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永遠に死なない方法?(その1)
死なない方法があるという。ただし、今既にあるのではない。考え方はあるが、それを実現する方法はまだ確立されていない。ただ、我々は皆‘死なない方法がある’とは考えたことが無いから、そんなものがあるはずはないということでそれ以上の探索は誰もしない。だから、死なない方法を探究する‘学問’は進展しない。

これまでの人類の歴史上での大きな課題は、死なない方法ではなく、死を先送りすることつまり‘長寿’の努力は探求されてきた。秦の始皇帝然り、徳川家康も然りである。しかし、長寿は探求したとしても‘死なない方法’を探究しようとはしなかったのではないか?古代エジプトでは、‘生き返る’とは信じられていたかも知れないが。

前置きが長くなったが、その方法とはこうである。
人間が生きていると自分で自覚するということはどんなことか?多分プロの医学研究者に言わせると違った答えなのかもしれないが、ど素人にとっては以下のようなことではないかと思われる。

自分の脳の記憶や意識が、‘自分は何処の誰平’だと判断した瞬間に‘自分’を意識して、なおかつ‘自分は生きている’と感じることではないか?

改めて自分で自分を振り返ってみた場合、‘たったそのくらいのこと’で生き死にを判断しているのではないかと思われる。さて、それでは‘永遠に死なない’方法とは、‘自分という事が認識できる状態’で‘生きている’と認識できる‘方法’ということになる。例え長寿になったとしても自分を自分と認識できなければ、自分自身としては‘生きている’ということにはならない。他人には生きていると判断されたとしても・・。





もう少し話を簡単明瞭にするためには、人間が、‘肉体’と‘意識’とで出来ていると割り切ればよい。
‘死ぬ’ということは、肉体(ハードウエア)と意識(ソフトウエア)が同時に‘死滅’してしまう‘はず’だから、人間は永遠に生きることは出来ない、という結論となっているだけである。
意識というソフトウエアは多分その大部分は自分の‘脳の中の記憶(記憶はハードウエアか?)’として存在する。意識とは何ぞやの議論はここではせずに、意識もメモリーとして存在するから‘物質’と見做すと仮定する。何故‘物質’と見做すことを強調しているかというと、意識がメモリーとして‘持ち運べる’かどうかを議論するためである。



周辺技術を見回してみると、大容量メモリーの開発は目まぐるしく光ディスクやフラッシュメモリーでは何十Gなど格安で素人にでも手に入る時代となった。人間の頭脳の記憶容量がどの位大きいかの正確な値は知らないが、我々凡人なら普通の光ディスクが100枚もあれば事は足りる。
この媒体を使って、‘意識’であるソフトウエアたるハードウエアを人間から人間に移そうというのである。

上手く移せたとすれば、移した前後の人間は、ある範囲内では同一人物ということになる。すなわち、意識のコピーを他人に受け取らせるのである。受け取らされた御仁は否が応でも‘原版’の人間の意識を受け継がざるを得ない。死にそうな人間から活き活きとした人間に意識がコピーされたら自分を原版人間と意識できるから、原版人間はそのまま行き続けることが出来る。その繰り返しが上手く行けば‘永遠に死なない人間’が登場するという訳だ。

只今現在、まだ技術として完成されていないのは、‘読み取り・書き込み’の技術である。人間の頭脳から意識を一旦光ディスクにメモらせた後、他人様の頭脳に書込まねばならない。これは恐ろしいことである。人格の変換が起こりうるからである。

はてさて、この倫理問題を先に解決しておかないと技術は出来たとしても実用化は難しいに違いない。









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[2011/12/10 15:27] | 健康と医療 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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