ゲーテとダヴィンチ、二人の天才
ヨーロッパの中世と近世初期は、‘学問の創世時期’でもあり、当然今ほど専門が‘分化’されてはいなかったから、いわゆる‘天才’といわれる人達は、どの分野にもその‘功績’を残している。

その代表選手が、ゲーテとダヴィンチである。

ゲーテ   : 1749~1832

ダヴィンチ : 1452~1519


であるから、およそ300年の開きがあるが、進化の速度が今のように速くは無かったから、まだ天才があらゆる分野で活躍出来る環境にあったと考えられる。

さて、その時期に遺憾なく己の才能を発揮した二人だが、それぞれの生き方はすこぶる違っていた。あらゆる分野で活躍したことを除けば、ただ一つだけの共通点は、自分の主分野での作品を‘未完成’にしたままこの世を去ったことである。

<共通点>

① 当時のあらゆる分野に通じていた。
② 偉大な作品を未完成にしたままこの世を去った。


<非共通点>

① ゲーテには大の‘親友’がいたが、ダヴィンチには親友がいなかった。
② ゲーテには‘愛する女性’が沢山いたが、ダヴィンチにはいなかった。



ゲーテ

goethe.jpg
http://kyouhanshinbun.hp2.jp/german-romanticism.htm

ゲーテ

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83
%B3%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%95%E3%
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ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe[1]、1749年8月28日 - 1832年3月22日)はドイツの詩人、劇作家、小説家、自然科学者、政治家、法律家。ドイツを代表する文豪であり、小説『若きウェルテルの悩み』『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』、叙事詩『ヘルマンとドロテーア』、詩劇『ファウスト』など広い分野で重要な作品を残した。
その文学活動は大きく3期に分けられる。初期のゲーテはヘルダーに教えを受けたシュトゥルム・ウント・ドラングの代表的詩人であり、25歳のときに出版した『若きウェルテルの悩み』でヨーロッパ中にその文名を轟かせた。その後ヴァイマル公国の宮廷顧問(その後枢密顧問官・政務長官つまり宰相も勤めた)となりしばらく公務に没頭するが、シュタイン夫人との恋愛やイタリアへの旅行などを経て古代の調和的な美に目覚めていき、『エグモント』『ヘルマンとドロテーア』『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』などを執筆、シラーとともにドイツ文学における古典主義時代を築いていく
シラーの死を経た晩年も創作意欲は衰えず、公務や自然科学研究を続けながら『親和力』『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』『西東詩集』など円熟した作品を成した。大作『ファウスト』は20代から死の直前まで書き継がれたライフ・ワークである。ほかに旅行記『イタリア紀行』、自伝『詩と真実』や、自然科学者として「植物変態論」『色彩論』などの著作を残している。



ダヴィンチ

davinnchi
http://xn--dckxce3rd.jp/

ダヴィンチ

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%
AA%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%80
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レオナルド・ダ・ヴィンチ (Leonardo da Vinci, 1452年4月15日 - 1519年5月2日 ユリウス暦)はイタリアのルネサンス期を代表する芸術家で、万能人 (uomo universale, ウォモ・ウニヴェルサーレ) などと呼ばれている。
本名はレオナルド・ディ・セル・ピエーロ・ダ・ヴィンチ (Leonardo di ser Piero da Vinci)。
絵画、彫刻、建築、土木、人体、その他の科学技術に通じ、極めて広い分野に足跡を残している。『最後の晩餐』や『モナ・リザ』などの精巧な絵画は盛期ルネサンスを代表する作品になっている。膨大な手稿を残しており、その中には航空についてのアイデアも含まれていた。



以上の引用紹介で、共通点の①の‘当時のあらゆる分野に通じていた’ことが判る。

さて、それでは共通点の②の未完成作品とは?

