沼津の名店・‘山正’さん!(その2)
2014年8月30日8日(土)、私は、土曜日なのにどうしても新大阪での打ち合わせに出席しなければならず、その日の朝新幹線で東京から新大阪へ向かった。

そして、その日の17時までに静岡県の沼津駅に到着しなければならないスケジュールに従って行動した。
娘夫婦が、かみさんと二人を沼津市にある鮨と魚料理の名店中の名店、‘山正’さんに招待してくれるというのである!これは‘何としても行かずばなるまい!’という訳で、新大阪14時発の新幹線で引き返してきたのである。

どうしても‘富士山’が見たくて、新大阪への往路では、雲が厚くて拝めなかったため、復路に期待していた!

新大阪からの‘のぞみ’を名古屋で‘こだま’に乗り換えて、三島まで新幹線で行き、後は東海道線で沼津へ引き返す段取りである。
富士山が拝めるのは、上りの場合‘掛川駅’を過ぎて数分後頃から見え始めるというから、それまでは居眠りをしていたが、浜名湖を過ぎる頃には目覚めていて外の風景をカメラに収めた事は昨日のこのブログに書かせてもらった。

土曜日の夕方近くということもあって、相変わらず‘こだま号’は、私一人の貸し切状態。
新幹線とはいえ、こだま号は、のぞみ号やひかり号を先に行かせる為に一駅毎に約5分間の停車時間がとってある。

光電子増倍管では世界超一流の技術会社・「浜松ホトニクス」の看板が、浜松駅から見えた!

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さて、掛川駅に到着したのが15:58だった。この時刻からすれば、あと5~6分もすれば、富士山が現れるはずである。つまり、16:04頃には見え始めても良いというわけであるのだが・・・。そしてその後40分間くらいは、富士山は見える関係にあるはずである。勿論、場所によっては富士山と新幹線線路の中間に山があれば見えない。

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16:10

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16:31 この写真以下4枚(引用写真は除く)は富士川鉄橋を渡っているところ・・・。
晴れていれば、直ぐ下の引用写真のように富士山が見えるはずなのだが・・・。

富士山・富士川から
http://bcp.moe-nifty.com/products/2009/06/post-9a91.html

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16:31

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16:33

だんだん三島駅に近づいて来たのだが、遂にこの日は富士山はお出ましにならなかった!
残念!

私が乗った新幹線は、16:45に三島駅に到着した!
かみさんは、東京駅から新幹線に乗って、16:19に既に三島駅に到着していた。
娘夫婦と孫達は、相模原から車で既に三島駅に到着しており、そんな訳でJRを利用せずに三島駅から車で沼津へ出発と相成ったのである!

‘山正さん’は、明日のブログで・・・!

(つづく)
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[2014/08/31 23:56] | 感激! | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
沼津の名店・‘山正’さん!(その1)
静岡県・沼津市は、‘魚の旨さ’で有名であることは周知の通りである!

娘夫婦は今、神奈川県・相模原市に子供(孫)二人と住んでいるのだが、昔沼津市に住んでいたことがある。
正確に言うと、旦那は沼津市に単身赴任という状況にある。

そのせいもあってか、娘夫婦から‘招待状’が届いた!
「8月30日(土)、31日(日)に沼津~箱根で、お二人で孫の顔でも、どうですか?」お断りする理由はどこにもない! 新幹線の乗車券付きだから尚更である!
今年の夏は、孫(高2、中3)も忙しかったと見えて千葉県の我が家へは来なかったのである。

夏休みももう終わりだから、新幹線も道路も、そんなに混んではいないのだろうとの想定もあったに違いない!

そんな沼津市でも指折り数えられるほどの‘魚の旨い店’、 ‘山正さん’での会食とあるから、コタエラレナイ!
その‘山正さん’には、我々も何度かお邪魔したことがあるが、ここの旨さは格別である!
お客さんを満足させる方法をご存知なのである!

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実は、当日は土曜日だったのだが、私は新大阪で午前中の打ち合わせが入っていてその約束は、外せなかった!しかし、とんぼ返りをすれば事足りる。
そんな訳で、朝早く千葉県を出発した!

打ち合わせを午後1時までに終わって、新大阪駅から新幹線に乗ったのは14:00ジャストの‘のぞみ’号。名古屋で‘こだま’号に乗り換えれば、夕刻には三島駅に到着するという訳である。そこから電車で7分で沼津駅!

東海道新幹線での楽しみの一つは、やはり‘富士山’を眺めることである!
その日は、都合良く昼間に富士山付近を通過することになったのだが、果たしてお天気は?の心配があった!

上りの新幹線の場合、掛川駅を通過して約5分後くらいから富士山が見え始めるという。
案の定、‘こだま’は、ガラ空きである。

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私を入れて、この車両には‘3人’しか乗客がいない!
名古屋から静岡までは、この状態が続いた。

浜名湖近辺に来るまで居眠りをしていたのだが、‘浜名湖’といえば‘うなぎ’ということであったが、もう随分昔から、日本のうなぎの養殖地は浜名湖ではなくなったという噂を聞いたことがある。何でも愛知県の一色町というところが、今は、うなぎの最大の養殖地らしい。

この話は別途調査してみたい!
年々うなぎの稚魚が手に入らなくなって、うなぎの値段は、正に‘うなぎ上り’だという。今後日本のうなぎ事情はどう変化していくのだろうか?

そんな訳で、車窓から浜名湖周辺を眺めてみたのだが、うなぎの養殖場であった‘池’もあるにはあるのだが、現在操業している風には見えなかった!

むしろ、その敷地は、埋め立てられ‘太陽光発電’の用地に‘変身’しているようにも受け止められた!

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それはそれとして、果たして富士山は拝めるのだろうか?

(つづく)
[2014/08/30 23:29] | 感激! | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
大多喜城と初代城主・本多忠勝の面影
千葉県夷隅郡大多喜町については、この弊ブログで何度もご紹介したが、この城下町の発展の礎を築いたとされる大多喜城初代城主・本多忠勝については、名前を出したり、57戦全勝と紹介したりはしたが、一体どんな人物だったのかについては、家康との‘合意’に基づいて、家紋である‘三つ葉葵’と‘立ち葵’との交換劇を紹介したに留まっている。

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それにしても、「なぜ、そんなに‘本多忠勝’にこだわるの?」については、まだその理由をご紹介もしていない!

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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%
A4%9A%E5%BF%A0%E5%8B%9D

本多忠勝の肖像画

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それについては、実は‘極秘情報’も含めて、深い、深~い理由がある!

ご承知の通り、今、世界中が大きく揺れている。
政治的思惑に基づいた、或いは宗教的覇権争い(?)に基づいた‘矛盾した’或いは‘独りよがりな’主導権争いが今や世界のニュースの大半を占めてしまっている。

日本人にはなかなか解らない‘民族意識’や‘宗教的感覚’によると思われる‘露骨な自己主張’が、‘言論の自由’と‘自己保全’の名目の基に大きな主張の流れになってしまっている。

しかも、それをいい意味でも悪い意味でも‘煽り続けている’のが、高度に発達し過ぎた技術を基にした‘マスコミ’である!
朝日新聞の‘事実の誤報と判断の誤り’がこの期に及んでもまだすっきりしないのは、マスコミの奢りであり、或る集団に所属してしまえば、事実よりその集団の維持存続に重点が置かれるという、大昔からの大原則が未だに踏襲されている社会現象・長いものには巻かれろ方式が未だに存在する証でもある!

さてさて、前置きはそのくらいにして、大多喜町に関する‘極秘情報’とは?

① 大多喜町キャンペーン、大河ドラマ「本多忠勝・忠朝」の実現に乗っかって、大多喜町に‘武家屋敷’を創る!

② 現在存在する城西国際大学・薬草園の10倍以上の規模の薬草園を建設する!

③ 大多喜町の周辺に、‘桃源郷’を建設する!

④ 大多喜町周辺に‘新エネルギー研究所’を建設する!

⑤ いすみ鉄道大多喜駅から別の鉄道を建設する!

⑥ 現在の大多喜町の人口は、一万人強であるが、近々+3万人の合計4万人の‘大都市?’へ成長するかも知れない!

