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弊ブログの今年の月一番
今年2012年も今日で終わりである。

弊ブログは昨年の11月下に開設したから、一年以上が経ったことになる。

今年の締め括りとして、それぞれの月で一番印象に残ったブログを再掲して、今年の総括としたい。

<01月>

● ‘オヤジギャグ’で感激!
http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-35.html

そのウィキペディアの内容に嬉しい記述を見つけてしまった。
‘代表的なオヤジギャグ(編集)’の項目に、

「今日の料理とかけて、赤穂浪士の討ち入りと解く」
「そのこころは?」
「おおしかった!」を意味する解説がなされている!

忠臣蔵
http://blog.livedoor.jp/waruneko00326-002/archives/21363542.html



<02月>

● ‘ヒッチ俳句’のすすめ 
http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-44.html

‘ヒッチ俳句’とは、‘歩きながら’俳句を作るところから来た命名だが、これには決まりがあって、俳句の‘季語’が‘掛詞’になっていて二つの意味を持たねばならないという約束事がある。
紅梅や-2
 紅梅(勾配)や 自転車(チャリンコ)降りて 押して行く (解説:寒い寒い冬がやっと過ぎ去って仄かに紅梅の香りがし始めた。これまで寒さに震えながらも自転車で梅林を突っ切っていたが、やっと一年振りに芳しい紅梅の香りだ。私は自転車を降りてゆっくり香りを愉しみながら初春の梅林の中を自転車を押して行った。これが表の意。勿論掛詞の裏の意味は‘勾配’では自転車は乗ったままでは乗り越えられない、の意)

紅梅
紅梅 http://sanpophoto2.blog18.fc2.com/blog-entry-185.html



<03月>

● 救急車 
http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-85.html

昨年(2011年)の夏、私は突然の高熱と激痛のため‘救急車’で運ばれた経験がある。激痛は‘歯の痛み’だったが、この高熱の意味が判らなかった。

kyuukyuusha
 http://plaza.rakuten.co.jp/chiba611/12000

しかし、公立病院について宿直医の診断によると‘敗血症の疑い’という。どうやら歯磨きの途中で‘何かの菌’が体内に入ったらしいのである。



<04月>

● ‘義務教育’の意義 
http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-105.html

義務教育-1
 http://www.hiroshima-u.ac.jp/news/show/id/754/dir_id/23

<我が家の‘義務教育’に関する‘認識と取り決め’事項>

① 中学3年生になる前の春休みに、必ず子供と親が‘義務教育について認識をしあう話し合い会’を持つ。

② 高校へ‘進学する’か‘進学しない’かは、‘本人自身’が決める。

③ 同じように、高校から大学等へ進学する場合も同様に、‘本人自身’が決める。

④ ただし、親はどんな相談にも応じ、出来るだけの助言はすることとし、決して‘どの学校に進学せよ!’などとの‘強要’をすることはしない。

⑤ 学生の間は‘稼ぐ’ことは余り出来ないだろうから、必要な‘学資・生活費’は親が出す事にするが、これは‘無利子’で貸し与えるので、自分に返済能力が出来た場合に‘元金’分だけを親に返済する。そして、親は返済を催促しない。そして、いつ頃どんな形で返済するかは本人が決める。


以上が、‘無い頭を振り絞って’考えた我が家の進学に関する‘憲法’である。

子供3人に同じ様に接触し、同じように話をして、お互いに納得して我が家の進学問題は終わった。



<05月>

● 茂原市の日食
 ( http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-142.html

2012年05月21日07時36分~40分、千葉県茂原市千沢で金環食をカメラで撮影することが出来た。

日食
2012年05月21日07:36 千葉県茂原市千沢での金環日食



<06月>

 第Ⅲ象限からの脱出!
 ( http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-181.html

第Ⅲ象限からの脱出

<解(怪)説>

先ずは、第Ⅱ象限から・・・。

・第Ⅱ象限:面白いが余り為にならない → 「落語」

・第Ⅲ象限:面白くもなくそんなに為にもならない → 「普通のブログ」

・第Ⅳ象限:面白くは無いが為になる → 「親父の説教」、「社長の訓示」etc.

さて、手前味噌解説での最後は、

・第Ⅰ象限:‘面白くて’その上‘為にもなる’! → 「弊ブログ」



<07月>

 徒然草117段:‘物くるゝ友’ 
http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-208.html

ぐい飲み

友とするに悪き者、七つあり。一つには、高く、やんごとなき人。二つには、若き人。三つには、病なく、身強き人、四つには、酒を好む人。五つには、たけく、勇める兵。六つには、虚言する人。七つには、欲深き人。

よき友、三つあり。一つには、物くるゝ友。二つには医師。三つには、智恵ある友。



<08月>

● 家族全員でのお墓参り 
http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-239.html

お墓

昨日の8月14日、前日に集まった我が家の家族総計10名。長女夫婦+その息子2名。長男夫婦。そして次男夫婦。それにカミサンと私。

長男夫婦に飼われているワンちゃんが一匹同行してくれるので、この10名+1匹で、お墓の清掃とお参りをするのが、我が家のお盆の時期の習慣となっている。

お墓の場所は、千葉県・松戸市・八柱霊園。



<09月>

 巨大‘きのこ’?
 ( http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-280.html

我が家のオ二フスべ

何でもない普通の植え込みの中である。植え込みの中から取り出してきて見ると、どうやら‘きのこ’のようである。

函館キノコの会の石垣充一会長によると、ホコリタケ科のオニフスベ。道南での確認例は少なく、「食べられるが、あまりおいしくないと思います」



<10月>

● ひこばえ(蘖/孫生え)のその後とセイタカアワダチソウ 
http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-312.html

hikobae
2012年09月19日の田圃。8月の終わりに稲刈りを終えて、その後に急成長した‘ひこばえ’

勿論、‘ひこばえ’になる前の第一次収穫と同じ程度とは言えまいが、9月初旬から10月下旬の約2ヶ月間で、もう一度6~7割の収穫があるように思えるのに、なぜもっと積極的に‘ひこばえ’を活用しないのであろうか?



<11月>

● 富士山が見えた!(続報)
 ( http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-334.html

富士山ー1
2012年11月14日17:00 千葉県茂原市千沢からの富士山

望遠写真をPCで拡大。富士山頂付近には、多少の‘雲’が掛かっており、またカメラの性能が良くない為富士山頂付近の積雪までは見えない。

方位及び大きさから見て、先ず‘富士山’に間違いないだろうと思われる。

この検証及び朝方・昼間の写真撮影は、今後何度も実施したいと思っている。先ずは第一報ということで・・・。
お手柄は、発見者のご夫婦である!多分地元の方達も富士山が見えるとは思っておられないのかも知れないが、この写真が動かぬ証拠、となれば嬉しいではないか!


富士山ー3
2012年11月15日08:13

電柱と電線の位置からすると、(昨日の写真と)一寸だけずれてはいるが、明らかに富士山の積雪である。



<12月>

● 「クリスマスって、なあに?」と聞かれて・・・(その1)
 ( http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-375.html

我が家のクリスマスの飾りつけー1

①‘クリスマスデー’は、本当に‘キリストの誕生日’か?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E
3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%82%B9
クリスマス(英:Christmas)とは、イエス・キリストの降誕(誕生)を祝う祭[1][2](降誕を記念する日)[3]。 12月25日に祝われるが、正教会のうちユリウス暦を使用するものは、グレゴリオ暦の1月7日に該当する日にクリスマスを祝う[4][5]。

キリスト教に先立つユダヤ教の暦、ローマ帝国の暦、およびこれらを引き継いだ教会暦では日没を一日の境目としているので、クリスマス・イヴと呼ばれる12月24日夕刻から朝までも、教会暦上はクリスマスと同じ日に数えられる。

新約聖書には、イエスの誕生日を特定する記述は無い。
イエスがヘロデ王の代に、ユダヤのベツレヘムでお生れになったとき、見よ、東からきた博士たちがエルサレムに着いて言った、

—マタイによる福音書第2章第1節(口語訳聖書)
恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生まれになった。このかたこそ主なるキリストである。

—ルカによる福音書第2章第10節 - 11節(口語訳聖書)

キリスト教においてもクリスマスは「降誕[6]を記念する祭日」[3]と位置づけられており、「救世主イエス・キリストの誕生日」と考えられているわけでは無い。

イエス・キリストが降誕した日がいつにあたるのかについては、古代からキリスト教内でも様々な説があった(例えば3世紀の初め頃には、アレクサンドリアのクレメンスは5月20日と推測していた)[3]。

降誕祭とは別に、西方教会では1月6日にキリストの公現を祝う(公現祭)。12月25日の生誕祭は、遅くとも345年には西方教会で始まった。ミトラ教の冬至の祭を転用したものではないかと言われている。


以上が、月に一つを選抜して再掲したものである。今年の夏以降は、毎日一つを目標にして実行して来た。

毎日一つの実行はそんなに簡単ではなかった。ただ、毎日のアクセス数を調べてみて、こんなに大勢の方にご覧戴いていることをバネに頑張った。また、毎日のランキングが気になって少しでも上位にとの思いがあったことは事実である。まだまだ‘悟り’の境地には程遠い。

まだまだ世の中知らないことだらけ。来年も一日一ブログを目標に続けて行く積りである。

除夜の鐘
知恩院の除夜の鐘 http://s0510552.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post-f68f.html


来年もよろしくお願い致します。
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[2012/12/31 00:50] | 言葉の威力 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
井の中の蛙・・・・。‘ことわざ’を地で行く御仁。
危ない‘構図’:「日本未来の党」http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-352.html )という弊ブログ(2012年11月30日)の中で、以下の通り「日本未来の党」についての‘感想’を述べた。

(前略)

高望みの‘素人’を‘玄人’は狙っている!

‘もうひと旗’を挙げたいと思っている人程、落とし穴に嵌り易い!

それに嵌った人達の顔を想い起こして欲しい!

そして、その証拠と考えて良いのは、この党に‘オリジナリティ’がないことである。

全てが‘借り物’というか‘パクリ’である。

その1: ‘脱’原発 → ‘卒’原発

その2: もう一つの目玉という子供手当の額:鳩山民主党の額と全く同じ!

その3: 自治体の首長で政党の代表:橋下市長の発想のパクリ

これでは、公共事業投資の額が、12月2日発表と言われているが、きっと何処かの党のものと同じ表現になること間違いなし!これも聞こえの良い物を‘パクル’に違いない!

恥ずかしくないのだろうか?

オリジナリティの無い人達に‘経済対策’等‘推進’出来る筈がない!

オオカミさんが狙っていますよ!

「日本未来の党」「日本‘ミイラ’の党」になってしまう可能性を秘めている。‘身の丈’の認識があってこそ本当の政治家というもんだ。

PN2012112701001429 (1)
http://news.goo.ne.jp/photo/kyodo/politics/PN2012112701001429.html

上記新聞記事の直ぐ後の写真、どう見ても党名が「未来の党」にしか見えないと書いた。まだ気になって別の写真を引用して見た。やはり「未来の党」である。「日本未来の党」ではない!

選挙の時には、どっちを書くの? 選管はどっちを正式党名とするの?

もしも、「間違ってました!」というのなら‘政党を結成する資格なし!’である。党名の発表会で党名を間違えるなんて‘前代未聞’!!

(後略)



「井の中の蛙大海を知らず」ということわざは、小学3年生くらいなら、もう誰でも知っている。賢い子なら、まだその本当の意味は判らずとも小学1年生でも知っている。

それなのに、大の大人で、京都大学のご出身というから、われわれ低学歴の者からすれば‘神様、仏様’とも思っていた御仁が、このざま(様/態)はないだろうと思えた。穿った見方をすれば、‘京都大学って、裏口入学あり?’とさえ思われる言動・行動である。

「故事ことわざ辞典」によれば次のように解説してある。

http://kotowaza-allguide.com/i/inonakanokawazu.html
井の中の蛙大海を知らず
【読み】 いのなかのかわずたいかいをしらず
【意味】 井の中の蛙大海を知らずとは、知識、見聞が狭いことのたとえ。また、それにとらわれて広い世界があることに気づかず、得意になっている人のこと。
【井の中の蛙大海を知らずの解説】
【注釈】 狭い見識にとらわれて、他に広い世界があることを知らないで、自分の住んでいるところがすべてだと思い込んでいる人のことをいう。
小さな井戸の中に住む蛙は、大きな海があることを知らないという意から、物の見方や考えが狭いことを批判する場合に多く使われる。
『荘子・秋水』に「井蛙は以て海を語るべからざるは、虚に拘ればなり(井戸の中の蛙に海の話をしても通じないのは、蛙が井戸という狭い場所にとらわれているから)」とあるのに基づく。
略して「井の中の蛙」「井蛙(せいあ)」ともいう。
また、「井の内の蛙大海を知らず」「井底の蛙」とも。
「蛙」は「かえる」とも読む。
【出典】 『荘子』
【注意】 -
【類義】 鍵の穴から天を覗く/夏虫は以て氷を語るべからず/管を以て天を窺う/井蛙の見/井蛙は以って海を語るべからず/天水桶の孑孑/夏の虫氷を笑う/針の穴から天を覗く/葦の髄から天井を覗く
【対義】 -
【英語】 He that stays in the valley shall never get over the hill.(谷の中に住み続ける者は、決して山を越えることはない)
The frog in the well knows nothing of the great ocean.(井の中の蛙大海を知らず)
※ 20世紀初頭に英訳されたことわざ。
【用例】 「井の中の蛙大海を知らずで、彼(女)はいつも得意げに自分の成功例ばかり挙げるけれども、世の中にはそれ以上に大きな事業を成し遂げている人はたくさんいる」


この「故事ことわざ辞典」の解説は、今度の‘事件’を、まるで見て来た後に書かれたのでは?とさえ思われるくらい、‘ぴったんこカンカン’であ~る。

こんな国の方針を左右するかもしれない場面で‘予測’は当たって欲しくは無かったが、正に的中してしまった!

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20121229/k10014517291000.html
日本未来の党が分党 野党間連携に影響も
12月29日 6時34分

分党ー1

日本未来の党が分党したことについて、野党の中で、民主党などからは「選挙直後の分裂は国民から理解されない」といった批判も出ていて、来年夏の参議院選挙に向けた野党間の連携に影響が出ることも予想されます。

日本未来の党は、先月末、滋賀県知事の嘉田代表が中心となって結成し、旧「国民の生活が第一」の小沢一郎氏らが合流しましたが、小沢氏の処遇などを巡って党内の意見が対立し、僅か1か月で分党しました。
そして、嘉田氏と阿部知子衆議院議員が離党し、2人を共同代表とする政治団体「日本未来の党」を新たに結成する一方、小沢氏ら15人の国会議員は、党名を「生活の党」と変更することを届け出ました。
これを受けて、8億円余りに上るとみられていた政党助成金のほとんどは、来年、「生活の党」に交付される見通しとなっています。
ただ、「生活の党」と、嘉田氏らが率いる「日本未来の党」は、分党はしたものの、来年夏の参議院選挙に向けて、脱原発の実現などで協力しながら、民主党などほかの野党と連携を図っていきたい考えです。
しかし、野党の中で、民主党などからは「衆議院選挙の直後に党が分裂するようでは、国民から理解されない」といった批判も出ていて、参議院選挙に向けた野党間の連携に影響が出ることも予想されます。

[関連ニュース]
  自動検索
・ 嘉田代表 日本未来の党の分党を陳謝 (12月28日 19時32分)
・ 未来 両院議員総会で分党了承 (12月27日 15時43分)
・ 未来 嘉田代表が年内にも分党で調整 (12月26日 15時58分)
・ 未来 小沢氏の処遇巡り党内対立 (12月25日 4時15分)


http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20121228/plt1212282141003-n1.htm
嘉田氏、歯切れ悪く…共同声明で分党表明「未来の党がなくなるのではない」  
2012.12.28

分党ー2
日本未来の党の分党について会見する、嘉田由紀子滋賀県知事(左)と小沢一郎氏=28日、滋賀県大津市のピアザ淡海(門井聡撮影)【拡大】

 嘉田由紀子滋賀県知事が旗揚げした日本未来の党の分党をめぐり、嘉田氏と、小沢一郎氏、森裕子氏らが28日、大津市内で記者会見を開き、旧日本未来の党を受け継ぐ「生活の党」と、嘉田氏らが離党して新たに設立する新生「日本未来の党」に分党することを表明した。

 会見ではまず、嘉田氏が分党に関する共同声明を読み上げた。

     ◇

 仕事納めの日に集まりましてありがとうございます。小沢さん、森さん、大津までお越しいただきありがとうございます。共同声明を読ませていただきます。

 本日、これまでの「日本未来の党」は、新生「日本未来の党」と「生活の党」という2つの政治団体に分党して、新たにスタートを切ることになりました。これは先月27日に「びわこ宣言」を発表してから、原発から卒業して、だれもが希望を持てる未来を作るために結党し、総選挙を戦った日本未来の党がなくなるということでは決してありません。

 掲げた理念と政策は2つの団体、この旗の下に戦った多くの同士にも引き継がれるものです。目指す大きな方向は2つの政治団体とも一致しており、今後とも手を携えてまいります。そのことが総選挙で「鉛筆一本の勇気」ともいえる貴重な1票を投じてくださった国民のみなさまに対する公の団体としての責任であり、政治家としての責務であると痛感しています。

 今回2つの政治団体になるのは、お互いの違いを強みとしていかしていくことで、国民の皆様の期待にこたえたいと考えたからです。2つの政治団体に分かれることについては、小選挙区300万票、比例区約340万票もの支持を寄せてくださった国民のみなさまには本当に申し訳なく心よりお詫び申し上げます。

 しかし、私たちに立ち止まっている時間はありません。国会で絶対多数となった自民・公民の連立政権が早く原発の再稼働、新増設に向けて歩みだそうとしています。極端な右傾化など、この国を危うくする動きに対し、これからもともにたたかって参ります。

 総選挙で掲げた卒原発、消費増税凍結、子供や女性、若者がいききと活躍できる社会を作ることなどを目的に2つの政治団体のみならず、多くの志を同じくする人々とともに展開して参ります。

 今後とも国民のみなさまの付託に答え、理念と政策の実現に向けて邁進して参ります。



‘分党’という言葉は、少なくとも古い‘広辞苑’には出て来ない。

‘分党’と‘党分裂’は同じことではないのだろうか?

‘脱原発’を‘卒原発’と‘パクって’、意味不明のものにし、「小沢一郎さんを使えないで官僚が使えますか!」と豪語して、完全に政党助成金を今度は‘パクられる’という失態は、小沢一郎氏を‘操縦した’事にはならない!

そんなことも予測出来ずに、まだ‘国政’に居座ろうとする図々しさは‘女性特有の’ものという謗りを免れないから、これで一挙に女性を敵に回すこととなった。

そして、厚かましくも「国民のみなさまの付託に答え」等と仰るが誰が‘付託’などするものか!

更に更に「女の浅知恵」などという古い言葉を蘇られたしまった責任は大きい! 

でも、ご本人は、そんなことには気づいておられないから‘幸せそうな’顔をしておられる。

不思議な御仁である。

[2012/12/30 00:24] | 政治と社会 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
「クリスマスって、なあに?」と聞かれて・・・(その5)
数日前から、‘クリスマス’関連で、小さい時から疑問だった以下の10項目について色々調査をした。その結果、普段そう思っていたことが、ほとんど間違っていることが判ったし、どうやら‘常識のウソ’が本当らしいナ、と思われてきた。昨日までに、以下の10項目の①~⑦までは、何らかの‘正解’に辿りつくことが出来た。

その情報は、このブログの昨日までのところを見て戴きたい。

さて、そんな訳で、残りの疑問は、あと3つである。

①‘クリスマスデー’は、本当に‘キリストの誕生日’か?

②‘クリスマスイブ’を何故祝うのか?

③ 諸外国では、‘クリスマスデー’が12月25日であるという事は本当か?

④ キリストとサンタクロースの関係は? 或いは、何故サンタクロースなのか?

⑤ サンタクロースは何故子供達だけにプレセントを呉れるのか?

⑥ サンタクロースの衣装の色は何故赤い? 

⑦ サンタクロースとコカコーラの関係は?

⑧ 日本においては、昔12月25日は国民の祝日だったというのは本当か?

⑨ クリスマスの‘表記’(X-masやX’mas etc.)が色々あるのは何故か?

⑩ 諸外国では、クリスマスの飾りつけは翌年の1月6日までが常識というのは本当か?


xmas_001.jpg
http://plaza.rakuten.co.jp/mari24/diary/200811040001/

⑧ 日本においては、昔12月25日は国民の祝日だったというのは本当か?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%
AA%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%82%B9

昭和(戦前) [編集]

1926年(大正15年)12月25日に大正天皇が崩御し、昭和時代が幕を開けた。戦前の休日法は当初から先帝祭を休日に定めていたため、1927年(昭和2年)3月4日に当時の休日法「休日ニ関スル件」が改正され、大正天皇祭(12月25日)が設定された。 

クリスマスの習慣は休日だったこの時代に広く普及したとされている。

1928年(昭和3年)の朝日新聞には「クリスマスは今や日本の年中行事となり、サンタクロースは立派に日本の子供のものに」と書かれるまでに普及していた[20]。
昭和初期の頃、銀座、渋谷道玄坂から浅草にいたるまでの多くのカフェや喫茶店においてはクリスマス料理の献立を用意し、その店員はクリスマスの仮装をして客を迎えた。この様子を1931年(昭和6年)12月12日の都新聞は、「七千四百余のカフェと二千五百余の喫茶店に華やかにクリスマスが訪れサンタ爺さん大多忙を来たす」と報じた。

昭和(戦後)・平成 [編集]

1948年(昭和23年)7月20日に「国民の祝日に関する法律」が施行され、大正天皇祭は休日から外されてしまったが、以降もクリスマスは年中行事として定着し、行事も盛大に行われるようになった。


上記引用資料によると、

‘クリスマス’であることを以って、‘国民の休日’としたのではなくて、大正天皇が崩御されたのが、大正15年12月25日であって、当時の休日法によれば、その日を‘大正天皇祭’として休日にしたために、クリスマスが‘偶々’休日になったという訳である。

言ってみれば、日本にクリスマスの‘行事や習慣・風習’が流行ったのは、大正天皇のお陰である、とも言えないことは無い。


⑨ クリスマスの‘表記’(X-masやX’mas etc.)が色々あるのは何故か?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%
AA%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%82%B9

語源と表記 [編集]

日本語の「クリスマス」は、英語の「Christmas(キリスト)の mass(ミサ)」に由来し、語史的には中英語 Cristemasse < 古英語 Crīstes mæsse(初出 1038年)[8][9] に遡る。日本語では他に、「降誕祭」、「聖誕祭」、「聖夜」などの呼び方がある。「クリスマス」にあたるドイツ語は「Weihnachten(ヴァイナハテン)」、フランス語は「Noël(ノエル)」、スペイン語は「Navidad(ナビダー)」、ラテン語は「Christi Natalis(クリスティ・ナタリス)」であるが、語源は必ずしも同じではない。ギリシア語では「Χριστούγεννα(クリストゥ・ゲナ)」と言い、「キリストの誕生」を意味する(γέννα:誕生)。

英語「Christmas」は、ややくだけた略記として「Xmas」または「X-mas」があり、英語圏のスタイルガイドでは推奨されていないものの[10]、印刷物によく見られる。これはギリシア語「Χριστος (Christos)」の頭文字である「Χ(カイ、キー)、またはそれと形が同じラテン文字「X(エックス)」を Christ の省略形として用いたもので、古くは中英語に、Χρēs masse の表記が見られるという[9]。他にアポストロフィを付けた「X'mas」[11]、「Christ」の末字「t」を添えた「Xtmas」[12]や「Xtmas」、Χριστοςの頭二文字をラテン文字に置き換えた「Xpmas」などがあったが、「Xtmas」は稀、それ他は極めて稀である。

日本・台湾・東南アジアの一部では、X'masの表記が利用されている。前述のように英語圏にもこの略記が見られないわけではないが、Xがキリストを表し、Xの後ろに何かが省略されているわけではないのでアポストロフィを付けるのは誤りであるとされたり、あるいは、現代の英語圏で使用が少ないため誤用とされたりすることがしばしば見受けられ、Engrishの代表とされることがある[13][14]。なお、日本では「Xマス」とも略記する。
ロシア語での「クリスマス」の略記は、「ハリストス(キリストの現代ギリシャ語・ロシア語読み)の降誕」を意味する「Рождество Христово」の頭文字からとった「РХ」で表される。ロシアでは、聖堂などに「РХ」とネオンサインで表示する様子がしばしば見られる。


こんな状態だから、表記については、まあどれを使っても‘誤り’とは言えないようである。

我々は、小さい時から「X’mas」に慣れてしまっているので、これが一番雰囲気が出る!


⑩ 諸外国では、クリスマスの飾りつけは翌年の1月6日までが常識というのは本当か?


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やはり、WEBで調べてみたら、次のような体験にも基づいた‘完璧に近い’ブログがあったので、全面引用掲載をしてみた。このブログが書かれたのはアメリカである、多分。

http://www.odekake.us/article/a1007.php?article_id=2322

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クリスマスツリーはいつまで飾るもの?

