昨日(2014年10月30日)のこの弊ブログに
『何故‘シラサギ’と‘アオサギ’に拘っているかというと、先日この2種類のサギのツーショットを見てしまったからである! 「おやっ?」とその時思った! 「これじゃあ、ひょっとして、この2種類の‘合いの子’、つまり‘混血’が生まれはしないか?」と感じたからである!』 と書かせて貰ったのだが、そんなことが起こり得るのだろうか? 因みに、場所は、千葉県茂原市の赤目川の直ぐそば・・・。
という明快な回答がある! とろで、私が撮った写真は、スマホだったから‘望遠が利かない!’ 従って、なんとも情けない画像しか得られなかったのだが、お互いが気にしていることが、‘部外者の私’にもはっきりと感じられた! ![]() この画面の中央少し左上に‘豆粒’ほどに写っているのが、それ! それをPCで拡大してみると・・・ ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 上の写真は、およそ16:11頃の時刻。 一方、下の写真は、16:58頃だから47分位後の写真であるから、同じ‘カップル’が移動してきたとも考えられる。 上下の写真の位置関係は、およそ200~300m程度だから、そう思った方がいい!別のカップルとは考えにくい。 ![]() ![]() 向かって左のサギは、写真では‘シラサギ’のようにも見えるが、実際は確かに‘アオサギ’だった! こんな‘ツーショット’と言うべきか‘カップル’と言うべきか、は判らないが、こんな経験は初めてだったが、上記引用の写真にもあるように、そんなに珍しいことでもないらしい! 他人様のかっちりとした上質の写真をど~ぞ! ![]() 出典/http://photozou.jp/photo/show/124201/195843421 ![]() 出典/http://blogs.yahoo.co.jp/hanachainahanachan/33116564.html (つづく) スポンサーサイト
|
ところで、‘アオサギ’は?
![]() http://plaza.rakuten.co.jp/cooloo/diary/201011300000/ ![]() http://plaza.rakuten.co.jp/cooloo/diary/201011300000/ ‘シラサギ(白鷺)’という名前の鳥はいない!の解説は、昨日のこの弊ブログで・・・。 それじゃあ、‘アオサギ’もそう? これは、‘アオサギ’という名前の鳥がいる、ということで・・・。 何故‘シラサギ’と‘アオサギ’に拘っているかというと、先日この2種類のサギのツーショットを見てしまったからである! 「おやっ?」とその時思った! 「これじゃあ、ひょっとして、この2種類の‘合いの子’、つまり‘混血’が生まれはしないか?」と感じたからである! 従って、先ずは‘シラサギ’を調べてみたって言う訳! そうしたら、 「‘シラサギ’という鳥はいない!」という普通の人なら誰でも知っていそうな‘話題?’に直面した! ‘シラサギ’と‘アオサギ’の‘ツーショット’の記事は、後日このブログで・・・。 さて、そんな訳で‘アオサギ’の戸籍調べへ・・・。
という訳で、‘アオサギ’という名前の鳥が存在する! 注目点は以下の二つ! ① 全長88-98cm、翼開張150-170cmもあるのに、何と体重1.2-1.8kg ! ② 漢字表記は、‘青鷺’ではなくて、 ‘蒼鷺’!
(つづく) |
‘白鷺’という名前の鳥はいない?
