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奈良の大仏様:千葉県市原市奈良369-2
2012年6月10日、千葉県は前日に梅雨入り宣言だったが、今朝から雨は降っていなかった。

ひと月ほど前に町内に引っ越しをして来れたご夫婦を近所の名所へご案内する約束をしていたので、梅雨入りはしたが雨の降らない内にと思い立ってお誘いすることにした。

ほとんど知られていないが、それなりの場所がいい。
我々もこちら(千葉県茂原市)へ越してきて‘あっ!’と驚いた場所がある。

それが、表題の「奈良の大仏」様 である。正式な所番地は、「千葉県市原市奈良字大仏台269-2」( wikipedia :http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%88%E8%89
%AF%E3%81%AE%E5%A4%A7%E4%BB%8F_(%E5%B8%82%E5%8E%9F%E5%B8%82)
)であったらしいが、現在は「千葉県市原市奈良369-2」(市原市役所HP:http://www.city.ichihara.lg.jp/320syougai/bunkazai.html)となっている。

【名勝】

(指定);市(市原市指定文化財)

(名称):奈良の大仏

(所在地):(千葉県市原市)奈良369-2

(所有者・管理者):本泉寺他32名

(指定年月日):昭和49年6月10日


さて、‘大仏通り’という名称もその存在を明確に物語っているが、‘大仏’という感覚からすれば、奈良県・東大寺の大仏様か鎌倉の大仏様を思い起こすから、さぞかし‘大きな’大仏様が鎮座しておられるものと思うのが普通である。

大仏通りを暫らく走ると、標識が眼に入った。

奈良の大仏・大仏通り看板
http://chibahatu.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-6674.html

直角に曲がれば、あと1.3kmで‘市指定名勝奈良の大仏’様のおられる場所に到着という標識である。

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画像ー12 004 posted by (C)mobaradesu

看板だって、流石に‘屋根付き’である。市原市指定文化財「奈良の大仏 とある。

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画像ー12 006 posted by (C)mobaradesu

あった、あった!  何度も来たことがあるが、最後に来たのは2年も前のことだったから、妙に懐かしかった。
何だか少し周りも綺麗になっているような気がした。カミサンもそう言う。

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画像ー12 005 posted by (C)mobaradesu

この看板には、残念ながら‘由来’が書いてない。何時頃、誰が、何の目的で建立したのか?

そして、市原市が、何故‘市の指定文化財’に指定したのか? そんなことをこの看板は教えてくれない! 

まさに‘お役所仕事’の典型である。看板を‘出しときゃあ、いいでしょう!’という自分勝手な理由なのだろうが、文章を考えた人もそうだが、それに‘盲判’を押した上司も上司である。そしてまた市の文化財に指定するための委員会の委員には、少々地元の歴史に詳しい‘郷土歴史家’の先生だっておられたに違いないが、そんな人も誰も‘ケチ’をつけていないなんて・・。

「市原市が‘公務員天国’であることが、このたった‘一枚の看板’から判りますネ」‘相棒’の‘杉下警部’が、もしもこの場所を訪れたとしたら、そう言いそうな看板である!

ただし、‘将門伝説’という4文字が気になった。

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画像ー12 009 posted by (C)mobaradesu

丁度、背後から光を浴びておられたため、一層‘厳かさ’が増して見えた。

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画像ー12 010 posted by (C)mobaradesu

何となく‘ビートたけし’にも似た風貌である。建立の当時、ビートたけしが居た訳ではないから、この大仏様がビートたけしに似ているのではなく、ビートたけしが、この大仏様に似ているのだ! ああ、日本語はややこしい!

