FC2ブログ
博多の印象(その5):筥崎宮
筥崎宮

2017年11月17日に、久し振りに筥崎宮を訪れた・・・。

DSC_3822-3.jpg
DSC_3822-4.jpg
DSC_3824-2.jpg
DSC_3824-3.jpg
DSC_3824-5.jpg

博多に住んだことのある人は誰でも‘筥崎宮’を知っているし、訪れたことがあるに違いない!

筥崎宮は、豊臣秀吉の時代にもその300年も前の元寇の時代から、日本の守り神として祀られているおり、その歴史の古さを今に伝えているからである!

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%A5%E5%B4%8E%E5%AE%AE
筥崎宮(はこざきぐう)は、福岡県福岡市東区箱崎にある神社。式内社(名神大社)、筑前国一宮[1]。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。

別称として筥崎八幡宮(はこざきはちまんぐう)とも呼ばれる。京都府八幡市の石清水八幡宮、大分県宇佐市の宇佐神宮とともに三大八幡宮の一つ[2]。

社名について[編集]
社名の「はこ」の字は円筒状の容器を意味する「筥」が正字であり「箱」ではない。ただし筥崎宮の所在地・駅名などは筥崎宮の「筥崎」では筥崎八幡神に対して恐れ多いという理由から「箱崎」と表記する。

祭神[編集]
主祭神
応神天皇
配祀神
神功皇后
玉依姫命

歴史[編集]
創建に関しては複数の説がある[3][4]が、公式サイトでは延喜21年に建立された説が紹介されている[3]。延喜21年(921年)6月21日に八幡神の託宣があり、応神天皇・神功皇后・玉依姫命を祭神として筑前国穂波郡の大分宮を玄界灘に面した土地に移したのに始まる[3]。延長元年(923年)に現在地に遷座[3]。『延喜式神名帳』には「八幡大菩薩筥崎宮一座」と記載され、名神大社に列している。
元寇の際に亀山上皇が「敵国降伏」を祈願し、神門に「敵国降伏」の扁額が掲げられた[3]。以来、海上交通・海外防護の神として信仰されている。
近代社格制度のもと明治4年(1871年)に県社に列格した。明治18年(1885年)に官幣中社に、大正3年(1914年)に官幣大社に昇格した[3]。

境内[編集]
本殿、拝殿
延喜21年(921年)6月に藤原真材により創建された。その後数度の焼失と再建が繰り返された[4]。戦国時代に戦火兵乱により荒廃してのち、大宰大弐大内義隆により天文15年(1546年)に再建[4]。本殿は46坪、桧皮葺の流造様式で左右に縋造車寄がある[5]。拝殿は檜皮葺の切妻造[5]・二重虹梁[5]・蟇股。

楼門
小早川隆景により文禄3年(1594年)に建立[5]。三間一戸の入母屋造[5]。扉の桐紋彫刻は左甚五郎の作といわれる[5]。「敵國降伏」の扁額は亀山上皇によって奉納された醍醐天皇の宸筆とされる。広瀬淡窓の「筑前城下作」の詩の伏敵門はこの楼門を指す。一般の参拝はこの楼門の下で行なわれる。

石造一之鳥居
黒田長政により慶長14年(1609年)に建立[5]。鳥居の柱は3つに切れ、下肥りとなり台石に続く[5]。笠木島木はひとつの石材で、先端が反り上がり、貫と笠木の長さが同じ[5]。筥崎鳥居と称される[5]。

石燈篭
数ある石燈籠のうち、火袋の底に観応元年(1350年)の銘が刻まれているものが千利休により天正15年(1587年)に寄進されたものと言われる。
神木「筥松」
楼門の右手の朱の玉垣で囲まれる松の木[5]。神功皇后が応神天皇を出産した際、胞衣(えな)を箱に入れてこの地に納め、印として植えられたのがこの「筥松」と言われる[5]。「筥崎(箱崎)」の名称はこの胞衣を納めた箱に由来する[5]。

唐船塔
湧出石
神苑花庭園

博多湾からは本殿まで長大な参道が続く。参道の手前の箱崎浜一体は、以前は白砂青松とうたわれた美しい海岸線を誇っていたが、博多港修築により1936年には護岸整備され、現在では北側に箱崎埠頭、南側に東浜埠頭と博多港の倉庫などの施設が並び姿を一変させている。参道の先の海岸は清めの真砂(まさご)を貰い受ける「お汐井とり」が行なえるよう砂地が整備されている。また箱崎浜は箱崎漁港と隣接する。


DSC_3818-2.jpg
DSC_3819-2.jpg
DSC_3821-2.jpg
DSC_3821-3.jpg

上の画像から、如何にこの鳥居が大きいかが判る!

DSC_3823-2.jpg
DSC_3825-2.jpg
DSC_3825-3.jpg
DSC_3826-2.jpg
DSC_3827-2.jpg
DSC_3827-3.jpg
DSC_3828-2.jpg
DSC_3828-3.jpg
DSC_3829-2.jpg
DSC_3830-2.jpg
DSC_3830-4.jpg
DSC_3830-5.jpg
DSC_3831-2_20171125175605406.jpg
DSC_3832-2_20171125175607266.jpg
DSC_3832-3_2017112517560861f.jpg
DSC_3833-2.jpg
DSC_3834-2_201711251756117e9.jpg
DSC_3834-3.jpg
DSC_3834-4.jpg
DSC_3835-2_20171125175616ff8.jpg
DSC_3835-3_201711251759150a4.jpg
DSC_3835-3-4.jpg
DSC_3836-2_2017112517591896f.jpg
DSC_3836-3.jpg
DSC_3838-2.jpg
DSC_3838-3.jpg
DSC_3839-2.jpg
DSC_3840-2_2017112517592615e.jpg
DSC_3840-3_20171125175927e59.jpg
DSC_3841-2_20171125175929292.jpg
DSC_3841-3_20171125180237a30.jpg

この「00大社筥崎宮」の揮毫が、「元帥伯爵東郷平八郎」という訳である!
<注>:‘00’は、多分、‘官幣’


<参考>:
東郷平八郎直筆の扁額は、私が住んでいる千葉県茂原市の橘樹神社の拝殿にもある!

20130104032938b7a_201711251820366f8.jpg
出典:http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-386.html?sp

(つづく)
スポンサーサイト



[2017/11/25 18:28] | 歴史 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
<<もう、春はそこまで? | ホーム | 博多の印象(その4):櫛田神社>>
コメント
コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバック URL
http://kissyarita.blog.fc2.com/tb.php/1953-b993eeba
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
| ホーム |
designated by FC2