![]() http://kishimi.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/post_41c3.html 我々素人には、鳥の分類学は判りにくい! 「‘白鷺(しらさぎ)’という名前の鳥はいない!」と言われても「えっ?!」としか言いようがないなだが・・・。
それでは、 ① ダイサギ ② チュウサギ ③ コサギ ④ カラシラサギ ⑤ クロサギの白色型 ⑥ アマサギ とは、どんな鷺? ① ダイサギ
② チュウサギ
③ コサギ
④ カラシラサギ
⑤ クロサギの白色型
⑥ アマサギ
以上、‘Wikipedia’さんにお世話になって、‘シラサギ’の実態を見てみたのであるが、ここで注目すべきは、‘鳥の分類学’である! 少々ややこしそうであるが、この分類方法がわかると、その鳥の‘形態・生態’がよ~く理解出来るのだという! 特に、この‘シラサギ’のそれぞれについては、その‘属’に注目してみると面白い! ① ダイサギ :アオサギ属 ② チュウサギ:アオサギ属 ③ コサギ:シラサギ属 ④ カラシラサギ:シラサギ属 ⑤ クロサギの白色型 :シラサギ属(黒色型もシラサギ属とは面白い) ⑥ アマサギ:アマサギ属 同じ‘シラサギ’の仲間なのに、こうも‘属’が違っているのは、一体どうして? これじゃあ、分類方法を理解しても、その鳥の‘形態・生態’がよ~くは判らないのでは? だから、素人は困る! (つづく) |
その日は、日曜日だったのだが、東京での打ち合わせがあった。打ち合わせが予定より早く終了したので、ここのところの散歩不足を解消するためにも、東京駅から東に向かって歩き始めた!
東京駅付近を出発したのは、2014年10月21日(日)16:18である! およそ一時間で何処まで歩けるかを知っておきたいと思った。 通勤の際の自宅殻の最寄り駅は、このブログにも何度も登場させてもらった千葉県JR外房線・本納駅である。 本納駅は、茂原市なのだが茂原駅より二つ手前である。 せいぜい秋葉原駅まで位行きたいと思って歩き始めたのである! 何処をどう歩いたかは、余り記憶に残ってはいないなだが、兎に角東へ向かって歩いた。 17:03、およそ45分後に‘両国橋’へ出た! ご案内の通り、‘両国橋’は有名だから、説明は要らないとも思われるが、余り確かな情報も持ち合わせてはいない。 ① 両国という、二つの国はどことどこ? ② 両国橋は、いつどんな理由で建設された? ③ 川開きの花火大会はいつから始まった? この質問に、‘即明快に答えられる’御仁は滅多にいないに違いない! ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() この道案内版は、何故か南北が通常の地図の場合と違っている! だから、上が南であり、左方向が東である、墨田区の案内板が全部かどうかは知らないが、大抵‘南北が入れ替わっている! ① 両国という、二つの国はどことどこ? A:
② 両国橋は、いつどんな理由で建設された? A:
③ 川開きの花火大会はいつから始まった? A:
上記解説によると、両国橋が掛けられたのが、1659 or 1661年で、初めて約20発打ち上げの川開き花火大会が行われたのが1733年というから、橋が出来て大掛かりな花火の打ち上げ大会までにおよそ70年以上掛かったことになる! (つづく) |
千葉県JR外房線・本納駅
今年(2014年)の春から17:40以降は無人駅となることになったJR外房線・本納(ほんのう)駅。 茂原市・本納は、知る人ぞ知る有名な場所! あの有名な‘赤穂浪士の討ち入り’の後、‘義士切腹論’を主張した‘荻生徂徠’が一時住んで勉学に勤しんでいた場所なのである! ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 明治30年に開業というから、それはそれは日本においても相当に早い駅である!
荻生徂徠については別途。 (つづく) |
最寄り駅・千葉県外房線・本納駅の変?
‘本納駅の変’であって、‘本能寺の変’ではない! ‘変’と言ったって、そう大騒ぎすることでもないのだが・・・・。 外房線の快速が、京葉線経由で東京まで乗り換えなしで行くことが出来るようになった! 多分、2年前頃からだと思って調べてみると、これが何と2010年12月04日のダイア改正からだそうだから、我々老人の時間的感覚は狂ってきている! さて、その本納駅での‘変’は、二つ! ① ‘ズバコン’の出現! ② コカコーラ瓶の行進! ① ‘ズバコン’の出現! ![]() ![]() ![]() とこで、‘ズバコン’って、何?
こんな片田舎の夜には無人駅になる駅にもこんな素晴らしい‘IT装置’がある。 ズバコンの他にも、何だか判らない‘無線機’?見たいなものもあるのである! ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() そうこうしている間に‘東京駅行き直通快速電車’がやって来た! ② コカコーラ瓶の行進! は、次回! (つづく) |
大多喜お城まつり(その13):いよいよ武者行列の始まりー3!
