2013年02月の弊ブログの位置
遂に今年度も今日で2月が終了して、あと3月のみを残すだけとなった。これまで、実社会にいる時は、私がいた会社は、ほとんど全て3月が年度末だったから、今頃の時期は、‘来年度の事業計画の策定’と‘年度末決算の総まとめ’のために残業、残業の日々であったことを思い出す。

実戦から離れて‘ど田舎暮らし’をしていても‘身体が覚えている’とみえて、何らかの‘統計処理’もしたくなる。

そんな意味も含めて、2013年02月に関する、弊ブログの位置づけ処理をしてみた。

画像ー98 028-2
2013年02月21日15:00 茂原公園・弁天橋と弁天湖 まだまだ寒い。

<1> サブタイトル(創作日記)での(日毎)順位と月平均順位

2013年02月期のサブタイトルでの順位と月平均順位0001-2

このグラフからお判りの通り、

① 2013年02月のサブタイトル(創作日記)のランキング最高位 :29位(2/19)

② 2013年02月のサブタイトル(創作日記)のランキング最下位 :44位(2/09)

③ 2013年02月のサブタイトル(創作日記)のランキング平均順位37位

である。

まあ、そんなところでしょう! 屁理屈ばかり述べたてて、自分一人‘悦に入っている’ので、リピーターの方がそんなに増えるとは思えない。

そろそろ、平均月順位としては‘30位~40位’に定着してきたのだろう。これで自分としては大いに満足である。


<2> 日毎アクセス数と(月)平均アクセス数

2013年02月期の日毎アクセス数と平均アクセス数0001-2

一日のアクセス数については、

① 最高数 :180

② 最低数 : 90

③ 月平均数:125

となっている。

毎日平均125回もアクセスがあるという事は、大変な数である! この中には自分自身で‘確認’や‘訂正’があるために、数回分は私自身のアクセスである。

このブログは、これまでのように自分の‘上司への提出書類ではない’という気軽さも手伝って、それに少々‘ボケて来た’事もあって、‘推敲’が疎かになっている。そのため‘文字変換’で別の熟語になっているのに気づかなかったり、言い回しが間違っていたり、単位を間違えていたりの失敗続きである。

ご親切のご指摘をして頂くこともある。嬉しい限りである!

現役の頃に変な奴がいた。

それは、「上司が自分の書類をどれくらい真剣に見て呉れているかを‘試す’ために、‘重要な間違い’をわざとしていて、返って来た書類を見て、その‘間違い’に上司が気付いたがどうかを見て上司の力量を判定する」というものである。

こんな嫌な奴が‘優秀な社員’の中にたまにはいるのである。

このブログで、それを意図的にやっても何の価値もないが、文語や文章の脈絡については今後も細心の注意を払いたいと思っている。

(つづく)
スポンサーサイト
[2013/02/28 23:55] | 統計 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
濃霧注意報
2013年02月27日、この日は冷たい空気と温かい空気が関東地方でぶつかり合ったため‘濃霧’が発生した。

ここ千葉県茂原市へ越して来て初めての‘濃霧’である。少し程度の低い‘稀(?)濃霧’にはこれまでも何度かは遭遇したことはあったのだが、その日の濃霧は‘濃・濃霧’だった。

私は、その日たまたまある要件があって東京へ出向いていたのだが、東京・新橋駅から総武線快速電車に乗り込んだのは、21時半を回っていた。この時間帯でも車内は満員で、千葉までは立ちんぼだった。

千葉駅で外房線に乗り換え、最寄駅の‘本納駅’に着いたのは、予定よりも15分も遅れて23:13を過ぎていた。

それも、外房線で蘇我駅を過ぎた頃に車内放送があり、「只今、濃霧が発生していますので安全運転のため減速して運転をしますので、ご了承下さい」という。車窓から外を覗くと‘霧だらけ’で遠くは見えない!

こりゃあ、車の運転大丈夫かな?と思った。いつも通り、本納駅までカミサンが車で迎えに来てくれる事になっている。本納駅到着時刻は、千葉駅から電話連絡をしていたから、23時頃には来てくれるはずだったのだが、15分遅れの23:13到着で改札を出た23:15になってもカミサンの車はまだ本納駅に到着していなかった。

しかし、1分もせずにやって来たが、開口一番「濃霧が凄い! 5m先が見えないんだから!」という。

通常は12分くらいで我が家まで到着するのだが、20分以上掛かって到着したのが23:38であった。

道路わきに住宅があったり、立木があったりするところでは、少し遠くまで見えた、と言ってもせいぜい10m程度である。本当に‘濃・濃霧’の場所、これは道の両サイドとも田圃が広がっている場所なのだが、本当に2m先が見えない!

幸いしたのは、正面からの‘車の数が少ない’ことだった。ど田舎の23:30頃、そりゃあ車がバンバンなんてことはありゃあしない。それでも約6~7kmの帰り道で3台の車とすれ違った。時速18~21kmのノロノロ運転だった!

この濃霧を記録に残したいと思って撮ったのが以下の写真である。

画像ー99 011-2
2013年02月27日23:43 我が家のガレージもけぶっている。

画像ー99 017-2
2013年02月27日23:43 これは望遠率を上げたために、アップで月が迫って来ているところ。

画像ー99 022-2
2013年02月27日23:44 少しズーム度合いを小さくすると通常の大きさに見える。

画像ー99 023-2
2013年02月27日23:45 月だけを望遠で撮ると‘かさ’を被っている様子が判る。

‘濃霧注意報’が出た時には、酒はなるべく控えるように!「だって‘飲~む注意報’だろうが」と言ったのは、何処かのご老人! 素晴らしい!
[2013/02/27 23:55] | 気象 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
絵説法の絵
2013年02月09日、‘富士山の見える場所’を探しに、噂を聞いて千葉県市原市米沢にあるという‘米沢の森・御十八夜’へ行ってみたが、その日はとうとう‘米沢の森’への入り口さへ見つけることが出来ずに‘涙をのんで’茂原市へ引き返すことにした。

しかし、そのまま帰ってくるのも残念なので、以前お参りしたことのある‘笠森観音’へ立ち寄ることにした。当然この観音の森からも‘富士山’が見える場所があるかもしれない、とのかすかな望みもあったが、結果としてはこの場所からはいくら天気が良くても多分無理だろうという結論となった。

      (‘笠森観音’については、別途後日この弊ブログで紹介したい)

しかし、それ以上に大変ありがたい‘絵説法の絵’に出会う事が出来た。それを以下に紹介したい。

ご案内の通り、‘絵説法’と言えば、天台宗ハワイ開教総長・荒 了寛 師 である。その日たまたまこの‘絵説法の絵’が展示されていたのである!これこそ‘ラッキー!’であった。

ecf1302020501000-p1.jpg
http://www.sankeibiz.jp/econome/photos/130202/ecf1302020501000-p1.htm
天台宗ハワイ開教総長・荒 了寛 師

http://www.tendaihawaii.org/about/profile.html

荒 了寛 ( あら・りょうかん )

1928年福島県生まれ。10歳で仏門に入る。
大正大学大学院博士課程(天台学専攻)修了。
仙台市仙岳院、清浄光院(仙台)、大福寺(福島)などを歴任。
現天台宗ハワイ開教総長としてハワイ在住。
ハワイおよびアメリカ本土で布教活動に従事。
その傍ら、ハワイ美術院、ハワイ学院日本語学校などを設立、日本文化の紹介、普及に努める。
独自の画法による仏画も描き、サンフランシスコ、ボストン、ニューヨークなどで個展を開催。
日本各地でも毎年個展を続けている。
主な著書
「慈しみと悲しみ」「人生の要領の悪い人へ」 「画文集・慈しみと悲しみの仏たち」「アメリカ仏教の夢」 「ハワイ日系米兵、私たちは何と戦ったのか」 「娑婆を読む」「生きるとはなぁ」「生きよまず生きよ」他


「にこにこ羅漢さん」 瀬戸内寂聴

私はもう半世紀ほど前から荒さんとおつきあいしている。 最初は、当時の天台座主、山田恵諦大僧正のハワイツアーの一行に加えてもらった時であった。私たちを迎えてくれたのは、ハワイ天台宗別院の御住職荒了寛で、その頃のハワイ別院は、他の宗派の堂々とした立派な寺々に比べて、いかにも見劣りのする小さな、見るからに貧しげなお寺であった。ハワイへの進出に他宗に立ち遅れた天台宗が、寺一つ持っていない時、荒師が単身ハワイに乗り込んで、自費で、こつこつとハワイ天台宗別院を創建されたのであった。
壁にいくつかの立派な仏画がかかっていた。 私がそれに目をとめて、どなたの作品ですかと伺ったら、荒師が照れた少年のようにはにかんで笑顔になって「私の描いたものです」とおっしゃった。私は画面から光が放っているような仏画を不思議な思いで眺め拝んだ。 その旅のある時、荒師は、障害のあるお子さんがあり、その御子息を入院させられるいい病院がハワイにあるため、一家をあげて、すべての仕事を捨ててハワイに渡ったのだと話して下さった。
ハワイのどこかの丘のようなところで、私と姉と、荒師の三人だけの時であった。その時、荒師はこうも言われた。 「家内も私も、とても辛くて、その子が可哀そうで、この先どうして生きていけばいいのかと迷っていたこともありました。でも今は、この子がいるため、私たちは生きていかれることがわかりました。この子のおかげで、ハワイ別院も生まれたのです。この子こそ、私の仏さまですよ。今では心からそう思ってこの子を拝んでいるのです。」
私も姉も下を向いて涙を流した。私の目には淡々と話している荒師の顔こそ仏さまのように見えた。
* 荒了寛 絵説法カレンダーより抜粋


h2_02.jpg

‘絵説法’の‘絵’を拝見する前に、天台宗・笠森寺、通称‘笠森観音’の紹介を一寸だけ。詳細は追って弊ブログで・・・。

画像ー89 143-2
‘二天門’をくぐると‘観音堂’が見えて来る。その手前に土産物屋さんがある。その奥隣りに‘絵説法の絵’が展示されている。

画像ー89 170-2
これが‘観音堂’への上り階段。

画像ー89 187-2

http://kasamori.jp/?page_id=13
構造は日本唯一の「四方懸造(しほうかけづくり)」で桁行 約17m、梁間 約14m、棟高 約34m、床高 約20m、階級75段の珍しい建造物で明治41年(1908)「国宝」に、その後昭和25年(1950)「文化財保護法」の制定により「国指定重要文化財」となっています。


さて、ここからが‘絵説法の絵’の展示場・・・。

画像ー89 145-2
入り口の看板。

画像ー89 146-2
こんな風に展示してある。後は説明を必要としない。ガラスからの反射光があって、見にくいものもあるが、内容は実に素晴らしい!

画像ー89 148-2

画像ー89 147-2

画像ー89 150-2

画像ー89 151-2

画像ー89 149-2

画像ー89 148-2

画像ー89 152-2

画像ー89 158-2

画像ー89 155-2

画像ー89 153-2

画像ー89 157-2

画像ー89 154-2

画像ー89 163-2

画像ー89 160-2

画像ー89 162-2

画像ー89 159-2

画像ー89 161-2

画像ー89 164-2

画像ー89 166-2

画像ー89 167-2

画像ー89 165-2

画像ー89 168-2

画像ー89 168-5

画像ー89 168-3


以上の‘絵説法の絵’21枚。文字といい絵といい、実に内容にマッチしていて素晴らしいものである。

(つづく)



[2013/02/26 22:33] | 学習と文化 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
‘食’という漢字の本当の意味
我が千葉県の出身タレント、中尾彬さんが出ているCMで、‘食’と言う字 について、

「‘食’と言う字を見てみると、‘人’が‘良’くなると書いて‘食’となっている。つまり、‘人’の身体を調子の‘良’い状態に保つには‘食’が大切だ!ということなのだ」(註:これは、CMの内容を私が把握した内容から多分こういう事であったと再現させたもので、CMそのものの文語ではない)

という意味の事を‘言わされている’。このCMのスポンサー(どの会社かは記憶にない)から、「そう言って下さい」と頼まれているのである。

このCMを見て‘おや?’と思った。私は‘漢字研究のプロ’ではないが、‘食’という文字の成り立ちは、‘人’+‘良’ではないはず、と思ったからである。

確か、‘食’という漢字の‘部首’は、‘食’そのものであって‘人’ではないはずだ!

註:部首とは?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%A8%E9%A6%96

部首(ぶしゅ) とは、漢字を分類する際に用いられる漢字の一部分である。また、それによる分類の、各グループである。部首による分類では、全ての漢字に、一つの部首が割振られる。

字書などで漢字を分類する際、偏旁冠脚、すなわち偏(へん)や冠(かんむり)など、字の一部分を用いる方法がある。部首とは一つには、そのような分類での、一つ一つの項目である。部首による分類は、字書における漢字の分類・配列方法であるのみならず、字書を引く際の検索方法も与える。

ある漢字がどの部首に分類されるかは字書による。形声文字では、意味を表す部分が用いられることが多い。たとえば「鉄」の字は、左半分の金属を意味する「釒」(金偏、かねへん)を部首とすることが普通である。これは、字書では「金」の部に置かれる。

一方で、「心」部とされうる部分は、いくつかの変形がある。
「志」の字の下側。これは、ほぼそのままの形である。
「快」の字の左側、「忄」。これは、普通「りっしんべん」と呼ばれる。
「慕」の字の下側、「㣺」。これは、普通「したごごろ」と呼ばれる。

これらは、いずれも心に関係した意味を表す。字書により、これら全てを「心」部に入れたり、引き易くするために、形を重視して各々を別の部首としたりする。

このように、部首とは、「心」の部など、文字のグループであると同時に、「快」の字の左側、すなわち漢字の偏旁冠脚の中の、分類に使われる部分をも指す。文字の部分のうち部首となるのは、旁(つくり、字の右側)よりも偏(へん、左側)、あるいは脚(下側)よりも冠(上側)の方が多い。

日本では部首の名称に「正式」なものはない。
漢字以外でも、部首による分類は、漢字と同じ字形要素を持つ古壮字、チュノムや、漢字を参考にして考案された西夏文字、漢字圏にあるイ文字、トンパ文字などでも行われる。


早速、我が家に眠っている古めかしい‘漢和辞典’で調べてみた。

食0004-2
昭和58年出版とあるから、30年も前のものである。この部首索引を見ると・・・

食0002-2

‘二画’のところに‘人(イ)’とある。これは、‘人’及び‘人偏’を表しているので、この部首の52ページ以降を探してみたが、‘食’の文字はない。

‘食’の画数は‘9’である。部首索引の‘九画’を見てみると

食0-2

ちゃんと‘食’偏として存在する。そして、‘発見’したのは、一つ上の画像の‘三画’のところにも‘食’の部首がある! 何故? どうやら‘*’印の注釈を見てみると‘中国新字体’とある。中国の略式新字体では‘三画’と言う事のようである。

いずれも‘1156ページ’である。この1156ページとは、

食-1-2

この通り、‘しょくへん’として分類されている。つまり予測通り、‘食’という漢字は、‘人’と‘良’がプラスされて出来た漢字ではないようである!

‘食’は、その成り立ちが‘人’に‘良’いものと言う事とは違うのである。その辺をトリミング・拡大して見ると・・・、

食-2

‘解字’のところをよ~く見てみると、「穀物が放つかおり」と「集める」をプラスした漢字であると書かれている。穀物の代表が‘米’であるから、「米」を「集める」=「食」だという。

これが‘食’の本当の意味と言う訳である!

文字の誤解について、WEBで検索していたら以下に示す通り大変興味のあるブログにぶち当たった。やはり、中尾彬さんのCMについて‘大間違い’と指摘してある。全文転載。

http://ameblo.jp/gesaku/entry-11410304975.html

文字に関する誤解

2012年11月22日(木) 13時08分39秒
テーマ:小説家、脚本家をめざす人の勉強法

よくいわれるものに、武田鉄矢演じた金八先生の授業。

人という字は、人が人を支えているという、とんでもない読み方。
もし人と人が寄り添っているというなら、短いほうの人は、長いほうの人を支えているだけで、とても平等な関係じゃないよね。
人という文字は人間の腕と足を形どったもので、もちろん短いほうは腕、長いほうは足を表しています。

これと同じで最近、中尾彬がCMでやっているもので、クライアントは忘れたけれど、「食」という文字は、人が良くなるといっているんだけれど、これも大間違いなんだね。
t02200220_0300030012297341011.png
実は食という字は「人」「一」「艮」という文字で構成されているんですね。
食の上部、人型部分は、「今」という文字の「人」「一」と同じでね、これは人が集まっている様子を意味しているんですね。


集客という仕事をしていたから、これは間違いなく正しい。
で「艮」は一般的に使われている「艮」ではないんですね。

「艮」という文字は「目」と「匕」で校正された文字で、意味はたくさんの目の複合体でにらむという意味。
対して食で使われている「艮」は、「目」ではなく「白」と「匕」なんだね。

簡単にいうと「白」で「にらむ」ということなんだけれど、「白」という文字は「入」と「二」で構成された文字でね、入るというのは、上から下に落ちる、つまり人でいえば、口に入れることを意味するわけなんだけれど、「二」というのは「一」より多いという意味でたくさんということを表しているわけです。で、転じて上から下に注意深く入れていくのが「艮」で、それを「人」と「一」で集める。すなわちたくさんのものを集めて注意深く入れるという意味が「食」という意味になっているわけです。

飽食といわれてずいぶんたちます。
世の中はTPPといって、農業政策のことと偽りの説明をする代議士にごまかされているけれど、TPPというのは貿易の自由化だけではなく、政治主導による国家間のすべての決めごとを食うか食わないかという選択肢なんです。
国家間の決めごととは、当然、戦争も入ります。
経済というのは、戦争もマーケットである以上、戦争鎖国をもはや日本はいえない時代でもあるわけです。

自民も民主も口ではいっていませんが、TPPは戦争容認というサインでもあることを知って選挙に参加しようではありませんか。


このブログの解説は、私が引用した‘漢和辞典’には載っていない情報が載せられている。

漢字の成り立ちを研究しておられる人達からすれば、‘人’という文字や使いなれている‘食’という文字をCMのためかドラマ作りのためかは知らないが、‘勝手に’事実を無視して如何にも真実の如く言いふらされるのは‘耐えがたい’感情があるに違いない。

特に有名なタレントさんがTV画面で発言すれば、誰しも‘本当だ!’と思ってしまう。CMを創る方だって有名タレントさんに言って貰えば‘信憑性’が増すという気が働いているに違いない!

我々受け取る側としては、今回のように気付けばいいが、そうでなければCMやドラマの内容を信じてしまう事になり事実誤認に陥ってしまう事になる。

昔から「常識のウソ」と言われて、一般に信じられていることが実は全く違うことだったりすることが多い。

タレントさんだって、やはり‘台本通り’にしゃべる必要はあるのだろうが、それだけではご本人の‘品格’が落ちてしまわないとも限らない。

へたをすると、あのタレントさんがしゃべっているのはみんな‘ウソ!’等と言う評判が立てば命取りである。

創る方もしゃべるタレントさんにも正しい文化継承のために一考をお願いしたい物である。

(つづく)


[2013/02/25 23:53] | 言葉の威力 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
富士山の見える場所(その5):茂原公園
先般、この弊ブログに次のようなコメントを頂戴した。

「茂原市から富士山が見える場所」についてのご親切なコメントである!

http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-431.html#comment

初めまして。
茂原市出身の者です。
房総半島とレイラインを検索していて辿り着きました。
茂原からの富士山の写真きれいですね。

ところで、茂原から富士山見えます。
茂原市民なら結構皆知っているかと思ってました。
どちらかから転居されて来られたのでしょうか。
茂原市西部の出身ですが、通った小学校中学校共に校舎から富士山が見えました
空気が澄んだ冬の朝か夕方ならば、結構頻繁に見えてた気がします。

富士見中からも今は見えませんが、移転前は見えたのだと思います。
確か、以前は公設市場のそばにあったように思います。
今はもうありませんが、茂原公園の展望台からも見えたようですし、早朝の上り電車に乗るとアスモの辺りで見えます。
電車から見るとよく分かるのですが、ちょうどその辺りは、丘の裾と裾がV字を描いているために富士山が見えるようです。
茂原で富士山が見えるのは、そのライン上なのかなと思っています。

他に、茂原市東郷字富士見に茂原市富士見公園野球場というのもあるようなので、そこからも見えるかもしれません。
見えたのかもしれませんが・・・。

ただ、千沢のように今も平地から見えるのは大変珍しいと思います。
茂原の富士見スポットの開拓楽しみにしています。
富士山大好きです。

長々と失礼しました。
[2013/02/15 12:26] URL | しろくま #- [ 編集 ]


弊ブログには、なかなかコメントを頂戴出来ないのだが、そのたまたまのコメントで、しかも‘富士山’に関してのコメントだけに嬉しさ‘100倍’だった!

「しろくま」様、どうも有難うございました!

という訳で、「茂原公園」へ行ってみた。上記のコメントにある「今はもうありませんが、茂原公園の展望台からも見えたようです」というのが一寸は気になったのだが・・・。

茂原市在住の或る知人の話によると「昔は、茂原公園に‘鉄塔の展望台’があって、そこからは富士山は確かに見えた。でもあれは無くなったから、今は見えるかどうか?」という少々希望をなくす情報も戴いていた。

しかし、茂原公園には、茂原市に越して来て18年の間に数十回は行っているので、隅々まで知っている積りなのだが、富士山を見ようと思って行ったことは一度もない。

今度は‘富士山を見ることを目的に’茂原公園へ行こうという訳である。

富士山の見える場所(その5) を探しに・・・

そんな訳で、2013年02月21日(木)14:38 車で我が家を出発した。

‘Google’地図で検索した茂原公園の位置と航空写真。

千葉県茂原市高師 茂原公園 - Google マップ-70001-2
‘Google'マップ A が茂原公園。
富士山と茂原公園に位置関係。茂原公園から見ると、富士山はほぼ真西に近い!

千葉県茂原市高師 茂原公園 - Google マップ-40001-2
‘Google'マップ 緑の領域が茂原公園。

千葉県茂原市高師 茂原公園 - Google マップ-30001-2
‘Google'マップ(航空写真) 

画像ー98 023-2
14:58 約20分で茂原公園に到着した。

画像ー98 026-2
14:58 これは、‘湖’で、‘弁天湖’という。水鳥(かも)も出迎えてくれる。

画像ー98 032-2
15:00 弁天堂も美しい。

画像ー98 034-2
15:01 早く‘富士山の見える場所’も探したいのだが、実術館も17:00には閉館となるので、折角だから、先ずは美術館へ。

画像ー98 038-2
15:04 犬の散歩に来ている人もいる。

画像ー98 043-2
15:05 展覧会も開かれている。

画像ー98 145-2
15:06 入口である。

画像ー98 091-2
15:19 何の展覧会が開かれているのかを調べては来なかったが、何と‘王子江’さんの作品が公開中だという!‘ラッキー!’

画像ー98 085-2
‘王子江’という天才がここ茂原市と関係があることは、茂原市へ越して来て知って驚いたことがある。この大作については、この弊ブログでも取り上げさせてもらったこともあるが、改めて別途後日このブログでご紹介したい。

img550d294azikdzj.jpeg
http://plaza.rakuten.co.jp/machi12minamibs/diary/201011110000/
自らが描いたNHKドラマ「蒼穹の昴」の題画と一緒にカメラに収まった王子江氏



さて、ここから第5番目の‘富士山が見える場所’を確認するための歩きである。
その日この公園に来る前には、この公園の東側にしか‘高台’はない、と思っていたのだが、茂原美術館から出てみると、この美術館の裏手(西側)にも小高い場所があるのに気付いた。

これまで何度もこの美術館に足を運んだことがあるのに、富士山を見たいという事はこれまでに考えたことがなかったために美術館の裏手に回ってみることをしたことがなかった。

画像ー98 148-2
15:35 ここが、美術館の北北東にある‘忠霊塔’である。この右側に裏山に登れる道がありそうである!

画像ー98 151-2
15:36 忠霊塔のすぐ裏には辺りが見渡せる場所がありそうである。

千葉県茂原市高師 茂原公園 - Google マップ-60001-2
Google マップの航空写真でこの場所を確かめてみると、画面の中央から上部(北側)に住宅が見える。この住宅の最前線で、右から1/5 程度の場所がどうやら次の写真の場所のようである。

画像ー98 153-2
15:37 此方は、真北の方角である。したがって、富士山が見える方角ではない。

画像ー98 155-2
15:37 此方は‘北北西’の方角である。高さは、‘約15m’位ありそうに思える。前に見える住宅の屋根よりも遥かに高い場所である。先日の積雪がまだ残っているのが判る。子供達が母親の‘監視’のもと、自転車乗りの稽古中のようである。

画像ー98 156-2
15:37 この場所から西側に‘上りの小道’がある! これはひょっとすると富士山が見える場所が見つかる可能性が! 

画像ー98 158-2
15:38 少し登ってみると、開けた場所の出た! これは大いに脈がある!

画像ー98 159-2
15:38 此方は北西の方向だから富士山が見えるとすると画面の左端である。向うの山並みを遮るものはなさそうである。

画像ー98 160-2
15:38 登って来た後ろを見てみると、先程の自転車乗りの稽古をしていた子供達が見える。どうやらあそこから10m程上、下から25mくらいの高さのように思われる。

画像ー98 161-2
15:38 富士山が見えるとすればこの方角である!残念ながら、その日は目を凝らしても見えなかった。

画像ー98 162-2
15:39 上手い具合にまだ上りの坂がある。

画像ー98 164-2
15:39 まだ続いている!

