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‘分骨’について
私も母を亡くした時、‘分骨’について悩んだ覚えがある。そう、もう40数年も前のことである。

自分の親なんだから、そんなことって許される、という非常識な考えであった。もっと言えば、御釈迦様だって‘仏舎利塔’に‘分骨’しておられるのに、宗教的に何が不都合なのだろうか?とさえ思っていたようだった。

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http://www.fujistardust.jp/blog/log/eid396.html
御殿場プレミアムアウトレットに向かう途中に箱根側の山に見える謎の白い塔が仏舎利塔です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E8%88%8E%E5%88%A9%E5%A1%94
仏舎利塔(ぶっしゃりとう)とは、仏舎利(釈迦の遺骨)を納めるとされる仏塔。一般に仏塔の原型であるインドの「ストゥーパ」[1]の様式をそのまま模して建てられた仏教建築物である。
ドーム状の構造物の上に相輪をもつ。日本では近代になって建てられたものも多い。また本来の舎利を祀るだけでなく、太平洋戦争でなくなった英霊を祀る仏舎利塔もある。


そろそろ、自分自身の問題として‘分骨’ということが現実的になって来ると知識不足が不安になって来る。本当に老後(今でも既にそうなのだが・・)は、どうする?ということが現実のものとなりつつある。でも、まだ現役の積りであるから、これから新しい会社の創設に参加させて貰って、あのプロジェクトもこのプロジェクトもやりたいと思っている。事と次第によっては、海外へ単身赴任でも、という気さえある!

でも結構足にも負担をかけると若い時と同じにはいかない。先日も慣れない皮靴で都内を2時間以上歩いたら少々足の調子がおかしくなって、回復するのに3日も掛かってしまった!

さて、‘分骨’について調べてみると次のような文献が見つかった。

http://ohaka.nomaki.jp/ohakaotherhbunnkotu.html
分骨とは

一.分骨とは

  分骨とは、何らかの理由により遺骨の一部を分けること(分ける理由は後述)を言います。
 分骨する際には、以下の三つの場合が考えられます。

A.お墓に既に納骨されている遺骨を分骨する場合
 
 お墓に既に納骨されている遺骨を分骨するには、お墓を建ててある墓地,霊園の管理者(又は会社)に分骨の意思があることを伝えます。墓地,霊園の管理者からの同意を得て、手続きを済ませます。お墓のある墓地,霊園が公営または民営だった場合は寺院のご住職にお布施を包みます。
 この場合の手続きは基本的には改葬と同じ手順です。

B.火葬後、すぐに遺骨を分骨する場合

 火葬後、すぐに遺骨を分骨する場合には、前もって火葬場にその意思を伝えておきます。そして、葬儀社に分骨用の骨壷の用意を依頼しておき、骨上げの際にその分骨用の骨壷に遺骨を移すように致します。
C.お墓に納骨する際に遺骨を分骨する場合
 お墓に納骨する前に分骨を行う場合は前もって墓地,霊園の管理者にその意思を伝えておく必要があります。それは納骨の際にお墓を建立した墓石・石材店が遺骨をお墓に移す場合があり(素人ではちょっと無理なことがある)、そのことを墓石・石材店にも伝えるからです。分骨用の骨壷を墓石・石材店へお願いするように墓地,霊園の管理者に伝えておいた方がよいと思います。
 納骨法要の読経が終わった際に遺骨を分けるようにして、分骨を行います。

二.分骨が必要なとき

 分骨が必要なときというのは実際にどういうときでしょうか。少し考えてみましょう。
 
A.お墓が遠くにあり、改葬を考えているが……
 
 お墓が遠くにあり、お墓の面倒をみるのが難しいから改葬をかんがえている。しかし、そのお墓の近くにも一応面倒を見てくれる親類がいて、その方は改葬に反対している場合があります。
 反対する親類からすると遺骨が故郷から離れるというのはかわいそう というところでしょうか。その際に分骨を相談してみるといいと思います。しかし、分骨した後に新たにお墓を建立するとなると経済的な負担もあるので、よく考えて、ご家族や親戚と相談なさる必要があると思います。
 
