2017年01月期のサブジャンルのランキング
2017年01月期のサブジャンルのランキング

「2017年もあと11ヶ月を残すばかりとなりまして・・・」
これは、落語家のご挨拶!

FC2のブログでは、毎日毎日ランキングを発表してくれる!
これが、「順位なんて、俺には関係ねぇっ!」と公言している御仁が、意外にも‘向上心’を掻き立てているそうだから、‘本音と建前’ってのは、他人様には判り難い!

そんな訳で、今年2017年1月のジャンル(創作日記)のランキングをまとめてみた!
1月の平均順位は、‘7位’!これは、昨年(2016年)の12月と同じ・・・。

1月の最終日の今日(2017年1月31日)のランニングは、‘だうだう’の6位である!

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2017年01月期のサブジャンルでの順位と月平均順位0001-3
2017年01月期のサブジャンルでの順位と月平均順位0001-2

さ~て、2月は一体何位に???

(つづく)
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[2017/01/31 22:31] | 統計処理 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
スマホで、オリオン座の‘ベテルギウス’を撮る!
スマホで、オリオン座の‘ベテルギウス’を撮る!

冬の夜空は、美しい!

何せ、空気が澄んでいるからである!
特に、都会の‘灯り’から、遠く離れた‘陸の孤島’に近い我が家、つまり、房総半島・千葉県・茂原市・千沢地区の夜空は、格別である!

この場所に、家を建てようと決心した条件の中にも‘夜空が美しいから’と言うのも入っていた!
此処では、地域開発がなされないから、夜空は、20年前と変わりが無い!
勿論、‘天の川’は、少し目が慣れてくると見える!

さて、そんな訳で、大胆にも‘スマホ’の‘一瞬押し’で、オリオン座を撮ってみようと思い立ったのである!
近頃のスマホの性能は‘素晴らしい’!私の安物でも‘一千万画素’である!

その画像、まだPC処理をしない画像が、これである!

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これをPC処理すると、何と、少しは‘手ぶれ’はあるものの、‘オリオン座’が撮れているではないか!

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ベテルギウス・こちらが本物!
撮影時刻:2017年1月27日21:04

この赤い が、既に‘大爆発’を起こしてしまっている可能性の強い、あの‘ベテルギウス’である!

オリオン座は・・・・

ori01.jpg
出典/http://www.asahi-net.or.jp/~gg6h-skri/guide/ori.html

αが、‘ベテルギウス’である!

オリオン座が観測出来るのは、次の時である!

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出典/http://annana.info/archives/142

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%86%E3
%83%AB%E3%82%AE%E3%82%A6%E3%82%B9

ベテルギウス(Betelgeuse)は、オリオン座α星、オリオン座の恒星で全天21の1等星の1つ。おおいぬ座のシリウス、こいぬ座のプロキオンともに、冬の大三角を形成している。

250px-Orion_constellation_map.png

概要[編集]
M型の赤色超巨星。また、変光星でもあり、星自体の形状が変化する脈動変光星、中でも半規則的に変光するSRC型に分類されている[5][8][9]。これらの特徴から主系列星を終えた進化段階にあると考えられている。 星座中最も明るいとされるバイエル符号αが付けられているが、極大期を除いてβ星のリゲルより暗い[注 3]。

特徴[編集]

距離[編集]
2008年になり、定説となっていた約427光年という推定距離が大幅に改められ約642光年となった[6]。

変光[編集]
ベテルギウスの変光は、イギリスが当時植民地だった南アフリカに設置した天文台で、1836年にジョン・ハーシェルによって発見された[12]。天文台での観測は航海に役立てるためのものであり、ハーシェルは星の明るさを測定していたところ、ペテルギウスの変光に気が付いたのである。2016年現在の変光範囲は0.0等 - 1.3等となっている[5][8][9]。肉眼で観測できる数少ない変光星の一つであり、北半球における冬(南半球では夏)の半規則型変光星の中では、最もはっきりとした変光を示す。北半球における冬(南半球では夏)に見える半規則型変光星には、他にオリオン座W星[注 4]やうさぎ座RX星[注 5]、いっかくじゅう座V523星[注 6]などがあるが[注 7]、3個ともベテルギウスほど明確な光度変化は見られない。

直径[編集]
ベテルギウスを太陽系の中心に置いたとすると、火星軌道を大きく超え、木星軌道の近くまで達する[16]。また、ベテルギウスは地球からの見かけの大きさ(視直径)が太陽を除いて全天で最も大きい恒星である。

1920年にアルバート・マイケルソンとフランシス・ピーズはウィルソン山天文台の2.5m反射望遠鏡に干渉計を取り付け、その視直径が約0.047秒であることを見出した。これは、400km離れた所に置いた野球ボールと同程度である。1970年代にアントニー・ラベイリはスペックル干渉法によって、ベテルギウスの実際の星像を得ることに成功している。

1995年にはハッブル宇宙望遠鏡により、太陽以外の恒星では初めて(干渉法を用いないという意味で)直接その姿が撮影された[17]。

超新星爆発の予兆観測[編集]
ベテルギウスが主系列星の段階に入ったのは約1000万年前と推定されているが、質量の大きな恒星ほど核融合反応が激しく進行するため短命な一生となる。ベテルギウスの質量は太陽の約20倍もあり、かつ脈動変光するほど赤色超巨星として不安定であることから、地球周辺でII型超新星爆発を起こすであろう赤色超巨星の一つに挙げられている。

2009年の観測では、15年前の測定時と比べて15%も小さくなっており、しかも加速的に収縮しているらしいことがわかった[18]。また2010年1月のNASAの観測で、ベテルギウスが変形している事が示された。これは、ガスが恒星表面から流出し表面温度が不均一になるなど、星自体が不安定な状態にあることを意味し[16]、さらに近年の観測や研究により、その形状は球形ではなく、大きな瘤状のものをもった形状であるとされている。

しかしながら、これらの観測結果が直ちにベテルギウスの超新星爆発の前兆現象を示しているかは定かではない。

超新星爆発の地球への影響の予測[編集]
ベテルギウスが超新星爆発をする際には地球にも何らかの影響を及ぼすであろうと言われていた。これは、ガンマ線により、オゾン層が傷つき穴が空くか消滅し、地球および生命体へ有害な宇宙線が多量に降り注ぐとされているからである[注 8]。

しかし近年の研究により、超新星爆発の際のガンマ線放出については、恒星の自転軸から2°の範囲で指向性があることがわかっている。実際、NASAのハッブル宇宙望遠鏡でベテルギウスの自転が観測され、その結果ベテルギウスの自転軸は地球から20°ずれており、ガンマ線バーストが直撃する心配は無いとされた。ただし、超新星爆発時のかなり大きな質量変動とそれに伴う自転軸の変化が予想できないこと、ガンマ線放出指向性の理論的・実験的な根拠がはっきりしないことから、直撃の可能性について確実なことは知られていない。

超新星爆発した際の明るさについては、SN 1054と同規模の爆発と仮定すると、地球からベテルギウスまでの距離は、かに星雲までの距離のほぼ1⁄10であるため明るさは100倍程度と概算できる。SN 1054は-6等級以上の明るさだったと推定されるので、100倍だと-11等級を超える明るさとなる。これは半月よりも明るく、数日間は昼でも小さい点として輝いて見える。ある予測では、4か月ほど明るさを維持したまま青白色から赤色へ色が変化し、その後急速に減光して4年後には肉眼でも見えなくなるであろうという。

爆発後はブラックホールにはならず、中性子星となると考えられている[19]。


さて、さて、‘ベテルギウス’は、今現在本当はどうなっているのだろうか?