画像ー98 166-2
15:40 来た来た!これは真西側である。

画像ー98 167-2
15:40 一つ上の写真の少し南側。多分この画面の左側に富士山が見えるはずである!

画像ー98 168-2
15:40 これは、北西の方角で、望遠で見ると長柄町の‘ふるさと村’のホテルが見えている。富士山も恐らくこの程度の大きさには見えるはずである

画像ー98 171-2
15:41 上りの道はまだ続いている。

画像ー98 172-2
15:42 もっと高いところで開けた場所はないかと登って行くことにした。

画像ー98 175-2
15:43 小道には木の根っこが出ており実に歩きにくい!

画像ー98 177-2
15:44 こんな小道を100mばかり登って行った。

画像ー98 178-2
15:44 ここが‘心臓破りの小道’である。

画像ー98 181-2
15:46 見えた、見えた! 展望台である!

画像ー98 183-2
15:46 ここならきっと、雄大な富士山が・・・。遂に・・・

画像ー98 185-2
15:47 ところが残念なことに! 丁度西側一帯は、誠に見事に‘立木’に邪魔されて、全く向うが見えない!でもどうやら茂原公園ではこの場所が一番高い場所のようである。

画像ー98 191-2
15:49 残念ながら、下山するより仕方がない!

でも、この美術館の裏山からお天気さえよければきっと富士山が見える!その感触は十分にあった!ここは第5番目の富士山観賞地として登録することに・・・。

(つづく)
[2013/02/24 23:59] | 富士山 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
いじめ問題と体罰:3つの発言
「朝まで生テレビ!」 2013年2月23日(土)を全部ではないが、午前1時半頃から1.5時間ばかり見た。

以下に示す通り、‘3つの発言’に感心させられた。

① 乙武洋匡氏の発言

images (7)
http://www8.cao.go.jp/jisatsutaisaku/week/message.html

いい意味で気になったのは、乙武洋匡氏の発言 である。

激論は以下のような内容だったが、このサイトの記録には、私が感心した乙武洋匡氏の発言は載せられていない。

http://datazoo.jp/tv/%E6%9C%9D%E3%81%BE%E3%81%A7%E7
%94%9F%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%EF%BC%81/625154

「朝まで生テレビ!」 2013年2月23日(土)

今回のテーマは「激論!体罰 いじめ 戦後教育を問う!」

【レギュラー出演】 村上祐子 , 渡辺宜嗣 , 田原総一朗(司会)

141524p.jpg
http://news.nicovideo.jp/watch/nw198649
田原総一朗氏

パネリスト:
馳浩(自民党・衆院議員、元文部科学副大臣)
鈴木寛(民主党・参議院議員、元文部科学副大臣)
東浩紀(早稲田大学教授、批評家)
乙武洋匡(作家、元小学校教諭)
香山リカ(精神科医、立教大学教授)
坂根シルック(東京農工大大学院特任助教、フィンランド出身)
高橋史朗(明星大学教授、元埼玉県教育委員長)
玉木正之(スポーツ評論家、筑波大学大学院非常勤講師)
寺脇研(京都造形芸術大学教授、元文部科学官僚)
藤原和博(東京学芸大学客員教授、元杉並区和田中学校校長)
八木秀次(高崎経済大学教授、教育再生実行会議委員)


体罰問題について議論。最近の報道では体罰の境界があいまいで現場で決めるしかなく教師は大変。田原総一朗は体罰絶対反対は反対だが、体罰が決め手になるのはよくないと語った。また体罰はあるていど必要という状況が続いたからこそ今回の被害を生み出した、学校教育法では体罰は禁止だが体罰とは何なのか議論しないといけない、原則なしで現場で考えるべき、問題になるのは感情のやりとりだなどの意見が出された。

つづいて体育はスポーツ教育でスポーツは体罰を否定している。体罰という言葉に対する幻想がある、教師は怒るのではなくしからなければいけない、フィンランドでは1914年に学校での体罰が法律で禁止、その後家庭でのしつけの体罰も禁止された、体罰イコール犯罪となっている。

つづいて体罰という言葉は曖昧で使わない方がいい指導は助言と提案で暴力が加わると命令になりこれはおかしい、教員のコミュニケーション不足を隠蔽している、春日市の教育長の調査では「馬鹿にされた」ことが体罰の原因だった、法的に体罰を整備したほうがいいかもしれない、などの意見が出された。

文部科学省のなかにはどうやって教えるのか考えるセクションはない、個々の先生が独自の指導を行なっているなかで体罰も発生している。観客の教師は、体罰は良くないが指導のなかで命にかかわる出来事には厳しい言葉をかけることがあると発言した。

その他、沢山。



乙武洋匡氏の発言:記録を録っていないので、正確さに欠けるかもしれないが要約すると以下のような内容だった。

「 私は、最近映画出演をして‘役者’の勉強をした。小学校の教師をしていた時の経験と役者をやってみて‘教師’について感じたことは、‘教師’を‘役者’であると認識してやってみると、‘冷静さ’を失わないのではないか?と強く感じた。教える側に‘余裕’があれば、‘体罰’は無くなる!」

乙武洋匡氏がそう感じたというから、これは他人の‘受け売り’ではない。そして、上記引用文献にある通り、田原総一郎氏の「体罰絶対反対は反対」に反対した。これには、田原総一郎氏も反論しなかった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%99%E6%AD%A6%E6%B4%8B%E5%8C%A1
乙武 洋匡(おとたけ ひろただ、1976年4月6日 - )は、日本の作家、元スポーツライター。東京都出身。

略歴 [編集]

東京都新宿区出身。先天性四肢切断(生まれつき両腕両脚がない)という障害があり、移動の際には電動車椅子を使用している。東京都立戸山高等学校、1浪後、早稲田大学政治経済学部卒業。
大学時代に早稲田のまちづくり活動に参加。このまちづくり活動を取材したNHKの番組出演がきっかけで、障害者としての生活体験をつづった『五体不満足』を執筆し、出版。屈託のない個性と「障害は不便です。しかし、不幸ではありません」と言い切る新鮮なメッセージがあいまって大ベストセラーとなった。この『五体不満足』は一般書籍の部数記録としては2010年現在で日本第3位の記録を持っている(出版科学研究所調べ)。また学生時代から報道番組にサブキャスターとして出演。2000年2月に都民文化栄誉章を受賞。
大学卒業後は、スポーツライターとしてジャーナリズムの世界に手を広げ活躍しつつ、2005年、新宿区の非常勤職員として「子どもの生き方パートナー」に就任。また同年より小学校教諭免許状を取得するために、明星大学通信教育課程人文学部へ学士入学し、教員の道への足がかりとした。教員免許状取得を思い立ったのは、以前からの教育への関心に加え、長崎男児誘拐殺人事件などをきっかけに、子どもの人格形成に大人がどのような責任を負っているか問題意識を抱いたためという。2007年2月に小学校教諭二種免許状を取得。同年4月より2010年3月31日まで杉並区任期つき教員として杉並区立杉並第四小学校に勤務した。
自身のTwitterによると、身長107cm、体重38㎏とのことである。[1]
私生活では、2001年3月結婚。2008年1月3日に第1子(長男)が誕生。2010年7月9日に第2子(次男)が誕生。
上記の活動と平行して2011年4月よりロックバンド「COWPERKING」のボーカル「ZETTO」としても活動している。
有吉弘行と親交があり、有吉風の『おしゃべりエロだるま』というあだ名をネタとして使っている[2]。



② 藤原和博氏の発言

ダウンロード (3)
http://kk-online.jp/column004_01.html

もう一つ、いい発言だったと思ったのは、藤原和博氏の次のような意見だった。

「‘体罰’という言葉を使わない。指導と暴力にきちんと分けた方がいい!」

http://kk-online.jp/column004_01.html
藤原和博(ふじはら かずひろ)
1955年東京生まれ。1978年東京大学経済学部卒業後、株式会社リクルート入社。
東京営業統括部長、新規事業担当部長などを歴任。その後1993年からヨーロッパ駐在、1996年同社フェローとなる。
自ら開発した[世の中]科の実践が話題となり、2003年より5年間、都内では義務教育初の民間校長として杉並区立和田中学校校長を務めた。
食育や読書活動で文部科学大臣賞を受賞。
2008年橋下大阪府知事、府教委の教育政策特別顧問に就任。
著書に「人生の教科書[よのなかのルール]」(宮台真司氏との共著、ちくま文庫)、「つなげる力」(文芸春秋社)など多数。
近著は「家庭で育てる国際学力―新学習指導要領の先まで読む!」(陰山英男氏との共著、小学館)



③ 八木秀次氏の発言

20110308_2074720.jpg
http://nippon-end.jugem.jp/?eid=1439

更に今後の問題として重要だと思ったのは「文部科学省の中には、何を教えるかを決めるセクションはあるが、どうやって教えるのかを考えるセクションはない」という八木秀次氏の発言である。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E6%9C%A8%E7%A
7%80%E6%AC%A1_(%E6%B3%95%E5%AD%A6%E8%80%85)

八木 秀次(やぎ ひでつぐ、1962年(昭和37年)3月9日 - )は、日本の法学者。高崎経済大学地域政策学部教授。専門は憲法学、法思想史。一般財団法人日本教育再生機構理事長、フジテレビジョン番組審議委員、産経新聞正論メンバー[1]。「新しい歴史教科書をつくる会」第3代会長(内紛により解任された)。右翼的・国粋主義的・復古主義的な思想を持つ。

来歴・人物 [編集]

広島県尾道市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、同大学大学院政治学研究科に進み、博士課程を中退。新田均は兄弟子にあたる。東京理科大学非常勤講師、高崎経済大学専任講師、同助教授を経て2006年(平成18年)から同教授。慶應義塾大学総合政策学部非常勤講師、NHKラジオセンター「プロジェクト21」委員なども歴任。保守主義の立場からの執筆・講演活動を行っている。2002年(平成14年)、主に保守・右派系論壇の人物にフジサンケイグループより与えられる正論新風賞を受賞。
マルクス主義思想と社会契約論を基軸としているとして、日本国憲法のあり方を批判している。2002年(平成14年)7月4日には、衆議院憲法調査会の参考人として招致された。
ジェンダーフリーや選択的夫婦別姓論も批判するなど男女共同参画に対して反動的な思想を持つ。また、自身の保守的な思想から教育分野における発言をおこなっている。皇位継承問題では男系男子による継承の維持を主張。ただし、その根拠のひとつとして「Y染色体の男系連続性」説を提示しており、擬似科学あるいはトンデモとの批判がある。
復古主義思想に基づいた「新しい歴史教科書をつくる会」で3代目会長を務めていたが、2006年(平成18年)2月28日、会の内紛および中国への無断渡航の責任を問われ解任された。地方組織の尽力で副会長に留まったが、同年4月30日、藤岡信勝の日本共産党員歴の怪文書事件の責任を問われ、副会長および理事も解任。つくる会から脱退した[2]。
2006年(平成18年)10月22日、八木を理事長として一般財団法人日本教育再生機構が、2007年(平成19年)7月24日には八木を事務局担当として教科書改善の会が発足した。現在、育鵬社から歴史、公民科教科書を発行している。
2013年1月、第2次安倍内閣から「教育再生実行会議」委員に指名されるが、その復古主義思想に対する批判、「お友達人事」としての批判がある。


これら三人の発言は、日頃からこの問題を自分の問題として考えておられるからこその発言であろう。

これらの発言には、

<1> 教師としての在り方と意識改革

<2> 教育全体を考える場合の基本姿勢

<3> 文部科学省自体の今後の在り方と意識改革

の基本が隠されているように思われる。

いずれにしても、関係者が‘あなた任せ’であって、本当に自ら苦しんでの措置を取っていないところに最大の問題がある。その基本は‘自分さえよければ’の考え方に埋没しているからなのだろうと思われる。

教育者とは何かを改めて考えさせられた番組であった。

テレ朝さんへのお願い:この番組をもっと早い時間帯に持って来て貰いたい。録画して自分の起きている時間帯に見ればいいではないかという意見もあるかもしれないが・・・。

最後に、2013年02月20日の讀賣新聞・朝刊に乙武洋匡氏の‘教育委員会の改革’に関する記事が掲載されたのを転載しておきたい。

おとたけひろただ

(つづく)
[2013/02/23 17:45] | 学校と教育 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
富士山の見える場所(その4):尼ヶ台総合公園
「富士山が見える場所」とは、「千葉県で且つ茂原市付近及び茂原市と深~い関係がある場所で、そこから‘富士山が見える場所’」の事この弊ブログでは定義した。

(その1):茂原市千沢・赤目橋
(その2):市原市米沢・‘米沢の森’内、御十八夜山頂
(その3):袖ヶ浦市南袖・袖ヶ浦海浜公園

(その4)として、多分ここからだったら富士山が拝めるに違いないと前々から思っていた場所が、千葉県長生郡長生村本郷の「尼ヶ台総合公園」の高台である。

前々からといっても、それは我が家の近所、(その1)の茂原市千沢で偶然富士山を‘発見された’ご夫婦からの情報(発見は、2012年9月中旬で、私がカメラに収めたのが同年11月14日)以降である。

この‘尼ヶ台総合公園’には、‘高台’があって、360度ぐるりと周りが見渡せるのである。遠方の景色を遮る丘や林や森や建物が無い!

ただし、高さは、目測で10mがやっとという、それ程の高台でもない。

‘Google’地図での場所の確認と航空写真。

千葉県長生郡長生村 尼ヶ台総合公園 - Google マップ-00001-2
Google 地図から千葉県長生郡長生村・尼ヶ台総合公園を検出。Aが公園。

千葉県長生郡長生村 尼ヶ台総合公園 - Google マップ0001-2
Google 地図・航空写真から千葉県長生郡長生村・尼ヶ台総合公園を検出。

千葉県長生郡長生村 尼ヶ台総合公園 - Google マップ-20001-2
同写真の‘高台’箇所の拡大。

千葉県長生郡長生村 尼ヶ台総合公園 - Google マップ-30001-2
同上の拡大。高台の上には、‘ベンチ’2組がある。

これから先は、「長生村・尼ヶ台総合公園」の‘電子紙芝居’で~す! 訪ねたのは、2013年02月20日。房総半島が今期2度目の積雪に襲われた日の翌日である。

画像ー97 004-2
2013年02月20日13:53 出発前。我が家のトイメンのKさん宅の‘梅’。お昼からになって、やっと2~3輪が開花した! これから向かう‘尼ヶ台総合公園’には、梅はあったかな? あるとすればどのくらい開花しているだろうか?と思いながら、14:00ジャストに我が家を出発。

画像ー97 014-2
14:02 昨日の積雪でひょっとしたら、まだ道路にも残って?と心配したが、積雪の翳もない! この交差点は‘弓渡’という誠に‘雅び(?)な’名前がついている。が、‘謂われ’は知らない。左手に豊岡小学校。この小学校はつい先日‘開校100周年記念’を迎えたばかりだという。

画像ー97 175-2
14:27 30分足らずで目的地の‘尼ヶ台総合公園’に到着。

画像ー97 021-2
14:29 公園の案内図。先ず目指すは、案内図の左上の場所、‘高台’である。今日の天気では無理でもきっと ここから富士山が拝めるに違いない!

http://www.vill.chosei.chiba.jp/new-site/gyousei/shisetsu/amagadai/index.html
四季おりおりの花と緑の広がる 尼ヶ台総合公園 は、スポーツを楽しんだり、憩いのひとときを過ごすことのできる長生村のオアシスです。

総面積10.5ヘクタールの広大な敷地は、自然の地形を活かした水と緑に包まれています。散策路で結ばれる公園内は、シンボルの時計塔や花壇、せせらぎなどが設けられ、丘の上のベンチではお弁当を広げる家族連れの姿も。

スポーツ施設として野球場や運動広場、テニスコート、冒険子ども広場などもあり、子どもからお年寄りまで、誰もが健康づくりやスポーツを楽しむことができます。


画像ー97 022-2
14:29 園内の日陰には、まだ昨日の雪が残っている。

画像ー97 023-2
14:29 早速‘高台’目指して歩き始めた。案内図にある通り広い!広い! これを左折すると・・・

画像ー97 024-2
14:30 左手突き当りが‘高台’である。

画像ー97 026-2
14:31 やはり、そんなに高くはない!よ~く見ると頂上にベンチ2組が見える!

画像ー97 031-2
14:32 登り始めた。この‘水路?’は自然に出来たのだろうか?

画像ー97 032-2
14:32 凡そ‘一分間’で登れる位だから、高さはやはり10mくらい??

画像ー97 035-2
14:33 頂上のベンチ。

画像ー97 040-2
14:35 高台からの光景。きっとこの方向が富士山だ!

画像ー97 041-2
14:35 上の写真の方向の望遠拡大。

画像ー97 042-2
14:35 更に望遠で拡大!本日の天気ではこの時間帯には見えない! でもこの画面の中央にきっと富士山が見えるはずである!? 乞うご期待! ただし、‘尼ヶ台総合公園・富士山’の文語でWEB検索をしてみても富士山の画像はない! という事は、ここから富士山が見え写真を投稿すれば、‘NET上での新発見’!という訳である。

画像ー97 045-2
14:36 90度右回転して‘北側’を見ると、おやおや!白梅が!その後ろには‘紅梅’が!

画像ー97 046-2
14:37 一番手前にある‘白梅’。もうすっかり満開!?

画像ー97 048-2
14:37 3分咲き、という所だが、空気がいいのもあって、綺麗! 我が家の玄関先よりも早い!

画像ー97 051-2
14:38 此方は‘紅梅’!

画像ー97 052-2
14:38 紅梅もいいではないですか!

画像ー97 053-2
14:38 この紅梅は、5分咲きといったところ。

画像ー97 056-2
14:39 おやおや、此方は、白梅でも紅梅でもない、その中間の種類。‘何梅’といのだろうか? 桃色だから、梅の名前が‘桃梅’というのも変だし、‘ピンク梅’とでも言っておきたいところだが、江戸時代には‘ピンク’という言葉は使っていなかったろうし、第一江戸時代にこの色をした梅の花があったのだろうか?

誰か教えてぇ~!

画像ー97 056-3
14:39 この‘ピンク梅’もなかなかいい!

画像ー97 067-2
14:42 公園の北側へ出て来た。綺麗な‘池’である。水鳥がいる!ここは、この公園を右回りにぐるりと一回りして最後にまた戻って来て‘水鳥’を観察して見たい!

画像ー97 071-2
14:42 それにしても水面に向うに家の影が反射して、‘水の芸術’を創り出している!

画像ー97 072-2
14:42 向うに家が無かったらこんな作品は生まれない!

画像ー97 073-2
14:42 これなんぞは、最早‘世界的巨匠’にも真似が出来ない程の‘芸術作品’になっている!アートだ、アート!

画像ー97 079-2
14:45 公園の東側に回るとここは桜と椿が植わっている。

画像ー97 080-2
14:46 桜はまだまだ蕾も見られない。

画像ー97 084-2
14:48 公園の東側から‘高台’を見たところ。単なる‘ハゲ頭’である!誰かに似た!?

画像ー97 086-2
14:50 公園の東南にある‘野球場’へやって来た。本塁ベースからセンターのバックスクリーンまで120mもあるらしい。

画像ー97 093-2
14:51 椿が見頃である。

画像ー97 098-2
14:51 綺麗な椿。何と言う種類なのだろうか?葉っぱだって艶やか!

画像ー97 100-2
14:53 入口から正面に見える時計台の裏側までやって来た。まだ日陰には雪が残っている。

画像ー97 101-2
14:54 時計台の時刻は、約一分進んでいる? 

画像ー97 102-2
14:53 この日は、平日(水曜日)だったこともあって人影はまばらだったが、子供の家族連れがあった。

画像ー97 103-2
14:53 子供は小学校前としても両親はその日は非番なのだろうか?子供は大はしゃぎで大きな声が公園内に響き渡っていた。

画像ー97 104-2
14:53 この公園には、‘風格のある’常緑樹が沢山ある。これも選定人の質の良さと予算の多さのお蔭なのかも知れない。上述の通り、この尼ヶ台総合公園は、長生村の持ち物である。この‘長生村’の名前が良いと言うので、全国的に‘ご老人’に評判がいいとみえて、移り住んで来られる人が多いとも聞く。‘長生’きという村だから、評判もいいのだろう。でも村の財政事情もそんなにいいのだろうか?公園の木が素晴らしいのは行ってみれば直ぐに判る。

画像ー97 107-2
14:56 ここは、トラック競技場である。広々としている。一周400mのトラックが楽々入っている。
 
画像ー97 109-2
14:58 公園の北側で、池に面している散歩コースである。ここは桜並木。

画像ー97 110-2
14:5文字色8 記念碑が建っている。表に刻んである文字では「昭和六十二年四月吉日」とあるのだが、裏の文字は・・・

画像ー97 112-2
14:58 「昭和三十二年長生村立高根中学校卒業生 尼ヶ台桜並木の会 平成八年二月吉日建之

表と裏、そして裏同士‘何の脈絡’もない! 「なに?これ?!」である。
 ‘投稿したろか?’もんであるが・・・。

画像ー97 113-2
14:58 水面は丸で‘鏡’のようである!

画像ー97 114-2
14:59 この水鳥の名前は何と言うのだろうか?

ここから先は、コメントなしの‘水鳥ショー’ どうぞご覧あれ!

画像ー97 123-2

画像ー97 124-2

画像ー97 129-2

画像ー97 130-2

画像ー97 131-2

画像ー97 132-3

画像ー97 133-2

画像ー97 134-2

画像ー97 135-2

画像ー97 138-2

画像ー97 142-2

画像ー97 143-2

画像ー97 144-2

画像ー97 146-2

画像ー97 147-2

画像ー97 148-2

画像ー97 152-2

画像ー97 156-2

画像ー97 159-2

画像ー97 154-2

画像ー97 157-2
15:10 最後は、全種類(?)勢揃いでのお開き! 約10分間の水鳥ショーの閉幕。

画像ー97 161-2
15:11 高台を西北から見たところ。

画像ー97 163-2
15:12 ここから先は、子供の遊び場。

画像ー97 164-2

画像ー97 165-2

画像ー97 167-2
15:14 歩道もかなり凝っているが上品で歩き易い!

画像ー97 171-2
15:16 駐車場近くのテニスコート。ここから賑やかな声が聞こえていた。

画像ー97 173-2
15:17 駐車場まで帰って来た。約50分間の散歩。でも、ここの‘高台’からはきっと富士山が見えると言う‘確信’が持てた。

それを実証するのは何時になるのだろうか? こんなお天気続きでは、多分‘早朝’でも‘夕方’でも一寸無理かもしれない! 

でも、なるべく早く‘実証検分’に踏み切りたい!

(つづく)

[2013/02/22 18:18] | 富士山 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
富士山の見える場所(その3):袖ヶ浦海浜公園
2013年02月14日の弊ブログ( http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-431.html )に、富士山の見える場所 として有名な‘米沢の森’(千葉県・市原市米沢)の頂上・御十八夜へ登ったことを記事にして掲載させて貰った。

残念ながらその日は、多分中国からのPM2.5の影響(?)で、米沢の森からは富士山はほとんど見えなかった。その時山頂でお会いしたご夫婦の勧めもあり、それに日暮れまでには多少の時間があったので、思いきっての遠出と洒落込んで(?)富士山の鑑賞地・袖ヶ浦海浜公園 へ行くことにしたのである。まあ、こんなお天気具合だといくら鑑賞地といえどその日に富士山を見ることは出来ないだろうと思っての出発である。一度前以て下見ぐらいしておこうというのである。

2013年02月10日14:40に米沢の森から降りて来て一息ついた、例の‘セブンイレブン’を出発した。

画像ー91 109-2
飲み物補給に立ち寄った‘セブンイレブン’。2月9日に‘米沢の森’への行き道をこのコンビニの店長さんに親切に教えて貰った。

画像ー91 114-2
2013年02月10日14:45 千葉県・市原市米沢の交差点。ここから踏切を渡って市原市牛久町へ入る。羽田空港へ茂原駅から向かうリムジンバスの通り道である。交差点の向こうに止まっているバスは、牛久駅と茂原駅との普通路線バスである。よ~く見ると、バスに‘茂原駅’の文字が見える。

画像ー91 115-2
15:26 東京湾へ到着。セブンイレブンを出発して約45分。およそ25kmの距離である。やはり素晴らしい眺めだ。道路整備も行き届いている。近郊の製鉄会社関連の事業所からの固定資産税(?)、その他諸々の税金のお蔭(?)なのかもしれない!茂原市とは大違いのように思える。

ここで、袖ヶ浦海浜公園の場所と富士山との位置関係を‘Google’の地図で確認しておきたい。

袖ヶ浦海浜公園0001-2
‘Google’地図から転載。Aが、袖ヶ浦海浜公園である。富士山と直線で結ぶと、富士山は、ほぼ真西に近い。

袖ヶ浦海浜公園20001-2
‘Google’の拡大地図で見てみると、袖ヶ浦海浜公園と富士山とを結ぶ直線は、この地図の‘海ほたる’の少し南側に当たる。という事は、下の画像では・・・

画像ー91 119-2
15:31 袖ヶ浦海浜公園に到着して、車から降りて来て最初に海岸に近付いての景色。東京湾アクアラインに続いて遠くに小さく見える(画面右端)のが‘海ほたる’である。上記の通り、富士山はこの画像のほぼ中央にきっと見えるに違いない!今日は、例の中国からのPM2.5のお蔭(?)で見えないが・・・。

袖ヶ浦海浜公園30001-2
これが、袖ヶ浦海浜公園。Google 地図の航空写真である。

画像ー91 124-2
15:33 画面左の建物がこの公園の展望台(無料)。煙突から出る‘水蒸気’(煙ではない!多分)は、先程登ってきた‘米沢の森’から見えていた物である。

画像ー91 125-2
拡大。

画像ー91 052-5
2013年02月10日12:24 米沢の森・御十八夜(162m)から西側の光景。画面左の‘2本の煙突’が、一つ上の写真にある煙突。富士山は、この2本の煙突の少し左側に見えると言うのだが・・・。

上の画像の右側の‘3本の煙突’を御十八夜(162m)から見た望遠写真が次の画像である。

画像ー91 054-2
12:24 御十八夜からの望遠ズームアップの写真。

画像ー91 135-3
15:39 海抜2mに降りて来ての‘2本煙突’と‘3本煙突’である。

米沢の森から見える富士山はやはり位置関係からして、海ほたるの左側に見えるのは間違いなさそうである。

これは大いに期待が持てそうである。しかし、‘狙い’は‘富士山が綺麗に見えること’ではない! 千葉県茂原市付近から美しい富士山が見えることである。ここ袖ヶ浦市と茂原市は直線距離で約50km離れている。茂原市は、あくまでも‘外房’であり、袖ヶ浦市は、‘内房’であるから、房総半島の中間にある小高い丘や森を通り越して富士山を遮るものが無いから、自ずから富士山の見え方が異なる。

実はこれでは余り面白くない!

