昔、漆(うるし)を濾す時に和紙を用いたという。その代表が‘吉野紙’である。
この吉野紙は、通常の和紙に比べて、極めて薄いのに‘腰が強く’中々破れるという事が少ない! そのために大変重宝がられたという。 しかし、特殊な作り方のために、高価であった。 現在においては、合成繊維の進歩のお蔭でその用途は無くなったらしいのだが・・・。 昔の職人さんがこだわっていたという事が明記してあるブログを見つけた!
昔のこだわり職人さん達は、こんな努力をしてその技術を守ろうとしていたことがこの文献で良く判る! しかし、上述の通り技術の進歩がこの苦労を吹き飛ばしているという! ![]()
まあ、こうなると職人気質の技術は消えてしまう! 技術の進歩というものは、謂わば‘職人気質’という職人の誇りを‘消滅’させるものなのだろう! 技術の進歩は、‘個性の均一化’に繋がってしまう! これじゃあ、世の中面白くない! (つづく) スポンサーサイト
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ジャンボユズ(獅子柚子・鬼柚子)という‘ゆず’があると言う。
カミサンが貰って来た。 最初は、質の悪い‘文旦’かな?と思った。 ジャンボユズというのなら、柚子の仲間に違いないだろうから、先ず‘ユズ’を調べてみると、 。 という事で、名前には、‘ユズ’と付いてはいるものの、やはり(?)ザボン・文旦の仲間だそうだ! では、文旦とは?
調査して判ったこと。 ① ユズは、ミカン科ミカン属の常緑小高木。柑橘類の1つ。ホンユズとも呼ばれる。消費・生産ともに日本が最大である。 ② ジャンボユズ(獅子柚子、鬼柚子)は果実の形状からユズの仲間として扱われることがあるが、分類上はザボンやブンタンの仲間であり、別種である。 ③ ブンタンは、原生地は東南アジア・中国南部・台湾などであり、日本には江戸時代初期に渡来した。文旦、ザボン、ボンタン、ウチムラサキ(ウチムラ)は、同じもので、地方によって呼び名が違うだけ。 ④ ブンタンは自然交雑により色々な品種を生み出しており、グレープフルーツ・ナツミカン・ハッサクなどはブンタンの血を引いている。 という訳で、「ジャンボユズ(獅子柚子・鬼柚子)」の正体を! ![]() ![]() ![]() ![]() ここまで拡大すると、実物よりも大きくなって‘不気味’でもある! ![]() 半分二割ってみると、このように‘文旦’に似ている。 ![]() これも拡大して見ると・・・。 ![]() このまま食べて見たが、夏蜜柑とほとんど同じ! ![]() 遂に、カミサンの手で‘マーマレード’になってしまった! これが実に美味い! 一寸大味だが・・・。 勿論、文旦の仲間というから、本来の‘ゆず’の機能はない! (つづく) |
2013年11月21日の弊ブログに、
と、書かせて貰った。そして、②の神田古本市の様子を体験した記事を先に書いた。 今日(2013年11月24日)は、① の‘曼荼羅の世界’を覗きに行った日(11月3日)の記事である。 ![]() http://www.k3.dion.ne.jp/~kanzoin/ 行き先は、慈雲山曼荼羅寺観蔵院・曼荼羅美術館。場所は、以下の通り。 ![]() ![]() 西武新宿線で井荻駅下車。歩きで約30分、やっと、上図の‘観蔵院入口’の交差点に到着した。 ![]() 2013年11月03日(文化の日)13:54 ![]() この交差点が‘観蔵院入口’である。左折するといよいよ曼荼羅美術館である。 ![]() ご案内が出ている。 ![]() ![]() ‘悉曇’は、‘しったん’と読む。
![]() ● 平成25年 第19回 仏画・悉曇特別展のお知らせ 日 時:平成25年11月1日~5日 AM10時~PM4時(最終日はPM3時半まで) 場 所:観蔵院曼荼羅美術館本館・別館・本堂・客殿 入館料:無料 ●住職からのご挨拶 日本文化は、何といっても仏教が基盤です。日本文化のそのものを示す「仏画・悉曇展」は今年で第19回を迎え、内容も回を重ねるたびに質を高めるよう努力して参りました。 今回も新企画を加え、皆様の満足できることを願い、真心をこめ準備をいたしました。人の心を豊にするためには、すぐれた文化に接することが大切です。開催期間中は様々な仏教文化に出会うことができます。多くの方々のご来山を衷心よりお待ちいたします。 観蔵院山主・小峰彌彦 ●特別展示会 ◇ 曼荼羅特集 武蔵野大学寄贈 子島曼荼羅(金剛界)・別尊曼荼羅・その他 ◇ 染川英輔画伯 日本画作品展 「幼年時代」「聖夜ーアッシヂにて」「聖母子」「夢」他 作者の魂の記録として制作された日本画作品の数々を展示します。 次作「壇の浦レクイエム」への習作 「壇の浦真景図」「武者」「船」「顔」他 ◇ 截金教室 最初の展示会 ![]() ここが曼荼羅美術館への入り口。 ![]() 入口の正面。 ![]() 真言宗だから、弘法大師である。 ![]() 曼荼羅美術館、という立派な碑が建っている。 ![]() 恐るおそる入ってみると・・・ ![]() 本日の特別展に、大勢の人達が集まって来ておられた。言葉から、随分遠くから来られたのが判ったが・・・。 内部は、写真撮影禁止だったから、画像はないが、素晴しい仏画が数十点展示してあった。 ‘悉曇(しったん)’は、梵字の一種というから、全く意味が判らない。ただし、この悉曇の技法にも色々あるらしく、何となく‘上手・下手’が判るのが面白い。悉曇で、般若心経が書かれていたが、これは素晴しかった! 写真撮影禁止なので、残念なのだが、どうして禁止なのだろうか?不思議である。何かに‘活用’されたって、よさそうなのに・・・。商品価値で禁止というのなら、本来の目的は?と聞きたくなる! ![]() さて、この碑には、‘真言宗’にとっては大事な中興の祖、弘法大師亡き後の‘腐敗’脱却に一命を賭した興教大師の怨念とでも言えそうなオーラが見える!