光の速さで、およそ‘642年’も遠いところにあるのだから、今現在の状況を観測出来ないなんて・・・・!

(つづく)
[2017/01/30 23:53] | 技術の進歩 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
やっぱり、車のナンバー!
やっぱり、車のナンバー!

「やっぱり、車のナンバーってさ、例の?」
「そっ!そうなんですよっ!」

「それで、今日のは?」
「凄いですよっ~!」

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この前後の車の後ろの・・・

この車

「この後ろの⇒の車のナンバーが、きっと、『へ・・ ・8』ではないかと・・・?」
「そりゃあ、ひょっとして・・???」

「それに、もう一つ?」
「そっ!そうなんで・・・」

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「この車で、なに?」
「語呂合わせっ!」

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「ほ、ほ~っ!‘ご苦労さん’、ですかっ!」
「珍しいでしょっ!」

(つづく)

[2017/01/29 22:54] | 仰天! | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
東京・上野公園は、今!(その4):豊翠先生作品出品の展覧会<②>
東京・上野公園は、今!(その4):豊翠先生作品出品の展覧会<②>

さあさあ、お待たせしました!
武藤豊翠先生の出品作品です!
展示されている‘場所(順番場所)’には、キット意味があるのだろうから、出来るだけそれに沿って掲載しようと思ったが・・・。

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どの文字一つ取っても素晴らしいのであるが、この上の中で、私の好みから言わせていただけるなら・・

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この文字の旁(つくり)が何とも言えないほど素晴らしい!
この事は、会場で、豊翠先生にも申し上げた!

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そして、そして、上の二文字、‘雪飛’の‘連綿’が堪らない!

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さて、この上の書こそ、豊翠先生が一番力を入れられた書である(と思う)!
その証拠(?)に、帰る際に、先生から、この文字の色紙を頂戴したのである!

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これは、我が家の宝である!

20170126 豊翠先生色紙 003-2
20170126 豊翠先生色紙 003-3

また、また、次の仮名文字も素晴らしい!

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‘月能(の)光’、いいじゃあないですか!特に‘光’の文字が‘神々しい’!

豊翠先生、申し訳ございません!勝手なことを言いまして・・・。
今後とも益々お元気でご指導方よろしくお願い致しま~す!

(つづく)
[2017/01/28 23:54] | 芸術 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
東京・上野公園は、今!(その3):豊翠先生作品出品の展覧会<①>
東京・上野公園は、今!(その3):豊翠先生作品出品の展覧会<①>

昨年(2016年)の暮れも押し迫った或る日、日頃尊敬している‘武藤豊翠’先生から、ご案内状が届いた!
例年行っておられる‘国際書画交流会 展覧会’~書道と水墨画・油絵・写真のコラボレーション~に関するご案内状である。

武藤豊翠先生御案内状-2
武藤豊翠先生御案内状0001-2

武藤 豊(号:豊翠)先生は、早大OB書道会代表をされておられ、東久留米稲門会書道部でお年寄りから小さな子供さんまで、日本の伝統文化である‘書道の本質’を説かれ実践指導しておられるのである!御歳、なんと80歳近く!

その日(2017年1月6日)は、東京でも初氷が張るほどの寒さだったが、上野公園は、やはり賑わっていた!

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会場の東京都美術館の敷地内に入ると、直ぐに有名な‘My Sky Hole’がある!

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この真ん中のは私自身の‘鏡像’がある!
拡大すると・・・、

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この画像の真ん中にいるのが、‘私’である!
この芸術品の足元には、作者のネームプレートがある!

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さて、エスカレーターで地下へ降りると、東京都美術館の入り口である!

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会場は、2階の第1展示室だという!
わくわくしながら会場に着くと、豊翠先生は、既に会場に来ておられた!

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先ず、先生と‘記念撮影’!

(つづく)
[2017/01/27 18:22] | 芸術 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
東京・上野公園は、今!(その2):西郷隆盛銅像・敬天愛人の碑
東京・上野公園は、今!(その2):西郷隆盛銅像・敬天愛人の碑

今月最終日(2017年1月31日)に九州・鹿児島県に関係する人達が、東京・渋谷の某ホテルの集結して‘人的連携’の確認・拡大の会を開くことになっている!

当然話題になるのが、今でも‘せごどん’、つまり‘西郷隆盛’のことである!
それなりに‘せごどん’はまだまだ生きているのである!
その証拠に、2018年のNHK大河ドラマ‘西郷’(せご)どん’が‘鈴木亮平さん’主役で放映されることに決まっている!

さて、この‘せごどん’のもっとも有名な扁額の言葉・文字が、‘敬天愛人’なのである!
ず~と以前にもこの弊ブログでもご紹介したが、私の出身高校、福岡県立・鞍手高校にも、この‘敬天愛人’の扁額があった!

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出典/http://ustinaba.blog120.fc2.com/blog-entry-527.html

多分この扁額の文字に似ていたと思う!
現在の鞍手高校のHPを開いてみたが、この扁額についての記載は無い!

