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これって、‘ナニコレ珍百景’?
‘ナニコレ珍百景’というTV番組がある。

私が好きな番組の‘ベスト5’の中の一つである!
実に面白い!
「こんなことが世の中にあるのだろうか!?」と思わせるものが約50%もある。

もう2~3年も前だったと思うが、私も一度応募したことがある!
千葉県は、外房にある‘奈良の大仏’という大仏様のことだったのだが、いまだに採用されないところを見ると‘没’になったに違いない!

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%8B%E
3%82%B3%E3%83%AC%E7%8F%8D%E7%99%BE%E6%99%AF

『ナニコレ珍百景』(ナニコレちんひゃっけい)は、テレビ朝日系列で毎週水曜日の19:00 - 19:57[2](JST)に放送されているバラエティ番組。正式タイトルは『珍衝撃映像バラエティ ナニコレ珍百景』(ちんしょうげきえいぞうナニコレちんひゃっけい)。通称は『ナニコレ』または『珍百景』。ハイビジョン制作。2010年7月7日から地上アナログ放送ではレターボックス放送になった。

概要[編集]

2007年12月に終了した『銭形金太郎』と入れ替わりにゴールデンタイムに進出した『クイズ雑学王』の後番組として始まった。同年9月20日に放送された『ニッポン珍百景』をレギュラー化したものである。
面白人物や面白ペットや祭りなどが大半を占める傾向にある。近年はサッカー中継が組まれたり、改編期以外でも後座番組の『学べるニュース』と交互に特番を組むこともあった。2011年3月11日に発生した『東日本大震災』に関連するニュース、そしてそれに伴う『学べるニュース3時間SP』の影響により、4月は日曜日の特別版のみでの放送となった(レギュラー番組は5月4日の初夏2時間SPから再開)。また、福島県、宮城県、岩手県についてはしばらくの間は扱わなかった。 2012年1月以降は改編期以外でも後座番組の『くりぃむクイズ ミラクル9』と交互に特番を組むことも場合もある。
全国各地にある珍しい風景のVTRを「珍百景」候補としてネプチューンの名倉潤と堀内健がプレゼン。それを原田泰造(ネプチューン)とゲストからなる『珍定委員会』のメンバーが審査し、委員全員が「珍定」、または「認定」したもののみが「珍百景」として登録され[3]、放送終了後に公式サイトで公開される。『珍定委員会』のメンバー数は、2008年5月21日から6月11日までは5人、それ以外の放送回では3人。ゴールデン進出後も基本的に3人であるが、特別番組や番宣などで4人から7人で行う場合もある。
公式サイトではゴールデン時代の物からナンバリングされ2014年2月現在その登録数は1800を超える。

珍百景の例

ミスマッチ珍百景(所持・設置されている場所に合わない物「テニスコートに畑」「テナントビルに自宅」など)
商品にまつわる珍百景(珍しい商品や道具「国産マツタケの無人販売」「夢をかなえるケーキ屋」など)
物体・人物珍百景(不自然な造形・動作をする物体や人物「歯が27本の95歳」など)
記録・集団珍百景(変わった記録・集団「日本一長いリムジン」、「オバサンによるダンスチーム」など)
その他の珍百景(マークの珍百景、看板珍百景、学校珍百景、県境の珍百景など特定のテーマのもの)

2008年7月16日からは、すべての珍百景候補を視聴者からの投稿のみにすることが発表され、さらにその回の珍百景登録作品で最も珍しかった作品に、MOST VALUABLE 珍百景、略して「MV珍」として、5万円の賞金が贈られ、それ以外の番組内で放送された作品には、珍定されても、されなくても、1万円の賞金と番組グッズが贈られる。ゴールデン進出後は、採用されると3万円、MV珍で10万円(2・3時間SPの際は30万円)(採用分の3万円を含む)に増額、採用者全員には、「珍」はんこ付きボールペンが贈られる。2011年春以降は賞品が目覚まし時計に変わり、2013年10月からはクッションになった。
2012年からは年単位で珍百景の登録数を競うようになり、年間で最も多くの珍百景が登録された都道府県の珍百景を投稿した人全員に賞品が贈られるようになった。
VTRの進行は、珍百景候補が存在する市区町村を紹介した後、BGMと共に珍百景候補に向けて、カメラをズームイン、またはズームアウトなどをさせ、全体を映し、ナレーターや関係者による詳しい解説が入る。また、下記「怒りの珍百景」では、解説シーンは直接スタッフが出向いて所有者に聞き込みをするパターンとなっている。なお、VTR前には司会者が「ナニコレ」と言いながら、両手の人差し指を交互に前へ振るポーズをする。

出演者[編集]

司会・進行アシスタント[編集]

名倉潤(ネプチューン)
堀内健(同上)
森葉子(テレビ朝日アナウンサー、2010年12月29日から現在)

「珍定」委員会[編集]

原田とゲスト2人(特番時は4人)で構成され、「珍定」するかどうかを判断する。
全会一致でのみ「珍定」、または「認定」される。
基本的に1人1票だが、コンビなどの場合は1組で1票となる。
明確な基準は公表されていない。
「珍定」委員長
原田泰造(ネプチューン)

ナレーション[編集]

奥田民義


我が家のごく近くの‘藪の中’で発見したのだが、‘葛(くず)’の蔓(つる)が別のものに巻きついている状態だから、そんなに珍しくもないのだろうが・・・。

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それにしても、この葛の生命力には、‘凄い!’と唸らせるものがある。
全て(?)の植物の上に‘蔓延(はびこ)って’自分だけが太陽の恵みを受けようとする‘能力’を備えているようにも受け取れる。
勿論、葛自身は生き残りのために必死で努力をした結果なのだろう!

昔から、日本では‘万能薬’として「葛根湯」というのがある。
それは、恐らくこの‘葛の根’に注目した昔の人が試してみての‘本物の効果’がきっと確認された結果に相違ない!


「葛根湯」

概説 カゼのひき始めや、肩こりなどに用いる漢方薬です。

作用

【働き】

葛根湯(カッコントウ)という方剤です。発汗作用があり、体の熱や腫れ、あるいは痛みを発散して治します。病気の初期で、比較的体力のある人に向いています。

具体的には、カゼのひき始めでゾクゾク寒気がするとき、また、頭痛や肩こり、筋肉痛、じん麻疹などにも適応します。

【組成】

漢方薬は、自然の草や木からとった「生薬」の組み合わせでできています。葛根湯は、主薬の“葛根”をはじめ、下記の7種類の生薬からなります。薬理的に重要な役割をする“麻黄”には、交感神経刺激薬のエフェドリン類が含まれます。この成分は、西洋医学の気管支拡張薬と同様の作用を示し、咳やゼイゼイする喘鳴をおさえます。そのほか、おだやかな発汗・発散作用のある“桂皮”、痛みをやわらげる“芍薬”、炎症やアレルギー症状を緩和する“甘草”などが配合されています。これらがいっしょに働くことで、よりよい効果を発揮します。病院では、煎じる必要のない乾燥エキス剤を用いるのが一般的です。

葛根(カッコン)
麻黄(マオウ)
桂皮(ケイヒ)
芍薬(シャクヤク)
甘草(カンゾウ)
大棗(タイソウ)
生姜(ショウキョウ)

特徴

葛根湯は、もっとも親しまれている漢方薬です。カゼをはじめ、頭痛や肩こり、じん麻疹などに広く使用されています。漢時代の「傷寒論」という古典書で紹介されている処方です。
方剤構成から“麻黄剤”に分類されます。漢方薬理的には、体を温め病気を発散して治す“辛温発表剤”の部類です。
適応証(体質)は、表証(急性期)、実~中間証(体力中くらい以上)、寒証(悪寒)となります。


まあ、これを投稿する気もないが、投稿しても採用されないに違いない!
でも、何かを見つけて、投稿してみたい気は十分にある!

(つづく)
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[2014/02/27 12:35] | 趣味 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
これからの‘エコ’は、どう進む?
2014年02月26日、これからの‘エコ’についての最大の関心事、つまり‘エネルギー問題’について最大のイベントが開催された!

場所は、東京・ビッグサイトである。

今やエネルギー問題は、他人が決めてくれるというような課題ではなく、一人一人が真剣に考えて己の意見を持つべき時期に来ている!

そんな訳で、2月26日、ビッグサイトへ行ってみることにした。
外房から行くには、京葉線で‘新木場’まで行き、りんかい線に乗り換えて‘国際展示場駅’で下車のルートを取るのがいい!

ここのところ展示会や商談会に出席したことがなかったから、東京ビッグサイトへは久し振りだった!

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2014年02月26日14:29

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お馴染みの三角を基調としたビッグサイトビル!

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エコカー

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こちらも・・・

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ワシントンホテルだそうだ!

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2014年02月26日14:39

この国際展示場付近は、外国人が多い事もあって、何となく‘外国’といった雰囲気がある!
さて、いよいよ会場であるが、一切撮影禁止!

「第4回エコハウス&エコビルディングEXPO」

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http://www.wsew.jp/sokuho/#section02

エコ建築に関連する建材、省エネ機器、住宅設備、HEMS/BEMS、新エネルギーシステム、およびスマートハウスなどが一堂に出展する商談展です。

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http://www.wsew.jp/sokuho/#section02
① 開会式には国内外のトップ52名が参列し、盛大に開幕。

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http://www.wsew.jp/sokuho/#section02
② 「スマートエネルギーWeek 特別基調講演」には1,000名を超えるVIPが参加。

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http://www.wsew.jp/sokuho/#section02
③ 業界トップ同士の交流の場である「レセプション パーティー」も盛況に開催。

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http://www.wsew.jp/sokuho/#section02
④ 世界30カ国より1,594社が出展。会場は熱気に包まれています。

ビッグサイト
配布された雑誌

今後、果たして‘太陽光発電’がエネルギー供給の主流となることが出来るであろうか?

(つづく)
[2014/02/26 23:44] | サイエンス | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
この落語家は?
2014年02月22日(土)に千葉県は茂原市の北の端で開かれた‘文化会'は、「落語会」!

日本の伝統文化の象徴が、実は落語なのである!と思っているのは、私だけではない。

最近仕事の関係でお近づきにさせて頂いた、超一流の日本のカメラマンの‘Kさん’によると、‘日本人の心’を写真にするには、‘撮る方’が、日本人の心’を理解していなければ、絶対に‘心’が撮影出来ないと仰せである。

そのために、ご自分のお弟子さん達には、必ず‘落語’を聞かせるようにしていると仰るから、見事である!

