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直木賞
平成24年度上半期の‘芥川賞・直木賞’受賞者が決まった。

http://www.bunshun.co.jp/award/naoki/index.htm
直木賞-3
辻村深月0001


私の友人に大学の名誉教授で歌の上手い酒好きがいる。

彼の将来の夢は、この‘直木賞’を最年長で受賞することだそうである。彼は只今、満73歳。

最年長者は誰かと調べてみると以下の記事が見つかった。

直木賞受賞者-2
http://zot5rwzsw5.jugem.jp/?eid=34

この記事は、2010年4月28日付けの記事であるが、それ以降に高齢者がいたという報道は耳にしていないのでこの記事通り、68歳が直木賞受賞最高齢者ということになる。

それなら、彼にはもうとっくに資格がある。多分そう言うと彼は「ず~と最高齢者でいたいから、もう一寸後にしよう。今後74歳の人が出て来ないとも限らないから・・・」と言うに決まっている。

私にはそんな才能は無いので、「そんなに歳をとって書き始めても受賞出来るくらい簡単なのかなぁ~?」と言ったら叱られてしまった。彼の自尊心とやらを逆なでしたようだった。

彼は、建築学者である。‘ラーメン構造’がどうとか言うので、飲み終わったら‘ラーメン’を喰いたいと思っているのかと思ったら、そうではないらしい。

‘ラーメン構造’というのは、何でも建築学用語で、その分野では‘基礎的用語’という。

http://www.weblio.jp/content/%E3%83%A9%E3%83%BC%
E3%83%A1%E3%83%B3%E6%A7%8B%E9%80%A0


建築用語大辞典

ラーメン構造

【用  語】ラーメン構造
【よみがな】らーめんこうぞう
【意  味】
 ラーメンとはドイツ語で「枠」の意味。RC構造、鉄骨構造等で柱と梁の一体化した構造のこと。柱、梁は剛接合になる。水平力により梁に作用するモーメントはそのまま柱に伝わる。


辞典で調べてみても、ど素人には何のことやらさっぱり判らない。当然といえば当然のことで、その道のプロにしてみれば、‘ど素人にそんなに簡単に判られてたまるか!?’ということでもあろうから・・。

さてさて、前置きはこの位にして、‘芥川賞・直木賞は、文芸春秋社で菊池寛が創設した’程度のことは知っているものの、どれくらいの衝撃を小説家を目指す人達に与えているのかさえ知らない。

images (3)
http://www.beholdmyswarthyface.com/2007/01/1888-1948-1922.html
菊池寛 (1888~1948)

勿論、芥川賞・直木賞の受賞作品なんて、読んだことさえ無い。

変な話だが、芥川龍之介の作品は、中学校か高校かで教科書に出て来るものを試験対策として‘見た’だけである。

images (2)
http://poetsohya.blog81.fc2.com/blog-entry-1808.html
芥川龍之介 (1892~1927)

直木三十五に至っては、どんな作品があるのかさえも知らないのだから、始末に負えない。

naoki.jpg
http://www.geocities.jp/themusasi3/zadan/01.html
直木三十五 (1891~1934)

芥川賞は、純文学の主として新人登竜門

直木賞は、大衆文学の主として新人登竜門

の様であるが、芥川龍之介が亡くなったのは、昭和2年7月24日(35歳)で、直木三十五が亡くなったのは昭和9年2月24日(43歳)。どちらも24日。

芥川賞・直木賞の第一回授賞決定日は、昭和10年8月10日だったという。<永井龍男作「回想の芥川・直木賞」文藝春秋刊>

当然のことながら、芥川龍之介も直木三十五もこれらの賞がいつ始まったかも未だに続いていることも知らないに違いない。ただし、昭和23年に、創設者の菊池寛が亡くなっているので、天国で会っていれば報告をしていることになる。

彼等は、今の受賞者の作品を読むとしたらどんな感想を持つだろうか?

天国でのこれに関する‘談話会’、これ直木賞のテーマにどう?

今度彼に会う時に提案して見よう。どんな返事が返って来るのか、これも楽しいのかも知れない。

文献を調べていたら、実に‘面白い話’を発見した。

「宮本武蔵」に関する論戦について、である。

‘菊池寛’と‘直木三十五’そして直木賞を選ぶ「直木賞委員」を第一回から務めた‘吉川英治’そして精神科医の‘齋藤茂吉’までが、‘剣豪武蔵’について論戦を戦わせた事についてかなり客観的なプロ集団の‘座談’である。

文献は:http://www.geocities.jp/themusasi3/zadan/01.html

なのであるが、ここをクリックしてその部分を読むことまでする御仁はそういないだろうから、以下に転載して見た。

これによれば、何と‘正論’は、菊池寛のみ。流石である。

座談を行なった彼等によれば、直木三十五も齋藤茂吉も、そして驚くことにあの吉川英治までもが、どうやら武蔵や二刀流に関して文献調査の浅薄さや考察の眼力がない、ということらしい。