B.とても大切な人だったから……離れたくなくて

 分骨する理由としてはこれが多いような気がします。とても大切な人だったために離れたくないということで手元で供養したい。でも、きちんとお墓にも入れてあげたいということで分骨をされる方もいらっしゃるようです。最近では遺骨を入れられるペンダントなどが販売されていたりしますので、分骨すればいつでも、肌身離さずに持ち歩けるという時代になりました。
少し余談ですが、ペットを亡くした場合に、そのペットの遺骨を肌身離さずいれるためにそういったアクセサリーなどを購入する方が増えているようです。
 
C.散骨・樹木葬などをするために
 
 分骨して散骨や樹木葬、または遺骨をダイヤモンドにする供養の仕方を選ぶ方も増えてきています。亡くなった方の希望で散骨や樹木葬をしてほしいといった場合に前述のBの場合と同じくお墓にも入れてあげて、分骨した遺骨を散骨や樹木葬などにすることもあるようです。

三.分骨をするにことにあたって注意したいこと

 分骨する理由はそれぞれの遺族で様々な理由があると思います。そこで分骨の際に注意しておいた方が良い点を記載してみました。
分骨する際は必ず、他の家族や親族とも話をする
既にお墓に納骨を済ませている場合はそのお墓のある墓地,霊園の   管理者に分骨の意思を伝える
火葬後に納骨する際は、事前に火葬場へその旨を伝えておく
納骨の際に分骨をするなら、事前にご住職や墓石・石材店に   その旨伝えておく
墓地,霊園の管理者や寺院から分骨証明書を取得する   (分骨して改葬する場合に必要)
分骨した場合の使用許可証に氏名が記載されない場合があるので、   事前に確認しておく必要がある
 ご遺族間でそれぞれの倫理感や宗教観念があるとおもいますので、よく話し合って、分骨される必要があります。また、分骨した遺骨の改葬や散骨,樹木葬をする場合には許可証などの書類が必要になります ので、事前に業者などに確認をしてください。
 
四.分骨……補足

 分骨をする理由もそれぞれありましたね。本当はもっとあるはずです。その分骨をする際に相談があったことを2例ほどまとめておきました。
 
A.分骨して手元供養にしたけれど
  
   分骨して手元供養を希望された方で時々いらっしゃるようですが……。時が経つにつれて、分骨した遺骨がホコリをかぶるようになった……。または、分骨した遺骨がどこにいったかわからなくなった。

  こういうことはないようにしたいですね。

B.遺骨の所有権
 
  配偶者の遺骨を新しいお墓に移したいが、配偶者の両親に反対されている。この場合はどっちが遺骨の所有者になるのか。
  これも骨肉の争いでしょうか。裁判までいくこともあるようで、最近の判例では配偶者の方に遺骨の所有者である権限があるようです。しかし、配偶者の方に遺骨を所有する権限があるというだけで、倫理感や宗教観によりその遺骨の供養の仕方というのは遺族の気持ちを考えた上で遺骨を供養しなければ、争いごとになってしまうことが多いので注意しましょう。
 分骨の補足に関しては言われないでもわかっているという方が殆どのことでしょう。ただ、実際にこういうこともあるんだなぁっと気をつけようと思っていただけると幸いです。


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http://memoria-areca.net/crown_C-2

私の場合もそうであったが、個人が個人として‘分骨’を考える場合、亡き人を永遠にとまではいかずともなるべくなら出来る限りの時間、自分の傍(仏壇)に置いておきたいという‘欲求’から来ている。次の‘Q&A’も正にその通り個人的‘欲求’に対して、次のような回答がある!

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1447260554
Q:分骨したお骨は、自宅の仏壇に置いておいてもいいのですか?

納骨時に、遠方にいる妹に分骨して供養してをもらいたいと考えています。自宅にも妹と同様に小さい骨壷に納めたお骨を置いておきたいと思っています。仏壇に置いておいても差し支えないでしょうか?

A(1):お釈迦様も各地に分骨していますので仏教上は分骨は問題ありません。

ただ、注意点として、
①法律上は勝手に分骨しますと、どこにも納骨できない遺骨になってしまいますので納骨時に、その墓地の管理者(寺院等)から「分骨証明書」を取得し、その証明書と共に保管する必要があります。
②分骨をいつまでも自宅に置いておくとして、自己も妹さんも歳をとりますのでそのままでは次の代のお子さんたちが困ることになるかもしれませんし、お孫さんの代まで、曾孫さんの代までそのままだったらもう誰のご遺骨だかも、なぜ家に分骨があるのかもわからなくなってしまう可能性があり、子孫に迷惑をかけかねません。したがって、ご自宅仏壇への分骨の安置はある程度の期限を区切るべきでしょう。

