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木魚の正体(その2)
昨日(2012年6月21日)の弊ブログにおいて、世間知らずの大胆さで、

『‘丸型’木魚は、日本(人)の発明に違いない!』

と書かせて貰ったが全く自信がない。何故なら、web で短時間調査しただけでそれなりの‘裏付け’を取っていないからである。したがって、単なる推測に過ぎない。

しかし、それなりの根拠は述べた積りである。

「日本に木魚が伝わったのは、隠元さん達が日本に渡来してきてから」という点では、どの文献も一致している。
  
しかし、‘丸型の木魚を他の仏具と一緒に持って来た’という文献の紹介がない。

Wikipedia には、こう記述されている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E9%AD%9A

木魚の原型は禅寺で使われていた「魚板」(魚鼓)である。これは黄檗宗の本山である黄檗山萬福寺で見る事ができる。 魚板とはその名の通り魚の形をした板であり、現在午前11時45分にだけ鳴らされている。魚の形をしているのは、魚は日夜を問わず目を閉じないことから、寝る間を惜しんで修行に精進しなさいという意味である。そして、口にくわえた丸いものは煩悩を表し、魚の背をたたくことで煩悩を吐き出させる、という意味合いが有る。そして雑学だが、眠気覚ましの為に一定のリズムを刻んでいたとも言われる。明代には、現代の木魚の形が確立している。
日本では室町時代の木魚は存在するが、本格的に使用したのが江戸の始めに中国から渡来した隠元禅師。彼が伝えた黄檗宗では木魚をはじめ、あらゆる楽器を使用する。黄檗梵唄が有名。木魚の生産は愛知県が日本一である。


ということで、引き下がりたいところであるが、この‘線赤文字’の記述には文献表示がないから、全く信じ込んでしまう訳にはいかない。

一方、隠元禅師の中国出奔から萬福寺までの足取りは以下の通りである。

http://www.obakusan.or.jp/about-oubakusan/index.html
承応3年  1654年  63歳 厦門を出帆7月5日、弟子20名余長崎に着く。興福寺に入る、次いで崇福寺に移る

萬治元年 1658年  67歳 大阪普門寺より江戸に入り将軍家綱に謁見

寛文元年 1661年  70歳 宇治大和田に寺域を賜り、黄檗山萬福寺を開創。隠元禅師 晋山。西方丈・双鶴亭・総門 建立、龍目井を掘る



ここに見られる興福寺は、奈良の興福寺ではなく、長崎の興福寺である。興福寺へ行った理由は多分次の理由による。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%A0%E
5%85%83%E9%9A%86%E3%81%8D

江戸初期、長崎の唐人寺であった崇福寺の住持に空席が生じたことから、先に渡日していた興福寺住持の逸然性融が、隠元を日本に招請した。当初、隠元は弟子の也嬾性圭を派遣したが、途中船が座礁して客死してしまう。やむなく隠元自ら、良静・良徤・独痴・ 大眉・独言・良演・惟一・無上・南源・独吼ら二十人ほどの弟子を率いて、鄭成功が仕立てた船に乗った。長崎来港は承応3年(1654年)7月5日夜のことである。月洲筆「普照国師来朝之図」にこのときの模様が残されている。



落ち着き先は、先ずは、長崎の‘興福寺’であるから、そこにひょっとすると‘丸型木魚’が存在するかもしれないと思った。

あった、あった!

どうやら、これが‘木魚’の原点らしい!

http://kofukuji.com/contents.php?contID=2
長崎の‘興福寺’


魚板(鰍魚)
 

長崎の興福寺の魚板(鰍魚)

魚板庫裡の入口にさがる巨大な魚鼓は、本式の呼び名を「はんぽう」といいお坊さんたちに飯時を告げるため叩いた木彫の魚。このような魚板は禅寺によくあるが、興福寺のものは日本一美しいと定評がある。長年叩かれたので、腹部は凹んでいるがこの音は案外遠くまで聞こえ、山裾までとどいたそうである。もうひとつ並んでさがる小振りの魚板は雌で、雄雌一対で懸けられるのは大変珍しい。中国の代表的な魚である鰍魚(けつぎょ)を象り、口にふくむ玉は欲望、これを叩いて吐き出させるという意味をもち、木魚の原型とみなされる。明朝の風格をうかがわせる魚板は興福寺のトレードマークとなっている。





http://www7b.biglobe.ne.jp/~fukuokadeasobitai/nagasaki_koufukuji.html

魚板(鰍魚(けつぎょ))


長崎・興福寺の(鰍魚)のオス
右側に掛る雄の魚板

長崎・興福寺の(鰍魚)のメス
左側に掛る雌の魚板  

お坊さんたちに飯時を告げるため叩いた木彫の魚で、 正式名称は飯梆(はんぽう)と言います。 鰍魚は揚子江にいる幻の魚と言われています。 右側に掛っているのが雄、左側に掛っているのが雌で、このように雄雌一対で掛っているのは珍しい物です。 魚板は全国の禅寺にありますが、興福寺のものは日本一美しいと定評があります。 魚板は木魚の原型と言われています。



