ![]() 上表の通り、千葉県・茂原市~白子町近辺の太平洋海岸での‘月の出’時刻は、 9月29日: 16:38(±2) 9月30日: 17:10(±2) 10月1日: 17:42(±2) となっている。この表からすると、月の出時刻は、‘一日に約32分’ずつ遅れる、と言う事のようだ。勿論緯度が違う所ではそれなりに違うはずであるが、ここ千葉県・茂原市近辺では、そうなるらしい。 因みに、‘日の出’の方は‘一日に約1分’ずつ遅れることが読み取れる。と言う事は、夏至と冬至では、日の出の時刻が約180日分、つまり3時間違うという訳である。夏至で4:30だとすると、冬至では7:30頃と言う事になる。 そんな訳で、今日(2012年9月20日)、月の出の時刻16:38に合わせて外房海岸へ出かけてみた。 果たして、念願の‘水平線からの月の頭出し’が拝めるのか? ![]() 16:37 ±2分はあるものの、1分前であるが、残念ながら水平線の頭出し方向・位置(これは上図で確かめてある)は、かなり厚い雲で覆われていて、月は見えない。ましてや、今日の‘日の入り’は、17:23(±2)だからまだ明る過ぎる。 ![]() 16:38 西側にカメラを向けると、まだ沈んでいない‘太陽’がいる。 ![]() 16:39 我々の影が、なが~く伸びている、ということはもう太陽様はお隠れになる寸前(と言ってもまだ40分近くあるが)であることが判る。それにしてもなかなか東側の水平線は晴れてくれない。 ![]() 16:42 犬連れで海岸を散歩しておられる二人組が目の前を横切られているが、その向うの水平線は、却って雲の厚さが増したようにさえ感じられる。今日も無理かも?! ![]() 16:44 南の方面であるが、だ~あれもいない。やはりこちらも雲が厚い。 ![]() 16:44 反対に此方は北の方面。此方も人っ子一人いない。やはり、‘トア・エ・モア’状態。 ![]() 16:44 此方は、真東。この画面の左手のところから‘月の頭出し’が実現する。もう実現しているのだろうが、雲が邪魔をして見えないだけ! ![]() 16:46 西側を見ると、いつもは綺麗な夕焼けのはずだが、今日は夕焼けも綺麗にはならない! ![]() 16:48 10分が経過した。もう月は満丸になっている頃かもしれないが、その気配も感じられない。 ![]() 16:49 また犬の散歩。もうこれじゃぁ、多分月の顔さえ拝めないに違いない! 明日は、台風17号。残念ながら、今回も諦めることにした。 ![]() 16:52 カーナビまでが、さびしそうな顔をしている。 ![]() 16:54 帰途についた道路での最初の白子町の交差点。何故かいつもここでは赤信号に引っ掛かる。 ![]() 16:54 この辺は白子町の‘繁華街’。こんなホテルが10数軒あって、東京から大学生・高校生・中学生達が夏休みにはテニス合宿で大賑わいするらしい。今日は土曜日なので、ちらほらと学生達も歩いている。屋内コートだって何面か準備されているという。 ![]() 16:56 もうそろそろ暗くなり始めているのに、まだまだ頑張っているようだ。 そんな訳で、今回の中秋の名月前日の‘月の水平線頭出し’を拝むことは出来なかった。明日の本チャンは勿論台風で拝めない。残るは10月1日の‘十六夜’に賭けるのみ。台風一過で望みはある! ![]() 20:53 21時近くになって、やっと自宅の玄関先に、一日前の‘中秋の名月’様がお出まし遊ばした。 湿度が高いと見えて、ぼんやりと霞んでいる。画面の下部に黒~く見えるのは‘杉の木’。 ![]() 20:53 望遠で撮ってみたが、一日前とはいえ、ほぼ満月に近い! ![]() 20:54 露出時間の調整次第で、こんな風にも撮れる。 さあ、十六夜の月に期待して!台風17号様、どうか外房の雲を一緒に連れて行って・・・。 (つづく) ![]() ![]() ![]() |
俳句は、最短の文学と言われる。そして、それに続く最短次席は、和歌である。17文字と31文字、その差はたったの14文字であるが、いずれにも‘優れた特徴’がある。
俳句は、その短さ故に、色々な工夫がなされた。 ‘季語’という発明である。季語を使うと、例えば‘今は秋ですよ’と言わないで‘秋の状況’を想像することが出来る‘仕組み’になっている。 ‘名月’というだけで、‘秋’の満月を俳句を知る人は‘間違いなく’連想出来る仕組みなのである。 俳句も日本文化も知らない外国人には、この‘仕組み’=‘ルール’は理解出来ていないから、説明が要る。 因みに、‘Google’の翻訳機能を使ってみると、 ・名月(めいげつ)→ Bright moon <名月は、陰暦8月15夜の月を指す。中秋の名月のこと> ・満月(まんげつ)→ Full moon <満月も季語として使う場合は‘秋’> だから、‘秋’という感覚は表現されていない。もっとも、外国人は‘Bright moon’と聞くと‘秋の満月’を想い起こすのかどうかは知らないが・・・。 そして、俳句の‘最大の特徴’の一つは、‘嬉しい’だとか‘悲しい’だとかを‘その直接的表現’を使わずに別の文語で表現することである。 したがって、俳句のその境地を実感として味わったことのない御仁にとっては、「それが、どうした?」ということになって、「俳句のどこが面白いの?」という結果となってしまう。 ‘噛めば噛むほど味が出る’という。噛まないで‘味だけ’享受しようとしても、それは本来の‘奥深い味わい’には当然到達出来ない。 9月の後半になると、最大のメディアであるTVが、各局ともこぞって3時間番組をゴールデンタイムに放映する。何の奥行きもない痴呆タレントを大勢集めて・・・。 一寸眼には、面白い場面もあるが、15分で飽き飽きする。‘芸’や‘知識’に奥行きが無いから、○×式のクエッションには正解を出しても奥深い解説には程遠い。 その点、‘落語’という日本の古典芸能には深みがあり、奥行きがある。しかし、TV番組には採用されない。 これは由々しき事である。受け入れ側も供給側も‘受験’での成績で点数の良いことがいいことだという、全くつまらぬ価値観を持ってしまった20世紀最大の過ちである。 じわじわと‘ボディブロー’が利いて来て、表面・上っ面だけしか見えない、そして己のためだけの価値観しか持たない‘官僚’を作ってしまったから、日本の外交は上手く行かない。 日本が世界に誇る最大の文学‘源氏物語’における‘権謀術策’や反対に‘他人への思いやり’のこころ持つという気概を日本人がもう少し幼い時から訓練されていれば、こんな惨めな現状にはならなかったに違いない。 この傾向は、中国にも韓国にも、そして西洋にも見られて、‘文明の発達スピード’を良しとした根本思想が間違っていたことを証明するものであろう。 もう少し‘進化の速度’は遅い方がいい! 日本人は、今やその魂のあり方を根底から勉強し直してみよう!と言う訳で余りにも‘飛躍’した、そして、‘こじつけの論理展開’で、こんなことを・・・。 そんな訳で、‘和歌で詠まれた情景’を‘俳句’にしてみたら、どんな俳句になるのか? 反対に、文語数足らずの‘俳句’を14文字付けくわえて‘和歌’にしたら、どんな生まれ変わりをするのだろうかと考えた。 こうすることによって、‘俳句の良さ’&‘和歌の良さ’を十分理解出来ることになるのではないかと想像出来る。 それが、延いては世界民族の理解へ繋がる???のではないかと勝手に想像して・・・! (1)先ず最初の課題:和歌を俳句へ‘転換’したら・・・、の巻 「秋来ぬと・・・」(秋こぬと、とは読まないように!) ![]() http://brush.art.coocan.jp/snap11-15d.html 「秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞ驚かれぬる (藤原敏行) たれをかも知る人にせむ高砂の 松も昔の友ならなくに (藤原興風)」 此の前半の和歌が本日の主題。 この和歌には、次のような素晴しい‘解説’が付いている!
さ~て、この古今集の‘名和歌’をどうやって‘名俳句’に転換するか? 兎に角、‘14文字’を削らねばならない! ① 最後の‘14文字’を単純に‘カット’してしまえば・・・、 秋来ぬと目にはさやかにみえねども となった、俳句の‘5、7、5’にはなるが、‘それがどうした!?’である。 ② 上述の解説にあるように、‘視覚と聴覚’の対比で‘聴覚優位’を出さねばならない。しかも‘秋’という、そんな直接的‘季語’を使っていいのだろうか? でも取敢えず・・。 目に見えぬ風の音聞き秋を知る これじゃあ、小学生の‘作文’である。 ③ 少し勝手に情景を変化させてみる。 微睡(まどろ)みて風の音にぞ秋を知り まだまだ‘文学’に到達しない! ④ もっと「イマジネーション」を働かせて・・。 名月や風の音から教えられ これも駄作。解説なしには判らない!全く元和歌の雰囲気は無い! ⑤ それならと、いよいよ‘盗作’! 秋風や根岸の里の侘び住まい これじゃあ、何の意味もない! ⑥ いい加減に‘力作’を・・。 名月もきっと驚く風の音 名月も人も驚く風の音 目に見えぬ風の音こそ秋運び 風の音名月さえも驚かせ 名月と語り始めた風の音 秋来ぬと思わせぶりな風の音 ああ、これじゃあ、俳句の‘は’の字にも辿りつけない! ⑦ 最後に芭蕉の句の作り替えを 身にしみて大根からし秋の風 はせを 身にしみて音だけを聞く秋の風 Kissy (つづく) 次回は、芭蕉の「古池や・・・」を和歌に変身! ![]() ![]() ![]() |
100円ショップに行って驚くのは、① その商品の種類の多さ ② アイディアの豊富さ、そして③ 値段の安さ である。
昨日(2012年9月26日)TV/朝日で、何と‘100円ショップ’の最新情報 が放映された。 「最新ランキング」という。
ベスト10が示されているが、私が気に入ったのは、次の3点である。私の評価順位は、①,②,③で・・・。 ① 第5位:「ワンタッチ針」 評価:針の穴を形成している金属に‘切れ目’を入れるなんて! 天才の発想だ! 敬服! ![]() http://ameblo.jp/shibukazu999/image-10874267321-11191176678.html ![]() http://blog2.lively-now.com/?cid=14851 ![]() http://smastation.info/00%E5%86%86%E3%8 2%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%83%97%E3%82%A2%E3%8 2%A4%E3%83%87%E3%82%A2%E4%BE%BF%E5%88%A9%E3%8 2%B0%E3%83%83%E3%82%BA%E3%83%99%E3%82%B9%E3%8 3%8818-7-614.html 針の穴の頭のくぼみから、糸を押しつければ、‘見事に’糸は針の穴に入るという寸法だ! 老人・老人予備軍天国の日本に最適だ! ② 第3位:「立つしゃもじ」 評価:本当に‘しゃもじ’は、ご飯をよそった後での置き場所が無い! 立つだけでなく‘横置き’まで・・。素晴しい!の一言。 ![]() http://amizuki.exblog.jp/10957780/ ![]() http://amizuki.exblog.jp/10957780/ これには解説は要らない。 ③ 第6位:「コードタグ」 評価:これまた結構!本当に助かる。 コンセントには色々なコードが差し込んである。これを区別しようというもの。どの装置のコードかは、‘手繰らないと’判らないから、‘タグ’を付けとこう、という‘駄洒落’でもある! ![]() http://geocities.yahoo.co.jp/gl/kei100yen_choi ce3/view/20120508/1336410962 使い方は、この通り! ![]() http://item.rakuten.co.jp/hyakuemon/yamada-758/ ベスト10に選ばれた商品は、いずれも素晴しい! また、百円ショップに行く楽しみが増えた。 ところで、日本国中にある‘百円ショップ’の数は? その前に‘100円ショップの歴史’について。
100円ショップの‘店舗数に関しては、探し切れない。 御参考までに、‘ダイソー’さんの店舗数は、以下の通りである。
コンビニに比べれば、まだその数は少ないが、‘おもろい’商品は、圧倒的に多い。これから、またどんな‘珍商品’が登場するのだろうか? 楽しみである。 ![]() ![]() ![]() |
‘雨後のタケノコ’という言葉がある。物事が相次いで出て来ることを丁度‘タケノコ’が一雨ごとにニョキニョキと出て来ることに准えての表現である。