さて、先般の落語会に演者としてご出演頂いた若き落語家さん達の当日の素顔も交えて、顔の表情を捉えてみた。もちろん、当日の‘外題’の解説も含めて・・・・。

<瀧川 鯉和>

先ずは、瀧川 鯉和さん、階級は‘前座’。金沢出身、法政大学卒業、元新聞社勤務の30歳だそうである。以下の写真に見えるようにやさしい性格のようである。

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この日の落語会のお師匠さんは、三遊亭金太郎さん。そのお師匠さんによる‘落語の聴き方講義’が終わって、さてさてこれからがプロによる本格落語!

トップバッターの瀧川鯉和さんの演目は、「つる」

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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A4%E3%82%8B_(%E8%90%BD%E8%AA%9E)
つるは落語の演目の一つ。古典落語。
元は「絵根問」という噺の最後の部分だったが、4代目桂米團治が独立させてまとめたとされる。のちにガリ版印刷の『桂米團治口述 上方落語台本』に記し、若手落語家の稽古本となった。前座噺として扱われることが多い。江戸落語では桂歌丸の口演が有名。

あらすじ[編集]

上方版[編集]

散髪屋で物知りの男の噂を聞きつけ、問答に来たアホの男。「南京虫は脚気になるか」「トンボはめばちこ(物貰い)を患うか」などを聞くが、常識的なことを聞けとたしなめられる。 それではと、散髪屋にあった掛軸の絵の鶴について尋ねると、昔は「首長鳥」と呼んでいたと聞かされ、重ねてなぜその後「つる」と呼ぶようになったかを尋ねる。
そこで、鶴が唐土(もろこし)から飛んで来た際、「雄が『つー』っと」、「雌が『るー』っと」飛んで来たために「つる」という名前になったと教えられる。この男が実は嘘だと言うのも聞かず仕舞いに、今仕入れたばかりの知識を町内に披露しに行くアホの男。
訪れた先で、いざ披露。「つる」の由来について半ば強引に教えるも、「雄が『つるー』っと」と言ってしまったために困り果てる。 一旦物知りの男のもとへ戻り、再びレクチャーしてもらう。 今度は「雄が『つー』っと来て『る』と止まった」と言ってしまったため、苦し紛れに「雌が黙って飛んで来よった」。

江戸版[編集]

暇つぶしに隠居の所へ来た八五郎。話をしていると、そのうち話題が散髪屋の床の間にあった鶴の掛け軸の事になり、八五郎は「『鶴は日本の名鳥だ』って奴がいたけど、ありゃ何で名鳥なんですか?」と質問。すると、隠居は「日本の名木に『松』がある。松に鶴は良く似合う」と説明した。つい花札を連想しながらも、何とか話を理解した八五郎が、次に質問したのが鶴の由来。
すると隠居は、鶴が唐土から飛んで来た際、「雄が『つー』っと」、「雌が『るー』っと」飛んで来たために「つる」という名前になったと説明。それをジョークだと見切った八五郎は、その話を他のところで披露し、引っかかった相手を笑ってやろうと隠居の所を飛び出した。
しかし、余りにも慌てていたせいで話の内容を忘れてしまい失敗。隠居の所へ戻り、もう一度話をしてもらってリターンマッチに臨むがまた失敗してしまう。結末は同じ。

主人公の描写[編集]

結末は同じだが、この噺には物知りが教えた「珍説」を、主人公が頭から信じ込んで失敗するパターンと、ジョークだと理解した上で使おうとするパターンの二つがあり、どちらを使うかによって話の雰囲気はだいぶ変わってくる。



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会場は、爆笑の渦!  大成功! 瀧川 鯉和さんの今後に期待したい!

(つづく)
[2014/02/25 23:48] | 田舎暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
春の息吹は、もう!
春の息吹は、もう!

ここのところの気候は、人間とっては‘不順’といえる。
ただ、‘地球の歴史’という数万年~数億年というスケール(物差し)で考えれば、数十度の温度変化など取るに足らない誤差範囲であるのだが・・・。

このところの‘大雪’現象を、どうしても‘温暖化’とくっつけたい‘自称学者’(本当の学者さんでもこの範疇に入る人がいる)さんがいるのは残念というか、視野の狭さに愕然とする。
地球は、むしろ氷河期に向かっているというのに・・・。

その議論は、また別の機会にするとして、ここ数日の寒さからすると春はまだまだ先、といった感じだが、体温を有る意味では持たない‘植物’では、風による体感温度低下が無い(正確には、この表現は甘過ぎるのだが)から、植物は、もう既に春を感じ取っている!

以下の写真は、2014年02月21日の千葉県・茂原市・千沢地区での‘もう直ぐ春’の様子である!

以下の写真の‘梅の木’は、我が家の目の前の‘Kさん’家の庭にある。
これは、いわば‘借景’である!
「拝観料は?」
「勿論、ロハ!」

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2014年02月21日09:18

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‘春は名のみの風寒さや’という歌いだしの詩がある!

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A9%E6%98%A5%E8%B3%A6
春は名のみの 風の寒さや
谷の鶯 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず
時にあらずと 声も立てず

氷融け去り 葦は角ぐむ
さては時ぞと 思うあやにく
今日も昨日も 雪の空
今日も昨日も 雪の空

春と聞かねば 知らでありしを
聞けば急かるる 胸の思いを
いかにせよとの この頃か
いかにせよとの この頃か

「早春賦」(そうしゅんふ)は、1913年(大正2年)に発表された吉丸一昌作詞、中田章作曲の日本の唱歌。2006年から2007年にかけて文化庁と日本PTA全国協議会が選定した「日本の歌百選」に選ばれている。
モーツァルト作曲の歌曲『春への憧れ』K.596(および、同じモチーフを使ったピアノ協奏曲第27番)との曲想の類似性が指摘される。

概要[編集]

『尋常小学唱歌』の作詞委員会代表であった吉丸一昌が、自作の75編の詞に新進作曲家による曲をつけ、『新作唱歌』全10集として発表した中の一作で、第3集に収録されている。
長野県大町市、安曇野あたりの早春の情景をうたった歌とされ、長野県立大町中学校(長野県大町高等学校の前身)の校歌を作りに来た吉丸が、大町市、安曇野の寒さ、そして春の暖かさを歌った歌詞でもある。 大町実科高等女学校(長野県大町北高等学校の前身)では愛唱歌として歌われていた。 大町文化会館、穂高の河川敷に歌碑が建てられている。 題名の「賦」とは漢詩を歌うこともしくは作ることを指し、「早春に賦す」が原義である。


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水が‘温(ぬる)む’というが、正にそんな感じがする!

(つづく)
[2014/02/24 23:33] | 季節の変り目 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
田舎に文化がやって来た!
田舎に文化がやって来た!

今日(2014年02月22日)、田舎に‘文化’がやって来た!

豊笑寄席-2
「豊笑寄席」の‘豊笑’の‘豊’とは、ここ千葉県・茂原市の北端の地域が‘豊岡地区’だからである。

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この情報は、既に一月に知っていた!
それは、自治会の回覧板の原稿を自ら作ったからである。
何故って、今年度の自治会(新千沢自治会第7班)の班長さんを仰せつかっているからである!

落語は、世界中で日本にしかない、極めて日本らしいというか、日本人にしか解らない‘伝統文化’である!
それが、ここ千葉県・茂原市という、地元に昔から住んでいる人達には失礼かも知れないが、‘陸の孤島’にやって来るというのである!
これは、東京の新宿や浅草で聞く落語とは大違いである、そう思った!

これも、何故って、やる方も聞く方も‘心構えが違う’からである!
田舎には、田舎の‘文化醸造環境’が在る!
‘やる方’だって、‘田舎のご老人’だという潜在意識が働くだろうし、‘聞く方’だって、TVの売れっ子が来る訳でもないから‘どの位の芸人’が来るのだろうかという興味が在る!

その‘とことん解析’は、後日に回し、今日は‘臨時ニュース’の積りで、観てきた、聴いてきた寄席の概要だけ!
実に素晴らしかった! 会場は、大爆笑に包まれた!
この企画・運営に当たられた皆様に大いに感謝すると共に、今後にも期待すること大である!

(1)会場の紹介と主催者側の挨拶

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2014年02月22日(土)12:46 13:30開演というのに早くに着いたのである! ここが会場の茂原市豊岡福祉センター

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12:56 開演30分以上も前だというのに、もう会場に来ている人達がいる!

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13:26 司会者登場!

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13:28 主催者・豊岡地区社会福祉協議会会長のご挨拶

(2)開演前の‘寄席’の解説:三遊亭金太郎師匠

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寄席ってものは、・・・

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そこんとこ、笑いが少ない!

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座布団には、‘前’がある!

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太鼓の叩き方、最後は‘入り’の‘入’の字に・・・

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扇子が大杯に! 落語は‘想像の笑い’なり!

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寄席の‘音’について・・・

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‘太鼓の叩き’を小学1年生の娘にやってもらおう!‘上出来’!

(3)寄席開演!

① 瀧川 鯉和 (演目:つる)

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続いて・・・

② 三遊亭くま八 (演目:新聞記事)

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続いて・・・

③ 鏡味 味千代 (演目:太神楽)

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取りは、

④ 三遊亭 金太郎 (演目:時蕎麦)

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大爆笑の裡に閉会となった!

(4) 閉会に当たって

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じゃんけん大会で金太郎師匠の色紙をゲットされた奥様!

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本日のそれぞれの演目の解説と演者のおかしな表情は、次回!

(つづく)
[2014/02/23 03:15] | 伝統文化 | トラックバック(1) | コメント(0) | page top
新年になって、やっと朝の富士山に出会えた!
2014年02月16日、午前8時前、今年になってやっと‘富士山の朝の顔’を拝むことが出来た!

千葉県・茂原市・千沢地区では、富士山との直線距離で約150kmもあるので途中の水蒸気や排気ガスその他の影響で春から秋にかけては、富士山の顔を拝むことが出来ない!

水蒸気等の少ない‘冬の時期’だけが、この約150kmの地点から‘朝’と‘夕刻’だけ富士山を見れる!