A(2):お釈迦様を引き合いに出す回答は的を得ておりません。

お釈迦様と貴方とは全く違います。

お釈迦様亡き後を、お祀りをする目的で10の遺骨を別けて立てたのが『スツーパ』です。

お釈迦様がお骨を別けたのではなくて、残された弟子や国王がお祀りをし供養をする為に祀った仏塔を建てているのです。

であるならば、貴方も仏塔を立てて遺骨を迎えて祀るべきです。

分骨は絶対に行なうべきではありません。

なぜ、兄と妹に分離させる必要が有るのでしょうか?。
妹とは兄妹でありましたが、妹は嫁いで生活が別にスタートをしています。
そこへ貴方の遺骨を置いてどうなるのですか?。
子孫に迷惑を及ぼす始末を作ってはなりません。

遺骨を仏壇と言う器に何時までも曝し続けるのではなくて、一刻も早く土へ還して、溶けて行き無に成る願いこそ、遺恨を残さずに完全に仏の世界へ往生した姿となります。

遺骨を兄妹間で分け合ってはなりません。
誤解をしないで下さい、

分骨とは、
本山へ一部を別けて納める事で、宗祖や開祖様と一緒の御廟へ納まる宗門としての喜び有る教義です。



なるほど、成程。仏壇という‘狭い’器に閉じ込めてはならぬ!一刻も早く土へ還して、溶けて行き無に成る願いこそ往生である!

このご指摘には感服した!

ところで、‘骨壷’に入れた‘焼骨’はその後一体どうなるのだろうか?

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http://wan-nyan-memory.ocnk.net/product/844

これまで、余り考えたことが無かったので、一寸調べる気になって来た。当然骨はカルシウムが主成分だから保存状態が良ければ、そのまま残る。これは化石が証明している。

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/3142879.html
Q:お骨が水になるというのは本当ですか?

以前、お墓に埋葬された骨は水になると聞いた事があります。
フと気になって調べてみたのですが、なるという話と、ならないという話の両方があり、いまいち判りません。
恐竜の骨や原始人の骨が残っているあたり、状態にもよると思うのですが、骨というものは放っておいたら最終的に何になるものなのでしょうか。溶けると土になるのでしょうか。
ご存知の方いらっしゃいましたらお願いします。

A(1):化学的にはなりません。

骨の主成分はアミノ酸やカルシウム化合物です。
アミノ酸部分は、主に、微生物に分解され二酸化炭素やアンモニア、そして、水に分解されます。カルシウム部分も風化により流れてしまったり、微生物などに処理されたりします。
なので、宗派によって違いますが、土に直接、お骨を撒くかたちの、埋葬ですと、何十年もたつと、跡形なく消えてしまいますし、骨壷に入れたお骨は微生物に接触しにくいので、何百年も残っています
骨は、最終的には、二酸化炭素をはじめとするガス、土の中の肥料成分、水になると思われたら良いでしょう。そのなかで、運の良かったものだけが分解されず、カルシウム分などが残留したり、他の成分がしみこんだりして、後々まで残ると思われたら良いかと思います。

A(2):骨が水に変化することはありませんが、中医学(漢方医学)では骨は腎に属します、腎は水に属します。
それから骨壷の中の水の話ですが、骨が変化したのではなく、骨壷の周囲の環境によって、たとえば温度差と湿度の関係で、骨壷内の水滴が溜まって出来たものと思います。
この二つの考え方が一緒になって、水に変化すると考えてしまったものと思いますが。


(つづく)


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[2013/05/21 16:14] | 宗教 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
‘拝み墓’
このブログでも紹介したが、千葉県・東金市の最福寺境内にある‘切られ与三郎’のお墓は、‘拝み墓’であるという。<註:‘詣り墓’とも>

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2013年05月12日(携帯で撮影)千葉県・東金市の最福寺境内にある‘切られ与三郎’の墓

右が、四代目・芳村伊三郎(切られ与三郎のモデル)の‘拝み墓’( →‘詣り墓’)で、左が五代目・芳村伊三郎の‘埋め墓’という。

http://www1.odn.ne.jp/saifukuji/index1.htm
5代目伊三郎は、東金の岩崎の秋山嘉吉さん方で、明治十五年に亡くなり、師の墓の隣りにという遺言で、葬儀も当寺で営み、過去帳にも残っております。東金のお祭りのおはやしは、この5代目の長唄の影響を受けた珍しいリズムです。
お墓は当初30メートル先にありましたが戦前、秋の豪雨で崩れました。戦後歌舞伎役者、当市有志のきもいりで、この地点に新しく建てかえられたものです。