2014年9月28日の房総半島は、まさに秋晴れの候天気に恵まれ、千葉県夷隅郡大多喜町のお城まつりは、最高の盛り上がりを見せ始めていた! 予定通り、大多喜城の前広場に集結した初代大多喜城城主・本多忠勝公を中心とした武者行列の一行が、予定通り13:30に大多喜城を出発したのである! ![]() ![]() これが、本多忠勝公! 大多喜城の前での記念撮影の時にもそう思っていたのだが、この忠勝公に扮している御仁は一体誰なのだろうか? 最初は、俳優の‘中井貴一’氏が特別出演か?とも思った! ![]() ![]() http://geinou9.com/?p=4292 俳優・中井貴一さん 本多忠勝公は、この武者行列の撮影の際に何度も登場して戴くので、その際の度に、中井貴一さんの写真にも登場願って比較してみたい! ![]() ![]() ![]() ![]() 流石に、本多忠勝公は、後ろ姿も凛々しい! さて、忠勝公の後の馬上には、ドン・ロドリゴ長官公である! ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ドン・ロドリゴ公を見送って、私は今度はメキシコ通りで、武者行列を正面から出迎えるために、登ってきた近道を大急ぎで取って返すことにしたのである! (つづく) |
秋に咲く桜!
秋に咲く桜だからといって、‘秋桜’とは書かない。 ご存知の通り、‘秋桜’は、‘コスモス’である! 秋にも咲く桜は、 ‘四季桜’である。 今日の散歩の際に我が家の近くで‘発見’した! ![]() 2014年10月18日16:19 ![]() お隣に‘柿の木’があって、実をつけているから、‘秋’である! ![]() 空を背景にしないと桜の花が美しく映らない・・・ ![]() ![]() ![]() ![]() ![]()
‘ソメイヨシノ’のような豪華さはないらしいが、それでも満開の時期には素晴らしいという! ![]() http://jafnavi.jp/web/r6/331110435.html 岡山市真庭市神代の四季桜と紅葉 ところで、‘コスモス’は、何故‘秋桜’と書くのだろうか?
(つづく) |
大多喜お城まつり(その11):いよいよ武者行列の始まり!
と言っても、その前に一寸だけ前広場の風景を! まだ、13:30の出発までには、23分ある! 前広場には、準備万端で余裕さえ見せている武者行列の参加者達! 毎年のことだから、そりゃあもう段取りは判っているとでも言うのだろうか? 三頭の馬が準備されているのだが、乗馬するのは次の3人! ① 初代城主・本多忠勝公 ② 2代目城主・本多忠朝公 ③ フィリッピン諸島長官・ドン・ロドリゴ公 この‘ドン・ロドリゴ公’は、スペイン人で、フィリッピン諸島長官(正しくは、臨時総督)当時、次期総督と交代のためマニラからメキシコへ向けての航行中に台風に遭遇、座礁し旗艦が難破、現在の千葉県御宿の海岸に漂着した。それは、2代目城主・本多忠朝公の時代(1609年9月30日)。その後、彼は、忠朝公の紹介で江戸城へ赴き江戸城2代目城主・秀忠公に謁見するとともに駿府へも赴いて大御所・家康公にも謁見した。日本を出発してメキシコへ向かったのは翌年の1610年8月1日だそうだから、10ヶ月間日本に滞在したことになる。 実は、このドン・ロドリゴ公のお陰で、それから数百年も経った後の日本の開国時、メキシコとの通商条約だけが‘不平等条約’にならずに済んだという。
そういう因縁のあるフィリッピン諸島長官・ドン・ロドリゴ公は、やはり武者行列で、‘馬に乗る資格’は十分である! ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() この方が、フィリッピン諸島長官・ドン・ロドリゴ公! 大多喜高校の茶道部も参加して・・・ ![]() お城も満足そうに・・・ ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() さてさて、やっとここからが‘武者行列’の本番である! (つyづく) |
アメリカ発見者はコロンブスではない!?