ゲーテの未完成作品

『ファウスト』(独: Faust)はドイツの文人ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの代表作とされる長編の戯曲。全編を通して韻文で書かれている。『ファウスト』は二部構成で、第一部は1808年、第二部はゲーテの死の翌年1833年に発表された。

大作『ファウスト』は20代から死の直前まで書き継がれたライフ・ワークである。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1
%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%88



上記の如く、‘wikipedia’ では、明確には‘未完成’とは書かれてはいない。

次の引用文は、少々長いが、「完成後の封印」について‘奥深い考察’がされている。ご参考までに・・。


http://movie.geocities.jp/capelladelcardinale/tuika/faust.html

ゲーテ作‘ファウスト’の「完成後の封印」について

追加日 10年8月7日
取り上げた作品 ファウスト
作者 ゲーテ
ちょっとヘンなところ 作品「完成後の封印」について
ちょっと前に、長いこと続いた日本の漫画である「鋼の錬金術師」という作品の連載が、めでたくも終了したそう。
なんでも、最終回を掲載した号が、売り切れになってしまって・・・インターネットで高値で取引とか・・・まあ、作品の内容についてはともかく、値段の問題はここでは関心を持ちません。というか、私はその漫画は読んでいないし・・・

その「鋼の錬金術師」という漫画は、TVアニメにもなっていて、2つのシリーズがありました。
いい作品とのことだったので、アニメについては、2つのシリーズとも私も見てみました。
意外にも、シリアスなテーマの作品で、ある意味において感心しました。
アニメであれ、漫画であれ、あのような問題意識を作品にする・・・そのこと自体はすばらしいことですよ。ただ、そのテーマや内容を、一般の読者や視聴者が本当に理解していたのかというと、まったく別問題でしょう。
その問題意識なり視点は、ゼロから創作する芸術家ならではの視点なんですからね。

じゃあ、具体的には、どんな問題意識なり視点なの?

生きることは、絶え間のない探求であり、そして、選択と判断の積み重ねである・・・
まあ、強引なまとめ方をすると、そんなところでしょう。
結論そのものよりも、結論を出そうとする意欲なり、選択の結果で発生した失敗を受け入れる覚悟を尊ぶ態度・・・そんなテーマといえるでしょうね。固定的な結論に安住することを否定的に見ている内容を持っているわけ。常に進んでいくという、ある種の動的な生成感を重視しているわけです。
絶え間のない探求をテーマとしているがゆえに、連載を終了させないといけない。
長期に渡った作品の終わりというのは、逆説的になりますが、そんなもの。

大団円のようなストーリー的に見ての明確な終了とはならず、このまま続いていくというスタイルを持つ未完のような終了となった場合には、ペンディングをしたままの状態だと、結果的に未完となってしまったのか?それとも、意識的に未完としているのか?それが分かりにくい。
意識的に未完としているものなら、とにもかくにも、形の上では、完結させないとね。このまま続いていく・・・という内容の最後であっても、エンドクレジットのようなものを見せて、「作品としては、これで完了だよ。」と示す必要があるわけ。
たとえ、後になって何がしかを追加するにせよ、形の上では終了させ、後で、途中のエピソードとして挿入していけばいいだけ。
「解決がない」「終わりがない」というものをテーマとした作品であるがゆえに、作品の形としては、いったんは完成させることは必須になってくるわけ。
形の上では完結するからこそ、絶え間のなさ、終わりのなさという点について、その作品のテーマとして、作者が意識的に考えていたことが想定できることになる。

さて、その「鋼の錬金術師」という作品がアニメとなったものを見ていたら、明らかに透けて見える古典作品があります。
まあ、色々と引っ張っておりますが、この文章のタイトルに堂々と書いているだから、スグにわかりますよね?