次のような解説もある。

http://ohmotohousen.blog2.fc2.com/blog-entry-104.html

今では、仏教の音を象徴するようになった木魚ですが、使われはじめたのはそれほど遠い昔ではありません。

テレビの時代劇で、室町時代や戦国時代のお寺のシーンで木魚が使われていたらそれは間違いです。

木魚は、1620年(江戸時代初期)に長崎に中国寺院ができてから日本にもたらされたものです。

1654年に隠元禅師が日本にきて黄檗宗が広まるにつれ、木魚も全国に広まっていったのです。

中国の禅宗では、みんなを集める合図に「ほう」と呼ばれる魚の形をした鳴りものをうっていましたが、明の時代に魚の頭と尾がくっついているものがでてきました。

これが小型化して一身二頭の龍頭に改められ、お経を読むときの調声に使われるようになったのが、木魚なのです。

これが黄檗宗を通じて日本につたわったものです。

石川県の永光寺(ようこうじ)には、日本でいちばん古い木魚が伝えられています。



しかし、残念ながら web 検索において現時点では、永光寺(ようこうじ)に日本一古い‘丸型’木魚が存在する証拠は見つかっていない。

このままでは、文献探しの深みに嵌り込んでしまって、‘丸型’木魚のルーツが中国なのか日本なのか判断がつかない結論にならないとも限らないという不安な気持ちになって来た。

ところが、最後の最後になってやっと見つけた‘難しい’次の文献によれば、どうやら‘丸型’木魚のルーツは‘日本説’に軍配が上がりそうである!


http://wiki.livedoor.jp/turatura/d/%CC%DA%B5%FB#

つらつら日暮らしWiki〈曹洞宗関連用語集〉

日本曹洞宗に関するwikiです。人名・書名・寺院名・思想・行持等々を簡潔に示しています。日本曹洞宗に関する情報をお求めの方は、まず当wikiからどうぞ。

木魚

最終更新:turatura 2008年02月26日(火) 11:49:01履歴

【定義】

①読経するときに、叩き鳴らすための仏具。多くは木製で、外形は円形の竜頭魚身をしており、首尾に同型の竜頭が互いに曲がって相面して、腹部を膨張させて内部を空洞にすることから、音が響く。魚形を用いていることについては、魚が昼夜眠らずに醒めていることから、修行者が寝ることを忘れて修行することとしたという説などがあるが、定説は見ない。

mokugyo.jpg
‘丸型’木魚 (以下の解説では、‘丸型’と言わずに‘団形’と表現している)

②現在「梆」や「魚鼓」と呼ばれ、直線の魚形をしており、僧堂や庫院につるして、斎粥・普請などを知らせる仏具のこと。古来の清規で、木魚の鳴らし方を示している場合には、この②のことである。

魚鼓
「梆」or「魚鼓」

【内容】

①にあたる木魚は、古来の清規には見えず、明様式を伝えた黄檗宗渡来以後に、日本曹洞宗でも流行したとされている。そのことを巡って、後期の古規復古運動を展開した面山や玄透は批判している。玄透は、永平寺に晋住する際、山内にある木魚を全て壊したとも伝えられ、面山は『考訂別録』巻5「鳴法器付木魚梆雲版考訂」にて、以下のように示している。

明様に横形の魚一頭作て、斎堂前飯梆と名く、是は古規の木魚なり

亦二頭接身団形の図を作て木魚と名づく、これは諸清規並びに教化の法器にも見へず、明様の新案か。木魚は禅規已下の諸清規、永瑩二規共に載て粥飯に鳴す。

〈中略〉今は団形魚を木魚と名け、古来の木魚を梆と名く。

是を洞下にうつして、永規・瑩規の木魚の名を改て梆とよび、亦団形魚を作て、木魚と名づけ打こと、祖規に背に似たり。
 『曹洞宗全書』「清規」巻、273~274頁、カナをかなに改める

なお、現在の木魚の位置付けだが、『行持軌範』「第三編基本作法・第七鳴物法・第七木魚」に、次のようにある。

おおよそ音読の誦経には木魚を打つ。ただし、寺に鎮守堂、真殿等があって、講中信者の帰仰により、祈祷諷経をする際などに、太鼓を鳴らすことが多い。 411頁

以上のことからは、現在では江戸時代の議論を顧みずに、木魚などの伴奏が取り入れられたことが理解できるが、その理由について、『明治校訂洞上行持軌範(巻下)』に、次のようにある。
凡そ読誦経呪には木魚を打す。〈以下割注:檗規に出でたる双頭合付の木魚を云ふれども、今はその是非を問はず、諸宗の慣習に倣ひ、一般の音声を整調するの便宜を尊ぶ也。〉 カナをかなにし、一部表現を改める

清規の本質は、古来の状況を無批判に遵守するのではなくて、時宜に応じて必要であれば改めることにあるが、木魚についても、いわゆる明様型が、時宜に応じて取り入れられたことが理解できる。



この文献 ‘つらつら日暮らしWiki〈曹洞宗関連用語集〉’( http://wiki.livedoor.jp/turatura/d/%CC%DA%B5%FB# )は、普通のブログとは一寸違う、古来のきちんとした文献を正確にフォローしている、謂わば‘文献集’であるから、内容は‘難解’であるが信憑性は高い。

もう一度‘現代語’で繰り返すと以下のようになる。

<1> 横型の魚一頭のものは、「梆」(=「魚鼓」)であって、これは‘昔の’木魚である。

<2> 団形の二頭接身のものは、「木魚」であって、明様の新案(明の様式を元にした新作)である。そして、音読の誦経には「木魚」を打つ。


これが、web での今日までの調査結果である。


























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