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博多の印象(その7):大濠公園
今年2017年の11月の中旬、何十年振りかで、福岡市の‘大濠公園’を散策した。
博多・福岡へ行く機会は、2~3年に一度はあるのだが、‘大濠公園’へは足を延ばすことは出来なかった!

‘大濠公園’は、その規模と言いその美しさと言い、日本でも第一級の公園という認識が4~50年前にはあったのだが、今回行ってみて周りにはビルが一杯で、素晴らしいというその面影はほとんどなくなっていた!

残念だが、都会の成長というトレンドを‘素晴らしい’と思うか‘悲しい’と思うかは、人によって違うに違いないのだが・・・。

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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%BF%A0%E5%85%AC%E5%9C%92
大濠公園(おおほりこうえん)は、福岡市中央区にある福岡県営の都市公園(総合公園)である。国の登録記念物となっている。また、同公園を町域とする同区の町名でもある。郵便番号は810-0051。

大濠公園
大濠公園_(3359545709)
分類 都市公園(総合公園)
所在地
日本の旗 日本
福岡県福岡市中央区大濠公園
座標 北緯33度35分9.1秒 東経130度22分34.5秒座標: 北緯33度35分9.1秒 東経130度22分34.5秒
面積 39.8ヘクタール
開園 1929年(昭和4年)3月
運営者 福岡県(指定管理者:西鉄ビルマネージメント株式会社)
設備・遊具 日本庭園、能楽堂、ボート池、児童遊園、ジョギングロードなど
駐車場 103台(普通車)
事務所 大濠・西公園管理事務所
事務所所在地 〒810-0051
福岡県福岡市中央区大濠公園1-2
公式サイト 公式サイト

概要
福岡城の外濠で、入り江でもあった草香江をもとにした大きな池が特徴的な公園である。池を貫くように島がいくつか存在し、それぞれが橋でつながっているので、中央部を経由して池を全体を渡ることができる。付近には福岡城址(舞鶴公園)、福岡市美術館、NHK福岡放送局などがあり、福岡市民の憩いの場として親しまれており、周囲がほぼ2km(正確には1,921m)とキリの良い距離のため、サイクリングやジョギングをする人も多く見られる。春には近隣の舞鶴公園や西公園とともに、花見の名所ともなっている。著名人の中でも、王貞治は東京の桜の名所の近くで育ったため、花見のシーズンが近づくとそちらのものを思い出すことが多かったが、福岡での生活が長くなったため、大濠公園等の桜を思い出すことが増えている旨述べている[1]。また、毎年8月1日(雨天の時は翌日)には西日本大濠花火大会が開催されており、福岡市の夏の風物詩として知られている。
園内には、新婚旅行中のマリリン・モンローとジョー・ディマジオがロイヤル中州本店時代に立ち寄った時のテーブルと椅子がそのまま使われた[2]レストラン「花の木」が2013年5月31日まで営業していたが、老朽化の為同日を以て閉館した(ボートハウスは2013年のシーズン一杯まで営業)。なお、大濠公園便益施設の公募コンペに再び選ばれたことから、「花の木」は2014年秋を予定に復活することが決定し[3]、2015年2月5日に「ボートハウス 大濠パーク」の一店舗として復活した。「Room 1953」も引き続き健在[4]。

歴史
[編集]
この場所一帯は草ヶ江と呼ばれる入り江で、博多湾に続いていた。筑前福岡藩初代藩主となった黒田長政により、入り江の一部が埋め立てられ、天神を通り那珂川へ掘られた肥前堀と共に、福岡城の外堀として城の護りとした。明治維新で福岡城が廃城になると、肥前堀が埋め立てられたことにより水の循環が滞った。そのため夏季にはやぶ蚊が大量発生するなど環境悪化の原因になるため、明治末以来この大堀を埋め立てる計画がいくつか立てられた。
一方で、1915年(大正4年)には埋め立て計画を報じる新聞紙上で松永安左衛門の遊園地化案が紹介されたほか[5]、1919年(大正8年)には団琢磨が大堀の埋立反対と公園化の提案を地元紙に掲載した[6]。1924年(大正13年)、福岡市は東公園の松林の樹勢復活のために東京帝国大学農学部教授の本多静六教授を招聘したが、本多は一緒に視察した西公園から見下ろした大堀に注目して、大堀の公園化を主張。翌1925年(大正14年)、本多は助手の永見健一と共に再び福岡を訪れて、公園整備計画「福岡県経営東公園西公園大堀公園改良計画」を提出した。
同じ頃、福岡市は東亜勧業博覧会の開催を計画しており、県は市の博覧会準備委員会に整備事業の促進を依頼させることで、公園の整備費を県議会で可決させることに成功。外堀の約14万坪のうちの7万坪を埋め立てには、大堀を浚渫した土砂に加え、当時福岡市で行われていた薬院から六本松への道路開削工事で排出された25万tの土砂が用いられた。当時の金額で総額約45万円かかる工事費は、外堀西側の埋め立て地3万坪を住宅地として払い下げることにより償還している。東亜勧業博覧会は、1927年(昭和2年)3月から約2か月開催された。その後、福岡県が造園し、1929年(昭和4年)3月に公園として開園した[7]。
終戦後には進駐軍の兵舎が設置されたが、1975年(昭和50年)に山陽新幹線開通を記念して開催された福岡大博覧会(福岡博)の会場として、公園東側を中心に再整備された。開催後、跡地に福岡市美術館や遊具施設が整備されたほか、1990年代にはジョギング・サイクリング用の道路が整備され、現在も都心の公園として多くの人が集まる。


出来るだけ周りのビルが写らないように・・・。

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この後、最近出来たという‘大濠公園・日本庭園’へ・・・。

(つづく)
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[2017/12/07 12:29] | 散策 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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