そんなことが、ここ数年の経験上判ってきた。

正月はもちろん早起きをしないから、また朝早く東京に出かける場合は、富士山を見る時間的余裕がないから、今年なって初めて富士山を拝ませて頂いたという訳である!

この千沢地区と言ったって、どこからでも見えるという訳ではない!
数年前にこの地区へ越してこられた‘Mさん’ご夫婦が、気づかれて‘大発見’となったのである。
お陰様で、弊ブログの‘プロフィール’欄には、この地区から撮影した富士山の画像を使わせて頂いている。

前置きが長くなったが、私が見た今年の‘初富士山’が以下の写真である!

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2014年02月16日07:39 この画面の‘ど真ん中’なのだが・・・

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2014年02月16日07:39  望遠で撮ってみると、ほんのりと・・・

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2014年02月16日07:39  PCで、コントラスト処理をすると「千葉県・茂原市・千沢地区から見えた富士山!」ということになる。(この場所:定点A)

この地区からの富士山の観測可能な場所は、上述の通り、そんなに多くはないのだが、もう一つの定点観測場所がある!

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2014年02月16日07:45  上出の3枚の写真は、この写真の右手の‘土手’からの画像である。従って、この画像とは‘視点’が違っているから富士山の前の景色が変わる!

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2014年02月16日07:45  望遠で拡大してみると、うっすらと富士山が見える。

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2014年02月16日07:45  PCで拡大すると、かなりハッキリするのだが、木の枝と電線が‘邪魔’になってしまう!(この場所:定点B)

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2014年02月16日07:47  そこで、撮影場所を南へ約10m移動すると(この場所:定点C)

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2014年02月16日07:47  上の場所で、望遠で撮影すると、この画像。

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2014年02月16日07:47  PC拡大。

結局、千葉県・茂原市・千沢地区での富士山撮影場所としては、定点Cが無難な場所ということに・・・。それにしてもこの‘電線’が気になる!

でも‘電線’を切ってしまうという‘暴挙’には、出れない!

まあ、まあ、富士山が、約150kmほど離れた場所から見えるということだけで満足せねばなるまい!
これからも、お天気に恵まれた日には、朝夕の富士山の様子を眺めることにしたい!

(つづく)
[2014/02/21 23:17] | 富士山 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
厳かな日没!
大昔、「観光とは何か?」という論文(?)を読んだ事がある。たしか、文芸春秋だったと思う。

‘観光’をそのままの受け取れば、‘光を観る’ことである。‘光’の象徴は、やはり‘太陽’だろうから、‘観光’とは、‘太陽を観ること’という解釈が成り立つ。

しかし、‘観光’という言葉は、‘漢字’だから、この言葉はやはり‘中国’に起源が有るに違いない!

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%B3%E5%85%89
観光(かんこう)は、一般には、楽しみを目的とする旅行のことを指す。

語源は『易経』の、「観国之光,利用賓于王(国の光を観る。用て王に賓たるに利し)」との一節による。大正年間に、「tourism」の訳語として用いられるようになった。ただし、学者や論者によって定義が違うこともある。例えば、国土交通省『観光白書』では「宿泊旅行」を「観光」「兼観光」「家事・帰省」「業務」「その他」に分けている。この解釈によると、家事・帰省、業務、その他を除いた旅行が「観光」である。

<中略>

日本における観光の意味の変遷[編集]

日本における「観光」という言葉の初出は、「観光丸」であるといわれる。昭和5年(1930年)濱口内閣の時国際観光局は創設された。「観光立国」の筆者である岸衛の進言によって創設された。名称は、鉄道大臣江木翼の意見によったと言われている。博識であった鉄道大臣江木翼が『易経』を引用した[1]。この時期には、「大変珍しいもの」という程度で用いられていたといった見方もあるが、ツーリスト・ビューローの出版物TOURIST(1918年3月号)では、アイヌ文化を詳しく伝えて、国の光=文化の概念の普及に努めている。

概括的に言えば、観光は明治時代からある単語ではあるが、きわめて限定的にしか用いられず、むしろ今日で言う外国人観光客誘致、インバウンド誘致といった意味合いが込められていく。ツーリズムの訳語として充てられたのも、そうした時代背景がある。

なお、中国では「観光」は一般的ではなく、旅游、遊覧が用いられるようである。当時から、国内観光には、遊山、遊覧、漫遊、行楽などの用語が用いられ、今日の意味合いで、つまり、国内旅行の意味も含めていうところの「観光」が定着したのは1960年代以降とされる[2]。
近年、再び國の光を観るという「易経」の解釈が引用されることが多くなってきた。原義を厳密に解釈すると、文字通り「見物」「物見」であろうが、「光」という比喩的表現で対象が幅広く多様な解釈が可能な事も一因であろう。
庶民に観光と言うものが流行り出した当初は、観光に行くという事自体に価値があり、場所や何をするのかということは重点に置かれなかった。しかし、次第に観光に行くということ自体は当たり前となり、何処に行くのかということがステータスとなった。観光地を大きい見出しにしたパンフレット等が流行り出したのもこの時期のことである。しかし、その時代も長くは続かず、たいていの観光地には行ったことがある人が増え、何処に行ったということが自慢になる時代は終わりを告げた。

この頃から観光はステータスではなくなり、純粋な楽しみとしての観光が広まることになる。具体的には場所ではなく目的が観光を引っぱる時代となった。○○をしたいからそれができる場所を観光しようということである。体験型観光が流行り出したのもこの時期からである。現在はこの時代にあると言われるが、もう一歩進んだ次元にあるという考え方もある。それは目的だけでは客は来ない、具体的には楽しい気持ちになりたいとか、癒されたいとか、ゆったりした時間が過ごしたいとか、そういった感情が観光を引っぱる時代となったという考え方である。実際そういう言葉がパンフレット等に登場し始めていることも事実である。
なお狭義には、観光事業を指すこともある。

<後略>


上記、文芸春秋の論文も観光の‘光’は、上の引用文にも有る通り‘大変珍しいもの’から‘文化’という概念にまで及んでいたようにも思う。

‘光’の象徴が‘太陽’なら、‘大変珍しいもの’という概念からはずれてしまうが、‘文化’の源といえば、そういえるかもしれない!

簡単に言えば「‘光が当てられるもの’を‘光’とだけ言った」と思えば全部の解釈が出来るのに・・・。
‘良くても悪くても’光が当てられるものが、‘観光’の対象となる!

そうであれば、やはり‘観光’を支えているのは‘太陽’が主役である!

そんな訳で、日没の瞬間を撮影してみた!
残念ながら、‘分’までは判るのであるが、‘秒’まで記録されていなかった!

2014年02月16日の日没である。(場所:千葉県茂原市千沢)

画像ー200 091-2
① 2014年02月16日17:14

画像ー200 092-2
② 2014年02月16日17:14

画像ー200 093-2
③ 2014年02月16日17:14

画像ー200 094-2
④ 2014年02月16日17:15

画像ー200 095-2
⑤ 2014年02月16日17:15

画像ー200 097-2
⑥ 2014年02月16日17:15

画像ー200 098-2
⑦ 2014年02月16日17:15

画像ー200 099-2
⑧ 2014年02月16日17:16

画像ー200 101-2
⑨ 2014年02月16日17:16

画像ー200 102-2
⑩ 2014年02月16日17:16

画像ー200 103-2
⑪ 2014年02月16日17:16

画像ー200 104-2
⑫ 2014年02月16日17:16

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⑬ 2014年02月16日17:17

画像ー200 106-2
⑭ 2014年02月16日17:17

画像ー200 107-2
⑮ 2014年02月16日17:17

画像ー200 108-2
⑯ 2014年02月16日17:17

画像ー200 109-2
⑰ 2014年02月16日17:17

画像ー200 110-2
⑱ 2014年02月16日17:17

およそ、3分~4分の日没劇である! 

<実は、お気づきの向きもおられるかも知れないが、よ~く画面を観察していただくと、⑬~⑱の画像には、羽田行きの飛行機が写っている! これでも時間的推移が判るというものである!> 

観光の源、大日輪は、沈んで何処へ行くのだろうかということが‘真剣に話題になった時代があった’というから面白い!

(つづく)
[2014/02/20 08:04] | 観光 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
幻のカワセミ画像、第2弾!
遂に‘見せてもそう恥ずかしくない’‘カワセミ’の写真が撮れましたゾ!

今日、2014年02月19日09:12 に場所は昨日と同じ、我が家の車庫の裏の小川に‘カワセミ嬢?’が現れたのである。
昨日は、気が動転していて、スマホで辛うじて撮影したが、その結果は、凡そ見せられた画像ではなかった!

ところが、‘柳の下のどじょう’ならぬ‘小川の枝のカワセミ’とばかり、今日は‘望遠の利く’カメラを持って新聞取りに玄関先に出た!
新聞は後で、という意気込みで、その‘小川’へ!

だが、そう簡単にいる訳がない!
じゃあ、小川の水の様子でも撮っておこうか!と撮影したのが、この下に示した最初の写真①!09:03

直ぐ近くにいた、多分昨日現れたのと同じ‘カワセミ’が、私の気配を感じたのだろう、‘サッと’美しい羽を広げて飛び去るではないか!

だが、だがである! 普段は、そのまま水上を掠めて1秒も掛からず‘視野’から消え去るのに
10数m 離れた横倒しの樹の枝に留まってくれたのである!

画像ー200 315-2
① 09:03 これはまだ、止まる(留まる)前の‘小川’の様子! この小川の奥の方の倒れ樹の無効の枝に・・・。

画像ー200 340-2
② 09:12  

画像ー200 341-2
③ 09:12

画像ー200 342-2
④ 09:12
この②、③、④の3枚を望遠で撮影した! だ・い・せ・い・こ・う!

画像ー200 342-3
⑤ 09:12 これは④のPC拡大!

画像ー200 342-4
⑥ 09:12 これも④のPC拡大!

昨日の弊ブログで掲示した画像と参考に掲げた画像を再掲・・・。

丸囲み
⑥ と比べてみると、これはもう‘恥ずかし過ぎる’画像である!

kawasemi.jpg
http://kankyo-iihatobu.la.coocan.jp/2contents37.html

それにしても、この画像は素晴らしい!

いつになったら、こんな写真が、我が家の裏で撮影出来るのだろうか?

(つづく)
[2014/02/19 22:30] | 仰天! | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
幻のカワセミ画像!
今日(2014年0202月18日)の朝、カワセミの写真撮影に成功した!