さて、上野公園の西郷さんの銅像の横に、敬天愛人に関する‘碑’が建っている。

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http://members2.jcom.home.ne.jp/mgrmhosw/keitennaijin.htm
西郷隆盛書「敬天愛人」の典拠

  『南洲遺訓』

 西郷隆盛は一八七五年(明治八)ころ、訪れる客の求めに応じてしばしば「敬天愛人」という四字成句を揮毫した。諸橋轍次氏編『大漢和辞典』は、この四字成句を「西郷南洲の語」とし、『南洲遺訓』の一節を引いている。

「道は天地自然のものなれば、講学の道は敬天愛人を目的とし、身を修するに克己を以て終始す可し」

 『南洲遺訓』は旧庄内藩の藩士たちがしばしば鹿児島の西郷のもとを訪れて座談したさいの記録であり、最終的には一八七四年(明治七)に訪問した赤沢経言が筆録し、一八七五年(明治八)に訪問した菅実秀の校閲で、西郷死後に公刊されたものである。【補注1】

 西郷隆盛揮毫の「敬天愛人」の書は、現在一〇幅残っているが、一八七五年以後の揮毫とされている。したがって西郷隆盛がこの四字成句を思いつくのは、それ程以前のことではないであろう。

  中村敬宇訳述『西国立志編』

 井田好治氏・沢田鈴歳氏・増村宏氏ら鹿児島在住の方々の研究によれば、「敬天愛人」の直接の典拠は、サミュエル・スマイルズ著・中村正直(敬宇)訳述『西国立志編』(原書は『Self-Help(自助論)』)である。同書は一八七一年(明治四)刊行されているが、訳者「緒論」に、国会議員たる者は「必ず学明らかに、行い修まれるの人なり、敬天愛人の心ある者なり、己に克ち、独りを慎しむ工夫ある者なり」という一節があり、また「西国古今儁傑の伝記を読み、その皆自主自立の志あり、艱難辛苦の行ないあり、敬天愛人の誠意に原づき、もってよく世を済い、民を利するの大業を起こし云々」と述べている。

  中村敬宇著『敬天愛人説』

 実は中村敬宇には、これより以前に『敬天愛人説』と題する著作がある。敬宇は昌平黌で儒学を学ぶ一方で、蘭学・英学を学び、一八六六年(慶応二)イギリスへの留学生派遣にさいし、監督として引率し、一八六八年(慶応四)戊辰戦争のさなかの六月帰国した。

 帰国するやかれはすぐに駿府に移った。前将軍徳川家の駿府移住に従ったのである。駿府はまもなく静岡と改称され、静岡藩となる。

 敬宇は駿府に移ってすぐ『敬天愛人説』を執筆した。これは全文「敬天愛人」の説明であるが、たとえば「何をか愛人という、曰く、天を敬するがゆえに人を愛す。わが同胞を愛するは、わが父を敬するによる。」というくだりがあるが、この父は肉親ではなく「天上の父」つまりキリスト教の父なのである。【補注2】

 出典は新約聖書のマタイ伝の一節である。これは出典を問い合せた静岡藩権大参事大久保一翁(忠寛)の礼状によっても確かめられる。【補注3】
 敬宇はこれを中国伝統思想の「天」=上帝と重ねあわせて理解しようとしたようである。敬宇の号自体「敬天」と同義であろう。

  康煕帝書「敬天愛人」

 さて「天上之父」=キリスト教の神は、もともと日本では「天主」と呼ばれてきた。ただし近世にはキリスト教が禁圧されていたから、「天主」観念の発展は不明である。

 しかし中国では「天」と「天主」をめぐる思想的格闘があった。一八世紀初頭の典礼論争である。

 一六七一年(康煕十)清の康煕帝が「敬天愛人」という扁額を書いて、キリスト教会に与えたことがある。これが後年問題を生じた。

 儒教の「天」は上帝であり、キリスト教の「天主」と同じとする折衷的な解釈で孔子や祖先への伝統的行事への参加を黙認するか、それとも中国の「天」は宇宙に広がる空間・自然であって、神ではないとし、孔子崇拝や祖先への伝統的行事への参加や、「天」「上帝」の用語の使用を禁止するかの対立である。結局ローマ教皇は後者の解釈を支持したから、康煕帝はこれに激怒し、前者の解釈に従うもののみ許容することとし、のち雍正帝はキリスト教を全面的に禁止している。「天」をどう理解するかは、中国文化圏におけるキリスト教のあり方にかかわる重大問題であったのである。

  「ワシントン殿」への敬意

 以上の研究で西郷隆盛の「敬天愛人」が、中国の儒教の教典から直接発想されたのではなく、儒教的教養を土台としつつも、幕末・維新期の西洋文明とキリスト教理解から抽出された観念を受容することによって生まれたことが明らかになった。

 日頃「ワシントン殿」(アメリカ初代大統領)への尊敬を口にしていた西郷隆盛は、『西国立志伝』全体をつらぬく精神として、この四字成句を受け留めたのであろう。のちにキリスト教徒内村鑑三が「代表的日本人」のなかで西郷をとりあげ、「敬天愛人」を西郷の根本精神としたのも頷ける。

今や西郷隆盛を道学者的イメージから解放する必要があるのではなかろうか。【補注4】



1)高橋昌郎,中村敬宇,吉川弘文館,1966,

2)沢田鈴蔵・増村宏,中村正直の敬天愛人,鹿児島大学法文学部史学地理学教室,鹿大史学,19号,1972,

3)増村宏,西郷隆盛の思想について,鹿児島大学法文学部文学科論集,7号,1972,

4)井田好治,敬天愛人の系譜 南洲と敬宇と康熙帝,明治村通信,155号,1983,転載:西郷南洲顕彰会,敬天愛人,2号,1984,

5)大久保利謙,幕末維新の洋学,大久保利謙著作集,第5巻,吉川弘文館,1986,


(つづく)
[2017/01/25 23:55] | 歴史 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
東京・上野公園は、今!(その1):上野公園・西郷隆盛銅像・碑文
東京・上野公園は、今!(その1):上野公園・西郷隆盛銅像・碑文

一昨日(2017年1月20日)、久し振りに東京・上野公園を訪ねてみた!
上野公園と言えば、我々のような‘老いぼれの九州人’は、‘せごどん’、つまり‘西郷隆盛’の銅像を一番に見たいと思うのである!

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http://tanaka0903.net/?p=1427

<碑文>(たてよこ変換)

西郷隆盛君之偉功在
人耳目不須復賛述前
年 勅特追贈正三位
 天恩優渥衆莫不感
激故吉井友實輿同志
謀鑄銅像以表追慕之
情 朝旨賜金佽費捐
資賛此擧者二萬五千
餘人明治二十六年起
工至三十年而竣乃建
之上野山王臺記事由
以傅後

西郷隆盛君の偉功については皆さんご存じでしょうから、改めて讃え述べることもないでしょう。前年、勅によって特別に正三位を追贈され、天恩が手厚いことに皆感激しないことはありませんでした。故に、吉井友実は同志とともに銅像を鋳造し、追慕の情を表すことを計画しました。朝廷から金銭を賜り費用に充てよとのご意向があって、この挙に賛同し義捐金を拠出した者が二万五千人余りあり、明治二十六年に起工し、明治三十年に至って竣工し、これを上野山王台に建てて事由を記し、以て後世に伝えます。


除幕式の時の‘エピソード’は有名であるが、この西郷隆盛の銅像が、あの‘高村光雲’作というから少々驚きである!