ただ、どうして市原市や袖ケ浦市まで‘出張って’来るのかというと、それは次の理由による。

(1) 市原市は、同じ千葉県であり、特に茂原市とはお隣の市である。

(2) 袖ヶ浦市は、勿論市原市と同様、千葉県である。そしてもう一つの重要な(?)ことは、茂原市の車のプレートの管轄範囲(というかどうかは知らないが)が、実は‘袖ヶ浦’なのである。この文字には毎日出会う。従って、袖ヶ浦というのは茂原市民にとっては、‘兄貴’みたいな印象がある。

そんな訳で、富士山をこの両市に範囲を広げても、「まあ、いいじゃないか!」ということなのであ~る。

画像ー91 155-2
15:49 展望台

画像ー91 136-2
これは、展望台から見た展望台下のガーデンである。この展望台からは東京湾は‘丸見え’である。遮るものは無い!

画像ー91 145-2
巨大な船も見える。

画像ー91 154-2
これが駐車場。少々狭い感じがしたが・・・

画像ー91 150-2
展望台での‘多少芸術的’写真。

画像ー91 159-2
こんなお店もある。

画像ー91 161-2
2013年02月10日15:58 凡そ30分の滞在で、帰路に着いた。多分この日後一時間程度この公園で待っていれば、富士山の夕日シルエットが拝めたのかもしれないが、その日は‘米沢に森’にも登ったことだし、また日を改めて・・・。これで確実に富士山観賞場所が確保された。ただし、自宅からは一時間では来れない。多分一時間半は十分に掛かるに違いない。休日や春先では、きっと二時間は覚悟しなければならないかも・・・。

ここからの富士山の写真、乞うご期待!

(つづく)

<予告編> 

袖ヶ浦海浜公園から見た富士山。他人様の写真。方角的には間違っていないようである。

chiba-sodegaura-kaihinkouen-asa-4-2.jpg
http://www.geocities.jp/takakuri_1125_3/mypage81-aqualine-asa.htm
袖ヶ浦海浜公園の先端から見る              07.3.12
[2013/02/21 13:50] | 富士山 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
白と黒の世界、そして‘開花’!
千葉県・茂原市・千沢地域では、2013年02月19日午後から雪になった!
今年2回目の積雪 である。

千葉県茂原市千沢543Google マップ0001-2
この Google の地図では、Aの場所が、茂原市千沢の我が家である。

千葉県茂原市千沢543Google マップ100001-3
この画像は、やはり Google の航空写真から検索した我が家がAである。

昨日(2/19)の雪は、天気予報でも茂原市での積雪は無いと言っていたのに、16時頃にはもう積り始めていた。

画像ー96 033-2
2013年02月19日16:15 玄関先はもう1cmの積雪である。 これ以上積るとまた‘雪掻き’をしなければならないし、先日(01/14)のように‘雪崩’が起きないとも限らない。

画像ー96 036-2
02月19日16:15 南東の方向。この様子だと明日は車は動けないかもしれない。

画像ー96 073-2
02月20日08:15 一夜明けた今日。これなら、今日は大丈夫だ!

画像ー96 037-2
02月19日16:15 郵便受けにもそろそろ積りかけている。

画像ー96 152-2
02月20日09:56 一夜明ければ、これなら郵便も濡れ無くて済むに違いない。

画像ー96 038-2
02月19日16:16 玄関先の鉢にも・・・

画像ー96 034-2
02月19日16:16 南東の方向の‘借景’の杉も雪を積もらせつつある。

画像ー96 035-2
02月19日16:16 真東のKさん宅も・・・。

画像ー96 054-2
02月19日16:19 真南の方向。Aさんのお宅。

画像ー96 052-2
02月19日16:19 南東の方向。我が家の借景で、杉の林。

画像ー96 057-2
02月19日16:19 2階から見た我が家の庭。

画像ー96 058-2
02月19日16:20 望遠。しっかり雪が積り始めている。

画像ー96 059-2
02月19日16:20 南東の方向。川向うの土手。

画像ー96 061-2
02月19日16:20 南西の方向。

画像ー96 062-2
望遠で拡大。Sさんのお宅。

画像ー96 069-2
02月19日16:27 テラスも雪だらけ。

画像ー96 067-2
02月19日16:27 ウサギも雪をかぶって・・。

画像ー96 068-2
02月19日16:27 此方のウサギも・・・。

画像ー96 070-2
02月19日16:27 庭の植木。

画像ー96 072-2
02月19日16:27 何だか梢が凍りついてしまいそう。

一夜が明けて、2013年02月20日の様子。

画像ー96 079-2
2013年02月20日08:18 川向うの木も雪が消えている。

画像ー96 080-2
2013年02月20日08:18 Sさんの家もすっきりした。

画像ー96 110-2
2013年02月20日09:26 今年最初の積雪、1月14日の大雪の次の日には、‘雪崩’が起こってこの柵が下の画像のように‘くの字’にひん曲がって’しまっていたが、今回は大丈夫だった。

20130116131643601_20130220174838.jpg
http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-400.html
2013年01月15日13:17 2分前に雪崩(?!)が起こって、境界柵が雪の重みによる衝撃で曲げられた。その時の衝撃音が、ダンプ衝突の音に聞こえたのである。

画像ー96 118-2
2013年02月20日09:28 小川もすっかり氷が無くなっている。

画像ー96 130-2
2013年02月20日09:30 玄関前のKさん宅の‘梅’。

画像ー96 132-2
2013年02月20日09:30 まだ氷が・・・。

画像ー96 132-3
2013年02月20日09:30 拡大。

画像ー96 162-2
2013年02月20日11:14 お昼近くなると段々気温も上昇して、氷は少しずつ溶け始めた!

画像ー96 163-2
2013年02月20日11:14 一部を望遠で・・・。

画像ー96 163-3
2013年02月20日11:14 もう少しで・・・。

画像ー96 164-2
2013年02月20日12:23 テラスの方はすっかり雪は解けてしまっている!

画像ー97 008-2
2013年02月20日13:53 梅の蕾が・・・。

画像ー97 004-2
2013年02月20日13:53 とうとう今日‘開花’!

この雪の冷たさが、逆に梅に開花する力を与えたのかも知れない!

(つづく)
[2013/02/20 18:14] | 気象 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
三人展
「三人展」開催のご案内葉書が、切り絵・陶芸家の小堀龍治先生から届いた。

shinnbunn-2_20130218110038.jpg三人展0002-2
(この案内葉書の先生のお名前・‘龍司’が間違っている。正しくは、‘龍治’)

小堀龍治先生の工房(千葉県市原市国吉495)に以前お邪魔をして作品を見せて貰ったことがある。先生の作品は実にユニークで、特に陶器の片口の縁に‘河童’が‘居座っている’。そして、その河童が‘片口の中のきゅうり’を狙っているという傑作作品である。そんな河童が自由自在に表現されているのに興味があって、一つだけ知人へのお土産に購入したことがある。今回もそれが展示しておることを念じて、2013年02月17日、古民家ギャラリーに行ってみることにした。‘WEB’で調べても次のように出て来る。

http://www.cl-shop.com/blog/2013/02/15/846/
logo.jpg

バラエティーに富んだ3人の作家作品との出会いを
~アイディアとセンスが光る~

バラエティー-320x185

2月27日(水)まで、市原市鶴舞にある古民家ギャラリー上総更級美術館で、『陶芸・版画・切り絵・イラスト 三人展』が開催されている((月)休・10~17時。入館無料)。市内在住の陶芸家の原地宏幸さん、切り絵陶芸作家の小堀龍治さん、版画家の木寺啓幸さんの3人が新作・未発表作品を含めた約250点が一同に会した見ごたえある展示会だ。
「市原北部や市外での私たちの展示会は、これまでも開きましたが、南部では初めて。是非、地元や周辺地域の皆さんにも立ち寄ってほしい。このギャラリーは天井も高く広くゆったりしている上、立って見て回る会場でなく、好きな所に座って作品を眺めたり、のんびりと鑑賞できる。遊び心あふれる作品もあるし、気軽に来てください」と原地さん。
力作揃いの中、特に「今回、私の作品で注目!」を尋ねると、原地さんは「酒器と土鍋」、小堀さんは「初めて出品する県展入選作の壺」、木寺さんは「ビアジョッキ」とのこと。
パーティや集まりなどで活躍しそうな貫入三彩の大鉢、飲食店からの「あったらいいな、こんなもの」を実現した野の花をさりげなくあしらえる皿、ガラスのビアジョッキに比べ軽く、しかもぬるくならないビアマグ、ハンコなど入れて玄関に置けばインテリアにも実用にもなる小物入れ他、陶芸といっても用途も様々な作品が並ぶので、あなただけのお気に入りの一品が見つかるかも。更に、女性に人気のバラ柄のフルーツ皿や額の代わりに木目も美しい木に作品をはめこんだ「木の温もりと土の冷たさを感じる」作品、他にあまり類をみないカラー銅版画や木口木版画も。
是非、この機会をお見逃しなく。
問合せ 上総更級美術館
TEL 0436・88・4001
問合せ 美術館事務局
TEL 0436・98・3630


千葉県市原市鶴舞 鶴舞郵便局 - Google マップ0001-2
ギャラリーは、上図のAの場所である。(‘Google 地図’から検索 )

自宅から車まで約40分でギャラリーに到着した。

画像ー95 126-2
2013年02月17日14:30 

画像ー95 128-2
ご近所の御老人に聞いてみたところ、この‘古民家ギャラリー’は、昔は、近郊一番の‘呉服屋’さんだったという。立派な蔵が目立っている。‘上総更科実術館’とあるから、もしかして‘蕎麦屋’さんかとも思ったが・・・。

早速中に入ってみた。1階は‘レストラン&コーヒーショップ’で、2階が実術館になっていて、2階に靴を脱いで上がることになっている。蔵の一部も美術館として立派な展示場となっている。

画像ー95 101-2
都合良く、小堀先生がおられた。画面中央が先生である。

小堀龍治先生
三人展0001-2
先ずは、小堀龍治先生の作品から

画像ー95 098-2
あった、あった!やはり‘河童’が縁にいる‘片口’である。

画像ー95 096-2
河童の格好はそれぞれ違うが、この河童がいい!

画像ー95 100-2
やっぱり片口の中の‘きゅうり’を狙っている!

画像ー95 061-2
最近は、この作品にあるように‘菩薩’も描かれておられるそうだ。

画像ー95 062-2
これは、‘勢至菩薩’。「最近、カミサンが‘仏画’を始めたんですよ!」と私。「そりゃあ、そりゃあ、仏画の素材を私も随分集めております。良かったらいつでもお貸ししますよ」と小堀先生。「それじゃあ、今度工房にお伺いしてよろしいですか?」とカミサン。仏画の原画をお借りする話が一瞬で纏まった。

画像ー95 089-2
前出の‘シティライフ社’のブログに掲載されている作品にも出会えた!

画像ー95 065-2
素晴らしい作品がずらりと並んでいる。

画像ー95 070-2
その中でも、この‘盛魚’と名付けられた作品は素晴らしい!

画像ー95 064-3
小堀先生は、経歴書にもある通り‘切り絵’を得意とされている。この作品は、実は数年前に購入させて貰ったので我が家にもある。
我が家のものは、‘額’が安物だから折角の素晴らしい作品の‘品格’を落としてしまっているが、ここで見てもう一度惚れ直した次第。流石に素晴らしい!

画像ー95 069-2
それが何とこの壺に焼き写されている! どんな‘技法’を使われたのだろうか?

画像ー95 066-2
これはまた先生の得意なやり方の一つ。板にはめ込んであり、その板にも芸術性がある。

画像ー95 077-2
これは、一輪挿し。 カミサンがこのうちの一つを買うという。

画像ー95 180-2
なかなかの芸術作品である。お買い得!

画像ー95 072-2
これも新しく発展された分野の一つ。切り絵の静けさとは対照的。

画像ー95 119-2
河童の好きな小堀先生は、どうしてもコップに河童を描きたいと仰っている。箸置きもいい!

画像ー95 078-2
ここまでで小堀龍治先生の作品の紹介は終わり。中央の大きな背中が小堀先生。

画像ー95 074-2
ここのギャラリーは、美術館と名乗るだけあって、建物自体も‘芸術作品’である。天井が無く‘梁’が直に見えるようになっている。

画像ー95 075
ここに展示される芸術作品には、「価値も価格も‘天井なし’」の意を表そうとしているのだろうか?

次は、木寺啓幸先生の作品。

三人展-2
奥様(多分?)の木寺陽子氏も版画作家。

middle_1302830621.jpg
http://sky.ap.teacup.com/applet/kidera/201104/archive
これが木寺啓幸先生の陶器窯。2011年の東日本大震災の余震の際にも焼いておられたそうだが無事だったそうだ。

画像ー95 084-2
画面右端、椅子にお座りの方が木寺啓幸先生。

画像ー95 107-2
誠に見事な作品である。実は、先生のご専門は、どちらかというと経歴書にもある通り、版画。

画像ー95 104-2
陶芸にもご造詣が深くこんな立派な作品がずらり! そこで私も木寺先生の‘小作品’を一つ購入させて貰うことにした。

画像ー95 177-2
これです! いいでしょう! 「窯に少し空気を入れると‘釉薬’の役目をする」と先生。この画面の上側には一寸その傾向がみられる。その反対側は、空気の廻りが悪く素焼き(?)のままである。

画像ー95 176-3
この内側がいい!

画像ー95 176-2
拡大して見ると、少し‘異物’のように見える箇所があるが、これがいい! 先生のご説明によると、窯の灰が偶然落ちれ来てその場所にこの‘偶然の模様’を創ったそうだ(ひょっとしたら聞き間違いかも?)。
この偶然が実にいい!

画像ー95 106-2
そんな訳で、一つ一つ偶然が作品に現れてどれ一つ同じものが出来ないところが‘芸術作品’たる所以かもしれない。だからこそ陶芸は奥深いのだろう。

画像ー95 105-2
したがって、作品の出来具合は予測出来ないらしい。窯開きの瞬間ほどドキドキすることは無いという。

画像ー95 108-2
どれもこれも先生の魂が感じられる素晴らしい作品である。

それでは、先生の版画は?

画像ー95 112-2

画像ー95 111-2

画像ー95 114-2

これら三つの作品はきっと素晴らしいものに違いないだろうが、私には版画に関する審美眼がないためこの良さが残念ながら余り認識出来ない。

殿(しんがり)は、原地宏幸先生の作品。この日先生は不在だった。

画像ー95 080-2

画像ー95 079-2
原地宏幸先生の作品には、他にない‘独特の色’がある。この色が素晴らしい!一つの作品の中で場所によってほんの少しだけ色が違うのである。

画像ー95 085-2
この‘大鉢’は、色といい形といい抜群である!

画像ー95 122-2
お三人とも地元千葉県・市原市を中心に活躍しておられる陶芸家であるが、三人展は初めてだそうだ。

画像ー95 125-2
3歳と4歳のファンも見に来ていた!


貴重な作品を観終わって、厚かましくも「この辺で富士山が見える場所、ご存じありませんか?」と聞いてみた。
「ここら辺りからは見える場所が沢山ありますよ! 地図を書いてあげましょう」と気楽にスケッチブックを取り出してお書き頂いた。

画像ー95 086-2
どうやら千葉県市原市では、富士山はいたるところで拝めるらしい。先日の‘米沢の森’も市原市である。

三人展0003-2
その時に小堀龍治先生から書いて頂いた地図である。

帰りにこの地点へ行ってみることにした。

(つづく)
[2013/02/19 03:21] | 芸術 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
隕石落下の教訓:隕石が‘北朝鮮’に落ちていたら?
2013年02月15日にロシアに落ちた‘隕石’が、もしも北朝鮮に落ちていたら、世界中は大騒ぎになったの違いない!

隕石落下の報道は次のように世界中のメディアが一斉に追っかけた!

画像ー95 003-2
2013年02月16日22:15 TBSテレビ・「今週のニュース7days」(以下同様)

日本時間で、きのう(2013年02月15日正午頃)ロシアに隕石が落ちたというのである。

画像ー95 007-2
画面にある通り、周囲200kmに亘っていくつかに分かれて落下したという。

画像ー95 009-2
けが人が大勢出て、その数判っているだけで1,200人以上というから驚きである。隕石の落下でこれだけのけが人が出た例は過去の記録に有るのだろうか?

画像ー95 011-2
現地時間では、午前9時20分ごろだと画面に出ているから、朝の最も忙しい時間帯である。

画像ー95 013-2
モスクワから1,400km離れていたから被害は少なかったのだろうが・・・

画像ー95 015-2
隕石落下の様子を見ている人達。でもよくその瞬間の映像が撮れたもんだ!

画像ー95 018-2
隕石の通過後にこんな‘軌跡’が残っているのもきっと珍しいに違いない。これまでに文献その他で見たことは無いから・・・。

画像ー95 023-2
窓ガラスが割れているから、‘衝撃波’だと思われている。

画像ー95 024-2
正式発表も‘衝撃波’だと断定。いつどうやって起こった‘衝撃波’なのだろうか?

画像ー95 028-2
上空40kmの高さのところでの衝撃、これは地球を取り巻く空気濃度が高まる距離(高さ)にある空気層と隕石との衝突の際に発生した‘衝撃波’だという。

画像ー95 029-2
酸素の存在する空間で、ハイスピード(秒速約18km)の隕石と空気との摩擦が起これば、一挙に‘爆発’する。解説者は、日本スペースガード協会理事長・高橋氏。

画像ー95 030-2
‘流れ星’の大きさは、通常は、直径がほぼ‘1mm’程度であることは、この弊ブログでも文献引用して述べたことがある。

昨日の弊ブログにも引用させて貰ったが、この隕石の大きさと重さは、「ロシアに落下した隕石(いんせき)の大きさについて、米航空宇宙局(NASA)は15日、大気圏突入前の段階で直径17メートル、質量1万トンだったと推定される、と発表した。」そうだから、勿論普通の‘流れ星’とは全く違う。小惑星の一つに違いない。

画像ー95 036-2
少なくとも3つに大きく分かれた。

画像ー95 045-2
この場所では、隕石の‘破片’は見つかるのだろうか? 手前の人が持っている装置(?)は、ガイガーカウンターかも? 放射能を測っているのだろうか? いずれ近日中に破片やデータが発表されるものと思われる。

画像ー95 041-2
此方は、建物に落下した現場。

画像ー95 042-2
この被害を受けた建物から‘隕石がぶつかったために壊れた建物の瓦礫’が運び出されているところ。ここでも隕石は見つかったのだろうか?

画像ー95 038-2
プーチン大統領もきっと肝を冷やしたに違いない!

さて、ここからは‘仮定’の話である!

2月16日は、北朝鮮の金正日の誕生日である。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%AD%A3%E6%97%A5
金正日 1941年2月16日に父親の金日成が逃亡先として滞在していたソビエト連邦(現:ロシア)の極東地方に生まれたとされる[6][7][8]。正確な出生地についてはハバロフスク近郊のビャックエにある北野営[7]、ウラジオストク近郊のオケアンスカヤにある南野営、ウラジオストク市内の病院といった諸説がある。出生名はユーリ・イルセノビッチ・キム(露: Юрий Ирсенович Ким, Jurij Irsenović Kim)[9][10]。朝鮮式の幼名は有羅(ユーラ、김유라)。「有羅」はロシア人名「ユーリイ」に由来しており、ソビエト連邦出生説の根拠の一つともなっている。
ただし、北朝鮮側の発表では金日成、金正日を神格化する意図から、金正日は1942年2月16日に白頭山で誕生したとされている。1982年2月15日、中央人民委員会より「白頭山密営にて誕生」という公式発表がおこなわれ[11]、白頭山密営は「革命の聖地」とされた。1987年2月には密営の建物(丸太小屋)が建設された。
また、名が「ユーラ」から「ジョンイル」に変わったのは朝鮮半島の解放後のソビエト連邦軍政期とする説、1960年夏頃とする説がある[12]。1980年の第6回党大会にて「金正日」という表記が確認された。「キム・ジョンイル」の名が公式文書に登場した当初、日本では「金正一」の字があてられていた[13](当時、朝鮮人が父母の名から字を取ることは稀であり、朝鮮の伝統的な命名ルールではあり得ないこととされている)。


今年もこの日に北朝鮮ではご存じの通りいろいろな式典が行われた。

NHKは次のように伝えている。

第1書記 総書記の銅像除幕式に出席
2月17日 11時28分

北朝鮮のキム・ジョンウン第1書記は、16日、キム・ジョンイル総書記の遺体が安置されている宮殿を訪れるとともに、総書記の新しい銅像の除幕式に出席し、父親の神格化に拍車をかけることで、みずからの求心力を高めようとしているとみられます。

画像ー95 047-2
NHK/TV画面をデジカメで撮影(以下同様)

北朝鮮の国営テレビは17日の放送で、キム・ジョンウン第1書記が、キム・ジョンイル総書記の誕生日に当たる16日、総書記の遺体が安置されているピョンヤン市内の宮殿を訪れた様子を伝えました。
キム第1書記は、側近や軍の幹部と共にキム総書記の像に敬意を表したあと、宮殿内の展示室で、総書記が生前使用した高級車やクルーザー、それに中国やロシアを訪問した際に乗った執務室つきの特別列車などを見て回りました。

画像ー95 051-2

また、放送では、キム第1書記が、北朝鮮屈指のエリート校で行われたキム総書記の銅像の除幕式に出席し、総書記の妹のキム・ギョンヒ氏とことばを交わす場面も紹介されました。

画像ー95 052-2

画像ー95 056-2

キム第1書記としては、アメリカなどとの対決姿勢を強めるなか、父親の神格化に拍車をかけることで、みずからの求心力を高めようとしているとみられます。

一方、キム第1書記のリ・ソルジュ夫人を巡って、妊娠したのではないかという観測が広がっていましたが、16日に宮殿に同行した際の映像では、おなかのあたりがすっきりしたように見えることなどから、すでに出産した可能性があるという見方が出ています。

画像ー95 059-2


北朝鮮では、この2月16日は、金正日の誕生日を国民全体でお祝いをする日である。NHKも報道している通り、盛大な式典が厳粛に行なわれた。そして、これは‘ミサイルの成功’と‘核実験の成功’という‘功績’を世界に示すと共に、自らの求心力を高める場として利用しようとする日でもあった。

その準備が整ったその前日に、‘もしもあの隕石が、ロシアに落ちずに北朝鮮に落ちていたとしたら’、そしてそれが銅像広場か遺体が安置されている宮殿に落ちていたとしたら、世界の事情は一変していたに違いない!

キム第一書記は、発車の準備が出来ているかどうかは不明だが、アメリカからの攻撃と勘違いしてアメリカへ向けてミサイルを発射させたかも知れない!

そして、韓国や日本にも小型ミサイルを・・・。

偶然とはこんなことである。

今回の‘隕石に落下’は、そんな危険性を孕んだ‘一大イベント(?)’だったはずである。

何も北朝鮮に落ちたことのみが重大事件になるというのではない!

まかり間違って我が国日本の何処かの原発に隕石が落ちていたと想像すれば、原発直撃なら、先の福島原発の被害よりもっと大きな被害を齎すに違いない!

そんな意味でも‘核分裂による原発’は、早々に運転停止は勿論解体撤去をも急ぐ必要がある!

1,200年に一度の確率という計算もあるが、今度の隕石の落下は誰も予測出来なかった。そうだとすると‘明日’やって来ないとも限らない!勿論確率は少ないだろうが、‘0’ではないのである。

これが今回の‘隕石落下の教訓’である!

