「今日で5月も終わり」=「明日から夏の始まり」
今日で、5月が終わる。ということは、今年の春が終わり、明日から夏という事である!

‘収穫の秋’とは言うが、‘収穫の初夏’だとか‘収穫の晩春’という表現は、余り聞かない。

しかし、実際には今の季節に‘旬’なものがある。特に野菜は、ほとんどと言っていい程‘ハウスもの’が出回るから野菜で季節を感じることは無くなったが、ハウスで作らない野菜もある!

その代表が‘玉ねぎ’である! ‘玉ねぎのハウス物’はない。何故か?ペイしないからである。何故ペイしないのか?
答えは簡単である。それはハウスの面積に対して玉ねぎの収穫量が少な過ぎるからである。ハウスの地面の単位面積に対して収穫量を上げるには、空間に実る野菜・果物が基本になる。

ハウス物の代表格である‘トマト’、‘キュウリ’、‘ナス’皆根っこは地中にあるが‘収穫物’は空間に在って、根っこの面積の何十倍もの量を収穫出来るのである。

しかし、‘玉ねぎ’は根っこの部分面積以上の量の収穫はない!

従って、ハウス内の面積以上の量の収穫が無いから‘ハウス’の維持に掛かる‘燃料代’を考えると経済的に効率が悪い。従って、玉ねぎは、全て‘露地物’と決まっている。

従って、野菜の中で季節を感じるのは、‘根っこ野菜’のみである。玉ねぎの他には、ねぎや大根やレンコンやゴボウなどであるが・・・。

さてさて、いつものように前置きが長くなったが、春の終わりの‘玉ねぎ’が手に入った! カミサンが今日お友達から貰って来たのである。

画像ー139 208-2
2013年05月31日 ウサギは多分‘玉ねぎ’は好物では無い筈(?)だが、そばに置き物があったからご一緒して戴いたというだけである。

画像ー139 211-2
実にいい姿をしているではないか! 自然からの春の贈り物の王様である! 瑞々しくて、ハチ切れそう!

そして、私の玉ねぎレシピの最高位は、‘かつぶしサラダ’なのである!

0514saradata.jpg
http://www.akazake.com/recipe/1425.html
何とかして、‘市場を通さない’玉ねぎを手に入れたいと願っていたが、それがカミサンの‘ご友人様’が下さったのである!‘ラッキー’とはこのことである。思った通り、美味さ‘抜群!’こんな素晴らしい春の贈り物はない!

第2位は、輪切りの天ぷら第3位は、麩と同時投入される味噌汁。ここまでが上位ベストスリー!

玉ねぎ 輪切りの天ぷら
http://rokko.at.webry.info/201009/article_19.html
玉ねぎの輪切り天ぷら ‘垂れ(?)’は、レモンに‘塩’、これがいい!

玉ねぎの天ぷらには、もう一つ‘リング揚げ’があるが、私は‘絶対に’輪切り派である!リング揚げの場合、‘揚げに使った油’分が多過ぎる。そのことから言えば、輪切りの場合玉ねぎの持つ水分量と油分の比率が丁度良くなるのである。

従って、‘輪切り天ぷら’の場合、玉ねぎから出て来る玉ねぎ本来の‘玉ねぎの汁’、お判りですか?‘玉ねぎの汁’ですゾ!この甘ったるい玉ねぎのジュース、これが適当な油の量と渾然一体となった時の美味さ!これが最高なのである!

玉ねぎと麩の味噌汁
http://fishchips.exblog.jp/m2008-06-01/
玉ねぎと麩の味噌汁

この二つは明日が実行日である! この3つとも、とも思ったが、楽しみは取っておくのもいい。そんな訳で、春の終わりの本日は、この‘かつぶしサラダ’のみで我慢することにしたのだが、‘大満足!’であった。

そして、今年の夏の第一日目の夜の惣菜は、これら‘ベスト3’が全部出揃うという訳である!

‘ご友人様’有難う! 39!(‘Thank you!’の積り)感謝! 謝々!

持つべき‘よき友’として、第一に‘物くるる友’と兼好法師も‘徒然草’第117段にそう書いている。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/knowl
edge/japan/tsuredure035.html

徒然草

[古文]

第117段:友とするに悪き者、七つあり。一つには、高く、やんごとなき人。二つには、若き人。三つには、病なく、身強き人。四つには、酒を好む人。五つには、たけく、勇める兵。六つには、虚言する人。七つには、欲深き人。

よき友、三つあり。一つには、物くるる友。二つには医師。三つには、知恵ある友。

[現代語訳]

友とするのに悪い者には、七つの人がある。一つ目は、身分が高くて高貴過ぎる人。二つ目は、若い人。三つ目は、病気知らずで身体が強い人。四つ目は、酒を好む人。五つ目は、気が荒くて勇敢な兵士。六つ目は、嘘つきな人。七つ目は、欲深い人である。

良き友には、三つの人がある。一つ目は、物をくれる友。二つ目は、医師の友人。三つ目は、知恵のある友である。



あすの夜が待ち遠しい!

(つづく)

スポンサーサイト
[2013/05/31 23:58] | 季節の変り目 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
‘春の終わり’の風景(その3):‘はせを’の句とその後の早苗の成長は?
「行く春を近江の人とおしみける」  はせを

‘はせを’とは、勿論、‘芭蕉’のことである。今では‘旧かなづかい’なんぞは、若い人にとっては‘外国語’なのだろう。

この句は、多分私が中学校の時(今から60年前?)の国語の時間に教わったのだと思う。この句自身が素晴らしい、と言っているだけではない!この句には‘論争(?)’があったことでも有名だというのである。

私が記憶していた‘その論争(?)’とは、

 弟子「春は何処でも素晴らしいから、何も‘近江’だけでなく‘何処でも’いいはず。置き換えの出来る句だから・・・」とこの句の出来栄えをそんなに評価しなかった。しかし、
 芭蕉「日本国中歩き回ったが、やはり一番は‘近江’である!この句の‘近江’を替える積りはない!」

という程度だった。

しかし、今になって調べ直してみると、‘行く春’が‘行く歳’でもいいではないかと、2カ所に‘ケチ(?)’を付けている、という。

この‘ケチ(?)’を付けたのが‘尚白’という‘はせを’の門弟。芭蕉との年齢差や二人の当時の人間関係など調べ直せばまた面白いのだろうが・・・。

そして、この‘いきさつ’が、「去来抄」に出ているから、去来の‘勝手な’印象だから、真実ではなかった、とも言えるかも知れないが・・・。

以下に‘去来抄’がらみでの‘いきさつ’引用した。
 

http://sogyusha.org/saijiki/01_spring/yukuharu.html
松尾芭蕉は元禄3年(1690年)3月、近江の蕉門の弟子たちに
囲まれて琵琶湖に遊び、有名な「行く春を近江の人とおしみけ
る」と詠んだ。前年の3月から9月まで「奥の細道」の大旅行を
敢行し、故郷伊賀上野でくつろぎ、翌元禄四年にかけて近江、
京都、奈良などを巡遊、この間、大津市の幻住庵や京都の去来
の落柿舎に住み、「猿蓑」「幻住庵記」など、蕉風円熟期の作
品を残した。

 この「行く春を」の句に、近江蕉門の重鎮江佐尚白疑問を
呈した
ことが「去来抄」に載っている。少し長くなるが「行く春」
という季語解説にもなるので引用する。

 先師(芭蕉)曰く「尚白が難に、近江は丹波にも、行く春は
行く歳にも、ふるべし、といへり。汝いかゞ聞き侍るや」。去
来曰く「尚白が難あたらず。湖水朦朧として春をおしむに便り
あるべし。殊に今日の上に侍る」と申す。先師曰く「しかり。
古人も此国に春を愛する事、おさおさ都におとらざる物を」。
去来曰く「此一言心に徹す。行く歳近江にゐたまはゞ、いかで
か此感ましまさん。行く春丹波にゐまさば、本より此情うかぶ
まじ。風光の人を感動せしむる事、まことなるかな」と申す。
先師曰く「汝は去来、共に風雅をかたるべきもの也」と、こと
さらに悦びたまひけり。(原文では『行春』『行歳』『玉はゞ』
などとなっている)。

 尚白は、「行く春」を「行く歳(年)」に変えても、「近江」
を「丹波」にしても、この句は成立するのではないでしょうか、
という疑問をぶつけたわけである。つまり季語や固有名詞が
『ふる』(動く)のではないかというのである。
 大先生の句に堂々と難癖をつける尚白という俳人はなかなか
のものである。というより、蕉門にはこうした自由闊達な雰囲
気があったのであろう。現今の俳壇の主宰独裁の空気とはだい
ぶ違う感じがする。

 芭蕉はそれを面白がったようである。そして去来を試してい
る。「去来や、尚白があんな文句を言ってたけれど、お前さん
はどう思うかね」。「それは尚白が間違っております。琵琶湖
が朦朧と霞んでいる、あの景色こそ行く春を惜しむ気分が勝る
のですから。それに何と言ってもこれは現場で受けた実感その
ものですから」と答えた。
 芭蕉はそれに対してまず「そうだ」と頷いたものの、それで
はまだ半分正答だという気分で、さらに付け加える。「昔の人
たちも近江の春を愛することは、都の春を愛でる以上のものが
あったのだよ」と、「行く春」と「近江」には伝統的な詩情が
込められていることを教えた。これで去来ははたと気がつき、
「そうでした。(固有の場所の)風光が人に独特の感動を与え
るものなのですね。だからこそ、行く年を近江に過ごしてもこ
うした感動は憶えないでしょうし、行く春を丹波で惜しんでも
此の情感は味わえないと思います」。「そうなんだよ、去来、
お前さんはやはり一緒に風雅を語り合える人間だ」と芭蕉はい
たく喜んだ。
 芭蕉が「行く春を近江の人と」と詠んだのは、実際に朦朧と
霞んでいる晩春の琵琶湖の景色に感動したからなのだが、その
裏には、「さざ波や志賀の都は荒れにしを昔ながらの山桜かな」
(平忠度・千載集)をはじめ、近江の晩春を惜しむ気持は古来
連綿と歌いつがれており、それに芭蕉も乗ったのだということ
がある。「行く春」と「近江」にはそうした深いつながりがあ
る。近江の人間である尚白がどうしてそこまで思いを致さず、
「丹波にも置き換えられる」なんて言ったのだろう。それに引
き換え去来は芭蕉からヒントを与えられたとはいえ、すぐにピ
ンと来たところはさすがだと、愛弟子を褒めたわけである。
 このエピソードは、固有名詞を句に詠み込むことの難しさ、
逆にぴたりとはまれば大きな力を発揮することを教えてくれる。
また「行く春」という季語には、日本人が大昔から抱き続けて
きた独特の気分があることを物語っている。


いろいろな思惑も踏まえて、この句一つでもこんなに面白い!

ただし、芭蕉は、本当に‘近江の春’こそ最も素晴らしいと思っていたことが、よ~く判る文献がある!
次の文献である。

http://www.geocities.jp/ikoi98/bashou/bashou.html
芭蕉と近江

近江は俳句の盛んな国である。むかし近江商人の隠居は教養のひとつとして俳句をたしなむ風があった。その背景には芭蕉の存在が大きい。

芭蕉がはじめて琵琶湖の美しい風景に接したのは、当時京で活躍していた近江の国、野洲出身の歌人北村季吟を訪ねたときであった。山里に生まれ育った芭蕉が峻険な鈴鹿の峠をこえてまもなく目のあたりにしたのは、比叡や比良の山々を背おって海のように広がる絵のような湖であった。修業時代の若い芭蕉はその後も幾度となく、湖南の風景を左右に見ながら、京と伊賀上野の間を往復したことであろう。

「老後はここで過ごしたい」
そう思うにはまだ若すぎたかもしれないが、多感な青年なりに考えることがあったにちがいない。晩年の2年近くを大津に過ごした芭蕉はその時期に、藩士、医者、町人、豪商、住職、能役者など多様な人達との交流を楽しんだ。実際、芭蕉は大津湖南地方を訪れること8回におよび、近江の風景や人間に深い愛着を抱いていたように思われる。

「死後もここで過ごしたい」
芭蕉はそのことを遺言した。

芭蕉の生涯の作品は980句確認されているらしいが、そのうち1割近くの89句が大津湖南地方で詠まれているという。奥の細道の52句に比しても、近江の密度の高さがわかる。36俳仙とよばれる弟子の国別分布をみても、近江12、江戸5、美濃・尾張各4、伊賀3、等で近江が群を抜いている。

芭蕉の近江好きは「行く春を 近江の人と 惜しみける」という句に代表される。その句は司馬遼太郎をいたく刺激して、彼を芭蕉に劣らぬ近江ファンにしてしまった。


もう20年も昔、‘ふるさと’とは何か?ということで‘偉そうに’故郷の定義づけをしたことがある。

① ‘自分を理解してくれる’親戚や知人、友人がいる
② 最も好きな‘食べ物’の内、少なくとも一つがある
③ 懐かしい思い出の‘景色’がある

つまり、‘人’、‘食べ物’&‘景色’の3拍子画揃っていて初めて、その場所こそが‘本当のふるさと’という訳である。

そんな意味合いからすれば、今は、この千葉県茂原市千沢を、‘本当のふるさと’にすべく‘景色の素晴らしさ’を探索中といったところかもしれない。

そんな訳で、さあ今年の千沢の‘春の終わり’の風景(その3)を・・・。

千葉県茂原市 - Google マップ(1)0001
ここが、18年間以上住んでいる我が市、千葉県茂原である。

千葉県茂原市千沢-(6)0001
この日の散歩コース一帯。

画像ー133 081-2
2013年05月21日17:58 前々回も紹介した‘栴檀(せんだん)’の樹。そう、高さは、10mくらいはある!

画像ー133 082-2
2013年05月21日17:58 望遠で‘ズーム’。

画像ー133 083-2
2013年05月21日17:58 更に拡大すると栴檀の花がハッキリと判る。最初は、‘藤の花’と間違えたのだから、間抜けなもんである!間違いを指摘して呉れたのが、お馴染みの‘富士山発見者’の‘Mさん’。

画像ー133 084-2
2013年05月21日17:58 以下、拡大の拡大!

画像ー133 084-3
2013年05月21日17:58

画像ー133 087-2
2013年05月21日17:58 藤の花とは、当然全く違う!

画像ー133 088-2
2013年05月21日18:01

下の画像は、‘若い’栴檀の樹。これはまだ5m前後の樹。

画像ー133 090-2
2013年05月21日18:02 葉っぱが新鮮で美しい!

画像ー133 092-2
2013年05月21日18:02 この栴檀は、‘双葉より芳し’の栴檀ではない!‘双葉より芳し’の方は、‘白檀’である。中国では、日本で言う‘白檀’のことを‘栴檀’と表記するから混乱が・・。(おさらい)

画像ー133 092-3
2013年05月21日18:02 葉っぱは、香らない!

画像ー133 094-2
2013年05月21日18:02 たばこの栽培が目立ってきた。我々が越してきた18年前には、たばこの栽培はなかったが、この数年、あそこもここもと年々増え続けているようであるが、何故?

画像ー133 096-2
2013年05月21日18:03 一辺が少なくとも‘100m’くらいはありそう。

画像ー133 097-2
2013年05月21日18:03 これまた、この近所では珍しい樹である。

画像ー133 098-2
2013年05月21日18:03 高さは、10mは超えているように思われるが、何となく‘アフリカ乾燥地帯’にでもありそうな樹である。これまた‘何という樹’なのか不明。

画像ー133 099-2
2013年05月21日18:04 いつもの散歩道。もうすっかり‘みどり一色’となった!

画像ー133 100-2
2013年05月21日18:04 

画像ー133 101-2
2013年05月21日18:04

画像ー133 102-2
2013年05月21日18:04 この畑だけで、どのくらいの本数になるのだろうか?

画像ー133 104-2
2013年05月21日18:05 きっと理由があるのだろうが、何故か‘たばこ畑’は、‘麦’で囲ってある!

画像ー133 105-2
2013年05月21日18:05 稲作より収入が大きいのだろうか? たばこ栽培の現況も調べてみたい。禁煙が叫ばれているのに、たばこ畑は増える! 一体どうして? 輸出用なのだろうか?

画像ー133 107-2
2013年05月21日18:06 夕暮れの田圃。直ぐに‘グリーン’になってしまうのだろうが・・。

画像ー133 112-2
2013年05月21日18:10 田圃のわき道に‘桑の実’が・・・。

画像ー133 113-2
2013年05月21日18:10

画像ー133 113-3
2013年05月21日18:10


ここからの数枚が、早苗の成長ぶりの‘定点観測’画像・・・。

画像ー126 029-1
2013年04月26日17:08 凡そ一ケ月前の田植え直後の様子。

画像ー133 117-2
2013年05月21日18:13 大きくなっていることが一目瞭然!

画像ー126 030-1
2013年04月26日17:08 こちらも一ヶ月前。

画像ー133 118-2
2013年05月21日18:13

画像ー126 031-2-2
2013年04月26日17:08 拡大。

画像ー133 119-2
2013年05月21日18:13

今後は、この定点からの画像を残して成長振りを見ていきたい!

画像ー133 120-2
2013年05月21日18:14 デザイン性に富んだ画像となった! 不規則なところが自然でいい!

画像ー133 121-2
2013年05月21日18:14 アップにも耐える!

画像ー133 124-2
2013年05月21日18:15 いつもの富士山の定点観測位置からの画像。この日は残念ながら富士山は‘霞み’の中。

画像ー133 125-2
2013年05月21日18:15 望遠でも無理。これまでのこの場所からの富士山の画像は‘右手前’の樹木に葉っぱが無い状態のものであったから、富士山が良く見えたのだが・・・。今後は果たして? なお、この樹は、‘偽アカシア’。

画像ー133 126-2
2013年05月21日18:19 赤目川の土手を下りて来る‘小道’に蟹が‘出張って’来ている!

画像ー133 129-2
2013年05月21日18:20 水辺よりも‘餌’が多いのだろうか?

画像ー133 130-2
2013年05月21日18:20 同じ蟹である!

画像ー133 131-2
2013年05月21日18:20 これも、春の終わりを象徴する‘風景’なのかもしれない。水辺を離れた蟹!

画像ー133 151-2
2013年05月21日18:20 我が家へ戻って来た。自宅玄関先の‘アジサイ’も花が少し大きくなってきた!

画像ー133 162-2
2013年05月21日18:20 この‘アジサイ’も定点観測で! 

(つづく)
[2013/05/30 23:54] | 季節の変り目 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
‘春の終わり’の風景(その2)
田舎には、広い土地があるから、花が一杯である。18年間以上もこの千葉県・茂原市・千沢地区に住んではいるが、半径1kmの以内の場所だって通った事のない路地が沢山ある。

千葉県茂原市 - Google マップ(1)0001
‘Google’マップ :ピンクで囲ったところが、千葉県茂原市

千葉県茂原市千沢 - Google マップ(2)0001
‘Google’マップ :ピンクで囲ったところが、千葉県茂原市‘千沢地区’

千葉県茂原市千沢-(6)0001
’Google)マップ :Aが我が家。画面の中央&右下がこの日の散歩道

この日(5/21)は、‘春の終わりの花’を見つけて、‘感謝の一言’も言わねばと思ってカメラ持参で散歩に出かけた!
先ずは、‘Mさん’から名前を教わった‘オオキンケイギク’の満開の場所から・・・。

画像ー133 035-2
2013年05月21日17:33 空き地一面‘オオキンケイギク’のお花畑である!

画像ー133 037-2
2013年05月21日17:34 この家なんて、おとぎ話に出て来る家みたい!

画像ー133 041-2
2013年05月21日17:34 こんなに美しいなら、もっと沢山増やして・・と思うが、この前の弊ブログに書いた通り、いろいろ問題なのだそうだ!

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%AA%E3%8 2%AD
%E3%83%B3%E3%82%B1%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%82%AF

オオキンケイギク(大金鶏菊、学名:Coreopsis lanceolata)はキク科の植物の一種で、黄色い花を咲かせる。北アメリカ原産の宿根草で、日本ではワイルドフラワーに利用されていたが、外来種として野外に定着して問題となり、現在は栽培が禁止されている



画像ー133 042-2
2013年05月21日17:35 さ~て、またこの昆虫の名前が判らない!

画像ー133 042-4
2013年05月21日17:35 ‘Mさん’教えてっ!

画像ー133 047-2
2013年05月21日17:40 これは、それ、‘

画像ー133 048-2
2013年05月21日17:40

画像ー133 050-2
2013年05月21日17:42

画像ー133 051-2
2013年05月21日17:42

画像ー133 052-2
2013年05月21日17:42

画像ー133 053-2
2013年05月21日17:43 上述した通り、この道は一度も来たことが無い。新発見!

画像ー133 055-2
2013年05月21日17:49 突然、お花畑に出た!色々な花が栽培されている。先程の‘オオキンケイギク’は栽培が禁止されているそうだから、人が植えたのではなく自然に‘蔓延った’のであるが、こちらのお花畑は、どなたかが‘精魂込めて’管理されている。

画像ー133 056-2
2013年05月21日17:49 これは確か何処かで見た!そう、帝国ホテルのロビー!

画像ー125 178-2
2013年04月19日 東京・帝国ホテル・ロビー

画像ー125 179-3
同上

画像ー125 182-2
同上

画像ー133 057-2
2013年05月21日17:49 やはり、自然物の方がいい!ところで、名前は?次の文献によると「アリウム・ギガンテウム」らしい!

http://yasashi.info/a_00016.htm
アリウム

科名:ユリ(ネギ)科
学名:Allium
原産地:ヨーロッパ アジア 北アメリカ 北アフリカ
草丈:20cm~120cm
主な開花期:4月-7月
栽培難易度:
(やさしい)

アリウムとは

アリウムの仲間は北半球に300種以上が分布します。アリウムというと聞き慣れませんが、非常に身近に接している植物群でタマネギやニンニク、ラッキョ、ネギやワケギなどがあり、これらも学名にすると「アリウム・なんちゃら」という名前になります。ないとカレーも作れません。

園芸で一般にアリウムというと花が美しく、花壇や切り花にして鑑賞する種の総称で、秋に球根を植えて春に花を楽しむ「秋植え球根植物」として扱います。ざっくり言うと、花のキレイなねぎ坊主です。
葉は線のように細長いもの、幅があり長くなるものなどがあります。地際から放射状に葉を広げ、茎は長く伸びません。開花期は主に春~初夏で花茎を長く伸ばし、その先端に小花がボール状にまとまって咲きます。花序(ボール状の花のかたまり)の直径は種により異なります。大きなものは豪華ですごい存在感があり、小さなモノはかわいらしいです。花茎は長く伸びるもので1mを超します。花色は赤紫、白、ピンク、黄色などがあります。
球根の大きさで大球性と小球性の2タイプに分けられます。大球性で大きなものはソフトボールくらいの大きさになります。

種類
〔〕内は学名、A.はAlliumの略

ギガンテウム〔A. giganteum〕
中央アジアに分布する大球性で球根は径8cmにもなります。主な開花期は6月~7月で、花茎を1m前後伸ばして先端にたくさんの小花を密に付け球状になり、その直径は10cmを超す。花色は紅紫~桃紫色。花壇植えの他、切り花にも利用でき球根も広く流通する。

カエルレウム〔A. caeruleum = A. azureum〕
中央アジアに分布、アズレウムとも呼ばれる。ブルーの小花を球状にまとめて咲かせる。花自体は美しいが、満開の時期には葉が黄ばんで枯れてくるので、全体的な鑑賞価値がやや劣る。

モリー〔A. moly〕
南ヨーロッパ原産、花茎を30cmほど伸ばしてその先端に2cm前後の花を30~40輪咲かせる。花色は鮮やかな純黄色で人目を惹く。

ネアーポリターヌム〔A. neapolitanum〕
小球性で地中海沿岸に分布する。花茎を20cm~30cm伸ばし純白の花を20輪前後咲かせる。母球の周りにできる子球が「牽引根-けんいんこん-」という根を出して地中を移動して母球から離れる。
これ以外に、’丹頂’と呼ばれる小球性の種も球根が広く出回っています。



画像ー133 058-2
2013年05月21日17:49 この葉っぱだって、元気がいい!

画像ー133 061-2
2013年05月21日17:49 もうこの花も終わりだが、最後の一つが懸命に美しさを誇っている!39!

画像ー133 066-2
2013年05月21日17:50

画像ー133 068-2
2013年05月21日17:51

画像ー133 068-3
2013年05月21日17:51

画像ー133 070-2
2013年05月21日17:51


さて、以下は‘キンギョソウ’。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83
%B3%E3%82%AE%E3%83%A7%E3%82%BD%E3%82%A6

キンギョソウ(金魚草 Antirrhinum majus)はオオバコ科キンギョソウ属の植物。南ヨーロッパと北アフリカの地中海沿岸部を産地とする[1]。
その名の通り金魚のような花を穂状に数多く咲かせる。花の色は赤・桃・白・橙・黄・複色。
種は微細だが性質は強健で、こぼれ種でよく殖える。一般的には秋蒔きの一年草で、寒冷地では春蒔きにする。本来は多年草の植物であり、年月が経つにつれて茎が木質化する。
金魚の養殖で有名な愛知県弥富市の市の花にもなっている。


画像ー133 071-2
2013年05月21日17:51

画像ー133 072-2
2013年05月21日17:51

画像ー133 073-2
2013年05月21日17:51

画像ー133 074-2
2013年05月21日17:52

画像ー133 075-2
2013年05月21日17:52

画像ー133 076-2
2013年05月21日17:52

画像ー133 077-2
2013年05月21日17:52

画像ー133 077-3
2013年05月21日17:52

画像ー133 078-2
2013年05月21日17:52 また振り返ったら、この美しき‘葱坊主’が、見事だった!

画像ー133 079-2
2013年05月21日17:52

画像ー133 079-3
2013年05月21日17:52

画像ー133 080-2
2013年05月21日17:53

‘17:33’から‘17:53’までのたった20分間で、これだけの春の花に出会うことが出来た!勿論癒されたのは当然である!

東京丸の内から神田方面へ‘20分間’歩いて、どんな花に出会えるだろうか?

田舎の素晴らしさがこれで判る!

「遊ぼう 外房 皆呼ぼう!」 これが私が造った‘キャッチコピー’である。

(つづく)
[2013/05/29 10:49] | 気象 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
今現役で‘卒意’の人(その1):80歳スキーヤー三浦雄一郎氏
80歳の偉人に日本国中が湧いている!

<以下の全ての画像は、テレビ朝日のTV画面をカメラで撮影したものである。>

画像ー137 001-2
2013年05月27日(月)08:59

画像ー137 002-2

「ハタ迷惑かもね?」と言っていた人達も全員がスタンディング・オべーションだ!これは彼が帰国した際にもう一度山場が来る。そして、更に彼が‘85歳で!’と言った瞬間にまたその現象が起こるに違いない!

彼、三浦雄一郎氏 こそ、今の日本で他の追随を許さない‘唯一の偉人で’ある!

彼は、登山家ではない! 冒険家でもないという。ご自分では‘ただのスキーヤー’と仰るそうであるが・・・。そんなことはどっちでもいい。こんなに人生を楽しんでいる人は先ずいないであろうと思われる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6
%B5%A6%E9%9B%84%E4%B8%80%E9%83%8E

三浦 雄一郎(みうら ゆういちろう、1932年10月12日 - )は、青森県青森市生まれのプロスキーヤー及び登山家である。クラーク記念国際高等学校校長、全国森林レクリエーション協会会長。
父の三浦敬三も山岳スキーヤーで、長男の三浦雄大は競技スキーヤー、二男の三浦豪太はリレハンメルオリンピック・長野オリンピック出場したフリースタイルスキー・モーグル選手。母方の祖父は、第15回衆議院議員総選挙青森県第5区[1]選出議員の小泉辰之助[2]。

略歴 [編集]

幼少期は病弱で劣等生[2]、幼稚園は中退[3]、小学校4年生から5年生時には結核で肋膜炎を患い長期入院のため一年の半分近くは学校に通えなかったほどだったという。農林省(現・農林水産省)営林局に勤めていた父の仕事の都合で小学校[4]は5回転校、旧制中学校は先述の健康問題が理由で1度旧制黒沢尻中学校(現・岩手県立黒沢尻北高等学校)への入試に失敗し小学生浪人、入学後も4回転校を繰り返した[2]。
初めてスキーに接したのは小学校2年時、当時住んでいた弘前市の弘前城公園の坂をスキーで滑ったのがきっかけで[3]、その後一家で仙台市郊外の農場に引っ越した際に本格的にスキーを始め[2]、旧制青森中学校在学時に岩木山で開かれたスキー大会で優勝し初タイトルを獲得する。青森県立弘前高等学校在学時に、全日本スキー選手権大会の滑降競技で入賞、青森県高等学校スキー大会で3年連続個人優勝するなどの実績を重ねた。また同時期、スキージャンプを借り物のスキーで初めて飛んだにもかかわらず、県の二位に入ったこともある[3]。

大学進学において、スキーが出来るからという理由で北海道大学を受験先に選び、入学試験直前にもかかわらず「もう来れないかもしれない」と考え藻岩山でスキー三昧だったものの合格し、獣医学部に進学[3]、北海道大学では一般教養部で当時理学部に在籍していた作家の渡辺淳一と同期だったがのちに、渡辺は札幌医科大学に転校した。
在学中に当時の学長秘書、かつアルペンスキーの女子選手だった妻・朋子と出会い同棲の後結婚[2]、大学院進学、そしてアメリカ留学を希望していたものの、肺の病気を患い、暫く母校の北大獣医学部に助手として勤務、札幌市月寒(現・札幌市豊平区月寒)にあった当時の北大農事試験場でブタやウシをあつかう獣医師をしていた[3]が、26歳で助手の職を辞任、スキーに挑戦するも、優勝した全日本スキー選手権青森県予選閉会式で、全日本選手権への青森県からの派遣人数をめぐりスキー連盟関係者と対立、結局アマチュア資格を剥奪され、アマチュアスキー界永久追放の憂き目に遭う[2]。
アマチュア資格剥奪後暫く、体力を鍛え直す意味も込めて、北アルプスの立山でボッカとして働いていた[2]。



彼のこころは、もう何十年も前から‘卒意’という‘心の状態’になっている。

ここでいう「卒意」とは、「用意」の対語のそれではなく、「作意」or「作為」の対語のそれである。

全く‘他人を意識する’ことなく、自分自身の世界に‘入り浸っている’状態を指す。

全く一人で行動する場合は、それはそれで済むかもしれないが、人間は一人では生きていけない!