そう!ゲーテのライフワークと言える作品である「ファウスト」です。
「鋼の錬金術師」という作品と、ゲーテの「ファウスト」は共通性が高いわけ。

そもそも、ゲーテの「ファウスト」という作品の主人公であるファウストさんは、錬金術師としてのキャラクターを持っている。それにゲーテの「ファウスト」にも人造人間であるホムンクルスが登場してきて、それは「鋼の錬金術師」にも、主要な登場人物となっております。

そのような登場人物のキャラクターだけでなく、その作品のテーマといえる「絶え間のない探求」「終わりのない葛藤」は、「ファウスト」も「鋼の錬金術師」も、共通しております。
テーマも共通しているし、登場人物のキャラクターも共通しているんだから、ヘタをすると、盗作と言われても文句は言えないでしょう。
もちろん、ゲーテの「ファウスト」は、あまりに有名な古典作品なんだから、そこから色々と「借りた」としても、いわゆる盗作には当たらないでしょう。それに、もともとファウストさんは実在の人物なんだから、かぶるところもでてきますよ。
盗作というよりもむしろ、偉大なる作品にオマージュを捧げた・・・という言い方の方が近いでしょうね。

逆に言うと、それだけ、人類の普遍的な問題意識をテーマにしていると言えるのでは?

さて、そのゲーテの「ファウスト」ですが、以前より、ちょっと不思議に思う点がありました。

ご存知のように、ゲーテの「ファウスト」は、ゲーテの最後の作品とも言える作品です。
晩年のゲーテは、1831年にその「ファウスト」を完成し、それに封印を施して、その後は、その作品には手をつけず、封印の1年後の1832年に世を去りました。

これは、実に不思議な行動と言えるでしょ?
どうして、封印してしまったの?
どうして、死の前の1年の間に、改訂作業をしなかったの?

私からのそんな疑問を申し上げると、
「まあ、作者のゲーテも、いい加減、年齢を経ていたんだから、もうそんな気力も残っていなかったのでは?」
「老人になったんだから、ゆっくりしたかったのでは?」
「結果的に、余命1年だったわけだから、いくらなんでも創作することも難しいだろう。」

そんな回答をされる方が多いのでは?

その回答は、それなりに説得力があるでしょう。
一般人の皆さんには、共感できる発想といえるでしょうね。
死ぬ前の1年間くらいは、ゆっくりしたい・・・そんな発想を、怠惰とかの言葉をもって非難するには当たらない。そもそもゲーテは、それまでにおいて、一般の人間の何倍も、色々なことをやった人なんですからね。

しかし、ちょっと考えてみてくださいな。
ゲーテの「ファウスト」の基本思想としてよく語られるのが、最後の幕において、天使が語るこの言葉。
「絶えず勤め励むものを、我々は救うことができる。」

人の命が尽きるまで、勤め励むことの価値・・・それこそが「ファウスト」の基本テーマでしょ?
そんなテーマの作品を、書き上げておいて、まあ、とりあえずは完成という形にはなったとしても、どうして、最後の最後まで、補筆したり、文言の修正をしていかないの?

よりにもよって、「ファウスト」だからこそ、命が尽きるまで、手を入れ続けることが、その作品に沿うことなのでは?
そもそも、ゲーテがとりあえず完成させた「ファウスト」には、まだ、手を入れるところが多くある。長期間に渡って書いてきた作品だから、どうしても文章スタイルが制作年代によってばらばらだったりする。それに、ドラマの流れにおいて、飛んでしまっているエピソードもあったりする。もちろん、より日常的な改訂作業といえる文章中の文言の修正だって、自分の書いた文章を読み直せば、必ず出てくるでしょう。

どうして、手を入れないの?
どうして、封印してしまって、手を入れられないようにしてしまったの?
どうして、「絶えず、勤め励む」ことをしないの?

そのように疑問を提示すると、回答と言っても簡単ではないでしょ?

この私でさえ、合点がいきませんでした。

しかし、まあ、この私も棺おけに片脚を突っ込んだ状態になってくると、ゲーテの発想もわかってきました。

文章を書いている人間にしてみれば、命が尽きるまで書き続けることは、実は、精神的にはラクなことなんですよ。
そもそも、ちょっとした事態に接するだけで、「これを書き残しておきたい!」「何とか文章としてまとめておきたい!」そのように思ってしまうもの。
それを踏まえ、文章にしていく・・・
それをしないと、逆に、ストレスになってしまう。