宗教団体にしろ、政治団体にしろ、会社・法人にしろ、‘人の集団’では、いずれ‘内部抗争’が起き、崩壊へ繋がって行くのは、歴史が証明している。ただし、その集団には建て直しを図る大人物が現れて‘中興の祖’となる。 そんな生き様が、人間の歴史なのだろう。‘中興の祖’だけをピックアップして歴史を学ぶと、またそこから或る共通した‘教訓’を引き出すことが出来るのかも知れない! ![]() ![]() ![]() この画像の中心に・・・ ![]() 蜘蛛が・・・。 ![]() ![]() ![]() ![]() お寺の境内に、何と‘レモン’の木が・・・。 ![]() 立派な‘青いレモン’が・・・。(緑色なのにどうして‘青い’というのだろうか?) ![]() 参道・・・。 ![]() 背丈の高い木には、オーラがある! ![]() この木の一部腐食部分には、‘木の子’が・・。 ![]() 松の大木にも、何だか大きな‘ちから’が感じられる! ![]() ![]() こちらが、本来の入り口?? ![]() あそこが曼荼羅美術館。 ![]() これが正面だった。 ![]() ここ、曼荼羅美術館では、こんな素敵なイベントも・・・。 この曼荼羅美術館で、ゲットした資料は次の通り。 ![]() 仏画の手ほどき書。 ![]() ![]() ‘曼荼羅’の意義とその構造については、別途調査して見たい。 (つづく) |
11月3日は、日本国では‘文化の日’として国民の祝日である。
文化と‘対比’されるのは、‘文明’であるが、今日は、その対比については以前にこのブログでも書かせて貰ったからこの事については述べない。 でも、‘文化’の定義的なことについてはこの際確認しておこうと思う。 ![]() http://www.icis.kansai-u.ac.jp/institute.html ‘日本語の「文化」という語は坪内逍遥によるものとされている’という事は古い昔何処かで聞いたことがある。 この際‘文化’という事に対して、一生に一度くらい、小難しいと思わずに‘Wikipedia’では、どんな記事になっているかぐらい読んでみたって罰は当たるまい! そんな訳で、‘Wikipedia’での‘文化’を丸ごと転載して見た! 中国に起こった‘文化大革命’は、単なる政治的‘権力闘争’であって、真の‘文化’に関しては‘大革命’などという言葉とは、全く真逆な出来事で、これのよって中国は多くの‘貴重な’文化的遺産を消失してしまったのである。これについては、別途記事にしたい。
![]() http://japanecho.net/jp/topic/0107/ ここでは、人間の外には、動物にも‘文化’が存在するとの暗示がなされているに過ぎないが、当然動物も‘文化’を持っているし、植物だって持ってる!松枯れは、松が伝染を防ぐための防護策を持っている話は有名であり、これぞ‘文化’である。これは後日詳細に! (つづく) |
今日、2013年11月22日(金)は、会社の‘有志会’を開催するので、‘古巣’へご集合願いたい旨のご案内を約一ヶ月前に頂戴していた。
その時の返事に、 「もしも、まだ寿命があれば、当然参加させて戴きたい。その時死亡していれば‘化けて’でも参加したい!云々」 と書いて返送していた。 最近は、明日何が起こるか判らない!自分自身の所為だけではなく他人様から或いは何らかの‘不可抗力’のために死亡するなんてことは日常茶飯事というところまで来ているから、油断が出来ない! 幸い今日まで生き延びているから、是非参加しようと、古巣の職場へ向かった。 入社したのは、昭和42年(1967年)4月だから、46年が経過している。入社後直ぐに‘新入社員教育’で東京・調布市の訓練施設に、多分2ヶ月ばかり入れられたから、職場に配属になったのは、6月の始めだった。 場所は、武蔵野市である。当時、住宅事情は当然今より厳しかった! 新入社員は、当然独身寮に入れて呉れるのだが、東京都の一番西で、ちょいと行けば山梨県という青梅市のそれも一番西で、今の‘JR東青梅駅’から歩けば、約40分は掛かろうと言う山奥だった! 夜21時を過ぎるとバスは、もう通わない。新入社員がタクシーという訳にはいかないから、みんな‘テクシー’だと言って夜の真っ暗な道を毎晩歩いたものである。 よくも‘暴動(?)’が起きなかったなあ、と今から思えば‘新入社員’は、従順なものである! 毎朝6時には独身寮を出なければ、武蔵野市の職場には朝8時には着けない! 新入社員が、始業時の8時半にのこのこ到着すると言う訳にはいかないからである。 高度成長時期で、中央線・三鷹駅で下車するのだが、この時の‘超満員’の凄さは、「‘カバン’は手を離しても落ちない!」くらいのぎゅうぎゅう詰めで、これは比喩ではなく本当に落ちないのである! 職場に着けば、20歳代の若者と言えど、それはもう、朝の力仕事を十分こなした後のようで休憩が必要だった。 しかし、素晴しかったのは、土曜の半ドンと日曜日である! 土曜は早く帰れば夕方には、空気の綺麗なところで夕日が拝めるし、日曜日は、そのまま‘山小屋’気分である! この一日半で、元気は回復した! そんなこんなの思い出が深い‘三鷹駅’! ここ数年、いやもっと6~7年は、ご無沙汰をしていたから、やはり三鷹駅周辺の変貌ぶりには驚かされた! ![]() 2013年11月22日16:24 JR三鷹駅北口前 懐かしい場所だから、目的地まで歩くことにした!凡そ30分の道のりである。 ![]() 長崎平和記念像を作成された北村西望のブロンズ像がJR三鷹駅北口の前にある! ![]() http://musashino-cotswolds.jimdo.com/%E3%82%80%E3%81 %95%E3%81%97%E3%81%AE365%E6%99%AF-1/%E3%82%80%E3%81 %95%E3%81%97%E3%81%AE365%E6%99%AF-%E2%85%A1/ 世界連邦平和像(長崎の平和記念像で知られる北村西望氏制作のブロンズ像)