成功したと言ったって、‘ウスぼんやり’の写真が撮れただけである。それでも私にとっては‘快挙’である!

ここのところ、我が家の車庫の裏に流れる‘小川’に、頻繁に‘カワセミ’が出没するようになった!
カワセミも食糧難になったのかどうか、こんなに人間さまの近くに出没するのには、きっと‘訳’があるに違いない。
どんな訳かは知らないが、人間もいい加減なもので、カワセミさえ見えれば満足している。

カワセミだって‘危険’を冒して餌のありそうな場所を探しているのであって、のんびり遊んでいる訳では決して無い!
だから、人間の気配がしようものなら‘さっと’一瞬で逃げ去ってしまうのは当たり前である。
したがって、私のような何の準備もしないでいて‘カメラで撮影したい’なんて‘野望’を抱いたところで100%無理に違いない!

ところが、ところがである!
ここのところ前述の通り、頻繁に出没してくれる。しかし、カメラの準備をしていない時に限って現れる傾向に有る。まあ、人生と同様そんなもんだと思っていたが、今朝たまたま‘スマホ’を持ったまま玄関先の新聞受けで朝刊を取った後、忍び足で小川に近づいた途端、‘あやつ’が、さっと飛び立った!「あ、あ、あ~、また!」

いつも通りであると、川面を一直線に逃げ去るのだが、今朝のカワセミは違っていた!
一旦、川渕の枝に止まったのだ!
わくわくした!

ポケットに‘スマホ’が、と思った瞬間構えていた。
‘パチリ!’
この一瞬の後に、彼(彼女?)は、川面を一目散に・・・!

その‘歴史的瞬間’が下の写真である!

DSC_1501-2.jpg
2014年02月18日08:33 
これじゃあ、何処にいるか判らんでしょう!

DSC_1501-4.jpg
この拡大写真でも、まだ判らないに違いないが、実はこの画像の丁度ど真ん中!

DSC_1501-3.jpg
この拡大でも、まだ判り難い?

じゃあ、じゃあ、で囲んであげましょう!

丸囲み
これならきっとお判り戴けるに違いない!

取って返して数分後に‘カメラ’で望遠バージョンで撮影したのが、次の写真である。

丸囲みー2
こちらにも、それらしき場所に、をつけてみた・・・。この場所にそれらしきものが写っていないのは、逆に‘カワセミ’がいた証拠である!

下の写真のような‘格好’で・・・。

kawasemi.jpg
http://kankyo-iihatobu.la.coocan.jp/2contents37.html

でも、こんなに綺麗な写真を‘ものにする’のにはどんな準備が必要なのだろうか?

(つづく)
[2014/02/18 23:55] | 仰天! | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
羽生結弦の快挙!(その2):フリープログラムでも最高得点!①
羽生結弦の快挙!(その2)

フリープログラムでも最高得点!①

註:引用形式や断りの無い画像は、NHK・TVの画面をカメラで撮影したもの)

ショートプログラムが終わった段階での羽生と2位のチャンとの得点差は、

画像ー138 154-2
羽生の得点:101.45

画像ー138 122-2
チャンの得点:97.52

その差:101.45 ー 97.52 = 3.93

これだけわずかな差だから、フリーでの何処かでのミスが多い方が負けになる!
そんな不安をこの19歳が克服出来るだろうか?
オリンピックでの‘魔物’は、単なる‘噂’だけではないらしいから・・・。

この頃は、もう深夜の午前3時ってのは、起きているのが‘フツー’になってしまっている!
<それにしても‘深夜の午前’と言う言い方も一寸おかしいかも?>

画像ー138 222-2
2014年02月15日03:35(日本時間)さあ、大舞台が始まった!

ナ、ナ、何と、事もあろうに、最初の4回転ジャンプに失敗!

mmreuters_sochi_PK2014021592717002_BI_JPG_00.jpg
http://news.goo.ne.jp/megapicture/%E3%82%B9%E3%83%9D%E
3%83%BC%E3%83%84/reuters_sochi-20140215GZ___00107000.html


この場面について、‘NYタイムズ’は、次のような記事を載せた!

hanyu-4S-comp2.jpg
Hanyu Falls Twice, but Still Wins Gold
After a world record-setting short program performance, Yuzuru Hanyu, a teenager from Japan, fell twice in his free skate but still prevailed. FEB. 14, 2014
http://www.nytimes.com/interactive/2014/02/14/sports
/olympics/mens-figure-skating.html?smid=tw-share

羽生二度の失敗、しかし、それでもゴールドを受賞
世界記録的な短いプログラムのパフォーマンスの後、羽生結弦、日本からのティーンエイジャーは、彼の自由なスケートに二度落ちたが、それでも勝った。 2月14、2014 (Google 翻訳)>

Hanyu became the first skater to break 100 points in a short program after receiving high marks for all his jumps, including a quadruple toe loop. But in the long program, he fell on two jumps, including his first one, a quadruple salchow. Adam Leib, a coach and national technical specialist for U.S. Figure Skating, breaks down the competitors’ performances, jump by jump:
<羽生は四つま先のループなど、すべての彼のジャンプのために高い評価を受けた後、短いプログラムで100ポイントを破る最初のスケーターになりました。しかし、長いプログラムでは、彼は彼の最初の1、四サルコウを含む2ジャンプに落ちた。:アダム·ライプ、米国フィギュアスケートのためのコーチや国の技術的な専門家は、競合他社のパフォーマンス、ジャンプによるジャンプを分解する。(Google 翻訳)>

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その後の順調な演技に‘NYタイムズ’は、次のように‘絶賛’する!

hanyu-4T-comp.jpg
http://www.nytimes.com/interactive/2014/02/14/sport
s/olympics/mens-figure-skating.html?smid=tw-share

He was rewarded with high marks for athleticism, timing, flow, momentum and height.
<彼は激しい動き、タイミング、流れ、勢いと高さが高い評価で報われました。(Google 翻訳)>

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遂に、伝家の宝刀・イナバウアーの登場!

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かいきょ! カイキョ! 快挙! である!

(つづく)
[2014/02/15 23:21] | オリンピック | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
羽生結弦の快挙!(その1):ショートプログラム世界歴代最高得点!
羽生結弦の快挙!(その1)

ショートプログラム世界歴代最高得点!

私の普段の就寝時刻は、午前3時~3時半頃である。だから、深夜番組なんて普段は平気である。例えば、NHKのさだまさしの番組である「朝まで生でさだまさし」とか、テレビ朝日の「朝まで生テレビ!」など全く平気なのである。

それが、それが、ここのところの「ソチ・冬季オリンピック」の興奮で、‘寝不足’?になってしまった!

その第一は、19歳の未成年者の大活躍である!
許されないのではなく、こんな興奮は最近滅多に無いから、ずっ~と続いたって自分の身体をそれに合わせれば良い。

まだ、19歳のくせに(失礼!)大いに大人なのである!
定年を迎えて悠々自適の‘おじさん’よりも、もっと人生を経験しているような発言である。
これには、何となく‘天才的’な資質を感じた人が多かったに違いない。

今後きっと‘羽生時代’というか‘結弦時代’がここ10年以上は続くに違いない!
何とも‘日本人離れ’した体格だし、物怖じしない度胸は何から学んだのだろうか?
これには、恐らく‘テレビ業界’のコマーシャル作製チームが放って置かないだろうから、彼も潰されないようにしなければならないだろう、等と他人ごとなのに心配になった!

そう、その19歳が、な、な、何なんと、今年の冬季オリンピックで‘フィギュアスケート・男子シングル・ショートプログラム世界歴代最高得点!’を出したのである!

我々ど素人には、評価なんぞは出来っこないが、何処にも欠点を見出すことは出来なく‘完璧’とは、こんなことをいうのだろうと思った次第! 兎に角、こんな‘完璧な演技’は、今迄見たことは無かった!

<画像は、全て‘NHK・TV’の画面をカメラで撮影したものである>

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2014年02月14日03:30 (ビデオ)

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(ビデオ)

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2014年02月14日03:30 (日本時間) この時刻が、世界記録が出た瞬間の時刻である! そして、世界中が‘息を呑んだ’瞬間なのである!

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さあ、‘金’へ向かっての首位スタート!

(つづく)
[2014/02/14 23:41] | オリンピック | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
弊ブログのランキングが・・・
2014年02月13日の弊ブログのランキングを見て驚いた!

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① 日記ジャンル:332位/369135人中

② 創作日記ジャンル10位/10512人中

だという。

創作日記のジャンルでは、これまでの最高位は、確か‘12位’だったと思うのだが・・・

そんな訳で、人間は、いつまで経っても‘褒められたら嬉しい!’という習性からは逃れられないものらしい!

それはそれで、素直に喜べば良い! 理屈はいらないのである。

(つづく)
[2014/02/13 23:04] | 仰天! | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
スパイダー ソリティア!
‘賭け事’に人間はどう反応するのか?

そんなに‘大上段に’振りかぶらなくても、ゲームを自分でやってみると、必ず‘嵌まる’という体験が出来る!

「パチンコやマージャンの‘魅力’も解らないではない!」ってな気持になってしまうから、少々恐い!

しかし、心理学的な定義は知らないが、この‘賭け事に嵌まる’という人間の‘性(さが)’が、大袈裟に言えば、「人間社会の進歩に繋がった」と言えない事もない!

この続きは、また別途!

「やった!」とカミサンが叫んでいる!

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2014年02月07日23:01 ‘92’が久し振りに出たらしい!

画像ー197 002-3
そう、‘92’である!

こんなことが嬉しいのも‘賭け事’が、いかに人間の心理を動かすのか、の証拠である!

