湿度の驚異!
湿度の驚異!

2014年07月27日のこのブログで、夜景も被写体が‘真っ暗に近い’場合、‘フラッシュ’で撮影したら、何やら説明が難しいものが写ってしまうことを指摘して、その原因は‘空気中の湿度’が高い場合、水分の塊からの反射であると説明した。

それを証明するには、湿度の低い夜に、同じ方法で撮影して‘水分の塊からの反射’がないことを示すべきである。

‘意外なもの’が写ったその日(2014年07月25日)の夜の21時過ぎの湿度が何%だったかは定かではないが、多分50%は優に越していて、55%位だったと思われる。

そして、比較のために湿度が低いと思われた07月29日の23時過ぎの湿度は、40%は切っていた、と思われる。

この湿度の違いが、‘意外なもの’を画面に‘登場’させたと思われる。

先般の27日のブログの写真に、29日23時過ぎの写真を追加してみた。
撮影場所が全く同じではないため被写体が同じではないことは、お断りしておきたいが・・・。


画像ー246 霧のよる 001-2
2014年07月25日(湿度約55%)フラッシュなし

画像ー246 霧のよる 002-2
2014年07月25日(湿度約55%)フラッシュあり

画像ー247 ハエ取り紙と湿度の低い時の夜景 008-2
2014年07月29日(湿度約40%)フラッシュなし

画像ー247 ハエ取り紙と湿度の低い時の夜景 009-2
2014年07月29日(湿度約40%)フラッシュあり


画像ー246 霧のよる 009-2
2014年07月25日(湿度約55%)フラッシュなし

画像ー246 霧のよる 010-2
2014年07月25日(湿度約55%)フラッシュあり

画像ー247 ハエ取り紙と湿度の低い時の夜景 010-2
2014年07月29日(湿度約40%)フラッシュなし

画像ー247 ハエ取り紙と湿度の低い時の夜景 011-2
2014年07月29日(湿度約40%)フラッシュあり


画像ー246 霧のよる 013-2
2014年07月25日(湿度約55%)フラッシュなし

画像ー246 霧のよる 014-2
2014年07月25日(湿度約55%)フラッシュあり

画像ー247 ハエ取り紙と湿度の低い時の夜景 019-2
2014年07月29日(湿度約40%)フラッシュなし

画像ー247 ハエ取り紙と湿度の低い時の夜景 020-2
2014年07月29日(湿度約40%)フラッシュあり


画像ー246 霧のよる 017-2
2014年07月25日(湿度約55%)フラッシュなし

画像ー246 霧のよる 018-2
2014年07月25日(湿度約55%)フラッシュあり

画像ー247 ハエ取り紙と湿度の低い時の夜景 012-2
2014年07月29日(湿度約40%)フラッシュなし

画像ー247 ハエ取り紙と湿度の低い時の夜景 013-2
2014年07月29日(湿度約40%)フラッシュあり


画像ー246 霧のよる 025-2
2014年07月25日(湿度約55%)フラッシュなし

画像ー246 霧のよる 026-2
2014年07月25日(湿度約55%)フラッシュあり

画像ー247 ハエ取り紙と湿度の低い時の夜景 021-2
2014年07月29日(湿度約40%)フラッシュなし

画像ー247 ハエ取り紙と湿度の低い時の夜景 022-2
2014年07月29日(湿度約40%)フラッシュあり

誠に見事に湿度の影響を裏付けすることが出来た!

湿度が、フラッシュの光に及ぼす影響がこれほど大きいとは予想外であった!
今後、また湿度の高い日を選んで、もう一度確かめて見たいと思っている。
更に、‘雨の日’にもフラッシュで撮影するとどんな画像になるのだろうか?これにも興味がある!

(つづく)
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[2014/07/31 00:07] | サイエンス | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
墨はじき
磁器の絵付けに関して‘墨はじき’という技術・技法がある。

墨はじきs005
http://www.imaemon.co.jp/ironabeshima/14dai
imaemon/sakuhin/201402/000111.html

色絵雪花吹墨墨はじき雪文花瓶 (14代今右衛門作)
サイズ:径12.1 高33.5

これは、有田焼の本拠地・有田の‘三右衛門’といわれる名門の内の一つ、色鍋島今泉今右衛門の14代今右衛門が、苦心の結果完成させた磁器の絵付けに関する極めて優れた技術・技法であるという。

その前に、有田の‘三右衛門’とは、

http://aritayaki.jp/aritayaki/3emon.html
有田の‘三右衛門’とは、
日本で初の赤絵付けの技法「柿右衛門様式」を開発し一世風靡したことで有名な酒井田柿右衛門
今もなお、色鍋島の品格を守り続けている今泉今右衛門
そして、絵付けの柄をインテリアやアクセサリーなどにまでも展開させた源右衛門
この三つの窯元が「有田の三右衛門」です。


われわれ材料を研究する運命を担っている者にとっては、己の専門分野のみの技術にだけ興味があるのではなく、材料の持つ特質を充分に活用して素晴らしい技術を確立することにこそ興味があるのである。

世の中の科学技術の進歩の一端は、材料関連の技術進歩にあると言われているのはご存知の通りである。

そんな訳で、14代今泉今右衛門の‘墨はじき’の話を御自らNHKのTVで語られたのを見て、‘目から鱗’とはこのことだと思った。

またまた、前置きが長くなったが、その‘墨はじき’の技術とは?

http://www.imaemon.co.jp/ironabeshima
/14daiimaemon/sumihazhiki.html

墨はじきについて

「墨はじき」とは、江戸期から鍋島ではよく使われた白抜きの技法である。技法の手順としては、まず墨で文様を描き、その上を染付で塗る。すると墨に入っている膠分が撥水剤の役目をし、墨で描いた部分が染付の絵具をはじく。その後、素焼の窯で焼くと墨が焼き飛び白抜きの文様が現われるという、染織のろうけつとよく似た技法である。鍋島ではこの「墨はじき」による白抜きは、主文様を引き立たせるための脇役の表現方法という目的を感じさせてくれる。「墨はじき」によって描かれた個所は、染付の線描きされた個所と比べるとやさしい控えめな印象を与える。鍋島ではその特性を最大限に生かすために、この「墨はじき」が主文様の背景に使われることが多い。染付で描いてもよさそうなところを、あえて一手間二手間かけて、主文様を引き立たせるために「墨はじき」の技法を使い描く、鍋島らしい神経の遣い方である。私はこの控えめではあるが、白抜きの奥深い魅力に惹かれ、背景を描くだけでなく、主文様の部分にも取り入れ作品に生かす努力をしている。

鍋島の制作に携わっていく中で、このような目に見えない心配りを随所に見ることが出来る。目に見えるところに神経を遣うのは当然のことであるが、鍋島の世界では、このような、「墨はじき」の技法のような、目にみえない所に、神経と手間を惜しまない、何かこの感覚が鍋島の“高い品格”と“高い格調”を醸し出す要因になっているような気がするのである。鍋島ではこの「墨はじき」の技法を含め、格調高い木盃型の形状、気品高い柞灰釉、高い高台、櫛目などの高台書き、表書きに匹敵する程の裏書き、緊張感のある筆致、斬新且つ精巧な構図など、それら一つ一つの細かい神経と手間の集合によって、世界に類を見ない最高の色絵磁器が創り出されている。

私は昨年2月、14代今右衛門を襲名し、鍋島の代々の仕事を継承していく中で鍋島の品格と格調をいかに守り創出するかを今後の目標とする覚悟である。その中で、この「墨はじき」のような、目に見えないところへの神経と手間を大事にすることをひとつの信念として取り組んでいきたいと思っている。

14代今泉今右衛門
今右衛門窯 〒844-0006 佐賀県西松浦郡有田町赤絵町2-1-15 2012 IMAEMON. All rights


墨はじきs029
http://www.imaemon.co.jp/ironab
eshima/14daiimaemon/sakuhin/#new

<今週の作品> 2014年07月21日(月)
色絵雪花墨色墨はじき草花文香炉

この14代今泉今右衛門さんは、こうやって毎週・月曜日に<今週の作品>と称して、作品を公開しておられる。
見上げたものである!


http://www.youtube.com/watch?v=tURSrwso_Es
色鍋島と今右衛門 ( 十四代 今右衛門の墨はじき)

(つづく)
[2014/07/30 08:56] | 陶磁器 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
‘ダイダイ(橙)’の語源は、‘代々’って、本当?
‘ダイダイ(橙)’の語源は、‘代々’って、本当?

昨日(2014年07月27日)の弊ブログで、学者の先生のコメント:

http://www.jspp.org/cgi-bin/17hiroba/question_search.cgi?stage
=temp_search_ques_detail&an_id=1583&category=mokuji

柑橘類の橙も、もともとは代々の意味なのをご存じでしょうか。あれも、緑だった若い実が冬に橙色に熟しますが、収穫しないで放置しておくと、初夏にまた緑に戻ることからの名前です。このように植物は、緑の色を作ったり抜いたりといったことを、かなり気軽にするものなのです。

このコメントは、浅学菲才な私にとっては、相当の‘ショック’だった!

ダイダイ(橙色)img55403069
http://item.rakuten.co.jp/hachijou/c/0000000160/
橙色のダイダイ
お馴染みの‘Wikipedia’でも、このことに言及している。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%8
3%80%E3%82%A4%E3%83%80%E3%82%A4

ダイダイ(橙、学名:Citrus aurantium)は、ミカン科ミカン属の常緑樹、およびその果実。柑橘類に属する。別名、ビターオレンジ。

特徴[編集]

インド、ヒマラヤが原産。日本へは中国から渡来した[2][3]。果実は春になると再び緑色に戻る[3]。また、ヨーロッパへも伝わり、ビターオレンジとして栽培されている。

日本では静岡県の伊豆半島や和歌山県の田辺市が主産地。その多くは正月飾り用であったが、近年は消費が落ち込んでいたため、ポン酢などに加工されるようになった。なお、萩市では夏ミカンのことをダイダイと言う[4]。

高さ4-5mになる常緑小高木で枝には刺がある。初夏に白い花が咲き、冬に果実が黄熟する。果実の色は橙色と呼ばれる。葉柄には翼状になっており、葉身との境にくびれがある[3]。果実は冬を過ぎても木から落ちず、そのまま木に置くと2-3年は枝についている[3]。この特徴から「だいだい(代々)」と呼ばれるようになったとされ[3]、また、「回青橙」とも呼ばれる[5]。


ダイダイ・青いponzu4
http://www.fushitaka.com/ponzu2.html
青いダイダイ

この青いダイダイが、一度橙色だったかどうかは不明!

(つづく)
[2014/07/29 00:19] | サイエンス | トラックバック(0) | コメント(2) | page top
半夏生の‘葉っぱ’の白さは、今!(その1)
この弊ブログの2014年07月19日版に、‘半夏生(はんげしょう)’について書かせて貰った。

次の通り。

http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-940.html
画像ー245 小川の生き物 007-4
2014年07月16日10:18
右の葉の様子が少し‘変’??
つまり、半夏生の葉っぱの白さは、受粉という期間が過ぎると、白さが消えて元の‘緑’に戻るそうだ!右の葉がその‘戻りの途中’の様子ではないのか?と思った次第。今後の観察が必要!