![]() こんな高層ビルは、6~7年前にはなかった! ![]() この通りは、三鷹駅北口から真っ直ぐに北に向かっていて、バスの数が‘メッチャ’多いことで知られていたが、今でもその傾向は変わらない! ![]() ![]() 警視庁・武蔵野警察署。この玄関(入口)は、ずいぶん立派になった! ![]() 武蔵野市役所。ここへ到着したのが、16:47だから、三鷹駅を出発して、ここまで‘23分’掛かったことになる。 ![]() 奥に見えるのが、目指す元職場! ![]() 16:54 到着!ジャスト‘30分’である。途中の道々、あれは確か000に違いない等とその‘変貌ぶり’に感心しながら歩いてきた!我々が務めていた時代には、こんな立派な建物はなかったのだが・・・。 ‘有志会’の模様は、割愛! ![]() 20:32 三鷹駅北口へ戻って来た!帰りはみんなでバスに乗って・・・。 何と、もうクリスマス気分である! (つづく) |
‘文化の日’の由来が、日本国憲法にあったとは知らなかったが、そう言われてみると、公布(発布)から施行までに半年の期間があることに気付けば、憲法記念日と文化の日が‘無縁’であるという事にはならない、と気づくべきである!
そして同時に、日本国憲法の精神が、「自由と平和を愛し、文化を進めることにある」という事にも気付いておくべきであることを再認識させられた。 そこで、文化の日には、我々も何か‘文化的な事’をと考えた結果、 ① 曼荼羅の世界を覗きに行こう! ② 文化の象徴(?)である‘本’について、神田古本市を体験しよう! という事になった。 ① の曼荼羅の世界については、後日報告することにする。 さて、曼荼羅のお寺を拝見して、多少消化不良気味ではあったが、それなりの満足感はあった。そして、神田古本屋街に着いたのは、もう日暮れも近い時刻であった。 今想い出しても可笑しいのだが、九州の田舎から東京へ出て来て間もなく、そう、もう45年の前の事なのだが‘神田古本屋街’へ行こうと、何も調べずに‘神田駅’に着きさえすれば、‘古本屋街’なんて直ぐそこにあるに違いないと思って出かけたのである。 ところが、国鉄・神田駅(当時)を降りて、周辺を歩き回ったが、古本屋さんなんて一軒もない! とうとう、恥ずかしながら‘交番’で聞いてみると、それは‘神保町’だと教えて呉れたのだが、そこへの行き方がまた判らない! こんな時には‘タクシー’に限ると御厄介になった! 「神保町のどこですか?」と運転手さん。 「ええっと、ほらあの交差点の・・・」と私。 「御茶ノ水駅から降りて来たところの交差点?」 「そうそう!」 こんなことでその時、やっと神田・神保町の古本屋街に着いたのである! こんな昔話をカミサンにしたら、 「へえ~!JR神田駅の近くじゃあないの?」 というから、彼女は、まだ私の45年も前と同じ状態なのである!
そんな訳でJRで言えば、神田駅よりもお茶の水駅の方が近くて判り易い! 御茶ノ水駅に着いたのは、文化の日・11月3日の16時を廻っていた。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() およそ、一時間弱古本屋さんの‘文化’に浸って、ゲットした本、二冊の内の一つ‘800円也’の本(?)が下の‘墨絵’画集である。 ![]() ![]() ![]() 当時、2,700円もしたらしい!(800円でゲット!) ![]() ![]() 今後の‘仏画’に活かせるといい、とカミサンが言っている。一寸は‘文化’の匂いはするのかも?? (つづく) |
11月03日は、‘文化の日’で、国民の祝日であることも皆知っている。
![]() http://tokuhain.arukikata.co.jp/seattle/2012/11/post_79.html 「11月4日の日曜日、ワシントン州日本文化市民会館(JCCCW)で文化の日のイベントがあり、行って来ました。」とコメントがあり、この画像のタイトルが‘postcard’となっているところを見ると、「毎年文化の日に一番近い日曜日に行われているこのイベント」への参加を呼び掛ける案内のハガキのようである。アメリカでの‘日本の文化’の象徴がこの図柄なのだろう。 このように、アメリカでも‘文化の日’に一応注目している様子が窺えるが、しかし、何故、その日が‘文化の日’なのか? どんな理由で、そうなったかを正確に何も見ないで‘解説’出来る人は、多分‘1%’もいないのではないか、と思われる。 ‘もち’、私もそうなので、例の如く調べてみた! 先ず以って‘ややこしい’のが法律用語である。しかし、我々は‘法国家’に身を委ねている以上、‘ややこしいから知らぬ’と言ってはならない! 小学校の時から気になってはいたが、「5月3日の憲法記念日は、半年前の11月3日が、憲法‘発布の日’で、‘施行’が、5月3日である」のは何故か? 今では、‘発布の日’と言わずに‘公布の日’というようだが、その使い方も専門的にはいろいろ理由があるのだろう!辞書で‘発布’を調べてみると『(法律などを)世に広く知らせること。公布。「憲法ー」』とある(CACIO EX-word)から、きっと‘発布’と‘公布’は同じものなのだろう!しかし、私が小学校で教わったのは‘発布’だった!(えこじ!) この事に関しては、次のような解説がある。
さて、‘文化の日’もこの規定から、勿論逃れることは許されない。 その経緯は次の資料に明記されている!