(つづく)

[2013/02/18 02:35] | 仰天! | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
2013年2月16日に接近した小惑星と同年2月15日の隕石騒ぎ
自然科学研究機構 国立天文台 (http://www.nao.ac.jp/faq/a0509.html )の記事によれば、地球に接近した‘小惑星’は、次のようなものである。

Q:2013年2月16日に接近した小惑星‘2012 DA14’とは?

A:小惑星‘2012 DA14’は近地球型小惑星のひとつです。2012年2月23日、スペインのラ・サグラ天文台で発見されました。この小惑星の直径は45メートル、質量は13万トンと推定され、地球と似た軌道で太陽を回っています。


flash-2012da14-s.jpg
http://www.nao.ac.jp/faq/a0509.html
[速報] 小惑星2012 DA14。2013年2月16日午前4時59分撮影

地球への接近

地球へ最も近づくのは2013年2月16日午前4時24分頃(日本時間)で、スマトラ島近傍の西インド洋上空、約27700キロメートルになります。

小惑星 2012 DA14の軌道は精度よく求められています。軌道の誤差を考えても、地表から27650キロメートルより地球には近くなることはありません。

見え方

2013年2月16日(日本時間)に地球に最接近し、最大7等級まで明るくなると考えられています。

日本では2013年2月16日午前3時30分から午前4時前後に南西の空に見え始め、北へ移動します。およそ1分間に満月2個分ほどの速度で、ゆっくりと移動する様子を観察できるでしょう。その後、午前5時前後に薄明がはじまって空が明るくなり、次第に見えなります。

なお、各地の日の出日の入り時刻については、暦計算室のサイトで調べることができます。

img0509.png

最も明るいときで7等級という予想のため、暗すぎて肉眼で観察するのは不可能です。双眼鏡や視野の広い望遠鏡を使うと観察しやすいでしょう。それでも、都市部などの空の明るいところでは観察できないかもしれません。


さて、一方2月15日にロシアに落下した‘隕石’とこの小惑星との関係については、NASAの発表は次の通り、無関係という。

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2013&d=0217&f=it_0217_002.shtml
NASA、ロシアの隕石は地球近傍小惑星「2012 DA14」と関係ない
【ITニュース】 2013/02/17(日) 00:21

  アメリカ航空宇宙局(NASA)は2月15日、ロシアに落下した隕石について、同日に接近した地球近傍小惑星「2012DA14」との関係はなく、単なる偶然だと発表した。

  発表によると、2月15日にロシアに落下した隕石は地球近傍小惑星「2012DA14」の軌道とは正反対で、全くの関連性がないという。

  また、ロシアに落下した隕石は1908年に起きた「ツングースカ大爆発」以降で最大で、秒速約18キロメートルの速度で大気圏に突入した。大気圏突入する前の大きさは約15メートル、重さ約7000トンと推定しているが、今後のデータで修正する可能性もあると説明している。


このニュースをCNNは次のように伝えている。

http://www.cnn.co.jp/fringe/35028318.html

小惑星が地球の近くを無事通過、ロシアの隕石とは「関係ない」
2013.02.16 Sat posted at 10:10 JST


asteroid-earth-graphic01 (1)
小惑星「2012DA14」は日本時間16日未明に地球に最接近=NASA/JPL-CALTECH提供

http://www.cnn.co.jp/fringe/35028318.html
(CNN) 米東部時間15日午後2時24分頃(日本時間16日午前4時25分頃)、小惑星が地球の近くを無事通過した。
同日、この小惑星が通過する数時間前に、隕石(いんせき)がロシア上空で大気圏に突入し、爆発した。この影響でビルなどのガラスが割れるなどして、約1000人が負傷したが、科学者らによると小惑星の通過と隕石の爆発は関係ないという。
今回、地球に接近したのは「2012 DA14」と呼ばれる小惑星で、地上から約2万7500キロ上空を通過した。この小惑星の長さは45メートルほどと見られる。一方、ロシア上空で爆発した隕石(大気圏突入前は小型の小惑星だった)は幅が推定15メートルほどしかなかったため、発見が困難だった。
オーストラリア、アジア、東欧では、今回地球の近くを無事通過した小惑星を望遠鏡や双眼鏡で観察できた。米航空宇宙局(NASA)のビデオ映像を見ると、オーストラリアのジンジン天文台からは、明るい白い光の筋に見える。
NASAの地球近傍天体(NEO)チームのポール・チョーダス氏によると、科学者らはこの小惑星に関する広範な研究を行っており、今後の進路はかなり先まで予測できているという。


asteroid-2012-da14-graphic02.jpg
2012DA14の軌道予想図。米東部時間の15日午後2時24分(日本時間16日午前4時24分)、通信衛星よりも近い地球から2万7700キロの距離を通過する=NASA/JPL-CALTECH提供

しかし、地球に接近する可能性のある小惑星は数千個あり、今回の小惑星はその1つにすぎない。
この点について、NASA・ジェット推進研究所のNEOプログラム・オフィスのマネジャー、ドン・イエオマンズ氏は「我々が監視している小惑星の中で、地球衝突の可能性を否定できていない小惑星は多数存在するが、どれも衝突の可能性は極めて低い」としている。
イエオマンズ氏によると、2012 DA14ほどの大きさの物体が地球に衝突する確率は1200年に1度程度だという。


朝日新聞デジタルも次のような記事を載せている。

http://www.asahi.com/international/update/0216/TKY201302160020.html
隕石「直径17メートル、質量1万トン」 NASA推定

 【ボストン=行方史郎】ロシアに落下した隕石(いんせき)の大きさについて、米航空宇宙局(NASA)は15日、大気圏突入前の段階で直径17メートル、質量1万トンだったと推定される、と発表した。1908年にシベリアで起きた宇宙からの落下物による「ツングースカ大爆発」以降で最大という。ロシア科学アカデミーは15日、「大きさ数メートル、重さ約10トン」との推定値を示していた。

 NASAによると、大気圏突入時の推定速度は秒速18キロ。突入後30秒間にわたって肉眼で見え、太陽より明るかったとみられる。また、16日早朝に地球に最接近した小惑星「2012 DA14」とは関係ないとの見解も示した。小惑星が南から北に向けて地球の横を通過したのに対し、隕石は反対に北から南に向かっていたとみられ、「互いの関係はなく、全くの偶然」とした。


以上の記事から、今回の小惑星の接近は、前以て計算されていた通りであったが、ロシアへ落下した隕石については予測出来なかったし、小惑星2012DA14とは無関係である。という結論である。この隕石騒ぎについては次回詳細を・・・。

(つづく)

[2013/02/17 11:00] | サイエンス | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
春の息吹
人間は勝手なものである。夏の猛暑の頃は「寒さには耐えられるのだが、こんな暑さには一寸ね!」と言い、雪が降れば「やっぱり、温かいところに住みたいね!」という。

年中‘常夏’が良いかというとやはり「日本人、四季があるのがいい!」とのたまう。

今、日本の2月16日は、一年中で一番寒い時である。

そんな中にも‘植物たち’とりわけ戸外の植物は、寒さに耐え忍びながらも‘春に向かって’着々と準備を始めているのである!

我が家の庭の‘植物’にカメラを向けてみた。それに、2月14日にお薬を貰いに行った茂原市の或る病院の駐車場で‘春の息吹’を見つけたので、携帯でパシャリと撮ってきた。

画像ー94 002-2
2013年02月15日09:38 曇り。気温6℃。風強し。場所:千葉県・茂原市・千沢の我が家の庭。

画像ー94 002-3
拡大。 何と言う名前かは知らないが、花の蕾はもう準備が出来ている。

画像ー94 004-2
これも何と言う木かは知らない。まだ葉っぱの芽は、小さい。

画像ー94 005-3
その拡大。 息づいてはいるようだ。

画像ー94 006-2
この木は、少しは・・・

画像ー94 008-2
拡大して見ると、もうそろそろ、と言った感じ。

画像ー94 012-2
これは、どうだんつつじ(満点星)。

画像ー94 012-3
もう春の準備に入っている。

画像ー94 016-3
キンカンは、何時が旬なのだろうか?

画像ー94 016-2
食べてみると、新鮮な味がする!

画像ー94 021-2
遠くから見ると、まだどれも‘冬ごもり’の状態だが・・・

画像ー94 022-2
一寸近づくと・・

画像ー94 023-2
もう春の息吹が感じ取れる!

画像ー94 024-2
曇った空を背景にすれば、寒々としているが・・・

画像ー94 026-3
これも拡大して見ると、もう直ぐ、といった様子である。

枯れ葉と一緒にくっついているのは、確か‘カマキリの卵’! 共食いをしたメスのカマキリが、ひょっとしてここに卵を産みつけたのかもしれない! 当時はまだ、この木の葉っぱが邪魔をしてこの卵を発見出来なかったのだろう。あの共食いの様子を撮影(http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-359.html)した後、随分探したのだが見つからなかった。カマキリだってそうやすやすと見つかるところには産まないのだろうから・・。

20121207122711370_20130216110348.jpg
2012年12月06日08:45 我が家の庭で偶然見つけた、カマキリが共食いをしている場面!

画像ー94 029-2
川淵のこの小さな木にも春の訪れが・・・

画像ー94 029-3
新芽であることが判る。

画像ー94 035-2
この小川の夏の主役・カニはまだ‘冬眠中’のようである。

画像ー94 043-3
玄関先は、正月用に新しく植え替えたのがまだ持っている。

画像ー94 044-2
此方も玄関先。

2013021412440000-2.jpg
ここは、千葉県・茂原市法目784の或る病院の駐車場横。菜の花に水仙、もう春でしょう!

2013021412450000-2.jpg
菜の花もここでは今が盛り。

2013021412110000-2.jpg
水仙もここでは今が見頃!

2013021412370000-2.jpg
この生垣の椿の名前は知らないが、これも今が盛りである。

2013021412360000-2.jpg
春一杯!

2013021412360001-2.jpg
この一輪は素晴らしい!

画像ー94 039-2
ここは戻って我が家の裏である。この杉の木は我が家のものではない。ただでお借りしている(?)借景であるが、とうとう今年もやって来ました、花粉の季節!

画像ー94 042-3
アップで撮ってみると? おや?花粉が余り無い!もう飛んで行ってしまったのだろうか?

sugi1.jpg
http://nakkan362.blog129.fc2.com/blog-entry-99.html
これが、通常今頃の‘さあ今から出陣だ!’といっている‘杉の花粉’の倉庫(?)なのだが、ここ我が家の裏の杉は今年は‘在庫不足’?のようだが、果たして・・・。

杉の花粉症には、もう何十年も悩まされ続けている。インターネットで‘新治療方法’を見つけた!何でもやってみることだ。どれかが自分に合う事を頼りにして・・・。

billboard-naka.jpg
http://www.kafunsho.sg/kafunsho/bionette/purchase1

use_1.gif

割引価格 13,800円(税込)
送料 1,000円(代引き手数料無料)

お悩みの方は、上記アドレスをクリックして見ては如何?

私? 今年はまだ一回もそれらしき‘くしゃみ、鼻水、目のかゆみ’が無い。このまま、このまま・・・とお願いしている最中である。

(つづく)
[2013/02/16 11:46] | 気象 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
‘アベノミクス’の滑り出し(その3):春闘の皮切りを政府が・・・
‘アベノミクス’の滑り出しは、今のところ‘順調’と言っていい。‘3本の矢’については、政府は‘同時に’とは言うけれど、細かく言えば‘同時に’出来る筈がない!

国民の最大の関心事は、‘いつ自分達に具体的な収入アップがあるかどうか’に掛かっているのである。時期が明言されれば、それで皆が納得する。

自然の成り行きにそれを任せるというやり方もあるに違いないが、それでは、それまでの期間に‘何らかの不安要素’が入ってくれば、‘アベノミクス’の印象が悪くなる! 何とか早く手を打ってくれねば、と思っていたが、2月12日の安倍首相はそれを実行した!  その日は、丁度北朝鮮の‘核実験’のニュースが飛び込んで来ていて、マスコミもそちらに重点を置いたため、余り目立たなかったが、そうでなかったら各メディアも大きく取り上げたに違いない!

見方を変えれば、‘春闘の賃上げ交渉の皮切り’を安倍政権が行なった! という事になる。

これは、安倍政権の快挙である!

http://www.47news.jp/CN/201302/CN2013021201001823.html
首相「好業績企業は報酬増を」 経済界トップに要請

PN2013021201001827.jpg
 デフレ脱却に向けた経済界との意見交換会で、あいさつする安倍首相(右端)と経済同友会の長谷川閑史代表幹事(左端)、経団連の米倉弘昌会長(左から2人目)、日本商工会議所の岡村正会頭(同3人目)=12日午後、首相官邸

 安倍首相12日、官邸で開いた経団連の米倉会長ら経済3団体のトップとの意見交換会で「業績が改善している企業は報酬の引き上げなどの取り組みをして頂きたい」と述べ、労働者の賃金引き上げへの協力を求めた。

 13年春闘では連合が給与総額などの引き上げを求めているが、経営側は慎重姿勢。首相は賃上げへの協力を経済界に直接要請し、金融緩和などを進める安倍政権の経済政策「アベノミクス」の成果を暮らしに波及させる狙いがある。

 米倉会長は意見交換会の終了後、記者団に「業績が良くなれば一時金や賞与に反映される」と述べ、基本的な給与の引き上げは景気状況次第との認識を示した。2013/02/12 13:28 【共同通信】



http://www.excite.co.jp/News/politics_g/20130212/Jiji_20130212X095.html
賃上げ、直接要請=経済3団体トップに―安倍首相
時事通信社 2013年2月12日 12時48分

政府は12日、首相官邸で「デフレ脱却に向けた経済界との意見交換会」を開いた。席上、安倍晋三首相は、経団連、日本商工会議所、経済同友会の経済3団体トップに対し、業績が改善した企業の賃金引き上げを要請した。経済界の協力を得て、従業員の賃上げといった目に見える形で「アベノミクス」の効果を国民全体に浸透させるのが狙いだ。

安倍首相は「政府は労働市場改革など規制緩和に取り組む。経済界には、業績が改善している企業の報酬引き上げをぜひお願いしたい」と表明。「官民が力を合わせて、本格的なデフレ脱却に力強く歩み出したい」と述べた。

米倉弘昌経団連会長は意見交換会の後、記者団に対し「業績が良くなれば、どの企業でも一時金や賞与に反映される。景気回復が本格的になると思えば、今度は給与や雇用の増大につながる」と語った。 



http://www.bloomberg.co.jp/news/123-MI1ZH36K51J201.html
安倍首相:経済界に直談判、脱デフレへ報酬アップ要請-意見交換 (1)

  2月12日(ブルームバーグ):安倍晋三首相は12日昼、首相官邸で「デフレ脱却に向けた経済界との意見交換会」を開き、企業経営者に報酬引き上げを要請した。

安倍首相は会合のあいさつで、「業績が改善している企業には報酬引き上げの取り組みをご検討いただきたい」と述べた。甘利明経済再生担当相は会合後記者団に対し、経済界の出席者からは収益が上がるとともに賞与や賃金の引き上げは可能との発言があったと述べた。為替について要請はなかったという。

安倍政権は日銀による大胆な金融緩和により、2%の物価上昇目標の達成を目指しているが、野党からは金融緩和をしても賃上げにはつながっていないと指摘する声が出ていた。

8日の衆院予算委員会では笠井亮氏(共産党)が金融緩和と賃金上昇の関係について「金融政策で日銀がお金を刷ればよくなるというが、これまでだってジャブジャブやってきたのにうまくいかなかった。経団連は賃上げしないと明言している」と疑問を投げ掛けた。

これに対し安倍首相は、経営者側に対し「なるべく賃上げ、あるいは一時金という形であっても従業員の給与が増えていく対応をしてくれればありがたい」との期待感を表明。その上で、「来週、経営者の皆さんにそうした要請を行いたい」との考えを明らかにしていた。



http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2013021200469
安倍首相、経済界との会合打ち切り
 安倍晋三首相は12日昼、首相官邸で開かれた経済界との意見交換会で「北朝鮮の核実験があったかもしれないとの情報がある」と表明し、意見交換会を打ち切った。(時事ドットコム)(2013/02/12-13:39)


春闘を控えてのこの安倍首相の経済回への要請、このタイミングは時期を得ていて、大いにン評価すべきだろう。


日本の経済界は、ご承知の通り、‘3つの団体’が代表である。

(1) 経団連(日本経済団体連合会)

100527085.jpg
http://search.ntv.co.jp/news24/search/?category=news&page=1
&sort=&keyword=%E7%B1%B3%E5%80%89%E5%BC
%98%E6%98%8C%E4%BC%9A%E9%95%B7

会長・米倉 弘昌(よねくら ひろまさ、1937年3月31日 - )<住友化学>


http://www.keidanren.or.jp/profile/pro001.html
経団連の概要
経団連とは

日本経済団体連合会は、わが国の代表的な企業1,285社、製造業やサービス業等の主要な業種別全国団体127団体、地方別経済団体47団体などから構成されています(いずれも2012年3月29日現在)。

その使命は、総合経済団体として、企業と企業を支える個人や地域の活力を引き出し、我が国経済の自律的な発展と国民生活の向上に寄与することにあります。

このために、経済界が直面する内外の広範な重要課題について、経済界の意見を取りまとめ、着実かつ迅速な実現を働きかけています。同時に、政治、行政、労働組合、市民を含む幅広い関係者との対話を進めています。さらに、会員企業に対し「企業行動憲章」の遵守を働きかけ、企業への信頼の確立に努めるとともに、各国の政府・経済団体ならびに国際機関との対話を通じて、国際的な問題の解決と諸外国との経済関係の緊密化を図っています。


(2) 日本商工会議所

okamura (1)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C
日本商工会議所会頭
岡村 正(おかむら ただし、1938年7月26日 - )<東芝>

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C
%AC%E5%95%86%E5%B7%A5%E4%BC%9A%E8%AD%B0%E6%89%80

日本商工会議所とは
商工業の振興に寄与するため商工会議所間の意見の総合調整や国内外の経済団体との提携を図る機関であり、日本経済団体連合会・経済同友会と並ぶ三大経済団体の一つである。


http://www.jcci.or.jp/about/jcci/index.html
わが国最初の商工会議所である「商法会議所」は明治11(1878)年に東京、大阪、神戸で設立されました。その後、全国の主要都市に相次いで設立され、明治25(1892)年に15の商業会議所がその連合体として「商業会議所連合会」を結成しました。
 そして大正11(1922)年6月に「商業会議所連合会」を改編し、常設の機構・事務局を持つ「日本商工会議所」が誕生しました。それ以後、名称・組織の 変更など様々な変遷がありましたが、戦後の昭和29(1954)年に現行「商工会議所法」に基づき特別認可法人として改編され、今日に至っています。
 現在(平成22年11月時点)、全国で514商工会議所がそれぞれの地域で活動しています。商工会議所は(1)地域性-地域を基盤としている、(2)総合性 -会員はあらゆる業種・業態の商工業者から構成される、(3)公共性-公益法人として組織や活動などの面で強い公共性を持っている、(4)国際性-世界各 国に商工会議所が組織されている、という4つの大きな特徴を持っており、全国の商工会議所の会員数は129万(平成23年3月現在)を数えています。
 日本商工会議所は、全国514の商工会議所を会員とし、各地の商工会議所が「その地区内における商工業の総合的な発展を図り、兼ねて社会一般の福祉増進に 資する」という目的を円滑に遂行できるよう全国の商工会議所を総合調整し、その意見を代表している団体です。


(3) 日本経済同友会

fc2blog_20130214170722300.jpg
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDD240GC_U1A021C1M11500/
代表幹事・長谷川 閑史(はせがわ やすちか、1946年6月19日 - )<武田薬品工業>

http://www.doyukai.or.jp/about/about.html
経済同友会とは

公益社団法人経済同友会は、終戦直後の昭和21年、日本経済の堅実な再建のため、当時の新進気鋭の中堅企業人有志83名が結集して誕生しました。以来65年以上にわたり、一貫して、より良い経済社会の実現や国民生活の充実のための諸課題に、率先して取り組んでいます。

企業経営者が個人として参加し、自由社会における経済社会の牽引役であるという自覚と連帯の下に、一企業や特定業種の利害を超えた幅広い先見的な視野から、変転きわまりない国内外の経済社会の諸問題について考え、議論していくところが、経済同友会最大の特色です。

本会の各分野にわたる討議・調査・研究などの成果は、企業経営者の確固たる意思と良心、時代を見通した先見性の表明として世に問われ、政策当局や産業界はもちろんのこと、各政党、行政当事者、労働団体などの社会諸集団と、意欲的かつ柔軟な対話活動を積極的に展開し、広く社会に対して大きな影響を与えています。また、"世界に貢献する日本"の実現のため、国際社会に対して常に明確な問題意識をもち、世界各地域との交流、相互理解促進のための多角的な事業を展開しています。

経済同友会は、優れた発想と時代感覚に富んだ企業経営者の積極的な参画を得ながら、国民生活の豊かさと世界経済の調和ある発展をめざして、常に新しい時代に向けた果敢な挑戦を続けています。


それぞれの団体には、その‘沿革’があってその意図するところにもそれぞれの事情があるが、ど素人が簡単に、この‘経済界の団体’を理解するには、こう思っておけばよい。

(1) 経団連 ・・・ 大企業の集まり

(2) (日本)商工会議所 ・・・ 中小企業の集まり

(3) 日本経済同友会 ・・・ 経済人個人の集まり

Q:経済同友会って、‘どうゆう’会? 

A:‘こうゆう’会 (交友)会 !

という‘駄洒落’を作ったことがある。経済‘同友会’は、‘交友会’的色彩が強い。

これら日本の‘経済3団体’が、安倍首相の要請を反対せずに聞き入れたという事は‘アベノミクス’にとって正にタイミングの良い結果となった。これには、北朝鮮の‘核実験’のニュースも一つの‘支え’になったようである。 日本が‘一丸’とならねばならないという‘危機感’が、この提案を受け入れる気持ちを後押ししたとするなら・・・。

(つづく)


[2013/02/15 00:00] | 政治と社会 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
富士山の見える場所(その2):‘米沢の森’と富士山(その2)
2013年02月10日の弊ブログで、「‘米沢の森’と富士山 」を何故取り上げたかについては、そのブログに書かれている通り、我々が住んでいる千葉県・茂原市で、ひょんな(?)ことから余り期待されてもいなかった‘富士山の眺望’が可能だったことが事の始まりで、私自身がもっと近辺の別の場所で別の形の富士山を拝みたいという気になったことから、千葉県・市原市の
‘米沢の森’に焦点が絞られたという訳である。

それは、次の「タケチャンのブログ」(http://blogs.yahoo.co.jp/takeabose/14539569.html)に載っている‘証拠写真(?)’が元になっている。

御十八夜の初日の出(4)富士山-2
http://blogs.yahoo.co.jp/takeabose/14539569.html
2013年01月01日の富士山。此方は西側。
こんな富士山が、近所で見えると言うなら‘行かなきゃあ、そん、損’というものだ!

またこのブログに同時掲載されている今年の‘初日の出’がまた素晴らしい!

御十八夜の初日の出(3)
http://blogs.yahoo.co.jp/takeabose/14539569.html
2013年01月01日の米沢の森・御十八夜からの‘初日の出’・御来光! 当然、此方が東側。

御十八夜の初日の出
http://blogs.yahoo.co.jp/takeabose/14539569.html
2013年01月01日 ‘米沢の森’に来て、初日の出を拝んだり、撮影していた人達。

このブログに出会ったら、やはり一度は行ってみたくなる。それが、2月10日と11日の両日我々を‘米沢の森’に
赴かせた理由である。

2013年02月11日10:50、千葉県茂原市千沢の我が家を出発。準備した航空写真や地図を車内に大事にしまってお昼には‘米沢の森’の中の一番海抜高さの高いスポット、‘御十八夜’と呼ばれる頂上(海抜162m)に到達する計画である。

先ず目指すは、第1駐車場。

米沢の森地図

第1駐車場は、この案内図の画面の中央、下から1/3辺りの‘羽賀池’の上(北側)である。

千葉県茂原市 - Google マップ米沢ー40001-2
この航空写真の中央が‘羽賀池’である。画面の上が北側であり、第1駐車場に2台ほど車が駐車していることが判る。

画像ー91 102-2
11:28 この右手の上に見える‘ガードレール’が、実は‘羽賀池’のガードレールだったのだが、この道を右に折れずにそのまま直進してしまった。そして、迷っているところへ前方から‘3人組’がやって来られて、「一寸バックして、左手が駐車場よ!」と教えてくれたのだ。

画像ー91 005-2
11:39 従って、やっとの思いで‘第1駐車場’へ辿りついたのが、この時刻。我が家を出て約50分が経ってしまっていた。

画像ー91 004-2
11:40 車から降りて、いざ、待望の‘米沢の森’へ。

画像ー91 006-2
11:40 目指す山頂の‘御十八夜’(162m)へ。立て札にも、その文字が・・・。

画像ー91 008-2
11:42 ここに来てみると、やたら立て札が多い。道は、余り整備されていない。

画像ー91 009-2
11:46 確かに方向は間違っていないようである。駐車場を指摘して呉れた‘3人組’は、何度も来ておられるようで、さっさと我々を置いて頂上を目指して先に行かれたしまった。

画像ー91 011-2
11:49 駐車場を出て約10分で、この大きな木へ着いた。案内図にも‘シンボリツリー’と表現してあるが、木の名前は判らない。道を間違えていない事だけは判った。

画像ー91 012-2
11:49 梢はまだ硬く、葉の芽は、まだ先のようである。

画像ー91 015-2
11:50 水仙が植えられていた。

画像ー91 016-2
11:51 水仙は今が見頃のようである。

画像ー91 019-2
11:53 下山してこられる5人の御一行様と出会った。朝早くから来られたのだろう、元気に大声で笑いながら下って行かれた。

画像ー91 024-2
12:02 シダ類の‘ウラジロ’である。ちっとも汚れていない! 食べれる物なら食べてみたい位新鮮だった。

画像ー91 026-2
12:03 右手の‘竹やぶ’は、どうしたことか、竹が折れている。

画像ー91 027-2
12:04 無秩序に折れているのは、どうしたことだろうか?

