大多喜城の遺産(その3)
![]() 大多喜城の歴史については、以下の文献に詳しい!
現在、大多喜城の‘本物’の建造物で残存しているものは、ただ二つのみ! ① 薬医門 ② 大井戸 大多喜高校敷地内での以上の二つの実地検分! ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 上の二つの看板画像で少々データの食い違いが気になる! それは、‘火災’が、天保13年なのか、14年なのか?ということであるが、まあ、一般的にはそう気にはならないだろうが、私の場合に限っては、大いに気になるのである!! 天保14年の方の記事では、火災が起こったのが、「天保14年7月3日」とまで書かれている!(一つ上の画像) 実は、私の生年月日が、天保と昭和の違いがあっても、14年7月3日だからである! こちらの看板には、文章の責任者(?)名が記載されているが、二つ上の画像には、その記載がない!ただし、それだけでは、どうちらが正しいかを判断してはならないが、どうしてこんな違いが出るのだろうか? もう一度拡大画像を! ![]() いずれにしても、千葉県教育委員会にも大多喜町教育委員会にも問合わせてみる必要がある! ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 虫食い(正確には、‘腐朽菌’による腐食)が少々気になる! 何とか防腐処理を今施さないと長年の保存は難しいのではないか?? ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 薬医門に別れを告げて、大井戸の方へ移動! (つづく) スポンサーサイト
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