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%
AA%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A2

ソリティア(solitaire)は、一人で遊ぶゲームのこと。ソリテールとも。

概要[編集]

盤上遊戯やカードゲームなどのうち、一人だけで遊ぶことのできるゲームの総称として使われる。一人遊び。
solitaireはもともとフランス語で、フランス語の発音に近い表記では「ソリテール」、英語の発音に近い表記は「ソリテア(ー)」である。
トランプを使うソリティアはペーシェンス(patience)とも呼ばれる。

ソリティアの種類[編集]

駒や牌を使うソリティアは以下の種類が存在する。
ソリティア(ボードゲーム) 配置された駒を飛び越しながら取り除いていく遊び。
上海 麻雀牌を利用したコンピューターパズルゲーム。英語圏では"マージャン・ソリティア(Mahjong solitaire)" の名で知られる。
15パズル 1から15の数字が書いてあるパネルを移動させ順番通りに並べ変える遊び
トランプを使うものでは以下のような物がソリティアと呼ばれている。
カップル トランプを4枚ずつ複数列並べ隣接するカードに同じ数字があれば取り除いていく遊び。
キャンフィールド 13組の数上がりと数下がりを作る遊び。
クロンダイク 黒と赤のカードが交互になるように決められた数字の順番に揃える遊び。
ゴルフ 場札と山札にわけ、山札のカードの数字から±1の数字の場札のカードを取り除いていく遊び。
スパイダ 2組のトランプを使い、合計8組のスートの順番を揃える遊び。
ピラミッド トランプをピラミッドの形に並べ数字が13になるように取り除いていく遊び。
フリーセル フリーセルと呼ばれる4つの場所を使いながら順番にカードを揃える遊び。
四つ葉のクローバー トランプから48枚を使い場に並べた数字の合計が15になるように取り除いていく遊び。
クロンダイクは、Windowsに「ソリティア」という名前でゲームプログラムが標準添付されているため、クロンダイクの名前が「ソリティア」であると非常によく誤認されている。
ウォーゲームにもソリティアが存在し、その場合は、対戦相手を必要としない完全一人プレイ専用のものを指す。


私の最高記録も‘92’!勿論、初級なのだが、このゲームにはどんな上手い手が有るのだろうか?

(つづく)
[2014/02/11 23:18] | 魔力 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
2014年01月期の弊ブログの位置づけ
2014年01月もあっという間に過ぎ去った!

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2014年01月16日10:36   春はもう近いのかも?と思わせたのだが・・・。

2014年01月期のサブタイトルでの順位と月平均順位0001-2

最高位:14位
最低位:30位
平均位:22位

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2014年01月16日10:41  小川には、こんな厚い氷が、お昼近くになってもまだ融けないで・・・ 

2014年01月期の日毎アクセス数と平均アクセス数0001-2

最高アクセス数:400回/日
最低アクセス数:100回/日
平均アクセス数:155回/日

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2014年01月18日09:01 一月の気候も今年は不順で、寒かった!

(つづく)
[2014/02/10 23:52] | 統計処理 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
今年の初積雪(その3)
今年の初積雪(その3)

これは、我が家の記録である!

2014年02月04日の朝、雪が残っているなんて滅多に無いことである。

そして、

① 雪が結晶であることの証明

② ‘キラリ’と光る(反射する!)‘物理学的意義’とは、一体何?


を解説しなければならない!

画像ー196 094-2
(1)

画像ー196 095-2
(2)

画像ー196 096-2
(3)

画像ー196 097-2
(4)

画像ー196 098-2
(5)

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(6) (5)の拡大! 芽を大きく膨らまし、一つだけ花が咲いた梅に昨夜の雪が覆いかぶさっている!

画像ー196 100-2
(7)
‘健気にも’という言葉が当たっている。必死で頑張っている梅の生命力が・・・

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(8) 拡大!

画像ー196 100-5
(9) この花一輪だけが・・・

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(10)

画像ー196 105-2
(11)

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(12) 水溜りの水は、全部氷になってしまっている!

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(13) この‘烏賊の頭’みたいな影は、わ・た・し!

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(14)

画像ー196 110-2
(15)

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(16) 風が一方向(北)から吹いていたことがはっきり判る!

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(17)

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(18) まるで、‘八重桜’の満開のようで・・・

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(19) こんなに拡大しても、まだ八重桜みたいで・・・

画像ー196 115-8
(20) (19)の画像にも見える‘ふち’の‘キラキラ’は、雪の結晶面からの反射ではなく‘水滴’による光の屈折による‘キラキラ’なのである!

画像ー196 116-2
(21)

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(22)

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(23) これ、‘ダイアモンドダスト’の積り!

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(24)

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(25)

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(26)

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(27)

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(28)

画像ー196 127-2
(29)

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(30)

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(31)
これから先の画像に、雪の‘結晶面’での反射による‘キラキラ’が見える!

画像ー196 129-3
(32)

画像ー196 138-2
(33)

画像ー196 139-2
(34)

画像ー196 140-2
(35)

画像ー196 140-3
(36)

画像ー196 144-2
(37)

画像ー196 144-4
(38) この画像でハッキリ見える‘白点’こそ、雪の結晶面からの反射である!

この反射を‘ブラッグ反射’という!

http://kotobank.jp/word/%E3%83%96%E3%83%A9%E3
%83%83%E3%82%B0%E5%8F%8D%E5%B0%84

ブラッグ反射 【Bragg reflection】

X線,電子線,中性子線などの短波長の電磁波が,結晶格子面で受ける反射で,ブラッグの法則が満足されているところに現れる。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E
3%83%A9%E3%83%83%E3%82%B0%E3%81%AE%E6%B3%95%E5%89%87

ブラッグの法則 (Bragg's law) は、X線の回折・反射についての物理法則。ヘンリー・ブラッグとローレンス・ブラッグの父子によって発見された。
結晶のように周期的な構造を持つ物質に対して、ある波長のX線をいろいろな角度から照射すると、ある角度では強いX線の反射が起こるが、別の角度では反射がほとんど起こらないという現象を観測できる。
これは物質を構成する原子により散乱されたX線が、結晶構造の繰り返しによって強めあったり、打ち消しあったりするためである。ブラッグの法則は、X線の波長、結晶面の間隔、および結晶面とX線が成す角度の間の関係を説明する。

450px-Diffusion.png

結晶内部におけるX線と原子との相互作用
Loi de bragg.png

ブラッグの法則は結晶構造の解析に用いられている。
ブラッグの条件[編集]

次の関係式をブラッグの条件と呼ぶ。

3fc88a9122e209ccd0c3e7e08fa61080.png

ここで、d は結晶面の間隔、θ は結晶面とX線が成す角度、λ はX線の波長、n は整数である。この条件が満たされているとき、X線は回折(反射)される。



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(39)

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(40)

ブラッグ反射及び法則についての詳細は、別途。

(つづく)

[2014/02/09 23:29] | サイエンス | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
今年の初積雪(その2)
今年の初積雪(その2)

2014年02月03日は、昨日とは打って変わって、ここ千葉県・茂原市は好天気に恵まれた!

昨日の弊ブログに書かせて貰った通り、

① 雪が結晶であることの証明

② ‘キラリ’と光る(反射する!)‘物理学的意義’とは、一体何?

と思いながら、朝になって気温が上がってくると雪の‘結晶’は、まだ結晶形を崩さないままでいるだろうか?と思いながら外の景色を撮り捲ったのだが・・・。

その前に、やはり‘景色’の方が気なった。

何だか、遠い、遠~い、そして寒~い地方に来たような感じである!

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2014年02月04日08:05 Aさん家の屋根も真っ白に・・・

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この小川も何日か振りで凍りついた!

① 雪が結晶であることの証明

② ‘キラリ’と光る(反射する!)‘物理学的意義’とは、一体何?


は、次回!

(つづく)
[2014/02/08 23:34] | サイエンス | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
今年の初積雪
今年の初積雪

2014年02月03日の夕刻から関東地方に降り出した雪は、東京ではそんなに大騒ぎになるほどではなかったのだが、ここ千葉県・茂原市へに着いてみると、珍しく今期初の積雪となった!

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① 2014年02月4日00:27

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これらの画像は、2月3日の深夜、正確には、2月4日の午前00:27~03:01間の千葉県茂原市千沢の積雪の光景である!

雪なんて、何ら珍しいことでもないが、それが‘手に触れることが出来る’ところに今期初めてあると何となく‘嬉しく’なってしまう!

さて、もうお気付きかもしれないが、⑥と⑨には、他の画像には無い、或る特徴が有る!

そう、‘細かいLED’を埋め込んだような感じの映像になっている!

これは一体何故?

実は、この2枚は、‘接写 or 拡大’されている。ということは、実は他の画像にも少しは写っているので有るが、拡大すれば、その特徴がよく現れるということ!

でも何故? 勿論、LEDが埋め込んであるわけではないが、これは、雪が‘結晶’であることを物語っている、深い、深~い‘物理学的’意義が有るので~ス!

(つづく)
[2014/02/07 23:31] | 季節の変り目 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
北斎の‘神奈川沖浪裏’の富士山は、何処から見た富士山?
北斎の‘神奈川沖浪裏’の富士山は、何処から見た富士山?

先ずは、弊ブログに載せた

① 三浦半島・東海岸から見た富士山

② 房総半島・鋸山山頂から見た富士山

の写真から・・・。

2014010419591533-2c.jpg
① 三浦半島・東海岸から見た富士山(2013年12月29日09:08)

20140104185212b35_20140208163824a1f.jpg
http://shironso.blog.so-net.ne.jp/archive/20091225
② 房総半島・鋸山山頂から見た富士山(2009年12月25日)

地図上で位置関係を表せば・・・。

富士山―三浦半島―鋸山
‘Google’マップ  
:① 三浦半島・東海岸の富士山撮影場所

A:② 房総半島・鋸山山頂の富士山撮影場所

①と②の場所は、富士山を望む場合、同じ直線上にあることから、富士山の画像が‘そっくり’なのは当たり前!

さて、この富士山の形が、あの「北斎の‘神奈川沖浪裏’の富士山」の形に似ているという‘大論文’がある。

そして、そして、私がインタビューした国際的大カメラマンのプロ先生(T・Kさん)も鋸山辺りの緯度に当たる海岸からの富士山ではないかと仰せなのである!

‘大論文’とは?