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かつて、クリスマス休暇に夫の実家に泊まりがけで遊びに行った際に一番驚いたのは、家中のデコレーションとツリーが26日の朝にすっかり片付けられてしまっていたことです。「サンクスギビングの翌日に飾り付けをするから、一ヶ月もするとクリスマスも飽き飽きしてくるのよね。」とその理由を話してくれましたが、1月半ばまでツリーを飾っていた私の実家とはだいぶんと感覚が違うものだと不思議に感じたものです。今年は夫の都合で、ツリーの購入が20日とだいぶ遅れてしまい、この立派な生木をクリスマス直後に処分するのは勿体ない...と頭を悩ませています。一方で、日本人としては、デコレーションも一掃した上で新年を迎えたいという感覚もあるので、正式にはいつまでツリーを飾っておいてよいものか、少し調べてみました。

米国内で最も有名なクリスマスツリーはおそらくホワイトハウス、そしてニューヨーク市のロックフェラーセンターに飾られるツリーだと思われます。今年もどちらも11月中に飾りつけが行われ、華やかな点灯セレモニーはホワイトハウスが12月2日、ロックフェラーセンターでは3日に行われました。クリスマス後は、ロックフェラーセンターのツリーは1月7日まで飾られており、ホワイトハウスのツリーは1月1日まで点灯されているようです。

インターネット調査を見ても、1月の上旬に片付けを行う人が大半で、それに次いで27日から31日の間に片付ける人が多いようです。夫の家族のように26日の朝に処分してしまう家族は少数派です。実際、近所のツリー回収所では、26日から1月8日まで引き取りを行っているとのお知らせがありました。(収集されたツリーはチップ加工し、公園などで再利用されます。)

一方、ヨーロッパではクリスマスイブにツリーを買って、その日に飾り付けを行い、1月7日に片付けるのが最も伝統的とされています。ドイツではこの慣習が一般的で、アメリカでもカソリック系の家庭ではこの伝統を守っているところが多いようです。その理由とは、「12 Days of Christmas」というクリスマスキャロルがあり、シェイクスピアの喜劇には「十二夜(御意のままに)」と題されたものがある通り、クリスマスは一晩ではなく、イエス生誕を祝う25日に始まり、東方の三博士がイエスを拝みに来たとされる1月6日の公現祭に終了する12日間を指すためです。そして、クリスマスツリーはこの12日間を祝うために飾るとされています。旅行中の三博士が迷わぬよう、ツリーの光を灯しておくという意味もあるそうです。

夫の家族はプロテスタントなので、公現祭を祝わないどころか、三博士がイエスを拝みにきたのは、数年後という設定になっているので、クリスマスはどうしてもキリスト生誕で完結してしまいます。また、アメリカではタイミングよく一ヶ月前に感謝祭があるため、本来であれば準備期間のアドベントが重視され、いかにもこの期間がクリスマスシーズンであるかのように扱われるようになってしまったようです。クリスマスプレゼントは24日、または25日に渡すものという概念が根付き、サンタクロースがクリスマスに欠かせない存在となった今、25日は商業的にもクリスマスシーズンのクライマックスと考えるのが常識とされています。

日本では12月から正月準備を行い、新年は元日から三が日、そして松の内、と何日かに亘ってお祝いが行われるのと同様、クリスマスも遡って4週間前から行う準備がアドヴェント、イブに最終的な準備としてツリーの飾り付けを行い、クリスマスを十二日間祝った上で、その翌日の7日に片付けるのが伝統的なクリスマスの姿と言えるのかもしれません。我が家の子供達は二人共12月生まれ、ということもあり、ここ数年間はクリスチャンとして最も重要な祝日の一つであるはずのクリスマスを余裕をもって体験することができない状態でした。でも、クリスマスは25日からと考えることができれば、来年からは焦らずにクリスマスを楽しむことができそうな気がします。

さらに余裕が必要な場合は、キリストの生母マリアが天使ガブリエルから受胎告知を受けた日として祝う2月2日の聖燭祭をクリスマスシーズンの最終日とし、この日にクリスマスツリーを薪として燃やすところもあるようです。(ちなみに、2月2日はアメリカではグラウンドホッグデーとして知られています。) さらには、2月2日までにツリーを撤去しないと不幸が訪れるというような言い伝えもあるようです。生木の場合、それまでにはとっくに乾ききっていて、ライトの電源を入れたりしたら火事を起こしかねません。ひょっとしたら、この言い伝えには「火の用心」の意味合いも含まれているのかもしれません。


関連リンク:
ロックフェラーセンターツリー:http://gonyc.about.com/od/christmassights/p/rockcentertree.htm
クリスマスツリー(ウィキペディア):http://en.wikipedia.org/wiki/Christmas_tree

ツリー処分のタイミング調査:
その1:http://forums.catholic.com/showthread.php?t=208658
その2:http://www.christmasorganizing.com/node/791/results
文・写真/ ポインター理絵


この上記引用ブログを見れば、クリスマスツリー(飾り)の事が、よ~く判る。

以上を以って、小さい時から思っていたクリスマスに関する‘10個の疑問’がすっかり明確になった!

lights12.jpg
http://matome.naver.jp/odai/2129075666177646801/2129100187681472803


[2012/12/29 00:49] | 宗教 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
サンタクロースを追跡!
‘NORAD’と言えば、つい最近の北朝鮮ミサイル発射に関し、衛星軌道に乗ったことを認めた発表をしたことで知られている。
 

http://www.asahi.com/international/update/1212
/TKY201212120290.html

「人工衛星打ち上げ」と主張していた北朝鮮は、朝鮮中央通信を通じて「打ち上げに成功し、衛星は予定された軌道に入った」と伝えた。NORADも人工衛星の軌道に乗ったと確認した。


そのNORADが、もう50年以上も前からサンタクロースを追跡しているという。

f81773e6-s.jpg
http://www.yukawanet.com/

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http://jp.123rf.com/photo_2176894_santa-s-sleigh--
vector-all-elements-are-grouped-in-layers.html


http://www.noradsanta.org/ja/about.html
NORADについて

「我々の監視任務」

北米航空宇宙防衛司令部 (NORAD)は米国とカナダが共同運営する統合防衛組織で北米の航空宇宙の危険早期発見と警告、統治、及び海上領域の防衛を担当しています。

航空宇宙の危険早期発見任務は宇宙空間に於ける人工器物の観測、探知、確証、更に航空機、ミサイル、宇宙船などからの航空攻撃に対して事前警告を発し他の支援協定司令部との共同により北米の防衛を行っています。

jets.jpg

航空宇宙の統治任務はカナダと米国間の領空統治権に基づく両国の航空宇宙空間の航空防衛を目的としています。2006年の5月の NORAD 協定更新の際に海上領域の監視が追加されましたが、これは両国間の米国内に於ける軍事活動、両国の軍事アプローチ法、海上領域の認識と理解を深める目的です。

コロラド州コロラド・スプリングスに本部を構えるNORAD の任務は長い年月の中で多様化してきました。優れた二国間協定の成果で NORADはその効果的な監視、警告、対処を例証しています。2001 年 9 月 11 日に発生した同時多発テロ事件はNORAD の北米安全に不可欠なものであることを実証しました。昨今ではNORAD は対国内航空脅威に対して他の方法で対処できない場合には民間権力行使として勢力的な軍隊派遣を行っています。

NORAD の職員は、絶えず米国、及びカナダの領空と領海の警戒に当たり両国民の安全確保に努めています。

map.png


サンタを追跡する理由

NORAD とその前身である中央防衛航空軍基地 (CONAD) は50 年以上に渡りサンタの飛行を追跡して来ました。

この恒例行事は1955 年にコロラド・ スプリングスに拠点を置くシアーズ ・ローバック社が子供向けに「サンタへの直通電話」を開設した時に誤った電話番号を広告に掲載したのがきっかけとなって始まりました。サンタに繋がるはずのその番号は何と CONAD の司令長官のホットラインの番号だったのです。子供達からの電話を受けた当時の司令官ハリー シャウプ大佐はサンタが北極から南に向かった形跡がないか部下にレーダーで確認させました。そして電話を掛けてきた子供達にサンタの現在地の最新情報を順次伝えたことからこの伝統が生まれました。

1958 年にカナダと米国の両政府は北米航空宇宙防衛司令部、通称 NORADとして知られる両国が共同運営する北米防空組織を創設しました。そしてそれがサンタ追跡という伝統も引き継いだというわけです。

それ以来NORAD 職員とその家族や友人の献身的なボランティアによって世界中の子供達からの電話やメールへの対応が続けられています。また現在ではサンタ追跡にインターネットも利用しています。サンタの現在地を調べようとNORAD TRACKS SANTA®ウェブサイトにアクセスする人の数は何百万人にものぼります。

そして今では世界中のメディアもサンタの飛行経路に関する信頼できる情報源として NORAD の情報を採用しています。

サンタの追跡方法

NORAD はレーダー、人工衛星、サンタ・カメラ、ジェット戦闘機の 4 つの最新鋭システムでサンタを追跡します。

radar.jpg
まず使用するのは北米警戒システムと呼ばれる NORAD レーダー ・システムです。

この強力レーダー・ システムは、北米の北部国境に張り巡らされた 47 の施設で構成されています。NORAD はクリスマスイブにこのレーダーを絶えず監視してサンタクロースが北極を出発する瞬間をキャッチします。

サンタが飛び立ったのをレーダーで確認したら、次の検知システムの出番です。地球の上空約 35,888 km の静止軌道上には赤外線センサーが搭載され熱を感知することのできる人工衛星が複数配置されています。なんと赤鼻のトナカイ、ルドルフの鼻からは赤外線信号が放出されているため、NORAD の人工衛星はルドルフとサンタの位置を検知できるのです。

3 番目の追跡システムはサンタ・カメラ・ネットワークです。サンタ追跡プログラムをインターネット上で展開し始めた 1998 年から使用しています。サンタ・カメラは超クールなハイテクの高速デジタル カメラで、世界中にあらかじめ設置されています。NORAD ではこれらのカメラをクリスマスイブの 1 日だけ使用します。これで世界中を飛び回るサンタとトナカイの画像と動画を捉えます。

jet.jpg
追跡システムの 4 番手はジェット戦闘機です。

CF-18 戦闘機を操縦するカナダ NORAD のパイロットがサンタに接近し北米へと迎え入れます。米国内ではF-15 や F-16、F-22 戦闘機を操縦する米国 NORAD のパイロットがサンタとその有名なトナカイ達、ダッシャー、ダンサー、プランサー、ヴィクゼン、コメット、キューピッド、ドナー、ブリッチェン、そして勿論、ルドルフとのスリル満点の共同飛行を実現します。


<追跡結果!>

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20121224/k10014402101000.html
追跡結果は、NORADの特設のホームページに掲載され、それによりますと、サンタは日本時間の24日午後8時ごろ、北極上空を出発し、太平洋を縦断してニュージーランドやパプアニューギニアを回ったあと、再び北半球に上り、午後9時半ごろには日本の北海道上空に到着したようです。



今年もやります!NORAD によるサンタの追跡 - インターネットコム-10001
http://japan.internet.com/webtech/20111202/5.html
サンタ基地を出発

今年もやります!NORAD によるサンタの追跡 - インターネットコム0001
http://japan.internet.com/webtech/20111202/5.html
空中に舞い上がりました!

今年もやります!NORAD によるサンタの追跡 - インターネットコム-70001
http://japan.internet.com/webtech/20111202/5.html
イギリスではTVが追跡

今年もやります!NORAD によるサンタの追跡 - インターネットコム-60001
http://japan.internet.com/webtech/20111202/5.html
シカゴ上空

今年もやります!NORAD によるサンタの追跡 - インターネットコム-80001
http://japan.internet.com/webtech/20111202/5.html
アメリカ・自由の女神前

こんな面白い企画、今後もずっ~と続けて欲しい!

(つづく)
[2012/12/28 00:28] | サイエンス | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
「クリスマスって、なあに?」と聞かれて・・・(その4)
昨日のつづき。今日のテーマは、サンタクロースについて

サンタクロース
http://blogs.yahoo.co.jp/aquarius1969newage/64572224.html


④ キリストとサンタクロースの関係は? 或いは、何故サンタクロースなのか?

⑤ サンタクロースは何故子供達だけにプレセントを呉れるのか?

⑥ サンタクロースの衣装の色は何故赤い? 

⑦ サンタクロースとコカコーラの関係は?

④ キリストとサンタクロースの関係は? 或いは、何故サンタクロースなのか?

⑤ サンタクロースは何故子供達だけにプレセントを呉れるのか?

この疑問ついては、以下のような資料がある。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1220973867
Q:クリスマスとサンタとキリストの関係を教えて下さい。
riroruさん

クリスマスとサンタとキリストの関係を教えて下さい。
クリスマスってキリストの誕生日だからお祝いするって思ってたんですが、
サンタクロースはどうかかわってるのでしょうか?

なぜ12/24にサンタが家の煙突から入って子供にプレゼンとを配ることになってるのでしょう?

子供のころから疑問でなりませんでした。

知ってる方、教えて下さい。

ベストアンサーに選ばれた回答
dreineerさん

A:ちゃんと説明しようと思うととても長くなりますがいいでしょうか。

まずこの3つはもともと「あまり」関係のないものだったのが一緒にまとまったんです。

クリスマスという名前は「キリストの降誕祭」という意味ですが
実はキリストの誕生日が12月25日だとは聖書には書いてありません。

でも宗教行事としてこの日に「キリストの誕生を感謝する」と決められたのです。

ではなぜこの日に決まったのかと言うと、キリスト教以前のヨーロッパや中近東の宗教で
冬至には太陽の恵みが再び蘇って春に向かうことを祝う冬至祭がさまざまな形で
行なわれていたからです。キリストの誕生を祝うのも、太陽の恵みになぞらえる意味が
そこに込められたと考えられています。

25日という日付についてはそれぞれの文化で使っていたカレンダーの違いから
実は一定ではないのですが(冬至ともズレていますね)、根本が冬至なのは同じです。

さて、サンタクロースですが、キリスト教の聖人であるトルコの聖ニクラウスが原型です
この人が貧しい人や困っている人たちに贈り物をして助けたという伝説が形を変えていって
聖ニクラウスの日と定められている12月6日に子供たちにプレゼントをくれる人という
イメージができ、ヨーロッパの各地で今もこの日にプレゼントをもらっています。

この人自身はキリスト教関係者ですが、やはりキリスト教以前から残っている古い宗教の風習と混ざっていき、冬の祭りと贈り物とそれをくれるおじいさん(若い人や女性というのもあります)の存在がキリスト教の「冬の祭り」であるクリスマスとかぶって行きました。
それでもヨーロッパの各地でバラバラだった12月の行事とクリスマスの関係が今のように一つにまとまった姿になったのは、アメリカに移民して行った人たちがそれぞれの風習をアメリカで融合させて行ったのが一因だと考えられています。

アメリカ文化の力が強くなって、今ではヨーロッパにそれが逆輸入される形でまた形を変えているようです。
日本で広まったのはこのアメリカ式のクリスマスだと思います。

太った白い髭のおじいさんが赤い服を着てトナカイのそりでプレゼントを配るのが24日の夜、という今では公式みたいになっているクリスマスについての決まりも実は19世紀以降に定着したものです。

その定着する過程で、サンタがどうやって家に入るのか、それは煙突から入るのだ、といった答えが用意されました。
これには聖ニクラウスが貧しい家にお金を配る時に暖炉の煙突に投げ込んで行ったという伝承が影響を与えているとも言われています。

歴史的にはまず冬を越すための祈りと祭があってプレゼントも存在し、そこにキリスト教のクリスマスができてさらにサンタクロースがそのプレゼントをくれる人として定着した、ということになるでしょう。


次の資料も大いに参考になる。

http://okwave.jp/qa/q1849718.html
4世紀頃の東ローマ帝国小アジアの司教、キリスト教の教父聖ニコラウスの伝説を起源とするが、史実ではないと言われる。

「ある日ニコラウスは、貧しさのあまり、娘を身売りしなければならない家の存在を知った。ニコラウスは真夜中にその家を訪れ、屋根の上にある煙突から金貨を投げ入れる。このとき暖炉には靴下が下げられていたため、金貨は靴下の中に入っていたという。この金貨のおかげで娘の身売りを避けられた」という逸話が残されている。靴下の中にプレゼントを入れる風習も、ここから来ていると思われる。

その後、1822年にニューヨークの神学者クレメント・クラーク・ムーアが子供のために作った詩「聖ニコラウスの訪問」がきっかけとなり、サンタクロース物語は世界中に広まったというのが現在までの定説。

だそうです。
参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%
82%BF%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%B9


という訳で、サンタクロースの存在意義がかなりよく判った。

⑥ サンタクロースの衣装の色は何故赤い?

freexmas01.jpg
http://matome.naver.jp/odai/2125808201511036222
 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%8
2%BF%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%B9

サンタクロースの姿・特徴 [編集]

常に笑顔の、白のトリミングのある赤い服・赤いナイトキャップ姿で白ヒゲを生やした太りぎみの老人の男。白い大きな袋にクリスマスプレゼントを入れて肩に担いでいる。19世紀の初出では一頭立てのトナカイがソリを引く姿が描かれていたが、やがて八頭立てとなり、家々の子どもたちが寝ている間にプレゼントを配る現在のイメージに至っている。

欧米諸国などのサンタは「Ho Ho Ho」(ホゥホゥホゥ)と特徴的な笑い声をあげる事がある。伝統文化として定着している面もあり、カナダではサンタクロース宛専用の郵便番号「H0H0H0」がある(同国の郵便番号の書式は"A1B2C3"のようなアルファベットと数字の組み合わせのため、アルファベットの"O"(オー)の代わりに数字の"0"(ゼロ)を使用している)。

ドイツの古い伝承では、サンタは双子で、一人は紅白の衣装を着て良い子にプレゼントを配り、もう一人は黒と茶色の衣装を着て悪い子にお仕置きをする(クネヒト・ループレヒトを参照)。容姿・役割共に日本のなまはげに似ており、民俗学的にも年の瀬に来訪する年神としての役割の類似が指摘される。現在、ドイツでは聖ニコラウスは「シャープ」と「クランプス」と呼ばれる二人の怪人を連れて街を練り歩き、良い子にはプレゼントをくれるが、悪い子にはクランプス共に命じてお仕置きをさせる。

スペイン・イタリア・ポーランド・メキシコなどのカトリック教徒が多い国では、顕現節という祝祭があり、伝統的にはこの日(1月6日)に子供たちはプレゼントをもらう。イタリアでは良い子にはプレゼントやお菓子、悪い子には炭を配って歩く魔女ベファーナの伝承がある。ハイチではトントン・ノエル(サンタクロース)と一緒にトントン・マクート(麻袋おじさん)が回り、悪い子はトントン・マクートが袋に入れてさらってゆくとされる。

ロシアのジェド・マロースは青い服を着ている。
アイスランドでは、サンタクロースに相当する妖精として13人のユール・ラッズがいる。「スプーンを舐めるサンタ」など13人に明確なキャラ付け、名前などの設定が決められているほか、父(グリーラ)、母(レッパルージ)、そしてペットのユール・キャット(クリスマス猫)などもいる。エーシャ山に五千年住んでおり、12月12日から毎日ひとりずつおりてきて、良い子にはお菓子、悪い子には生のジャガイモを靴のなかにいれていく。24日に勢揃いし、25日からひとりずつ山に戻る、という。[1][2]。
サンタクロース(シンタクラース)の服装はキリスト教の司祭服に由来する。


というから、サンタさんの服装は、赤(と白)とばかりではないらしい。

⑦ サンタクロースとコカコーラの関係は?

コカコーラ、トラック、サンタクロース-485x728
http://ja.freewalls.org/wallpaper/%E3%82%B3%E3%8
2%AB%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%80%81%E3%83%88%E3%8
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2%BF%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%B9/

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%BF
%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%B9

コカ・コーラとの関係 [編集]

コカ・コーラ社のコーポレートカラーはサンタクロースの衣装と同じ赤と白であり、サンタクロースの衣装はコカ・コーラの広告に由来するとする俗説がある。

しかし、米国コカ・コーラの広告にサンタクロースが初めて採用されたのは1931年であり、この時にはすでに遠く離れた日本ですらサンタクロースのおなじみの姿は確立されて十数年が経過していた。なお、日本での最初のコカ・コーラ輸入は1914年頃であったが、間もなく販売中止となり、再度上陸したのは戦後の1949年になってからであった。従ってコカ・コーラを手にしたサンタクロースが日本で紹介されたのは1949年以降の戦後のことである[8]。
なおニコラオスは、商人の守護聖人でもある[9]



(つづく)
[2012/12/27 00:26] | 宗教 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
「クリスマスって、なあに?」と聞かれて・・・(その3)
‘クリスマス’に関して以前から、私には次のような疑問があった。

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①‘クリスマスデー’は、本当に‘キリストの誕生日’か?

②‘クリスマスイブ’を何故祝うのか?

③ 諸外国では、‘クリスマスデー’が12月25日であるという事は本当か?

④ キリストとサンタクロースの関係は? 或いは、何故サンタクロースなのか?

⑤ サンタクロースは何故子供達だけにプレセントを呉れるのか?

⑥ サンタクロースの衣装の色は何故赤い? 

⑦ サンタクロースとコカコーラの関係は?

⑧ 日本においては、昔12月25日は国民の祝日だったというのは本当か?

⑨ クリスマスの‘表記’(X-masやX’mas etc.)が色々あるのは何故か?

⑩ 諸外国では、クリスマスの飾りつけは翌年の1月6日までが常識というのは本当か?


これらの内、①と②については、‘一応’解決済みである。

① 12月25日は、キリストの誕生日ではない!「キリストの降誕を祝う祭り」である。( 「クリスマスって、なあに?」と聞かれて・・・(その1)(2012/12/24 - 宗教) http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-375.html

② 教会歴の一日は、‘日没から日没まで’のために、一般の暦との差が出て、24日の日没から24日の24時までを‘クリスマスイブ’という。( 「クリスマスって、なあに?」と聞かれて・・・(その2)(2012/12/25 - 宗教) http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-376.html

③ 諸外国では、‘クリスマスデー’が12月25日であるという事は本当か?

クリスマスを祝う日が正教会の中でも違っているという。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%
82%B9%E3%83%9E%E3%82%B9

クリスマス(英:Christmas)とは、イエス・キリストの降誕(誕生)を祝う祭[1][2](降誕を記念する日)[3]。12月25日に祝われるが、正教会のうちユリウス暦を使用するものは、グレゴリオ暦の1月7日に該当する日にクリスマスを祝う[4][5]。


では、ユリウス暦とは?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%AA%E
3%82%A6%E3%82%B9%E6%9A%A6

ユリウス暦を使用する正教会 [編集]

現代の西方教会は全てグレゴリオ暦を使用しているが、正教会には現代でもユリウス暦を使用するものがある。ただし全正教会がユリウス暦を使用しているわけではない[13]。ユダヤ教の祭日が決まった後でキリスト教の祭日を決定するという初期のキリスト教の祭日決定法に従っているためとされる[14]。
「修正ユリウス暦」も参照

ユリウス暦を使用する教会では、21世紀ではユリウス暦とグレゴリオ暦の間には13日の差があるため、年間で日付で固定される祭日は13日ずれて祝われる事になる。たとえば降誕祭(クリスマス)については、ユリウス暦の12月25日は20世紀・21世紀ではグレゴリオ暦の1月7日に相当し、西暦の1月7日に「12月25日のクリスマス」が祝われる。[13]

ユリウス暦を使用している教会・教区・修道院
アトス山(コンスタンディヌーポリ総主教庁管掌だが、ユリウス暦を使用)
ウクライナ正教会 (モスクワ総主教庁系)
エルサレム総主教庁
グルジア正教会
セルビア正教会
日本ハリストス正教会
ロシア正教会


という訳で、正教会でも使用する‘暦’によって、降誕祭=クリスマスを祝う日にちが違っているという事が判明した。

(つづく)

次回は、サンタクロースについて
[2012/12/26 10:09] | 宗教 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
「クリスマスって、なあに?」と聞かれて・・・(その2)
(昨日のつづき)

<クリスマスイブ>

0 (1)
http://video.the-search.jp/0/tag/%E5%B1%B1%E4%B8%8B%E9%81%94%E9%83%
8E%20%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%82%B9%20%E3%82%A4%E3%83%96.html


クリスマスの関連でまだ以下の問題が解決を見ていない。

②‘クリスマスイブ’を何故祝うのか?

③ 諸外国では、‘クリスマスデー’が12月25日であるという事は本当か?

④ キリストとサンタクロースの関係は? 或いは、何故サンタクロースなのか?

⑤ サンタクロースは何故子供達だけにプレセントを呉れるのか?

⑥ サンタクロースの衣装の色は何故赤い? 

⑦ サンタクロースとコカコーラの関係は?

⑧ 日本においては、昔12月25日は国民の祝日だったというのは本当か?

⑨ クリスマスの‘表記’(X-masやX’mas etc.)が色々あるのは何故か?

⑩ 諸外国では、クリスマスの飾りつけは翌年の1月6日までが常識というのは本当か?


昨日の弊ブログでは、

①‘クリスマスデー’は、本当に‘キリストの誕生日’か?

について、答えを出した。

‘キリスト教においてもクリスマスは「降誕を記念する祭日」と位置づけられており、「救世主イエス・キリストの誕生日」と考えられているわけでは無い。

つまり、何度も繰り返すが、‘12月25日は、キリストの誕生日ではない’のである。

詳細は、昨日の弊ブログ( http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-date-20121224.html )を参照されたい。

さて、次の疑問は、

②‘クリスマスイブ’を何故祝うのか?

‘イブ’は、‘eve’(通例は、‘Eve’)で、祝祭日などの前夜(祭)、前日の事である。夜が‘evening’だから‘eve’なのだろうか?

何かオリンピック等の‘競技大会’であれば、よそのチームとの友情を深めたり、或いは自分達のチームの団結をもう少し強くするために‘前夜祭’はあっても良いが、生誕をお祝いするのに‘前夜祭’は必要不可欠だとは思えない。きっと何か別の理由があるに相違ない!

その答えは、以下の引用資料に、次のように述べられている。

Christmas-calendar-ja.png

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%8
3%AA%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%82%B9

教会暦における降誕祭の日付の概要。教会暦の一日は日没から始まり日没に終わる。24日の日没からクリスマスが始まり、25日の日没にて終わる。従って24日の昼間は「クリスマスイヴ」ではなく、24日の日没以降がクリスマスイヴである。



つまり、‘クリスマス’(=降誕祭 ← 誕生日ではない!)は、「24日の日没から25日の日没まで 」であるから
24日の昼間は‘イブ’ではない。

‘イブ’は、24日の日没から24日の24時までであり、正に‘evening’ではないか!

従って、‘教会暦’と‘一般の暦’との通念の違いから、‘クリスマスイブ’が誕生したのである!

(つづく)


[2012/12/25 09:17] | 宗教 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
「クリスマスって、なあに?」と聞かれて・・・(その1)
「クリスマスって、なあに?」と聞かれて、正確に答えられる人は少ないに違いない!

019.jpg
http://yaplog.jp/naotaka8787/archive/1575 「カレッタ汐留」

これは多分日本人だから答えられないのではない(?)らしい。

‘クリスマス’の疑問に正確に答えるには、相当な知識が必要である。

日本では‘普通’と思われていることは、諸外国でも同じであろうか?

