fc2ブログ
銀の鈴とチューリップ
東京駅で待ち合わせ場所と言えば、普通は‘八重洲中央口’か、‘銀の鈴’に決まっている。

その‘銀の鈴’で友人と待ち合わせすることになった。

銀の鈴

‘銀の鈴’というから、‘銀’かと思ったらそうではないらしい! 横の柱に案内版が貼りつけてある。

画像ー85 114-2

画像ー85 112-2

http://yaplog.jp/yuki3132/
東京駅 銀の鈴と宮田亮平

東京駅の待ち合わせスポットとして親しまれてきた「銀の鈴」ですが、現在の4代目となる銀の鈴は東京藝術大学学長、金工家・宮田亮平氏の製作により誕生しました。宮田 亮平(みやた りょうへい、1945年(昭和20年)6月8日 - )は、新潟県出身の金属工芸家。東京藝術大学学長で佐渡の伝統工芸「蝋型鋳金」技術保持者の二代目 宮田藍堂(みやた らんどう)を父に持つ(初代藍堂は祖父、三代目藍堂は長兄。)。金属工芸家の宮田琴は娘。宮田氏は東京芸術大学で鍛金技法研究の指導にあたる一方、工芸家としての評価も高く、その作品は日本のみならずドイツ・イスラエル・韓国・中国など世界各地で展覧が催されている。イルカをモチーフにした「シュプリンゲン(Springen)」シリーズが有名である。昭和53年(1978)、佐渡の蝋型鋳金技術として新潟県の無形文化財に指定されました。このような、すばらしい技術をもった世界有数の芸術家に作成してもらえるようになったセレブな「銀の鈴」ですが、当初のハリボテ銀の鈴も復興しても面白いかもしれません。


myt.jpg

宮田 亮平 (みやた りょうへい)

東京藝術大学 学長
日展:評議員・審査員
現代工芸美術家協会:理事・審査員
国立大学協会:理事
文化庁「文化審議会」:会長代理
東京都「東京芸術文化評議会」:評議員
財務省「地方自治法施行60周年記念貨幣の発行に関する会合」:委員  他

pub_ch64.jpg

金工作家。新潟県佐渡に蝋型鋳金作家二代目宮田藍堂の三男として生まれる。昭和47年に東京藝術大学大学院 美術研究科 工芸(鍛金)専攻 終了。イルカをモティーフとした「シュプリンゲン」シリーズなどに作品等で、「宮田亮平金工作家」をはじめとして、国内外で多数の展覧会に出品。「日本現代工芸美術展」大賞・文部大臣賞・内閣総理大臣賞や、「日展」特選、朝日「海とのふれあい賞」朝日新聞社、等々の賞を受賞。現在、東京藝術大学学長として大学経営にあたる傍ら、作家としての制作活動も活発に続ける。日展評議員、現代工芸美術家協会理事、内閣府コンテンツ・日本ブランド専門専門調査会、文化庁文化審議会会長代理、国立大学協会理事を務めるなど、各方面に活躍している。


この他にもいろいろ資料を探したが、この‘銀の鈴’の‘材料’についての文献は、今のところ見つからない!材料屋にとって見過ごせぬことである。今後調査を続行して見る。


おやおや、この‘銀の鈴’のお隣に‘チューリップ’が・・・。

画像ー85 121-2

いつからここに?

画像ー85 116-2

リップ(唇:lip)に‘チュー’をしているから‘チューリップ’! でかした! お見事!

画像ー85 119-2

この‘看板=立て札’によると、チューリップの切り花出荷量が一番多いのは新潟県だそうだ!

これも名所・銀の鈴’を支える一つになった。

(つづく)


スポンサーサイト



[2013/01/31 22:41] | 観光 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
日比谷公園
今日(2013年01月30日)久し振りに 日比谷公園 へ行った。日比谷公園の名前を知ったのは、もう60数年以上も前の事である。当時のNHKのど自慢がラジオ放送された時、‘日比谷公会堂’が主たる会場だった(多分?)からである。

私が小学校時代からずっ~と高校どころか学生の期間一杯、NHKのど自慢の司会者は‘宮田輝’アナだった。(1946年~1966年の20年間ほぼ一人で・・。)だから、‘のど自慢’と言えば‘宮田輝’と‘日比谷公会堂’という連鎖で思い出す。

東京都千代田区日比谷公園 日比谷公園 - Google マップ0001
Google マップ https://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&tab=wl
日比谷公園

或る友人と待ち合わせをしていたのであるが、中央線の遅延で30分ほど遅れるという電話があったため、それではと滅多に立ち寄らない日比谷公園に行ってみることにしたのである。

ここのところの寒さで公園散歩どころではないのだが、今日は東京の最高気温が14℃に達するという。これはもうコートが要らない陽気である!

時刻も14:30一番温かい時間帯である。日比谷公園では、何にも催しは行なわれていないが、兎に角、中に入ってみることにした。

帝国ホテルの方から入ろうとしたのだが、振り返ってみるとやはり帝国ホテルは素晴らしい!

画像ー85 003-2
帝国ホテルについては、別途弊ブログでも取り上げてみたい。近々このホテル内に‘事務所’を持つことにした人が友人の中に居るからである。

画像ー85 002-2
2013年01月30日 14:22 日比谷花壇の前である。 1月31日は、‘愛妻の日’とある。‘1’をローマ字の‘I’に見た立てて、‘愛’としたのだろうが、苦しいが、まあ面白い!

画像ー85 008-2
噴水は、日比谷花壇から直ぐ近くである。今日も勢いよく水を吹き上げている。やはり、この噴水がないと日比谷公園は淋しい!

画像ー85 009-2
ここは、噴水から日比谷公会堂の方に150mばかり歩いてきたところである。温かいからもう少し人がいるのかと思ったが・・・。

画像ー85 010-2
此方は中央官庁の建物側である。大きな時計を見える。

画像ー85 014-2
14:28 大時計も28分を指している。写真では、短針と長針が入れ替わっているように見えるが・・・。

画像ー85 015-2
これが、日比谷公会堂である。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%AF%9
4%E8%B0%B7%E5%85%AC%E4%BC%9A%E5%A0%82

日比谷公会堂

沿革 [編集]

東京市長でもあり、中立な市政のための調査機関の必要性を訴えていた後藤新平の主張に安田善次郎が共鳴、当時としては巨額の350万円の寄附を得て、「市政調査会(市政会館)」およびそれに併設する公会堂として計画された。
建物は指名設計競技で一等となった佐藤功一の設計になるもので、1929年に竣工した。現在も同建物(市政会館)内に財団法人・東京市政調査会がある。ちなみに開場式で、新聞を破いた音が参加者全員に聞こえたという。関東大震災の教訓から、地盤は2000本を越す松材で固められている。
かつて、東京では事実上唯一のコンサートホールとしてプロフェッショナルのオーケストラの演奏会やリサイタルなども多く開かれたが、東京文化会館を皮切りにNHKホール、サントリーホール、東京芸術劇場、オーチャードホール、昭和女子大学人見記念講堂といったコンサート専用ホールやコンサートに使用可能な多目的ホールが整備されるに従い、コンサートホールとしての地位は低下して行く。講演会、イベントなど音楽会以外の利用が増え、クラシック音楽の演奏会はほとんど開催されなくなった。

戦前から政治演説会や国民(人民)大会が数多く行なわた場所でもある。1960年の浅沼稲次郎暗殺事件は、この日比谷公会堂における立会演説会での出来事である。
管理運営は、2006年(平成18年)4月1日より、日比谷野外音楽堂 とともに、東京都の指定管理者である民間企業グループにより行われている。


画像ー85 013-2
公会堂の前には、先日の雪がまだ溶けずに残っていた。

画像ー85 019-2
これは、公会堂の前からほぼ北側を見たところである。

画像ー85 020-2
一つ上の写真の左側の木であるが、常緑樹ではないから、やはり寒そうに見える。春になればきっと新緑が美しいに違いない。

画像ー85 028-2
ベンチのそばに‘野良猫’が出て来た!

画像ー85 028-3
鋭い目つきであたりを警戒しているから、飼い猫ではない。

画像ー85 031-2
此方の木には‘カラス’が留っている。

画像ー85 032-2
餌を与えてはならないことになっているのだが・・・。

画像ー85 033-2
一つのベンチに一人くらい割合で誰かが座っている。結構暖かい。

画像ー85 038-2
此方の水飲み場には何かのメッセージがある。

画像ー85 039-2
ここに丁度良い水道がある!ここぞとばかり、ギンナンを洗う人がいるのだろう。不心得もほどほどにして貰いたい。この看板も税金で・・・。

画像ー85 043-2
日比谷公園内に‘立木’が多いのは、何故?前出の引用文献‘Wikipedia’によれば、<日露戦争に勝利すると、献木が盛んとなり、樹木が充実した>とある。

画像ー85 042-2
これは由緒ある‘ハナミズキ’だそうだ。

画像ー85 041-2
看板が示す通り、ワシントンへの桜の返礼のハナミズキの原木の子供という。

画像ー85 045-2
14:35‘松本楼’の前の大銀杏。画面の銀杏の左下の‘黒い穴ぼこ’は、コントラストのいたずらで、本当は前を通る二人連れの‘頭s’。下の写真ご参照の事。

画像ー85 045-3
確かに、二人連れの頭。頭が二つだから‘頭s’。

松本楼の大銀杏
http://blog.goo.ne.jp/super-buchou_2007/e/fc459d0751e452d06c0b972acae351ce
秋にはこんなに立派な銀杏の葉っぱが見られる。ここにギンナンがあるかどうかは知らないが、あるとすればここのギンナンを先程の水飲み場の水道で洗う輩がいるという訳である!距離的には約100m以内。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E6%A5%BC
松本楼(まつもとろう)は、有限会社日比谷松本楼が運営する日本の東京都千代田区日比谷公園内にある洋風レストランである。

1903年に東京市が現在の日比谷公園を開園するにあたり、銀座で食堂を経営していた 小坂梅吉が落札し、日比谷松本楼として6月1日にオープンした。当時としては珍しい洋風レストランに人気が集まり、1906年秋には東京料理店番付で西の関脇に押し上げられたほどだった。
日比谷公園が日比谷焼打事件など、度々政治活動の舞台となっていたこともあり、バルコニーから憲政擁護の演説が行われた。

1923年に関東大震災により焼失。その後バラック住宅から復活し、これを機に小坂光雄が2代目社長となる。梅吉はその後1936年に貴族院議員に当選している。その後太平洋戦争に突入するまで、引き続き人気のあるレストランとして日比谷公園の顔になった。

しかし1942年に東京に空襲が始まると日比谷公園が軍の陣地となり、1945年2月、遂に松本楼が海軍省の将校宿舎となり、終戦後にはGHQ宿舎として接収され、約7年に渡り営業できない日々が続いた。1951年11月にようやく接収が解かれ、松本楼は再スタートを切る。

その後も日比谷公園で営業を続けていたが、1971年11月19日、沖縄返還協定反対デモが日比谷公園内で激化し、その中で左翼過激派学生の投じた火炎瓶が松本楼を直撃し、2代目建物も焼失の憂き目にあう。3代目松本楼のオープンは1973年9月26日と再建に約2年を要した。これを機に10円カレーが始まる(後述)。
3代目建物には結婚披露宴会場、大小の宴会場やフランス料理コースの個室など、様々なニーズに応えた設備も登場。2度の焼失にあいながらも1983年には創業80年記念に1日店長として森繁久弥を迎え、2003年には創業100年を迎え、現在に至っている。

第二次世界大戦前には、日本に亡命していた中華民国初代総統の孫文やインド独立活動家のラース・ビハーリー・ボース、また2008年には中華人民共和国の胡錦濤国家主席も来店した。文学の面では高村光太郎の智恵子抄をはじめ、夏目漱石、松本清張などの作品にも松本楼が舞台として登場し、時代を超えて公園の象徴的存在の一つであり続けている。

10円カレー [編集]

1971年の2度目の焼失では、警備員1人が犠牲になるなど被害も大きかった。歴史あるレストランが焼失したこの知らせに全国から再興の願いが集まり、3代目松本楼がオープンできた。店側はこれに感謝の意を示す記念行事として始めたのが、10円カレーセールである。通常は850円(2011年現在)のハイカラビーフカレーが、1973年以来毎年9月25日に限り、先着1500名に限り10円で振る舞われ、現在も毎年この日には大勢の来客があり、度々ニュースでも取り上げられている。なお、この売上は交通遺児育英会や日本ユニセフ協会、1995年には阪神淡路大震災の義援金として寄付されている。


画像ー85 052-2
この池の名前は、‘雲形’池。

http://peepooblue.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-f556.html
日本初の洋風庭園である日比谷公園の南西寄りにあるのが雲形池です。こちらは翼を広げて天を仰ぐ鶴の噴水が有名です。東京美術学校の津田信夫・岡崎雪声両氏の共同制作によるものです。


画像ー85 053-2
ここは、藤棚の下。春には見ものの一つ。

huji.jpg
http://blogs.yahoo.co.jp/hase21472006/32093841.html
春の藤。

画像ー85 054-2
今は、春の訪れを待つばかり・・・。

画像ー85 055-2
プロのカメラマンがこの池の何かを狙っている!一つ上の写真の左片隅に居る人だ!

画像ー85 056-2
対岸にも凄~いカメラが何台も・・。一体何を狙っているのだろうか?

画像ー85 057-2
藤棚の柱に注意書きが・・・。

画像ー85 062-2
それなのに‘猫’が・・・。

画像ー85 062-3
あれっ!これって、さっきの‘野良猫’??

画像ー85 064-2
プロのカメラマンの後ろに回ってみたが、何を撮ろうとしておられるのかが判らない。

画像ー85 066-2
こっちは、こっちでプロのカメラマンの右下から‘カモ’を狙ってみた!

画像ー85 066-3
拡大。綺麗である!

画像ー85 068-2
この‘雲形池’の名物、鶴の噴水!前出の通り、東京美術学校の津田信夫・岡崎雪声両氏の共同制作によるもの、という。

画像ー85 069-2
この松もユニークな格好をしている! 名前などあるのだろうか? 右隅がプロのカメラマンであるが、シャッターなんか切った様子がない。一体どういう事??

画像ー85 071-3
それじゃあ、こっちのど素人の私が、池の方にカメラを向けると、丁度良いことに‘緋鯉’がカモに近づいてきた!これはいいチャンス! 画素数を上げておいたので割に鮮明に撮れている。

画像ー85 073-2
これが‘馬の水飲み用水道場’だそうだ。日比谷公園には、沢山あったのだそうだが、今はこれ一つのみ。

画像ー85 075-2

http://photo.sankei.jp.msn.com/highlight/data/2011/10/01/12hibiya/
日比谷公園に2011年10月1日「自由の鐘」響く 約60年ぶり
 日比谷公園内にたつ「自由の鐘」が長く失われたままだった中心部の振り子の修復などが完了し、美しい鐘の音を響かせた。 自由の鐘は平和憲法を記念してアメリカから贈られた青銅製の高さ約1メートル、直径約1.2メートル、重さ約1トンの鐘。中心部の振り子が失われ、鐘をつるす高さ7.6メートルの塔も老朽化が進んでいた。 昨年末から東京都板橋区で浮世絵の美術館長を務める高田明さんの発案で募金が行われ、鐘の修復が行われた。


画像ー85 078-2
由緒が英語で書かれている。

画像ー85 079-2
此方は、修復の言葉。

画像ー85 080-2
修復なった「自由の鐘」

画像ー85 080-3
拡大。

画像ー85 084-2
ひょっとして‘野菜’かも? 

画像ー85 088-2
音楽堂。

画像ー85 089-2
拡大。

画像ー85 095-2
石桝という江戸時代の水道の溜まりらしい?

画像ー85 098-2
これ今でも使えるかも?

画像ー85 090-2
噴水のところまで戻ってきた。

画像ー85 101-2
14:57 正に‘小春日和’といった陽気である。

この時携帯が鳴った! 打ち合わせ場所へ彼が到着したという。丁度30分遅れ。お陰様で、約40分足らずの日比谷公園散策だったが、もうそこまで春が来ている感じがした。

(つづく)

[2013/01/30 23:55] | 観光 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
地球の正体(その2)
2013年01月25日、第23回 Techno-bridge 商品開発・材料総合研究会が、千葉県・八千代市の日本ベルパーツ株式会社内のカンファレンス会場で開かれた。

その時に発表させて頂いた資料である。「地球の正体(その2)」

地球の正体(その2)20130125-20001-2
地球の正体(その2)20130125-20002-2

地球の正体(その2)スライド0001-2

地球の正体(その2)スライド0008-2
この‘オスミウム(Os)’の同位体に着目して大気中の酸素濃度を推測した。

地球の正体(その2)スライド0009-2
(参考文献) http://www.k.u-tokyo.ac.jp/news/20111011press.html

内容は、この文献の紹介:約20~24億年前、大気中の酸素濃度はほとんどゼロの状態から現在の1/100以上のレベルにまで急激に上昇し、生命進化に多大な影響を及ぼした。しかし、この酸素の上昇のタイミングとそのメカニズムは謎であった。本研究では、地層中に含まれる白金族元素オスミウムを用い、酸素濃度の上昇が、約23億年前の大氷河期から温暖期への気候回復時に起きたことを明らかにした。このことは、急激な温暖化に伴い、光合成生物が大繁殖することで、酸素大気が形成したことを示している。このことはまた、太陽系外地球型惑星の生命-大気-気候の相互作用の理解にとっても重要である。

地球の正体(その2)スライド0017-2
(参考資料):NHK/TV‘サイエンス・ゼロ’ 上記論文の著者の一人が‘関根康人’先生。

地球の正体(その2)スライド0018-2

結論:上図に書かれている通り、約23億年前に大気中の酸素が一気に増加したことが明らかとなった。

(つづく)

[2013/01/29 22:37] | サイエンス | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
大相撲、真の両横綱時代来たる!
日馬富士の全勝優勝 で昨日2013年の大相撲初場所は幕を閉じた。正に、大相撲の‘本家’は、モンゴル国で、日本の国技ではなくなったのか?という疑問さえ生まれている。このことはこれまで指摘されてきた通りである。

‘国際的スポーツ’となったとその非難をかわすことも出来るが、柔道との比較も踏まえて、今後の大相撲の在り方は、もうとっくに問われ始めている。特に、日本人の横綱不在が大相撲不人気の根源である。

しかし、今回のこの日馬富士の全勝優勝のお蔭で、大相撲は、‘息を吹き返した!’

画像ー82 206-2
2013年01月27日22:05 NHK・TV(TV画像を‘デジカメ’で撮影したもの。以下同様)

モンゴル国の国際法にも則った(?)‘技術・人材援助’のお蔭である。

昔(今でも?)は、ボクシングには、‘ハングリー精神’が必要だと言われた。生活と命が懸らないと人間は‘本気’が出せないともいう。これは何もボクシングの専売特許ではなく、スポーツ全般に言えることなのだろうが、成功した時の‘報酬額’が、ボクシングが他のスポーツよりも群を抜いて巨額だから、全スポーツの象徴として、そう言われるのだろう。

‘大相撲はスポーツか?’についての‘正確な答え’は別にして、相撲道にもハングリー精神は不必要であるはずがない! ただし、その相撲道についての考え方は、勿論それを取り巻く社会現象に極めて強く影響を受けるのも事実である。

モンゴルからどうしてこんなに沢山の人達が‘相撲’のみを目指してやって来るのだろうか? これは、モンゴルにも‘モンゴル相撲’があることが最大の理由であろうが、人種として顔かたちが日本人と似ているという事や言葉が‘ウラルアルタイ語’に属していることも大きな原因と考えることが出来る。

http://tks0710.web.fc2.com/Geography/Geography-word-
field/minzoku.html

ウラル・アルタイ語族(うらる・あるたいごぞく)
重要度:★★

言語分類の1つで、東欧・北欧中心に分布するウラル語族と、北アジア中心に分布するアルタイ語族の総称。
近年ではあまり使われない用語で、ウラル語族とアルタイ語族で分けて用いることが多い。
代表的な言語は以下の通り

ウラル語族・・・・・ ハンガリー語(マジャール語)、フィンランド語、エストニア語、ラップ語(サーミ語)、カレリア語、ネネツ語など

アルタイ語族・・・・モンゴル語、ブリヤート語、ツングース語、満州語、トルコ語、ウズベク語、カザフ語、日本語朝鮮語、アイヌ語
            (日本語、朝鮮語、アイヌ語を含めるかは学説の分かれるところである)


一般論として、世界的・国際的な問題を考える場合、常に問題となるのは、「人種・民族・国家」である。まだまだ、人類がこのことを抜きに地球問題を考えれない所に大きな問題が生じる。国際紛争という惨めな結論は、この「人種・民族・国家」を乗り越えれない為に起る悲劇である!

アルジェリアの悲惨さは、少しでもアフリカ・中東・東南アジアへ出かけて事業展開をした人達(私もその一人)にとっては、正に心に痛みを感じる出来事である。特に、イスラーム世界に身を置いた事のある日本人にとっては簡単には言い尽くせない事件であり、一刻も早く何かの手を打たねばならない、と事件が起こる度にその思いが蘇る。

国際問題の解決には、‘政治問題とは別の手’と言えば、それはやっぱり、‘スポーツ’なのだろう!

イスラーム圏からの大相撲力士と言えば、大砂嵐・金太郎 が居る。

http://www.asahi.com/sports/update/0721/NGY201207210009.html
エジプト人力士、断食に耐える 名古屋場所中にラマダン
関連トピックス
日本相撲協会エジプト

大砂嵐金太郎
日本でのラマダン前夜、ちゃんこを食べる大砂嵐=20日午後8時28分、愛知県稲沢市、恵原弘太郎撮影

 大相撲初のアフリカ大陸出身力士、序二段の大砂嵐(20、大嶽部屋)が(2012年07月)21日、角界入りして初めてイスラム教徒の義務である「ラマダン」(断食月)を迎えた。終盤に入った名古屋場所で4勝1敗1休。日没まで飲食はできないが、「不安はない。宗教を忘れるために相撲をするわけじゃない」と、22日の千秋楽にある最後の1番に臨む。

 20日、ラマダン前最後の部屋の仲間との夕食。鶏肉入りのトマトちゃんこと白いご飯を平らげ、「ごっちゃんです」と元気に両手を合わせた。日付が変わる頃や夜明け前にも一人で食事するといい、「夜の間にたくさんエネルギーを蓄えるんだ」と笑った。

 母国エジプトで15歳の時に相撲を始める前から、ラマダン時もスポーツにのめり込んできた。地元サッカーチームの主将を務めたり、ボディービルをしたり。その経験から、「ラマダンもトレーニングの一部」と割り切れる。


大砂嵐・金太郎
http://nilestoryblog.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-5a3d.html

この‘大砂嵐金太郎’力士は、昨年(2012年)入門の20歳。夢は「横綱になること」というから嬉しい。
早く横綱になって、イスラーム圏へ相撲を広め、そして日本とのスポーツ交流大使となって欲しい。きっと世界平和に貢献出来る。それは、相撲人の精神に日本文化と平和の概念が織り込まれているからである! 四股名が、その予見をしているとも言える。イスラームの国に‘大砂嵐’を巻き起こして呉れれば、正に‘金太郎’である。

力士は、二食主義というから、‘ラマダーン’には案外適しているのかもしれない。

世界平和にも貢献出来る日本のスポーツ、相撲を世界中に広める施策 は安倍政権でも検討する価値がある。長期間かかるものこそ早急に取りかからなければならないし、一旦定着してしまえば有効活用の効果は抜群!

どうです、安倍晋三内閣総理大臣殿、ご検討に入られたら?! 積極的な外交手段の1ターゲットとして・・・。


さて、前置きが長くなってしまったが、こんな願いを込めて2013年の大相撲初場所の千秋楽最後の大一番を記録に残しておきたい。

画像ー82 003-2
2013年01月27日 17:32 さあ、いよいよ全勝優勝が懸っている両横綱同士の対決が始まる!

画像ー82 010-2
これまでの対戦成績は、23vs13。しかし、この一年間では、2 vs 4 で日馬富士が優っている。

画像ー82 014-2
悟りきったような白鵬の顔つき。正に‘風格’と言える。

画像ー82 017-2
普段は、こんなに塩を高くは撒かないのに・・・。

画像ー82 153-2
この塩が何を意味しているのか?と思った。

画像ー82 018-2
17:36 両者とも見事な仕切り。

画像ー82 034-2
日馬富士の突っ張りからスタート!