ビートたけし
ビートたけし。まさに、生き写し! http://vk.com/wall126598963

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画像ー12 028 posted by (C)mobaradesu

おやおや、何だか小さい仏様が置かれている。

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画像ー12 029 posted by (C)mobaradesu

立像に坐像にお茶である。

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画像ー12 030 posted by (C)mobaradesu

足元には、今朝入れ替えられたばかりと思われるお花が供えられている。
案内の看板は、内容が一寸だらし無いが、‘管理’はきちんとしているらしく清々しくて気持ちいい。上述(市原市のHP)の通り、管理は‘本泉寺他32名’となっているから、管理はお役所ではないのだ!な~る程、それで・・・。

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画像ー12 043 posted by (C)mobaradesu

我々とは別に初老のご夫婦も訪れておられるところをみると案外‘人気スポット’なのかもしれない。

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画像ー12 017 posted by (C)mobaradesu

一つ手前の写真にも写っているが、この写真の‘中央部’にまで左上から‘枝’が出ている。丁度‘参道’を覆う格好になっている。「この‘枝’を切っていないのが大変よろしい!」ご案内したご夫婦のご意見である。

残念ながら、この写真では、その‘センス’は伝えられない。やはり何事にも‘センス’が必要である。
それにしても、案内看板の‘センスのなさ’にはいささか参った。‘センスがなくてウチワもめ’などと古くからの‘オヤジギャグ’にもあるのに!

周りの田園風景にも‘のんびりとした’光景があり、兎に角ここへ来れば大いに‘癒される’。

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画像ー12 020 posted by (C)mobaradesu

この‘大樹’も見事である。

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画像ー12 024 posted by (C)mobaradesu

何年ものだろうか? これだって「推定何年ぐらいだ」と言うこと事位は書いてもいいではないか!

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画像ー12 031 posted by (C)mobaradesu

参道側。この参道には、次の写真のように‘ツツジ’が一杯。

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画像ー12 039 posted by (C)mobaradesu

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無題-2 posted by (C)mobaradesu

簡易駐車場の向う(写真の赤い枠)には、畑をやっている人が見える。望遠でパシャリ・・・。

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画像ー12 042 posted by (C)mobaradesu

まるで‘時間が止まっている’。


この後は新来のご夫婦と一緒に‘長柄ダム’へ、そして‘生命の森リゾート’へ行くのだか、これは後日このブログで・・・。

さて、‘将門伝説’がやはり気になったので、調べてみた。
その調査の途中で、大変なことが判った!

この‘奈良の大仏’様が、何と昨年の‘東日本大震災’の起こった3月11日に‘立像’が台座から落っこちてしまったという。そして、‘首’まで取れて・・・。何と言うことだ!

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http://www.chibanippo.co.jp/c/news/local/59257

奈良の大仏・新聞報道.JPG-2
拡大写真

「奈良の大仏」修復へ
http://www.chibanippo.co.jp/c/news/local/59257

震災で損壊した市原市指定文化財
2011年10月01日 16:00

 3月の震災で頭部の一部などが損壊した、市原市の指定文化財「奈良の大仏」(同市奈良)の修復作業が行われる。あす2日に地域住民らが安全祈願祭を行う。奈良の大仏は、その名称と「将門伝説」も相まって隠れた人気観光スポット。地域にとっては大切な守り神でもある。地域住民は「ホッとしている。元のお姿で地域を守っていただきたい」と願っている。

 大仏が最初に建立されたのは、平安・承平元(931)年といわれる。その後、何度か造り直され、現在の大仏は江戸・文化元(1804)年の建立。大仏といっても石造で、高さ174センチの釈迦(しゃか)如来立像。1974年に同市指定文化財となった。

 建立の目的は不明だが、平将門が関わったという「将門伝説」がある。後に平貞盛とともに将門を討つ藤原秀郷の妹で、将門の愛人となり秀郷に内通する桔梗の前が同地区に居を構えていたと伝えられている。桔梗の前の墳墓は大仏に近い永吉地区にある。

