黒田官兵衛の兜
黒田官兵衛の兜

戦国時代以前も含めて、武将に話題は付き物である。

私は2014年09月28日、千葉県・夷隅郡・大多喜町の‘大多喜お城まつり’を見に行った際に、奇妙な兜を被った武将に出会った!

画像ー255 大多喜町 お城まつり 080-3
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画像ー255 大多喜町 お城まつり 087-5

浅学非才の輩の一人である私にとっては、

「なんだこりゃあ、武士の兜でこんなふざけた・・・」

とその時そう思ったのである。

しかし、しかし

‘NHKの大河ドラマ’「軍師・官兵衛」を見ていて驚いた!
なな、なんと官兵衛様が被っておられるのが、正にその兜!

官兵衛の兜
出展/http://item.rakuten.co.jp/m-sakaya/39000041101/

岡田官兵衛
出展/http://nhktaiga12.blog.fc2.com/blog-entry-197.html

さて、さて、実はこの官兵衛様の兜の話は、これで終わりではない!
NETで調べてみると、この兜に纏わる話があることが判った!

「黒田官兵衛様の兜は、福岡にはなく盛岡にある!」

おや、おやこれは一体どういうこと?

http://官兵衛.jp/entry6.html
黒田官兵衛の合子形兜

官兵衛の鎧兜

福岡市に展示されている有名な黒田如水像とともに保管されているのが赤漆塗合子形兜(あかうるしぬりごうしなりかぶと)です。燃えるような赤ときらびやかな金色の装飾が美しい鎧ですが、何と言っても兜の形が印象的でお椀をひっくり返したような形。「合子」とは「フタ付きの容器」を意味するのだそうです。
戦場ではこの鎧兜をまとった官兵衛は敵から「赤合子」と恐れられていたそうですが、福岡美術館が所蔵する写真の赤漆塗合子形兜は子孫の黒田光之が作らせたもの。
では一体本物の合子形兜はどこにあるのか?
実は岩手県盛岡市に有る「もりおか歴史文化館」が所蔵しておりその名も「銀白檀塗合子形兜(ぎんびゃくだんぬりごうすなりかぶと)」といいます。なぜ岩手県?という疑問が残りますがそこには黒田家で起きた騒動が原因だったようです。

黒田騒動

黒田官兵衛の子・長政が1623年に没し新しく福岡藩主になったのが忠之。この忠之という人物は、人の上に立つような人物では無かったため、父親の長政は廃嫡も考えたが家臣の栗山大膳が思いとどまらせた。そう言った経緯があるにも関わらず忠之は大膳と距離を起き、重臣の解雇なども行ったことで家臣との対立が起きる。また忠之は軍の増強なども積極的に行ったことから大膳はこれを幕府に進言、謀反の可能性を訴えた。こうした騒動によって大膳は盛岡に移ったと言われていますが、その時に長政に賜った銀白檀塗合子形兜も移動したものと思われます。

1046.jpg

(写真が銀白檀塗合子形兜。盛岡市の指定文化財)


知っている人は知っている!
しかし、知らない人は知らないのである!

「それがどうした?」

と言われれば、返す言葉もない!

(つづく)
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[2014/12/18 17:42] | 仰天! | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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