この写真を撮影した日時は、上記の通り、2014年07月16日10:18。場所は、我が家の裏の小川の向こうの湿地帯。

さて、‘この葉っぱ’を時間的に追ってみて、白さがどんなに変化するかを見極めるのが、今回の観察記の狙い!

次の画像は、およそ‘8日後’の様子!

画像ー245 小川の生き物-2 007-2
2014年07月24日09:56

お天気の具合もあって、色の違いが鮮明ではないのかもしれないが、‘8日間’の差は出ていると思われる!
明らかに、中央2枚の葉っぱの内、左の葉っぱの‘白さ’が、緑に変化し始めている、と思われる。

この時点での疑問:

① 元々‘緑’だった葉っぱが、理由はどうあれ、白くなったのだろうか?

② いやいや、そうではなくて、葉っぱの出来立ては、全部の葉っぱとは言わないが、ある位置の葉っぱだけが、初めから白かった?

③ 白から緑への変化は何故?

これらの疑問の一部を解き明かすためにも、同じ葉っぱでの‘今後の変化’を撮影し続けたい!

NETで、この関連の文献を探した。なかなかヒットしなかったが、とうとう次の文献を見つけた!

http://www.jspp.org/cgi-bin/17hiroba/question_s
earch.cgi?stage=temp_search_ques_det
ail&an_id=1583&category=mokuji


質問:ハンゲショウやマタタビの葉の白化
登録番号: 2458
2011-06-09

6月にはいると、ハンゲショウやマタタビの葉が一部白くなる現象が見られます。これは受粉を助ける昆虫に、花のありかをわかりやすくアピールしているということですが、この白くなる現象のメカニズムはどうなっているのでしょうか。
葉の表面の柵状組織から、この時期だけ葉緑素が抜けてしまう、とどこかで読んだことがあるのですが、これは本当でしょうか。元の緑色の葉にもどるようですが、やはり葉緑素がもとに戻ってくるのでしょうか。葉緑素はどこにストックされていたのでしょうか。
教えてください。よろしくお願いします。
会社員
ゆう

回答:

ゆう 様

質問コーナーへようこそ。歓迎いたします。植物の形態等に深い関心をもっておられること嬉しくおもいます。この質問には、特に葉の形態や発生の研究に造詣の深い東京大学の塚谷裕一先生にご回答をいただきました。

勝見  允行(JSPPサイエンスアドバイザー)

ご質問拝見しました。ハンゲショウのそれはいわゆる苞葉なので、仰るとおり、昆虫には名(‘花’では?ー著者註)のありかを示すもの、一方マタタビの方は、花がなくても枝の先の方の普通の葉がそうなるので、茂み全体を目立たせているようです。

さてそこで葉緑素はどうなっているかですが、ハンゲショウの方は、近縁種のドクダミの花の白い部分と同じで、白くなっていて、その時には葉緑素がでていません。花びらと同じ状態ですね。ただし今し方、実物を確かめてみたところ、白い苞葉も、裏側から見ると緑のものがあります。断面を見ると、裏側の組織は緑で、表側の組織が白い状態です。いずれにせよ、この後、実の時期になるにつれて葉緑素が出てきます。白いときも緑の時も、細胞の中に葉緑体にあたるものはちゃんとありますので、あとはそこが発達して緑になるかどうかだけです。つまりどこかに完成した葉緑素をストックしておいて、あとからそこに持ってきたわけではなくて、遅れてその場で作っているわけです。

一方マタタビの方は、ちぎってみていただくと分かりますが、白い部分にもちゃんと緑の組織があります。ただ表面に厚ぼったい白い層があるために、下の緑が見えないだけです。厚化粧の状態ですね。近縁種のミヤママタタビはさらにこの上に紅が加わるので、艶やかになります。いずれも、あとから緑になるのはその白い層が緑になるようです。

なお緑でなかった組織が後から緑になる例は、わりによくあることで、身近なものでは例えばアジサイの花も、青や赤だったものが、実の時期には緑になります。クリスマスローズなどもそうですね。いずれも、花が開く前の蕾の段階の時には薄い緑なので、緑の蕾から緑が抜けた花の状態、そしてまた緑の実の状態、というサイクルになります。柑橘類の橙も、もともとは代々の意味なのをご存じでしょうか。あれも、緑だった若い実が冬に橙色に熟しますが、収穫しないで放置しておくと、初夏にまた緑に戻ることからの名前です。このように植物は、緑の色を作ったり抜いたりといったことを、かなり気軽にするものなのです。
塚谷 裕一(東京大学大学院理学系研究科 教授)
2011-06-13
東京大学大学院理学系研究科 教授
塚谷 裕一


こりゃあ、‘大事件’であ~る!

知っている人は知っているのだろうが、全く知らなかった!
ダイダイが、冬は‘橙色’で、夏になると‘緑’に変化するなんて!

(つづく)
[2014/07/28 00:04] | サイエンス | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
霧の発生とフラッシュ写真の不思議!
2014年07月25日から翌日にかけて、関東地方も海岸近くの一帯は久し振りに‘霧が発生’した。
この原因は色々あると思われるが、熱帯夜にもなろうかという気温の上昇と梅雨前線の後戻りで湿度が上昇したため(?)だろう。

25日の21時過ぎに、部屋の中が、余りにも‘ムシムシ’するので、外は少しは涼しいかも?と思って外へ出てみた。
部屋よりも思ったより‘ヒンヤリ’して、「こりゃあ、いいや!」と思った。
それと同時に、街灯の周りが‘ボンヤリ’としていて、普段の景色とは違うことに気づいた!

「久し振りの霧だ!」ということで、カメラを取りに戻った!

念の為に、同じ被写体を‘フラッシュ無しと有りの’で撮影してみた。
そこで、不思議なことに気づいたのである!

以下の写真を見て欲しい。見易いようにPCで多少加工はしてあるが・・・。
その‘組み写真’の2枚目が、フラッシュ使用の画像である。


画像ー246 霧のよる 001-2
画像ー246 霧のよる 002-2


画像ー246 霧のよる 009-2
画像ー246 霧のよる 010-2

この二組の画像を見てもお判りの通り、フラッシュを使用すると、‘意外なもの’が写っているのである!

この‘意外なもの’の正体は、一体何なのだろうか?
‘漂っている水滴’が関与しているのは当然である! 霧などが発生していない場合、こんな不思議な映像は撮影出来ないからである!


画像ー246 霧のよる 013-2
画像ー246 霧のよる 014-2


画像ー246 霧のよる 015-2
画像ー246 霧のよる 016-2
おやおや、こちらのフラッシュ写真には、‘意外なもの’が写っていない! 何故???


画像ー246 霧のよる 017-2
画像ー246 霧のよる 018-2
こりゃあ、もう何だか判らない!!


画像ー246 霧のよる 019-2
画像ー246 霧のよる 020-2
こちらも、⑤組と同じように‘意外なもの’が写っていない!


画像ー246 霧のよる 025-2
画像ー246 霧のよる 026-2

もう、このからくりはお分かりと思うが、多分以下のとおり

<意外なものが写る条件>

a) 空気中に水分が沢山あって、水分の‘塊’が、かなり大きいこと
b) 夜であること(暗いことの代表)
c) カメラと被写体の距離が、ある程度長いこと

この条件の場合、フラッシュをたけば、空気中の水分の‘塊’からのフラッシュ光が反射してシャッターが開いている瞬間にカメラが水分の‘塊’の映像をキャッチする。その際、ピントがボケる塊の方が多いから、あんな映像に・・・。

その際、バック(背景)が、暗闇である処だけに‘意外なもの’が撮影出来る!
暗闇でない処は、被写体からの明るい反射で、水分の塊からの反射光は消されてしまう。

と、言う訳なのでありま~す!

(つづく)
[2014/07/27 01:04] | 気象 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
江戸時代の殿中刃傷沙汰事件・・・7件!
2014年07月22日に、東京・西浅草の浄土真宗・本願寺派、本山・東本願寺へ行った帰りに、その東本願寺の筋向いの徳本寺前の案内板を見て、‘江戸城での刃傷沙汰’は、浅野内匠頭だけではないことを知った!

DSC_2356-2.jpg

それじゃあ、江戸時代約260数年の間に、その殿中での刃傷沙汰事件は何度あったのだろうか?
そして、その経緯は?

p1_201407242320120ef.jpg
http://minkara.carview.co.jp/userid/9733/blog/24857463/

こんな時に役立つのが、やはり‘インターネット’検索!
以下の文献が見つかった。

・件数:7件
・その原因:武士の遺恨!

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1310203953
質問者
chuntavvさん 2006/12/8 01:22:33

Q:浅野内匠頭の他に、殿中での刃傷事件ってあったんですか?
  どんな理由だったのかも教えて下さい。

A:ベストアンサーに選ばれた回答
kensakusitemimasitaさん
2006/12/8 01:42:54

① 1628年8月
加害者 豊島刑部少輔明重(目付)
被害者 井上主計頭正就(老中 横須賀城主60000石)

② 1684年8月
加害者 稲葉石見守正休(若年寄 下館城主12000石)正俊の又従兄弟
被害者 堀田筑前守正俊(大老 山形城主110000石)

③ 1701年3月
加害者 浅野内匠頭長矩(勅使院使御馳走役 赤穂城主53000石)
被害者 吉良上野介義央(高家肝煎)

④ 1725年7月
加害者 水野隼人正忠恒(松本城主70000石)
被害者 毛利主水正師就(長門長府藩主50000石)

⑤ 1747年8月
加害者 板倉修理勝該(旗本 7000石)
被害者 細川越中守宗孝(熊本藩主 540000石)

⑥ 1784年3月
加害者 佐野善左衛門政言(旗本 新番組番衆 500石)
被害者 田沼山城守意知(意次の嫡子 若年寄 役料5000俵)

⑦ 1823年4月
加害者 松平外記(旗本 西丸御書院番番衆)
被害者 本田伊織(旗本 西丸御書院番番衆以下同じ))
沼間右京
戸田彦之進
間部源十郎
神尾五郎三郎

詳しくは、URL参照
結構あるもんだ。。。
http://homepage1.nifty.com/SEISYO/ikon.htm


どんな理由かは、上の記述には含まれていない。それを知るには、上記文献の‘詳しくは、URL参照’を実行のこと。

さて、この‘一覧表’を見せらると、事件が起こってみんなの記憶が新しい間には、加害者となる人物も、被害者となる人物も、ある程度真面目になるに違いないから、自粛ムードで、或る一定の期間が空くのではないか?と思った。

他人の喧嘩を見ると、自分の場合は、その気はあっても、少しの間‘自粛’しようという一つのブレーキがかかる!それと同じである。

そこで、それぞれの事件と事件の間隔を見てみた!

