ひこばえ(蘖)とは?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%98%96
蘖(ひこばえ)とは、樹木の切り株や根元から生えてくる若芽のこと。
太い幹に対して、孫(ひこ)に見立てて「ひこばえ(孫生え)」という。春から夏にかけて多く見られるが、俳句では春の季語となっている[1]。
森林伐採の後、切り株からの蘖によって新たな森林ができるようにすることを萌芽更新という。かつての里山はこれによって維持された。カシ類などは種子からの株は単独の茎をまっすぐに立てるが、切り株からでた場合はやや斜め、切り株から外向きにでることが多い。芽が大きな木にまで成長する頃には切り株自体は枯れて腐って消失するが、わずかに間を開けて複数の幹が、それぞれやや外向きに伸びていれば、その内側に切り株があったのだと分かることもある。
幹を切らなくても、環境悪化などによって主茎が弱った場合などには蘖が多数でることがある。
樹木ではないが、刈り取った稲の株から生える、稲の蘖に相当する芽を穭と呼ぶ。
穭・稲孫(ひつじ・ひつち・ひづち)とは?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E5%AD%AB
穭・稲孫(ひつじ・ひつち・ひづち)は、稲刈りをした後の株に再生した稲である。いわば、稲の蘖(ひこばえ)である。二番穂とも呼ばれる。稲刈り後もしくは穂刈り後に放っておくと、再び穂が出る。穭稲(ひつじいね)・穭生(ひつじばえ)ともいい、稲刈りのあと穭が茂った田を穭田(ひつじだ)という。
穂の中身は、入っていないものも多いため二十一世紀の日本においては、稲刈りはせず田に鋤きこまれるが[1]、過去においては農民の貴重な食糧源になっていた時代がある。低緯度地方では稲孫でも中身が入るため、 東南アジアでは、イネを一回収穫し、2,3か月してからさらに収穫する「ヒコバエ育成農耕」という農耕がある。佐々木高明によれば、ヒコバエが中身を入れた状態で結実する久米島、奄美大島等で、旧暦の12月に播種、1月に移植(田植え)し、6~7月に通常の収穫をしたまま家畜に踏ませ、8月~9月にマタバエ、ヒッツ、ヒツジと呼ばれる稲孫の収穫をする、農耕文化があり、1945年まで行われ、[2]。また佐々木の調査によれば、与那国島で同様の農耕が1981年まで行われていたという。
佐々木は『日本書紀』に、現種子島で、稲を「一度植え、両収」するという記事をヒツジ育成栽培の証拠としている[3]
15世紀に沖縄諸島へ漂着した朝鮮人の文献に、このような農耕を行う旨があることから、その当時から行われていたらしい[4]。
俳句においては秋の季語である。[5]
少々ややこしいが、
① 樹木の切り株や根元から生えてくる若芽のことを蘖(ひこばえ)という。
② 樹木ではないが、刈り取った稲の株から生える、稲の蘖に相当する芽を穭(ひつじ)と呼ぶ。と言う事の様である。
言葉の問題は、まあまあ、よろしいとして、稲刈り後の田んぼを見て思うのは、稲刈り後3ヶ月くらいして、稲刈り後の田んぼには立派な稲穂に育っている!
以下の画像は、2017年11月25日の田んぼの様子である。ここの田んぼでの稲刈りは、何月何日蚊は知らないが、ただここ房総半島では、8月末には稲刈りは済んでいることからすると、約3ヶ月が経過していると考えていい。






少し離れた田んぼでも・・・




第二次世界大変直後の食糧難時代を経験した我々には、こんな‘勿体ない’状態は、何だか‘切ない’光景に見える!
「刈り取って米粉などにして、活用出来ないものか?」
毎年、毎年、秋の後半になると、そんな想いが・・・・。
(つづく)
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