例えば、俳句の領域で言えば、‘種田山頭火’や‘尾崎放哉’と言った人が有名であり、版画(→板画)家としては、‘棟方志功’がいる。

http://rekishi-club.com/kijin/taneda.html
種田山頭火 ?妻子を捨て行乞の人生を送り自由に一筋の道を詠い続ける

種田山頭火は生きている時には、ほとんど無名で、その一生を終えたが、死後、評価され「自由律俳句」の代表の一人となった。妻子を捨て、世間を捨て、行乞(ぎょうこつ=修行僧が各戸で物乞いをして歩くこと)の人生を送り、自然と一体になり、自己に偽らず、自由に一筋の道を詠い続けた山頭火は、生涯に約8万4000句を詠み捨てたという。生没年は1882(明治15)~1940(昭和15年)。

種田山頭火は現在の山口県防府市に、父竹次郎、母フサの長男として生まれた。本名は正一。種田家はこの付近の大地主で、父は役場の助役なども務める顔役的存在だった。その父の、妾を持ち芸者遊びに苦しんだ母が、自宅の井戸に身を投げて死んだ。山頭火11歳の時のことだ。この母の自殺が彼の生涯に大きな衝撃を与えた。

山頭火は1902年(明治35年)、早稲田大学文科に入学したが、2年後、神経衰弱のため退学して帰郷。その後、隣村の大道村で父と酒造業を営む。1909年(明治42年)佐藤サキノと結婚、翌年長男健が誕生。1911年(明治44年)、荻原井泉水主宰の自由律俳誌「層雲」に入門した。この頃から「山頭火」の号を用いる。29歳のことだ。狂った人生の歯車は順調に回りかけたかに見えたが、そうではなかった。1916年(大正5年)、家業の酒造業に失敗し、家は破産したのだ。家業を省みない父の放蕩と、度を過ぎた父子の酒癖が原因だった。父は他郷へ、山頭火は妻子を連れて句友のいる熊本へ引っ越す。

熊本へ移った山頭火は額縁店を開くが、家業に身が入らず結局、1920年(大正9年)、妻子と別れて上京する。その後、父と弟は自殺する。東京での山頭火は定職を得ず、得るところもないまま1923年(大正12年)、関東大震災に遭い、熊本の元妻のもとへ逃げ帰る格好となった。

不甲斐ない自分を忘れようと、酒におぼれ生活が乱れた。そして、生活苦から自殺未遂を起こした山頭火を、市内の報恩禅寺の住職、望月義庵に助けられ寺男となった。1924年(大正13年)、出家した。法名・耕畝(こうほ)。市内植木町の味取(みどり)観音の堂守となった。

1925年(大正15年)、寺を出て雲水姿で西日本を中心に行乞の旅を始め、句作を行う。1932年(昭和7年)、郷里の山口の小郡町に「其中庵(ごちゅうあん)」を結んだ。その後も行乞、漂泊することが多く、諸国を巡り、旅した。1939年(昭和14年)、松山市に移住し、三度目の庵である「一草庵(いっそうあん)」を結び、翌年この庵で波乱に満ちた生涯を閉じた。隣室で句会が行われている最中に、脳溢血を起こしたものだったという。

季語や五・七・五という俳句の約束事を無視し、自身のリズム感を重んじる、前衛的な「自由律俳句」。山頭火はその自由律俳句の代表として、同じ荻原井泉水門下の尾崎放哉(ほうさい)と並び称される。山頭火、放哉ともに酒癖によって身を持ち崩し、師である井泉水や支持者の援助によって、生計を立てているところは似通っている。しかし、その作風は対照的で「静」の放哉に対し、山頭火の句は「動」だ。

どうしようもないわたしが歩いている
山頭火の句には「近代人の自意識」がある。この句の中には二人の山頭火がいる。一人は、どうしようもない心を抱いて歩いている山頭火であり、もう一人はそれをじっと見ている山頭火だ。この自意識は小説分野の「私小説」にも通じるものだ。

(参考資料)梅原猛「百人一語」

?


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%9F%E6%
96%B9%E5%BF%97%E5%8A%9F

棟方 志功(むなかた しこう、1903年(明治36年)9月5日 - 1975年(昭和50年)9月13日)は日本人の板画家。青森県出身。20世紀の美術を代表する世界的巨匠の一人。
1942年(昭和17年)以降、彼は版画を「板画」と称し、木版の特徴を生かした作品を一貫して作り続けた。


彼等を引き合いに出すと、三浦雄一郎氏は怒るかもしれないが、我々にはその境地を余り理解出来ない為に何だか‘天才能力’ってそんなものかな??と思ったりしている。

前置きが長くなってしまったが、
三浦雄一郎氏の快挙の映像を!

画像ー137 003-2

画像ー137 005-2

画像ー137 006-2

画像ー137 007-2

画像ー137 008-2

画像ー137 010-2

画像ー137 011-2

画像ー137 012-2

画像ー137 015-2

画像ー137 017-2

画像ー137 020-2

画像ー137 023-2

画像ー137 024-2

画像ー137 025-2

画像ー137 026-2

画像ー137 028-2

画像ー137 029-2

画像ー137 030-2

画像ー137 031-2

画像ー137 034-2

画像ー137 035-2

画像ー137 036-2

画像ー137 041-2

画像ー137 042-2

画像ー137 045-2

画像ー137 064-2

画像ー137 065

画像ー137 068-2

画像ー137 070-2

画像ー137 071-2

画像ー137 072-2

画像ー137 073-2
出たっ!暴走老人!

画像ー137 077-2

画像ー137 082-2

最近のTV画面は、静止画像化しても、その説明は、画面に出ている!

「エベレストの登頂はもうない」との発言ようだが、いやいや、それは今疲労困憊の状況だからであろう!後一年も経てば、必ず「85歳で、エベレストに挑戦だ!」と言い出されに違いない!

子供を産んだ女性が、「もう、お産は、こりごり!」と言っていたのに、健康を取り戻せば、またお産となるようなものである!

三浦雄一郎さんには、100歳までエベレストに挑戦して欲しい!

三浦雄一郎さん、万歳!

(つづく)
[2013/05/28 00:00] | 仰天! | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
残念!稀勢の里
2013年05月26日(日)は、大相撲夏場所・千秋楽!

日本の大相撲ファンのほとんど皆が、稀勢の里が、今日は勝って、出来れば横綱・白鵬に土がついて、‘優勝決定戦を!’と望んでいたに違いない。

ところが、結果は、稀勢の里が敗れ、白鵬が勝って、全勝優勝という幕切れとなったのである!褒め称えるは、白鵬で、30連勝である。<拍手!>

稀勢の里は、準優勝ではあるが、2敗であるから、二つの差が付いた。これでは来場所に有利な判断はされ得まい!

稀勢の里の無残な負け方、ここ一番で踏ん張れない!これでは、横綱昇進は難しい!

日本中の大相撲ファンが大いに期待していただけにその‘嘆き’は大きい!

負けても、まあ許されるのだが、負け方が悪過ぎる!相手の大関・琴奨菊が強過ぎたのではない!昨日、あんなに横綱を苦しめたのに、この粘りの無さは?一体どうしたというのだろうか?

TV画面で追ってみた!(以後の写真は、全てNHK・TV放映画面をカメラで撮影したものである)

画像ー136 002-2
2013年05月26日17:16 遂にその時刻が近付いてきた!三役揃踏みである。

画像ー136 004-2
先ずは、東方から。扇の要の位置に横綱・白鵬。そして、向かって左が、角番大関・琴欧州、そして右が我らの稀勢の里。この東方でも、日本人は稀勢の里のみ。

画像ー136 007-2
替わって、西方。逆要の位置に大関・鶴竜、向かって左に横綱・日馬富士、そして、右が今日稀勢の里と対戦する大関・琴奨菊。此方も日本人は、琴奨菊一人のみ。つまり、三役揃踏みの6人中、日本人は2人という訳である。これで‘国技か?’誰もが投げかける‘疑問と不安’である!

画像ー136 011-2
この表情からは、‘卒意’のこころが見て取れる。決して‘勝ち’を意識しているようには思えない。

画像ー136 011-3
撮影している時には気付かなかったが、森・元首相の顔が偶然写っている。多少心配そうな表情ではあるが・・。

画像ー136 041-2
ここだって落ち着いている(ように見える)。

画像ー136 041-3
土俵下では、横綱・白鵬が、無表情で下を向いている。

画像ー136 043-2

画像ー136 047-2
確かに、稀勢の里は、琴奨菊を苦手としていた。対戦成績を見れば判る。しかし、しかしである。この一年間の対戦では、稀勢の里が5戦5勝である。誰が稀勢の里の負けを予測しただろうか?

画像ー136 048-2
最初の仕切り。普段は、ここで、‘パチパチ’と瞬きをするのだが、今場所は違った!

画像ー136 050-2
琴奨菊の動作が遅れているのかそれとも稀勢の里の動作が早過ぎるのか?一瞬不安が横切った!

画像ー136 051-2
でも、塩を掴んだ時の表情に焦りはなさそうだった!

画像ー136 054-2
これなら行けそう!

画像ー136 054-3
でも、森・元首相は不安な顔をしている。森・元首相は、元‘ラガー’だから、スポーツマンの心が読めるのだろうか?

画像ー136 055-2
これはいい表情だと受け止めたのだが・・・。

画像ー136 059-2
一つ前の対戦で、大関・鶴竜を破って、やっと勝ち越しを決めて安堵した大関:琴欧州と横綱・白鵬が土俵下に鎮座して対戦=大戦を静かに見守っている。

画像ー136 062-2
さあ、行事の軍配は反った!立会である。

画像ー136 063-2
対琴奨菊の場合‘立ち合い’が極めて重要である!言っちゃあ悪いが、琴奨菊は、足が短いから必然的に‘腰の位置’が低い! 十分に腰を落としていなければ‘ガブリ寄り’を喰う危険性がある。こんなことはよ~く稀勢の里は知っているから大丈夫だ!

画像ー136 062-3
この画面で注目して貰いたいのは、中央左の女性の動作である。勝負が決まった時の彼女の‘仕草’が国民の‘嘆き’の象徴である!(後出)

画像ー136 063-2
さて、制限時間一杯!

画像ー136 080-2
手を降ろして! と行事が言っているが、どうも琴奨菊はいつも通り、‘キチンと’手を土俵につかない癖がある!そして、‘腰が低い’から、ガブリ寄りに向いているのだが・・・。

画像ー136 081-2
さあ立った!完全に踏み込まれている!

画像ー136 081-3
土俵下の横綱・大関の表情が曇っている!稀勢の里の不利は立ち合いにあった!

画像ー136 082-2
完全に‘腰の位置’の高さが違う! こう攻められては、稀勢の里でなくても横綱・白鵬だってこの状態からは脱出出来ない!これは全く琴奨菊の作戦勝ちである。こんなこと予測できた筈なのに!

画像ー136 082-3
心やさしい‘琴欧州’が何とも言えない表情で見上げている!

画像ー136 086-2
稀勢の里の完敗である! この一瞬で彼は横綱という地位から大きく遠ざかってしまった!

画像ー136 086-3
この稀勢の里の表情は正に‘転落’のそれである。これは期待外れ!希望が無くなった瞬間である!

画像ー136 089-3
ここで、先程‘紹介した’女性のしぐさと表情を見て欲しい! この画像だけを見ると‘やった、万歳!’のように見えるから、ひょっとしたら、琴奨菊の親戚?と思えないこともないのだが・・・。次の画像では、・・・・!

画像ー136 090-3
万歳(?)の手で、口元を覆っている!これは‘悔しい驚き’の表情だろう! 稀勢の里のファン皆がこんな気持だったに違いない! ご苦労さま! 正に‘転落’を絵に描いたようだった!

画像ー136 091-2
勿論、会場からの‘ブーイング’はなかったが、これまた人のいい大関・琴奨菊のこの表情、何とも居た堪れない表情である!ご本人は堂々と勝利したのに!

人生の‘ドラマ’ってこんなものかもしれない!(一寸、偉そうに!

勿論こんなドラマもあってもいいが、やはり大相撲の横綱は日本人が・・の思いは消えない!

画像ー136 266-2
それにしても、堂々の全勝優勝の横綱・白鵬のインタビューは素晴らしかった!

「稀勢の里のお蔭で、私も元気が出た!そのお蔭で優勝出来た!彼が早く横綱になれるようファンの皆様彼を応援してやって下さい!」「腕に擦り傷が出来たのも久し振りです!」

画像ー136 192-3

何と言う余裕だろうか? 普通の一般社会では、この横綱の歳(28歳)では、会社に就職したての‘若僧’である。相撲の世界では‘ドッグイヤー’なのだろう。

画像ー136 286-2


大関・稀勢の里殿、来場所全勝優勝を目指せ!これは、日本国民からの‘業務命令’である!

(つづく)


[2013/05/27 12:20] | 大相撲 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
13戦全勝同士の対決の意義
大相撲という日本の国技において、ここ数年の歴史の上で、2013年05月25日(土)は、最も記念すべき日であった。

日本生まれの日本人が今の大相撲でこの数年優勝したことが無いからである。それが、共に13勝0敗という全勝同士のモンゴル出身の横綱と日本人大関との対決となったのである!

これは、日本人としては見逃すわけにはいかない!
TVの前で、カメラのシャッターを切った!この画像は、思い出の一番としてどうしても残しておきたいと思ったからである。

多分、今年中に大関・稀勢の里は、横綱になるだろう。もしも、今年中に横綱になれないとしたら、稀勢の里は今後横綱にはなれない、と思うからだ!

チャンスはそう沢山あるものではない!時期を逸すると永遠にチャンスは巡って来ない!大関・魁皇の例を見れば判るではないか!5回もの優勝をしておきながら、2度連続優勝(あるいは準優勝)という厳しい横綱昇進のハードルに阻まれた!その後の魁皇の実績を見れば、このハードルは実に優れた規定である。勿論、我々魁皇ファンとしては、「魁皇がもしも横綱になっていれば、それなりの成績を残したに違いない。横綱という地位がまた人物を創るというではないか!」といいたい気持ちもある。

さて、今場所の稀勢の里の‘動き’に変化が現れた。TVでしか見れない我々のようなど素人にも画面を通じてひしひしとその動きと彼の心の変化が感じられたのだから、側近の人達や面と向かう事の出来る人達にとっては、より一層強く感じられたに違いない!

そして、誰よりもそれを感じ取っていたのは、横綱・白鵬自身であったに違いない!

その様子は、次の画面にもありありと映し出されている。(画像は、引用のURLが付いているもの以外は、全てNHK/TV画面をカメラで撮影したもの)

画像ー135 389
2013年05月25日17:49
双方とも13戦全勝! この13日まで全勝は、稀勢の里にとっては初めての経験だという。

画像ー135 390
これまでの対戦では、圧倒的に白鵬に分がある!

画像ー135 391
今場所の稀勢の里の変わりようの第一は、‘目のパチパチ’が極めて少なくなったことである。多分、95%減と言ったところだろう!

画像ー135 394
極度に緊張しているようには見えない!今場所彼の気持ちにどんな変化があったのだろうか?

画像ー135 397
行事の軍配はまだ返っていないが、この緊張である。

画像ー135 401
横綱を‘睨みつけて’いる。気迫は十分である。

画像ー135 402
下を向いているが、緊張は採れていない。

画像ー135 403
国技館のなかでは、それぞれ4つの方角に8枚ずつ、合計24枚、4年間分の優勝力士の‘額’が掲げられているそうだ。優勝の場合でも‘全勝優勝’の場合は、このように‘優勝’ではなく‘全勝’と書かれるという。先場所は、白鵬が‘全勝優勝’だったから、‘全勝’と書かれている。この額が見下ろしている。これがプレッシャーかとも思うが、稀勢の里がこれを見ている訳ではないし、土俵に上がればきっと見えはしないだろう・・・。

画像ー135 404
さて、今度は行司の軍配は反っている!

画像ー135 406
さぁ~、立会!

画像ー135 407
どちらということもなしに‘気’が合わない!

画像ー135 408
仕切り直しである!

画像ー135 409
今度こそは、

画像ー135 410
さぁ~、

画像ー135 411
一瞬の立ち遅れが、勝負を決めることだってあり得る。このタイミングが最も緊張する時!

画像ー135 432

画像ー135 433
17:53:44 さぁ~立った!

画像ー135 412
17:53:46 右四つである!

画像ー135 434
横綱が、一瞬の内に巻き換えて、左四つに! どっちが有利??

画像ー135 435-2

画像ー135 413
17:53:50 

画像ー135 414-2
17:53:52

画像ー135 436-2

画像ー135 437-2

画像ー135 438-2

画像ー135 440

画像ー135 443-2

大相撲・白鵬勝ち-
http://www.sanyo.oni.co.jp/news_k/news/p/2013052501001821/

大相撲・白鵬勝ち
http://sankei.jp.msn.com/sports/news/130525/mrt13052521570007-n1.htm
14日目 白鵬がすくいなげで稀勢の里を下す=両国国技館(撮影・今井正人)

大相撲・白鵬勝ち4
http://news.goo.ne.jp/picture/sanspo/sports/ssp20130525539.html

画像ー135 439-2

画像ー135 441-2

画像ー135 444-2

大相撲・白鵬勝ち3
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130525-00000045-jijp-spo.view-000
稀勢の里は、完全に仰向けに!

画像ー135 442-2

画像ー135 415
17:54:02
掬い投げ(まわしを取らずに差し手を返し、相手のわきの下からすくうように投げること)で横綱の勝ち!
この間、16~17秒。

画像ー135 445

画像ー135 446
稀勢の里はがっくり!少しの間立ち上がれなかった。

画像ー135 416
勝利した横綱には、笑みさえ漏れている!

画像ー135 417
稀勢の里は、憮然とした表情!

画像ー135 418
横綱の安堵した表情!  

この後の二人の表情に説明は要らないだろう!

画像ー135 421-2

画像ー135 423-2

画像ー135 425-2

画像ー135 426-2

画像ー135 429

画像ー135 430

画像ー135 431

画像ー135 447

画像ー135 448

画像ー135 450

画像ー135 451

画像ー135 452

画像ー135 454

画像ー135 456

画像ー135 457

画像ー135 459

画像ー135 460

画像ー135 464
17:57:46
「♪ 明日があるさ、明日がある!♪」の歌の文句通り! まだ優勝出来ない訳ではないが、自力優勝は無くなった! でも、今場所の大関・稀勢の里は、一枚も二枚も剥けた感じ!いいぞ、頑張れ!日本人横綱まであと少しだ!

(つづく)
[2013/05/26 12:03] | 大相撲 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
夜の芸術作品!
2013年05月24日は、満月に近かった。月の写真を撮ってみようと思って、カメラを持って23時半過ぎに外に出てみた。

月は、ほぼ真ん丸で、煌々と辺りを照らしている!

画像ー134 363-1-2
2013年05月24日23:41

画像ー134 391-2
2013年05月24日23:46
月だけを望遠で撮ってみると、ほぼ満月に近い。

画像ー134 390-2
2013年05月24日23:45
これは、月そのものに‘焦点’を合わせて・・・。ちょっとピンボケ!

さ~て、ここからが、‘夜の芸術作品’作製の‘カラクリ’である!

画像ー134 382-2
2013年05月24日23:44
月明かりだけで、‘オオキンケイギク’(遂に、名前を覚えてしまった!??)を撮ってみたのがこの画像である。これでは、写真としての価値もないから、ましてや‘芸術作品’にはなり得ない!ところが、ところがである!!

画像ー134 382-1-2-2
2013年05月24日23:44
PCで無理やり処理して見ると、面白い画面が出て来た!

画像ー134 384-2
2013年05月24日23:44
同じ被写体を、今度はフラッシュ撮影すると、ピントもぴったり! しかし、こんな‘ふつー’の写真なんてダ~レも見向きもして呉れないに違いないが、一つ上の画像なら「何?これ?」と立ち止まって呉れる(に違いない!?)。

画像ー134 365-3
2013年05月24日23:41
これは、ふつーのフラッシュ写真であるが、フラッシュなしの画像をPC処理すると、・・・

画像ー134 364-3
2013年05月24日23:41
こんな風にまるで‘ルノアール’が‘オオキンケイギク’を描いたら、こんな風になる!と思わせるではないか!? 因みに、ルノアールの「ばら」は、以下の画像。

ap0021.jpg
http://gallerysai.com/SHOP/aps1021.html
印象派最大の巨匠の一人ピエール=オーギュスト・ルノアールの作品。ルノアールは人物を描く練習に花を描いたという。モデルが居る緊張感なく色々と試みることが出来るからだと。

画像ー134 385-3
2013年05月24日23:45
同じように、我が家の玄関前の深夜の様子を月明かりだけで撮影すると、こんな風に‘真っ暗闇’としか写らないが・・・

画像ー134 385-2
2013年05月24日23:45
PCで処理すると、やはり‘誰かさん’が描いた‘芸術絵画’(?)に見えてくるから不思議である!

画像ー134 386-2-2
2013年05月24日23:45
フラッシュで撮影すると‘ポイ捨て’写真になり下がってしまうのである。

つまり、同じ‘風景’なり‘静物’や‘花’を描いた場合、その‘処理の仕方’で、一方は‘芸術的’価値ありと判断されるが、そうでない場合は‘ポイ捨て’となってしまうという皮肉な結果となってしまう。

そしてまた、その作品自体を盛り上げる効果は、‘額縁’にもある!
これは、人間の場合‘服装’や‘衣装’に当たる。

それぞれのPC処理写真を‘額縁入り’芸術作品にしてみた!

先ずは、上の‘ルノアール’の花の作品の額縁から、ど~ぞ!

aps1021.jpg
http://gallerysai.com/SHOP/aps1021.html
ピエール=オーギュスト・ルノアールの作品「ばら」

続いて、PC処理の‘額縁’入り作品。

額縁絵画ー30001-2
PC処理・<額縁作品No.1>「夜のオオキンケイギク」
額縁:http://blog.goo.ne.jp/poodle_001/e/b6a145abe936284b54cce23e07b88172

額縁絵画-50001-2
PC処理・<額縁作品No.2>「夜のオオキンケイギク作品2」
額縁:http://torilogy.exblog.jp/7035536

額縁絵画ー20001-2
PC処理・<額縁作品No.3>「千沢、5月の満月煌々」
額縁:http://torilogy.exblog.jp/7035536

額縁絵画ー40001-2
PC処理・<額縁作品No.4>「満月」
額縁:http://torilogy.exblog.jp/7035536

額縁絵画-10001
PC処理・<額縁作品No.5>「夜の静寂(しじま)」
額縁:http://www.art-ogaki.jp/archives/tag/o-da-fure-mu

これからも機会があったら、こんな‘お遊び’もやってみたら案外新発見があるかもしれないから面白い!

(つづく)
[2013/05/25 14:14] | 芸術 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
第24回 Techno-bridge商品開発・材料総合研究会
2013年05月28日(火)に「第24回 Techno-bridge商品開発・材料総合研究会」が開催される。少しでも一般社会情勢と技術の進歩に遅れをとるまいとここのところ毎回発表させて貰っている。

原稿の締め切りが、本日5月24日だったので、昨夜はぎりぎりの夜である。

未明にやっと出来上り、先程メールで事務局あてに送った。

① 鉄が地球環境を救う(レジュメ)
② スライド24枚

学会の講演前に‘紙上’に出すのは少し憚られるが、‘レジュメ’だけならまぁいいでしょうという訳で・・・。
鉄が地球環境を救う-20001
(画像をクリックすると拡大出来ます!更に、○プラスでもっと拡大!)

内容は全て、これまでこのブログで紹介してきたものばかりである。したがって、写真や図面は揃っていたので案外簡単に仕上げることが出来た。

最近の学会では、発表の原稿は皆PCの操作で行なうのが常識になっているので、楽である。発表の‘5分’前に原稿が出来上っても‘十分’間に合う!?? メモリーをPCに差し込めばいい!

老いても、‘緊張と緩和’が必要だという。原稿書きは、ブログは別としてこの種のものはやはり多少緊張する。出来上った後の‘解放感’=‘緩和’の時間がいい!

(つづく)
[2013/05/24 13:25] | サイエンス | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
速報! ‘バディ’に、‘オオキンケイギク’に、‘栴檀’!
昨夜(2013年05月22日)21:04、我が家の‘固定電話’が鳴った!

昨日の弊ブログに‘二頭の犬’に登場して貰った飼い主、そして‘富士山発見者’のMさんからである。

① 恥ずかしがり屋のワンちゃんの名前は、‘バディ’

② 黄色い花は、‘オオキンケイギク’

③ 藤に似た花の名は、‘栴檀(せんだん)’の花

以上、素晴らしい情報を頂戴した!

初めてこのブログを読まれる方には、「何、それっ?!」だろうが、実は、昨日の弊ブログにいい加減なことを書いたために、そのお叱りと御指導の電話だったのである! 昨日の弊ブログは、このブログの一つ下のブロックで~す!

Mさんちの‘庭’は、素晴らしい! 園芸に関しては‘プロ級’である。職業としての専門は、園芸とは無関係だったはずなのに・・・。

これからは、「判らないことは‘Mさんに聞け!’」をモットーにすることにした!

① ワンちゃんの名前:

改めて‘バディ’に登場して貰うが、取敢えず手持ちの写真で・・・。

画像ー133 013-2
このプードルの名前が、‘バディ’ちゃん! 名前の由来は、また聞いてみたい!<お聞きしたのに、忘れたのかも?‘ナイス、バディ’??>


② オオキンケイギク

画像ー133 010-2
この花:オオキンケイギク

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%AA%E3%8
2%AD%E3%83%B3%E3%82%B1%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%82%AF

オオキンケイギク(大金鶏菊、学名:Coreopsis lanceolata)はキク科の植物の一種で、黄色い花を咲かせる。北アメリカ原産の宿根草で、日本ではワイルドフラワーに利用されていたが、外来種として野外に定着して問題となり、現在は栽培が禁止されている。

分類

界 : 植物界 Plantae
門 : 被子植物門 Magnoliophyta
綱 : 双子葉植物綱 Magnoliopsida
目 : キク目 Asterales
科 : キク科 Asteraceae
亜科 : キク亜科 Asteroideae
属 : ハルシャギク属 Coreopsis
種 : オオキンケイギク C. lanceolata
学名
Coreopsis lanceolata L.
和名
オオキンケイギク(大金鶏菊)
英名
Lance-leaved coreopsis

分布 [編集]

北アメリカを原産地とする[1]。
日本、台湾、オーストラリア、ニュージーランド、サウジアラビア、南アメリカなどに移入分布する[2]。

特徴 [編集]

キバナコスモスによく似ているが、葉の形が異なる(本種は狭倒披針形であるが、キバナコスモスは羽状深裂に似た形)。また、キバナコスモスのほうが花の色が濃い。花期は5 - 7月頃で、黄色の舌状花の先は4-5裂する。
道端や河原などに生育する。種子生産量は1平方メートルあたり3000-5000粒といわれている[3]。

外来種問題 [編集]

日本には1880年代に鑑賞目的で導入された[1]。繁殖力が強く、荒地でも生育できるため、緑化などに利用されてきた。河川敷や道端の一面を美しい黄色の花々で彩る本種は、緑化植物としても観賞植物としても非常に好まれた[3]。しかし、カワラナデシコなどの在来種に悪影響を与える恐れが指摘され、2006年に外来生物法に基づき特定外来生物として栽培・譲渡・販売・輸出入などが原則禁止された[1]。また、日本生態学会により日本の侵略的外来種ワースト100に選定された。河原植生への本種の侵入がよく注目されるが、低木林や高木林など自然度の高い環境にも侵入・定着が可能だといわれており、河川植生の遷移が進行し森林化しても本種は残存し続けるものと考えられる[4]。

特定外来生物の指定を受けてからは駆除が行われている例もある[5][6]。本種に限ったことではないが、緑化などの目的で野外に外来種を植えることは自然環境保全上あまり好ましいことではない[1]。


明日の弊ブログで、‘満開のオオキンケイギク’を絶賛しようかと思っていたが、どうやら日本の専門家の間では、少々‘目の敵(かたき)’的存在らしい!??

もう一つ、「オオキンケイギク」と‘オオ’が付くからには、‘チュウ’や‘ショウ’は付かないまでも「キンケイギク」があるだろうというのは想像に難くない!

http://kyo-no-hana.com/blogs/kyohana/2010/06/post-780.html
金鶏菊(キンケイギク)はキク科ハルシャギク属の一年草である。

原産地は北アメリカである。
日本へは明治時代に渡来した。
草丈は30センチから60センチくらいである。
葉は羽状複葉(鳥の羽のように左右に小葉がいくつか並んで1枚の葉が構成される)で、向かい合って生える(対生)。
小葉の形は卵形で、縁にぎざぎざ(鋸歯)はない。
葉に毛が生えている。
開花時期は6月から9月くらいである。
花茎を伸ばし、先に黄色い花(頭花)をつける。
舌状花は8枚くらいで黄色い。
花の真ん中にある筒状花は茶褐色である。
花の後にできる実はそう果(熟しても裂開せず、種子は1つで全体が種子のように見えるもの)である。
和名の由来は、金鶏鳥という体の黄色い美しい鶏に見立ててつけられたものである。
なお、近縁種の大金鶏菊(オオキンケイギク:Coreopsis lanceolata)は雑草化が進み、外来生物法で栽培が禁止されている。
本種の場合は逸出しても定着しない。
属名の Coreopsis はギリシャ語の「coris(南京虫)+opsis(似た)」からきている。そう果の形が南京虫に似ているということで名づけられた。
種小名の drummondii は南アメリカの採集家「ドラモンドさんの」という意味である。

学名:Coreopsis drummondii

なかなかに見分けることが難しい


見分けることが難しいのなら、‘見分け方’があるの違いない! あった、あった!

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1142267701
Q:「キンケイギク」と「オオキンケイギク」の見分け方について:

キンケイギク(Coreopsis grandiflora)
オオキンケイギク(Coreopsis lanceolata)

この2種はどう見分ければいいでしょうか。

http://www.geocities.jp/mc7045/sub171.htm には、

> キンケイギクが一年草に対し、オオキンケイギクは多年草で、
> 花びらに切れ込みがある等、違いははっきりしている

と書かれているのですが、私には分からなくて。。。
それにしても、
キンケイギクもオオキンケイギクも、両方多年草ではないのか???