つまり、話を纏めると、 『憲法記念日が、5月3日に決まった。そして、その憲法の精神が‘「自由と平和を愛し、文化をすすめる」ことを趣旨としている’ことから、憲法施行の日、つまり‘憲法記念日’の半年前の‘憲法発布(公布)’の日を憲法の精神に則って‘文化の日’とした』 という事のようである。 いやいや、聞いてみなくては判らぬものが沢山ある。 因みに、‘施行’という文字の意味も次のように沢山あるからご注意を!
![]() http://www.minakata.org/cnts/news/index.cgi?v=cap00&p=0 これぞ、文化にふさわしいかも? (つづく) |
2013年10月30日の同窓会が一応お開きになって、みんなで‘東京スカイツリー’へ行ったのだが、2時間待ちでは話にならぬ、という訳で見上げるだけで帰って来た!
そこで、写真だけは思う存分撮って来たのだが、気が付いたことがある。ただし、「一寸変だぞ!」と気付いたのは、私が東京スカイツリーのことを余り知らなかったからだから、のようである。 ‘問題の写真’が、これである。 ![]() 2013年10月30日15:41 「何だか変ではありませんか?」展望台の下にある‘回廊’(これが‘回廊’であることは後で知った!)が、地表面に対して‘平行ではない’から、何となくアンバランスで、落ち着かないのである! そこで、この‘天望回廊’(これも後で判った!)について調べてみた。
![]() 天望回廊の造り方まで公開してくれる資料がある! ![]() http://www.obayashi.co.jp/news/skytreedetail24 東京スカイツリーには2つの展望台があります。空に近い方、地上450mの「東京スカイツリー天望回廊(第2展望台)」の外周には、らせんを描きながら緩やかに上のフロアに続く「天望回廊」と呼ばれるチューブ型でガラス張りの通路があります。 今回はこの天望回廊のつくり方をご紹介します。 ![]() ![]() 天望回廊はすり鉢状に張り出した形状のさらに外側に付いています。上に広がっている形状と450mの高さという条件から作業の安全性と効率性を考慮し、地上であらかじめできることはすべて行ってから取り付けます。 個別ブロックの組み立て(地組み) 鉄骨・外装材の個別ブロック組み立て(地組み) 天望回廊は全長を22個の個別ブロックに分割して取り付けます。 ![]() まずは地上の作業ヤードで、構造体の鉄骨と外装材(サッシュ枠や外装パネル)を一体化させた個別ブロックを組み立てます。 一体化させる個別ブロックの組み立て作業は、取り付ける勾配に合わせ、専用の架台の上で行います。 また、高所での取り付け作業を安全に行うため、個別ブロックには外周部の安全ネットや足場などの安全設備もあらかじめ取り付けてから吊り上げます。 ![]() 天望回廊の個別ブロックを地上で組み立てる様子 これで、なるほど!である。 ![]() http://gabuneko2.blog59.fc2.com/blog-category-6.html 天望回廊 ![]() http://tokyonightfall.com/data/tokyo/TSTkairo/TSTkairo.html 夜の天望回廊 ![]() 天望回廊の先から見た風景 東京スカイツリーの天望回廊を上りきった先から見た風景です。 450mから見た東京はキラキラしていました。少し下に、回廊の下の階が見えます。 これで、天望回廊の‘謎’が大分解けた! (つづく) |
(つづき)
そんな訳で、2013年10月16日の同窓会が10月30日に延期になって、10人が集まり、無事宴会が始まったのである! 70歳過ぎた同窓会の話題: ① 持病の話(80%) ② 孫の話(15%) ③ ゴルフの話(5%) 何と自分の持病の話ばかりである! でも、みんな「ホー」といって聞いている。身に覚えのある話だから関心があるのだろう。 同窓会の写真だから顔が映らない写真は意味がない。だから、そんな写真は撮っていないから、ここに宴会の様子をご披露する訳にはいかないのだが・・・。 雰囲気だけでも・・・。 ![]() ![]() ‘あっぱれ’幹事さんも心得たもので、70歳半ばの爺が、そんなに大酒・大食いでもあるまいと‘上品な’メニューにして呉れている。したがって、悪酔いする奴もいない。 開始時刻が12:30で、それから約2時間半、集合記念写真を撮ってお開きとなった。 勿論、その後は、お待ちかねの‘スカイツリー’である。 「スカイツリーに昇った人!」といわれて手を挙げたのはたった一人だけ。 15時過ぎはまだ日暮れには時間があるから、みんな10人がぞろぞろとスカイツリーへ向かった。 九州や関西からはるばるやって来た連中は、やはりスカイツリーに昇りたいと言う。 そりゃあそうだろう。この後いつになったらまた東京に出て来れるか判らないからである。 先ずは、スカイツリーを見るベストスポットへ私が案内した。 それは、昇りはしなかったが、何度かスカイツリーの廻りを巡ってベストスポットを探していたからである。 ![]() 2013年10月30日15:39 多分、夕刻の場合、ここが、ベストスポットである。そして、電車とスカイツリーを同時に撮影するのがベストタイミングと言われているが、その通りになった! ![]() 同級生を入れて・・・。 ![]() 川に映るスカイツリー。 ![]() こうなると不気味でもある! 「これって何でしょう?」というクイズに使えるかも? ![]() この川には、こんな素敵な船がある! 来年の同窓会は、「‘これ’にしようや!」と話が纏まった! この際、ベストスポットからのスカイツリーを、部分部分ズームで撮ることとした。 ![]() 展望台の部分・・・。 ![]() 天空回廊の部分。 おやおや? 回廊の部分が‘平行に’なっていない!‘スパイラル’なのは何故?? ![]() 2,000人収容出来るという下の展望台・・。 ![]() この写真は、ベストスポットから約10分掛かってやっと辿りついた‘展望デッキ’入場エレベーター付近から見上げた画像! 昇りたがっているお客さんが一杯!こりゃあどうやったら昇れるのかと皆心配しだした! どうやら整理券があるらしい。それがこれである! ![]() これは、‘当日入場券を購入するための整理券’であって、我々がここに辿り着いてこの整理券を‘確保’したのが、16:00丁度。この整理券をよ~く読むと、どうやら、昇り始めるまでに約2時間が掛かるという結論になった! これじゃあ、いくら暇な奴だって待ち切れない! この整理券を持ち帰って‘昇らなかった’言い訳にすることで、みんなの意見が一致した! それにしても、予想以上の混雑ぶりである。10月30日は、水曜日である。土日や祝日は一体何時間待ちなのだろうか? ![]() 背景は、アサヒビール本社の建物である! ![]() バルーンが飛んでいる! ![]() 拡大。 それでは、昇れなかった人のために、展望台からの動画を・・・。 https://www.youtube.com/watch?v=ghsxaxh8vWg 東京スカイツリー展望台からの下界の風景11月 2日, 2012年 (つづく)次回は、‘天望回廊’について |
