皇居前広場の楠正成銅像
皇居前広場の楠正成銅像

皇居前広場には、楠正成公が名馬に跨っている大きな銅像がある!

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戦前の小学校(=尋常小学校)の教材には、‘楠正成’(=大楠公)の物語があったという・・。

私は、昭和14年7月の生まれであるから、小学校に上がったのは、昭和21年である・・・。
従って、今風に言うなら‘小学校の第一回生’であるから、‘新時代’?の教材だったので、大楠公の物語は教わらなかった!

今の若者に「‘大楠公’って、知ってます?」と聞いてみたって、ほとんど、いや完全に全部の人が「‘だいなんこう’ってなんです?」としか答えない!

ひどい人になると‘大軟膏’と勝手に思い込んで、「痒み止めの軟膏に大きいのが出来たのですか?」というとんでもないことを返してくる慌て者もいるというから、‘大楠公’も‘塗り薬’にまで落とされて苦笑いというところだろうか?

もう少し、大楠公様のお顔がよく見えないのかと、NETで探してみたが、下の画像で精一杯である!

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出典/http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/51584157.html
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出典/http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/51551744.html
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出典/http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/51551744.html

今回は、残念ながら‘スマホ’しか持参していなかったので、次回は‘望遠の利く’ぼろカメラで顔をクローズアップしてみたい!

さて、この銅像の下にある‘銘板’に書かれている内容は?

http://hanaturuse.exblog.jp/19937439/

祖先友信開伊
 予別子山銅坑子
 孫継業二百季亡
 兄友忠深感国恩
 欲用其銅鋳造楠公
 正成像献之闕下
 家允未果継其志
 菫工事及功竣謹献

 明治三十年一月
 従五位住友吉左衛門謹識


 臣の祖先の友信、伊予の別子山に銅坑を開きしよ(自)り、子孫、業二百季を継ぐ。 亡き兄、友忠、深く国恩を感じ、其の銅を用ゐて楠公正成像を鋳造し、之を闕下に献ぜんと欲すれども、家允未だ果たさず。 臣、其の志を継ぎ、菫(わず)かに工事し、功竣するに及び、謹みて献ず。

 明治三十年一月

 従五位臣住友吉左衛門謹みて識(しる)す。

うううん・・・。 「家允」が分からなくて・・・。たぶん、允は「胤」の当て字で、「家胤(家の後継ぎ)」・・・。苦しいかなぁ。

さて、訳ですな。

「臣の祖先の友信(住友財閥の三代目で17世紀後半の人)が、伊予(愛媛県)の別子山に銅坑を開いてから、子孫がその商売を二百年引き継いで参りました。今は亡き兄の友忠は、国の恩に深く感じ入り、「この銅山で産出される銅を用いて、楠正成公の銅像を鋳造して、天皇陛下に献じよう。」と望んだんですが、後継ぎも未だにこれを果たせないでいました。そこで、臣がその遺志を継ぎ、少しだけ手を加えて、竣工(完成)の運びとなり、ここに謹んで献じる次第です。

明治三十年一月

従五位 臣 住友吉左衛門 謹んで記す(次第です)」


次回は、楠正成の人物について・・・。
それが判ると、何故、この銅像が皇居前広場にあるのかが理解出来る!

(つづく)
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[2016/04/29 23:14] | 歴史 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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