こんなに優れた‘解析’をされる御仁は、滅多におられない!
誠に論理的であり、証拠となる数々のデータ、正に説得力に満ち満ちている!
但し、大前提は、‘北斎が、富士山を忠実に描いていた’ことである。この大前提があって初めて、この‘推測’が成り立つ!

http://mohsho.image.coocan.jp/kanagawaokinami5.html
葛飾北斎:富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」の視点
(2012年12月5日記載)

北斎の素晴らしい絵に対して、小生のような素人が言及できるとはなんと素敵なことでしょう。

作品の評価については、専門家にお任せするとして、
このページでは、画家の視点について、方角的見地からの見方を記述します。

まず、作品を見ましょう。


kanagawaokinami1.jpg

第1に、絵のタイトルから神奈川沖です。

視点の方角については、これで何も問題なく十分だと思います。
素晴らしい心象画だと思います。一般良識の範囲ではこれで解決です。
自分の中にあるクールな自己はこれで納得です。

しかし、このページは、方角特定に関心のあるホットな私のページでもありますので、
蛇足ながら、もう少し言及してみます。

そこで、小さく描かれた富士の表情を見てみましょう。

但し、このような富士の表情に関する方角的捉え方は、
その富士の表情が写実的に描写されたという事実があってはじめて成り立つ理屈です。
あくまで、その延長で、話を進めたいと思います。


kanagawaokinami2.jpg
http://mohsho.image.coocan.jp/kanagawaokinami5.html
この拡大画像から、推測が始まる!

葛飾北斎:富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」の視点0001
葛飾北斎:富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」の視点0002
http://mohsho.image.coocan.jp/kanagawaokinami5.html

そして、この‘大論文’の著者は、次のように推測します!

http://mohsho.image.coocan.jp/kanagawaokinami5.html
このページでの方角的見地からの見方をまとめますと、

クールに見れば「海ほたる付近から浦賀水道まで」の範囲と考えられます。

しかし、この絵が創出するダイナミックな雰囲気は、私をホットにさせ、
私をして次のように言わしめます。

「木更津と横浜を繋ぐラインよりも、もっと南の浦賀水道の領域、
さらには、三浦半島の先端と房総半島のの先端を繋ぐ、
浦賀水道と外海との境界における『荒波の神奈川沖である』とした方が面白い」と。


kanagawaoki-map.jpg
http://mohsho.image.coocan.jp/kanagawaokinami5.html

http://mohsho.image.coocan.jp/kanagawaokinami5.html
かくして、少なくとも、北斎さんに私の中にある諸感想をお聞きいただくことができました。

最後に、全体を総括しますと、

本来、方角的見地からの見方は、把握・認識・理解のほんの一部でしかありません。
その他に、その地域の気象学的見地などの自然環境の実体観察、
その地域の人々の生活・歴史に関する考証を加えながら、
さらに、画家の人生と画家の観方を含めての絵画・美術の作品鑑賞のあり方まで、
すべてをを総合して作品を理解し楽しみたいものです。

この作品は、まさに、タイトルが「書かれた場所」を示し、
絵が「浪裏」を通して描出された「北斎の心象風景」を示すものであると思います。

これより先の推理については、読者の皆さんに委ねたいと思います


我々が推測した拠点の地図を再掲してみると、

富士山―三浦半島―鋸山
‘Google’マップ  
:① 三浦半島・東海岸の富士山撮影場所

A:② 房総半島・鋸山山頂の富士山撮影場所

‘大論文’の著者の意見と全く一致している!

さあ、さぁ~ 如何する どうする 葛飾北斎さん! 

「私、もう北斎じゃぁ ありませんぜ! 絵の落款をよ~く見て!」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E5%A5
%88%E5%B7%9D%E6%B2%96%E6%B5%AA%E8%A3%8F

北斎の署名

301px-The_Great_Wave_off_Kanagawa_-_Title_and_signature.jpg

画面左上の署名(落款)は、題名と署名からなる。縦長長方形の枠内に書かれた題名は「冨嶽三十六景 / 神奈川沖 / 浪裏 」。その左に書かれた署名は「北斎改爲一筆 」とあり、直前に「北斎」から「為一」(いいつ)へと改号していたことが分かる。北斎はその生涯に30回改号している[1]。
富嶽三十六景ではこの「北斎改爲一筆 」のほか、「前北斎爲一筆 」及び「北斎爲一筆 」の署名を使用している[9]。


おや、おや、昔の有名人って、どうしてこんなに沢山‘号’を持っているのだろうか?

(つづく)
[2014/02/06 23:30] | 趣味 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
‘ミルククラウン’と‘神奈川沖浪裏(富嶽三十六景)/葛飾 北斎’
‘ミルククラウン’と‘神奈川沖浪裏(富嶽三十六景)/葛飾 北斎’

世界的に著名な或る日本人の‘プロカメラマン’に偶然知り合いになることが出来た! 私の父が‘フォトグラファー’と言えばかっこいいが、平たく言うと‘写真屋さん’だったこともあって、話が弾んだ!

この‘プロカメラマン’のT・Kさんの能力は多才であって、あらゆる分野に精通しておられるが、カメラマンという特質において‘映像’という事にその才能を遺憾無く発揮されている!

「‘一瞬の映像’の価値 」に話が及んだ時、‘ミルククラウン’と北斎の‘神奈川沖浪裏の水滴’につてのご高説を拝聴することが出来た!

今の技術を以ってすれば、いとも簡単なことかもしれないが、‘ミルククラウン’の最初の撮影者といい、北斎といいナント‘観察力・洞察力・想像力’に優れた才能の持ち主だったか、と仰せである!

このT・Kさんが、海外でのプロ芸術家の集まりで‘日本の浮世絵’について外国人の質問に応えられ、絶賛を浴びられ‘ミスター浮世絵’の称号を戴かれた話もある。でも、この詳細は別途。

さて、‘ミルククラウン’が産まれるきっかけとは?

第13回 “ミルククラウン”を最初に撮影したのはこのヒトです


http://nationalgeographic.jp/nng/article/20130402/346134/

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ミルククラウン。(c)2010 MIT. Courtesy MIT Museum

 ミルククラウンといえばコレ。牛乳を1滴落としたときにできる王冠のような形状です。いまではおなじみの映像ですが、最初に撮影したのは、実は協会が支援をし、ナショジオでも大いに活躍したヒトでした。

 そのヒトとは、ハロルド・ユージン・エジャートン(Harold Eugene Edgerton)。

 写真家ではなく「ヒト」と書いたのは、彼がいわゆる普通のカメラマンではなかったからです。

 日本ではさほど知られていないけれど、エジャートンは米国ではエジソンと並び称されたほどの発明家。1903年に米国ネブラスカ州で生まれ、電子工学を学び、MIT(マサチューセッツ工科大学)の大学院に進学します。長らくMITの教授も務めました。1990年に亡くなっています。享年86歳。

 取得した特許は40以上。なかでもメジャーな発明はストロボです。厳密にいえば、ストロボ自体はその100年ほど前からあり、1931年にエジャートンがなしとげたのは、数千分の1秒単位という高速で制御することですが、それがミルククラウンのようなまったく新しい写真の世界を切り拓きます。

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1942年のエジャートン。MITの研究室にて。
(c)2010 MIT. Courtesy MIT Museum

人間の視覚は数千分の1秒という瞬間を認識できません。ミルククラウンのほかにも、ラケットに当った瞬間につぶれるテニスボール、放物線を描く飛び込み選手の連続分解写真、舌先を裏側にJの字に丸めて水を飲む猫など、それまで誰も見たことのなかったシーンの撮影にことごとく成功し、人々をあっと驚かせました。

 以降も生涯にわたり、エジャートンは創意工夫を絶やすことなく、写真の新境地を次々と開拓してゆきました。

 第二次世界大戦初期には、飛行機による夜間の偵察のために大光量のストロボを開発し、その結果、ノルマンディー上陸作戦を成功に導きます。

 面白いのは開発時のエピソード。

 当時、飛行機のパイロットには写真撮影に対するアレルギーがあり、エジャートンが夜間の空撮を依頼しても強硬に反対されました。そこで彼はイギリスのヌーディストキャンプの正確な位置を入手し、パイロットに話をもちかけます。すると、パイロットたちは記録的な速さのスクランブル発進を達成しただけでなく、怒ったキャンパーたちがタオルで作った「通報中(REPORTING YOU)」という文字を識別できるほど低空で飛んだそうです。その話を聞いたエジャートンは「私は現実的な人間なのさ」と言ってにやりと笑ったとのこと。ホントに頭の柔らかかった人なんですね。(後略)


そして、北斎の‘神奈川沖浪裏’については、・・・

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http://item.rakuten.co.jp/honakote/g4-bu004/

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E5%A5%8
8%E5%B7%9D%E6%B2%96%E6%B5%AA%E8%A3%8F

神奈川沖浪裏
The Great Wave off Kanagawa.jpg
『神奈川沖浪裏』(かながわおきなみうら)は、葛飾北斎が制作した木版画である。1831年(天保2年)頃[1] に出版された名所浮世絵の連作『富嶽三十六景』の一つで、巨大な波と翻弄される舟の背景に富士山が描かれている。北斎の作品の中では最も有名であり、世界で知られる最も有名な日本美術作品の一つである[1]。「神奈川沖波裏」とも表記される[2]。

構成[編集]

この作品は、縦 25.7 cm・横 37.9 cm の大判横絵として作られている [3]。
大波、3隻の船、背景の富士山、と3つの要素で構成されている。構成は左上隅にある署名によって補完される。
富士山[編集]
富嶽三十六景の主題である富士山が画面中央下部に背景として描かれる。日本において富士山は、神聖にして国家の象徴[4]、美の象徴と考えられている[5]。
本来雄大なはずの富士山は小さく描かれ、前景の大波の豪快さと対比させている[6]。
地平線付近の暗い色と、雪に覆われた山頂が明るく照らされているかのように見えることは、太陽が観覧者の側から昇り早朝であることを示唆する。上空の積乱雲は嵐を示しているが雨は降っていない[7]。

[編集]

画面内には大波に翻弄される3隻の船が描かれる。この船は当時活魚輸送などに使われた押送船である[7]。
船ごとに櫂にしがみつく8人の漕ぎ手が居り、船首には2人以上の乗客が見え、画面内に居る人間は約30人である[7]。人々は船の中で硬直し、動的な波との対比を見せている[6]。

[編集]

海は荒れ狂い、波の波頭が砕けるその瞬間を切り取っている。波の曲線は弧を描き、背景の富士山を中心とする構図を形作る。波頭から飛び散る波しぶきは、まるで富士に降る雪のようでもある[1]。奥の舟と波高はほぼ等しく、押送船の長さは一般的に12mから15mであり、北斎が垂直スケールを30%引き延ばしていることから、波の高さは10mから12mと推測できる[7]。
この波は時として津波と解釈される事がある[8]。このような解釈は比較的最近で早くても1960年代以降のことである。それ以前の130年間は通常発生する波として解釈されてきた。北斎の存命中には関東・関西には大きな津波は発生していないが、過去の大津波や1792年九州で起きた肥後迷惑の様子を伝え聞いていた可能性はある。しかし本作品に書かれる波は波長が短く津波の描写では無い[7]。


残念ながら、「波頭から飛び散る波しぶきは、まるで富士に降る雪のようでもある」という表現はあるが、北斎の‘眼力’についての記載はない!