 有名な大仏と同じ名称とミステリアスな伝説がインターネットなどの口コミで伝わり、大仏はひそかな人気の観光スポット。平日でもこの大仏を訪ねる歴史ファンがいるという。



奈良の大仏・新聞報道.JPG-2-2 画像ー12 010-2

左の画像:報道写真から  右の画像:私が撮った写真

比較して見ると、‘同じものとも思える’し、‘違うと言えば違う’と言える。

奈良の大仏・新聞報道
http://team-vient.blog.so-net.ne.jp/2011-10-06-1

さて、平将門についての情報は、以下のブログに一番詳しく書かれている。

西村治彦の旅日記
http://ameblo.jp/haruhikonishimura/entry-10894630132.html
からの引用で、‘事件’の様子を見させて頂くことに・・・。

2011-05-18 09:00:00
奈良の大仏の倒壊 市原市奈良字大仏台

奈良の大仏と言えば 奈良県の奈良市にある日本一大きな大仏のことを思い出します。日本人なら誰しも一度は行ったことが あるのではないかと思います。修学旅行、その後の旅行、新婚旅行etc。大仏は東大寺大仏殿の本尊で 釈迦如来像であります。

奈良の大仏 東大寺
http://ameblo.jp/haruhikonishimura/entry-10894630132.html

745年(天平17年)の制作とされ 国宝となっています。制作費は現在の価格にすると 当時4657億円 掛かかったそうであります。年収1億円のプレーヤーでも 4657年掛かるので 制作不能でしょう。
 千葉県市原市にも「奈良の大仏」がありました。なぜ「市原の大仏」と言わないのでしょうか ? それは 遠い昔の平安時代に「平将門(たいらまさかど)」と言う豪族が 下総にも「奈良の大仏」と同じような大仏を置いて「西の奈良、東の奈良」と、自分の力を示すために、931年に ここの場所に「奈良の大仏」を 銅で作り 置いたと伝えられています。

平将門
http://ameblo.jp/haruhikonishimura/entry-10894630132.html

大仏は代々 受け継がれ ましたが、どういう訳か 1804年には 現在の石製の大仏になってしまったそうです。
 「平将門」は、平安時代、当時の朝廷の政治に不満を持ち、下総付近で反乱を起こしました。そして西の天皇に対し 新しい天皇と言う意味で「新皇」を名乗りました。その時 奈良の東大寺の大仏を模して ここにも大仏を置いたのでした。「平将門」の威勢と名声は関東一円に鳴り響きました。「平将門」は岩井(現在の茨城県坂東市)に政庁を置いて「新皇」を名乗りました。
 「平将門」が「新皇」を名乗ってから 朝廷軍と将門軍の間で戦いが始まりました。戦いでは、最初 順風で優位であった将門軍は、暫くして逆風になったため、前線で指揮を執っていた「将門」が 朝廷軍の流れ矢に こめかみを射抜かれ 打ち取られてしまいました。これを「平将門の乱」と呼んでいます。しかしながら 「将門」は 当時の疲弊した人々の見方となっていたため 各地で「平将門」を崇(あが)める運動となりました。そして現在に至るまで 各地に「将門塚」が建てられたのでした。



奈良の大仏 銅像がない
http://ameblo.jp/haruhikonishimura/entry-10894630132.html

奈良の大仏 地震で落ちた大仏
http://ameblo.jp/haruhikonishimura/entry-10894630132.html

奈良の大仏 落ちた大仏
http://ameblo.jp/haruhikonishimura/entry-10894630132.html

奈良の大仏 落ちた大仏 頭がない
http://ameblo.jp/haruhikonishimura/entry-10894630132.html

奈良の大仏 頭のない大仏
http://ameblo.jp/haruhikonishimura/entry-10894630132.html

奈良の大仏 頭の欠けた部分
http://ameblo.jp/haruhikonishimura/entry-10894630132.html





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http://www.chibanippo.co.jp/c/news/local/65321

奈良の大仏 修復が終わった 報道
拡大写真

「奈良の大仏」復活
http://www.chibanippo.co.jp/c/news/local/65321

 震災で損壊、修復し開眼 市原市指定文化財
2011年11月21日 11:13

修復作業が終わった奈良の大仏の開眼供養式で焼香する地域住民=20日、市原市奈良
 3月の震災で損壊した市原市の指定文化財「奈良の大仏」(同市奈良)の修復が終わり20日、仏像に魂を入れる開眼供養の法要が行われた。