画像ー82 019-2
そして、白鵬があっさりと‘双差し’を許してしまう! こ、こっ、こりゃぁ~危ない!

画像ー82 154-2
17:36 一気の寄り、白鵬がすっ飛んだ! この瞬間、日馬富士の‘全勝優勝’決定! 日馬富士は、自分も‘宙に浮いている’!

画像ー82 056-2
白鵬は、土俵の下まで飛ばされた! この日の馬富士の圧力は、この時白鵬を抜いて‘自分が東の横綱’に相応しいとのメッセージだったかもしれない!

画像ー82 020-2
17:36 起き上った瞬間! 彼の脳裏に走ったのは一体何だったのだろうか?

画像ー82 023-2
17:37 懸賞金もいつもの2倍以上で・・・。両手で持とうとしている。多分これまでで一番多い?のかも。

画像ー82 025-2
引き上げる白鵬。もう来場所の雪辱戦を考えている顔つき!

画像ー82 029-2
弓取り式は、同部屋の力士が・・・。これって、もしも白鵬が勝っていたら替わるの? そりゃあ、あり得ないが、弓取りの力士が伊勢ヶ浜部屋の力士だったことも優勝に花を添えることとなった!

画像ー82 044-2
17:40 髷を直して貰いながらのインタヴュー。興奮冷めやらぬ表情。

画像ー82 058-2
17:44 表彰式のために会場に再登場!

画像ー82 062-2
自衛隊音楽隊の演奏で‘君が代’を全員総立ちで・・・。

画像ー82 064-2
日馬富士も君が代を歌っている! 残念ながら‘モンゴル国歌’はない。

画像ー82 071-2
17:46 表彰式が始まった。

画像ー82 075-2
もうすっかり落ち着いている。

画像ー82 073-2
理事長が表彰状の朗読。

画像ー82 077-2
天皇賜杯を手にした!(上手い具合に、文字が飛んでいる!)

画像ー82 081-2
優勝旗も・・。

画像ー82 085-2
17:48 内閣総理大臣杯の授与のために、‘本物の’安倍首相が遂に登場! 小泉首相が登場して優勝の‘貴乃花’に向かって‘感激した!’と言ったのはもう遠い昔の事である。

画像ー82 088-2
表彰状を読み終わっての安倍首相の褒め言葉は、やはり日馬富士の口癖‘全身全霊’を織り込んだ!

画像ー82 091-2
17:49 総理大臣杯は、総理大臣一人では持てない!何キログラム有るのだろうか? 首相の顔が杯の表面に映っているのがいい!

画像ー82 094-2
17:49 NHKアナによる優勝インタヴュー。もう落ち着き払っている。やはり‘全身全霊’と言った!

画像ー82 104-2
やっと笑顔が毀れた!

画像ー82 126-2
17:53 向正面の解説者、お馴染みの舞の海さんも‘べた褒め’! 「危ない場面は15日間一番もなかった!」と絶賛!

画像ー82 137-2
日本人には判りにくいかもしれないが、日馬富士が最も喜んだのは、この‘モンゴル国大統領杯’かもしれない!

画像ー82 138-2
嬉しさが、彼の背中からも伝わってくる!

画像ー82 140-2
興奮していることが判るが、それを表に表さない日馬富士の日本人に対する配慮がまた素晴らしい!

画像ー82 143-2
17:57 解説の北の富士さんも絶賛! 九州場所で‘9勝6敗’だった日馬富士に横綱の資格云々と言ったことを訂正した! 今後は、両横綱の時代、多分‘白馬時代’との命名も忘れなかった。そして、今後は、日馬富士が白鵬を抜いて上に立つことも有り得ると解説。白鵬の正念場は来場所、と明言。さあ、大相撲も日馬富士の復活で面白くなりそうである。 満員御礼の日数がどれだけ増えるのだろうか?

画像ー82 157-2
21:58 NHKのサンデースポーツに生出演の全勝優勝横綱・日馬富士関。すっかり人が変わった様子。こういう場面にはやはり‘大銀杏’の方がいい!

画像ー82 159-2
伊勢ヶ浜部屋の3人も嬉しい勝ち越しという。

画像ー82 172-2
安美錦の言葉:‘自分達は横綱を支える存在’。普通、兄弟子が言える言葉ではない!流石に安美錦である!

画像ー82 147-2
さて、来場所が待たれる!‘アベノミクス’と共に右肩上がりの大相撲景気もお願いしたい!

(つづく)
[2013/01/28 23:27] | スポーツ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
佐々木亮介画伯と作品
絵画展のご案内はがきが来た。常日頃尊敬している佐々木亮介画伯からである。

実は、佐々木亮介画伯の事は、今から丁度約一年ほど前に、この弊ブログでご紹介したことがある。
出会ったのは一年前だったからそれからすぐの事である。その出会いといっても彼が‘写生’をしていた場所を私が通りかかったという偶然である。
こんな凄い絵が?!?と思って失礼も承知で此方から声をかけさせて戴いたという次第。東京の‘柳橋’であった。

私の推奨する日本の印象派(?)画家
http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-58.html

その時にご紹介させて貰った絵がこれである。(写生しておられた絵ではない)

佐々木画伯・静けさ
佐々木亮介画伯作・静けさ 2004 http://www2.plala.or.jp/sasaryo/04-10.html

何とも言えない‘風情’がある!

私のパソコンの待ち受け画面には佐々木画伯の絵が画面一杯を占めているから、毎日何回も画伯の絵に接している。

画像ー81 061-2

この絵も素晴らしい!この画面にさせて貰ってからかれこれ半年にはなるから、一日に10回見たとして、2,000回近くこの絵を見たことになる!ひょっとすると佐々木画伯ご当人より見た回数は多いかもしれない。

隗展-2

1月26日(昨日)は、午後には画伯が会場にお出でになっているという情報入りである。

隗展0001-2

ご丁寧に「寒い時期ですが ご都合よろしかったら。」と書き添えてある! 人柄が判るというものである。

昨日は、偶々土曜日だったが、東京で今後のプロジェクト立ち上げの打ち合わせがあったため出かけて、その帰りにJR船橋駅で下車して会場へ急いだ。外は本当に‘身を切るような’寒さだった。

会場に着くと、佐々木画伯は受付におられて直ぐに私に気付いて頂いた!

今回の出品作品がまた素晴らしかった! 8号が数枚と80号の大作が1枚。

カメラは用意して行っていたのだが、画伯の前では‘撮影いいですか?’とは言えなかったので画像は私の脳裏に焼き付いているだけで、ハードメモリーにはないからここに掲載が出来ない。私は‘態度はでかい’のだが‘気が小さい’ので、言い出せなかったのである。

‘隗’については以下のいわれを参考までに掲載して見た。

http://www9.wind.ne.jp/fujin/rekisi/china/china02.htm

● 隗より始めよ

燕(えん)という国がありました。首都、燕京(えんけい)は、現在の北京です。戦国時代、燕は諸国の中では最も弱小で、さら南の大国、斉との争いに負けて滅亡寸前でした。

その燕に名君が登場します。昭王です。
昭王は即位すると燕を建て直すべく学者の郭隗(かくかい)を自ら尋ねて、方法を質問しました。
郭隗先生は例え話を引き合いにして、こう言いました。

(1) 昔ある国王が、一日に千里を走る馬を求めていたが、何年間も買うことができずにいた。
(2) するとある家臣が、「私が買ってくる」と名乗り出たので、金を渡して買いに行かせた。
(3) その家臣はまもなく馬を見つけた。その馬はすでに死んでいたが、500金の金で買ってきた。
(4) 当然王は、「死んだ馬に金を払う奴がいるか」と怒った。
(5) その家臣は「死んだ馬でさえ、500金もの金を払うのです。これが生きている馬なら、いったいいくら払うのか。世間の人は、きっとそう考え、王が名馬のためなら金に糸目はつけないことを知って、向こうから馬を連れて来るでしょう。」と答えた。
(6) その後、1年もたたないうちに千里を走る名馬が何頭も手に入った。
郭隗先生は続いてこう言いました、

「もし王が本心から有能の士を招きたいなら、最初にこの私を抜擢してください(隗より始めよ)。
世間の有能の士は、あの郭隗程度の者でさえあれほどの抜擢を受けるのだ。自分が行けばさらに優遇されるはずだ。そう考えて、天下の士が千里の道も遠し、とせずに集まるでしょう。」

昭王がそのとおりにすると、うわさを聞いた有能の士が働き場所を求めて続々とやって来ました。その中に魏の人、楽毅がいました。

楽毅は魏の生まれでしたが昭王が人材を求めていると聴きその家臣となりました。職は将軍です。
紀元前284年、昭王は楽毅を総司令官として斉の攻撃を命じました。
楽毅はその後5年間で斉の70城を占領し、燕の領土としました。残るは二つの城だけになりました。


11-03.jpg
2011年   「男・65歳」      72x60㎝
http://www2.plala.or.jp/sasaryo/11-8.html

この「男・65歳」の作品の‘男’が佐々木画伯である、多分。そうでなければ、双子の兄弟である。 これは彼のHPから引用したものである。

佐々木画伯のHP(http://www2.plala.or.jp/sasaryo/index.html)には、彼の作品が一杯! どうかご高覧を!

佐々木亮介画伯のプロフィール

http://www2.plala.or.jp/sasaryo/profile.html
氏 名    佐々木 亮介
  
  履 歴    1945年  岩手県生まれ
           1966年  石川島美術研究会入会
                 全日本職場美術協議会(職美協)入会
                  この年より職美展に出品
           2003年  この年より日本水彩展に出品
                 日本水彩画会千葉県支部入会
           2004年  この年より千葉県日本水彩展に出品
           2006年  第94回日本水彩展「奨励賞」受賞
           2011年  日本水彩画会会友推挙
  
  作品発表   日本水彩展、千葉県日本水彩展、職美展、グループ展(隗展)などに出品
             1999年~2001年 銀座の大倉画廊にて個展開催
             2009年  本八幡の日本アートギャラリーにて個展開催
  
  住 所     千葉県千葉市



時の移ろい
http://www2.plala.or.jp/sasaryo/11-4.html
 2011年   「時の移ろい」  111x145㎝

この作品は、実物を昨年東京上の美術館で拝見させて貰った。

昨日、失礼と思ったが「これまでに何枚くらいお描きになったおられますか?」と聞いてみた。約2,000枚だという返事が返ってきた。

お値段がどのくらいはは知らないが、計算が簡単なために‘1号で1万円(安過ぎる!)’という仮定と平均の大きさを‘10号’とすると、

(1万円/1号)×(10号/1作品)×2,000作品 = 2億円/全作品

という計算になる。勿論、1号が10万円なら、全作品は‘20億円’という訳である。

帰りしなに、「やっぱり、宝くじ買います」と言ってみた。佐々木画伯も「自分も・・・」と言っておられた。

素晴らしい絵は投機のためではなく、自分の真近において置きたいものである。

(つづく)


[2013/01/27 17:31] | 芸術 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
日馬富士の優勝!とその‘心理戦’
千秋楽を前にして日馬富士の優勝が決まった!横綱2場所目である。

千秋楽に結果として初場所を纏めてもいいのだが、優勝が決まって一日が経ってしまうと‘本人の緊張感’が表情に現れなくなってしまう。それよりも‘手に汗握る’状態での本人の心情と周りの横綱・白鵬以下の力士の表情を捕えたかった。

画像ー81 002-2
2013年01月26日大相撲初場所14日目の取組である。(NHK/TVの画面を‘デジカメ’で撮影。以下同様)

13日間全勝の日馬富士は、大関・鶴竜との対決である。一方の白鵬は、どうしたことか今場所既に2敗で、今日は3敗の大関・稀勢の里と対決する。

白鵬が勝って、日馬富士が負ければ優勝争いは明日の千秋楽での横綱同士の対決へと進むこととなる。

そうなれば、優勝経験の多い白鵬が‘俄然’有利になる。白鵬もそれを知っているし、当然日馬富士も自覚している。
この心理が勝負にどう響くか? これが相撲の見どころである。

相撲なんて‘結果だけ’見ればそれでいいではないかという‘バカ者’が多い。そうではないことに気付いていない人達である。

現在は、TVカメラが何台もあって力士の表情を色々な角度から‘執拗に’追いかけるから、情報量という意味からすると‘高い’入場料を支払って会場で土俵上を見上げているよりもTV観戦の方がいいとも言える。

でも‘高い’入場料には、もっと素晴らしい‘情報’がある。私もこれまでたった一度だけではあるが、3月の大阪での‘春場所’を見に行ったことがある。もう7~8年も昔の事ではあるが・・・。

会場の雰囲気は、現在のTVではどんなに頑張っても‘その雰囲気’を再現させることは無理である。

丁度、高校野球の甲子園での雰囲気を再現出来ないのと同じである。甲子園のあの‘ルツボ’状態の‘異様な’雰囲気は甲子園以外では味わう事が不可能であることと同じである。

さて、今日の試合前の土俵下での日馬富士の表情は?

画像ー81 041-2

これが勝負5分前の表情である。一瞬でも日馬富士は、その緊張から逃れることが出来ないから、この何時かは判らない‘一瞬の表情’にも彼の心情が‘ハッキリと’見てとれる。‘心理学’を学んだことがないから、こんな心理状態をどう表現するのか知らないが、そう言った意味では勝負の決着がついた画像よりも、この画像の方が‘学問的価値’が高い! 貴重な画像である。

その同じ緊張感は、相手の‘鶴竜’にも見える!

画像ー81 040-2

優勝争いから枠外にいる彼には、‘別の緊張感’があるはずである。自分も両横綱と同様モンゴル出身である。

本人には‘絶対に誰にも漏らすことが出来ない’心情があるに決まっている!それは、例の‘八百長’とな無関係で程遠いものであるが、己の勝ち負けで、今後の二人の‘発展’に少々違いが出る、かもしれないという事である。

鶴龍と両横綱とのこれまでの付き合い方は知る由もないが、きっと‘複雑な’気持ちなのだろう!

そして、この大勝負の前に稀勢の里を寄り切りで破って土俵下に戻った白鵬の表情も見ものである。

画像ー81 038-2

今日の相撲に勝って、優勝の可能性を残したことによる‘安心感’とこれから直ぐに始まる日馬富士と鶴龍との対戦に想いを馳せる白鵬の心理状態がよ~く出ている!

今日の見所は、この3枚の画像である。

早く日本人同士でこんな‘心理戦’が実現出来ないかと願う人が多い事も事実である。しかし、このモンゴル出身の力士達は、‘モンゴル意識’を噯気(おくび)にも出さない!

日本語だって、そんじょそこらの日本人よりも上手い。日本人になりきっている!見上げたものである。
幕内最高齢の旭天鵬に至っては‘帰化’してしまっているそうだ。

結局14日目まで終わってしまえば、星取表は以下の通りで、期待された日本人の大関・琴奨菊は、まだ勝ち越せないでいる。把瑠都に至っては折角の大関返り咲きを完全に棒に振ってしまった。

http://www.jiji.com/jc/c?g=spo_30&k=2013012600264
大相撲初場所・幕内星取表(14日目)
時事ドットコム:大相撲初場所・幕内星取表(14日目)0001-2

画像がこれだけでは、この‘日記’ブログが面白くない!

気になった画像は以下の通りである。

画像ー81 003-2

久し振りの‘満員御礼’の垂れ幕。

画像ー81 014-2

或る時期‘大相撲の人気’を或る意味では‘盛り上げた’高見盛も今場所限りで十両から陥落という。‘パフォーマンスも良いが、本来の相撲に熱中すべきだ’との意見も当時はあったが、今では話題にもならなくなってしまった。

画像ー81 006-2

かつて、破竹の勢いで快進撃、一挙に大関を勝ち取った雅山、辛くも今日は勝利したが、幕尻で大幅な負け越しでは残念ながら十両へ陥落だ。引退を彼は覚悟しているに違いない。平幕だけだった力士なら十両から出直しは有っても、元大関が十両からというのはプライドが許さないだろうから・・・。ごくろうさまでした。

画像ー81 007-2

画面からは、まだ‘二枚蹴り’にはなっていないように思われるが、時天空の見事な二枚蹴りである。この二枚蹴りは、我々が小さい頃、あの名横綱・栃錦から始まったといってもいい。当時はTVがなかったから、ラジオで‘二枚蹴り’と言われても想像するだけだったことを覚えている。

画像ー81 034-2

白鵬が、稀勢の里を寄り切った一番。この様子を見ている日馬富士の表情は・・・、

画像ー81 034-3

画像ー81 034-4

画素数を‘ケチッて’しまったために、画質が良くないが、日馬富士の極度の緊張が読み取れる。相撲界の最高峰に居ながら、新入幕の新人と同じと思われそうなこの表情である。この真面目さがきっと彼を大横綱にするに違いない。

画像ー81 037-2

さあ、それでは静止画でこの一番を。鶴龍は今日までに辛くも勝ち越している。

画像ー81 042-2

四つに組んだら、どちらが勝つか?

画像ー81 043-2

鶴龍も力を発揮!残した残した!お見事!

画像ー81 047-2

でもまあ、ここまで! この瞬間、横綱日馬富士の今場所の優勝が決まった!

画像ー81 045-2

懸賞賞金も分厚い! それでも普通の日の白鵬の分くらい。

画像ー81 048-2

直後のインタヴュー。安堵と興奮でもみくちゃな顔。

画像ー81 052-2

でも20秒後には我に返っている! やはり大横綱である。

画像ー81 055-2

千秋楽の取組である。白鵬との対戦で勝ちに10番の開きが出来ている。この開きが実力の差だが、これが埋められるだろうか? これこそが、もう一つの日馬富士の課題である。

画像ー81 057-2

明日の取り組みが楽しみである。出来れば、また全勝優勝が望まれる。

(つづく)

[2013/01/26 23:51] | スポーツ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
芋版画
・若大将のゆうゆう散歩 2013年1月24日(木)09:55~10:30 テレビ朝日 で紹介された
‘芋版画’
main_cmn.pngpic_captain4.png

http://www.tv-asahi.co.jp/yuyu-sanpo/contents/sanpo/0188/
☆手作り!芋版画職人さん
小町谷新子さん

今の世の中で、‘ほっとするもの’の一つが‘芋版画で’ある。

以下の画像は、全てテレビ朝日放映(2013年01月24日)のTV画像を‘デジカメ’で撮影したもの。

画像ー80 218-2
2013年01月24日 10:02 正に‘芸術’である。とても‘芋版’とは思えない。作品の右下に‘芋版’の文字が見える。

画像ー80 219-2
芋版画でこんなに‘質感’が出せるものなのだろうか? 筆で書く‘絵’よりも素晴らしいような気がする。

この‘芋の原版’の何個をも使えば、‘組み合わせ’で、何十という作品が出来る。構成のセンスさえあれば‘芸術’へ早変わりするはずであるが、この質問は、加山雄三はしなかった!少なくともTV放映中には・・・。

画像ー80 221-2
芋をまな板の上において、何やら探し物・・・。

画像ー80 223-2
包丁だった!

画像ー80 224-2
‘えいやっ!’とばかりに芋を・・。慣れた手つきである。

画像ー80 225-2
切った芋の切り口面に‘写し絵’みたいに‘絵柄’を貼りつけて・・

画像ー80 226-2
剥がすと、絵柄が上手い具合に‘下絵’となって・・・

画像ー80 227-2
この下絵通りに、要らないところを削り取れば・・・

画像ー80 228-2
削り取られた‘凹’の部分とは反対の‘凸’の部分に‘絵具’を塗りつける。

画像ー80 229-2
これを‘若大将’自ら力任せに画紙に判子を押すように・・・

画像ー80 230-2
若大将は、絵心もあるから、続けて二つ目も押して、‘濃淡’をつけようと思ったという!それが風情??

画像ー80 231-2
先生の作品は、やはり凄~い!

画像ー80 232-2
絵筆で書いた以上に風情がある!

画像ー80 234-2
額に入れればもう‘芸術作品’の出来上り~!

画像ー80 235-2
実は、TVでは種明かしは無かったが、この先生一流の芋版作家!

画像ー80 236-2
なるほど成程! やはり素人ではなかった!あの芥川賞・選考委員でもあった作家・瀧井孝作氏の次女なのである。

http://www.hmv.co.jp/artist_%E5%B0%8F%E7%94%BA%E8%B0%B7%E6%96%B
0%E5%AD%90_200000000393187/biography/

小町谷新子さんのプロフィール

1936年、東京八王子で作家の瀧井孝作の次女に生まれる。四〇才から絵更紗をはじめ、十年間続ける。五二、三才の時に芋版画を本格的に始め、現在に至る。この時の芋版画の絵本が第十、十一回の「日本の絵本賞」(読売新聞社、学校図書協議会主催)において奨励賞を受賞


また、沢山の‘本’も出しておられる‘超一流’の芋版・版画家なのであ~る!

http://booklog.jp/author/%E5%B0%8F%E7%94%BA%E8
%B0%B7%E6%96%B0%E5%AD%90

小町谷新子のおすすめランキングのアイテム一覧

小町谷新子のおすすめランキングの作品一覧です。
ブクログでのおすすめ、人気、レビュー数、発売日順で並び替えたり、電子書籍化されている作品もチェックできます。

楽しく手作り芋と木と消しゴムの年賀状 2人が登録 ★3.00
小町谷 新子 / 日貿出版社 / 本 / 2000年10月 / ¥ 1,260

お芋で年賀状 (二玄社カルチャーブック) 1人が登録 ★4.00 1 レビュー
小町谷 新子 / 二玄社 / 本 / 2006年10月 / ¥ 1,050

レトロでかわいい芋版画生活―スタンプ感覚で楽しむ 1人が登録 ★3.00
小町谷 新子 / 日貿出版社 / 本 / 2012年11月 / ¥ 1,680

楽しく手作り 芋と木と消しゴムの年賀状
小町谷 新子 / 日貿出版社 / 本 / 2012年09月 / ¥ 1,260

楽しい花の芋版画
小町谷 新子 / 日貿出版社 / 本 / 1999年04月 / ¥ 2,625 

一生の春―父・滝井孝作
小町谷 新子 / 蝸牛社 / 本 / 1990年10月 / ¥ 2,345


瀧井孝作
http://plaza.rakuten.co.jp/booksjabberwock/diary/201008120000/

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%A7%E4%BA%95%E
5%AD%9D%E4%BD%9C

瀧井 孝作(たきい こうさく、1894年(明治27年)4月4日 - 1984年(昭和59年)11月21日)は、日本の俳人、私小説作家。俳句を河東碧梧桐に師事し、小説を芥川龍之介、志賀直哉に兄事した。文化功労者。1935年、創設された芥川賞の選考委員となった。



血筋って本当に有るもんですね!


あら、まっ!こうすりゃあ繋がるじゃん!