こういう時には、‘動き’の原因があり、それに連鎖反応まで手伝って、予告なしに表面に出て来る事まであり得る。 今の季節だから‘雨後のきのこ’と言っていいのかも知れない。 ‘きのこ’には、‘絶品’と言われる特上品から‘毒キノコ’まで、極めて範囲が広い。 そんな訳で、数日前誕生した、また本日(2012年9月26日)誕生した‘新’の付く人達を、更に今後誕生するに違いない‘新’の付く人達を‘きのこ’に例えるなら‘どんなきのこ’と呼べるだろうかと考えてみた。 (1) 民主党‘新’代表 : 野田佳彦氏 → ホコリタケ科の‘オ二フスベ’ ![]() http://photo.sankei.jp.msn.com/highlight/data/2012/01/11/10syusyo/ 民主党‘新’代表・野田佳彦首相 野田佳彦首相(55)が1回目の投票で計1231ポイントのうち3分の2に迫る818ポイントを獲得、他の3候補に大差をつけて再選された。
さて、‘オ二フスべ’を‘きのこ図鑑’で見てみると次のように解説してある。
我が家で採れた‘オ二フスべ’ ![]() 幼菌のようである。 ![]() 二つに割ってみると、中は‘真っ白’。幼菌の証拠である。 これが、熟してくると・・・・、 ![]() http://music.ap.teacup.com/masaki333/502.html 口裂けの部分から割ってみると、中にはもう別の組織が発達している。 ![]() http://music.ap.teacup.com/masaki333/502.html どうやらこれが‘胞子’となって、空中に飛散して、最終的にはバラバラになって消滅してしまうという。 以上の情報から、‘オ二フスべ’の特徴を整理し、野田佳彦首相と対比すると次のようになる。 ① 一夜にして‘発生’する。 → 偽マニフェストで国民を騙し、一夜にして政権を盗った民主党の一員。 ② 幼菌の時は‘真っ白’で、食すことが出来る。 → 国民には‘真っ白’に見えて、これは食えるかもと思わせた。 ③ 食感は、ハンペンのようで、決して美味くない! → 歯応えが無く、しゃきっとして、‘期限’を切れない!いつまで経っても‘検討中’。 ④ 時間が経って中を割ってみると別組織が出来ていて、その胞子は‘風に吹かれる’と、跡形もなく消滅する。 → 離党者続出と今年の暮れ(?)の総選挙での惨敗を予言している。 ⑤ ‘オ二フスべ’は、‘ホコリタケ科’→ ‘誇り’だけは‘高い’らしい。 そんな訳で、民主党・‘新’代表・野田佳彦首相は、‘きのこ’に例えるなら、‘オ二フスべ’であるという結論に達した。 (つづく) 次は、‘新’自民党総裁。 ![]() ![]() ![]() |
弊ブログでも‘火星移住計画’が、単なる‘お話’だけではなく、実際に計画を実行するために‘各種実験’が行なわれていることも紹介した。
その実験も火星の現在に状況を或る程度把握していなければ、的確な実験が出来ない。 従って、現在火星探査ロボットが送り込まれている。 その探査ロボットについては、次のような記事がある。
現状は、次の3つに焦点が絞られている。 ① 超小型高性能分析装置を積んだ‘走行ロボット’が、‘粘土鉱物’を採集すべく2カ月の旅に出発している。 その結果は、今年の10月には、情報が得られるのだろうと予測されている。 ② 粘土鉱物の採集と分析 :‘生物’の存在の是非を左右する‘粘土鉱物’の採取と最大の関心事、その‘分析’。分析技術は、‘ガスクロ技術’。 ② 新ロケットエンジンの開発 : 従来のロケットエンジンでは、早くても火星まで片道‘約8カ月’。この‘約8カ月’が乗組員には耐えられない。そこで、新エンジンン、‘プラズマ’を利用した技術で、10倍のスピードを確保しようとしている。 (つづく) ![]() ![]() ![]() |
2012年9月24日(月)朝、千葉県・茂原市・千沢の我が家の植え込みで、不思議な‘ボール’状の物体をカミサンが発見した。
![]() ![]() ![]() 何でもない普通の植え込みの中である。 ただ単に‘根っこ’もなければ、何の抵抗も感じなかったから、最初見た時には‘発泡スチロール’の‘玉’かと思った。風に吹かれて何処からか飛んできたのだろうと思った。 この市の異常気象には困ったものである。降雨量なしの猛暑が一ヶ月以上も続いたかと思えば、今度は一週間‘豪雨’も含めて長雨である。この一週間~10日間は、10分降れば一時間日照りを繰り返した。 そして、今度は10月の終わりころの気候となって、夜は長袖のパジャマに布団を着ないと寒い位の最低気温が20℃を切ってしまうという‘荒れ模様’である。 植え込みの中から取り出してきて見ると、どうやら‘きのこ’のようである。 ‘上面’、‘下面’及び‘横面’を撮影して見た。一見、巨大な‘かぶ’ ![]() 上面 直径は約=‘15cm’である。 ![]() 下面 ![]() 横面 全くの満丸ではないがために、それぞれ形状は異なるものの、それぞれに特徴的なものは見つからない。 ‘きのこ’だったら‘根っこ’が有ってもよさそう(?)だが、下面にはそれも見つからない。 ![]() 半分に割ってみた。中は一様に真っ白で、‘きのこ’の風体をしている。内部に複雑な‘組織’があるのかも?と予測していたが、全くなし。 ![]() 重さを測ってみた。 ![]() 入れ物を載せて、‘0g’に設定。 ![]() ![]() 大凡、‘300g’である。 直径は約‘15cm’であったから、‘全くの球形’だと仮定すると、体積(V)は、半径(r)と直径(h)とで次の公式で表される事は小学校か中学校で教わった。 V=(4/3)πr³=(1/6)πh³ ∴ V(cm³)=(1/6)×(3.14)×(15cm)³=(1/6)×(3.14)×3,375cm³ =1,766.25 cm³ 従って、比重ρ(重さ/体積)は、 ρ = 300g/1、766.25cm³ ≒ 0.1699(g/cm³) ≒ 0.17(g/cm³) と言う事になって、水の比重の 17% しかなく、おおよそ、水の(1/6)の比重しかないので、完全に水にに浮く。 測定結果のまとめ: ① 重さ:約300g ② 体積:約1,766 cm³ ③ 比重(密度):0.17(g/cm³) ④ 香り:きのこの香りがする。強烈な‘臭い’はしない。 さ~て、この‘きのこ’(?)の正体は? ということで、‘ web 'で調べてみた。 あった、あった!2010年の6月、北海道での出来事だそうだ。
● ホコリタケ科オ二フスべ です。 料理:表皮をむいて調理します。はんぺんのような口あたりなので汁物、炒め物などに。ただ、あまりお勧めはしません。
締め括りとしては、ちゃんとしたお堅い情報を!
さ~て、食べるかどうかは?? とうとう食べてみることとした! 初めての‘オ二フスべ料理である。 まず、オリーブオイルで炒めた後、塩コショウ(クレイジーソルト)での味付けのみ。見るからに美味しそう! ![]() ![]() 食べてみての感想: ① きのこには普通にある‘シャキシャキ感’がない。 ② ほのかに‘きのこの香り’のする‘はんぺん’というところ。勿論このオ二フスべ自身には味がないので、味付け調味料次第で、その評価は変わるだろうと思われる。 ③ 天ぷらにして、カレー味のお塩で食すれば、きっと合うに違いない! ④ ビールのつまみにピッタリ! 焼酎にも合うに違いない! そんな訳で、まだ半分は残してある。時間が経つと‘白色’→‘褐色’に変化するそうで、そうなったらもう食べられたものではないそうだから、近々に・・・・。 ![]() ![]() ![]() |
国民の祝日・秋分の日は、今年は昨日9月22日である。
例年秋分の日は「9月23日」という感覚がある。では何故今年は、22日かと言うとこれは誰でも気が付く。 オリンピックの年だから‘閏年’。従って2月が一日多いから、例年の23日と言う日は‘気象学’的に言えば、今年は‘暦上’の一日前になる。したがって、秋分日(しゅうぶんび)が22日であるから、‘秋分の日’は、22日。 ところが、どうやらこの計算だけでは済まない事情があるらしい。 ‘秋分の日’と‘秋分日’は意味が異なるが、今まで‘秋分の日’が‘秋分日’と違う日になったことは無いという。
実際に、4年前のオリンピック年、つまりその2008年という閏年の時の秋分の日は、9月22日ではなくて、9月23日なのである。 ![]() http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E5 %88%86%E3%81%AE%E6%97%A5 (将来の日付はあくまで計算に基づく予測であり、将来の天文学的観測により変わる事があり得る) ● 不安定要素は何か? 二十四節気を配置する方法には、古来次に述べる二つの方法があり、中国暦では清の時憲暦に至るまで、日本の暦では天保暦に至るまで、いずれも‘平気法’が用いられた。しかし、現在は、‘定気法’が用いられている事による。
因みに、2010年の24節気における‘定気法’と‘平気法’による違いを以下に示す。 ![]() http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E6%B0%97%E6%B3%95 少し判りにくい記述であるため、もう少し違った説明の仕方の記事を次に示す。
これらをじっくり読めばよ~く理解が出来る。 こんな風に簡単に‘秋分の日’とは言うけれど、その歴史は、天体観測と共になかなか複雑であり、そして面白い! ![]() ![]() ![]() |
我が家の境界線に‘小川’がある。
昨年あたりから、‘かわせみ’が姿を見せ始めた。本当のところは、もう何年も前から‘かわせみ’はこの川っ淵に住み着いていたのだろうが、当の私が昨年ごろから段々仕事に出る回数が減って、‘日中’と言っても日本と中国のことではなく‘ひなか’と言う意味だが、その日中にこの小川付近に‘私が出没する’回数が一段と増えたことによるのかもしれない。 ![]() http://wasyu.exblog.jp/13328894 この写真は他人様の引用である。 兎に角、2,3日に一度は‘かわせみ’様を拝むことが出来るのである。多い日には2度も3度も出くわすことがある。 いつもカメラを持ち歩いている訳でもないので、まだ私のカメラには収めることが出来ていないのが残念である。 携帯電話では、腰の携帯入れから出そうとする‘その物音’で、一瞬の内に逃げ去ってしまう! ![]() この小川に‘かわせみ’が出没するのである。 ![]() そして、‘かわせみ’様が‘お止まり’遊ばすのが、二つ上の写真の中央に何故か存在する‘鉄の棒’。これを大写ししたのが上の写真で、その先端には今は‘かわせみ’ならぬ‘赤とんぼ’が止まっている。 この一週間で7,8回は‘面会’している。 ![]() 一番上の写真は、何台かある私のPCの一台の待ち受け画面に‘採用’しているくらいの写真で、その‘美しさ’には目を見張っていて、ず~と見ていても見飽きない。 それなのに、‘かわせみ’については何にも知らない! 何故‘かわせみ’と言うのかさえ。 こんな時には、やはり‘ web ' が役に立つ。 いつもの‘ wikipedia ’には次のように解説してある。
色々な漢字の書き方があるようだ。‘川蝉’だけは誰でも読めるが、他は読めない! クイズ番組‘タイムショック’にこの漢字が出れば‘宮崎美子さん’辺りは読めるに違いないが・・・。 ![]() http://blog.goo.ne.jp/nori_pee/e/52529178dc4553254975aa390ecf2dbe 名前の由来については、
要約すれば、「川に棲む青い土」 が語源ということになる。 更に、書き方が沢山あるらしく、‘鴗’(立扁に鳥)とも書くらしいが、これは流石の‘宮崎美子さん’でも読めないのかもしれない!(でも、やはり彼女は読めるかも?) ‘鴗’と書くところを見ると、川で獲物を取った場合にも‘川を濁さない’のだろうか? ‘立つ鳥は跡を濁さず’というから・・・。 ![]() http://photozou.jp/photo/show/165247/7315839 ![]() http://photozou.jp/photo/show/165247/7326398 上記の写真もこれら二枚の写真も‘引用’であるが、実に素晴らしい! こんな写真は恐らく少なくとも‘一週間’は現地で粘らないと撮影出来るものではない!(感謝!) ‘形態’、‘分布’、‘生態’や‘保護’については次のように述べられている。
![]() http://photozou.jp/photo/show/165247/7326392 こんな凄~い光景には中々出会えない。 勿論、この小川で上の写真のような光景に出会えることは無いが、この小川には、何度も弊ブログで紹介した通り、カニさんが住んでおり、また巨大なオタマジャクシも存在したが、そのオタマジャクシも今は蛙になったようである。 ![]() ![]() そんな訳で、この小川には‘食べ物’は豊富である。 どうか、一日も早く、あの‘止まり木’ならぬ‘止まり鉄棒’に‘かわせみ’様がお止まり戴けますように・・・。 そして、一瞬のシャッターチャンスをお与え頂きますように・・。 ![]() ![]() ![]() ![]() |
いやはや大変なことになった!