 同大仏は、最初の建立が平安時代といわれ、現在の釈迦如来立像の石仏は江戸・文化元(1804)年建立。名称と、建立に悲運の武将・平将門が関わったとされる「将門伝説」から、人気の観光スポット。1974年に同市指定文化財となった。

 震災では本尊が高さ3メートルの台座から地面に落ち、頭部が首から取れて欠損した他、胸部の一部も欠けた。地域住民と市が修復費を折半する形で先月から修復作業が行われていた。

 欠損部分の修復の他、再発防止へ本体が台座から抜けないよう固定。また、周辺には灯籠や浄財箱が新たに設置された。




wikipedia には、由来等も記述されている。

奈良の大仏 (市原市)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%88
%E8%89%AF%E3%81%AE%E5%A4%A7%E4%B
B%8F_(%E5%B8%82%E5%8E%9F%E5%B8%82)


奈良の大仏(ならのだいぶつ)とは、千葉県市原市奈良字大仏台に建立された釈迦如来像である。

概要 [編集]

承平元年(931年)に建立された。初代は銅製であったといわれている。その後再三の建立により、現在のものは文化元年(1804年)に建立された等身大(像高約1.7m)の石製立像である。
由来 [編集]

平安時代、下総付近で朝廷に対して反乱を起こした平将門が、新皇を名乗った時にこの地の北方に京を模した自らの都を構えた。その際に、京の南の奈良の東大寺の大仏を模して建立されたと言われている。
文化財 [編集]

市原市指定名勝
所在地 [編集]

千葉県市原市奈良字大仏台269-2
その他 [編集]

大仏の1.3km南には「大仏通り」という名称の道路が東西に走り、参道に繋がる道路と交差している。その名称はもちろん「奈良の大仏」に由来するものであるが、この道路は近年建設されたものであり、旧来の参道でも参詣道でもない。しかし、その「大仏通り」という名称からこの道路をこの大仏の参道と勘違いしてしまう参詣者が多い。
参道沿いにある「奈良児童遊園」は、通称「奈良公園」と呼ばれている。遊具が設置され、ゲートボール場も備えている。




上記の‘wikipedia’の記述に多少‘批判的な’ブログあります。


http://ebichiri.air-nifty.com/pdiary/2010/11/post-1e6f.html
(画像は上記とダブるため割愛)

2010.11.22

奈良の大仏(市原市)

 昨日22:30臥床。本日5:10起床。気温15℃。天気:曇。
 昨晩は早く寝たのに、また途中で起きる。なんか睡眠のリズムが悪い。
  
 ・奈良の大仏(市原市)
  
 ちょっと前に千葉県市原市に「奈良の大仏」と言う、奈良県東大寺にある「東大寺盧舎那仏像」と同じ呼び名を持つ仏像を見てきました。
  
 この千葉の奈良の大仏は、Wikiによると平将門が新皇を名乗った時に、奈良の東大寺盧舎那仏像を模して建立した物らしいです。
 ただ、この建立が承平元年(931年)と言うのは、個人的に引っ掛かります。
 931年当時は、まだ将門も新皇などと名乗っていなく、それどころか、関東にすらいなく京都在番の武士だった頃のような気がします。
 故に、このWikiの説明は正確には「平将門が新皇を名乗った際、奈良の東大寺を模して、ここの大仏を奈良の大仏と名付けた」となるような気がします。
 もしくは、建立の年が違うかですね。
 
 さて、その市原の奈良の大仏の参道入り口です。
 メッチャ辺鄙な所にあったので、車で行くと見逃しそうです。
  
 説明看板。
 将門伝説云々書かれていますが、建立の年とかは書かれていませんでした。
 
  
 そして、奈良の大仏(市原市)
 等身大大仏ということで、1.7mくらいらしいです。
 小さいと聞いていたので、別にビックリしませんでしたが、大仏の足元にお供え?なのか、缶や瓶を並べているのはどうかと思いました。
  