さながら、傷を放置しているようなもの。
作品という「瘡蓋」を施さないと、傷が痛むばかり。

文章の書き手という存在は、そうやって、作品を作り続けてきたわけ。
一般人がよく言ったりする「○○主義」とか「△△論」とかの一般論的なご高説は、創作のエネルギーにはなりませんよ。作り手にとって、もっと個人的で切羽詰ったものが、創作の原動力になるもの。現実的に見て、創作する人が作品のテーマとするのは、自分を一番苦しめているものにせざるを得ない。

創作する人は、苦悩しながら創作するわけですが、それは単に、作品を作らないと、もっと苦悩するから、いささかしょうがなく、創作する面もある。
ゼロから創作するような人は、作品を作るにせよ、作らないにせよ、選択の自由度が低いわけ。

心の傷こそが、作品を作っていき、それが生きている限り続いて行くことになる。
しかし、文章の書き手だって、いつまでも生きていられるわけではない。
文章をまとめる作業というのは、ただでさえ、膨大に体力を消費するし、精神的なエネルギーも消費する。それに、往々にして、経済的には何も貢献しない。
そんなことをやっていたら、やっぱり、棺おけに片脚を突っ込んだ状態にもなりますよ。

となると、自分が残された時間も見えてくる。
そうなってくると、書き残せないものも出てきてしまう。
まとめ切れないものも、出てきてしまう。
いわば、すべてを書ききれないことが見えてくるわけ。

これは実に辛いこと。
「こんなに書き残したいことがあるのに、書き残せないのか?!」
どうしても、そんな苦悩になってしまう。

ゲーテのような鋭敏で創造的な人間が最後の最後に直面し、戦っていかないといけない、そして、受け入れないといけない苦悩とは、まさに「書き残せない」「書ききれない」苦悩なのでは?
「書き残せない」苦悩を受け入れることに、「絶えず勤め励む」必要があるのでは?

そもそも文章を書くような人間は、「ものが見える人間」。
「ファウスト」の中において、ゲーテの白鳥の歌とされる、作品となった文章としては最後の文章があります。
リンコイスという物見によるバラード。
そのバラードの冒頭において「オレは見るために生まれてきた。見ることがオレの職分だ。」と詠う。しかし、終わりになって「ああ!オレの目はあれを見なくてはならないのか。オレはあんなに遠くが見えなくてはならないのか。」と苦悩する。
ものが見える人は、当人が見たいものが見えるのではない。「見たくないもの」まで見えてしまうわけ。
だからこそ、心に傷を負い、その傷を埋めるべく、必死で書き残そうとすることになる。

しかし、見たくないものを見た後で、それについて、もう時間的に作品としてまとめ切れないという自分に直面し、そんな状態を受け入れる・・・それこそが、最後の「勤め励む」ことなのでは?

文章として書き残すことによって、自らの苦悩と向き合ってきたゲーテも、最後には「書き残せないという苦悩」を受け入れる必要もあるわけ。
しかし、書き残せない苦悩というものは、それが文章として書き残されていないのは、小学生でもわかるくらいの簡単な論理。

だからこそ、ゲーテの著作なり私人としての手紙の中には、そんな記述はないかもしれません。
しかし、命が尽きる前の1年の間で、作品に対して手を入れないように、わざわざ封印をする行為から、色々と見えてくるもの。

つまり封印を施さなければ、手をつけてしまう、手を付けたくなってしまう・・・そんな心情があるわけでしょ?
ものを書く人間にしてみれば、いや、文章に限らず、ゼロからものを創作する人間にしてみれば、「書ききれないこと」「制作が完成しないこと」と、どうやって向き合うのか?
そんな葛藤が最後に発生してしまう。
今まで創作してきた者は、創作しきれないことや、創作しきれない自分との向き合い方がわからない。

しかし、現実問題として、いつまでも創作しきれるわけもいかない。
これは精神力ではなんともならない。もはや生物としての属性ですよ。

絶え間なく勤め励み、常に葛藤してきた人間も、彼方にある完全な充足の前に立ちはだかる、書ききれないという苦悩に向き合うことになる。
自分のイマジネーションのすべてを作品にできるものではないでしょう。
創作の旅は、結局は未完成で終わる。
それをどのように受け入れるのか?