このサイトには、
> 一般にはオオキンケイギクがキンケイギクとして取り扱われているよう
とも書かれています。


オオキンケイギク(Coreopsis lanceolata)のほうが草丈が大きい、
つまり、
grandiflora「大きい花」と呼ばれるキンケイギクのほうが草丈が小さい、

というぐらいにしか私には見えてこず、
いろいろな画像を見比べてみても、特徴を、コレ、と特定できません。
原種だけでなく、園芸種もあるので、花の特徴がつかみにくいのでしょうか。


→ どなた様か、お教えくださいませ。 ←


そして、よく知りもしないのに、
今まで、人様の「キンケイギク」系の質問に答えてきたことについて、
謝罪させてください。ほんとうに済みませんでした。


あ〜あ、うちにあるコレオプシスは、いったいどの種であるのだろうか。
私の住む国では、この花、庭植えとして人気あるんだけどなあ。。。

A:実はキンケイギクには2種あります。

和名キンケイギク(Coreopsis basalis同義でCoreopsis drummondii)
流通名キンケイ菊(Coreopsis grandiflora、和名ホソバハルシャギク)

ただお店で売っているのは流通名キンケイ菊で、本来のキンケイギクは流通実態がないようです。
なのでキンケイギクの名前が乗っ取られたような状態にあります。
ところがキンケイギクが一年草というのは図鑑に載っている和名キンケイギクのことなので調べても混乱するばかりで訳が分からなくなるのも無理がありません。
なぜ花卉業界がC.grandifloraもキンケイ菊と呼ぶようになったのかは分かりません。
またC.grandifloraを和名ホソバハルシャギクと呼ぶとは少なくとも花卉業界では知られていないようです。

オオキンケイギクについて日本語で書かれた一番信用できる文書は環境省が公開している
「特定外来生物同定マニュアル 植物 詳細PDF版」でしょう。

http://www.env.go.jp/nature/intro/4document/manual/shokubutsu2.pdf

詳しくは上記PDFを読んでもらうとして、おおざっぱに言うとオオキンケイギクとキンケイ菊の違いは根生葉の有無にあります。

どのサイトも花に注目していますが園芸種にはいろいろあり花では見分けがつきません。

オオキンケイギクとキンケイ菊の原種らしき画像はこちらにあります。
http://www.missouriplants.com/Yellowopp/Yellow_flowers_opposite_pag...

本家キンケイギクの分かりやすい写真はこちらです。
http://davesgarden.com/guides/pf/showimage/16257/
http://www.wildflower.org/gallery/result.php?id_image=5298

PCD2439_IMG0074.jpg


ハルシャギク属についてはアメリカ農務省のサイト
http://plants.usda.gov/java/ClassificationServlet?source=display&cl...

余談ですがキンケイギク(金鶏菊)の英名「Goldenmane tickseed」をグーグルで「日本語のページを検索」すると興味深いブログがヒットします。

補足を受けて

特定外来生物同定マニュアルにも記載がありますが、Coreopsis grandifloraの園芸種には根生葉のあるものも多く生育状況によっては専門家もどちらか判断をつけられないそうです。
外観からは白か黒かはっきり分けられないものがどうしても残ってしまうのが現実です。



③ 栴檀(せんだん)

画像ー133 021-2
私が撮影した花

画像ー133 087-2
同上

img_1042397_29510054_1_convert_20130523021550.jpg
http://blogs.yahoo.co.jp/kamibando/29510054.html
栴檀(せんだん)

d0054276_196162.jpg
http://shizenkaze.exblog.jp/11247990/
栴檀(せんだん)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%B3
センダン(栴檀、学名: Melia azedarach)は、センダン科センダン属の落葉高木。別名としてオウチ(楝)、アミノキなどがある。
「栴檀は双葉より芳(かんば)し」のことわざでよく知られるが、これはセンダンではなくビャクダン(白檀)を指す。

樹高は5-15 mほどで、成長が早い。若い樹皮は紫褐色で楕円形の小さな横斑が点在するが、太い幹の樹皮は縦に裂け、顕著な凹凸ができる。夏の日の午後は梢にクマゼミが多数止まり、樹液を吸う様子が見られる。
葉は奇数2-3回羽状複葉で互生し、一枚の葉全体の長さは50 cm以上ある。小葉は草質で薄い。楕円形で浅い鋸歯がある。

5-6月頃に、若枝の葉腋に淡紫色の5弁の花を多数、円錐状につける。花にはアゲハチョウ類がよく訪れる。なお、南方熊楠が死の直前に「紫の花が見える」と言ったのはセンダンのことと言われている。

果実は長径1.5-2 cmほどの楕円形の核果で、10-12月頃に黄褐色に熟す。秋が深まり落葉してもしばらくは梢に果実が残る。果実は果肉が少なく核が大きい。たまにヒヨドリなどが食べに訪れる。しかし人、犬が食べると中毒を起こし摂取量が多いと死に至る。

葉や木材には弱い芳香がある。背が高い上に、新芽・開花・実生・落葉と季節ごとの見かけの変化も大きく、森林内でも目立ちやすい。

W_sendan2011.jpg
落葉してしまった梢に果実が残る

分布・生育地 [編集]

アジア各地の熱帯・亜熱帯域に自生する。日本では、四国、九州、沖縄に分布する[4]。
温暖な地域の、海岸近くや森林辺縁に多く自生する。

利用 [編集]

樹 - 街路樹、庭木、公園樹[4]。
樹皮 - 生薬の苦楝皮(くれんぴ)として、駆虫剤として煎液を内服。
材 - 建築・器具用材。
葉 - 強い除虫効果をもつため、かつては農家において除虫に用いられていた。
果実 - 生薬の苦楝子(くれんし)として、ひび、あかぎれ、しもやけに外用。整腸、鎮痛薬として煎液を内服。
核 - 数珠珠。

インフルエンザ対策 [編集]

沖縄県に自生するセンダンの抽出成分が、インフルエンザウィルスを死滅させることが実験結果により証明された[5]。現在、製品化が進行中である。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%A3%E3
%82%AF%E3%83%80%E3%83%B3

栴檀は双葉より芳し [編集]
栴檀(センダン)は、白檀の中国名でもある。白檀は発芽のころから香気を放つとされたことから、大成する人は幼少のときから優れているというたとえ(もちろん、実際には植物そのものには香りはない)。


栴檀と白檀は、全く別物であるが、白檀の中国名が、栴檀なのである。ことわざが中国から伝わったから、そのまま字を当てたがために、「白檀は双葉より芳し」というべきところが「栴檀は、・・」になってしまった!

差し詰め、‘Mさん’がセンダンで、双葉より芳し。私はマンダン(漫談)で、歳をとっても冴えない、と言ったところが正直なところ。センダンの10倍努力しても漫談にしかならない!

センダン氏に感謝!

(つづく)
[2013/05/23 00:06] | 仰天! | トラックバック(0) | コメント(1) | page top
‘春の終わり’の風景(その1)
おかしな話だが、5月も半ばを過ぎたというのに、我が家にはまだ‘ストーブ’が出しっぱなしになっている!もう5月も終わりというのに。でも今年の春の異常気象にはいささか参った!急に暑くなったかと思うと一挙に冬に逆戻りする。ふつーに生きて来た人達は、直ぐに‘地球に天変地異が起こる’予兆だという。そこまで言わなくても、「このところの地球どうにかしてる!」とこれまでの地球の歴史を知りもしないで、地球歴史始まって以来の異常だという言い方をする!

block_34138_01_O.jpg
http://www.ehime-u.ac.jp/research/infinity/detail.html?new_rec=7578
地球内部の温度と気圧

そうではない!温度が±20℃の範囲にあるなんて、地球の歴史上の‘異変’からすれば、最も‘安定した’状態である。つまり地球内部の温度の約6,000℃の内の±20℃なんて、およそ0.3%の揺らぎの中である!

ただし、‘0.3%’って大きいなぁ~という人達もいるだろう。100億円を扱う人にとっては、0.3%って、3,000万円だもの!

まあ、それはそれとして、現在の地球は、地球の歴史上最も安定した、そして最も美しい時代であるに違いない!それは、遠い過去の、或いは遠い未来を想像して見れば判る!

いまや北半球の日本では、‘春の終わり’という全てのものが‘成長期’を謳歌している季節である。

そんな訳で、すっかり日没も遅い時刻になった午後5時過ぎに例の如く散歩に出かけた。
外は正に‘春、春、春’!である!

画像ー133 003-2
2013年05月21日17:17
丁度散歩からお帰りの‘富士山の発見者’Mさんのご夫婦にばったり出会った!愛犬の‘バロン’君も元気である。
いつの間にかこの住宅の空き地に‘黄色い花’が咲いている!富士山の発見者とは、ここ千葉県・茂原市・千沢地区からは、とても皆が想像もしていなかったのに、「あれ、富士山?」と言われたのを、寄ってたかって確認したという訳である。正に富士山だったのである!

画像ー133 010-2
2013年05月21日17:18
さ~て、この花の名前が判らない!カミサンに聞いてみても「あれよ、あれよ、え~と・・・」というばかり。そこで、「野の草 なまえノート」なるものを引っ張り出してみた。勿論、散歩から帰ってからである。

野の草名前ノート
「野の草 なまえノート」

野の草名前ノート0001-2野の草名前ノート0005-2
オグルマか?それともサワオグルマか?

野の草名前ノート0004-2
ブタナは、一寸ねェ~!

野の草名前ノート0003-3
キクイモ?違うだろ~!

野の草名前ノート0003-2
案外、この‘キクイモモドキ’?
いやぁ~、全く判らない! 知っておられる方、教えてっ~! 名前って、知っていても直ぐに出て来ないのに知ってもいなけりゃ~出て来る筈が無い! 一応、ここでは「キクイモモドキ・モドキ」ということで・・・・!

画像ー133 014-2
2013年05月21日17:18
Mさんちの恥ずかしがり屋のプードルさん(♀?)。名前は「え~と、え~と??」これは、知っているけど出て来ない! 後ほど・・・!

画像ー133 018-2
2013年05月21日17:25
例の通り、‘赤目川’の土手に出た! ここのところ別件があって、散歩に出れなかったためこの2,3日ここへは来ていなかった。その間に、こんな‘藤の花’に似た花が咲いている。勿論(?)、この木も花も名前は知らない。まあ、藤の花に似ているってことで、「藤モドキ」としておきたい!

画像ー133 021-2
2013年05月21日17:25
一寸拡大、ズームイン! どう?似てるでしょう!

画像ー133 021-3
2013年05月21日17:25
案外、本当の名前が「藤モドキ」だったりして・・! でも気になる!WEBで調べてみると「フジモドキ」、あったあった!次の写真がそう!

fujimodokiL1.jpg
http://www.ootk.net/cgi/shikihtml/shiki_998.htm
フジモドキというが藤の系統とは違うみたい?
「フジモドキと呼ばれるが、ジンチョウゲの仲間で、花がヤマフジ などの藤の仲間に似ているわけではない。おそらく紫色に由来する名前。中国原産で江戸時代初期に渡来。漢方では花や根を利尿薬とし使用。小さな花をいっぱい付けるので、盆栽に使われることが多い。」ここに出て来る‘ヤマフジ’が下の写真!

yamafujiL1.jpg
http://www.ootk.net/cgi/shikihtml/shiki_998.htm
でも、これって普通見かける‘フジ’のような気がするが・・。

0120090505030120090505038a750_2.jpg
http://banpaku.blog.ocn.ne.jp/matsuo/2009/05/post_5ae4.html
これが「ヤマフジ」!じゃぁ、じゃぁ、「ヤマフジモドキ」ってのは、どう?

いやあ~、「ヤマフジモドキ」って、WEBで出てきません!残念! でもここでは、判るまで「ヤマフジモドキ」ってことで、よろしく!

って訳で土手伝いに歩いて行くと、‘蝶’が羽を休めている! というより全く動かない!

画像ー133 025-2
2013年05月21日17:26
「夜の蝶の寿命は永~い!が昼の蝶の寿命は短い!」と誰かさんが言っていました!という事を聞いたことがある。もう蝶もそんなに見なくなった。終わりなのだろうか??

画像ー133 028-2
2013年05月21日17:29
これは、‘間違いなく(知っている! そう、アカツメクサ!当たりっ~!シロツメクサもちらほら見える!

画像ー133 029-2
2013年05月21日17:29
もっと花が大きければ、‘バラ’と同じくらいに珍重されようというもの!でも彼等にとってはどっちでもいいのかもしれない。

画像ー133 031-2
2013年05月21日17:29
この大きさは、実物大よりも大きい。せめてこの位大きければ・・!改良型が出来れば立派な商品に?!

画像ー133 032-2
2013年05月21日17:29
これは、勿論、シロツメクサ。

画像ー133 034-2
2013年05月21日17:29
アカツメクサが‘優雅’なら、こちらは‘気品’!アカ・シロツメクサの‘ツメ’って、‘爪’じゃあないんだそうだ!

http://www.geocities.jp/sakky_jp/trifolium/trifolium.html
シロツメクサ、アカツメクサ

 四つ葉のクローバーを探したり、花をつないで遊んだクローバー。 クローバーといえば普通はシロツメクサのことを指しますが、英語でいう Clover は、マメ科のシャジクソウ属(Trifolium属)やウマゴヤシ属の総称です。 Trifolium属は世界では約300種が知られていて、日本にもたくさんの種類が入ってきています。 今回は、比較的大きな花(のかたまり)をつける身近なTrifolium属をまとめてみました。
 まずはシロツメクサ(Trifolium repens:下の写真)。 「ツメクサ」は「爪草」ではありません。 江戸時代に、オランダからガラス器を船で日本に運ぶときに、割れないように緩衝材としてガラス器の間につめた「詰め草」から来ているとされています。

次にアカツメクサ(=ムラサキツメクサ:Trifolium pratense)です。
 色が白いのがシロツメクサで、赤いのがアカツメクサ、といった単純な違いではありません。 一番大きな違いは、シロツメクサが花のかたまりの下に長い柄があるのに対し、アカツメクサは花のかたまりのすぐ下に葉があります。 このままでは花をつないだ“赤い首飾り”は作れませんね。

泉北ニュータウン内に、下の写真のような場所がありました。 アカツメクサに混じって、シロツメクサが生えている・・・のではないですね。
 上に書いたことによれば、この写真の白い花は、「白いアカツメクサ」です。 分類学的にキチンと言えば、アカツメクサの1品種で、学名は Trifolium pratense f. albiflorum 、セッカツメクサ(雪花詰草)という名前で呼ばれています。 写真で葉が白くなっているのは病気です。



(つづく)
[2013/05/22 15:05] | 気象 | トラックバック(1) | コメント(0) | page top
‘分骨’について
私も母を亡くした時、‘分骨’について悩んだ覚えがある。そう、もう40数年も前のことである。

自分の親なんだから、そんなことって許される、という非常識な考えであった。もっと言えば、御釈迦様だって‘仏舎利塔’に‘分骨’しておられるのに、宗教的に何が不都合なのだろうか?とさえ思っていたようだった。

img230_P1000034_convert_20130521145405-2.jpg
http://www.fujistardust.jp/blog/log/eid396.html
御殿場プレミアムアウトレットに向かう途中に箱根側の山に見える謎の白い塔が仏舎利塔です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E8%88%8E%E5%88%A9%E5%A1%94
仏舎利塔(ぶっしゃりとう)とは、仏舎利(釈迦の遺骨)を納めるとされる仏塔。一般に仏塔の原型であるインドの「ストゥーパ」[1]の様式をそのまま模して建てられた仏教建築物である。
ドーム状の構造物の上に相輪をもつ。日本では近代になって建てられたものも多い。また本来の舎利を祀るだけでなく、太平洋戦争でなくなった英霊を祀る仏舎利塔もある。


そろそろ、自分自身の問題として‘分骨’ということが現実的になって来ると知識不足が不安になって来る。本当に老後(今でも既にそうなのだが・・)は、どうする?ということが現実のものとなりつつある。でも、まだ現役の積りであるから、これから新しい会社の創設に参加させて貰って、あのプロジェクトもこのプロジェクトもやりたいと思っている。事と次第によっては、海外へ単身赴任でも、という気さえある!

でも結構足にも負担をかけると若い時と同じにはいかない。先日も慣れない皮靴で都内を2時間以上歩いたら少々足の調子がおかしくなって、回復するのに3日も掛かってしまった!

さて、‘分骨’について調べてみると次のような文献が見つかった。

http://ohaka.nomaki.jp/ohakaotherhbunnkotu.html
分骨とは

一.分骨とは

  分骨とは、何らかの理由により遺骨の一部を分けること(分ける理由は後述)を言います。
 分骨する際には、以下の三つの場合が考えられます。

A.お墓に既に納骨されている遺骨を分骨する場合
 
 お墓に既に納骨されている遺骨を分骨するには、お墓を建ててある墓地,霊園の管理者(又は会社)に分骨の意思があることを伝えます。墓地,霊園の管理者からの同意を得て、手続きを済ませます。お墓のある墓地,霊園が公営または民営だった場合は寺院のご住職にお布施を包みます。
 この場合の手続きは基本的には改葬と同じ手順です。

B.火葬後、すぐに遺骨を分骨する場合

 火葬後、すぐに遺骨を分骨する場合には、前もって火葬場にその意思を伝えておきます。そして、葬儀社に分骨用の骨壷の用意を依頼しておき、骨上げの際にその分骨用の骨壷に遺骨を移すように致します。
C.お墓に納骨する際に遺骨を分骨する場合
 お墓に納骨する前に分骨を行う場合は前もって墓地,霊園の管理者にその意思を伝えておく必要があります。それは納骨の際にお墓を建立した墓石・石材店が遺骨をお墓に移す場合があり(素人ではちょっと無理なことがある)、そのことを墓石・石材店にも伝えるからです。分骨用の骨壷を墓石・石材店へお願いするように墓地,霊園の管理者に伝えておいた方がよいと思います。
 納骨法要の読経が終わった際に遺骨を分けるようにして、分骨を行います。

二.分骨が必要なとき

 分骨が必要なときというのは実際にどういうときでしょうか。少し考えてみましょう。
 
A.お墓が遠くにあり、改葬を考えているが……
 
 お墓が遠くにあり、お墓の面倒をみるのが難しいから改葬をかんがえている。しかし、そのお墓の近くにも一応面倒を見てくれる親類がいて、その方は改葬に反対している場合があります。
 反対する親類からすると遺骨が故郷から離れるというのはかわいそう というところでしょうか。その際に分骨を相談してみるといいと思います。しかし、分骨した後に新たにお墓を建立するとなると経済的な負担もあるので、よく考えて、ご家族や親戚と相談なさる必要があると思います。
 
B.とても大切な人だったから……離れたくなくて

 分骨する理由としてはこれが多いような気がします。とても大切な人だったために離れたくないということで手元で供養したい。でも、きちんとお墓にも入れてあげたいということで分骨をされる方もいらっしゃるようです。最近では遺骨を入れられるペンダントなどが販売されていたりしますので、分骨すればいつでも、肌身離さずに持ち歩けるという時代になりました。
少し余談ですが、ペットを亡くした場合に、そのペットの遺骨を肌身離さずいれるためにそういったアクセサリーなどを購入する方が増えているようです。
 
C.散骨・樹木葬などをするために
 
 分骨して散骨や樹木葬、または遺骨をダイヤモンドにする供養の仕方を選ぶ方も増えてきています。亡くなった方の希望で散骨や樹木葬をしてほしいといった場合に前述のBの場合と同じくお墓にも入れてあげて、分骨した遺骨を散骨や樹木葬などにすることもあるようです。

三.分骨をするにことにあたって注意したいこと

 分骨する理由はそれぞれの遺族で様々な理由があると思います。そこで分骨の際に注意しておいた方が良い点を記載してみました。
分骨する際は必ず、他の家族や親族とも話をする
既にお墓に納骨を済ませている場合はそのお墓のある墓地,霊園の   管理者に分骨の意思を伝える
火葬後に納骨する際は、事前に火葬場へその旨を伝えておく
納骨の際に分骨をするなら、事前にご住職や墓石・石材店に   その旨伝えておく
墓地,霊園の管理者や寺院から分骨証明書を取得する   (分骨して改葬する場合に必要)
分骨した場合の使用許可証に氏名が記載されない場合があるので、   事前に確認しておく必要がある
 ご遺族間でそれぞれの倫理感や宗教観念があるとおもいますので、よく話し合って、分骨される必要があります。また、分骨した遺骨の改葬や散骨,樹木葬をする場合には許可証などの書類が必要になります ので、事前に業者などに確認をしてください。
 
四.分骨……補足

 分骨をする理由もそれぞれありましたね。本当はもっとあるはずです。その分骨をする際に相談があったことを2例ほどまとめておきました。
 
A.分骨して手元供養にしたけれど
  
   分骨して手元供養を希望された方で時々いらっしゃるようですが……。時が経つにつれて、分骨した遺骨がホコリをかぶるようになった……。または、分骨した遺骨がどこにいったかわからなくなった。

  こういうことはないようにしたいですね。

B.遺骨の所有権
 
  配偶者の遺骨を新しいお墓に移したいが、配偶者の両親に反対されている。この場合はどっちが遺骨の所有者になるのか。
  これも骨肉の争いでしょうか。裁判までいくこともあるようで、最近の判例では配偶者の方に遺骨の所有者である権限があるようです。しかし、配偶者の方に遺骨を所有する権限があるというだけで、倫理感や宗教観によりその遺骨の供養の仕方というのは遺族の気持ちを考えた上で遺骨を供養しなければ、争いごとになってしまうことが多いので注意しましょう。
 分骨の補足に関しては言われないでもわかっているという方が殆どのことでしょう。ただ、実際にこういうこともあるんだなぁっと気をつけようと思っていただけると幸いです。


c-1image.jpg
http://memoria-areca.net/crown_C-2

私の場合もそうであったが、個人が個人として‘分骨’を考える場合、亡き人を永遠にとまではいかずともなるべくなら出来る限りの時間、自分の傍(仏壇)に置いておきたいという‘欲求’から来ている。次の‘Q&A’も正にその通り個人的‘欲求’に対して、次のような回答がある!

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1447260554
Q:分骨したお骨は、自宅の仏壇に置いておいてもいいのですか?

納骨時に、遠方にいる妹に分骨して供養してをもらいたいと考えています。自宅にも妹と同様に小さい骨壷に納めたお骨を置いておきたいと思っています。仏壇に置いておいても差し支えないでしょうか?

A(1):お釈迦様も各地に分骨していますので仏教上は分骨は問題ありません。

ただ、注意点として、
①法律上は勝手に分骨しますと、どこにも納骨できない遺骨になってしまいますので納骨時に、その墓地の管理者(寺院等)から「分骨証明書」を取得し、その証明書と共に保管する必要があります。
②分骨をいつまでも自宅に置いておくとして、自己も妹さんも歳をとりますのでそのままでは次の代のお子さんたちが困ることになるかもしれませんし、お孫さんの代まで、曾孫さんの代までそのままだったらもう誰のご遺骨だかも、なぜ家に分骨があるのかもわからなくなってしまう可能性があり、子孫に迷惑をかけかねません。したがって、ご自宅仏壇への分骨の安置はある程度の期限を区切るべきでしょう。

A(2):お釈迦様を引き合いに出す回答は的を得ておりません。

お釈迦様と貴方とは全く違います。

お釈迦様亡き後を、お祀りをする目的で10の遺骨を別けて立てたのが『スツーパ』です。

お釈迦様がお骨を別けたのではなくて、残された弟子や国王がお祀りをし供養をする為に祀った仏塔を建てているのです。

であるならば、貴方も仏塔を立てて遺骨を迎えて祀るべきです。

分骨は絶対に行なうべきではありません。

なぜ、兄と妹に分離させる必要が有るのでしょうか?。
妹とは兄妹でありましたが、妹は嫁いで生活が別にスタートをしています。
そこへ貴方の遺骨を置いてどうなるのですか?。
子孫に迷惑を及ぼす始末を作ってはなりません。

遺骨を仏壇と言う器に何時までも曝し続けるのではなくて、一刻も早く土へ還して、溶けて行き無に成る願いこそ、遺恨を残さずに完全に仏の世界へ往生した姿となります。

遺骨を兄妹間で分け合ってはなりません。
誤解をしないで下さい、

分骨とは、
本山へ一部を別けて納める事で、宗祖や開祖様と一緒の御廟へ納まる宗門としての喜び有る教義です。



なるほど、成程。仏壇という‘狭い’器に閉じ込めてはならぬ!一刻も早く土へ還して、溶けて行き無に成る願いこそ往生である!

このご指摘には感服した!

ところで、‘骨壷’に入れた‘焼骨’はその後一体どうなるのだろうか?

IMGP28378.jpg
http://wan-nyan-memory.ocnk.net/product/844

これまで、余り考えたことが無かったので、一寸調べる気になって来た。当然骨はカルシウムが主成分だから保存状態が良ければ、そのまま残る。これは化石が証明している。

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/3142879.html
Q:お骨が水になるというのは本当ですか?

以前、お墓に埋葬された骨は水になると聞いた事があります。
フと気になって調べてみたのですが、なるという話と、ならないという話の両方があり、いまいち判りません。
恐竜の骨や原始人の骨が残っているあたり、状態にもよると思うのですが、骨というものは放っておいたら最終的に何になるものなのでしょうか。溶けると土になるのでしょうか。
ご存知の方いらっしゃいましたらお願いします。

A(1):化学的にはなりません。

骨の主成分はアミノ酸やカルシウム化合物です。
アミノ酸部分は、主に、微生物に分解され二酸化炭素やアンモニア、そして、水に分解されます。カルシウム部分も風化により流れてしまったり、微生物などに処理されたりします。
なので、宗派によって違いますが、土に直接、お骨を撒くかたちの、埋葬ですと、何十年もたつと、跡形なく消えてしまいますし、骨壷に入れたお骨は微生物に接触しにくいので、何百年も残っています
骨は、最終的には、二酸化炭素をはじめとするガス、土の中の肥料成分、水になると思われたら良いでしょう。そのなかで、運の良かったものだけが分解されず、カルシウム分などが残留したり、他の成分がしみこんだりして、後々まで残ると思われたら良いかと思います。

A(2):骨が水に変化することはありませんが、中医学(漢方医学)では骨は腎に属します、腎は水に属します。
それから骨壷の中の水の話ですが、骨が変化したのではなく、骨壷の周囲の環境によって、たとえば温度差と湿度の関係で、骨壷内の水滴が溜まって出来たものと思います。
この二つの考え方が一緒になって、水に変化すると考えてしまったものと思いますが。


(つづく)


[2013/05/21 16:14] | 宗教 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
‘拝み墓’
このブログでも紹介したが、千葉県・東金市の最福寺境内にある‘切られ与三郎’のお墓は、‘拝み墓’であるという。<註:‘詣り墓’とも>

2013051216170000-2.jpg
2013年05月12日(携帯で撮影)千葉県・東金市の最福寺境内にある‘切られ与三郎’の墓

右が、四代目・芳村伊三郎(切られ与三郎のモデル)の‘拝み墓’( →‘詣り墓’)で、左が五代目・芳村伊三郎の‘埋め墓’という。

http://www1.odn.ne.jp/saifukuji/index1.htm
5代目伊三郎は、東金の岩崎の秋山嘉吉さん方で、明治十五年に亡くなり、師の墓の隣りにという遺言で、葬儀も当寺で営み、過去帳にも残っております。東金のお祭りのおはやしは、この5代目の長唄の影響を受けた珍しいリズムです。
お墓は当初30メートル先にありましたが戦前、秋の豪雨で崩れました。戦後歌舞伎役者、当市有志のきもいりで、この地点に新しく建てかえられたものです。


‘拝み墓’、‘詣り墓’などは、初めて聞く‘熟語’である!因みに、これらの‘対義語’は、上記の通り、‘埋め墓’だという。

ただし、この‘拝み墓’と聞くと、「あ~、なるほどネ!」と正確な意味は判り兼ねても納得がいく。というのは、同じ人のお墓が幾つもあったりして「どうして?」と思っていたからである。

ど素人なりにただ漠然と想像していたのは、‘分骨’してあるのかな?ということだったが、現在の法律では‘分骨’には或る手続きが必要である。‘分骨証明書’という正式書類の発行が無ければ分骨は出来ないということになっている。

当然のことであるが、‘拝み墓’には、分骨もされている訳ではないので、‘遺体や骨’はない!