①~② : 56年
②~③ : 27年
③~④ : 24年
④~⑤ : 27年
⑤~⑥ : 37年
⑥~⑦ : 39年

最小間隔でも、‘24年’である。
およそ一世代、30年に近い年数である!

つまり、世代交代をするまで、そのおぞましい記憶が残っているのではないか?
その記憶が、薄れ始めるまで事件は起こらないのではないか?

この心理状態は、まだまだ研究の余地があるのでは、と感じた次第!

(つづく)
[2014/07/26 01:03] | 仰天! | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
東本願寺の前にある‘徳本寺’!<殿中刃傷沙汰の一つ>
東本願寺境内の慈光院の中にある、現代的お墓‘浅草浄苑’にお参りをして、暑い梅雨明けの道をどうやって電車に乗ろうかと迷った。

そんなに暑くないのなら、JR上野駅まで歩けば、普段の運動不足も解消出来るのにとも思ったが、外気温はその日(2014年07月22日)多分30℃は優に越していて33℃くらいはあったろう。それに浅草の道路は、全て舗装されているから、実気温は、35℃以上であったに違いない!

上野駅へ歩くのはやっぱり止めて、来た通りを戻ることにした。
上野駅へ行かない時は、いつもこの通りを通って、銀座線・田原町の駅へ向かうのだが、これまで気付かなかった。
東本願寺の斜め前に、同じ浄土真宗系列で‘徳本寺’という名称のお寺がある。

まあ、この辺はお寺さんばかりだから、どんなお寺があっても不思議ではないのだが、以下の写真に示す‘看板’が気になった!

DSC_2356-2.jpg
DSC_2357-2.jpg
DSC_2358-2.jpg
DSC_2359-2.jpg

この画像から、東本願寺とは、もう‘向こう三軒両隣り’の中であることがよく判る。
そして、尚且つ上述の通り、同じ‘浄土真宗’。
こんなことが、やはりあるのだろうか?

興味の対象は、そんなことより、この徳本寺が、三河出身で、徳川家康の側近‘本多正信’の菩提寺であることである。本多正信は、やはり家康の側近‘本多忠勝’とは、遠い親戚筋にあたる。
実はこの家康の重鎮二人は、‘犬猿の仲’だったという。 何故??

名門‘本多家’の系列については、また後日このブログで・・・。

いやいや、本当の興味の対象は、最初の画像にある通り、「‘佐野善左衛門政言’が、殿中で刃傷に及んだ」という件りである!

同じ殿中での刃傷沙汰なのに、‘赤穂浪士の討ち入り’の‘扱い’とは大きく違う。
ただし、その刃傷の動機は、浅野内匠頭の場合よりも、この、‘佐野善左衛門政言’の方が数段‘崇高(?)’のように思われるのだが・・・。

どの時代にも、腹に据え兼ねる事態を勇気を持って糾そうとする御仁が現れる!
この大事件、もう少し調査をしてみたい!
殿中での刃傷沙汰は、これらの他にいくつあったのだろうか?

(つづく)
[2014/07/25 00:46] | 宗教 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top
東本願寺へ(その2)
2014年07月22日、東京西浅草にある浄土真宗・本願寺派本山東本願寺へお参りに行った。もっと正確に言うと、その本願寺の境内にある‘浅草浄苑’という、今風のお墓形式の墓地に行ったのである。

‘今風の’というのは、極めて現代風で、こちらの‘暗証番号’か、若しくは‘契約者の氏名’で受付に申し込めば、いわゆる‘面会墓地=参拝の間’に指定の‘お骨箱’がパソコン操作で移動して来て、6つある参拝の間に安置される。そこへこちらが出向けば、ボタン一つで観音開きの扉が開いて、目出度く‘遺骨’と対面出来る、という訳である!

勿論、お花も飾ってあって、水も下から湧き上がって来る仕掛けとなっていて、焼香用にと電熱線が‘ON’になっているから‘あっという間に参拝出来る’という誠に結構な仕掛けになっている。

従って、‘昔風の墓参り’での、お盆の頃の暑さにも我慢して、水を汲んで来て墓石をたわしで磨いて水をかける、といった動作は無しだし、風に逆らってお線香に必死に火をつけるといった行動もする必要がない! 勿論、お墓の周りの茫々とした‘草刈’も‘樹木の剪定’も無しで、冷房の効いた部屋で手を合わせれば、‘一瞬にして’お参りは終了である!

段々歳をとってくると、上述のような昔風のお墓参りは大変しんどくなって来るから、そんな訳でも‘今風’がいい!
ただし、便利便利が本当にはいいのだろうか? 汗水流しながらのお墓磨きの方が‘心が籠った’供養が・・・だなんて、人間は勝手なものである!

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‘開きボタン’を押すと・・・

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お参りをした後、ロビーに戻って、‘棟方志功’の書簡と書を改めて見直したという訳である。

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このロビーの展示品は、往時の有名人の書や絵画がほとんどで、多分その月毎に替えられている。ほぼ月一にお参りに来るのだが、一度として同じものはない!
このご努力も大したものである。

清々しい気持ちになって、東本願寺を後にした。

(つづく)
[2014/07/24 14:25] | 宗教 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
東本願寺へ
東京・西浅草の東本願寺の正式名称は、

http://www.honganji.or.jp/docs/about/history.shtml
本山東京本願寺の寺院規則の変更が平成13年4月26日付で認証され、名称が「東京本願寺」より「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」に変更となりました。

だそうである。

昨日(2014年07月22日)、時間が出来たので、東京駅から地下鉄・丸ノ内線で、銀座まで行き、そこから銀座線で田原町へ・・。田原町からは、徒歩で約5分で‘東本願寺’に到着する。

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2014年07月22日12:53
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銀座線・田原町駅・3番出口

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12:56 東本願寺が見えて来た!

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門前には、花が活けてある!

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正門を入ると素晴らしい本堂である!

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こちらは、‘浅草浄苑’があるビルである。

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12:58 お昼休みらしい。でも、これじゃあ・・・、と思っていたら、直ぐに受付嬢が出てきてくれた。受付を済ませて、エレべーターで4階の‘浅草浄苑’へ・・・。

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エレベーターの中。

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4階のロビー。この日のお参り人は、私だけ・・・。

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4階の窓lからは、‘スカイツリー(空樹)が見える。この日は湿度が多分80%以上!空樹がボケて見える。

<浄土真宗について>

私と浄土真宗との関係、と言ってもそれほど熱心な信者でもないから、強い結びつきといったものはない。
誰でも小学生の頃には、宗教を自ら自覚する能力はないから、実家が浄土真宗だったから、そうなったというだけである。
これは、キリスト教だって、仏教だって、イスラム教だって、それぞれの宗派に‘属す’事になるということと同じである!

ただ、大人になれば、宗教だけに限らず政治や経済についても良し悪しの判断がつくようになるから、‘自分の立場’について‘何故?’と考え出すようになる。

私が小学生の頃、何かのことで‘黙想’を一分間だけ行う場面になった時に、同じクラスの子で、「黙想をしてはいけない、と親に言われているので・・・」といって黙想を‘拒否’した子が居た。
この時が大袈裟に言えば、私にとって‘宗教に目覚めた瞬間’と言えるのかもしれない。

「へ~っ、そんなことがあるの?」と思ったからである。小学5年生の時だったと思う。

さて、親父の話では、親父は宗教についての関心が強かったようで、二十歳そこそこで、家出同様の覚悟で浄土真宗を学ぶために、浄土真宗(真宗大谷派)の宗教家・暁烏敏(あけがらすはや)が活動していた金沢へ行ったという。

その後の顛末は後日また記述する機会もあると思われるので・・・。

浄土真宗が、少々仏教のその他の‘宗旨’と異なるのは、親鸞自身には独立開宗の意思は無く、親鸞の没後にその門弟たちが、教団として発展させた、という点にある。

従って、親鸞上人を以て浄土真宗の‘開祖’としてはならないものと思われる。
ご本人の意思に反するからである!
ただ単に‘南無阿弥陀仏’と念仏を唱えることのみ!

従って、‘自力で悟りを開く’という考えがないから、‘自力’ではなく徹底した‘他力’である!
これが、浄土真宗では、‘般若心経’を唱えないことになっている理由でもある。

(つづく)
[2014/07/23 23:46] | 宗教 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
棟方志功の手紙と書
今日(2014年07月22日)、打ち合わせが早く終了したので、東京・西浅草にある浄土真宗・東本願寺へ行った。
昨年10月の初旬に京都からここ浅草の東本願寺の‘浅草浄苑’にお墓を移したのである。
それから、およそ月一くらいの頻度で浄苑を訪れている。

前回は、5月19日。生憎その日は、浅草浄苑堂内墓の定期点検につき‘本日休苑日’の看板が出ていて、苑内には入れなかった。そんな訳で、ここのところの多忙で、少し時間が空き過ぎて気になっていた。

それで今日ということになったのであるが、そこで、珍しい展示物に出会った!
あの‘棟方志功’の手紙と書である。
撮影については、浄苑にお願いをしてご許可を得た。

手紙は、全く‘プライベート’な内容であるが、志功の純真さが窺える!
手紙の字にしても書にしても、お世辞にも‘上手’とは言い難いが、その純粋さと素朴さと迫力には驚かされる!
何だか、ご本人に出会えたような気分にさえなった!

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上の画像のこの大きさでは、読みづらいと思って、90°回転させて大きくした。

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この‘ど迫力’には驚かされる!

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(つづく)
[2014/07/22 23:40] | 芸術 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top
‘新宿’は、今!(その2)
2014年07月18日、時間調整の必要もあったため、何年振りかで、東京・新宿の中心地を散策した!
①&②は、昨日の本ブログで紹介した!

① 伊勢丹メンズ:背広オーダーブランドの数に驚く!
② アルタ前:アルタヴィジョンの高精細に驚く!
③ JR新宿駅東口:人の多さと喧騒に驚く!
④ JR新宿駅西口:自転車の新パーキングシステムに感心!&近辺ビルの様変わりに驚く!


③ JR新宿駅東口:人の多さと喧騒に驚く!

千葉県・茂原市も人口密度の低い‘千沢地区’に住んでいると、東京の、しかも最も人出の多い新宿の喧騒には、もうついていけない! 勿論、歳を取った所為もあるのだが・・・。

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JR新宿駅東口の改札口付近
自分も来ておきながら、言うのもなんだが、一体これだけの人は何をしに、新宿へ来ているのだろうか?

しかし、これだけの人達も少々不満に思っているのは、建物の中だけで、‘東口から西口へ’抜けられないのである!
東京駅は、抜けられるようになっている!
日本一だろう、多分!乗降客が多いJR新宿駅なのに、こんな不便さは何故なのだろうか?
最初の設計ミスなのだろうう! 今頃になって効いてくる。それならそれで、なんとかサービスの方法はないのだろうか?