2013年11月13日は、朝から快晴で、前日の放射冷却が効いて、気温が4℃以下になったのだろう‘霜’が降りた。それが‘初霜’だったかどうかは知らないが・・。深まり行く千葉県・茂原市・千沢地区の‘秋の風景’である。
この千沢地区を流れている‘赤目川’の付近には、多分、餌となる生きた小魚やカエルなどが沢山生存していると見えて、シラサギやアオサギといったサギ類や‘鵜’(これは、川鵜であって、海鵜ではない!<http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-490.html>)が帰って(?)きた。 ![]() 2013年11月13日08:23 ![]() ![]() ‘帰ってきた’と表現したのは、夏の間には‘鵜’をついぞ見なかったからである。川鵜は‘渡り鳥’ではあるまいから、夏の間に何処かへ行っていたというのも考えにくいのだが・・・。 ところが、ところがである!‘知らないこと’は恐ろしい! 川鵜は、ナント‘漂鳥’という部類に入る鳥らしく、
繁殖のために夏場は‘山地’へ行っていた、ということらしい。 な~るほど! 夏場に赤目川付近で‘川鵜’を見なかったというのは、私の思い違いではなかったと思われる! つまり、夏は涼しいところで産卵子育てに励み、冬場は温かい平地で越冬、という訳である。そう言えば、何となくここ越冬の地で見る川鵜には‘子供’の、つまり‘小型’の川鵜を見ないのはそのためなのだろうか? 繁殖地で卵から孵った‘小鳥’は、越冬地に着くころにはもう大人並みの大きさになっている、とそう思えば納得が行くのだが、果たして?? ‘川鵜’の漂鳥行動’は‘海鵜’にはない習性なのだろう、多分! それじゃあ、このことでも‘川鵜’と‘海鵜’の区別がつくではないか! あんなに大騒ぎをして、両者を区別しようとして努力したのに・・・。 得意の(?)‘Wikipejia’で、‘海鵜’を調べてみると、‘留鳥’とある。やっぱり、予想通り!
そんな訳で、また一つ知識が増えた! 後は、11月13日の朝であった‘川鵜’の様子をご覧あれ! 結論:川鵜は、漂鳥。海鵜は、留鳥。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() (つづく) |
深まり行く秋の風景(その2)
夏の季節が今年は長く続いたために、秋の季節が短い。急に夏から初冬に季節が流れて呉れると困るのは老人である。 体調が、すんなりと季節の急な変化に追随出来ないのである。 動物達だって戸惑っているに違いない! そんな訳で、‘キッと’一日で所とになった感じの朝、千葉県茂原市・千沢地区と千葉県・白子町との境界付近を流れる‘赤目川’におり立っている‘鷺の群れ’をカメラで追ってみた。 赤目川というからには、‘赤目’とい魚が昔はいたのだろうか? ![]() http://geocities.yahoo.co.jp/gl/bgjkn885/view/200710?.begin=6 赤目魚 それはともかくとして、2013年11月13日の朝は、雲一つなく晴れ上がって、前夜の放射冷却のお蔭も手伝って急に初冬の雰囲気になった。 ![]() これが赤目橋である。この立て看板が、茂原市と白子町の境目で、画面の向こう側が茂原市で、手前側が白子町である。 ![]() 赤目橋は、南北に掛かっており、こちら側は‘西’側である。つまり富士山が見える方向。 ![]() こちらは‘東’側で、つまり太平洋の方向である。 ![]() 2013年11月13日08:47 西側にアオサギがいた! ![]() 拡大。 ![]() これは橋の下にいたアオサギ。 ![]() ‘川を守ろうや!’という看板。ここに書かれている‘南白亀川’は‘なばきがわ’と読む。 ![]() シラサギとアオサギが混じり合っている。 ![]() 部分拡大。一寸雰囲気が変わる。 ![]() ![]() ![]() 手前にいたアオサギが、突然飛んだ! ![]() 部分拡大。ツルではない!アオサギである。 ![]() このシラサギの雰囲気がいい! ![]() このシラサギのお蔭で、普段はそうでもないのだが、赤目川が‘清流’に見える! シラサギやアオサギは、どうやって冬を過ごすのだろうか? (つづく) |
「では、一体、現在気象庁では、百葉箱の代りにどんな‘装置収容器’(?)を使っているのだろうか?」
‘現在,気象庁の観測では百葉箱は使用されておらず’というフレーズが気になった! 「論文情報ナビゲータ 国立情報学研究所(http://ci.nii.ac.jp/?TZ=20070513185107529)」の論文・「日本における百葉箱の歴史と現状について」
![]() 電気式温度計 電気式温度計には、白金抵抗温度センサが使用されています。温度に対する白金の電気的な抵抗値の変化を測定することで温度を測定します。 ![]() 白金抵抗温度センサ 白金抵抗温度センサは、後述する通風筒内に取り付けられ、変換部に接続されます。変換部では抵抗値を計測して温度に換算し出力します。 ![]() 電気式湿度計 電気式湿度計には、高分子膜湿度センサが使用されています。高分子膜湿度センサは、相対湿度の変化に応じて高分子膜に含まれる水分の量が変化し、これにより誘電率が変化することから相対湿度を測定します。 原理的には、下図のようなコンデンサを作れば湿度センサとなり、高分子膜の誘電率の変化はコンデンサの静電容量の変化として測定されます。実際のセンサの電極は極めて薄い金属の蒸着膜で、電極を通して高分子膜は水分を吸収・放出します。 ![]() 湿度センサと変換部 電気式湿度計はセンサ部と変換部からなっています。 センサ部は後述する通風筒に設置され変換部とケーブルを介して電気的に接続されます。 変換部は湿度センサの静電容量を測定し、相対湿度に変換して出力します。 ![]() 以上が、1993年1月以降、気象庁等で使用されている‘現在の百葉箱’とも言える‘通風筒’の外観と中身である。 因みに、価格は?