さて、話を江戸時代のお富さん・切られの与三郎の時代に戻す。

日本で‘火葬’が始まったのは仏教の伝来とともにという事のようである。しかし、江戸時代の儒教思想から考えると、身体を傷つけるのは大きな罪であった他、‘火葬’には費用がかかるため、当時は‘土葬’が一般的だったという。従って、‘分骨’ということは元々存在しないのである。

400px-Cremation.jpg
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E8%91%AC
江戸時代の火葬、『日本の礼儀と習慣のスケッチ』より、1867年出版

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E8%91%AC
日本における火葬 [編集]

歴史 [編集]

日本における火葬は仏教と共に伝わったという説が有力とされている[注 1]。

『続日本紀』によると、日本で最初に火葬された人は僧道昭であり、文武天皇4年(700年)のことであるとされる。また天皇で最初に火葬されたのは持統天皇(702年)である。8世紀ごろには普及し、天皇に倣って上級の役人、公家、武士も火葬が広まった[1]。

ただし、近年ではそれに先行して火葬が行なわれていた可能性も強く指摘されている[1]。古墳の様式のひとつに「かまど塚」「横穴式木芯粘土室」などと呼ばれる様式のものがあり、その中には火葬が行なわれた痕跡があるものが認められる。それらは6世紀後半から出現しており、研究が進めば日本における火葬史は100年以上遡ると考えられる。

一方、土葬も廃れていたわけではなく、日本では火葬が広まった後も、土葬が広く用いられていた。仏教徒も含めて、近世までの主流は火葬よりも棺桶を使った土葬であった。儒教の価値観では、身体を傷つけるのは大きな罪であった他、火葬は燃料代がかかり葬地の確保が難しくなる明治になるまで、土葬の方が安上がりだったためとの説がある。遺体という大量の水分を含んだ物質を焼骨に変えるには、大量の薪と、効率よく焼くための技術が求められる。そのため、火葬は費用がかかる葬儀様式であった[1]。一部には鳥葬に代表される曝葬の習慣もあった[要出典]。

近代に入ると、明治政府は明治6年(1873年)に神道による挙国一致を目指した神仏分離令に関連して火葬禁止令を布告したが、仏教徒からの反発や衛生面の理由から明治8年(1875年)には禁止令を廃止している。その後火葬技術が進歩したこともあり、近現代の日本では火葬が飛躍的に普及し、ほぼ100%の火葬率である。

一方、明治以降も、天皇、皇族は長年に渡って土葬となっていたが、2012年4月、宮内庁は今上天皇が崩御の際は火葬を希望するとの意向を発表した[2]。


切られ与三郎のように二つの墓を作ることを‘両墓制’というらしい。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%82%E3%82%8A%E5%A2%93
両墓制とは遺体を埋葬する墓地と詣いるための墓地を一つずつ作る葬制のことである。つまり一個人に対し二つの墓を作ることから両墓制と呼ばれる。遺体の埋葬墓地のことを埋め墓(葬地)、墓参のための墓地を詣り墓(まいりはか、祭地)と言う。基本的に一般民衆の墓を対象にし、その成立、展開は近世期以降である。両墓制は土葬を基本とし、遺体処理の方法がほとんど火葬に切り替わった現在では、すでに行われなくなった習俗と言ってよい。しかし、両墓制墓地自体は現在も各地に残っている。 葬送習俗、祭祀習俗とあわせて各地に様々な特色があり、特に近畿地方に濃厚に存在している。その特徴的な墓制は、大正期より複数の報告がなされたが、民俗学者の柳田國男が昭和4年(1929年)に「墓制の沿革に就いて」(『人類学雑誌』500号)で両墓制を取り上げて以来、両墓制の諸問題は民俗学の担当分野となった。 ただ、柳田はこの習俗に関しては「葬地」と「祭地」といった呼び方[1]をし、「両墓制」という言葉自体は柳田の下で山村調査にあたった民俗学者の大間知篤三が使い始めた語[2]である。

両墓制の習俗 [編集]

両墓制は必ずしも一定の決まりを持った習俗ではなく、各地で様々な特色がある。ただ、大きく捉えると両墓制の特徴は「埋め墓」という遺体埋葬地と「詣り墓」という遺体のない墓参用墓地の二つが存在していることにある。

埋め墓 [編集]

遺体を埋める埋葬地。多くは土葬を基本とするが、稀に火葬や改葬を伴うものも見られる。人里離れた山林などが多く、墓標をまったく建てずに埋葬する場合、自然木、石、木製角柱墓標、卒塔婆を墓標に用いる場合、あるいは詣り墓と同じように石塔を建てる場合など様々なパターンがある。集落ごとの共同墓地であることが多く、その埋葬地は家や年齢などによって区画分けされる場合もあれば、まったく決まりが無く空いた土地に埋めたり、古い墓地を掘り起こして追葬する場合など様々である。 埋め墓に参る期間も、埋葬後は一切埋め墓に参らない場合から、四十九日、一周忌、さらには五年、七年と言う長い期間を経て弔い上げをする場合など様々である。いずれにせよ、弔い上げの終了後は詣り墓へ墓参をするようになる。また、埋め墓の土を詣り墓へ盛っていく風習も少なからず存在する。 埋め墓の呼称としては様々なものがあるが、多い事例としてはミハカ、サンマイ(三昧)、ボチ(墓地)、ヒキバカなどがある(これらの呼称が詣り墓の呼称と逆の場合もある)。

詣り墓 [編集]

定期的な墓参や先祖供養、盆などに参るための墓である。通常、石塔を建てる。遺体はない。寺院の境内に存在する場合も多く、石塔は五輪塔、多宝塔、宝篋印塔のような仏塔から一般的な角塔墓、笠塔婆など様々である。遺体埋葬の必要がないので、石塔だけが緊密に並べられることが多い。
詣り墓の呼称としては、ラントウバ(卵塔場)、ラントウ、タッチョウバ、サンマイなどがある。

隣接両墓 [編集]

両墓制の基本は埋め墓と詣り墓が距離を隔てていることにあるが、全国の例では二つの墓がかなり近い位置にある場合が多く見受けられる。これは埋め墓と詣り墓が道一つ挟んで並び合っている場合や、詣り墓が小高い壇上にあり、その下の平場に埋め墓がある場合、あるいは完全に同じ土地に埋め墓の区画と詣り墓の区画が隣接している場合がある。このような隣接両墓は、通常の単墓制との区別が曖昧である。

発生要因 [編集]

両墓制がなぜ発生したのかということに関しては、不明な点が多くはっきりしない。代表的な意見としては死穢の観念や遺体恐怖から遺体埋葬地を人里離れた場所に作り、人の住む場所の近くや寺院境内に死者供養のための石塔墓地を別に作ったというもの、現実に土葬習慣における腐敗した遺体の臭気を避けるために埋葬地を別にしたとも考えられる。柳田は、埋め墓において個人の埋めた場所が曖昧であったり、わからないといった例を用いて、死穢や魂の問題から埋め墓を墓として認識しておらず、詣り墓こそが本来の墓であると考えた。また、改葬、風葬習慣から両墓制が発生したとした。また大間知は死穢を畏れる古い習慣がもともと存在し、同時に死者供養のための石塔を受容して両墓制は発生したとした。 柳田らの考え方では、祖霊信仰に基づいて日本固有の古い習俗として位置づけるものがあったが、一方で庶民の墓に石塔を墓標として建てる習慣が中世末より近世期に一般的になったことや、両墓制が近畿地方にのみ濃密で、他の地域では極端に例が少なくなることを踏まえて、両墓制はそれほど古い習俗ではないという考え方もある。



(つづく)次回は、‘分骨’について
[2013/05/21 02:25] | 宗教 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
お富さんの墓
昨日は、‘切られ与三郎’の墓についての記事だった。この与三郎のモデルは、今年の1月1日から市へ昇格した大網白里市の出身である。そして、‘お富さん’のモデルが我が市・茂原の出身という訳である。ここまでは、昨日の弊ブログに、その詳細を書いておいた。
 

http://www.city.oamishirasato.lg.jp/contents_
detail.php?co=cat&frmId=7&frmCd=52-1-0-0-0

千葉県・大網白里市(おおあみしらさとし)は、歴史的にみると、古くからの遺跡等が存在しています。

 明治2年2月には、 宮谷みやざく の 本国寺ほんごくじ に庁舎が置かれ、木更津県が設置されるまでの2年9ケ月の間、宮谷県庁として千葉県近代史の一端を担いました。

 昭和29年には2町1村の合併により大網白里町が誕生し、丘陵(旧 大網町おおあみまち )・田園(旧 増穂村ますほむら )・海岸(旧 白里町しらさとまち )の3つの特徴ある風土をもつまちが形成されました。

 その後も豊かな海や自然を背景とした、第一次産業を中心とする地域でしたが、高度経済成長期に入り、千葉市や東京都心部からの郊外型ベットタウンとして注目され、昭和50年代からは、町西部の丘陵地を中心に宅地開発が進み、さらにJR京葉線の外房線乗り入れ等の交通アクセス向上によって急速に人口が増加し、平成25年1月1日に市制施行しました。


‘切られ与三郎’の墓は、これは‘拝み墓’なのだが、東金市の最福寺境内にあり、与三郎のモデルとなった‘中村大吉’の生まれ故郷が大網白里市で、‘お富さん’のモデル‘きちさん’の生まれ故郷が我が市・茂原であるという訳である。地図上の位置関係は、以下の通りである。

千葉県大網白里市 - Google マップ0001-3
‘Google’マップ。ピンク色で囲まれたところが、2013年01月01日に市となった大網白里市。その北側が東金市で、南側が茂原市である。

さあ、それで、肝心の‘お富さん’の墓が見つからない!

http://ginjo.fc2web.com/173otomi_yosaburou/otomi.htm
別格山天妙国寺(品川区南品川2-7)

 品川区立城南小学校の南側にあり旧東海道から山門をくぐります。ここに与三郎の墓があります。

 墓の左面に「四代目伊三郎」と大きく刻まれ、正面には弘化四丁未年(吟醸注1847)六月十六日 「勇猛院徳翁日進信士」 行年四拾六才。

彼と並んで女性の戒名 「操立院妙精日護信女」 明治十一年八月二十九日 が並んで刻まれています。

 四代目伊三郎は芳村伊三郎で切られの与三郎のモデルです。隣に彫られた明治まで生きた女性はお富のモデル、きちさんだったのでしょうか。だとすれば、二人仲良くここに眠っている事になります。

 お富さんの墓は千葉県茂原の藻原寺にも有ったが、墓地の改修工事で最近分からなくなってしまった。


そこで、この上の文献にある「別格山天妙国寺」のHPを見てみると以下の情報が載せられている。

base1_r1_c1.gifbase1_r1_c4.gif
顕本法華宗・鳳凰山天妙国寺は、弘安8年(1285年)に、日蓮大聖人の直弟子である天目上人により創建されました。堂宇建立の時、天より鳳凰の羽が舞い下りてきところから山号を「鳳凰山」と名づけ、また、本宗所依の経典である『妙法蓮華経』により国家安穏を祈る精舎として寺号を「妙国寺」と名づけましたが、現在は天妙国寺と改称しています。
http://tenmyokokuji.jp/history/index.html
境内施設のご案内
p01.gif
05 (1)

http://tenmyokokuji.jp/bohimei/index.html
芳村伊三郎の名は、江戸長唄の名家で、現代まで襲名され続けています。
4代目伊三郎は、清名幸谷の紺屋の中村家の二男として寛政十二年(1800年)に生まれました。名を中村大吉といい若い頃から長唄に親しみ、その美声と男ぶりは近隣でも有名だったようです。大吉は長じて木更津で型付職人として腕を磨き、年季が明けて清名幸谷に帰り兄の紺屋を手伝けしておりました。根が好きな長唄を唄うために家から1キロほどの東金と大網の中程の新堀の茶屋に足しげく通っておりました。そこで見そめたのが茂原生まれのきち(お富のモデル)でした。「お富・与三郎」で知られる歌舞伎狂言与話情浮名横櫛(よはなさけうきなのよこぐし)なのです。


このすぐ上の写真の右側のお墓が与三郎とお富さんのお墓だという!
sinagawa_yosaburouhaka.jpg
sinagawa_yosaburouhaka-2.jpg
一つ上の写真のトリミング拡大。正面の文字は、明確には判らない! 
TVドラマ「科捜研の女」や「相棒」に出て来るPC処理のようには、現実は上手くは行かないのである! 勿論特別誂えのソフトがあれば出来るのかも??

http://ginjo.fc2web.com/173otomi_yosaburou/otomi.htm
品川区の天妙国寺を訪ねました。
 旧東海道品川宿の一角にあり、品川は北と呼ばれた吉原に対して南と呼ばれ女郎(飯盛り女)が男達を遊ばせていました。その投げ込み寺が天妙国寺で、本堂裏に無縁仏の塚があります。

 与三郎の墓は墓所に入って、突き当たり少し手前の右側に二つ並んだ墓石の一つがそうです。

「勇猛院徳翁日進信士」(右の行)と
「操立院妙精日護信女」(左の行)の

二人の名が並んで刻まれています。お富(きち)さんだとすれば、彼が亡くなって約30年生きていたことになります。その後合祀されたのでしょう。また、墓石左面には四代目芳村伊三郎の名があります。


こうなった以上は、次に東京へ出る際に時間を作って天妙国寺へ出かけて行きこのお墓の写真を撮影してお二人の‘戒名’をハッキリさせたい!

(つづく)
[2013/05/20 19:03] | 歌舞伎 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
切られ与三郎の墓
久し振りに東金市(とうがね市・千葉県)の最福寺へ行ってみた。

この最福寺は、春日八郎の‘お富さん’でも有名になった‘切られ与三郎’のお墓があるので有名である。‘有名である’と言っても実は茂原市へ越して来たものの、御隣の御隣の市が東金市であることも知らなかったし、そこに最福寺があってその境内にまさか‘切られ与三郎’の墓が存在するなんて全く知らなかったのである。

そして、そしての驚きは、‘お富さん’が、ナナなんと我が市・茂原の‘ご出身’だったのである!


https://www.youtube.com/watch?v=0f3kzOedwxk

http://www.toganekanko.jp/2012/02/1053/
切られ与三郎をご存じですか
<公開日: 2012年2月28日(火)>

歌舞伎の演目の一つに『与話情浮名の横櫛』(よわなさけうきなのよこぐし)という名作があります。

物語の内容は、江戸で有名な長唄の師匠四代目芳村伊三郎をめぐる千葉・木更津でおきた実話をもとに書かれ、登場人物は「切られ与三郎」「お富さん」そして地元の親分「赤間源左衛門」が主な登場人物です。
赤間源左衛門の愛人であったお富を好きになった与三郎は、お富と二人で逃げ出します。怒った親分は子分たちに命じ与三郎を簀巻きにして木更津の海に投げ込み、お富は江戸に連れて行かれてしまいます。
その後、偶然江戸で再会した二人を描いた作品です。

最福寺には、主人公の与三郎のモデルとなった「中村大吉」のお墓があります。
東金と大網白里の境の清名幸谷で生まれた「大吉」は長唄を習い、その後、茂原生まれの「きち」という女性を好きになってしまいます。この「きち」は山本源太左衛門という親分さんの愛人でした。二人は木更津に逃げてしまうのです。
この話がもとに「与話情浮名横櫛」が書かれました。


http://www1.odn.ne.jp/saifukuji/index1.htm
切られ与三郎の墓

DSCF00261.jpg
切られ与三郎のモデルになった4代目伊三郎の墓

芳村伊三郎の名は、江戸長唄の名家で、現代まで襲名され続けています。

4代目伊三郎は、このお寺から南西4キロの清名幸谷の紺屋の中村家の二男として寛政十二年(1800年)に生まれました。名を中村大吉といい若い頃から長唄に親しみ、その美声と男ぶりは近隣でも有名だったようです。
大吉は長じて木更津で型付職人として腕を磨き、年季が明けて清名幸谷に帰り兄の紺屋を手伝けしておりました。根が好きな長唄を唄うために家から1キロほどの東金と大網の中程の新堀の茶屋に足しげく通っておりました。そこで見そめたのが茂原生まれのきち(お富のモデル)でした。

しかし、きちには近くの堀畑の親分山本源太左衛門という旦那がいたのです。美男美女の間柄はすぐに親分に知られました。若い二人は勝手知った木更津に逃げましたが、子分達に追われ大吉は切り刻まれむしろに巻かれて海に投げ込まれました。しかし、奇跡的に江戸の漁師に助け上げられたのでした。一方きちは連れもどされ、すぐに江戸に売られてしまいました。

後年江戸へ出て唄方となった大吉は、4代目伊三郎を襲名しましたが、若い日の仕打ちで受けた顔から身体中の数十の疵が8代目団十郎の目にとまり、鶴屋南北の門下、三世瀬川如皐に伊三郎、おきちをモデルに人物名、地名などを含め、その筋書きも、おもしろおかしく善玉、悪玉を誇張して書きあげさせました。
それが「お富・与三郎」で知られる歌舞伎狂言
与話情浮名横櫛(よはなさけうきなのよこぐし)なのです。
5代目伊三郎は、東金の岩崎の秋山嘉吉さん方で、明治十五年に亡くなり、師の墓の隣りにという遺言で、葬儀も当寺で営み、過去帳にも残っております。東金のお祭りのおはやしは、この5代目の長唄の影響を受けた珍しいリズムです。
お墓は当初30メートル先にありましたが戦前、秋の豪雨で崩れました。戦後歌舞伎役者、当市有志のきもいりで、この地点に新しく建てかえられたものです。


その日はあいにくカメラを持参していなかったので、携帯で写真を撮った。それが次の画像である。

2013051216150000.jpg
2013年05月12日

2013051216220001-2.jpg
2013年05月12日

2013051216200000-2.jpg
2013年05月12日

2013051216170001.jpg
2013年05月12日 左が五代目 右が四代目・芳村伊三郎(切られ与三郎)

ここ東金の最福寺は、日本天台宗開祖の最澄が開いたお寺として有名である。しかし、色々の事情があって、現在は日蓮宗のお寺である。また、徳川家康との関係も深いという。

http://www1.odn.ne.jp/saifukuji/index1.htm
<最福寺>

東金市八鶴湖に南面してたたずむ安国山最福寺は、大同二年(八〇七)伝教大師最澄によって背後の鴇ヶ嶺山頂の山王神社(日吉神社)とともに一宇を改修し天台宗の寺院として創設されました。その後六百七十年たった文明十一年(一四七九年)京都妙満寺十世日遵上人の弘教により、日蓮宗に改宗されました。土気の酒井定隆による七里法華改宗より十一年前のことです。その数年後、最澄の最を改め最福寺から西福寺と称しましたが、戦後昔の最福寺に戻しました、また山王神社は嘉慶元年(一三八七年)現在地大宮台に遷座され鴇ヶ嶺の社は古山王神社として現在に至っております。現在最福寺は日蓮系の単立本山です。

DSCF01431.jpg

本堂へと続く坂道の途中に当山第七世日善上人と、徳川家康公の対談の模様を、再現したブロンズ像があります。家康公が鷹狩の際、休憩に使った「東金御殿」(現県立東金高校敷地)で家康公と会談。その八ヶ月後、「大阪冬の陣」(慶長十九年、一六一四、十一月)の直前にも、駿府城内で家康公に拝えつ。しばし話し合いを行っていたことが「駿府記」(慶長十九年九月)に「二十日、上総國東金西福寺日善上人御目見日蓮宗也」と出ている。また、「台徳院実記」(慶長十九年、九月二十日)にも「総州東金西福寺日善」駿府城にのぼりて拝謁す」とある。このような歴史を後世に残そうと、現住職が発願し、市内出身の日展会員、上野弘道氏(千葉大教授)により製作安置されたものです。「最福寺」は上総十ヶ寺の一つで、家康公から三十石の寺領を受けている「御朱印寺」でもあります。


さてさて、もう一つ肝心の‘お富さん’のお墓は、何処に?

(つづく)
[2013/05/19 02:02] | 仰天! | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
超はっ水性(その1):ロータス効果
2013年05月12日(日)は母の日である。久し振りに朝方少しではあったが‘雨’が降った。土砂降りではなかったし、‘霧雨’に近い降り方だったために、上手い具合に‘植物の花弁や葉っぱ’に‘露’が溜まって美しい光景が観察出来た!

そう、もう20年数年も前に‘超はっ水性材料’の開発に携わったことがある。

p4001.jpg
http://keytech.ntt-at.co.jp/environ/prd_4001.html

素材に超はっ水性を持たせる方法は、次の2つに大別出来る。

<1> 超はっ水材料をコーティングする方法

<2> 素材の表面に適切な大きさの凹凸を持たせる方法

<1>の方法は、言わば‘化学的’方法であり、<2>は‘物理的’方法である。

<‘はっ水’性>とは、ご存じの通り、<‘水をはじく’効果を持つ性質>のことであり、例えばレインコートや傘生地の表面加工に利用されたりしている。

この効果のことを英語では‘Lotus effect’という。‘Lotus’とは、ハス(蓮)のことであるが、‘Lotus effect’のことを日本語では‘ハス効果’とは 言わずに‘ロータス効果’という。

では、ハスは何故この効果を‘葉っぱ’に持たせているのだろうか?

http://teishoin.net/blog/003863.html

蓮は仏教を象徴する植物として珍重されます。

蓮は泥より出でて泥に染まらず

・・・蓮は泥の中で育ち、清らかな花を咲かせます。煩悩に満ち溢れ昏迷の中にある清浄の象徴とされる所以です。
花だけでなく、葉も泥中にあって、常に美しさを保っています。
植物は自分では自ら動いて汚れを拭い去ることが出来ないため、清浄を保つ様々な工夫をしています。

その工夫の一つが葉や花の表面に施されている微細構造です。

さらに表面の化学的な特性とが相俟って、降った雨は真ん丸な水滴となります。
水滴が花や葉の上で汚れを絡め取りながら転がっていくことにより表面を綺麗に掃除していくのです。


lotuseffect-19ea4.gif
http://nano.willfair.com/article/122285548.html

img_1034166_25951038_1.jpg
http://blogs.yahoo.co.jp/fsbrg265/25951038.html

img_1034166_25951038_2.jpg
http://blogs.yahoo.co.jp/fsbrg265/25951038.html

image_01-thumb-358x275-1940.jpg
http://www.kek.jp/ja/NewsRoom/Highlights/20120731170000/

我々が開発をしようとしたのは、<‘通信用のアンテナ’の表面に‘雪’を積もらせないこと > という大命題を解決するためであった。アンテナの表面に‘雪’が積ると雪が電波を吸収して通信障害が発生すのである。

この解決のためには、

   <2> 素材の表面に適切な大きさの凹凸を持たせる方法

では、難しいことが判っていたから、

   <1> 超はっ水材料をコーティングする方法

を取らざるを得なかった。この<1>の方法については、化学的方法であるため、厳密な表現をするなら‘ロータス効果’ではない。つまり、ハスの葉が産み出すはっ水性の原理とは異なるのである。

この方法については、後日またこのブログに記事として掲載する積りである。

p40018_1.gif
http://keytech.ntt-at.co.jp/environ/prd_40018.html


今回は、植物の葉っぱや花ビラが持つ‘はっ水性’について考えてみたい。

冒頭に紹介した通り、母の日には、上手い具合に‘はっ水性’を示す写真が撮れた!

画像ー131 042-3

画像ー131 046-3

画像ー131 055-2

画像ー131 011-3

画像ー131 064-3

画像ー131 071-2

画像ー131 069-2


この‘ロータス効果’のメカニズム については色々なところで研究がなされている。

http://www.osaka-gu.ac.jp/php/nakagawa/TRIZ/jpapers/2002Pape
rs/VincentETRIA020321/VincentETRIA020321.html

クリーニングの効果の一つに, 「蓮の葉効果」がある (いままでに, いくつかの植物の葉と昆虫の翅で見いだされている - http://www.botanik.uni-bonn.de/system/bionics.html参照)。蓮の葉は疎水性であり, 葉の表面上を流れる水が, その進行中に取り込んだ埃の粒子を保持している。この効果は, 表面上の厚いワックスの層と, 葉の表面の彫り (図7参照) による疎水性との組み合わせによって実現されている。このために, 水滴は, 葉に接触しているときに, 多少なりとも球形を保つように力が働き, 他の汚れが葉にくっつく傾向を減らす (Barthlott & Neinhuis 1999)。この特性は外装用塗料 (「Lotusan」) に組み込まれ, 表面がセルフ-クリーニングになる (「ひとりでにきれいに保たれる」)。


Fig7LotusLeaf (1)
図7. 「蓮の葉効果」の核心をなす葉の表面の構造

<ハスの葉の表面と断面>

img_901578_24904179_0.jpg
http://blogs.yahoo.co.jp/pphotoex/24904179.html

img_901578_24964630_0.jpg
http://blogs.yahoo.co.jp/pphotoex/24964630.html

http://blogs.yahoo.co.jp/pphotoex/24964630.html
先日投稿した「蓮(ハス)の葉の表面」の記事の続きです。

 今回は、蓮の葉の断面を観察してみました。写真は40倍対物レンズで撮影した写真です。
 葉の上側方向に突起状に飛び出している細胞が、「前回の記事」において、葉の一面に存在していた粒状の細胞(突起細胞)になります。突起の先は直径10μm弱の円弧で作られているようです。また、突起細胞の下の層の細胞は葉緑素を持っていますが、突起細胞は葉緑素を持っていないようです。あたかも突起細胞が「葉緑素を持っている細胞」を守っているかのようです。



<布地の超はっ水性>

布地に超はっ水性を持たせるには、やはり二通りあって、以下の例は、繊維の径の小さいものを選んでの‘物理的手法’による方法である。

4d9dbc54.jpg

http://matsu-hajime.livedoor.biz/archives/51976768.html
ご覧のように、まるでレインコートのような撥水。みるみる水玉がこぼれ落ちていきます。これまでは(スプレーなどでの表面)加工を行うと素材感が損なわれていましたが、イタリア・イギリスなどの番手が細い生地ながら、撥水させることが可能となったのです。


傘や風呂敷等にも同様なものがある。

もう一つの方法は、‘スプレー’を布生地にかけて、化学的な手法である。これについては次回。

(つづく)
[2013/05/18 02:08] | サイエンス | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
いい香りのする花(その1):カラタネオガタマの木
花の‘香り’についてどれが一番かと言えば‘カラタネオガタマの木’に咲く花、これが一番である!

バラやモクレンやジャスミンなどなど、その他いい香りのするあるが、この‘カラタネオガタマの木’に咲く花程甘美な香りはない!

カラタネオガタマの木’は、日本産の‘オガタマの木’とは違うという。

http://www.geocities.jp/greensv88/jumoku-zz-karataneogatama.htm
カラタネオガタマの木:日本産のオガタマノキは、神社でよく植えられ、神前に供えて神霊を招くとされる。招霊(オキタマ)が転じた名。中国産のオガタマノキの意


http://yasashi.info/ka_00040.htm
カラタネオガタマについて

0000-0390_20130516153520.jpg
科名:モクレン科, 学名:Michelia figo, 別名:トウオガタマ, 原産地:中国南部, 樹高:4m~5m, 開花時期:4月~5月, 栽培難易度:★★☆☆☆

 中国南部原産の常緑樹で、生長すると4~5mになる小高木ですが庭木として育ててられているものは3m程度に収まっているものが多い気がします。主な開花時期は4月中頃-5月で、同じモクレン科のモクレンが咲き終わってタイサンボクが開花する手前、ちょうどその間をつなぐ時期に花を咲かせます。花の直径は3cmくらいで花びらは厚くクリーム色、フチがほんのり紅紫色を帯びることがあります。花には完熟バナナをすっきりさせたような芳香があり、その甘い香りが特徴的であり大きな魅力です。香りには人それぞれ好みがあると思いますが、甘ったるさがさほどきつくなく嫌みのない香りです。
 葉は長さ5-7cmの長だ円形、厚めで表面に光沢があります。若い枝や葉の軸には褐色をした細かい毛が見られます。仲間に花びらが反り返るように開ききるウンナンオガタマ、紅色の花を咲かせるベニバナオガタマ'ポートワイン'などが知られています。



画像ー130 001-2
2013年05月08日 夕刻

画像ー130 010-2
ここはまだ‘蕾’に状態のところ。

画像ー130 006-2
こうなったら、もう‘香り’は最高潮!

画像ー130 006-3
トリミング拡大

画像ー130 007-2
こう開いてしまうと、香りはほとんどなくなってしまう。

桜のように、全てが一挙に咲いて、一挙に散ってしまうというようなことはない多分‘一ヶ月以上’は楽しむことが出来る!


http://www.youtube.com/watch?v=Ti28l-cc_Lw

‘香り’がお届け出来ないのが残念である!

(つづく)
[2013/05/17 15:41] | 園芸 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
水月湖の‘年縞(ねんこう)’
水月湖の‘年縞(ねんこう)’ に注目が集まっている!

zu02_1.gifzu02_2.gif
http://www.brh.co.jp/seimeishi/journal/041/research_11.html

‘年代の測定’というと、文書記録以前の時代の年代測定には、放射性炭素同位体という方法がとられるというのが我々の常識であった。

しかし、‘年縞’という概念を思いつき、それを実際に分析して見ると‘放射性炭素同位体’方式の年代測定法の誤差が100年もあるということから一気に‘数年’の誤差に抑えらる(?)という技術が確立されつつあるというから驚きである!

この技術が精度よく応用できれば、有史以前の‘世界標準時計’が設定出来るというのである。

そして、そしてこの‘世界標準時計’設定上、最も有力視されている‘年縞’が日本にあるというのである。

Lake-Minazuki (2)

http://rensai.jp/?p=41808
水月湖に眠る奇跡の堆積物!「年縞」は、7万年分の世界標準時計

三方五湖は、福井県三方郡美浜町と同県三方上中郡若狭町に跨って位置する5つの湖の総称。国指定の名勝で、若狭湾国定公園に属する。2005年11月8日付でラムサール条約指定湿地に登録されている。湖の周囲には梅畑が広がる景勝地。三方五湖は五つの湖で構成されており、五つの湖はすべてつながっている状態である。

 このうち水月湖には、世界の歴史教科書を書きかえるほどの「お宝」が眠っている。それは世界でも類をみない、7万年分もの堆積物が織りなす「年稿」。鮮やかな縞模様だ。

 年輪のように1年1層ずつ成長するため、古代の気温や降水量など、地球環境変動の歴史を、年単位で読み解くことができる。さらには、アメリカマヤ文明衰退の原因や、人類発展の歴史までわかるという。

 2012年10月19日、「水月湖」で、湖底を掘削して5万2800年前までの堆積物を採取し、1年に1枚できる薄い地層ごとに年代を精密に測定したことを、日欧の研究チームが19日付の米科学誌サイエンスに発表した。


そして、この記事をもう少し理解する為に次の文献が役に立つ!

次の文献の著者は、

http://eco.goo.ne.jp/business/csr/lesson/feb02-7.html
安田先生プロフィール

feb02_yasuda2.jpg

1946年、三重県に生まれる。72年東北大学大学院理学研究科修士課程修了。広島大学総合科学科助手をへて、94年より国立日本文化研究センター教授に。専攻は地理学・環境考古学。環境考古学という新たな分野を、日本で最初に確立。主な著書に、「環境考古学事始」「森のこころと文明」「森林の荒廃と文明の盛衰」など多数。


http://eco.goo.ne.jp/business/csr/lesson/feb02-3.html
t_feb02_3.gif

 90年代になるまで、文書記録以前の時代の年代測定には、放射性炭素同位体という方法がとられていました。けれども、この年代測定法では、統計上の誤差が±50年から100年もあるという欠点がありました。50年、100年の間に歴史は大きく変わってしまうことがある。私は、気候の変動が文明を変えるという説を唱え続けていたのですが、放射性炭素同位体の測定方法では、誤差が大きすぎ、気候と文明の正確な関係を捉えられないと長い間悩んでいました。

 ところが、91年に、私は福井県の水月湖の湖底で年縞を発見し、この悩みを解決することができました。水月湖のボーリングは、水深35メートルの湖底で行い、78メートルの連続した堆積物を得ることができました。
 その堆積物からは、連続したバーコード状の縞模様が発見されました。その縞模様は、春から夏にかけてケイソウが繁殖してできた白い縞と、秋から冬にかけて粘土鉱物が堆積してできた黒い縞が一つのセットになってできていました。つまり、年輪と同じように、1つの縞が1年の時間を表しているわけです。年縞の中には、花粉、ケイソウ、プランクトン、粘土鉱物、あるいは大型の植物遺体まで含まれるため、気温や水温だけでなく、植生の変化、海面の変動、洪水や地震の回数まで復元できるのです。

feb02_nenkou.jpg
年縞

 この年縞の発見によって、年代の測定の精度が一気に高まりました。年縞に含まれている情報を読みとっていけば、太古の時代の環境変化が年度で追って行けることになります。  水月湖の年縞のダイヤグラムを分析したところ、今から1万4800年前に、水月湖周辺では大きな気候の変動があったことがわかりました。これまであった氷期を代表するツガなどの植物が激減し、かわってブナやナラなどの温帯の落葉広葉樹にスギが混成した森が広がってきます。つまり、この時期に急激な温暖化が進んだと考えることができるわけです。

 ただ、1万4800年前に水月湖周辺から、氷期を代表する植物が姿を消して、温帯植物が現われるまで、約500年の空白期間があることもわかってきました。この500年間は、寒冷な気候から温暖な気候に急激に変化した期間ですが、生態系がそれに追いついて行けず、水月湖の周辺は森の少ない荒野が広がっていたことでしょう。
 そして、実はこの500年間の間に、縄文時代の文化は出現するのです。この激動の時代に遊牧から定住へ、新しい生活様式を転換させ、縄文時代に入っていったのだと推測することができます。  このように、微細な年縞を分析することによって、それがダイナミックな歴史の変動を解き明かすことにつながる、環境考古学はとてもスリリングな学問なのです。


では、何故‘水月湖の年縞’が、現時点で‘世界一’優れた‘年縞’なのか?

これは‘奇跡的な偶然’としか言いようのない‘環境条件’が揃っていたということなのだろうが、これをまた‘発見した’チームにも‘拍手喝采’を送るべきであり、正に‘ノーベル賞’以上の名誉を与えるべきと考える!

さて、それでは何故‘奇跡的な偶然’が、福井県の水月湖で起こったのか?