等々、大多喜町がこんなに話題なされるのは何故だろうか?
そして、この情報は、果たしで‘本物’だろうか?

(つづく)
[2014/08/29 23:24] | 歴史 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
三つ葉葵と立ち葵(2)
前回の弊ブログで紹介したとおり、元々は、徳川家康家のご紋は、‘立ち葵’だったのに、本当にどんな理由からは判らないが、家康の四天王の一人、本多忠勝家の家紋‘三つ葉葵’と取り替えられた、という話は極めて面白い!

事情を知らないからこそ、当時の様子を勝手に‘想像して’楽しむことが出来る!

当時の武士達にとって‘家紋’の価値は、どう映っていたのだろうか?
秀吉が、桐のご家紋を朝廷から頂戴して大いに気分を好くしたという話はある。

今でも‘桐の家紋’は、高貴の象徴とされていることは周知の通りである!

さて、話を元に戻して、家康と忠勝との間で、どんなやり取りがあったのだろうか?

家康 「葵そのものは、由緒ある賀茂神社の流れを汲むもの、‘三つ葉’にしろ‘立ち’にしろ、価値は同じじゃ!」

忠勝 「御意!」

家康 「ところで忠勝、俺は‘三つ葉’が気にっておる!どうじゃ、うちの‘立ち’と取り替えては呉れぬか?」

忠勝 「えっ?殿、‘気に入った’からと言われても、そう簡単には参りませぬ!」

家康 「そりゃあそうじゃあのう!どうじゃ、故郷三河の酒、3樽付けて遣わすが・・・」

忠勝 「は、はー!承知仕りました。それに今後の囲碁のお相手の際にお手柔らかくという条件でなら、喜んで・・・」

家康 「貴公もなかなかの曲者じゃの~!わっはっは・・」

ということだったかどうかは、全く判らない!

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http://sengokudama.jugem.jp/?page=2&month=201008

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E3%81%A4%E8%91%89%E8%91%B5
葵紋(あおいもん)はウマノスズクサ科のフタバアオイを図案化したもので、フタバアオイの通常の葉の数は2枚である。3つの葉をもつフタバアオイは稀で、三つ葉葵は架空のものである。葵祭に見られるように賀茂氏の象徴であり、葵紋は賀茂神社の神紋(二葉葵・加茂葵)になっている。 その賀茂氏との繋がりが深い三河国の武士団は、葵紋を家紋としてきた。これにより三河武士である徳川家が葵紋を使用していることは、徳川家が清和源氏の末裔ではなく賀茂氏の末裔ではないかとの説の根拠ともなっている。

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三つ葉葵と立ち葵

豊臣家が滅んだ後、徳川家康の権威が上がると徳川家使用紋の葵紋は特別な家紋ではなくなった。家康が征夷大将軍となった後、次第に他家の三つ葉葵に限らず葵紋の使用がはばかられるようになり、松平家へは遠慮させ、伊奈家には禁止させているが、徳川家家臣である本多家や准家門の鳥取池田家のように一部葵紋の使用を許されることもあった。[1]また、この制限によって、葵紋の形状に倣った紋を河骨紋と称して用いる一族や家が現れたと考えられている[2]。このように徳川将軍家以下一門に制限されていたというが、江戸初期では御用商人の長持などの道具に描かれていたという。また、正式に制限されたのは、享保8年(1723年)のことである[2]。

天皇家は足利家、織田信長、豊臣秀吉の例に倣い桐紋を徳川家にも与えようとしたが、徳川家はこれを固辞したため、葵紋の権威が上がったともいわれる。

『岡崎市史』は、もともと松平太郎左衛門家の紋であるとしている。また、松平親氏・泰親が松平村に入った後、賀茂明神に祈願し家紋とした、または、松平氏が賀茂源氏または賀茂朝臣と称して葵を家紋とした、という説を挙げている。『徳川世紀』には、三河国加茂郡に移り住んだ松平親氏の子孫が「加茂朝臣」を名乗り巴形に描いた葵紋を家紋としたとある。

『藩翰譜』(新井白石)の伊奈本多氏の項によると、7代松平清康が吉田城ならびに田原を攻める際に、宝飯郡伊奈の本多正忠が味方し、正忠が伊奈に清康の凱旋を迎えて饗応したさいに、3つの水葵(ミズアオイ)の葉に肴を盛って出したことを清康は喜び、清康は本多家が味方したことで勝利を得たことを吉例として、本多家の家紋であった「三つ葵」を召し上げたとしている。『御先祖記』は、松平家は立ち葵を用いていたが、徳川家康が永禄3年(1560年)に本多家の「三つ葉葵」を旗紋としたことで、それをはばかって本多家は立ち葵に改めた、としている。


(つづく)
[2014/08/28 23:31] | 歴史 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
三つ葉葵と立ち葵
‘葵のご紋’といえば、徳川家のご紋であることは周知の通りである。

千葉県夷隅郡大多喜町には、大多喜城があって、徳川家康を補佐する役目の四天王の一人、本多忠勝十万石の城下町である。

また、この町の名物、最中・十万石は、なかなかの人気お菓子で、売り切れの日もあるというから、近隣からまた遠く首都圏からも、この最中目当てにやってくる人達もいるという。

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さて、この十万石の最中の栞(しおり)を読んでみて驚いた!

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津和家

この栞には、重大なことが書かれている!

『・・・忠勝の紋所はもと「三つ葉葵」であったものを家康の紋所「立ち葵」と交換したとの逸話はそれ程喧伝されてはおりません』

これはこれは、面白い!

きちんと調査してみたい!

(つづく)
[2014/08/27 23:34] | 歴史 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top
堰下の鯉
「柳の下のどぜう!」という言葉がある。これは、柳の下で一度泥鰌をつかまえたことがあったとしても、いつもそこに泥鰌がいるとは限らない。一度うまくいった幸運を得たからといって、もう一度あるとは限らない。そういった意味である。

今年の夏の異常気象は言うまでもないが、日本各地が大きな被害になっている。
そんな時に申し訳ないが、われわれが住まわせて貰っている千葉県房総半島は、その被害を受けず、少々纏まった雨が欲しい、などと欲張ったことを思ったりしている。

そんな中、2014年08月19日の朝は、快晴も快晴、空気に水分が少ない、つまり湿度が少ないとの情報をラジオが流していたので、すぐそこの柳の下の川へ、と言いたいところだが、柳があると言った風情はないが、堰のある川・赤目川へ行ってみた。

赤目橋から見た南白亀川に掛かる‘堰’が下の写真

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ここは、まだ‘赤目川’なのだが、数百メートル先で‘南白亀川(なばきがわ)’に合流する。
この日は、普段よりも数段川の水が清らかで、ごみ一つなく、綺麗だった!

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こんなに水が澄んでいるのも珍しい!

下の写真が堰の橋の上から見た赤目川。
いた、いた!これだけ大量の‘鯉’は、これまで初めてのことである。
大きさも、およそ目測で‘60cm’はありそう!

これは凄~い!

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近々またこの同じ場所へ行ってみることにするが、果たしてこの‘鯉の群れ’はいるのだろうか?
この場所は、自宅からわずか3~4分のところである。

20年昔には、休日ともなれば、この赤目川の両岸は、‘釣り人’で一杯になったのだが、今はたまに2,3人がという程度である。

(つづく)
[2014/08/26 23:54] | 仰天! | トラックバック(0) | コメント(1) | page top
蟷螂の空中遊泳?!
蟷螂(かまきり)が空中遊泳?!

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これら二つの画像を見る限り、蟷螂が空中遊泳をしている!

2014年08月24日のことである。

‘空中遊泳’という表現は、この際余り適切ではないとは思われるが、基本的には知識不足・ボキャブラリー不足から、致し方がない!

‘空中遊泳’は、正確には、多分、普段空中遊泳が不可能なものが遊泳をしていることを指すはずだと思われる。
そうでなければ、わざわざ空中‘遊泳’と言わなくてもいいからである。

蟷螂は、空中を‘飛べる’から、空中に‘存在した’からといっても、何ら不思議ではない!

しかし、しかし、である!