これが、現在の‘百葉箱’、‘通風筒’! (つづく) |
2013年11月11日に、次の日(12日)の午前3時頃最低気温が、我が町、千葉県茂原市で、何と‘3℃'にまでなってしまうという情報がNHKの気象情報で報じられた!
これには驚いた! 何故かって? 3℃ってのは、地上1.5mの百葉箱の中での温度 のことである。 実は、地表面の温度は、この百葉箱の温度とは違っていて、その差は約4℃程低いという。 ということは、百葉箱中の気温が4℃以下になれば、地表面の温度は‘0℃’以下になることだから、霜が降りるという事になる。これは是非理解して尚且つ覚えておくとためになる! ![]()
さて、昔から気になっていたのは‘百葉箱’の読み方である! この事に関して‘素晴しいブログ’を‘発見’したので、全文を転載させて戴くことにする。長い、長~いブログだが、ちっとも飽きることはない。素晴しいブログである! それではど~ぞ!
調査するってことは、こんなことなんでしょう!これ、ほぼ‘完璧’です! こんなブログ、やはり書いてみたいですね! ただし、上記引用資料に付け加えるとしたら、 「現在,気象庁の観測では百葉箱は使用されておらず」という記述が気になって仕方がないので、 「では、一体、現在気象庁では、百葉箱の代りにどんな‘装置収容器’(?)を使っているのだろうか?」 の項目を取り上げる。 これは次回のお楽しみという事で・・・。 ![]() http://www.smg.gov.mo/www/dm/equip/c_screen.htm 百葉箱 (つづく) |
2013年10月31日のこのブログで紹介した 彫刻家・井上武吉。
その作品が、‘創造の杜(千葉県千葉市緑区あすみが丘5-41)’散歩コ―スへ行く途中のハイカラな団地(東急ニューシティあすみが丘ガーデンコート・所在地 千葉県千葉市緑区あすみが丘4丁目39)の端にある。 それがこの写真。 ![]() ‘Google'マップ。画面中央の少し右寄りの‘サークル’の中にあるのが、井上武吉の作品。画面右手が団地で、左手が創造の杜公園である。 ![]() この作者は、‘空’との関わりを作品のテーマとしているという。 ![]() 中央に立って見上げたのが、この画像。幸い晴天だったので、空は青々としているが、作者は一体何を言いたいのだろうか? ![]() この作品の‘地球上’の部分。 ![]() 作品名は、ご覧の通り、「 my sky hole 93―丘 1993」というから、これが作品の‘シリアルナンバー’だとすると‘93’番目の作品ということなのだろう。そして、作品は1993年に造られた。
どうやら偉大な彫刻家らしい! 東京都・清瀬市の公式ホームページに次のような記事が掲載されている。
やっぱり、「 my sky hole 93―丘 」の‘93’はシリアルナンバーのようである。 そして、またまた驚いた!彼の作品の画像を‘NET’で探していたら、見慣れた‘巨大パチンコ玉’があるではないか!これは確か、東京の上野の森にある東京都美術館の前の、あの・・・! ![]() http://yk-mugen.at.webry.info/200805/article_8.html 光と影 <井上武吉作 「MY SKYHOLE」シリーズ> この画像なら、私も何回も撮影した覚えがある。東京都美術館へ行くたびに撮影しているからである! 「な~んだ、この作品が、井上武吉先生のものか!」と思ったが、これまで誰の作品なのか意識していなかったのである。 私が撮影した写真が下 ↓ 上の引用写真とは‘アングル’が違うが、作品は同じものである。 ![]() 2013年06月08日13:50 東京・上野、東京都美術館前の井上武吉の作品 井上武吉作「my sky hole 85-2 光と影」(1985年) ![]() 拡大。 詳細は、弊ブログの2013年06月14日版( http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-558.html )参照の事。 実は、この作品のポイントは、下の写真にハッキリ写っている‘穴’に意義があるというのだが、果たしてその意義とは? ![]() http://oshimas.iza.ne.jp/blog/entry/3126460 そして、彫刻家・井上武吉の「my sky hole 」の意味とは一体? (つづく) |
今朝(2013年11月09日)或る頭脳集団の人達から凄い情報を聞いた!
