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エイプリルフールの語源
本日は、4月1日。世に言う 「4月馬鹿」 ‘エイプリルフール’ である。

調べてみるとこのエイプリルフールの語源は諸説があって‘定説はない’という。

ところが、ところがである。私は先般日比谷公園図書館で大発見をした!

私は、思う所があって、明治維新以降の政治について調べていた。そして、或る古めかしい本を手に取ってみた。それは「伊藤博文」についての日常生活、つまり余り世間には知られていない‘秘話’を書き綴ったものだった。

パラパラと見て行くうちに、ふと目にとまった一文があった。
何とそこには今迄に聞いたことも読んだこともないことが事が記されていた。
それが大発見の文章である。

何と 『4月馬鹿』は、初代内閣総理大臣・伊藤博文閣下(第一次伊藤内閣1885年12月22日- 1888年4月30日)が、1886年(明治19年)3月初めに全国の県知事へ通達を出し、年度の切り替えの日、つまり4月1日は、前年度のご苦労様を労って‘馬鹿になって’楽しもうではないかと提案したと言うのだ。そして、 全国一斉に『4月馬鹿』を明治19年4月1日から‘行事’とした とある。しかも、海外へは4月馬鹿が直訳されて‘えーぷりる・ふーる’となったとまでついている。

伊藤博文四月馬鹿

伊藤博文 http://ys2001hp.web.fc2.com/yougo-ItouHirobumi.html


伊藤博文が初代の内閣総理大臣になるまでには色々な困難があったことはご承知の通りだが、特に‘岩倉具視との衝突’は学歴の無い伊藤博文にとっては大いなる苦戦だったという。

岩倉具視の死後に帰国した伊藤博文はドイツで研究した立憲体制に則した政治体制構想の実施を進めようとし、「内閣制度」を提案。これも苦心惨憺の後やっと制度化されその年、明治18年12月に第一次伊藤内閣が成立したのだ。
当時伊藤は、弱冠44歳。まだ若かったが、維新の大混乱を乗り切って日本の方向を示し、そして明治も18年、やっと落ち着いてきた頃である。

‘馬鹿になって騒ぎたい’思いっきり‘嘘でもついて’他人を驚かすのも面白かろう!

このアイデアを考えついた時、彼はきっと‘小躍りして喜んだ’に相違ない!
全国で皆が大混乱から抜け出した後、心から笑いあっていることを確認した伊藤博文は、「これは絶対に俺が言いだしたことにするなよ!」と硬く申しつけたとその文章は結んである。

大発見!大発見!

いやはや、エイプリルフールの語源が、実は

「4月馬鹿」は、日本生まれで、翻訳されて「エイプリルフール」になった

とは!?

伊藤博文旧宅
伊藤博文旧宅 http://ys2001hp.web.fc2.com/yougo-ItouHirobumi.html

 日清講和会議が行われた下関の春帆楼前にある伊藤博文像
日清講和会議が行われた下関の春帆楼前にある伊藤博文像
http://ys2001hp.web.fc2.com/yougo-ItouHirobumi.html

この話、ご想像通り私の作り話!

ご免!伊藤博文閣下殿!

そんなにさ、悲しい顔でこっちを見ないで! 
折角、世界の‘注目人物’にと思っていろいろ調べさせてもらったのにさ。
悲しい涙を拭いて、「‘いと’可笑し 」ぐらいのこと言ってもいいでしょ!いとうさん!

本当の語源?
調べますか? ホントに??

実は、私忙しいんですよ! 次の記事書かなきゃあならないんで・・・・。

どうか勝手に、web でど~ぞ!
























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[2012/04/01 10:22] | 言葉の威力 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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