天才プロカメラマンの‘T・K’さんの評価は?

私「神奈川沖浪裏’における北斎の凄さは、何処にあるのですか?」

T・Kさん「肉眼では、‘残像現象’のために‘浪しぶき’が‘玉’となっては見えないのです! でも彼は、それを‘玉’と捕えている!そこが凄いのです。今の撮影技術でも、1/4000以上のスピードでないと液体のしぶきは‘玉’にはなりません!‘ミルククラウン’はストロボ技術を使ってそれが実現出来たのです!」

私「昔、打撃の神様・川上哲治さんが‘ボールが止まって見える’という名言を残されましたが・・・」

T・Kさん「そう、そう名人・天才は、その‘感覚’があるのでしょうね!」

私「北斎さんは、どうやってその画像に到達したとお考えですか?」

T・Kさん「恐らく、何日間も、ただただ‘浪’を見ていたのだと思います」

私「この絵の富士山は、神奈川沖からとはなっていますが、何処からと思われますか?」

T・Kさん「きっと、千葉県は、鋸山付近の緯度からの様な気がします!」

私「へ~っ!、私も先日三浦半島の東側・金田湾から富士山の写真を撮ったのですが、それは緯度から言って鋸山からの富士山と同じ角度だったものですから、比較して見た時に、この画像って、確か北斎のあれって、思ったのですが・・」

T・Kさん「正解でしょうね!」

T・Kさんの眼力では、‘北斎の神奈川沖浪裏’に描かれている富士山は、きっと鋸山辺りの緯度の海から見たに違いないと仰るのだ!

これは調べてみる価値がある!

実は、そんなことを調べておられた‘オタク’と言っては失礼だが、天才的解釈能力を持っておられる方を‘発見’した!

(つづく)

[2014/02/05 23:00] | 芸術 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
東京・四ツ谷駅近辺(その3):迎賓館と公園 ②
東京・四ツ谷駅近辺(その3):迎賓館と公園 ②

2014年01月31日は、「東京は17℃というもう春になったの?」という位の快適な好天気に恵まれた!

時間があったので、四ツ谷駅の付近を散歩しようと思いたった。
迎賓館は、聞くところによると‘国宝’だそうだ。

実は、一度、先般の弊ブログに‘赤坂迎賓館’の中に入ったことがあると書いた。これは調べてみると、もしも迎賓館側に予定がなければ、8月に一般公募により民間人をご招待して戴ける‘制度’(?)があるという。この制度のお蔭だったのだろう。中を見学させて戴いて大変感激した思い出がある。そう、もう十数年も昔の話なのだが・・・。

さて、この赤坂迎賓館の付近は、流石に‘国宝’の周りだけあって‘上品さ’があちこちに見え隠れしている。その内の一つが‘公園’で、その公園に‘噴水’とまでは行かないが、水が‘噴き出して’ている人工の、何と言うか‘水飲み場’的な場所がある。

でもこの‘湧水’状態に仕組まれた水は、飲めるのだろうか? 「飲むな!」という注意書きもなさそうだし、多分‘水道水’に違いないから、飲んでも構わないのだろう。その水の‘滴り落ちる’光景を‘スマホ’に収めてみて後で画像を見て驚いた!

スマホの場合、シャッタースピードが‘何百分の一’なのかどうなのか、素人には判らない。でも、でもである。
見事に「‘水滴’寸前」の状態が、画像として残っているではないか!
‘ミルククラウン’という画像があるがそれを‘彷彿’とさせる!(独りよがり!)

この議論は、後半で!

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2014年01月31日12:36 赤坂迎賓館正門

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2014年01月31日12:39 これが、‘西側の’公園である!

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この公園は、迎賓館を中心考えれば‘西側’に当たるのだが‘若葉東公園’というらしい。

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12:39と言えば、お昼休みの真っ只中である! そう、そうだからなのだろ!ベンチは埋まっている。この辺は、そう沢山会社は無いのだが・・・。直ぐこの向うが‘学習院初等科’だし・・・

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12:40 こちらは、迎賓館を中心すれば、東側の公園。ここに‘湧水’に仕立てた‘セミ(?)噴水’がある!

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拡大! 中央に・・・

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これ、これ!

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ねっ!噴水じゃあないでしょう!?? 本当に‘綺麗な’湧水!

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全体像が、これ!

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そして、そして、そして!

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たった‘一千万画素足らず’のスマホで、これだけの‘ミルククラウン’ならぬ「‘ウオータークラウン’のなりそこない」が撮れたのである!

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江戸時代に庶民の間でもてはやされ、その後ピカソやゴッホなど海外の著名芸術家らを唸らせ、彼らの作風に大きな影響を与えた日本芸術の粋「浮世絵」。元禄文化の粋の象徴ともいえる北斎・歌麿の世界を心ゆくまでお楽しみください。
「ビッグウェーブ」と呼ばれ、世界的にも著名な北斎の代表作。大胆に誇張された浪の「動」と、その波間から垣間見える美しい富士山の「静」の対比が、実に見事な構成を見せる北斎芸術の極みです。

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という訳で、この極めて有名な「神奈川沖浪裏(富嶽三十六景)/葛飾 北斎」は一体どうして産まれたのか?

(つづく) ‘ミルククラウン’と‘神奈川沖浪裏(富嶽三十六景)/葛飾 北斎’との関係及びその観察力・洞察力について、世界的に著名な‘プロカメラマン’の貴重なご意見をお伺いすることが出来た!
[2014/02/04 23:44] | 季節の変り目 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
東京・四ツ谷駅近辺(その2):迎賓館と公園 ①
東京・四ツ谷駅近辺(その2):迎賓館と公園

2014年01月31日、東京・JR四ツ谷駅近辺を散歩した。
千葉県の外房から東京に出て来て、四谷を散歩することなど滅多にないことである。
大抵は、地下鉄を乗り継ぎ乗り継ぎで、それぞれの打合せ会場へ向かう。

この日の打合せは、2回だけ。四谷3丁目と上野駅構内である。
その打ち合わせの間に約30分の‘余裕’が出来たのである。
そして、都合のいいことに、この日は、東京のお昼の気温が17℃と言うから外を歩きたくなる、というもんである!

そして、知りたかったのは、四ツ谷駅から迎賓館までの街路樹、他所にはあまり見かけない‘背の高い’樹の名前は?であったが、昨日の弊ブログに記した通り‘ユリノキ’だという事が、その木につけられた‘名盤’から判明した!

さて、‘ユリノキ’がヨーロッパでは、‘チューリップ’の樹と呼ばれているという面白さが判ったが、このユリノキの花が、正に‘チューリップ’の樹と呼ばれるにふさわしいのは次の画像を見れば一目瞭然である!

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http://smcb.jp/digiphoto/498341
本当に、花は‘チューリップ’である!花だけ見せられれば、「新種のチューリップ?」という事になるに違いない!

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20145年01月31日12:36 これは迎賓館側から見たJR四ツ谷駅方面である。

迎賓館、通常‘迎賓館’と言えば、東京・元赤坂のそれを指すのであるが、京都にも迎賓館があるため、元赤坂の迎賓館を特に‘赤坂迎賓館’と呼ぶそうである。

東京都港区元赤坂二丁目1番1号 - Google マップ0001
‘Google’マップ。赤坂迎賓館(A)の近傍

東京都港区元赤坂二丁目1番1号 -2- Google マップ0001
‘Google’マップ。赤坂迎賓館(A)


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%8E%E8%B3%93%E9%A4%A8
迎賓館(げいひんかん)は、外国の国家元首や政府の長などの国賓を迎え入れたときに、宿泊等の接遇を行う施設。

概要[編集]

皇居宮殿での歓迎晩餐会の答礼など、外交儀礼のための接宴として、天皇や皇族などが臨席し、晩餐会が行なわれることもある。
日本の迎賓館は、2013年(平成25年)現在、東京都港区赤坂の迎賓館(赤坂迎賓館)と、京都府京都市上京区の京都御苑内に京都迎賓館があり、内閣府の施設等機関である。通常は非公開だが、接遇に支障のない時期(通常は8月)に、事前の申し込みにより、一般参観することができる[1]。
迎賓館の使用については、「迎賓館運営大綱について」[2][3]、国・公賓の定義および接遇内容については、「国賓及び公賓の接遇について」[2][4]などにより定められている。これらの規定によれば、迎賓館での宿泊及び接遇を行うことができるのは外国の元首またはこれに準する者で、国賓として招請することを閣議決定した場合である。また、行政府以外の三権の長相当の外国の賓客についても閣議決定により宿泊させることができる。さらに、首脳外交など実務を目的として訪日する外国の元首や首相などに対しては、「公式実務訪問賓客」として宿泊を伴わない招宴その他の接遇も行われている。過去3回行われた東京サミットなどの多国間国際会議も、この接遇範疇に該当する行事として実施された。京都迎賓館においては、上記の目的に加えて地方公共団体による外国元首・首相等の接遇にも使用できると規定されている[2]。
なお近年では、内閣総理大臣と外国首脳との会談には外務省の飯倉公館(東京都港区麻布台一丁目)が利用されることも多い。

赤坂迎賓館[編集]

所在地:東京都港区元赤坂二丁目1番1号
敷地面積:11万7000平方メートル

沿革[編集]

東京の元赤坂にある現在の迎賓館の建物は、東宮御所として1909年(明治42年)に建設された。鹿鳴館などを設計したお雇い外国人建築家ジョサイア・コンドルの弟子にあたる宮廷建築家片山東熊の設計により、元紀州藩の屋敷跡(明治6年宮城火災から明治21年の明治宮殿完成までの15年間、明治天皇の仮御所が置かれていた。)に建てられた。しかしそのネオ・バロック様式の外観があまりにも華美に過ぎたことや、住居としての使い勝手が必ずしも良くなかったことから、皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)がこの御所を使用することはほとんどなかった。嘉仁親王が天皇に即位した後は離宮として扱われることとなり、その名称も赤坂離宮と改められた。