画像ー91 028-2
12:05 杉の木の‘根元’がこんなにも湾曲しているのも珍しい。

画像ー91 030-2
12:06 道案内板に、我々がPCから拾い出して持参した‘案内図’と同じものが張りつけられている! 上記の案内図である。

画像ー91 031-2
12:06 ここでやっと先に行かれて休憩をしておられた‘3人組’に追いついた。これからは‘5人組’。

画像ー91 033-2
12:08 かなりきつい勾配となってきた!

画像ー91 034-2
12:11 これはもう3段上がっては、深呼吸!この繰り返し。結構きつかったが・・・、

画像ー91 035-2
12:16 遂に頂上が見えた! たったの‘162m’でこの不様さ!  我が家を出て、1時間26分。途中駐車場へ辿りつくのに迷って約10分のロスがあったが、大体予定通りの時間である。

画像ー91 036-2
12:17 何でもこのアンテナが乗っかっている建物は‘スカイツリー’からの電波を受けるために‘新調’された中継所だという。そういわれりゃあ、出来たばかりのようである。

さてさて、アンテナよりも、富士山、富士山!

画像ー91 052-2
12:24 こちらの西の方向に‘富士山’が見えて然るべきであるのに、全く‘感知’出来ない!

でも、カミサンには‘薄っすらと’ではあるが見える!という。

画像ー91 054-2
12:24 一つ上の写真の‘中央部’の望遠拡大である。富士山なんて全く写っていない!

‘もう少し左!’カミサンが言う。 こっちも必死である。見えないのでいい加減に撮りまくった! 家に戻ってコントラストをPCで強くして見ると・・・、

画像ー91 043-1-5
これが富士山? 他人には見せられる画像ではない。

もう真冬とは違って、‘春の訪れ’が来ているのかもしれない! やはり、中国の‘PM2.5’の影響だとしておこう。  

夕暮れまで待てば、我が家の近所から見るのと同じ‘夕映え富士’が見えるに違いない。参考までに他人様がこの場所から撮られた写真が次の画像である。

9ed615c1-2.jpg
http://blog.livedoor.jp/yonezawanomori/archives/2011-12.html( 2011/12/4の日付け)

今日はもう富士山を諦めた!

画像ー91 065-2
12:32 此方は、北西の方向。ゴルフ場である。

画像ー91 066-2
12:32 拡大。

画像ー91 069-2
12:50 ご誘導戴いた御二人である。何でも東京から何年か前に‘牛久’へ越して来られた由。この‘牛久’とは、茨城県の牛久市ではなく、この‘米沢の森’から数kmの市原市・牛久町である。目を凝らせばここから自宅が見える?かも・・・。

画像ー91 070-2
12:50 此方が、朝日の昇るのが見える東の方向である。

画像ー91 071-2
その拡大。上記、初日の出・ご来光は、この場所からのものである。

(つづく)

その日の内に、富士山がもっと綺麗に見えると教わった‘在る場所’へ出かけた!
[2013/02/14 00:00] | 旅行・散策 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top
国会における石原慎太郎議員の質問
2013年02月12日の 国会中継 をNHKのTVで見た。

誠に‘理路整然’としていて、しかもその問題について‘己自身の問題’という自覚を持って‘勉強’した痕跡が見え、正に大所高所からの己の意見だった。

首相以下各閣僚は、皆たじたじの状況で、まともに受け答えが出来ない状況がTV画面を通じて伝わってきた!

彼自身は‘遺言書’という表現を使ったが、正に後輩の勉強不足を叱咤すると共に今後の政治家としての視野の拡大を教授し、激励する‘大演説’であった。

今度の衆議院選挙では、人気は日に日に落ちて行ったが、これは多分‘マスコミ’の情報操作とさえ言ってもいい程の‘嫌がらせ’だったかと疑いたくなった。

彼ほどの政治家は今のところいないようにさえ見えた。

ところが、当の一部の‘マスコミ’の論評は、絶賛ばかりではない!次の記事に酷評がにじみ出ている!

http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20130212-OHT1T00176.htm

20130212-390670-1-L.jpg
衆院予算委で質問する石原慎太郎氏

石原慎太郎氏、18年ぶり国会質問で独演会

 日本維新の会の石原慎太郎共同代表(80)が12日、国政復帰後初めて衆院予算委員会の質問に立った。

 「浦島太郎のように18年ぶりに戻ってきた暴走老人です」と冒頭から飛ばしまくった石原氏。維新の質問時間として割り当てられた1時間50分を独り占め。そのほとんどを、憲法改正問題や尖閣諸島問題の見解など自説の主張に割いた。

 「亀井静香、今どこ行った? みどりの党? 聞いたことないね」「外務省のバカが」さらに、中国のべっ称ではないことを主張した上で「シナ」と10回以上、連呼した。議員辞職した95年以来の国会論戦だったが、安倍晋三首相(58)らの答弁時間は計5分ほど。まさに独壇場だった。

 なかでも靖国参拝について「靖国が政治問題になるのなら、首相が行く必要はない」と述べ、「やめる代わりに、天皇陛下に国民の代表とし参拝することを、あなたから奏上していただくのはいかがでしょうか」と安倍首相に問いかけた。対して安倍首相は「うんぬんする立場ではない」とサラリと受け流した。

 予算委のあとも、石原氏は絶好調。北朝鮮の核実験については「核が増えれば増えるほど、逆に使えなくなるんだからさ」と皮肉。報道陣には、質問内容について「何か文句あるか!」と笑いながら言い放ち、意気揚々と国会を後にした。


非難の言葉は記事の中の無いが、賞讃の言葉も全くない! これは‘事実’のみを報道しているから何の問題もないのだろう。しかし、行間からは明らかに‘敵意’が感じられる。新聞記事ってこんな物なのだろうか?

上記‘スポーツ報知’は、讀賣新聞傘下であるが、讀賣新聞の2013年02月13日第2面には、次の記事が載っている。

shinnbunn0001.jpg

この記事だって、賞讃している訳ではないが、‘敵意’はそう感じられない!

我々‘年寄り’には、石原慎太郎議員の質問・発言は、国家を想う気持ちが十分有って、その視野の広さと奥の深さを感じさせるに十分な‘演説’だったと思われたのだが・・・。言葉尻しか捕えられない‘新聞記者’に何だか不安を感じさせる記事であった。

出来れば、この国会質疑の速記録が手に入らないかと思って、‘WEB’で検索したところ、何の何の、そんな‘ハードコピー’など面倒くさい!

‘YOU TUBE’が有るのであ~る!

是非、次のサイトをクリックして‘大講演’を楽しみ、日本のこれからを深く考え直して欲しい!

【動画】平成25年2月12日衆議院予算委員会 石原議員の質問

  http://matome.naver.jp/odai/2136064646571401901

1時間50分、直ぐに終わってしまいますゾ!

そして、このサイトに意見を言った人達のコメント! それも見る価値大いにあり!



(つづく)
[2013/02/13 16:12] | 政治と社会 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
北朝鮮の第3回‘核実験’!
2013年02月13日の讀賣新聞朝刊は、一面トップで今回の‘事件’を次のように伝えている!

shinnbunn0002-2.jpg
shinnbunn-2.jpg

昨日(2013年02月12日)のテレビ朝日・報道ステーションでは、この事件情報を‘21:49~22:33’の約44分に亘って報道した。

この報道ステーションのTV画像を‘デジカメ’で撮影し、判り易く記録しておくために‘紙芝居風に’纏めてみた。(全ての映像は、テレビ朝日・報道ステーションの画像)

<0> キャスター及びコメンテーター

画像ー92 215-2
お馴染みの、報道ステーションキャスター:古舘伊知郎氏

画像ー92 197-2
この方もお馴染み、ここのところのレギュラー・コメンテーター:朝日新聞論説委員・三浦俊章氏

画像ー92 191-2
昨日の特別コメンテーター:前防衛大臣・森本敏氏

画像ー92 212-2
昨日の特別コメンテーター:元北京防衛駐在官・(東京財団研究員)小原凡司氏

<1> ‘事件の発端’

画像ー92 037-2
日本の気象庁のみならず、世界中の地震観測地点でマグニチュード:5.2程度の通常の地震波とは違う‘異常振動’を観測していた。

<2> 北朝鮮の発表

画像ー92 017-2

画像ー92 022-2

画像ー92 023-2
以上の通り、第3回目の核実験を行なったことを発表した。2013年02月12日11:57:50という。

画像ー92 028-2

画像ー92 049-2
このコメントを世界中に発した彼女は、きっと一生北朝鮮政府が面倒を見ることになるのだろうか?

画像ー92 147-2

画像ー92 148-2

画像ー92 149-2

画像ー92 150-2

画像ー92 162-2

画像ー92 164-2

画像ー92 165-2
あくまでも強気の姿勢である。これが今後北朝鮮の立場を悪くするとの予測もしていない訳でもあるまいが、大きな賭けに出たという見方が一般的である。


<3> 日本政府の発表

画像ー92 097-2
事前に日本政府にはアメリカから情報が齎されていたという。日時の予測はなかったとコメントしている。

画像ー92 117-2

<4> 安倍首相のコメントと及びアメリカ駐日大使との会談

画像ー92 104-2

画像ー92 025-2

画像ー92 132-2

画像ー92 134-2
日本の取り組みは、国連への提訴が基本だと言うが、さて国連はどう動くのだろうか? 特に中国の動きが注目される。


<5> 韓国では・・・

画像ー92 065-2

画像ー92 131-2
次期大統領も北朝鮮に試されている!

<6> アメリカでは・・・

画像ー92 136-2

画像ー92 138-2
13日の一般教書発表の中にこの問題をどう入れ込むのだろうか?

<7> 注目の中国では・・・

画像ー92 140-2

画像ー92 142-2

画像ー92 143-2

画像ー92 176-2

画像ー92 210-2
遂に中国も‘堪忍袋の緒’を切る時が来た! 習近平氏も試されている。

<8> 国連の反応は?

画像ー92 186-2

画像ー92 187-2
さて、国連の安保理はどんな解決策を出すのだろうか?

<9> 解説

画像ー92 037-2

画像ー92 082-2

画像ー92 079-2

画像ー92 068-2

画像ー92 184-2

<10> 問題点

① 各国の新指導者及び新体制が試されている!

② 特に、‘飼い犬に手を噛まれた’中国 が、国連でどんな発言をし、どんな意思表示をするのか?

③ 世界の核問題をどう処理するのか?特に、大国の核保有をどう説明するのか?

④ ウラン型の場合、北朝鮮のウラン埋蔵量の多さが問題である。

⑤ 日本及び韓国の拉致問題を誰が解決するのか?

⑥ 北朝鮮と組む国家への制裁方法は?

⑦ 北朝鮮への‘人道的支援’の方法は?

いずれにしても世界中を大混乱に陥れている事件である!

(つづく)

[2013/02/13 14:25] | 戦争の記憶 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
‘建国記念の日’とその‘の’の意義
本日(2013年02月11日)は、国民の祝日「建国記念の日」であって、「建国記念日」ではない。‘の’が入いるのである。

案外この‘の’の意味を知っている人が少ない!その理由は、‘決め方’に問題があったからである。

日本人独特の‘玉虫色’の決め方と言ってもいい。玉虫の羽は、光線の当て方の違いによりその色が緑色や紫色に見えたりすることから、考え方の基本が違えば解釈が違ってもいい、という正に日本人の‘都合の良さ’、もっと言えば‘無駄な論争をしない何事もこと無かれ主義’という日本人の‘性格の良さ’を示す。勿論、その反面‘優柔不断’とも非難されはするが・・・。

600px-Chrysochroa_fulgidissima_by_OpenCage.jpg
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E
3%82%A4%E3%83%AB:Chrysochroa_fulgidissima_by_OpenCage.jpg

‘色’は、面白いもので、‘もの’そのものが‘色’を持っている訳ではない。その‘もの’に‘光線’が当たって、その跳ね返りの‘光(=反射光)’がその‘もの’の‘色’と思われているだけである。従って、当てる‘光線’が‘太陽光’のような‘白色光’でなければ‘反射光’もそれに伴って変わってくる。何故‘玉虫’が玉虫色’を反射するかについては、その理由も含めて後日別途解説する。

さて、横道にそれてしまったが、‘Wikipedia’にその決め方の詳細が次のように解説してある。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%BA%
E5%9B%BD%E8%A8%98%E5%BF%B5%E3%81%AE%E6%97%A5


「建国記念の日」と定められた2月11日は、かつての祝祭日のひとつ、紀元節であった。紀元節は、『日本書紀』が伝える初代天皇である神武天皇即位の日として、1872年(明治5年)に制定された[1]。この祝祭日は、1948年(昭和23年)に制定された国民の祝日に関する法律附則2項で、「休日ニ關スル件」(昭和2年勅令第25号)が廃止されたことに伴い、廃止された。
紀元節復活に向けた動きは、1951年(昭和26年)頃から見られ、1957年(昭和32年)2月13日には、自由民主党の衆議院議員らによる議員立法として「建国記念日」制定に関する法案が提出された。しかし、当時野党第一党の日本社会党が「建国記念日」の制定を「神武天皇即位の年月は、歴史上、科学的に根拠が薄弱であり、今後学問的検討を待って決定すべきではないか」「過去において、神武東征の物語りが、征略国家として支那事変、大東亜戦争において利用され、偏狭なる忠君愛国の教育とも相待って、日本の進路を誤まらせたものではないか」などと批判し、「建国記念日」の制定が保守政党の反動的行為であるという理論を繰り広げて反対した為[3]、衆議院では可決されたものの、参議院では審議未了廃案となった。
その後、「建国記念日」の設置を定める法案は、9回の提出と廃案を繰り返すも、成立には至らなかった。結局、名称に「の」を挿入した「建国記念の日」として“建国されたという事象そのものを記念する日”であるとも解釈できるようにし、具体的な日付の決定に当たっては各界の有識者から組織される審議会に諮問するなどの修正を行い、社会党も妥協。1966年(昭和41年)6月25日、「建国記念の日」を定める祝日法改正案は成立した。
同改正法では、「建国記念の日 政令で定める日 建国をしのび、国を愛する心を養う。」と定め、同附則3項は「内閣総理大臣は、改正後の第2条に規定する建国記念の日となる日を定める政令の制定の立案をしようとするときは、建国記念日審議会に諮問し、その答申を尊重してしなければならない。」と定めた。当の「建国記念日審議会」は、学識経験者等からなり、総理府に設置された。約半年の審議を経て、委員9人中7人の賛成により、「建国記念の日」の日付を「2月11日」とする答申が1966年(昭和41年)12月9日に提出された。同日、佐藤内閣は「建国記念の日は、二月十一日とする。」とした「建国記念の日となる日を定める政令」(昭和41年政令第376号)を定めて公布し、即日施行した。


そして、‘建国記念の日’そのものの概説は以下の通りである。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%BA%E5%9B
%BD%E8%A8%98%E5%BF%B5%E3%81%AE%E6%97%A5


‘建国記念の日’概説 [編集]

国民の祝日に関する法律(祝日法、昭和23年7月20日法律第178号)第2条は、建国記念の日の趣旨について、「建国をしのび、国を愛する心を養う。」と規定している。1966年(昭和41年)の祝日法改正により国民の祝日に加えられ、翌1967年(昭和42年)2月11日から適用された。

他の祝日が祝日法に日付を定めているのに対し、本日のみが「政令で定める日」と定められている(経緯は#沿革を参照)。この規定に基づき、佐藤内閣が建国記念の日となる日を定める政令(昭和41年政令第376号)を定め、「建国記念の日は、二月十一日」とした。2月11日という日付は、明治時代の初期[1]に定められ1948年(昭和23年)に廃止された紀元節と同じである。紀元節の日付は、『日本書紀』にある神武天皇が即位したとされる日(辛酉年春正月庚辰朔)に由来する[2]。
当日は、各地の神社仏閣にて「建国祭」などの祭りが執り行われる。


さて、それでは、世界各国の‘建国記念日’は、どう取り決められているかを見てみると以下の通りである。

( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%BA%E5%9
B%BD%E8%A8%98%E5%BF%B5%E6%97%A5

建国記念日 - Wikipedia0001
建国記念日 - Wikipedia0002
建国記念日 - Wikipedia0003
建国記念日 - Wikipedia0004-2

このデータをよ~く眺めてみると次のことに気付く。

① 日本と大韓民国の記念日の決め方が諸外国とは少し違う。

② イギリスの建国記念日が見当たらない。


① については、建国の在り方の解釈が、建国される事情が違ったためと考えれば良いが、② のイギリスの場合は、その歴史的意義と‘イギリス’と呼ばれる‘国’の事情をもう少し認識する必要がある。

そもそも‘イギリス’とは?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9
イギリス:正式名称は、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国(グレートブリテンおよびきたアイルランドれんごうおうこく、英: United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)、通称イギリスは、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの4つの国(イギリスのカントリー)から構成される立憲君主制国家であり、英連邦王国の一国である。また、国際関係について責任を負う地域として王室属領及び海外領土があるが、これらは厳密には「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」には含まれておらずこれらを含む正式な名称は存在しない。
ユーラシア大陸西部の北西にある島国であるが、アイルランド島でアイルランド共和国と国境を接している。国家体制は国王を国家元首とし、議院内閣制に基づく立憲君主制である。国際連合安全保障理事会常任理事国の一つである。公用語である英語は実質上世界共通語としての機能を果たしており、広大な英語圏を形成している。
大航海時代を経て、世界屈指の海洋国家として成長。西欧列強のひとつとして世界に植民地を拡大し、超大国として栄え大英帝国と呼んだ。19世紀には世界の過半を影響下におき、パクス・ブリタニカ(イギリスによる平和)と呼ばれる比較的平和な時代をもたらしたが、19世紀終盤にはドイツ、次いでアメリカに経済規模で抜かれ、第二次世界大戦を機に植民地の大部分を失い衰退し、現在に至る。


http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1176350646

日本でイギリスと呼ばれている場所にある国を連合王国(UK)と言います。

現在の連合王国の領土域になったのは1921年です。しかしそれを持って建国記念日とはしません。
連合王国の元になったイングランドとスコットランドの合併は1707年ですが、これも記念日として祝ったりはしません。

現在の連合王国を構成する4つの国はそのどれもがはっきりした建国の日を持ちません。

そのうちイングランドに関しては現在につながる国家の起源に近い状況になったのが1066年です。しかしこれも建国の年ではありません。

なお4カ国にはそれぞれ守護聖人の記念日があります。しかし建国を記念する日ではありません

England →聖ジョージ日(4月23日、非祝日)
Scotland → 聖アンドリュー日(11月30日、スコットランドで祝日)
Wales →聖ディヴィッド日(3月1日、非祝日)
Northern Ireland → 聖パトリック日 (3月17日、北アイルランドで祝日)


「建国記念の日」に関する今年の様子をNHK・NEWS/WEBが次のように伝えている。
logo.png

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130211/k10015437921000.html
建国記念の日 各地で式典や集会
2月11日 18時6分

建国記念の日の11日、これを祝う式典や、反対する集会が、各地で開かれました。

このうち東京・渋谷区では、神社本庁などで作る「日本の建国を祝う会」が式典を開き、主催者の発表でおよそ1500人が参加しました。
主催者を代表して、國學院大学教授の大原康男さんが、「建国記念の日を日本再生に向けた確実な一歩とすべく、改めて決意したい」とあいさつしました。
そして、「新政権は、憲法改正など国家の根本に関わる問題に着手しつつある。誇りある国造りへ向けて、尽力することを誓う」などとする決議を採択しました。
参加した40代の女性は、「領土問題をきっかけに、若い世代を中心に国の在り方を議論すべきだと感じるようになりました。憲法を改正し、子どもたちが安心して暮らせる世の中にすべきだ」と話していました。

一方、東京・中央区では、歴史研究者や教職員など主催者の発表でおよそ450人が参加して、建国記念の日に反対する集会が開かれました。
この中で、一橋大学名誉教授の渡辺治さんが、「総選挙で、改憲を志向する政党が勢力を大きく伸ばすなか、平和憲法を守ることの意味を改めて考えるべきだ」と述べました。
そして、「国防軍設置が主張されるなど憲法は戦後最大の危機にある。歴史の逆流を許さず、憲法を力として、平和なアジアと日本社会の未来を開こう」などとする宣言を採択しました。
参加した高校3年生の女子生徒は、「平和を守るうえで、憲法の存在は非常に大きいと考えています。私はまだ有権者ではありませんが、もし憲法改正が問われれば、きちんと考えて判断したいと思います」と話していました。


大騒ぎが起こるでもない‘玉虫色’の「建国記念の日」だったようである。
[2013/02/12 02:31] | 国家と社会 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
富士山の見える場所(その2):‘米沢の森’と富士山(その1)
千葉県・茂原市・千沢の我が家の極く近所から「富士山が見える!」と‘偉大な発見’をされたご夫婦のお蔭で、富士山が見える茂原市の‘地点(スポット)’を探し回ることに興味が湧いてきた。

ここぞと思われるところへ‘しらみつぶし’に行ってみるのだが、天候の加減や時間帯が合致せず、見落としもあるのだろう、まだご夫婦が発見された‘狭隘な場所’以外には‘茂原市の富士山スポット’が見つかっていない!

弊ブログの2013年01月08日の記事

外房からの富士山と‘レイライン’http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-392.html

の中に他人様の記事を転載させて貰ったいる。以下の記事である。

20130107121415d88_20130211104016.jpg

この原版があればと思い、‘WEB’で検索して見ても出て来ないから、多分一般公開をされていないのだろう。これは、千葉県・成田市とスカイツリーと富士山という有名な場所が‘レイライン’という‘光の一直線’上にあることを示している貴重な資料である。

その弊ブログ記事中に掲載させて貰っている私自身の富士山の画像は、以下のものである。

201301071837046d8_20130211112010.jpg
2012年12月12日16:48 茂原市千沢・赤目橋からの富士山。

201301071837045d4_20130211112010.jpg
同上のトリミング・拡大。
この画像は、弊ブログの‘プロフィール’に使っているものである。

その他、富士山が見えた!(続報)( http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-334.html
に掲載した画像が以下の二つである。

 
20121114201833672_20130211112913.jpg
2012年11月14日17:00 千葉県茂原市千沢からの富士山

201211151023565b3_20130211112913.jpg
2012年11月15日08:13 千葉県茂原市千沢からの富士山

20121114201331642 これ!
2012年11月14日、17:00 千葉県・茂原市・千沢の‘赤目川’に掛かる‘赤目橋’のすぐ脇の土手から撮影 ( http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-333.html )

何枚並べてみても、大勢の人達があらゆる方面から素晴らしく高性能なカメラで撮影された画像には及ばない。しかし、茂原市にの住民にとっては‘貴重な写真’なのである。

だがだが、やはり千葉県からの富士山の美しい画像も自分で撮影して見たい!

そんな思いから、一昨日(2013年02月09日)近辺では有名だという‘米沢の森’へ出かけて行った。ところがである。この米沢地区というのは、千葉県市原市のど真ん中、地図上では市原市の‘へそ’の部分に当たるという噂を信じて、‘カーナビ’の案内に従って車を走らせた。

‘米沢の森’なる表示などどこにもない! もうこの近所だと思ってもその周辺をぐるぐる回っているだけで行きつかない!とうとう直ぐそばだと思われる‘セブンイレブン’で聞いてみることにした。

画像ー91 109-2

「この四つ角を右に折れて、暫らく行けば‘農業用ため池’が右手に見えます。そのトイメンに4~5台が駐車できる駐車場があります。そこに駐車して左手の丘を登れば直ぐですよ!」と店長さんが親切に教えてくれた。

「そこから、富士山が見えると聞いたのですが?」

「そうのようですね。お天気次第ですが・・・」

そんな会話をして、いざ!という訳で‘米沢の森’を目指したが、‘ため池’が見つからない! トイメンの駐車場?
これも見つからない! 事前に‘WEB'でおおよその位置は見て来たつもりだったのに。その位置からもうとっくに離れてしまっている。‘米沢の森’らしき一帯をぐるりと回って元に戻ってきたが、看板もなければ、それらしきは入り口もとうとうその日(一昨日)は見つけきれずに、富士山はひょっとするとここ市原市と茂原市の中間の地点の高台にある‘笠森観音’の展望台からだったら富士山が・・・、という思いで笠森観音を目指すことになった。

画像ー89 143-2
2013年02月09日14:36 笠森観音

画像ー89 180-2
2013年02月09日15:03 笠森観音の展望台からの富士山方向
残念ながら、この地からは富士山は望めないことが確認出来た!