![]() http://blogs.yahoo.co.jp/umayado17/61561668.html この弊ブログでは、何度も‘国技たる’と言う表現は使わなかったが、大相撲の不人気の大きな原因の一つは‘NHK’の無様な‘ダイジェスト放送時間帯'にある、と指摘してきた。 そして、大相撲は‘スポーツ’か? という話題があるとも書かせて貰った。 調べて行くうちに、他の分野でもそう言う認識は有ったのだが、大相撲を論じるには‘浅学非才’であると認識せざるを得ない状況となった。 先ず、 (1) 大相撲は、日本の‘国技’か? そもそも‘国技’とは何か? (2) ‘スポーツ’の定義は何か? 大相撲はスポーツか? これら二つについても‘きちんとした議論’が出来るだけの‘基礎知識’がないことをハッキリと‘自覚’させられたのである。 これらの基本的知識なくして、大相撲を論じてはいけないし、他人様の議論を‘引用’してもいけない! と気が付いた。 さて、それでは‘国技とは?’から・・・。 ① 国技とは? Wikipedia にはこう書かれている。 との記載がある。 このことから、 「日本は、国技を法令で定めていない」 と言う事を、少なくとも‘大相撲を論じる’前に‘認識’しておく必要がある。ここからは、‘大相撲は国技か?’について・・・。 ② 大相撲は‘国技’か? 何となく、今大騒ぎになっている‘領土問題’と観点が似ているようにも思える。 ‘事実上のもの’として‘我が国の領土だ!’と韓国が言っている‘竹島’問題と考え方が酷似している。 私は、‘国技館’と言うから‘大相撲は国技’だとばかり思っていた。大相撲が国技なら‘相撲は国技’だという方程式が成り立つ。 ここで注意が必要なのは、‘大相撲’と‘相撲’の違いである。‘スポーツ’を論じる時に大いなる注意がいる。 後述するが、「相撲はスポーツではない!」という見方の多くは多分「‘大相撲’がスポーツではない」との立場の様である。 wikipedia の国技の項にも、‘相撲’とあるだけで、‘大相撲’とは書いていない。‘相撲’=‘大相撲’と思いがちだが、場合場合によっては、必ずしも同じものではなく、‘区別’をした方が良い場合があることを認識して議論をしないと、議論が発散して収斂しないことになる恐れが生じる。 註):ここでいう‘大相撲’とは、「日本相撲協会によっておこなわれる‘相撲興行」のこと。 誤解無きように。 次のようなブログがあるが、これは‘相撲=大相撲’との認識で書かれたものである。区別していたら、意見が変わっていたかもしれない!
しかし、‘大相撲を国技である’と言う人達も沢山おられる。その根拠として挙げられる‘物的証拠’は、日本相撲協会の次の表現である。 ![]() http://www.sumo.or.jp/kyokai/goannai/0024/index.html この日本相撲協会と言う‘財団法人’を設立するための基本的事項を定めた‘寄付行為’に定められた‘第3条’の‘わが国固有の国技である相撲道を’の文語。これを以って‘大相撲は国技だ’という。 そして、次のような‘回答’もある。
ここは議論の分かれ目で、日本相撲協会も‘寄付行為第3条では、‘相撲は国技だ’とは言っているが‘大相撲’が国技だとは言っていないのである。‘国技である相撲道を研究し’と言っているだけに過ぎない。従ってこのコメントの‘大相撲に限らず’は省かれるべきなのであろう。これも‘相撲=大相撲’と誤解している。 これは誰もが知っている‘レスリングとプロレス’の違いの認識があったら、こんな誤解にはならないはずであるのに・・・。 また、‘大相撲’に関しては、‘吉田司家’の意見も重要である。こんな単行本も有る。
なかなか複雑になって来た! この本の中身は読んでいないから‘正確なところは判らないし、判断しようもない’が、単行本のタイトルにある‘国技相撲廃止の危機’と言う文語からすると、吉田司家では、‘当然’のことだが、「‘相撲も大相撲も’国技である」との認識のようである。 一方、「‘大相撲’は国技ではない 」と言う観点からの発言は、次のブログに‘その理由’が述べられている。
このコメントにも相撲に‘大’を付けて欲しかった! ③ ‘スポーツ’の定義は何か?
これじゃあ、何でもスポーツである。議論する気にもならない。 ただし、大相撲はスポーツか?という我々の‘大命題’を論ずる場合には、‘狭義の’(=‘競技の’(?))意味でのスポーツでよい。 ④ 大相撲はスポーツか?
ここまで明確に指摘されると、これまで私が思っていた‘大相撲の図式’ 相撲 → 大相撲 = 日本が誇れる国技 ≒ スポーツ という‘変な’方程式は、完全に成り立たなくなってしまった! 私が得た結論: <1>‘相撲’はスポーツであるが、‘大相撲’はスポーツではない! <2>‘相撲’は、国技であるが、‘大相撲’は国技ではない! <3> 従って、‘大相撲’は、スポーツでも国技でもない! <4> ただし、‘相撲’は、スポーツであり、国技である。 最後に、こんなブログがあることを紹介しておきたい。
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夏の時期に‘草刈り’をすると、温度と湿度が多いため、草は‘切られた場所’を‘頭’にして一挙に伸びて来る。
そのスピードは、通常の伸び方の数倍のような気がする。これは‘草刈り’経験者なら誰でも知っている。 メカニズムは多分違うと思われるが、‘稲’の場合も、一寸眼には‘同じ現象’が起こっているように思える。 昔は稲刈りは、10月の終わり以降だったように思う。 何故、稲刈りが早くなったかについての専門家の意見もあろうが、私は次のように考えている。勿論、‘品種改良’の効果もあり得るのだろうが・・・。 それは、‘田植え機’が普及した所為である。 では、何故‘田植え機’の所為なのか? 機械が田植えをする場合、機械的効率を上げるためには、苗の重さが軽い方がいい。機械の部品の部分で軽量化が図られるから、田植え機そのものも軽量化が図られ動力を喰う燃料費も安くなるし、機械そのものも低価格になる。 ‘苗の重さ’が軽いという事は、時期的に‘早く’田植えをするという事になり、従って‘稲刈り’が早くなるという寸法である。 さて、稲刈りが早くなると‘奇妙な’現象が起こる! それが、稲における‘ひこばえ(蘖/孫生え)’と言う現象である。 何となく、この‘ひこばえ(蘖/孫生え)’現象を、もっと上手く活用すれば、‘同じ稲の株’から、2回の収穫が出来はしないか? という訳である。 今年も我が家の近くの田圃では、早い所は8月の下旬に、遅くとも9月の上旬には稲刈りが終わっている。 9月19日の夕刻、8月の下旬に稲刈りが終わった田圃を見てみた。 予測通り、ひこばえ(蘖/孫生え)現象で、何だか田植えをして3ヶ月以上たった状態のようで、稲穂までちゃんとついていて、中身も、いわゆる‘乳状’ではなく、きちんとした‘実’になりそうな雰囲気である。 ![]() 2012年09月19日16:39 の田圃である。ここら一帯は、8月の下旬には稲刈りが終わっていた。 ![]() 角度を変えてみていると、ちゃんと田植えをして、3か月が経った頃の様子に似ている。 ![]() 更に近づいてみると、稲穂が付いていることが確認出来る。 ![]() 稲穂はまだ付いたばかりで、中身が軽いと見えて、垂れ下がるまでには至っていない。上手い具合にここ数日強い夕立が毎日やって来るので‘水田’となっている。 ![]() この付近では、中身が重くなり始めているようだ。 ![]() ここのところまだ例年と違って、日中は30℃を越す日が続いている。それも異常であるが、これなら案外‘立派な米’の収穫が期待出来そうである。 今後どんなに成長するかをカメラで追ってみたい。 ひこばえ(蘖/孫生え)については次のような解説がある。
今年の異常気象から考えると、どうやら‘余談’ではなさそうになってきたのでは? この解説は、初めから‘稲については’‘ひこばえ(蘖/孫生え)’で収穫をすることは無理という前提で話を進めておられるようだが、アフリカなどでの‘飢餓’を考えれば、もう少し‘真剣に’お米増産の技術を積極的に開発すべきでなないのだろうか? ひこばえ(蘖/孫生え)の方法なら、田植えは一回で済むし、2度目の収穫は極めて短期間に終えることが出来そうではないか!? 今後の世界全体での‘食糧危機’に備えて、是非是非この‘ひこばえ(蘖/孫生え)増産’の研究を前向きに進めて欲しい! (つづく) ![]() ![]() ![]() |
大相撲は‘スポーツ’か?という話題があるらしい。
この問題は後述するとして、何度もこの弊ブログでも取り上げさせてもらったが、‘大相撲の不人気’は一体何が原因なのだろうか? 正直な話、今場所が始まって3日経った時、やっと今月は奇数月だから‘大相撲の月’だと気が付いた。 前にも指摘しておいたが、NHKの無様な放送体制が‘大相撲不人気’の最大の原因の一つである。 何故か? 人気を盛り上げなければならない、と言うより大相撲の興奮を享受すべき大多数の日本人サラリーマンに、大相撲の勝負動画をNHKが‘わざと’見せないように見せないようにしているからである。 サラリーマンは、ほとんどの人が‘Live’で大相撲を見ることが出来ない。まだ、17:00には、仕事が終わらないからである。NHKの大相撲番組担当者だって、18:00まで誰一人退社する御仁はいないはずである。 そして、これこそ全く視聴者を‘なめて’いるのだが、その日の大相撲ダイジェスト放送が、翌日の、というか‘深夜の1:00過ぎ、遅ければ3:00ごろなど言うのも決して珍しくない! こんなこと一つ取ってみても何故NHKの関係者は理解出来ないのだろうか? 自分達は、しっかりとした映像さえ電波に乗せれば役目は終わりと思っているのだろうか? 今だって、国家予算を貰っている? 番組製作費用は、皆さん方の‘受信料’と言っているが本当なのだろうか?