9-840ce.jpg
http://nearme.blog.so-net.ne.jp/2012-12-07-1
ポーランド・ワルシャワ


「日本では‘普通’と思われていること」とは、私の常識では以下の通りである。


a) 少なくとも12月に入れば、‘クリスマス商戦’が始まる。

b) 家庭でも、その頃から‘サンタクロース’の人形や‘クリスマスツリー’を家の内外に飾りつけをする。

c) 12月24日の夜は、‘クリスマスイブ’ということで、‘クリスマスケーキ’を食べる。そして、子供達は、靴下を枕元において寝る。

d) 24日の夜から25日の朝方に、‘サンタクロース’がやって来て、靴下の中にプレゼントを入れる。しかし、サンタクロースは実際には来ないので、親がその役目をする。

e) 25日になっても、キリスト教徒でない人達は、教会には行かないから、クリスマスは終わったものと思ってしまって何もしない。

f) クリスマス商戦も、25日には、24日に売れ残った‘クリスマスケーキ’が、20~50%引きで売られてそれで終わり。

g) 家庭でも、26日になれば、飾りつけは皆外して翌年用としてしまってしまう。

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http://www.kinotoya.com/news/xmas/index.html

10097159930.jpg
http://ameblo.jp/titoparupalo/day-20081001.html



しかし、色々な情報から‘薄らと’ではあるが、以前から、私には次のような疑問があった。


①‘クリスマスデー’は、本当に‘キリストの誕生日’か?

②‘クリスマスイブ’を何故祝うのか?

③ 諸外国では、‘クリスマスデー’が12月25日であるという事は本当か?

④ キリストとサンタクロースの関係は? 或いは、何故サンタクロースなのか?

⑤ サンタクロースは何故子供達だけにプレセントを呉れるのか?

⑥ サンタクロースの衣装の色は何故赤い? 

⑦ サンタクロースとコカコーラの関係は?

⑧ 日本においては、昔12月25日は国民の祝日だったというのは本当か?

⑨ クリスマスの‘表記’(X-masやX’mas etc.)が色々あるのは何故か?

⑩ 諸外国では、クリスマスの飾りつけは翌年の1月6日までが常識というのは本当か?

等々、中学生の頃から不思議に思っていたが、これまで別に真相を知らなくても困りはしなかったから放っておいたのである。

しかし、このブログを書き始めてからは、何もクリスマスの事だけではなく色々な常識の‘根拠’を知らないことが気になりだしたのである。上記の通り、常識の根拠を知らなくても生活には余り困りはしないのだが・・・。

でも、その常識の根拠を知ってみると、何とも怪しい根拠や間違った常識に出会う事に驚くことが沢山あった。

今回の‘クリスマス’についても、‘新約聖書にはキリストの誕生日が書かれていない’というから驚きである!


①‘クリスマスデー’は、本当に‘キリストの誕生日’か?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E
3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%82%B9

クリスマス(英:Christmas)とは、イエス・キリストの降誕(誕生)を祝う祭[1][2](降誕を記念する日)[3]。 12月25日に祝われるが、正教会のうちユリウス暦を使用するものは、グレゴリオ暦の1月7日に該当する日にクリスマスを祝う[4][5]。

キリスト教に先立つユダヤ教の暦、ローマ帝国の暦、およびこれらを引き継いだ教会暦では日没を一日の境目としているので、クリスマス・イヴと呼ばれる12月24日夕刻から朝までも、教会暦上はクリスマスと同じ日に数えられる。

新約聖書には、イエスの誕生日を特定する記述は無い。
イエスがヘロデ王の代に、ユダヤのベツレヘムでお生れになったとき、見よ、東からきた博士たちがエルサレムに着いて言った、

—マタイによる福音書第2章第1節(口語訳聖書)
恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生まれになった。このかたこそ主なるキリストである。

—ルカによる福音書第2章第10節 - 11節(口語訳聖書)

キリスト教においてもクリスマスは「降誕[6]を記念する祭日」[3]と位置づけられており、「救世主イエス・キリストの誕生日」と考えられているわけでは無い。

イエス・キリストが降誕した日がいつにあたるのかについては、古代からキリスト教内でも様々な説があった(例えば3世紀の初め頃には、アレクサンドリアのクレメンスは5月20日と推測していた)[3]。

降誕祭とは別に、西方教会では1月6日にキリストの公現を祝う(公現祭)。12月25日の生誕祭は、遅くとも345年には西方教会で始まった。ミトラ教の冬至の祭を転用したものではないかと言われている。



上記引用資料の通り、‘キリスト教においてもクリスマスは「降誕を記念する祭日」と位置づけられており、「救世主イエス・キリストの誕生日」と考えられているわけでは無い。’といのだから驚きである!

これは、我々の常識の無さが悪いのであって、‘キリストがお生まれになったのを記念する日’ではあるが‘キリストの誕生日ではない’とは、多分ほとんどの日本人が知らないに違いない!

これ、クイズ問題に出せば面白いかもしれない!

では何故、12月25日に「降誕を記念する祭日」を持ってきたのであろうか?

上記引用資料では、‘ミトラ教の冬至の祭を転用したものではないかと言われている’とあるが、これはもう少し調べる必要がある。

12月25日とは一体どんな日なのだろうか?

因みに、キリストの誕生日についての諸説は以下の通りという。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%
E3%82%B9%E3%83%9E%E3%82%B9

イエス・キリストの誕生日との関係についての諸説 [編集]

ギリシャ正教会:降誕祭(クリスマス)のイコン(アテネ博物館所蔵)
新約聖書には、イエスの誕生日に関する記述はないが、10月1日か10月2日が誕生の日と推測する説もある。1993年9月15日に、イギリスの天文学者D・ヒューズが聖書中の天文現象の記述から、イエスの誕生日は紀元前7年9月15日とする説を発表した。また、羊飼いが誕生を祝ったあと夜中の見張りに戻ったとあり、羊を放牧するのは4月から9月の間で、冬の寒い時期には小屋に入れて外に出さない事から、夜中の羊の見張りを行う4月から9月までの間とする説もある。
1月1日が12月25日と1月6日のちょうど中間にあたることから、キリスト歴の1月1日を定める時に中間の日を妥協案として選んだという説がある[要出典]が、これは単なる俗説である。ローマ帝国で使用されていたユリウス暦は、紀元前45年から1月1日を年初日に設定しており、キリスト教との因果関係はあり得ない。ただし、1月1日は丁度クリスマスの8日後にあたり、主の割礼祭(ユダヤ教の律法において、生後8日目に割礼を施すことが慣わしになっている)としての祝日になっている。
西暦1年は、キリストの生まれた年と決められており、紀元前を表すB.C.は「Before Christ」すなわち「キリスト前」という意味である。しかし実際には、キリストが生まれた年は紀元前8年から紀元6年ごろまで諸説ある。
当初、ローマ帝国はキリスト教を迫害したため、キリスト教徒はローマから離れた地方に逃げており、スペインにはローマ帝国において変化する前の古いキリスト教が起源と思われる習慣も残っている。後にキリスト教はローマ帝国の国教として定められ、当時ローマ帝国の支配にあったヨーロッパ全域に広がり、各地の文化・慣習を取り入れた。クリスマスの起源として、ローマの農耕神サトゥルヌスのための祝祭(サートゥルナーリア)を挙げる説がある。
西暦の1月1日を新年として祝うのは王政ローマで紀元前713年ごろから始まった。のちに年初日はそれ以前の年初日であった3月1日に戻ったが、古代ローマ共和国時代、紀元前153年1月1日からローマでは年初日が1月1日に戻った。多くのキリスト教国や日本はそれに倣っている。例えばヒンドゥー教徒やイスラム教徒は、現在でも1月1日を通常の日と同じように過ごし、それぞれの新年の日を別に持っている。


(つづく)
[2012/12/24 02:46] | 宗教 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
ひこばえ(蘖/孫生え)のその後(その2)
ひこばえ(蘖/孫生え) については、このブログで何度も取り上げた。

① 2012年09月20日:ひこばえ(蘖/孫生え)http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-276.html

② 2012年10月23日:ひこばえ(蘖/孫生え)のその後とセイタカアワダチソウhttp://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-312.html

今年の夏は暑かったために、稲刈りの後も暑さが続き、そのお陰で刈り取られた稲の株からもう一度稲穂が再生して‘実’を付ける結果となった。

この‘ひこばえ(蘖/孫生え)’現象は、刈り取った稲の茎から稲穂が再生するのだから、ノーベル賞・山中先生の‘iPS細胞’‘初期化’が、この普通の田んぼの中で平然と行われているのである、といって良いのだろう。

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NHK/TV

でもこんなことになるのは滅多にない事の様である。これも異常気象のお陰である。

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2012年09月19日

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2012年09月19日

9月の半ばの段階では、こんなにも青々としている。

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2012年10月23日

10月の下旬には、頭を垂れて来た。

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2012年11月15日

この段階、つまり‘第一回目の稲刈り(8月下旬)’から、まだ三カ月にもならないのに、もう第二回目の収穫時期を迎えているのである。通常の一回目の刈り取りまでには、およそ5カ月が必要だというのに、ひこばえ(蘖/孫生え)が上手く行くと、およそ半分の期間で二回目の収穫という訳である。

問題は、‘ひこばえ(蘖/孫生え)米’の美味さ加減である。

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2012年12月16日

夏は暑かったのに、冬の到来から直ぐに寒くなった。そのお陰で、田圃に取り残されたひこばえ(蘖/孫生え)は、霜にもやられたのであろう、こんな無残な姿になってしまっている。

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2012年12月21日

この日、田圃に這入って少しだけひこばえ(蘖/孫生え)を持ち帰って来た。中中の出来だと思われるのだが・・。

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同上

勿論、ひこばえ(蘖/孫生え)だから、通常のお米に比べれば見劣りもする。でもこのひこばえ(蘖/孫生え)は、どの田圃にも一杯である。

一級品のコシヒカリやササニシキと渡り合おうというのではない!

世界中で餓死者が出ているというのに、日本の田圃には、ひこばえ(蘖/孫生え)が置き去りにされている!

‘どうかしてるぜ!’である。

おせんべいの材料にだって、ビーフンの素材にだってなるだろう!

(つづく)


[2012/12/23 00:27] | 農業 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
マツコの知らない世界(その3):カジノの世界。そして日本では?
先日の‘マツコの知らない世界’(TBS・TV)にはがっかりした。(弊ブログ<12/13>:マツコの知らない世界(その2):団地の世界 http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-360.html

それだけに、今回の‘カジノの世界’は大いに期待していたし、結果としては多少物足りないものの、まあ満足であった。

そもそも私が‘カジノ’に興味があるのは、この弊ブログでも何度か取り上げさせて貰ったように、‘日本にカジノを創るべき’派 であるからである。


① 拝啓千葉県知事・森田健作様(その2)<2012年03月15日> ( http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-87.html

② 幕張カジノ<2012年04月02日>( http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-103.html

③ いよいよ‘カジノ’が・・・。<2012年05月09日> ( http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-132.html


さてさて、私の‘カジノ設置賛成派論’は、上記 ①、②、③ の資料を後から見て頂くとして、今週のカジノの様子をど~ぞ!

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今週の‘先生’は、大岩根成悦氏である。知られざる‘カジノディーラー’らしい。

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どんな動機かは定かでないが、多分日本にも近々カジノが出来るだろうという思惑から「日本カジノスクール」を2004年に作ってしまったという。

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従って、職業は‘日本カジノスクール校長’先生である。

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2004年から8年間、毎年50人のディーラーを卒業させてきたために、今現在400人ものディーラーを抱えているという。

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切っ掛けは、飛鳥でバイト(?)で、ディーラーをやったというが真相は?

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書かれている通り、日本には‘3年以内にカジノが出来る’らしい!

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やはり、石原暴走老人が前々から言っていた通り、その経済効果は凄いらしい。

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ディーラーの給与は、年間1,000万円というから凄~い!

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400人もの卒業生がいるが、現在日本人のディーラーは、わずか‘100人’しかいない。世界中には数十万人だというのに・・・。

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日本国内の立候補地は、今のところ16ヶ箇所。そこなら、という場所もあるが、何でそんなところに?と首を傾げたくなるようなところも・・・。

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日本人が知らないカジノの雰囲気とは?
セキュリティにおいては、カジノが一番。何せ世界で最も安全(?)と言われている東京よりも安全らしい。確かに私が一昨年ラスベガスへ行った時にも、セキュリティについては、通常の海外旅行と同じ程度というよりむしろ国内旅行並みの注意事項しかなかったような気がする。

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収益の多いカジノはどこ?

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カジノの経済効果は、上記の通り、もの凄いが、その効果を齎すのはやはり収益である。収益3大カジノは画像の通り。先般の弊ブログにも書かせて貰った通り、ラスベガスが世界一ではない! ただし、この収益はカジノの分だけである。ラスベガスが凄いのは、後述もするが、世界中のカジノ近辺に滅多にない‘ショウビジネス’である。そして、グランドキャニオン。

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こんなショウが毎晩何十か所ものホテルや劇場で開かれている。この写真は実際に一昨年ラスベガスへ行った時に撮影したものである。

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カジノだけの収益世界一は、今のところ‘マカオ’である。マカオにも一昨々年行ったことがある。

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http://www.kabegami.com/shashin-bu/C00201/show/id/PHOT000000000000684F/

さて、日本の最初のカジノの場所は?

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お台場の何処なのだろうか?

いよいよ、対決が始まった!

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これで今回の‘カジノ’編はおわり!



<付録> ラスベガス&カジノ&グランドキャニオン

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モンテカルロ リゾート アンド カジノ (トリップアドバイザー提供)
一昨年泊まったホテル・モンテカルロ

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モンテカルロ リゾート アンド カジノ (トリップアドバイザー提供)
モンテカルロのロビー

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モンテカルロ リゾート アンド カジノ (トリップアドバイザー提供)
部屋からの眺め

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モンテカルロ リゾート アンド カジノ (トリップアドバイザー提供)
これも部屋からの眺め。真下にプールがある。

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モンテカルロ リゾート アンド カジノ (トリップアドバイザー提供)
このプールで泳いだ。(10月 )

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モンテカルロ リゾート アンド カジノ (トリップアドバイザー提供)
勿論、ホテルの中には、高級ブティックがあって、高価なものばかり。カジノで勝った人達が買って行くのだろう。

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モンテカルロ リゾート アンド カジノ (トリップアドバイザー提供)
カジノの中は撮影禁止になっている!

ラスベガス スロット
http://blog.goo.ne.jp/sekai-kikoh-2007/e/1de38b106592cfdad5a7caa98db480e9
やはりスロット・マシーンが大部分を占めている。

ラスベガスの噴水
http://la-pan.com/?p=2862
これが有名な噴水!何百種類もの水の芸術は最大の見ものの中の筆頭!

ラスベガスのカジノ
http://pinklady.cocolog-nifty.com/lasvegas/2008/05/post_59bb.html
外人の‘おのぼりさん’、はしゃぎ方も大きい!

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http://a27.jp/
皆が賭けている。その中に、毎日でもないだろうが‘プロ’らしき人がいる。日本で言えば‘パチプロ’に当たる人だろうか?その人が賭けたところに賭けると案外大当たりすることがある。これ、私の発見!


一夜明けて、次の日、今度は‘ショウ’を見に行くことになった。

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ホテルを出るところ。

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ショウの場所はどこ?

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通りのアーケードの天井では、映像が目まぐるしく変わる。大音響とともに・・。

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さて、ショウが始まった。(前出)

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騎馬戦である。

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太鼓隊が打ち鳴らす!うるさ過ぎて隣りの人と話も出来ない!


さて、次の日はラスベガスから小型バスでグランドキャニオンへ

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朝まだ夜明け前に出発!車の到着をホテル前で待っているところ。

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携帯で自分を撮っている人がいる。

グランドキャニオン
http://www.ab-road.net/sekaiisan/grand-canyon/index.html

ラスベガスの良さは、近所と言っても何百kmのあるのだが、グランドキャニオンがあることが魅力の大きな一つになっている。

日本でのカジノ開設で諸外国から観光客を呼ぶのに必要なことは、ラスベガスのように‘巨大な’世界中が知っている‘観光名所’との抱き合わせであろう。そして、盛りだくさんの‘ショウ’であるが、‘歌舞伎’がその役目を担ってくれるであろうか?そうなって来ると、さ~て日本での第一候補地は、果たして何処??

(つづく)


[2012/12/22 02:00] | ビジネスと経済 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
‘どうかしてるぜ!‘ シリーズ(第1弾)
‘どうかしてるぜ!’という言葉が流行っているという。

調べてみた。例の通り、‘WEB'で。  何でもかんでもWEBに頼るなんて‘どうかしてるぜ!’と言われそうだが・・・。

どうかしてるぜ!
http://blogs.yahoo.co.jp/rainbow_bridges4/34148526.html

ここに「ブラマヨ吉田・新ギャグ」とある。判っている人には判っているが、我々のように判らん奴には判らんので‘解説(怪説?)’がいる。

「つまり、その~、早い話が、え~と、そうそう、この吉田さんって誰だっけ?」

「おいおい、しっかりしてくれ! この吉田さんって、ほら、ほら、あのさぁ~、ブラマヨのさぁ、」

「ブラマヨって、何?」

もうこれじゃぁ、話がちっとも進まない!

ブラックマヨネーズ(BLACK MAYONNAISE)は、小杉竜一と吉田敬の2人による日本のお笑いコンビ。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。1998年4月結成。2005年M-1グランプリ王者。略称はブラマヨ

吉田敬(よしだ たかし、1973年6月27日 - )ボケ担当/
立ち位置は向かって右。
小杉竜一(こすぎ りゅういち、1973年7月5日 - )ツッコミ担当
立ち位置は向かって左。

コンビ名は、日本のロックバンド「Mr.Children」のように正反対でアンバランスな意味の単語を組み合わせたもの。マヨネーズという身近なものの名前を入れることで「マヨネーズを見るたびに自分たちのことを思い出してくれたら」という願いも込められている。ただし、当初はこの名前を吉本興業に申請した際、「ブラック」はイメージがいまいち良くないとして一時保留扱いとなっていたが、同時期にブラックビスケッツのヒットがあったため、イメージが払拭されて話を通った事を明かしている[1]。

2005年、第5回M-1グランプリ決勝に進出し、優勝。翌年2006年東京進出する。優勝直後、他のM-1優勝コンビに比べて優勝後のメディア出演が少なかった(実は関西ですでに売れ始めていたため、すぐに東京に拠点を移せなかった)。2007年頃からはキャラも浸透し始め、少しずつ全国区でのテレビ出演が増え、M-1覇者には珍しい「時間差ブレイク」を果たした[2]とも言われた。しかし、メンバーはこれに対してやや否定的であり、「関西での仕事ばかりしていただけ」「自分達では全力疾走してたけど周りからは歩いているようにしか見えてなかったのかも」と振り返っている[3]。

決勝ファーストラウンドでは直前の出番だったチュートリアルが「バーベキュー」のネタで松本人志から絶賛され、吉田は「死ぬほど羨ましかった」という。小杉は舞台袖で人のネタを聞くのが嫌いなため、控え室で見ていた。ブラックマヨネーズは5番手で登場し、「ボウリングの球の扱い方」というネタを披露。王道だがオーソドックスな漫才の強さ、ネタの完成度が高く評価されファーストラウンドを1位で通過、審査員の大竹まことから「あまりオーソドックスは好きじゃないけど、オーソドックスの凄さにびっくりした。別に新しいことをやらなくても十分面白いんだと再認識しました」島田紳助からは「4分の使い方、抜群。4分の使い方に感動したね。噂は聞いてたけど、ほんまに凄かったわ。昔、僕の番組の前説来てくれてたからよう見てたんやけど、ほんまに成長してるし、4分の使い方上手い」と絶賛された。最終決戦は3番手を選び、「喧嘩の強い男を目指そう」というネタを披露。7人中4票(3票は笑い飯)を獲得して優勝を果たした。彼らの登場以後、4分間をいかに上手く使うかがM-1で勝つための大命題になったとされる。[4]

ビートたけしは気に入っているお笑い芸人としてブラックマヨネーズの名前を挙げ[6]、特に雛壇芸人としての彼らの才能を称賛し、「失礼な言い方だけど、メインがいて、横にいてサポートするのは巧えなあと思う。」と述べている[7]。また自身が審査委員長を務める『ビートたけしのエンターテインメント賞』で、日本芸能大賞を受賞したブラックマヨネーズについて「バラエティでの“保険”だね。この二人がいると安心して見ていられる」と絶賛した。[8]

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E
3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%9E%E
3%83%A8%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%82%BA


漫才ブームが、やすし・きよしを筆頭にして興った後、‘ちょい出’の奥義を極めない奴らの未完成・舐めやがった漫才師達に腹が立ってこのところ漫才は全く見なかったが、上記引用資料の如く、たけしや伸助、まことさん達も‘べた褒め’のコンビらしいが、まだきちんと見たことがない!

でもまだ判らない!‘どうかしてるぜ!’が、何故‘ギャグ’なのだろうか? ‘どうかしてるぜ!’

それとも‘ギャグ’の定義(?)が変わったのだろうか?

ブラックマヨネーズのお二人はこの‘ギャグ’を一体どんな風に使っているのだろうか?

ブラックマヨネーズ
http://curly-rudy.com/owarai/black-mayonnaise/post-2.html

http://natalie.mu/owarai/news/54545
<抜粋>

① 1つ目の叫びは、「ダチョウ肉を食べないなんて、どうかしてるぜ!」

② 続いて日本のコンビニエンスストア第1号店「ココストア」について、「ココストアがマイナーだなんて、どうかしてるぜ!」とプレゼン

③ 最後は「湖南市に観光客が来ないなんて、どうかしてるぜ!」と、滋賀県湖南市の谷畑英吾市長が叫ビストとして登場


どうにもこうにも、これがギャグとは我々には考えられない!

勿論、臨場感がないからかも知れないが、何故こんなことで‘ギャグ’として今の人達に受けるのだろうか?
不思議である。

まあ、これはこれとして、大いに頑張って欲しい!


さて、この「どうかしてるぜ!」を私はギャグとしてでなく、‘怒りを込めて’このフレーズを使ってみたい。

長年、技術屋として特許やノウハウの世界に生きて来たために、このフレーズで物事をやろうとした場合に、このフレーズが今や‘ギャグ’として流行っていることを聞かされたので、一応どんなものかを調べてみたという事である。

でも、このフレーズは、普通の歴とした日本語である。ギャグとして使うのなら一応の仁義(?)が必要かとも思ったが、どうやらその必要はないのだろう。

そんな訳で、「どうかしてるぜ!」シリーズを今後弊ブログで発進させたいと思っている。



‘どうかしてるぜ!’シリーズ第1弾 :

先ず最初は、「野田首相、このままで済ませようなんて、どうかしてるぜ!」

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<衆院選>惨敗民主、失職秘書は800人
毎日新聞 12月17日(月)22時59分配信
当選確実を示す印がない候補者ボード前で頭を下げる野田佳彦首相=東京都内のホテルで2012年12月16日午後、丸山博撮影

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121217-00000117-mai-soci.view-000

やはり、やはり、現時点では、これが最初に来なくてはいけない!

選挙戦に備えての民主党の(というより野田首相の)キャッチフレーズは、「決断」

‘恐れ入りました!’ 

普通は‘恐れ入りました!’と言えば、‘完全に参りました!素晴らしいで~す!’という事だが、言葉が‘進化’したり或いは‘枯れて’くると逆説的意味を持ってくる。

「‘先生’と言われるほどバカでない !」

この表現から判る通り、最初は或いは本来は‘学徳の優れた人’や‘自分が師事する人’又は、その人達への敬称であったはずだが、それが年月を重ねて‘枯れて’くると、他人を‘からかって’使う意味に変貌する。

先程の野田首相の‘決断’に対しての‘恐れ入りました!’は、その意味である!

<1>‘決断’を今頃掲げて平気で居れるのは、常識人でもおかしいし、ましてや原発問題で苦しんでいる人達が大勢おられるのにちっとも救いの手を差し伸べない現政府の最高責任者が今更‘決断’をキャッチフレーズにするなんて、‘どうかしてるぜ!’である。

<2> 景気対策としても大きな価値のある災害対策を何故もっと積極的に進めないのだろうか?理由は地方自治体にあるという。聞いて呆れるという事はこのことである。地方自治体がスムーズに仕事が出来るようにするのが国家の役目ではないのだろうか?‘どうかしてるぜ!’である。

<3>‘決断’をもう一度俎上に乗せると、‘決断’は一歩下がってやって頂いて結構。しかし、野田総理は、‘決断’はするかも知れないが、‘実行’は多分しない。これは上記<2>の災害対策の進行状況を見れば、中学生でも判る。その時に「何故実行をしないのか?」と問い質せば「私は‘決断’をすると言ったが‘実行する’とは言っていない!」という答えが返って来そうな気がする。‘詭弁’とはこういう事を言う。‘どうかしてるぜ!'

<4> 民主党の後継者が、昨日現在まだ決められない。決断はもう舌の根も乾かないのに行なわれない。‘どうかしてるぜ!'

http://news.biglobe.ne.jp/domestic/1219/ym_121219_7655998675.html
細野政調会長、不出馬の意向…民主代表選
読売新聞12月19日(水)20時40分

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民主党の代表選日程などに反対意見が続出し、紛糾する両院議員総会(左から、野田首相、輿石幹事長ら=清水健司撮影)

 民主党は19日、代表選の日程を22日から延期することを決めた。
 衆院選で惨敗した総括を先行させる。また、待望論が出ている細野政調会長は、代表選不出馬の意向を明らかにした。
 19日に党本部で開かれた両院議員総会では、野田首相が冒頭、「痛恨の極みだ。深く深くおわび申し上げたい」と衆院選の結果について陳謝し、現執行部の辞任が了承された。26日の首相指名選挙に間に合わせるため、22日に代表選を行うとする執行部案に対しては、出席議員から「落選した人や地方議員の意見を聞かないで、新代表を決めることはあり得ない」などと反対意見が相次ぎ、輿石幹事長が提案を撤回した。その後、輿石氏や首相らが協議し、「両院議員・衆院選候補者・全国幹事長懇談会」を22日に開き、その結果を踏まえ、代表選を25日の両院議員総会で行うか、26日以降に先送りするかを判断することを決めた。


19日には、代表選を22日に行うことを決定する予定だったらしいが、‘決断’は何処へ行ったやら、25日以降に延期である。これじゃあ、この党に国を任せる訳にはゆくまい! やっぱり‘どうかしてるぜ!’