④ JR新宿駅西口:自転車の新パーキングシステムに感心!&近辺ビルの様変わりに驚く!

新宿西口と言えば、交番前が待ち合わせの場所である!
何せ、一番判り易い!JRでも地下鉄でも改札口から近いし、タクシーには直ぐ乗れるし、場所で判らない場合は、交番に聞けばいいし、宝くじは買えるし、デパートに入りたけりゃあ・・・。

その日も、東口から、一旦南口へ行き、それから都庁への方向へ大回りして西口へ向かった!
雨でなくて良かったが、雨だったらJRに‘蹴りを入れたい’気分である。一体誰が新宿駅の設計を担当したのだろうか?
「責任者出て来い!」という漫才師が大昔いた!

西口へ向かう途中に、自転車駐輪装置なるものを見た!
料金後払いだという。そして、気にったのは、2時間までは無料!その後24時間毎に100円だそうだ!

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この装置は、その場所には何10台かあった(?)ように思ったが、その駐輪中の画像を撮影し損なった!

それでも足りずにすぐ下の写真のごとく、無料(?)駐輪車が沢山あって、道路を塞いでしまっている。日本人のモラルも、あのブラジルでのゴミ拾い快挙のレベルに持ち上げるべきなのだろう!

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いつの間にか、京王デパートのトイメンにこんな意味不明のビルが建っている!

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もう相当暗くなり始めた!やっと待ち合わせ場所に到着した!

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相変わらず、西口交番前は、待ち合わせの人達で一杯である!
なかなか予定時刻になっても約束人が来ない場合、みんなが一斉に携帯を使い始める!
恐らく、17時過ぎでは、ここが日本で一番‘トラフィック’が多いところに違いない。

NTTドコモもソフトバンクもauも気を配っているに違いない!
この場所で、携帯やスマホが役に立たないとなれば、みんな解約するに違いないから・・・。

私も、スマホが上手く繋がって、時刻通りに友人と合流することが出来た!

(つづく)
[2014/07/21 00:20] | 都会の喧騒! | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
‘新宿’は、今!(その1)
東京の新宿、何故‘東京の’というかというと、日本中に‘新宿’という地名が20以上はあるというのだ!

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2014年07月18日16:42  東京・新宿東口駅前付近

http://maidokissa.blog133.fc2.com/blog-entry-249.html
新宿 先述の通り、かなり広く分布している上に、「しんじゅく」の他、「しんしゅく」(濁らない)、「にいじゅく」、「あらじゅく」の読みがあります。
 現存している地名だけを挙げても20箇所を超えます。

・「新宿」の地名がある場所(政令指定都市及び県名と同一の県庁所在地の市は県名を省略しています)

<1>読みが「しんじゅく」
 
 群馬県館林市新宿
 さいたま市緑区新宿
 埼玉県東松山市新宿町(-ちょう)
 千葉市中央区新宿
 千葉県木更津市新宿
 東京都新宿区新宿、西新宿(にし-)、北新宿(きた-)
 神奈川県逗子市新宿
 富山県魚津市新宿
 静岡県沼津市新宿町(-ちょう)
 名古屋市名東区新宿
 愛知県豊川市新宿町(-ちょう)
 兵庫県佐用郡佐用町西新宿(にし-)

<2>読みが「しんしゅく」
 
 群馬県桐生市新宿
 埼玉県鴻巣市新宿、北新宿(きた-)
 埼玉県蓮田市西新宿(にし-)、南新宿(みなみ-)
 埼玉県児玉郡神川町新宿
 千葉県市川市下新宿(しも-)
 千葉県流山市上新宿(かみ-)
 静岡県駿東郡清水町新宿

<3>読みが「にいじゅく」 

 千葉県香取郡東庄町新宿
 東京都葛飾区新宿

<4>読みが「あらじゅく」
 
 山形県西村山郡朝日町新宿
 茨城県常陸太田市新宿町(-ちょう)
 栃木県大田原市新宿
 栃木県足利市新宿町(-ちょう)
 埼玉県川越市新宿、新宿町(-まち)


これだけお調べになるのだって大変な時間と集中力が必要だったと思われ頭が下がる!ご苦労様で~す!

さて、まあ、それはそれとして、東京・新宿には、それはそれは何度も行く機会が多かった!
ただし、打ち合わせで行くのがほとんどで、その打ち合わせ場所と新宿駅(JR&地下鉄)との往復ばかりで、街を見て歩くとかデパートやお店に入ってみるなんてことは、このところ全くと言っていいほどなかった。

2014年07月18日は、東京・四谷4丁目で15時まで打ち合わせがあって、次が東京・新宿で18時からの打ち合わせのスケジュールになっていた!
このチャンスを逃す手はない。
この日は、そんなにカンカン照りでなかったこともあって、四谷4丁目から新宿まで歩くことにしたのである。
新宿通りをこんなに長く歩くことは初めてであるが、歩いてみると全く知らないビルやお店ばかりである。
ウロウロ、キョロキョロしながら、やっと新宿の中心地に来た!

① 伊勢丹メンズ
② アルタ前
③ JR新宿駅東口
④ JR新宿駅西口

付近を約1.5時間掛けて‘散策’してみた!

① 伊勢丹メンズ:背広オーダーブランドの数に驚く!
② アルタ前:アルタヴィジョンの高精細に驚く!
③ JR新宿駅東口:人の多さと喧騒に驚く!
④ JR新宿駅西口:自転車の新パーキングシステムに感心!&近辺ビルの様変わりに驚く!


まるで、‘お上りさん’状態だったのであ~る!

① 伊勢丹メンズ:背広オーダーブランドの数に驚く!

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‘ICHIRO SUZUKI’というブランドには、ちょっと驚いた!

② アルタ前:アルタヴィジョンの高精細に驚く!

お馴染みの‘アルタ’前の様子であるが、アルタの前に行くことはある。同窓会の待ち合わせには、‘新宿東口’では、間違い易いし、人だかりで見失うこともあって、幹事さんからは‘アルタ前’という指示が来る。でもアルタの中に入ったこともないしどんなお店かも知らない!知る必要がないからである。

さて、大型画面を見てみると、その‘高精細’には、驚いた!同窓会もここ2,3年開かれていないので、このヴィジョンもこのところ見ていなかった!
これだけの大画面が、まるで家庭のTVと同じように見える!三菱電機だけしか持っていない技術ではないだろうが、進歩したものである。

そして、最近では、‘4K’とか‘8K’などと言われている。
どこまで進むのだろうか?

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(つづく)
[2014/07/20 10:57] | 都会の喧騒! | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
小川の生き物は、今!
関東地方の‘梅雨明け’はまだだが、生き物はもう夏だと思っている、きっと!
我が家の駐車場の奥の小川及びその付近の生物も今や我が世の・・・と思って活発な動きをしている。

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これが、我が家の駐車場奥の小川とその周辺の湿地帯!

このところ姿を見せなかった‘大鯉’が姿を見せた!
この小川のどこにいたのだろうか?

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拡大すると、

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これも拡大すると、

画像ー245 小川の生き物 006-3

この‘大鯉’は、同一の鯉である!
そう、多分体長は、50cm以上はある!
久振りに、この小川に現れた!

次は、このブログでもご紹介した「半夏生(はんげしょう)」の葉っぱの異変??

画像ー245 小川の生き物 007-2
拡大してみると・・・

画像ー245 小川の生き物 007-3
更に拡大で、2枚の葉をよ~くご覧あれ!

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右の葉の様子が少し‘変’??
つまり、半夏生の葉っぱの白さは、受粉という期間が過ぎると、白さが消えて元の‘緑’に戻るそうだ!右の葉がその‘戻りの途中’の様子ではないのか?と思った次第。今後の観察が必要!

次は、カニとオタマジャクシ!
驚きは、この時期(7月の中旬)に、まだカエルに変わらずにオタマジャクシのままとは???

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オタマジャクシの大きさは、およそ10数cm! 大きい!オタマジャクシの上の黄色い葉は、‘笹の葉’だから大体の大きさが推定出来る!

小川の中及び付近の生物は、今や活発に!

(つづく)


[2014/07/19 00:50] | 季節のど真ん中 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
散歩の続き(3)
まだまだ散歩は終わらない!
楽しみは、まだまだあるのであ~る!

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2014年07月15日18:33 18:00に家を出たから、まだ30分強しか歩いていない!
散歩の醍醐味のもう一つは、夕日を拝む事である! 朝日も良いが夕日の方がいい!朝日だとこれから何か忙しくなるという感覚から抜けきれないが、夕日の場合は、これから一杯やって!というゆったり感があるからである。

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この鉄塔は、電力を運ぶのが第一義なのは当然であるが、‘御鳥様’の休憩場所としての役割がある。

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鉄塔の部品と鳥の格好が似ていたりして、「おやっ?」と思う!

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‘川鵜’の彼等は、一体ここでどんなことを考えているのだろうか?

段々我が家に近くなってきて、田圃を見たら、田圃、田圃で稲の育ち方に違いがあることが判った!

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ここの田圃の稲は、この辺のどこよりも実のつき方が早い!

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もう、頭を下げ始めているではないか!

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この田圃の中でも、この辺りが早いが、それは多分外枠の石材の熱のお陰なのだろう。

さて、田圃道から、我が家へ向かっての橋に差し掛かった!
この川も素晴らしい!名前を‘赤目飼わという。昔は、多分‘赤目’魚がいたのだろう。

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画面の正面奥が‘富士山’なのだが、今の時期は、水蒸気が多くて姿が見えない!冬の乾燥した時期だけが富士山を拝む機関である!

水蒸気の多いこの時期は夕焼けが美しい!

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2014年07月15日18:42

足元には、小さな花が咲いている! これも見逃してはならない!

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(つづく)
[2014/07/18 00:15] | 田舎暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
散歩の続き(2)
散歩は、まだまだ続く!

「同じ道ばかりじゃあ、つまらないでしょう!」と、まるで‘つう’でござい!の顔をしてご意見をお述べ戴く御仁がおられる!
本当の‘散歩術’をご存知ないのである!

散歩の醍醐味は、日々変わっていく‘微妙な’変化を心ゆくまで堪能することと、‘新発見’にある!ただ単に‘健康のため’といやいや歩いているのでは、本当には健康に良くないに違いない! 体脂肪を落とすことだけのために散歩を選択したのなら、その人は随分損をしている!

田圃の様子から、空気の美味さや涼しさを感じ取ったなら、大いに感謝すべきだ!
そして、その田圃を支えている‘隠れた周辺技術・施設’にも敬意を払う必要があると思う。

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こんな水分配の構造物が、豊かな田圃を支えているのである!

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そこには、タニシが卵を産み付けている場合もある!
一般的には、田圃のタニシは嫌がられているようにも思われるが、これを食料としての価値をどうして生み出そうとしないのだろうか?
中国人は、何でも‘食料’にしてしまう天才である!

彼らがこの状態を見たら、「勿体無い!」⇒「这是不能接受的浪费!」(こう言うかどうかは知らないが、機械翻訳!)と言うに違いない!