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%83%B7%E9%9
A%86%E7%9B%9B%E5%83%8F

<東京・上野の西郷銅像>

東京都台東区上野の上野公園に建っている西郷像は高村光雲の作(傍らの犬「ツン」は後藤貞行作)、鋳造は岡崎雪聲。1889年(明治22年)大日本帝国憲法発布に伴う大赦によって西郷の「逆徒」の汚名が解かれたのをきっかけに、吉井友実ら薩摩藩出身者が中心となって建設計画が始まった。

宮内省より500円を下賜され、さらに全国2万5千人余の有志の寄付金で建立された。除幕式は、西郷の死後21年を経た、1898年(明治31年)12月18日に行われた。

身長:370.1cm、胸囲:256.7cm、足:55.1cm。正面から写した写真では頭部が大きく見えるが、これは像の足元から見上げた場合、遠近法で適正に見えるよう計算されているためで、実際の西郷の体つきがこうであった訳ではない。

以後「上野の西郷さん」と呼ばれて100年以上も国民に親しまれ、像の意味を少しずつかえつつも現在でも東京タワーや新宿の高層ビル街と並ぶ、東京の象徴的光景となっている[1]。銅像には西郷の真実の姿が望まれたが、西郷には信頼性のある写真が一枚も残っていなかった[2]。

岡崎によると、キヨッソーネのコンテ画を元に西郷の知己・親戚に一々聞き、石膏像や木彫も幾度も修正して制作を進めたという[3]。銅像の建設委員長をしていた樺山資紀を助けて奔走していた子息の樺山愛輔は、銅像の顔は極めてよくできているが、光雲は西郷の特徴ある唇(何とも言えない魅力と情愛に弱いところが同居している唇)を最後まで表現しきれないことに苦しんだと書いている[4]。実際、生前の西郷に接した東郷平八郎元帥も「上野の銅像なども、制作には大分苦心された様だが、やはり緊張した顔付だし、少しふとり過ぎて居るように思ふ。」と評し、絵画等では西郷の愛嬌や温和が再現しきれないと述べている[2]。

公開の際に招かれた西郷夫人糸子は「宿んしはこげんなお人じゃなかったこてえ(うちの主人はこんなお人じゃなかったですよ)」と腰を抜かし、また「浴衣姿で散歩なんてしなかった」といった意の言葉(薩摩弁)を漏らし、周囲の人に窘められたという。

この糸子の言をも、樺山愛輔は「大体の風貌はあの通りとしても、個性的な魅力のある唇のもつニュアンスとでもいうか、そうした二つとない魅力的なものを現はすことは不可能であったわけだ、眼とか顔とか肩のもつ線とかは何とか表現することは出来たらうが、…」[4]と解釈している。

上野の西郷像は、糸子が批評しているような散歩している姿ではなく、愛犬をつれ、腰に藁の兎罠をはさんで兎狩りに出かける姿である。この姿は大山巌がガリバルディのシャツだけの銅像から思いつき、西郷の真面目は一切の名利を捨てて山に入って兎狩りをした飾りの無い本来の姿にこそあるとして発案した[4]。

連れているのはお気に入りの薩摩犬であった雌犬の「ツン」であるが、銅像作成時は死んでいたため、海軍中将・仁礼景範の雄犬をモデルにして雄犬として作成された。西郷の体の大きさと比較すると犬は小さく見えるが、実際の薩摩犬は像よりもっと小さく、高村は少し大きめにするよう要望したという[5]。

上野公園の銅像に対する糸子の発言については、「銅像の顔が本人に似ていないことを意味する」と解釈する説もあるが、昭和50年代に鹿児島県下で小学生に無料配布されていた西郷隆盛の伝記読本『西郷隆盛』では、亡夫は多くの人間の前に正装ではなく、普段着で出るような礼儀をわきまえない人間ではないのにという文脈で解説している。

当時、故人を顕彰する銅像の多くが正装で威厳に満ちたものだったのに対し、西郷の銅像は明治維新の元勲のものとしては、あまりに庶民的に過ぎるものである。一時は朝敵とされた西郷の名誉回復の場でもあった銅像除幕で、予想とあまりにかけ離れた服装の銅像に対する驚きと落胆の気持ちの反映であった。

当初は、皇居内に建てる案もあった西郷像の建造当時、朝敵となったことによる高山樗牛らの反対意見が根強かったことは無視できない。上記大山巌の言い分も、まだ西郷への反感を持つ政治家が多かった時代、明治政府の官位による正装をさせるわけにはいかなかった事情が背景にあったと考えられる。

美術史家の吉田千鶴子の調べによると、当初「馬上」で「陸軍大将軍服」姿の図様が募集された[6]が、騎馬像とするには資金が足りず、次に「大将服着用の立像」となり雛形まで出来あがったものの、今度は「さる筋から大将服姿に猛烈な反対が起」こり、最終的に現在の姿になったという[7]。

そこには、西郷の高い人気故に反政府的機運を醸成しかねない動向を逸らし、西郷から武人としての牙を抜き、犬を連れて歩く人畜無害な人物というイメージを民衆に定着させようとする、政治的意図が働いていたと見られる[8]。

造像後、西郷隆盛像を目がけて紙玉を投げつけるという奇妙な風習がはやり[9]、昭和に入っても鼻に当たると出世すると言われた。見かねた鹿児島県人会らは、清掃を買って出たという。また、関東大震災の時には、尋ね人の貼り紙を貼る掲示板に代わりにされた。その後も、銅の価値から犬の像の方を盗もうとする輩が度々表れたが、この企ては成功しなかった[10]。


連れている犬についても文献にあるように、‘逸話’が残っているのが面白い!

(つづく)
[2017/01/22 23:55] | 歴史 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
東本願寺・浅草浄苑の展示物
東本願寺・浅草浄苑の展示物

昨日(2017年1月20日)、朝9時から東京駅近辺で約一時間の打ち合わせを終えた頃から、東京都心は小雪がちらつき始めた。

次の打ち合わせは、上野駅近辺のホテルである・・。
これは、16時過ぎからだから、かなりの時間がある。
日頃の運動不足も気になっていたから、それじゃあ、と東京駅から上野まで歩いてみようと思った!

雪のちらつきはそんなにたいしたことも無く、傘は持ってはいたが、差すほどのことでもなかった・・。
昨年、神田駅の近くの‘岩本町’のあるビルに事務所を借りていたこともあって、東京駅からは、日本橋三越本店の前を通り岩本町経由で上野を目指すことにしたのである!