(つづく)


[2012/12/21 00:05] | 言葉の威力 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
予言「集団自殺選挙」の結果は?
この度の衆議院総選挙を以下の弊ブログで、‘集団自殺選挙’と名付けさせて貰っていた。

① 鵜と烏合の衆(2012/11/16 - 政治と社会)( http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-335.html )

② 厚顔無恥な!(2012/11/22 - 政治と社会)( http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-345.html )

この‘② 厚顔無恥な!’では、民主党の当選者予測数として、‘30~40人’と書かせて貰った。結果は、以下の通り‘57’であったから、予測数は当たらなかった! _(x*x)_

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でも十分に‘集団自殺’であったことは事実である! _(-*-)_

一昨日の記者会見(?)で、田中真紀子氏は、選挙後の内閣初閣議は、「朝なのに、まるで‘お通夜’のようだった!」と漏らしている。

http://mainichi.jp/select/news/20121218k0000e040165000c.html?inb=ra
閣議:「まるでお通夜」 田中文科相ら閣僚8人落選
毎日新聞 2012年12月18日 11時28分(最終更新 12月18日 13時47分)

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閣議に臨む野田佳彦首相(右から2人目)と(右から)下地幹郎郵政担当相、藤村修官房長官、滝実法相、樽床伸二総務相=首相官邸で2012年12月18日午前10時1分、藤井太郎撮影

 「政治主導」による霞が関改革を目指した民主党政権だが、この3年3カ月、官僚をリードするはずだった閣僚は頻繁に交代し、今回衆院選で現職閣僚8人が落選した。大敗後初の閣議後記者会見に臨んだ18日、厳しい審判を受けた閣僚からはさまざまな発言が出た。

 北海道2区で落選した三井辨雄(わきお)厚生労働相は政治主導について「官僚の皆さんが動いてくれなければ、何でもできるわけではない。私は官僚の皆さんの意見を聞き、自分なりに咀嚼(そしゃく)しながら政治主導でやってきた」と強調した。ただ、党全体の取り組みとしては「難しかった」と苦言も。「私は(会社の)経営者だったが、社会経験ある人とない人の差と思う」と述べ、他省庁では政務三役によって成否に差があったとの認識を示した。

 田中真紀子文部科学相=新潟5区=は同日朝の閣議を「お通夜みたいだった」と報告。「衆参ダブル選挙だったら課題も集約できた。『自爆テロ解散』で惨敗するだろうと思ったらその通りになった」と野田佳彦首相の判断を批判した。

 敗因については「マニフェストに拘泥(こうでい)し生活者の目線を生かし切れなかった」と総括し、発足する自民党・安倍晋三政権については「教育行政が右寄りになる。心配している」と話した。

 下地幹郎郵政・防災担当相=沖縄1区=も「結果を真摯(しんし)に受け止める」と話す一方で解散の時期に不満を漏らした。「普通は来年度予算案を編成した後に解散する。そうすれば、政権が責任を果たそうとしていると感じられたのでは」。自身の身の振り方については「次は勝ち抜いていきますから」と言葉に力を込めた。

 消費増税の担当閣僚、城島光力財務相=神奈川10区=は「マニフェストが何も実現していないというイメージが強く、理解していただく時間も足りなかった」と敗因を分析した。【遠藤拓、石丸整、種市房子、工藤昭久】


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閣議に臨む田中真紀子文科相(右)と小平忠正国家公安委員長=首相官邸で2012年12月18日午前10時2分、藤井太郎撮影

田中真紀子氏は、引用記事にある通り、『自爆テロ解散』と思っていたというから、彼女も離党すべきだったのだろう。

それにしても、こんな民主党に期待する人達がこれだけもいる(57÷480×100%=11.88%)とは驚きである!

私は、10%を切るだろうとの予測の下に‘30~40’(6~8%)という予測数を言わせて貰ったのだが・・・。
これも労働組合員の人達が、自分の意思とは違って仕方なしに(失礼!)投票した結果と思っていいのではないか?とさえ思われる。

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閣議に臨む野田佳彦首相(中央)と岡田克也副総理・一体改革相(右)、前原誠司国家戦略相=首相官邸で2012年12月18日午前10時2分、藤井太郎撮影


今回の選挙での教訓は、

<1>‘希望やロマン’だけでは‘生活は救えない!’

<2>‘言葉のマジック’には、もう騙されない!

<3>‘素人’が政治を動かす事は無理!

という事であったのだろう。何しろ、‘国家’間のやり取りは、‘暴力団’のそれとよく似ているからである。
このことは何度も指摘させて貰っている。

‘合法的’に‘武器’を持っても良いが、‘核は幹部暴力団に限る’というおまけまで付いているのだから・・・。

‘暴力団の争い’に‘詭弁’は通用しない!’事もきちんと認識すべきことなのだろう。

‘集団自殺’で他人様を殺しながら、己だけが生き残ったという自覚さえも持たない人達、これは世間が許さないのではないか?!

(つづく)

[2012/12/20 00:47] | 政治と社会 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
再度、改めて‘政府紙幣’!
一昨日の弊ブログにも、‘政府紙幣’について、みんなの党の渡辺喜美氏が、2009年麻生首相に対して‘政府紙幣’の発行を迫った旨書かせて貰った。

昨日現在、安倍晋三・自民党総裁は、今度は身を軽くしてこれまでにない迅速さで日銀総裁と会い‘金融緩和’政策に協力するよう要請した。

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‘政府紙幣’に関しては、国民はほとんど無関心である!

それは何故か? 国民が、

    「 自分が内閣総理大臣であったら、このデフレ脱却をどうして乗り切るか? 」

を真剣に考えないからである。

一昨日の弊ブログにも書かせて貰った通り、私は丁度一年前に‘脱デフレ’の実現には‘政府が一万円札を政府の責任で発行すれば?’と思いついたことから弊ブログに3度に亘って‘政府紙幣’関連意見を書かせて貰う時にやっと‘政府紙幣’の重要性を知らされたのである。

アメリカでは、リンカーンケネディが、実際に発行に踏み切る。

当の日本では、‘ミスター円’と言われた榊原英資氏、それに加えて、高橋洋一氏、渡辺喜美氏、それに麻生太郎氏等々、‘政府紙幣’発行への意欲を表明している実力者がいる。

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報道によれば、昨日現在、安倍自民党総裁は、財務大臣に麻生太郎元首相を内定しているというから、今度こそ真剣に‘政府紙幣’の発行が公の前で議論される事になるはずである。

これまでの歴史を見ると、ほとんどが‘戦争の穴埋め’として‘政府紙幣’発行が強硬された感がある。これは‘邪道’と言われても仕方がない。何故なら、そもそも‘貨幣’(=紙幣と硬貨)というものは、物質的裏打ち(=兌換)があってこそ、その意義が成立するものであり、それなしに発行されれば、‘超インフレ’を招くことになるのは当然である。物がなければお金がいくらあっても物が手に入らないから物の値段が上がる。したがって、超インフレとなることは、中学生でも理解出来る。

戦争終了時の‘政府紙幣’発行は正に物のない時においての発行であるからこそこれらの発行は失敗した。

しかし、現在の時点での状況は‘終戦時’とは大いに異なるのである。商品は溢れ過ぎて数十%の食品が廃棄処分となり、食品以外の商品も売れないとなればコストを度外視しての安売り合戦となり、商品を作った会社は利益を得られず倒産をするという‘資本主意義社会’の悪い面が表面化しているのである。

この弊害を一日も早く元に戻すには、消費者に‘ふんだん’なお金を持たせることである。これが一時的なものであれば、消費者はお金を貯蓄に回すので、これでは失敗する

従って、例えば、期限付き‘政府紙幣’にすれば、消費は一挙に進んで、消費税という税金から政府にお金は還元され、国民はふんだんに製造された商品を自分の物に出来、豊かな生活が出来ると同時に会社は利益を得るから社員の給料は上がるので益々生活が安定する。

この良循環に転向させるのが‘政府紙幣’なのである。

是非是非、‘政府紙幣’について、国民的議論がなされる事を望みたい!

そのために、予備知識として、以下に‘Wikipedia’さんが纏められた‘政府紙幣’の全文を引用する。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BF%E5%BA%9C%E7%B4%99%E5%B9%A3
政府紙幣

政府紙幣(せいふしへい)とは、政府が直接発行し通貨としての通用力が与えられた紙幣のことである。中央銀行の発行する銀行券と同じ法定通貨としての価値を持つ。近年、不況対策として導入をめぐってさまざまな議論を呼んでいる。

目次 [非表示]
1 概説
2 世界の政府紙幣の歴史
2.1 アメリカ
2.2 フランス
2.3 軍用手票
3 日本における政府紙幣
3.1 日本銀行創立以前の政府紙幣
3.2 小額政府紙幣
4 政府紙幣導入の論議
4.1 1997 - 2004年
4.2 2008年以降
5 脚注
6 関連項目
7 外部リンク

概説 [編集]

多くの国では、政府管轄の印刷局(日本は国立印刷局)や印刷会社で製造した紙幣をいったん中央銀行に交付して、中央銀行が銀行券として流通させることが一般的であるが、現在でも一部の国では、政府機関が直接紙幣を発行している場合がある[1]。たとえばシンガポールの通貨シンガポールドルはシンガポール金融管理局が発行と管理を行っているが、これは中央銀行の業務を政府自ら行っているといえる。
中華人民共和国の香港特別行政区の法定通貨である香港ドルは、香港金融管理局の監督の下で民営銀行3行が紙幣を発行しているが、10香港ドル紙幣[2](ポリマー紙幣)だけは香港特別行政区政府の発行する政府紙幣である。このように銀行券と政府紙幣の双方が発行される場合もある。
現在のところ政府紙幣を発行している国は少数にとどまっているものの、中央銀行の発行する銀行券と同様に発行と流通に際して厳しく管理されている。

世界の政府紙幣の歴史 [編集]

世界で最初の紙幣は中国の交子であった。やがて宋の時代には国家が発行するようになった。これが政府紙幣の始まりである。その後の元や明では、この交子が活発に発行されたが、財政難から濫発したことから、激しいインフレーション(インフレ)を招いた。

アメリカ [編集]

3分の1ドル大陸紙幣
1/3ドル大陸紙幣(1776年2月17日)

アメリカではアメリカ独立戦争中の独立政府において、膨大な戦費をまかなう為に大陸紙幣 (Continental) と呼ばれる一種の政府紙幣を発行した。これはアメリカ合衆国建国後、地域紙幣として一時使用されつづけたが、不換紙幣であり濫発されたことから価値が暴落し信用のない通貨の代名詞になった[3]。米英戦争 (1812年 - 1814年) 後の数年間と1830年にも国内鉄道基盤整備のための投資として不換紙幣が用いられたが、1837年恐慌 (Panic of 1837) で発行停止に追い込まれた。

また南北戦争時には戦費調達の必要性から1862年にリンカーン大統領によって、法貨条例 (Legal Tender Act of 1862)を制定。これに基づき、デマンド・ノート (Demand Note) を発行している。これはアメリカ合衆国財務省が初めて発行した紙幣であり、南北戦争後の1865年に至ってリンカーンはこれを合衆国の永続的な通貨発行システムとする意向を発表するが、その一月後に暗殺されてしまい結局政府紙幣の発行は中止となった。対する南部連合国も政府紙幣を発行したが、これも敗北したことで無価値となった。

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J.F.ケネディ政権下で発行された政府紙幣 $5札(1963年)

その後、1963年6月4日にケネディ大統領の大統領令11110 (Executive Order 11110) によって政府紙幣が復活する[4]が、その約半年後の11月22日にケネディ大統領は暗殺された。1971年1月以降は、政府紙幣の新規発行は行われていない[5]。但し現在でも法律上、財務長官は、3億ドルを限度に「合衆国紙幣」(United States Note) を発行することができることとされている (合衆国法典第31編第5115条[6])。

フランス [編集]

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額面25ソルのアッシニア紙幣(1792年)

フランスではフランス革命後に成立した革命政府は、没収した教会財産を担保とするアッシニア(当初は利子付債権であったが1790年から事実上不換紙幣として流通)を発行した。

軍用手票 [編集]

戦時には国家の組織である軍隊が軍用手票(軍票)を発行する。1907年締結のハーグ陸戦条約第52条に「現品を供給させる場合には、住民に対して即金を支払わなければならない、それが出来ない場合には領収書を発行して速やかに支払いを履行すること」とされており、最終的には戦後処理で清算する必要がある[7]。
その一方で、事実上の通貨として流通する場合もある。代表的なものは、日本軍が第二次世界大戦で東南アジアで使用した大東亜戦争軍票[8]、戦後も世界各国で展開するアメリカ軍の兵士が使用したMPC、アメリカ軍に占領された沖縄で一時的に使用されたB円などである。軍票も政府紙幣の一種といえ、濫発するとインフレーションを招くこともあるが、厳格に運用すると銀行券と同様に支障なく流通させることができる。実際にB円は沖縄における法定通貨として1958年まで使用されていた[9]。

日本における政府紙幣 [編集]

日本銀行創立以前の政府紙幣 [編集]
江戸時代には、地方の諸侯が領内での流通に限定した藩札を発行していたが、これも一種の地方政権の発行する政府紙幣であった。発行目的のひとつに領内の殖産興業があったが、藩によっては濫発した為、額面よりも実際の価値が幕府発行の貨幣に対して著しく低い場合も少なくなかった。
明治維新後の明治政府は、何度も政府紙幣を発行した。最初は戊辰戦争時の太政官札であり、西南戦争時には明治通宝が発行されたが、いずれも戦時支出のために大量に発行された。ついで発行された国立銀行紙幣もうまく機能しなかったことから、1883年に旧紙幣と交換された神功皇后が描かれた改造紙幣が発行されたが、この紙幣の名義は「大日本帝国政府紙幣」であった。その後日本銀行が設立されたことで、各種の政府紙幣は流通が停止し使用禁止となった。

明治の維新政府は、税制など歳入システムが未整備のままスタートした。政府支出の大部分は、太政官札などの政府紙幣の発行によって賄われていた。当初は、デフレギャップが存在していたので、物価も上昇せず、経済も順調に拡大した。しかし1877年(明治10年)の西南の役の戦費がかさんだ。このための政府紙幣が大量に発行されたことが原因でインフレが起った。流通通貨の増大でインフレギャップが生じたのである。農産物が高騰し、農村は潤ったが、都会生活者、特に恩給暮しの者達は困窮した。そこで政府は、増税などによって政府紙幣の回収を始めた。この結果、物価動向も落ち着いた。しかし新たに登場した松方内閣(松方首相が大蔵大臣兼任)はさらに多くの政府紙幣の回収を行った。この結果、大幅に需要が減り、デフレになった(松方デフレ)[10]。

小額政府紙幣 [編集]

a靖国神社
1945年(昭和20年)の靖国神社50銭政府紙幣
「小額政府紙幣」も参照

第一次世界大戦中には、戦争により銀価格が急騰したため、銀貨の発行継続が困難になり50銭、20銭、10銭の政府紙幣が発行された。この措置は戦争終結により銀価格が落ち着いた為に解除された。
しかし日華事変勃発後の1938年以降は、またしても銭単位の補助通貨が金属物資の戦争優先使用のために発行できなくなり、50銭の政府紙幣が発行された。当初は富士山を描いた紙幣であったが、紙幣増産のために民間印刷会社に委託されたことに伴い靖国神社に図案に変更になった。終戦後50銭硬貨が復活したが、戦後インフレーションのためにコスト割れになるおそれがあったため、板垣退助の図案の政府紙幣が再び発行された。なお、これら50銭の政府紙幣も1953年小額通貨の整理及び支払金の端数計算に関する法律により廃止されたため、日本で政府紙幣は通用しなくなった。上記のように日本銀行発足後に発行された政府紙幣はいずれも小額政府紙幣であり、前述のような戦時での金属不足などの特殊な状況下日本政府が発行する硬貨の代替との性格が強いものであった。

政府紙幣導入の論議 [編集]

近年、一部の経済学者ないし政治家が、ケインズ主義の立場などから、政府紙幣を発行すべきと主張している。政府紙幣は国債とは違い償還不要で金利が付かず債務にならない利点があるからである。また通貨供給量を増大させる手段でもある[11]。裏づけのない政府紙幣を無制限に発行すれば猛烈なインフレーションを発生させる危険性がある。なお日本では硬貨は政府発行であるが、これは国庫の預金を引き当てた上(裏づけとして)で発行している。

1997 - 2004年 [編集]
1997年の消費税増税に伴う日本経済の景気減速への対策として、日本の特定の経済学者が、1998年以降、政府紙幣を発行し財政支出として活用すべきとの主張をした。国債発行は債務として残る上に利子が付くという弱点があるので政府紙幣で財政支出を増やそうという、ケインジアン的な経済政策である。

大蔵省官僚であった榊原英資・慶應義塾大学教授(当時。その後は早稲田大学客員教授等)は、『中央公論』2002年7月号に「〈日本が構造的デフレを乗り切るために〉政府紙幣の発行で過剰債務を一掃せよ」という論文を書いた。ただし榊原は政府紙幣の発行は「一回限りということを政治レベルで明確に確認する必要がある」と指摘し、あくまで緊急避難的な政策であるとしていた。

2003年4月16日に、日本政府の財務大臣の諮問機関である関税・外国為替等審議会の専門部会は、ノーベル経済学賞受賞者の経済学者スティグリッツを呼び、日本の政策への意見を聞いたがスティグリッツは「政府紙幣の発行を提言したい、緩やかに政府紙幣を市場に出せばハイパーインフレを引き起こすことはないし、国債では債務を借り替える必要があるが、政府紙幣ならそうする必要がないという利点がある。また会計上政府の債務の一部として計上されることはないし、国家としての格付けも下がらない」と利点を主張し政府紙幣発行を薦める主旨の発言をしている[12]。

同様に財務省の高橋洋一は、2004年に日本政府内で政府紙幣の発行を提案し、その準備の文書を作成している(「政府紙幣発行の財政金融上の位置づけ」)。高橋によれば[13]、日銀券とは別に財務省が政府紙幣を発行し国民に配るというもので、当時の竹中平蔵大臣にこの政府紙幣の発行をデフレ対策の切り札として提案していた。また法律では貨幣の発行権は政府にあるので、法改正なしに政府の判断で政府紙幣の発行ができると主張した。
しかし、政府紙幣の発行はいずれも個人的な提言のみで終わった。

2008年以降 [編集]
2008年から2009年にかけて深刻化した景気後退期において、元金融担当大臣であった渡辺喜美が麻生太郎首相に対して政府紙幣の発行を提言した[14]。政策提言書の末尾には「(政府紙幣発行などの)提言が速やかかつ真摯に検討、審議されない場合、政治家としての義命により自民党を離党する」としていたが、そのほかの政策提言全てが無視されたことから離党した。

高橋洋一は今度も政府紙幣発行を景気浮揚策として主張しており、それによれば現状のデフレーション(デフレ)と円高を是正する手段として25兆円の政府紙幣を発行することで、物価は1%から2%上昇し、為替は1ドル120円ほどの円安になるという。フィリップス曲線の理論からすれば、インフレーションが起きると失業が減るし雇用の確保をすることになり、インフレーションを起こす(インフレターゲット)ためには、政府紙幣発行が最も簡便な手法であるとの主張である。高橋はまた国民一人当たり20万円の政府紙幣を配布することも提案している。だが、高橋は政府紙幣発行をリフレ政策のひとつの手段であるとして理解し、政府紙幣ですべてをまかなうか、金融緩和で75兆円のマネーを供給しようか、どちらでもかまわないと2009年には主張している[15]。

なお日本で発行する為には通貨法の改正が必要となるなどの意見もあるが[1][16][17]、東洋大学教授職に就いていた高橋洋一は、政府は通貨法で記念事業として1万円までの通貨(記念貨幣)を発行できるので、記念紙幣[18]であれば法改正は必要ないとしている[19][20]。また2月6日には政府紙幣など経済対策の新たな財源を探るとする「政府紙幣・無利子国債発行を検討する議員連盟」が自由民主党内に発足するなど、赤字国債発行や増税によらない財源のひとつとして政府紙幣の発行が必要であるとの動きもある。それによれば2009年春までに意見をまとめ、次期総選挙の経済対策の目玉にする意向であるというものであった[21]。

麻生内閣の経済関係閣僚であった中川昭一財務大臣、与謝野馨経財大臣(いずれも当時)をはじめとして政府紙幣のアイディアに対して否定的な見解を示した。日本銀行を発行しさらに政府紙幣を発行すると円の信用が著しく低下し、インフレーションとともに大幅な円安が進行するためとしている。これは政府銀行が大量発行すると通貨供給量が激増し通貨の大幅な供給過剰に陥り、収束不能の高インフレが発生する危険性があるためであるとしている。また、この円安はある程度の円高是正であれば景気対策として有効性もあるが、これを超えることは日本の通貨としての価値が下がることであるため、輸出には有利な反面、原料の輸入価格の上昇も意味するため、結果的に高インフレ発生を意味する。

政府紙幣発行の提言に対し政治家からの批判的な意見としては、中川昭一が「日銀券を二つ作るようなもので、中央銀行がある中では、世界中にこういうものを使っているところはないと聞いている。あまりに次元の違う問題を喚起する可能性がある」として慎重な姿勢を示している[22]。また2009年2月5日に自民党の各派閥の総会では、伊吹文明が「政府紙幣はマリファナだ。有権者に吸わせて、いい気分にして票を取ろうという意図でやってはいけない」と批判したほか、高村正彦は「中央銀行が一元管理をすることが大切だと言うことは歴史上人類が学んできた知恵。安易に例外を認めるべきではない」と発言するなど、政府紙幣発行には否定的な意見が出されている。
こうした中、2009年3月11日、麻生太郎首相は政府紙幣の発行を検討対象とする意向を表明した[23]。ただし、その後政府紙幣導入に関する議論は前進が見られていなかった上、第45回衆議院議員総選挙で麻生の自由民主党が政権与党の地位を喪失したため、事実上検討することは白紙になった。
現在は日本銀行の私的独占形態に鑑み、あらゆる組織枠組みに捉われず、政府紙幣から地域通貨及び独自紙幣通貨の運用が模索されている。

脚注 [編集]

^ a b 岩尾真宏、山口博敬「政府紙幣浮上の怪――自民内に構想」『朝日新聞』2009年2月3日付朝刊、第13版、第7面。
^ ちなみに1994年からバイメタルの10香港ドル硬貨も発行されているが、硬貨に偽造品が出現したことから2002年に政府紙幣発行に切り替えている。
^ 英語で「大陸紙幣ほどの値打ちもない (not worth a Continental) 」という慣用句は、このことに由来する。
^ この時の紙幣は券面の文字を入れ替えただけのもので、デザイン自体は連邦準備銀行発行のドル紙幣と変わらないものであった。
^ アメリカ合衆国財務省 “FAQs: Currency, Legal Tender Status” http://www.ustreas.gov/education/faq/currency/legal-tender.html [2004年2月27日閲覧]
^ 31 U.S.C. § 5115
^ 石原幸一郎編纂「日本紙幣収集事典」、原点社、2005年、295頁
^ 朝日新聞2009年2月4日朝刊
^ その後は本土復帰する1972年まで合衆国ドルが流通していた。
^ http://www.adpweb.com/eco/eco287.html
^ 通貨供給量を増大させる手段として、中央銀行に赤字国債を引き受けさせる方法もあるが、この方法では利子が付く上に償還が必要になる。
^ 平成15年4月16日 最近の国際金融の動向に関する専門部会
^ 『週刊ポスト』2009年1月2・9日号「新1万円札大量発行で全国民に20枚配る これが「平成の救国札25兆円」日本再生計画だ! 1930年代の“ルーズベルト札”“高橋是清札”の如く、景気と雇用が甦る。赤字国債も増税も必要ない「新紙幣」構想を提唱する」
^ 政策提言書2009年1月5日、麻生太郎首相に送った政策提言書の「五」
^ 高橋洋一『恐慌は日本の大チャンス』 講談社 2009年 196ページ
^ 伊藤純夫「政府紙幣の発行、慎重な検討必要=杉本財務次官」 ロイター日本語ニュース、2009年2月2日。
^ 通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律第2条第3項には、「通貨とは、貨幣及び日本銀行法 (平成九年法律第八十九号)第四十六条第一項 の規定により日本銀行が発行する銀行券をいう。」とあり、同法第5条第1項には、「貨幣の種類は、五百円、百円、五十円、十円、五円及び一円の六種類とする。」とある。また、同法第7条には、「貨幣は、額面価格の二十倍までを限り、法貨として通用する。」とあるので、たとえ政府紙幣を発行しても、20枚までしか強制通用力がない(記念貨幣も同様)。
^ 中国やカナダなどの諸外国では記念切手と同様に発行した実例が多いが、日本では発行されたことはない。
^ 「政府紙幣発行を 高橋洋一東洋大教授が効用語る」 産経新聞、2009年2月12日。
^ 通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律第5条第2項には、「国家的な記念事業として閣議の決定を経て発行する貨幣の種類は、前項に規定する貨幣の種類のほか、一万円、五千円及び千円の三種類とする。」とあり、同法第5条第3項には、「前項に規定する国家的な記念事業として発行する貨幣(以下この項及び第十条第一項において「記念貨幣」という。)の発行枚数は、記念貨幣ごとに政令で定める。」とある。
^ 無利子国債構想も 政府紙幣、伊吹氏は「マリファナだ」 asahi.com 朝日新聞2009年2月5日配信、2009年2月11日閲覧。
^ 村井令二「UPDATE1: ローマG7、バイアメリカン条項含め率直に意見交換=中川財務・金融相」 ロイター日本語ニュース、2009年2月10日。
^ http://www.jiji.com/jc/c?g=eco_30&rel=j7&k=2009031100822


(つづく)
[2012/12/19 01:12] | 政治と社会 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
年賀状の画材探しと構成(その1)
毎年の 年賀状の‘画材’探しは、楽しいと言えば楽しい。彼だったらこの画材をどう受け止めてくれるだろうかと想像しながら画材を探すと結構楽しいもんである。でも、なかなか良い画材に出会う事が少ない。

極く一般的な物だけを‘WEB’から引っ張り出してみても、それだけでは面白みがないし個性がない!