というから、国民の税金を予算として使っている訳ではないようだ。 しかし、根本に係わることとして「NHKの使命は、公共の福祉のために、全国にあまねく放送を普及させ、豊かで良い番組による放送サービスを行うことにあります。」というから、‘国技たる大相撲の放映権を持っている’以上、もう少しダイジェスト放送をその日の内の少なくともサラリーマンの就寝前(23:00前)までに行なって欲しい。 深夜の放送を誰が見ると思っているのだろうか? それとも‘公共放送’と言っている以上、ダイジェスト版を放送しておかないと‘ケチ’をつけられた時に言い逃れが出来ないからという消極的なと言うより責任回避で深夜にでも、と言う事なのだろうか? まあ、そんな訳で、‘満員御礼’の垂れ幕が15日間で3日降りればいい方だ、みたいな状況を創り出している最大の‘仕掛け人’(?)は、やはりNHKなのであろう。 さて、それでも、こちとらは、普通のサラリーマンさんとは‘ちと’違って暇があるから第4日以降見ることにしている。 今場所は、一昨日(8日目)まで全勝が5人。昨日、稀勢の里と高安に土がついたから、昨日(9日目)まで全勝力士が、なんと3人。白鵬、日馬富士、旭天鵬。旭天鵬においては、前々場所優勝したが前場所はたったの一勝という‘変な’力士である。 昨日まで全勝の上記3人は、いずれも‘モンゴル’出身。相撲はもはや‘モンゴル人’に乗っ取られた感があることは誰もが感じているに違いない。 ところが、ここが日本人の何とも‘奥ゆかしい’ところ。誰もそんなに悔しがらないのだ!そりゃあ、聞かれりゃあ、悔しいですね!とはいいうものの、腹の底では誰もそんなに悔しがってはいない。 朝青龍がいた時には、多少‘この野郎!’と思っていた人は多かったらしい。朝青龍が負けるところが見たくて大相撲放送を見ているという人までいたくらいだったから。 今の横綱・白鵬の人格や旭天鵬の人の良さが、モンゴル人を受け入れているのであろう。 さて、今日の波乱は何と言っても‘栃煌山’が横綱・白鵬を破った一番である! 栃煌山は、これまで一度もこの横綱に勝ったことがなかった。したがって、誰も予想だにしなかった。 (これ以降の写真画像で、引用註がないのは全てNHK・TV画像をカメラで撮影したもの) ![]() ![]() ![]() 次の一瞬! ![]() http://www.sanspo.com/sports/photos/20120918/sum12091818090006-p1.html ![]() http://www.sanspo.com/sports/photos/20120918/sum12091818090006-p8.html ![]() ![]() 一瞬の出来ごとに流石の横綱も驚いている! ![]() もっと驚いているのは、勝った方の栃煌山である! ![]() 引き上げる時には、もう敗れたことを忘れている、この表情。この気持ちの切り替えこそ大横綱の風格。 ![]() そして、引き上げる途中で、今日も勝って全勝の日馬富士と共にビデオを‘冷静に’見ている。 ![]() 金星インタビューを受ける栃煌山。何となく頼もしく見える。 ![]() ![]() ![]() http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120918-00000070-jijp-spo.view-000 残念ながら、旭天鵬に今日土がついてしまった。 ![]() 如何にも悔しそうな旭天鵬。でもまだまだ、一敗。魁皇無き後の最高齢者。まだ優勝の望みは皆無ではない! 大相撲は‘スポーツ’か?は、後日。 (つづく) ![]() ![]() ![]() |
「卒意」の書は、通常‘自覚’されているものではない。王羲之の‘蘭亭叙’を除いては。
ここでいう「卒意」とは、「用意」の対語のそれではなく、「作意」の対語のそれである。 全く‘他人を意識する’ことなく、自分自身の世界に‘入り浸っている’状態を指す。 「棟方志功」の、あの‘異常’とも思える‘創作意欲’と‘その行動’をTV動画で一度や二度は皆見たことがあるに違いがいない。 ![]() http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/munakata.html 『この道より我を生かす道なし、この道をゆく(武者小路実篤)』…この言葉が棟方の座右の銘となった。
‘道’と名のつく‘修行’においては、この「卒意」が重要であることを弊ブログで何度も強調した。 何故なら、‘道の修行’においては、‘他人の目’は不要だからである。もっと言えは‘不要’というより‘邪魔’なのである。 一見、‘社会生活・社会通念’からの‘逃避’の様であるが、そうではない。 不思議なことに、その境地に達した人の‘作品’(これはスポーツの場合では、その‘行動’を指す)にしか、人間を感動させる要素がない! 前回、前々回は、王羲之の‘蘭亭叙’が、‘雑念’のない「卒意」状態での‘作品’であると強調させて貰った。 ところが、色々調査して見ると知らないことだらけ。前回の‘卒意の書’の中に出て来た‘本人は意識していなかった’のだが、他人様が‘これこそ「卒意」の書だ!’という書があるらしい。 凄~いブログが見つかった! ![]() http://www.geocities.jp/suisisu/sotui.htm 書道家・國分溪雪さんのブログである。 ‘卒意の書’の第一に挙げられているのは、やはり王羲之の‘蘭亭叙’。
この「卒意」の書に関する‘評価’は、通常の御仁では出来ない。 書の裏にある歴史と諸々の思惑が、必然的にその書に現れるという御指摘である。正に「書は人なり!」 でも、それを‘紐とくことが出来る’実力は、どこから来るのだろうか? 精進の足りなさが、ひしひしと・・・。 まだまだ、沢山の‘「卒意」の書’があるらしい。 (つづく) ![]() ![]() ![]() |
通常、「卒意」は、「用意」の対語として使われる。
たとえば、次のように‘プレゼンテーション’の‘極意’として「用意」とは違った‘その場の雰囲気に応じての咄嗟の判断での行動に結びつく‘意’である、として‘活用’される‘概念’である。 次の例を見れば、その使われ方が理解出来る。
さらに、次のようにもやはり、ビジネスマンにとって「卒意」が大事だと強調されている。
一方、「卒意」が「作意」の対語として用いられる場合がある。 ‘書道’の場合にこの語が存在することに‘意義’がある。 ‘書道’の場合に何故意義があるかというと、それは‘道’を極めようとする場合の‘究極の意識’を示唆しているからである。 この場合の「卒意」こそ、およそ‘道’という名のつく‘修行’には欠かせないもののように思われる。 ‘剣道’、‘柔道’然り、‘華道’、‘茶道’これまた然り。 そして、スポーツにおいても然り、と思っている。 この弊ブログで何度も取り上げさせて貰った‘勝つと思うな’の気持ちこそ「卒意」なのである。 この場合の‘卒’は、‘卒業’の意味での‘卒’である。 つまり、「卒意」とは、‘意を卒業した状態’、すなわち、‘見られる、思われると意識しそうな相手’から卒業してしまった状態’を指すのである。 そうすれば、正に‘己の真の姿’が実現する。
この作者も「書に限らず全てにおいて」と明言しておられる。流石である! また、次の引用文献「卒意の書」には、この弊ブログで取り上げた‘蘭亭叙’こそ、この‘卒意’が実践されていると解説しておられる。 ![]() 小山天舟著 「書に道をもとめて」より
果たして自分の練習書の中に‘卒意の書’と言えるかもしれないものがあるだろうかと探してみた。 ![]() これまでの‘作品’は、やはり‘余所行き’のもの。しかし、この練習書は、‘練習’と思って書いているから‘心構え’が違う! 悪い方(?良い方にかも?)にである。 墨の濃さも違えば、字の途中の‘止め’の部分もきちんとしていない! しかし、全体の気分は、伸び伸びとしていて書き手が‘硬直’していないことを窺わせる。 昔から、 「練習は、本番のように」 「本番は、練習のように」 と言われていることは、誰でも百も承知である。でもそれが出来ない!やはり、他人を意識しているからなのだろう。 この‘創作日記’にしても自分自身の‘日記’だと認識してはいるが、いざ書き始めると‘誰かに見られるから、もう少し体裁を整えよう!’などという‘雑念’が入り込む。 なかなか‘意図’と‘現実’はマッチングしないものである。 では、「卒意」を心掛けて、例えば、書を書いたり、テニスの試合をしたり、ゴルフをしたりする場合、これホントに「卒意」になっているのだろうか? そんな意味合いでは、‘家庭の中での言動’は、或る意味では‘裃(かみしも)’を脱いでしまっているから案外「卒意」の状態かもしない。 ‘パンツ一つ’、これが「卒意」実践の極意なのかもしれない。 (つづく) ![]() ![]() ![]() |
まだまだなかなか復旧・復興が進まない2011年3月11日の東日本大地震。
そして、新しく発表された‘南海トラフ巨大地震’予測。日本は一体どんな手を打つべきなのか? ![]() http://mainichi.jp/graph/2012/08/30/20120830k0000m040001000c/001.html 2012年08月29日 3・11の約半年後に、九州大学・宇宙環境研究センターが、‘太陽の黒点’と‘地球の地震’とに何らかの関係があるという見通しを発表している。
太陽の黒点とは? ![]() http://news.ameba.jp/image/20110819-138/ 太陽の「黒点群」:NASAの太陽観測衛星SOHOがとらえた2009年9月の黒点群。 Image courtesy SOHO/ESA/NASA
また、こんな統計処理まで出現している。 ![]() http://plaza.rakuten.co.jp/OmMaNiPadMeHum/diary/200810030000/
約11年の周期で、太陽の黒点の増減がやって来る。と言う事は、地球の巨大地震と経済も、この太陽の黒点に一番影響されているという事になる。この事実にもう少し信憑性が出て来るなら、対処の仕方が随分楽になる。 一番‘しんどい’のは、何をするにも‘予測が立たない’事である。 この2~3年、無事に巨大地震の動きが止まっていて呉れれば、その先数年以上は多少安心して生活が出来る、という保証が欲しい。 南海トラフ巨大地震は、明日にでも起こるかもしれないとの不安があったが、これなら少しは安心、ということになればいいのだが・・・。 ![]() http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=2010083101 August 31, 2010 ニュージャージー工科大学の新型望遠鏡ニュー・ソーラー・テレスコープ(New Solar Telescope)で撮影された太陽の黒点(7月2日撮影)。8月下旬公開のこの画像は、可視光下で最も詳細に黒点の様子をとらえているという。 ![]() ![]() ![]() |
王羲之の最高傑作は、何と言っても‘蘭亭叙’である。
![]() http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82% A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Lanting_P3rd.jpg 『蘭亭序』(神龍半印本、部分) (‘序’なのか‘叙’なのかについては、以下の引用文献に詳しい) 我々のようなお習字の段階から中々脱出出来ない程度でも、当然名前は知っているし、臨書の一回ぐらいは行なった事がある。 それはそれでいいのだが、書道の先生からは、この‘蘭亭叙’には‘何らかの経緯’があることも聞いてはいた。そして、肝心なことは、この‘蘭亭叙’を王羲之が書いたのは、彼が‘少々酒に酔っていた’らしい、というのである。 まあ、少しは書道の‘道’に近づきたいと思っている輩にとってはかなりの‘重大事件’である。 そして、もう一つの‘事件’。それは‘蘭亭叙’と言われている書等が、実は‘王羲之の真筆ではない!’という事である。 それに、この‘謎めいた事件’の‘首謀者’が、唐の太宗というから、恐らく事件は複雑に違いない。時の最大の権力者が首謀者であれば、そして国が中国であれば、権謀術策蠢く‘こころ踊る’物語があったに違いない! だからこそ謎は謎を呼んで、それだけに一層‘王羲之’の名声を高めることにも繋がっているようにも思われる。 こうなればもう web に頼るしかない! いやいや、素晴しいホームページを発見!ここに王羲之・蘭亭叙の謎めいた物語の全貌が記されている! ![]() http://members3.jcom.home.ne.jp/syono-sanpo/rantei/kaisetu/kaisetu.htm 蘭亭叙の解説 1 蘭亭叙とは 2 蘭亭叙の評価 3 蘭亭叙の読み 4 蘭亭叙現代語訳 5 蘭亭序か叙か? 6 蘭亭叙の種類 7 蘭亭叙の分類 ・ 双鉤填墨について ・ 模本の名品 ・ 刻本の名品 8 八柱ってなんだろう 9 蘭亭の真跡は実在? 10 会稽山はどこ 11 王家と蘭亭叙 12 蘭亭叙だましとられる という‘目次’つきである。 この著者のホームページを開いて頂ければ一目瞭然なのであるが、このオーナーのプロフィールを御紹介しておきたい。40年弱も書道に邁進されている。一つ一つ文献の裏付けがあり、いい加減な情報ではない。
このプロフィールを拝見して驚いたこと二つ。 ①‘モットー’が、昨日弊ブログでご紹介した‘小山天舟先生’のものと同じ! やっぱり達人は同じなのだ! ② お住まいが、‘東久留米市’だそうである。私が日頃から感心・尊敬している書道の達人先生も、実は東久留米市に在住されておられる。何でも門下生は、30名以上だとか。東久留米市には書道の達人がそんなに沢山住んでおられるのだろうか? さて、王羲之の‘蘭亭叙’について、当面知りたいのは、次の二つの項目である。 <1> 王羲之が、‘ほろ酔い気分で’書いたのは本当か?そうなら、何故それが彼の最高傑作なのか? <2> 何故、‘真筆’がないのか? ‘太宗の陰謀’とは? この疑問に答えて頂くためには、時代背景の説明が必要である。特に、関連する人達の生きた年代とプロフィール 。 (1)王羲之 : (303年~361年)
(2)褚遂良: (596年~658年)
(3)唐の太宗: (599年~649年)
(1)王羲之 : (303年~361年) (2)褚遂良: (596年~658年) (3)唐の太宗:(599年~649年) という、この事件に関連のある人物の時代背景・年齢が明らかとなったので、設問の解明に進みたい。 事件が起こったのは、王羲之の死後300年以上も経った時代である。 <1> 王羲之が、‘ほろ酔い気分で’書いたのは本当か?そうなら、何故それが彼の最高傑作なのか?