‘拝み墓’、‘詣り墓’などは、初めて聞く‘熟語’である!因みに、これらの‘対義語’は、上記の通り、‘埋め墓’だという。

ただし、この‘拝み墓’と聞くと、「あ~、なるほどネ!」と正確な意味は判り兼ねても納得がいく。というのは、同じ人のお墓が幾つもあったりして「どうして?」と思っていたからである。

ど素人なりにただ漠然と想像していたのは、‘分骨’してあるのかな?ということだったが、現在の法律では‘分骨’には或る手続きが必要である。‘分骨証明書’という正式書類の発行が無ければ分骨は出来ないということになっている。

当然のことであるが、‘拝み墓’には、分骨もされている訳ではないので、‘遺体や骨’はない!

さて、話を江戸時代のお富さん・切られの与三郎の時代に戻す。

日本で‘火葬’が始まったのは仏教の伝来とともにという事のようである。しかし、江戸時代の儒教思想から考えると、身体を傷つけるのは大きな罪であった他、‘火葬’には費用がかかるため、当時は‘土葬’が一般的だったという。従って、‘分骨’ということは元々存在しないのである。

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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E8%91%AC
江戸時代の火葬、『日本の礼儀と習慣のスケッチ』より、1867年出版

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E8%91%AC
日本における火葬 [編集]

歴史 [編集]

日本における火葬は仏教と共に伝わったという説が有力とされている[注 1]。

『続日本紀』によると、日本で最初に火葬された人は僧道昭であり、文武天皇4年(700年)のことであるとされる。また天皇で最初に火葬されたのは持統天皇(702年)である。8世紀ごろには普及し、天皇に倣って上級の役人、公家、武士も火葬が広まった[1]。

ただし、近年ではそれに先行して火葬が行なわれていた可能性も強く指摘されている[1]。古墳の様式のひとつに「かまど塚」「横穴式木芯粘土室」などと呼ばれる様式のものがあり、その中には火葬が行なわれた痕跡があるものが認められる。それらは6世紀後半から出現しており、研究が進めば日本における火葬史は100年以上遡ると考えられる。

一方、土葬も廃れていたわけではなく、日本では火葬が広まった後も、土葬が広く用いられていた。仏教徒も含めて、近世までの主流は火葬よりも棺桶を使った土葬であった。儒教の価値観では、身体を傷つけるのは大きな罪であった他、火葬は燃料代がかかり葬地の確保が難しくなる明治になるまで、土葬の方が安上がりだったためとの説がある。遺体という大量の水分を含んだ物質を焼骨に変えるには、大量の薪と、効率よく焼くための技術が求められる。そのため、火葬は費用がかかる葬儀様式であった[1]。一部には鳥葬に代表される曝葬の習慣もあった[要出典]。

近代に入ると、明治政府は明治6年(1873年)に神道による挙国一致を目指した神仏分離令に関連して火葬禁止令を布告したが、仏教徒からの反発や衛生面の理由から明治8年(1875年)には禁止令を廃止している。その後火葬技術が進歩したこともあり、近現代の日本では火葬が飛躍的に普及し、ほぼ100%の火葬率である。

一方、明治以降も、天皇、皇族は長年に渡って土葬となっていたが、2012年4月、宮内庁は今上天皇が崩御の際は火葬を希望するとの意向を発表した[2]。


切られ与三郎のように二つの墓を作ることを‘両墓制’というらしい。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%82%E3%82%8A%E5%A2%93
両墓制とは遺体を埋葬する墓地と詣いるための墓地を一つずつ作る葬制のことである。つまり一個人に対し二つの墓を作ることから両墓制と呼ばれる。遺体の埋葬墓地のことを埋め墓(葬地)、墓参のための墓地を詣り墓(まいりはか、祭地)と言う。基本的に一般民衆の墓を対象にし、その成立、展開は近世期以降である。両墓制は土葬を基本とし、遺体処理の方法がほとんど火葬に切り替わった現在では、すでに行われなくなった習俗と言ってよい。しかし、両墓制墓地自体は現在も各地に残っている。 葬送習俗、祭祀習俗とあわせて各地に様々な特色があり、特に近畿地方に濃厚に存在している。その特徴的な墓制は、大正期より複数の報告がなされたが、民俗学者の柳田國男が昭和4年(1929年)に「墓制の沿革に就いて」(『人類学雑誌』500号)で両墓制を取り上げて以来、両墓制の諸問題は民俗学の担当分野となった。 ただ、柳田はこの習俗に関しては「葬地」と「祭地」といった呼び方[1]をし、「両墓制」という言葉自体は柳田の下で山村調査にあたった民俗学者の大間知篤三が使い始めた語[2]である。