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こちらは、保護色の‘ぎっちょん’!
拡大すると・・・

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これも新発見である!

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この‘ぎっちょん’のことも後日調べてみたい・・・。こうやって興味は次々と・・・。

さて、久し振りに、鉄塔と夕日!
もちろん、‘ロケットの発射’を見たくて移動。

固定点観測では、この画像には一年間に2度しか巡り会えないのだが、見る方が移動すれば、多分一年中「こんな光景」を撮影することが可能なはずである!

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この日のカメラは、スマホなので、‘ズーム’が効かないから、PCで拡大してみると・・・

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まさに‘ロケット発射の瞬間’である!この着想は、私ではなく、私の実兄である。(感謝!)
こんな発見が実に面白い!
これこそ散歩の醍醐味の一つである。

そして、もう一つの発見は?

夕日を背景にした‘稲’の或る部分部分に‘露’が見られる。先程雨が降った、という状況ではない!この日は朝から快晴の猛暑だったのである。

多分、夕日が沈み始めるころ、気温は一気に低下し始める。その時稲の方が先に冷たくなって、空気中の水蒸気を露に変えるのだろう!

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この画像だけでは、よく見えないが、拡大してみると次の画像に見られるように‘露’が点在しているのが判る。
でも一体、何故あそこだけに???

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疑問は深まるばかりである!そして、興味は尽きない!

(つづく)
[2014/07/17 10:59] | 田舎暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
散歩の続き(1)
散歩は老人の義務であり、権利である!
人間が‘動物’である限り、‘動く’事にその本質がある。そんなに難しく言わなくても、‘動いて回る’と体調が良くなることは説明する必要などなく、人間なら誰でも経験し知っていることである。

だから、出来るだけ毎日散歩することが望ましいのだが、残念ながらそう簡単にはいかないのが現実である!
社会活動と自己満足の真ん中にいて、生涯現役を謳っている段階では、そう簡単に散歩の期間を捻出できない、という不満が残る!

まあ、それはそれとして、散歩の時間ができたら満足するまで散歩すればいい!
出来れば、‘散歩中毒’になることが望ましい!
習慣とは、人間にも動物にもまた植物にだって備わっている‘特権’であるが、別れ道がある。それが悪習慣と良習慣との境目である。

なんでも‘限度’というものがあるが、こと散歩においては限度はないのだろう。それほど‘良習慣なのである。何故なら、人間が動物だからである!

私達が住んでいる千葉県・茂原市・千沢周辺には、日本一と言ってもいいほどの‘散歩道’がある!
以下の画像を見て戴ければお判り戴けるに違いない!

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これらの画像からも‘空気の良さ’が伝わってくる!
実際には、田圃の水で、空気が冷やされているから、田圃を渡る風は‘ひんやり’として、空調機から出てきた空気とは、‘空気の味’が違う!

そして、それに加えて‘空気の香り’が違うのである!
これだけでも、ここ千葉県・茂原市へ越してきた甲斐がある!
一般的には、‘日本一の散歩道’等といえば、「そりゃあ、富士山が見えるとか、日本海の大海原が見える処じゃあないの?」
という言われ方がある!

もちろん、景色も有力なパラメーターの一つではあるが、それだけではない!
人間の身体全体で感じる素晴らしさから言えば、空気の香りも涼しさも大きな基本的要素であるに違いない!

実は、昔から日本にあった‘田圃’が、その役割を果たしていることにやっと気づいた次第!
考え方によっては、「我々の散歩を愉快なものにするために、ご近所の農業家の人達が田圃を作ってくれている」と思えば、何だか‘殿様’にでもなったようにも感じることが出来る!

散歩道だって、周りのに人達が我々のために‘わざわざ作ってくれたのだ!」と思えば、満足度は一気に増すというものである!

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もう稲の受粉の時期に来ている!

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こちらは、‘タニシの卵’!

あの‘手塚治虫’先生の博士論文が、このタニシに関することだったという話は、有名である!

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%8B%E3%82%B7
タニシ(田螺) は、腹足綱 原始紐舌目 タニシ科 Viviparidae に分類される巻貝の総称。

南米と南極大陸を除く各大陸とその周辺地域の淡水に生息し、雌雄異体の卵胎生である。一般的に、殻口をぴったりと塞げる蓋を持つ。リンゴガイ科(スクミリンゴガイ等)と並び淡水生の巻貝としては大型の種を含む。

概要[編集]南米・南極を除いた大陸とその周辺の淡水に棲息しており、数cmの黒っぽく見える殻を持つものが多い。特筆すべきはその摂食法の幅の広さで、物の表面に着生した藻類などを削り取って食べる刈り取り食者(グレイザー)であり、水底の沈殿物を食べるデトリタス食者でもあり、さらには水中の懸濁物を鰓で集めて食べる濾過摂食者でもある。このため、大きな状況変化がある中でも生き延びることができ、例えば水田のような環境が変化しやすい小規模な水域に大型種が生息することが可能となっている。

アジアには特に種類が多く、タニシと人とを近づける稲作文化と相俟って、食用を主とした人との関わりが生まれた。日本でも「ツブ」や「田つぶ」、あるいは「田んぼのサザエ」という呼び方で食用にされる。ただし他の淡水動物同様、寄生虫の宿主ともなるので食用には十分に熱することが肝要である。日本にはマルタニシ、オオタニシ、ナガタニシ、ヒメタニシの4種がおり、日本全国の水田、用水路、池などに分布するが、分布域は種類によって多少異なり、ナガタニシは琵琶湖だけに棲息する固有種である。またオオタニシとマルタニシは北米に人為的に移入され、各地で繁殖し問題となっている。これらは19世紀末に日本人労働者らが食用として持ち込んだものが拡がったと言われる。

科名はヨーロッパに分布する Viviparus 属から名づけられたが、この属名は胎生(vivipara)を意味し、その名のとおりタニシ科の全ての種が卵胎生で、かなり成長した仔貝を産む。また、異型精子を持つことでもよく知られ、手塚治虫の医学博士の学位論文はタニシの『異形精子細胞における膜構造の電子顕微鏡的研究』であった[1]。


(つづく)
[2014/07/16 23:02] | 田舎暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
田圃の稲は、今!
関東地方における今年の‘梅雨明け宣言’はまだであるが、千葉県に住んでいる我々はもう台風8号が過ぎ去った時に梅雨明けと思っている!

台風と稲の育ち具合は気になるところであるが、なんとなく今年は豊作のような気がする。
2014年07月15日は、東京での打ち合わせもなく出かけなかったために久し振りに散歩が出来た!
上述のごとく、もうとっくに千葉県は‘真夏’である。

そんな訳で、日が沈む頃でないと散歩も楽しむことはできない!
午後6時近くになって、いつもの散歩コースへ向かった。
田圃の稲は、もう‘実’を付け始めている!
この受粉の際に台風が来てもらっては困る!

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2014年07月15日18:01

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稲の花が咲こうとしているように見える!

<稲の花>

以下の画像(http://homepage3.nifty.com/knmn/ine/ine108.htm)で、その詳細が判る!

稲の花030903-006
稲の花030903-011
稲の花030903-013
稲の花030903-014

http://www.niigatamai.info/flower/
稲は、葉のさやの間から出た穂の先の方から花が開きはじめます。
花は、花びらではない2枚のえいに雄しべや雌しべなどが包まれていて、このえいがおよそ30分くらい開いている間に、雄しべの花粉が雌しべについて受粉します。
受粉してから30日かけて、えいの中に硬い実ができあがります。
この実がお米です。


日本人の年間のコメ消費量は、約56kg/年・人 前後というから、段々少なくなってきているというが、一日平均消費量は一人当たり、
       56kg/365=0.153kg
つまり、153gのコメを消費している事になる。
コメは、その乾燥具合にもよるが、一合の重量は、140~160gであるから、

 「日本人は、一人当たり一日に約一合のコメを消費している」

と覚えておくといい!

(つづく)
[2014/07/15 23:38] | 田舎暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
金について(1)
‘政治と経済’が、多分世界を動かしていると考えざるを得ないのは何故?
こんな愚問に対しての答えは一つ!
世の中みんな‘お金’で動いているからである。

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http://finalrich.com/gold/gold-beginner-bullion.html

その‘お金’の価値を決めているのが、‘金’である。
‘お金’は、‘おかね’と読むが、‘金’は、‘きん’と読む。

その国の財産のうち大きな役割を担うのが、‘金の保有量’である!

金に関して、議論する時に問題になるのは、「金の地上在庫」という言葉である。
この言葉の定義は、「これまでに採掘され精製加工された金の総量のこと」ということになっている。
そして、

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91
‘金の地上在庫’は、イギリスの GFMS の統計によれば2009年末時点で総量は165,600トンである。


http://www.weblio.jp/content/GFMS%E7%A4%BE
GFMS社(じー・えふ・えむ・えすしゃ)
Gold Fields Mineral Services Ltdの略で、ゴールド・フィールズ・ミネラル・サービシズ社を意味します。CGF社が1967年に、金の調査報告書「GOLD1967」を発行して以来、CGF社の金報告書は「金のバイブル」と称され、世界で最も信頼される金需給統計と見なされていました。ところが、89年にCGF社がハンソン社によって買収され、同報告書の発行が危ぶまれる事態となります。 この事態を避けるために、CGF社の関連会社であるゴールド・フィールズ・オブ・サウスアフリカ、ニューモント・マイニング・コーポレーション、レニソン・ゴールドフィールズ・コンソリディテッドの3社が新たに合併会社を設立し、CGF社が刊行してきた金調査報告書を踏襲して発行することとなりました。その合併会社がGFMS社です。 
同書の作成方法は、専門家を世界各国に派遣し、金現物の関係者に直接取材するため、信頼性が高く各方面からの支持を受け、多くの人々に利用されています。


しかし、この量は一体どうやって弾き出された数値なのだろうか?

その議論はいずれするとにして、主要各国の保有量は?

(参考)主要各国の保有量
・アメリカ合衆国:8134トン(外貨準備に占める割合は78.2 %)
・ドイツ:3413トン(同66.3 %)
・フランス:2541トン(同59.4 %)
・イタリア:2452トン(同68.1 %)
・スイス:1064トン(同39.8 %)
・日本:765トン(同2.1 %)
・オランダ:621トン(同61.2 %)
・中国:600トン(同1 %)
・インド:358トン(同3.3 %)


この8ヶ国の合計は、19,398トンである。

多分、統計に載っていない金に保有量は、10倍?100倍?それとも 1,000倍???

(つづく)

[2014/07/14 23:44] | 政治と社会 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
タングステン
タングステン(元素記号:W)という金属は、昔は小学生でも知っていた!
今の子供達に聞いてみると、「ナ二、それ?」という返事しか返ってこない。

裸電球にお目にかからないからである!
昔の家庭では、切れた電球の取替えは、小学生がやることに決まっていた!
だから、私も何度も取り替えた記憶がある。

電球/~1
http://www.bh-digest.net/2011/07/led2015.html

‘電気がつく’という表現は、厳密には少々おかしい。
‘電球の灯りがつく’と表現すべきなのだろうが、「電気をつけて!」という。電球がほとんどない家庭でもそう表現するから、必ずしも‘電気をつけろ’の場合、電球を指す訳でもない!