その大正天皇の皇子・皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)と良子女王(後の香淳皇后)との婚儀が1924年(大正13年)成ると、その後の数年間、赤坂離宮は再び東宮御所としてこの一家の住居となったが、裕仁親王が天皇に即位した後は離宮として使用されることも稀になった。終戦時には高松宮宣仁親王が昭和天皇に、皇居を出て赤坂離宮へ移り住むことを提案したが、天皇は使い勝手が悪く経費がかさむとして拒否している。
第二次世界大戦後、赤坂離宮の敷地や建物は皇室から国に移管され、国立国会図書館(1948–61年)、法務庁法制意見長官(1948–60年)、裁判官弾劾裁判所(1948–70年)、内閣憲法調査会(1956-60年)、東京オリンピック組織委員会(1961–65年)などに使用された。

その後国際関係が緊密化して外国の賓客を迎えることが多くなり、またそれまで迎賓館として使用していた東京都港区芝白金台の旧朝香宮邸(現・東京都庭園美術館)は手狭で随行員が同宿できないといった支障があったため、1962年(昭和37年)に当時の池田勇人首相の発意によって新たに迎賓施設を整備する方針が閣議決定された。

これを受けて、池田とその後任の佐藤栄作首相の在任時に政府部内で検討を重ねた結果、旧赤坂離宮を改修してこれを迎賓施設とすることが、1967年(昭和42年)に決定された。こうして5年の歳月と108億円(工費101億円、内装費7億円)をかけて、本館は村野藤吾、和風別館は谷口吉郎の設計協力により、1974年(昭和49年)3月に、迎賓館が完成した。新装なった迎賓館に迎えた最初の国賓は、現職のアメリカ合衆国大統領として初来日したジェラルド・フォードだった。
2006年(平成18年)から2008年(平成20年)にかけて、大規模な改修工事が行われている[5]。
2009年(平成21年)12月8日、旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)として国宝に指定明治以降の文化財としては初の国宝となった。


ナント、赤坂迎賓館は‘国宝’なのだ!

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この‘紋様'(?)にも深いふか~い訳があるのだろうが、‘薄学’な私には、その‘重さ’が充分には判らない!何せ‘国宝’の迎賓館の‘門の紋章’なのだから,キット・・・。

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この画像も、迎賓館側から見たJR四ツ谷駅方面。

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やっぱり、‘はとバス’がここへも来るのだろう! ユリノキの向うに見える建物は、上智大学である。

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ユリノキに囲まれた(?)上智大学。

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向うの建物は、ホテルオオクラ!

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これが、この辺では一番デカイ、ユリノキ。ベンチに腰を降ろしている学生風の人物と比較して見れば大きさが判る!

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この迎賓館の周りに‘公園’がある。

それがこの公園!

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(つづく)
[2014/02/03 23:17] | 歴史 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
東京・四ツ谷駅近辺(その1):ユリの樹
東京・四ツ谷駅近辺(その1):ユリの樹

2014年01月31日、東京・四谷3丁目での打合せに出席した。

その帰り道、その日は東京には全く春が来た?と思わせる程の暖かさだった。国道20号線、所謂‘新宿通り’にはお昼時のこともあって大勢の人が歩いている。

コートを着ている人を見つけるのが難しいくらいの気温である。17℃!

私もコートを脱いで四谷3丁目から‘JR四ツ谷駅’まで歩いてきた。

‘四谷3町目’の場合の表示には‘四’と‘谷’の間に‘ツ’は入らないのに、‘四ツ谷駅’の場合には何故‘ツ’が入るのだろうか? これについては、また後日、調査の結果をこのブログで・・・。

さて、JR四ツ谷駅に着いたのは12時30分丁度であった。次の打合せは、13:30からで場所はJR上野駅構内。JR四ツ谷駅からJR上野駅まで、30分も掛からない。

それじゃあ、ここJR四ツ谷駅付近で、30分は散歩が出来る! 四谷3丁目から歩いてきた時間とを足せば、そう、小一時間は散歩したことになる。

歳を取って来るに従って、健康維持には、‘散歩’が特にいいらしい。 ここ数日中々散歩が出来なかった‘穴埋め’に‘迎賓館’へ行ってみようかと思った!

実は‘迎賓館’の中に入れて貰った経験がある! もう10年も昔のことだが・・・。
今まだ、そんなことが続けられているかどうかは知らないが、当時は年に何回か‘迎賓館へのご招待’という粋な計らいがあった。

一般公募だから、色々な制約は余り無いが、ただ少々倍率が高かった! それに‘当たった’のである!
この‘迎賓館ご招待’の話は、今日はここまでとし、続きは後日に・・・。

さて、肝心なのは、四谷駅に来る度に、駅から迎賓館へ行く途中の‘大木’の名前が気になっていたのであるが、それをどうしてもその日に知りたい、と思ったのである。

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2014年01月31日12:34 正面が‘迎賓館’である。

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このごつごつした‘樹の幹’と

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しなやかな枝ぶり、それに‘花’→‘種’!

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名盤には、ハッキリと‘ユリノキ’とある! やっと名前が判明した!

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それにしても、この幹の表面のごつごつは、一体? 予測としては、多分「木の成長が速いために、木の表皮の部分の成長が付いて行かない」為だろうと思われる。我々ど素人には・・・。人間の皮膚も、実は似たような現象が起こるのである!これについては後日このブログで・・・。

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やっぱり、そんな予感がする! ‘生長量調査木’とは、きっとそうなのだろう!

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これが、この‘ユリノキ’の‘花’→‘種’だろうが、何せ望遠が利かない‘スマホ’での画像なのでピントが今一・・・。

キチンとピントの合った画像を探してみると・・・

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http://albireo190.blog.so-net.ne.jp/2006-05-16

では、では、一体‘ユリノキ’とは?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%AA%E3%83%8E%E3%82%AD
ユリノキ(百合の木、学名: Liriodendron tulipifera[1])は、モクレン科ユリノキ属の落葉高木である。
種小名 tulipifera は「チューリップ(のような花)をつける」の意。
別名にハンテンボク(半纏木; 葉の形が半纏に似ることから)、レンゲボク(蓮華木; 花が蓮の花を思わせることから)、チューリップツリー(同じく花がチューリップを思わせることから。種小名と同じ発想)などとも呼ぶ。

特徴[編集]

葉は薄くて硬く淡緑色平滑で、浅く掌状に2~4裂。Tシャツに見立てられるような特徴的な葉形で、簡単にユリノキであると知れる。秋の黄葉が見事。
花期は5~6月頃。鐘形で、枝先に直径6cmくらいでチューリップに似た形の、付け根近くにオレンジ色の斑紋のある淡い黄緑色の花を咲かせるが、高く茂った葉の間に咲いていて目立たない。がく片は3枚。雌蕊が円錐形に集合したものの周囲を、多数の雄蕊が取り囲んでいる。
果実はローソクの炎のような形状をした集合果で、個々の果実は細長い「へら型」の翼果で、晩秋から冬にかけて散布される。



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http://smcb.jp/digiphoto/498341
この写真を見せられれば、今では誰でも「あっ、チューリップだ!」と言うに違いないが、このユリノキが日本に入って来た明治の初期には、日本人はまだ‘チューリップを知らなかった’のだそうである。だから、‘半纏(ハンテン)’に似ているからと・・・。

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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%AA%E3%83%8E%E3%82%AD
この葉っぱも何処かで見たような??

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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%AA%E3%83%8E%E3%82%AD
これが、先程の画像と同じように‘実’。

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この画像は、迎賓館側から四ツ谷駅方面を見た写真である!

(つづく)
[2014/02/02 23:37] | 学習と文化 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
街頭演説
2014年01月31日、たまたま錦糸町に用件があって下車した。

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たまたま東京都知事候補者の応援演説、街頭演説に出くわした。そして、候補者その人はいなく応援者だけが、旧態依然のやり方で、かなりの音響で‘がなり立てて’いたのである。この光景に少々驚いた。

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2014年01月31日16:25 

一体誰の応援演説なのか?

「東京が日本を変える会」と‘幟旗’から読み取れる。
「東京が日本を変える会」と言う会を私は知らなかったので、一体誰の応援演説なのだろうかと思った。
後で調べてみると、細川護熙候補の公式ホームページに「東京が日本を変える会」(http://tokyo-tonosama.com/index.html#home)と書かれていることが判った!

そして、そのHPのスケジュールの項目を見ると以下のような記述がある!

http://tokyo-tonosama.com/newsdetail.html?date=2014.01.31_1
【1月31日(金)】
弁士:菅原文太氏、福岡政行氏
※菅原文太さんが応援に駆けつけてくださいます。ぜひ、お越しください。
15:50〜 錦糸町北口


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それにしても‘細川護熙’の一文字も書かれていないのは一体どういう事なのだろうか?

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正に‘菅原文太’さんである!

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流石に、錦糸町駅前である。お相撲さんが居る!

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錦糸町の駅から歩いて凡そ17,8分でスカイツリーなのだが、その日はお天気も良く駅前からよ~く見ることが出来た!

さて、その夜、つまり、2014年01月31日の深夜(正確には2月1日の朝)の‘朝まで生テレビ’(朝日放送)を見てこれまた驚いた!

企画が細川護熙氏の‘討論会’への出席拒否で流れたため、急遽‘各候補との対談形式’に切り替えられたらしい!

そのことを細川氏との対談中に田原氏が確認をしたところ、細川氏は「そうじゃぁなかった」という意味のことを言っていたが果たして真相は?

そして、驚いたことには、日本の原発稼働については

細川氏「これまでの日本の首相は、みんな騙されていた!」

田原氏「誰に?」

細川氏「技術者に!」

という対談に私も唖然とした! 更に

田原氏「1万7千トンのプルトニウムの処理方法は?」

細川氏「それは、東京都の大学の技術者に今後考えて貰う!」

こんな会話で世の中が動かせるのか? 政治家、評論家とは、甚だしい無責任の塊だという印象を持ったのはきっと見ていた多くの人達の意見に違いない! 選挙戦の時だからの強調なのか、それとも本当にそれだけ知識しかない人達なのだろうか?

誰か、この辺の事情を‘解説’して!

1週間後の選挙で一体誰が都知事になるのだろうか? 読み解説ではもう決まっていると言うが・・・。

(つづく)
[2014/02/01 23:02] | 政治と社会 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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