春を探して(その3)2016年2月4日(木)の今日は、‘立春’である!
‘立春’は、「節分」の翌日で「寒さがあけて春に入る日」いわば春の初日だそうだから、今日からが‘春’と言うことになる!
春の始まりは、そりゃあ、‘梅’でしょう!
我が家の‘といめん(対面)’は、‘Kさん’ち。
この‘Kさん’ちの庭に一本の梅の木がある。
これも‘借景’と言ってもいいし、‘香り’も‘ただ’だから、我が家にとっては有難い存在である!
この‘梅の木’の咲き方で、春を感じることが出来る!
今日の、この梅の木の花の咲き具合は、以下の通り!
<5> 梅の木















正に、「これから春だ!」という時の花は、梅でなくてはならない!
桜ではいけないのである!(と、私は思っている!)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%A1
日本における梅の文化[編集]
梅は、別名に好文木(こうぶんぼく)、春告草(はるつげぐさ)、木の花(このはな)、初名草(はつなぐさ)、香散見草(かざみぐさ)、風待草(かぜまちぐさ)、匂草(においぐさ)などがある。
江戸時代以降、花見といえばもっぱらサクラの花を見ることとされている。しかし奈良時代以前に「花」といえば、むしろウメを指すことの方が多かった。ウメよりサクラがより一般に愛好されはじめるのは、平安時代からのことである[29]。そしてウメは古里(ふるさと=奈良平城京)の静かな美しさと文化的郷愁の花となり[30]、和歌や能に取り上げられることになる[31]。
天文14年(1545年)4月17日に当時の天皇が、京都の賀茂神社に梅を奉納したと『御湯殿上日記』にあることにちなみ、「紀州梅の会」が新暦の6月6日を梅の日に定めている[32][33]。 また、古来より梅の名所として「梅は岡本、桜は吉野、みかん紀の国、栗丹波」と唄われた岡本梅林(兵庫県神戸市東灘区岡本)は、起源は明確ではないが山本梅岳の『岡本梅林記』に羽柴秀吉の来訪が記されており、寛政10年(1798年)には摂津名所図会に岡本梅林の図が登場するほどの名所であった[34][35]。
平安時代の碩学菅原道真が梅をこよなく愛したことから、道真およびその神格化である学問の神天神のシンボルとして使用されることが多い。たとえば、江戸時代の禅僧で禅画を多く描いた白隠の代表作の一つ「渡唐天神図」には、「唐衣(からころも)おらで北野の神ぞとは そでに持ちたる梅にても知れ」(意訳:これが天衣無縫の唐衣を着た北野天満宮の神であることを、彼が袖に持っている梅によっても知りなさい)の賛が残されている(古くは『菅神入宋授衣記』にほぼ同様の和歌が記載されている)[36]。
(つづく)
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