その問題は、創作し続けてきた人間にとっては、解決が難しいものなんでしょうね。
しかし、どんな創作者も「未完成で終わってしまう」という葛藤を迎えることになる。
それこそ、日本の芭蕉の辞世の句である「旅にやんで 夢は枯野を かけめぐる」だって、俳句の基本である「五七五」ではなく「六七五」となっております。
つまり、芭蕉の辞世の句は、形の上では未完成となっているわけ。
未完成の形で完成した作品と言えるわけ。
それは、まさに芭蕉の創作人生そのものでしょ?
創作の旅で病んで、創作の旅が形の上では止んで、だからこそ、自らの内にあるイマジネーションがかけめぐることになる。
死の床で、芭蕉の心の中を駆け巡る夢は、「Our little life is rounded with a sleep」という言葉とも遠くないでしょ?

芭蕉だって、最後の最後まで、苦悩と葛藤の日々だったでしょう。
それを、作品にまとめたいと思っていたでしょう。
しかし、やっぱりまとめきれない状態になってしまう。
それをどうやって受け入れるのか?
その解決の一つとして、あの未完成のスタイルを持つ辞世の句なのでは?
まさに、書ききれないことを受け入れた末の辞世の句なのでは?

あるいは、以前にセルジオ・レオーネ監督の最後の作品である「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」を取り上げておりますが、レオーネ監督の最後の作品の、まさに最後のシーンは、ロバート・デ・ニーロ演じる主人公ヌードルスの何とも言えない充足の表情で終わる。
あの表情は、レオーネの臨終の顔なんですね。
レオーネは、もうすぐに訪れる自分の臨終の顔を、自分の最後の作品の最後のシーンで使ったわけ。

あの臨終の顔は、やりつくした充足の顔ではなく、やりつくせなかったことを受け入れた顔と見た方が理解しやすいでしょ?
書きつくせないほどの、描ききれないほどのものを見ているものだけが、つまり「あれを見なくてはならないのか?」と苦悩するものだけが作品を制作しようとする。だからこそ、そんな創作の旅は、いや、自分の傷を埋める旅は、結局は未完成で終わる。
そのような未完成がゆえの充足は、時代を超えて、場所を超えて、多くの創作者の最後に共通しているのでは?



ダヴィンチの未完成作品


「モナ・リザ」の製作期間と未完成の可能性について

http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa2149299.html
「モナ・リザ」の絵画が掲載されている雑誌等には、製作期間?として、1503年~1505年頃と書かれています。
しかし、いろいろな本を調べてみますと、
「実際に着手された年代については不明である。早ければ〈アンギアーリの戦い〉が委嘱された1503年頃に着手されたものと推定される」
とも書かれています。

そして、この「推定される」という意味ですが、

「1504年に、当時21歳のラファエッロがフィレンツェに移住し、4年間ほど滞在していた時にレオナルドと親しくなり、直接絵画の手ほどきを受けている。(レオナルド自身の絵画理論や技術までも)
ラファエッロは〈アンギアーリの戦い〉のためにレオナルドが残したスケッチ類を模写している。壁面にすでに彩色された部分〈軍旗争奪〉ではなく、レオナルドの習作素描を模写している事は、ラファエッロがレオナルドの工房に出入りし、レオナルドの仕事を直に目にしていたことを意味する。
また、ラファエッロが描いた肖像画で〈マッダレーナ・ドーニ〉と〈一角獣を抱く婦人〉が〈モナ・リザ〉の構図を踏襲していることはよく知られているところである。
また〈一角獣を抱く婦人〉の習作素描が現存するが、これは〈モナ・リザ〉の模写といってよいほど構図が似ている。
このことは、ラファエッロがレオナルドの工房を訪れ、制作中の〈モナ・リザ〉を見た事を意味すると同時に、その頃すでに〈モナ・リザ〉はほぼ現在の構図を示す段階にまで描き進められていたことも意味する。」