<2> 何故、‘真筆’がないのか? ‘太宗の陰謀’とは? 上述の引用文献にある通り、 蘭亭叙の真筆は此の世にはないのです。唐の太宗皇帝(598-649)が王羲之の蘭亭叙をこよなく愛し、肌身離さず大切にしていたそうです。 太宗皇帝が亡くなる時、王羲之の蘭亭叙も自分と一緒に埋葬するように遺言し、一緒に埋めさせてしまったのです。ですから真筆は二度と見ることが出来ません。 したがって、複製が沢山あるという。
そして、‘真筆’の行方は?
そして、そして、太宗の陰謀が・・・!
まあ、こんなことが平気で出来るのも中国人ならではの感も無きにしも非ず、といったところ。 現在の中国人の‘無茶振り’を見ても‘何でも有り’が、やはり中国なのだ。これだけの人口のなせる技に違いない! 彼等にとっては、どうやって仲間を蹴落とすか?! これが四〇〇〇年の歴史を誇る中国人の処世術なのだろう。 でも、一般の中国人は実に優しい! これは‘残留孤児’事件を見れば判る。人種を超え、国の縛りを超え中国人には‘人を大切にするこころ’がやはり四〇〇〇年の歴史として燦然と輝いている。 さて、締め括りとして、‘蘭亭序’か‘蘭亭叙’かについて。
それにしても、この‘蘭亭叙’事件には、何故‘楊貴妃’が登場しないのだろうか? ![]() ![]() ![]() |
「伝統と革新」、昔からよく言われる言葉である。
以前もこの頃も‘伝統’を理解しないで、‘革新’に突っ走る人が多い。 例えば、筆を使う‘書’にしても、功を焦るのかどうかは知らないが、‘奇妙な字’を書いて素人受けをして‘名人気取り’の御仁も多い。 書道は、お習字から始まって、独学も含めた‘臨書’を毎日欠かさずやることの実行なくして‘書道’という‘道’には到達しない。 ただし、ここまでやっても‘書道’のほんの発端についたばかりで、本物はここから始まる。 「‘道’を極めること」、これは‘目標値’であって終わりではない。‘道’を極めることに‘完成’だとか‘終わり’という事は無い! いつも言われる通りである。 手元に一冊の本がある。 ![]() 小山天舟 著 「書に道をもとめて」 小山天舟: 埼玉の人で、名前は清、号を天舟と称し、尾上柴舟に師事した仮名の書家で、日本教育書道連盟理事長や日本書道美術館理事長等を歴任している。 この本の中から‘臨書手本’を抜粋。 <1> 書のこころを育てる方法 ![]() 「実際に書を書いて‘楽しむ’ことこそ、書のこころを育てる最大の方法」と言っている。この考え方は、スポーツにもその他の芸術にも通じるものであろう。実際にこの度のロンドン・オリンピックに於いても‘金メダリスト’達は異口同音に‘楽しんだ’と感想を漏らしている。 楽しめば、‘何か特別の力’が生まれるものらしい。 これも‘楽しむ’事が、その‘作用’の基本になっているのだろうが、次のような事例について‘生理学的’な研究がなされているという。 <娘の酌>:昔から‘娘の酌’は、‘何よりも酒が美味くなる’という。‘呑み手’の方が酌をしてくれるのが自分の娘だと認識した瞬間から‘お酒の味を変化させるホルモン’が‘呑み手’の方に抽出されるという研究があるらしい。(これは別途説明) きっと‘書道’の方でも、素晴しい先生の手解きやお手本があると‘字が上手くなるホルモン(?)’が身体の中で抽出されるのかも知れない。 人間の体の仕組みは、ことほど左様に上手く出来ているものらしい。 <2> 書の古典に親しむ 臨書の古典として掲げられている代表作。 ① 九成宮醴泉銘(唐)欧陽詢(76歳) ![]() ![]() ② 雁塔聖教序(唐)褚遂良(58歳) ![]() ![]() ③ 蘭亭叙(晋)王羲之 ![]() 解説にある通り、残念ながら、王羲之の真筆版は残っていないというから、次の写真版は‘臨書’なのであろう。褚遂良のものかも(??) ![]()
④ 風信帖(平安)空海 ![]() ![]() その他、この「書に道をもとめて」の本に掲載されている‘臨書手本’は、紙面の都合上もあり、割愛。 最後に‘かな’の臨書手本として、この本の著者・小山天舟先生の短冊を。 ![]() http://fukuchishoten.com/index.php?main_page=popup_image&pID=21573 小山天舟短冊 これらの素晴しい作品の臨書を毎日続けられるか?これが‘書道における伝統’を守るためには是非とも必要な工程であり、これこそが伝統を超えて革新を齎す原動力である。 (つづく) ![]() ![]() ![]() |
2012年9月13日に‘テクノブリッジ’というセミ学会 があった。
「地球の正体(その1)」という題名で話をさせて頂いた。 ![]() 材料技術を基本とした実業で頑張っておられる人達の集まりである。高名な大学の名誉教授もおられる。 その時の‘駄洒落類’等の‘横道話’メモ <1> これはスライドの一枚 ![]() <怪説>: ①「きょうよう」とは、「今日(或る)用事があって・・・」という場合の「今日用」 ②「きょういく」とは、「今日(どこそこへ)行く」という場合の「今日行く」 すなわち、この二つは同時に使う‘フレーズ’で、「今日(或る)用事があって、(どこそこへ)行く」という‘フレーズ’を部分的に取りだした二つという訳である。 つまり、老齢者にとって大事なことは、「毎日、何かの用意があって、出かける」ことが出来れば‘足腰’も衰えを知らず、他人と会話をする機会も増える訳だから‘ボケる’暇がないという訳である。 このご提案は、「頭の体操」で、一世を風靡した、あの‘多湖輝先生’のご発想である。 ![]() http://www.gpara.com/article/cms_show.php?c_id=15632&c_num=14
多分、日本では、これまでも今後も‘駄洒落’で、多湖輝先生の右に出る人はいない! ③ そして、「カレーを食べない」とは、そうやって出かける場合、‘カレーを食べていると、一層‘加齢臭’がしそうだから、出来るだけ‘カレーは食べない’ようにしようという貧困な私の発想。 <2> 言葉には‘省略’がある! ① 「こんにちは!」:これは、日中他人様にお会いした時の‘ご挨拶’であるが、よくよ~く改めて考えてみると、‘今日は’という、そこで終わっているから何の意味か判らない。多分「きょうは、お天気もいいようですが、お元気ですか?」という‘フレーズ’を言おうとするのだが、最初の‘きょうは’だけで後が省略されてしまっているのだろう。そして、‘きょうは’が‘今日は’でもあるために‘コンニチは’に変化したのではないか?そんな風に思えば多少納得がいく。 ② 「ただいま!」:これは、通常自宅へ帰って来た時や会社へ帰って来た時の‘決まり文句’である。でもでも、これもよくよ~く考えてみると‘ただいま’で終わっているから、帰って来たという意味になる訳がない。多分「只今帰って来ました」が、やはり省略されて、①同様、頭の部分だけ残ったと思えば、これまた納得がいく。 因みに、英会話では おはよう! → Good morning! こんにちは! → Hi there! こんばんは! → Good evening! ただいま! → I'm Back! 只今帰りました! → I went back now! Google の翻訳機能を使うと、上記のように訳されて出て来る。本当の会話ではどう言うのだろうか?「ただいま!」は「 I'm home !」という事は聞いたことがある。何とも情けない! ③ 「川が流れる」と一般的にはいう。しかし、これも「川には水が流れる」の‘には水’が省略されている、だけではないが、まぁ、そんなところかも? ④ 「目が見えない」と言うが、「目で物が見えない」の‘で物’が省略。 ⑤ 「耳が聞こえない」。これはやはり‘で音’が省略されているのである。 因みに、③,④、⑤に関連する文章を‘Google'で翻訳して見た。 広島市には何本もの川が流れている。 彼は、耳が聞こえない。 彼女は、目が見えない。 (翻訳) A lot of the river runs through the city of Hiroshima. He is deaf. She is blind. ③ の‘川は流れる’は、英語でも‘ river runs 'だそうだから、‘川が流れる’という表現の様である。 しかし、‘川が流れる'というのは厳密な意味では、間違っている。‘川’自身が‘流れて’何処へ行こうというのだ? <3> 太陽系の8つの惑星の内、地球だけに何故‘星’が付いていないのか? <快説> : ![]() http://fdsfamily.blog.eonet.jp/fdsfamily/2006/08/ 古代ギリシャ時代から、惑星の内、5つ惑星、すなわち‘水星’‘金星’‘火星’‘木星’‘土星’は既に発見されていて‘惑星’という名前を付けられていたらしい。その当時は、まだコペルニクスさんやガリレオさんがいなかったから‘地動説’は存在せず‘天動説’だったから、‘地球’が‘惑星’なんて、誰も思いもしなかったのだろう。そして、驚くことに‘太陽’も‘月’も‘惑星’として分類されていたという。したがって、この‘7つの惑星’で‘七曜’が決められた。 我々が60年以上前に教わった太陽系惑星には‘冥王星’が含まれていたはずだが、2006年に‘冥王星’は、太陽系惑星から‘外されて’‘冥土(冥途)’へ旅立った! それ程‘惑星の定義’は、ややこしい! さて、‘地球’の呼び名に‘星’が付いていないのは、多分‘天動説’が信じられていたから地球を‘惑星’とは思わなかったからというのが正解らしいが、それでは日本語での‘序数(順序数)’の場合、「1つ、2つ、3つ、4つ、5つつ、6つ、7つ、8つ、9のつ、10」という。では、何故‘10’に‘つ’が付いていないのか? 答え:‘5つつ’が‘つ’を2つ持って行ってしまっているから・・。<これはみんな知っていたと見えて、拍手’は無かった! <4> 原子モデルの電子配置について 原子の説明では、原子核に‘陽子’と‘中性子’があり、その原子核の周りを‘電子’があたかも‘惑星’の如く‘軌道’を形成して‘公転’を行なっているという。この‘惑星公転軌道’は、太陽系では、最も太陽に近い‘軌道’が‘水星’で次に‘金星’と順次太陽から遠ざかる。 ![]() http://blogs.yahoo.co.jp/yoshiono/22161241.html 原子の場合、‘軌道’に当たる部分を‘殻’という。そして、‘水星軌道’に当たる最も原子核に近い‘殻’を‘K殻’と呼ぶ。そして、原子核から遠のくに従って‘L殻’‘M殻’‘O殻’・・・・と呼ぶ。 では、問題で~す。殻の呼称に‘アルファベット’を使用しているのなら、何故‘A殻’‘B殻’という順序になっていないのでしょうか? 誰からも答えがない。皆が寝ていた訳ではない! 答え:実は、この‘殻’を決めた時代には、まだ‘未確定・未確認の要素’が多く、そこで‘ボーア’さん達学者の先生達が協議して、「ひょっとすると、まだ原子核に近い所に‘殻’が存在するかもしれないから、取敢えず‘10個’分の‘余裕’を残しておきましょう!」という事で話が纏まり、そんな訳でアルファベットの‘第11番目’の‘K殻’から始まったと思えば‘多少の納得’が行く。これ、正に‘計画’的!(ただし、これは私の作り話)<拍手喝采!?> <5> テクノロジーについて テクノロジーとは、‘生産性・コスト・売上’にまで考慮しなければ、真のテクノロジーにはなり得ないと狭く定義すると、その‘進歩’は、遅々たるものである。‘テクテク’‘ノロノロ’しか進まない。従って、‘テクノロジー’という。 ![]() ![]() ![]() |