蟷螂が空中に存在する場合、‘飛んでいる’から、蟷螂は己の‘羽’を‘ばたつかせている’はずである!

わざわざ、蟷螂の空中‘遊泳’と表現したのは、蟷螂が‘羽をばたつかせていない!’からである。

まあまあ、‘屁理屈’は、このくらいにして、それにしても上の2枚の画像は、‘不思議’では?

‘からくり’は、もう見破られているに違いないが、そう、蟷螂が車のフロントグラスにお停まり遊ばされておられるのである!

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実は、このブログでもご紹介した蟷螂は、2014年08月14日、つまり、上の写真の撮影日のちょうど10日前のことだった!
その写真は、以下の通りなのだが、いずれも我が家の車に纏わる蟷螂なので‘同一人物?(蟷螂)’かどうかが、ちょっとだけ気になった、と言う次第!

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特定しなければならないことなど何もないのだが、歳をとってくるとこんなつまらぬことがやはり気になりだした!
写真そのものからは、‘体色?’が違うのは明らかだが、10日間という時間が経っている。蟷螂のこの時期の変色のスピードについての知識は皆無だから、このことから‘同一蟷螂’かどうかの判定は無理!

かと言って、残念だが、‘人相(蟷螂相?)’では、これも判定が出来ない!

(つづく)
[2014/08/25 23:41] | 仰天! | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
太田道灌
‘太田道灌’と聞けば、

① 江戸城を構築した
② ‘ななへやへ・・・’の山吹の歌

この二つは、誰でも思い出す。
ただし、

③ 暗殺された
④ 川越城築城
⑤ 武士としての鍛錬・稽古を怠けた者から罰金を取った

等々のエピソードは、余り知られていない。

恐らく近々‘NHKの大河ドラマ’の「太田道灌」が登場するのは間違いないものと思われる。

先日、有楽町駅のお隣りの国際フォーラムへ行った。
‘太田道灌公の銅像’がここに在ることは誰もが知っているが、埼玉県の川越市役所前やJR山手線・日暮里駅前にも彼の銅像があることは、余り知られていない!

先ずは、国際フォーラムの銅像から・・・。
勿論、このフォーラム内の太田道灌公は、今でも?皇居(江戸城)を見据えている!

http://www.burari2161.fc2.com/ootadoukan.htm
太田道灌銅像(東京国際フォーラム)

開都五百年記念
昭和31年10月1日
太田道灌像
昭和33年2月除幕
朝倉文夫作

碑文

室町時代中期の武将太田道灌(1432年~1486年)は、江戸城を築き江戸、東京にゆかりの深い人物として知られています。
この像は、ここに都庁舎があった昭和33年、当地に設置され、長らく都庁のシンボルの一つとして親しまれてきました。
都庁の移転後、ここが東京国際フォーラムとして新たに生まれ変わったことに伴い、平成8年5月、ゆかりの深いこの地に復帰することになり、以前と同様に、居城であった旧江戸城(皇居)を望んでいます。
製作者の彫刻家朝倉文夫氏は、第2次大戦中に旧東京市庁舎から撤去、供出された太田道灌像の作者渡辺長男氏の実弟です。



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ええっ!こんな‘造形’が国際フォーラムにあった???

勿論、下のフォーラムの天井の画像を‘90度’回転させたものだが、‘絵になる’ねえ!

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続いて、川越市役所前の太田道灌公像・・・。

太田道灌像川越駅前

http://www.burari2161.fc2.com/ootadoukan.htm

太田道灌 おおた・どうかん
永享4年(1432年)~文明18年7月26日(1486年8月25日)

埼玉県川越市川越市役所前でお会いしました。

扇谷おうぎがやつ上杉氏の家宰。
康正2年(1456年)江戸築城を開始、岩槻・河越にも築城するなど武蔵・相模の有力者になります。
文明8年(1467年)山内上杉氏の長尾景春が上杉氏に背くと、以後数年にわたり関東各地で景春方と戦いました。
これにより、扇谷上杉家を山内上杉家に匹敵するまで成長させましたが、相模国糟屋かすや(現:神奈川県伊勢原市)の主家・上杉定正邸に誘い出されて殺害されました。
これは、扇谷家の内部対立と扇谷家の台頭を恐れた山内家の策略だと言われています。



そして、JR日暮里駅前の太田道灌公像・・・。

太田道灌像JR日暮里駅前
http://www.burari2161.fc2.com/ootadoukan.htm

暇があれば、‘太田道灌公銅像・墓所巡りツアー’でも如何?
‘NHK大河ドラマ・太田道灌’が、近い将来あるとしたら、その走り・先取りっていう訳!

(つづく)
[2014/08/24 23:51] | 歴史 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
これが、‘世界一の鰯の刺身’だ!
これが、‘世界一の鰯の刺身’だ!

千葉県の銚子から九十九里にかけての一帯は、日本で一番の鰯の名産地である!
日本で一番ということは、多分世界で一番ということになるに違いない!
ということは、ここの‘鰯の刺身’が、世界一ということになる!

千葉県・茂原市へ越して来ての一番の自慢が、‘世界一の鰯の刺身’である。

九十九里でも、この‘まるに’さんが、一番おお気に入りのお店である!

④ 素晴らしい食事は・・・・(昨日のつづき)

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このメニューから我々4人が選んだのは、

a) いわしの刺身定食・・・1
b) あじフライ定食・・・・・・1
c) 海鮮丼 ・・・・・・・・・・・2

キタ!きた!来た!

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あわびやハマグリも当然ある!

お客さんも大入りである。

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味を知っているのは、客なのである!
今後とも、いわしがこの地で大漁でありますように!

(つづく)
[2014/08/23 23:45] | 感激! | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
ハマグリよりいわしの刺身が・・・
ハマグリの鮮度は、お解りのように‘陸揚げ’しても少々の時間は持つし、水中に入れておけば長生きさせられる。
しかし、‘いわし’は、陸揚げすれば、瞬間的に鮮度は落ち始めるし、そう簡単に水中で飼うことは難しい!

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http://tadyoshida.jugem.cc/?eid=113

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%AF%E3%82%B7
「イワシ」の語源については各説ある。陸に揚げるとすぐに弱って腐りやすい魚であることから「よわし」から変化したとの説(漢字の「」がこれに由来したとする)のほか、「賎し」や貴族の食べ物ではない卑しい魚という意味で「いやし」に由来するとの説など諸説ある[2]。


千葉県九十九里一帯は、江戸時代から、いやもっと以前から‘いわし漁’で生計を立てて来たというから、その歴史は古い!
ここで食べさせてくれるいわしは、 ‘マイワシ’:3種類の中では、一番大きいイワシだ。体の両側に黒い点が7つほどあるのが特徴だ。全国どこにいってもイワシはとれるんだけど、特に北海道の西南部・九十九里浜・九州西南部・山陰地方の沿岸多くとれている。よく家ではお母さんが焼いてくれているのはおそらくこのマイワシだろう。http://www.city.sasebo.nagasaki.jp/kosaza/more-kosaza/iriko01_3.html

そんな訳で、私は、 ‘真鰯の刺身’を食べに九十九里町へ・・・。勿論、私以外は‘海鮮丼’や‘アジフライ’を目指して・・・。
2014年08月14日、関東地方では、この日は今年で1番の猛暑日!

① カマキリが、車のフロントに!‘暑~いネ~!’と言っている

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② そろそろ刈り入れ時になった田圃の中通を抜けて‘焼ハマ街道’へ・・。
  これを左折すれば目指す‘まるに’さんへ、‘いわしの町・九十九里町’を北上

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③ 遂に、 ‘まるに’さんへ到着!
 
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④ 素晴らしい食事は・・・・

(つづく)
[2014/08/22 23:56] | 田舎暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
JR電車の中の広告談義
Aさんは、数十年も昔からの私の友人なのだが、難関な或る有名な国立大学の文学部国文科を卒業されて或る国立研究所で約30年務められて最近千葉県茂原市へ引越しされてきた‘堅物’である。

そんなに頻繁にお会いする訳でもないが、先日千葉県のJR外房線で偶然出会った!