ITの世界で‘右肩上がり’は、勿論‘コンテンツソフト’の分野である。 今や‘動画’最盛期で、観ていても動画から来る感動は、静止画の何倍もある。 それは、静止画に比べて‘情報量’が格段に大きいからである。 今現在普及していて、誰でも気軽に手に入れられるコンテンツの作成原理は、 ① 自然の画像そのものの編集(映画、ビデオ etc.) ② 静止画を何枚も描いて組み合わせて編集(‘ガッチャマン’や‘もののけ姫’等の通常のアニメ) ③ 自然画像を一部取り込んだ‘静止画’と‘自然の動画’のコラボレーション画像編集 まあ、将来もこんな仕組みの高度化だろうと思っていた。 ところが、ところがである! 人間の頭脳は優れたもので、第4の方法を‘実用化’されたという! それは、 ④ 静止画を‘動画に変換させる’技術を駆使した画像の編集! だそうだ。 その走り(?)の画像を‘Youtube’で探してみた! http://www.youtube.com/watch?list=UUo-Z2r9KeM1uv11uLdnsBMg&v=kdtnCSEi_mM ここでは、‘動く漫画!’という表現になっている。 この第4の方法の特徴は、② の方法を極めて簡略化した方法だそうで、そのために‘製作コスト’の大幅な低減が可能だと言う。 そして、さらに更に、静止画から動画への転換が極めて簡単に出来る‘手法’だから、例えば、自分の静止画写真を動画アニメに変換も可能という! 私は昔からソフト屋さんに相談していたことがある。 それは、カラオケ屋さんに行った時、歌手、例えば‘裕次郎’が歌っている画像が出ていたとしよう。 自分が裕次郎の歌を歌う時に、その画面の顔が‘自分の顔’に変換されたなら、そしてその変換された自分の顔のDVDが帰りに貰えたらどんなにいいだろうな、と思ったことがあった。 https://www.youtube.com/watch?v=BDw4EZQNW-0 この裕次郎の顔が、自分の顔に変換出来たら!と思うだけでワクワクする! それを10年も前に‘優秀なソフト屋’さんに相談したことがあったが、彼は「まだ無理だよ!」と言っていた。 だが、この第4のテクニック、この方法を使えば、いとも簡単に出来るのではないか!? いやいや、技術の進歩を甘く見てはいけない!何処かで‘ひっそりと’高度な技術開発は行なわれているのだ! もっと凄~い、外国語学習のためのソフトについてもお聞きしたのだが、これは‘ひ・み・つ’! 恐らく、この第4の手法が、今後の膨大なコンテンツ作りの中心になるに違いない、という予感がした! (つづく) |
俳優・高倉健が‘文化勲章’を受章した ことは、お目出度いと同時に、私にとっては別の意味で嬉しい、と昨日(2013年11月03日)のブログで書かせて貰った。それは出身が隣市であるからである。
![]() http://shinagawa.keizai.biz/gpnews/44674/ 皇居で文化勲章親授式 文化の日の3日、皇居・宮殿で文化勲章親授式が行われ、俳優の高倉健さんら5人が天皇陛下から勲章を受け取った。写真は受章者の(左から)本庶佑、中西進、高木聖鶴(本名郁太)、岩崎俊一、高倉健の各氏。 【時事通信社】(2013-11-04) ここでお断りをしておくことがある。それは、このブログで‘高倉健’と書くだけで、‘敬称’、例えば、高倉健‘さん’とか、‘氏’、‘様’、‘殿’とか、ましてや‘君’はないだろうが、‘敬称’を付けていないのは、それには理由がある。歴史上の人物やご存命の方でも、‘偉大な人物’は皆‘敬称略’ということになっている。 織田信長、豊臣秀吉、徳川家康 歴史上の人物には、誰も‘敬称’を付けない。 また、王、長嶋や美空ひばりにだって敬称はつけない! 敬称をつけられなくなったら、逆に‘超一流’になった証拠とも言える! さて、その高倉健の出身は、福岡県・中間市。 私は、福岡県・直方市の出身である。‘Google’の地図で見てみると・・・ <中間市> ![]() ‘Google'マップ <直方市> ![]() ‘Google'マップ この両市の中央を流れているのが‘遠賀川’である。 <遠賀川> ![]() ‘Google'マップ 両市とも、遠賀川を中心に炭鉱の町として発展した。 ![]() http://members.jcom.home.ne.jp/nittan/nittan-takamatsu-N-3.htm 旧・若松市浅川より、水巻町と遠賀川・遠賀町を望む 昭和32年に北東側から見た---高松鉱業所・第三鉱と二鉱ボタ山・三鉱ボタ山・社宅街・日ノ峰山。 左の道路は折尾方面へ、手前は第二鉱の第三竪坑です。左・中央・右の社宅街は、全てが日炭の社宅街です。 ボタ山近くの池には記憶があるが・・・・。 お年寄りに聞いた社宅街の名称は---左上より縄手社宅・日ノ峰町?・幸町?・宮前町・竹下町・上町のようです縄手社宅の西側の高台には、第三鉱の山ノ神が見えています 何故、遠賀川が中心だったかというと、炭鉱の町だから、掘り出してきた石炭を‘或る適切な大きさ’に砕いて出荷する必要があり、その時出る‘不純物’や細かく砕けた石炭を‘洗炭’という工程で‘水洗い’するのである。 その細かく砕けた‘石炭の粉’を、遠賀川に流す。そうすると遠賀川の水は、いつも‘チョコレート’色をしており、小学生の時には、学校に規則で、遠賀川での水泳は禁止となっていた。勿論、泳ぐ気にもならなかったのでもあるのだが・・・。 そんな訳で、我々の直方市の遠賀川の‘水底’には、その‘石炭の粉’が堆積しており、普段は砂浜にその石炭の粉が上がってくることはないのだが、台風が来ると遠賀川が増水し、台風がおさまって元の水位に戻ると、砂浜一体が厚さ3~4cmの石炭の粉の‘層’になる。 