少々ややこしくなったが、まあ、それはそれとして、電球を取り替える場合、本当に玉が切れているのか、を確かめる際には、必ず‘電球を振ってみる’のである! 振ってみて、電球のガラスとぶつかる金属音がしたら、「切れてるよ~!」ということになる。

その「切れてるよ~!」の‘切れてる’のは、電球の中の‘タングステンの線かコイル’が、消耗して‘切れて’しまっている事を指す。
そんな訳で、‘切れている’物質が‘タングステン’だから、昔の小学生は、誰でも‘タングステン’のことは知っていたし、そのタングステンの融点が高いことも同時に知っていた。そして、そして、その融点が、3,000℃以上(より正確には、3,380℃)であることも・・。

99-95-font-b-Tungsten-b-font-font-b-wire-b-font-4mm-Length-80mm-in.jpg
http://ja.aliexpress.com/w/wholesale-tungsten-wire.html

今、なぜこの‘タングステン’を問題にしたかというと、実は、その比重がほとんど‘金(きん)’と変わらないという点にある!

実は、昔の小学生は、タングステンのことは融点が高いというところまでは知ってはいたが、その比重が金とほぼ同じなどということは知らなかった。何故なら、比重など知る必要がなかったからである!

でも、現在は、この‘タングステンの比重が金と同じ’ということで、注目を集めている!
(比重とは、4℃の純水(蒸留水)1gの密度を‘1’として、各物質の相対的密度のことである)

アルキメデスが‘アルキメデスの原理’を発見するきっかけとなった‘王冠の比重’を計った話は有名であるが、その時には、‘純金’が‘銀’とどのくらい置き換えられたかを調べることだったから、まあ、成功した!

20100610210014.gif
http://garakuta.chips.jp/blog/archives/2010/06/11013138.php

因みに、金の比重:19.30 銀の比重:10.49 であり、これだけ比重に違いがあるから、アルキメデスも幸運だった!
ところが、タングステンの比重は、19.25 だから、もしも王冠の中身にタングステンが使われ、表面に金が被せられていたら、さすがのアルキメデスも‘溶かす’ことなくして、比重の測定だけでは見破ることは不可能だったに違いない!

勿論、タングステンの分離に成功したのは‘1781年’ということだから、アルキメデスの時代にはタングステンを金の紛い物にするという発想さえなかったし、融点の高さで溶解・加工する秘術は当然なかったから、アルキメデスは幸運だった!

さらにアルキメデスが幸運だったのは、銀を混ぜて(or ‘あんこ’にして)王冠を作ってくれた悪徳職人がいたからこそ、‘アルキメデスの原理’を発見出来たという点にある!彼は、その悪徳職人に感謝の言葉を述べたのだろうか?

(つづく)
[2014/07/13 23:18] | 金属素材 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
アメリカホドイモの花!
2014年07月10日の弊ブログに以下の記事を書かせてもらった。

見慣れない植物(その2)

我が家の玄関先に、これまで見たことがなかった‘植物’がもう一つある!
これは、お隣さんからかみさんが頂戴したのだという。
名前は、知らない。お隣さんに聞けばいいのに、いつもお会いした時に忘れてしまうのだそうだ。相当‘あれ’が進みつつあるようだが・・・。


画像ー244新しい品種の植物 016-2

画像ー244新しい品種の植物 017-2
画像ー244新しい品種の植物 022-2

この花の名前が判らない!との記事に直ぐに反応があった!

「この花は、‘アメリカホドイモ’に違いない!WEBでお確かめを!」というメールが来た。
こんな反応こそ、インターネットの醍醐味というものである。
まるで、親か兄弟かと思われるほどの親切さである!有難い!

そんな訳で、調べてみるとご助言通り!
世の中には‘博識’の方がおられるものだ!

こちトラは、‘はくしき’は、‘はくしき’でも、‘薄識’の方で・・・。なんとも情けない!

以下が、調査の結果である。

amehodoi.jpg
アメリカホドイモ(マメ科)[亜米利加塊芋]
http://www22.ocn.ne.jp/~tamukai/amehodoi.html

アメリカホドイモ(マメ科)[亜米利加塊芋] 明治時代に北アメリカから渡来したつる性の多年生帰化植物で、アメリカホドともいう。最初は観賞用に導入されたとか、りんごの木の苗木を導入したときに土について入ったなどといわれている。塊根が食用となるので、救荒植物としても栽培された。一部で野生化しており、やや湿った林縁などで見かける。現在も、青森県などで盛んに栽培され、産直でアピオスの名で販売されている。同属のホドイモは日本に自生し、塊根は同様に食用となる。
花期:6-9月
分布:帰化植物
撮影:2000.8.27 青森県東北町


A0178_picture_zoom.jpg
http://minhana.net/wiki/view/178/contents:picture_zoom
この画像と私が撮影した次の画像とを比較してみると・・・

画像ー244新しい品種の植物 018-2
全く同じものと思われる!

という訳で、今後は判らない植物や昆虫の名前など、ブログに書いて情報を貰う事にしたい!
感謝!感謝!

(つづく)
[2014/07/12 23:26] | 感激! | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
8号台風と虹とUFOと
何度も、何度もこのブログで書いたのだが、今年の‘気象現象’は、異常である!

台風だっておかしい!
台風の被害は、通常は、その台風そのものがもたらす影響を考えて‘警戒’をするのが常識である。
ところが、今年の台風・8号の被害は、台風が、梅雨前線を‘利用して(?)’被害を与えた!

したがって、警戒心を起こすことを予測しなかった人や場所が大きな被害を被ったのである!
こんなことは滅多にない。
私の75年の生涯でも、こんな変則的な台風被害はなかったように思う!

2014年07月11日は、2、3日前までの予測では、関東地方は暴風雨圏内で、とても電車は動くまいと思われたから、千葉県から東京へ出向くのは無理だろうと思っていたが、何と朝の通勤時間帯は、どの電車もその他の交通機関も遅れも発生しない状態だった!

だが、電車はいつもより全く‘空いていた’のである!
みんな打ち合わせなどの日程を変更していたに違いないし、遠出もキャンセルしていたのだろう。
通勤をする我々にとっては、台風8号様さまだった!

その夕方、我々の打ち合わせの‘アジト’から、虹が見えたのである!

私は、窓を背にしていたので気づきようもなかったが、私の‘トイメン’にいた人が、
「あっ、虹!」
と言った。

① 第1回目は、2014年07月11日18:35

DSC_2259-2.jpg
都内で虹が見えるのはそんなに珍しいことではないと思われるが、ほとんどのサラリーマンは、空を見上げることなど出来ない。みんな‘パソコン’に向かっているからである!
この画面の右のホテルらしき建物の窓の付近に‘UFO’が???!

DSC_2259-3.jpg
虹の部分の拡大!7色に分かれている!

DSC_2259-4.jpg
これが、‘UFO’!? 
本物なら、典型的な‘アダムスキー型’のUFOであるが・・・・。我々のアジトの会議室の‘灯り’が、アジトのガラス窓のガラスに写っているのが同時に撮影されたのである!

ufo20-1.jpg
http://www.h4.dion.ne.jp/~mf124/sub-4-uchuu-siryou-2-ufo.html
アダムスキー型の‘UFO’!

② 第2回目は、2014年07月11日18:52

DSC_2260-2.jpg
こちらは、虹が大きく弧を描いていることが判る!

DSC_2260-3.jpg
弧は大きいのだが、色が‘赤っぽい’だけである! 何故? 夕日が赤いのと同じで、波長の短い青色は、地球の空気の中の‘ごみ’等に散乱されてしまったに違いない!夕暮れ真近の虹にはこんなことが起こるのだろう。第1回目とは、わずか17分の違いだけなのだが・・・。

DSC_2260-4.jpg
少し撮影場所が変わったため、UFOが、二つに!

(つづく)
[2014/07/11 23:17] | 気象 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
見慣れない植物(その2)
見慣れない植物(その2)

我が家の玄関先に、これまで見たことがなかった‘植物’がもう一つある!
これは、お隣さんからかみさんが頂戴したのだという。
名前は、知らない。お隣さんに聞けばいいのに、いつもお会いした時に忘れてしまうのだそうだ。相当‘あれ’が進みつつあるようだが・・・。

画像ー244新しい品種の植物 016-2
画像ー244新しい品種の植物 017-2
画像ー244新しい品種の植物 018-2
画像ー244新しい品種の植物 022-2

「何に似ているか?」と聞かれても判らない!

植物図鑑を見てみようとも思うが、植物の名前を植物図鑑でどうやって探せばいいのか判らない!
まあ、名前が判らなくても、花の美しさには変わりはないのだが・・・。

(つづく)
[2014/07/10 23:29] | 仰天! | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
見慣れない植物
植物の場合、不思議なことが起こる!

一般的には、植物は土の中に種が潜り込んで、水分と温度が適切なら‘芽を出す’。
その‘芽’には、‘葉緑素’が存在して、太陽光だけとは限らないが、それなりの波長の電磁波のエネルギーを頂戴出来る条件が揃った時、空気中の炭酸ガスと水分を吸収して、‘炭水化物’を合成することが出来る!

このメカニズムで、植物は成長を遂げ、実を実らせて種を作り、その繰り返しで地球を覆い尽くそうとしているかに見える!
植物は、通常は‘根’を土の中に入れているので‘動けない!’

だから、植物は、自身を守るために色々な‘戦略’を使う!

‘半夏生’という植物がある。

半夏生001_538
http://plaza.rakuten.co.jp/mari24/diary/200707030000/

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83
%B3%E3%82%B2%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%A6

ハンゲショウ(半夏生、半化粧、学名 Saururus chinensis)は、ドクダミ科の多年性落葉草本植物。

分布[編集]日本の本州以南、朝鮮半島、中国、フィリピンなど東アジアの亜熱帯性湿地に分布し、日の当たる湿地などにて太い地下茎で分布を広げて群生する。

日本では、生育に適した土地が減少していることから自生株は近年減少傾向にあり、地域によっては絶滅が懸念されている(外部リンク参照)。

形態[編集]高さ50~100cmほどに成長し、葉は互生、長さ5~15cmほど、卵形で、基部がハート形の細長い形状である。夏至を過ぎた頃に長さ10~15cmほどの穂状花序を葉の付けねにつける。また、花のすぐ下に位置する葉の表面が白く変化し花弁の役目を果たすのが本種の特徴である。開花期にはドクダミに似た独特の匂いを出す。

名前の由来[編集]名前の由来は、半夏生(太陽の黄経が100°になる日。グレゴリオ暦で毎年7月2日頃)の頃に花を咲かせることに由来する説と、葉の一部を残して白く変化する様子から「半化粧」とする説がある。

また、葉の片面(表面)だけが白くなることから古くはカタシログサ(片白草)とも呼ばれている。

なお、生薬の「半夏(はんげ)」はカラスビシャクから採れるものであり本種とは関係がないが、本種と開花時期が重なることから名前の由来にかかわりがあるとする説もある。


つまり、この半夏生は、花弁の代わりに、葉っぱを、‘その時期<交配時期>’だけ、花の直ぐ下の葉っぱのみ白くなり、それも表の部分だけで裏は白くならない、という芸当をやってのけるという!