その理由の概略が次の引用文献に解説してある。この文献を読めば、‘水月湖にもノーベル賞’をとさえ思えて来る!

http://blog.livedoor.jp/liberty7japan/archives/4377756.html
湖に眠る奇跡の堆積物

 2013年2月3日NHK「サイエンスZERO」で放送の「湖に眠る奇跡の堆積物湖」は、興味深かった。

 場所は福井県の若狭湾国定公園にある水月湖。何の変哲もない湖かと思ったら、世界の歴史教科書を書きかえるほどの「お宝」が眠っているという。その事実は地元の人にもあまり知られていない。

 調査チームが湖底に沈んでいる泥を、ボウリングして取り出すと、鮮やかな縞模様が見られた。それは世界でも類をみない、7万年分もある堆積物だった。この縞模様、年輪のように1年1層ずつ成長するため、古代の気温や降水量など、地球環境変動の歴史を、年単位で読み解くことができるのだ。

 どうやってこの年縞はできるのだろうか?

 水月湖は最大水深が34mと深く、直接流れ込む大きな河川がないため、湖底の水や泥は水流でかき乱されることがなく、無酸素状態であるために生物も棲めない。湖の底に降り積もった堆積物は、静かにそのままの状態で永い年月を経ている。

 湖底には、春から夏にかけてはケイソウなどが繁殖してできた白い層、梅雨には湖の周りから流れ込んだ泥の層、秋には落ち葉の層、冬には粘土鉱物が堆積した黒い層が、1年に1枚の薄い層となって、木の年輪のように積み重なっている。これが年縞と呼ばれるもので、その中にはケイソウのほか、花粉や種子、葉、火山灰、黄砂なども含まれている。

 ケイソウは水域の環境によって生息する種類が異なり、死後もケイ酸質の殻を残す。花粉も植物ごとに形がから違い、堅い膜で覆われているため、湖底では何万年も腐らずに残る。

 年縞を1枚ずつ数えて、そこに含まれているものを分析することで、周辺の植生、森林の変遷、気温・水温、海面の高さの変動、洪水や地震の発生までも知ることができる。

 多くの地理的好条件に恵まれた水月湖の場合、約15万年間にわたって、ほぼ年単位の細かな年代測定が可能だ。これは、今までに世界各地で発見された年縞の最長記録だ。


 水月湖に「年縞」ができた理由

 このような年縞は、南極やグリーンランドの氷床にもできる。過去数万年の気候変動について、グリーンラ ンドの記録がいわば標準曲線のような地位を占めていた。

 また、ベネズエラ沖のカリアコ海盆から得られる堆積物も年縞を持ち、晩氷期以降の時代を連続的にカバーしている。カリアコの堆積物は多くの有孔虫遺骸を含んでおり、その集中量から過去の大気循環を復元できる。また 有孔虫遺骸は放射性炭素(14C) による年代測定が可能である点も重要だ。

 グリーンランドの氷床からは、およそ1万4700年前に3年間で5℃もの気温上昇がわかった。ところが、水月湖の年縞に残された花粉から、この時期の日本の気候変動を調べると、とくに急激な気温上昇はないことがわかった。気候変動は、地域によって異なることがわかったのだ。

 どうして水月湖で、このような年縞ができるのだろうか?

 それは、3つの奇跡に恵まれたからだという。

1つ目は河や海と直接つながっていない奇跡。これによって、流水がなく、ほとんど湖底がかき乱されることがない。

2つめが深く、生物がいないという奇跡。もし生物がいたらやはり湖底をかき乱されてしまうだろう。

3つ目が、約7万年間も水が干からびない奇跡。普通の湖ならば、これだけの時間があれば何回か干上がることもある。ところが、この地域には近くに断層があり、1年に0.7mmずつ地盤沈下している。湖底に堆積物がたまってもどんどん下がっているので、あふれることがないのだ。

suigetukono環境
http://62defarmer.blog95.fc2.com/blog-entry-726.html

BI84KI7CAAA8j3D.jpg
http://tweetbuzz.jp/word/%E5%A0%86%E7%A9%8D%E7%89%A9/image

 三方五湖とは何か?

 三方五湖は、福井県三方郡美浜町と同県三方上中郡若狭町に跨って位置する5つの湖の総称。国指定の名勝で、若狭湾国定公園に属する。2005年11月8日付でラムサール条約指定湿地に登録されている。湖の周囲には梅畑が広がる景勝地。三方五湖は五つの湖で構成されており、五つの湖はすべてつながっている状態である。湖の構成は次の通り。

 1.三方湖(みかたこ): 富栄養湖、淡水 2.水月湖(すいげつこ): 富栄養湖、汽水、五湖中最大の面積 3.菅湖(すがこ): 富栄養湖、汽水 4.久々子湖(くぐしこ): 富栄養湖、汽水 5.日向湖(ひるがこ): 貧栄養湖、海水

geomap169.gif
http://www.erc.pref.fukui.jp/gbank/wetland/wet018.html

 五つの湖は淡水・海水・汽水とそれぞれに違った性質を持ち、また同じ汽水湖でも日本海に直接つながっている久々子湖と一番奥にある菅湖、中間の水月湖ではそれぞれ海水と淡水の比率が違っている。そのため梅丈岳(三方五湖レインボーライン展望台)から見える景色は、五つの湖がそれぞれに違った青色をして見える。

 比較的大きな川は三方湖に流入する鰣川(「はす」は魚偏に時)のみである。そのほかは小さい川が多数流入している。若狭湾へ流れ出る川は久々子湖・日向湖に繋がった運河のみである。 三方五湖には水月湖と久々子湖をつなぐ浦見川(浦見運河)と、水月湖と日向湖を結んでいる嵯峨隧道、菅湖と三方湖をつなぐ堀切の3つの人工水路がある。

 1662年5月1日に発生した寛文大地震で、菅湖から久々子湖に流れていた気山川(現在も気山保育所付近に川の跡が残っている)の地盤が隆起して、川の機能を失ってしまった。その代替水路として浦見川が掘削された。約2年後に運河は完成し、上流に溜まっていた水がすべて引いた上に、三方湖周辺の土地改良につながった。

 三方湖や水月湖は、日本列島の気候や植生を何万年前より記録しており、また、日本海の海洋環境の変化を湖底に記録しているとして、湖底の堆積物を採取するためのボーリングが1980年11月に三方湖東南部(水深1.5メートル)の北緯35度33分32秒、東経135度53分40秒の地点で行われた。採取した堆積物から花粉、珪藻などの微化石、あるいは植物遺体を検出した。過去5万年間の記録を保管していることが分かった。ボーリング地点から南に1キロほどのところに鳥浜貝塚がある。

 水月湖は二重底の湖としても知られている。湖水上部(水深0-6m)は淡水、下部(水深7-40m)は硫化水素を含む無酸素の汽水となっている。

 水路工事の結果、三方湖からは淡水、久々子湖からは汽水が流れ込むようになり、淡水に比べ重い汽水は湖底に滞留するようになった。この状態で湖の表面に強風が吹いても表層の淡水が攪拌されるのみで、湖底の汽水は滞留したままである。 この結果、下部の汽水は空気に触れることが無く、表層の酸素を含んだ淡水と混じり合うことも無いために、有機物分解によって酸素が消費し尽くされてしまい、2006年時点では硫化水素を多量に含んだ無酸素状態となっている。

 なお、上下湖水の境界付近では、下部湖水の硫化水素を上部湖水に含まれる酸素で酸化させ、その時に発生するエネルギーを利用して生きる特殊なバクテリアが生息している。(Wikipedia)



この‘年縞’が、どんな風に‘世界の歴史の常識’を変えて行くのだろううか?

(つづく)

[2013/05/16 00:40] | サイエンス | トラックバック(1) | コメント(0) | page top
散歩の楽しみ(その3):白鷺
2013年05月08日の散歩の続き。

その前に・・・・、

昨年の秋に、我が家の玄関から直ぐの‘借景’の敷地内の‘杉の木のてっぺん’に止まっていたのは‘青鷺’だった。

画像ー132 116-3
我が家の玄関前。‘借景’の杉の木

画像ー51 137-0
2012年09月11日05:57

画像ー51 137-1
同上

さて、散歩の時に見たのは‘白鷺’だったのだが、‘鷺’と言えば、余りにも昨年の秋に見た‘青鷺’が印象に残っており、どうしても比較したくなったという訳である。

そこで、先ず‘青鷺’とは?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%AA%E3%82%B5%E3%82%AE
アオサギ蒼鷺、Ardea cinerea) は、動物界脊索動物門鳥綱コウノトリ目サギ科アオサギ属に分類される鳥類

分布

繁殖地:黄緑、青:越冬地、緑:周年生息地
アオサギは、アフリカ大陸、ユーラシア大陸、イギリス、インドネシア西部、日本、フィリピン北部、マダガスカルに分布している。
夏季にユーラシア大陸中緯度地方で繁殖し、冬季になるとアフリカ大陸中部、東南アジアなどへ南下し越冬する。アフリカ大陸南部やユーラシア大陸南部などでは周年生息する。日本では亜種アオサギが夏季に北海道で繁殖し(夏鳥)、冬季に九州以南に越冬のため飛来する(冬鳥)。本州、四国では周年生息する(留鳥)。

形態 [編集]

全長88-98cm。翼開張150-170cm。体重1.2-1.8kg。上面は青みがかった灰色の羽毛で被われ、和名の由来(漢字表記の蒼はくすんだ青色のことも指し、中国語名と同一)になっている。種小名cinereaは「灰色の」の意で、英名(grey)と同義。また淡灰色の長い羽毛(飾羽)が混じる。下面は白い羽毛で被われ、胸部の羽毛は伸長(飾羽)する。頸部から胸部にかけて黒い縦縞が入る。頭部は白い羽毛で覆われ、眼上部から後頭にかけて眉状の黒い筋模様(眉斑)が入る。後頭は眉斑と繋がるように黒い羽毛が伸長(冠羽)する。雨覆の色彩は灰色で、初列雨覆や風切羽上面の色彩は黒い。人間でいう手首(翼角)の周辺には2つの白い斑紋が入る。雌は雄に比べるとやや小型で、冠羽と飾羽が短い。
虹彩は黄色。

若鳥 [編集]

若鳥は上面が灰褐色、頭部が灰色の羽毛で被われる。また若鳥や冬羽は上嘴が黒ずむ。眉斑は不明瞭で、後頭に冠羽が伸長しない。繁殖期は眼先がピンク色で、嘴や後肢の色彩もピンク色。非繁殖期は眼先が黄緑色で、嘴や後肢の色彩が黄色。

生態 [編集]

河川、湖、池沼、湿原、干潟、水田などに生息する。非繁殖期には単独で生活するが、小さな群を作ることもある。
食性は動物食で、魚類、両生類、小型哺乳類、甲殻類、昆虫などを食べる。水辺で待ち伏せたり、水辺や浅瀬を徘徊しながら獲物を探す。獲物を発見すると、素早く頸部を伸ばし捕食する。水深の深い場所では、体を水に浮かべて泳いでいることがある。
優雅な姿をしているが、意外にも攻撃的で神経質な鳥で、餌場では羽毛や飾り羽を逆立てて他の鳥を威嚇して追い出すことがよくある。特に獲物が共通するダイサギなどのサギ類には容赦なく攻撃をしかけて執拗に追い立てる。 また、獲物に対する執着も強く、他の鳥から獲物(主に魚類)を奪って捕食することが見られる。ミサゴなどの猛禽類や、時にはツルやコウノトリなどの自分よりもはるかに強大な相手でも付け回して隙があれば横取りする。
繁殖形態は卵生。同科他種を含めた集団繁殖地(コロニー)を形成する。雄が巣材を集め、雌が樹上に木の枝を組み合わせた皿状の巣を作り、日本では4-5月に1回に3-5個の卵を産む。巣は同じ巣を使いつづける。雌雄交代で抱卵し、抱卵期間は23-28日。育雛は雌雄共同で行う。雛は孵化してから50-55日で巣立つ。生後2年で性成熟する。アシの生えた地上での営巣記録もある。

人間との関係 [編集]

養殖魚を食害する害鳥とみなされることもある。
害鳥としての駆除などにより生息数が減少している地域もある。例としてイングランドとウェールズでは1970年代に毎年4,600羽以上が駆除され、1979年における生息数は5,400ペアまで激減した。逆に日本のように生息数が増加している地域もある。

夕風や水青鷺の脛(はぎ)をうつ  与謝蕪村


上記文献では、‘アオサギ’の漢字表記に‘蒼鷺’の文字を当てていて、中国でもこの‘蒼’と表記するという。

青(蒼)鷺の素晴しい写真が見つかった!

58821570.jpg
http://plaza.rakuten.co.jp/cooloo/diary/201011300000/

58821532.jpg
http://plaza.rakuten.co.jp/cooloo/diary/201011300000/

58821495.jpg
http://plaza.rakuten.co.jp/cooloo/diary/201011300000/

青鷺もこのように‘高画質’で、絶好のチャンスを見逃さなければ、やはり美しい!



では、‘白鷺’は?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E9%B7%BA
白鷺(しらさぎ)とは、コウノトリ目サギ科のうちほぼ全身が白いサギ類の総称で、日本ではダイサギ・チュウサギ・コサギ・カラシラサギを指す。沖縄ではクロサギの白色型がこれに加わる。アマサギも入れられることがある。音読してはくろとも言う。
シラサギという名前のサギがいるわけではない。大きさや足指の色、冠羽の有無などで識別することとなる。
徳島県では1965年(昭和40年)10月より、白いサギ科の鳥の総称としての「しらさぎ」を県の鳥に制定している[1]。
サギ類は他の種類のサギたちと同じ個所に集まって営巣し繁殖する(サギ山)。サギ山で集団営巣することから、糞に伴う臭いや鳴き声により、人にとっては公害となることがある。
利用 [編集]

コサギは後頭に冠羽があり、日本画のモチーフとして多用されてきた。
繁殖期の背の飾羽はとても美しく、婦人用の帽子の飾りに多用されたが、現在は多くの国で規制の対象となっている。
これらの多くは渓流など清冽な水域には生息せず、富栄養化が進んだ水域に見られる。



田植えの済んだ田圃に‘白鷺’がいた!(2013年05月08日午後) 

画像ー130 060-2

こんなに10m以内に近づいてもこの‘白鷺’( ダイサギ・チュウサギ・コサギ・カラシラサギ、のうちのどれ?)は逃げない!

画像ー130 053-2

では、この‘白鷺’の‘百態’をど~ぞ!

画像ー130 053-3 画像ー130 054-3

画像ー130 055-3 画像ー130 057-3

画像ー130 059-3 画像ー130 061-3

画像ー130 063-3 画像ー130 064-3

画像ー130 065-3 画像ー130 066-3

画像ー130 073-3 画像ー130 074-3

では、‘白鷺’の美しい写真を‘WEB’から・・・。

20090806195948d8e.jpg
http://viewoflovely.blog91.fc2.com/blog-entry-426.html
ダイサギ

20090806200801c60.jpg
http://viewoflovely.blog91.fc2.com/blog-entry-426.html
ダイサギ

20090806204725e32.jpg
http://viewoflovely.blog91.fc2.com/blog-entry-426.html
(左)チュウサギ   (右)コサギ

‘アオサギ’も‘シラサギ’も大きさ体重など、そんなには違いはない、と思われる。

この田圃にいた‘シラサギ’の体重は、どのくらいだろうと思って考えてみた!私の‘予測’では、‘背の高さ’はおよそ‘1m弱’だから、そう4~5kgかな?と思った。カミサンは‘3kg’という。

驚くことに、上記引用資料によれば、

  全長88-98cm。翼開張150-170cm。体重1.2-1.8kg


だそうである!  

体重が‘2kg’未満なら、食べ物の量もそんなに多くは要らないのだろう!

都会では、アオサギもシラサギも、そう簡単には見られないが、ここ‘上総の国 茂原の里 字千沢’では、身近に素晴らしい鳥に毎日会える!

(つづく)
[2013/05/15 14:48] | 学習と文化 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
講談(その2):千沢川における蟹力士のその後
<口上>:担当 二流齋田舎周(にりゅうさい・どさまわり)<講談界の大御所:二流齋停能(にりゅうさい・ていのう)の一番弟子(自称)>

では、田舎周師匠、口上をど~ぞ!

講談(その1)では、二匹の蟹相撲の関取の決闘!の経緯(いきさつ)を縷々述べて参ったのでございます!パシッ!パシッ!

その二匹とは、決闘を演じ切った役力士!その‘決闘シーン’をもう一度!パシッ!パシッ!

画像ー132 005-3

① ご自分の住居穴を‘温泉付き宿泊券’と交換で返して貰った関脇・‘蟹の川’関 (画面上)

② ‘温泉付き宿泊券’を見事ゲットした小結・‘蟹の里’関 (画面下)

この、‘蟹の里’関の背中が凄~い!

画像ー132 008-4
トリミング・アップで、強調すると・・・

画像ー132 008-5
‘笑うパンダ’、だ! でも、口元は笑っているように見えはするが、‘眼’は、笑っていない! 温泉でこの顔がどんな風に変貌するのか!?

前回の予告通り、彼ら二匹のその後を、ど~ぞ!

<小結・‘蟹の里’関のその後>

画像ー132 035-2
2013年05月13日09:26:52
決闘をしていたほんの数分前には、背中は‘汚れまくっていた’のに、温泉につかる前にもうこんなに綺麗になってる! 何故??

画像ー132 045-2
2013年05月13日09:28:38
いやぁ~、もう潜っている! お酒はもう飲んだの? 飲んで潜るのは、身体に良くないゾ~!

画像ー132 056-2
2013年05月13日09:29:54
蟹の里「あ~、さっぱりした! この温(ぬる)めの温泉、最高でごんす!」

画像ー132 057-2
2013年05月13日09:29:58
蟹の里「いやぁ~、もうすっかり出来上った、でごんす!」

K「気持ち良さそうじゃん!ところでサ、関取、自慢の‘パンダ甲羅’どうしちゃったのさ?」

蟹の里「あれっ! 見てました、でごんすか?温泉はいる時だけ、脱ぐんでごんすよ!大事なもんなもんで・・・。 あれが、人間の力士の‘廻し’ということで、蟹力士の‘命’なんでごんす!」

K「へえ~!そうなの?!こりゃあ、いいこと聞いた! それでサ、何処で脱いだのよ?」

蟹の里「な・い・しょ!もうひと潜りしてくるでごんす!ごっつあんで~す!」

画像ー132 082-2
2013年05月13日09:43:46
それから彼は15分近く潜りっぱなし・・。もう目まで泳いでいる!焦点が定まらないようだもの!

そして、一夜が明けて、そう彼が蟹の川関から貰ったクーポン券は、宿泊付きだったから、その辺まだうろうろしているに違いない。15時過ぎに‘千沢川’を覗いてみた。 いた、いた!千沢川の向こう岸!

画像ー132 108-2
2013年05月14日15:03:50
K「おーい、蟹の里さ~ん!聞こえるか~い?元気~?」

蟹の里「十~分、聞こえとりま~す!」

画像ー132 115-3
2013年05月14日15:05:10
蟹の里「木のベッドって、よかですよっ~!」あれっ?彼、九州出身??

画像ー132 115-2
2013年05月14日15:05:10
K「関取サ、今日の取り組み大丈夫なの?」

蟹の里「あっ!いい忘れておりました! 今日の相手は、昨日の‘蟹の川’関でごんす。彼は、昨日の自分との決闘で、アキレス腱切断で今日休場届を出した筈でごんす!ツウことは、自分は今日は‘不戦勝’!ツウこってす。だから、今日は土俵に上がるだけ、っていうこってすナ! まだ、まだ時間がありますでごんす!」

こんないい加減な力士は見たことない!こんなことでは来場所は小結という役力士からきっと滑り落ちているに違いない!

さて、それで、アキレス腱切断の‘関脇・‘蟹の川’関’の方は・・・

<関脇・‘蟹の川’関のその後>

一方、穴に残った関脇・‘蟹の川’関は、

画像ー132 012-2
2013年05月13日09:24:24
蟹の里関の情報から判ったのだが、この蟹の川関は、アキレス腱切断をしてしまっていた由。

画像ー132 061-2
2013年05月13日09:30:26
それでそれで、早く自分の‘竪穴住居’で休みたかったのだ!

画像ー132 062-2
2013年05月13日09:30:32
了解、了解! 何か食べなくたって平気? 蟹の川「・・・・・」無言!

画像ー132 072-2
2013年05月13日09:31:54
さいなら!

画像ー132 073-2
2013年05月13日09:32:00
さいなら!さいなら!さいなら! ちっとも進んでないじゃん、大丈夫? 蟹の川「・・・・・」無言!

画像ー132 077-2
2013年05月13日09:32:48
やっと潜り込んだ様子、一安心!

画像ー132 095-2
2013年05月13日09:46:10
あれから、15分弱経つが、動きが無い!余程疲れているのだろう。大丈夫だろうか?

画像ー132 113-2
2013年05月14日15:04:52
心配になって、一夜明けた今日午後3時過ぎに見に行ったが、全く動きが無い!まさかアキレス腱切断で死んでしまうこともあるまい! 足は何本もあるのだから・・・。



講釈師の二流齋田舎周の奴まで、寝てしまっている!

だから、だから、二流と言われるんだぜ! このバカめが!

それでは、私がなり替わって、次回の予告編を!

画像ー132 051-3

この次は、年寄りの力士の話は終わりにして、若手‘蟹サーファー’のはなし、など。ご期待あれ!

(つづく)

[2013/05/14 22:08] | 講談 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
講談(その1):千沢川における蟹力士の決闘!
日本には、‘講談’という素晴らしい文化がある! にも拘わらず、西洋かぶれの‘戯作者’と名乗る心ない厚顔無恥の‘偽文化人め’が、‘我こそは最先端ミュージシャン&ディレクターなり’と豪語して、‘アホ(A)か(K)バカ(B)の頭文字を被った48’などという一人では何にも出来ないタレントとやらを‘輪ゴム’のように大量生産しては使い捨てをしておる!

また、よせばいいのに、それに乗っかるバカマスコミ!そして物が売れればいいというアホスポンサー、このオール馬鹿どものお蔭で、日本の文化はズタズタじゃ!

ゴールデンタイムのTVなんぞ、見てはおれぬわ!大勢の‘バカ・アホタレント’の勢揃いの状況じゃ!

「おや?センセイ結構見てるね!」って、「そりゃあ、マーケッティング・市場調査じゃ!茶々を入れるでない!」 パシッ!パシッ!<これ、講釈師が使う‘張扇’(はりおうぎ、通称‘ハリセン’>の音。

さて、そんな訳で本日は講談を一席!

      「千沢川における蟹力士の決闘!」

それでは、はい!

 ~♪ 時は平成中の頃、夏とはいえど片田舎ぁ、木立の森のぉ~ いとぉ涼し~ ♪~

「センセイ、先生、それって‘講談’じゃぁなくって‘浪曲’じゃぁ ござんせんか?」

「おお、そうじゃった! このところお呼びがなくて、ついうっかり!失礼したわい!」

それでは、改めて、講談を一席!はいっ!

著者註):講談の場合、大袈裟な表現が常套手段だそうである。例えば、「一万五千の武士(もののふ)が、・・・」とは言わずに
「武士の数たるや、五千に、五千、また五千・・・」というそうである。さて、本日のこの先生、どこまでそんな‘科白(セリフ)’になりますやら・・・

      「千沢川における蟹力士の決闘!」 開演、開演!

時は、平成も順調に歳を重ね、はや既に二十四年もの月日を通り越した、さつき(皐月・五月)の半ばの事でございます。パシッ!パシッ!

今年の春は異常気象とて体調もすぐれぬと申しておる‘初老の浪人’が一人。

ところは下総之国・茂原の里・字千沢と申す片田舎でございます。

この‘初老の浪人’こそ、本日の主人公、姓は丹下、名は左膳、おっと違った、姓と名を合わせて‘Kissy’さまと申すお方でございます。パシッ!パシッ!

この‘Kissy’殿、ここのところの不景気続きにて、諸般の事情許さずお抱え藩も契約期限が来たのを切れ目とし、‘すまじきものは宮仕え’とばかり、さっさと‘年金制度’を利用しての気楽な‘文筆生活’に切り替えたのでございます。パシッ!パシッ!

ただ、この御仁、専門は‘金属材料’と申しており、文筆生活は初めて・・・。まだまだ自分で書く小説とやらは、叙事文学や文字遊びの域を出ず‘近代文学’とやらは、向こうの向こうという段階でございます。それでも世間に少しは追いつくためにと何やら不可解な‘あちら式’の‘ブログ’と申す審査なしの勝手な文章に、下手をさらけ出しての挑戦でございます。パシッ!パシッ!

事件が勃発致したのは、そう、皐月半ばの初夏の‘日照り’がまばゆい午前九時過ぎの事でございました。

この先生、いつも‘旧式の写真機’を大事そうに抱え、事あるごとにシャッターを切っては、ご自分の‘ブログ’とやらに、これでもか、これでもかと一見して無意味と判る画像を載せまくっているのでございます。パシッ!パシッ!

    講釈師 見て来たような 嘘をつき

と申します。これから先は‘現代語’が判るわたくしめが続けさせて戴きやす!

(陰の声)

「ところで、一体あんた、誰?!」

「へっ! わたくしめは、これまで尤もらしいことを恥も外聞もなく繰っちゃべっておりやした、我が師匠・二流齋停能の一番弟子、これまた二流齋田舎周と申すケチな講釈師なんでございやす。今後ともご贔屓にお願い致しやす・・・。」

「そお、へ~。Kissy 殿の不連続写真の‘蟹力士の決闘’って見難いよ!大丈夫?」

「え?えっ!まあ、奴のブログ、いつも拝見していますんで・・・」

「えっ? 今、何て言いなすった? 田舎周さんとやら・・」

「‘奴’って、ことですかい? 実は、‘奴’とは‘尋常小学校’の時の同級生でござんして・・・」

「へ~っ!偉ぇこと聞いちまったナ、‘尋常小学校’?古いねェ!それじゃあ、何かい? 尋常小学校ってこたぁ、‘Kissy’さんってサ、初老じゃぁね~じゃね~か? えっ?」

「ええ、仰る通りで・・。‘奴’はいつもそうやって鯖をよんでいるンでごじぇやす! 頭が少々イカレておりやす関係上、‘実際’の歳より‘10歳’ほど若く見えるってことで・・・」

「それって、駄洒落かい?‘実際’と‘10歳’、えっ?」

「いやぁ~、よ~くお判りで・・・。とろで、旦那さんは、どちらのご出身で?」

「俺? 薩摩藩の・・、おっと、いけねェ~!俺のことはいいからサ、静止画写真講談やってよ!」

「判りやした、それでは、はっ!」

その日もその日、‘Kissy’殿は、赤目川という‘魚の赤目’のいない‘いんちきな’川に流れ込んでおりまする‘Kissy'殿が勝手に名前を付けた川、‘千沢川’を見て驚いたのでございます! な、なんと、待ちに待った‘蟹’殿が蠢いているではありませぬか! 例年なら、もう卯月(うづき・4月)の中の頃には、冬眠から醒めた川蟹が群れをなして現れるというのに今年の春は、何と寒暖の差が激しく蟹集団もまだまだ千沢川には姿を現さなかったのでございます。

‘Kissy'殿も、いまか、今かと蟹集団の現れるのを待ちわびていたのでございます! それが今日! 彼は取って返して、あの旧式の‘デジタル写真機’なるものを持ち出して来たのでございます。聞くところによりますと、何でも充電が利く乾電池なるものを購入してからは、毎日100枚以上の‘フォトグラフ’なるものを撮りまくっているという善からぬ風評もあるらしいとのことでございます。

さぁ~て、彼の喜びようと申せば、まるで徳川家康公の墓所、日光東照宮に参拝した時以上の笑顔でございます!

我が日本国では、折りしも‘大相撲夏場所’が、両国国技館で始まったばかりでございます。‘Kissy’殿の相撲好きは半端でなく、夕刻本チャンを見ておきながら、また深夜のBSTVを見逃さないという‘相撲オタク’と噂される御仁でございます。

ナント、冬眠から醒めた蟹同士が相撲で決着をつけようとの決闘シーンを写真機に収めたと得意満面だったのでございます!

それでは、‘千沢川の蟹力士の決闘’を‘デジタル静止画紙芝居’で、ごゆっくり、ど~ぞ!

‘怪説’は、撮影に成功を収めてご満悦のご本人様がしたくてしたくてうずうず状態でござりますれば、これはもうお任せするより他に手立てはござりませぬ!

画像ー132 001-2
2013年05月13日09:23:00
今年、この‘千沢川’のこの場所に出現したのは初めて! なに、たった一匹なの?!

画像ー132 001-3
09:23:00
この穴に‘冬眠’していたのだろうか? 真面目な話、蟹はどんなところで冬眠するのだろうか?そしてまた、蟹の寿命は何年くらい?? この一匹しかいないようだが、他の連中は何処に??

画像ー132 002-2
09:23:18
と、思ったら、20秒足らずで、ライバル登場!

画像ー132 003-2
09:23:24
蟹の里「おいおい、このアナ、俺んちなの。わかんね~のかョ!」

蟹の川「俺もサ、醒めてから何にも喰ってね~の!この穴はお前の寝床って知っているけどサ、何か喰うものない?」

蟹の里「ない!無い!な~んにもナイ!」

画像ー132 004-2
09:23:30
蟹の里「回り道したって駄目!」

蟹の川「そんなこと言わないでサ、何か恵んでちょうヨ!」

画像ー132 005-2
09:23:36
蟹の川「このケチ!一発やっか?!」

蟹の里「いいとも!」

という訳で、両国国技館ならず‘千沢川’の畔での‘相撲決闘’が始まったのでございます!(アッ! 俺まで変な口調がうつっちゃった!)

ズームインでど~ぞ!

画像ー132 005-3
09:23:36
手前が、穴の持ち主の蟹の里。

画像ー132 006-2
09:23:40
蟹の里が4秒の速攻で蟹の川を寄り切れるか?!