やはり、どうせ年賀状を出すなら、オリジナルを強調したいのが人情というもんであろう。

そんな訳で、先ずは近所の風景探しをすることにしたが、私の住んでいるここ千葉県・茂原市には、全国的に有名な絶景の場所が存在する訳でもない。

ただ、房総半島の外房であるだけに、九十九里海岸は美しい。ここから眺めることが出来る‘海岸線からの朝日の出’は素晴らしいが、画像にした瞬間に、‘何処にでもある朝日の出’に変わってしまって、その特徴が強調出来ないのが少々残念である。

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2012年08月19日05:02;朝日の出 場所:千葉県・茂原市付近の九十九里海岸
でもこれは‘採用’?

またこの海岸での夕日(西側)も素晴らしいが、やはり同じことが言えて、九十九里の特徴が出ないからつまらない。

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2012年08月07日18:25;夕焼け 場所:千葉県・茂原市付近の九十九里海岸

また、我が家のすぐそばに‘赤目川’という川があり、そこにはよくサギが現れる。こんな風景は都会では滅多に見られない。

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2012年12月16日08:18 場所:千葉県・茂原市・千沢の赤目川


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同上の望遠拡大

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2012年12月16日16:56 場所:千葉県・茂原市・千沢の赤目橋上から望む夕暮れの富士山

このブログにも何回も登場したが、ここに越してきて15年以上にもなる。ここからまさか富士山が望めるとは考えもしなかったが、今年の春御近所に越されて来られた御夫婦が発見されたのである! 大発見である! これはもう今回の‘画材’の筆頭である!

赤目川の夕暮れ0001-2
2012年12月16日17:02 場所:千葉県・茂原市・千沢の赤目橋上からの月

丁度、三日月が西の空に掛かっており、それが赤目川に映って美しい光景となった。

この月を望遠で撮ってみると、

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同上 空の月

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同上 川の水面に映った月

自分で撮影したのはこれだけ。この中から選択したい。

さて、新年のご挨拶文字をどうするかであるが、これには‘お手本’がある。

年賀状の原案juusho-1
川邊尚風先生のお手本である。

年賀状の原案juusho0001-2
この文字がいい。これを手本にして自分で書いてみたい。

これらの‘画材’をパソコンで構成すれば、大凡次のようなイメージの年賀状が出来そうである。

2013年年賀状案ー10001-3
画材を使っての年賀状の構成(案)

(つづく)

[2012/12/18 17:21] | 趣味 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
衆議院総選挙における私なりの焦点と今後期待出来る政治家
衆議院総選挙 から一夜明けた、2012年12月17日の読売新聞朝刊の第一面である。

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讀賣新聞・2012年12月17日・朝刊

<焦点その1>:憲法改正

‘自公で320超’ということは、480人の衆議院議員の‘2/3’(480×2÷3=320)を超えたので、‘憲法改正’が可能になったという事の表現である。

私の焦点の第一はここにあった。見易く‘グラフ’に表すと、下の画面のようになる。(以後の写真は全て其々のTV局の画面を撮影したもの)

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テレビ朝日(2012年12月17日)

ここに表示されている通り、自民(294)+ 公明(31)= 325

であるから、強行しようと思えば一挙に‘憲法改正’が出来る可能性が出て来た。
一国の憲法が、そうやすやすと変えられるというのにはいささか抵抗があるのは誰しもであろう。

しかし、‘現状にそぐわない’という事が表面化すれば、これは改正を検討すべきであるという議論は大いにあっていい。その際問題になるのは‘何の目的か’をよ~く踏まえての議論が必要となる。
日本国憲法を初めから終わりまで‘真剣に’検討した日本人がどれくらいいるだろうか?

全項目に亘って検討した人は、まず0.1%もいないに違いない。つまり1,000人の人に聞いてみても、多分誰もいないに違いないということだ。憲法学者や裁判官や弁護士だって、‘全部?う~ん!’という程度に違いない。

勿論全部の検討は必要ではないかも知れないが、‘問題になる個所’くらいは、近々勉強すべきだろうから、今回の選挙結果は、これからの日本を考えて行く上で、大きな収穫であった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%
E5%9B%BD%E6%86%B2%E6%B3%95%E3%81%AE%E6%94%B9%E6%AD
%A3%E6%89%8B%E7%B6%9A%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E
3%82%8B%E6%B3%95%E5%BE%8B

日本国憲法の改正手続に関する法律(にほんこくけんぽうのかいせいてつづきにかんするほうりつ、平成19年5月18日法律第51号)は、日本国憲法第96条に基づき、憲法の改正に必要な手続きである国民投票に関して規定する日本の法律。国民投票法と一般に呼称され、他に憲法改正手続法・改憲手続法などの略称がある。
日本国憲法第96条第1項は、憲法の改正のためには、「各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする」旨を規定しており、憲法を改正するためには、国会における決議のみならず、国民への提案とその承認の手続を必要とする旨が憲法上規定されている。ところが、具体的な手続については憲法上規定されておらず、改正を実現するためには法律により国民投票等に関する規定を定める必要があると考えられた。本法はその規定に関するものである。


因みに、参議院の‘勢力分布図’は以下の通りである。

画像ー72 021-2

そして、参議院の定数は以下の通りである。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%82%E8%AD%B0%E9%99%A2
参議院議員の定数 [編集]
議員定数は法律で定められる(日本国憲法第43条第2項)。具体的には公職選挙法により定められ、以下のような経過をたどって、現在(2006年2月)、都道府県を単位とする選挙区選出議員が146人、全国を単位とする比例代表議員が96人であり、合わせて242人である(公職選挙法第4条第2項)。


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NHKTV(2012年12月17日)

<焦点その2>:景気回復

民主党政権では、首相になった人達3人とも‘経済的有識者’とはとても言えない人達ばかりだったこともあって、‘格差是正’を叫ぶと‘経済発展がない’という歴史的事実を、また人間の心理を無視してしまっていたから、基本的にやはり経済発展は無かったのである。

格差をつけるから、個人が努力するのである。中国を見れば判るではないか!可哀想な位に‘格差’がついているからこそトップを目指して頑張るのである。

大学を出ようと出まいと、専門的知識を持っていようといまいと‘給料が同じ’という‘極端な格差是正’を実行したとしたら誰が勉強などするものか!少しでも他人との格差をつけたいためにみんな懸命に頑張るのである。

この‘頑張り’が‘経済効果’を産むのであって、‘競争原理’を無視しての‘経済効果出現’等あり得ないのである。

勿論、‘経済的な発展を好まない’という意見はあっても何ら問題ない。むしろ、その方が人間的な生き方が出来るに違いない。そのかわり、TVも電話もない生活を覚悟しなければならないが、自分だけ一人はそう願っても‘社会全体’がそうなれ!という意見は残念ながら社会通念に反する。

現時点での日本における景気回復とは、イークオール‘デフレ脱出’の事である。デフレ脱出のカンフル剤は、残念ながら、‘金融緩和’は叫ばれても、‘政府紙幣’にまで議論が及ばなかった。日本の国力が担保である‘政府紙幣’の発行こそ、今の日本を救い、ヨーロッパをも救うカンフル剤なのである。これについては以前に弊ブログで懇切丁寧に説明した。

① 地球危機を救う方法(その2:金融危機はこうして乗り越えろ!)http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-date-20111220.html

② 続・地球危機を救う方法(その2:金融危機はこうして乗り越えろ!)http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-date-20120122.html

③ 続々・地球危機を救う方法(その3:金融危機はこうして乗り越えろ!)http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-date-20120212.html

<焦点その3>:原発

原発問題は、どの党も‘なくす’方針に変わりない。その‘なくし方’に違いがある。

即刻‘0’という言い方をする人達は、‘責任’とは何かを理解していない。主張をするのは構わないが、その手順と影響をちっとも示さないで、如何にも‘正義’ぶっているが、それは自分のためであって、そこで働いている人達の苦しい‘心情’を土足で踏みつけているのに気付いていないのである。

沖縄の経済のかなり大きなある部分を担っている‘基地頼りの企業’の苦しみをもっと理解すべき、と言われた時代を思い起こさせる。

原発反対の主原因は、‘人命の尊重’である。人命を損なう‘文明の危機’の代表が原発なのである。それを主張する人達が、原発よりももっと‘人命を危険に曝している’自動車に関しては、即刻‘0’と叫ばない!何と言う矛盾なのであろうか?

文明の恩恵を被るには、或る程度の危険を覚悟すべきである。完全に安全でないものは受け入れないと大声で叫んでいる人達が、移動する際に‘航空機’も使うし、‘車’や‘電車’に乗っても平気なのである。

また、‘原発’も‘核分裂の原発’は、まだまだ危険が多いが、もう一つの原発、そう‘核融合’の原発は放射能の影響は皆無である。しかし、この原発の実用化には、あと40~50年かかる。

この間の電気エネルギーをどうするかが問題なのであって、その観点からエネルギー問題を論じる政党は無かった。何と政治家は勉強不足なのであろうか!

<焦点その4>:選挙制度

小選挙区で敗れた民主党の大物が、比例で上がって来る。何と情けない姿であろうか!

比例に出る人は小選挙区に立候補出来ないようにすべきで、その逆も同じにすべきである。民主党を駄目にしてしまった大物が、戻って来て更に悪くする。この制度を作った人達は、そんな事のシュミレーションも出来ていなかったのだろう。呆れたものである!

やはり、もう政党政治は終わりにした方がいい。政治家はどの案件についても己の考えで‘YES'や‘NO’を言えるようにすべきである。それじゃあ、選ぶ時に困るだろうという。‘マニフェスト’という言葉は今後使われないようになるだろうが、マニフェストがあっても何の意味もないことは経験済みである。

今度の選挙の最大の茶番は次の二つである。

(a)オウンゴールを自ら設定してしまった民主党

(b)‘ミイラ’党になった‘未来党’

<焦点その5>:今後期待出来る政治家

(1)自民党の河野太郎氏

(2)みんなの党の渡辺喜美氏

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麻生内閣の時に、デフレ脱却のために‘政府紙幣’を発行せよと迫ったのは、誰あろうこの‘渡辺喜美氏’であった。これを拒否されたために、彼は自民党を離れたのである!

http://ganjii.iza.ne.jp/blog/entry/863381
「政府紙幣を発行せよ」自民党渡辺喜美氏政策要求書全文(要旨)2009/01/06 23:21

自民党の渡辺喜美元行革担当相は5日午後、討ち死に覚悟で麻生総裁に突きつけた7項目の政策要求書に「政府紙幣の発行」という“驚天動地の政策”を盛り込んだ。

時は風雲急を告げる2009年松の内。衆院解散・総選挙がいつ来るか、浮き足立つ永田町に激震が走る。自民党が敗れるかどうかという政局の渦中に突如投げ込まれた“火中の栗”だ。いずれ衆目が集まり、メディアも騒ぐ。こと此処に到れば官僚や代議士たちも最早これまでのように看過することはできないだろう。

経済学の天才・丹羽春喜博士が11年前の1998年5月23日、日本経済政策学会大会(於大阪学院大学)で発表した「新正統派ケインズ主義宣言」の種子がようやく稔るチャンスが到来したと言えよう。

果たして麻生総裁は火中の栗を拾うのか、逃げるのか。苦しい決断を迫られることになる。

▼ 2009/01/05 共同通信 ▼

 自民党の渡辺喜美元行政改革担当相が麻生太郎首相あてに提出した文書の要旨は次の通り。

 世界の金融経済危機が進行しているのに、党は自由な言論を封殺している。麻生内閣の対応にはスピード感を持って建設的妥協を図る姿勢がみられない。定額給付金は「生活防衛」としてめりはりが失われた。衆院解散・総選挙を先送りしているところに国民の閉塞感の根本原因がある。今こそ為政者は党利党略を排し、国家国民のために命を燃やすべきだ。

 一、早期に衆院解散・総選挙を実施し、危機管理内閣を発足すべきだ。

 二、定額給付金を撤回し、財源の2兆円を地方による緊急弱者対策に振り向けるため、2008年度第2次補正予算案を修正すべきだ。

 三、国家公務員の人件費を来年度から2割削減すべきだ。

 四、公務員の天下りあっせんや(官僚OBが2回以上再就職する)「渡り」を容認している政令などを撤回すべきだ。

 五、国家戦略スタッフを官邸に配置し「経済危機対応特別予算勘定」を創設すべきだ。政府紙幣を発行し、財源とする。

 六、産業再生などのため「平成復興銀行」を創設。上場株式の市場買い取りを行う。

 七、「社会保障個人口座」を創設。納税者番号制度とセットで低所得者層への給付付き税額控除制度をつくる。

 提言が速やかかつ真摯に検討、審議されない場合、政治家としての義命により自民党を離党する。



(3)東京都知事に当選した猪瀬直樹氏

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今回の選挙戦で感じた、これからの政治家のタイプはこの3人だ!
共通点は次の通り。

① 物事に真贄に向き合う
② そのために勉強を怠らない
③ とにかく一生懸命である
④ 自説を曲げない
⑤ 自分の事より他人の事の方を大事にしている

この3氏に今後大いに期待したい。

その他外交問題も焦点を合わせねばならないが、これは新政権が誕生してからにしたい。

(つづく)

[2012/12/17 23:16] | 政治と社会 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
キャベツの葉っぱと解熱
ダイアモンド✡ユカイ さんという‘一寸変な’タレントさんがいる。

photo.jpg
http://www.tbs.co.jp/genkinogensen/20090404.html

名前が揮っている。最初聞いた(or 見た)時に、‘ユーカイ’かと思った。ダイアモンドで‘誘拐’?

下の引用資料を見ると判るが、‘☆’の記述は古いらしい。今は‘✡’だそうだ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83
%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E2%98%86%E3%83%A6%E3%82%AB%E3%82%A4

ダイアモンド✡ユカイ(DIAMOND✡YUKAI、1962年3月12日 - )は、日本のロックシンガー、俳優である。本名は田所 豊(たどころ ゆたか)。サンミュージック・サウンドミッション所属。

人物 [編集]

東京都出身で、血液型はB型[1]。大宮市立大砂土中学校(現・さいたま市立大砂土中学校)卒業。専修大学卒業。芸名の由来はあだ名の「ユカイ」(愉快)からで、名付け親はSABBRABELLSの高橋喜一[2]。あまりにもパッとしないということで「ダイアモンド」を付けた(本人談)。「ダイアモンド」と「ユカイ」の間には、当初は“☆”が入っていたが、「☆がついているアーティストが増えた」という理由で“✡”(六芒星)に変更した。[2]
ミュージシャンとして活躍しながらも、俳優、声優、ナレーター、テレビタレントなど活動は幅広い。私生活では相当な読書家で身近な人間の間では「文学青年」として知られる意外な一面を持つが、本人はそれを公にしない傾向が強い。

 2009年7月3日のホフディランのライブにゲスト出演し、小宮山雄飛に対し当初は『君が小宮山君か』と言っていたにもかかわらず、当人が事務所の社長と知ると『社長』と呼ぶようになったことを暴露された。

 ごはんにプリンをかけて食べるというハウスルールがある。


引用資料にもある通り、中々のエピソードの持ち主でもあるらしい。(上のエピソードはほんの一部である)

彼の出演しているTVも何度か拝見したが、どうにも‘すっトボケて’いる。が、何となく憎めない!何故なのだろうか?

‘ワザと奇を衒った’り、‘ふざけた’りでやっているからではないからである。彼は真面目なのである。だから(?)、NHKさんの番組にも出演したり出来る。

先日のNHKの朝のラジオ番組での会話(聞き覚えているだけで、正確ではないかも知れない)。

彼「‘キャベツの葉っぱをかぶったら、熱が下がる’と聞いたから、早速やってみたら本当に熱が下がりましたよ!」

女子アナ「白菜も良いそうですよ!」

彼「えっ!本当? じゃあ、今度やってみよう!」

たったこれだけ効いただけであるが、彼の素直さが出ていて面白かった。

偉そうなタレントに限って、女子アナがそう言ったら「それも知っているよ!白菜が本家で、キャベツもと聞いたからやってみただけさ!」と知ったかぶりをする。

でもこの時、‘おや?’と思った。

実は、私は、どちらも聞いたことがなかったし、‘そんなことあり得るの?’と瞬時にそう思ったからである。

今年の冬は、インフルエンザやその他熱の出そうな病気が猛威を揮っているし、これからも注意が必要という。

キャベツ
http://takura-noen.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-3652.html

それなら、‘解熱’の道を数多く知っている方がいい。そして、スーパーへ行くとよく見かけるのは、キャベツの‘外側の葉っぱ’を一枚か二枚剥いで捨てて行くのである。貧乏で育った我々戦前生まれの者は、この‘光景’を見ると勿体ないと直ぐ思ってしまう。なぜ捨てるのだろうかと思うと同時に、何かに利用出来れば?とさえ思っていた!

捨てる理由を私なりに考えてみると、

① ‘農薬’が残っているのではないかという不安

② 硬くて不味いと思い込んでしまっている

という事だろうが、多分、そんなことは無い。致死量の農薬が残っているようなことは今の状況ではあり得ないだろうし、硬いなんて却って食感があってよろしいし、本当に硬ければ少し熱を加えれば問題ない。

それよりも素人考えで言えば、キャベツだって、白菜だって一番外側の葉っぱは、きっと‘抗菌’能力を持っている。野菜の内部を外側の葉っぱがカバーしているのだ。だから、その要素を含んでいるものを人間の身体に取り入れると、大袈裟に言えば‘身体の延命に繋がる’効果があるのではないかとさえ思われるのに…。

こんな疑問が生じたら、やはり‘WEB’検索である。

「 野菜の葉っぱを頭に載せると解熱作用 」の文語での検索開始!

野菜の葉っぱを頭に載せると解熱作用 - Google 検索0001-2
Google による検索結果

上記画像の通り、この文語での検索で、有力な情報が‘3件’も得られた! 

一寸は長いブログの内容であるが、親切に信頼出来る語り口で説明してあり、写真入りである。ご体験された事の様であるので信憑性がある!

http://ameblo.jp/honmono-kenkyuuka/entry-10952409199.html
2011-07-13 17:40:06
キャベツで熱が下がること、知っていますか?
テーマ:野菜
今日は、小さなお子さんをお持ちの
お母さんや妊婦さんに必見!

キャベツの意外な効果についての
お話です。

キャベツは、食べるだけの
効果にとどまりません。

何と、解熱作用 があるのです。

私が小さい頃、熱を出した時に
母がキャベツの葉を額にのせて
くれました。

すると、熱が下がるのです。

頭が痛いのも少しずつ楽に
なっていきます。

熱がある時、額が熱くなって
いますよね。

そこに、冷たいキャベツを
大きめにちぎって額に
のせると、とても気持ちいいのです

私は、頭の下に水枕を敷き、
額にはキャベツをのせて、

ダブルで冷やしていたことも
あります。

あまり高い熱や、突発性の
心配がある熱以外の時は、

キャベツが大活躍してくれるのです

キャベツには、
実際に鎮痛効果や鎮静効果が
あります。

小さなお子さんは、薬をなかなか
飲んでくれなかったり、

妊婦さんもまた、薬の種類が
限られてきますよね。

そんな時は、キャベツが便利。

小さなお子さんは、薬は嫌いでも、
キャベツは喜んでかぶってくれますよ!

kyabetu.jpg
こんな感じで、ツライ熱をキャベツが
下げてくれますo(^-^)o

額にかぶさるようにのせてあげると
効果的です。

ぜひ、お家で試してみて下さい。

また、ショウガをすりおろした熱いお湯を
用意し、足湯をするのも効果的。

妊婦さんにオススメです

しかし、

一つだけ注意があります


病院で処方されたり、
市販されている解熱鎮痛剤の中に、
「アセトアミノフェン」という成分が
含まれている場合です。

この薬を飲んでいる時は、
キャベツを食べないことが大切。

なぜならばキャベツの中に、

私たちの体の熱を下げ、痛みを
和らげる効果を持つ「アセトアミノフェン」
という成分を体外へ排出させてしまう
作用があるからです。

薬を飲んでいるのに、
効果が弱まってしまいます。

これだけ、ちょっと頭の片隅に
置いておいていただけたらと思います。

これからは、

もし熱が出た時、

「薬を飲みなさいっ!!」ではなく、

「キャベツをかぶろうね」

これなら小さなお子さんもです。

今日も最後まで読んでくださり、
ありがとうございます。


この後の二つ情報も信憑性のありそうなブログである。ご興味のおありの方は、是非クリックして見て下さい!

スローライフ イン バークレー - 加藤万里 - 六耀社(りくようしゃ)
http://www.rikuyosha.co.jp/column/mari/

インフルエンザ自然療法ぷち講座 - 女っぷり向上委員会
http://www.onnappuri.com/2010/12/post_422.html

そんな訳で、この話は試してみる価値がありそうだ。 そして、効果があることが判れば、その道の権威の方がきっとお出ましになって、その深~い理由を解説して下さるに違いない。

002.jpg
http://www.city.funabashi.chiba.jp/shisetsu/shiminkatsudo/0003/0001/0005/p004344.html

(つづく)


[2012/12/16 00:48] | 健康と医療 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
仏画ことはじめ:京惠さんの挑戦(その2)
2012年11月27日の弊ブログ( http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-348.html )に

‘仏画ことはじめ:京惠さんの挑戦(その1)を掲載させて戴いた。

この時は、まだ描きかけの第一作(一部)と第二作を撮影・複写させて頂き許可を得て掲載させてもらった。

あれから2週間ほどが経った。

どちらも‘完成に近い’作品となったので、第三作目に取り掛かったという連絡を受けたので、早速お伺いをして作品を見せて貰う事にした。

‘画材’は、三作とも全く同じであるが、配色を変えたり、表情も少し変えられたりしてあるそうだ。また先生が少し加筆されたりで、随分良くなったそうである。

したがって、正確に言えば、これは‘作品’ではない。‘習作’でもないらしい。‘習作’は習作でご本人の‘或る意味での作品’だから、習作でもないそうだ。

でも、まあそんなに硬いことは‘プロ’ではないので、このブログでは<作品(番号)>で通して、その‘歴史’が判るように順番に掲載させて貰う事になった。

さて、そんな訳で、先ずは<作品(1)>と<作品(2)について。

画像ー65 177-3
<作品(1)>
この第一作は、‘金’を主体にした作品。清水寺での‘今年の一文字漢字’に選ばれたのは‘金’の字。雅号も書かれていない。

画像ー65 171-3
<作品(2)>
この第二作目の作品は、特に‘腰から下’の色を大幅に変更されている。雅号は入れてあるが、まだ雅号印は押されていない。多分自分ではご不満なのだろう。

一作目も二作目も、先生からは「肌の色が濃過ぎる!」と指摘されたそうだ。

でも、最初の一作目、二作目としては‘上出来!’と素人には思えるのだが・・・。


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<作品(3)>
三作目の‘下絵’が完成している。三作とも‘顔の表情’が違って見える。段々‘威厳’が出て来たように思われる。

絵にしても彫刻にしても、勿論人形にしても‘顔が命’であり、特にその‘眼’が最も大切らしい。第三作の‘眼’が最も素晴らしいように見える。

画像ー67 002-2
2012年12月11日10:08

いよいよ第三作目の色づけのスタートである。

プロになるには、多分100枚や200枚では駄目なのであろう。京惠さんは今更プロになられるお積りは無いとは仰っておられるが、どうして、どうしてその熱中ぶりは凄いらしい!

今後の作品に大いに期待したい!

(つづく)


[2012/12/15 00:10] | 芸術 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
渋柿の修行終了宣言!
我が家の渋柿(K.Tさんからの贈り物)に対する‘阿闍梨修行’を終了する儀式を行った。

これで、‘吊るし柿の出来たて’が完成した。

比叡山における1,000日の荒行に比べれば、確かに‘0℃’近辺の温度に数十時間は曝されたであろうが、11月28日の午後20時頃から、12月12日午後3時ころまでであるから、‘13日と18時間’の修行であった。

画像ー64 024-2
2012年11月28日09:07

言っちゃあ悪いが、ご覧の通りこんなに若かったのである!正に‘青二才’とはこのこと。

画像ー68 236-2
2012年12月12日15:00

これまでの‘修行’で、やはり一人前の‘吊るし柿’に成長した。

画像ー68 239-2
2012年12月12日15:00

修行の苦難を乗り越えて来て、‘柿の渋’は取れたが、‘しぶ~い’顔になった!どうみても一人前の大人である。

画像ー68 244-2
2012年12月12日15:08

8分後には、全員集合で、一つの箱の収められた。(45-1)=44個である。

画像ー69 062-2
2012年12月12日22:39

この時刻は何の意味もない。全てが‘サランラップ’で一個一個包まれている。この処置をして、冷暗所に保管しておけば、カビが生える心配は全くない!

‘輪切り’に切ってみれば、何と‘ジュ~シー!’

画像ー68 079-3

その美味さは格別で、‘クリスマスケーキ’に載っけても絶対に見劣りはしない!

K.Tさん、有難うございました!

[2012/12/14 00:40] | 趣味 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
マツコの知らない世界(その2):団地の世界
マツコの知らない世界 (TBSテレビ)を先週見て大変面白かった。‘コーラ談義’であった。(参照:弊ブログの12月7日: http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-356.html

今週は‘団地’がテーマである。2012年12月07日の深夜(正確には、08日の00:50)に予約をしておいて、今か今かと待ちながら楽しみにしていた番組を見始めた。

先週の‘画像’は、後日パソコンの画面から頂戴したものだったから‘精細度’に不十分のところがったので、今週はTV画面から直接自分のカメラで撮影した。

パソコンの画面は‘STOP’が効くので、狙った画面が撮影が出来るが、パソコンの画面が‘高精細’ではないので画像が荒れる。

一方、TV画面は高精細であるのだが、画面の切換わりスピードが激しいので、狙った画像が取りにくい。勿論、カメラの性能にもよるのは当然ではあるが・・・。

さて、上述の通り、今回は‘団地の世界’である。

‘解説者’は、自らを‘団地マニア’と自称しているという、「大山顕」氏である。彼の事は存じ上げなかったが、この番組を拝見して見て、‘何でこんな人が’この番組に出演出来たのであろうか? と首を傾げた次第! 彼のことについては、この記事の最後に・・・。

以後の写真は全て、2012年12月08日00:50から放映のTBS・TV番組を自分のカメラで撮影したものである。(だから、先般のPC画面撮影のもの比べて‘高精細’になっている!)

