佐々木亮介画伯の最新作!
佐々木亮介画伯の最新作!

昨日(2016年10月7日)の本ブログで、佐々木亮介さん達の千葉支部が、東京銀座の‘渋谷画廊’で小品展示会を開催されたので、その展示会に10月2日(日)の最後の日にやっと行かせて頂き‘感動’した旨を書かせて頂いた!

その作品が、これ!

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絵画は、その構図が‘命’の一つである!
したがって、その大事な他人様の作品を、勝手に許可なく‘トリミング’することは許されない!
しかし、詳細に‘鑑賞’する場合に限って、特徴ある部分だけに神経を集中するためにだけなら、‘トリミング’は許して貰えるのではないか!と勝手に思っている!

そんな訳で、尊敬する‘佐々木亮介画伯’の展示作品を、トリミングさせて貰った(お許しを!)

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上の様にこの部分を強調してみると、何が見えてくるだろう?
そう、そう!
この六角形のお堂‘弁天堂’の真下に描かれている‘不忍池’の‘水’が、いかにも‘活き活き’としているのに気付かされる!

我々が、小学校の時に教わった‘絵の描き方’の最大の‘コツ’は、「画用紙に、塗り残しがあってはならない!」ということだった!
これは、‘写実主義’の基本である!

しかし、しかし、今から百年も前から芸術の都パリでは、印象派が誕生した!
勿論、印象派の誕生は、‘すんなり’と行った訳ではないことは周知の通りである!

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%B0%E8%B1%A1%E6%B4%BE
印象派(いんしょうは)または印象主義(いんしょうしゅぎ)は、19世紀後半のフランスに発した絵画を中心とした芸術運動(英語版)であり、当時のパリで活動していた画家たちのグループが起源である。フランスの保守的な美術界からの激しい批判にさらされながらも、独立した展覧会を連続して開催することで、1870年代 - 1880年代には突出した存在になった。この運動の名前はクロード・モネの作品『印象・日の出』に由来する。この絵がパリの風刺新聞「ル・シャリヴァリ(フランス語版)」で、批評家ルイ・ルロワ(英語版)の槍玉に挙げられ、その結果「印象派」という新語が生まれた[1]。

印象派の絵画の特徴としては、小さく薄い場合であっても目に見える筆のストローク、戸外制作、空間と時間による光りの質の変化の正確な描写、描く対象の日常性、人間の知覚や体験に欠かせない要素としての動きの包摂、斬新な描画アングル、などがあげられる。

印象派の登場当初は、この時期には王侯・貴族に代わって芸術家たちのパトロン役になっていた国家(芸術アカデミー)にも評価されず、印象派展も人気がなく絵も売れなかったが、次第に金融家、百貨店主、銀行家、医者、歌手などに市場が広がり、さらにはアメリカ市場に販路が開けたことで大衆に受け入れられていった[2]。 ビジュアルアートにおける印象派の発展によって、他の芸術分野でもこれを模倣する様式が生まれ、印象主義音楽や印象主義文学(英語版) として知られるようになった。

初期の印象派画家達は、その当時の急進派であり、アカデミー絵画のルールを無視した。彼らはウジェーヌ・ドラクロアとJ.M.W.ターナーのような画家たちに影響されて、線や輪郭を描くのでなく絵筆で自由に絵の具をのせて絵を描いた。また当時の実生活の風景を描き、ときには戸外でも描いた。 それまでは静物画や肖像画はもちろん、風景画でさえもアトリエで描かれていた。 (例外はカナレットであり、彼は屋外でカメラ・オブスクラを使って描いたらしい。)

印象派は戸外で制作することで、瞬間的な日の光だけでなく、それが変化していく様子も捉えられることを見つけた。さらに細部ではなくて全体的な視覚的効果を狙って、(従来のように滑らかさや陰影にこだわらず)混色と原色の絵の具による短い断続的なストロークを並べて、あざやかな色彩をそれが振動しているかのように変化させた。

印象派がフランスに現れた時代、イタリアのマッキアイオーリグループやアメリカのウィンスロー・ホーマーなど、多くの画家たちが戸外制作を試み始めていた。しかし印象派は、そのスタイルに独特の技法を持ち込んだ。賛同者によれば観察の仕方が変わったのであり、そのスタイルは瞬間と動きとのアート、自然なポーズと構図のアート、色彩を明るく変化させて表現される光の効果のアートである。

批評家や権威者が新しいスタイルを認めなくても、最初は敵対的であった人々までもがだんだんに、印象派は新鮮でオリジナルなモノの見方をしていると思い始めた。 細部の輪郭を見るのではなく対象自体を見る感覚を取り戻し、さまざまな技法と表現を創意工夫することで、印象派は新印象派、ポスト印象派、フォービズム、キュビズムの先駆けになった。


当時は、風景画まで室内で描いていたというから驚きである!

「それでじゃ、君は‘印象派’まで引っ張り出して、一体何が言いたいのじゃ?、えっ?」
「前置きが長いのが、私の特長でして、はいっ!」

「まあ、それは、いいが、あんたが尊敬するという‘佐々木画伯’が印象派、とでも言うのかね?」
「いや、いや、‘印象派’を超えていると言いたいんです!」

「ほ、ほう、大胆じゃのう!」
「下のトリミングを見て下さいよっ!」

「えっ?えっ?」
「桜の花も葉っぱも描かれていないのに、満開の桜が‘湖面に映っている’ってことが、あなたのような無風流な人にも解るでしょ?」

「おい、おいっ!」
「印象派を超えたというのが、よく解るのは、下の印象派の巨匠の作品を見て、佐々木画伯の作品と比べてみて下さいよっ!」

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<印象派の巨匠・モネーの作品>

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出典/http://www.korega-art.com/monet/

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出典/http://mojix.org/2012/09/14/monet-suiren

「どうですか?印象派の旗頭の‘モネー’の作品と‘佐々木画伯’の違い?」
「あんまし、解らんがねっ!」

「絵画の進歩の一つは、‘省略’にあるんです!」
「ほう、ほう!単に省略すりゃあいい、ってもんじゃないんじゃなっ?」

「おや?だんだん解って来ましたねっ!」
「出来るだけ‘省略’して、しかも、省略前よりもっと印象を与えないといけないっ!ってこと?そうか、文学で言えば、‘小説から、俳句へ’ってな感じ??」

「正解!正解!モネーにはまだ、写実主義が残っているでしょ!佐々木画伯には、残っていない!これが超印象派っ!」

佐々木亮介画伯が、‘油絵’でなく‘水彩画’の道を歩まれておられる理由は、お聞きしたことはないが、多分、‘一瞬の筆捌き’に魅力を感じられておられるのではないかと勝手に想像している!

‘油絵’は‘塗り重ね’であるが、‘水彩画’は塗り重ねがそんなに利かない!

‘書’は、塗り(?)重ねは全く出来ない!一瞬の想いの一字一字の結合芸術であるから、数百枚を書いて一枚しか生き残れない!

だから、‘書道’という!

そんなことからすれば、‘水彩画’は、‘画道’と言えるかも知れない!??

(つづく)
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[2016/10/08 13:32] | 芸術 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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