上野公園の西郷隆盛銅像(その2)
上野公園の西郷隆盛銅像(その2) 

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前々回のこのブログで、以下のように書いたのだが、この答えに到達する前に、西郷隆盛の書、‘敬天愛人’のことが気になってしまった!

上野公園に‘西郷隆盛’の銅像があることは、ふつ~の人なら誰だって知っている・・・。

しかし、次の二つの質問に二つとも正確に答えられる人は、そうはいない!

<質問>

<質問1>:なぜ、西郷隆盛の銅像が上野公園にあるのか?
<質問2>:西郷さんが連れている‘犬の名前’は何という?


改めて、以下の質問から・・・。

<質問1>:なぜ、西郷隆盛の銅像が上野公園にあるのか?

勿論、この上野恩賜公園は、西郷隆盛と‘ゆかり’があるのは確かである!

明治維新という‘大事件’があったらばこそ、今日の日本がこのような形で存在するのであるから、もう少しこの歴史的意義を我々も噛み締める必要がある!

「今更、明治維新のことなんて」と言う勿れ!
現在の政治家と比べれば、明治維新を成し遂げた人たちの純粋さが判るというもの!
その中でも一番の正直者は、この西郷隆盛であったことは言うまでも無い!

西郷隆盛と幕府陸軍総裁の勝海舟が会談し、徳川慶喜の水戸謹慎と‘江戸城の無血開城’を決定して江戸総攻撃は回避された後に起こったのが‘上野戦争’である。

江戸幕府の残党が彰義隊を編成して新政府軍と向かい合った時に、大村益次郎の指揮下にあった西郷隆盛率いる薩摩軍の働きで‘上野戦争’は終結を見たのである!

そんな訳で、上野の森と西郷さんは、深い、深~い関係があるのであ~る!

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1111462131
上野には、西郷隆盛と歴史的な、ある種の「ゆかり」があります

それは、江戸時代の末期にあった「上野戦争」の立役者の一人が西郷隆盛だった、ということです。
 いまの上野公園は、江戸時代には上野山東叡山寛永寺といいまして、徳川家の菩提寺でした。寛永寺本坊の規模は当時3,500坪(約11.5ヘクタール)という広大な敷地でした。つまり、上野公園と上野動物園一帯は寛永寺の敷地だったのです。
 戦争の起きた時は慶應4年5月15日でして、上野の寛永寺に立て籠もった彰義隊(江戸幕府の残党であり、正規軍とはいえないようですが)と、新政府軍(薩摩、長州、土佐、佐賀などの連合軍)との戦いです。
 最初のうちは、彰義隊もかなり善戦したといえます。
 しかし、西側からの肥前佐賀藩によるアームストロング砲が、加賀藩邸(現在の池之端付近の東京大学)から不忍池を越えて砲弾を打ち込まれるようになり、相当の威力を発揮したことから、戦局が決定されました。
 南からは寛永寺黒門口に薩摩藩の西郷隆盛が、当時における最強の薩摩軍主力部隊を指揮し、防備を破って攻め入り、最終的に戦争に勝利しました。これは西郷隆盛が41歳のときでした。 上野戦争については、「彰義隊」(吉村昭)や「彰義隊遺聞」(森まゆみ)にも書かれていますが、
↓にも、詳しく書かれています。
 http://www7a.biglobe.ne.jp/~soutokufu/boshinwar/ueno/main.html
 http://www.globetown.net/~hara_1962/BAKUMATU/bakumatu_03.html


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出典/http://www.kurofune-shachu.com/shiseki/zokukaneji.html

出典/http://www.kurofune-shachu.com/shiseki/zokukaneji.html

・・・・・・・・
迎え撃つ彰義隊は山王台(西郷さんの像のある高台)から反撃します。

寛永寺のある上野山は、山というだけあって高地から攻撃できる彰義隊は最初は優勢だったようですが、そのうち新政府側のアームストロング砲による砲撃が届くようになると形勢は一変しました。

飛距離のあるアームストロング砲が不忍池の向こう側、富山藩邸(現在の東大付属病院あたり)からガンガン打ち込まれて、守っている彰義隊士を直撃し、根本中堂(現在の噴水広場あたり)などもすっかり焼かれていしまいます。

また、新政府軍は黒門外にある料理屋「雁鍋」と「松源」の2階から山王台の彰義隊を狙撃して黒門を突破したようです。

不忍池付近にあった穴稲荷門も突破され、山内に入った新政府軍は、彰義隊が本営としていた寒松院(現在の上野動物園入り口あたり)や御本坊(現在の国立博物館あたり)などに次々と放火して焼き尽くしました。

朝始まった戦闘は、彰義隊の惨敗という結果でその日の夕方5時くらいには終結したそうです。。。


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上野山の黒門では東征軍と彰義隊の壮絶な攻防戦が繰り広げられた(彰義隊奮戦の図)
出典/http://www.geocities.jp/satopyon0413/xyz-test1.htm
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佐賀藩兵上野彰義隊砲撃図
出典/http://www.geocities.jp/satopyon0413/xyz-test1.htm

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薩摩の西郷隆盛(左)と長州の大村益次郎(右)
出典/http://www.geocities.jp/satopyon0413/xyz-test1.htm

今の上野公園は、動物園や博物館や桜で賑わう平和そのものであるが、当時に我々も少しは思いを馳せることも重要なのだろう!

(つづく)
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[2016/03/28 13:24] | 歴史 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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