途中、岩本町に勤務していた時にいつも通っていた‘カフェテリア’で食事をして、上野駅に向かおうとしたのだが、まだまだ十分な時間がある!
それじゃぁ、元浅草にある、浄土宗東本願寺派・総本山東本願寺内にある‘浅草淨苑’へ寄ってみることにした!
つい先日訪れたばかりであったが、両親が眠っているお墓であるから、暇さえ出来れば寄ることにしているのである・・・。

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出典/http://www.reien-tokyo.com/detail/id1339056936-741822.html
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出典/http://www.reien-tokyo.com/detail/id1339056936-741822.html

‘浅草淨苑’の4階に上がると、昨日は上述の通り‘小雪’がちらつく日でもあったために、誰もいない!
‘琥珀の間’へ行けとの‘アナウンス’があった!

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焼香を終えて、展示品を見た!
先日(1月6日)に来た時と展示品は替わっていなかった・・・。

① 棟方志功の作品!

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② 若山牧水の作品!

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兎に角、この‘浅草淨苑’には、いつも名品が揃っているのである!

(つづく)
[2017/01/21 23:55] | 先祖供養 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
外房から富士山の見えるスポット探し(その1)
外房から富士山の見えるスポット探し(その1

或る方から、「外房から富士山が見えるスポットがあるので行ってみては?」という貴重な情報を戴いた!
弊ブログを見て頂いた方からご親切にも場所のご指定情報もあり、ご自分で行かれて実際に富士山を見た、と仰せである!

こりゃあ、何としてでも、と本日(2017年1月18日)その場所へ行ってみた!
その後直ぐに、もう一箇所もひょっとすると見えるかもしれないが、ご自分はまだ行かれておられないという‘追伸’まで頂戴したのである!

有難いお話である!

あいにく本日のお天気は、外房から西側には‘雲の集団’が見え隠れしていたのだが、丁度東京での打ち合わせも無いことだったので、その‘スポット’の確認だけでもとの思いで出かけたのである!

その場所は、千葉県・長生郡・長生村の‘津波対策としての避難場所’として、昨年(2017年)の秋に巨額の予算を投入して新たに標高10mの‘築山’を長生村が建設した、その場所だったのである!

長生村は以下に示す通り、‘津波避難用場所’として、13箇所を指定して村民にその情報を流している!

長生村津波避難場所-2

富士山観測スポット情報は、この12番目と13番目の昨年出来上がった‘築山公園’だったのである!

長生村津波避難場所-3

<1> 城之内築山公園

自宅から車で約40分、場所は、‘カーナビ’が直ぐに教えてくれた!

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標高10mだと言うから、津波が来ても、先ずは大丈夫に違いない!
その規模は、以下の写真の‘看板’に見て取れる!

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20170118 新富士山観測地 024-3

収容人数:290人 とあるが、1㎡に1人と計算してだから、満員電車を想定すれば、1㎡に5人は大丈夫だとすれば、
290人×5=1,450人 先ずこのくらいは大丈夫だと思われる!

事業費は、何と2億円を越している!
命には代えられないから‘血税’である!

それが、‘のんき’にも‘富士山観測スポット’として‘活用’しようと言う‘不埒な’考えで来たのだと思うと一寸恥ずかしい思いだったが、‘津波’は来ないに越したことはないし、普段から‘富士山観測スポット’として有名になっていれば‘避難の時’にも有効に違いないと思ったから少しは心も落ち着いた!

ところで、富士山は何処に?

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どうやら、下の二枚の写真の‘赤い矢印’のところが、富士山らしい?

矢印富士山ー1
矢印富士山ー2

‘ポンコツカメラ’での望遠で‘ピント’もいまいち!
次は是非‘晴天の日’にもっと慎重に撮影してみたい!

トイレもちゃんとある!

20170118 新富士山観測地 026-2
20170118 新富士山観測地 025-2


<2> 竜宮台築山公園

先程の‘城之内築山公園’から、およそ2km南にある!
残念ながら、このスポットからは、富士山らしき山は見えなかった・・・。

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またの機会に・・・。

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此処の規模は、以下の通り!

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収容人数:110人 と言うから、5倍の550人位は、大丈夫だろう!
事業費は、何と、‘1.6億円’!

‘津波’とは、誠に恐ろしいものである!
この避難所が使われないことを望むばかりである!

(つづく)
[2017/01/18 23:56] | 富士山 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top
初梅!
初梅!

‘初桜’という言葉はあっても、‘初梅’という言葉はないらしい!

‘初桜’は、‘初花’と同じ意味で使われるという・・。
それでは、‘初花’とは、

1 その季節に初めて咲く花。
2 その草木に初めて咲く花。
3 その春に初めて咲く花。多く桜にいう。《季 春》「―や大仏みちの人通り/万太郎」
4 17、8歳ごろの若い女性。

と辞書(デジタル大辞泉)にある。

勿論、‘初桜’も‘初梅’も‘固有名詞’なら存在するのだが・・・。

今日、2017年1月17日午前8時頃、我が家の前の‘Kさん’ちの梅の木に二つ‘花’が咲いているのを見つけた!
他の場所にある梅の木は、もう沢山花をつけているのだろうが、我が家の玄関前の‘Kさん’ちの梅の木は少々遅咲きなのである!

大抵の人間は、‘初物’に興味を示すし、それが、例え高価であったとしても‘買いたい’と思ったりするものである!
‘初マグロ’の高価さをみても、馬鹿馬鹿しいという人もいるだろうが、その気持ち日本人なら、判ろうと言うものである!

そして、そして、きっともうそろそろだろうと、‘期待’していた‘梅の最初の一輪’だとしたら、それは、それは嬉しいものである!

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もう、蕾は今にも弾けそう!
やっと、二つだけが・・・・

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これを‘後ろ’に回って見ると、‘逆光’だが・・・

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そして、そして、偶然にも‘うぐいす’もどきがやって来た!
直ぐ下の画像の、ほぼ真ん中の一寸左の辺りに、ほらっ!

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‘すずめ’じゃ~ない!
‘めじろ’でもない!

え~と、え~と・・・・、‘うぐいすっ!’
そんな訳は、無いっ!

(つづく)
[2017/01/17 23:51] | 季節の変り目 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
凍てる日!
凍てる日!

今日(2017年1月16日)は、房総半島・千葉県・茂原市千沢では、今期最も寒い日だった!

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出典/ドコモスマホのアプリ

車は、天井のある車庫に入っていたのだが、ボンネットに霜が降りていたし、郵便受けにも霜が・・・。
そして、そして、TVドアホンも凍ていついていたのである!

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このカメラで見た‘映像’は?

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この寒さのお陰で、きれいな、綺麗な‘氷の結晶’が見られた!