A:「最近のJR広告で気づいたことない?」

私:「えっ?どんな?」

A:「ほら、ほら、あそこの‘あれ’!」

と言って指さしたのが、これで・・・。

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私:「これが、何か?」

A:「気付きません?」

私:「えっ!えっ?」

ということで、Aさんのご意見を聞くことになった。

Aさんの‘怒り’と言ってもいい「‘日本語の乱れ’にJRさんは気づいておられないのか、それとも積極的に日本語の気品を崩すお積りなのか?」というのである!

これは、これは、Aさんにとっても、ことは重大である!
生涯日本語の研究をされて来たといっても過言ではない程の方だから‘怒り’も相当のようだった!

A:「日本語の流れが‘七五調’で出来ていることはご存知でしょう!日本語は、七音、五音の場合にスムーズに聞こえ、心地よく理解されるんですよ!俳句や和歌がそれを物語っているはずです!」

私:「ええ、な~るほど。それで?」

A:「あの‘キャッチコピー’の表現を音の数で見てみて下さい!‘街ナカの(5)、コンビニでも(6)、スイカ(3)使えます(5) or スイカ使えます(8)’となっていて、5-6-3-5 or 5-6-8 となり、七五調とは無関係になっている!」

私:「じゃあ、どうすれば?」

A:「‘街ナカノ(5)コンビニで(5)、スイカなら(5)使えます(5)!’にすべきでしょう!」

私:「な~るほど!でも 5-5-5-5 ってことになりますよ?!」

A:「それは構いません!」

A:「そして、同じ画面でもう一箇所!」

私:「えっ?」

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A:「スイカならば(6)、スイスイ(4)お買い物(5)で、6-4-5、こりゃあまずい!また、スイカならば(6)、スイスイお買い物(9)でも、6-9 となって、やっぱりおかしい!!」

私:「じゃあ、どうすれば?」

A:「スイカなら(5)、スイスイスイと(7)お買い物(5)! 5-7-5 で俳句と同じ!どうです?」

私:「お見事!そして、お美事!」

A:「そして、そしてもう一つ!」

今度は別のCMである!
 
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A:「どうして、こうなんだろう?!こちらは、五七調とは無関係なのだが ‘キミと 夏と 山形’よりも、‘キミと 夏と 山形’のように、山形の後にも‘と’を入れるべきでしょう! そうでなければ、‘キミと 夏 山形’にして欲しい!」

Aさんの‘怪気炎’は、まだまだ続いたのだが・・・。

恐らく‘今時の若いモン’の日本語の乱れについて彼に語らせれば、このブログの1年間分の‘ネタ’は充分にあると思われる!

こんなことに敏感な御仁がまだ居られることは悦ばしい!

(つづく)
[2014/08/21 23:48] | 文学と社会 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
オリーブの樹
もう恐らく30年も前のことだろうと思われるが、小豆島へ何かの仕事があって行ったことがある。
その時のお土産にとして、これは珍しいということで‘オリーブの実’の瓶詰めを買ってきた。
初めての経験だったので、食べ方が判らない!

そのまま食べてみたのだが、まず~い‘油’の感じがして「こりゃあ、喰えん!」という訳で捨ててしまった経験がある。

先日、東京で帝国ホテルタワーの傍を通った時に目に付いたのだが、‘値段のついた’オリーブの樹があった!
その値段、半端ではない!

帝国ホテルタワー
http://bb-building.net/tokyo/deta/189.html
この画面のほぼ中央の少し右、これがオリーブの樹である!

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そりゃあ、200年という樹齢だし、スペインからお出でになったとしても‘260万円’以上もするとは!

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%96
オリーブ(橄欖、英: Olive、学名:Olea europaea)は、モクセイ科の常緑高木。果実がオリーブ・オイルやピクルスを作るときに利用されている。種子の油は、オリーブ核油 olive kernel oil といい、オリーブ油よりも品質が劣る。

概要[編集]
地中海地方が原産とされ、葉が小さくて硬く、比較的乾燥に強いことからスペインやイタリアなどの地中海地域で広く栽培されている。

多くの品種では自家受粉できない。DNAが同一の花粉には反応せず実をつけないことが多い。このため、オリーブは2本以上隣接して植えた方がよいとされる。

日本での栽培は香川県小豆島で1910年頃はじめて成功した。現在は香川県、岡山県などで栽培されている。なお、果実から種を取り出すための専用器具も販売されている。

<中略>

オリーブの実は生食には適さず、一口噛んだだけでも数時間、口の中が渋みでしびれた状態が続き、味覚も低下する。
オリーブの木材は硬く(爪の先で押してもほとんど傷つかない)重く(比重は約0.9)緻密で、油分が多く耐久性があり、装飾品や道具類、特にまな板、すりばち、すりこぎ、スプーン、調理用へらなどの台所用品を作るのによく用いられる。木製品としてはかなり高価である。日本では印鑑の材料にされることもある。辺材は黄白色、心材は黄褐色で、褐色の墨流しのような不規則なしま模様がある。オリーブ材の加工はフランス・イタリアなどで盛んだが、ヨーロッパのオリーブは幹が細いものが多く、加工用のオリーブ材はチュニジアなどのアフリカ産が多い。日本でも小豆島でオリーブ材をわずかに生産している。


流石に東京である!多分、日本一高価なオリーブの樹なのだろう!

(つづく)

[2014/08/20 23:14] | 仰天! | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
真夏の九十九里海岸!
今年の‘異常気象’、これについてはこの弊ブログでも何度も指摘してきた!

‘異常、異常’とは言うけれど、それは人間様や地球上の生物等々が‘ヤワ’に出来ているからで、宇宙の中で最も穏やかで安定しているのが地球であることには感謝しなければならない!

そんなことは、解っていながらも、あつ~い!暑い!

2014年08月14日、この日の関東地方、房総半島の九十九里海岸は、多分35℃は遥かに越していた!
そして、海岸の砂浜は、‘緑はない’から陰もなく、砂自体の温度は気温よりも‘10℃’上の‘45℃’はあっただろう!

猫舌の人は別として、舌は、温度に関して案外鈍感で‘65℃’程度のコーヒーでもそんなに熱くは感じないように出来ている。

しかし、その他の皮膚は60℃には耐えられない!

昔、私の友人である電電公社の研究者であった彼から「真夏、電話ケーブルの中は、70℃近くにもなっている!」という話を聞いて驚いたことがある。

その話から推定すれば、その日の九十九里海岸の砂浜の温度は50℃は優に越していたに違いない!
勿論‘素足’では、10秒と持たない!

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これでもか!これでもか!の余り面白くもない写真画像を熱心に見て頂いて有難うございました!

ご苦労様でした!

(つづく)
[2014/08/19 23:54] | 季節のど真ん中 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
養老渓谷の夏(その4):滝を登る河童たち!
養老渓谷の夏(その4):滝を登る河童たち!

関東地方・房総半島の2014年の8月14日は、今年最も暑い日だった!

天下の名避暑地、房総半島ど真ん中の‘養老渓谷’。その中心地が養老川の‘高滝’、通称‘粟又の滝’である!

幸い?滝の水量が、この8月になって一度もといっていいくらいに雨が降らなかったこともあって、水嵩が少なかったために、子供たちが喜んで滝壺から滝登りに挑戦していたのである!

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彼等にとってもこの夏の想い出は一生残るに違いない!

私もと思ったが、きっとカミさんが許してはくれないだろうと、言い出す前に諦めた次第!

滑り落ちてからでは、もう間に合わない!

「見に行くなと!」言われても、「私なら大丈夫!」と言って、水嵩の増した大雨の河川を見に行って命を落とした後期高齢者は後を絶たない。

くわばら、くわばら!