Q:「アメリカを‘発見’した人は?」 A:「勿論、‘コロンブス’!」 ![]() http://www.cosmos.zaq.jp/t_rex/works/works_7_m.html ![]() http://mankanshoku.blog.jp/archives/1002903234.html この会話って、日本ではフツーのやり取りである。 まあ、簡単に言えば、日本人は、「アメリカを誰が発見しようと我々には関係ない!」という問題意識の低さから来るやり取りなのかも知れない! そりゃあ、誰がアメリカを発見しようと現在日本・日本人に無関係だと言われれば、それはそうかもしれない! しかし、「誰がアメリカを発見したか?」という問題を少し時間を掛けて掘り下げてみると意外な‘副産物’を確保出来る! ‘コロンブス’ってどんな人か?を調査すると、少なくとも以下の項目に出くわすことになる。 ① ご本人の生い立ちと家族との関係におけるその時代背景と関わりは? ② 何故、コロンブスが、‘西回りの航海’に命を懸けたのか? ③ 何故コロンブスに大金を出して航海をさせたのか? ④ 一体何故、コロンブスが‘インディアン’に対して略奪と殺戮を繰り返し、奴隷商人になったのか? ⑤ ヨーロッパ人の‘奴隷制度’に関する‘感覚’とは? ⑥ 現在に至るまで、何故コロンブスの‘評価’が大きく分かれているのか? ⑦ 一体コロンブス自身は‘幸福な人生’を送ったのだろうか? 等々のことが‘じんわりと’判ってくると‘人間社会のあり方’とは一体何なのだろうか?をもう一度改めて考え直すきっかけになるに違いない! そんなこんなで、‘偉人伝’を追求すると、‘コロンブス’だけでなく、‘エジソン’だって、‘ノーベル’だって、‘ソクラテス’だって、その時代背景とともに必死に生きた人間の本質が見えてくる! さて、コロンブスとはどんな人だったのだろうか?
‘Wikipedia’にも‘コロンブス’の紹介には、‘アメリカ大陸発見者’という表現はない!
![]() http://blogs.yahoo.co.jp/futoritaimon/63148247.html 1492年、イタリアジュノヴァ出身のクリストファ・コロンブスはスペイン王室の援助を受け、絹、香辛料、宝石、染料など極東との貿易のための航路発見の航海を開始した。コロンブスは西回りで航海しても極東に到着できるだろうと考え、航海を続け、10月12日、遂に、到達した。コロンブスはこの地域は極東のインド大陸に所属する島であり、インド大陸への新航路を発見したと信じていた。 1504年までの12年間、4回の航海によって、この地をインド大陸と思ったまま、島々を探検して、遭遇した先住民をインディアンと間違った名前を付けしまった。 しかし、これらの島々はまったく新しい大陸の一部であり、後にアメリカ大陸と呼ばれるようになる新世界の大発見だった。コロンブスが1492年10月12日に到着した島は後にインド諸島と区別するため付けられた西インド諸島に並ぶバハマ諸島の一つでキューバに近い、サン・サルヴァドル島だった。そして、計4回の航海によって、後にキューバやハイチやドミニカやホンジュラスやパナマと呼ばれるようになる島や地域を発見した。 コロンブスの新航路発見の情報がヨーロッパに伝えられると冒険家や探検家は冨と栄光を求め、競って新航路発見の航海に乗り出した。 (つづく) |
‘コロンブス’と聞くと大抵の日本人は、1492年にアメリカを発見した大冒険家であると認識している!