それが、天日干しになると‘収縮’して、ひび割れが起こり、丁度‘鉄板焼き’くらいの大きさとなって‘燃料の足し’になるのである。 これは、‘どべ炭’と呼ばれていた。‘どべ’とは、‘最下位’を意味する俗語である。 ゴルフでいう‘ブービー’は、最下位より一つ上のことを言うが、‘ブービー’の本来の意味は、最下位である。 ‘どべ’とは‘ブービー’のことで、品質の悪い炭という意味なのであろう。 当時は、‘豆炭’という燃料が‘七輪’の主役だったが、結構この‘鉄板焼き風’の‘どべ炭’が結構燃料として役に立っていた。 多分、直方市よりも下流にある中間市の遠賀川でも、この‘どべ炭’があったに違いない! 高倉健が、当時中間市の遠賀川の川浜で‘どべ炭’を拾っていた光景は想像し難いのだが、そうであったなら、我々筑豊の炭坑町で育った人間にとっては、より一層親しさが増すというもんである。 「健さん、‘どべ炭’って知ってます?」 彼に会う機会があれば、一番先にそう聞いてみたい! おめでとう!高倉健さん!(この場合は、やはり‘さん’付けである) (つづく) |
今日(2013年11月03日)は、‘文化の日’で国民の祝日である。
① 俳優・高倉健が、文化勲章を受章した! ![]() http://smashpipe.com/news/videos/3VJITNbXJzk/_13_11_04.html/?e=2 ② 楽天が、日本シリーズを制した! こんな嬉しいニュースがあった。 そもそも‘文化’とは何か? 最近は、i-Pad からの送信も多くなって、私のPCの‘OS’が‘XP’であるからかどうかは知らないが、ほとんど文字化けして来る! そんな訳で、‘文化’という文字を見ると‘文字化’けと勘違いするようにもなった。 なるほど、今の通信方式が‘文明の最先端’の一つだと言うことからして、‘文化’の象徴が‘文字化’け、とこじつけられないこともないが・・・。 さて、我々は、少なくとも‘文化の日’ぐらい、‘文化や文明’のことを考えないと「人類は何のために生きているか?」の疑問・質問も出て来ようというものである。 私は前々から、文明と文化は、同一レベルにあるのではなく、 「文化の進展・発展の‘道具’が文明である!」 と考え、そう主張してきたし、その考えは今も変わらない。 では、何故、‘文明’は、‘文化’のための‘道具’なのか? 私の主張は、次の通りである! 人間は、ある意味では‘欲望’を達成するために生きている。 ‘生きるのが目的’だから、‘何のために生きているのか?’という質問は‘愚問’であるとも主張してきたが、一歩譲って、「生きることが目的だと言うことは理解出来るが、生きていて‘何をする’の?」という質問には「生きることが目的ですよ!」と言うだけでは、その質問の答えになっていない。 「生きていて、或いは生れて来て、何をするの?」 の答えが、「欲望を満たす」ということに、今のところしてしてある。それ以上の答えが見つからないからである。 そして、その‘欲望の満たし方’によってその人の人格が決まるとさえも思っている。 それでは、人格の‘高さ’は、何によって決まるのか? それは、「その人のその欲望の満たし方」にどれだけの人の‘共感’が得られるかで決めるより仕方がない! 但し、共感する‘数’が今現在少ないからと言って、人格がそう高くないとも言えない。何故なら、往々にして‘共感’は、マスコミによって作られる場合が多いからである。 名もない作家が、ノーベル賞とまで行かなくても‘○○賞受賞’という‘経歴’がつけば、その人に‘箔が付く’ことになって、実力以上に評価される場合、と似ている。 そのギャップがまた面白い小説のネタになる。 また悪い癖で、段々本筋からそれてしまいつつあるが、要するに人間はその人の‘欲望’の満たし方で人格が決まる。そして、それは、その人の‘文化程度’を物語っている。 文明と文化の違いは、私は前から‘ハードウエア’と‘ソフトウエア’との違いに似ていると主張してきた。 「人間の最高の境地は‘心の安らぎ’だ」と思えば、‘ハードウエア’の象徴としての‘文明’は、本当に必要なのだろうか? そんな疑問が現在の社会を見ても直ぐに思い当たる。 ‘原発’然り、‘スマホ’然り。また、新手の新幹線然り。そんなに‘文明’ばかりを進展・発展させ過ぎるから、ソフトウエアの象徴たる‘文化’の発展が遅れてしまい‘人格の低い’人間が続出することになってしまうのではないか? 文化とは人格の高さと言い換えてもいいと思う。 中国の発展・進歩の仕方には、疑問を持つ人達が多いのは、暗に良識ある人達が‘文明と文化’について、うっすらとそう思っている証拠なのだろな、とそう思うことにしている。 ただし、‘文化’の進展・発展に‘文明’は大きく貢献してきた! ‘文明’の発展があったからこそ‘文化’が進んだともいえる。 それは、高倉健という俳優が、全国民に感動を与え、人間は、こんな人格を持たねばならぬと教えられ得たのは‘映画を創る’ための‘文明’がなかったなら、そう簡単には出来なかったに違いない! さて、そこで、‘文化勲章’とは一体何? こんな記事が見つかった!
それにしても、俳優さんが‘文化勲章’を受章したのは、森繁久弥以来というから目出度いことである! 特に、高倉健は、出身が私の隣りの市であるため、尚更うれしいのである! (つづく) |
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