(つづく)
[2014/08/18 23:48] | 季節のど真ん中 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
養老渓谷の夏(その3)
養老渓谷の夏(その3)

養老渓谷は、千葉県の房総半島を南から北へ向かって‘くねくねと’北上して東京湾へ注ぐ養老川の川上にある渓谷である。

その渓谷で最も有名な場所が、‘粟又の滝(高滝 or 大滝)で、その規模は次の通り・・・。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%BB%9D
地理[編集]
高滝は養老川上流の大多喜町粟又にあり、地名から通称「粟又の滝」河川名から「養老の滝」と呼ばれ、通称である粟又の滝という名称のほうが広く知られている。養老渓谷を代表する名所であり、千葉県随一の名瀑として観光名所となっており、付近は新緑や紅葉の季節には、道幅が狭いこともあわせて例年自動車による大渋滞が起こるほどである。落差約30メートル、幅約30メートル、延長約100メートルで、流れは地面を穏やかになめるように流れる。滝壺付近から下流にある小沢又の滝付近までの約2キロメートルにかけて「粟又の滝自然遊歩道」が整備されている。


そして、2014年08月14日の午後の高滝(粟又の滝)は・・・

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おや?上の画面の真ん中のこの黒い衣服の女性は?

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ひょっとして、あの女優の‘綾瀬はるか’さん?

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http://dc.watch.impress.co.jp/docs/news/20131120_624433.html
この写真は、綾瀬はるかさん!ひょっとして同じ衣装で、養老渓谷へ???

(つづく)
[2014/08/17 21:38] | 季節のど真ん中 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
養老渓谷の夏(その2)
2014年の夏も8月の半ばで真っ盛りである!

関東地方でも房総半島は、内陸に比べて比較的過ごし易いのだが、それでも連日33~35℃が続くとやっぱり何処かへ逃げ出したくなるのは人情である。

たまたま里帰りをしていた次男夫婦が、実はまだ‘養老渓谷’に行ったことがないと言うので、大多喜城にも連れて行ってその足で養老渓谷へ行ってみることにした。

昨日(8/15)の弊ブログでは、その走りを紹介した。
本日は、その第2弾である!

その前に、YouTubeに‘養老渓谷・粟又の滝’の素晴らしい画像があったから、紹介しておきたい。ただし、この動画は‘紅葉時’のものであるが・・・。


http://www.youtube.com/watch?v=RlgSFJepgQ0

この‘YouTube’を見て頂いてから、以下の今回の画像をどうぞ!

見るだけで、少しは涼しくなるかも?

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こんな滝の上にも変な格好の女性達が、一体何をしているの?

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画像ー250 お盆供養と養老渓谷 053-3
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(つづく)
[2014/08/16 19:41] | 季節のど真ん中 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
養老渓谷の夏
‘養老渓谷’は、千葉県房総半島の中を‘くねくね’と流れる養老川沿いの渓谷で、リゾートとしての役割を十分に果たしており、今後の開発が大いに期待されている。

先ずは、養老川の地理と名称について・・・。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A4%8A%E8%80%81%E5%B7%9D
養老川(ようろうがわ)は、千葉県南部を流れる二級河川。養老川水系の本流である。

地理[編集]
千葉県夷隅郡大多喜町大田代の清澄山北東部に位置する麻綿原高原に源を発し、蛇行しながら北上する。高滝(別名、粟又の滝)、弘文洞跡を過ぎ市原市に入り、高滝湖に注ぐ。さらに北に流れ、市原市五井南海岸と市原市五井海岸の境界から東京湾に注ぐ。

名称の由来[編集]
川の名前の「養老」の由来は、一説にひざの裏を表す古語の「膕(よほろ)」という言葉が、屈曲の多い川の様子を表したと言われている。現在の「養老」という字が当てられたのは江戸時代以降で、それ以前は「用路川」や「勇露川」という字が、さらに以前には「与保呂」が当てられていた。


http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/228304/m0u/
よほろ【×膕】 《「よぼろ」とも》ひざの裏側のくぼんだ部分。ひかがみ。


月偏は、月(にくづき)で、体の意味の部分を表すものと思ってもいいはず。
従って、‘膝の裏側のくぼんだ部分’を言い表すのに、月偏を持ってくるのは当たり前。では、何故‘つくり’に國なのだろうか?この調査は別途・・・。

さて、予備知識はこれくらいにして、養老渓谷の今年の夏は?

という訳で、今日、2014年08月14日、自宅から車で約1.5時間の距離にある養老渓谷へ・・・。

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2014年08月14日13:26

「おおっ~と、危ない! こんなところで飛ばすなよ!」

こんな無茶なドライバーもいる!

周りを注意しながら養老渓谷の大滝・粟又の滝へ

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家族連れで大賑わいの養老渓谷!

(つづく)
[2014/08/15 23:43] | 季節のど真ん中 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
盂蘭盆会(うらぼんえ)
今年も‘盂蘭盆会’の時期になった。

こちら、千葉県茂原市へ引っ越して来て以来、ご近所と言っても車で約20分位掛かるのだが、そこのお寺さんにお願いをして、年末年始・春秋の彼岸会・盂蘭盆会の時に自宅へ来て戴くことにしている。

今年も、一昨日(8月12日)に来て頂いた。

この暑い最中、お坊さんも大変である!
移動は、車であるからそれほど大変ではないにしても、お経をあげている間は、‘正座’をしていなければならないから、いくら慣れているとは言いながら、それはそれは大変である。

足の痺れたまま車にも乗れないだろうから・・・。

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2014年08月12日09:01

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木魚は、携帯用であるから、ポクポクと甲高い音がして、ボクボクという大型木魚の深みは無いが・・・。

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この足の組み方をすれば、‘しびれ’は少ないのだろうか?

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この屏風は、約20年前に作った‘六面屏風’で、自分自身のものが2面ある。向かって右が、私の書道の師匠のもので、左が私めの作品である。

お経の途中の文句はほとんど判らないが、前後は‘現代語訳’であげて頂くので判り易い!

不思議なもので、お経の文句は、判らなほど‘有難い’ような気がする。
そして、長いほど、実際は厭なのだが有難い気がするのは何故だろうか?

一般的には、「ほんの一寸の時間しかお経をおげてくれないのよ!」という不満がある。
やっぱりみんな‘長いお経’を期待しているのである!

この日の‘お経の長さ’は、約4分!
この数日は、一日に数十軒お廻りになるそうだから、仕方がない・・・。

(つづく)
[2014/08/14 23:23] | 先祖供養 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top
ぎんのすず
‘ぎんのすず’

東京駅の待ち合わせ場所、‘銀の鈴’で、2014年08月11日に友人と待ち合わせすることになった。

昨日(8月12日)のこの弊ブログでご紹介した通り、‘ぎんのすず’という‘音’を聞くと、昭和23年、私が小学3年生の頃の児童雑誌「ぎんのすず」のことを思い出す。

その雑誌の‘表紙’も‘内容’もすっかり記憶から無くなっているのだが、ネットで調べてみた!

あった、あった!

ぎんのすず69098677-2

http://www.gmo-toku.jp/srch/%E7%B5%B5%E6%9C%AC
%E3%83%BB%E5%85%90%E7%AB%A5%E6%9B%B8%E3%83%BB%E
5%9B%B3%E9%91%91/c17177/kw%E9%80%81%E6%96%99%E7%
84%A1%E6%96%99+%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB%E4%BE%BF/ct60/

教育雑誌 銀の鈴 昭和22年12月3.4年の友 表紙:中島秋峯★(送料無料)
1,500 円
15pt
【読物:一茶さん…文学博士 藤原興一/蛙の文太郎…永井正春/プラットホームの合唱…氏原大作】【愉快な漫画:鈴ちゃんのまんが日記…平井房人】サイズ:25cm×18cm発行日:昭和22…
通販ショップ: 古本販売 BM☆house | カテゴリー: 絵本 (絵本・児童書・図鑑)




ぎんのすず69098719-2

>http://www.gmo-toku.jp/srch/%E7%B5%B5%E6%9C%AC
%E3%83%BB%E5%85%90%E7%AB%A5%E6%9B%B8%E3%83%BB%E
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教育雑誌 銀の鈴 昭和22年12月5.6年の友 表紙:岩本晃★(送料無料)
1,500 円
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通販ショップ: 古本販売 BM☆house | カテゴリー: 絵本 (絵本・児童書・図鑑)


前述の通り、昭和23年、小学3年生の私には、上の引用資料は、‘ピッタリ’と言う訳には行かないが、それぞれの解説 ・註からおおよその内容について、想像がつく。

出来たら後日取り寄せてみたい!
その当時の‘世相’が読み取れるかもしれない!