(つづく)
[2017/01/16 23:55] | 仰天! | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
日本橋三越本店の‘ライオン像’!
日本橋三越本店の‘ライオン像’!

今年(2017年)1月12日に或る会社の打ち合わせに出席することとなった・・・。
その待ち合わせ場所が、日本橋三越本店の‘ライオン像’前と言うことだった。

電車の都合で、この場所には、集合時刻の30分以上前に到着したので、このライオン像を観察する絶好のチャンスとなった!

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このライオン像は、100歳以上だと言うから驚きである!

https://mitsukoshi.mistore.jp/store/nihombashi/history/list02.html
◇「ライオン像」

待ち合わせの場所として親しまれながら、本館正面玄関でお客様をお迎えする2頭の「ライオン像」。この像が誕生したのは大正3年(1914)のことです。

この「ライオン像」の注文主は、三越百貨店の基礎を築いたとされる当時の支配人、日比翁助。その日比が百貨店開設の準備のため欧米を視察したときにイギリスで注文したものです。
ロンドンのトラファルガー広場にあるネルソン記念塔の下の4頭の獅子像がモデルとされ、英国の彫刻家メリフィールドが型どり、バルトンが鋳造したものです。
完成までに3年の歳月を要したこの仕事はイギリスの彫刻界でも相当な話題となりました。

現在ではその気品と店格を象徴して、三越の象徴的存在でもあり、また、東京名物の一つとしても親しまれています。


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100年以上も経っていることもあって、‘傷’もあれば‘緑青’も出ている!

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これは、‘尻尾’である!

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こんなところに‘三越’の文字があるなんて、知らなかった!

(つづく)
[2017/01/15 00:16] | 観光 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top
面白数値(1)
面白数値(1)

「面白数値って、何よ?」
「その瞬間に現れた‘何だか意味のある数値’ってこと!」

「例えば?」
「例えば、数値が順に並んでいたり、同じ番号の車が直ぐお隣にあったりした、‘その瞬間’!」

「ほう~、そんなことがあるのかね?」
「忘れましたか?このブログでも何度も紹介しましたゾ!」

という訳で、近々の面白数値を、ど~ぞ!

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「この上の写真の何処が面白数値なの?」
「今、拡大しますよっ!ほ~ら!」

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次は、万歩計!

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「上の‘5,000’は判るけど、こりゃあ、また?」
「判り難いでしょうか?数値が‘奇数’の順!」

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「こりゃあ、また、‘大記録’!」
「そっ!この数値の寿命は、下手すると‘1秒’も無いかも?」

(つづく)
[2017/01/11 23:56] | その瞬間! | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
春の息吹!(その2):アジサイ
春の息吹!(その2):アジサイ

アジサイの‘原種’は日本だと言うことは良く知られている!
そして、そして、その‘原種’は、‘額アジサイ’であることも知られている・・・。

それが、それが、中国から西洋に渡って、‘アジサイ’(ホンアジサイ)、改良されて‘西洋アジサイ’となったというから、原産地は日本!

その薀蓄は、別の機会に・・・。

我が家にも‘紫陽花’が沢山ある!

その内、‘アジサイ’と‘柏葉アジサイ’が、今冬の真っ盛りなのにもう春の準備をしている!

<1> ホンアジサイ

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このアジサイは、現時点(2017年1月)では、こんなに・・・。

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<2> 柏葉アジサイ

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この柏葉アジサイは、今(2017年1月)・・・

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これからが真冬と言うのに、これらの‘芽’は大丈夫だろうか?
そして、そして、葉っぱも落ちて、光合成をしない!
これから、成長して行くこれらのアジサイの‘栄養’は何処に蓄えられてるのだろうか?

不思議である!

(つづく)
[2017/01/10 22:01] | 季節の変り目 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
正倉院ガラス
正倉院ガラス

小学校の頃か中学になってからかの記憶は定かではないが、‘正倉院’についての情報の中に出てくるのは、先ずガラスの‘ワイングラス’のようなもので、周りに‘突起’らしきものが付いているお宝だった!

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出典/http://inoues.net/museum2/2012shosoin.html

‘正倉院展’と言えば、この‘ガラス容器’がポスターに載るくらい、このガラス器は有名である!

実は、今年(2017年)の年始草々に両親のお墓のある東京都台東区元浅草にある浄土真宗本願寺派の総本山・東本願寺へお参りに行った!去年の暮れにもお参りしたのだが、打ち合わせの時間帯に掛からない時間があったので、訪れたのである!

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出典/http://www.asakusajoen.jp/access/
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出典/http://www.asakusajoen.jp/access/
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さて、お参りを終えての楽しみは、この浅草如苑のロビーには、かなりの重要文化財クラスのものが展示されておりその‘芸術品’を鑑賞出来る事である!

およそひと月くらいの展示で展示物が替わるのも素晴らしい!

今回、表題通り、‘正倉院ガラス’として、幼い頃から‘正倉院の宝物’として教科書に載っていた記憶のある‘ガラスの器(?)’が
展示されているではないか!

勿論、‘本物’ではなく、‘レプリカ’であるが、現代の名工がそっくりに作り上げたものだそうだが、そういっちゃあ何だが、本物より技術的には素晴らしいのではないかと思われるほど名品に見えた!

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本物は、下の写真!

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出典/http://shosoin.kunaicho.go.jp/ja-JP/Treasure?id=0000011991

http://shosoin.kunaicho.go.jp/ja-JP/Treasure?id=0000011991
瑠璃坏(るりのつき)

・分類:〈用途〉飲食具 〈技法〉ガラス
・倉番:中倉 70
・寸法:口径8.6 高11.2 重262.5
・材質・技法:アルカリ石灰ガラス(紺色) 脚は銀台鍍金 毛彫 魚々子地 蓮弁様受座は新補
紺色のカップ形ガラス坏で、銀製鍍金の台脚を接着する。アルカリ石灰ガラス製で、紺色の発色はコバルトによる。表面には、同じ素材のガラスで輪が貼り巡らされている


正式名称は、‘瑠璃坏(るりのつき)’というらしい!

‘瑠璃’は、ガラスの古名であることは、何となく判っているが、‘坏(つき)’とは、‘飲食物を盛る丸みのある器’<http://cjjc.weblio.jp/content/%E5%9D%8F>だそうだ!

由木常雄:第二十七回 日本伝統工芸展 鑑査委員
http://www.nihonkogeikai.or.jp/exhibition/honten/27/?tab=judge

この‘瑠璃坏(るりのつき)’にはどんな歴史があるのだろうか?