画像ー80 232-3
画像ー80 231-3


[2013/01/25 00:00] | 芸術 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
日本銀行の役割と‘政府紙幣’の発行
‘日本銀行’のことを日本人なら幼児を除いて誰でも知っている。お札を発行しているところという認識があるからである。後からも出て来るが、500円や100円や10円の硬貨は、日本銀行の発行ではない!硬貨を良く見れば、‘日本国’とは書いてあるものの、日本銀行という文字は無い。

さて、日本銀行が存在することは知っていても、一体どんな立場で、どんな権限があって、どんな役割をしているかについて‘正確に’知っている人は意外にも少ない。勿論、私も知らない方の一人である。

日銀
http://blogs.yahoo.co.jp/yujiaibara/38119441.html 日本銀行

難しい方から先に示すと、‘Wikipedia’には次のように書かれている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6
%9C%AC%E9%8A%80%E8%A1%8C


日本銀行(にっぽんぎんこう、英語名:Bank of Japan)は、日本銀行法(平成9年6月18日法律第89号)に基づく認可法人であり、日本国の中央銀行である。略称は日銀(にちぎん)。日本銀行券でのローマ字表記はNIPPON GINKOとなっている。

概要 [編集]

日本銀行は、政府から独立した法人とされ、公的資本と民間資本により存立する。資本金は1億円で、そのうち政府が55%の5500万円を出資し、残り45%にあたる約4500万円を政府以外の者が出資する。出資者には出資口数を証した「出資証券」が発行されるが、出資証券はジャスダックに上場され、株式に準じて取引されている(ただし、一般の上場株式とは違い、一部の証券会社では日銀出資証券を取り扱っていない場合がある)。証券コードは8301。取引の1単元は100株(便宜上の呼称で、正しくは100口)。
2010年(平成22年)3月末日時点における政府以外の出資者の内訳は、個人35.9%、金融機関2.4%、公共団体等0.2%、証券会社-%、その他法人6.5%となっている[1]。株式会社と異なり、出資者は経営に関与することはできず、役員選任権等の共益権はない。自益権に相当する剰余金の配当は、払込出資金額(1株の額面金額に相当、1口あたり100円)に対して年5分(5%)以内に制限されている。もし、日本銀行が解散を決議した場合でも残余財産の分配は出資者にはなく、日本銀行法によりすべて国に財産は帰属することになっている(第9章 第60条2項)。
なお、売買価格は株式市場における実勢価格であり、「額面の出資金額」とは異なる。売買単位は100口ではあるが、100口券を1口券100枚に分割可能であること及び、100口未満(1 - 99口)の買取請求が出来ないことから、単元は1口と考える。
役割 [編集]

1998年、日本銀行法の全面改正によって、「物価の安定」と「金融システムの安定」という二つの日本銀行の目的が明確に示された[2]。

太平洋戦争下に制定されていたそれまでの日本銀行法では、日本銀行は「国家経済総力の適切なる発揮を図るため国家の政策に即し通貨の調節、金融の調節及び信用制度の保持育成に任ずる」、「専ら国家目的の達成を使命として運営せらしむる」機関として位置づけられていたが、この全面改正によってその国家総動員・戦時立法色は払拭され、日本ひいては国民経済の発展のために資するための機関と位置づけられた。また、政府からのその独立性が明確とされた一方で、円で生活している国民の危惧を排せるような、金融政策の透明化が不可欠のものとして求められるようになった。

機能 [編集]

・発券銀行として日本銀行券の発行および管理を行う。

・政策金利(旧・公定歩合)操作、公開市場操作、支払準備率操作等の手法により金融政策を実施し、通貨流通量を調整することで物価と国民経済を安定させる。

・日本銀行の当座預金を使って銀行などの金融機関同士の取引の決済を行う。つまり銀行の銀行である。

・国庫金の出納を行う政府の銀行である。


・内国為替業務による円滑な資金決済や、日銀特融などの制度担保(「最後の貸し手」)により金融秩序の安定を図る「銀行の銀行」としての役割を果たす(預金や融資の取引の相手方は、日本銀行法の定めに基づき指定された金融機関 等に限られる)。

・各国中央銀行や公的機関との間の国際関係業務(外国為替市場への介入を含む)を行う。

・金融経済情報の収集および研究を行う。

・経済統計の作成および公表を行う。

・全国企業短期経済観測調査(日銀短観)

・企業物価指数、企業向けサービス価格指数

・マネーストック統計(旧マネーサプライ統計)

・資金循環統計

・国際収支統計(統計作成は日銀、統計公表は財務省)

・貸出約定平均金利

・預金店頭表示金利

・日本銀行国際商品指数

・実質輸出入

・外国為替相場状況

・実質実効為替レート


つまり、‘日本銀行’とは、きちんと管理をしなければならないが、‘自由にお札を印刷して’物価と金融システムの安定化を計ることをする‘認可法人’である。

ここにいう‘認可法人’とは、少し趣は違うが‘日本赤十字社’のような法人と思えば良いようである。

http://kotobank.jp/word/%E8%AA%8D%E5
%8F%AF%E6%B3%95%E4%BA%BA

認可法人【ニンカホウジン】
2件の用語解説(認可法人で検索)

デジタル大辞泉の解説
にんか‐ほうじん 〔‐ハフジン〕 【認可法人】

特別の法律に基づいて設立され、設立に際し主務大臣の認可を受ける必要のある法人。日本銀行法に基づき財務省が所管する日本銀行、日本赤十字社法に基づき厚生労働省が所管する日本赤十字社などがある。


もう少し具体的に判り易く解説してあるのが次の引用文献である。

日本銀行の役割
http://gakusyu.shizuoka-c.ed.jp/shakai/keizai/06_1_nchigin.htm

edamameimage140.gif     :日本銀行って特別な銀行のようだけれど、どんな仕事をしているの?

yukichi.gif  :日本銀行(日銀)は、銀行と名前が付いているが、私たち一般市民や会社などに対して、直接預金を預かったり、資金を貸し付けたりする仕事はしていないんだ。
 日本銀行は、以下のような仕事をしている。

■ 発券銀行 ・・・紙幣(日本銀行券)を発行しています。
■ 銀行の銀行・・・銀行にお金を貸す仕事をします。  
■ 政府の銀行・・・政府のお金の管理をしています。

 このほかにも、政府や各国の中央銀行などと密接な連絡を取り合いながら、景気全体の動きを調整する仕事も行っているんだ。
 このような仕事を行う特別な銀行のことを中央銀行というんだよ。
 
edamameimage140.gif     :発券銀行ってどういう意味?

yukichi.gif  :紙幣の発行を行い、紙幣の供給量を管理している銀行を発券銀行という。
 紙幣は、その国の経済を支えるものだ。にせ札が横行したり、紙幣の量が少なすぎたり多すぎたりすれば、経済は混乱してしまう。だから、紙幣の発行は、厳しく管理されなくてはならない。日本ではその役目を日本銀行が行っている。

siheiimage2.jpg

 日本の紙幣は正確には日本銀行券と呼び、日本銀行が発行している。現在は、1万円札、5千円札、2千円札、千円札の4種類が発行されているんだ。

edamameimage140.gif     :500円玉や100円玉も日本銀行が発行しているの?

yukichi.gif  : いいや、違うんだ。500円玉のような金属でできているお金を硬貨というけれど、正しくは補助貨幣と呼ぶ呼び、こちらは財務省が発行している。

koukaimage1.jpg

 現在、日本の補助貨幣は、記念硬貨を除くと、500円、100円、50円、10円、5円、1円の6種類が発行されている。
 最近では、お金と同じ効果をもつクレジットカードなどが普及したため、以前よりも紙幣や硬貨を使う場面は減ってきているといわれているんだ。

紙幣や硬貨のかわりになるもの

kurejitto_image5.gif

 
紙幣や硬貨と同じように、物を買う力のあるものには以下の例がある。

■クレジットカード
■プリペイドカード
■商品券
■スーパーなどのポイントカード
■電子マネー 
■小切手 など

 近年、IT技術やインターネットの発達で、電子的商取引(コンピューターネットワーク上で、モノやサービスの売買ができる取引)が増えてきており、経済にも大きな影響を与えているといわれる。お金のかわりにモノやサービスを買うことができるものは、他にもたくさんあるよ。皆さんの生活の中でも探してみよう。

 edamameimage140.gif     :日本銀行が「銀行の銀行」とってどういう意味なの?

yukichi.gif  :日本銀行(日銀)の取引先は、銀行と政府だ。私たち一般市民や会社は、日銀に直接お金を預けり、貸りたりすることはできない。
 一般の銀行は、企業や個人にお金を貸して利子を取り、利益を得ている。その貸し出し金額はものすごい金額になるから、銀行が持っているお金だけでは足りなくなることもある。そんなときに、一般の銀行は、日銀からお金を借りて融資資金を確保するんだ。日銀が一般の銀行にお金を貸すときの利子率を公定歩合という。
 公定歩合は、単に、日銀がもうけるための利息ではない。公定歩合を上下させることで、日本経済をコントロールできるのだ。

 edamameimage140.gif     :公定歩合を上下させて日本経済をコントロールするってどういうこと?

yukichi.gif  : 景気が悪い時(世の中全体が儲かっていないとき)は、公定歩合を下げて銀行がお金を借りやすくしてあげる。すると、銀行は資金に余裕が出るから、たくさんのお金を企業や個人に貸し付けることができる。また、資金が欲しい企業や個人からみても、金利が下がれば借りやすくなるから、投資や消費が拡大し、景気は良くなっていく。
 逆に、景気がいいときは、公定歩合をあげて、景気をひきしめる。公定歩合が上がれば、銀行は日銀から資金が借りにくくなる。企業や個人も、金利が上がるから、資金を借りにくくなり、投資や消費の意欲は低下し、景気は落ち着く。
 このほかにも、日銀は、通貨供給量の調整や国債の売買など、さまざまな金融政策を行って、景気をコントロールしているんだ。

kouteibuaiimage5.gif

 edamameimage140.gif     :日銀が「政府の銀行」とってどういう意味なの?

yukichi.gif  :日銀は、政府のお金を預かったり、政府に必要な資金を貸し付けたりする。また、政府が発行する国債を引き受けたりするんだ。だから「政府の銀行」と呼ばれるんだ。【以上】



これで、日本銀行の役割とその果たすべき‘責任’の重さが、大まかに判った。

政府が、資本金1億円の55%を持っているからこそ、政府の意向に沿わねばならないことも判明した。

だからこそ、政府日銀が目標値としている2%の物価上昇に対する緊急対策として、‘期限付き’の‘政府紙幣’の発行を行なって、日本国民各個人に、例えば物価5%アップした思われる金額を‘日本政府からのボーナス’として渡せば景気は一挙に回復する。これを今後10年間毎年行うのである。

政府紙幣の担保は、日本国の実力(技術力とそれによって生産された優れた商品)である。

詳しく計算せねばならないが、一家4人家族で、600万円の支出であれば、その5%すなわち30万円、一人当たり7.5万円/年を支給するのである。期限付き紙幣にしてしまえば‘預貯金’に回ることは無い!

7.5万円/人 × 1.3億人 = 9.75兆円

約10兆円で、日本の内需は増え景気回復は間違いない!

(つづく)

[2013/01/24 00:00] | 政治と社会 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
‘アベノミクス’と‘政府紙幣’
昨日(2013年01月22日)、テレビ朝日・報道ステーションに安倍首相が生出演された。いやはやこれには驚いた!現職の内閣総理大臣が、一TV局の番組に生出演とは? しかも、頭(21:54)から22:44まで、‘50分間’も出ずっぱりである。

画像ー80 003-2
2013年01月22日 22:16 テレビ朝日・報道ステーション(TV画面を‘デジカメ’で撮影。以下同様)

画像ー80 024-2
同上、22:18

NHKは、昨日の21時からの番組は見なかったが、多分安倍首相は出演しておられないだろうから、地団駄を踏んだに違いない!

他の各テレビ局では、恐らくこんな企画は考えなかったろう。テレビ朝日も良くやったが、安倍首相も立派である。国民は、こんな生の情報を首相が自分の口でしゃべって呉れたことに驚くと共に感謝したに違いない。この番組を見た人達は、何となく自分も‘当事者’になった感じがしたからである。今後もこんな企画は是非続けて欲しい。

今、現政府はこれまでに滅多になかったいくつもの新局面に対峙してる。

アルジェリア問題しかり、景気回復のための物価上昇率2%問題しかり、対中国外交問題しかり。

今日ここで取り上げるのは、景気回復の‘カンフル剤’といわれる‘アベノミクス’

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83
%99%E3%83%8E%E3%83%9F%E3%82%AF%E3%82%B9

アベノミクス

アベノミクス(またはアベノミックス[1]、安倍ノミクス[2]、英語表記、Abenomics[3][4])は、自由民主党の政治家・安倍晋三が掲げる経済政策である。安倍とエコノミクスを合わせた造語[5]。

概要 [編集]

デフレ経済を克服するためにインフレターゲットを設定し、これが達成されるまで日本銀行法改正も視野に、大胆な金融緩和措置を講ずるという金融政策[6][7]。ロナルド・レーガンの経済政策であるレーガノミクスにちなんで、アベノミクスと呼ばれるようになった[要出典](レーガノミクスや本項に限らず、経済学・経済分析をエコノミクスという)。

内容 [編集]

アベノミクスは、大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略の3つを基本方針としており、安倍はそれを「3本の矢」と表現している[8]。個別の政策としては、2%のインフレ目標[6][7][9]、円高の是正[7]、政策金利のマイナス化[10]、無制限の量的緩和[7][9]、大規模な公共投資(国土強靱化)[7]、日本銀行の買いオペレーションによる建設国債の引き取り[11]、日本銀行法改正[7]などが挙げられる。経済評論家の山崎元は、アベノミクスを「1)2%(以上)のインフレ目標設定、2)日銀による金融緩和拡大、3)公共事業による需要追加、の三つの経済政策のパッケージ」と定義している[12]。

背景 [編集]

アベノミクスに類する経済議論は既に1990年代後半から始まっていた。日本経済は1990年代初頭にバブル崩壊を経験して以来、その後の消費税率3%から5%への増税など緊縮財政の結果として名目GDPの成長不全に陥っていた。1990年代後半には、ノーベル経済学賞受賞者であるポール・クルーグマンは日本が流動性の罠に陥っている可能性[13]を指摘しつつも、日本経済を回復軌道にのせるための手段として、極めて初歩的ではあるが、お金を大量に刷ること(Print lots of money)で民間需要[14]増加に努めるべきと論じた。具体的には日本銀行が長期国債を買うことであるが、日本銀行が多額の日本国債を買い取ることに起因するインフレーションについては「人々の消費がその経済の生産能力(供給力)を超える状態のときに限り、紙幣増刷由来のインフレが発生する」と述べる。というのも流動性の罠に陥っている状況では、IS-LM分析でLM曲線がY-r平面でフラットになっているためにマネタリーベースの増加が実質金利上昇を喚起しないからである[15]。ここでクルーグマンは、そのような中央銀行のインフレ期待政策は長期にわたって続けねばならないとも述べていた。

さらにはノーベル経済学賞受賞者であるジョセフ・スティグリッツが、日本がバブル崩壊後に長期のデフレーションに陥り10年以上も不況が続いていることを指摘し、日本経済を好転させるために日本政府が財政赤字を紙幣増刷によってファイナンスするように提言していた[16]。新規に発行されたコイン・紙幣を人々が持てば、それらの人々のいくらかが財やサービスの消費にお金を使おうとし、また銀行など金融機関が民間企業向けの貸し出しを増やし景気を刺激するからである。これはいわば政府が発行する紙幣、すなわち政府紙幣[17]のことである。これは無利子国債を中央銀行が買い取ることと実質等しい。

展開 [編集]

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。
出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2012年12月)

2012年(平成24年)11月16日、解散総選挙が発表され、自民党の政権復帰が視野に入ると共に円安・株高現象が起こった[18][19][20]。それまで日本のマーケットは、米国の株価に左右される動きではあるが、米国の大企業が好決算を出していたものの、日本のGDPが上がらず、主力株である銀行や鉄鋼などが低迷したままの状態であった。特に輸出関連のメーカーなどは30年前の株価まで下落する状況であった。
民主党政権において数回、円売りドル買い介入をしたものの改善されず、貿易赤字は毎月膨れ上がり、10月においては過去最高の5490億円を記録した[21]。だが安倍晋三が11月15日、デフレ脱却・無制限の量的緩和策を打ち出した事で、日経平均株価と円安の動きが連動した[22]。そして選挙運動中、株高・円安がさらに加速した事で「アベノミックス」「安倍トレード[23][24][25]」「安倍バブル[26]」という言葉をマスメディア等が使い始めた。
円安になると輸出競争力が付き、為替差益が生ずるため、実際に増収増益となる。そのため、マーケットは思惑買いから先取りした相場展開となり、第2次安倍内閣の発足以前から市場が動いて経済的にプラス効果が出た[27]。11月16日から12月28日の年内立ち会い相場において、8830円だった日経平均が10400円へと、実にひと月半で1570円上昇した。この背景には連日の円安が日経平均を押し上げ、ダウ平均株価の動きを無視した形で影響したものと思われる(ダウ平均はその間12588ドルから12988ドルに推移)。

野党の反応 [編集]

2012年(平成24年)12月24日、民主党代表候補の海江田万里は記者団に、安倍が掲げる金融緩和について「学者の中にもいろんな考え方がある。国民生活を学説の実験台にしてはいけない」と述べ、対決姿勢を示した[28]。
2012年(平成24年)12月25日、民主党新代表に選出された海江田はアベノミクスに潜む危険性を予算委員会で指摘した[29]。記者会見では「公共事業の大盤振る舞いは古い考え方」と批判し、金融政策について「日銀の独立性が損なわれるような政策は中銀や円の信任にかかわり、様々な副作用が予想される」と語った[30]。
海江田は「『アベノミクス』と言われているが、その危険性を党首討論などで指摘しないといけない」と批判している[31]。

世界の反応 [編集]

ジョセフ・E・スティグリッツは10年を経て日本政府が自分の推した政策を取る事を歓迎している[32]。

ポール・クルーグマンはニューヨーク・タイムズ紙で、安倍首相の経済政策について「政府の借入コストはほとんど変わらず、マイルドなインフレ期待で、日本の財政見通しが大幅に改善したことを意味する」「円は下がっているが、それは非常に良いニュースである。日本の輸出を後押ししている」「安倍氏は優秀な成績で、悪い通説を捨てている」と評価した。[33]

ゴールドマン・サックス・アセットマネジメントのジム・オニール氏は3%のインフレ目標を評価、「We Want Abe!」というレターを書き市場で話題となった[34]。
中央日報は「円安は韓国の輸出鈍化につながりかねない[10]」「だが、円安により韓国の輸出品の競争力に及ぼす影響は大きくないとみる専門家も多い[35]」と報じた。また、朝鮮日報は「韓国の輸出企業は円安ウォン高が続くのではないかと緊張感を強めている」と報じた[1]。
アメリカの製造業のロビー団体などは、意図的な円安誘導は通貨安競争を招きかねないとして厳しく批判。クライスラー、フォード・モーター、ゼネラル・モーターズの自動車大手3社からなるロビー団体のアメリカ自動車政策会議(AAPC)は、1月17日にオバマ政権に対し対抗措置を講ずるよう求めた[36]。IMFのクリスティーヌ・ラガルド専務理事は「IMFは、いかなる形でも通貨安競争に賛同しない」と発言した[36]。またラガルド専務理事は、安倍政権と日銀による2%の物価目標導入を柱にした金融政策について「中央銀行の独立性が確保されている限り、好ましく興味深い計画」と評価した[36]。
ドイツのヴォルフガング・ショイブレ財務省は「日本の新政権の政策に、大きな懸念を持っている」と発言し、大胆な金融緩和策を批判した[37]。

日本政府の見解 [編集]

麻生太郎財務大臣は「(2009年4月のG2020カ国の首脳会談で)通貨安競争はやらないという約束をしたが、約束を守った国は何カ国あるのか。米国はもっとドル高にすべきだ。ユーロはいくらになったのか」と言及。1ドル=100円前後で推移していた当時に比べても円高水準にあると指摘した。その上で、約束を守ったのは日本だけだとし、「外国に言われる筋合いはない。通貨安に急激にしているわけではない」と述べた[38][39][40]。
浜田宏一内閣官房参与は「麻生副総理も言っておられたように、今まで日本だけが我慢して他国にいいことを続けてきたのに、今自国のために金融緩和しようとするときに、他国に文句をつけられる筋合いはない。日本の金融政策は日本のためであり、ブラジルや他国のためではない」と述べた[41]。

関連人物 [編集]

高橋洋一 - ブレーンの一人[42]。
浜田宏一 - ブレーンの一人[43][44]。第2次安倍内閣の内閣官房参与。
本田悦朗 - ブレーンの一人[45][46]。第2次安倍内閣の内閣官房参与。


我々も‘アベノミクス’の背景や野党及び世界の反応についてこの際よ~く知っておいた方がいい。

さて、昨日のビッグニュースは、昨日の弊ブログでも最後に述べた通り、「政府・日銀の共同声明/物価上昇率2%を目標」というニュースである。

日銀の白川総裁は、これまで‘1%’に拘り続けて来たが、‘2%’に踏み切った! 見事である。

画像ー80 004-2
同上、22:16

画像ー80 005-2
同上、22:16

画像ー80 016-2
同上、22:17

この情報は今朝の讀賣新聞朝刊にも一面トップに掲載されている。

新聞記事
2013年01月23日 讀賣新聞・朝刊

新聞記事0001-3
同上、一部を拡大。

勿論大幅な円安は、色々な方面で問題を起こすから‘徐々に’その方向に持って行かねばならない。その舵取りを上手くやるのが‘日銀と政府の役目’である。

今朝のNHK・TVでも‘急速な円高懸念’が指摘されている。

画像ー80 196-2
2013年01月23日 NHK・TV 07:24

画像ー80 201-2
同上、07:25

「景気が上向く為には、このままだと1~2年はかかる、という。それは、いくら政府・日銀が金融緩和を行ない公共投資をしても、給料に跳ね返って来るまでに時間がかかるからである。そして、その間に円高の反応は直ぐさま影響を及ぼすから、‘物価だけが上昇して’ますます国民は財布の紐を締めるに違いない!
景気が良くなるどころか、却って国民の生活は苦しくなるだけだ!」

こんなことを宣う(のたまう)人達がいる! 一見ごもっともという風に聞こえるかもしれないが、これこそ‘勉強不足’である。

世界の‘超一流の経済学者’(ノーベル経済学賞受賞者も含めて)が、指摘しているところによれば、今こそ‘アベノミクス’を実行するには‘政府紙幣’を発行することである。そのために、わざわざ‘長文の引用文献’をこの上部に引用したのである。

長いのは‘読っまない!’などというつまらぬ主義はやめて、プロが指摘する知識を持って貰いたい!

そうすれば、日本の経済立て直しと経済発展はおろか世界の経済発展に貢献出来る絶好のチャンスである!という事が容易に判るはずである!

そして、われわれ一般人は、まだ‘日本銀行’の役割をほとんど知らない! そんな訳で己の勉強であることも含めて、次回は‘日本銀行の役割’について、にしたい。

(つづく)


[2013/01/23 11:56] | 政治と社会 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
桜宮高校入試に関する募集中止問題の解決策と議論
桜宮高校の体育系2科の入試募集中止問題 について、昨日大阪市教育委員会が‘素敵な’解決策を出してくれた。

やれば出来るではないか!

昨日(2013年01月21日)は、我が家でもこの問題について‘議論’したが、我が家の結論は、大阪市教育委員会が出した結論と‘奇しくも’同じだった。

2013年01月22日の讀賣新聞・朝刊は、第一面で次のように伝えている。

新聞記事0004

下村文科相も異存はないという。ここで大事なことは‘言いだしっぺ’の橋下徹市長が、この決定にどんな感想をもらすかである。

新聞記事0004

たったこれだけの報道しかされていないが、これだけで十分である。彼の意図は「時代は変わりつつあるのに、何も改革をしない‘集団’や‘個人’に対して‘改革’を進めよと挑戦する」ことにある。

新聞記事-2

讀賣新聞は、‘玉虫色’という表現を採用したが、この表現には読売新聞社でも‘議論’があったのだろうと想像出来る。これは‘玉虫色’ではない!

そして、この内容を知りたかったのだが、‘「大阪市教育委員会」の議論の様子と橋下市長の少しのコメント’が紙面に載っている。

新聞記事0001-2

議論の上での‘多数決’が良かった。どこの政党のように‘委員長に一任’をしなかったのだ。

新聞記事0003-2

最後に読売新聞の‘社説’である。これは‘社説’とは言い難い!‘解説’である。



さて、こんな問題が起こった時に考えなくてはならないことが二つある。

① ‘議論’とは何か?

② ‘改革’とは何か?


の二つである。

① ‘議論’とは何か?


普通に社会生活を送る場合、誰でも‘議論’を何度もやってきたに違いない。何故‘議論’になるのかというと人それぞれに‘情報量’と‘立場’が違うからである。そしてもう一つ、その人の‘思慮深さ’が意見の違いを顕わにする。

そして、議論をする場合、‘議論の仕方’にも注意を払わねばならない。

考え間違いをしている人の大半は、‘議論に勝つこと’を議論の‘目的’にしている。これを‘議論のための議論’という。議論の意義の半分が失われてしまう恐れがある。

‘議論の目的’は、あくまでも‘その集団、個人の安全と幸福のため’でなくてはならない。

私の場合、‘議論の目的’は、‘自分の意見を修正するため’と昔から考えている。
何故なら、自分の意見というものは、‘ほんのちょっぴりの経験と世間知らずの思い込み’と自覚しているからである。しかし、人間が出来ていない為に、立派でもない‘自分の意見’を相手に押し付けようとしたことが度々あった。これは大いに反省すべきといつも思っている。

さて、それでは、

② ‘改革’とは何か?

