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徒然草の第八十五段と‘裁判’と‘特許’と‘進歩’
あの‘徒然草’の第八十五段で、兼好法師は実に旨いことを言っている。
‘狂人の真似とて大路を走らばすなわち狂人なり’
① 悪事をしでかしておいて、その積りはなかったという。また、② 人の真似はしたくないと言う。いずれも思い上がった言動である。

① の場合の典型は、裁判においてである。‘殺意があったかどうか’で争われ罪の重さが違う。殺された人の家族にとっては何とも歯がゆい思いだ。殺意がなかった、偶然そうなったと言われても死んだ人は家族には帰って来ない。殺意がなくても殺意があっても殺人を犯せば、罪と罰は同じでなくてはならぬと鎌倉時代に既に兼好法師は喝破していた。何故現代においてこんなに被告人に有利な判決がなされるのだろうか?

② の場合については、‘人の真似をしたくない’というより‘人の真似をしてはならぬ’とい方が現代を言い表している。勿論、‘特許’と言う個人・法人の権利を守る事が当然の世の習いであるからでもある。他人の真似をしていると食ってはいけないと言うのが現代社会のようでもある。そうでなければ進歩がないからとも言われる。そういい続けられ続けたために、それが丸で人間の幸福に繋がっているという錯覚が生まれているのではないか?

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http://shiina2001ryou.cocolog-nifty.com/na/2010/09/post-116a.html


進歩こそ素晴らしい!という考えはそろそろ人間は考え直す時期に来ているのではないか?
何故なら、人間同士の争いは、その大部分が‘進歩のため’が原因ではないのか?より良い生活・より進歩した生活が良しとされる社会。これが霊長類と豪語する人間の行き方だろうか?
地球上に数億年も生き残っている生物は、或る時期から‘進歩をやめた’生物である。動物も植物も。





乗り物も‘自転車’どまりでいいではないか!

自動車産業が世界の経済を引っ張る先頭にいる。この車社会のお蔭で経済格差が起こり、環境問題が起こり、歩くのを止めさせられたお蔭で健康問題が生じている。そして、これまで何万人の人達が犠牲になったのだろうか?原発が人間にもたらす害以上の害をもたらしているのに‘利益’が大だからで見過ごしていて良いのだろうか?
これがまたエネルギー確保という問題を生むから平和の維持が出来なくなるのではないか?
歳を取ってくると進歩について行けなくなる。若者の音楽は‘雑音’にしか聞こえない。まして‘スマホ’なんて・・。
何時まで経っても年寄りの真似を皆がした時代、これこそ老人が活き活きと生活できる社会だ!

第八十五段の締めくくりに、兼好法師はこう述べている。
‘偽りても賢を学ばんを、賢といふべし’すなわち、冗談でも賢人の道を進めば、賢人と呼んでも過言ではないという訳だ。
靴屋の息子は靴屋を継ぎ、八百屋の息子は八百屋を継ぐ。そんな平和な時代に早く後戻りして欲しい。量販店やスーパーマーケットなど糞喰らえだ!
原因は、DNAの変化が、時代の変化に追いつかないからだと思われる。



進歩はあっても良いが、‘もう少しゆっくりと’を御願いしたい。












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[2011/12/04 20:42] | 学習と文化 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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