紫御殿(その1)
紫御殿(その1)

いやいや、正に優雅な名前の花があったもんだ!

‘紫御殿’!

紫色は、日本では昔から‘高貴な色’と言われている!

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拡大し過ぎると、ちょいピンボケになるのだが、敢えて・・・

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さて、この‘紫御殿’とは、どんな植物なのだろうか?

http://www.kagiken.co.jp/new/kojimachi/hana-
murasaki-goten_large.html

ムラサキゴテン(紫御殿)

ムラサキゴテン(紫御殿)はツユクサ科トラデスカンティア属の多年草です。
別名:セトクレアセア、パープルハート、トラデスカンティア・パリダ、セトクレアセア・パリダ

一般名:ムラサキゴテン(紫御殿)
学名:Tradescantia pallida 'Purpurea'(トラデスカンティア・パリダ・プルプレア)
別名:セトクレアセア(Setcreasea)、パープルハート(purple heart)、 Tradescantia pallida(トラデスカンティア・パリダ)、 Setcreasea pallida(セトクレアセア・パリダ)
科属名:ツユクサ科トラデスカンティア属
原産地:メキシコ
草丈:10~50cm 花色:濃桃色 葉・茎・苞色:紫 花径:2cm  鑑賞期:4~11月 開花期:7~8月

ムラサキゴテン(紫御殿) は、春~秋までの長期間に渡り、小さな濃桃色の花を咲かせ続ける這性の半耐寒性常緑性多年草です。
花弁は3枚で中央からシベが立ち上がります。雄シベの葯(ヤク、先端部)は黄色です。葉や茎、萼まで全草が鮮紫色なので花壇のアクセント用の観葉植物として用いられます。葉に厚みがあり茎や根が太いことから多肉植物として扱われることもあります。
学名が以前の Setcreasea pallida(セトクレアセア・パリダ)から、トラデスカンティア・パリダ・プルプレア(Tradescantia pallida 'Purpurea')に変わりました。同じ科で名前が似ていて、間違えやすい花に、 ムラサキツユクサ(紫露草) があります。


また別の文献では・・・。

http://www.yasashi.info/mu_00004.htm
ムラサキゴテン(紫御殿)とはメキシコに分布する常緑性多年草でツユクサの仲間です。葉をはじめ茎や萼(がく)に至るまで全身紫色に染まる姿が神秘的できれいです。葉は厚みがあり多肉質で、乾燥に強い。葉の表面には白っぽい色をした細かいうぶげのようなものがたくさん生えており、光の当たる角度によって葉色が変化して見えます。特徴的な葉色を活かして寄せ植えや花壇に利用されます。丈夫でよく育つので、街角や住宅街の片隅で放任状態で半野生化したものもよく見かけます。

その印象的な草姿で観葉植物や多肉植物として扱われることが多いですが、夏~秋に咲く花もきれいです。色はピンクですが、白っぽいものもあり多少、色幅が見られます。朝に咲いて、その日の昼までにしぼんでしまう短命な花ですが、最盛期には毎日、次々と咲かせてくれます。 主に栽培されているのは、濃いピンクの花を咲かせる園芸品種‘パープルハート’で、この品種を指してムラサキゴテンというのが一般的です。日本には1955年に渡来しました。元となった野生種はあまり栽培されていません。旧属名のセトクレアセアの名前で呼ばれることもあります。


紫の高貴さは・・・。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%AB
紫の文化[編集]
古代中国の五行思想では正色(青、赤、黄、白、黒)を最上とし、中間色である紫はそれより下位の五間色に位置づけた。『論語』にある儒教の開祖孔子の言葉に「紫の朱を奪うを悪(にく)む」というものがある[4]。

紫を尊んだのは道教で、天にあって天帝の住まうところを紫宮・紫微垣などと呼んだ。南北朝時代に紫の地位は上昇し、五色の上に立つ高貴な色とされた。隋は大業元年(605年)に服色に身分差を設けたとき、五品以上の高官に朱か紫の服を着せ[5]、6年(610年)には五品以上を紫だけにした[6]。高官だけでなく、道教の道士、仏教の僧侶の中の高徳者にも紫衣を許し、これが唐代にも継承された。

日本では推古天皇16年(608年)に隋使裴世清を朝庭に迎えたとき、皇子・諸王・諸臣の衣服が「錦・紫・繍・織と五色の綾羅」であった、とするのが紫の初見である[7]。これより先、推古天皇11年(604年)制定の冠位十二階の最上位(大徳・小徳)の冠が紫だったとする学説があるが、史料には記されず、確証はない[8]。皇極天皇2年(643年)に蘇我蝦夷が私的に紫冠を子の入鹿に授けたことから、大臣の冠が紫であったことが知られる[9]。大化3年(647年)の七色十三階冠以降の服色規定では、紫を深紫(または黒紫)と浅紫(または赤紫)の2色に分け、深紫(黒紫)をより高貴な色とした[10]。道教が正式に受容されなかった日本では、高徳の僧侶に対して紫衣が許された(紫衣事件を参照。)。


さて、紫御殿の一部である次の画像は、一体何?

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(つづく)
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[2015/08/25 12:02] | 園芸 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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