である。

人間誰でも‘安定’を望む。‘安定を望む’からこそ‘改革’が必要なのである。一見、‘改革’と‘安定’は相反する行為と思われているかもしれないが、‘改革’を望んで走り回る人程‘安定’を望んでいる。望んでいるからこそ‘安定’に行きつくまで‘動き回るのである。‘人が動く’と‘働く’という意味になる。

動かないで、働かないで‘安定’だけを貪るのは‘反社会的’行為である。

従って、社会を構成し、社会を守る人は皆、‘安定’のためにこそ‘改革’を心掛けねばならない!

更に大事な概念は、この二つの他に、

③ 物事の本当の進歩は、ゼロ点から出発して己の力のみで立ち上げるその際にのみ進歩と発展がある

という事である。他人から引き継いだ事業や思想は、その本質において‘借り物’であり、その物事をまともに発展させることは先ず出来ない。2代目が発展を鈍らせ、3代目がその事業を潰す、とはこのことを言っているのである。

そんな意味で、橋下徹市長は、己の考えを他人の受け売りでなく表明した!このことが大事である。彼が言う‘事なかれ主義’とは、‘己の頭で考えない’事を遠回しに揶揄しているだけである。

「‘総入れ替え’発言」を‘現実が見えていない!’と非難する向きもあるが、これは的を得ていない!その位の事を考えて‘改革’をやって欲しいという‘宣言’なのである。言葉尻だけを捕えてその真意を理解しようとしない人は‘小賢しい’だけであって、社会を混乱させるだけであり‘有害’である。

そうこうしている間に、お昼のTVタイムとなった。

中々いい案が出て来たではないか!やっと‘己の頭で考えた’案となったようだ。

画像ー79 261-2
2013年01月22日12:47 TVS・TVの映像を‘デジカメ’で撮影。(次も同じ)

非常に具体的で、これが実行出来たら、申し分ないと言える。是非この線で走って貰いたい!TV局はこれが実行されていくかどうかを真剣に後追いして貰いたい。

画像ー79 257-2
12:49 ここで‘ニュース速報’が画面に出た! ‘2%’を物価安定目標とすることに政府・日銀が共同声明に調印したという。‘アベノミクス’がもう一段現実のものとなりそうである。明日の株価はまた上がりそう。

この話題は、明日の弊ブログで・・・。

それにしても、教育委員ってだれに任命権があるのだろうか?
政府の大臣の場合、任命権者に責任が行くのだが・・・。 これも後日調査して見たい。

孫が高校受験を控えているだけあって、この桜宮高校の問題は他人事ではないのである。(少し不純!?)

(つづく)

[2013/01/22 23:14] | 学校と教育 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
タイタンに生物が・・・?<速報!>
土星探査機・カッシーニから切り離されて、土星の持つ60数個の衛星の一つ‘タイタン’に着陸した‘ホイヘンス’からタイタンに‘生物が存在?’の画像が送られて来ているという。

タイタンとは、ご存じの通り土星が持つ60個以上の衛星の内最も大きな衛星で、以前から‘生物の存在’が議論されている‘星’である。

タイタン
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=2012090403

National Geographic News
September 4, 2012
 NASAの土星探査機カッシーニが撮影した土星とその衛星タイタン。土星最大の衛星タイタンは直径5150キロあり、惑星である水星よりも大きい。



2013年01月20日の深夜放送「NHK・TV‘サイエンスゼロ’」を見た。

「地球にそっくり!衛星タイタン」

画像ー79 037-2
2013年01月20日23:31 NHK・TVの画像を‘デジカメ’で撮影 (以下、同様)

画像ー79 055-2
この画像はカッシーニがまだホイヘンスを切り離す前の写真。地球上の河川のように見える。

画像ー79 061-2
これは、ホイヘンスからの映像。地球の河川にある‘石ころ’と同様、角が取れて‘丸み’を帯びている。これは「液体の中を‘流れて’お互いにぶつかりあった」と考えられることから、‘河川の存在’が容易に想像出来るという。

画像ー79 097-2
それでは、その‘河川’の液体とは?

画像ー79 100-2
‘メタン’(CH3)の海、湖、川。気温は、何と‘-180℃’というし、大気に酸素がないから人間はそのままでは当然住めない!

画像ー79 221-2
タイタンに‘生物がいる’とすれば、エネルギー源は、画像の通り、地球のそれとは異なる。

画像ー79 156-2
この先生は、関根康人さん。東京大学大学院新領域創成科学研究科複雑理工学専攻・講師である。後日この弊ブログにもご登場して戴くが、「地球の大気に酸素が形成されたタイミング」についてユニークな方法で検証されたことで夙に有名な先生である。

そこで、今日(01月21日)になって、‘NASA’のHP( http://www.nasa.gov/home/index.html )で調べてみた。

その前に、‘カッシーニ&ホイヘンス’とは?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%
83%83%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%8B


カッシーニ (Cassini-Huygens) は、アメリカ航空宇宙局(NASA)と欧州宇宙機関(ESA)によって開発され、1997年に打上げられた土星探査機である。
カッシーニは金星→金星→地球→木星の順にスイングバイを行なって土星軌道に到着した。カッシーニには惑星探査機ホイヘンス・プローブ (2.7 m、320 kg) が搭載されており、タイタンでカッシーニより切り離されてタイタンに着陸し、大気の組成・風速・気温・気圧等を直接観測した。
カッシーニとホイヘンスよりなる土星探査はカッシーニ・ホイヘンス・ミッションと呼ばれ、欧米18カ国の科学者約260人が参画している。
カッシーニの名は、天文学者ジョヴァンニ・カッシーニに、ホイヘンスの名は同じく天文学者クリスティアーン・ホイヘンスに由来する。

2010年2月3日 探査計画の2017年5月までの延長を発表[1]。

土星関係 [編集]

タイタンには、液体が流れたことによる流路があることが分かった。大気からの降雨があることが確認された、太陽系では地球以外の唯一の天体となっている。タイタンの濃密な大気は、メタンが分解され、それが再結合した炭化水素のような大きな有機分子ができることで作られたことが分かった。タイタンのメタンが、生物由来でないことが強く推測された。


さて、‘NASA’のホームページによると、以下のような記述がある。

カッシーニ、タイタンに着陸
これは、カッシーニから切り離されてタイタンに無事着陸した‘ホイヘンス’の想像図。
2005年1月14日 ホイヘンスがタイタンに着陸し、機能停止するまでの3時間40分、カッシーニ経由で地球へ探査データを送った。)

タイタンの海
この画像は、2013年01月08日に更新されたとあるから、NASAでもこの画像が最新のものである。

http://www.nasa.gov/mission_pages/cassini/multimedia/pia16634.html

Floating Ice on Titan Lakes?

This artist's concept envisions what hydrocarbon ice forming on a liquid hydrocarbon sea of Saturn's moon Titan might look like. A new model from scientists on NASA's Cassini mission suggests that clumps of methane-and-ethane-rich ice — shown here as the lighter-colored clusters — could float under some conditions.

Page Last Updated: January 8, 2013
Page Editor: Tony Greicius
NASA Official: Brian Dunbar

Image credit: NASA/JPL-Caltech/USGS

タイタンの湖に流氷?

このアーティストのコンセプトは、土星の衛星タイタンの液体炭化水素の海の上に形成する炭化水素の氷がどのようになるか想像している。明るい色のクラスターとしてここに示されている - - いくつかの条件の下で舞うNASAのカッシーニミッションの科学者からの新しいモデルは、メタンとエタンの豊富な氷の塊があることを示唆している。

画像のクレジット:NASA / JPL-カリフォルニア工科大学/ USGS



タイタンの湖の違った光景

http://www.nasa.gov/mission_pages/cassini/multimedia/pia16634.html

Different Looks for Titan Lakes

Lakes on Saturn's moon Titan reflect radio waves in varying ways in this image from NASA's Cassini spacecraft. Scientists think the variations in reflectivity, or brightness, have to do with the smoothness or texture of the surface. If a lake is fully liquid, it looks dark, but if it is only partially liquid, it looks brighter.

タイタンの湖は、それぞれ異なって見えます

土星の衛星タイタンの湖は、NASAの探査機カッシーニからこのイメージに様々な方法で電波を反映しています。科学者たちは、反射率、または明るさのばらつきが、表面の滑らかさや質感としなければならないと思います。湖が完全に液体である場合には、暗くなって見えますが、それだけで部分的に液体である場合、それは明るく見えます。



これだけの情報では、まだまだタイタンの全貌は判らない。今後映像・文献を調査して掲載して見たい。
関根先生によると、地球の方が‘希有の状態’で、タイタンのような状況は他の銀河系では沢山あるのだろう、とのことである。

興味は尽きない!

(つづく)
[2013/01/21 12:23] | サイエンス | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
平成25年(2013年)の歌会始
平成25年(2013年)の‘歌会始’が、1月16日皇居で執り行われた。新年の皇室行事の最後を飾る行事である。

そもそも「歌会始」とは?

http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/utakai.html

歌会始め

人々が集まって共通の題で歌を詠み,その歌を披講する会を「歌会」といいます。既に奈良時代に行われていたことは,「万葉集」によって知ることができます。

天皇がお催しになる歌会を「歌御会(うたごかい)」といいます。宮中では年中行事としての歌会などのほかに,毎月の月次歌会(つきなみのうたかい)が催されるようにもなりました。これらの中で天皇が年の始めの歌会としてお催しになる歌御会を「歌御会始(うたごかいはじめ)」といいました。

歌御会始の起源は,必ずしも明らかではありません。鎌倉時代中期,亀山天皇の文永4年(1267年)1月15日に宮中で歌御会が行われており,『外記日記』はこれを「内裏御会始」と明記しています。以後,年の始めの歌御会として位置づけられた歌会の記録が断続的に見受けられます。このことから,歌御会始の起源は,遅くともこの時代,鎌倉時代中期まで遡ることができるものといえます。

<中略>

毎年1月の歌会始の儀では,天皇皇后両陛下の御前で,一般から詠進して選に預かった歌,選者の歌,召人(めしうど)の歌,皇族殿下のお歌,皇后陛下の御歌(みうた)と続き,最後に御製(ぎょせい)
が披講(ひこう)されます。皇太子殿下をはじめ皇族方が列席され,文部科学大臣,日本芸術院会員,選歌として選ばれた詠進者などが陪聴します。

この儀式は,読師(どくじ):(司会役),講師(こうじ):(全句を節をつけずに読む役),発声(はっせい):(第1句から節をつけて歌う役),講頌(こうしょう):(第2句以下を発声に合わせて歌う役)の諸役によって進行されます。



NHK・TVで放映された、2013年の「歌会始」をTV画面で追ってみたい。もしかして来年以降参加する時の事を考えながら・・・。(これ以降の画像は全てNHK・TVの画面を‘デジカメ’で撮影したもの)

画像ー75 144-2
2013年01月16日10:31 今年のお題は「立」

画像ー75 146-2
10:31 皇居正殿、松の間で開催

画像ー75 149-2
10:32 天皇陛下 皇后陛下も御着席になっておられる

画像ー75 154-2
10:33 お歌が両陛下へ

画像ー75 157-2
10:34 一般から詠進して選に預かった人達

画像ー75 163-2
10:35 読師(どくじ):司会役のこと。一言もしゃべらないが、目配せで会を進行させる。

画像ー75 165-2
10:35 講師(こうじ)と発声(はっせい)及び講頌(こうしょう)の人達が、両陛下の方へ進み出て、

画像ー75 166-2
10:35 両陛下へご挨拶

画像ー75 167-2
10:36 講師(こうじ)を務める方が、第一句目を節をつけずに読み始めた。太田一毅君の歌である。

画像ー75 168-2
10:37 小学生・太田一毅君

画像ー75 169-2
10:37 太田一毅君の歌

画像ー75 172-2
10:40 高校生・瀬利由貴乃さん

画像ー75 173-2
10:40 瀬利由貴乃さんの歌

画像ー75 174-2
10:43 大学生・川俣茉紀さん

画像ー75 175-2
10:44 川俣茉紀さんの歌

画像ー75 176-2
10:44 歌の合間、会場は静まり返っている

画像ー75 177-2
10:45 両陛下も静かに歌を聞かれておられる

この3句の他の一般から詠進して選に預かった歌,選者の歌,召人(めしうど)の歌,皇族殿下のお歌,皇后陛下の御歌(みうた)と続いた。そして、

画像ー76 007-2
11:38 御製(ぎょせい):天皇陛下の歌の講師(こうじ)が始まった。天皇陛下以外は起立である。

画像ー76 004-2
天皇陛下のお歌

画像ー76 006-2
11:38 起立して御製(ぎょせい)の披講を聞く参列者

画像ー76 015-2
11:41 御製の披講を聞かれる皇太子殿下と秋篠宮殿下

画像ー76 016-2
11:42 御製の披講を聞かれる女性皇族の方々

画像ー76 023-2
11:43 御製の披講が終了して、「歌会始」がお開きとなった

画像ー76 024-2
11:44 来年のお題は「静」と発表された

画像ー76 026-2
11:44 応募方法の案内

画像ー76 027-2
11:44 送り先の案内

画像ー76 029-2
11:45 これにて平成25年(2013年)の「歌会始」の終了。

来年のお題は「静」という。

出来れば、‘冥土の土産’に投句してみたい!



[2013/01/20 00:00] | 学習と文化 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
B787機の不具合の原因は、日本製バッテリー?!
mcb1301162025039-p2.jpg
http://www.sankeibiz.jp/macro/photos/130116/mcb1301162025039-p2.htm

2013年01月16日に起こった‘B787機’の緊急着陸 トラブル。その不具合の原因となったとみられるバッテリーは日本製だったという。この弊ブログでも取り上げさせて戴いて、多分不具合に日本製は無かっただろうとコメントさせて貰ったが、バッテリーは、日本製‘充電の際の過電流’が原因だろうとまで推測がついているという!

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130118/k10014881211000.html

B787 バッテリー周辺の電流調査へ
1月18日 5時14分(NHK)

全日空のボーイング787型機が高松空港に緊急着陸したトラブルで、国の運輸安全委員会は、バッテリーに過剰な電気が流れて異常な高温になり、トラブルが起きたとみて、バッテリー周辺の電気の流れを詳しく調べることにしています。

このトラブルは、16日、山口宇部発羽田行きの全日空のボーイング787型機が、飛行中に煙を感知するなどしたため、高松空港に緊急着陸し、乗客が緊急脱出したものです。

国の運輸安全委員会は、操縦室付近の床下にあるバッテリーについて詳しく調べたところ、中の電解液が漏れ出し、重さが本来の28キロ余りから4.7キロ軽くなっていたということです。

また、ケースが膨らんで2センチほど盛り上がり、中に並べられた電池が炭のようになっていたことから、運輸安全委員会は、バッテリーに過剰な電気が流れて異常な高温になり、トラブルが起きたとみています。

さらに、バッテリーに備えられている、過剰な電気が流れるのを防ぐ「保護回路」が働かなかった可能性もある とみて、バッテリー周辺の電気の流れを詳しく調べることにしています。

このほか、18日にはアメリカの事故調査機関や航空当局の職員も現地に到着し、合同で調査することにしています。



画像ー77 037-2
2013年01月18日 テレビ朝日(の画像を‘デジカメ’で撮影。以下の画像も同様)
バッテリーはGSユアサ製であるが、(過電流防止等の「保護回路」をも含んだ)バッテリーシステムを構成したのは、フランスのメーカー(タレス社)という。<GSユアサ社へのTV朝日の取材>

画像ー77 042-2
2013年01月18日 テレビ朝日 回収される高松空港への緊急着陸機のバッテリー

画像ー77 044-2
2013年01月18日 テレビ朝日
バッテリーシステム化の事業体連合の在り方に問題か?

一方、米連邦航空局(FAA)は、次のようにコメント。

http://jp.reuters.com/article/marketsNews/
idJPTK831075520130117


〔情報BOX〕ボーイング787型機で問題となったリチウムイオン電池をめぐる状況

 [ワシントン 16日 ロイター] 米連邦航空局(FAA)は16日、全日本空輸(ANA)(9202.T: 株価, ニュース, レポート)機がバッテリーの異常で緊急着陸に至ったことなどを受け、ボーイング(BA.N: 株価, 企業情報, レポート)787型機を運航する航空会社に運航停止を指示した。今回の一連のトラブルで問題になっているリチウムイオン電池は、自動車や米政府が導入するF35戦闘機や人工衛星にも使用されている。

 787型機に搭載されているバッテリーに関する情報、およびリチウムイオン電池技術に関するポイントを以下に列挙した。

 *787型機に搭載されているリチウムイオン電池はジーエス・ユアサコーポレーション(GSユアサ)仏タレス製の関連回路とともに補助動力装置(APU)に使われている。APUは米ユナイテッド・テクノロジーズ(UTX.N: 株価, 企業情報, レポート)傘下のUTCアエロスペースが供給している。

 *米政府が導入するロッキード・マーチン(LMT.N: 株価, 企業情報, レポート)製のF35戦闘機もリチウムイオン電池を使用する。メーカーは仏サフト(S1A.PA: 株価, 企業情報, レポート)。ロッキードは、B787の問題が米政府の計画に影響を及ぼすことはないとの見通しを示した。

 *欧州の大手航空機メーカー、エアバス(EAD.PA: 株価, 企業情報, レポート)のエアバスA350もサフト製リチウムイオン電池を搭載する予定。エアバスA350は今年中に初飛行することになっている。

 *B787やエアバスのA380などは、非常用照明などの目的でより小型のリチウムイオン電池を使用している。

 *リチウムイオン電池は過度に充電された場合に発火する可能性があり、発火すると化学物質が酸素を発生させるため消火しにくい。

 ボーイングは過充電を防ぎ、バッテリー火災を封じ込め、煙が客室に達する前に吸い上げるための複数のシステムを設計したと説明している。

 *ボーイングによると、B787に搭載されたバッテリーは車のバッテリーの2倍の大きさで、実験室でも実際の使用環境でも広範なテストが行われた。米国家運輸安全委員会(NTSB)によると、1月7日にボストン・ローガン国際空港に駐機中のB787で発火したAPU用バッテリーは、重さ63ポンド、サイズは19インチ×13インチ×10.2インチ。


 *同様のバッテリーは、米ゼネラル・モーターズ(GM)(GM.N: 株価, 企業情報, レポート)が製造するPHV(プラグイン・ハイブリッド車)「シボレー・ボルト」などの電気自動車のほか、人工衛星、ノート型パソコン、携帯電話などの電子機器に採用されている。この技術はソニー(6758.T: 株価, ニュース, レポート)が1991年に最初に電子機器に採用した。

 *GMの「シボレー・ボルト」は2011年、米道路交通安全局(NHTSA)が衝突テストを実施した3週間後に発火する問題を起こした。NHTSAはその後、「シボレー・ボルト」などの電気自動車は、ガソリンを使用する自動車より発火リスクが高いとの判断を下した。フィスカー・オートモーティブのPHV「カルマ」に使用されていたA123システムズ製のリチウムイオン電池もリコールされた。


夜のテレビ朝日・報道ステーションで、その後の様子が報道された。

画像ー77 047-2
2013年01月18日22:53
国交大臣のコメントは、日米での合同調査が行なわれた結果についてである。

画像ー77 049-2
22:53
この映像は生々しい!

画像ー77 050-2
22;53
内部が炭化している様子が判る。しかし、この‘炭化’は何時起こったのか? 整備中の充電時に起こったのなら整備員がその時点で臭いや煙で見つけ出すはず。出発した後に過充電という事があり得るのだろうか?出発した後に充電はしないはずである、から。

画像ー77 056-2
22:54
‘過充電’の時間帯がど素人には判らない! ‘出発した後’の過充電? そんなことはあり得るのだろうか?

画像ー77 058-2
22:54
原因の究明には、‘過充電’がどの時点で起こったのかが大事である。どうしても‘腑に落ちない’!


どうやら、ボーイングの戦略、つまり世界各国への‘売り込み作戦’のために、世界の大手企業(70社とも)を巻き込んでの戦略が、事業体連合下での安全性確認不足(?)という‘落とし穴’に嵌った、という見方も出来ない訳ではない!

‘事故調査’の結果 が待たれる!

(つづく)

[2013/01/19 00:00] | サイエンス | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
芥川賞と直木賞
2013年01月16日、第148回芥川賞と直木賞 が決まった。

私の友人で、某大学名誉教授の‘Iさん’は、‘最年長の直木賞’を是非獲得(?)したいと頑張っている。私と同い年だから、今年74歳である。実は、このことは弊ブログ(2012年07月28日)に書いている。

自分で書いたブログを引用するのは何だか気が引けるが、以下の通りである。実は、直木賞という題目で彼の事を弊ブログに書かせて貰ったことをすっかり忘れてしまっていた!今回の芥川賞受賞の黒田夏子さんが、芥川賞では最年長記録という報道があったので、それでは直木賞の最年長は?と思って‘web’で調べてみたら、何と弊ブログが一番先に出て来たのである!これには少々驚いた(一寸、自慢  )という訳で‘久し振りに’その中身を読み返した。

直木賞の最年長者 - Google 検索0001-2

http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-219.html

直木賞

平成24年度上半期の‘芥川賞・直木賞’受賞者が決まった。

私の友人に大学の名誉教授で歌の上手い酒好きがいる。
彼の将来の夢は、この‘直木賞’を最年長で受賞することだそうである。彼は只今、満73歳。
最年長者は誰かと調べてみると以下の記事が見つかった。

この記事は、2010年4月28日付けの記事であるが、それ以降に高齢者がいたという報道は耳にしていないのでこの記事通り、68歳が直木賞受賞最高齢者ということになる。

それなら、彼にはもうとっくに資格がある。多分そう言うと彼は「ず~と最高齢者でいたいから、もう一寸後にしよう。今後74歳の人が出て来ないとも限らないから・・・」と言うに決まっている。

私にはそんな才能は無いので、「そんなに歳をとって書き始めても受賞出来るくらい簡単なのかなぁ~?」と言ったら叱られてしまった。彼の自尊心とやらを逆なでしたようだった。

彼は、建築学者である。‘ラーメン構造’がどうとか言うので、飲み終わったら‘ラーメン’を喰いたいと思っているのかと思ったら、そうではないらしい。


芥川賞・直木賞の選考は年に2回という事になっている。今回の第148回の受賞者は、報道の通りである。

画像ー77 027-2
2013年01月16日22:31(画像は、テレビ朝日のYV画面を‘デジカメ’で撮影。以下同様)

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130116/k10014847551000.html
第148回芥川賞と直木賞の選考会が16日夜、東京で開かれ、芥川賞に75歳の史上最高齢で候補になっていた黒田夏子さんの作品「abさんご」が選ばれました。また、直木賞には朝井リョウさんの「何者」と、安部龍太郎さんの「等伯」の2つの作品が選ばれました。



http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130116/k10014847551000.html
芥川賞・黒田夏子さんの「abさんご」

このうち芥川賞の受賞が決まった黒田夏子さんは東京都出身の75歳。
私立の中高一貫校で国語の教師を務めたあと、事務や校正の仕事を続けながら執筆活動を続け、去年、文芸誌の新人賞を受賞して注目を集めました。
芥川賞は今回が初めての候補で、75歳での受賞は史上最高齢です。受賞作の「abさんご」は、50代の親と思春期を迎えた子どもの親子2人の家庭に家政婦が雇われたことで、親子の大切な日常が失われていく様子や親子の愛情を描いた作品です。
戦前から戦後にかけて生きてきた黒田さんの自伝的な小説とも言われ、カタカナやかぎかっこを一切使わず、登場人物の名前や性別をあえて明らかにしないなど、特徴のある作風となっています。


画像ー77 013-2

画像ー77 015-2

画像ー77 016-2

画像ー77 020-2

ど素人の我々には、従来の小説形式でないという今回の「abさんご」は、その題名からして‘意味不明’であるし、TV画面で見る文章の内容を読んでみても‘何これ?!’の範疇である。内容も検討せずにあれこれ言うのは大変失礼でおこがましいが、読者は本当に‘感動する’のだろうか?いや、芥川賞の受賞基準に‘感動させる’という事が条件かどうかも知らないが・・・。

文学を絵画に例えることは、両方に失礼なのかもしれないが、この作品を絵画に例えさせて戴くなら、‘前衛絵画’か‘ピカソ’と言ったところだろうか?

‘町を離れる’が漢字で、‘がっこう’が、何故‘学校’ではないのだろうか?音声なら‘学校’は‘がっこう’で構わない!しかし、文章を‘眼と頭脳’で認識するという範疇から飛び出して、‘行間を読め!’と仰るのだろうか?

兎に角、‘読みづらい’事は確かである。なぜこうまでして‘気を引く’必要があるのだろうか?

