上野公園の西郷隆盛銅像(その1)
上野公園の西郷隆盛銅像(その1)

2016年3月16日、東京・上野公園へ行った・・・。

上野公園には、名所・旧跡といわれるところや由緒ある建造物や博物館・美術館が沢山ある!
上野公園の正式名称が‘上野恩賜公園’と言われるのに相応しい!

注)恩賜公園(おんしこうえん)とは、第二次世界大戦前に宮内省が御料地として所有していた土地が、公に下賜(恩賜)され、整備された公園である。

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西郷さんも、まさか一寸横を向けば、スカイツリーが見えるとは思わなかったに違いない!

上野公園に‘西郷隆盛’の銅像があることは、ふつ~の人なら誰だって知っている・・・。

しかし、次の二つの質問に二つとも正確に答えられる人は、そうはいない!

<質問>

<質問1>:なぜ、西郷隆盛の銅像が上野公園にあるのか?
<質問2>:西郷さんが連れている‘犬の名前’は何という?


西郷隆盛という人物には、不可解なところが多い(と私は思っている)が、兎に角極めて優れた人物であることには間違いない!
私は、九州福岡県の田舎町の出身であるが、我が高校の講堂には、‘敬天愛人’の扁額が掲げてあった!

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出典/http://ustinaba.blog120.fc2.com/blog-entry-527.html

うろ覚えではあるが、田舎の高校の講堂に掲げてあった扁額の文字は、確か直ぐ上の文字だったと思う。
下の画像の字体ではなかった!

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出典/http://ameblo.jp/tanabenosaito/entry-11863307153.html

西郷隆盛が、‘敬天愛人’の文字を書くようになったのには、その前に彼が京都清水寺成就院の住職・月照と共に、鹿児島錦江湾の海に投身自殺をはかった事件(安政5(1858)年11月16日)と深い関わりがあるという!
出典/http://www.page.sannet.ne.jp/ytsubu/keiten.htm

1875年以降に書かれた書が10点程残っているというから、この事件から17年も経っている!
この‘敬天愛人’という四字成語の原拠について、色々な議論があるのだろうか?
以下の文献が見つかった!

http://members2.jcom.home.ne.jp/mgrmhosw/keitennaijin.htm
敬天愛人の原拠

 敬天愛人の創唱者は、清の康煕帝、ついで中村正直である。

 西郷隆盛が揮毫した「敬天愛人」は、1875年(明治8)以降のものが10点残っている。この語は中村正直(敬宇)の造語で、イギリスから帰国した直後に駿府で「敬天愛人説」(1868年)を書き、ついで静岡で執筆した『西国立志編』(1871年)の訳者緒論にもこの語を使っている。しかしもともとこの四字成語は1671年(康煕10)康煕字典で有名な清の康煕帝が「敬天愛人」という扁額を書いて、キリスト教会に与えたことがあるのが起源である。しかし諸橋大漢和辞典は、この語を西郷隆盛に由来するとしている。
 わたしは10年あまり前に日本医事新報社の依頼を受けて「西郷隆盛書「敬天愛人」の典拠」という文章を書いたことがある。読者の医師から「敬天愛人」はキリスト教思想ではないかという質問があった由であった。
 『日本医事新報』3608号(1993.06.19) 
 この時「二つの「敬天愛人」」(静岡新聞,1993.08.12)も執筆し、こう締め括った。
 「諸橋轍次氏編『大漢和辞典』が熟語について最初の出典を記す方針であるならば、「敬天愛人」の出典については、当然改訂されるべきであろう。」 2年前に京セラの稲盛和夫氏に近い人から、「敬天愛人」について話を聞きたいという打診があった。わたしは以上の大要を述べ、西郷が幕末きっての西洋通の島津斉昭の影響を受けていること、福澤諭吉の『文明論之概略』(1875年)を愛読していたことをあげ、古代中国の道学者風に描くことを止め、文明開化期の啓蒙思想との関連で西郷を評価することを勧めた。しかしそれっきりだった。
 今年出た稲盛和夫氏の新著『敬天愛人』(PHP研究所 2006)は、この点の考察を欠き、まったくのでたらめである。

 西郷隆盛の「敬天愛人」という言葉は、儒教等の古典にあるのではなく、中村正直(敬宇)「敬天愛人説」および『西国立志編』に由来すること、さらに原拠を探れば、清の康煕帝であることは、40年くらい前からの研究者の研究によって明らかになっている。
 しかし「西郷隆盛のホームページ 敬天愛人」(http://www.page.sannet.ne.jp/ytsubu/)をはじめ、多くのサイトで相変わらず学問的根拠はまったくない陳腐な旧説をながながと述べている。
 この文は1993年に求められて書いた拙文である。西郷崇拝も、ちゃんとした学問的根拠の上に組み立てて欲しいものである。

西郷隆盛書「敬天愛人」の典拠(日本医事新報3608号、1993年6月19日付、pp.142-143)
二つの敬天愛人―西郷隆盛と中村正直ー(『静岡新聞』1993年8月12日付所載)
康煕帝と敬天愛人
付記・最近の敬天愛人研究リスト


私も、‘敬天愛人’という‘四文字熟語’(と言っていいかどうかは解らないが・・・)は、西郷隆盛自身の作・造語とばかり思っていたが、どうやら違うらしい!

これは、私にとっては新発見である!
また、西郷隆盛が関係する‘征韓論’についても中々難しい論争があるらしいから、これも今後調べてみたい!

上述した‘二つの質問’の件(くだり)は次回!

(つづく)
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[2016/03/27 23:25] | 歴史 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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