(つづく)
[2014/08/13 23:20] | 歴史 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
夏休みの東京駅・銀の鈴
台風11号の影響を受けたターミナル駅の混雑振りは、TV画像のニュース時間の数十%を占めていた今日この頃であるが、それほど直接台風の影響を受けなかった東京駅自身は、その混雑とは打って変わって‘夏休み’の大移動の為の大混雑だった!

2014年08月11日、まだ我々はお盆前に一仕事を、という訳で、東京駅の待ち合わせ場所、‘銀の鈴’へ向かった!

‘銀の鈴’へ行く度に、以下のような‘疑問’が湧いてくるのだが・・・。

① 何故待ち合わせの場所の名前が‘銀の鈴’なのか?

② ‘名古屋駅の銀の鈴’との関係は?

③ 大昔の児童雑誌‘ぎんのすず’と関係があるのだろうか?

④ この‘銀の鈴’の作者、当時芸大の学長だった‘宮田亮平’先生は、佐渡のご出身である。佐渡なら‘金の鈴’じゃあないのか?

③の児童雑誌‘ぎんのすず’は、私が多分小学3年生の頃(昭和23年、1948年、今から66年前)に戦後初めて出版された児童雑誌だったと思う。

‘ぎんのすず’という‘音’を聞くとこの雑誌のことを思い出すのである。

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2014年08月11日(月)10:09

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この画像は、少々ピンボケ! 確か今年の春も愛知県在住の或る友人と会う約束で、この‘銀の鈴’へ来た時の画像が残っているはずである!
探してみたら「あった!あった!」

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2014年03月04日08:52

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まだまだ、待ち人は来ない!

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まだまだ、‘銀の鈴’の大混乱はこれからに違いないが、先程の疑問点をこの夏中に解決してみたい!

(つづく)
[2014/08/12 23:25] | 仰天! | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
真夏の日比谷公園(その3):‘触知図’の発見!
真夏の日比谷公園(その3):‘触知図’の発見!

A:「その他に日比谷公園での発見は何かあった?」

B:「ありましぞ!」

A:「なに?何?」

B:「それでは、ここで問題で~す!Q:日比谷公園にお店(販売店)は何軒でしょうか?」

A:「そうね~、小音楽堂のところに1軒と公会堂のそばに1軒と~、だからサ、え~と、合計4件!」

B:「ピンポ~ン!と言いたいところですが、残念ながら‘ブ~’!」

A:「えっ!えっ?」

B:「昔は全部で‘6軒’だったそうですが、只今は、わずか‘2軒’だそうですヨ。日比谷公会堂のそばと第一花壇のそばに」

A:「日比谷公園の‘第一花壇’って、どこ、何処よ?」

B:「内堀通りと日比谷通り角の日比谷交差点にある有楽門から日比谷公園に入ると左手に広がる花壇と言えば判ります?下の図の‘赤い線’の場所!」

日比谷公園第一花壇00hibiyamap
http://blogs.yahoo.co.jp/yawaraka_ya/folder/715859.html?m=lc&p=2

A:「OK、おーけー!判った!」

B:「その第一花壇のそばのお店のご主人に聞いた話だから、間違いなさそう!」

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A:「あ~、この店、ここで‘あのジュース’を買ったという訳?」

B:「そ、そ!‘165円’ね」

A:「それで、第一花壇での‘発見’ってのは?」

B:「‘蝕知図’って、知ってました?」

A:「いいや・・・」

B:「これっ!」

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A:「なるほど、ね!目の悪い方が、‘触って知る図’で、‘蝕知図’ってこと?」

B:「そ、有難い配慮には頭が下がります!でも、でも不思議ですよね!目の悪い方が、どうやって、この‘蝕知図’の存在を知るのでしょうか、ねえ?」

A:「???!」

(つづく)
[2014/08/11 00:04] | 新発見! | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
真夏の日比谷公園(その2)公園を満喫している人達!
真夏の日比谷公園(その2)公園を満喫している人達!

A:「‘大噴水水槽に水がない’以外にまだ‘仰天’することってあった?」

B:「それがあるんですよ!この暑いのに、日比谷公園を自分の庭と思っておられる方達が・・・」

A:「へっ~!何者?その人達?」

B:「インタビューした訳じゃあないんで、素性は判りませんでしたがね。でもスマホで、バッチリ!」

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A:「えっ!この写真の中に、その人達? どこ、どこよ??? 拡大、お願いしま~す!」

B:「へい、へい、ただいま!先ずは、画面中央のベンチの向こうの人!」

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A:「え~!こりゃあ、すげ~!この人、日比谷公園をまさに自分の家と思って、上半身脱いじゃってサ!」

B:「ね、そうでしょう!」

A:「も、もう一人は?」

B:「最初の画面の中央右端!これも拡大すると・・・」

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A:「おや、おやホント! でも通りすがりの人が、たまたま座っているだけじゃあないの?これって」

B:「いや、いやそうでもなさそうなんですよ! お疑いなら、チョットだけ別のアングルから・・・」

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A:「この画面、分かる分かる!画面の右端でしょ!」

B:「そ!一人はね!」

A:「えっ?あの上半身丸出しの奴もこの画面に?」

B:「もち、さあ、何処でしょうか?」

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A:「あ~、ここっ!手拭い被っているって、いいっすね!」

B:「右側の人が、こちら!」

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A:「な~るほど!通りすがり人ならベンチに掛けるよね!それに全財産持って歩いているって感じ!」

B:「そ、そうでしょう!」

A:「ところでサ、あんたは何処に座ったのよ?」

B:「勿論、ベンチに。カバンと脱いだ背広の上着を置いて・・・。それがこの下の写真!」

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A:「あんたの持ち物は判ったけどサ、ベンチの真ん中にサ、どうして‘肘掛’があるのサ?これじゃあ、横になれないじゃん!」

B:「浮浪者の寝泊りをさせないためって、ことらしいですよ?!」

A:「寝泊まりさせたって、いいじゃんよ!」

B:「そうですね!それより、気づきました?」

A:「何に?」

B:「右端の人の‘飲み物’と、私の飲み物とが‘同じかも?って??  それじゃあ、拡大で・・・」

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A:「へ~!同じようだけど、ちょっと違うじゃん! どっちが高いの?」

B:「またまた、そんなこと!」

(つづく)
[2014/08/10 01:35] | 仰天! | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
真夏の日比谷公園(その1)大噴水に水がない!
真夏の日比谷公園(その1)

A:「Bさん、Bさん、‘真夏の日比谷公園’って、何か特別なことでも?」

B:「そうそう、吃驚しましたね!」

A:「何が?」

B:「Aさんもご存知でしょう、日比谷公園の大噴水!あの噴水に今‘水がない’んです!」

A:「えっ!? うっそ~、ほんとに?それって、いつの話?」

B:「昨日(2014年08月07日のこと!」

A:「また、何で?\(◎o◎)/!それに、このクソ暑いのに、あんたまた何で日比谷公園へ?」

B:「日比谷公園へ行ったのは、‘帝国ホテルでの打ち合わせ’のために地下鉄丸ノ内線・霞ヶ関で降りて歩く途中チョットだけ時間があったから・・・」

A:「またまた、強がり言っちゃって!‘帝国ホテルでの打ち合わせ’なんて、その歳で!」

B:「歳にゃあ、関係ないべ?」

A:「えっ?東北弁?それにしても‘帝国ホテルでの打ち合わせ’なんて、チョイ、イカしてるじゃん?内容は?」

B:「そりゃあ、あんた、企業秘密だべ!」

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A:「ありゃ、まあ、ホントだべ!ありゃ、うつっちゃった!でも、噴水水槽の中ってこんなになってんの?」

B:「どうしてかは、今のところ不明ですがね、多分大掃除かも?東京都の水不足も考えられない訳じゃあありませんが、多分循環型でしょうから、そんなに水の量はいらないでしょう!これから日比谷公園の周りの官庁街は、お盆休みに入るでしょうから、その間に、噴水の大掃除を、ってことでしょうね~!」

A:「な~るほど!あんたの言う通りかも?でもこんな様子、あっしも見たことねえ~!珍しかばい、これ!(今度は博多弁?!)」

(つづく)
[2014/08/09 12:28] | ニュース | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
規模の大きな盆踊り大会
規模の大きな盆踊り大会

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http://www.travel-basket.com/tokyo/t1004/post-2667/
築地本願寺で自称「日本一おいしい」盆踊り
築地本願寺(中央区築地3)で今年((2014年)も7月30日~8月2日の4日間、「築地本願寺納涼盆踊り大会」が開催される(た?)。

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http://kmalaysian.exblog.jp/14878345
世界一の盆踊り大会
KL日本人会主催「第34回盆踊り大会」がKL近郊 シャーラムのスポーツセンターで開催されました。動員数は約4万人。
ほとんどが地元マレーシアの人々です。

それに比べて、我が地元(千葉県茂原市千沢地区etc.)の盆踊り大会は・・・・

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でも、「どっちがいい?」と聞かれたら、

「勿論、地元の方がいい!」と答える!