画像ー132 007-2
09:23:44
K「おや?寄り切らないって、どういうこと? ちょっと、一寸、何という名前の草花さんか知らないが、よく見えないよ、どいて、どいて!」

画像ー132 008-3
09:23:58
K「どうしたっていうのよ?!蟹の里さん! 何処へゆくのよ? あんたが負けたの? あの草花で見えなかった間に何か話し合ったっていう訳?」

画像ー132 008-4
09:23:58
蟹の里「えェ、え、そう、話し合い成立!」 

画像ー132 008-5
09:23:58
蟹の里「実は、え~と、あの穴、あ~、蟹の川関取の自宅だったンです!」

K「えっ!?‘あんたが借りてた’っていうの?」

蟹の里「え~え、まぁ、そんなことでごんす!」

K「それって、我々観客騙した訳?えっ?そうなの?」

蟹の里「え~っ!そんな蟹聞き(人間の‘人聞き’に当たる)の悪いこと勝手に言わないで下さいよ!みなさん、事の初めから見ておられました?そうじゃぁないでしょう!きっと・・・」

K「そりゃぁ、初めっから見ていた訳じゃぁね~が、へ~そんな事情があったって訳かい!な~るほど…。それにしても、あんたの顔サ、パンダの親戚みたいな顔してサ、何?嬉しがってンの?えっ??」

蟹の里「いやぁ~、そうなんです!話し合いの結果、あの穴はお返しすることになり、その代わり、私に‘蟹の川’関取が‘温泉宿一泊宿泊券’を呉れたんです!」

K「えっ?そりゃぁ、驚きだ!ところで、その宿泊券っての、見せてよ!」

蟹の里「それは、ご勘弁願います、でごんす!」

K「なぜ?」

蟹の里「これって、蟹社会の‘トップシークレット’でして、何時もご贔屓して下さる人間様にも教えてはなんね~‘掟’なんでごんす!」

K「いやぁ、これは失敬した!ごめん、ご免! じゃぁ、ゆっくり温泉へでも何処へでも行ってきなせ~!ご苦労さん」

蟹の里「あ、ありがとうござんすでごんす!また、ご贔屓に!」

画像ー132 009-2
09:24:04
ってな訳でして、蟹の里関取は、悠々と別れて行ったという顛末で・・・。

画像ー132 011-2
09:24:16
そんな訳で、二人の間は段々離れて行くって寸法でさぁ・・・

画像ー132 012-2
09:24:24
こちらが、穴を返して貰った蟹の川関取。

画像ー132 013-2
09:24:28
そして、こちらが悠々と温泉旅行に出発した蟹の里関取・・・。

画像ー132 014-2
09:24:36
‘こころ、浮き浮き’って、こんな状態?いいなぁ~!あの怒ったようなパンダの顔が少し崩れて来た感じ!

画像ー132 020-2
09:25:18
もうそろそろ温泉場じゃないのかな?

画像ー132 024-2
09:25:42
水場が見えて来た!ズームインで得意顔を!

画像ー132 025-2
09:25:46
さぁ~、やっと着きましたでごんすョ! ちょっと、ニコニコ顔で・・・。

画像ー132 026-2
09:25:50
それじゃぁ、お先に!

画像ー132 027-2
09:26:00
一寸、方向転換して・・・

画像ー132 029-2
09:26:10
K「蟹の里さん、方向転換って、なによ? それにサ、宿泊券見せたの?」

蟹の里「ええ、当然!自動検問装置をさっき通過しましたから・・。判りませんでした?人間様には見えないように仕組んであるってこってす!」

画像ー132 034-2
09:26:46
K「へえ~、何だか蟹社会の方が進んでいるみたい?? じゃあぁ、蟹の里さん、ごゆっくり!」

画像ー132 035-2
09:26:52
蟹の里「へえっ、有難うさんでごじぇえやす、でごんす!」

K「あいつ、何処の生まれ?<あいつ、‘会津’?>なまってやがる!」


さてさて、ここで第一巻の終わりにごじぇます、でごんす!(うつっちゃった!)

次回は、蟹の里さんの温泉場の様子と残った蟹の川関取の近況とここ‘千沢川’の蟹集団の‘若いもん’の動き、について・・・・。

先ずはお開きにござりまする~!

(つづく)

[2013/05/13 23:42] | 講談 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
そして、アジサイと額アジサイ
‘アジサイと額アジサイ’と、何故敢えてガクアジサイのガクをと表記したかいうと、ガクの意味が‘萼’ではなく‘額縁’の‘額’であることを意識するためである。この真意は引用解説で・・・。

先ずは‘アジサイ’から・・・。

(アジサイ)

ajisai^5
http://yakushimapain.seesaa.net/article/99443356.html
ヤクシマアジサイというらしい。ヤクシマアジサイは白っぽい薄い花びらだから、丸いアジサイとはまた違った感じ。屋久島の固有種で、低地の渓流沿いに多いとか。

gazo-ajisai3.jpg
http://ys2001hp.web.fc2.com/yougo-aa_ajisai.html
紫陽花(a hydrangea)あじさい、しようか : 四葩(よひら)。手毬花。花色が淡空色・青紫色・淡紅色と、さまざまに変化するので七変化(しちへんげ)とも呼ばれる。6月15日の誕生花。花言葉は、花の色が七変化することからの「移り気」のほか、「いばりや」「無情」「あなたは冷たい」「あなたに会いたい」などがある。

<我が家のアジサイ> (2012年07月01日)
  
① 赤色アジサイの成長過程

画像ー14 070-2

画像ー14 080-2

画像ー14 078-2

画像ー14 079-2

画像ー14 085-2

② 青色アジサイの成長過程

画像ー14 062-2

画像ー14 076-2

画像ー14 082-2

画像ー14 083-2

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82
%A2%E3%82%B8%E3%82%B5%E3%82%A4

アジサイ(紫陽花、学名 Hydrangea)は、最も広義にはアジサイ科アジサイ属の植物の総称である[1]。
あるいは狭義にはその1種 Hydrangea macrophilla[1]、あるいは最も狭義には、その変種[2][3][4]もしくはフォーム[5]のことであるが、ここでは属について述べる。
学名は「水の容器」という意味で、そのまま「ヒドランジア」あるいは「ハイドランジア」ということもある。また、英語では「ハイドレインジャ」と呼ぶ。

最も一般的に植えられている球状のアジサイはセイヨウアジサイ(ヒメアジサイ・テマリ咲きアジサイは別)であり、日本原産のガクアジサイ(Hydrangea macrophylla)を改良した品種である。

名称 [編集]

アジサイの語源ははっきりしないが、最古の和歌集『万葉集』では「味狭藍」「安治佐為」、平安時代の辞典『和名類聚抄』では「阿豆佐為」の字をあてて書かれている[6]。もっとも有力とされているのは、「藍色が集まったもの」を意味する「あづさい(集真藍)」がなまったものとする説である[6]。そのほか、「味」は評価を[注 1]、「狭藍」は花の色を示すという谷川士清の説、「集まって咲くもの」とする山本章夫の説(『万葉古今動植物正名』)、「厚咲き」が転じたものであるという貝原益軒の説がある[6]。
花の色がよく変わることから、「七変化」「八仙花」とも呼ばれる[7][8]。
日本語で漢字表記に用いられる「紫陽花」は唐の詩人・白居易が別の花に名付けたもので、平安時代の学者・源順がこの漢字をあてはめたことから誤って広まったといわれている[9]。草冠の下に「便」を置いた字が『新撰字鏡』にはみられ、「安知佐井」のほか「止毛久佐」の字があてられている。アジサイ研究家の山本武臣は、アジサイの葉が便所で使われる地域のあることから、止毛久佐は普通トモクサと読むが、シモクサとも読むことができると指摘している[10]。また『言塵集』にはアジサイの別名として「またぶりぐさ」が挙げられている[10]。
学名の Hydrangea はギリシア語の ὕδρο[注 2](水)と ανγειον[注 3](容器)に由来する[11]。果実の形によるという説もある[11]。
フィリベール・コメルソンとジャン=バティスト・ラマルクは、モーリシャスで栽培されていた植物を Hortensia oploides と命名し[11][12]、フランス語や英語、西ヨーロッパの言語では「ホルテンシア (hortensia)」 とも呼ばれる。これはオルタンス (Hortanse) という実在の女性の名をとったものである[12]。アントワーヌ・ローラン・ド・ジュシューが著書でそのことを発表したが[11]、誰のことであるかは明らかにされていなかった。コメルソンがブーゲンビル島への航海に男装させ同行させたジャンヌ・バレという娘であるとか、オルタンス王女であるとか、当時有名であった時計や実験器具の製作者の妻、ニコール=レイヌ・ルポートの別名であるとかの説があり[13]、有力であるとされるのは[14]、コメルソンに協力したナッサウ=ジーゲン公爵家の娘であるというものである。
また、シーボルトはアジサイの一種に自分の妻「おタキさん」の名をとって Hydrangea otaksa と命名し、物議をかもしたことが知られている[15][16]。

特徴 [編集]

樹高は1–2メートル。葉は光沢のある淡緑色で葉脈のはっきりした卵形で、周囲は鋸歯状。6月から7月に紫(赤紫から青紫)の花を咲かせる。一般に花といわれている部分は装飾花で、おしべとめしべが退化しており(中性花)、花びらに見えるものは萼(がく)である。ガクアジサイでは密集した両性花の周囲にいくつかの装飾花がみられるが、セイヨウアジサイではほとんどが装飾花となっている。また、装飾花の欠如した変異もある(ガクアジサイ「三河千鳥」など)。

花の色 [編集]

花(萼)の色はアントシアニンという色素によるもので、アジサイにはその一種のデルフィニジンが含まれている。これに補助色素(助色素)とアルミニウムのイオンが加わると、青色の花となる[17]。

土壌のpH(酸性度)によって花の色が変わり、一般に「酸性ならば青、アルカリ性ならば赤」といわれている。

<注>:通常のフェノールフタレイン反応の‘色’と同じと思っていていい!

フェノールフタレイン反応
http://www.caiks.com/rika/rika07.htm

これは、アルミニウムが根から吸収されやすいイオンの形になるかどうかに、pHが影響するためである。すなわち、土壌が酸性だとアルミニウムが溶け出し、吸収されて花が青色となる。逆に中性やアルカリ性であれば、アルミニウムは溶け出さず吸収されないため、花は赤色となる[18]。したがって、花を青色にしたい場合は、酸性の肥料や、アルミニウムを含むミョウバンを与えればよい[19]。同じ株でも部分によって花の色が違うのは、根から送られてくるアルミニウムの量に差があるためである[20]。花(萼)1グラムあたりに含まれるアルミニウムの量が、およそ40マイクログラム以上だと青色になると見積もられている[21]。品種によっては遺伝的な要素で花が青色にならないものもある。これは補助色素が原因であり、もともと量が少ない品種や、効果を阻害する成分を持つ品種は、アルミニウムを吸収しても青色にはなりにくい[22]。

また、開花から日を経るに従って、花の色は変化する[23]。最初は含まれる葉緑素のため薄い黄緑色で、徐々に分解されていくとともにアントシアニンや補助色素が生合成され、赤や青に色づいていく[23]。さらに日が経つと有機酸が蓄積されてゆくため、青色の花も赤味を帯びるようになる[注 4]。これは花の老化によるものであり、土壌の変化とは関係なく起こる[25]。

花の色が緑になることがあり、観賞用として緑の花が販売されることもある。花が緑色の品種もあるが、日本ではファイトプラズマ感染による「アジサイ葉化病」にかかったものも稀にみられる[26][27]。この病気の治療法は知られておらず、感染拡大を避けるため発病株は処分したほうがよいとされる[26]。

シーボルトとあじさいと牧野富太郎 [編集]

鎖国時代に長崎にオランダ商館員の一員として日本に渡来し、オランダ人と偽って出島に滞在し医療と博物学的研究に従事したドイツ人医師にして博物学者シーボルトは、オランダに帰還してから植物学者のツッカリニと共著で『日本植物誌』を著した際にアジサイ属 14 種を新種記載している。その中で花序全体が装飾花になる園芸品種のアジサイを Hydrangea otaksa Siebold et Zuccarini と命名している。しかしこれはすでにカール・ツンベルクによって記載されていた H. macrophylla (Thunberg) Seringe var. macrophylla のシノニム(同一種)とみなされ、植物学上有効名ではない。にもかかわらず、牧野富太郎が自著の各種植物図鑑において Hydrangea macrophylla Seringe var. otaksa Makino の学名を用い種の記載者が Seringe で変種の記載者が牧野自身であるとする事実と異なる処置を行っていることから、一部の植物学書であたかも H. otaksa が植物学的な有効名であるかのような誤解が広まってしまっている。

牧野は上記の植物学的に不可解な処置と矛盾する言動をまた、著書の中で行っている。シーボルトは自著の中で otaksa をアジサイが日本で「オタクサ」と呼ばれていると命名の由来を説明しているが、牧野は日本国内でこの呼称が確認できなかったことからシーボルトの愛妾の楠本滝(お滝さん)の名を潜ませたと推測し、美しい花に花柳界の女性の名をつけたとして強く非難している。

牧野のこの推測によって「オタクサ」の名はシーボルトとお滝さんのロマンスをイメージさせて文人作家の創作意欲を刺激し、詩歌にこの名を詠み込むことなどが盛んに行われている。


なお、この‘シーボルト’が本当に‘お滝さん’の名前を付けたのなら‘オタクサ’とはせず‘オタキクサ’にしたに違いない!‘オタ’は、‘お滝さん’の‘オタ’ではない!とする御意見をお持ちの方もおられる。

大発見!シーボルトのアジサイ=オタクサ=お滝さん説は思い込みのウソ
http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/55094979.html

(額アジサイ)

gakuajisai.jpg
http://taichiroo.cocolog-nifty.com/blog/2012/week25/index.html

E.アジサイup02-ガクアジサイ@三好公園
http://blog.m3.com/ETR/200906?page=3
ガクアジサイ(額あじさい)@三好公園
見ていて飽きない。^^;
「ガクアジサイ」・・・日本原産。いわゆるセイヨウアジサイの原種。まわりの花びら(萼)には雄しべも雌しべもない。よく見るあじさいはこの部分を自然交配で増やしたものらしい。

<我が家の額アジサイ> (2012年07月01日)

額アジサイの成長過程

画像ー14 064-2

画像ー14 074-2

画像ー14 075-2

画像ー14 065-2


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E
3%82%B8%E3%82%B5%E3%82%A4

ガクアジサイ H. macrophylla (Thunberg) Seringe - 房総半島、三浦半島、伊豆半島、伊豆諸島、足摺岬で海岸に自生する[36][37]。このためハマアジサイとも呼ばれる[37]。高さは2メートル程度だが[36]、4メートルに達することもある[32]。花序は多数の両性花を中心として、装飾花が周りを縁取る[36]。名称の「ガク」はこのさまを額縁になぞらえたものである[37]。花序は直径12–18センチ、装飾花は直径3–6センチで色は白色・青色・淡青緑色・または淡赤紫色[36]、両性花は濃紫色である[37]。葉は厚く、大きく(長さ10–18センチ[36])、種小名 macro (大きい) pyllus (葉)の由来となっている[37]。葉の表面は濃緑色で光沢がある[36]。栽培品種に ‘花火’、‘城ヶ崎’ などがある[38]。



両者の比較等で判ったこと:

① 極く一般的に見る‘アジサイ’は、‘セイヨウアジサイ’で、日本原産の‘額アジサイ’が原種。

② 土壌のpH(酸性度)によって花の色が変わり、一般に「酸性ならば、‘青’。アルカリ性ならば、‘赤’」

③ したがって、花を青色にしたい場合は、酸性の肥料や、アルミニウムを含むミョウバンを与えればよい

(つづく)今年の6~7月には、我が家のアジサイ&額アジサイをもう少し注意深く観察して見たい。
[2013/05/12 01:56] | 園芸 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
コデマリ、オオデマリ、アナベル、そしてアジサイ
昨日(2013年05月10日)の弊ブログに以下の記事を載せた。

『散歩の楽しみ(その2):草花』
http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-521.html

これは‘草’というのだろうか? それとも‘木’? このブログの最後の引用資料によると、どうやらこれは‘木’!

ただ、何という木 なのかは知らないのだが・・・



画像ー130 045-2
2013年05月08日17:40 
もう盛りは過ぎていて、花弁が落ちてしまっている部分が目立つが、またそれも一興!

画像ー130 047-2
17:40 花と花落ちの後の萼(がく)との微妙な‘コラボレーション’!いいねぇ!

画像ー130 047-4
17:40 これ、もう少し花が大きかったら、ソメイヨシノにそんなに見劣りしない!

画像ー115 074-2
2013年03月26日11:54 東京・千鳥ケ淵のソメイヨシノ(ケは、小文字の‘ヶ’ではなく大文字の‘ケ’だそうだ!)

早々に‘Aさん’からメールを頂戴し、そのメールには、「これは、‘コデマリ’(バラ科)です」と書かれてあった。

有難いことである。それにしても情けない! コデマリという花の名前を聞いて知ってはいたのだが、これが‘コデマリ’だとは気付かないというほとんど‘無知’を証明したようなものだったのである!

‘コデマリ’というからには‘オオデマリ’があるに違いない、というより‘オオデマリ’があることは知っている。
では、‘コデマリ’と‘オオデマリ’とは、どういう風に違うのだろうか?ということが気になり出した。

<コデマリとオオデマリの違い>、そして・・・

(コデマリ)

kodemari.jpeg
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/BotanicalGarden-F.html

kodemari3.jpeg
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/BotanicalGarden-F.html

kodemari2.jpeg
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/BotanicalGarden-F.html

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%87%E3%83%9E%E3%83%AA
コデマリ(小手毬、学名:Spiraea cantoniensis)とは、バラ科シモツケ属の落葉低木。別名、スズカケ。中国(中南部)原産で、日本では帰化植物。

特徴 [編集]

落葉低木で、高さは1.5mになる。枝は細く、先は枝垂れる。葉は互生し、葉先は鋭頭で、形はひし状狭卵形になる。春に白の小花を集団で咲かせる。この集団は小さな手毬のように見え、これが名前の由来となっている。日本では、よく庭木として植えられている。


(オオデマリ)

oodemari.jpeg
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/BotanicalGarden-F.html

oodemari2.jpeg
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/BotanicalGarden-F.html


オオデマリ (大手毬, 学名:Viburnum plicatum var. plicatum f. plicatum) はスイカズラ科の植物の一種。別名テマリバナ。
日本原産のヤブデマリ(V. plicatum var.tomentosum)の園芸品種である(ただし学名上はこちらが基本種扱いで、原種のヤブデマリは変種扱い。これはViburnum plicatumという種がオオデマリを基準標本として記載されたため)。花期は5月頃で、アジサイのような白い装飾花(近年はピンクのものもある)を多数咲かせる。
原種は花序の周辺にだけ装飾花をつけるものだが、品種改良によって花序の花すべてが装飾花となったものである。このような変化は、アジサイと並行的である。



ここまでの結論:

① 私の撮った写真は、‘Aさん’ご指摘の通り、‘コデマリ’である。

②‘コデマリ’と言うのなら‘オオデマリ’。その違いは、
  
   (a)名前の通り、‘花の塊(テマリ=手毬)’の大きさが違う。
   (b)コデマリ :バラ科・シモツケ属
     オオデマリ:スイカズラ科・ガマズミ属


③ 花弁(はなびら)の形状及び‘開き方’が、違う。ズームインして見ると、一目瞭然!


オオデマリのズームイン画像を見ると、これは‘アジサイ’である!?と思われるのだが・・、どんな違いが??

‘オオデマリとよく似た花’を探してみると勿論‘アジサイ’が出て来るが、アジサイの中でも‘アジサイ・アナベル’というど素人には、‘オオデマリ’と‘アジサイ’の‘中間 or 合いの子’的存在とも思われる様な花がある。

それが、

(アジサイ・アナベル)

Annabelle4.jpeg
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/BotanicalGarden-F.html

Annabelle.jpeg
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/BotanicalGarden-F.html

Annabelle2.jpeg
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/BotanicalGarden-F.html

Annabelle3.jpeg
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/BotanicalGarden-F.html

anaberu^2
http://www.rakuten.co.jp/engei2/

anaberu^3
http://ameblo.jp/nkiyo/entry-10110039012.html

(アジサイ)

Ajisai3.jpeg
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/BotanicalGarden-F.html

ajisai-2.jpg

http://blog.goo.ne.jp/itadoriajisai/e/9d46fd3a1aa05e6445f37217dfd6d4a3
もともとは、「あずさい」と呼ばれていて
「あず」は「集まる」、
「さ」は真、
「い」は「藍(藍色)」の省略形・・・
つまり、「真の藍色が集まっている花」という意味合いです


ajjisa-4.jpg
http://ameblo.jp/ikema3/entry-10278961446.html

これらの引用文献から、コデマリから始まってアジサイまでの花がそれぞれ特徴は持ったものの、お互いに遠目・近目で似たり寄ったりであることも少しは判って来た!

‘道の草探訪’から、とんだ‘道草’になってしまったが、これが知識を増やすのには丁~度良い!

次回は、アジサイと額アジサイへ、また‘道草’を! ‘Aさん’有難うございました。

(つづく)

[2013/05/11 03:34] | 園芸 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
散歩の楽しみ(その2):草花
2013年05月08日の‘散歩の出だし’の状況は昨日のブログに書きしたためた。

散歩の楽しみ(その1):嬉しい‘珍客’?
http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-520.html

そう、その日の散歩の目的は、<‘散歩道の草花’をよ~く見てみよう!>ということだったのであるが、赤目川の土手に上がった瞬間から‘嬉しい’予定変更となったのである。でもこれも‘道草’と思えば目的に適っている!?

と言う訳で、その後は予定通り、本当の‘道の草’を見てみることにした。勿論、それ以外にも面白い観察対象が出てくれば、直ぐに切り替える積りではあるが・・・。


これは‘草’というのだろうか? それとも‘木’? このブログの最後の引用資料によると、どうやらこれは‘木’!

ただ、何と言う木 なのかは知らないのだが・・・

画像ー130 045-2
2013年05月08日17:40 
もう盛りは過ぎていて、花弁が落ちてしまっている部分が目立つが、またそれも一興!

画像ー130 047-2
17:40 花と花落ちの後の萼(がく)との微妙な‘コラボレーション’!いいねぇ!

画像ー130 047-4
17:40 これ、もう少し花が大きかったら、ソメイヨシノにそんなに見劣りしない!

画像ー115 074-2
2013年03月26日11:54 東京・千鳥ケ淵のソメイヨシノ(ケは、小文字の‘ヶ’ではなく大文字の‘ケ’だそうだ!)

次に目に止まったのは、前にもこのブログに書かせて貰ったのだが、‘ハルジオン’(と言うらしい!)

小さいが故に・・・』を参照のこと。
http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-519.html

画像ー130 050-2
17:43 ハルジオンー1

画像ー130 050-3
17:43 ハルジオンー1

画像ー130 050-4
17:43 ハルジオンー1

画像ー130 051-2
17:43 ハルジオンー2

画像ー130 051-3
17:43 ハルジオンー2

やっぱり、気になり出した! 上の写真を、‘ハルジオンー1’と‘ハルジオンー2’という名前にしたのだが、何となくどちらかが‘ハルジオン’ではないのではないかと気になり出したのである。

知っている人にしてみれば、草花の写真を撮っている、と言いながら‘こんなことも知らないのか!’と言われそうだが、知らないのである。

まあ、勉強、勉強という訳で、例の如くに‘WEB'で調べてみると、‘ハルジオン’に最もよく似ているのが‘ヒメジョオン’という同じ‘キク科ムカシヨモギ属’の草であるという。

さて、上記の‘ハルジオンー1’と‘ハルジオンー2’の内、どちらかが‘ヒメジョオン’なのだろうか?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%
AB%E3%82%B8%E3%82%AA%E3%83%B3

ハルジオン(春紫菀、学名:Erigeron philadelphicus)は、キク科ムカシヨモギ属の植物。ヒメジョオンと共に、道端でよく見かける。花言葉は「追想の愛」。

概説 [編集]

多年草で、背の高さが30-80cmくらいになる。
根元には篦型の根出葉があり、花の時期にも残ることが多い。葉と茎は黄緑色で、まばらに毛が生える。茎はあまり枝分かれせずに伸び、先の方で何回か枝分かれして、花をつける。花はヒメジョオンと同じく、細い舌状花を持つヒマワリのような花だが、白とピンクのものがある。また、ヒメジョオンより一回り花が大きい。花の時期は4月-5月頃でヒメジョオンよりも早い。一部の地域では「貧乏草」と呼ばれ、「折ったり、摘んだりすると貧乏になってしまう」と言われている。
北アメリカ原産の帰化植物で、大正時代の中頃に観賞用として日本に入ったと言われている。現在ではほぼ日本全国に分布し、都会を中心に見られる。日本生態学会によって日本の侵略的外来種ワースト100に選定されている。

名前の由来 [編集]

「ハルジオン」を漢字に直すと「春紫菀」となる。「春に咲く、キク科のシオン(紫菀)」という意味。

また、標準和名はハルジオンであるが、同類のヒメジョオンと混同して、ハルジョオンと呼ぶ間違いが見られる。見た目が非常に似ている上に、名前も紛らわしい。同じように、「ヒメジョオン」を「ヒメジオン」と呼ぶ間違いも見られる

ヒメジョオンとの見分け方 [編集]

ハルジオンとヒメジョオンは、花がよく似ていて混同してしまうことがある。

標準的には、

① ヒメジョオンの方が背が高く、花は小さくて数が多く、根本がすっきりしている。これに対して、ハルジオンは、背は低く、花は大きくて少なく、根本に葉がある。また、

② ハルジオンの蕾は下を向いて項垂れているような特徴がある。

従って、しっかりと比べて見れば、はっきりと見分けがつく。

分かりにくい場合は、茎を折ってみるとよい。

③ ヒメジョオンの茎には空洞がないが、ハルジオンの茎には真ん中に空洞がある。

葉の付き方も違い、

④ ヒメジョオンの葉は茎を抱かないが、ハルジオンは茎を抱くように付く

最近では、デジタルカメラで花をマクロで撮る人が増え、花だけを拡大して写すことがよくある。そのような花だけの写真では、この両者の区別がとても難しい。標準的な花では、ハルジオンはヒメジョオンより花が一回り大きく、舌状花の数も多いので、見分けられるが、判断が難しい場合もある。
なお、ハルジオンとヒメジョオン以外にも、近縁のものがあるので、注意が必要。
また、花弁の白い部分がやや紫がかる個体が見られることもあるが、これは清浄な空気の中で育った時にできるものである。



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%
A1%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%82%AA%E3%83%B3


ヒメジョオン(姫女菀、学名: Erigeron annuus)は、キク科ムカシヨモギ属の植物。背の高さが50-100cmにもなる、白い花を咲かせる一年草である[2]。同属のハルジオンと共に、道端でよく見かける雑草である。

若い時期は、根本から長い柄のついた丸みを帯びた葉(根出葉)を付ける。やがて、茎が高く伸びると、根本の葉は無くなり、茎から出る細長い葉だけになる。茎と葉は黄緑色で、まばらに毛が生える。
茎は初めは枝分かれせず、先の方で数回の枝分かれをして、白か薄紫の花を咲かせる。花はヒマワリのような形だが、周りの花弁がとても細い。また、ヒメジョオンの花に見えるものは頭状花序で、小さな花の集まりである。中央の黄色い部分は、管状花といい、周辺の花びらのようなものは、舌状花という。花の時期は初夏から秋にかけての5-8月である[2]。また、花弁の白い部分がやや紫がかる個体が見られることもあるが、これは清浄な空気の中で育った時にできるものである。
1個体あたり47,000以上の種子を生産し、さらにその種子の寿命が35年と長いこともあり、驚異的な繁殖能力をもっている[2]。したがって、駆除がとても難しい。

近縁種との見分け方 [編集]

ヒメジョオンとハルジオンは、花がよく似ていて混同されることがある。標準的には、ヒメジョオンの方が背が高く、花は小さくて数が多く、根本がすっきりしている。これに対して、ハルジオンは、背は低く、花は大きくて少なく、根本に葉がある。また、ハルジオンの蕾は下を向いて項垂れているような特徴がある。従って、しっかりと比べて見れば、はっきりと見分けがつく。分かりにくい場合は、茎を折ってみるとよい。ヒメジョオンの茎には空洞がないが、ハルジオンの茎には真ん中に空洞がある[2]。葉の付き方も違い、ヒメジョオンの葉は茎を抱かないが、ハルジオンは茎を抱くように付く[2]。
最近では、デジタルカメラで花をマクロで撮る人が増え、花だけを拡大して写すことがよくある。そのような花だけの写真では、この両者の区別がとても難しい。標準的な花では、ヒメジョオンはハルジオンより花が一回り小さく、舌状花の数も少ないので、見分けられるが、判断が難しい場合もある。
なお、ヒメジョオンとハルジオン以外にも、ヘラバヒメジョオンなど近縁のものがあるので、注意が必要。

分布・生育地 [編集]

北アメリカ原産[3]で、ヨーロッパ、アジア(日本を含む)に移入分布する[4]。
日本には1865年頃に観葉植物として導入され、明治時代には雑草となっていた[3]。現在では全国に広がり、山間部にも入り込んでいる。在来種の植物の生育を邪魔する可能性があり、とくに自然豊かで希少な植物が多く生育する国立公園や亜高山帯では問題となる[3]。そのため、ヒメジョオンは、ハルジオンとともに要注意外来生物に指定されているほか、日本の侵略的外来種ワースト100にも選定されている[3]。

人間との関わり [編集]

ヒメジョオンは漢字に直すと「姫女菀」となる。「姫」は「小さい」、「女菀」は「中国産の野草」を表す。小さいシオン(紫菀)の一種であり、別種のヒメシオンと区別するために「ヒメジョオン」という名前が付いたという説もある。また、標準和名はヒメジョオンであるが、同類のハルジオンと混同して、「ヒメジオン」と呼ぶ間違いがみられる。見た目が非常に似ている上に、名前も紛らわしいので、注意が必要。同じように、「ハルジオン」を「ハルジョオン」と呼ぶ間違いもみられる。
日本に入ってきた当初は、「柳葉姫菊(やなぎばひめぎく)」と呼ばれたり[2]、鉄道の線路沿いに広がったことから「鉄道草(てつどうぐさ)」と呼ばれたりした。


ここに記載の二つの引用資料を見た限りでは、どちらの画像も‘蕾が下を向いて項垂れている’ことから判断すると、どうやら

‘ハルジオンー1’も‘ハルジオンー2’もどちらも‘ハルジオン’である可能性が高い!

ど素人の私が気になっていた最大の理由は、花の‘色’だったのであるが、上記引用資料にある通り、ハルジオンには、‘白とピンク’があるという事だから、花の‘色’で区別は付けようがないらしい。

そこで、WEBから、‘高画質’で特徴を捕えた画像を拝借して二つの違いを次に示す。

<ハルジオン>

harujion_hana2.jpg
http://www.fukuoka-edu.ac.jp/~fukuhara/keitai/himejoon.html
① ハルジオンは、背は低く、花は大きくて少なく、根本に葉がある。② ハルジオンの蕾は下を向いて項垂れているような特徴がある。

harujion_hana1.jpg
http://www.fukuoka-edu.ac.jp/~fukuhara/keitai/himejoon.html
① ハルジオンは、背は低く、花は大きくて少ない。② ハルジオンの蕾は下を向いて項垂れているような特徴がある。

harujion_kuki_ts.jpg
http://www.fukuoka-edu.ac.jp/~fukuhara/keitai/himejoon.html
③ ハルジオンの茎には真ん中に空洞がある。



<ヒメジョオン>

himejoon_hana1.jpg
http://www.fukuoka-edu.ac.jp/~fukuhara/keitai/himejoon.html
① ヒメジョオンの方が背が高く、花は小さくて数が多く、根本がすっきりしていて、葉が無い!

himejoon_hana2.jpg
http://www.fukuoka-edu.ac.jp/~fukuhara/keitai/himejoon.html
② 蕾が垂れ下がっていない

himejoon_kuki_ts1.jpg
http://www.fukuoka-edu.ac.jp/~fukuhara/keitai/himejoon.html
③ ヒメジョオンの茎には空洞がない。

どちらも単に‘雑草’だと思っていたが、こんなに深く観察され、こんなにも‘高画質の画像’が提供されていたのである。脱帽!!