そして、この‘1492年’の覚え方は、「いよ~国が見える!」であることも一般的である! ![]() http://www.cosmos.zaq.jp/t_rex/works/works_7_m.html もう少しコロンブスについての本を読んだり、何かのついでにコロンブスのことを自分で調べたり話を聞いたりして、一寸だけ彼についての知識のある人は、 「大変意思の強い人物で、アメリカ(インド or &ジパングへと彼は思っていた)へ向かっている最中、部下の執拗な‘引き返し要求’にも頑として自分の意思を曲げなかった素晴らしい人物であり、‘コロンブスの卵’に象徴される通り、他人を説得する能力を兼ね備えていた人物!」 と高く評価する。 しかし、もっともっとコロンブスを研究した人達の評価は、また違ったものであるらしい! ‘奴隷商人’であることは、専門家でなくても知るところである! また、‘アメリカ発見はコロンブス!’と思っているし、そう大勢の人達は信じてきたが、では何故、‘アメリカ’が‘コロンバス’ではないのか?何故、‘アメリゴ・ヴェスプッチ’の人名から名づけられた‘アメリカ’なのか? この話は勿論有名なのだが、この関連いついては後日このブログでも改めて取り上げてみたい。 さて、何で今日のブログの話題が‘コロンブス’かというと、昨日のこのブログでご紹介したとおり、私は日曜日の17:30には必ず「笑点」を見ることにしている。 ![]() http://tenuguijapan.jugem.jp/?eid=80 2014年10月12日、この「笑点」の‘大喜利’の第3問目に 「山田君、例のものを皆さんに配って下さい!」と司会の‘歌丸’師匠が言う! 「さて、10月12日は、‘コロンブスがアメリカを発見した日だ’ということで・・・云々」と師匠の前置き・・・、おやおや問題作りの人達も大変だな~!と思った次第! という訳で、‘コロンブスデー’を調べてみた! 世界中で、特にアメリカではさぞ盛大に‘お祭り’が開かれているだろうと思ったが、どっこい!そんな生易しい状況ではなさそうであることを知らされた! 人を疑うことを余りしない日本人は、国家の成り立ちからして‘平和ボケ’の資質を持っている! 実は、この資質こそ日本人が‘技術立国’として国を盛り上げる原動力になっているのだが・・。この関連も後日・・・。 実際の‘コロンブスデー’とは以下のものであるらしい! 平和ボケ日本人も、これくらいのことは知っていた方が良いと思った次第!
10月12日のコロンブスデーにむけての抗議ポスター ![]() http://native.way-nifty.com/native_heart/native_time/ お尋ね者 クリストファー・コロンブス 重窃盗罪 大量虐殺 人種差別 先住民族への強姦、拷問、身体的破損、文化破壊に着手した 大嘘つきの扇動者 500年続く 手前勝手な集団観光事業 事ほど左様に、コロンブスにもコロンブスデーについての‘評価’についても、色々な主張がある! 上記の通り、‘コロンブスがアメリカを発見した!’と、我々一般人が思っていることって、本当なのだろうか? (つづく) |
2014年10月12日(日)、ひょっとすると明日夕方、関東地方に大型台風19号がやって来るかも知れないので、2,3日は散歩が出来ないに違いないから今日のうちに散歩に出かけようということになった!
我が家の日曜日の夕方のTV番組は決まっている! ① 17:30~ 「笑点」 ② 18:00~ 「軍師 官兵衛」 ③ 18:45~ 「大岡越前」 ④ 19:30~ 「BS日本のうた」 17:30迄には帰って来たい! そんな訳で、16:10出発! よ~く考えてみれば、もう10月の中旬、千葉県茂原市でも朝夕は気温がずっと下がって来た! 毎年のことであるが、今年も刈り入れが終わった田圃には、今年も‘ひこばえ’が、すくすくと育っている。 我々の散歩道は、ほとんど田圃の見える道か、田圃の中の道である。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ‘ひこばえ’とは、この弊ブログでも何度も紹介したのだが・・・
今年も千葉県では、もうこんなに‘ひこばえ(蘖)’が大きくなって、‘実’までつけている。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() もうイチョウの樹も黄色が多くなってきた! 家に帰ってきたのは、17:24! 1時間14分、7,746歩の散歩だった! (つづく) |
大多喜お城まつり(その9):大多喜城前広場での行列準備状況ー3
