稲の‘ひこばえ(蘖)は、今’
①DSC2696-2

昨日、2017年9月19日の房総半島千葉県・茂原市近辺の田んぼの風景である!

関東地方の田植えは、例えば、九州の一般の地域に比べると早いような気がする。
九州でも、宮崎県などは田植えも早いとは伺ってはいるが・・・。
田植えが一般的に早くなった理由は、田植え機の普及だということも聞いたことがある。

田植え機は、機械の機能を十分に発揮させるのも一つの目的であるから、早苗がまだ小さい時に植えて行けば、効率が良くなることは頷ける。

大昔、人間様自身が田植えをしていた頃には、早苗が余り成長していなくて‘小さ過ぎる’と水の張り具合やその他の要因で、しっかりと‘値付け’が出来ない恐れがあってはいけないので、60年前には九州でも田植えは早苗が十分に育った6月に入ってからに決まっていた!

そして稲刈りは、10月も後半に、というのが常識だった!

今関東地方では、田植えは3月一杯に終わるし、稲刈りは8月中に終了する。

そこで、私は関東へ来て見て吃驚したのは、稲の‘ひこばえ(蘖)’が常識になっていることだった!
ど素人が、ひこばえを見ると、こんな九月の時期に‘田植え’が?と勘違いすることにもある、と言う訳である!

ひこばえ(蘖)については、次のような文献がある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E5%AD%AB
穭・稲孫(ひつじ・ひつち・ひづち)は、稲刈りをした後の株に再生した稲である。いわば、稲の蘖(ひこばえ)である。二番穂とも呼ばれる。稲刈り後もしくは穂刈り後に放っておくと、再び穂が出る。穭稲(ひつじいね)・穭生(ひつじばえ)ともいい、稲刈りのあと穭が茂った田を穭田(ひつじだ)という。

穂の中身は、入っていないものも多いため二十一世紀の日本においては、稲刈りはせず田に鋤きこまれるが[1]、過去においては農民の貴重な食糧源になっていた時代がある。低緯度地方では稲孫でも中身が入るため、 東南アジアでは、イネを一回収穫し、2,3か月してからさらに収穫する「ヒコバエ育成農耕」という農耕がある。佐々木高明によれば、ヒコバエが中身を入れた状態で結実する久米島、奄美大島等で、旧暦の12月に播種、1月に移植(田植え)し、6~7月に通常の収穫をしたまま家畜に踏ませ、8月~9月にマタバエ、ヒッツ、ヒツジと呼ばれる稲孫の収穫をする、農耕文化があり、1945年まで行われ、[2]。また佐々木の調査によれば、与那国島で同様の農耕が1981年まで行われていたという。

 佐々木は『日本書紀』に、現種子島で、稲を「一度植え、両収」するという記事をヒツジ育成栽培の証拠としている[3]
 15世紀に沖縄諸島へ漂着した朝鮮人の文献に、このような農耕を行う旨があることから、その当時から行われていたらしい[4]。

俳句においては秋の季語である。[5]


と言う訳で、散歩の途中で、‘ひこばえ(蘖)’に実態を観察した!

②DSC_2692-2
③DSC_2692-3
④DSC_2687-2
⑤DSC_2689-2

正に、「この時期に誰が田植えをしたの?」と言いたくなる風景である!

そして、そして、もう花が咲き、実をつけ始めている!

⑥DSC_2685-2
⑦DSC_2685-3

これは、稲刈りが8月中に終了するしために、田んぼの周りの気温はまだそんなに下がらないから、稲としては「子孫を残したい!」の一心で、‘ひこばえ(蘖)’を育てようという‘想い’の現れなのだろう!

この現象は、‘草刈り’の時にも現れる!
刈っても、刈っても、直ぐに‘ひこばえ(蘖)’が現れる・・・。そんなご経験は多くの方がされたに違いない。
植物の‘本能’の凄さに驚かされる一場面である!

(つづく)
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[2017/09/21 14:16] | 農業 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top
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コメント
いつも拝見させていただいております、いろいろ勉強になります。

私は10日に1回くらいしかUPすることが出来なくて、申し訳なく思っております。

稲を刈ったあとに出てくる稲穂のことを、蘖と言うんですか、知りませんでした、有難うございました。
[2017/09/22 19:57] URL | アオカブ爺さん #- [ 編集 ]
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