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画面に向かって‘右下’のコメント部分を見て戴きたい!

『 今夜マツコが本気の大激怒!「あなたは嫌悪感がする・・・」』とある。

‘出出し’から、マツコ・デラックス氏が怒っている! 彼(女?)には、天才的閃きというか人を見通す能力があるから、大山顕氏は、見た瞬間に‘見破られている’のであろう。

見せられる方は、‘馬鹿にされた気’になって何ともし難い気分が漂ったが、これも‘天下のTBSさん’である、そんな馬鹿な‘ディレクター’じゃぁないだろう、きっと何か‘どんでん返し’でもあって、‘な~るほど’と視聴者に思わせる‘秘策’があるに違いないと思ったから、我慢して見ることにした。

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でも、この大山顕氏のこの‘顔つき・眼鏡’が私も気に入らない! 何だか‘気弱な詐欺師’(失礼!)のようで、何の魅力もない顔つきである。 これでもこの‘団地’の分野での社会的貢献はあるのだろう。TBSさんが選択したテーマでもあり、その道のプロなんだろうから・・・。

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自分の‘知らない世界’を教えて頂くのに、‘あなたは、嫌悪感がする!’と面と向かって言われたのでは、ご本人も立つ瀬がない! これは最後にきっとマツコ氏が謝る‘どんでん返し’があるに違いない! 私の期待は、もうそちらの方に集中した!

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ところが、話が進めば進むほど、マツコ氏の顔つきが険しくなるばかりである! この不満そうな顔つき、でも彼(女?)は、今では超一流のタレントであり、それなりのきちんとした社会経験も踏まえての苦労人である。大山顕氏を‘こき下ろす’ばかりが能ではないことぐらい心得ているに違いない!

マツコ・デラックス氏

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%84%E3%82%B3%E3
%83%BB%E3%83%87%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9

マツコ・デラックス(男性、1972年10月26日 - )は、日本のコラムニスト、エッセイスト、女装タレント。所属事務所はナチュラルエイト。千葉県立犢橋高等学校卒業。放送大学教養学部在学中。

来歴 [編集]

文筆活動 [編集]

1972年、千葉県生まれ。千葉県立犢橋高等学校在学中は木村拓哉と同級生であったが親しくはなかった[2]。芸能界進出以前の経歴については、まとまった記載はないが、美容師、ゲイ雑誌「Badi」の記者・編集者などをしていた[3]。
2000年頃[4]から140×3のスリーサイズ・体重140kgを誇る巨体に女装するというスタイルでの活動を行い、そのキャラクター性を生かしたタレント活動を開始する。また文筆業でも「マツコ・デラックス」の筆名でコラムニストとして幾つかの雑誌で連載を持つ。
新聞およびニュースサイトの見出し欄などでは、文字数制限の問題から「マツコDX」と表記されることがある[5]。2002年、ソニー・マガジンズ社から『アタシがマツコ・デラックス』を発表、以後も定期的にエッセイ集などを執筆している。

タレント活動 [編集]

テレビ番組初出演は、バラエティ番組『ワンナイR&R』(フジテレビ)の前身番組『エブナイ』だった。知人に「女装した出演者が足りないから、手伝ってよ」と誘われ出演した[要出典]。2007年1月に放送された『ジェネジャン・未成年の"生"と"性"スペシャル』(日本テレビ)にはパネラーとして出演している。
2009年、初の冠番組である『マツコの部屋』(フジテレビ)が開始。それまで自分でマネジメントをこなしていたが、友人であるミッツ・マングローブの伯父である徳光和夫に「事務所に入った方がいい」との助言を受けたことから、芸能事務所・ナチュラルエイトに所属した[6]。
2011年、ラジオ番組でも冠番組『井筒とマツコ 禁断のラジオ』(文化放送)が開始。同年9月からは、島田紳助の引退に伴い、『人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ)の実質的な後任「スペシャルコメンテーター」となる。
2012年4月、『三毛猫ホームズの推理』(日本テレビ)で連続ドラマ初レギュラー。

政治的発言・活動 [編集]

「今の若者は漫画家の小林よしのりのゴーマニズム宣言やSAPIOに影響を受け過ぎており、若者が右寄りになっている」と批判している[7]。
2012年10月1日に「潰瘍性大腸炎」(全国に10万人規模の患者がいる厚生労働省指定の難病)の悪化で辞任した安倍晋三元首相の自民党新総裁選出に関連して、「安倍晋三は腹が痛いといって国を売りとばしたみたいな馬鹿」と発言している。
[8][9]。


私の興味は、もう‘団地’の事などどうだっていい、この結末をTBS側がどう処理するのだろうか?の方に完全に移ってしまったのである。

この時点、コマーシャルが終わって、実質的内容が開始されてわずか2分後の事である!

それにしても、こんなお粗末過ぎるタレントは今まで見たことがなかった。

彼の経歴(全部ではない!)を調べてみた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B1%B1%E9%A1%95
大山 顕(おおやま けん、1972年11月3日 - )は、千葉県在住の写真家、フリーライター。

略歴 [編集]

1972年(昭和47年)11月3日生まれ。埼玉県出身。千葉県船橋市にて育つ。1998年(平成10年)千葉大学工学部工業意匠学科卒業し、松下電器産業株式会社(現・Panasonic)に入社。10年間勤務した後に退社し、写真家として独立。現在は、執筆、撮影、出版、テレビ出演、イベント主催などを行ってる。

盗作問題[1] [編集]

2008年2月、大山はニフティが運営する『デイリーポータルZ』において「手のりポッド」というテトラポッドのペーパークラフトの記事を掲載した。ところが、このクラフトは別の人物が作成したものを無断で加工し、自ら考案したかのように紹介したものであった。さらには、自らのブログにも同様の内容の記事を掲載した。

それから約1年後、『デイリーポータルZ』に関連記事として「テトぐるみがかわいい」という記事を再度掲載した。取り上げた内容はテトラポッドを模したぬいぐるみであったが、このぬいぐるみに関しても第三者の作成したものでありながら自身も制作に関わったかのように内容を偽った。その後、大山はペーパークラフトの本来の作者からの指摘があったにも関わらず無断加工を認めず、さらに強い抗議を受けた後、ようやく『デイリーポータルZ』上に謝罪文を掲載する事となった。

しかしながら、その後も週刊トロ・ステーションや雑誌等の取材に自分が製作者であるとしてインタビューを受け、また本人のブログからも未だ当該記事を削除せず[2]、盗作行為を続けたままである。なお、謝罪文において「利益全額および記事2本分の原稿料をすべてしかるべき活動団体に寄付することにいたします」と述べたが、どのような団体にいくら寄付したのかは一切明らかにされていない。Twitterやブログなどにおいても、本件に関して言及したユーザーやコメントはブロックおよび削除されてしまっている。

著書・作品 [編集]

監修・編集 [編集]
『団地マニア 〜団地プレイはじめの一歩〜』(2007年 エイベックス・マーケティング)
共著 [編集]
『工場萌え』(2007年 東京書籍) ISBN 448780163X
『工場萌えF』(2009年 東京書籍) ISBN 4487803454
『ドボク・サミット』(2009年 武蔵野美術大学出版局) ISBN 4901631829
『酷道をゆく』(2008年 イカロス出版) ISBN 4863200250
『酷道をゆく2』(2008年 イカロス出版) ISBN 4863200722
『団地団 ~ベランダから見渡す映画論~』(2012年 キネマ旬報社) ISBN 487376386X
単著 [編集]
『ジャンクション』(2007年 メディアファクトリー) ISBN 4840120935
『団地の見究』(2008年 東京書籍) ISBN 4487802598
『団地さん』(2008年 エンターブレイン) ISBN 4757741413
『高架下建築』(2009年 洋泉社) ISBN 4862483844
『共食いキャラの本』(2009年 洋泉社) ISBN 4862484638
執筆 [編集]
「工場の魅力~ある廃工場の風景~」『ワンダーJAPAN 4』(2007年 三才ブックス) ISBN 4861992018
『ワンダーJAPAN巨大工場総特集号』(2009年 三才ブックス) ISBN 4861991943
連載 [編集]
『デイリーポータルZ』(2002年 -  @nifty)
「ドボ珍」『東京スポーツ』(2009年4月 -  東京スポーツ新聞社)


この大山顕氏は、マツコ・デラックス氏とは、1972年(昭和47年)生まれの同い年である。

それなら案外同世代としての感覚は同じだからもう少し‘認め合う’というか‘共通認識’があっても良かったのにとは思ったが、そこが二人の‘センス’の違いなのであろう!(陰の声:センスがなくてウチワ揉め!)

でも、この引用記事を見て驚いた!これは、天下の‘Wikipedia’さんの記事である。嘘なんかではないに違いない!

それにしても、‘大活躍’である! いわゆるお笑いタレントとは一味違うタレントなのだろうが、新情報をキャッチすることに懸命なTBSテレビさんが何故こんな‘疑惑’というか‘グレイ’な人を自社の番組に登場させたのだろうか?

もうこれ以上内容について書かせて貰う事にも嫌気が射してきた。
取敢えず、その時のテーマだけは、以下に箇条書きにさせて貰う。

① 愛すべき団地たち (団地を愛し過ぎた男の少し過剰な団地熱)

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② 千葉出身マツコと大山氏の超ローカル団地トーク

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③ 千葉市 VS 船橋市 相容れない2人

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④ スターハウスとテラスハウス

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⑤ 50年前の団地は、‘憧れの高級タワーマンション’だった

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⑥ 団地とマンション その違いと魅力

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⑦ 迫力あるタワーが魅力

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⑧ 謎の突起物を擁する辰巳一丁目アパート(江東区)

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⑨ 団地感がアップする特選スポット

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ああ~、もう嫌になった! 何と言うテーマの選び方だ!  まだあと何枚もの写真があるが、これでおしまい!
馬鹿馬鹿し過ぎる!

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大山氏への不満爆発!本番中にマツコがマジギレ

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大山氏の身勝手さにヒートアップするマツコ

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全くの間抜け面で・・・

遂に最後まで‘どんでん返し’など全くなかった! 余りにもお粗末な番組だった!何と言うディレクターなのだろうか? それともマツコ氏の評判を下げたいという目論見なんぞが存在するのだろうか? 不思議である!

私がもしも団地の事でマツコ氏に知らない世界を教える立場だったら、次の項目を揃えるに違いない。

① 団地人口の推移 → これで個人住宅数との推移が判るではないか!

② 日本の経済発展と団地の集中地域 → これで大企業を支えている人達が団地にどのくらい住んであるかが判明して、団地の価値が認識出来るというもの

③ 団地住まいの国会議員の数は? → 団地出身者でも国を動かす人物が・・・

④ 団地出身の‘タレント’の数と% → 団地は庶民を楽しませる生みの親か?

⑤ 団地の建て替えは、今?

⑥ 公務員社宅としての団地は、一般の団地とどう違うのか?

⑦ 団地と文化人:文化人(Ex.音楽家、画家、書道家、小説家、etc.)の排出度% → 団地は文化の発祥地か?

・・・等々考えればいくらでも‘テーマ’はあるはず・・。

次の週の予告は、

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カジノのお話のようである。これが面白くなかったら、二度とこの番組は見ないことにする。

TBSさんにも言い分はあるだろう。一円もあなたが払っている訳ではないでしょう?それならそんなに文句を言わないで!

でも、こちとらは、深夜(00:50)まで、暖房器具も利用して、明かりもつけ、さらに電力を喰うTVを点けていたのですゾ!

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(つづく)

来週のカジノに期待!

[2012/12/13 00:25] | 学習と文化 | トラックバック(0) | コメント(6) | page top
小川の‘薄氷’と‘カワセミ’と‘吊るし柿’と
昨日の弊ブログで、我が家の吊るし柿の‘途中試食’を昨日(2012年12月11日)行なう積りと書いたので、修行中の吊るし柿の今の状況は勿論、昨日の朝~お昼の我が家の周りを見てみた。

① 薄氷が小川全体を覆った

ここのところの朝冷え(気象情報では、千葉県・茂原市の12月11日は、最低温度+2℃)で、我が家の裏の小川に薄氷が張る。これも一昨昨日のブログに写真を掲載した。

昨日もその小川(我が家の車庫の真下)に氷が張っていた。これは一昨昨日のそれよりも多少厚めで、小川全体がこの薄氷で覆われていた。

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2012年12月11日09:01

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同上の望遠 09:01

小川全体に薄氷が張っているのが判る。

画像ー68 018-2
同上の中央部を更に望遠で拡大 09:01

こりゃあもう、本物の氷の結晶である。でも、厚さは、そぉ~、1~2mm というところ?

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2012年12月11日09:02

上部が赤目川へ続く方向。

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同上の望遠拡大

全面に薄氷が張っていることが判る。

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同上の更に望遠拡大

折れた枝が‘溺れている’様にも見える。

② カワセミ君

さ~て、ここで‘事件’が起こった!

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09:03

‘幻のカワセミ君’が一瞬、姿を現したのである! この場所に、である! 拡大して見ると・・・

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09:03

見間違いではない! こんな‘カワセミ’だった! 次の次の写真の‘赤の矢印’の場所に、ほんの1/100秒?位止まって直ぐに‘右に’向かい、水面を滑空して、右奥の赤目川の方に飛んで行ったのである!

かわせみ-2
http://dankai-hiroba.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-8552.html

←

この赤い矢印の場所に、1/100秒?だけ止まった!これを前出の‘カワセミ’の写真を使って‘合成写真’を作ってみたのが次の写真である。

かわせみー60001

まあ、余り上手くは出来てはいないが、こんな風に見えた。
そして、飛んで行った軌跡が次の写真に赤い曲線で示した通りであった。暫らく待ったが帰ってはこなかった。しかし、この‘カワセミ君’は、この場所で今年何度も見たし、御近所の方達も確認されている。どうやら近くにこの‘カワセミ君’の‘巣’があるらしいのである。

飛んだ方向

この赤線がカワセミ君が慌てて飛んで行ったルートである。実は、カワセミ君は、逃げて行った方向から来たのである。

カワセミ君が慌てて逃げて行ったのには理由がある。一つには、私を発見したからである。それに、この場所に来て観て、氷が張っているのに驚いて‘ここでは漁は出来ない’と思ったからに相違ない!

次は何時カワセミ君を見ることが出来るのだろうか? その時は是非カメラに・・・!


さて、吊るし柿のある<我が家の2階のベランダからの昨日の眺め>が以下の写真である。

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12:22

南西の方向である。‘空き地はまだ沢山有る’といっても家が建っていないだけであってそれぞれ持ち主の方はおられるようである。我々としては、淋しさはあるが全部の敷地に家が建つよりもこの位‘空き地’がある方がいい。

画像ー68 035-2
12:22

真西の方向。 実は、ここから富士山が見えると最高に結構な話であるが、残念だら見えない!ただし、我が家の屋根の上に登れば‘きっと見える’に違いない!何かの機会、例えば、TVのアンテナを撮り替える場合だとか、屋根を修繕せねばならないことが起こった場合などに‘屋根に登る人’に聞いてみたいとは思っている。

だって、南に約50m行きさえすれば、‘土手’から、小さくしか見えないが、あの‘富士山’が見えるのだから・・・。

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2012年11月15日08:13

千葉県・茂原市・千沢を流れている‘赤目川’の土手から見た富士山。

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12:23

これは、北北東の方角である。 カミサンの運転する車が帰って来て‘バックで’我が家へ戻ろうとしているところである。

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同上の拡大。

さて、ここからが

③‘吊るし柿’編 である。

画像ー68 032-2
12:25

‘途中試食’は多分この中から・・・

画像ー68 032-3
12:25

やはり、‘試食の本命’は、中でも一番大きな‘これ’!

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お皿の色も‘吊るし柿’と同色系統を選択。ど~です、似合うでしょう! 何だかお皿まで嬉しくなって‘笑っている’みたい!

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余り格好の良くないこの‘包丁’で真っ二つに切ろうという訳である。

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切ってみると、何とこの柿には‘種’がない! でも‘種の元’は?

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お日さまの下でよ~く見てみると、‘種の元’が、蜜柑の一つ一つの袋みたいになっていることが判る。

さてさて、問題は、渋柿様‘御修行中’の今のお味は~??

夫婦で半分ずつ。何と、渋はもう抜けている。98%程度。これ位が本当は丁度良い!  

でも‘甘さ’が少し足りないのだ。

夫婦で出した‘判決’: あと2~3日の修行を申し付けるもの也。以上


(つづく)

[2012/12/12 01:50] | 趣味 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
吊るし柿、その後(3):あれから12日!
吊るし柿 を2階のベランダに吊るし始めて、昨日で既に12日が経った。

外見からすると少し‘渋柿の修行’が進んでいると見えて、落ち着きが出て来た。吊るし柿としての‘風格’が出て来たことが、その色からも判る。これは昨日(11月10日)の写真である。

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2012年12月10日12:03

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2012年11月28日09:07

12日前の渋柿の様子。まだ‘修行’が始まったばかりで、若々しい!

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2012年12月10日12:02

まだ一個も‘試食’されていないので、45個がそのまま残っている。

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2012年12月10日12:04

触ってみると、もう‘種’が確認出来るくらいに‘柔らかく’なって来ている。本日(12月11日)午後あたりこの美味そうなのを一つ‘試食’という段取りである。

その結果は、また明日(12月12日)のブログで・・・。

(つづく)

[2012/12/11 00:00] | 趣味 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
千葉県茂原市近辺の文化活動(その1):SBC第72回定期演奏会
今朝(2012年12月10日)は、この千葉県・茂原市も随分と冷え込んだ。今季初めて裏庭の小川に‘薄氷’が張った。

画像ー67 266-2
2012年12月10日08:45 場所:千葉県茂原市千沢

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同上、望遠

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同上、望遠

この場所は、カニさんが夏の間には一杯いたり、巨大オタマジャクシが住んでいた小川である。このことはこの弊ブログで何度も紹介させて貰ったが、今やこんなに寒々としている。


さて、昨日(2012年12月09日)は快晴ではあったが風は凄く強かった。

茂原市で‘SBC第72回定期演奏会’が開かれたので、聞きに行った。入場料金は500円(前売り300円)也であるが、或るお方が急に行けなくなったという事で我々夫婦にチケットを下さったのである。

コンサート-1
SBCとは、Symphonic Brass-orchesta Chiba のこと。(‘千葉交響吹奏楽団’と訳していいかどうかは知らない)

会場は、茂原市東部台文化会館・音楽ホールである。座席数:338

14時ジャスト、いよいよ開演である!

IMG_0269.jpg
http://www.sbchiba.com/home

プログラムは、以下の通りである。

コンサート0002-2

第1部

行進曲「K点を越えて」から始まった!この曲は、作曲者の高橋伸哉氏のHPによれば、次のように解説してある。

http://www.h3.dion.ne.jp/~shin-tk/k_point.html
行進曲「K点を越えて」
 March “Beyond the Critical Point”

1999年度全日本吹奏楽コンクール課題曲
1999年発表
演奏時間:約3分

 1999年度の全日本吹奏楽コンクール課題曲だったこの作品は、各地の地方予選、支部大会、そして全国大会にいたるまで、中学校から高校、大学、職場、一般の各部門にわたり、数多くの団体に演奏されました。課題曲としての役割を終えた今日でも、各地の学校行事のレパートリーやコンサート・プログラムとして愛され続けています。

(行進曲「K点を越えて」スコアより)
 1998年、長野冬季五輪における日本人選手の活躍は、私達に数多くの感動を与えてくれた。中でも、スキー・ジャンプ団体戦の勝利は、特に印象深いものであった。
 曲名にある「K点」とは、スキー・ジャンプ競技の用語で、ドイツ語のKritisch Punkt(英:Critical Point)の頭文字「K」に由来し、着地における極限点を意味する。元来危険とされるはずのK点越えも、今日では勝敗の分かれ目となることが少なくないという。
 そのような極限点に、恐れることなく挑み続ける選手達の勇気を讃えるべく、この作品を書いた。と同時にこの曲が、日々練習に励まれている演奏者の方々への、ささやかなエールとなれば幸いである。


司会者の‘解説’をいい加減に聞いていたせいか、この「K点を越えて」が長野冬季オリンピックの時の‘行進曲’として選手の入退場の際に使われた、と聞いた積りになっていたが、そうではなかった!

長野冬季オリンピックは、1998年であり、この曲を作曲して高橋伸哉氏が発表したのは、その翌年の1999年である。上記引用資料(高橋伸哉氏のHP)にある通り、‘挑み続ける選手達の勇気を讃えるべく’長野冬季オリンピックの感動を想い起して作曲されたのである。

真剣に聞いていた積りであったが、‘長野冬季オリンピック’と‘行進曲’という二つの言葉から、そう自分勝手に、その際に演奏された行進曲と思い込んでしまったのである!

情報の伝達が難しい事は、これまで色々指摘されている通りである。‘伝言ゲーム’に象徴される通り、3~4人でもその内容は、100円が100万円に化けてみたり、お爺さんが亡くなったのにお父さんやお婆さんが亡くなった、と伝えられることは往々にしてあることだ。‘風評’もこれに似た現象で迷惑を被る人々が大勢いる。

私も「K点を越えて」をもう一度確かめなかったら、この行進曲は‘長野冬季オリンピック’の際の選手入退場の際に演奏されたものだ、と言い張ることになっていたに違いない。「だって、この前のSBC定期演奏会の時の司会者がそう言っていたのを‘この耳で’俺が直接聞いたんだから・・・」という事になっていたとすれば、‘嘘’が少なくとも私の周りには広がって行くかもしれない状態になる可能性があった。くわばら、くわばら!

危ない所だった! このブログを書くために調べ直した事によって‘難を逃れる’ことが出来た。ブログを書くことの‘良さ’が一つ証明された。

さてさて、話が横道にそれてしまったが、第1部の演奏が終わって、第2部の楽器紹介の際に、また新しい知見が得られた。

第2部

このSBKは、オーケストラではないと仰る。そう、オーケストラは‘管弦楽団’である。

このSBCは、‘管弦楽団’ではなく‘吹奏楽団’である、ということらしい。

‘打楽器’と‘管楽器’とで構成される楽団で、ヴァイオリン等の‘弦楽器’はないという。‘手拍子’は‘打楽器?’だから大いに結構と仰るのは、指揮者の一人、片岡和成氏である。な~るほど、吹奏楽には‘手拍子’は場合によっては適しているし、盛り上がる!

そういわれて気付いたのが、この楽団の覚え方。

楽団員はみんな「‘ゲン’を担がない‘神田’の生まれ」と思えば良い。‘ゲン’を担がないから、‘弦楽器’はない!

‘神田’の生まれだから、‘管’楽器と‘打’楽器 しかないという訳である。そんなことを考えながら、暖房の効いた座席でニヤニヤしていたら、‘楽器紹介’である。

コンサート0001-2
演奏をされる人だけで、40人を超す大所帯である。‘ごあいさつ’の中にもある通り、まとめ上げることに最大のご苦労があるのだろう。どなたもキチンとした収入源が別にあっての参加だと思われる。地方で文化を守るためには、多分皆さんの‘持ち出し’無くしては運営が不可能なのだろう。もっと政府はこれらの事にも関心を持つべきである。

ほぼ満席だったから、入場者を330名として入場料400円(当日500円、前売り300円)とすれば、

   400円/名 × 330名 = 13万2千円

収入はこれだけである。

会場使用料は、調べてみると日曜日の午後前半では、~1万円 だそうだから、これは格安である。

この分を差し引いた約12万円を丸々スタッフも入れた約50人に均等に分配したとすれば、

   120,000円 ÷ 50人 = 2,400円/人

練習に何度も参加した事はさて置き、この日だけの時間、練習やあと片づけまで入れれば、5時間は下らない。

つまり、単純計算、これも成り立たないことは判ってはいるが、敢えて計算すれば、時間給500円/人 にもならないという訳である。それじゃあ、入場料を500円から倍の1,000円に引き上げれば、今度はお客さんが来ないという事になって、収入は同じである。

色々な雑費、例えばカタログ代や衣装代や交通費等々を勘案すれば、皆さんには時間給のお金だって行くはずない! 打ち上げの‘ラーメン代’くらいが関の山である。

いやいや、何だか計算して見ると情けなくなってしまう!

‘文化’とは一体何なのか?政府・行政の今後の対策は?



さて、第2部の目玉は、管弦楽団中心のヴァイオリン用としてヴァイオリニストの‘葉加瀬太郎’氏が作曲した‘情熱大陸’をこのSBC吹奏楽団が、‘ヴァイオリンの音’を管楽器と打楽器で雰囲気を出そうという試みである。確かに、雰囲気は出たが、やはり‘日光の手前’(=いまいち)だった。でもでも余興としては素晴らしい発想だった!

hakase.gif
http://asicre.ti-da.net/e2385347.html

第3部

ロックンロール・メドレーや‘ヘイ ジュード'、それにNHKの朝ドラ「梅ちゃん先生」の主題歌‘さかさまの空’も演奏されたが、圧巻は‘美空ひばりメドレー’であった。

中でも際立ったのが、‘お祭りマンボ’である。これは、‘マンボ’だから、吹奏楽にマッチしているのであろう、これは‘中央’に出しても決して引けを取らない凄~い迫力であった!<拍手!>

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http://metastasis.exblog.jp/i72/

こんなきちんとした楽団の演奏会でも必要なのは、演奏をする人達と観衆の一体感である。この40人以上を纏め、そして観衆とのコミュニケーションにも気を配る人が必要なのである。

このSBCでは、演奏も司会役もこなされた‘片岡和成’氏がそうである。普段は何をされておられるのかは知らないが、大変なお役目である。団員も彼について行こうとしていることが我々観衆にも十分理解出来た。適当な笑いあり、巧く団員・楽器の紹介もありでこの発表会は大成功だったと思う。ただもう少し何とか資金調達が出来ないのか、これが悔しい想いであったが・・・。<お願い:戻って来てこの‘SBCのHP’( http://www.sbchiba.com/home )を覗かせて貰ったが、これでは情報が中々伝わらない。どなたかが本気でHPの改善をされればもっと人気が出るに違いないと思った。>

アンケート用紙に、「今後演奏して貰いたい楽曲があるか?」の質問に「‘演歌’を是非吹奏楽団で!」とお願いをして、終了後の団員の皆さんの暖かいお見送りを受け、厚かましくも‘片岡和成’氏と握手をさせて貰って会場を後にした。

16:10、外はまだ木枯らしが吹き荒れていた。

(つづく)

次回(その2)は、近々開催される茂原市近郊での‘文化’的活動についてのご紹介を。

[2012/12/10 10:28] | 学習と文化 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
‘貯蔵栗’は、本当に美味い!
表題の‘貯蔵栗’については、弊ブログで取り上げたことがある。2012年10月04日付けのブログ【 http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-290.html 】である。

その時の解説を見ると、
 

http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-290.html

貯蔵栗

茨城の栗の生産量は全国1位。笠間市は代表的産地で知られる。笠間の栗農家は2009年、海外産に負けないよう、高い付加価値のある商品をと、厳選した大粒の栗を零度で1か月間貯蔵して甘みを増す貯蔵栗の生産を始めた。3%前後の糖度は12%に高まり、粉っぽさが消えてねっとりとした食感になった。


とある。

実は、このブログを書かせて貰った以上、我が家でも‘貯蔵栗の実験’を開始した!