今度出会ったら、根元を確かめ‘葉の多少’を観察して見ると同時に、彼等には残酷だが‘茎’を折ってみて、どちらかを判断して見たい!

ただし、‘ハルジオン’か‘ヒメジョオン’かの区別が付いたところで、「それがどうした?」と言われれば今のところ返す言葉が無い!

無駄に植物の‘茎’を折ることもあるまい!

そして、雑草、雑草と余り‘卑下した(?)ような’言葉は使わない方がいい。「雑草という草はない!」と昭和天皇陛下に怒られそうだから・・・。

http://www.pref.shizuoka.jp/bunka/bk-130a/kusayanagi/message50.html
<前略>

昭和天皇のお人柄と、「命」の大切さに触れるエピソードをご紹介しましょう。

天皇がお住まいになっている御座所の前のお庭一体のことを『広芝』といいます。その広芝にキジやコジュケイが盛んに来て、とても楽しい風景になるんだそうですが、いろいろな植栽があって広々としているものですから、草の種が飛んできて夏になると草がボーボーになるらしいのです。

ちょうど、両陛下は夏休みは那須の御用邸か下田にいらっしゃって、秋口にお帰りになる。お帰りになって草がたくさん茂っていたらお見苦しいだろうと、侍従たちは、その草を刈ることにしました。

しかし戦後のことで人手が足りなくて、間に合わなかったのですね。陛下がお帰りになった時に、入江さんが「真に恐れ入りますが、雑草が生い茂っておりまして随分手を尽くしたのですがこれだけ残ってしまいました。いずれきれいに致しますから」とお詫びをしました。

すると陛下は、かつてお見せになったことがないほどのキツイ目をきらりとされて、「何を言っているんでしょう。雑草という草はないんですよ。どの草にも名前はあるんです。そしてどの植物にも名前があって、それぞれ自分の好きな場所を選んで生を営んでいるんです。人間の一方的な考えで、これを切って掃除してはいけませんよ」とおっしゃったというんですね。

<後略>


この章の終りに、何時も話題になる‘草と木’の違いについての解説を・・・。
<草と木の違いについて>

http://www.jspp.org/cgi-bin/17hiroba/question_search.cgi
?stage=temp_search_ques_detail&an_id=126&category=mokuji


質問:草にもリグニンは含まれるのですか? 登録番号: 0980
2006-08-16
草と木の違いについて調べています。教えてください。
草と木の大きな違いのひとつにリグニンが多く含まれていることが言われますが、
草にもリグニンは含まれているのですか?
また、木でも葉や樹皮にはリグニンがないと考えてもいいのですか?
ヨシやゴボウは木に似ていますが、リグニンは含まれていないのですか?
会社員
さと

回答
さと様

樹木代謝化学がご専門で、循環型社会に不可欠な再生可能資源である木質を代謝工学的に研究されている京都大学生存圏研究所の梅澤俊明先生に回答をお願いしました。

河内 孝之(植物生理学会広報委員、京都大学)

1)木と草の違いは

木は、地上部が枯れず、冬越しをして地上部が毎年太る(幹の直径方向に肥大成長する)ものです。専門的には、維管束形成層が毎年分裂して二次肥大成長するものということになります。一方、草は、地上部が枯れ、年毎に太ることが出来ないもの、すなわち、維管束形成層の年毎の分裂による二次肥大成長が認められないものです。なお、タケは樹木ではなく草ですが、樹木図鑑には載せていることが通例です。ただ、木と草の違いは厳密には定義できず、余りこだわることは、本質的な意味はありません。たとえば、ナスは、日本では地上部が冬越しできず、草ということになりますが、熱帯地域では、地上部が枯れず多年に亘り太るといわれており、木ということになります。

2)木と草の違いとリグニンの関係
一般的に草のリグニン含量は木より少ないといわれておりますが、本質的に、木と草の違いとリグニン含量の多少には関係はありません。草にもリグニンは必ず含まれています。したがって、ヨシにもゴボウにもリグニンは含まれています。専門的には、維管束植物はすべてリグニンを合成します。

3)葉と樹皮のリグニン
葉にも樹皮にもリグニンは存在します。樹皮の内側の丸太の部分(これを二次木部といいます)に比べると、含量は少ないですが、葉や樹皮にもリグニンは存在します。葉や樹皮を構成する細胞のすべてにリグニンが存在するわけではありませんが、葉や樹皮の細胞のあるものにはリグニンが沈着しています。

梅澤 俊明(京都大学生存圏研究所)
2006-08-23
京都大学生存圏研究所
梅澤 俊明


(つづく)
[2013/05/10 00:03] | 旅行・散策 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
散歩の楽しみ(その1):嬉しい‘珍客’?
人間は勝手なもので、己の好きなように行動しているようであるが、実は知らず知らずのうちに次のようにコントロールされるように出来ている。つまり、

① 環境には直ぐに慣れるように出来ている

② 慣れるが、また直ぐに飽きるように出来ている

環境に直ぐに慣れないと色々面倒なことが起こるから、多分その環境を‘取り入れて、これが普通だよ!’と自分に言い聞かせるようになっていて、しかもそれを自分が受け入れるようになっている。

これも長年の経験から、恐らく‘DNA’に変化が起こり、今人間皆が獲得している状態になったと考えられる。

何のことかと思われる人も多いと思うが、環境に慣れるのに通常そう時間はかからない!私の経験では、ほんの数分もあればよい。

20100717_1086877.jpg
http://blog.gakugo.com/?eid=50

例えば、電車の一番目の車両に乗って、それも運転席との仕切りのガラスドアに向かって立つと、外の景色が見える。 この両脇に流れて行く外の景色をじっと見つめていると、次の駅に着いた時‘不思議な’現象が起こる。

電車は止まっているのに、景色が‘前方に進む’様に感じるのである!

電車が動いている時には、後方へ流れ去っていく景色を、実は‘止まった静止画’として、多分‘心の安定’を保つために脳がその操作をしているのである。だから、電車が止まった時に、脳の働きは‘その操作’を咄嗟には止めないから、ほんの数秒間だけ‘外の景色’が‘前方へ流れる’と感じるのである。

脳が、その操作を指令して、同じ脳がそれを受け取る。実に不思議なことなのであるが、実は指令を出す場所と受け取る場所が違っているから不都合は起こらない。つまり、人間の‘脳’にはその場所、場所によって機能が違うから、問題は起こらないのである。

此の事を知っていると、自分に‘積極的に’暗示をかけることが出来る。

「同じところをいつも散歩していてよく飽きませんね?」と言われる事があるが、暗示をかけているから「飽きません!」と言い切ることが出来る。

具体的には、どうするか?

散歩に出る時に、「今日行くところは初めてのところで、今日は道端の草を見に行く」という暗示を自分にかけると同じ散歩道が同じに見えずに‘全く新鮮な散歩道’となってしまう。

具体的には、いつやるか? 今でしょう! という訳で‘今日は草花を見てやるぞ!’と思って散歩に出かけた。

ところが、ところがである! いつもの千葉県茂原市千沢の赤目川の土手に上がった時、‘黄色い’声に足が止まった!

「どこへ行くのよ?」という。ご近所の‘Sさん’ちの坊や達二人 が我々の方へ走って来た!

画像ー130 017-2
2013年05月08日17:19 赤目川の土手ってこんなもの! この画像の家(Sさんち)のそばから小さい小さい人影が二つ見える!

画像ー130 018-2
17:19 手前がお兄ちゃんのJ君。後ろが弟のN君。

画像ー130 020-2
17:20 「オタマジャクシだゾ」と言って見せてくれた。「どうするの?」と聞いてみた。「水を換えてやるの」という。「どうやって?」「川の水でないといけないから・・」「なるほど。でも、子供が勝手に川の縁へ下りて行っては駄目だよ!」「平気だよ!僕泳げるもん!」これには参った! あぶない、危ない!プールで泳げるから川に落ちても泳げるものと思っているのだ。

画像ー130 021-2
17:20 「N君は、何歳ですか?」「3さ~い、だよ!」と言って、写真のようなポーズを取ってくれた。

画像ー130 023-2
17:21 「今度から、子供だけで川の縁への階段を下りてはだめだぞ!今日はこのおじさんが付いて行ってあげるから・・」そんな約束をさせて後ろから付いて行った。でも本当はこんな経験を許してはならないのだろう。私が後から付いて行くのではなく先に行かねばならなかった!と反省。勿論、あとで‘Sさん’ちへ行ってこの事はお母さんに報告をする積りで・・・。

画像ー130 024-2
17:22 満足して嬉しそうな顔をしている。お兄ちゃんのJ君は6歳で、ピッカピカの一年生である。もうメガネをかけている。実はこのJ君、色々なことをよ~く知っている。「宇宙って、星が何億もあってさ、そこに行くには・・・。おじさん知らないの?」と言われて驚いたことがある。まだ1年生になる前のことだった。

我々にも‘その頃’はあったのだが、その当時、‘宇宙がどうなっている’なんてことは考えたこともなかった。私が1年生と言えば、昭和21年であるから、勉強どころではなかった。毎日空腹だったのである。多分、今から思えば、このJ君の知識は、我々の時代では小学6年生でも持っていなかっただろうと思えるくらいで、‘博学’なのである!

画像ー130 024-3
17:22 なるほど、入れ換える前と比較して見ると水が少し綺麗になっている。

画像ー130 030-2
17:23 家に持ち帰ると言って急いで階段を登って行った。

画像ー130 031-2
17:23 どれどれ、とカミサンが見ている。

画像ー130 032-2
17:23 僕たち二人が家に向かって走って行ったが、途中でお兄ちゃんの方が立ち止まった。「どうした?」と聞くと「オタマジャクシ、逃がしてやりたい」という。そうか、逃がしてやれば次から勝手に水換えに来ることもないだろうから少しは安心だ、と思って今度は私が先導して川っ縁まで下りて行った。

画像ー130 034-2
17:24 やはり自分で逃がしたいから、という。でも彼はどうして‘飼っていたはずのオタマジャクシを逃がしてやりたいと思ったのだろうか? さっきまで‘水を換える’と思っていた筈なのに・・・。私どもが、絶対子供だけで階段を下りてはいけない、と言ったからだろうか?それとも、もう飼う気がしなくなったのだろうか?一寸だけしんみりとした気持ちが、彼の背中に感じられる。

それにしても、この階段は、子供一人でも勝手に下りることが出来る。これはやはり危険である!事故が起こってからでは遅過ぎる!何とかせねば・・・。

画像ー130 035-2
17:25 オタマジャクシは何処へ行っただろうか?

画像ー130 036-2
17:28 ‘Sさん’ちの横まで来た。我々のいつもの散歩道が見える。

画像ー130 037-2
17:28 改めて僕たち二人。お兄ちゃんのJ君が、オタマジャクシを放流(?)した後、何だか少しだけ‘大人’の顔つきになったような気がした。やはり、N君と言う‘弟’がいることが、彼に‘お兄ちゃん’としての自覚を促しているに違いない。一人っ子よりやはり兄弟は沢山いる方がいいという証拠である。

ここで、よ~く見て欲しいのは、お兄ちゃんの靴。オタマジャクシの水換えの気持ちがあった時には‘長靴’をはいていたが、‘放流’してしまった後は、そう、この普段の靴に履き替えている!ひょっとすると我々の散歩にこの前のように付いて来たかったのかな?とも思った。この前は彼一人だったから、直ぐに「付いて行きたい」と言ったのだが、今日は、この前と状況が違う!弟もいればお母さんも見ている。それに五時半近くになっている。彼ももうそんな周囲の状況を敏感に感じ取っているのだろう。付いて行くとは言わなかった!もうこの子は‘大人の入り口’まで来ている。でも、一人で川の縁まで行くのが危険なことだという理解がまだのようである。だって、まだやっと一年生!頑張れ、J君!

画像ー130 038-2
17:28 N君は‘おふざけ’が得意と見えて・・・

画像ー130 039-2
17:29 J君が‘輪ゴム鉄砲’を持ち出してきた! これは今から60年位前からあった。そう思えば‘輪ゴム’の歴史も古いのだろう。一度調べてみたい。

画像ー130 040-2
17:29 二人で何かを見ている。

画像ー130 041-2
17:30 N君が泣いている! これまで持っていた‘洗濯バサミ’を川に向かってN君が投げたのだ。それが川岸の草藪に引っ掛かったのだが、それを取りに行こうとして「危ないから駄目!」と言われて泣いているのだ!子供の泣き声ってこのところ余り聞いたことが無い!何だかこちとらは懐かしくなってしまって、もっと泣け!とは思ったが・・。

画像ー130 043-2
17:30 こちらを見て、照れくさそうに泣いている、この顔がまたいい!直ぐに泣きやむのも‘環境に飽きが来た’のかも知れない!

画像ー130 044-2
17:33 N君も泣きやんで‘平和’が戻った!子供さんと一緒の時間を一寸だけ持たせて貰った。若返りにはきっとビタミンEよりは効くのかもしれない。やっぱりお母さんが一番。39!(サンキュウ!と読む)

(つづく)
[2013/05/09 03:48] | 旅行・散策 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
小さいが故に・・・
小さいが故にそんなに‘もて囃されない’花 がある。また、花と葉っぱとの数の多少によってその花の価値が違っているように思えて仕方が無い!

画像ー115 090-2

画像ー115 099-3

IMG_9998-2.jpg
http://yk-mugen.at.webry.info/200804/article_1.html

‘ソメイヨシノ’の人気は、「ぱっと咲いて、パット散る!」と言われるが、それだけではないような気がする。上述のように

① 花が人間の大きさと比較して、‘小さい’という或いは‘大き過ぎる’という、たったそれだけで人間様にはそんなに‘持てない’ケース

② 葉っぱが多過ぎて花の存在が強調されないケース


が、どうやらあって、人間が勝手に花の優劣を付けているような気がしてならない!

そこで、改めて‘ソメイヨシノ’の場合 を考えてみたい。

花の大きさが、丁度‘花’と感じることが出来る手頃な大きさである。そしてまた、花が咲く時には‘葉っぱ’がまだ出て来ていないのである。ソメイヨシノが満開の時には、‘葉っぱ’が無いので桜の木全部が‘花’だけで覆い尽くされてしまうから、‘遠目’にも‘豪華’に見える!

八重桜の場合、葉っぱが先に出て来るし、花が‘かたまって’咲いているから、大きく見えてしまう。①&②の両方の欠点を備えているだけに、‘八重桜’を花見会として見に行く人は少ない! 勿論ソメイヨシノと比べれば、八重桜は咲くのが遅いからソメイヨシノで花見を満喫してしまっている人々に‘新鮮に’受け止められないというどうしようもない欠点?・不利な点がある。

aaooyaezak3.jpg
http://www.hana300.com/yaezak1.html

yaezak38.jpg
http://www.hana300.com/yaezak4.html


ただ、これは人間がそんな風に‘評価’しているだけで、それぞれの‘花’にとっては何ら関係が無いとも思われる。

花一輪だけを比較して見れば、‘ソメイヨシノ’が他を圧倒する程ダントツとは思えない!


① 花が人間の大きさと比較して、‘小さい’という、たったそれだけで人間様にはそんなに‘持てない’ケース

(その1)

何と言う花なのか知らないが・・・、

画像ー127 001-2
この花は最近ではどこのお庭にでもある花である。花自体が余り大きくはないからそんなに目立たないが、

画像ー127 002-2
段々ズームインして見ると

画像ー127 004-2
いやいや、とんでもなく素晴らしい形をしているのが判る。

画像ー127 004-3
もっと拡大してみると、何だか下の写真の‘蘭’にも近づく立派さである!これをもう少し大きくは出来ないものだろうか?

shu.jpg
http://nyackscurse.blog.so-net.ne.jp/archive/c133694-1
『 Phragmipedium Sedenii。Phrag.longifoliumとPhrag.schlimiiの交配種です。』だ、そうだ。でもやはり‘蘭’は凄~い!


(その2)

次の生け垣用の木に咲いている花もここのところ気付いていなかった!このお宅の前は毎日のように通っているのだが・・・。

画像ー127 029-2
何故だか知らないが、花を付けているところとそうでないところがある。

画像ー127 030-2
今まで気付かなかったのと大きな花ではない為、つい見過ごしていたが、段々拡大して行くと

画像ー127 032-2
まあ、こんなにも立派な花であることに気付かされる。

画像ー127 040-3
ここまで大きくすると、最早、下のソメイヨシノを凌いでいるようにさえ見えて来る。この花弁の形、何かのデザインに採用されてもいい。例えば、有名デパートの包装紙のデザインに如何であろうか?

IMG_9998-2.jpg
http://yk-mugen.at.webry.info/200804/article_1.html こちらはソメイヨシノ。


(その3)

この花は‘ハルジオン’と言うらしい。

画像ー127 131-2
我々がまだ子供だった頃にも見て育ったような気がする花で、今でもそん所そこらにある花である。

画像ー127 131-3
拡大して見るとお判りのように、これ位の大きさに写真を拡大して見たところでそんなに綺麗だなんて思わない!

画像ー127 132-2
一寸ケバケバしいが、結構‘様’になっている。

画像ー127 132-3
まるで‘菊’の一種だとさえ思わせてくれる!

162412331.jpg
http://plaza.rakuten.co.jp/shion9/diary/201212020000/ これは、所謂‘菊’。


(その4)

お次は、これまた、草の生えているところには春になればきっと咲いて呉れる花であるが、名前は知らない。

画像ー127 137-2
雑草の中に埋め込まれた格好になっているのだが、どうして、どうしてご立派である。

画像ー127 138-3
更に拡大して見ると結構複雑ではあるが気品がある!

画像ー127 138-2
こうなりゃあ、一流ってもんだ!

画像ー127 138-5
小さいから気付かなかったが、これが手のひらサイズであったとしたら結構人気が出るのかも知れない!比較のためにソメイヨシノを直ぐ下に再掲してあるのだが、ソメイヨシノに一歩も引けを取らないではないか!

IMG_9998-2.jpg
http://yk-mugen.at.webry.info/200804/article_1.html これ、ソメイヨシノ。


(その5)

これだって、どこにでもある花であるが・・・、

画像ー127 144-2
丁度5月の初旬には一番の美しさを誇る!

画像ー127 145-2
この可憐な花に

画像ー127 143-2
ミツバチが・・・

画像ー127 143-4
よ~くご覧あれ! この可憐な花弁にミツバチが入り込んでいる。ミツバチは己の羽を振動させてはいないので彼の体重は皆一枚の花弁に支えて貰っているということになる。何が凄いかと言うと可憐で弱々しく見える一枚の花弁だけでミツバチの重さ以上の‘力’を出しているという事である。

花弁の方だって、自らが生きていくためには少なくとも花弁の強度が必要となる。彼女(花弁)の方は長年に亘って何代も‘DNA'を変えて行った結果なのであろうと思われる。この強度を持たなければ‘死活問題’となるからこそのDNAの更新なのだろう。


(その6)

さて、この次は、言わずと知れた‘ナデシコ’である! もう少しで世間では言われなくなりそうだった‘ナデシコ’を復活させたのは言わずと知れた‘ナデシコジャパン’の女子サッカー選手たちである!

画像ー127 146-2
これは我が家の玄関先の鉢植えナデシコである。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%87%E3%82%B7%E3%82%B3
ナデシコ(なでしこ、撫子、瞿麦)はナデシコ科ナデシコ属の植物、カワラナデシコ(学名:Dianthus superbus L. var. longicalycinus)の異名。またナデシコ属の植物の総称。蘧麦(きょばく)。 秋の七草の一つである。歌などで、「撫でし子」を掛詞にすることが多い[1]。

ナデシコ属 (Dianthus) はナデシコ科 (Caryophyllaceae) に属し、北半球の温帯域を中心に約300種が分布する。このうち、ヒメハマナデシコとシナノナデシコは日本固有種(日本にのみ自生)であり、他に日本にはカワラナデシコとハマナデシコが分布する。それらの特徴は次のようなものである。

カワラナデシコ (D. superbus L. var. longicalycinus (Maxim.) Williams)

カワラナデシコには、ナデシコ、ヤマトナデシコの異名もある。これはセキチク (D. chinensis L.) を古くは唐撫子(カラナデシコ)といったことに対する。ナデシコは古くは常夏(とこなつ)ともいった。これは花期が夏から秋に渡ることにちなむ。


画像ー127 147-2

画像ー127 149-2
拡大するとこんなにも神秘的で美しい!これは‘ダイアンサス’という種類らしい。
‘大和撫子’の異名を持つのは上記引用資料によれは、‘カワラナデシコ’というそうだ。画像は以下の通り。

img_1488484_58218938_0.jpg
http://blogs.yahoo.co.jp/hondacp77/58218938.html カワラナデシコ=ヤマトナデシコ

結論としては、‘人間様好みにする’には、‘花’を大きくすれば、道は開ける可能性がある。

大きな大根は既に出来上がっている。そのアナロジーで、これら小さな花を大きくしてみる研究はなされているのだろうか? 商品開発のコンセプトになるかも??

img61042685.jpg
http://shop.plaza.rakuten.co.jp/oisi/diary/detail/201302080000/





② 葉っぱが多過ぎて花の存在が強調されないケース


八重桜については先に述べた。

これは、‘偽アカシア’である。アカシアの花が話題になるたびに議論?になるのは、「アカシア」と「偽アカシア」の違いについてであるが、これは後述する。先ずがこの花の優雅さを・・・

画像ー127 042-2
これ位の‘遠目’では、この‘偽アカシア’の優雅さには気付けない!

画像ー127 044-2
こうなって来ると少しは花の良さが伝わって来る。

画像ー127 045-2
真近で見るとこんな風に見える!

画像ー127 063-3
背景が‘青空’となると、この花の優雅さ・気品が一段と増す。不思議である!

画像ー127 063-4
話が真逆かもしれないが、花弁がまるで‘絹織物’で創られたような錯覚さえ覚える!

画像ー127 051-2
高級な蘭と比較しても引けを取らない程の風格がある。それなのに余り日本では話題に上らないのは何故?

IMG_9998-2.jpg
http://yk-mugen.at.webry.info/200804/article_1.html ソメイヨシノ

今更、ソメイヨシノの一輪と比較しても仕方が無いが、圧倒的に‘偽アカシア’に軍配は上がる!


photo_279a.jpg
http://kitatabi-blog.at.webry.info/200706/article_22.html

photo_279c1.jpg
http://kitatabi-blog.at.webry.info/200706/article_22.html

いずれも‘葉っぱ’が邪魔をして、全体としては、残念ながらソメイヨシノに劣る!

<アカシア問答>

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1041098285
ニセアカシアとアカシアの違いは何ですか?ニセの方しか見たことがありません。

A1「ミモザの樹」って見たことない?
黄色いモサモサした花が咲くヤツ
アレが一応「本物のアカシヤ」の仲間です。

CIMG1778.jpg
http://mie0123.blog44.fc2.com/blog-entry-37.html

葉の形もいろいろあって、あのような羽状複葉(鳥の羽みたいな葉っぱ)じゃなくて普通の葉っぱっぽくなっている種類もあります

あとは・・・
サバンナ特集のテレビで、キリンが傘みたいな形の樹の葉を食べているでしょう?
あれもアカシヤの仲間です。アカシヤ属の総称なので、様々な種類があります。

A2:ちょっと話がややこしいですが・・・ アカシアの雨に打たれて。。。という歌がありましたがこの歌に出てくるアカシアとはニセアカシアの事です。又、アカシア蜜として採蜜された蜂蜜もニセアカシアの蜜なのです。

では何故これがニセ(偽)となったかといいますと最初に日本に持ち込まれた時の誤解でアカシアとされたものが後に本来のアカシアというものが解かったので乱暴にも間違っていた最初の物にニセ(偽)とつけてしまったわけです。

では、アカシアとは何かと申しますとフサアカシアやギンヨウアカシアなどのネムノキの様な葉をもつもので一般的にミモザあるいはミモザアカシアともいわれます。(ちょっと更にややこしいのですがミモザとは本来はオジギソウの事です。) アカシアは他にも何種もありますがフサアカシアとギンヨウアカシアが最も身近なアカシアだろうと思います。

A3日本で普通に“アカシア”というとそれは「ニセアカシア」なのが一般的です。
丈夫で手入れもほとんど不要、美しくて香りの高い花が咲く…といいことづくめなので街路樹や公園などに一気に広まりました。
アカシアとニセアカシアは同じ「マメ科」に分類されます(一部違う説もあります)が、その下の「属」が違います。
明治時代に日本に導入された「ニセアカシア」を単に“アカシア”と呼んだので、今でもそのまま“アカシアと言うことがあります。
(たとえば“アカシア蜂蜜”はニセアカシアのもの。)
なお、“アカシア”はその仲間全体を指す名詞で、「アカシア」という名前の植物があるわけではありません。
たとえば「キク」という名前の菊がないようなものですね。



(つづく)
[2013/05/08 13:18] | 学習と文化 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
海鵜と川鵜の違いは?(その2):赤目川付近の鵜はどっち?(その2)
弊ブログ2013年04月13日『海鵜と川鵜の違いは?(その2):赤目川付近の鵜はどっち?』http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-492.html )では、


これまで色々検討してきたが、これで結論を出してもいいと思われる!

「千葉県茂原市千沢一帯に生息もしくは飛来する‘鵜’は、‘川鵜’である!」

(つづく)かも?


と締め括っている。

(つづく)かも? は、その通りつづく、のである!

2013年05月04日(みどりの日)の朝、例の鉄塔に‘赤目川付近の鵜’がいるかどうか出かけてみた。

それは、上記のブログで次のような‘珍説’を出していたことに多少引っかかっていたからである。その‘珍説’とは・・・、

数々の‘鵜’の写真があって( http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-492.html

『 この‘左ほっぺ側’は、明らかに3態とも‘川鵜’である!

右ほっぺ側:海鵜
左ほっぺ側:川鵜


ひょっとしたら、海鵜と川鵜との‘あいの子’かも??? 』

というものである! そんな訳でもう少し決定的な証拠写真が欲しくてその日も赤目川(千葉県茂原市千沢付近)の土手へ出てみたのである。

どんな理由かは知らないが、その日は‘たった一羽’しかいなかったが、この一羽が何と‘エンターテイナー’の素質(?)があると見えて、有難いことに色々な‘仕草’を見せてくれたのである!

2013年05月04日朝の‘鵜’の‘百態?’

画像ー127 080-2
2013年05月04日07:53 この画面の中央の‘ゴミ’みたいに見えるのが、今回の主役エンターテイナー‘千ちゃん’こと千沢の‘鵜’であ~る! この日は何故だか上記の通り‘一羽’しかいないから逃げられては大変とばかり、こちらも‘藤の木’に隠れての必死の撮影である。

画像ー127 081-2
07:53 これじゃあ、目的が達せられない!

画像ー127 084-2
07:54 いいぞ、いいぞ!これなら十分いける!望遠では、これが精一杯。PCで拡大すると、

画像ー127 084-3
① 第一候補!07:54:16

‘百態?’がこちら!

画像ー127 086-3
② 07:54:26

画像ー127 087-3
③ 07:54:30

画像ー127 088-3
④ 07:54:34

画像ー127 089-3
⑤ 07:54:38

画像ー127 091-3
⑥ 07:54:48

画像ー127 095-3
⑦ 07:55:02

画像ー127 097-3
⑧ 07:55:10

画像ー127 098-3
⑨ 07:55:14

画像ー127 100-3
⑩ 07:55:20

画像ー127 101-3
⑪ 07:55:22

画像ー127 103-3
⑫ 07:55:30

画像ー127 104-3
⑬ 07:55:34

画像ー127 106-3
⑭ 07:55:42


それから約35分後、もう一羽が飛んで来て、彼の向かって右側に止まった!

画像ー127 115-2
08:33 因みに、鉄塔の頂上に止まっているのは、ほぼ同時に飛んできた‘カラス’である。

画像ー127 120-2
08:34

画像ー127 117-2
08:33:38 これなら候補写真になる!

画像ー127 117-3
⑮ 08:33 この‘鵜’は、上記‘百態?’を演じてくれた‘鵜’(千ちゃん)ではない!となりに飛んできた方の‘鵜’である。

これ以降の画像が、‘海鵜’か‘川鵜’かの判定に用いるためにPC処理をして‘口元’を明瞭にした画像である。

ここでも改めて‘判断基準’の写真を・・・。

umiu1_20130411025411.jpg kawau0031.jpg
左:海鵜                     右:川鵜
http://www.ne.jp/asahi/kenharu/2008/miwakekata01.htm

画像ー127 084-4
①の拡大とPC処理画像 【左ほっぺ】明らかに‘川鵜’の特徴を示している!

画像ー127 086-4
②の拡大とPC処理画像 【左ほっぺ】これも‘川鵜’の特徴がはっきり出ている。

画像ー127 087-4
③の拡大とPC処理画像 【左ほっぺ】画像が余り鮮明ではないが、‘川鵜’の特徴を示している。

画像ー127 088-4
④の拡大とPC処理画像 【右ほっぺとあご下】これは珍しく‘あご下’が写っている!‘鋭角’に見えるのは‘海鵜’の特徴の‘それ’ではなく、あごの下で、左右の‘それ’が接合している画像である! これも勿論‘川鵜’。

画像ー127 091-4
⑥の拡大とPC処理画像 【左ほっぺ】これは、正に‘川鵜’の特徴!

画像ー127 095-4
⑦の拡大とPC処理画像 【左ほっぺとあご下】これも珍しく‘あご下’が見えている。‘鋭角’に見える‘それ’は、あご下への‘終点?’の‘それ’であって、‘海鵜’の‘それ’ではない!‘川鵜’。

画像ー127 097-4
⑧の拡大とPC処理画像 【右ほっぺ】典型的な‘川鵜’の特徴!

画像ー127 100-4
⑩の拡大とPC処理画像 【左ほっぺ】これぞ正に‘川鵜’!

画像ー127 101-4
⑪の拡大とPC処理画像 【あごの下(裏?)と右ほっぺ】あごの下(裏?)がこれだけはっきり撮れている画像は初めてである!そういう前提で画像を見れば、成程、‘白い鋭角’は、正に下あごの中央であることが理解出来る。そして、肝心の右ほっぺは‘川鵜’の特徴を示している。もう一寸クローズアップすれば・・・、

画像ー127 101-5
⑪の嘴部分の拡大・PC処理 上記のことが更によく判る!

画像ー127 103-4
⑫の拡大とPC処理画像 【左ほっぺ】これも典型的な‘川鵜’の特徴!