 この大仏以外には大したものはありません。
 ここの名前も奈良公園と言う事ですが、鹿はいません。鉄棒があったくらいかと思います。
 まあ、ここに行こうと思われる方は、まず少ないと思いますが、力んで行っては絶対にダメです。
 何かのついでか、ネタの為だ、という思いで行くんであればよろしいかと思います。
 
 




<結論>

千葉県市原市の奈良の大仏について、説明看板の不備を補うために約10時間の調査を web で行なった。
真実を知るには、もっと突っ込んだ調査が必要であることは言うまでもないが、そこそこの結論は出たとも思われる。

‘①いつ頃、②誰が、③何の目的で建立したのか?’については、上記の通りであるので纏めると以下のようになる。

① 何時頃:承平元年(931年)に建立された。( Wikipedia )これには多少の補足がいるようだ(上記ブログ参照のこと)。

② 誰が:平将門(勿論、実際に施工したのは、彼ではない!)

③ 何の目的で:平将門」は、平安時代、当時の朝廷の政治に不満を持ち、下総付近で反乱を起こしました。そして西の天皇に対し 新しい天皇と言う意味で「新皇」を名乗りました。その時 奈良の東大寺の大仏を模して ここにも大仏を置いたのでした。


この③の記述から、元々この地に‘奈良’という地名があったのではなく、平将門が‘東の奈良’としてこの地を‘奈良’と呼ばせたに違いない!(これ、私の推測)

これが今回の疑問に対する結論である。

しかし、平将門も度胸の或る人物である。

ご本人は当然、奈良・東大寺の大仏を知っておきながら、こちらの‘東の奈良の大仏’は如何にも小さ過ぎる。
これで、西に対抗しようとした訳だから、その度胸は・・・。

ただし、最初に建立されたのは‘銅製’だったそうで、それがどのくらいの大きさだったかは、まだ調べ切れてはいない。そして、何故銅製から石像に替わったのか?

まだまだ、疑問は多い!


































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[2012/06/14 12:15] | 観光 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top
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コメント
2012/06/14の奈良の大仏(市原市)についての記事で、
銅製だったはずの大仏様が石製になってしまった謎、
私もふと気になって1804年についてWikiを見てみました。

そうしたところ、なんと1804年にも東北で”象潟地震”という
津波と土地の隆起を伴った大地震があったようです。

象潟(秋田県にかほ市)は日本海側ですが、
同じ北米プレート上なので、東日本大震災の時と同様に
千葉(下総)も相当揺れたと思われます。

もしかすると、その時に復興費などに必要とされて
銅から石に変わったのかもしれませんね。
[2015/03/29 15:14] URL | 子和清水 #- [ 編集 ]
Re: タイトルなし
清水 和子 様

拝復 貴重なコメント有難うございます!

   1804年の日本様子を調べることに着目された‘慧眼’に感謝致します!
   また、‘銅から石への変換’のご推測にも感激しました!

   私のブログには、誤字脱字や言い回しの稚拙さが多少ありますが、今後とも
   ご批判も含めて色々ご指導賜りますように!

   今後とも何卒よろしくお願い致します!
   
   有難うございました。

   3/31   mobaradesu


   > 2012/06/14の奈良の大仏(市原市)についての記事で、
> 銅製だったはずの大仏様が石製になってしまった謎、
> 私もふと気になって1804年についてWikiを見てみました。
>
> そうしたところ、なんと1804年にも東北で”象潟地震”という
> 津波と土地の隆起を伴った大地震があったようです。
>
> 象潟(秋田県にかほ市)は日本海側ですが、
> 同じ北米プレート上なので、東日本大震災の時と同様に
> 千葉(下総)も相当揺れたと思われます。
>
> もしかすると、その時に復興費などに必要とされて
> 銅から石に変わったのかもしれませんね。
[2015/03/31 09:10] URL | mobaradesu #- [ 編集 ]
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