両墓制の習俗 [編集]

両墓制は必ずしも一定の決まりを持った習俗ではなく、各地で様々な特色がある。ただ、大きく捉えると両墓制の特徴は「埋め墓」という遺体埋葬地と「詣り墓」という遺体のない墓参用墓地の二つが存在していることにある。

埋め墓 [編集]

遺体を埋める埋葬地。多くは土葬を基本とするが、稀に火葬や改葬を伴うものも見られる。人里離れた山林などが多く、墓標をまったく建てずに埋葬する場合、自然木、石、木製角柱墓標、卒塔婆を墓標に用いる場合、あるいは詣り墓と同じように石塔を建てる場合など様々なパターンがある。集落ごとの共同墓地であることが多く、その埋葬地は家や年齢などによって区画分けされる場合もあれば、まったく決まりが無く空いた土地に埋めたり、古い墓地を掘り起こして追葬する場合など様々である。 埋め墓に参る期間も、埋葬後は一切埋め墓に参らない場合から、四十九日、一周忌、さらには五年、七年と言う長い期間を経て弔い上げをする場合など様々である。いずれにせよ、弔い上げの終了後は詣り墓へ墓参をするようになる。また、埋め墓の土を詣り墓へ盛っていく風習も少なからず存在する。 埋め墓の呼称としては様々なものがあるが、多い事例としてはミハカ、サンマイ(三昧)、ボチ(墓地)、ヒキバカなどがある(これらの呼称が詣り墓の呼称と逆の場合もある)。

詣り墓 [編集]

定期的な墓参や先祖供養、盆などに参るための墓である。通常、石塔を建てる。遺体はない。寺院の境内に存在する場合も多く、石塔は五輪塔、多宝塔、宝篋印塔のような仏塔から一般的な角塔墓、笠塔婆など様々である。遺体埋葬の必要がないので、石塔だけが緊密に並べられることが多い。
詣り墓の呼称としては、ラントウバ(卵塔場)、ラントウ、タッチョウバ、サンマイなどがある。

隣接両墓 [編集]

両墓制の基本は埋め墓と詣り墓が距離を隔てていることにあるが、全国の例では二つの墓がかなり近い位置にある場合が多く見受けられる。これは埋め墓と詣り墓が道一つ挟んで並び合っている場合や、詣り墓が小高い壇上にあり、その下の平場に埋め墓がある場合、あるいは完全に同じ土地に埋め墓の区画と詣り墓の区画が隣接している場合がある。このような隣接両墓は、通常の単墓制との区別が曖昧である。

発生要因 [編集]

両墓制がなぜ発生したのかということに関しては、不明な点が多くはっきりしない。代表的な意見としては死穢の観念や遺体恐怖から遺体埋葬地を人里離れた場所に作り、人の住む場所の近くや寺院境内に死者供養のための石塔墓地を別に作ったというもの、現実に土葬習慣における腐敗した遺体の臭気を避けるために埋葬地を別にしたとも考えられる。柳田は、埋め墓において個人の埋めた場所が曖昧であったり、わからないといった例を用いて、死穢や魂の問題から埋め墓を墓として認識しておらず、詣り墓こそが本来の墓であると考えた。また、改葬、風葬習慣から両墓制が発生したとした。また大間知は死穢を畏れる古い習慣がもともと存在し、同時に死者供養のための石塔を受容して両墓制は発生したとした。 柳田らの考え方では、祖霊信仰に基づいて日本固有の古い習俗として位置づけるものがあったが、一方で庶民の墓に石塔を墓標として建てる習慣が中世末より近世期に一般的になったことや、両墓制が近畿地方にのみ濃密で、他の地域では極端に例が少なくなることを踏まえて、両墓制はそれほど古い習俗ではないという考え方もある。



(つづく)次回は、‘分骨’について
[2013/05/21 02:25] | 宗教 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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