開始した日付けは、2012年10月14日(日)である。カミサンの或るお知り合いから小粒ではあるが‘立派な’栗を頂戴したのである。

‘レシピ’(?)としては、

‘0℃で一ヶ月’の貯蔵

のようであるが、何しろ貯蔵は我が家の冷蔵庫である。‘冷凍’に、とも思ったが、冷凍であると多分素人考えでも、甘みを増す‘反応’が進まないだろうと思ったため、4~5℃程度の冷蔵場所に保管した。

この際必要なのは、‘空気の遮断’であろうと思った。この遮断に効果を発揮するのは‘サランラップ’である。ラップ剤の中でも、その効果は群を抜いている。このことは、もう何年も前に、我々が別の目的で何種類ものラップフィルムを試した結果である。流石に‘発明元の技術は違うわい!’と絶賛したことを覚えている。

そんな訳で、約1.5カ月貯蔵した後、普通通りに茹でてみたところ、なんと、何と、この美味さは、これまでに味わったことの無い程の‘食感と甘み’である。

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画像ー65 209-2

上述の引用資料の表現

「・・・・3%前後の糖度は12%に高まり、粉っぽさが消えてねっとりとした食感に・・・」

は全くその通りである。

通常、プロが書き物で指示した‘レシピ’をその通りに素人が実験した場合、まともな結果が得られないのが普通である!

しかし、この場合は、正にその通りになった!

勿論、冷蔵しない場合と我が家で冷蔵した場合の‘糖度’を計った訳ではないのて‘定量的’なことは不明である。

しかし、いやいや、驚いた。

特に‘粉っぽさが消えてねっとりした食感’は、これまでに感じた事の無かった食感である。

来年からは、少々冷蔵庫の体積は必要なものの、何ら難しいこともないので、多分80%はこの方法でと大いに気を良くした次第である。

皆さん方も、どう~ぞ!



[2012/12/09 08:41] | 学習と文化 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
カマキリの最期、共食い?
‘カマキリ’は知っていても、その生態は余り正確には知らない。

‘共食い’と‘卵鞘’くらいのもんである。それもキチンとした知識ではない。‘卵鞘’は見かけることはあっても‘共食い’を見かけた記憶は無かった。

それが、である。

数日前に、我が家の外の‘床下コンクリート’の部分に、じっとしているカマキリを発見して、「はは~ん、もうそろそろ最期の時が来て、一寸暖かいコンクリートの場所で雨も凌げるし、ここを死に場所と決めているんだナ」とばかり思い込んで、‘記念写真’を撮っておいた。それが次の写真である。

画像ー65 189-2
2012年12月04日11:55

画像ー65 190-2
12月04日11:55

画像ー65 190-3
12月04日11:55

カマキリは、多分‘越冬’する事は無いだろうと思うから、こんなに丸々と太ってどうしようというのだろうか?、と思っていた!

ところが、ところが、その2日後、あのカマキリどうしたろうかと余り気にも留めてはいなかったが、同じ場所を覗いてみて、‘仰天’した!

いやいや、今まで見たこともなかった‘共食い’が進行中だったのである。もう85%くらいは終わってはいたが・・・。

画像ー65 215-2
2012年12月06日08:40

画像ー65 216-2
2012年12月06日08:45

画像ー65 217-2
2012年12月06日08:46

カマキリが‘共食い’することは上述の通り知ってはいたが、その‘意味するところ’は知らなかったので、例の如く‘WEB’で調べてみると、次のような解説がある。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%9E%E3%82%AD%E3%83%AA
共食い [編集]

カマキリ類では、同じ種類でも体の小さいオスが体の大きいメスに共食いされてしまう場合がある。これがマスコミで紹介され、 "母は強い"、 "用済みのオスはいても邪魔なので処分する" などといった擬人化されたメッセージと共に、カマキリを特徴付ける現象として広まった。そのためか『かまきり夫人』のようにポルノ映画のタイトルになったりした。

共食いをしやすいかどうかの傾向は、種によって大きく異なる。極端な種においてはオスはメスに頭部を食べられた刺激で精子嚢をメスに送り込むものがあるが、ほとんどの種の雄は頭部や上半身を失っても交尾が可能なだけであり、自ら進んで捕食されたりすることはない。日本産のカマキリ類ではその傾向が弱く、自然状態でメスがオスを進んで共食いすることはあまり見られないとも言われる。ただし、秋が深まって捕食昆虫が少なくなると他の個体も重要な餌となってくる。

一般に報告されている共食いは飼育状態で高密度に個体が存在したり、餌が不足していた場合のものである。このような人工的な飼育環境に一般的に起こる共食いと交尾時の共食いとが混同されがちである。交尾時の共食いも雌が自分より小さくて動くものに飛びつくという習性に従っているにすぎないと見られる。ただしオスがメスを捕食することはなく、遺伝子を子孫に伝える本能的メカニズムが関係していると考えられる(すなわちメスを捕食してはDNAが子孫に伝わらなくなる)。また、このような習性はクモなど他の肉食性の虫でも見られ、特に珍しいことではない。

また、それらの雌が雄を捕食する虫の場合、雄が本能的にいくつもの雌と交尾をし、体力を使いすぎて最後に交尾した雌の餌になっている場合もある。


さて、およそ3時間が経過したので、その後どうなっているかを見に行ってみた。

画像ー65 224-2
2012年12月06日11:56
もうほとんど食べれるところは食べられてしまっている!

画像ー65 236-2
2012年12月06日11:59
残っているのは、栄養にはならない‘羽’や‘足の先っちょ’のみの様であるが? 

画像ー65 236-3
2012年12月06日11:59 一つ上の写真の部分拡大

これは、ひょっとすると食われた‘オス’の頭? まだ真上にはメスのカマキリがいるので、確かめるのを後回しにした。

あれから、1.5時間以上が経過した。

画像ー65 238-2
2012年12月06日13:43

共食いをした場所から、少しだけ移動している。最初に見つけた場所からは2日間も動かなかったのに!

画像ー65 239-2
2012年06日13:46

何だか、満腹したのか一寸元気になったようにも見える!

画像ー65 245-2
2012年12月06日16:36

もうこの時間帯である。外はもう暗くなり始めていたので、この写真はフラッシュで撮影した。このまましておくと残りを食べにくる可能性は少しはあるのかな、と思って、そのままにしておいた。そして、翌朝・・・・

画像ー65 262-2
2012年12月07日11:50

ついうっかり、食べ残しの事を忘れてしまっていた! お昼近くになってやっと思い出した。昨日の風で少しは動いていたものの、残骸はそのままだった。

画像ー65 273-2
2012年12月07日11:54

残骸を揃えて撮影したのがこの写真である。思った通り、やはり食べられた‘オスの頭部’だった。その他には栄養分の少ない羽や足である。これは上述の通り。

ここで、不思議なことが二つ。引用の資料の‘赤文字’のところにある記述とは実際は違っている。それは、

① 引用文献によれば、メスは‘オスの頭部’を食べるというが、この場合は‘頭部が食べられずに残っている’。

② 更に、文献には、‘日本産のカマキリは、メスが進んでオスを共食いすることは余りない’という表現であるが、実際には起こっている。これは‘大変珍しい光景’なのであろうか?


画像ー65 273-3
2012年12月07日11:54

食べ残された‘オスの頭部’と‘前足に相当する鎌’の部分を拡大して見た!

何だか‘寂しそう’な風情に見えるのは何故だろうか?

最後に、もう一つの疑問。

共食いされたオスは、何故このメスに近づいたのだろうか? ‘ひょっとしたら自分が食べられるかもしれない’ことに恐怖は無かったのだろうか?

それとも、オスは自ら進んで食べられるために、このメスに近づいたのだろうか?

(つづく)



[2012/12/08 00:17] | サイエンス | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
コーラ談義
コーラと言えば、‘コカコーラ’と‘ペプシコーラ’しか知らなかった。

毎週、金曜日の夜12時50分(正確に言えば、土曜日の00:50)から面白いTV番組がある。

マツコの知らない世界
http://www.facebook.com/matsuko.sekai

TBSテレビの番組である。先週の金曜日(2012年11月30日)の深夜に偶然チャンネルが合って、こんな面白い番組があったことに初めて知った。

話題が揮っている。その日の話題は‘コーラ’であった。冒頭に書いた通り、われわれ‘期限切れ’人類は、コーラなんて年に2,3度しか口にしないから、余り関心もなかったが、古い時代から知ってはいるので馴染みはあった。

途中から見たのだが、あの情報通の‘マツコ・デラックス’さんが知らないことを我々が知っているはずがない!こんなテレビ番組があることは、‘われわれ老人が知らない世界’である。

マツコの知らない世界でコーラを飲む
http://www.facebook.com/matsuko.sekai

マツコの知らない世界 2012.11.30 TBSテレビ

話題が多過ぎる! コーラについてよくもまあこんなに話題があるもんである。

御出演になった人、つまりマツコ(女子?)氏に、彼(女?)の知らない世界をお教えする役目のご仁は、

http://www.colawp.com/greetings/author.html
中本 晋輔 (なかもと しんすけ)

日本有数(?)のコーラのコレクターにして、この企画の首謀者。 東に新たなコーラありと聞けばキコキコとチャリンコをこいで出かけ、 西に新たなコーラありと聞けば関空から空を飛びアメリカ大陸まで行ったりする。 その結果、部屋は赤い缶に埋め尽くされ阪神大震災の際に酷い目に会い、 資料として残すことを決心する。

「コーラを学問する」などと陳腐化されたスローガンのもと、 単なる骨董的収集活動にとどまらず、 むしろ考古学的知見をもって各地のコーラを分析し、 その文化的背景を探ろうとしている。 だからといって今後の活躍に期待しないように(笑)

コーラ白書で使用したコレクションは彼個人のものである。 また、ここで公開されているデータは 実質的にすべてこの中本の手によって作成された。 コメントなども他のメンバーと協議しつつも、 最終的には彼の手で書かれたものである。

だいたい、「ふすけ」と呼ばれている。スーツ姿も初々しさが抜け,すっかりオッサンだ。


これが、自己紹介の様である。

早速話題から・・・。

以後の写真は全て、(http://video.fc2.com/content/%E3%83%9E%E
3%83%84%E3%82%B3%E3%81%AE%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%
E3%81%84%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%80%802012.11.30/2012120
1MhcZqqsT/&tk=TXpjMk1qWXpOREk9
)からの引用。

① 近年見なくなったペプシの瓶コーラ

画像ー66 003-2

画像ー66 014-2
瓶コーラは近年見なくなったのは?

業務用としては残っている。

画像ー66 005-2

画像ー66 018-2
瓶コーラの方が美味いと思うのは何故?

瓶が‘冷たい’からだと思う!

② 世界中で飲まれているコーラの数は?

画像ー66 021-2
1日の約10億本!

③ ではコーラの最初の売り出し目的は?

画像ー66 025-2
コカコーラは、‘強壮薬’! ペプシコーラは、‘胃腸薬’!

画像ー66 030-2
‘ペプシ’の名前は、‘ペプシン’から・・。ペプシン:胃液中にあって、塩酸と共同でたんぱく質を分解する。

④ コーラの原料は?

画像ー66 033-2
レシピは明かされていない!

画像ー66 036-2
でも、同じコカコーラであっても、こんなに味が違う!

⑤ コーラ戦争

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二大メーカの販売戦争!

画像ー66 039-2
コカコーラに軍配! 軍隊に納入作戦でコカコーラが圧倒的に大勝!

画像ー66 040-2
しかし、ペプシが巻き返し作戦に!

画像ー66 042-2
遂にペプシがコカコーラを上回る!

画像ー66 038-2
両者は永遠のライバル!

コカコーラの巻き返し作戦は? ペプシの味の真似をした!

画像ー66 047-2
えっ!?

画像ー66 048-2
それにより、コカコーラの売り上げが上がった!

⑥ 最近の両者の売り上げNo。1 商品は?

画像ー66 051-3
これらが、両者の人気商品!

これらを飲んでみると・・・??

画像ー66 049-2
ゴックン!

画像ー66 050-2
美味くな~い!

⑦ 日本のコーラ市場に異変??

画像ー66 056-2
‘健康飲料’という概念が、遂にコーラにも及んで来ているという。

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何と!脂肪を抑える効果まで、コーラに??

画像ー66 070-2
御当地コーラ!

画像ー66 067-2
沖縄の黒糖入り!

画像ー66 065-2
‘塩’までが??

画像ー66 066-2
でも‘宗谷の塩’、美味しいかも? ただし、コーラとしてではなく??

画像ー66 059-2
キリンが参入!現在第2位かも?

⑧ 日本一高価なコーラは?

画像ー66 072-2
ホテル、ザ・リッツカールトン大阪の室内サービスのコーラ。お値段:1,017円也。

画像ー66 071-2
でも、こんなに豪華に持って来てくれる! そんなに、高くな~い!

⑨ 世界一ウマいコーラ!

画像ー66 075-2

画像ー66 079-2
ドイツの‘afri’コーラ。 でも残念ながら、賞味期限が切れている!13年前に!

画像ー66 074-2
えっ!

画像ー66 080-2

こんな調子の‘マツコの知らない世界’という番組。面白い!

今日金曜日の深夜、もう土曜日になって00:50から・・・・!

(つづく)

[2012/12/07 00:55] | 学習と文化 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
不動明王の仏像・仏画における‘眼と牙’の変遷
不動明王の‘仏画’を調べていたら、‘異常さ’に気付いた。

‘異常さ’というより、その‘顔’の描き方が全く違う‘二つ’の仏画(仏像)に出会った。

不動明王0004
NHK出版・NHKテレビテキスト・趣味工房シリーズ・あなたもアーティスト

このテキストに次の2枚の下絵が‘不動明王’として描かれていて、その違いの説明がない!

不動明王-2-2不動明王0001-2-2
NHKテキストの不動明王の‘二種類’の下絵

常識的には、不動明王は、その牙と目玉に特徴があり、その牙は、天を向いているのが一つと、あとの一つが地を向いている。そして、その目玉の一つはやはり天を向いており、もう一方が地を睨んでいるというものである。

不動明王 篠栗
http://www.geocities.jp/tttban2000/SL3326/gallery.html

南蔵院
不動明王

左眼は半眼、右眼はカッと見開き
目ん玉は左右で上下ひっちゃこっち

眉間にはシワ(水波)ば寄せて
下の歯で上唇ば噛み
牙はこれも上下食い違い

不動明王がどうして、こげな
恐ろしか顔ばしとんなるかていうとクサ

インドのドラヴィダ族ていう原住民が
西方から進入してきた
アーリヤ族に虐げられた
その苦しみの顔タイ

それで、弱かもんの苦しみが
分かっとるケン、取り除いてくれるとタイ




ところが、NHKのテキストの‘左側の絵’のように、牙の方向が二つとも地を向いており、目玉も真正面を睨みつけているのがあるというのである。
この辺の事情についての勉強不足から、つい‘ホ、ほんとう~?!’と叫んでしまった程無学である。

12-18_20121205121048.jpg
https://www.shinchosha.co.jp/geishin/2011_08/01.html
この京都・東寺の不動明王の画像からは、二つの‘犬歯’はハッキリとは判らない?

不動明王の像を日本に初めて持ち帰ったのは‘空海’だそうである。次のブログに以下のような解説がある。

http://ymd20hiro4.sakura.ne.jp/sub1_8.html
不動明王の牙

 不動明王は大日如来が人々の悪心を調伏するために忿怒の姿で現れたものであり、如来の命を受け、仏法を障害するものに対し怒りをもって対決する使者であるとされている。また、その威厳に満ちた容貌から、全ての災魔を屈服させると言われ、さらに難行苦行に立ち向かう修行者を守護する仏として信仰を集めている。五大明王の中央に座している明王が不動明王で、広く「お不動さま」と呼び親しまれている。古来より多くの人々の信仰を集め、日本における最も有名な仏様の一つである。

 インドで起こり、中国を経て日本に伝わったものである。日本では密教の流行に従い、盛んに造像が行なわれた。空海によって日本へ持ち込まれた不動明王の姿は、両眼を正面に見開き、前歯で下唇を噛んで、左右の牙を下向きに出した像で「平常眼」と呼ばれている。すなわち、両眼とも正面を睨み、上顎の前歯で下唇を噛んでいる姿をしている。左右の上顎犬歯は尖頭を下にして大きく伸び、下唇の外側にはみ出している。

 時代がすすみ、10世紀の天台僧・安然らの時代になると、「不動十九観」(不動明王の姿を19項目について解説)により、『大日経』などに基づく本来の不動明王像が見直され、不動明王の典型が完成してきた。右眼を見開き左眼は半開き、あるいは右眼で天、左眼で地を睨み(「天地眼」)、右の牙を上方、左の牙を下方に向けて出し(利牙上下出相)、左右非対称の姿の像になってきた。要するに、「天地眼」では右側の下顎犬歯は同側上唇の外側に上方を向いて突き出ており、左側の上顎犬歯は同側下唇の外側に下方を向いて突き出て、左右非対称の姿をしている。双方とも口は閉じて唇は強く結んでいるが、左の唇は外に向かって反転している姿である。右手に利剣、左手に羅索を持っている。(GAKKEN,不動明王より)


つまり、空海が日本にもたらした‘不動明王の姿’は、先に掲げたNHKのテキストの‘左側の絵’に近い表情をしており、およそ7~80年後になって、見直しがなされ‘右側の絵’のような‘典型’の画像になったというのである。

空海(774~835)は、802年、最澄(766~822)や三筆の一人橘逸勢(782~842)及び霊仙(759~827)と共に入唐する。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%BA%E6%B5%B7
第16次(20回説では18次)遣唐使一行には、最澄や橘逸勢、後に中国で三蔵法師の称号を贈られる霊仙がいた。最澄はこの時期すでに天皇の護持僧である内供奉十禅師の一人に任命されており、当時の仏教界に確固たる地位を築いていたが、空海はまったく無名の一沙門だった。


804年と言えば、凡そ、空海が30歳、最澄は38歳、逸勢22歳、霊仙45歳である。

何と言う‘恐ろしい天才達’であろうか? そして、当時の遣唐使・留学僧の留学期間は20年だったというのに、最澄は805年に1年間で、空海は806年に2年間で帰国している。それも彼ら二人は日本国にとっては貴重な予測以上の数の経文と成果を身に付けての帰国である。(橘逸勢の帰国年は不明? 霊仙は帰国せず)

さて、この大天才・空海は、大勢の人たちと関わって曼荼羅や密教法具の製作、経典の書写を行ない、真言密教と共にそれらを持ち帰っている。特に、それらの資料を基に、京都は東寺において‘立体曼陀羅’の造営に取り掛かる。残念なのはその完成を見ずに旅立ってしまうのである。

立体曼陀羅を安置する講堂は、空海の没年に完成するが、空海はこの完成を見ずに、同年没している。曼荼羅はその2年後に完成したという。

mandara.gif
http://www.touji-ennichi.com/info/koudo_j1.htm

この京都・東寺の不動明王の姿は以下の像に見る通りである。

不動明王(東寺)
http://masa71.com/ki-c.html
これが、京都・東寺の不動明王である。この顔の部分を拡大して見ると、

不動明王(東寺)-2不動明王-2-2
http://masa71.com/ki-c.html       右が、NHKのテキストの下絵の一つ。

NHKのテキストの‘左側の絵’そのものである。勿論、このテキストの中の原画の作者である‘松久佳遊’さんは、以下の経歴をお持ちの超一流の仏絵師だから、間違えられるはずはない!

不動明王0005-2

空海は、この不動明王の‘造形の変化’については、没後の事だから知らないのだろうが、この変遷を知ったらどう判断するのだろうか?

安然が唱えたとされる‘不動十九観’も含めて、不動明王の像容についての資料を引用しておきたい。

http://www.kyototsuu.jp/Temple/ButsuzouMyououFudou.html
【不動明王の像容】

 不動明王は、素直に仏法に従わない者を無理矢理にでも救済するために、
 目を怒らせた大変恐ろしい姿をしている


 不動明王は、肥満した童子形で、1面2臂で憤怒の形相が基本
 軽装で、法衣は片袖を破って結んで動きやすくしている
 右手には、降魔(ごうま)の三鈷剣(魔を退散させると同時に人々の煩悩を断ち切る)
 左手には、羂索(けんじゃく)(悪を縛り上げ、また煩悩から抜け出せない人々を救い上げるための投縄)
 背には、迦楼羅焔(かるらえん)(三毒を喰らい尽くす伝説の火の鳥の形をした炎)を背負う
 天地眼(右眼を見開き左眼をすがめる)(または、右眼で天、左眼で地を睨む)
 牙上下出(右の牙を上方、左の牙を下方に向けて出す)
 粗岩(磐石(ばんじゃく))の上に座して、
 「一切の人々を救うまではここを動かじ」と決意する姿

 <不動十九観>

 天台僧 安然が、「不動立印儀軌修行次第」により不動明王を想い従うために唱えたもの

 (1)大日如来の化身
 (2)真言中に、ア・ロ・カン・マンの4字がある
 (3)常に火生三昧(かしょうざんまい)に住んでいる
 (4)肥満した童子の姿で、卑しい
 (5)頭頂に七沙髻があり、蓮華をのせている
 (6)左肩に一弁髪を垂らす
 (7)額に水波(すいは)のようなしわがある
 (8)左の目を閉じ右の目を開いている
 (9)下の歯で右上の唇を噛み、左下の唇の外へ出している
 (10)口を硬く閉じている
 (11)右手に三鈷剣を持っている
 (12)左手に羂索を持っている
 (13)行者の残食を食べる
 (14)大磐石の上に安座している
 (15)色が醜く青黒
 (16)奮迅して憤怒している
 (17)光背に迦楼羅炎(かるらえん)がある
 (18)倶力迦羅竜が剣にまとわりついている
 (19)両脇に2童子が侍している


これで、不動明王の仏像及び仏画の‘変遷’について、かなりの理解が出来た。次回は、‘如来’様についての知見を広めるための検索を行う予定である。

(つづく)



[2012/12/06 00:26] | 宗教 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
選挙公示と政党乱立に加えてもう一つの政党(その1)
昨日(2012年12月4日)、先般の衆議院解散の後を受けての‘衆議院議員総選挙’の公示が行なわれた。

screenshot.jpg
http://knk-n.com/

御承知の通りの政党乱立である。この弊ブログで何度も取り上げさせて貰った通り、‘政党政治の破綻’と‘その終焉’が徐々に現れて来た証拠である。

「どの党を選べばよいか迷ってしまう」という、情けない意見が多く聞かれるのに対して、‘政治評論家’気取りのおじさん達もようやく口を開き始めた。

「‘政党’というより、‘信頼出来る人’を選べばいいのです。何故なら、マニフェストは守られないし、途中で変えられるからで~す。」という。

そうでしょう!そうでしょ~う! 私が何度も指摘して来た通り、政党ほど自由を束縛するものは無いし、政党政治が政治家を駄目にしてしまうのだから・・。

それは何故か?

政党に入っていれば、方針は‘政党執行部に一任’だから、その政党に属して当選したら、自分の意見通りに行動出来ないのだ!

各種の何百という立法案件に対して、国会議員の意見がいつもいくつかに分けられて同じという事にはならない、これはいみじくも‘橋下市長’仰せの通りである。

一つ一つの案件に対して、それぞれの国会議員各人が、己の思う通りに意見を言い、それに賛成すればいい。

ほとんどの今の選挙制度で当選してきた国会議員は、‘当選すること’が目的で出馬した人達であるから、自分の意見を持ち合わせてはいない。何故なら、自分の意見を持ち合わせなくていいからだ。その党の幹部の言う通りに‘起立’さえすればいい。自分の考えを持たなくていいのである。もっと言うと、自分の考えを持ってはいけないのである。持って違う意見を言えば‘造反’という烙印を押されて、二度と‘公認’を貰えない。

鳩山さんの例を見れば判る。一国の首相をやった事のある人物でさえ、‘迂闊なこと’を言えば国会議員を続けられなくなるのだ!あんなに‘金持ち’でも、である。勿論、彼は政治家として‘不適任’であったし、結構辻褄の合わないことを言っても平気でいられる‘支離滅裂な’思想をお持ちだったから、一人だけでも税金を無駄にしない為に、彼の今度の意思決定は褒めてやるべきかもしれないが。これが民間だったら‘詐欺罪’が成立し、これまでの報酬は返還という事になるはずであるのだが・・・。

0.jpg
http://b.hatena.ne.jp/Nean/?of=200

今の選挙制度では、当選してしまえば‘バカ’でもこなせる。いやいや、‘バカ’でないとこなせないのである!

したがって、みんな選挙に出たがるのである。本来、政治は‘好き’でやって貰っては困る!是非是非とお願いをされての人物が政治をやらねばならないのである。

ところが、今の選挙制度であると‘わたしに、私に!’と連呼する。そんな人間にまともな政治が出来ると想う方が間違いである。それじゃあ、選挙なしで良いかというとそれもまた困る。中国や北朝鮮を見れば‘ぞっと’する。

困ったもんだ!

そしてまた困ったことに選挙は‘投票率’を上げればいいと思っている人が多い。どの政党に、またどの人物に投票して良いのかも解らない人が投票することに何の意義があるというのだ!?