そこで、芥川賞の今回の選考委員を調べてみた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%A5%E5%B7%9D
%E9%BE%8D%E4%B9%8B%E4%BB%8B%E8%B3%9E

選考委員は小川洋子、奥泉光、川上弘美、島田雅彦、高樹のぶ子、堀江敏幸、宮本輝、村上龍、山田詠美の9名(2012年上半期から)
因みに、
石原慎太郎 第114回(1995年) - 第146回(2012年)


今の選考委員の作品を読んだことがないために、どんな人達かも知らない。名前くらいは存じ上げている人もおられるが・・・。今後は、‘選考委員を誰が選考するのか’も問題にしなければならないのかもしれない。

また、もしも石原慎太郎氏が選考委員だったら、この「abさんご」をどう評価するだろうか?というのにも興味がある。

不可解な‘題名’で、読めば判るから‘読んでみろ!’というのであろうか?
それとも、私自身が‘もうとってもふる~い’人間になり下がってしまった証拠なのだろうか?

菊池寛が生きていたとすれば、どう評価するだろうか? ましてや、芥川龍之介が読んだとしたら??

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130116/k10014847551000.html
直木賞(平成生まれで初)・朝井リョウさんの「何者」

直木賞の受賞が決まった朝井リョウさんは、平成元年生まれの23歳。
平成生まれでは初めての直木賞の受賞者となりました。
朝井さんは岐阜県垂井町の出身で、早稲田大学の学生だった平成21年に書いたデビュー作「桐島、部活やめるってよ」で文芸誌の新人賞を受賞し、その後も若者たちの日常を等身大に描いた青春小説で人気を集めています。
去年からは都内の企業で働きながら作家活動を続けています。
直木賞は、今回、2度目の候補で受賞となりました。
受賞作の「何者」は、就職活動中の大学生たちが抱える心の闇を描いた作品です。
表向きは友人どうしが協力して、それぞれの思いをツイッターで発信する一方で、実は互いに本心を深読みし、不安を抱えながら前に進もうとする若者たちの姿を朝井さん自身の経験などを基に丁寧に描いています。


画像ー77 029-2

画像ー77 025-2
勿論、題名を聞いて中身が判る訳ではないが、それなりの想像はつく。その想像と作者の意図のずれがその作品の‘評価’となるのである。彼はきっと我々老人の察知できない‘若者の姿’を提供してくれるに違いない。これは‘買ってみたい’と思われる作品であろう。彼が、直木賞の最年少だそうだ。


http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130116/k10014847551000.html
直木賞・安部龍太郎さんの「等伯」

また、同じく直木賞の受賞が決まった安部龍太郎さんは福岡県八女市出身の57歳。
大田区役所で図書館司書などを務めたあと、平成2年に歴史小説「血の日本史」でデビューし、その後も「天馬、翔ける」など数多くの作品を発表してます。
直木賞は、2度目の候補で受賞となりました。
受賞作の「等伯」は、安土桃山時代に活躍した絵師、長谷川等伯の生涯を描いた歴史小説です。
家族の死や裏切りなど、戦乱の中で次々と襲いかかる悲劇を乗り越え、「松林図屏風」で等伯がたどり着いた心の境地やそれを支え続けた家族愛を丁寧に描いています。


画像ー77 023-2

画像ー77 022-2
等伯研究者は数多いるに違いないが、その人間性への挑戦は、歴史的事実も確実に咀嚼しておかねばならないからこの一冊を書き上げられるには、誰でも良い通常の主人公ではないだけに、人並み以上の努力が必要だったに違いない!これだけでも評価に値する!是非読んでみたい。
[2013/01/18 00:00] | 文学と社会 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
B787機の品質管理と市民運動
昨日(2013年01月16日) ボーイング787 が、‘緊急着陸’というニュースが流れた。

sss-120315ボーイングd
http://seizougenba.com/node/1485

この記事自体は、16日には各メディアが一斉に報道したので、詳細を書く積りはない。ただし、ここのところの‘緊急事態’は、少なくとも‘部品材料’の開発や‘品質管理’に長年携わってきた来た技術者としては、‘何故?’と非常に不安になる。

そしてまた、‘原発’には大騒ぎをするが、航空機事故が起こっても航空機全廃を市民運動家は何故叫ばないのだろうか?

そんな意味で、このB787の一連のニュースは、弊ブログでも書き留めておきたい。

NHKの朝10:27のニュースである。(以下の画像は、全てNHK・TVの映像をデジカメで撮影したもの)

画像ー75 127-2
10:28放映

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130116/t10014830361000.html
16日朝、山口県から羽田空港に向かっていた全日空のボーイング787型機で煙を感知する表示が出て異臭がしたため、高松空港に緊急着陸しました。
乗客乗員137人は全員脱出し、警察によりますと、脱出の際、乗客1人が軽いけがをしたということです。

16日午前8時すぎに山口県の山口宇部空港を離陸し、羽田空港に向かっていた全日空692便のボーイング787型機で煙を感知する表示が出て異臭がしました。
このため旅客機は午前8時45分ごろ高松空港に緊急着陸し、乗っていた乗客129人、乗員8人の合わせて137人は、機体に備え付けられている脱出用のシューターから全員脱出しました。
警察によりますと、脱出の際、乗客の68歳の男性が腰を痛める軽いけがをしたということです。
現場には消防車が出動したものの、機体から火が出ていなかったため、消火活動を行わなかったということです。
高松空港は、現在、滑走路を閉鎖しています。
全日空によりますと、ターミナルビルにいる乗客は、このあと代替輸送として、JR岡山駅と大阪空港にそれぞれバスで運ぶということです。
旅客機は、15日午後9時に羽田空港から山口宇部空港に到着し、全日空によりますと、15日夜16日朝の2回点検を行ったということですが、その際、異常は確認されなかったということで、緊急着陸をした詳しい状況を調べています。
ボーイング787型機はおととし11月、世界に先駆けて日本で就航しましたが、トラブルが相次いでいます。


トラブルについての記事(一部見易いように編集)

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130116/k10014825561000.html
ボーイング787型機では、おととし11月、世界に先駆けて日本で就航しましたが、トラブルが相次いでいます。

 国内では去年10月、全日空が運航する機体で燃料が漏れるトラブルがあり、国土交通省が先月、エンジンに燃料を送る配管に不具合があるとして航空会社に緊急点検を指示しています。

 アメリカでも先月、南部テキサス州のヒューストンを飛び立ったユナイテッド航空の機体で電気系統のトラブルがあり、目的地とは別の空港に着陸しました。

 今月7日にはアメリカ東部ボストンの空港で日本航空の機体のバッテリーから火が出て、アメリカのNTSB=国家運輸安全委員会が原因を調べています。

 さらに、ボストンでは翌8日、日本時間の今月9日、日本航空が運航するボーイング787型機で燃料タンクのバルブの不具合で左の主翼の先端から燃料が漏れるトラブルが起きました。

 今月13日には日本航空が、成田空港でこの機体のトラブルの原因を調査していたところ、整備中に同じ左の主翼にある別の場所からも燃料が漏れ出しました。

 このほか、今月11日には、羽田発松山行きの全日空のボーイング787型機が飛行中に操縦室の前方の窓ガラスのひとつにひびが入ったほか、宮崎空港で別の全日空機のエンジンからオイルが漏れているのが見つかりました。

 そして、今月16日、上記の報道通り、高松空港に緊急着陸。

燃料漏れなどのトラブルを受けて国土交通省は、調査チームを立ち上げて、原因調査をしています。


画像ー75 132-2
のトラブル

画像ー75 133-2
同じく、のトラブル

画像ー75 135-2
のトラブル

画像ー75 142-2
兎に角、全員無事で良かったが、全員が迷惑を被った!

そもそも、ボーイング787の開発経緯やこの機を使っての事業戦略は、当然のことながら‘経済的目的’が最優先される。‘安全性’については、これまでの開発技術を駆使すれば何とかなるのではと‘経営者’なら誰だって思うに違いない!

しかし、しかしである。一部報道されているように、‘電気の化け物’とも言われているというから、余りにも経済性を重視したために、特に電気系統の‘装置・部品・材料’の何処かに‘無理’があったのではないかと思われる節がある。

我々から見ると、なんとなくではあるが‘初歩的なミス’のような気がしてならない!

以下は、この‘ボーイング787’に関する資料(‘Wikipedia’から抜粋)である。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C
%E3%83%BC%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0787


ボーイング787

ボーイング787ドリームライナー(Boeing 787 Dreamliner)は、ボーイング社が開発・製造する次世代中型ジェット旅客機。ボーイング757、ボーイング767およびボーイング777の一部の後継となる。
中型機としては航続距離が長く、今までは大型機でないと飛行できなかった距離もボーイング787シリーズを使うことにより直行が可能になる。これにより、需要があまり多くなく大型機では採算ベースに乗りにくい長距離航空路線の開設も可能となった。

開発経緯 [編集]

1995年に就航開始した777に次ぐ機種の開発を検討していたボーイングは、将来必要な旅客機は音速に近い速度(遷音速)で巡航できる高速機であると考え、2001年初めに250席前後のソニック・クルーザーを提案した。しかし、2001年9月のアメリカ同時多発テロ事件後の航空業界の冷え込みの影響などから少しでも運航経費を抑えたいという航空会社各社の関心を得ることができず、2002年末にこのソニック・クルーザー開発を諦めて通常型7E7の開発に着手した。この通常型7E7は、速度よりも効率を重視したボーイング767クラスの双発中型旅客機であり、2003年末には航空会社への販売が社内承認された。
2004年4月に、ボーイング副社長の来日後、全日本空輸が50機発注したことによって開発がスタートし、呼称も787に改められた。その後、日本航空も発注したほか、ノースウエスト航空(現・デルタ航空)、コンチネンタル航空(現・ユナイテッド航空)(ともに発注契約も引き継がれている)など多数の大手航空会社が発注している。開発当初のスケジュールでは、2007年7月のロールアウト(完成披露)、8月から9月ごろに初飛行、その後に試作機6機で試験飛行を行い、連邦航空局(FAA)の型式証明取得は2008年5月を予定して、取得しだい最初の発注者である全日本空輸に引き渡される予定であった。全日本空輸では2008年6月に国内線に投入、同年8月の北京オリンピック開催時には東京/羽田 - 北京/首都間のチャーター便に使用すると発表していた[2]。

国際共同事業の推進と日本企業の協力 [編集]

ボーイング787は機体の70%近くを海外メーカーを含めた約70社に開発させる国際共同事業である。これによって開発費を分散して負担できるとともに、世界中の最高技術を結集した機体になるとしている。参加企業は下請けを含めると世界で900社に及ぶ。イタリア、イギリス、フランス、カナダ、オーストラリア、韓国、中国といった国々が分担生産に参加しており、日本からも三菱重工業を始めとして数十社が参加、日本企業の担当比率は合計で35%と過去最大である(767は15%、777は20%を担当)。この35%という数字はボーイング社自身の担当割合と等しい。ボーイング社外で製造された大型機体部品やエンジン等を最終組立工場に搬送するため、専用の輸送機が用いられており、日本では生産工場が名古屋近郊にある関係で中部国際空港に定期的に飛来している[50]。

三菱重工業は747X計画時の2000年5月にボーイングとの包括提携を実現しており、機体製造における優位性を持っている。すでに1994年には重要部分の日本担当が決定しており、三菱は海外企業として初めて主翼を担当(三菱が開発した炭素繊維複合材料は、F-2戦闘機の共同開発に際して航空機に初めて使用された。この時、アメリカ側も炭素系複合材の研究を行っていたものの、三菱側が開発した複合材の方が優秀であると評価を受けた為、三菱は主翼の製造の権利を勝ち取っている)、川崎重工業が主翼と中胴の結合部と中央翼、富士重工業がセンターボックスと主翼フェアリングに内定していた。計画は747Xからソニック・クルーザーを経て787となり、三菱が主翼、川崎が前方胴体・主翼固定後縁・主脚格納庫、富士が中央翼・主脚格納庫の組立てと中央翼との結合を担当している。エンジンでも、トレント1000に三菱(名誘)川崎、GEnxにIHIが参加している。
機体重量比の半分以上に日本が得意分野とする炭素繊維複合材料(1機あたり炭素繊維複合材料で35t以上、炭素繊維で23t以上)が採用されており、世界最大のPAN系炭素繊維メーカーである東レは、ボーイングと一次構造材料向けに2006年から2021年迄の16年間の長期供給契約に調印し、使用される炭素繊維材料の全量を供給する[51]。


この記事だけから判断すると‘トラブル’を起こす原因となった‘装置・部品・材料’に日本が関連しているようには思えないが、いずれにせよ日本の‘担当率’が35%と多いことは‘准国産’ともいえる。早急なる原因究明が望まれ、そのことが今後の技術の土台になることを期待したい。

技術の実用化を決定する基本的考え方は、それぞれの技術が‘どれだけ多くの失敗’を土台にしているかによると言っても過言ではない! 成功は‘失敗の積み重ね’である。失敗の数が多い程、その実用化された技術は‘信頼性’が高い!

技術の進歩は‘一挙には進まない!’

テクテク、ノロノロ進むのである。だから、‘テクノロジー’という!

(つづく)

[2013/01/17 00:00] | 仰天! | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
初雪と雪崩(?)被害
2013年01月14日は、日本全国が寒さに見舞われた。その中でも関東地域では何年振りかという積雪があって、ここ房総半島、千葉県茂原市千沢の我が家でも夕刻から今年初の‘初雪’がお越し遊ばされた!

‘猛吹雪’の事も既に一昨日(2013年01月14日)の弊ブログに認めてある。

しかし、この‘初雪様’は、手前共の対策不足もあってか、意外にも‘被害’を齎している。

<1> 雪崩(?)現象

<2> 除雪による‘腰痛’&‘筋肉痛’


まあ、<2>の腰痛と筋肉痛は、日頃の訓練・鍛練不足だから、初雪様のせいにするのは可哀想である。

さて、その<1>の雪崩(?)現象による被害であるが、

① 14日の23時頃、‘ドスン’という‘大音響’と共に‘雪の塊’が落ちて来た!丁度‘バイク’が猛烈なスピードで、家に衝突したかの如くであった。私は、TVを見ていたが、一体何事が起ったのかと玄関から走り出て見て、その謎が解けた!

画像ー75 048-2
これは翌朝(01月15日)の写真であるが、このカバー屋根の‘傾斜’のために、14日の夜雪崩(?)が起こったのである。

画像ー75 050-2
厚さ約5cmの雪の‘板材’が、数平方mに亘って滑り落ちたのである。その音に‘吃驚した’という訳である。幸いこの場所での‘被害’なない。

② 15日の13:15頃、今度は‘バイク’ではなく‘大型ダンプ車’が猛スピードで我が家に突っ込んで来たかとかと勘違いする程の衝撃音である! 一瞬であったが、家が‘身震い’した。

勿論、この時も外にすっ飛んで出た。

お隣のYさんとの境界の柵が‘く’の字に曲がっている!

画像ー75 017-2
2013年01月15日13:17 2分前に雪崩(?!)が起こって、境界柵が雪の重みによる衝撃で曲げられた。その時の衝撃音が、ダンプ衝突の音に聞こえたのである。

画像ー75 036-2
柵が支柱の鉄骨から外れて‘く’の字になっている。

画像ー75 038-2
0.2トンくらい重みはあるのかもしれない?!

画像ー75 040-2
直ぐそばの屋根には、二次災害を起こしかねない‘雪の塊’が、今にも落ちそうに乗っかっている!

画像ー75 022-2
この雪の塊が何処から滑り落ちて来たのかを検証するために我が家とYさんのお宅が見える場所へ出てみた。

画像ー75 020-2
この写真から見ると、どうやら我が家の2階の北側の屋根から‘雪崩’の如く滑り落ちた雪が、一度1階の屋根にぶち当たって、1階の屋根に積っていた雪と共にYさんとの境界柵のYさん側に落下したものと判断される。

画像ー75 025-2
一方、我が家の南側にあるAさんのお宅の屋根の北側には未だ雪が滑り落ちずに残っている。

画像ー75 031-2
我が家の東南に当たるSさんのお宅の屋根の北側は既に雪は滑り落ちている。

画像ー75 043-2
車出し入れが出来なくなると、こんな田舎では不便だから、早速‘雪掻き’を始めた。

画像ー75 054-2
お陰様で、1.5時間の雪掻きで、我が家の前はすっかり綺麗になった。

画像ー75 053-2
此方は、我が家から左折をした道路である。ここも全部除雪したかったのだが、あんまり無理をしても今度は此方が‘いかれて’しまっては却って他人様にご迷惑と思って、その日の作業は打ち切ることとした。

画像ー75 056-2
Mさんのお宅の西向きの屋根には、まだ雪が残っている。これが落ちてきて頭に当たれば脳震盪は免れ得まい。くわばら、くわばら!

画像ー75 066-2
もう一度‘く’の字の場所を見てみた。気温も上がって来て‘つらら’から‘雨しずく’が落ち始めている。

画像ー75 103-3
拡大して見ると・・・、

画像ー75 078-2
今、正に‘しずく’が落ちた瞬間である!

画像ー75 079-2
此方も同じ!

余り芸術的とは言えないが、‘しずく’をキャッチ出来たのは初めてである!

雪が解けてしまったら‘く’の字の柵をYさんと一緒に‘人力’で元に戻すという力仕事が待っている!

(つづく)

[2013/01/16 16:21] | 気象 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
‘松の内’と成就山・蓮福寺
お正月の‘松の内’の期間が何時までかについては、諸説があるらしい。

http://kotobank.jp/word/%E6%9D%BE%E3%81%AE%E5%86%85
世界大百科事典 第2版の解説

まつのうち【松の内】

正月の松飾をしておく期間内のこと。門松や年棚の松は年神の依代(よりしろ)と考えられるから,松飾のある間は正月の年神祭が続いていると理解することができる。その期間は土地によって必ずしも一定せず,元旦から3日まで,あるいは7日,15日前後までとする所などがあるが,一般に松の内は短くなる傾向にある。しかし,4日朝の僧侶による寺年始までには門松をとってしまうべきだとする所でも,屋内の神棚の松飾や注連(しめ)飾をはずすのはそれより後だとする所が少なくないし,また3日など比較的早い時期に門松をとる所では,その穴の跡に門松の芯の小枝をとって少し挿しておく所が珍しくないことから,3日などではなく,7日もしくはそれよりも長い期間が本来の松の内ではなかったかと思われる。


そんな訳で、2013年01月13日、修理に出して久し振りに戻ってきた‘デジカメ’を携えて、三が日にお参りに行かなかった 蓮福寺 へ行ってみることにした。実は、蓮福寺に行きたいと思った理由はもう一つあった。

画像ー73 064-2
成就山・蓮福寺

千葉県茂原市千沢の或るポイントから‘富士山が見える!’という大発見をされたご夫婦のお陰で、このところ外に出ると「今日の富士山は?」と気になりだしたのである。

千沢から見える富士山は、8合目から上がやっと見える程度だから、本来の‘富士山の美しい姿’を茂原市から見るには、8合目以下を隠すように立ちはだかっている前景の向うに行ってみたら?と前からそう思っていたのである。

成就山・蓮福寺自身は、そんな高台にある訳ではないが、その背景にもなっている‘本納城址’は少なくとも‘100m’位の高台 にあり、多分上手くすれば‘本納城址’のどこからか富士山が見える可能性もない訳ではないと想っていたからである。

日本千葉県茂原市本納3101 蓮福寺 - Google マップ-30001-2
Google 地図:千葉県茂原市本納蓮福寺は、房総半島の赤丸・Aのこの地点である。

日本千葉県茂原市本納3101 蓮福寺 - Google マップ0001-2
Google 地図:蓮福寺の鉄道最寄り駅は、JR外房線・本納(ほんのう)駅である。( 本納は、‘ローマ字’で書くと`HONNOH’であるから、左から読んでも右から読んでも‘HONNOH'!)

千葉県茂原市本納3101 蓮福寺 - Google マップ-40001-2
Google 地図:千葉県茂原市本納

この中央が蓮福寺。その背景を構成している‘高台’が、‘本納城址’である。

千葉県茂原市本納蓮福寺0001-2
Google 航空写真:蓮福寺と本納城址

千葉県茂原市本納蓮福寺pdf-20001-2
Google 航空写真:本納城址

ここからなら、ひょっとすると‘裾野もある程度見える富士山’を拝むことが出来るかもしれないと思った、という訳である。

そんな訳で、先ず蓮福寺の裏に回って‘本納城址’へ向かった。蓮福寺へのお参りは、本納城址から降りて来てからにすることにした。

画像ー73 057-2
蓮福寺の境内を抜けて、それから先はキツイ登りである。それでも富士山が・・、という気持ちで少しも休まずに登った。結構ハードな坂道だったので、着ていたジャンバーもその下の上着も脱いだほどだった。

画像ー73 039-2
16:20 本納城址の石碑が建っている。直ぐに西側の断崖まで近づいて行ったが、残念ながら前面にもう一つ小高い丘があって富士山はこの本納城址からは見えない! でもまあ、楽しみは後日に残しておいた方が・・。今日これからもう少し西へ前進する気力はもう残っていなかったし、そろそろ16時半にもなろうかという時刻でもあったので、今日富士山を見ることは諦めた。

さて、この碑の裏面は? そして、本納城と蓮福寺との関係は?

画像ー73 040-2-2
極めて読みづらいが、多分、蓮福寺の入り口にある次の写真の内容と同じことが書かれているに違いない。

画像ー73 081-2
天正18年(1590年)に廃城となったというから、秀吉が刀狩りをした1588年から2年後ということになる。今から400数十年も前の事であり、それにしてはよく保存されている!

画像ー73 041-2
2013年01月13日16:21 房総半島太平洋・白子方面(東側)である。地平線近くに‘黒煙’が見える!
こりゃあ、ひょっとすると、先日と同じ‘火事騒ぎ!’?

望遠で撮ってみたのが以下の写真である。

画像ー73 043-2
更に拡大して見ると・・・、

画像ー73 043-2-2
先般の火事と比べれば、‘規模が小さい’! 多分火事ではないだろう。だいいち消防車のサイレンも聞こえない。
(14日の讀賣新聞朝刊千葉地域版には火事の記事は無かった)

画像ー73 046-2
石碑のそばにも桜がある。

画像ー73 047-2
この城址には桜の木が沢山あって、遮るものがないから日光に当たる時間も多いに違いない。桜のつぼみがもう膨らんでいる。

画像ー73 050-2
望遠で・・・。

画像ー73 050-3
更に拡大すると、つぼみが膨らんでいるのが判る。流石に房総半島である!

帰りに蓮福寺にもお参りせねばならないから、城址には10分程居て下ることにした。今度は少し楽である。

画像ー73 056-2
前出の‘Google の航空写真’にも見られるように、お墓が沢山ある。まだ空きが沢山あるという。

画像ー73 058-2
大伽藍が見えて来た。

画像ー73 060-2
この境内で一番素晴らしいと想われる‘永代供養’のお墓である。

画像ー73 062-3-2
このお墓に書かれた文字が実に素晴らしい!「無垢清浄光」とある。

画像ー73 063-2
ここに何故このお墓が‘永代供養’とされたかの由来が記されている。本納の経済発展にご尽力のあった「いせげん」という屋号で商店を営まれた‘秋山家’のお墓という。素晴らしいお墓である。

画像ー73 066-2
この鐘楼堂も時代ものである。

画像ー73 070-2
ここから‘参道と総門’が見える。この長さも見事である。およそ120m。

画像ー73 072-2
本殿と灯篭。本殿も修復が終わった直後のように見受けれられ、灯篭は建て替えられたばかりのようで、何だか出来たての寺院のように思われる。

画像ー73 077-2
階段を下りて参道を歩いて振り返ってみると本殿の位置が高いことが判る。

画像ー73 079-2
この大公孫樹(おおいちょう)は、樹齢420年という。

画像ー73 080-2
樹齢420年という事は、本納城が廃城になった頃に植えられたという事になる。その経緯は次の引用資料に。

http://www4.ocn.ne.jp/~renpuku/
蓮福寺由緒沿革

当山は顕本法華宗総本山妙満寺に属し、昔の上総10ヵ寺の1つである。寺伝によると土気城主酒井胤治により天正年間に創建され、日遊上人の開山と伝えられる。土気城方が本納城を攻略し、城主黒熊大膳亮景吉をはじめ多くの城兵の菩提を弔う為に当寺が建立されたという。
 蓮福寺の前身は詳細は不明だが、鎌倉本興寺棟札に確認できる本納寺と称されていた、日什門流の寺だと思われる。
 江戸時には幕府より御朱印領二十九石を預かり、本堂、鐘楼堂、総門、客殿、方丈以外に理円坊、常光坊、本光坊、本妙坊、実相坊、法性坊、守玄坊、蓮成坊、顕理坊、蓮如坊の十坊があったが、現在は本堂、総門、客殿、庫裏、宝物殿、鐘楼堂を護持している。
 顕本法華宗の教えは、釈尊より、日蓮聖人に受け継がれた正しい教えをそのまま素直に受け継ぐことである。これを「経巻相承、直受法水」という。

  
画像ー73 075-2
蓮見池。残念ながら‘臥竜の松’はない。420年の老松も見たかったが・・・。

画像ー73 082-2
その代わり、‘真っ赤な鯉’が泳いでいる。

画像ー73 084-2
もう少し近づいてみると・・・、

画像ー73 085-2
こんな鮮やかな‘真っ赤な鯉’は今迄にお目に掛かったことがない!