(つづく)
[2017/01/09 16:54] | 宝物 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
春の息吹!(その1):梅
春の息吹!(その1):梅

今日この頃の寒さでは、暖かいと言われているここ房総半島の外房地区でも、小川が凍る昨今なのに、梅の樹では、もう開花の準備が始まっている!

自然の力とは凄いものである!

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寒さはこれからだと言うのに、もう準備は着々となされている!
しかも、この梅の樹は、ご覧の通り、‘葉っぱ’を着けていないから、‘光合成’が出来ない状態なのに、この‘パワー’は一体この樹の何処に隠されているのだろうか?

(つづく)
[2017/01/08 11:34] | 季節の変り目 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
今期の初氷
今期の初氷

昨日、2017年1月6日、この日は関東地方でも暖かい房総半島の海岸に近い千葉県茂原市にも小川に今期初氷が張った!
張ったと言っても、小川全体に張った訳ではなく、部分的に正に‘薄氷’が張っただけである!

しかし、しかし、その氷が‘完全な結晶’であることがど素人目にもはっきりと判るから面白い!

大きな川であると流れもあるし風の影響もあるだろうし、何と言っても水の量が多いから、水面と言えども冷えにくいのだろうと思われる!

そんな訳(本当?)で、幅が約2mで深さが約数十cmの‘小さな小川’だから、やっと‘薄氷’が張ったのだろう!

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こんな不思議な結晶が出来る過程を見てみたい、という希望は昔からあったのだが・・・。

(つづく)
[2017/01/07 22:40] | 季節の変り目 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
はとバスのショートトリップ(その1)
はとバスのショートトリップ(その1)

東京の‘はとバス’と言えば、ほとんどの人が知っている!
しかし、‘はとバス’についての大よそは知っていても、例えば一年間の収入はどの位?社員数は?大株主は?と聞かれても答えられる人はそんなにいないに違いない!

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AF%
E3%81%A8%E3%83%90%E3%82%B9

株式会社はとバス
Hato Bus Co., Ltd.
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種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 日本
〒143-8512
東京都大田区平和島五丁目4番1号
本店所在地 〒100-0005
東京都千代田区丸の内一丁目10番15号
はとバス東京営業所
設立 1948年(昭和23年)8月14日
(新日本観光株式会社)
業種 陸運業
事業内容 一般乗合旅客自動車運送事業
一般貸切旅客自動車運送事業
第2種旅行業
ホテル事業
自動車整備業
路線バス受託事業
不動産賃貸業
代表者 中村 靖(取締役社長)
資本金 450,000千円
売上高 単独:161億円(2016年6月期)
従業員数 単独:1,057名(2016年6月現在)
決算期 6月30日
主要株主 東京都 37.93%
株式会社ジェイティービー 27.57%
財団法人メトロ文化財団 12.53%
東京地下鉄株式会社 10.02%
いすゞ自動車株式会社 8.28%
主要子会社 株式会社シーライン東京
株式会社はとバスエージェンシー
外部リンク www.hatobus.co.jp
特記事項:東京都知事登録旅行業第2-2379号


‘はとバス’のいいところは、‘ショートトリップ’というバージョンがあって、これが‘スカイツリー’に上らせてくれるのである!
と言うことは、‘団体扱い’であるから、一般と違って、2時間、3時間も待つ必要が無い!

スカイツリーにに上るならこの方法が良い!
時間と料金の節約が出来るのである!

パンフ-2
出典/はとバスパンフ

上のパンフにある通り、「東京スカイツリー 半日ライナー」(3.5時間)を利用することとした!
2016年12月4日、丁度一ヶ月前のことである・・・。
今や、イチョウの黄色が真っ盛り!

<1> 先ずは、靖国神社から

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%96
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靖國神社(靖国神社、やすくにじんじゃ)は、東京都千代田区九段北にある神社である。
概要[編集]
九段坂の坂上に東面して鎮座し、日本の軍人、軍属等を主な祭神として祀る。勅祭社で旧別格官幣社。
境内は、桜の名所として知られる他、大鳥居が東に向いている、数少ない神社の一つでもある[注 1]。
単立宗教法人(単立神社)であるために、神社本庁との包括関係には属していない。
元来は東京招魂社(とうきょうしょうこんしゃ)という名称であったが、後に現社名靖國神社に改称された。
招魂社であるので、氏子地域は存在しない(当社所在地は築土神社の氏子地域にあたる。)。
創建当初は軍務官(直後に兵部省に改組)が[1]、後に内務省が人事を所管し、大日本帝国陸軍(陸軍省)と同海軍(海軍省)が祭事を統括した[2](陸海両軍を以下「旧陸海軍」等と略記する)。
1946年(昭和21年)に、日本国政府の管理を離れて東京都知事の認証により、宗教法人法の単立宗教法人となった[3]。
国家神道の代表的施設であり、日本の内閣総理大臣や国務大臣の公式参拝が、しばしば中華人民共和国や大韓民国から非難され国際問題化する(靖国神社問題を参照)。


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この人、大村益次郎さん

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D%91%E7%9B%8A%E6%AC%A1%E9%83%8E

大村 益次郎(おおむら ますじろう、 文政8年5月3日(1824年5月30日) - 明治2年11月5日(1869年12月7日)は、幕末期の長州藩の医師、西洋学者、兵学者である。維新の十傑の一人に数えられる。

長州征討と戊辰戦争で長州藩兵を指揮し、勝利の立役者となった。太政官制において軍務を統括した兵部省における初代の大輔(次官)を務め、事実上の日本陸軍の創始者、あるいは陸軍建設の祖と見なされることも多い。元の名字は村田、幼名は宗太郎、通称は蔵六、良庵(または亮庵)、のちに益次郎。雅号は良庵・良安・亮安。諱は永敏(ながとし)。位階は贈従三位、後に従二位。家紋は丸に桔梗。


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さあ、これから‘スカイツリー’へ

(つづく)
[2017/01/05 18:42] | 観光 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
2017年の初詣
2017年の初詣

20年前にここ千葉県茂原市へ越して来て以来、我が家の毎年の初詣は、‘橘樹神社’と決まっている。
他の神社に初詣に行ったとしても、‘橘樹神社’への参拝は欠かしたことが無い・・。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%98%E6%A8%B9%E7%A5%9E%
E7%A4%BE_(%E8%8C%82%E5%8E%9F%E5%B8%82)

橘樹神社(たちばなじんじゃ)は、千葉県茂原市本納にある神社。式内社、上総国二宮で、旧社格は県社。神紋は「橘」。
古くは「橘神社」・「橘木神社」とも記された。現在は「橘樹」の2字で「たちばな」と読む。

祭神[編集]
主祭神
弟橘比売命 (おとたちばなひめのみこと)