さて、これだけ時間をかけて富士山の雄姿を探し回ったのに・・・・。

その夜。カミサンが頻りに‘パソコン’で、‘米沢の森’の地図を探し回っている。

‘米沢の森’という文字を使って‘WEB'で探せば、「団体名:市原米沢の森を考える会」(http://www.guruguru-ky.com/pg56.html)等々が検索出来るのだが、事務局の住所は示してあるのに、‘どういう訳’かは知らないが、肝心の‘米沢の森’への行き道は全く情報が無い!これが考える会?と考えさせられる!もう少し‘考える会を発展させるには’もう少し考えて貰いたい!という憤慨にも似た思いになった。

しかし、やっとの思いで見つけたのが下の情報である。

米沢の森地図
ttp://www.pref.chiba.lg.jp/shinrin/event/h20/documents/h20yonezawa.pdf
画面の下方の‘凡例’は、情報転換の際に‘文字化け’はしているが、これならいける!と思ったのは、地図を探し始めて、何と1時間以上は経ってしまっていた!

カミサンの‘執念’だった!

この案内地図を見ると、‘セブンイレブンの店長さん’が教えてくれた通りである! 悲しいかな、この案内ずには‘縮尺’が入れらられていない!‘常識だろうが!’と思うのだが・・・。でも行ってみれば判る!‘ため池’は発見出来なかったのだが、地図上にある‘上水タンク’なるものは発見していたのだから・・。

そして「明日、もう一度行ってみたい!」と言い出すではないか! これには私も驚いた!‘執念’である!勿論こっちに異存等あろうはずがない!

という訳で、2013年02月10日(日)再出発となったのである。準備したのは、下の‘Google’の航空写真。地図には情報が少な過ぎて役に立たない。

千葉県茂原市 - Google マップ米沢0001-2
探し出した‘案内地図’にかぶさる‘Google’の地図であるが、情報が少な過ぎる。

千葉県茂原市 - Google マップ米沢ー20001-2
同じ場所の航空写真。青が、上図と同じ、市原市米沢の地図上の位置である。勿論ここが‘米沢の森’ではない!

千葉県茂原市 - Google マップ米沢ー40001-2
案内図にある‘第1駐車場’が確認出来るので、セブンイレブンの店長さんの案内とは異なるが、ここへ駐車しようと決めた。

千葉県茂原市 - Google マップ米沢ー50001-2
この北へ向かう細い道が‘第1駐車場’への道である。

さて、駐車場に着くまで色々と困難があったが、ある人達との出会いがあって、みなさんの誘導があって、遂に山頂(162m)に辿りつくことが出来たのである。そして、山頂からの‘富士山’は??

画像ー91 033-2
2013年02月10日12:08 画面の最後尾が‘カミサン’。先方の3人に出会って‘誘導’して貰っているところ。

画像ー91 069-2
12:50 誘導して戴いた二人の美人さん達。山頂(162m)で・・・。


(つづく)

[2013/02/11 16:41] | 旅行・散策 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
‘アベノミクス’の滑り出し(その2)
昨日(2013年02月09日)の弊ブログで、‘アベノミクス’の滑り出し(その1)について記事にさせて貰ったが、その記事の最後に、

<3> 中国の反応

中国は、政権交代を揺るぎがないものとして国内外に‘威力’を見せつけるために‘必死’の様子である。それを客観的に見られていることに気付かなければ、とんだ‘茶番劇’というものだ!

この項目は、明日のブログで・・・。(つづく)

ということで‘中国の反応’についての結論を先送りした。それには理由がある。この問題が終盤を迎えているのではなく、これからが‘本番’だと予測されたからである。ブログを書き終えた後でも、どんどん新しい動きがニュースで流れていた。

<3> 中国の反応

こんな‘茶番劇’を演出するようでは、まだ国際社会では‘一人前’ではないと非難されかねない!それは今後の中国にとって国際的な評価を下げ、アジアでの平和を阻害することになる危険性をはらんでいる。

結局それが中国にとっては決して得なことではないことに気付いて欲しい。

そのことに中国以外の大半の国が気付いているのである。それを‘経済力’や‘軍事力’を背景に‘ごり押し’をすれば、その悪影響は己に跳ね返ってくる。こんなことは歴史が教えているのであるが・・・。

昔、ある著名な評論家が、「‘賢人’は、‘過ち’を歴史から学ぶから‘過ち’を回避出来る可能性が高い。一方、‘愚人’は、‘過ち’を自分が失敗してから‘やっと学ぶ’。」という意味の事を言っていたのを聞いたことがある。

では、昨日のTBS・ニュースキャスターの番組の映像をデジカメで追ったその静止画を‘紙芝居風に’纏めてみた。
セリフは全て画面に文字表示されている。この画像は是非とも記録として残して置きたかった。

画像ー90 021-2

画像ー90 023-2

画像ー90 026-2

画像ー90 027-2

画像ー90 029-2

画像ー90 030-2

画像ー90 036-2

画像ー90 037-2

画像ー90 039-2

画像ー90 040-2

画像ー90 041-2

画像ー90 043-2

画像ー90 044-2

画像ー90 045-2

画像ー90 051-2

画像ー90 055-2

画像ー90 056-2

画像ー90 057-2

画像ー90 064-2

画像ー90 066-2

画像ー90 069-2

画像ー90 071-2

画像ー90 072-2

画像ー90 073-2

画像ー90 075-2

画像ー90 076-2

画像ー90 078-2

画像ー90 079-2

画像ー90 081-2

画像ー90 082-2

画像ー90 083-2

そして、遂に今日(2013年02月10日)の讀賣新聞朝刊には、次のように報道されている!

shinnbunn.jpg

中国側の受け取り方次第では‘一触即発’の事態に発展する可能性を含んでいる。さて、中国はどう処理するのだろうか?

(つづく)
[2013/02/10 23:58] | 政治と社会 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
‘アベノミクス’の滑り出し(その1)
‘アベノミクス’の滑り出しは、一見順調のように見える。

2013年08日の朝‘国会中継’をNHK/TVで一寸だけ拝見した。

画像ー88 020-2
2013年02月08日 09:31 (NHK・TV映像をデジカメで撮影。以下同様)

先ず安倍総理の顔が、これだけ多忙なのに‘やつれていない’ところがいい。これは、円安と株価高のお蔭だろう。ガソリン代は10円/L高値になったが、まあ、これ位は一般庶民は我慢出来る範囲内である。ただし、もうこれが限界かもしれない!何故なら、物価上昇率の目標値が2%であるのに、ガソリン代の上昇率は、この2,3日の時点で、

 (10円 ÷ 135円)×100 = 7.4%

の上昇率である。これは、円が、83円/$ → 93円/$ と 

 (10円 ÷ 83円)×100 = 12% の上昇に敏感に反応しているからである。

画像ー88 021-2
09:32 NHK・TV
維新の会の中田氏が、補正予算の‘膨大さ’について質問をする。

画像ー88 022-2
09:32 NHK・TV
麻生財務大臣が答える。「今回の大型補正予算は、あくまでも今回限りである」と。

今国会のやり取りには、民主党時代の国民無視の足の引っ張り合いや言い訳ばかりの国会ではない雰囲気が感じられて、‘アベノミクス’の出発はまずまずである。

それに直ぐに反応したのは、‘ローソン’の社長である。

http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20130207-OYT1T01066.htm?from=ylist
ローソン、「働き盛り」社員の年収3%アップ

ローソンは7日、2013年度から賞与の計算の仕方を見直し、20代後半~40代の社員の年収を、平均3%(約15万円)引き上げると発表した。

デフレ経済からの脱却に向けて賃上げを求める安倍政権の企業への要望に応えた形だ。

引き上げ対象は、ローソンと主要子会社2社で、計5120人の社員の約65%が対象になる。年2回の賞与の支給額を算定する際、年齢や子供の人数に応じて上乗せする。中学生の子供が3人いる社員なら、年収が6%増える場合もあるという。

年間の支出が4億円程度増える見通しだが、ローソンは「消費拡大と少子化対策に貢献したい。会社としても、働き盛り世代の社員の意欲向上が期待できる」としている。

(2013年2月8日14時34分 読売新聞)


この反応は国民を‘ホッと’させた。なかなかのもんである。何故なら、ローソンがやるならきっとセブンイレブンもそれに続くに違いない!そして楽天だって恐らく近日中に、更に他の企業もうちもうちもという、一種の‘雪崩現象’を惹き起こすに違いないからである。

閣僚からも歓迎の声が上がっている。

http://www.asahi.com/politics/update/0208/TKY201302080056.html
ローソン賃上げ「いい傾向」 閣僚から歓迎の声

 ローソンが、大手企業の先陣をきって若手社員の賃金を増やす方針を打ち出したことについて、8日、閣僚から歓迎する声が相次いだ。

 麻生太郎副総理兼財務相は8日の閣議後会見で、ローソンの賃上げについて「1社でもこういった形が出てくるのはいい傾向」と評価。企業が利益を蓄える「内部留保」についてふれ、「たいして金利もつかない内部留保が、賃金、配当、設備投資に回らずにじーっとしている、という意味がよく分からない」と、企業が賃上げなどにお金を使うよう促した。

 甘利明・経済再生相は同日の会見で、所管する産業競争力会議の民間議員であるローソンの新浪剛史社長から「安倍内閣の要請を受けて、我が社から実施する」と連絡があったことを明らかにした。

 甘利氏は「大変ありがたいことだ。業績のあがった企業から、可能な範囲で還元措置を考えていただくことは、日本経済の先行きを明るくするとてもいい材料だ」と手放しで喜んだ。

 安倍政権の経済政策「アベノミクス」実現には、消費を盛り上げるため働き手の賃金の上昇が欠かせない。閣僚として賃上げムードを盛り上げたい思惑がにじむ。
(2013年2月8日18時27分 朝日新聞)



17時になったら、最新のニュースが入ってきた。テレビ朝日では次のようなニュースを流した。

<1> 笹子トンネル全面開通

画像ー88 023-2
2013年02月08日 17:02 (テレビ朝日の映像をデジカメで撮影。以下同様)
対面通行で仮復旧していたが、2月8日に全面開通となったという。これは、2月9日からの3連休に‘無理やり’合わせたのではないかと一部懸念が囁かれているという。

画像ー88 024-2
工事の内容は、画面の通りであるが、この費用がいくらだったのかも報道して欲しかった。何故なら、まだ点検・補修が必要かもしれない‘トンネル’が、6,000カ所以上もあると言うから、その2~30%に補修する必要があると仮定すると大体の総費用が計算出来るからである。

民主党は政権時代もその後も‘バラマキ’と称して公共事業の予算削減を党の基本方針としたが、他人任せの政党の本質が、このトンネル事故で明らかになった。相当の犠牲者が出たが、‘犠牲者’が出て初めて気付くのである。ただし、このトンネルの場合は、事前に気付いていたのかもしれないというから、それならそれできちんとした対策を打つべきだったのだろう。これも‘人災’である。

画像ー88 029-2
死亡された方々(一部)。この5人は、今流行りの‘シェア―ハウス’の人達だそうだ。

画像ー88 031-2
その内の一人が、この石川さん。

画像ー88 036-2
やはり‘自分の娘がこんな風になっていたら’と皆が思うべきでありこの感想には共感出来る。何とも切ない事故であった。

画像ー88 037-2
今更訴えてもという気にもなる人は多いが、‘憎しみ’ではなく、今後このような事故を未然に防ぐためにもこれは大事な善後策の一つである。

画像ー88 040-2
危険性認識か、の文字がやはり‘痛々しい’!

画像ー88 042-2
8日の午後4時ごろの画像だそうだが、もう待ちきれない車が沢山走っている。運転している人達は一体どう思っているのだろうか?

画像ー88 044-2
事故の前に補修が行われていたという事なのだろうか?

画像ー88 045-2
危険性を認識していたに違いないが、その補修が万全ではなかった?という事なのだろうか?

画像ー88 046-2
それだけの‘大仕事’をしておきながら、‘記録が無い’等と、よくも平気で言えるもんだ!民主党の政権時代の原発事故に関する会議に首相自らが出席している会議なのに‘会議の記録が無い’という報道には全国民が怒ったが、どうして日本の指導者たるべき人達にそんな認識しか無いのだろうか?

画像ー88 049-2
キャスターも解説者も‘風化させてはならない’と言っている。この話題は、安倍政権にとっては大きな柱の一つであり、この一連の‘事件’の処理如何では‘アベノミクス’の本質を揺るがすことにもなりかねない。是非このチャンスを逃さず雇用問題の解決策の一つにも取り上げ善処してもらいたい。

次の話題は、

<2> 円安の影響

画像ー88 053-2
2013年02月8日 画面に表示されている通り、円安が具体的なものとなって現れて来た。これぞ‘アベノミクス’の‘本丸’である。しかし、一つ間違えば、低所得者の反発を買う事にもなり、参議院議員選挙で大敗する要素を含んでいる。

画像ー88 057-2
もう2割もその影響がある。

画像ー88 059-2
海外から日本への旅行者が、もの凄い勢いで増えているのだから、日本の活性化に繋がる事業も沢山考えられるという訳なのであろう。

画像ー88 060-2
首相を‘大統領’と思っているのでだろう!

画像ー88 062-2
1,628円/18L から 1,803円/18L に値上がりしたのだから、10.7%の値上がりである。

画像ー88 064-2
きのこ栽培の業者さんである。なかなか難しいという。

画像ー88 065-2
100円ショップで、160円となっているから、‘ヒロシ’が言う「100円ショップで、これいくら?と聞いてしまいました!ヒロシです。」がギャグにならなくなってしまった。ヒロシ氏も困っているに違いない!こんなのを‘苦笑’という。‘ち苦笑’かも?

画像ー88 068-2
100円ショップの商品も様変わりするかもしれないが、これはそんなに庶民生活に衝撃を与える訳でもないだろう。その代わりの商品が直ぐに出て来る。100円ショップの商品とはそんなものだそうだ。何せ、100円ショップの商品のコストは、売値価格の約30%というから・・・。

画像ー88 069-2
無くなるのも一時のものだろう。

画像ー88 072-2
一方、牛牧場では・・・、

画像ー88 073-2
餌の大半が輸入品というから、コストが当然上がってしまうという。

画像ー88 074-2
この方の表情は、暗くない。色々の条件で、却って利益が上がる場合だってあり得ることを予測されておられるのだろう。

画像ー88 075-2
これは、円安の影響%そのままである。

画像ー88 077-2
海外向けの製品が多ければ、黒字に転換する。パナソニックだって、トヨタ、ホンダ、日産等々皆そうらしい。

画像ー88 078-2
タクシー業者さんには、反応が直に判ると言うが、どうやらそのようである。


<3> 中国の反応
中国は、政権交代を揺るぎがないものとして国内外に‘威力’を見せつけるために‘必死’の様子である。それを客観的に見られていることに気付かなければ、とんだ‘茶番劇’というものだ!

この項目は、明日のブログで・・・。

(つづく)
[2013/02/09 18:09] | 政治と社会 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
「ヒロシです」というタレント
2013年02月03日(日)17:30、日テレ。お馴染みの‘笑点’の時間である。ご案内の通り、‘笑点’は、歌丸さんが司会者で、前半がお笑いタレントなどの演芸コーナーで、後半が‘大喜利’という構成になっている。その日で「2349回」というから、単純に一年間の週数の52で割ってみても‘45’という答えになる。

画像ー86 019-2
2013年02月03日 日テレ・TV放送の画面をデジカメで撮影(以下同様)

調べてみると、「1966年(昭和41年)5月15日に『金曜夜席』を受け継ぐ形で放送がスタート」( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%91%E7%82%B9 )というから、今年の5月で‘47年’という長寿番組である。

その日の‘演芸コーナー’のお笑いタレントが「ヒロシです」という「ヒロシ」氏である。

画像ー86 022-2
17:33 日テレTV

ヒロシです。

自分の家が…自転車の鍵で開いたとです。

ヒロシです。

画像ー86 028-2
17:37 日テレTV

ヒロシです。

誰でもいいから彼氏が欲しいって 言ってた人からフラれました。

ヒロシです。
ヒロシです。
ヒロシです。

画像ー86 032-2
17:38 日テレTV。実質的には‘約5分間’しか、出して貰えない! それにしても、この笑点に出して貰うという事は今後がある程度約束されるのではないかと我々ど素人は思ってしまうのだが・・・。

久し振りの出演に‘笑い転げて’しまった。 大した‘役者’である。

ヒロシ氏のギャグを集めたブログがある。

http://www.w-neta.com/a/hiroshi.php

俺より裕福なホームレスを知ってます

見知らぬホームレスのおじさんに「俺の若い頃にそっくりだ」と言われました。

鏡をずっと見てたら自分に自信がつくと言われたので見ていました…。余計自信が無くなったとです。

100円ショップで「これいくらですか?」と聞いたことがあります。

うちの子供もヒロシなのって言われても困ります。

携帯電話が鳴らないから…たまに鳴るとビックリするとです。

非通知でワン切りされました。何を求めてるんですか?

良いとこは何処?と聞かれても視力としか答えようがありません

先日ダンディ坂野にネタのダメだしをされました。

悪いことをする度胸もないのに防犯カメラが気になります

貴重品をを預けてくださいと言われましたがタオルしか持ってませんでした。

最近街で「あーヒロシですだぁ」って言われます。ヒロシですじゃなかとです!
ヒロシです。

カーナビだけが優しく喋りかけてくれるとです…

可愛い女の子のレジに並んでいるのだから、おばさんは「次の方こちらへどうぞ」って言わないで下さい。

自分の寿命が分かるゲームをやりました2年前に死んでました

望遠鏡買っただけなのに疑われました

「今度会う時は違う服を着て来てね」って言われました


このスタイルの‘漫談’は、‘芸能界ヒロシと言えども’彼だけである。まるで‘ツイッター’の中身かと思わせる。そして、それよりももっと短い‘ギャグ’であるから、今の時代‘大受け’するのだろう。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%AD%E3%82%B7

ヒロシ(1972年2月14日 - )は、日本のお笑いタレント、漫談師、ベーシスト、俳優である。本名、齊藤 健一(さいとう けんいち)。
熊本県荒尾市出身(福岡県大牟田市生まれ)。サンミュージック企画所属。
九州産業大学商学部商学科卒業。身長175cm、体重70kg、血液型はO型。趣味は熱帯魚飼育、釣り。特技は「スポーツは出来ません」。

来歴・人物 [編集]

デビュー時は吉本興業福岡事務所に3年間所属。その後上京し、一時はワタナベエンターテインメントに所属していた。当時は「ベイビーズ」というコンビを組んでいた。コンビ時代はキレ芸だったという。コンビ解散後、東京都三鷹市で3年間ホストをしていた。ホストをしていたときの源氏名は「冴神 剣(さえがみ けん)」。殺し文句は「あなたの心を一刺し」。当時の最高月収は8万円ほどだったという。
「ヒロシ」という芸名はフリーアナウンサーの生島ヒロシに由来する(たまたま家にあった雑誌の表紙に生島ヒロシが写っていたのがきっかけとのこと)。サンミュージックプロダクションに所属したときにすでにHIROSHIという同名のミュージシャンがいて、短い期間だが「カズヤ」という芸名で活動していたことが自らパーソナリティをしているサタデーホットリクエストで明らかになった。

ドラマは「タイガー&ドラゴン」(TBS系)が初出演。役柄は、元ミュージシャン「デス・キヨシ」。2005年1月に放送されたスペシャル版と、連続ドラマ版の第7話に登場。その後、同年の「FNS ALLSTARS あっつい25時間テレビやっぱ楽しくなければテレビじゃないもん!」(フジテレビ系)枠内で放映された「THE WAVE!」に編成部員・谷口真治役で出演している。このドラマで主役を演じた明石家さんまは、いつものネタの時のヒロシとキャラクターが同じなので、笑いをこらえて演技しなければならないのが困る、と述べた。映画「ウォーターズ」のテレビコマーシャルでナレーションを行った。

2005年の「R-1ぐらんぷり」では、前回に引き続き2回目の決勝進出を果たした。決勝戦では、結果は6位だった。
2005年の歌うま王座決定戦で見事初代王者となり200万円と車を獲得した。
2006年、「青春★ENERGY」で連続ドラマ初出演。
2007年に公開された映画「転校生 さよならあなた」(大林宣彦監督)で映画俳優デビューを果たす。その後「22才の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語」(大林宣彦監督)にも出演。いずれも本名の斉藤(本名は旧字の「齊藤」)健一[1]で出演している。彼のファンである大林が出演を依頼したのだと言う。また、「転校生」で医大生を演じるにあたり、上京して以来ずっと金髪だった髪を8年ぶりに黒くした。しかし、また元に戻した。

芸風 [編集]

自身の日常や失敗談を題材とする、いわゆる 自虐ネタ を得意とする。基本的なスタイルは、ポケットに手を突っ込み上目使いで「ヒロシです」と名乗ってから、うつむきつつ九州弁(詳しく言えば、肥筑方言の「〜とです。」)で愚痴を一言言って笑いをとる、というもの。この時、ラテン音楽のスローナンバーやブルースがBGMとして流れる(主にペピーノ・ガリアルディの『ガラスの部屋(Che Vuole Questa Musica Stasera)』が使われる)。「ヒロシです」が3回以上繰り返される事でネタは終了する。テレビでネタを放送するときには、必ず、音楽番組におけるソロ・アーティストのようなディゾルブを多用したカメラワークを用いられるが、これは2003年秋から、ほぼ毎月ライブ出演していた「お笑いCDTV」(TBS、 - 2004年秋)のカメラマンが開発したもので、それ以降、各局で用いられるようになった。「お笑いCDTV」は、ヒロシがテレビで初めてネタを披露した番組でもある。

CM[編集]

NTTドコモ「エリアがヒロシです」

その他


ヒロシ氏自身のオフィシャルサイトを見てみると・・・

2nd_title.gif
http://hiroshi0214.com/blog/blog/2013/02/04/%E6%B5%81%E7%9F%B3/

ヒロシprofile-2
いやいや、数々のご苦労があっての今日のようである。我々も九州のご近所での出身だけに言葉がほとんど同じである。

これからも大いに頑張って欲しい!

ワンフレーズでずばり物を言う事が出来ない我々は、‘なが~いブログ’を今後も書き続けたい!

(つづく)
[2013/02/08 00:00] | 芸術 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
津波注意報発表!と‘エリアメール’
2013年02月06日15:05、千葉県・茂原市の私の携帯電話へ‘エリアメール’が飛び込んできた!

tunami0001-2.jpg
ソロモン諸島沖で、M:8.0の大地震が発生した影響で、15:05に「津波注意報」が発せられたという‘エリアメール’である。こりゃあ、偉いことになったと思った。だが、津波の高さは、せいぜい50cm程度だと言うから一寸は胸を撫で下ろした!TVでは、ここ外房への到着時刻は、午後5:00頃という。あと2時間弱である。

画像ー87 006-2
NHK・TV 15:24

画像ー87 049-2
NHK・TV 午後5:05 午後5:00は過ぎたが、外房には津波の到来はなさそうである。

http://www.47news.jp/CN/201302/CN2013020601001596.html
日本に10~40センチの津波 M8地震、気象庁が注意報 
日本に津波注意報

 南太平洋のソロモン諸島沖で6日午前(日本時間)に発生したマグニチュード(M)8・0の地震で気象庁は、北海道から九州にかけての太平洋側と沖縄で50センチの津波の恐れがあるとして津波注意報を発表。太平洋側の各地で6日夜、10~40センチの津波を観測した。

 観測された津波は▽伊豆諸島・八丈島40センチ▽仙台港や福島県相馬市、和歌山県串本町、高知県・室戸岬、宮崎県日南市、鹿児島県奄美市20センチ▽北海道根室市や岩手県久慈市、静岡県下田市、三重県尾鷲市10センチ―など。

 岩手県陸前高田市や釜石市などが、沿岸住民に避難勧告を出した。

2013/02/06 22:03 【共同通信】


結局は日本への津波被害はなかった模様である。良かった、良かった!

それにしても、‘エリアメール’は有難い!

津波が発生した場合には、警報と注意報とがあるが、次のように分類されているそうである。

気象庁 _ 津波予報・津波情報について0001-2
http://www.seisvol.kishou.go.jp/eq/index_tsunamiinfo.html

ここのところ、北海道までも巻き込んでの国内地震が多過ぎる! なるべくなら‘エリアメール’が来ないように祈りたい!

(つづく)
[2013/02/07 00:00] | 仰天! | トラックバック(1) | コメント(0) | page top
小春日和
‘小春日和’という言葉がある。ご存じの通り、春の季節の事ではない。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%98%A5%E6%97%A5%E5%92%8C
小春日和(こはるびより)とは、晩秋から初冬にかけて、移動性高気圧に覆われた時などの、穏やかで暖かい天候のことである。
小春(こはる)とは陰暦10月のこと。現在の太陽暦では11月頃に相当し、この頃の陽気が春に似ているため、こう呼ばれるようになった。
俳句における「小春日和」・「小春」は冬の季語となる。(陰暦の冬は10月~12月)
英語ではIndian Summerが小春日和に該当する季節現象である。


2013年01月19日は、ここ千葉県茂原市近辺では、正に‘小春日和’といったお天気だった。数日前に近来稀にみる‘大雪’が降ったのだったが・・・。

上記引用文献からすれば、今の時期に‘小春日和’と言ってはいけないようだが・・・。

カメラ片手に、少し時間をかけて近所の様子を見て回ることにした。ここ暫く散歩もご無沙汰だし・・・。これは、今日から18日ほど前の2013年01月19日の散歩の記事である。

千葉県茂原市千沢- Google マップ-0220001-2
これが、房総半島中心の地図であり、我が家が A の場所である。
(以後の地図及び航空写真は全て‘Google’の地図からコピーしたものである)

千葉県茂原市千沢- Google マップ-0200001-2
航空写真で見るとこうなっている。

千葉県茂原市千沢- Google マップ-0170001-2
2013年01月19日に散歩をした我が家の近郊地図

散歩コース-2
赤い線が散歩コースである。

千葉県茂原市千沢- Google マップ-020001-2
14:10 いよいよ自宅のAからカミサンと出発である。(註:この航空写真は、勿論今年の1月19日の写真ではない!)