「したがって〈モナ・リザ〉の制作年代については、厳密にその上限と下限を定める事は不可能だが、1503年頃に着手され、ラファエッロがフィレンツェに滞在していた1504年~1508年までの間にかなり完成に近づいていたと思われる。
ところが、なぜかレオナルドは最終的には完成させず、やがてフランソワ1世の招きでフランスに赴き、1519年にアンボワーズの地で没するまで、ずっと手元に置いたのである。
〈モナ・リザ〉の右手の指の明暗法による立体描写が左手に比べて弱い事などから、結局この作品は未完成の状態にあることが指摘されている。」
との事です。

またレオナルドも「この仕事に苦心惨憺の4年間を費やしたが、なお未完成だった」と述べているそうです。
それから、レオナルドは亡くなるまで〈モナ・リザ〉に筆を入れていたとも言われています。
という事で、1503年から描き始めて1508年頃には、あと一歩というところまで出来上がったけれども、結局は1519年に亡くなるまで筆を入れ続けていた事から、レオナルドにしてみれば完成させる事が出来なかった作品?という事になると思います。



さて、次は、<非共通点>の

① ゲーテには大の‘親友’がいたが、ダヴィンチには親友がいなかった。について

ゲーテの親友

シラーとの交流 [編集]
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%
83%BB%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A
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8B.E4.BA.BA.E3.81.9F.E3.81.A1.E3.81.AE.E8.82.96.E5.83.8F


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ワイマールに立つゲーテとシラーの像

ゲーテとシラーとはともにドイツ文学史におけるシュトゥルム・ウント・ドラングとヴァイマル古典主義(「ドイツ古典主義」、「擬古典主義」などとも)を代表する作家と並び称されるが、出合った当初はお互いの誤解もあって打ち解けた仲とはならなかった。ゲーテは1788年にシラーをイェーナ大学の歴史学教授として招聘しているが、その後1791年にシラーが『群盗』を発表すると、すでに古典の調和的な美へと向かっていたゲーテは『群盗』の奔放さに反感を持ち、10歳年下のシラーに対して意識的に距離を置くようにしていた。シラーのほうもゲーテの冷たい態度を感じ、一時はゲーテに対し反感を持っていた。しかしその後1794年のイェーナにおける植物学会で言葉を交わすとゲーテはシラーが自身の考えに近づいていることを感じ、以後急速に距離を縮めていった。この年の6月13日にはシラーが主宰する『ホーレン』への寄稿を行っており、1796年には詩集『クセーニエン』(Xenien)を共同制作し、2行連詩形式(エピグラム)によって当時の文壇を辛辣に批評した。こうして互いに友情を深めるに連れ、2人はドイツ文学における古典主義時代を確立していくことになった。
この当時、自然科学研究にのめりこんでいたゲーテを励まし、「あなたの本領は詩の世界にあるのです」といってその興味を詩作へと向けさせたのもシラーであった。ゲーテはシラーからの叱咤激励を受けつつ、1796年に教養小説の傑作『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』を、翌年にはドイツの庶民層に広く読まれることになる叙事詩『ヘルマンとドロテーア』を完成させた。1799年にはシラーはヴァイマルへ移住し、二人の交流はますます深まる。また『ファウスト断片』を発表して以来、長らく手をつけずにいた『ファウスト』の執筆をうながしたのもまたシラーである。ゲーテは後に「シラーと出会っていなかったら、『ファウスト』は完成していなかっただろう」と語っている。
1805年5月9日、シラーは肺病のため若くして死去する。シラーの死の直前までゲーテはシラーに対して文学的助言を求める手紙を送付している。周囲の人々はシラーの死が与える精神的衝撃を憂慮し、ゲーテになかなかシラーの訃報を伝えられなかったという。実際にシラーの死を知ったゲーテは「自分の存在の半分を失った」と嘆き病に伏せっている。一般にドイツ文学史における古典主義時代は、ゲーテのイタリア旅行(1786年)に始まり、このシラーの死を持って終わるとされている。