画像ー73 089-2
池のそばの何と言う木かは知らないが、その根元の‘苔’もまた素晴らしい!

画像ー73 092-2
これが総門である。内側から見たところ。

画像ー73 093-2
この屋根の‘突っ先’の付近に何だか意味のある‘瓦’が鎮座している。望遠で拡大して見ると・・・、

画像ー73 094-3-2
‘椿’の花を模った瓦の上に、何となく気品のある‘人形?’らしきものが乗っているように見えるが、果たして、これって、何?

画像ー73 095-2
これは総門を外から見たところである。

画像ー73 095-3
‘成就山’とある。何を成就しようとの願いなのだろうか?

画像ー73 096-2
城主及び戦士を弔うためのお寺だというから‘蓮福寺’という命名は判り易い。

画像ー73 099-2
16:47 総門を出て、本納駅方面へ。

成就山・蓮福寺を後にしたのは、冬至から少しずつ日没が伸び始めた16:50であった。本納村を中心に近隣を支配していた城主の本納城が戦いに敗れ、その供養のために建てられたというこの寺院、420年の歴史が脈々と受け継がれている。

僅か45分間ばかりだったが、茂原市の歴史の一部を覗かせて貰った気がした。

(つづく)







[2013/01/15 23:55] | 宗教 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
遂に来た、外房にも‘初雪’!そして、色々な出来事が・・・。
今日(2013年01月14日は、話題の多い日だった。

<1> カメラの話題でブログを書く積りだった。

実は、昨年(2012年)の暮れ(12月24日)に、我が家の‘デジカメ’が故障を起こしたので、修理に出したのである。‘フォーカスエラー’が表示されて、ピントが合わない!その上、レンズが出たままで収納が不能となったのである。

それが、昨日(1月13日)修理が完了したというので戻ってきたのである。
幸い保証期間内であったため無料だった!

デジカメ-2
デジカメ-3

ケーズデンキ茂原本店で受け取って、試し撮りをしたのが次の写真である。

画像ー73 038-2

係わりの無い人にとっては、何ら‘感動’する画像ではないが、私にとっては、このデジカメは、自分の分身であり少なくとも自分の本当の‘眼玉’よりも‘超高性能’な‘眼玉’であるから、これが戻ってきた事の感激・感動が大きいのである。

画像ー73 038-4

これは望遠ではなく、PCでトリミングを行なって拡大した写真である。

画像ー73 038-3

これも同様。

さて、それで、昨日(2013年01月13日)久し振りのカメラを持って、茂原市内の有名なお寺へ出かけた。

画像ー73 064-2
成就山・蓮福寺である。

と、ここまで書きかけた時に、‘初雪’だ!という。(13:25)<蓮福寺の続きは明日のブログで!>

<2> 初雪!

天気予報では、ここ千葉県茂原市では18:00頃にひょっとすると‘みぞれ(霙)’程度は来るかも知れないという事だったのに・・・・。

13;25頃から、みぞれが降り始めて、直ぐに雪に変わった。14:00頃には一旦雪は止んでしまっていたので、まあこれで終わりかも、と思っていたが・・・。

画像ー74 003-2
2013年01月14日14:48

我が家の2階から見たAさんの家の屋根にはもう積り始めている。

画像ー74 004-2
14;49

これを望遠で拡大して見ると・・・

画像ー74 005-2
14:49

Sさんのお宅の屋根にも積り始めている。

画像ー74 006-2
14:50

雪が降っているのがハッキリと判る。
それからしばらくはそんなに降ってはいなかったのだが・・・。

画像ー74 014-2
16:17

この時刻になって‘猛吹雪’になってきた!

画像ー74 021-2
16:19

望遠にして撮ってみると、その凄さが判る。

画像ー74 023-2
16:20

これは我が家の2階のベランダ付近である!

画像ー74 024-2
16:20

此方も凄いことになっている。ここに越してきて18年間、こんな‘猛吹雪’は初めてである!

画像ー74 027-2
16:53

我が家のテラスも雪に占領されてしまった。


画像ー74 043-2
17:05 NHKのニュースも雪に弱い東京の混乱ぶりを伝えている。

<3> 大相撲2日目

大相撲の初場所が始まっていたのだ! ここのところの大相撲の不人気で、ついうっかり初場所の初日を見逃していた。

画像ー74 075-2
17:48 (NHK・TV)

両横綱も連勝である。

画像ー74 077-2
17:49 (NHK・TV)

栃煌山も今日は大関を破った! 

<4> 成人の日

今日が成人の日である。

画像ー74 096-2
20:55 (NHK・TV)

立派な発言である。ひと頃のバカな成人式はどうやら影を潜めたらしい。

<5> 話題のNHK大河ドラマと福島始め被災地応援のための航空機

画像ー74 098-2
20:56 (NHK・TV)

NHKの大河ドラマも‘平清盛’が不出来だったために、今度の‘八重の桜’が新鮮で判り易くて素晴らしい!
このドラマの登場人物を描いた特別塗装の旅客機が登場するという。

画像ー74 102-2
20:56 (NHK・TV)

(つづく)
[2013/01/14 23:50] | 趣味 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
森繁久彌と飲尿療法
私の親友が 不眠症 で困っているという。眠れないというのは本当に辛い事の様である。体調の不良に繋がるからである。

下に示す通り、不眠症は、その症状によって4つのタイプに分けられるという。そして、一人で複数の症状を持つ場合が多いという。

不眠症
http://www.astellas.com/jp/health/healthcare/insomnia/basicinformation03.html

不眠症の人達には申し訳ないが、私は全く不眠症にならない。自分では絶対に不眠症にならないという自信があることもあって不眠症にならない。

不眠症になる人は、不眠症にならないという自信がないから、不眠症になるのだと思っている。人間には不思議な‘反作用’があって、これは人間の身体を安全にするために基本的に本能として備わっている機能でもあるのだろうが、自分の意思と真逆の行動をするように出来ている。このことを専門用語で何というのかは知らないが・・・。

絶対に起きていなければならないと思って気を張っているとついつい眠ってしまうものである。電車の中で居眠りをしている人は、この例である場合が多いのだと思われる。更に、見たいテレビ番組を絶対に見てやるぞと思って構えていてもつい眠ってしまって起きた時にはそのTV番組は終了してしまっているという事を良く経験することがある。

それは多分、眠るまいと必死に我慢している場合、大きなストレスが生じるために人間の機能として‘反作用’が起こってそのストレスを和らげようとするのではないかと思っているが、これは私が個人的に勝手にそう思っているだけであって、医学的・精神生理学的に証明されているのかどうかは知らない。交感神経・副交感神経の働きと無関係ではないものと思っているのだが・・・。

もしそれが本当で、そんな‘反作用’をする機能が人間に備わっているのなら、不眠症を治すには‘眠らないゾ!’と努力をすれば、ひとりでに眠れる事になる。きっとそんな単純なことではないかも知れないが、私はこれは試してみる価値はあると考えている。

眠ろう眠ろうとして眠れない状態に陥ってしまったことを‘精神生理性不眠症’というらしい。
 

http://kaimin.ynbms.info/2006/12/post_70.html
精神生理性不眠症とは、多くの方々が長い人生の中で一度は経験する「気になって眠れない」という状態のことです。つまり、最も一般的な不眠症であり、心配事や精神的ショック、種々のストレスによってもたらされる不眠のことをいいます。たとえば、旅行などに行って枕が違うために眠れないなどといった症状が当てはまります。

 ストレスが自分の中や周囲にある場合、脳や体はストレスに対抗しようと緊張と興奮の状態、つまり交感神経が優位になります。眠りの状態に導くためには副交換神経が優位になっている(リラックスしている)必要があるので、このような状態では眠りにくくなるのは当然のことなのです。

 精神生理性不眠症には、原因であるストレスや心配事が解消すると症状が改善する「一過性精神生理性不眠症」と、原因となるものが解消した後も不眠症状が長期間持続する「持続性精神生理性不眠症」とがあります。



飲尿療法で‘不眠症が治った’と御自分のブログ(http://blog.livedoor.jp/fortune_star_magic-sweetmemories/archives/51647429.html)に書いている方もおられるようだから、実験して見る価値は大いにある!

飲尿療法と言えば‘森繁久彌’というくらい森繁さんの飲尿療法は有名だった。

森繁久弥
http://www.7netshopping.jp/books/detail/-/accd/1102913479/subno/1
こんな題名の本があることは知らなかった! 何だかこの弊ブログの題名は、森繁さんから頂戴したような気にもなってきた!

http://oriharu.net/gabana_n/inori/Kokoro/nyo.htm
尿飲用療法

民間療法BOOK158頁

尿を飲む。聞いただけで、思わず顔をしかめる人が多いのではないでしょうか。しかし「長年苦しんでいた難病が完治した」という報告が続々と寄せられているのです。

 政・財界、芸能界にも 尿療法 の愛好者は多く、俳優の森繁久弥さんは特に有名で、自分で飲用するだけでなく、がんで惜しまれながちこの世を去った人気司会者の逸見政孝さんに、「がんが治る唯一の健康法を知っている。おしっこを飲むんだ。わたしもやっているが、ぜひやってほしい」とすすめたほどです。


まだ未使用とはっきり判っている‘溲瓶・尿瓶(しびん)’でも、それにビールを入れて飲むのも憚られるのだから、実際には相当の勇気がいるに違いない!

しびん
http://poetsohya.blog81.fc2.com/blog-entry-496.html

先程の文献には、次のように続けて解説してある。
 

http://oriharu.net/gabana_n/inori/Kokoro/nyo.htm
また注目すべきは、多くの医師が自分の病気の治療のために尿を飲用し、病気が完治したという報告があることです。『日本医事新報』に、有名な眼科医である藤原健さん(日本東洋医学名誉会員)が自分の尿療法体験を次のように書いています。

「一昨年の9月から私の右目に発した老人性網膜黄斑部変性が、点眼、漢方、キチン・トサンでも、上半部3分の1がやや明るくなっただけで止まってしまい、中心部の暗点の下3分の2が黒くなったまま、半年を経過した。これでいよいよ現代医学では不治となっている黄斑部変性にずれ込んでしまうのかとがっかりしていたのであるが、尿療法に踏み切ってわずか7日間、忽然と暗点も何もない視界が開けたのであった」

 福島県立医科大学付属病院の星野仁彦副部長は、直腸がんが大腸に転移し、さらに肝臓の2か所に転移して、たとえ手術しても5年、生存率0%という末期がんを尿療法と食事療法の併用で完治させています。東京多摩病院の松家豊院長は自身のボケ症状を尿療法で完治させ、国立岡山病院の皿田眼科医長が自分の健康維持のために尿療法を実践していることを公表しています。

 また尿療法が日本より、むしろ海外で注目を浴びているのは特筆すべきことです。台湾やインド、イギリス、フランス、ドイツなど多くの国で講演会が行われ、文献も多数発行され、実践されている方も多いようです。さらに、『旧約聖書』に登場したり、日本でも一遍上人ゆかりの療法であったことも伝えられています。洋の東西を問わず、古くから広く用いられている療法なのです。

 そんな中で、現在の日本で「尿療法」の効果と普及を提唱しつづけてきたのが、63年にわたる同療法での治療経験を持つ内科医の中尾良一さんです。中尾さんは、尿療法の抱える問題を次のように指摘します。

「まず、第一に世間一般の尿に対する嫌悪感、不潔感です。しかし、尿は大便と違って、口から食べたり、飲んだりしたカスが排泄されたものとはまったく違い、栄養を運んだ血液が腎臓でろ過されたものなんです。つまり尿そのものは血液の成分であり、無菌で飲んでも無害なんです。それどころか尿には多種の人体に有用な物質が合まれていて、その一部は取り出されて医薬品などに使われています。それに人間は胎児のときに、誰でも母親の子宮内で自分の尿を飲んでいるんですよ。また、もうひとつの問題点は専門の医師でさえ、尿療法に対して『医学的に証明されていないから、すすめられない』というくらいの認識しかないことです。しかし、病気や苦痛でのたうちまわっている患者を前にしたら、理屈なんかどうでもいいこと。その人の苦痛を取り去り、その人が抱えている病気から解放してあげることが大事なんです。正直なところ、尿療法は医学的な解明は不十分かもしれません。しかし、あらゆる病気が治る万能の治療法であることも事実なのです。体験がそれを証明しています。それだけで十分ではありませんか」

 では、なぜ尿療法はそれほど万病に効くのか。中尾さんは次のように考えています。

「尿は、その人の体内のすべての情報がインプットされているソフトではないか。尿がありとあらゆる病気や病状に改善効果があるというこれまでの事実から、尿は血液の分身として、個人個人の体内の情報を良いこと、悪いことを余さず知っています。また尿には多くの微量成分が含まれていて、ちょうど指紋のように、誰ひとりとしてまったく同じ組成の尿はありません。そして、尿の持つ情報が再び体内に取り込まれると、生理の活性化を強化し、人間が誰でも本来的に持っている自然治癒能力にはたらきかけるのです」

 中尾さんは、さらに続けます。

「健康な状態では血液(尿)内にはまったく存在しないか、ほんの微量が存在するくらいに対して、体内で生成されているある種の物質は、身体に異常が起きるとその物質が大量に増えて、その尿の変化が情報になるということです。反対に、健康な状態であれば血液(尿)内に大量あるいはある程度は存在している物質が、身体に異常が起こったために少なくなったり、まったく含まれなくなったりする状態変化も考えられます。

 また、尿内に排泄される物質も、身体が不健康になっていることを知って対抗するために、あるいは身体を健全に修復しようとして分泌された『有益な物質』が出ている場合が考えられます。逆に病原体や抗原が出す『有害な物質』が尿の中に出てくる場合も考えられます。もちろん、病気の種類や症状によって尿の中に出る物質そのものが違うだろうし、分泌する量が違うはずです。

 仮に、これらの有害物質が含まれる尿を口から飲んでも、これまでの数多くのデータから、病状を悪化させるのではなくて、体内で『ここが悪いからここを治す力を高めろ』という自然治癒力として、はたらいていると考えられるのです。健康なときに尿を飲んでいると健康の維持ができるのは、尿に含まれている微量活性物質が体内の活生物質の分泌を促すように作用しているのではないかと想像されます。自分の尿を飲みつづけることは、他人の身体ではない、ほかならぬ自分自身の身体の状態を何回も繰り返して教えて、身体の回復力を高めているといえるのです」

 尿が情報ソフトとすると私たちの身体の中には、それを解析するすばらしいハードが備わっている、と中尾さんは確信しています。

「カテーテルで患者の胃に直接注入しても何ら効果を示さないことから尿は薬物ではないと考えられます。けれど、体内においてがんに対して何らの抑制や治療の効果は認められない尿が、口から飲むことによって初期の病変は完全に消滅する事実は多数の症例によって明らかです。また尿でうがいをするだけでも飲用と同様の効果が認められるということから、飲用された尿が喉を通過するときに喉のどこかにその中に含まれている情報を読み取るハードがあって感知するのではないか」

 中尾さんがこれに関連して注目している研究があります。それは東京医科歯科大学の堀口申作名誉教授が、人間の鼻から喉の奥の部分(鼻咽腔)に諸病の原因があって、そこを治療すれば多くの病気が治るという研究を発表していることです。この研究と今までの治療経験から、鼻咽腔のある器官が尿の情報を感知するのではないか。つまり、人間一人一人の個別の情報をインプットされている尿は、飲用するときに喉を通り、鼻咽腔にあるセンサーに感知され、病気に侵されている場所が身体のどこであるかを全身に伝達して、自己治癒力をフルに発揮させて治癒する、というのが、中尾さんの仮説であるようです。

「現在、保険で使える薬は約1万種類ありますがそれぞれの症状に対してひとつずつの薬が必要になり、いわゆる薬漬けという状態になります。尿療法は自分の身体から出る情報ですから間違えて診断することはありません。不適切な診断による医療ミスや薬害もありません。さまざまな複雑な検査をする必要もありません。飲むだけで自分で自分の病気を的確に判断して、きちんと治してくれるのです」

まさに医者いらず、薬いらずの万能治療法なのです。このような革命的ともいえる治療効果に注目して、インターフェロンの発見で有名な、世界的なバイオテクノロジーの研究所である林原生物化学研究所が、本格的に尿療法のメカニズムの研究に乗り出しています。そして1997年メキシコのサカテカス自治大学ブラボ医師から画期的報告がもたらされました。喉のセンサーから視床下部、大脳皮質と伝わる感覚器経路が発見されたのです。尿療法の医学的裏付けはすでに最終段階に突入しているといえるのです。

好転反応

 尿療法を始めて間もなく、体調が悪くなったような反応が出ることがあります。こうした体内に一時的に起こる反動を 漢方医学や民間療法では「好転反応」と呼んでいます。温泉で長い間湯治すると、湯あたりをしたり、マッサージをしてもらうと、もみ返しがあるのと同じようなもので、心配はいりません。

 おもな「好転反応」としては、吹き出もの、下痢、微熱、患部の痛み、歯痛、頭痛、疲労感、倦怠感などさまざまです。また、期間も1~7日間くらいで終わる軽い人から1~3か月くらい続く長い人もいます。

 「好転反応」は字のごとく、症状が回復する前兆で、むしろ喜ばしいことなのですが、不快感を伴いますので、一時期(3日間ほど)尿を飲むのを中断して、体の反応が緩和してから、再開してください。たまには「好転反応」が一度だけで終わらず繰り返す人もいるようですが、幸い3回ほどで終わり、その後に「好転反応」が出てくることはないようです。

 尿療法についての問い合わせ先

〒143 東京都大田区山王1-7

MCL研究所


いやはや、ことほど左様に‘飲尿療法’(尿飲用療法)は、そう簡単ではないが、効果はあると確信して実行すれば‘害は無い’というから上手く行けば儲けものである。

(つづく)



[2013/01/13 03:42] | 健康と医療 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
宝くじと身につまされる年寄り川柳
2013年最初の 東京都宝くじ の抽せん会が1月10日にあった。先日ご紹介した通りである。

私が購入した10枚組の一枚を紹介した。番号そのものは、‘0’と‘1’の組み合わせだったし、組み番号や売り出し回数の数字を入れても‘0~3’のみの数字だったから、何となく新年の象徴みたいで‘当りそ~’と思った。

500mannenn0001-2

その夜、PCで当選番号を確認した。大当たり!である。200円だけ!

第2200回 東京都宝くじ 抽せん結果0001-2

ところで、宝くじで一等に当たる確率ってどの位なのだろうか?

こんな計算をきちんとやって呉れている御仁がおられる。

http://kakuritu.gozaru.jp/sub/fl2.html
KAKURITU HOMEPAGE0001

ついに来ました王道の年末ジャンボです、毎年買ってますが最高で3000円しか当たったことがありません、家の近くで一億円当たった方が居たんですが、夫婦の取り分で離婚してしまいました。やっぱりでかい運を使うと不幸になるのでしょうか?それでも当たってほしいかも

宝くじの還元率は48%です、どんな事業に使われてるのでしょうね?



一等の確率は、一千万分の一というから、10枚買えば、自分に当たる確率は、途端に百万分の一に跳ね上がる!20枚買えば、当然50万分の一になるから、これなら‘何となく、当りそ~’という気分になるのである。

20枚は、ジャンボの場合‘6,000円’である。これを50万回買えば、確実に‘一等’が当たる!

0.6万円 × 50万回 = 30億円 ( 300円×一千万回=30億円 と計算しても同じ)

一等の賞金は‘2億円’なのに、30億円かけて‘2億円’はおかしい?と思われるかもしれないが、確率の計算とはこんなもんである。これは、‘一等しか当たらない確率’であるから、30億円かければ、10%の返還は毎回ある訳で、3億円は‘確実に’返還されている。それに‘前後賞’があるからもう少し還元される金額は大きくなる。ただし、これらは‘確率’の計算外である・・・。

そしてこれは、一等が50万回後に当たる確率であるから、運が良ければ1万回の時に当たるかもしれない。

そうなれば、使う費用は、

0.6万円 × 1万回 = 0.6億円

‘たったの’0.6憶円で‘2億円’が当たる。その確率は、1/50 である。早ければ第1回目に当たるかもしれないのだ!と思って、確率の計算を細かくやればやる人程、‘当たるかも?’と思うものらしい!

こんな訳で、‘宝くじ’には皆が殺到する!

因みに、‘あそこの売り場では、何本も一等が出ている’という実績があって、如何にもその売り場の宝くじが当たりそうと思う人が多く、例えば有楽町の売り場等‘長蛇の列’である。当たる確率が売り場によって変わる等という事は‘確率’の世界ではあり得ない!

有楽町の売り場から一等が沢山出たのは、沢山売れたから‘確率’も上がっただけの話である。ただし、面白いことに、一時期に50万回の抽選をやれば、どの売り場も確率的にほとんど同じになるが、1年に何回かしか抽選は無いから売り場によって‘ばらつき・揺らぎ’の範囲で‘早い遅い’が出る。

有楽町の売り場が、その‘早い’方に当たっているのかどうかは、慎重に計算されなければならないが、計算されたとしても恐らく‘公表’はされないに違いない!何故なら、売上数が多ければ多い程‘確率’の計算に近づくから、有楽町の評判は‘落ちる’方に動くからである。

宝くじは、‘夢を買う’だけで、当たる人に‘寄付’しているという感覚でなければ買わない方がいい。確率は同じでも‘順番’という時間帯の中での‘揺らぎ’がある。みんなその‘揺らぎ’に夢をもっているのである。



話は違うが、もう稼ぎがない人達の集まりに関して、昨日、友人が或る新聞を送って呉れた。
その中に、身につまされる‘川柳’が載っていたので・・・。

① お互いの薬見せ合う同級会

② 我が財布札より多い診察券

2011y08m06d_0202591231 (1)
http://plcard.wordpress.com/%E8%A8%BA%E5%AF%9F%E5%8
8%B8%E3%83%87%E3%82%B6%E3%82%A4%E3%83%B3%
E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6/


③ 何故上がる血圧税金血糖値

③にはこれを付け加えないといけない。

「下がるのは歩く速さと年金だ!」

新政権、頑張って‘ちょう~だい!’

[2013/01/12 12:22] | 趣味 | トラックバック(1) | コメント(0) | page top
‘レイライン’の延長と疑問
昨日(2013年01月10日)の弊ブログでの‘レイライン’は、実に興味のある話である。‘仰天!’ものであるが、これの発展版があると同時に、‘日の出日の入りのソフト’(http://www.hucc.hokudai.ac.jp/~x10508/Srss2.html)を使わせて貰えば、色々興味ある事の検証が出来る。

例えば、自分の家と富士山とが日没時に‘レイライン’(ダイアモンド富士!)となる日時は何時か?について昨日のブログに示した通りの検証(3月9日)を土台として、その‘レイライン’は、日本の中の何処を通って中国大陸へ到達し、ヨーロッパの何処を通過してアメリカ大陸の何処へ到達するのかを‘発見’出来る。

今後暇を見つけてこの検証もやってみたいが、‘冬至’と‘夏至’とでその‘レイライン’はどう違って来るのか?も興味の対象である。

下の画像は、東京スカイツリーと富士山の‘夏至の日’の‘レイライン’の延長線上に一体どんな遺跡や建物等々があるかを‘検証’したという画像である。

c0119160_2315101.jpg
http://rolingwest.exblog.jp/16235476


最も力強い生命力を与える夏至の太陽の動きを、「高千穂」からスタートすると「剣山(四国)」⇒「高野山」⇒「吉野山」(奈良)⇒「伊勢神宮」⇒「富士山」⇒「明治神宮」⇒「皇居」、最東端がまさに「鹿島」。高千穂から太陽が昇る日の出方向を求め、日本人はレイライン(太陽の道)に聖地を造ってきたのかも・・


とのコメントがある。

少々面倒なことになってきた!