「何故?」

「そりゃぁ、だって地元の人達だもん!みんなの気持ちが、‘一つ’だから!」

こんなものは、規模の大きさではない!こころの問題???

(つづく)
[2014/08/08 00:58] | 仰天! | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
地元の盆踊り大会(その2)
2014年08月04日は、我々が住んでいる千葉県・茂原市千沢地区が属している地元一帯のセンターの広場での‘夏祭り盆踊り大会’である!

その時の様子を

(1) 茂原太鼓
(2) 盆踊り


の二部に分けて認めることにして、昨日(5日)のブログには、(1) 茂原太鼓 の記事を掲載した。

(2) 盆踊り 

茂原太鼓が一応終わって、盆踊りが始まったのは、18:50である!

a) 勿論、ほとんどの人が車でやってくるので膨大な駐車場が必要となり、誘導人が必要となる。

b) 何かのことで火災が発生することもあるとの予測から、‘消防自動車’もやって来ている。

c) 子供の‘ゆかた’のデザインが変わってきた!⇒ 下半身がスカートになっている!

d) やはり、予想通り、輪に入って踊る人が少ない!多分日本一踊り手の少ない盆踊りの輪かも?← これって、ギネスもの?

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こうして、地元の今年の盆踊りは、‘静かに、静かに’終わりに近づいて来た。
10分間の歩きで自宅まで帰って来たが、遠くから、風に乗って聞こえて来る太鼓の音や‘茂原音頭’の音響は、都会では決して体験出来ない昔懐かしい環境・雰囲気だった!

(つづく)
[2014/08/07 00:08] | 田舎暮らし | トラックバック(0) | コメント(1) | page top
地元の盆踊り大会
東北の夏祭りのあの豪壮さ、そして京都の優雅さも、それは、それは、いいものだが、地元の盆踊りもなかなか味があっていいものである!

今年の地元の‘夏祭り・盆踊り大会’は、2014年8月4日(土)だった。

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地元とは、我が家のある千葉県・茂原市千沢地区も一部入る。この盆踊り大会が開かれる場所は、我が家から歩いて約10分の豊岡福祉センター広場である。

この地区へ越して来て20年間、申し訳ないが、実は一度もこの盆踊りには参加したことも見に来たこともなかった!

(1) 茂原太鼓
(2) 盆踊り


の二部に分けて・・・。

(1) 茂原太鼓

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元の馬牧場の跡地を右に見て・・・

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この元馬牧場の囲い樹になっている変な樹が・・・

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こんな一寸変な樹のそばを抜けて、豊岡福祉センターへ着いたのは、18:20だった。

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もう既に、太鼓は始まっていた!実は、家を出た時から、この太鼓の音は、風に乗って聞こえていたのである!

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この太鼓だってそんな安物じゃあなさそうである!

この太鼓が打ち鳴らされた後、いよいよ盆踊りが始まる!

(つづく)
[2014/08/06 01:22] | 田舎暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
日本における磁器の歴史と発展
今、NHKの大河ドラマ・軍師官兵衛では、本能寺の変・山崎の合戦が終わり、いよいよ秀吉が天下人となる段階に来た。
日本の磁器が生まれ、その発展を担ったのは、佐賀県・有田町である。
有田焼が生まれて‘400年’が、再来年(2016年)というから、‘日本の磁器の歴史は、1616年から始まった’ということになる。

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http://morinokajiya1929.cocolog-
nifty.com/blog/2009/07/197-2dbb-1.html

人間国宝・井上萬二の白磁


豊臣秀吉と日本の磁器の歴史とは、密接な関係があることは周知の通りである。
秀吉の朝鮮出兵なくして1616年の磁器生産はなかったに違いない!
世界で一番早い磁器の生産は、勿論中国であり、それは日本に伝わった年より約1,000年も昔だそうだ。

http://www.harmony2.net/13/jk1.html
磁器の焼成では、最古である中国(刑州) より約千年も遅れて、1616年
秀吉の朝鮮出兵(1592~1598)の際に連れ帰った李参平という帰化陶工が、鍋島藩 (現在の佐賀県有田)で焼いたとされています。


ほとんどの日本人が知らないのは、

① 何故秀吉が朝鮮で戦争を起こしたか?
② その規模(送った武士等の数や期間)は一体どのくらい?

‘正しい歴史認識を’と韓国大統領から指摘されたとしても、‘慰安婦問題’のことは別として、朝鮮と日本の関係を任那日本府の時代に遡って正しく客観的に歴史認識をしている日本人がどのくらいいるだろうか?

今、やることがなかったら、その歴史を自分でしっかりと調べ直してみるのもいいかもしれない!

現在の日本の自衛隊員数とは比べ物にならないほど(約10倍?)の武士等を送り込んでいたのである。
当時、日本の‘兵隊要員’の数は、世界最大であった!

文禄・慶長の役を経て、日本が失ったものは?
得たものは?

得たものの一つが、磁器の開発に繋がる‘陶工達’の連行(?)である!

(つづく)
[2014/08/05 00:28] | 伝統文化 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
キリンの睡眠時間!(その2)
キリンの睡眠時間!(その2)

昨日の弊ブログは、いつも通り肝心な処へ行き着かずあらぬ方向へ迷い込んで・・・。

‘キリンの睡眠時間’について、真面目にネットで調べてみた!
どうやら、‘知っている人は知っている’ことのようで、恥しいのだが、睡眠時間が短いのには、それなりの理由があるという!

動物の睡眠時間の長短は、‘草食動物’と‘肉食動物’という分別で説明がつくということのようだから、そんなことも知らなかったことが恥ずかしい!

http://amor1029.exblog.jp/1848030
睡眠時間の長い動物、短い動物の違いとは?

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睡眠時間の長い動物ベスト3

1・・・フタユビナマケモノ(20時間)
2・・・・・・ミズオポッサム(19時間)
2・・・・・・キタオポッサム(19時間)
2・オオチャイロコウモリ(19時間)
3・・・・・・オオアルマジロ(18時間)


キリンa0028694_13391819

睡眠時間の短い動物ベスト3

1・・・・・・・・・・・・・・・・・キリン(20分)
2・・・・・・・・・・・・・・シマウマ(1時間)
3・・・・・・・・・・・アフリカゾウ(3時間)
3・・・・・・・・・・・・・・・・・・ロバ(3時間)
3・・・・・・・・・・・・・・・・ヒツジ(3時間)

一般的に草食動物の睡眠時間は短く、肉食動物の睡眠時間は長い。これは餌に含まれるカロリーに関連している。肉は高タンパク、高カロリーであるが、草は低カロリーなので多量の草を採らなければならないことから採食時間も長くなるという。

飼育され放牧された馬でも睡眠時間の2倍以上の時間を採食に費やしている。また牛は食物を吸収しながら採食し、休息中に反芻し消化している。

さらに、草食動物は肉食動物の捕食の対象となることが多いので、身を守るために絶えず警戒していなければならないことから睡眠は浅く時間も短くなるという。

生物学的にも、睡眠が生存に不利益なある種の動物はほとんど睡眠をしないとの報告がある。就寝中は最も無防備であり、睡眠時間が短いほど生き残る確率も高くなる。そのため、きりんなどは睡眠時間が少なくてもすむように進化してきたと考察されている。


そこで、またまた疑問が生じてくる!