墓はヴァイマル大公墓所(ドイツ語版)(Weimarer Fürstengruft)内にあり、シラーと隣り合わせになっている。



ダヴィンチの親友

ダヴィンチの交友関連

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%AA%E
3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%80%
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513年と1516年にはローマにいた(このころはミラノとフィレンツェ、ローマをたびたび移動していたようである)。当時、ローマではラファエロやミケランジェロが活動していた。ラファエロはレオナルドの絵を模写し、影響を受けているが、ミケランジェロとの接触はほとんどなかったようである。

1515年に即位したフランス王フランソワ1世は、同年にミラノを占領した。この時、レオナルドはボローニャで行なわれたフランソワ1世とローマ教皇レオ10世の和平交渉の締結役に任命され、(恐らくは、このとき初めて)フランソワ1世に出会った。以後、フランソワ1世の庇護を受け、1516年からは王の居城アンボワーズ城に隣接し、フランソワ1世が幼少期を過ごしたクルーの館 (Clos Lucé) に招かれ、年金を受けて余生を過ごした。
レオナルドは、1519年5月2日にフランスのクルーの館で亡くなった。右の絵画ではフランソワ1世に抱かれて死去するさまが描かれている。実際にはこのような場面はなかったが、王とレオナルドの親交の深さが分かる。
レオナルドの遺言状には、彼の葬式に60人の貧乏人に60本の松明を持たせ参列させること。そしてフランチェスコ・ダ・メルツォの裁量にて彼らに参列代として銭を与えること。またさらに、その松明を四つの教会に分けることを希望することなどが遺されていた。



② ゲーテには‘愛する女性’が沢山いたが、ダヴィンチにはいなかった。

ゲーテの場合

ゲーテの女性関係

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%
8F%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%
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(1)21歳の頃恋に落ちたフリーデリケ・ブリオン。彼女との恋愛から初期の抒情詩が生まれた。

(2)22歳のゲーテが思いを寄せ、後に『若きウェルテルの悩み』のヒロインのモデルとなったシャルロッテ・ブッフ

(3)20代の時の恋人リリー・シェーネマン。一時は婚約したもののその後婚約解消となった。

(4)20代から30代にかけてゲーテが愛をささげたシュタイン夫人。彼女との恋愛はゲーテが古典主義に向かう契機となった。

(5)妻クリスティアーネ。ゲーテは彼女との間に息子アウグストをもうけている。

(6)晩年に恋したマリアンネ・フォン・ヴィレマー。『親和力』は彼女との恋愛がきっかけで書かれた。

(7)80歳のゲーテが恋に落ちたウルリーケ・フォン・レヴェツォー。彼女への失恋から『マリーエンバート悲歌』が生まれた。



ダヴィンチの場合

ダヴィンチの女性関係


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%AA%E
3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%80%E3%
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レオナルドは若い頃は「この世で最高の美男子」と呼ばれるほどの美貌の持ち主だったらしいが、生涯特定の女性と親しい関係になることはなく、独身だった



まだまだ学問の発達・進展もままならぬ時代に生きた二人の天才、ゲーテとダヴィンチ。

この二人が、現代に生きていたとしたら、一体どんな活躍をするのであろうか?

ひょっとしたら、彼らの‘生まれ変わり’が今存在するのかも知れない。

そうとすれば、誰なのであろうか?






















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[2012/05/24 10:12] | 学習と文化 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top
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島根大学の客員教授である久保田邦親博士らが境界潤滑(機械工学における中心的摩擦モード)の原理をついに解明。名称は炭素結晶の競合モデル/CCSCモデル「通称、ナノダイヤモンド理論」は開発合金Xの高面圧摺動特性を説明できるだけでなく、その他の境界潤滑現象にかかわる広い説明が可能な本質的理論で、更なる機械の高性能化に展望が開かれたとする識者もある。幅広い分野に応用でき今後48Vハイブリッドエンジンのコンパクト化(ピストンピンなど)の開発指針となってゆくことも期待されている。
[2017/07/29 09:32] URL | パラダイムシフト(ガリレオガリレイ) #- [ 編集 ]
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