‘日の出日の入り’のソフトを使って、夏至(6月22日)における高千穂峰の日の出時刻(05:04)の朝日の方角を計算すると、「剣山(四国)」よりも遥か約40km南の四郎ヶ野峠辺りから登る太陽を拝む計算になる。

詳細な計算と図面については後日掲載の予定であるが、どうやら‘一直線’を地図に引いた線上を‘太陽の出’とする考え方と実際の太陽のその場その場での日の出の方向が異なるのではないかと思い始めた。

その根拠は、‘レイライン’の言葉の語源にある。

‘日の出・日の入り’という現象から、‘レイライン’の考え方が生まれたのなら、‘レイライン’の語源は、

‘ Ray Line ’でなくてはならないし、きっとそうだろうと思っていたが、実はそうではなく

‘ Ley Line ’( Ley line )が語源であるという。

‘ leyline ’という単語は、少なくともCASIOの‘EX-word ’が採用している「ジーニアス英和辞典」には出て来ない。

‘ ley ’は、‘牧草地’と書かれている。

つまり、一般的に「‘レイライン’という現象」の日本語の‘語源’は、‘ ley line 'が正しい。

では、その‘ ley line ’とは:

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A
C%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3


レイライン(ley line)は、古代の遺跡には直線的に並ぶよう建造されたものがあるという仮説のなかで、その遺跡群が描く直線をさす。レイラインが提唱されているケースには古代イギリスの巨石遺跡群などがある。レイラインの存在は1921年にイギリス人のアマチュア考古学者アルフレッド・ワトキンス(en:Alfred Watkins)によって提唱され、その著書『The Old Straight Track』(古い直線路)によって遺跡の直線的配置性が世間一般の注意を引きつけることとなった。
<中略>

地図に引ける線は全てレイラインと呼べるか [編集]

地図上を眺めればそこにレイラインが浮かび上がってくることは、多くの人が賛同できるだろう。レイラインについて提唱されている古代の魔術的理論の信奉者、そしてそれに対する懐疑派どちらもが巨石群や遺跡をつないだ線が見えうるということには同意している。
懐疑派の多くは、ランダムに点描してもレイラインらしく見える直線が引けるという意見と、地図上に直線が見えることは矛盾しないし、矛盾しないが故にこの直線を別な方法で説明する必要もないと考えている。混沌魔術師にはこの統計学的なアプローチと矛盾しない思想を持ち、自身の自然発生説と調和が取れていると主張する者がいる。しかし、多くは上記のような統計学的アプローチは地図上に見える事実をきちんと説明できなければならないと考えている。詳細な検討は仮説検定、反証可能性、オッカムの剃刀に詳しい。
レイラインという並びの偶然性の真偽を議論するうえで、"直線"というものの定義を精確に行うことは有意義だ。ワトキンスのレイラインの精確な定義として一般に受け入れられているものとして以下が挙げられる[4]。

<中略>

論争 [編集]

レイラインと呼ばれているものは遺跡が偶然そう見えるように並んだ結果に過ぎないという、レイラインを認めるうえで否定されなければならないこの仮説を裏付けるために提唱されている前述の理論は、実のところレイライン説を否定する的確な説だというわけではない。しかし、懐疑派の人間に、ランダムに点を打ち直線を引いてみるあのテストに裏付けられた主張は現実に見受けられるレイラインの存在の前に否定されてしまう、と考えさせるにいたってもいない。
懐疑派の大半は、もし伝説や逸話などではなく、物理的な、つまり地磁気の存在だとか考古学的な検証だとかがレイライン上にあるのであれば、自らの懐疑的な立場を再考してもいい、と思っている。しかし懐疑派はこうした疑う余地のない証拠というものをレイラインは持ち合わせていないだろうと考えている。
レイラインについては幅広い信仰や理論があるが、それらの多くは反証可能でなく、基本的に科学的な検証方法に則っていない。中にはレイラインが科学的な根拠をもちうると主張する人もいるが、そうした説は大半がレイラインに関心のない人や積極的に否定説を唱える人々の唱えるものである。

学術調査 [編集]

レイライン説についての検証の中では、レイラインが通る地点のいくつかでは地磁気の影響が平均値よりも強いと言われている。こうした説は『Places of Power(力ある場所)』(en:Paul Devereux著、ブランフォード社1990年発行)と『Lodestone Compass: Chinese or Olmec Primacy?(磁鉄鉱のコンパス:中華文明やオルメカ文明の卓越した技術か?)』(John B. Carlson,サイエンス,1975)に詳しい。


つまり、信頼出来る‘ Wikipedia ’の解説の中には、‘太陽の軌跡’との関連は、コレッポッチも出て来ない。
単なる‘地図上’での直線に過ぎない! この地図上の直線と太陽の軌跡とは大違いであることを認識するなら案外簡単に解ける問題かもしれない。

昔から、地球の‘南北’は、‘定点’として定義付けがされているが、‘東西’は、‘定点ではない!’

コロンブスは、‘西へ向かった’のではなく‘西へ西へ向かった’のだ という。この意味が理解出来ないとどうやら、‘レイライン’の正解には辿りつかないものと思われる。西や東は、その場その場で方向が違うのである。ご存じの通り
北極や南極では西も東もない!

次回ゆっくり解説を試みる積りである。

次のような文献も検討したい。

daisen-fuji.jpg


http://www.geocities.jp/yasuko8787/80621.htm
千葉県外房の上総一ノ宮にある玉前神社では、真東を向いた参道から登った太陽の光が参道と一の鳥居二の鳥居を突き抜けて、西へ向かっていく。その光は、東京湾を渡り、寒川神社へ達する。
さらにその先、富士山頂、日蓮宗の聖山である七面山、琵琶湖竹生島の弁財天社、大江元伊勢のご神体山である日室岳(城山427.3m)、中国地方の名山大山の大神山神社、そして、出雲大社と本州を横断していく。

地図に引かれた赤い直線を見ながらこの解説を読めば、これは凄いと感じる方もいるのでしょうが、地球は平面ではないので、直進する太陽光線によってこんなことは起こりません。
内田氏は、<「レイ」とは「光」のこと。光が一直線に進むように、聖地を刺し貫くことからそう呼ばれた>と解説していますが、leyは(牧)草地.で、一条の光, 光線はrayです。

もしかすると、レイラインに関する内田氏の解説は、「l」と「r」の発音の区別に弱い日本人らしい誤解に基づくものかもしれません。

太陽の当たり具合の違いから、季節が逆になっている北半球と南半球では、昼と夜の長さも逆になっています。

春分と秋分の日は、このように食い違う北半球と南半球の昼と夜の長さが入れ替わる境目の日です。

すなわち、春分と秋分の日は、夜と昼の境界線が、ちょうど北極と南極を通る経線に一致する日です。

それゆえ、この両日に限って、経度が同じ地点では日の出の時刻が一致します。

けれども、日本一高い富士山でも、地上でそれが見える限界距離は335kmなので、遠距離になると、緯度が同じ地点であることと、太陽が演じるドラマとは、無縁になるはずです。


(つづく)
[2013/01/11 14:52] | 仰天! | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
富士山・東京スカイツリー‘レイライン’の検証
富士山・東京スカイツリー‘レイライン’の検証

この検証に当たっては、‘WEB’でその方法を調査したところ、正に‘ドンピシャ’のブログを発見!
それが以下のブログである。鹿島神宮が、下津海岸北に変わっているだけである。

実に見事な‘作品’であるので、そのまま転載させて戴くことにした。原本は、URLをクリックのこと。

http://chizuz.com/map/map78187.html
ナビゲーション
距離188.315km

① 富士山

② 明治神宮

③ 皇居北の丸公園

④ 東京スカイツリー

⑤ 茨城県鹿嶋市下津海岸北側(鹿島神宮付近の海岸)





powered by 地図Z

http://chizuz.com/map/iframe/iframe_h.php?id=78187&w=475&h=475

http://chizuz.com/map/map78187.html
富士山と東京スカイツリーを結ぶ‘レイライン’です

富士山・山中湖畔・宮ケ瀬湖畔・横浜線矢部駅・小田急多摩線栗平駅・京王井の頭線新代田駅・小田急線東北沢駅・明治神宮・国立競技場・皇居北の丸公園・秋葉原駅・都営大江戸線蔵前駅・都営浅草線本所吾妻橋駅・東京スカイツリー・総武線小岩駅・京成線江戸川駅・武蔵野線市川大野駅・新京成線初富駅・成田線小林駅・鹿島線延方駅・鹿島神宮境内北端 の付近を通ります。




画面の‘航空写真’と‘縮尺’を操作して、スクロールすれば、‘レイライン’が何処を通過しているかが静止画で確認出来る。ついでにスクロールして‘自宅’の映像を見てみるのも一興。



冬至のレイラインの検証について

只今、計算中であるが、途中経過を言えば、富士山と東京スカイツリーが日没時に直線上に乗る‘レイライン’は、冬至の12月22日ではなく、11月13日(16:33)である。

<データ>

データについては、

日の出・日の入り、月の出・月の入り、時刻と方位の計算 
http://www.hucc.hokudai.ac.jp/~x10508/Srss2.html
のソフトに入力して、データとした。

2013年12月22日(冬至)の場合

2013010918020000-2.jpg

東京スカイツリーでの日没時刻は、16:29である。しかし、夕日は富士山を外れ‘愛鷹山’の方に沈んで、富士山との‘レイライン’を作らない。


2013年11月13日の場合

2013010914210000-2.jpg

東京スカイツリーでの日没時刻は、16:33である。富士山ときちんと‘レイライン’で結ばれてい
因みに、我が家と富士山が‘レイライン’で結ばれるのは、3月9日の日没時(17:38)である。

2013年03月09日の場合:

2013010915190000 (1)-2


(つづく)
[2013/01/10 00:00] | 仰天! | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
お年玉の‘額’に異変あり!
お年玉の‘額’に異変あり!

こんな‘ユーモア’に久し振りに出会った。‘ユーモア’とは、上品な洒落やおかしみのこと。諧謔とも。

私は前から、‘ユーモア’とは「こんなおもろい事‘あなた、もっと’」という解釈をしていると言い触らしてきた。

以下の洒落は、今年最高の‘ユーモア’ だと思う。これ以上の奴は今年中にはもう出ないだろう、と思われるくらい素晴らしい!

【思わず笑う】みんなのおもしろ「お年玉」画像【2013年版】 - NAVER まとめ0001
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1301/07/news099.html
ログイン数が、昨日(2013年01月08日)午前10時現在で、15万を遥かに越している。それが正に凄さを物語っている。

みんなのお年玉はどうだった? 2013年度おもしろ「お年玉」画像 - ねとらぼ-20001
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1301/07/news099.html
この画像より下の画像のものは、お金の桁数を上げるものであり、それなりに凄いが、この‘一ひねり’が素晴らしい!
お年玉をあげる方が‘野口さん’だったら、その凄さが倍増する。

【思わず笑う】みんなのおもしろ「お年玉」画像【2013年版】 - NAVER まとめ0001-2
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1301/07/news099.html
この発想が素晴らしい! これには気付かなかった!

【思わず笑う】みんなのおもしろ「お年玉」画像【2013年版】 - NAVER まとめ0002
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1301/07/news099.html
アナロジーから当然‘一億円’もあり得るのだ!

500万円札2013010809530001
私も思わず‘500万円’を創ってしまった! 折り方一つで‘3桁’も価値(?)が上がってしまう!

これに早く気付いていれば良かったと‘一寸悔しい’気分である。来年には通用しない!残念!残念!

ただし、私には‘内緒の’お宝がある!

500mannenn0001-2

明日が抽選日なのである!

どうです、数字は‘0、1、2、3’だけ!なんとなく当たりそ~!

連番で10枚購入。200円以外が当たれば、御報告をさせて頂きやす! これで‘内緒’ではなくなった。

2013010816290002-2-2.jpg
2013年01月08日16:29 (携帯電話で撮影)

千葉県茂原市千沢のいつもの散歩道から見た夕日である。これも‘天動説’で言えば‘お年玉’と言えないこともない!
[2013/01/09 00:00] | 仰天! | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
外房からの富士山と‘レイライン’
2013年01月06日の讀賣新聞千葉地域版に次の記事が掲載された。

新聞・富士山-2

この記事には、外房(?)の千葉県成田市猿山という地名の利根川沿いの土手から富士山と東京スカイツリーが同時に撮影されたとある。そして元旦というおまけまでついているお見事な写真である!

私の方も、有能な友人ご夫婦のお陰で、18年間もの間思いつき・気付きもしなかった‘富士山’を‘発見’して頂いて、散歩の日には必ず外房の千葉県茂原市千沢から富士山を見ることにしている。

画像ー69 026-2
2012年12月12日16:48 茂原市千沢・赤目橋からの富士山。ただし、毎日こんな風に見える訳ではない。

画像ー69 026-4
同上のトリミング・拡大写真

さて、新聞に掲載された飯島昇さんの写真は、千葉県成田市猿山という場所から撮られた写真であるから富士山と東京スカイツリーが‘ダブって’一直線上に並んだために両方が一枚の写真に収まったのであるが、茂原市からでは、いくら頑張っても、残念がら富士山と東京スカイツリーを一枚の写真に撮る訳にはいかない。

いろいろ調べて見ると大変面白いことに気付いた人が人がおられる。

‘レイライン’という範疇の話である。

富士山と東京スカイツリーと鹿島神宮と皇居と明治神宮とが一直線上にあり、しかも‘冬至’の日には日没がその直線に重なるというから、‘ピラミッド’クラスの話である。

以下にそのブログを全面掲載させて頂いた。

http://blog.livedoor.jp/hime12201/archives/52043801.html
May 14, 201114:54

東京スカイツリーが”レイライン”の上に!

当ブログの管理人のイヴォンヌです。

これからもよろしくお願いいたします。
=======
今回は、今建設中の”東京スカイツリー”を通る「レイラン」についてご紹介。


0ee94829 (1)
http://blog.livedoor.jp/hime12201/archives/52043801.html

このレイランとは:

●鹿島神宮からはじまり、
●東京スカイツリー
●皇居
●明治神宮
●富士山まで通っています。

★東京スカイツリーが、どうして唐突に下町浅草の一角に建設されることになったのか? 地図でその立地を見ていくと、その謎が解明される不思議な関連性が見えてくるといいます。

★大和朝廷の東国征服の最前線ポイントとして築かれた鹿島神宮は、関東地方の主要レイラインのハブとなっています。その鹿島神宮から見て、冬至の入日は富士山に沈む形となっています。

★神社としては異例な西南西を向いた参道は、正確に富士山=冬至の入日の方向を指しています。そして、その参道を延長していった先には、江戸城(皇居)、赤坂迎賓館、明治神宮と並んでいます。

★東京スカイツリーの立地を見ると、このライン上にあるのです。

★東京=江戸のレイラインといえば、もっとも有名なのは、徳川幕府開幕の後ろでブレーンとして絶大な影響力を持った天海僧正が仕掛けた日光東照宮と江戸城を結ぶラインや、寛永寺・目黒不動の鬼門・裏鬼門ライン、さらに五色不動の配置などが目立ちますが、じつは、江戸時代だけでなく、近代から現代に到るまで、レイラインや風水が都市計画に生かされている例が多いのです。

★鹿島神宮と富士山を結ぶ、冬至の入日のラインは、昭和初期に建設された小田急線もこれをはっきりと意識しています。下北沢から狛江にかけては10kmあまりの直線区間になっているが、これがまさしくこのラインにぴったり載っています。

★小田急創業者の利光鶴松は、大分の出身で、上京した当初は日光で鉱山開発を行っていました。その事業が捗々しくなく、鉄道事業に転身して小田急を創業します。その際、はじめは今の直線路をそのまま北東へ伸ばして、皇居の下を地下鉄として通す申請を出していたといいます。ところが、地下鉄案は運輸当局に却下され、新宿へと大きく曲がる路線となりました。

★東京スカイツリーは、利光鶴松が、当初構想していた皇居を突っ切って、東へ伸ばしたまさにそのポイントにあります。

★こうしたマジカルともいえる都市工学が実現されているのは、いったいどういうことなのでしょうか?

・・・ということは、東京スカイツリーができたら、あそこに行って、富士山に向かって拝むといい事あるかも?!そうしたら、私は近所なので、毎日拝みにスカイツリー行くんだけどv( ̄∇ ̄)v

今後のこうした研究・発表から目が離せませんね!



いやいやこんな偶然があるのだろうか?

それとも上記引用のブログ管理者が仰せのように‘計算されつくされた’配置なのだろうか?

やはり‘ミステリー’である!

次回は、Google 画像からその本質を検証してみたい。

[2013/01/08 01:54] | 趣味 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
原発‘再稼働’を巡る苦渋の選択
昨日(2013年01月06日)の讀賣新聞朝刊の第一面トップ記事を見て驚いた!

何と言う数字だろうか? 目を疑った。

新聞・原発-1-3

福島原発30km圏内にある自治体の首長さんの54%が、何と‘再稼働’容認という!

全国民を対象にしたアンケート調査で、容認が過半数を超えたこと(昨年12月)にも驚いたが、直接被害を被った地域の首長さん達の認識がこうとは誰も想像がつかなかったのではないかと思ったが、そうではないのだろうか?

そこには、やはり‘個人の意見’とは違う‘責任者’としての苦渋の選択があるのだろうか? 読売新聞の解説は次の通りである。

新聞・原発0003-2

その自治体の内部事情は、やはり‘それでも、経済発展と雇用問題だ!’と突きつけられると、謂わば‘部外者’たる我々は、責任もって‘原発再稼働反対’が叫べなくなってしまうのだろう。

‘建前や論理やロマンや希望’は、この現状を打破出来ないのだろう。やはり、原発でエネルギーを賄う事を決定する際の‘事前調査手法’や‘決定の方法・手段’に大きな欠点があったと指摘する以外にコメントは出せない。しかし、このコメントを出しても現状の問題解決にはならない。

①「‘二の舞’は許してはならない!」

ということと、

②「一刻も早く復旧・復興の速度を速めること」

である。

地震国であるという認識が如何にも甘過ぎる!

核分裂での悪影響を知りながら‘平和利用’を訴える矛盾、まだ人類の技術はそこまで到達していないことを認識すべきである。

それにしても、私はまだ

③「‘核融合’でのエネルギー供給へ 」

の議論を政治家(屋)がしているのをTVで見たことがない。

何故、この‘核融合原子炉’の議論が国家を預かる政治家(屋)間でなされないのだろうか?

勿論、核融合原子炉の専門家(某大学教授)に聞いてみると、実用化は40~50年後という返事が返って来る。
‘高温のプラズマを安全に閉じ込める技術’が未完成という事のようだが、ヨーロッパもこの核融合に期待しているという。

宇宙のエネルギーは、‘核融合’反応で得られるエネルギーであることは周知の事実である。

我々に最も身近な‘太陽エネルギー’も当然‘核融合’反応のエネルギーである。

このことを考えても‘自然エネルギーの元’は、核融合エネルギーであることは明々白々である。地球が誕生したそのエネルギーも、元をたどって行けば‘核融合反応’に辿りつく!

将来のエネルギーを‘原発’に依存するのはやめにしようという議論は、‘原発’の定義を‘核分裂原発’と限定した場合にのみ‘正しい’のである。

‘核融合原子炉’を知らないでの‘原発’反対は、‘無謀・無能・無策’というものである。

次回は、「安全な‘核融合原子力発電’の現状」についての調査結果をこの弊ブログに載せたい。



さて、話を現時点の由々しき問題に戻してみると、

個々人は、多分90%以上の人達が‘自分の生活’や親戚まで或いは自分の職場までの範囲での事を考慮しての意見を言うに違いない。特に日々の生活に直結する問題については、国家全体の事についての意見どころではないのも事実に違いない。

しかし、その自治体の最高責任者は、‘選択’を迫られる。全員が満足する答えは‘原理的に’見つからない。その意味は、‘誰かが犠牲になる’という事である。

この‘選択’程難しいことは無い。

さて、首長さんは今後‘条件つき’のその条件に何を要求すればいいのだろうか?

犠牲者の最も少ない方法を‘選択する’以外に道は無い。これまでは‘危険’とは知りながら、まあ自分のところには、まさか‘原発の深刻な被害’は来ないだろう、それよりも補助金や優遇政策に乗った方がいい、という謂わば‘安易な’考え方での原発誘致だったのだろう。

でも、これだってそう簡単に‘非難する’事は許されない。それはそれで、その時その時で住民の‘危機’は、それなりに‘救ってきた’のだから・・・。

これは、日本国だけの問題ではない。

どうか知恵者が出てきて、もう少し納得のいく‘正解に近い答え’を出して貰いたいと願うばかりである。
[2013/01/07 11:50] | 原発問題 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
‘火事の現場’を見た!
昨日(2013年01月05日)千葉県・東金市の或るスーパーでの買い物帰りに、巨大な‘黒煙’が雲にまで達していることに気付いた!