昨年の春に、中国からの留学生約50人に‘日本の文化’について講義するよう頼まれた。その際、彼等に「日本をどう思っているか?」と尋ねてみた。
およそ70%以上の中国からの留学生が「日本は自殺者の多い国」と答えた。 それまでに日本国での自殺者が年間3万人程度であることはニュースなどで知ってはいたが、世界各国との相対的データについては知識がなかったので、彼らと一緒に調査することにした。 その結果について、やはり驚かされた。 日本人の‘自殺率’が国際的に極めて多かったからである。 ① 世界各国の自殺率と日本の自殺率 ‘自殺率’は、国民10万人当たり何人という表現の方法をとる。次の図表を見て戴きたい。 http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2770.html ![]() ご覧の通り、世界で、日本は‘堂々の’第8位 に君臨している! 24.4人/10万人という数字である。 予測としては、多分‘50位’程度だろうと思っていただけに、その時のショックは大きかった。 一方、中国は第27位で、13.9人/10万人 であるから、日本とは10人以上も差がある。 どうやら、中国人の留学生の70%が‘日本は自殺者の多い国’と思っているのは、中国では‘日本’に関してそんな教育がされているのだろう。 そして面白いことに彼等は自分の国の自殺者率については誰一人知らなかった。 http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2770.html ![]() 白抜きの国は、統計数字がない国 <傾向ー1> :旧ソ連圏・旧共産圏諸国が自殺率が高い。 <傾向ー2> :イラン、エジプト、ジャマイカ、ヨルダン、そして内戦の続くシリア等の国には自殺者がほとんどいない。 この傾向の理由は一体何なのだろうか? さて、日本の場合、10万人当たり24.4人という事は、年間約3万人近い値である。 ![]() http://www8.cao.go.jp/jisatsutaisaku/whitepaper/w-2012/pdf/index.html ![]() http://www8.cao.go.jp/jisatsutaisaku/whitepaper/w-2012/pdf/index.html 青線:男性 赤線:女性 緑線:合計 ここ10年間以上、年間3万人~3.5万人の間にある。年間3.5万人だとすれば、1日当たり約100人言う計算になる。これはまさしく異常である。平成9年を境に急速に増加した原因は一体何故? 日本の自殺率の高さについては次のような解説がされている。
② 世界各国の男女別自殺率 次に、男女別ではどんな傾向があるのだろうか? http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2770.html ![]()
それにしても日本政府の現職大臣の自殺報道には少なからず驚かされた。私と同い年である。 ![]() http://www3.nhk.or.jp/news/index.html
以降何回かに分けて‘自殺の問題’を考えてみたい。 (つづく) ![]() ![]() ![]() |
2012年も9月の中旬に入ったが、まだ気象情報での最低気温は、25℃を下回る日は少ない。しかし、この気温は‘百葉箱’の中の‘気温’と決められているから、実際に感じる気温とは10℃以上の開きがあることも稀ではない。
例えば、気象庁発表の気温が36℃という時。それはそれで‘暑い’。しかし、アスファルト上での実測値は50℃を越しているというTV中継を見た人は多いだろう。 これは、気温が低い時、すなわち‘寒い’場合には、マイナスの方にシフトする。例えば、最低気温が‘+3℃’と発表されているのに‘霜が降りている’事は誰でも経験があるに違いない。 ‘0℃’以下にならなければ、‘原理的に’不可能であることは誰しも判っている。だから、例え‘百葉箱’の中が‘+3℃’であっても、地表面では‘0℃’以下になっていることを物語っている。これまでの経験からすれば、気象庁発表の最低気温より地表面の温度は‘4℃’低いと思っていいようだ。だから。最低気温が‘4℃’以下では‘霜が降りる’。 しかし、気象関連の人達も気温の表現・表記の仕方は、一旦決めた以上‘定義’をそうそう簡単には変えられないのだろう。データに継続性がないからというのも一つの理由であろうが、本当のところは、実は適切な‘定義の仕方’が見つからないからであろうと思われる。 それ程、地表近辺部分の‘温度の地表からの高さ依存性’が強過ぎる。 と言う事は、赤ん坊の乗っている‘乳母車’の、‘その赤ん坊の高さ’は、‘大変危険’と言う訳だ。しかし、それに気が付かない母親が多いのか、それとも‘乳母車製造メーカ’が無責任なのか知らないが、一向に改善される気配がない。 そんな訳で、最低気温情報とは違って‘外はもう秋’である。ただし、これは周りが‘田圃’と草の生え放題のまばらな新興住宅地だからであろう。 夜も22時を過ぎると玄関のドアや窓を閉めないと寒い位である。 今朝、我が家の玄関前での‘御来光’までの時間に撮影した風景。 9月1日から、‘満月の水平線からの頭出し’を撮影しようと頑張ったが、遂に果たせなかった‘月’が、夜明け前の青空に輝いている。 ![]() 5:22 肉眼ではよ~く確認出来るのだが、この写真では・・・。 ![]() 5:22 望遠で拡大して見ると、9月1日が満月だったから、10日が過ぎている。下弦の月も通り過ぎて‘逆三日月形’になっている。 ![]() http://88d.jp/feature01/feature1.html この図から言えば、9月11日は、‘25日’の月に当たる。次の満月は、‘19日’後の9月30日。‘中秋の名月’である。 この時こそ、‘満月の水平線からの頭出し’を撮影をするチャンスである。曇りや雨にならぬよう祈るのみだが、果たして・・・。 ![]() 5:24 我が家には‘ブーゲンビリア’が2種類ある。此方の写真の方は色が薄い。 ![]() 5:24 此方が色の濃い方である。 でも聞くところによると、この‘赤い’花びらのように見えるのは、実は‘花びらではない’らしい。
‘へた’と言って戴けると判り易い。‘ナス’を思い浮かべれば一発で理解出来るから、‘へたな’説明より余程判りがいい。
![]() 5:24 これで、ブーゲンビリアの‘花’と‘萼(がく)’と‘苞(ほう)’の区別がついた。 ![]() 5:29
![]() 5:30 二つのブーゲンビリアとサルスベリと・・・。 ![]() 5:32 この風船蔓(ふうせんかずら)は、見事だった。そろそろ下の方から風船の色が茶色くなってきたが最上部には未だ‘花’が咲いている。 ![]() 5:34 まだ5時半を少し回ったばかりというのに、‘蚊’も‘宵っ張りで早起き’である。二匹が同時に止まった。 ![]() 5:35 これは何と言う名前の花か知らない。朝露が付いている。 ![]() 5:37 御来光は、いよいよ我が住宅地域にも顔を出し始めた。5:37である。 ![]() 5:38 この敷地内の最も南側にある瀟洒な住宅も朝日を一杯に浴び始めた。引っ越してきた時から、ここを‘外房の軽井沢’と勝手に呼んできたが、‘無粋な’電柱さえなければ、そんな気がする。「・・でんちゅうなるしろものなかりせばとおぼえしか・・」である。兼好法師ならきっとそう表現するに違いない。そうでしょう、ねえ師匠? ![]() 5:39 この光景を見るのが今朝の最大の目標。やっと見つけられた! ![]() 5:39 我が家には未だ御来光は届いていない。 ![]() 5:42 でも、もうそろそろに違いない。辺りの空気は、ピ~ンと張り詰めて来た。清々しいい一瞬である。 ![]() 5:43 この写真は、我ながら‘傑作’である。草や葉っぱの上には水が溜まらないように出来ている。それは何故か? 植物の‘根っこ’が水を欲しがるからである。 本来植物は、炭水化物をつくるために、‘葉緑体’を太陽にさらすための‘草や葉っぱ’を持っているが、そこには‘水分’は必要ないのである。むしろその‘葉緑体’付近には水分がない方がいい。何故なら、水分があれば‘蒸発’が起こって‘蒸発熱’のために‘葉緑体’付近の温度が下がってしまって、炭水化物をつくるための‘炭酸同化作用’の反応が遅くなってしまうからである。 そのため‘葉緑体’を持つ‘草や葉ぱ’は、その表面に‘産毛(うぶげ)’を生やして、その産毛の作用で‘はっ水性’を確保して、水が来れば、その水を‘まんまる’の水の塊にして自分の根元に落下させるという‘特技’を持っている。 そんな訳で、‘朝露’が出来て、何となく‘風情’が生じるという事になる。 これも‘夜明け前’の微動だにしない無風状態だから、ほぼ満丸に近い朝露が滑り落ちずに‘一瞬の間’だけ見れる時間帯なのである。 したがって、どうしても御来光の前に‘この素晴しい一瞬’の間に‘朝露を探す’必要があったのだ! みごと成功! 従って、この写真は‘私の宝物’という訳である。 もう一枚の朝露の「5:39の写真」は、そんな意味で価値が低い。水が草の表面で‘玉っころ’になっていないからである。 ![]() 5:43 これは‘葛の花’。残念ながら今年亡くなられた「ちい散歩」で有名な、あの地井武男さんが嫌いな植物だった。 どんな植物の上にも‘這い登り’、その下の植物から‘太陽の恵み’を奪い取ってしまう性質があるから、あの優しい地井さんには向かなかったのだろう。 でもこの葛の生命力が買われて、‘砂漠化防止’対策用植物として活用が計られる見通しだと言う事も聞いている。世の中上手くしたもので、みんな悪いことだらけ、というのもないということらしい。 ![]() 5:55 玄関先の‘郵便受け’の上にも朝露があるが、草の上の露に比べれば、余り面白いものでもない。 ![]() 5:56 そろそろ秋口だというのに、この玄関先の木は、初春のように‘新芽’が出ている。この木にとっては普通のことなのか?それとも異常気象のなせる業なのだろうか? 今迄気付きもしなかった。 ![]() 5:57 玄関から見える‘借景’の杉の木のてっぺんに‘鳥’がいる! ![]() 5:57 望遠で拡大。 ![]() 5:57 いやいや、立派な‘アオサギ’である。 ![]() http://torimiyuyu2008.web.fc2.com/aosagi.htm