画像ー127 104-4
⑬の拡大とPC処理画像 【左ほっぺ】上記におなじ。

画像ー127 106-4
⑭の拡大とPC処理画像 【右ほっぺ】右も左も‘川鵜’の特徴。

画像ー127 117-4
⑮の拡大とPC処理画像 【右ほっぺ】これは、上述の通り、これまでの上に記述した‘鵜’(千ちゃん)とは違う‘鵜’である。此方は、エンターテイナーの素質は無いらしい!?その所為か、‘千ちゃん’と比べると後頭部の‘毛羽立ち’が少ないように見える。これも明らかに‘川鵜’の特徴を示している。

今回は、‘千ちゃん’とこその隣に遅れて来たもう1羽の2羽の特徴を見てみたが、2羽とも‘川鵜’であると見られる。

20130413030211ded_20130506013722.jpg
2012年11月15日08:07 同じ鉄塔・電線に止まる‘鵜’の集団。

以前撮影した‘大集団’はその日は撮影出来なかったが、この赤目川一帯の‘鵜’は、きっと‘川鵜’だろう と判断して良いのだろう。

再度(つづく)かも?
[2013/05/07 01:41] | 学習と文化 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
憲法改正問題についての私見
kenpou (1)
http://www.bunzo.jp/archives/entry/000667.html

今年の憲法記念日は、例年になく盛り上がった。

それは民主党の無様な政治執行のお蔭で浮かび上がった自民党の安倍内閣の人気が上昇中だからである。自民党は、そんな意味では民主党に礼を言わねばならないのかもしれない。

政治もその他の事でも‘競争’という原理で物事が進んでいる範疇の事は、みんな例外なく‘相手’との比較であるから、‘相対的’という表現がぴったりする。‘絶対的’とは違う事なのである。

この社会現象を、私は昔から‘社会の相対性原理現象’と名付けている。

入学試験だって入社試験だって、ほとんど‘相対性原理’で動いている!

ただ面白いのは‘資格試験’は、絶対的原理である。自動車運転免許取得試験は、上から10人までが合格ってなことはない。決められた点数以上でないと合格点は貰えない!

さて、日本国憲法の問題は、残念ながら絶対的理論原理で動くものではなく、‘相対原理’の中の‘特殊相対性理論’で動くものである。

なぜなら、一定の合格ラインはないし、同じ問題を解いてみてどちらが点数が良かったか、という問題でもない。

どんな内容にするかを決めようとする際に、その内容について国民の意見はどうか?という問題であるから、相対的な議論だけではない。そして最も厄介なのは、民主主義のルールという最も論理的でない方法がこの問題を‘取り仕切る’結果となるからである。

まあそんな暇な議論はどっちでも良く、日本国民全員が考えなければならないことは次のようなことである。

(01)何故、人間社会には法律が必要なのか?

(02)国家とは何なのか?

(03)民族と国家の関係は?

(04)国には何故‘憲法’が必要なのか?

(05)憲法は誰が創るのか?

(06)天皇制とはなにか?

(07)日本国の象徴の意味は何か?

(08)憲法の改正の意味は何か?

(09)憲法改正の手続きはどうするのが最適制度か?

(10)選挙の時の‘一票’の意味は何か?

(11)本当に‘一人一票’が正しい民主主義なのか?

今争点になっているのは、第9条であり、その改正のための条件を示した第96条に先ず焦点が絞られている。

71c1b212.jpg
http://iine-news.com/2013-05-03/kenpou96jou/

その第96条とは、

第96条
http://www.popscreen.com/v/6DDEC/5%E6%9C%888%E6%97%A
5%E6%9D%BE%E5%8E%9F%E4%BB%81%EF%BC%BF%E6%86%B2%E6%B3%959
6%E6%9D%A1%E3%82%922%E5%88%86%E3%81%AE1%E3%81%AB%E3%81%9
7%E3%82%88%E3%81%86%EF%BC%81


重要なことを整理すると、

① 憲法改正の発議は、国会で、衆参両議院とも、それぞれ2/3以上の賛成が必要

② それが通過した場合、国民の承認を得るためには、選挙において過半数の賛成が必要

という事である。

日本国憲法は「主権在民」を思想の根本としている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E6%B0%91%E4%B8%BB%E6%A8%A9
日本国憲法は「国民主権」を採用している。ここでいう「主権」とは国政のあり方を最終的に決定することを意味する。
「国民主権」は、歴史的で多義的な概念であり、その時代、論者によって内容が異なる概念であるが、主権在民または「人民主権」ともいう。
「人民主権ないし国民主権」は、17~18世紀にかけて、社会契約説の概念を背景に、ロック、ルソーによって発展させられた概念であるが、「人民」と「国民」は、プープルとナシオンという対立的な概念として図式化されることもある。
「人民主権ないし国民主権」は、日本のほか、アメリカ合衆国[1]、フランス、ドイツ多くの国家の現行憲法で採用されているが、その内容は必ずしも同一ではない。これらの国に対し、英国では、国会主権がとられているが、政治的主権は市民が有するとされている。


このことは、日本国憲法の‘前文’に次のように書かれている。ここでの文語は、‘主権在民’ではなく、その表現は‘主権が国民に存する’となっている。

日本国憲法‘前文’
kenpou.gif
http://www.wakayama-u.ac.jp/~tokoi/lecture/shori1/04.html

<私見>

① 憲法改正の発議は、国会で、衆参両議院とも、それぞれ1/2以上(過半数)の賛成が必要

② それが通過した場合、国民の承認を得るためには、選挙において2/3以上の賛成が必要

その理由:

① 国民の代表者として権利を行使する‘国会議員’は、憲法改正の発議をしたいと思えば、その半数以上が賛成すれば‘発議’してもいいではないか! それが民主主義の基本である。

② しかし、主権は国民にあるのだから、国民投票(選挙)が必要であることは明白である。これは憲法第96条にある通り。しかし、代表者たる国会議員は、選挙の時の主張と違って‘心変わり’をする御仁もおられるようだから、国会だけの判断だけでは困るというのが96条である。ことは、お国の法律の根底をなす憲法である。国会議員の過半数が賛成したとしても国民は、‘もっと厳しい’条件を突きつけて、権力を委ねている輩の暴走を許してはならない! これが、国民投票の結果を‘過半数’から‘2/3’にする所以である!

そういった意味では、96条の条文は、国民よりも国会議員に重きを置いた表現であり、現第96条は、重きの置き方が根本的に間違っていると言えよう!

(つづく)
[2013/05/06 00:00] | 政治と社会 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
語源探し(その10):‘うどん(饂飩)’
うどん(饂飩)というけれど、日本語なのだろうか?

l-kansei.jpg
http://www.fushitaka.com/saijiki/200811-kitsuneudon/
(きざみ)きつねうどん

何となく‘外国語’のような気がしないでもないが・・・。例えば、オランダ語だとするとオランダに‘うどん’がなければならないが、実際にはオランダ産のうどんがあるとは思えない!

うどんの漢字が難しい‘饂飩’なので、中国が発祥地とも思われるが、ラーメンはあっても中国にはうどんはないと思われる。

では、やはり日本独特のものだろうか? それにしては、‘うどん’の意味が判然としない!

讃岐の地方弁なのだろうか? 

①‘う’+‘どん’なのか? 

②‘う’+‘ど’+‘ん’なのか?

③‘うど’+‘ん’なのか?

④‘うどん’なのか?

①の場合、‘う’+‘丼’と考えると、何だか有りそう??

それにしても漢字の‘饂’+‘飩’って、一字一字はどんな意味を持っているのだろうか?

こんな風に身近な言葉の語源って、知っているようで知らないものが沢山ある!

さて、うどんについて‘知識’が無ければ、どんな風に考えたって、その謎は解けない!従って例の通り‘WEB'を活用して見ると・・・。

先ずは、漢字のそれぞれの意味から・・・。

<漢字辞典>
titleimg.jpg
http://www.kanjijiten.net/jiten/8101.html#k8111

‘饂’とは?

漢字辞典 8101顱→8194髷:漢字辞典ネットunn0001

‘饂’の前後の漢字には、‘音読み’と‘意味’が書かれてあるが、この‘饂’には音読みだけで意味が書かれていない。

‘飩’とは?
漢字辞典 8101顱→8194髷:漢字辞典ネットdonn0001

残念(?)ながらこの‘飩’も同じく音読みだけで、この漢字の意味が書かれていない!

‘饂飩’のそれぞれの意味は、漢字辞典では、今のところ(?)不明である!

それでは、‘うどん(饂飩)’を‘Wikipedia’の解説で・・・。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%86%E3%81%A9%E3%82%93
うどん

うどん は、小麦粉を練って長く切った、ある程度の幅と太さを持つ麺。またその料理。饂飩[1]とも書く
細い物などは「冷麦」「素麺」、薄い物は「きしめん」などと称え、別の麺(麺料理)である。

概要 [編集]

手軽な庶民食、米食の代用食として、また、祝い事に際して振る舞われる「ハレ」の食物として、古くから日本全国で食べられてきた。地域によって、調理法や具材が違っている。
麺を大きな鍋で茹で上げる場合には、鍋の周囲に引っ掛けた状態で茹でることができるよう、金属製あるいは竹製で深いザル状になっているうどんてぼ(うどん揚げ)が用いられることも多い。うどんを供する場合には丼(かけうどん)、皿(うどん鉢など)やざる(ざるうどん等)、鍋(すき鍋等)のほか、桶(うどん桶)も用いられる。
うどん専門店や蕎麦も提供する麺類の専門店のほか、外食チェーン店などのメニューともなっている。また、麺はスーパーマーケットなどで乾麺または茹で麺の状態で販売される。また、カップ麺としても販売されている。
自動販売機では、カップ麺の他に、茹で麺を湯切りしたあと調理し天ぷらを入れたものも販売されている(埼玉県等)。

歴史 [編集]

うどんの誕生には諸説があり、定かではない。

仁治2年(1241年)に中国から朝鮮半島を通って帰国した円爾(聖一国師)は製粉の技術を持ち帰り、「饂飩・蕎麦・饅頭」などの粉物食文化を広めたと云われている。また、その円爾が開いた福岡市の承天寺境内には「饂飩蕎麦発祥之地」と記された石碑が建っている。

饂飩蕎麦発祥之地
http://blogs.yahoo.co.jp/hachimituwine/10543106.html

奥村彪生によれば、うどんは中国から渡来した切り麦(今の冷や麦)が日本で独自に進化したものであるという。

奥村によれば、麵を加熱して付け汁で食する(うどんの)食べ方は中国には無く、日本の平安時代の文献にあるコントンは肉のあんを小麦の皮で包んだもので、うどんとは別であり、うどんを表現する表記の文献初出は南北朝時代の「ウトム」であるという[2]。

「うどん」と呼ばれるようになったのは江戸時代に入ってからであり、切麦を温かくして食べる「温麦」と冷やして食べる「冷麦」は総じてうどんと呼ばれた[3]。

奈良時代に遣唐使によって中国から渡来した菓餅14種の中にある索餅(さくべい)が、平安時代に完成した『新撰字鏡』 では「牟義縄(むぎなわ)」と呼ばれて、「麦縄(むぎなわ)」が日本の麺類の起源とされる。ただし、麦縄は米と小麦粉を混ぜて作られていた。やがて鎌倉時代になると、円爾など入宋した禅僧らが小麦粉で作る素麺を博多経由で日本に持ち帰って「切麦(きりむぎ)」が誕生した。室町時代には一条兼良の著書『尺素往来』に、「索麺は熱蒸し、截麦は冷濯い」という記述があり、截麦(切麦)がうどんの前身と考える説もあるが、その太さがうどんより細く、冷やして食されていた事から、冷麦の原型とされている。
奈良時代に遣唐使によって中国から渡来した小麦粉の餡入りの団子菓子「混飩(こんとん)」に起源を求める説もある。

平安時代に空海が唐から饂飩を四国に伝えて讃岐うどんが誕生したという伝説もある。

青木正児の「饂飩の歴史」によれば、ワンタンに相当する中国語は「餛飩」(コントン)と書き、またこれを「餫飩」(ウントン、コントン)とも書き、これが同じ読み方の「温飩」(ウントン)という表記になり、これが「饂飩」(ウドン)となったという。

備考
現代の中華圏では、日本のうどんを「乌冬」あるいは「烏龍麵」と表記するが、いずれも日本語の発音に基づく当て字であり、うどんそのものの起源・由来とは関係がない。



そこでそこで、肝心なこと!

私が好きな‘うどん’ランキングの発表で~す!

<第一位>四国松山市・JR松山駅構内・改札口そば・「かけはし」の‘じゃこ天’うどん!

011.jpg
http://6987452.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-f796.html
JR松山駅構内の「かけはし」屋さん

320x320_rect_10185661.jpg
http://tabelog.com/ehime/A3801/A380101/38000028/dtlrvwlst/3438924/
これが、値段表に出ている‘普通’。「じゃこ天うどん」と頼むとこれが出て来る。(セルフサービス制!)

051.jpg
http://6987452.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-f796.html
私は必ず「もう一枚じゃこ天を!」と注文することにしている。合計、じゃこ天2枚。このお店は親切で、必ずじゃこ天を‘熱く’して乗っけてくれる。実は、このじゃこ天、お隣でじゃこ天屋さんが造っているので冷え切っていれば出来立てのものにして呉れる。そして、じゃこ天屋さんで買う一枚の値段と「かけはし」屋さんの一枚追加値段が同じである。ということは、細かい話だが「かけはし」屋さんでは、じゃこ天のマージンを取っていないという事になる!私のような‘貧乏人’にとっては、こんな些細なことが気になるのである。

勿論、この松山・宇和島を中心とした西四国一帯は‘じゃこ天’の本場であるから、‘じゃこ天うどん’は、この一帯ではどこにでも売っている。当然「松山空港」にも‘じゃこ天うどん’を食べさせてくれるお店が何軒かあるが、何故か「かけはし」屋さんのに比べると味が落ちる!

松山に用事があって泊まる‘はめ’に陥った場合には、このJR松山駅の近くのホテルに宿を取ることにしている。そう、朝食にこの「かけはし」屋さんの‘じゃこ天2枚うどん’をと思うからである!

この‘じゃこ天’の製造屋さんは?と調べてみると・・・、

http://www.rpm.or.jp/yasuoka/
caption-kakehashi.gif
kakehashi.jpg

四国の玄関「JR松山駅」構内にて、アツアツのじゃこ天を販売しております。その他かまぼこ・ちくわ、各種詰め合わせを取り揃えておりまず。お土産に、ぜひご利用ください。また隣接している、うどんコーナでは名物の「じゃこ天うどん」もございます。

<直売所 かけはし松山店>
愛媛県松山市南江戸町1丁目(JR松山駅構内)
TEL 089-945-9850
営業時間  7:30~20:00 ・ 休業日  なし アクセス
●JR「松山駅」構内
●松山空港よりリムジンバスで約15分「JR松山駅」下車


おや、この情報からすると、「かけはし」屋さんは、このじゃこ天製造メーカの‘安岡蒲鉾’の経営なのだ!それなら一枚追加の‘マージン’は取らないはずだ! なっとく、納得!

<第二位>東京駅地下街の「博多うどん」屋さんの‘ごぼう天’うどん!

 実は、今はもうこの店舗はない!東京駅地下街には、少し離れて‘2軒’同じ店があったのだが、1年くらい前から2軒とも姿を消している!

b503453e.jpg
http://blog.livedoor.jp/kikidasu/archives/2006-09.html?p=2
「博多うどん」屋さんの暖簾

ごぼうてんうどん
http://etizenya0.blog20.fc2.com/blog-entry-737.html
牛蒡は、切り方によって味が変わる。‘ごぼう天’うどんの牛蒡の切り方は、色々あるが私は‘笹掻き’の切り方でないといけない! 丸ごと棒状が好きな人もおられるようだが、センスが知れない!

<第三位>どこのでもいい‘きつね’うどん!

DSC01381_convert_20130430034627.jpg
http://katada.jp/todays-lunch-20093rd/%E3%81%8D%E3%81%A4%E3%81%AD%E3%81%86%E3%81%A9%E3%82%93-9/
九州のど田舎から東京へ就職して一番驚いたのは、うどんのスープが‘真っ黒い!’事だった。

関西では御存じの通り、‘つゆの色’が濃くない!ラーメンにしてもとんこつが主体だけに‘麺類のツユは透き通っているか白濁である’と思っていたからである。今思えば‘濃い口’の醤油が使ってあるのだろうが、当時は本当に‘真っ黒!’に見えた。

今でもやはり‘うどんのつゆ’や‘ラーメンのツユ’は黒くない方がいい!

きつねうどんについては、ご存じの通り、呼び方に京都と大阪で違いがある。

http://www.fushitaka.com/saijiki/200811-kitsuneudon/
きつねうどん
うどんと言えば油揚げがきつね、天かすがたぬきと思っていたのですが、

京都ではとろみの入ったきつねうどんの事をたぬき

大阪ではきつねがうどんたぬきが蕎麦の事を言うそうです。


またこんな解説も・・・。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8D%E3%81%A4
%E3%81%AD_(%E9%BA%BA%E9%A1%9E)

きつねうどんについて

京都 [編集]

京都の方言では、けつねとも発音し[13][14]、味付けをしていない刻んだ油揚げを具としたものを指す[15]。京都ではこれを「きざみうどん」と称し、日本全国で一般的な甘く煮た油揚げの載ったものを「甘ぎつね」と呼ぶこともある[要出典]。 『芦屋道満大内艦』に描かれた泉州の信太の森の葛の葉狐にちなんで「しのだ」と呼ばれることもある[16]。「信太[6]」、「信田[3]」、「志乃田[3]」とも表記される[6][3]。「きつね」と「しのだ」を両方出す店舗では、「きつね」は油揚げを1枚、「しのだ」は油揚げを2枚乗せて提供される場合が多い[要出典]。

大阪 [編集]

大阪を中心とした近畿地方では、醤油と砂糖で甘辛く煮た薄揚げを乗せたうどん料理を「きつね」と呼ぶ。きつねそばという呼称は存在せず、油揚げをのせたそばは「たぬき」と呼ぶ。けつねなどと訛って発音する者もいるが[17]、多くの場合はジョークであり、メニューには存在しない[18][19]。「たぬきうどん」を「ハイカラ」として売り出している店もあるが、西日本ではノーマルのうどんに揚げ玉や天カスがトッピングされることが多く無料サービスのため、ハイカラとノーマルのうどんは同様のものである[20][3]。



<きつねうどん>についてこんな笑い話がある!

或るうどん屋に来たお客が‘きつねうどん’を注文して店員さんに聞いた。

お客:「きつねうどんをお願いします。」

店員:「は~い!有難うございま~す。キツネ一丁!」

お客:「ところで店員さん、‘肉うどん’と注文すれば‘お肉’が入ったうどんが出て来るのに、‘きつねうどん’と注文しても出て来たうどんに‘きつね’が入っていないのはどうしてなんです?」

店員:「‘きつね’が入っていたら、多分‘食べにくい’からじゃあないですか?」

お客:「えっ? あっ、そうか!???」


(つづく)

[2013/05/05 00:22] | 言葉の威力 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
地球と瓜二つの星
天文学者になろうという動機の一つに、「この宇宙に‘地球と瓜二つの星’があることを信じている」という事があるらしいという事を聞いた事がある。もう一つの理由は、こちらの方が大きいらしいのだが「新らしい‘星’を見つけて、自分の名前を付けたい」という。

今日の話題は、地球環境とよく似た‘星’の話である。

1474_-_big_blue_marble_earth_-_nasa.jpg
http://meichucarp.blog.fc2.com/blog-entry-84.html

まあ、そんなことなんてあり得ない、というのが一般人の常識である。しかし、最近の天文学者の間では、‘地球と瓜二つの星’があることは‘常識’となっているという。

彼等は、勿論‘地球と瓜二つの星’を追っかけているのだが、出来たら‘数年で行ける’程度の距離に無いものだろうかという‘要望’に変わっているという。

今のところ12~3光年くらいの‘近距離’にあるらしいというところまで絞られたというから俄然面白くなってきた。

長~い星の歴史からして、地球環境でさえ人間の歴史は、ほんの百万年の単位であるから、瓜二つの星があったとしても人間様のような高等動物が今現在存在するという確率は極めて小さいことにななる。

最近のこの分野での仕事が次のブログ(or HP?)に掲載されている。先月の話である。どうやらこの分野も文字通り、‘日進月歩’のようである。これは偏に‘望遠鏡’の目覚ましい進歩に寄与するところが大きいのだが、その元と言えば‘好奇心’なのだろう。

http://blog.livedoor.jp/liberty7japan/archives/4441461.html
2013年04月20日00:30
カテゴリ:宇宙環境保護

宇宙に第2の地球を多数発見?大きさ・環境条件ともに地球によく似た3つの天体!

 ハビタブルゾーンにある3つの天体

 地球に似た天体が3個も発見された。いずれも、太陽との距離がちょうどよく、生命の住みやすい“ハビタブルゾーン”にある。このような天体は、これまでも発見されているが、今回の3天体は、大きさが地球とそれほど変わらない。

 つまり、観測技術が向上して、ついに地球ほどの大きさを持つ、遠くの系外惑星まで観測可能になったということだ。これは人類の永年の夢である、地球のように美しい「第2の地球」の発見にまた一歩近づいたと思う。その候補が今回3つも発見されたということは、大宇宙では、地球そっくりの美しい天体は、もはやあたりまえ のように存在するのかもしれない。

 発表したのは米航空宇宙局(NASA)などの研究チーム。2013年4月18日、生命存在の可能性がある太陽系外の惑星が、NASAの宇宙望遠鏡「ケプラー」の探査で新たに3個見つかったことを発表した。

 3個の惑星はいずれも、恒星との適度な距離があって、液体の水が存在する可能性のある「ハビタブルゾーン」で見つかった。このうち「ケプラー62e」「ケプラー62f」については18日の科学誌「サイエンス」に発表された。この2個は恒星「ケプラー52」の周りを公転している。ケプラー62はこの2個を含めて5個の惑星をもち、地球からの距離は1200光年。


85e9f89b.png
 

ケプラー62fの大きさは地球の1.4倍で、地球に似た環境を持つ可能性は3個の中で最も高い。267.3日間かけて恒星の周りを公転しており、大陸や水が存在する可能性がある。

 一方、ケプラー62eは地球の1.6倍の大きさで恒星までの距離がやや近く、大部分が深い海に覆われているとみられる。公転周期は122.4日。

 もう1つの惑星「ケプラー69c」は天文物理学会誌に発表された。地球からの距離は2700光年。大きさは地球の1.7倍で、深さ数千キロの海に覆われていると考えられる。気温は地球よりもはるかに高く、金星に近いかもしれないといい、「もし生命がいたとしたら、我々の世界とはかなり違う姿をしているだろう」と研究者は解説する。

 ケプラー研究者の1人、トーマス・バークレイ氏は「こうした発見を重ねるほど、ますます地球が特別な場所とは思えなくなり、地球のような場所は至る所にあるのではないかと思えてくる」と話している。(CNNnews 2013.04.19)

 発見した3個のうち2個は岩石でできているとみられ、生命を育む海のような環境がある可能性もある。チームは「実際に生命が存在するかどうかは分からないが、宇宙にはこうした地球型惑星が意外に多く存在するかもしれない」としている。

 チームはNASAのケプラー宇宙望遠鏡を使い、地球から1200光年離れた恒星の「ケプラー62」と、2700光年離れた「ケプラー69」を観測。恒星からの距離が近すぎることも遠すぎることもない軌道に、それぞれ2個と1個の惑星が周回しているのを確かめた。惑星はいずれも地球よりひとまわり大きく、生命活動を維持しうる表面温度が保たれていると研究者はみている。(共同 2013.4.19)

地球に似た星、結構近い? 「13光年先に」と米チーム「生命見つけるチャンス」

去る2013年2月6日には、太陽から13光年先の近い場所に、ハビタブルゾーンにあり、温暖で水が存在する「地球型」の惑星があるかもしれないとする解析結果を、米ハーバード・スミソニアン天体物理学センターや米航空宇宙局(NASA)の研究チームが発表した。

 ハビタブルゾーンにある地球型惑星は、太陽より小さくて暗い赤色矮星の周囲を回っている可能性がある。チームは銀河に数百億個ある赤色矮星のうち、6%がそうした地球型惑星を伴っていると推計。最も近いものがどの距離にあるかを確率的に計算した。

 これまで20光年先などで地球型惑星の候補が見つかっている。研究者は「すべての地球型惑星に生命が存在するかどうかは分からないが、生命を見つけるチャンスはこれまでより高まった」としている。

 チームはケプラー宇宙望遠鏡の観測データを解析。惑星の直径や赤色矮星からの距離を考慮し、温度環境が地球に近く水が液体で存在できる惑星の割合を推計したものである。(共同 2013.2.7)


 これまで発見されたハビタブルゾーンにある惑星たち

 ハビタブルゾーンとは恒星の周囲で惑星の表面温度が高すぎず低すぎず、水が液体で存在でき、したがって地球上のような生命を維持するのに適した領域をいう。ハビタブルゾーンを周回することが分かった惑星はかなりあるが、大半は木星や海王星くらいのサイズで、生命がいる可能性は低い。

 NASAは2011年12月5日、600光年先にある太陽に似た恒星を周回する地球とよく似た惑星が確認されたと発表。生命の存在に最適な位置だった。NASAの宇宙望遠鏡ケプラーが発見した惑星は、ケプラー22bと名付けられた。ケプラー22bは直径が地球の約2.4倍。恒星のハビタブルゾーンの中心域で、海王星より小さい惑星が見つかったのは、初めてのことだった。

 さらに、2011年12月20日、NASAが発表した2つの惑星、ケプラー20eとケプラー20fは、“地球サイズ”と呼べる初めてのものだった。だが、恒星に近すぎて残念ながら生物は棲めそうになかった。この発見で、ケプラーが地球サイズの小さな惑星でも発見できることが証明された。

 2012年12月20日、「くじら座」のタウ星に発見された惑星は、地球から12光年先のハビタブルゾーンにあり、大きさは地球の5倍、生命が存在する可能性がある惑星としては、これまで発見された中で最も地球に近いものであった。

 ハワイのケック天文台などによる観測で惑星候補が見つかったのは、12光年かなたにある太陽と同タイプの恒星、くじら座τ(タウ)だ。5つの惑星は地球の2~5倍の質量を持つ「スーパーアース」で、そのうち1つは液体の水が安定的に存在できる範囲(ハビタブルゾーン)にある。地球の約5倍の質量は、これまでハビタブルゾーンで見つかったものとしてはもっとも軽い。

 発表者のMikko Tuomiさん(英ハートフォードシャー大学)らの国際研究チームでは、小型の系外惑星に由来する弱いシグナルを検出するための技術を開発しており、そのテスト観測中にもたらされた予想外の発見となった。

 メンバーの一人、James Jenkinsさんは「恒星としてはひじょうに近くにあり、しかも明るいので、遠くない将来にこれらの惑星の大気を調べることができるかもしれません」と期待する。「こんなに近くに見つかったということは、この天の川銀河にはこうした惑星系がありふれているということを示しています」。

 またSteve Vogtさんによれば、今回の発見は、ほとんどの恒星に惑星系が存在するのではという考えに沿ったものだという。「現在わかり始めているのは、複数の惑星がそれぞれ100日以下の周期で1つの恒星を回るような惑星系が多数派なのではということです。公転周期88日の水星が一番内側という太陽系は少数派なのかもしれません」。(2012年12月20日 ケック天文台)


(つづく)
[2013/05/04 00:03] | サイエンス | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
スパイダソリティアで‘92’が・・・!
スパイダソリティアで‘92’が出た!

2013年05月02日01:46である。

画像ー126 191-2
これが、その画面!

画像ー126 178-2
移動回数‘92’である!

画像ー126 180-2
時刻は、2013年05月02日01:46である。

最近このゲームも余りやらない。ブログを書くのに忙しいからだ。下の画面にあるように、この日は立て続けに‘100’を何度も切った。たいしたことはないが、‘92’、‘98’、‘98’、‘99’が一時間の間に出たのである。通常は、1時間やっても一度‘100’を切ればいい方であるのに・・・。

画像ー126 200-3

「移動回数が‘92’、こりゃあ、今迄で最高!だろう」という訳で、世間様での移動回数が少ないのは一体どのくらいだろうと思って、例の通り‘WEB’で調べてみた。

「スパイダソリティアで‘92’が・・」が検索文語である。その結果、驚くべきことが・・・、結果はCMの後、というのは‘開運・なんでも鑑定団’であるが・・・、

ダウンロード (5)
http://www.city.warabi.saitama.jp/hp/page000003700/hpg000003690.htm

さて、‘WEB’を見て驚いたのは、次の画面!

スパイダソリティアで‘92’が・・・ - Google 検索0001
‘Google’検索(‘スパイダソリティアで‘92’が・・’)

上から3番目に‘ピンからキリまで 出た!91’が出ている!

おい、おい、これって弊ブログの「ピンからキリまで」なの??

中身を見てみると、

http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-173.html
出た!91

スパイダソリティア というゲームがある。

ソリティア: solitaire (フランス):一人トランプのこと。因みに、英語は、patience で、一人トランプの他に、「(冷静な)忍耐(力)。(…に対する)しんぼう(我慢)強さ。根気。」と言う意味がある。

まさにこのゲームは、‘忍耐’と‘我慢’と‘根性’がないと出来ない。ただ、‘一人トランプ’だから、麻雀のように員数が揃わなくても出来るし、いつ止めてもいい。そんなジャンル別けから言えば、‘パチンコ’の分類に入る。

今の若者は、出来るだけ‘他人とのコミュニケーションを取りたくない’傾向にあるから、こんな‘一人ぽっちの’ゲームも大流行りだとか・・・。

2012年6月14日2:12 にこれまで出たことがなかった
【初級】での‘移動数’で‘91’が出た!

我が家では、記録が残ってはいないので信用に値しないが、これまで‘92’が最小移動数であったので今回の‘91’は、これまでの最小移動数の記録となった。

<中略>



139219289.jpg
‘91’の証拠写真!(2012年6月14日2:12)

そして、そして、知りたい情報:最小移動回数についてもちゃんと調べが付いているではないか!

http://blog.atake-i.com/?month=201009&page=1
最小移動回数について

たまたまというかありえない確率ですが、配る50枚の札が一枚残らず移動させなくてもよいように配られたとすると、96-50=46が考えうる最小の移動回数で得点にすれば1254点になります。



記憶とは、極めて‘怪しい’物である!

この‘92’という数値だって、出た時には‘これが今迄で最小回数!’と思って小躍りしたもんであるが、事もあろうに、およそ一年前の自分のブログに‘91’の記事を載せていたのである!

いやいや、まいった、参った! やはりこれは‘年のせい’にしておこう!

(つづく) 今度こそ、最小回数‘90’以下の記事を!
[2013/05/03 00:00] | 趣味 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
| ホーム | 次のページ>>
designated by FC2