千葉県茂原市千沢- Google マップ-050001-2
画面の中央に川の堰がある。この堰は、我々が18年前に越して来た後に出来た。この川の名前は‘赤目川’という。川の名前の由来は知らない。‘赤目’という魚は知っているし、勿論見たこともある。九州・四国にいると言われている。瞳孔が赤い。私は高知県の友人が会社で大きな水槽に飼っているのを見せて貰った。大きくなれば、体長は1mは越すという。

akame3.jpg
http://www.k4.dion.ne.jp/~po-matsu/LOVELOG_IMG/akame3.jpg
赤目魚

千葉県茂原市千沢- Google マップ-060001-2
この航空写真の川の岸壁の右から1/3の辺りに下の写真の釣り人がいる。

画像ー78 001-2
14:15 最近この川も釣り人がすっかりいなくなったが、この日は、正に‘小春日和’的日和だったから、釣りに出て来られたのだろう。

画像ー78 002-2
望遠で拡大して見た。

画像ー78 004-2
更に拡大。知らない人である。勿論ここへ来られる釣り人を皆知っている訳ではないが・・。腰かけも含めて‘完全装備’(?)である。

画像ー78 005-2
14:16 進行方向に向かって右側。‘もみ殻の山’に5日前(14日の大雪)に降った雪がまだ残っている。

画像ー78 006-2
14:16 この‘V字’の分かれ道を右側へ行く。この道の遠~い先の‘豆粒’みたいな人影がカミサンである。私が立ち止まってシャッターを切っているので、待ちきれなくてどんどん先に行ってしまった。

千葉県茂原市千沢- Google マップ-070001-2
この航空写真に見える‘V字’の道の画面の下に黄色く見える‘塊’が、上記の‘もみ殻の山’である。

千葉県茂原市千沢- Google マップ-090001-2
この道をまっすぐに行き、突き当って右折するのが散歩コースである。

画像ー78 008-2
14:18 進行方向に向かって左側の赤目川の堤防とその上に見える青空は、真冬の空ではない! 正に‘小春日和’のいい天気である。何だか秋口の空のようでもある。空気も澄んでいる。恐らく東京の真ん中ではこんな景色は望めない。

画像ー78 009-2
14:18 この弊ブログで何度も取り上げさせて戴いた‘孫生え(ひこばえ)’がこの田圃にも残っている。人影は私のものである。

画像ー78 011-2
この‘孫生え’もかなりの‘実入り’があるように思われる。

画像ー78 013-2
14:20 田圃には、まだ氷が残っている。

画像ー78 014-2
大きな木の陰になっているところのようで、氷の下には水は無い!こんな現象も起こるのだろうか?

画像ー78 016-2
14:21 ここは、庭に大きな畑を持っておられる農家である。右折をする手前のお宅である。

画像ー78 017-2
14:21 拡声器が見える。

画像ー78 020-2
14:21 3方向に拡声器が向いている。このような設備が数百mごとにあるし、この地域では、車もそんなに通らないし、人口も多くないから‘雑音’が少なく空気が澄んでいるから音が良く通る。放送が始まると色々なところからの‘拡声音’が重なり合って‘時間差ハモリ’となって何となく素晴らしい音楽を聞いているような気分になる。これだって、都会では経験出来ない素晴らしさだろう。以前別のところで朝早く散歩していると‘ハトの群れ’が私の真上を通過した時に‘大きな羽音’を聞いたことがある。静かさのお蔭である。

画像ー78 022-2
14:22 ここにも‘孫生え’が残っている。

画像ー78 024-2
14:24 右折をした。7~800m先まで、人影も車も見えない。全く静かである!最適の散歩コース。

画像ー78 025-2
14:25 我々はここをよく通るから驚かないが、初めての人は‘ドキリ’とする。

画像ー78 026-2
14:25 行く手の左側の畑では、もう苗を植える準備が完了している。

画像ー78 029-2
14:28 一つ上の写真の右に写っている森(茂み)に一歩近づいた画像である。

千葉県茂原市千沢- Google マップ-0110001-2
この森(茂み)を‘Google’の航空写真で見てみる。写真中央の右の茂みがそれである。

画像ー78 034-2
14:30 この茂みをバックにして‘耕運機’(?)を動かしている人達がいる。真冬の真っ只中にである。正に‘小春日和’的陽気だからなのだろうか? それにしても‘種まき’や‘苗の植え付け’は、早過ぎや~しませんか?

画像ー78 035-2
14:30 望遠で拡大して見ると、‘耕運機’ではなく、‘トラクター’のようである。通過した後には何だか黒いものが・・・。

画像ー78 036-2
14:30 更に拡大して見たが、何をされておられるかは、ハッキリしない。

画像ー78 037-2
14:32 道路から‘あぜ道’に入り込んで確かめてみた。黒いビニールを‘畝’の上に貼りつける仕事のようだ。後日確かめるが、多分これは、近年この地域で流行り出した‘たばこ’栽培の下準備に違いない。

画像ー78 038-2
14:36 それから暫らく道路沿いに歩いて行くと、その日初めて散歩の途中で‘歩いている人’に出会った。二人連れである。画面の右中のお二人である。この地域では、滅多に人に出会わないから、道路で会えば必ず挨拶を交わす習慣になっている。見ず知らずの人にでもである。この習慣は子供達も同じで、小・中学生でも高校生でもすれ違い様に必ず挨拶をする。此方も負けずに大声で挨拶を返すことにしている。良い習慣である。

随分昔の話であるが、NHKのTV番組で、‘地域防災’を取り上げたことがあった。空き巣の多かったある農村地域で、「誰とでもすれ違った時に挨拶をする」ことに決めてから‘空き巣’は一件も無くなったという。顔を覚えられたと思うからであろう。それも大事だが、‘挨拶’だけで、何だか知り合いになったような‘愉快な’気分になる。その気持ちで子供達が挨拶をして呉れれば申し分ないのだが・・・。

画像ー78 042-2
14:37 ここの‘孫生え’も刈り取られずにそのままになっているが、実入りもまずまずのようだと思われる。

千葉県茂原市千沢- Google マップ-0120001-2
この付近の航空写真がこれである。

画像ー78 043-2
14:38 この田圃は、一つ上の航空写真のほぼ中央付近である。水さえ入れれば‘田植え’が出来る程に準備が完了している。

千葉県茂原市千沢- Google マップ-0130001-2
二つ上の画像である航空写真の左下を拡大したのがこの画像である。

画像ー78 047-2
14:39 向うに見えるのが携帯電話のアンテナである。一つ上の航空写真の真ん中に写っている‘鉄塔’である。

画像ー78 048-2
その拡大。

画像ー78 049-2
またその拡大。

画像ー78 051-2
またまたその拡大。これがアンテナ部分である。

画像ー78 052-2
NTTドコモのアンテナと書かれている。このアンテナのお蔭で、我が家も携帯の電波状態は良好である。これで、多分半径5~6kmの地域の電波状態は安定しているはずである。

画像ー78 056-2
14:47 このアンテナ鉄塔の角を左折した。その時上空を見たら‘上弦の月’が明るい空に浮かんでいた。19日だから、丁度‘上弦’である。

画像ー78 057-2
14:48 ここの田圃ももう耕されて水も入れてあるのだろうか?それとも14日の雪が解けて溜まっているのだろうか?

画像ー78 059-2
その拡大。

画像ー78 060-2
またその拡大。何だか‘水温む’という感じさえする。このまま‘田植え’が出来そう!

千葉県茂原市千沢- Google マップ-0140001-2
散歩のコースは、この画面の中央の道を左から右へ・・・。橋へ繋がる道である。

画像ー78 061-2
14:50 上の画像の橋へやってきた。南日当(みなみひなた)橋である。‘日当’と書いて‘ひなた’と読む。

画像ー78 062-2
橋の袂に‘塩化カルシウム’の大きな袋が二つ置いてある。これは、道路の‘凍結防止’用である。橋の上は、道路よりも冷えるから・・・。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A1%A9%E5%8C%96
%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A6%E3%83%A0

塩化カルシウム

用途 [編集]

除湿剤、融雪剤、豆腐用凝固剤、食品添加物などに使用される。水に溶けやすく (82.8 g/100 g)、水溶液の凝固点が低くなる(凝固点降下)。この性質を利用して、スケートリンクの冷媒として飽和水溶液を用いる。

道路に設けられた塩化カルシウムの貯蔵容器
日本国内では、晩秋になると、積雪に備え道路の各所(主に橋梁、急勾配、急カーブ)に塩化カルシウムを入れた容器が配備される。積雪や凍結などで路面が危険な状態にならないよう、通行者が自主的に撒布することができるようになっている。その際の適正な使用量は、道路の状況にもよるが1平方メートルあたり約30g(一握り)~100グラム程度で、撒きすぎないように注意しなければならない。
また、道路やグラウンドなどで土ぼこりの発生防止用としても使われる。この場合は、1平方メートルあたり500~1500グラム程度を用いる。水に溶けるときは発熱する。

塩化カルシウムによる害 [編集]

融雪剤として撒布された塩化カルシウムは周辺の植生にとって有害である。都市内の道路のように周辺に植生のない場所なら問題ないが、山間部などでは必然的に塩化カルシウムの撒布が多頻度で行われるため、土壌における塩化物イオンの量が過剰となり植生が衰退傾向を見せることもある。 塩化物イオンは、鉄筋コンクリートに対しても悪影響がある。これらの弊害については塩害の記事を参照されたい。
また、道路の融雪・凍結防止目的で撒布された塩化カルシウムは水溶液となり、その上を車両が通行する際にしぶきとなり、自動車の車体や車輪に付着して、早期腐食や早期劣化の原因となる。塩化カルシウムが撒布された(とおぼしき)道路を通行した場合は、速やかに洗車することが望ましい。頻繁に通行する場合は、あらかじめマリン用品として出回っている塩害防止スプレーを塗布しておくなどの予防策が有効である。さらに、素手で塩化カルシウムを撒くのは皮膚炎の原因となりうる。特に雪などで皮膚がぬれている場合は注意したい。水分を遮断できる手袋を着けて撒くのが最適である。


そのまま残っているという事は、凍結防止をしなくて済んだのか、それとも誰も撒こうとしなかったのか?

画像ー78 065-2
14:52 ‘みなみひなたばし’を渡らずに、左折した。この桜は‘河津桜’である。あの早咲きで有名な伊豆の‘河津桜’であるが、地元白子町では、‘白子桜’という名前に変更(?)したようだ。確か我々が越してきた時代には‘かわづ桜’と言っていたような気がする。

sakura-sirako2007-228 (1)-2
http://www.tounichi.com/news-kawazusakura.htm
この写真の場所は、この散歩道ではない。白子町のメインストリートの‘白子桜’(2007年)。

画像ー78 066-3
14:53 流石に早咲きの‘河津桜’である。1月19日にもう花芽の蕾が膨らんでいる。このことからもこれは‘吉野桜’ではないことが判る。

画像ー78 069-2
14:57 この川が‘南白亀川(なばきがわ)’である。これは初めてではそうは読めない。我が家のそばの‘赤目川’を合流して呑み込んだ川である。

画像ー78 070-2
14:57 南日当橋の方を振り返った風景である。この土手でも歩いている人、一人にも出会わなかった。

画像ー78 071-2
14:57 水も極めて綺麗である。

画像ー78 073-2
14:58 もう‘水温む’と言っていい!春の水面(みなも)である。

画像ー78 079-2
15:01 この岸壁が綺麗に修復されたのは、あの東日本大震災、2011年03月11日の‘津波’で、この岸壁が削られたからである。岸壁だけでなく今歩いて来たこの土手道も‘半壊’していて、通行禁止になっていた。向うに見えるのは、さっきの‘南日当橋’である。丁度、川が‘カーブ’していて、津波の川水が此方の岸壁に勢いよく‘ぶち当たった’ということのようである。もう少し水嵩が巨大であったらこの堤防は‘決壊’して、濁流が我が家の方にも押し寄せたかもしれない!やはり、あとで見に来て‘ぞっと’したことを鮮明に覚えている。

千葉県茂原市千沢- Google マップ-0160001-2
この航空写真の右下の橋のところまで来た。

画像ー78 080-2
15:04 この写真の‘南白亀川’は、橋の名前ではない。この川が‘なばきがわ’という川であることを示している。さて、橋の名前は?

画像ー78 081-2
15:05 この橋の上から、川下の方角、先程の‘南日当橋’の方を見た画像である。ごみ一つ流れていない。

画像ー78 082-2
15:06 此方は反対に‘川上’の方角である。中の島が見える。

画像ー78 088-2
15:07 この橋の上である。車が来る訳でもない! 正に散歩するに最適なコースである。

画像ー78 095-2
15:12 この橋を戻って右折をして土手を通らずに田圃の方へ降りて行くことにした。

画像ー78 096-2
15:13 この道も誰もいない。

画像ー78 100-2
15:19 ぐるりと田圃道を廻ってみると、もうこの辺一帯は田植えの準備完了といった様子である。

画像ー78 107-2
15:31 赤目川の‘堰’のところへ戻ってきた。この風景も‘水温む’である。自宅に帰り着いたのが、この5分後の15:36。散歩に出発したのが、14:10だったから、1時間26分、約5.5kmの散歩である。

画像ー78 112-3
16:47 自宅の2階から見た‘日没’の様子である。

画像ー78 113-2
16:47 この日没の方向に富士山がある。雲一つない上天気である。こんな日はきっと富士山が良く見えるに違いない! そう思って、またカメラを持ち出して夕暮れの富士山を撮影するために家を出た。

画像ー78 115-2
16:53 上手い具合に上弦の月と羽田空港へ向かう飛行機とが一緒に撮れた!

画像ー78 118-2
16:54 上弦の月が段々冴えて来た。

画像ー78 121-2
16:59 茂原市のこの日の日没時刻は17:00ジャストである。飛行機雲も夕焼け色に染まっている。

画像ー78 147-2
17:08 日没後5~10分が最も富士山が綺麗な見える時間帯である。16:59から17:18まで数十枚富士山を撮影したが、この日の‘一番の出来’が、この写真である。

富士山スポット
因みに、ここ千葉県・茂原市・千沢地区で「富士山が見える場所」、建物等に昇らずいわゆる‘地べた’から見る場所としては、今のところほんの少しの場所、つまりこの航空写真上に‘赤線’で示した場所のみである。

こんな狭い場所からしか見えないから‘富士山スポット’として大いなる価値がある!
望遠で撮らなければ、下の写真のように、こんな風にしか見えないのである。

無題
この赤枠の部分に富士山が見える。こんなに小さくしか見えないので、我々が18年間も見落としていたのである。全く気付かなかった。

それにしてもよくぞこのスポットを見つけられたものである。改めてこの場所での「富士山発見者」のご夫婦に感謝!!

[2013/02/06 03:36] | 旅行・散策 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
コロンブスの卵
‘コロンブスの卵’は、作り話 だ!という説があることは薄々知ってはいたが、今日までこれに関してきちんと調査することは無かった。

画像ー86 116-3
昨日の立春の日に、我が家で、私が立てた(??)‘たまご’。

EntryImage.jpgダウンロード (3)koronnbusu
http://www-img.dclog.jp/m/EntryImage?bid=6117656&eid=500813148&t=1352036722&
sig=01279fcc3eca121b70b399ad1f3c62fb&rid=2.jpg
&http://4.bp.blogspot.com/_JZ4-qG-vurs/TMjYVMKxfLI/AAAAAAAAAjo/zW_xiUqSPY8/
s1600/%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%96%E3%82%B9.JPG


昔は、調査しようと思えば、先ず‘図書館’へ出向いてそれらしき文献がどのジャンルにあるか、から検討していた。或いは、コロンブスに関する本を買い込んで自分の書庫を持ちその中から何かの手がかりを得ようと努力した。

今やもう‘コロンブスの卵’についてだけの‘知見’を得ようとするだけなら、図書館も自宅書庫も全く必要ない!
時代も変わったものである。

‘WEB’で‘コロンブスの卵’と入れるだけで、何と「約 471,000 件 (0.18 秒) 」という数字まで出て来る!

つまり、その関連の記事が、「0.18秒で、約47万件あります。お好きなものをどう~ぞ!」 という訳である。

スピードにして約100万倍、情報量にしても約100万倍という事になるのだろう。何せ、1日は‘86,400秒’だから、2日がかりで図書館で一つの記事を見つけたとすれば、凡そその見当である。

情報時代とはよく言ったものである。こんなに簡単に情報が得られるときっと別の意味での‘障害’が出て来るに違いないが、その議論は後日にしたい。


さてさて、肝心の‘コロンブスの卵’であるが、信憑性のあると思われる記事に次のようなものがある。


http://homepage3.nifty.com/takakis2/columbus.htm
「コロンブスの卵」と「ブルネレスキの卵」


・ここでは、「コロンブスの卵」以前からあった話とされる「ブルネレスキの卵」について掲載しています。もしかしたら「コロンブスの卵」話のルーツかもしれません。ただし、この話も実話かどうかは疑わしいものとされています。(*2004.09.02追加)

コロンブスの卵

「コロンブスの卵」は、「誰にできることでも、最初にするのが難しい」という意味で使われる。
1492年にアメリカ大陸(西インド諸島のサンサルバドル島といわれている)を発見したことで有名なコロンブス。
その功績を祝う晩餐会で、ある男が言った「西へ西へと航海して陸地に出会っただけではないか」と言った皮肉に
対して、コロンブスは卵を取り上げ、「この卵を卓の上に立ててごらんなさい」と言った
だれも立てられないのを確認するとコロンブスは、卵のおしり(気室のある鈍端部と思われる)を食卓でコツンとた
たいて立てて言った。「人がした後では何事も簡単です」
日本でも、戦前の小学校の教科書に取り上げられ、「コロンブスの卵」が定着した。ただし、これは16世紀ごろに
作られた話らしいとされている。(この話は、後にイタリアのベンゾーニがコロンブスの偉業を脚色するために自身
の著書に書いた作り話といわれている)


ブルネレスキの卵

「コロンブスの卵」の話は16世紀ごろ、イタリアのベンゾーニがコロンブスの偉業を脚色するために自身の著書に
書いた作り話とされている。さらにこの話の元になったのが、コロンブスと同時代のイタリアの建築家フィリッポ・ブ
ルネレスキの話である。
ある寺院を建築するにあたって、彼は図面も模型も見せずに「私に建築させてください」と提案したが、他の建築
家たちが大反対。そこで彼は「大理石の上に卵を立てた人に任せてはどうか」と提案する。他の全員立てられな
かったが彼は卵の底を潰して立てたのである。
当然批判されたが、「最初にやるのが難しい、もし図面を見せたらあなた達は真似をするでしょ」と言い返したので
ある。


‘Wikipedia’にもこのことが次のように指摘されている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82
%B9%E3%83%88%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%BB
%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%96%E3%82%B9

「コロンブスの卵」 [編集]

「新大陸発見」を祝う凱旋式典で「誰でも西へ行けば陸地にぶつかる。造作も無いことだ」などとコロンブスの成功を妬む人々に対し、コロンブスは「誰かこの卵を机に立ててみて下さい」と言い、誰も出来なかった後でコロンブスは軽く卵の先を割ってから机に立てた。「そんな方法なら誰でも出来る」と言う人々に対し、コロンブスは「人のした後では造作もないことだ」と返した。これが「コロンブスの卵」の逸話であり、「誰でも出来る事でも、最初に実行するのは至難であり、柔軟な発想力が必要」「逆転の発想」という意の故事で今日使われている。
しかし、ヴォルテールは『習俗論』(第145章)にてこれは建築家フィリッポ・ブルネレスキの逸話が元になった創作だと指摘し、会話の内容などもそのまま流用されていると説明した[44]。


そして、これらの文献を調査して見て‘最も驚いたこと’は、「‘英語圏’では、‘コロンブスの卵’の表現が余り一般的ではない!」という事だった。

上記文献には、次のように表現してある。


5.「Columbus's Egg」は慣用表現か (一部のみを抜粋)

筆者(鈴木 哲 氏)が「コロンブスの卵」について42人の日本人成人に尋ねたところ、39人が「耳にしたことがある」と答え、一方、7人の英米人に「Columbus's Egg」について尋ねたところ、1人の英国人が「聞いたことがあるような気がする」と答えたほかは、「表現もエピソードも耳にしたことがない」と回答した。
新大陸到達500年を越えた今日、英語「Columbus's Egg」は、日本語の「ブルネレスキの卵」に近い通用性しか
持っていないのかもしれない、と筆者(鈴木 哲 氏)は感じている。


一体これは何を意味しているのだろうか?

恐らく、ヨーロッパとアメリカとの関係において、特にコロンブスとインディアン部族との係わりにおいて、未だに何らかの‘しこり’が存在するのではないか?と想わせる。コロンブスの‘出自’にも話が及んでいて‘DNA鑑定’騒ぎにまで発展しているという。コロンブスは、本当に尊敬出来る人物であったのだろうか?

(つづく)
[2013/02/05 12:40] | サイエンス | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
立春の意義と卵立て
今日、今年の2月4日は‘立春’である。‘今年の’と記述したのには‘訳’がある、という。確定日ではない、という意味である。(後述)

img0bfcc29dzik6zj.gif
http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/96/0000086496/94/img0bfcc29dzik6zj.gif

昨日は‘節分’について調べてみたので、節分の意味とそれに伴う生活習慣が大凡判った。

今日は‘立春’について、文献を調べてみた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E6%98%A5
立春

立春(りっしゅん)は二十四節気の第1。正月節(旧暦12月後半 - 1月前半)。

立春 - Wikipedia0001-2

現在広まっている定気法では太陽黄経が315度のときで2月4日ごろ。暦ではそれが起こる日だが、天文学ではその瞬間とする。恒気法では冬至から1/8年(約45.66日)後で2月5日ごろ。
期間としての意味もあり、この日から、次の節気の雨水前日までである。

春の初め。『暦便覧』には「春の気立つを以って也」と記されている。冬至と春分の中間に当たり、昼夜の長短を基準に季節を区分する場合は、この日から立夏の前日までが春となる。九州など暖かい地方では梅が咲き始める。暦の上ではこの日が寒さの頂点となり、翌日からの寒さを「残寒」または「余寒」といい、手紙や文書等の時候の挨拶などで用いられる。

立春は八十八夜、二百十日、二百二十日など、雑節の起算日(第1日目)となっている。立春から春分の間に、その年に初めて吹く南寄り(東南東から西南西)の強い風を春一番と呼ぶ。桜の開花時期は、立春からの最高気温の合計が540℃という概算法がある(ほかに、元日からの平均気温の合計が600℃、2月1日からの最高気温の合計が600℃という方法もある)。
一般的な節分とは、立春の前日のことである。立春の早朝、禅寺では門に「立春大吉」と書いた紙を貼る習慣がある。また、中国では立春の日に春餅(チュンビン)を食べる習慣がある。


因みに、今日2月4日は、旧暦では、12月24日だという。‘春の正月’が、旧暦の‘クリスマスイヴ’というから面白い!

上記の‘Wikipedia’によれば、次のような注意喚起の記述がある。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E6%98%A5
立春は旧暦1月1日だという勘違いがあるが、ほとんどの場合は正しくない。旧暦1日は必ず朔(新月)だが、立春は朔に関係なく定められるため、多くの年は1日にならない。ただし約30年に1度、立春が朔と重なり、旧暦1月1日になる年がある(朔旦立春)。近年は1954年・1992年がそうで、次は2038年と予測される。


節分を大晦日であると思い込み過ぎると、ついつい節分の次の日である‘立春’を‘旧暦の’元旦と勘違いするという訳である。

さて、最初に述べた‘立春’が2月4日に確定されていないことについて:上記引用文献にもある通り、‘天文学的’見地から‘定義’を決めてあるから、それに従うと‘日にち’に差が出るという訳である。閏年との関係でもあることが次の表からも窺える。

実際の‘立春’の日付け:

明治改暦の1873年から2199年までの日本の立春は表のとおり。ただし未来の日付は天体力学による予測である。
1985年から2024年まで(2020年までになる可能性あり)は2月4日だが、1984年までは2月5日、1897年までは2月3日もあった。2025年からは再び2月3日が現れる。

立春 - Wikipedia0003-2
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E6%98%A5


かなり昔から、‘立春には卵が立つ’という。

この‘立春の卵’に関して、大変面白いブログを発見したので、全面掲載を!