![]() 6:14 お馴染みの‘集団移動’をしたカニさん達。朝食のご様子。 ![]() 6:21 此方は、御来光のお出まし遊ばされる東の空。枝の先に‘トンボ’が何匹か止まっているのが見える。 ![]() 6:23 此方は、我が家の二階の屋根に止まっている‘トンボ’。もうここには御来光が既に・・。 ![]() 6:24 もう、玄関まであと一息。 ![]() 6:28 御来光直前の東の空。‘トンボ’は動こうともしない。よ~く見ると‘蜘蛛の巣’も見える。静かな中に人間の知らない昆虫や小動物の‘死闘’が有るのかも知れない!(註:蜘蛛は昆虫ではない!) ![]() 6:31 遂に我が家にも‘御来光’が・・。6時31分。 ![]() 6:31 望遠での御来光。 ![]() 6:38 玄関も一挙に明るくなった。直物は当然としても、建物まで生き生きとして来た。やはり‘太陽’は、凄~い! ![]() 6:43 こうして、やっと平穏な一日が始まった。 ![]() 6:52 朝食を終えたのか、カ二さんが一匹、我が家へお散歩に。 ![]() 6:52 まぁ平和な陸の孤島・千葉県茂原市千沢の一日の始まりである。 そろそろ本格的に涼しくなって呉れればこれに越したことは無いのだが・・・・。 ![]() ![]() ![]() |
もう半世紀程にもなる昔に‘走査型電子顕微鏡’(Scannig Electron Microscope:SEM)で‘蟻の複眼’を撮影したことがある。
![]() http://www.kagawa-u.ac.jp/kenkyu/kougakukiki/n1_18.html この写真のように今ではコンパクトになっているが、当時昭和43年頃のSEM装置は、‘電子銃’部分が大きくて長く全体の装置の‘高さ’は、2.5m位はあったように思う。だから、フィラメントを交換するにも半日仕事であったが、今や交換は15分もあれば出来るほど周辺技術は進歩している。 ![]() ![]() ![]() ![]() 白く見える‘破片’は、‘ごみ’である。 この蟻の種類も判らない。倍率も表示されていない。何とも‘不適格’な画像で申し訳ないが、当時からこのように‘SEM’では‘原理的に’鮮明な画像が得られた。 次のような解説ブログを見つけた。
私が‘蟻の複眼’をSEMで撮影をした目的は、‘昆虫の研究’と言う訳ではなかった。 当時の我々の研究に役立つ走査型電子顕微鏡(SEM)の威力を理解して貰うために、誰でも聞いたことがあるが‘見た事のない’画像でアピールしようというものだった。 したがって、蟻には‘複眼’があることは知っていたからそれだけのことで、‘単眼’が3つ有る事は知らなかったから、残念ながら‘単眼’のSEM写真は私自身の資料の中には無い。そして‘複眼を構成している個眼’が‘六角形’であることにも注意が払われていないから、‘な~るほど、六角形だわい!’と言う画像もない。 ‘無知’ということは、こんなにも情報にならないものなのである! そこで、ネットから蟻のSEM 写真を拝借。細部がよ~く見れるようにとのご配慮からだろう、通常の見せ方と‘天地’が逆転していることにご注意を! ![]() http://www.pref.oita.jp/soshiki/13002/denken-mushi.html 蟻の頭部 ![]() http://www.pref.oita.jp/soshiki/13002/denken-mushi.html 蟻の‘単眼’ ![]() http://www.pref.oita.jp/soshiki/13002/denken-mushi.html 蟻の‘複眼’ 誠にお見事な画像である!(感謝!) そこでやはり気になったのが、上記の引用文献での解説の表記。 「・・・。複眼を構成する個眼の数は昆虫の種類によって異なりますが、アリで約100個、ショウジョバエで約1000個、ミツバチで数千個、チョウやトンボでは1万個以上にもなります。・・・」 ‘アリで約100個’は‘ナシ’である! 何かの間違いに違いない。 どちらの写真画像も複眼の中の‘個眼’が、‘100個’ではない。 千から数千個ぐらいの感じである。 他人様の‘画像’を勝手に操作してはならないが‘悪用する’積りは当然ない。‘活用’させてもらうために一部分を‘拡大し、コントラストを強く’して見た。これでやっと‘六角形’と判断出来る。 ![]() 次の‘?’は、複眼で見た場合、実際には彼らには‘どんな風に’見えているのだろうか?上記の通り少しの解説はあるが・・・。
引用ばかりで申し訳ないが、次のような、これまた素晴しい解説もある。
こんな素晴しい複眼の画像もある。 ![]() http://karapaia.livedoor.biz/archives/51971057.html 走査型電子顕微鏡(SEM)の価格は、半世紀前も現在も特殊なオプションを付けなければ、一式でおよそ‘1,500万円’である。年々技術は進歩し、低価格化が進んで価格が約半世紀ほぼ同じと言う商品も珍しい。 数億円の宝くじに当たった場合の大型購入物の第一の候補が‘これ’と前から決めている。 それ程‘SEM’で覗く‘顕微鏡の世界’は、‘望遠鏡で覗く天体’と同様‘おもろい世界’ なのである。 ![]() ![]() ![]() |
今年の8月の半ばに、偶然にも我が家の玄関先で 「蟻による‘セミ死骸の解体作業’」を見ることが出来た。
![]() 2012年8月17日 午前6:53 よ~く見ると、もう大分前から‘解体作業’は開始されていたように見える。なぜなら、写真の右上が‘頭’に当たると思われるが、セミの4枚の‘羽’はもう既に‘付け根部分’から切り落とされているからだ。 ‘作業人(蟻)’は、沢山と言っても数十匹だが、何せこの蟻の集団は‘身体が小さい’。目にははっきり判るのだが写真には判定出来るようにはなかなか撮れない。したがって、写真をPCで拡大して見た。 ![]() 6:53 ピントは今一だが、少しは見易い。 ![]() 6:53 もう一段の拡大写真である。 ![]() 7:30 それから、約30分後には、4枚羽の小さい一枚が、こんなところまで‘引っ張られて’きている。 ![]() 7:30 驚くことに、この写真の直ぐ上の写真とこの写真の‘カメラの示す撮影時刻’は同じ‘7:30’であるから、最大で‘たった1分間’で、‘2cm’は動いている。 ![]() 7:31 その‘1分後’の写真がこれであるから、この2分間で、置いていたスケールから移動距離を見ると、 28.5cm ー 21.0cm = 7.5cm 7,5cm も動いている。この羽を動かしている‘蟻の数’は、何匹なのだろうか? PCで拡大して見ると、 ![]() 7:31 なな、何と、‘たった一匹の蟻’で、この作業をやっているように見える。‘赤丸’で囲った中に一匹の蟻。どうやらこの一匹のみ。 ここで‘たった一匹で’と言うのには‘信憑性’がない訳ではない。 昔、小学校か中学校の時に教わったことがある‘三好達治’詩に、次ような素晴しい詩があった。 蟻が蝶の羽を曳いて行く。ああ、ヨットのようだ。
‘パクリ’で、 蟻が 蝉の羽をひいて行く ああ ヨットのやうだ では、締りがつかない! ![]() 7;39 見上げれば、空は8月17日というのに、秋の‘うろこ雲’になっている。まだまだ地上は暑いと言うのに・・。 やはり、今年は異常気象のようだ! この蟻の身長は、約0.2cm。 簡単に計算するために、人間の身長を2m(=200cm)とすると、人間はこの蟻の‘1,000倍’の大きさである。 したがって、運搬の速度を計算して見ると、 蟻の時速は、2分間で7.5cmであるから、一時間には、7.5cm × 30 = 225cm = 2.25m/h これを人間の大きさに換算すると、 (2.25m/h) × 1,000 = 2.25km/h この羽一枚の重さは、多分、写真から判断・推定すると、蟻の体重の少なくとも‘10倍’はありそうである。 2mの身長の人間が己の体重の約10倍(~700kg)の荷物を引っ張って、一時間に2km以上運んだことに相当する。何の‘装置’も使わずに、である。 これだけでも‘蟻の持つパワー’の大きさが判るというものだ。 さて、やはり気になるのは、蟻はどうやって引っ張っているのだろうか? 蟻の‘手の格好’は? そう言えば、およそ45年も昔、‘電子顕微鏡の凄さ’を判って貰う積りで、‘蟻の実態’を‘走査型電子顕微鏡’(SEM)で撮った記憶がある。資料を探してみると、あった、あった! ![]() 同じ種類の蟻かどうかは判らないが、こんなに‘凄~い!’手(?)をしているのである。 (つづく) 次は、その時‘SEM’で撮った‘蟻の複眼’の写真を公開予定。 ![]() ![]() ![]() |
2012年9月8日朝6:46。NHKラジオニュース。
東京スカイツリーで、‘落雷’の実態調査研究がなされているという。東大の‘何とか言う’先生が、スカイツリーが出来る時に、観測装置を設置されたのだそうだ。 ‘落雷’の被害は、その‘巨大エネルギー’のお陰で、見過ごし難い被害となる。送電線が被害を被ると停電や電話やPCなどの電子機器などにも影響が及ぶ。 日本では、「‘夏の’落雷」のデータが、このスカイツリーに観測装置が設置されるまで、一件も(?)なかったのだそうだ。 ‘夏の’と敢えて言葉を添えたのには訳があると仰る。 それでは反対に「‘冬の’落雷データは?」とアナが聞くと「それは沢山あるんです」と仰せである。 さて、その理由とは? 先生のご説明によると、雷様は、-10℃の雲の中に大電力(電気という表現だった?)が或る理由で溜まって、それがある切っ掛けで‘落雷’となる。 <おや? この‘ー10℃’何処かで最近?> 先生のご説明が続く。 「そんな訳で、夏と冬では雷の発生する‘雲の高さ’が違うのです!」 <なーるほど! これは我が‘弊ブログ’( http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-261.html )で夏と冬とで‘飛行機雲の出来る高度’議論をしたばかりだった!> 「冬のデータが沢山あると言うのは、-10℃の高度、多分2,500m当たりだから、それなりに‘近い’ので少しの高さに観測装置を置いておけば‘落雷’の観測が可能なのです。」 <冬の場合地表温度が、0℃の場合は、-10℃の高度‘Xm’は? -10℃=(-0.6℃/100m)בXm’ ∴ ‘X’=-10℃×(100m/-0.6℃)=1,000m/0.6=1,667m つまり、冬の場合、地表面が、0℃であれば、雷の発生する-10℃の雲の高度は、1,667mである。 もしも、地表面の温度が‘8℃’だとしても、3,000mで、2,500mと先生が仰せの場合の地表面温度は‘5℃’である。これが冬雷の発生頻度が高い北陸地帯の気温なのだろう。> 先生のお話では、‘東京タワー’の場合でも夏の落雷観測には‘少し、高さが足りない’と言うことだった。 早速ネットで調べてみた。あった、あった!