こんなことを或るTV番組でやっていたのに大いに感心した!

ところが、ところがである!

我が家の借景としての駐車場の裏、小川の向こうの林にいつの間にか自生していたのである!
そして、それは‘かみさん’が、最近見つけたのである!

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画像ー244新しい品種の植物 050-3

この白さで昆虫を呼び寄せようというのである!
そして、その時期が終われば、白さは姿を消すというから、一寸した‘見もの’である!

今後、この半夏生の白い葉っぱが、多分夏の終わりには、緑色に変化するだろうから、その時まで観察を続けたい!
でも、一体どうやってこの場所に自生したのだろうか?

不思議である!

(つづく)
[2014/07/09 23:48] | 仰天! | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
NHK大河ドラマの制作費
NHKの大河ドラマ誘致 については、この弊ブログでも何度か紹介したことがあるが、千葉県・夷隅郡・大多喜町が、大多喜城の君主・本多忠勝、忠朝親子を主人公にしたドラマを!と随分前から活動されているという!

mainimage.jpg
http://www.honda-tadakatsu.com/

その誘致趣意書が以下である。

h2.jpg

http://www.honda-tadakatsu.com/syuisyo.asp
わが大多喜町は、町づくりの視点の一つに「大多喜らしさを創造・発信する誇れる町づくり」をあげ、歴史環境を資源とした町並み整備事業や歴史・文化にかかわる活動を積極的に推進しております。

大多喜町の歴史は古く、永い間千葉県南房総地区の中心的な役割を果たして参りましたが、中でも今から約四百年前、近世上総大多喜城を築城し、城下町の整備を始め、当町の基礎づくりに貢献した人物が、徳川四天王の一人「本多忠勝」とその次男「本多忠朝」であります。
本多忠勝は、徳川家康の最重要側近として戦国の世を駆け抜けた勇猛果敢な武将であります。

生涯五十七戦の戦に無敗を誇り、家康に過ぎたる者とたたえられ、止まったトンボさえも真っ二つになるという「蜻蛉(とんぼ)切(ぎり)」の槍の名手として多くのエピソードが、残されております。

また、本多忠朝は、慶長14(1609)年、御宿沖で座礁したスペイン船乗組員317名の命を救い、以後、日本、スペイン、メキシコの友好交流の基を作った人間性豊かな二代目城主であります。

これらのエピソードは、ごく一部でありますが、近世初めの戦国の世から太平の世へと移る日本の歴史を背景に大河ドラマとしてNHKに取りあげていただき、放映の機会を得れば、多くの登場人物の人となりや生き方は、とかく人間関係が薄れ、人と人との絆が失われつつある現代社会へ光明をもたらし、多くの人々の共感を得られるものと確信しております。

さらに、誘致活動を進めていくことは、各位が大多喜町の歴史・文化についての思いを新にし、地域振興に役立つものと考えます。

また、夷隅郡市はじめ、県内各市町村、本多氏とゆかりのある国内各市等と連携して、この活動を推進していけば、全国的な広がりも期待できると考えます。

何とぞこの趣旨にご賛同いただきまして、絶大なるご支援、ご協力を賜りたくお願い申し上げる次第でございます。

千葉県夷隅郡大多喜町大多喜九三番地 大多喜町役場内

NHK大河ドラマ「本多忠勝・忠朝」誘致実行委員会

会長  井守 新

他実行委員一同


さて、‘ 絶大なるご支援、ご協力を賜りたく’と仰せのことは多分‘寄付金’のことではないかと気になった。
そこで、‘NHKの大河ドラマ’の制作費は一体どのくらいの巨額なのだろうか?が気になりだし、他の人達にも聞いてみた。

A:「えっ? そう、数億円?」

B:「そんなんじゃあ、足りないって!だってさ、映画一本100億円以上って沢山あるじゃん? そ~ねえ、150億円!」

C:「バ~カ!そんなにするかよ、まあ10億円以下!」

D:「1億円以上するはずない!NHKって、貧乏なんだよ!」

さて、さて、過去のNHK大河ドラマの制作費ってどのくらいなのだろうか?

NHKの大河ドラマは、1963年(昭和38年)の「花の生涯」から始まって、今放映中の「軍師官兵衛」で53本目。
実は、既に‘54本目(花燃ゆ)’、‘55本目(真田丸)’が予定されている、という!(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%B2%B3%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9E

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%B
2%B3%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9E

製作費について[編集]2005年以降、NHKの不祥事がクローズアップされたため透明性を明かすために『功名が辻』以降、毎年の決算概要に1話分の平均製作費について公表している。なお、『功名が辻』が6,110万円、『風林火山』が6,080万円、『篤姫』が5,910万円である。ほとんどの支出がセットなどの美術費であるとのことである[11]。『義経』は6,440万円


Dさんの予測が当たっているのだが、制作費の中に‘出演料’は含まれていないのだろうか?
大物俳優さんの出演料は、我々ど素人には想像もつかないが・・・。

案外、安~い!

(つづく)
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[2014/07/08 23:47] | 伝統文化 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
茂原の七夕祭りの広告が、東京駅に・・・。
房総半島で「七夕祭り」と言えば、茂原市と決まっているらしい!
全国的なことで言えば、「七夕祭り」は、仙台と平塚だと思われる。勿論、京都だって東京の阿佐ヶ谷だって有名なのだが・・・。

本日、2014年07月07日は七夕祭りであるが、全国的に一斉というわけではない。旧と称して8月7日を中心というところも多い。九州辺りでは、こっちの方が普通である。

さて、今日東京駅の地下通路を丸の内側から八重洲方面へ行こうとした時に‘もばら’という文字が目に飛び込んできた!
やはり、茂原市に住んで20年も経つと、生まれ故郷よりも住んだ期間が長いのだから‘愛着’が強いのは当たり前である。

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茂原市の七夕祭りが、どうして7月25,26,27日なのかは知らないが、多分土日を入れての3日間なのだろうから、曜日で決まっていると思われる!

DSC_2258-3.jpg
茂原への行く方法として、JRを!ということで東京駅が場所を提供してくれたに相違ないが、‘渋滞知らず’とはJRらしい!

DSC_2257-4.jpg

でも、でもである。東京駅で‘茂原市’の文字や宣伝に出会うと何となく恥ずかしいやら誇らしいやら、の気持ちになるということはやっぱりもう‘茂原人’なのだろう!

決して‘茂・原人’と間違わないでほしい! ‘北京原人’と同類ではないのである!

(つづく)
[2014/07/07 23:31] | 伝統文化 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
大多喜城の遺産(その4)
大多喜城の遺産(その4)

大多喜城の遺産として、当時の建造物が残っているのは、

① 薬医門
② 大井戸


の二つである。

薬医門については前回見てきた。
今度は大井戸である。

http://www.pref.chiba.lg.jp/kkbunka/sonohoka/minwa/minwa-28.html
大多喜城「底知らずの井戸」

天正(てんしょう)十八年(一五九〇年)本多忠勝(ほんだただかつ)は徳川家康(とくがわいえやす)の命(めい)により大多喜城を築いた。生活に水は欠かせない。まして、戦(いくさ)で籠城(ろうじょう)ともなると、水が生死を分ける。そこで城内二の丸に、日本一と呼ばれる大井戸を掘った。雨の降らない夏でも、満々と水をたたえ「底知らずの井戸」と呼ばれていた。

八代藩主(はんしゅ)松平正和のときだ。

「あの大井戸は、底知らずの井戸だ。いくら水を汲(く)んでも尽(つ)きることはない」

「いや、そんなバカなことがあるか。たくさん汲めば水はなくなるに決まっている」

「いや、尽きることはない」

侍(さむらい)たちが言(い)い争(あら)そっている。そこで、殿様に許しを得て井戸の水を汲(く)み出すことになった。

城下の力自慢五十人の人夫を集め、水が汲み出された。八個の滑車(かっしゃ)に十六個のつるべ桶(おけ)で、水汲みが行われた。人夫たちも言い合った。

「底のない井戸なんてあるものか。昼頃には底が出てくるさ」

「いや、底なしの井戸といわれているらしい・・・」

「こん井戸は夷隅川につながっているらしいぞ」

「夷隅川どころか、遠く太東岬(たいとうさき)の海につながっているんだって」

「そんなばかなことがあるもんか」

「いや、城が敵(てき)に囲まれたら、大井戸に逃げ道が・・・」

陽(ひ)が沈み暗くなった。それでも作業はつづき、夜を徹(てっ)して水を汲み出した。朝を迎えた。さすがにみな、疲労の色は隠(かく)せなかった。

「本当に底がないのかねえ」

「ばかな、あるにきまっている。もう一日、水を汲み出してみよう」ということになった。

いくら汲み上げても底が見えない。必死になって汲み上げた。二日目の夜になった。それでも底は見えてこない。やがて、東の空が明るくなり夜が明けた。

井戸をのぞいて見ると、相変(あいか)わらず満々と水をたたえている。

「やっぱり、お城の井戸は底なしだ」

みな、その場に長々と寝(ね)そべってしまったと。

おしまい

(『大多喜城物語』参考 斉藤弥四郎  ふるさと民話さんぽ「広報おおたきNo.425」より)


この問題は、現在考えれば、割に簡単なのだが・・・。
つまり地下水が絶え間なく注ぎ込まれるのだから、汲み上げる量がその水量より少なければ涸れることはない!

画像ー243大多喜城と薬医門 081-2
大井戸は、天守閣とはこんな位置関係にある!

画像ー243大多喜城と薬医門 082-2
画像ー243大多喜城と薬医門 083-2
p411-029-3.jpg
http://www.pref.chiba.lg.jp/kyouiku/bunkazai/bunkazai/p411-029.html

大井戸の高さ位置から見上げた天守閣の崖が以下である。

画像ー243大多喜城と薬医門 084-2
画像ー243大多喜城と薬医門 085-2

以下は、天守閣へ戻って駐車場へ向かう道中の画像!

画像ー243大多喜城と薬医門 086-2
画像ー243大多喜城と薬医門 087-2
画像ー243大多喜城と薬医門 088-2
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画像ー243大多喜城と薬医門 092-2
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画像ー243大多喜城と薬医門 098-2
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画像ー243大多喜城と薬医門 101-2
画像ー243大多喜城と薬医門 102-2
画像ー243大多喜城と薬医門 103-2
画像ー243大多喜城と薬医門 103-3
画像ー243大多喜城と薬医門 103-4
画像ー243大多喜城と薬医門 104-2
画像ー243大多喜城と薬医門 105-2
画像ー243大多喜城と薬医門 106-2
画像ー243大多喜城と薬医門 106-3
画像ー243大多喜城と薬医門 107-2
画像ー243大多喜城と薬医門 108-2
トイレだってこんなにご立派!