上記の説明には、‘動物’と言っても全ての‘動物’ではない。草食動物・肉食動物、いわゆる‘フツー’の動物の範疇である!

知っても直接的利益は何もないが、

「‘昆虫’の睡眠時間ってどのくらい?」

と、例えば或る小学生から聞かれたって、その答えは知らない!
多分、その質問をする少年は、‘カブトムシ’を手に入れて、夏休みの宿題として‘観察日記’を書こうとしているのかもしれない!
だから、彼にとっては、カブトムシの睡眠時間が重要な課題となっているに違いないと思い始めると、「こりゃあ、浮かうかしてはおれない!」という気分になってきた!

カブトムシf-kabu62
http://mushinavi.com/navi-insect/data-kabuto.htm

(つづく)
[2014/08/04 07:29] | サイエンス | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
キリンの睡眠時間!(その1)
最近TVに流れているCMで、「おやっ?」と思うのは、

 「キリンの睡眠時間が、20分って知っていた?」 

というのがあるのはご存じだと思う。

キリン
http://iskamata.exblog.jp/15596828

このCMを考えついた人のセンスは優れている!
‘CM’の場合、‘美味い!’とか、‘癒される!’とか、‘安い!’とか、‘素晴らしい!’というような表現には慣れきってしまっているから、観る方は‘うんざり’してしまう!

こう言った‘主観的な’ことを直接表現されると、天邪鬼の人間としては、何となく‘反発’したくなるというのも人情というものである!

昔から、‘俳句の世界’では、感動したことを‘直接表現’することは‘ご法度’である。
(勿論、感動は、‘動なる感動’と‘静なる感動’の二つに分けられるというのが、私の持論であり、俳句の感動のほとんどは‘静’の方である!)

有名な俳句には、‘嬉しい’とか、‘楽しい’とかという言葉は全くない!
そこが、‘散文’や‘小説’とは違うところであり、その‘感動’を別の表現で伝えようとする‘技術’が必要なのである!

「荒海や佐渡に横たふ天の河」(芭蕉)

この17文字には、どんな‘感動’が含まれているのだろうか?
私のような浅学の輩には、なかなか解りづらいのだが、次のような解釈をしている人がおられる!

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8321218.html
‘荒海や佐渡に横たふ天の河’の解釈について

こんばんは、夜分に失礼します。他の方々が文法や文脈的な説明を適切にされていますので、僕は少し変わった部分からこの句を眺めてみました。芭蕉の作品と彼が求めて已まなかったものとの関係です。

 僕の理解のポイントは二つあります。先ず『奥の細道』という作品で芭蕉の訪ねた跡を辿ってみると、その旅路はほぼ西行のそれに重なることもわかります。
 こうした事象を前提にしますと「佐渡」という場所。そして芭蕉と西行との関係を問うならば、隠れキーワードとして「後鳥羽院」の存在も頭に浮かびます。ここまでが一点目のポイントです。

 するとこの句の「どこで区切って読むか」によっても違う光景が見えてくるのではなかろうかとの話にもなります。
 「荒海や 佐渡に横たふ天の河」と「荒海や佐渡に横たふ 天の河」を比べた場合、はじめの区切り方での「芭蕉の目線」は荒海に注がれているともとれます。逆に後の区切り方をするならば天の河にあるともとれます。

 今、自ら(芭蕉)が実際に立っているこの場所(出雲先)とその先にあるはずの佐渡島との間には日本海の荒波と波頭が広がっていることで「隔たり」がある。

 と同時に「もし西行がこの地を訪れていたならばどの様な感慨を持っただろうか」と芭蕉は考えたのかもしれません。西行からすれば「歌の世界では同列にあった」としても、慕う相手(後鳥羽院)との間には現実として「身分の隔たり」もあることは確かな現実でもある。

 今、自分(芭蕉)が佇んでいるこの場所は、我が師である西行とその良き理解者でもあった後鳥羽院の流刑の地を空間的にも身分的にも隔てる地でもある。こんな感慨が彼の脳裏にあったのかもしれません。

 そして「隔たり」という言葉に着目してみますと、天の河で隔てられているのは牽牛と織女であり共に惹かれあっていたものの、それは適わぬ仲の代名詞でもあると同時に、互いの思いは変わりもしないことの喩えでもあることを想像させるに十分です。

 こうした目線でこの句を詠んでみますと、後鳥羽院と西行を隔てる日本海の荒波は恰も牽牛と織女を隔てる天の河の様にも見える、と芭蕉は詠じたのではなかろうかと勝手に推察してもいます。

 こうした解釈から、この句は叙景句というよりも、芭蕉が創作活動の原点にしていた古人との邂逅にスタンスがあるのでは?との印象を持っています。参考にならなかったらごめんなさい。


ことほど左様に‘直接的な’表現は、それなりにある程度の素晴らしさを伝えることは出来るが、‘もう一捻り’すれば、もっと効果があることがある。

不動産会社とは何の関係もないと思われる‘キリンの睡眠時間’を持ち出して、「おやっ?」と思わせるこの‘テクニック’!
これは、賞賛に値する!

それは、それとして、実際に‘キリンの睡眠時間は?’ (ここで、‘CM’を!という‘歯痒い’手段は取りたくないのだが!)

(つづく)
[2014/08/03 01:38] | サイエンス | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
宮崎から、嬉しい新米!
2014年08月01日10:53、玄関のチャイムが鳴った!

‘ピンポ~ン!’
「あっ!宅急便だ!」
(蔭の声:何故って?‘ピンポ~ン’だから、‘卓球’便に決まっている!)
やはり、宅急便だった!

それも、昨日も千葉県・茂原市の田圃を散歩した時に、
「この辺がもうこんなに稲穂が垂れているのだから、宮崎じゃあ稲刈りかもね!」
と‘宮崎新米’の噂をしていたのだ。

来た!来た!やって来ましたゾ! ‘きらり宮崎’の新米が!

画像ー248 宮崎の新米・きらり宮崎 036-2

蓋を開けてみると・・・

画像ー248 宮崎の新米・きらり宮崎 039-2
画像ー248 宮崎の新米・きらり宮崎 042-2
画像ー248 宮崎の新米・きらり宮崎 042-3

ここに記載されているのは、「26年産 2014. 7.28」とある。

早速、‘きらり宮崎’をネットで見てみると・・・・

宮崎新米img_0
http://blogs.yahoo.co.jp/miyazakikensanmai/folder/1599870.html?m=lc&p=1
2014/7/28(月)午後5:45 の現地宮崎の画像である!

http://ichiranya.com/technology/002-rice.php
きらり宮崎
「ひとめぼれ」と「コシヒカリ」を掛け合わせた品種のお米で、宮崎県総合農業試験場で育成されました。


台風接近で、空はどんよりとしてはいるが、稲刈りは順調に・・・。
ただし、「2014年08月01日12:00現在:‘台風の影響により収穫作業は中断中、そのため出荷作業も中断しております。’」というコメントがついている。

きっと美味いに違いない!

新米の美味さは、「炊き上がった新米だけを食べて判る!」と‘利き酒’ならぬ‘利きご飯’名人を名乗る自称プロは仰せである。勿論、一口目はそうするのであるが、茶碗一杯をご飯だけという訳には行かない!

私の場合、‘利きご飯’の際に一緒に食すのは、出来るだけシンプルなもの、そう、‘ふりかけ’が最高である!
たくわんはあったのだが、折角の新米である。これに振りかける‘ふりかけ’を車で調達しに行ったのである。約10km離れたスーパーへ!

そこで手に入れたのが、下の写真の‘梅しそちりめん’!

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これが、その‘ふりかけ’!

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ふりかけた! 新米は、‘つやつやと光っている’ではないか!

画像ー248 宮崎の新米・きらり宮崎 046-4

とうとう二杯目も! 三杯目と言いたかったのだが、きつ~い誰かさんの目が怖くて・・・。

20:48、宮崎へお礼の電話を掛けたのは当然である!「来年もお願いしま~す!」と・・・・。

(つづく)
[2014/08/02 00:46] | 仰天! | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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