気になったのは、‘飛行機雲’が発生する高度の空間。この時‘雷雲’が発生していれば、「航空機への‘落雷’」が心配となる。( 勿論、雷雲が発生している空間には、‘雲を造るための核’になる‘チリ’などがあるから、‘飛行機雲は出来ない!’) 「航空機の落雷被害について調べて見ると次のような‘長文の回答’があった。ご参考までに・・・。
航空機パイロットの方達は、‘雷雲’についての知識は十分にお持ちだろうから安心だが、上記回答では、航空機への落雷があったとしてもパイロットや乗務員・乗客には被害が及ばないことがちゃんと記されている。 でも、航空機の機器への被害はありそう。 ‘雷は避けて通る’これが‘大空’でも‘家庭’でも原則のようだ! ![]() ![]() ![]() |
或る‘セミ学会’で、‘地球の正体’というテーマで発表させて貰えることになった。
9月13日(木)が本番である。これは、一か月前から判っていたスケジュールであるが、いつも通り切羽詰まらないと原稿とスライドが出来上らない。 いろいろ調べているうちに、どうしても‘或る本’の中身が読みたくなった。 9月5日のことである。 この本を買いに行くのも本屋まで約10kmもあるから一寸面倒だ。 ネットで注文して見ようと思った。 明後日、9月7日に手元に来れば十分である。 注文した日時 : 9月5日午前10:57 その日の夕飯時に‘キンコ~ン!’と鳴る。今頃何?とカミサンが出る。いやいや、本が来たのだ! 手に入れた日時: 9月5日午後07:32 この間、(19:32)ー(10:57)= 8:35 なな、なんと「8時間35分」の早業! 都会ならいざ知らず、千葉県茂原市、それも市と町の境近辺という、いわば‘陸の孤島’とでも表現したくなるような場所なのに! ![]() こんな格好で届けられた。お見事である! 本は、以下の写真の通り。 ![]() 読みたかった内容は、次にあるような‘地球が持つ奇跡’の全貌である。 ![]() それから、次の日(9月6日)にかけて、色々なデータを収集し、一枚の‘凝縮版・原稿’を約10時間かけて書き終えたのは、9月7日午前2:23である。 ![]() これから、スライド約20枚の作製が待っている。 地球の正体を語るには、太陽系惑星についても調査をしなくてはならないし、勿論‘太陽と地球と月’の相互関係についても述べる必要があろう。 今年最大の‘天体ショー’、5月21日午前中に起こった‘金環食’。偶然にも‘雲’の出方が良かったと見えて、ど素人の私が‘普通のカメラ’でその瞬間を撮影出来たことは弊ブログでも紹介した。( http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-142.html ) いよいよその写真の出番が巡って来た。このセミ学会には、‘天体学にも詳しい’大学教授の参加も見込まれている。 ![]() 2012年5月21日午前7:38の金環食。場所:千葉県茂原市千沢。 (つづく) ![]() ![]() ![]() |
‘火星移住計画’が実際にあると言う。
![]() 火星 上の写真も含めて、以後の写真画像は、NHK・TV【2012年8月28日・NHK/BSプレミアム】のTV画面をカメラで撮影したもの。 まさか? 真面目に、‘本当に’? そう思うのは私一人ではあるまい。 ‘火星探検や調査’ではない。‘火星移住’である。 ‘地球’という人間にとっては極めて住み易い星があるのに‘何で?’ その‘火星移住’の最大の目的は、‘人類の継承’という。 これまた唐突な話で、中身が読めない! この事業の提案とりまとめ・仲介役をする(?)スポンサーは、「 Byte Internet 」というオランダのプロバイダー会社。
さて、この計画の‘是非’は別に議論するとして、この計画は着々と進んでいると言うから‘市民権’を得ていると思った方がいい。 実際には、寄付も体験参加申し込みも移住申し込み(?)も開始されているようだ。 われわれ多少技術開発に携わったものからすれば、「‘宇宙服’の開発はどうなっているの?」という設問が頭に浮かぶ。 ‘宇宙服一着の値段’は? まで気になり出すと言うもんだ。 それには、‘JAXA’が次のように答えている。 ![]() http://iss.jaxa.jp/iss_faq/env/env_016.html かかりました。 なお、船外活動用宇宙服は各パーツ毎にいくつものサイズが用意され、宇宙飛行士の体格に合わせて、パーツを交換します。また、グローブは宇宙飛行士毎に用意され、ひとつ20,000ドル(約220万円)します。 EMUの構造(宇宙服アセンブリ(SSA)と生命維持システム(LSS)) ![]() この宇宙服の性能を確認するための‘実験’も既に行なわれていると言う。 ![]() 220万円の手袋をはめての実験が始まろうとしている。 火星の大気温度は、地球に比べて‘遥かに’低い。定量的な数値は別の機会に詳細に検討するが、気温が低いのは、火星が地球より太陽からの距離が長い(地球と太陽との距離の約1.5倍)ことと質量が地球に比べて小さい(約1/10)ことの理由により、太陽光のエネルギーが放射状に散乱されるからおよそ距離の2乗分の一となることと質量の小さいことによる大気の薄さから保温効果が少ないこと、この二つの理由による。 火星の表面温度は、 最低:133K(-140℃),平均:210K(-63℃),最高:293K(+20℃) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E6%98%9F 平均で、-63℃ と言うのなら、試験は、少なくともー100℃以下で行なわなければ意味がない。 ![]() ![]() 画面の温度表示は、-117℃ とあるから安心出来るというものであろう。じっと触って約40分間の実験だったと言う。 上述の‘マーズワン’の記述には、余り明確には書かれていないが、‘火星移住’の大きな根拠の一つに、「‘地球への隕石の衝突’から人類を守る」という思惑(?)があるらしい。冒頭に述べた通りである。 ご案内の通り、恐竜の絶滅の原因の一つに挙げられ最近段々信憑性が増してきたのが、‘隕石衝突説’である。 ![]() 恐竜絶滅の一大原因と考えらている地球への隕石の衝突(6,000万年以上前?)空想図。 隕石の衝突は、中々予測出来ないという。つまり、今話題を提供しているオリオン座の‘ベテルギウス超新星爆発’が、巷間囁かれているように、640年前に起こっていたとすれば、光速で640年掛かる空間を‘質量の大きい岩石’が届くのにどれだけの時間がかかるかの計算式は知らないが、今の内閣ではあるまいが‘近いうちに’その影響がないとは限らない。 ベテルギウスの超新星爆発の‘物的影響’は、ベテルギウスの自転軸からのずれ角度の確か4%以内でなければ安全と言う事で地球は今のところ‘セーフ’だそうだから、少なくとも‘ベテルギウス’からの影響は無いのだろうが・・・。 ![]() ‘科学シュミレーションドラマ’では、もう火星到達後の実験計画が示されているという。 一方、火星移住の前には、当然火星探索が必要であるが、片道約一年弱間の長旅に‘乗組員’の精神的不安定が解消出来ないだろうと言う説があって、‘火星移住’など実現不可能だと言い張る学者も多数いると言う。 ただ、そんな不安要素には目もくれず、下の写真画像のような‘火星未来都市’のイラスト描きちゃっかり組もいると言う。 ![]() さて、この‘火星移住計画’、2033年に‘計画実行’というから、あと21年後である。さあ、どういう展開になるのだろうか? ‘こちとら’は、‘満月の水平線からの頭出し瞬間撮影’さえまだ出来ていない状態なのに・・・。 それで、‘立待月’も‘居待月’も曇りばかりで撮影は不可能だった。 2012年の‘中秋の名月’は、9月30日だそうだ。この日まで、‘満月の水平線からの頭出し瞬間撮影’は延期ということで・・・・。 (つづく) ![]() ![]() ![]() |
2012年9月3日は、二日遅れの‘満月’である。こんな言い方があるのかどうかは知らない。 昔の言い方は、陰暦16日が‘十六夜(いざよい)’で、陰暦17日が、‘立待月(たちまちづき)’である。 その後、陰暦18日:‘居待月’ 陰暦19日:‘寝待月’ 陰暦20日:‘更待月(ふけまちづき)’、そして次が‘下弦の月’となる。 したがって、9月3日は、陰暦(旧暦)の7月17日で、‘立待月’である。 この‘立待’が‘忽ち’の語源と言う。
日の出・日の入りは、普通TVで報道してくれるが、‘月の出・月の入り’は調査出来ないものかと思っていたが、‘案ずるより産むが易し’で、web で直ぐに見つかった。素晴しい‘ソフト’である。 地図上で、自分の好きな場所を‘クリック’すれば、‘たちどころに’計算してくれる。なにも考えることは無い! それも‘グリニッチ’を基準地として、である。 こんな便利なことは無いが、それだけに‘今の人が、物を考えなくなった’という‘恨み’もある。その議論はさて置いて、今は‘9月3日の’千葉県・外房海岸での‘月の出’時刻を知りたい、の一念だった。
早速このソフトで計算して貰った。 ![]() ![]() 決定しました! 9月3日の千葉県・外房海岸での‘月の出’時刻:19:10(±2) そこで、‘懲りもせずに’‘水平線からの月の頭出し’に3度目の挑戦と言う訳である。 さて、今日は‘河岸を替える’事にして、‘いわし’の漁業で名高い片貝漁港に行って‘立待月’を見ようと言う事になった。 九十九里といえば、‘いわし漁’。いわし漁といえば‘片貝漁港’である。漁港の海は、太平洋の荒波を直接受けないから、穏やかである。それに‘波乗り兄ちゃん’達もいないし、漁船の作業も終了しているから‘癒し’には最適である。 先ずは、本日の‘水平線月の頭出し’観測現場の下見から・・・。 ![]() 17:01 この場所ならきっと水平線からのベストショットが撮れそうだと思われる。しかし、この水平線近くの‘青さ’は、本当に‘青空’だろうか? それとも‘青色’を雲が反射しているだけなのだろうか? 素人目には区別がつかない。こちらは‘外海’であるが、癒しの漁港はこの外海を抉ったところに人工的に作られている。 ![]() 17:07 その漁港である。漁港の始動は朝が早い。明るくなる前にはもう漁船は出発するから、帰還も早くこの17時過ぎには漁港は静まり返っている。それが我々無関係の人にとっては‘癒し’の場所となる。遠くからこの漁港内で釣りを楽しむ人達も多い。今日もちらほら釣り客が来ていた。 ![]() 17:09 漁港は湾になっていて、対岸にはそれなりの数の漁船が船体を休めている。影は私の影であるが、この長さからして、夕日が相当傾いていることが判る。 ![]() 17:16 いつもは穏やかな漁港内であるが、今日は‘三角波’(?)が立っていて、いつもの穏やかな湾内の水面は見えない。その代わり、初秋の海風がこの夏の暑さを忘れさせる。 ![]() 17:28 この片貝漁港は、成田空港からそんなに遠くは無いため国際線の発着が頻繁である。この飛行機も何処の国へ行くのだろうか? ![]() 17:36 この飛行機雲を従えた飛行機も先程の飛行機とは違った国へ行くに違いない。 飛行機雲の正体:
と、言う訳で、飛行機雲は、‘過冷却状態の空中’にしか出来ないという。 それでは、この写真の空中の温度が本当に‘過冷却状態’かどうかをど素人ながら、計算して見たい。 この時必要な‘知識’は、空気中の温度は、或る限られた高度の範囲(地上20,000mまでぐらい)では、100m高度が増すにつれて、0.6℃気温が下がって行くと言う常識である。 例えば、真夏の富士山の山頂は8℃くらいだという。 この常識を頼りに計算して見ると次のようになる。 (-0.6℃/100m)× 3,776m = ー22.7℃ つまり、海抜‘0m’の地表面よりも富士山の頂上は、22.7℃低い事になる。 その海抜‘0m’の地表面の気温が、30.7℃だとすると、富士山の頂上は、8℃ と言う訳である。 この‘単純な’計算法で、上の写真にある飛行機の高度での気温を計算すると次のようになる。 勿論、この場合の高度を仮定せねばならないが、通常の安定飛行高度の約10.000mよりも少し低いと思われる。成田空港を出発してまだ10分も経っていないだろうから。 そこで、高度:7,000m と仮定。 その高度での気温計算式は次の通りとなる。 ① 地上の温度からの低下温度: (ー0.6度/100m)× 7,000m = -42℃ ② この日のこの時間の地表温度:28.5℃ 従って、7,000m 上空の気温: 28.5℃ +(-42℃)= ー13.5℃ これじゃあ、‘過冷却’になっている訳で、飛行機雲が出る訳だ。 それでは、逆に‘飛行機雲’を見つけたら、その飛行機の‘おおよその高度’を言い当ててみる計算式を。 過冷却だから、-10℃と仮定する。上の計算式でもうお判りだろうが、次のようになる。 言い当てようとする飛行機の高度を‘X’とし、その場合の地表気温を‘Y’とすれば、次の式が成り立つ。 過冷却の状態の高度‘X’mの気温は、 ー10℃ = (地表気温‘Y’℃)-(‘X’mまでに下がる温度)だから、 -10℃ = ‘Y’℃ -(-0.6℃/100m)בX’m ∴ ‘X’m = (ー‘Y’℃ー10℃)×(100m/-0.6℃) つまり、 夏の季節で、Y=30℃の場合、 ‘X’m = (-40℃)×(-166.7<m/℃>) = 6,668m となって、「地表面の気温に10℃を足して、それに166.7を掛ければ、その高度が出る」と言う事になる。 冬の季節だと、地表面の気温が10℃だと仮定すれば、その高度は、 ‘X’m = (-20℃)×(-166.7<m/℃>) = 3,334m となって、冬は飛行機の高度が低くても‘飛行機雲’が出る計算となる。 さてさて、飛行機雲の件はこの位にして、肝心の‘月の出’はどうなるのか? ![]() 17:46 東の空がやはり不安である。 この写真を見せて「夕刻の写真。今カメラ目線は‘東’か?それとも‘西’か?」の質問をしたら、99%の人が「西」と答えるに違いない。 だって、光の‘光源’と思われる‘一点’から‘放射状に光が発射されている’から、夕方なら‘西’に決まっていると普通は考えるに違いないからだ。 でも「それが設問なら、答えはきっと‘東’」と答える人が1%は居るかもしれない。そんな人は、単に‘天の邪鬼’と言うのではなく、受験術に馴らされてしまった人か、或いは‘クイズ王’の成れの果てなのかもしれない。 こんな風に‘何でこんなことが起こるのか?’説明出来ない事が多い。これもきっと‘西側にある雲の様子’と係わりがあるのだろうが、私にはその理由がまだ判ってはいない。 勿論、答えは「東」である。 ![]() 17:48 九十九里漁業協同組合の文字が見える。漁港のそばには、ちゃんと‘冷凍設備’が備わっている。 ![]() 17:50 この飛行機も何処の国へ行くのだろうか? ![]() 17:54 西の空はもう真っ赤に染まっている。月の出まで、あと75分。それまでに‘一杯’と言う事になった。 ![]() 18:25 前回来た時には、名物の‘いわし’の刺身。従って、今回は‘あじ’。これがまた、いわしに劣らず‘絶品’。遂に‘生ビール’3杯。 うっかりすると、19:10の‘月の出’を忘れてしまいそう。でもでも・・・。 ![]() 19:13 遂に‘月の出’の時刻を過ぎてしまった。やはり外海のあの水平線の‘青’は、青空の‘青’ではなかった。雲が反射していた‘青’だったのである。 残念だが、明日の‘月の出’に賭けるしかない! 因みに、先程の‘月の出’検索ソフトで、9月4日の月の出時刻を見てみると 19:43(±2) という。 果たして、明日は水平線は‘晴れ’なのであろうか? (つづく) ![]() ![]() |