(つづく)
[2014/07/06 23:20] | 伝統文化 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
大多喜城の遺産(その3)
大多喜城の遺産(その3)

画像ー243大多喜城と薬医門 025-2

大多喜城の歴史については、以下の文献に詳しい!

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%A4%9A%E5%96%9C%E5%9F%8E
大多喜城の歴史・沿革[編集]大永元年(1521年)に真里谷信清が「小田喜城」として築いたのがはじまりとされる。以前は小田喜城は同町内の根古谷城のことであり、今日の大多喜城は徳川家康によって大多喜の地を支配した 本多忠勝 が築城したものと考えられてきたが、近年の発掘によって現在の城の地下に大規模な城の遺構が遺されていることが明らかとされて、小田喜城と大多喜城とが完全に重なる訳ではない(戦国期には裏山である栗山が城の一部に使われていたが、江戸期には栗山は除かれてやや麓側に縄張りが移動されている)ものの、現在では信清の小田喜城を元にして後の大多喜城が築かれたものと考えられている。信清の後を継いだ真里谷朝信の代の天文13年(1544年)に、里見氏の武将正木時茂によって真里谷氏は城を奪われて、以後時茂・信茂・憲時の3代に渡って正木氏が支配して、上総国東部支配の拠点とされた。だが、天正9年(1581年)に里見義頼との内紛によって憲時が殺害されると、同城には里見氏の代官が派遣されたという。

天正18年(1590年)、里見氏が惣無事令違反を理由に上総国を没収されると、同国は徳川家康に与えられ、その配下の勇将・本多忠勝が城主となり、大多喜藩10万石が成立した。忠勝は里見氏の北上を防止するために突貫工事を行い、3層4階の天守を持つ近世城郭へと大改築を行い、ふもとに城下町の建設を行った。これが今日の大多喜城である[1]。

以後、この城は大多喜藩の拠点として幕末まで重要な役割を果たしてきたが、元和5年(1619年)9月、藩主阿部正次の転封により大多喜藩は一時的に廃藩となったため、城は荒廃した。寛文11年(1671年)12月、阿部正春が1万6000石で入城した際、幕府から「大多喜城は城跡になってしまっているので、追々再建するように」という命令が下ったものの、「一重の塀もないありさまで、門や櫓などもない」という当時の記録の通り、大多喜藩規模縮小に伴い、荒廃した状態で長く支配が行われていたようである。元禄3年の幕府隠密の調査記録と思われる、『土芥寇讎記』にも、「幕府から大多喜城の再建命令が通達されたにも関わらず、大多喜藩では命令を履行していない。塀もない状態だ。ましてや門や櫓などあろうはずがない」と記されている。史料が少ないために江戸時代の状態は不明な点も多いが、阿部氏以降の城主は多少の増築などは行ったようである。ただし山頂の天守などは荒廃していたようだ。天保13年(1842年)には天守が焼失し、天守の代わりに2層の「神殿」と称する建築が天保15年(1844年)8月に建てられていたと考えられている。

明治3年12月に城は取り壊され、その後本丸も削平されたという。[2]その後、昭和41年(1966年)に本丸跡は千葉県の史跡に指定された。昭和50年(1975年)に城跡に天保6年(1835年)の図面を基にして天守が再建されて、内部には千葉県立総南博物館(現在の千葉県立中央博物館大多喜城分館)が設置された。


現在、大多喜城の‘本物’の建造物で残存しているものは、ただ二つのみ!

① 薬医門
② 大井戸


大多喜高校敷地内での以上の二つの実地検分!

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画像ー243大多喜城と薬医門 062-2
画像ー243大多喜城と薬医門 063-2
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上の二つの看板画像で少々データの食い違いが気になる

それは、‘火災’が、天保13年なのか、14年なのか?ということであるが、まあ、一般的にはそう気にはならないだろうが、私の場合に限っては、大いに気になるのである!!

天保14年の方の記事では、火災が起こったのが、「天保14年7月3日」とまで書かれている!(一つ上の画像)
実は、私の生年月日が、天保と昭和の違いがあっても、14年7月3日だからである!
こちらの看板には、文章の責任者(?)名が記載されているが、二つ上の画像には、その記載がない!ただし、それだけでは、どうちらが正しいかを判断してはならないが、どうしてこんな違いが出るのだろうか?

もう一度拡大画像を!

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いずれにしても、千葉県教育委員会にも大多喜町教育委員会にも問合わせてみる必要がある!

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虫食い(正確には、‘腐朽菌’による腐食)が少々気になる! 何とか防腐処理を今施さないと長年の保存は難しいのではないか??

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薬医門に別れを告げて、大井戸の方へ移動!

(つづく)
[2014/07/05 23:28] | 伝統文化 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
大多喜城の遺産(その2)
今、大多喜町では、‘NHK大河ドラマ’に本多忠勝、忠朝の物語を!というキャンペーンを張っている。

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その舞台は、当然のことながら‘大多喜城’であり、昨日このブログ欄でご紹介した実物での建造物

① 薬医門
② 大井戸


をフル活用した物語となるに違いない。

ジオラマが4階にある。

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この画面のほぼ中央の丸い建造物が、‘大井戸’である!
その大井戸の直ぐ左上の建物が‘薬医門’である。

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これは、角度を変えた場所から見たもの・・。

大多喜城の天守閣から二つの建造物を見たあと、早速‘現場’へ行ってみることにした!

画像ー243大多喜城と薬医門 047-2

天守閣のある本丸跡から階段を降りていけば、その現場に行ける!

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大井戸が見えてきた!

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二の丸があった場所には、現在県立大多喜高校がある。

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中学校及び高等学校の校歌の石碑を過ぎて、学校の正門の直ぐそばに、有名な‘薬医門’が見えてきた!

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(つづく)

[2014/07/04 23:07] | 伝統文化 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
大多喜城の遺産(その1)
千葉県夷隅郡大多喜町に‘大多喜城’がある。
お城がある、といっても江戸時代のお城その物が残っている訳ではない!

このことは、特殊のところは別として、普通のどこのお城の事情とほぼ同じであるが、特に大多喜城は、その天守閣についての情報がほとんどなく江戸時代の多数のお城の仕様の平均値(?)を仕様にして作られたそうであるから、それこそ本多忠勝殿が現れて見てみたら、「ナニコレ?」と仰せかも知れない!

さて、このお城敷地内に、江戸時代に存在した‘建造物’が‘二つ’そのままの状態で存在するという。

① 薬医門
② 大井戸


2014年07月02日、この二つを訪ねて、大多喜城へ行ってみた。

先ずは、65歳以上無料の大多喜城(千葉県中央博物館・大多喜城分室)へ・・・。

城内は、ほとんどの場所で‘撮影禁止’なのだが、‘体験コーナー’と‘最上階からの窓から’の撮影は許可されている!

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これが、大多喜城から見た‘薬医門’である!
詳細は、この後の弊ブログで・・・。

(つづく)
[2014/07/03 23:56] | 伝統文化 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
長生(ながいき)メロン
千葉県に、長生村(ちょうせいむら)という正に‘長生き’しそうな村がある!
‘村’といっても人口は約1万5,000人近くもあるから堂々たるものである。

千葉県長生郡長生村no0001-2
‘Googleマップ’赤●記号の付近が長生村(千葉県・長生郡・長生村)

長生村の地図ー2
>http://www.vill.chosei.chiba.jp/new-site/outline/index.html

長生村の地図

最近の人口の増減の詳細は知らないが、老後を千葉県で過ごしたいが、さて何処にしようか?と調査をするとすれば、「長生き村」がいいと思われる方が多いのではないか?と思う。

http://www.vill.chosei.chiba.jp/new-site/outline/index.html
長生村 は、千葉県の房総半島九十九里浜に面し、東京から約60キロ、千葉市から約30キロの距離にあり、昭和28年11月3日に八積村、高根村、一松村の3カ村が合併して誕生しました。現在の村域は、東西7.4キロ、南北6.0キロで、面積は28.32平方キロ。太平洋の黒潮による影響を受けて、年間を通して温暖な気候です。人口は、平成24年4月1日現在で14,900人となっております。

交通は、西部から南部にかけて国道128号とJR外房線が縦貫しており、村内には八積駅があります。千葉駅までは普通電車で約45分、東京駅までは茂原駅からの特急利用で約1時間と、周辺都市への利便性に恵まれた距離にあります。

産業は、温暖な気候と平たんな地形を活用して、稲作や野菜栽培、酪農などのほか、九十九里浜での沿岸漁業を中心に発展してきましたが、昭和57年に西部地区に工業団地が開設されたことにより、工業生産が飛躍的に伸びています。

また、美しい海岸一帯は県立九十九里自然公園内にあり、首都圏の海浜レクリエーション地として知られ、夏季には海水浴客でにぎわいをみせています。

こうした恵まれた条件を活かし、将来に向けて着実な発展をめざしていくため、長生村では平成11年度から都市計画制度を導入し、計画的な市街地の誘導を図り、調和のとれた活力ある利便性の高いまちづくりを進めています。


この村の特産品といえば、何といっても‘長生メロン’である!

お中元のお返しのこともあって、直売所へ出かけた。
お客が多いとは思ってはいたが、予想以上に大勢のお客さんがいた!
送って貰う手続きをするのに‘行列’が出来ていた。

買い物をするのに行列の一端を担うのは、混んでいるスーパーぐらいのもんであるのに・・・。

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これを見ると、サイズの大きさ(L~4L)によって値段が違うことが分かる!

トマトも売り出されてはいるが、お客は寄り付く様子がない!

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トマトジュースは、‘長生トマトジュース’という銘柄になっているが、‘ながいきトマト’100%とあるから、この村のトマトの品種が‘ながいきトマト’というのだろうか?

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メロンは‘マスクメロン’である!先ほど紹介した通り、大きさによって‘箱の色’が違う??

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受け付けて貰うために順番待ちをする人、伝票に記入する人で館内はごった返している!
これは‘當~り!’である。

後日調べてみようと思うが、ここ長生村での‘マスクメロン’の歴史は、どうなっているのだろうか?
確かに日本人は、メロンが好きである!そして、高価なマスクメロンは、普通は自宅用には購入しないから‘お中元’向きの商品である。開発には色々紆余曲折はあったに違いないが、ここまで来るともう安心なのかも知れない。

もうメロン御殿なるものが沢山あるのかも??

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確かに‘長生’に‘ながいき’とルビが振ってあるのが分かる!

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改革・改善事業が見事に成功した‘好例’なのだろう!

(つづく)
[2014/07/02 13:04] | 農業 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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