ここは、千葉県夷隅郡大多喜町、大多喜城の前広場である! 今正に、大多喜町挙げての‘お城まつり’の中でも最大のイベント‘初代大多喜城主・本多忠勝公の武者行列’が始まろうとしているその最中、前広場の東側で、‘鉄砲の発砲音’5,6発の音が大きく反響した! 我々は、この千葉県は外房の街に引っ越してきて、先ずは太平洋の美しさ・勇壮さに驚いて、いい土地へ来た!と感激をしたものである! その時に私が創った‘キャッチコピー’が、 「 遊ぼう! 外房! 皆呼ぼう!」 というものだった! それから、房総半島の内陸部に入って、また驚いた! その一つが‘大多喜城’である。 これだけ、お城を中心に住民の皆さんが町興しに一生懸命になっておられる城下町も少ないに違いない! それは、町並みを歩いてみるとよ~く判る! その一番いい例が、この‘お城まつり’の際なのである! まあ、その検証の結果は、おいおい判るとして、話の続きは、本多忠勝公行列の準備状況・・・。 その前に、お城の屋根瓦の家紋の検証・・・。 ![]() ![]() ![]() ![]() 初代城主・本多忠勝の家紋は、徳川家康の家紋・三つ葉葵と取替えっこをしたという‘立ち葵’であることは知られている。 しかし、上の写真にある家紋は‘立ち葵’とは違っている! 実は、この家紋は、大多喜城最後の城主・松平家の家紋の‘三つ扇’である。 因みに、‘立ち葵’は、下の画像。 ![]() http://kamon-db.net/portfolio/marunitachiaoi 勿論お気づきの通り、大多喜城の瓦にはこの‘立ち葵’の家紋もある。 ![]() http://blog.livedoor.jp/achtecrf38/archives/2041037.html 大多喜城の瓦の家紋の話はこのくらいにして、‘鉄砲のずっど~ん’の音について・・・ ![]() 鉄砲の音がした時の、行列の出発を待っていた人達の表情!「あれっ!なに!?」 この時の時刻:2014年9月28日13:00ジャスト! 私は、鉄砲の音がした大多喜城の東の方へ走った! (つづく) |
‘いすみ鉄道’は、第三セクター方式の鉄道である!
勿論、経営は苦しい! 従って、‘Suica’を使えるようにしたいのだが、その設備を設置する余裕はない! それで良いではないか! 何となく味気のない‘Suica’での自動改札よりも、こうやって‘切符’を買っての乗車は、何となく‘のんびり’とした雰囲気があって‘ホッとする’一瞬である! ![]() ![]() この券売機を、よ~く見ると、大原から大多喜往復の場合、‘1日フリー乗車券’の方がお得であることが判る! 30円×2=60円が安くなる、という訳である。 ![]() という訳で購入したのが、この‘1日フリー乗車券’、1000円也である。 さて、そんな訳でホームに入ると、やっと‘ムーミン列車’のご到着である!
![]() ![]() ![]() ![]() え~と、このキャラクターは、え~っと、そうそう‘スナフキン’! ![]() ![]() 1両列車で、この乗客! 大多喜のお城まつりの日で、しかも一番の時間帯というのに、これじゃあ何とかしなければ、第三セクターの経営は難しくなるばかり・・・。 ![]() ![]() ![]() このキャラクターは、‘フローレンとムーミン’! 中吊り広告がいい! ![]() ![]() ![]() ![]() 列車は、田園の中を‘ゆっくり、ゆっくり’と走る!都会の喧騒はどこへ行ったやら!という風景・・・。これだけでも乗った甲斐がある! ![]() 少しずつ乗客も増えてきた! ![]() ![]() やっと、やっと‘大多喜城’が見えてきた! ![]() もう直ぐ大多喜駅である。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 大多喜駅のホームで出迎えてくれたのは、何と‘本多忠勝公’である! ![]() これが、大多喜駅である! さあ、これから大多喜城へ・・・! (つづく) |
‘いすみ鉄道’は、全国的に有名になっている!
![]() ![]() ![]() http://cappuccino4623.blog93.fc2.com/category40-1.html この第三セクター方式の鉄道会社が何故有名になったのか? その理由は、3つある。 ① 有償で運転手さんを採用する! ② ムーミンのキャラクターを採用している! ③ 高級食事メニューを出す車両を連結させている! そして、地元の人達が応援して、鉄道線路の周りの草刈を手伝っているのである。 このボランティア精神が生まれたのには,この場所・ここの環境・ここに住む人達の心意気が一致したと言う稀に見る特例なのだろう!
さあ、このいすみ鉄道で、大原駅から大多喜駅へ出発! (つづく) |
| ホーム |
|