 

http://www.geocities.jp/whhxj855/risshun.htm
立春の卵

 中谷宇吉郎は昭和初期に活躍した科学者であり、雪と氷の研究家として名が知られている。確か、世界で初めて、人工的に雪の結晶を作った人ではなかったろうか。数年前、NHKで「西田ひかるの痛快人間伝」とかいう番組で取り上げられていたと記憶している。彼はまた多くの随筆を残している。岩波文庫から「中谷宇吉郎随筆集」が出ている。

その中に天文愛好家の嗜好をそそるものとして「立春の卵」というものがあった。昭和22年2月6日の新聞に上海をはじめニューヨーク、東京などで、立春の時刻に一斉に卵が立ったという記事が掲載されたのだという。立春といえば太陽黄径が135°になる日で、太陽の引力がこの日、特別に作用して卵を立たせるのかなと興味を抱くが、そんなことはない。

話の顛末は中谷氏の随筆を読めば分かるが、この随筆の中で、幾つかの矛盾点を発見した。太陽黄径が135°になるのは、一瞬のことで、その時刻を含む日が立春の日となるが、135°になる時刻は場所によってことなる。それは、世界がそれぞれ別の時間用いているからである。グリニッジ標準時では2月3日午前10時45分で、ニューヨークでは3日午前10時45分、東京では5日午前0時51分となるという。中谷氏がこの時刻をどこからひいたのかは分からない。或いは新聞の記事に書かれていたのかもしれないが、残念ながら昭和22年の「朝日新聞縮小版」は近くの図書館にはなかった。

試みに本当にこの時刻に太陽黄径が135°になるかを計算してみた。計算方法は2つ。1.斎藤国治氏の「古天文学」の記述による方法、2.「天文年鑑」に記載されている方法による。グリニッジ標準時、すなわち世界時の1947年2月3日10時45分の太陽黄径値は1.、2.の各方法で求めたところ以下の様になった。


 1947年2月3日15時45分の太陽黄径値

計算方法
1. 133.989
2. 133.989

 なんと135°にはならないのである。どうしたものかと日付を1日加えて計算をしなおしてみた。結果は以下のようになった。

1947年2月4日15時45分の太陽黄径値

計算方法
1. 135.004
2.135.003

 ぴたりと135°となる。つまり1947年の本当の立春は2月4日15時45分なのである。中谷氏の誤記であろうか、または中谷氏の引用した資料に誤りがあったのであろうか。さらに中谷氏の文章をみると不可解な点に気付く。東京での立春が5日午後9時51分ということである。グリニッジと日本標準時との差は9時間である。グリニッジで3日の15時45分が日本で5日になるはずがない。計算して確かめるまでもなく、随筆の記事には誤りがあったのだ。さらに不可解は続く、グリニッジ標準時での立春が4日15時45分とすれば、グリニッジ標準時と日本標準時の差は9時間、すると東京での立春は5日0時45分になるはずである。昭和22年にはすでに日本は明石を基準とする日本日本標準時を使っているから、日本のどこでも時刻は同じである。東京ももちろん日本標準時を使っていたことはいうまでもない。しかし、随筆には5日午前0時51分とあり、日本標準時との差は6分ある。この6分はどのようにして生じたものであろうか。仮に東京での地方平均太陽時を使ったとしても、日本標準時との差は19分となる。となれば、東京での立春は1時04分となるはずである。新たに-13分の差が生じることとなった。

もしかしたら、これは均時差ではないかと、2月4日の均時差を調べてみた。青木信仰氏の「時と暦」の中に記載されているグラフから2月4日の均時差を読み取ると丁度-13分になるではないか。すなわち平均太陽時に均時差をたすと0時51分になった。まさに随筆に書かれた立春の時刻が求められたのである。つまりこれは東京での視太陽時であったのである。

しかし、なぜ東京に限り視太陽時で表したのかわからない。ニューヨークはちゃんとアメリカ東部標準時で表記しているのだ。ちなみに3日午前10時45分とあるが、これは4日午前10時45分の誤りであることはいうまでもない。

以上のように中谷氏の随筆には、立春の時刻表示に不可解な点があった。これらの誤記が何から生じたものであるかはわからないが、中谷氏の時と暦に関する認識が多少甘かったのではないかと思われる。しかし、中谷氏の随筆は恩師である寺田寅彦氏のものよりおもしろい。

立春の卵(2)

 さて、中谷氏の立春の時刻表示についてであるが「計算と合わない」と述べた。そのもととなった昭和22年2月6日の朝日新聞と毎日新聞をあたってみた。私の住んでいる館林市の図書館には昭和22年の新聞は保管されていないので、隣の太田市にある東毛学習センターにある図書館まで出向いた。司書の人に閲覧したい新聞の日付を用紙に書いて渡した。彼女は書庫から、大きな新聞の綴りをワゴンに乗せて運んできた。縮刷版ではなく
、新聞そのものが綴ってあったのだ。はやりつつ2月6日の記事を探した。驚いたことにそこには札幌オリンピックで「日の丸飛行隊メダル独占」なる記事が載っているではないか。よくよく年月日を見ると昭和47年となっている。昭和22年が、なんで昭和47年になってしまったのであろう。実のところ私のうっかりミスであった。昭和22年は西暦1947年である。この下二桁の47年を、昭和47年と間違って書いてしまったのである。

昭和もおわり平成にもなると、こんなミスも起こるのかもしれない。それで彼女に1947年の間違いでしたと、釈明し、昭和22年の新聞を改めて持ってきてもらった。くだんの2月6日の記事には写真入りで立春の卵の事が記載されていた。問題の立春の日時であるが、なんと両新聞とも中谷氏の記述と同じなのである。つまり中谷氏は新聞の記述をそのまま借用しただけだったのである。ということは新聞が間違っていたということになる。さて記事を書いた記者は何を根拠に立春の日時を導いたのであろうか。


更にもっと面白いのが次のブログである。これも全面掲載!

http://www.geocities.jp/futoshiki/essay06-006.html
"Egg Zen Trick"

「立春の卵」の話はよく知られている。
一年のうち、立春の日に限っては卵を立たせることが出来る、というものである。
終戦から間もない1947年、日本の新聞各紙が取り上げて、大きな話題になった。

それを読んだ物理学者の中谷宇吉郎は、自分でもやってみた。
結論は、「いつでも立つじゃん!」、である。
その経緯と考察は、彼の「立春の卵」という随筆になっている。
今では、どこかで中谷の文章を経由して、この話を知っている人の方が殆どだろう。

慎重にやれば、誰でも出来る。
私も以前、中谷の本の読書会をやった折に、試してみた。
自宅の平たい食卓の上で、二個ばかり立てることができた。
でも随分時間がかかったし、どの卵でも確実にという訳には行かなかったので、「立春の卵なんて迷信ですよ、メーシン」なんてノリで、人前でパフォーマンスをする度胸はない。

気になるのは、卵が立つ、という話がどこから来たかだ。
当時の新聞では、中国の古文献にあった話だという。でもそれ以上のことは分からない。

改めて調べて、意外なことを発見した。
北米でも同様に、特定の日に卵が立つ、という都市伝説があるのだ。
ただしそれは、「春分の日」なのである。

アメリカで卵と言えばミネソタというのが、我が国の通り相場だが、例えば『ミネソタ大学ニュース』のサイト内にある「春分、ウソホント」という記事。
春分にまつわる解説とともに、立たされた卵の写真が添えられ、英BBCからの引用として「このナンセンスは大西洋の反対側でおおはやりだ」といったコメントが書かれている。

鳥の渡りと季節の移り変わりなどについて学べる学習サイト「ジャーニー・ノース」の中には、「Eggquinox on the Equinox?」なんて駄洒落とともに、この立卵伝説を科学教育に役立てる、先生向けのマニュアルのページがあった。

天文・宇宙関係、とくにその分野で広まるヨタ話や誤解などに対するツッコミ型解説で知られる、米カリフォルニアはソノマ州立大学のフィル・プレイト氏によるサイト「バッド・アストロノミー」にも、「春分の卵」問題についての詳しい解説ページが用意されている。

このサイトの別の記事によって、立春と春分のズレの謎が解けた。
数学者、そして科学啓発家として有名なマーティン・ガードナーが、1996年に雑誌『スケプティカル・インクワイアラー』(米国の超常現象検証団体CSICOPの機関誌)に寄せた報告からの引用なのだが、概要はこうだ。

1945年、当時の中国国民党政府の首都・重慶にいたジャーナリストのアナリー・ジャコビーは、現地で奇妙な習俗を目にした……人々が春の祝い事として、卵を立てるのだ。
彼女はさっそくその話を、『ライフ』誌に書いた。
その記事が、北米での卵話の、始まりであるらしい。

彼女がその習俗を目撃したのは、「立春」の日だった。
だがその時、ジャコビーは卵を立てる日を、ただ「春の最初の日」としか記さなかった。
彼女の中では、中国人にとって春の始まる最初の日、すなわち「立春」だったのだろうが、アメリカの読者はこれを誤解して受け取った。
彼らにとって、春の最初の日とは、「春分」なのである。

とともに、立卵はやはり、もともと中国由来であるらしいこともこれで分かった。
……つもりだったのだが、さらに今度は中国のサイトをさまよってみると、また困った情報にブチあたってしまった。
中国人も、春分に卵を立てるのである。

例えば、福建省の新聞のサイトで見つけたこの記事だが、春の訪れを迎えた人々が嬉しそうに卵を立てている。
それは春分の日付なのである。

また南京の『金陵晩報』のサイトでも、「今日は春分、あなたは鶏卵を立てましたか?」と題する季節の話題の記事の中で、「古い伝説では、毎年春分のこの日、卵を立てることができる」なんて記述があった。
「春分の日は、昼と夜の平衡がとれているので、卵の立つ安定性が最もよい」「史料によると、春分に卵を立てて春の来臨を祝う伝統は4000年前にさかのぼる」など、もっともらしいことも書かれている。

と思うと、マレーシアの華人系紙『チャイナプレス』(中国報)は、同国クアンタン市で市民が立春に卵を立てている姿を伝えている。

これが台湾に行くと、さらに混乱が待ち受けている。
彼の地では、「端午の節句」(端午節)に卵を立てるらしいのだ。
と言っても、旧暦の5月5日なので、現在の暦では6月になる。
そのため、「端午節」ではなく「夏至」に立てる、というようにも変化している。

例えば、これは『東森新聞報』のサイトの記事だが、北回帰線の走る台湾・嘉義県では毎年、人々が卵立てイベントを開催している。
また、台北にお住まいのウォーターリリーさんという人のドール(人形)サイトでは、こんな可愛らしい「端午節の卵立て」のページがあった。お人形さんが、せっせと卵を立てたり、なかなか素敵。

と言うか、中国人はひょっとして、日付に見境なく、そもそも卵を立てるのが好きな人々なのではないのか。
だんだん調べていくうちにヤケクソになってきて、こんなページも見つけてしまった。

中国・天津の『北方網』というニュースサイトにあったのだが、山東省の李徳浩氏という、卵立ての名人の記事である。
ご覧になって頂ければ唖然としてもらえると思うが、彼はただ、卵を立てるだけではない。
コップの縁など、信じられないところに卵を立たせる超絶技の持ち主なのだ。
中谷宇吉郎が見たら、どんな力学的解説をしてくれるだろう。

なお今回の表題は、世間に広まるウソ話などを辛口評論するアメリカの新聞コラム「ストレート・ドープ」の、「春分の卵」についての記事中にあったものである。
1985年、アラスカ大学の芸術学部長だったケン・グレイという人が、学生とともにパフォーマンス・アートとして、春分の日に17ダースもの卵を立てた。
彼はそのパフォーマンスを、"Egg Zen Trick" と呼んだそうなのである。

要するに「エキセントリック」にひっかけた駄洒落なのだろうが、春分の日、お暇でしたら皆様も、卵立てなどなさってみてはいかがでしょう。


ここで紹介されている‘立った卵’の写真が次の画像である。

1413509_939715.jpg
http://news.enorth.com.cn/system/2004/12/30/000934909.shtml
倒立在玻璃口杯边沿上的鸡蛋:卵のガラスビーカーの縁に逆立ち

1413510_795478.jpg
http://news.enorth.com.cn/system/2004/12/30/000934909.shtml
倒立在平滑瓷质口杯抛物面上的鸡蛋:滑らかな磁器のカップの放物面で反転卵

貴重な写真にど素人が‘ケチ’なんぞをつけてはいけないと思うが、接着剤(ex.‘アロンアルファ’)などと考えるのは、やはり‘品性が卑しい’からだろう。

ここまで見せつけられると、当然自分でもやってみようという気になって来る!

画像ー86 109-2
2013年02月04日 11:05 何べんか試みた結果、卵が・・・・。上から撮った写真だから、自立しているように見えるが、実は・・・

画像ー86 111-2
11:06 この卵の‘下’に敷物が見える!

画像ー86 115-2
この写真のように‘100’という数字の方を上にして、卵の下に百円玉を敷くとこの‘100’の数字の‘凹凸’の‘凹’の部分に、卵の殻の湾曲部分が‘嵌って’安定化するという訳である。(内緒話:敷物の100円なしでおよそ10分間トライしたが、自立は出来なかった)

tamago-2
少々極端に書き過ぎているが、この窪みを利用しているのであ~る!

画像ー86 117-2
今度は、この100円を下に敷かずに・・、「あれっ!卵が立っている!」

画像ー86 120-2
こんな‘カラクリ’で・・・。これは写真の場合だけ通用する。今度は10円に寄りかかっているのである。

画像ー86 126-2
このガラスのジョッキは、一寸見ると‘斜めに自立’しているように見えるが・・・。

画像ー86 129-2
11:29 別に時刻は必要ないが・・・。別のアングルから見ると・・・

画像ー86 129-3
やっぱり‘100円玉’の凹凸を利用しているのである!でもこれ案外受ける。30分も練習すれば誰にでも出来る。ビールを注いだままでも出来るので、そのビールをストローで飲んでみるという‘芸当’も可能!

10円玉の‘0’も利用出来ないことは無いが、溝の深さが100円玉の‘0’の方が大きいようなので、10円玉はよした方がいい。きっと10円玉の方が‘摩耗’し易いのかもしれない。

そんな訳で、立春の卵の話からジョッキ立てにまで話が進んだが、‘卵立て’にはもう一つ、‘コロンブスの卵’という有名な話がある。これは次回に・・・。


(つづく)

[2013/02/04 15:55] | 気象 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
節分の豆撒きと恵方巻き
onitohuku.gif
http://fujio-dayori.up.seesaa.net/image/d0094245_1254834
E7AF80E5888620E382A4E383A9E382B9E38388.gif


2月3日は‘節分’である。節分の意味は、季節の分かれ目であることは、その‘文字’からしても薄々判る。何故‘節分’というかも凡そ想像がつく。節分の時の豆を撒くことも知っている。

でも、「何故節分の時に‘豆を撒く’のか?」という問いに対して十分な答えをすることが出来ない!一寸情けなくなったので、調べてみることにした。

そして、この頃では、‘恵方巻き’などという我々が子供の時には聞いたこともなかった習慣がある。

先ずは、改めて‘節分’から・・・。

http://www.iimiyazaki.com/season/setubun/main.html
■ 節分の由来って何?

1201節分祭追儺式 根津神社/文京区
http://www.chokai.info/areanews/1201%E7%AF%80%E5%88%86%E7%A
5%AD%E8%BF%BD%E5%84%BA%E5%BC%8F%20%E6%A0%B9%E6%B4%A5%E7%A
5%9E%E7%A4%BE%EF%BC%8F%E6%96%87%E4%BA%AC%E5%8C%BA.jpg


2月3日は節分の日です。「節分」は本来、季節の移り変わる時の意味で、立春・立夏・立秋・立冬の前日を指していました。特に立春が1年の初めと考えられることから次第に、「節分」といえば春の節分を指すものとなりました。立春を新年と考えれば、節分は大晦日にあたり、前年の邪気を祓うという意味をこめて、追儺(ついな)の行事が行われていたわけで、その一つが「豆まき」です。
追儺とは悪鬼・疫癘(えきれい)を追い払う行事のことで、平安時代、陰陽師たちにより宮中において大晦日盛大に行われ、その後、諸国の社寺でも行われるようになった。古く中国に始まり、日本へは文武天皇の頃に伝わったといわれています。

■ なぜ、豆をまく?! 鬼は外!の鬼って何?

23a1c6a1367bec835551a3f3bf545709.jpg
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/dd/23a1c6a
1367bec835551a3f3bf545709.jpg



一般的には、豆まきは年男(その年の干支を持つ生まれの人)、または、一家の主人が煎った大豆をまき、家族は自分の歳の数だけ豆を食べるとその年は、病気にならず長生きすると言われています。さて、ここで何故、豆をまくのでしょうか?

陰陽五行、十干十二支という考え方が大きく関わってきます。
「鬼門」ってご存知でしょうか?風水や家相などの東洋占星術でよく使われる言葉で北東にあたる方位が鬼門とされています。

では、なぜ北東の方位が鬼門なのでしょうか?
いろいろな説があるのですが、昔の中国の道教の影響があると言われており、冥府の神として信仰されていた「秦山府君」が住むと言われていた山が北東にあったことから、冥府→北東→鬼門といわれています。鬼門の方角は十二支では、丑と寅の方角(うしとら)に当り、鬼の姿はこの牛の角をもち、トラのパンツを身に付けています。ここで、丑というのは12月を、寅は1月を指します。ちょうど12月から1月にかけての季節の節目に「鬼門」があるのです。鬼門は鬼の出入りする方角でこの邪気を祓うことにより、春が無事に迎えられると考えられていました。ここで陰陽五行の法則の登場です。
gogyou_logo.gif
五行とは、自然の道理を木、火、土、金、水の五元素の事を表しており、この「金」というのが、硬いとか、厄病という意味があり、鬼の象徴で鬼が金棒を持っているのもこの「金」の象徴です。この「金」の作用をなくすのが、五行でいう「火」に当ります。大豆というのは、とても硬いという事で、「金」に当ります。イコール鬼です。これを火で煎る(火が金を溶かすという火剋金の作用)と同時に、豆まきで外や内にこの大豆がばらまかれて結局、人間が食べてしまうことにより、鬼を退治することになります。また、豆をまく事により、五行の「木」を助けるという事で、「春の気を助ける」から「春を呼ぶ行事」でもあります。

■ 節分行事、巻き寿司を食べるのは?

400_F_38072969_KIIC60RBNkNhERJn1I7cjXsNpi15GgxQ.jpg

節分の日、「巻き寿司のまるかぶり」が節分のイベントととして世間に浸透してきたのは、大阪が発祥の地といわれており、大阪海苔問屋協同組合が道頓堀で行った行事をマスコミが取り上げ、全国の食品メーカーがそれに便乗して全国に広まったそうです。
太い巻き寿司をラッパを吹くようにくわえて恵方に向かって私語を交えずに丸ごと食べる事により、1年間良い事あるそうです。
巻き寿司を使うのは理由は、「福を巻き込む」からで、また、まるごと食べるのは、「縁を切らないために包丁を入れない」という事です。
また、恵方とは陰陽道で、その年の干支に基づいてめでたいと定められた方角の事を表します。



http://www.ffortune.net/calen/calen/eho.htm
 恵方について

2013年の恵方は丙(ひのえ)の方位です。丙の方位と書いても分からない人が多いので、しばしば南微東(みなみ・びとう)と書かれています。南微東というのは、南南東とは違うのかとよく質問されるのですが、南南東というのは西洋式の16分割した方位の名称です。それに対して恵方をいう時の方位は中国式の24分割した方位ですので、丙の方位と南南東はズレています。とにかく方位の図をあげましょう。(中国式では方位は特に断らない限り南を上に書きます。西洋式とは上下が逆になりますので、ご注意下さい)


hoitaisyo.png

これらの文献で、‘節分’の意味も‘豆撒き’の由来も‘恵方巻き’の習わしが生まれた事の意義も大体理解出来た。やはり、我々が小さい頃には‘恵方巻き’は無かったようだ。

今日2月3日は、立春の前夜祭、春を迎える大晦日だそうだから、正月に飲み残した日本酒で一杯やることに・・・!
[2013/02/03 23:49] | 伝統文化 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
京葉線のポスター
京葉線で最近「おや、これって??」と思う事があった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E8%91%89%E7%B7%9A
京葉線(けいようせん)は、東京都千代田区の東京駅から東京湾湾岸沿いを経由して千葉県千葉市中央区の蘇我駅を結ぶ、東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(幹線)である。東京駅 - 蘇我駅間 43.0km

JRの前身である日本国有鉄道(国鉄)の末期に一部区間が開業し、のちの国鉄分割民営化後の2度にわたる延伸を経て1990年に全線が開通した、首都圏のJR線の中では最も新しい路線である。全線開業後は東京から千葉・蘇我まで総武本線のバイパス的役割を果たすとともに、東京都心と、沿線の東京ディズニーリゾートや、幕張メッセ・千葉マリンスタジアムなどのある幕張新都心を結ぶアクセス路線となり、また沿線の船橋市・浦安市・千葉市などの生活路線ともなっている。ラインカラーは赤(■、ワインレッド)。首都圏のJRでは京葉線のみが使用するカラーである。蘇我駅で内房線や外房線と接続しており、東京駅から房総方面へ向かう特急列車が当路線を経由して運行されている。各駅停車・快速電車も朝夕ラッシュ時に内房線・外房線・東金線との直通運転を行っている。


路線地図は以下の通りである。我が家からの最寄り駅は、蘇我駅から外房線に乗り換えて約25分、本納駅である。

JR-TokyoRailway-2.jpg
http://vagabond.air-nifty.com/kp2/2009/08/jr-tokyo_s05.html

さて、京葉線に乗車して「おや?」と思ったのは、電車の中の広告である。

電車内の広告の種類は沢山あって、それぞれ名前がついている。

http://www.shunkosha.co.jp/service/train/flash_04.html
電車広告の種類

中づりポスター
まど上ポスター
ドア横ポスター
ドア上ポスター
ステッカー
広告貸切電車
車体広告
車内映像広告
つり革広告

中つりポスター まど上ポスター
左:中づりポスター 右:まど上ポスター


中づりポスターとまど上ポスターの異変に気付いたのである。

画像ー85 110-2
2013年02月01日 09:00 蘇我駅に停車している京葉線の電車内部。上り東京ゆき

画像ー85 109-2
09:00 ドアから左奥へ入った窓の上の‘ポスター入れ’に広告がない!

画像ー85 109-3
同上の拡大。普通この窓上の広告入れにはポスターが入っているのだが・・・。

画像ー85 124-2
2013年02月01日 15:18 東京発下り海浜幕張ゆき 二俣新町付近

画像ー85 122-2
15:18 窓上のポスターが一枚しかない!

画像ー85 125-2
15:18 この車両のお隣の‘中づりポスター’を見てみると・・

画像ー85 127-2
15:19 通常、中づりポスターは‘背中あわせ’になっているのだが・・

画像ー85 126-2
15:19 拡大して見るとハッキリするのだが、画面右のポスターが白紙という事は‘背中あわせにするポスター’が無い!という事である。

京葉線は‘首都圏のJR線の中では最も新しい路線’だというのに、広告主がいないというのだろうか?

この‘現象’は、全くの‘ローカル線’である外房線ではよく見かけるが、首都圏路線では初めてである。

これも‘デフレ’現象の煽りと受け取るべきなのだろうか?

(つづく)


[2013/02/02 15:30] | 旅行・散策 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
2013年01月の弊ブログの位置
今年もとうとう1月が終了して2月になった。

落語家的言い回しをすると

「月日の経つのは速いもんで、今年もあと残すところ、たったの11カ月となってしまいました!みなさん、来年のお正月の準備は整っていますか?」

という事になるかもしれない。

弊ブログを立ち上げたのは、2011年11月の下旬だったから、もう一年と2ヶ月が経過した。お陰様で毎日のアクセス数も徐々にではあるが増えつつある。それに伴ってのジャンル(日記)及びサブジャンル(創作日記)でのランキングも月に数番くらい上にランクされるようになった。

これもみんな‘読者様’のお蔭である。(感謝!

人間いくつになっても、他人から見られていることを気にする。なかなか‘悟り’等というものは開けない!またそれがいいという御仁もおられるから、凡人は「そうですか」というだけである。


さて、2013年01月の弊ブログの統計処理結果を出した。以下の通りである。昨年の12月との比較で見てみたい。

<1> サブタイトル(創作日記)での(日毎)順位と月平均順位

2012年12月期のサブタイトルでの順位と月平均順位0001-2
2012年12月の最高位は、25位。最低位は、50位(2回)である。月平均の順位は、38位。

2013年01月期のサブタイトルでの順位と月平均順位0001-2
2013年01月の最高位は、21位(2回)。最低位は、45位。月平均の順位は、30位。

12月と比べて、最高位が、25位から21位へ躍進。最低位も50位から45位へ。月平均の順位は、38位から30位へ8番‘番付’が上がった。2月は、20位台を目指して・・・。



<2> 日毎アクセス数と(月)平均アクセス数

2012年12月期の日毎アクセス数と平均アクセス数0001-2
日毎アクセス数の月平均は、168回。最高は、12月15日の730回! でもこの数字、どう見ても前後及び平均から離れ過ぎている。‘fc2’さんの方の統計処理に何らかの‘雑音’が入った可能性が強い。月に一度くらいこんな‘珍現象’がある。

最低は12月1日の100回である。月の平均に比べると少な過ぎる。

2013年01月期の日毎アクセス数と平均アクセス数0001-2
一方、今年の1月の月平均アクセス数は、197回で、あと一歩で200回の大台に乗るところだった。しかし、この月にも1月11日の440回という異常な日があるから、平均が少し持ち上がっているので単純には喜べない。最低は130回。

12月と比較すると、

月平均アクセス数が、168回から197回へ増加。最低の日も、100回から130回へ。

2月は、月平均を200回台の大台へ向けて努力したい。

(つづく)


[2013/02/01 23:55] | 統計処理 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
| ホーム |
designated by FC2