相殿神
日本武尊 (やまとたけるのみこと) - 弟橘比売命の夫。
忍山宿禰 (おしやまのすくね) - 弟橘比売命の父。

歴史[編集]

概史[編集]
社伝では、日本武尊が東征した際、相模から上総へ渡ろうとした時に海上で暴風に遭った。弟橘媛が海に身を投じて日本武尊の難を救ったことから、日本武尊が弟橘媛の御陵を作り、弟橘媛の櫛を納めて、橘の木を植えて祀ったのに始まると伝える。『古事記』には「七日の後、その后の櫛海辺に依りき。すなはちその櫛を取りて御陵を作り治め置きき。」[1]とあり、これが当社のことであるという。また『日本書紀』では、「さらに相模においでになって、上総に渡ろうとされた。海を望まれて大言壮語して、こんな小さい海、飛び上ってでも渡ることができよう、と言われた。(中略) こうして、日本武尊は上総より転じて陸奥国に入られた。そのとき大きな鏡を船に掲げて、海路をとって葦浦(鴨川市吉浦)を廻り玉浦(九十九里浜)を横切って蝦夷の支配地に入られた。」[2]とあり、この時祀られたのが由来とされる。

国史の初見は、『日本三代実録』元慶元年(877年)5月17日条、従五位勲五等の橘樹神に正五位下の神階を授けるという記述である。元慶8年(884年)7月15日、正五位上の神階が授けられ、日本武尊・忍山宿禰が合祀された。『延喜式』神名帳には上総国長柄郡に「橘神社」と記載され、式内社に列している。

中世には当社周辺に社領・橘木荘(のち二宮荘)を有した。延宝8年(1681年)には正一位が授けられたという。

明治6年(1873年)近代社格制度において県社に列した。


今年(2017年)の元旦は、小春日和の晴天!
最高気温は14℃にもなろうかという素晴らしい天気に恵まれたのである!

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上の写真の扁額は、戦勝祈願の為に寄進された扁額で、東郷平八郎書の文字が見える!

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E9%83%B7%
E5%B9%B3%E5%85%AB%E9%83%8E

東郷 平八郎(とうごう へいはちろう、弘化4年12月22日(1848年1月27日) - 昭和9年(1934年)5月30日)は、日本の幕末から明治時代の薩摩藩士、軍人。階級は元帥海軍大将。日清戦争では「浪速」艦長として高陞号事件に対処。日露戦争では連合艦隊司令長官として旗艦「三笠」で指揮を執り、「陸の乃木 海の東郷」「アドミラル・トーゴー」「東洋のネルソン」と呼ばれ、バルチック艦隊を破ったことにより 英雄視された。各地の東郷神社に名を残す。位階は従一位、勲位は大勲位、功級は功一級、爵位は侯爵。


下の写真が、この神社の名称にもなっている‘橘’の木である・・。

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おみくじは、‘中吉’!
そして下の写真が、‘弟橘比売命’のお墓!

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正午を過ぎると参拝者の数も増えてきた!
やはり、初詣という伝統文化は、心を引き締めてくれる。来年もまた・・・。

(つづく)
[2017/01/03 23:54] | 伝統文化 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
昨年(2016年)最後の12月のランキング!
昨年(2016年)最後の12月のランキング!

此処のところ、皆様のお陰で、弊ブログへのアクセス数が増え始め、私が登録している‘サブジャンル’の‘創作日記’のジャンルで、‘ベスト10’に入ることが多くなった!

因みに、このサブジャンルの‘創作日記’への投稿者は、9,000~13,000程度である!

2016年12月期のサブジャンルでの順位と月平均順位0001
2016年12月期のサブジャンルでの順位と月平均順位0001-2

年末に向けて、少し上がり気味であるから、今年は7位を維持するのは難しいかも?

今年の目標:‘ベスト3’入り!

(つづく)
[2017/01/02 10:57] | 統計処理 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
2017年01月01日の元旦の富士山
2017年01月01日の元旦の富士山

明けましておめでとうございます!

とうとう、2017年が明けました!
やはり、元旦と言えば、富士山でしょう!

約130kmも離れた房総半島は千葉県茂原市千沢地区からは、一年中いつでも富士山が見えると言う訳ではない!しかし、冬の間は空間に‘水蒸気の少ない’ので、こんな場所からでも富士山は拝める!

2017年の年明けには、富士山の画像がピッタしである!

元旦とは言いながら、この場所での佇まいは‘ひっそり、深閑’としている!
見えた!見えた!

20170101 新年の富士山 001-2
20170101 新年の富士山 001-3
20170101 新年の富士山 004-2
20170101 新年の富士山 002-2
20170101 新年の富士山 002-3

見えたと言っても、肉眼では一番上の写真の程度であるから、‘あの位置に富士山がある!’と確信している人にしか富士山は気付かれない、という訳である!

それも、それも、いつもご紹介している通り、この辺なら何処からでも見えると言うことではなく、‘SPOT’状態である。
この‘SPOT’を‘発見’されたのは、ご案内の通り、‘Mさんご夫婦’である!

さて、最近は、我々が住んでいるような空気の良い‘団地の空き地’には、‘太陽光発電’の設備が設置される、という‘現象’が起きている。

後日紹介する積りでもあるが、わが団地にも、2箇所に、その現象が現れた!
その一つが、下の写真である!

20170101 新年の富士山 005-2
20170101 新年の富士山 005-3

さて、‘山’と言えば‘川’である!
わが団地の傍を流れるのは、‘赤目川’である。
新年の最初の日のこの時間帯(2017年01月01日の朝9:00ごろ)では、‘引き潮’の時間帯と見えて、赤目川の水は綺麗だった!

20170101 新年の富士山 008-2
20170101 新年の富士山 009-2
20170101 新年の富士山 013-3
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20170101 新年の富士山 015-3

それでは、一寸恥ずかしながら、我が家の周りを!

20170101 新年の富士山 016-2
20170101 新年の富士山 018-2
20170101 新年の富士山 019-2
20170101 新年の富士山 021-2
20170101 新年の富士山 020-2

冬の本番は今からと言うのに、‘春の息吹’は、もうそこまで来ている!

20170101 新年の富士山 024-2
20170101 新年の富士山 026-2
20170101 新年の富士山 030-2

下の写真は、お隣さんの柚子!

20170101 新年の富士山 035-2
20170101 新年の富士山 037-2

玄関前!

20170101 新年の富士山 038-2
20170101 新年の富士山 039-2
20170101 新年の富士山 040-2
20170101 新年の富士山 041-2

さあ、今年も頑張りましょう!

(つづく)
[2017/01/01 23:59] | 富士山 | トラックバック(0) | コメント(4) | page top
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