方角は我が家の方向であり、距離的にもそのスーパーからおよそ8~10kmと思われた。我が家はおよそ10kmである。

一瞬‘竜巻’?とも思ったが、強風でもなかった。多分火事だろうとも思ったが、少々規模がでっかい。
方角も距離も我が家と一致しているが規模が違う事で一安心して帰り始めたが黒煙は収まるどころか益々勢いを増しているようにも見える。

5km程行った所に田舎には風流な名前の‘柳橋’という三叉路交差点がある。ここまで来た時、我が家ではないことがハッキリと判った。方向が一寸だけ違う。胸をなでおろした。この時の時刻は、15:45頃だった。

そうとなれば、今度は俄然‘野次馬根性’が頭をもたげて来た!いい気なもんである。運転席にはカミサンが私は助手席である。後部座席には中学3年生(♂)の孫が乗っている。‘リアルな火災現場は初めて’という孫の言葉に乗せられたこともあって、普段は柳橋交差点を‘右折’するのだが、‘左折’することにした。ただし、現場近くへ行って消火活動を邪魔するようなことが感じられれば即刻現場から離れるという‘3者合意’の基に左折したのである。

田舎の事だけあって、住宅が街道筋に立ち並んでいる訳ではない。火元は田圃を通して丸見えである。携帯で撮った写真が以下の画像である。

2013010516000000.jpg
2013年01月05日16:00 まだ野次馬もそんなに来ていない。消防車にも一台しかすれ違わなかった。

2013010516130001 (1)
2013年01月05日16:13 段々野次馬の車が集まってきた。火の手は少しは弱まったように思われる。我が家はもう1.5kmのところである。因みに、ここからのアングルは、もう一つ前の写真からすれば‘黒煙’を挟んで丁度トイメン側からの画像である。

孫は、携帯で火事現場を調べ始めたが、直ぐに田辺房吉商店・茂原農場だと言い当てた。我々は‘養鶏場’だろうと推察出来たが、この養鶏場の名称は知らなかった。

実は、この場所は、冬場には余り行かないが、夏場にはさわやかな田圃道を通ってちょっと長めの散歩道として利用させて貰っている御近所なのである。我が家からは直線距離で約2km程度のところである。

千葉県茂原市御蔵芝 田辺房吉商店茂原農場 - Google マップ0001-2
千葉県茂原市御蔵芝 田辺房吉商店茂原農場

Google の映像で

田辺房雄商店茂原農場・グーグル-2
この‘火災前’の映像は、上の地図と比較すると110度程‘左回転’している。左方面が‘北’である。地図上の農場の建物のレイアウトは実際の画像と大分違っている。

地図我が家ー3
地図上、画面上の赤丸Aが火事現場で、画面下中央の赤丸が我が家。

Google の映像で

直線距離1.97km-1-2


本日(2013年01月06日)の讀賣新聞・千葉地域ページには、下の写真に示す通り、右下に小さくその記事が出た。
新聞・火事-1-2

拡大したのが下の記事である。

新聞・火事-2-2

20万羽の鶏は残念だったが、人間にけが人が出なかったのが不幸中の幸いである。

本日、孫を駅まで見送りに行って、その足で昨日の火災現場を見に行った。消防車も一台来ていたし、まあ野次馬というより何らかの関係者か或いは心配になった人達の車なのだろうか、数10台の車とすれ違った。普段は車の通りと言っても10分に一台くらいなのに・・・。
2013010614150000.jpg
2013年01月06日14:15 昨日の火事で焼け崩れた田辺房吉商店茂原農場
この写真は、Google 画像の下の部分に見える‘道’の中央から、Google 画像の上部を狙って撮ったものである。
因みに、この写真の工場の手前の田圃には、‘ひこばえ’が刈り取られずに残っているのが判る。

20名近くの従業員がおられて、尚且つ昼間の火災である。原因は一体何だったのだろうか?このところの寒さで鶏舎だって暖房設備はあったのだろう。

それにしても火災は怖い! 我が家も他人ごとではない。今後十分なる注意が必要である。

[2013/01/06 23:55] | 仰天! | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
語源探し(その7):‘お年玉’
お年玉の風習 は、その意味もその存在意義も理解してはいるが、一体どんな理由で‘年の玉’というのか?‘玉’とは何?という疑問が残っていた。また何時ごろからこの風習は始まったのだろうか?更に、諸外国ではこんな風習はあるのだろうか?

otoshidama.jpg
http://blog.goo.ne.jp/themesalon/e/23b648fad7aba585c4313a3675878b4b

‘Wikipedia’には、次のように解説されている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E5%B9%B4%E7%8E%89

お年玉(おとしだま、御年玉)は、正月に新年を祝うために贈答される品物のこと。単に年玉(としだま)ともいう。現在では特に子供に金銭を与える習慣及びその金銭の意で用いられている。年末に贈られる歳暮と異なり、目上の者が目下の者に贈るのが特徴[1]。子から親への新年祝などの場合には表書きを「お年賀(御年賀)」とする。

概要 [編集]

これをもって年の賜物(たまもの)であるとして「としだま」という名がついた という説があり、また、古くは餅玉を与えたために「年玉」の名前がついた との説もある。

「たま」とは、「たましい」のことであり、「としだま」とは新年を司る年神への供え物の下げられたもののことであると民俗学的には説明される。供え物には祀った神霊の分霊が宿るとされ、それを頂くことにより、人々は力を更新して新たな一年に備えるのである。

年玉の習慣は中世にまでさかのぼり、主として武士は太刀を、町人は扇を、医者は丸薬を贈った。

日本国以外のお年玉 [編集]

旧正月に子供に金銭などを与える風習はアジア諸国でも見られる。中国では「圧歳銭」と呼ばれるが、これは中国語で「歳」と「祟」が同じ発音であり、年始に大人が子供に金銭などを与えることで子供を襲う祟りが抑えられ、その一年を平穏無事に過ごすことができるという民間信仰から来ている。


ume-b.jpg
http://www.mizuhikiya.com/shopping/shugi-poti-ume.html

更に別の文献では、お年玉の‘相場’について、調査の結果が示されている。

http://www.zoto.jp/mame/otoshida.html

お年玉について

「お年玉」の語源は、古来の風習であった年神様に奉納された鏡餅を参拝者に分け与えた神事からきているといわれています。鏡餅は元々鏡を形どったものであり、魂を映すものと言われていたことから「魂=玉」とも言われていたようで、年神様の玉ということから「年玉」、神様のお下がり物だから「御」をつけて「御年玉」と称され、これをいただいた参拝者でもある家主が家族や使用人に砕いて半紙に包み分け与えたのが「お年玉」の起源ともいわれています。

その後、正月の訪問時に「御年始」「御年玉」と称して、贈答物を持参することがさかんになり、形を変えて家人への贈答物を「御年賀」「御年始」とし、子供達へのおみやげとして持参したものを「お年玉」と使い分けるようになったともいわれています。

豆知識<お年玉(おとしだま)・ぽち袋・祝儀袋>

お年玉袋を「ポチ袋」とか「祝儀袋」ともいいますが、その語源は僅かとか心ばかりという古い 関西弁の「ぽちっと」、関東弁の「これっぽち」という言葉からきていると言われています。 小銭(僅かなお金)を入れる袋であることから「ポチ袋」、祝儀を包む袋であることから「祝儀袋」 と言われるようになったようです。

お年玉をあげる年齢

お年玉をあげる対象の年齢には、きまりや制限はありません。誰にあげるかはあげる側の気持ちによっても異なりますが、お金の価値を知らない幼児や大学生にまであげる必要があるかどうかについては、あげる対象の子供の年齢ではなく、その子の父母や祖父母などの家族との「お付き合い関係の度合」によって判断するのが一般的な考えのようです。また、子供が年老いた父母に「お年玉をあげる」という習慣も各地にあるようです。

お年玉の相場

お年玉を幾らにするかについても、無論きまりや制限はありませんが、昨今では親同士や親戚同士で「年齢ごとの額」や「幾つから幾つまでの年齢を対象にするか」などを、事前に話し合って決めておくケースが多いようです。自分の子供が貰ったことへのお礼の必要性から、親の目の前で子供に手渡してあげるのが礼儀と言えます。お金の価値がまだ良く分らない幼児にあげる際は、子供さんの名前を告げて親御さんに渡してあげましょう。


ご贈答マナー【お年玉】0001-2

これで、お年玉の意味も‘玉’の意味もそして中世時代から始まったことも、アジアでもこの風習があることも判ったし、その相場まで判って我々の行為が常識的であったことも判明した。

子供達が年老いた父母に「お年玉をあげる」という風習があることも判った。この場合の‘相場’は、是非前出の表の10倍程度を望みたい!

そうなれば、え~と、一人からあれだから、三人だとえ~と、お~い、大分になるぞ~!



[2013/01/05 01:10] | 言葉の威力 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
橘樹神社と御神籤について
毎年元旦には、市内の‘橘樹神社’(たちばなじんじゃ)へ初詣に出かける。ここは規模はそう大きくはないが由緒正しき神社である。

橘樹神社
http://nobyama.com/tachibana_album.htm
橘樹神社の一の鳥居

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%98%E6%A8%B9%E7%A5
%9E%E7%A4%BE_(%E8%8C%82%E5%8E%9F%E5%B8%82)

橘樹神社(たちばなじんじゃ)は、千葉県茂原市本納にある神社。式内社、上総国二宮。旧社格は県社。神紋は「橘」。
古くは「橘神社」・「橘木神社」とも記された。現在は「橘樹」の2字で「たちばな」と読む。

祭神 [編集]

主祭神
弟橘比売命 (おとたちばなひめのみこと)


相殿神
日本武尊 (やまとたけるのみこと) - 弟橘比売命の夫
忍山宿禰 (おしやまのすくね) - 弟橘比売命の父


概史 [編集]
社伝では、日本武尊が東征した際、相模から上総へ渡ろうとした時に海上で暴風に遭った。弟橘媛が海に身を投じて日本武尊の難を救ったことから、日本武尊が弟橘媛の御陵を作り、弟橘媛の櫛を納めて、橘の木を植えて祀ったのに始まると伝える。『古事記』には「七日の後、その后の櫛海辺に依りき。すなはちその櫛を取りて御陵を作り治め置きき。」[1]とあり、これが当社のことであるという。また『日本書紀』では、「さらに相模においでになって、上総に渡ろうとされた。海を望まれて大言壮語して、こんな小さい海、飛び上ってでも渡ることができよう、と言われた。(中略) こうして、日本武尊は上総より転じて陸奥国に入られた。そのとき大きな鏡を船に掲げて、海路をとって葦浦(鴨川市吉浦)を廻り玉浦(九十九里浜)を横切って蝦夷の支配地に入られた。」[2]とあり、この時祀られたのが由来とされる。
国史の初見は、『日本三代実録』元慶元年(877年)5月17日条、従五位勲五等の橘樹神に正五位下の神階を授けるという記述である。元慶8年(884年)7月15日、正五位上の神階が授けられ、日本武尊・忍山宿禰が合祀された。『延喜式神名帳』には「上総国長柄郡 橘神社」として記載され、小社に列している。その後、延宝8年(1681年)に正一位を授けられた。
中世には当社周辺に社領・橘木荘(のち二宮荘)を有した。
明治6年(1873年)近代社格制度において県社に列した。


DSCN5031-2.jpg
今年は例年に比べて初詣の人達が多い。

DSCN5060-2_20130104030447.jpg
拝殿まで延々と列が繋がっている。その長さおよそ150m以上。

DSCN5082-2.jpg
今年初めて見る‘日の丸’も何だか活き活きしている。‘翩翻と翻る’の形容どうりである。

DSCN5097-2.jpg
ここが、神社名にもなった橘の木。

DSCN5100-2.jpg
蜜柑よりも一寸小さめで、キンカンよりは少し大きい実がなっている。味はどうなのだろうか?

DSCN5104-2.jpg
橘の‘紋’が見える。

DSCN5105-1.jpg
拝礼の仕方「二拝、二拍手、一拝」と書いてあるから皆そうしている。

DSCN5069-2.jpg
境内の‘桜’(種類・名前は判らないが、断じて‘梅’ではない!??)がもうほころんでいる。

DSCN5117-2.jpg
参拝客も何だかスッキリしている。

DSCN5110-2.jpg
御神籤を引く人達は皆がみんな‘大吉’を期待している。

私も遂に今年は‘大吉’だった!

daikichi
持ち帰って来た‘大吉’の御神籤


‘おみくじ’の名前の由来についての知識は余りないが、何となく‘くじ’に丁寧・尊敬語の‘み’がついて、更に丁寧・尊敬語の‘お’がついたのだろうか?程度の予測だけはあった。‘おみおつけ’=‘御御御付け’という味噌汁の丁寧語という感覚である。

調べてみて驚いた! こんなにも沢山な表現方法があるのである。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%
E3%81%BF%E3%81%8F%E3%81%98

おみくじお神籤・お御籤・お仏籤・御神籤・御御籤・御仏籤・おみ籤またはみくじ・神籤・御籤・仏籤(みくじ))とは神社・仏閣等で吉凶を占うために引く籤である。「みくじ」は「くじ」に尊敬の接頭辞「み」をくわえたもので、漢字で書くときは「御籤」とするか、神社のものは「神籤」、寺のものは「仏籤」とする。ただし厳密には問題があるが、区別せず「神籤」とすることもある。現在ではみくじ箋(みくじ紙)と呼ばれる紙片を用いるものが一般的である。


上記引用文献の中の‘御御籤’が‘御御御付け’に当たるのだろう。‘神社のものは「神籤」、寺のものは「仏籤」’というのも面白い! 都合のよいように勝手に変える、という発想法がとてもいい!

更に、その歴史はというと、次のように解説してある。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%8
1%8A%E3%81%BF%E3%81%8F%E3%81%98

歴史 [編集]

古代においては国の祭政に関する重要な事項や後継者を選ぶ際に神の意志を占うために籤引きをすることがあり、これが現在の神籤の起源とされている[1]。現在の神籤は参詣者が個人の吉凶を佔うために行われるもので、これは鎌倉時代初期から行われるようになった。当時は自分で籤を用意するのが一般的であった[2]


‘神の意志を占うために籤引きをする’等というのも‘素朴’でなかなか良い。これじゃあ神様に失礼なのかもしれないが、その屈託の無い素朴さが堪らなく純粋でよろしい。そしてそれで納得をするというのだからますますよろしい。
正に‘信じる者は救われる’である。

また、この‘おみくじ’は、一体誰が創っているのであろうか?の疑問に対しては次のような解説がある。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%
E3%81%BF%E3%81%8F%E3%81%98

奉製 [編集]
現在、おみくじの7割近く女子道社(山口県周南市)によって奉製され[3]、英語版は外国人観光客向け等に日本国内の寺社に奉製されるほかハワイなど日本国外への輸出も行われているが[4]、各神社寺院独自で奉製しているところもある。


logo12.gif

http://www.kanko-shunan.com/saihakken/josidousha.html
初詣、合格祈願、お祭りetc・・・皆さんも1度は神社やお寺にお参りに行ったときなどに、おみくじをひいたことがあるのではないでしょうか。それらのおみくじが、どこで作られているのかご存知ですか?

JR山陽本線徳山駅から車で北へ約40分、自然豊かな緑に囲まれ清流の美しい音が聞こえてくる周南市鹿野地域に、女子道社という会社があります。実は全国の神社仏閣においてあるおみくじの大半はここ女子道社で作られています。さらに驚くことに作業は全て手作業で行われているのです!主に近隣の農村の主婦たちによって、ひとつひとつ手折りで丁寧に仕上げられ、紙折り機など一切使わないその作業風景からは、創業当時の趣がそのまま伝わってきます。繁忙期には60~100人もの方が交代で作業し、ベテランの方になると1日に5,000~6,000枚のおみくじを折られるそうです。

jo10.jpgjo8.jpg
清流通りにたたずむ女子道社          全てのおみくじは手作業で折られる

女子道社の歴史は明治時代までさかのぼります。男尊女卑の風潮強い当時の世相にあって、先々代の二所山田神社の宮司宮本重胤さんは、神道には本来女性をけがれとみなす思想はなかったことから、女性神主の登用を提言し、女性参政権をいち早く訴えました。女性を対象とした全国組織『敬神婦人会』を設立し、女性の自立を主張、その教化の一環として明治39年機関誌『女子道』を発刊しました。そしてその資金源として考えられたのがおみくじであり、女子道社が創業されました。

心を込めて折られたおみくじは神社に祀られ、清めの儀式の後、日本全国だけでなく、遠くはハワイまで発送されます。おみくじの種類は全部で18種類。先々代が明星派、先代がアララギ派の歌人であったこともあり、和歌を織り込んだみくじをはじめ、金みくじ、赤みくじ、振り出し用みくじなどの他、外国人観光客や学生向けの和英文みくじ、催事・イベント用の開運みくじなど、時代の変化や人々のニーズに応じたおみくじを発案しています。また、羽車式みくじ機、電動式みくじ機などのおみくじ販売機の製造も行い、現在まで多くの神社仏閣へ納品しています。
jo11.jpg
全国への発送を待つおみくじ

三代目宮司宮本公胤さんは「おみくじは占いではありません。たとえ、凶が出ても縁起が悪いと落ち込むことも、大吉が出て有頂天になることもありません。内容をよく読み、反省すべき点は反省し、励ましのお言葉として受け止め、日々努力を怠らないことが大切です。」とおっしゃられています。

文明が進んだ現代においても人々に愛され親しまれ続けるおみくじ。その理由は、手作業にこだわり、心を込めて作られていることにあるのかも知れません。



おみくじの中身は一体誰が作るのだろうか?

おみくじ当番の巫女さんに「大吉だから持ち帰ってもいい?」と聞いてみた。「お守りにもなりますから、ど~ぞ!」という嬉しい返事が返ってきた。


弟橘姫命御陵-2
http://nobyama.com/tachibana_album.htm
これが、主祭神 弟橘比売命 (おとたちばなひめのみこと)の御陵

東郷平八郎扁額-2
http://nobyama.com/tachibana_album.htm
拝殿にある伯爵・東郷平八郎直筆の扁額

DSCN5137-2.jpg
去年のお飾りやお札を燃やすための焚き火も赤々と燃えている。

DSCN5130-2.jpg
この焚き火の前にず~と座っておられる御老人にお話を聞いた。91歳になられるという。お元気そのものだ。ここ茂原市本納のお生まれだそうで、「大東亜戦争で、海軍だった。硫黄島付近で戦って九死に一生を得て帰還した。」そうである。‘火の番’を買って出られたのであろう。まだまだ100歳までは大丈夫そうだった。

DSCN5142-2.jpg
お店も沢山出ていて、何となく昔の風景が蘇って来る。


新年の初詣、御神籤、やはりいいもんである。

さあ、今年も頑張ろう!


[2013/01/04 09:36] | 学習と文化 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
弊ブログの2012年12月期の位置づけ
今日は2013年が明けて、三日目である。

DSCN5060-2.jpg
元旦、初詣に出かけた‘橘樹神社’(千葉県茂原市)の賑い。


2012年12月期における弊ブログ(ピンからキリまでから)の位置づけを纏めてみた。



① サブタイトル(創作日記)での日毎順位と月平均順位

この統計処理は2012年の08月期から開始したので、それらのグラフも参考資料として掲載しておくこととする。

2012年12月期のサブタイトルでの順位と月平均順位0001-2

12月期には、50位に下がったのが2回あった。最高順位は25位。

2012年11月期のサブタイトルでの順位と月平均順位0001-2

2012年10月期のサブタイトルでの順位と月平均順位-30001-2

2012年9月期のサブタイトルでの順位と月平均順位-30001-4

サブタイトル(創作日記)での順位(8月)平均:46位0001-3

2012年08月期から12月期までの間で

最高位は、17位
最下位は、94位

平均順位は、8月期(46位)、9月期(51位)、10月期(40位)、11月期(37位)と来て、12月期は38位である。どうやらこの辺が限界の様である。


② 日毎アクセス数と月平均アクセス数

この統計処理は2012年の10月期から開始したので、それらのグラフも参考資料として掲載しておくこととする。


2012年12月期の日毎アクセス数と平均アクセス数0001-2

12月期における一日の最高アクセス数は、730回。この数値は前後の数値から見てもおかしい?PCのカウント間違いだろう。11月期にも一度間違いだろうと思われる現象が起きている。

2012年11月期の日毎アクセス数と平均アクセス数0001-2

2012年10月期の日毎アクセス数と平均アクセス数0001-2

その月の平均一日のアクセス数:10月期(144回)、11月期(153回)と来て、12月期は、168回である。

月平均10アクセスくらいずつ伸びている。

さあ、今年も頑張って、自分の思ったことを書き続けたい。

DSCN5108-2.jpg


(つづく)
[2013/01/03 12:26] | 統計処理 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
富士山の魅力
新年になると必ず登場する画像は、御来光と富士山である。

m_13-01-01_0065.jpg
http://hrd911.blog.so-net.ne.jp/2013-01-01
お借りした貴重な写真:2013年の元旦。場所は、Kawaguchiko とある。

自分で撮った写真は、以下の画像である。

DSCN5015-1-2.jpg
2013年01月01日10:17 場所:千葉県茂原市千沢・赤目川に架かる赤目橋の上からの富士山

かっこの良さ加減からすると前出のお借りした写真に比べ何倍も見劣りがするが、この写真には数々の深い想いが秘められているので、我々‘関係者’にとっては、極めて意義深い物がある。

yama033.jpg
http://www.photo.zekkei.com/archives/680.html

やはり姿・形としては、此方の方が抜群によろしい!

富士山の魅力とは何なのだろうか?

富士山は、見る人、撮る人、描く人、彫る人、そして登る人それぞれが、その魅力を感じている。

先ずは富士山の基本データから。

http://japan-web-magazine.com/japanese/select/fuji/data.html
富士山(ふじさん) 基本DATA

場所: 静岡県側(富士宮市、裾野市、御殿場市、富士市、小山町、芝川町)
場所: 山梨県側(富士吉田市、南都留郡鳴沢村)
標高: 3776メートル
容積: 約400立法キロ
山系: 独立峰
種類: 成層火山(活火山)
交通:(電車で) JR中央線新宿~河口湖。河口湖~五合目までバス
交通:(車で) 中央自動車道 河口湖IC。または東名高速道路富士吉田IC、富士IC、御殿場IC等
駐車場: 交通規制有(八月上旬~中旬)(手前の駐車場に停め、有料シャトルバス)
問合わせ: 富士宮市商工観光課 0544-22-1111
問合わせ: 富士吉田市富士山課 0555-22-1111


これだけでは、魅力は感じられない。

① 富士山を見る

直接富士山を見ると、その美しさに感動する。先ずは形がいいから。そして丁度いい具合に積雪がある。この積雪の具合でその魅力度は異なる。積雪がほとんど見えなくなる‘夏の富士’は、勿論それなりに美しくはあるが、雪化粧をしている時の美しさを知っているだけに、何だかがっかりする。丁度‘すっぴんの年増'を見ているようで何とも戴けない。

雪化粧なしの富士山
http://www.clickart.jp/free_detail.php?id=af9980015540

私は、九州の炭鉱町出身だから、ついつい‘ボタ山’が連想されて、余計な感情まで入ってしまう。

② 富士山を撮る

富士山を撮る場合、98%まで‘他人に静止画や動画を見せて自慢する’気持ちが働いているから、どうしても見て呉れの良い写真や動画にしたいという‘見栄っ張りの意識’が働く。これは富士山には大変失礼なことだが仕方がない。丁度見合い写真を撮る心境なのだろう。

勿論、‘記録’としての撮影もあるから、その動機が違えば自ずから被写体の富士山も別の角度なりクローズアップされたりで一見しただけでは富士山とは判らない画像もあり得るだろうが、今度はその画像を見る方の態度によって不中¥持参の意味が変わって来る。

先程のように‘雪化粧なしの富士山’を撮る場合、シルエットにしてしまえば、鑑賞する方で勝手に素晴らしい富士山を想像してくれるから問題ない。

yun_9505.jpg
http://www.yunphoto.net/jp/photobase/yp9505.html

③ 富士山を描く

現在 or 少し前に時代において、富士山を描いて彼の右に出る人はいないだろう。

okumurafuji4(f).jpg
http://www.ddart.co.jp/okumurafuji4.html  奥村土牛

この絵は、額縁に入れて生きて来るように計算されているらしい。額縁の選定を誤ると絵画の価値が低下してしまう。


奥村土牛
奥村 土牛(おくむら とぎゅう、1889年2月18日 - 1990年9月25日)は現代日本画壇の最高峰に位置した代表的な日本画家の一人。本名:義三(よしぞう)。号である「土牛」は、出版社を営んでいた父が寒山詩の一節「土牛石田を耕す」から引用してつけられた。 刷毛で胡粉などを100回とも200回ともいわれる塗り重ねをし、非常に微妙な色加減に成功した作品が特徴とされる。<富士山図>が著名で、皇居にも飾られている。
生年月日: 1889年
死没: 1990年

Wikipedia



④ 富士山を彫る

富士山の彫刻がないのは不思議である。何故なのだろうか? その代わり‘版画’は多い。
akafuji-thumb.jpg
北斎 赤富士

http://www.art-shinshu.com/blog/2007/01/post_17.html
葛飾北斎の作品中「神奈川沖浪裏」と並ぶ代表作品、正式名称「凱風快晴」。
現代にも通用する赤と紺を用いたこの絵は、雪舟などの水墨画や狩野派の金欄絵とは違い当時の西洋美術家たちを驚嘆させたといいます。



⑤ 富士山に登る

私は富士山にまだ登ったことがない。何合目かは忘れたが、車で行けるところまではいってみたが、それでは富士山の魅力を味わう事は出来ない。

富士山登山のもう一つの目的は、御来光を見ることにある。‘どうせ一回しか登らないのなら御来光を’と思い立っての登山が、その魅力に負けて二度三度となるという。

img_fujisan.jpg
http://fujisan.yamakei.co.jp/fujitrivia.html

http://fujisan.yamakei.co.jp/fujitrivia.html
富士山トリビア 富士山の謎に迫る!

 富士山にはさまざまな伝説、謎が存在する。せっかく富士山に登るなら、そんな富士山のさまざまな話を知っておいて損はない。
 普段の生活では、まったく役に立たない知識でも、富士山に登る際には、きっと、必ず、間違いなく役に立つ知識が満載!

トリビアNo. 01.初めて富士山に登った女性は、チョンマゲを結っていた

 富士山は今でこそ性別、年齢を問わず誰でも登れる山であるが、1872(明治5)年までは、女人禁制の山だった。そんな女性禁制の時代に、男装して登った男(女)がいるのだ。
 女子禁制が解禁される40年も前の1832(天保3)年9月、「高山たつ」という女性は男の髷を結い、男装してに吉田口から登頂したという。これが、記録に残る女性の初登頂となっている。
 高山たつは、男女平等を説く富士講の小谷三志らとともに登り、雪の降った山頂にこごえながらもたどり着いたとされている(一緒に登頂した三志の日記に記されている)。なお、外国人では、1860(万延元)年、イギリスの初代駐日公使オールコック一行が登頂している。



以上、色々な立場からの富士山万歳!を見て来たが、富士山が被写体になるのは一日に何回ぐらいだろうか?
一万回どころではないに違いない! 100万回?それとも1,000万回??

こんな富士山に出会えたら、私一人でも100ぐらいシャッターを切るかもしれない。

hujisan.jpg
http://www.jalan.net/jalan/doc/theme/yadolog/men/men_0000819282.html

(つづく)

[2013/01/02 15:41] | 観光 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
| ホーム | 次のページ>>
designated by FC2