でもそれが‘民意’だと仰る。

更に悪いことには、必死で日本国の事、日本人の生活の事、老人対策や福祉の事を真剣に考えて来た人も、ただ年齢だけ選挙権が与えられる歳になったという‘愚か者’でも、同じ一票でしかない。

本当はこれこそ‘憲法違反’というべきなのに、憲法にはそんなことは一行も書かれていない。‘一票の格差’を吠えるなら、この見識に応じた‘投票用紙枚数権’を検討した方が余程日本国家のためになる。

でも、この選別の方法を誰も提案する能力に欠けるから、これから先もこの方法は実現しないのであろう。

‘政党乱立’で目立つことは、どの政党も‘同じ事’を言い出したことである。これまた、全くつまらない!何故か?
どの党も‘当選者を増やすこと’が‘目的’であって、日本良くしようというのはそのための‘手段’に過ぎない。

‘目的’と‘手段’を全く取り違えてしまっているのである!

したがって、本当に‘良い政治’が行なわれるにはどうしたら良いか?から考え直さなくてはならない。

(1)‘選挙方式’がよいのか?それとも‘王制政治’が良いのかまで遡って考え直す必要が或る。こう言えば‘バカの一つ覚え’の人達は、‘民主主義’なんだから、という。民主主義の欠点も知らずに・・・。改めて言っておきたいのだが、民主主義程つまらぬ制度は無い!何故か?民衆が‘アホ’だからである。我々の周りを見渡してみるがいい。
周囲に誰一人‘この人物は!’という人は見当たらない!そんな連中が代表者を選ぶのである。選ばれる方だって、日本を良くしよう、なんて思っている人は‘一人も’いない。みんな、己の出世欲や名誉欲や‘金目当て’である。

(2)王様になって本当に日本のために働く人物は、これまたいない。何故か?この制度が長く続いておれば、幼少の時からその志を持って成長してくる人物もいるかもしれないが、これにも直ぐには希望が持てない。さて、それではどうするか?

やはり選挙制度にする。しかし、或る年齢が来れば、誰にでも‘被選挙権’と‘選挙権’がある、などという一見平等のようで聞こえがいいが、全く駄目な方式を取らないこと。‘誰にでもその権利がある’として‘平等の不平等’を認めていることが民主主義の最大の欠点である。

この‘平等の不平等’は、誰でもほんの少し真剣に考えれば理解出来ることだが、何故こんなことに‘落ち着いてしまった’のか?答えは簡単である! その当時には、‘選別の能力・方法’が無かったからである。

では実際にはどうするのか?

① 被選挙権を認可されるには、‘大変難しい’試験に合格しなければならない。勿論、この被選挙権獲得試験は、これこそ隔たりなく誰にでも受験の資格がある。多分競争率は、100倍くらいにした方がいい。

② 選挙権も認可制にして、これも試験制度にする。そして、当然これも誰もが受験できるようにする。この競争率は、10倍程度にすればいい。

競争率は、単なる目安である。被選挙権は、100人に一人、選挙権は、10人に一人くらいという目安である。
この程度の人達で物事は決めてしまっていい。

そこで問題なのは‘試験問題’である。

これには、一般社会の‘常識問題’も是非入れて、勿論、政治・外交・経済・福祉・環境等々の項目についての専門的知識の程度を計り知ることが出来る問題を作るべきである。

この問題集の売れ行き次第で、国民の程度の高さが測れるというもんだ。本気で国の事を考えようとする人達は勉強して貰わねばならない!

まあ、色々な‘不正事件’も発生するに違いない。でもその位のことが防げないで国家の運営もくそもあったもんではない!

今度の‘笹子トンネル’の崩落事件で、政治家も評論家も‘意見’が違ってきた。産業界はもう少し早くから実行すべきではあったが、この問題が重要であることには気付いていた。

一番気付いていなかったのは民主党および民主党政権であった。‘建設業へのバラマキ’を口にしていた野田首相もその他正義を名乗る評論家も今後この言葉は使えないだろう!彼らが本当に日本の事を考えていなかった証拠である。

でも、産業界も技術やも大学の先生方も‘あんな点検技術’しか提案できないようでは今後の安全基準の作り方に疑問が生じる。

因みに、「ニコニコで行なわれたネット入口調査の結果」を引用しておきたい。注意を要するのは、以下の数値には‘ネットを使えない & 使わない人’の意見は、当然入っていない!

ニコニコのユーザー向け入口調査
http://7day.hatenablog.com/entry/2012/12/03/200910

先日「次の政権はどの政党に? ニコニコがユーザー向けに衆院選の入口調査を実施中」で紹介したように、11月27日(火)より、第46回衆議院議員総選挙に関する「ネット入口調査」を行った。

期間は2012年11月27日(火)23時から11月30日(金)12時までで、集まった回答数は実に1203671人と120万人を超えた。10代から50代までの幅広い層からの回答が得られ、集計の結果が出た。

年齢が高くなるほど固有の政党を支持し、さらに自民党への支持率が高いといった傾向がみられる。ただ、ネットを利用していない人たちやニコニコ動画を見ていない人たちの意見は含まれていない。これを「偏った回答」と見るのか、それとも「イマドキはネットも当たり前、ニコ動も当たり前」と考えて多数の意見と捉えるのかといった問題はあるものの現政権に対する不満が出ていることだけはわかる結果になっている。

また、有権者予備軍と言え、そして大半がネットを利用して大多数がニコニコ動画を見ていると思われる選挙権を持たない十代の若者たちまで自民党への支持が高いのが興味深い。

第46回 衆議院議員総選挙の投票は12月16日に行われ、即日開票される。このアンケート結果と異なる結果になるのか、それとも支持率の高い自民党が政権を奪回するのかは、そのときにはっきりするだろう。




(つづく)

次回は、私がもう一つの政党を作るとしたら、新しく入れる‘目玉政策’の項目とは? について・・・。


[2012/12/05 00:05] | 政治と社会 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
田牧一郎氏:地球の裏側で‘日本米’作りを促進する男
田牧一郎さんという人がいる。彼に関して、なかなか好評のTV番組があるらしい。

http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2012/0909.html
2012年9月9日(日) 夜10時
2012年9月16日(日) 午前0時50分 再放送
2012年11月18日(日) 夜10時 再放送
2012年11月25日(日) 午前0時50分 再放送
地球の裏側で“コシヒカリ”が実る

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田牧一郎氏


遅ればせながら、2012年11月25日(日) 午前0時50分からの‘再放送’を見せて貰った。

この内容の要点を‘再現’してもよいが、この件関して実に素晴らしい‘ブログ’がある。NHKの番組の要点をこれだけ確実に漏らさず‘報告書’に出来る‘技術’は私にはないので、その全文は次のアドレスで見て欲しい。

 2012年09月12日
世界に広がる「日本のコメ」。田牧一郎氏の開拓魂。
  http://eikojuku.seesaa.net/article/292120259.html

あらましは以下の通りである。

<あらまし>

およそ四半世紀前、‘日本の美味しいお米を世界中に広めたい’という一心から、そのためには日本のお米を日本で生産したのでは‘コスト高’の為に、いくら美味しいからといっても世界中の人に食べてはもらえない。コスト安にするには、先ず、大規模農業が可能なアメリカで、という訳でカリフォルニアで‘改良型コシヒカリ’の収穫に成功したが、やはり水や土地代の‘コスト高’によって絶望感を抱く。

その後、「開拓者としての血が、ウルグアイで高品質なコメをつくれと、私に命じたんです」と御本人が語っているように、赤道から離れること北緯35度の日本とウルグアイの南緯34度との差が極めて少ない‘ほぼ日照時間’の同じ国を彼は選択した。

地球の表と裏で、新米を手に入れることが出来る時期が半年間短くなるというおまけまでついて来てこの事業には‘食感’という意味での成功と、彼の念願である‘コスト安’について大幅な飛躍があった。それは、米の売値を左右する生産コストの安さ(80%off)と特に‘運賃’問題。例えば、台湾までお米を運ぶ運賃が、何と‘日本から’と‘ウルグアイから’でほぼ同じという。

これじゃあ、台湾は買うに決まっている!
来春の収穫時期に200トン、おにぎり400万個分だそうである。その商談は直ぐに成立した。
売り出しのキャッチフレーズは、「地球の裏側から届いた春の新米」。期間限定でのスペシャルおにぎり、という訳でこの企画大当たりという。

その後、ウルグアイ駐在日本大使の計らいで、ブラジルやパナマにもこの‘ニューウエーブ’は広がりを見せ始めたという。

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http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2012/0909.html
ウルグアイで実った日本米


この番組のバックグラウンドとこの番組を見て印象に残った私の感想

<1> バックグラウンド

田牧一郎氏とは一体どんな人物か?

http://blog.livedoor.jp/asakawayoshihiro/archives/52002179.html
田牧一郎氏のウルグァイ米作り報告のご案内
2012年10月18日 00:00 イベント
明日、10月19日に「田牧一郎氏のウルグァイ米作り報告」というタイトルで、セミナーを開催いたします。
急な開催になりますが、是非皆様ご参加いただければと思います。

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今回は、先日、NHKのETV特集( http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2012/0909.html )で放送された、田牧一郎氏によるウルグァイでの日本米作りについての報告です。

田牧一郎氏は、本誌上でカリフォルニアの米生産とその経営に関してだけでなく、様々の連載をお願いしてきました。とくに本誌が乾田直播の重要性を指摘する中で、あえてカリフォルニア在住の同氏に日本国内での乾田直播技術についても取材をお願いしました。そこに海外での米生産・流通コンサルタントとして海外の日本米生産の状況を良く知る田牧氏ならではの視点があると考えたからです。さらに、2007年2月にはカリフォルニアで堪水直播をする稲作経営者を招き、本誌読者とのシンポジウムに協力していただいたこともありました。さらには、同氏の案内で数名の読者とともにウルグァイの農場に視察にも行きました。

それを踏まえ、日本の品種と機械技術を使ったウルグァイでのコメ生産(Madeby Japanese)を行うための会社設立を田牧氏と私で呼び掛け、その準備段階までに至ったこともありました。しかし、最終的に農地借用がままならず話は中断してしまいました。今回のNHKでの放送は、その後に同氏が別の現地生産者やカリフォルニアの稲作農家らとともに改めての日本米生産にチャレンジする様子を伝えたものです。

同氏は、まだ食糧管理法があった時代の1989年にカリフォルニアに渡り、同地で精米業者として事業を始め、同時に現地での日本米生産に関わってこられました。

田牧氏は日本にいる頃から現在の米農業の状況を予測し、一刻も早く日本の稲作経営者と農業界の意識改革を進める必要があると語っていました。そのためにこそカリフォルニアに渡り、生産者というより精米業者として同地で活動することで、自らも学びつつ日本からの研修生を受け入れるなどして我が国のコメ農業界の変革に繋げたいと活動してこられました。「田牧米」は世界に通じる日本米ブランドになりましたが、その後、同氏は田牧米を生産する精米業者の立場を離れ、日本米の生産技術から国際流通にいたるまでを指導できる唯一と言ってよい存在になっています。

海外の人に日本のお米の美味しさを分からせるためには、海外で高品質な日本品種を安く海外マーケットに供給し、それを食べさせねばならない。さらに、米生産者だけでなく、日本の外食業者や小売業あるいは農業機械メーカーがコンソーシアムを組んで海外展開する必要があるというのが、私が考えているMade by Japaneseなのです。

様々な作物の中でも日本のお米輸出こそが最も世界市場において将来性の持てるものです。しかし、今の国内の米価格では本格的輸出は有り得ようもないのです。だからこそ、国内での米生産のコストダウンに取り組むと共に海外に日本米の市場を育てる必要があるということです。田牧氏がウルグァイでの米生産に取り組むのも、そうした背景があるのです。また、田牧氏がかねて話している、日本やコンバインや乾燥調製技術があればこそ良食味米生産が可能だということも実体験に基づいて話していただく予定です。

田牧氏によるMade by Japaneseへの関心をお持ちの方だけでなく、世界の米情勢と日本の米ということにご感心をお持ちの方まで奮ってご参加ください。

『農業経営者』編集長 昆吉則
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【第72回 10月19日(金)『農業経営者』読者の会 定例セミナー】

田牧一郎氏のウルグァイ米作り報告

【講師/株式会社水稲生産技術研究所代表取締役社長 田牧一郎(たまき・いちろう)氏】

■講師プロフィール
1952年福島県生まれ。74年、米カリフォルニア州の国府田農場で1年間実習後、帰国、大規模稲作経営に取り組む。89年、カリフォルニアに渡米、コメ作りを開始する。同時に始めた精米会社で「田牧米」を作り、米国内にとどまらず世界中の良質米市場にブランドを定着させた。現在は、コメを生産しながら、コメ産業コンサルタントとして活躍する。


日時:2012年10月19日(金)15:30-17:30
場所: シチズンプラザ 2階Aルーム
〒169-0075 新宿区高田馬場4-29-27 TEL:03-3363-2211
http://www.citizen-plaza.co.jp/access/

参加費は、一般参加者:6,000円です。
農業ビジネス無料会員(http://agri-biz.jp/member/about_member_list )になると、4,000円で参加できます。


という通り、このブログから拝察すると、並々ならぬ信念の持ち主であると共に不屈の開拓魂の持ち主であると窺える。

<印象に乗ったこと>

① 料理が世界を制す

世界中に名を成している通常‘00料理’と言われる料理には、‘フランス料理’と‘中華料理’くらいのもんである。

不思議なことに‘アメリカ料理’や‘イギリス料理’と言ったものは無い。
この理由は解らない。何故なのだろうか?

メジャーでない特殊な物として‘インド料理’や‘メキシコ料理’はあっても決して世界中の人々に愛されている訳ではない。

‘食文化’は、その他の文化にも影響を与えるという事も多いに在り得る。中世のフランスがヨーロッパを制していたように、また今後中国が世界を制す勢いであることも事実かもしれない。勿論、この食文化の裏には、その料理を好む民族が世界中に広まっているからに相違ない。

ただ、フランスが今後世界を制すことが無くなったとしても、依然として‘フランス料理’は生き残る。食文化はそういった物である。毎日の食事の習慣から脱出は中々難しいからである。

勿論‘アメリカ料理’は無いかもしれないが‘アメリカナイズフード’は沢山ある。
ハンバーガーやコーラやポテトフライやポテトチップスやポップコーンなどなど。単品ばかりである。

形は崩れてか来ているがこれも‘アメリカ料理’と呼んでもいいのかもしれない。やはり、‘食文化’が世界を制すという考え方は長い目で見れば、そう間違ってもいないと思われる。

日本の‘寿司’が世界を制するのも努力次第であろう。それには、‘安くて美味いお米’の供給が前提となる。この番組を見ていて、日本政府もこんな分野の世界戦略に大きな投資援助を画策すべきなのでは?と思った次第。

② 将来の食糧事情対策に打って付け

お米は、‘キュウリ’や‘ナス’や‘トマト’といったいわゆる‘野菜の連作障害’もなく、毎年同じ場所に作付けが可能である。それに‘二期作’だって可能だし、このブログでも何度も取り上げさせて戴いた通り、‘孫生(ひこばえ)’が今後上手く技術的に発展したら美味しいお米が世界を制する時期が来るのではないか?とさえ思った。

世界中の食糧難時代が来ることは、色々なところで問題視されてもう何十年も経っている。
温暖化や寒冷化が今後何時地球に襲ってくるかは誰も予測出来ている訳ではない。はたまた、大地震が世界中で何時起こるかの予測も立て辛いし、その時の食糧の確保は丈夫なのだろうか?

勿論人口の自然増への食糧供給対策も大問題である。
その事態に備えての準備は早すぎることなどあり得ない。

③ 日本の老人対策の一つとして

日本人は、もっと‘田牧一郎氏’の精神を学んで、優秀な技術を世界中に流布することに積極的に力を入れるべきである。

そのためには、‘工業技術世界一の日本’の誇りを堅持しつつ、今後の世界を救う‘農業’に着目した‘農業技術世界一’の日本をもっともっと世界にアッピールすべき時期にあると思う。

そして日本国民は、その技術を以って世界中の模範となるべき考え方を今日の‘生涯方針’の中に入れるべきである。

長寿国日本の65歳以上の人々が隠居をして‘悠々自適’なんて、勿体ない!

政府が率先して、65歳以上のまだまだ働き手を海外での工業・農業指導員として積極的に派遣すべき政策を取れば、世界の経済の活性化に大いに寄与すると同時に日本の‘年金制度’の改正にも繋がるという位の‘マニフェスト’を掲げる政党はいないものか?とさえ思った。

日本が世界の‘在り方’にもっと力を入れるべき、と何故だれも言い出さないのだろうか?

多分、それは今の為政者・為政者候補に世界を見る目が無いからに違いない。

オリンピックの招致だって、日本だけで騒ぐことしか方法をを見いだせない考え方では無理である。
世界中から‘声’を出させるには、世界中に‘日本贔屓’を作ることである。

それが出来るのは‘日本人の技術’をその国の発展に寄与するやり方を日本政府が自ら政策として掲げるべきであり、日本の歩むべき道はそれしかない!

日本の‘農業技術の凄さ’の一端を、この‘コシヒカリ’の挑戦で決意され実行されている‘田牧一郎氏’に見て感動を覚えた次第である。

頑張れ!田牧一郎さん、そして日本の農業技術!

(つづく)












[2012/12/04 00:09] | 農業 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
吊るし柿、その後(2):初霜
昨日(2012年12月2日)の朝は、今季初めての初霜(程度の小さいのはあったとしても)が観測され、朝方まで残った。

千葉県・茂原市のその日の最低気温は、‘+2℃’との発表だから、何度も繰り返し指摘させて戴いている通り、気温は、これまでの‘慣習上’地上1.5mの百葉箱の中の温度であって、地表面の温度ではないから、最低気温が‘+2℃’であっても、霜は降りる。通常+4℃以下になれば霜が降りる、と言われているだけに、茂原市の我が家の近辺でも‘初霜’が観察されたという訳である。

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2012年12月2日08:31

12月2日のここ千葉県・茂原市・千沢での‘日の出時刻’は、06:30(±2)と計算出来る( http://www.hucc.hokudai.ac.jp/~x10508/cgi/Srss2.php )ので、日の出から既に2時間が経過している。それでもまだこれだけの‘霜’が残っていたのである。

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08:32

セイタカアワダチソウも、すっかり霜の洗礼を受けて寒そうである。

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08:32

拡大して見ると、寒そうなのが、よ~く判る。

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08:32

更なる拡大で、このセイタカアワダチソウは初めての経験に少々がっかりしているように‘しなだれて’いる様子が窺える。もう成長するのを諦めたみたい。

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08:34

此方の草は何と言う名前かは知らないが、セイタカアワダチソウに比べると少しは‘元気’がよさそうであるが・・・

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08:34

拡大して見ると、‘寒さなんか!’という意気込みも感じられる。

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08:34

葉っぱが、温度を吸収しないように出来ていると見えて、霜の氷の結晶がまだ消えずに残っている。

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08:39

此方は、少々時期が遅れてのセイタカアワダチソウである。

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08:39

まだ、花が完全に花の格好をする前の段階の様である。

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08:39

きっと驚いているに違いない! こんなことならもっと早く出てくれば良かった、と思っているのだろうか?

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08:41

この草も何の言うのかは知らないが、一寸は元気そう。

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08:41

拡大してみると、その元気さが判る。

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08:41

しなだれていないところがいい。越冬するのかも知れない?? でも結構‘芸術的’な感じもする。

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08:42

この場所は、他のところに比べて、太陽を少し早めに受けたようであるが、まだ、氷の結晶が残っている。

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08:42

拡大して見ると、葉っぱの中央部にはもう霜は無い。

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08:42

葉っぱの淵には結晶が残っているところを見ると、葉脈の中の流れが非常に良くてそのお陰で‘体温’を維持する能力が優れているのだろう。越冬出来る機能を持っているように見える。

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08:46

この草は、直ぐ上の草とは違う種類なのだろうか?

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08:46

朝日の日当たりは良くないところのようで、まだ葉っぱの中央部分にも霜が残っている。

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08:46

氷の結晶の大きさ(長さ)はこの草が一番大きい(長い)ようにも思える。こんな風に氷の結晶が成長するとは思っていなかったが・・・。

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08:33

此方は、車である。生憎外に駐車してあったがために、‘霜攻撃’を受けてしまっている。

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08:33

ヘッドライトの‘フォグライト’の部分には、霜が‘粉雪’状になっている。このライトの部分は、‘ガラスorプラスティック’で覆われているので、ボディの部分の鉄板よりも‘熱伝導率’が悪い。そのため、低温がそのまま残って、霜が中々‘解凍’されないのである。

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08:33

この機種は、フォグライトの部分に‘盛り上がり’が付けてあるため、見掛け上‘雪が積もった’様な状態となってしまった。

流石に、日の出時刻(06:30)から、2時間20分も経ったので、そろそろ‘初霜ショー’も終わり近くとなった。

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08:49

まだまだ、初霜もであるし、最低気温もまだ‘0℃’を切っていない。来年に入り、一月の終わりころには、草の方も枯れてしまっているかもしれないが、案外越冬して青々とした草もあるかも知れない。

今後、霜によるどんな珍しい‘氷の結晶’が見られるか?楽しみである。


さて、11月28日の弊ブログで紹介した‘吊るし柿’、吊るしてからそろそろ5日間が経とうとしている。

軒下に、それも2階の軒下だから、初霜を直接受けてはいないものの、それはそれは、寒かったものと思われる。

その後は?

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10:23

5日間だけでは、まだまだ! 少し摘まんでみても表面化から、数mm の深さまでも‘柔らかく’なってはいない。

渋柿も皮を剥かれて、最後には食べられる!でもこれって、見方を変えれば‘渋柿が修行をしている’のに似ていない?

 渋柿や 皮を剥かれて 修行かな

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10:23

45個の内、これ一つだけが、一寸‘修行’が進んでいるみたい。‘ゴマ模様’が少~し出てきたようである。

 渋柿も 悟りを開いて ひとりまえ

俳人の坪内稔典氏は言う。

「‘擬人化’してみるのも 俳句上達の一方法である。」

(つづく)












[2012/12/03 00:19] | サイエンス | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
新しい食材:新和風ぴざと般若そば
土曜日のTVの楽しみの一つは、お馴染み、日本テレビの「ぶ・ら・り、途中下車の旅」である。

昨日(2012年12月1日)の‘路線’は京成線である。

この番組では、その路線沿線の‘珍しい物’が次々と紹介されて行く。いつも利用して乗っている路線だって、駅毎に降りることは無い。駅毎に用事がある訳ではないからである。

今回も沢山の珍しものが紹介されたが、今度この京成線に乗ったらその駅へ降りて寄ってみようと思ったところを紹介しておきたい。

① 京成船橋駅 薪窯焼きぴざ屋 ぱお

http://www.ntv.co.jp/burari/contents/detail_2681651.html
新感覚!和風ぴざ

昨年12月にオープンしたこちらでは、ピザの生地からソースまですべて自家製。
豚の味噌生姜焼きぴざは、3日間寝かせた生地に、味噌ダレをたっぷりと塗り、
その上にゴボウ、たっぷりのネギをのせ味噌と生姜に漬け込んだ豚肉を加え焼きます。
その他にも、わさび醤油をソースにした和風ピザや、季節の食材を生かしたピザが頂けます。



豚の味噌生姜焼きぴざ

兎に角、普通の昼食や夕食(ディナー)にあるメニューから、売れ筋の物を‘ピザ’にしてしまえ!という発想であるが、かなり腕に覚えのある料理人が作れば、これは‘物’になる。

元来、ピザの職人は、‘豚の味噌生姜焼き’なんぞは作らない。そして、‘豚の味噌生姜焼き’の職人は、‘ピザ’は作らないものだ! それがどちらから歩み寄っても良い。

ここの場合は、豚の味噌生姜焼き職人が、ピザを作ったのだろう。和風だから、‘ピザ’を‘ぴざ’と平仮名に変えて・・・。

寿司職人が‘ピザ’を作れば、???

また、うどん職人が‘ピザ’を作れば、???

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豚の生姜焼は、サラリーマンのお昼の定番である。これがピザで・・・。これはいける!
ハーフサイズで、700円。これも、丁度いいお値段!

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開発者の井上さん。今後この番組で紹介された以上、大丈夫!

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正に、これ‘和風ぴざ’!

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汁が垂れないのもいいのかも・・・。

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かとうかず子さんも、一寸驚かれている様子。

オリジナル和風ぴざ(ブリ)

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今度は、炙りで・・・。‘ブリ’。これもいいかも・・。考えましたね!

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レギュラ―サイズだから、二人で一つの注文で良いから、一人分600円。これならお安くて・・・。

オリジナル和風ぴざ(中トロ)

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これも炙りで、中トロとは、

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中トロが、レギュラーサイズで、1,500円は安いよ!多分これが一番の売れ筋かも?

試作品!(うなぎぴざ)

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‘うなぎ’まで?!

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ぴざの生地とうなぎ、合うかも?!

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試作品? もうこれ大丈夫!と彼女も絶賛!

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ところで、お幾ら?このところ、うなぎは高いんで・・・。


さ~て、お次は???

② 京成佐倉駅 房州屋 本店

http://www.ntv.co.jp/burari/contents/detail_2681653.html
日本酒をかける蕎麦!般若そば

歴史の街、佐倉に店を構えるこちらは、およそ80年続くお蕎麦屋さん。
こちらで頂ける般若そばは、3代目のご主人の代になって登場しました。
般若とは、お坊さんがこっそりお酒を飲む時の隠語として使われていたそうです。
蕎麦に辛口の日本酒をかけることで、蕎麦本来の甘みが増すそうです。



般若そば

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般若は、上記の引用説明とおり、お酒の隠語。でも、これどうやって??

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これが日本酒! 一寸多過ぎかな?

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どうぞ、どうぞたっぷりと、と店主は勧めるが・・・。

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じゃあ、その通りに・・。

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掛けたら・・

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混ぜるんです!

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一口食べると・・・

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いやいや、まろやかで美味しい!

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これで、850円?お酒は、一合は無いにしても‘安い!’

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いやいや、いける!

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二日酔い醒ましにいいかも?

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大満足の、般若そば!


いやはや、驚きました!

新ピザに般若そば。知恵を絞れば、新商品が産まれる!

また、新しい物見つけて来て下さ~い!

(つづく)













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