流石に座談の彼等は‘徹底した’武蔵の研究者であることが、以下の引用・転載文を見ればよ~く判る。

http://www.geocities.jp/themusasi3/zadan/01.html

――そこで、戦前の、というか、もう戦中期ですが、吉川英治の小説『宮本武蔵』があれだけ大ウケにウケた、そのわけですが、それはどういうことでしょう。
C――吉川版武蔵、「吉川武蔵」が登場する前までは、武蔵は決してあのように書かれたことはなかった。武蔵は剣豪列伝の一人だった。それも、たぶん最強の剣術者だとね。ようするに、だれが一番強いか、それは武蔵だという話だね。これはずいぶん子供じみた話でしかない。
B――直木三十五と菊池寛の例の論争があるね。これにしても、やはり、剣豪論路線を一歩も出ていない。直木はつまらない剣豪小説を濫造したがね。
C――自分はいっぱし、剣道史研究家だと自認していたふしがあるね。しかし、武蔵の二刀流は邪道で、実戦で切りつ切られつしている時代には二刀流などバカバカしくて使えるものじゃないとその非実用性を批判したつもりだ。ところが、まさにここが、直木は実は『五輪書』も「兵法三十五箇条」も読んでいないという馬脚を露呈してしまったところだ。
B――あれほど明確に、『五輪書』に、両手に太刀を構えることは実の道ではない二刀を持たせるのは、太刀を片手でも使いなれるようにするためである、と書いているのにねえ(笑)。まあ、直木に限らず、作家たちが『五輪書』を読んでいない、もしくは、読めていない、という傾向はずっと続いているが。
A――吉川英治なんぞは、『五輪書』に「万理一空」と書いてある、なんぞとアホなことを書く。どんなヴァージョンの五輪書なんだ、それは(笑)。
C――日本に限らず、東アジアの地平においてみれば、どこでも片手で大太刀を振っている。両手で一刀を持つなんて方が、異例だぜ。それこそ邪道だ(笑)
B――武蔵が、両手で太刀一本をもって構えることは実の道ではない、というのは歴史的根拠がある。古代から武器を片手にもって戦っていたのは、考古学資料でもわかる。日本でもそうだった。しかし近世ようやく実戦から乖離するようになって、道場剣法が普及して刀を両手で持つ型が一般的になった。しかも明治以後、一刀流が支配的なってしまった。江戸時代主流だった柳生流ですら往昔の姿はない。直木は、近代剣道の偏見に毒されているわけだよ。
A――直木は、武蔵なんて世間が思っているほど、強くもなければ偉くもなかったと言う。これは偶像破壊ですな。世間の常識とは違う武蔵を措定する。
B――もちろん、それ以前に、斎藤茂吉が菊池寛とやっていた。武蔵は卑怯だ、ズルいという
A――「ますます私は武蔵のペテン術鍛錬法を憎悪したのであった」。それで、本を床に投げつけることもあった(爆笑)。
B――その本たるや、例の池辺義象が書いた顕彰会本(『宮本武蔵』)らしい。あそこには、武蔵が遅刻して相手を待たせたとある。『二天記』の記事だな。それを、相手を待たせてジラせる卑怯な心理戦と誤解して、激怒したのが斎藤茂吉(笑)。
C――もちろん、斎藤茂吉は、『丹治峯均筆記』に、武蔵の方が先に来て小次郎を待っていたという記事があることは、とんとご存じない。顕彰会本なんぞという中途半端な本を一冊読んだだけで、勝手に憎悪して憤激しておるわけよ(笑)。
A――斎藤茂吉は、それに限らず、ときどき、かなりトチ狂って暴走するところがある(笑)。ドイツ留学もした精神科医だが、あっちで何を勉強したのかね。
B――博士号を取りに行ったのだよ(笑)。で、そうして、斎藤茂吉に味方したわけじゃないが、直木三十五の論戦登場だな。ここで菊池対直木の対戦となる。直木は、武蔵は六十余度勝負して勝ったというが、大した相手と勝負していないじゃないか、というわけだ。
C――あれはね、直木のは、山田次朗吉の『日本劍道史』の武蔵批評の口移しでしかない。直木は山田次朗吉で歴史を勉強したんだ(笑)。
A――直木は次朗吉が開いたパンドラの筥に飛びついた。これに対し菊池寛は、いやいや、やっぱり武蔵は偉いやつだったと反論する。この論争に吉川英治が引きずりこまれそうになった。ところが、そのとき、吉川は武蔵についてあまり研究していないので、勝ち目はないと思った。それで……
B――それで、後日を期して研究して、小説で自説を明らかにしようとした、それが小説『宮本武蔵』だ
と。――しかし、この話は出来すぎているのよ。
C――そうだね。小説以外の文をみれば、吉川は決して議論が達者ではない。それに、直木の論にしたって、あまり真面目なものじゃない。ただし、吉川は武蔵を書くきっかけを作ってくれたことを、直木に感謝すべきだね。直木はすぐ死んでしまったのだから。
A――従来の剣豪列伝の路線は、いずれにしても、もう時代遅れだったね。吉川が武蔵で新聞連載をやると言ったとき、朝日〔新聞〕の担当者は、「今どき、そんなものを」といって反対したそうだ。たしかにその当時、武蔵も剣豪列伝路線ではすでにアナクロニックなイメージしかなかったわけだ。
B――それは直木・菊地論争の内容をみればわかる。こんな話はじつはもう時代遅れだったのだね。読者が求めていたのは剣豪武蔵ではない。しかし、朝日の担当者も、吉川に武蔵を書かせるハメになったが、まあ、半年くらいでさっさと次へ交替、という肚だった。
A――ところが、連載が始まってみると、人気殺到。当事者の方が信じられないくらいだった。まあ、これは、吉川武蔵がまったく新しいスタイルの時代小説、剣豪小説から脱却した武蔵小説だったということだ。
C――その新しさは、むろん武蔵の人物造形にある。武蔵は世間常識の「偉人」として登場したのではなく、まったく正反対の、野獣として登場したわけだから、みんな不意を突かれてのめり込んだ

naoki_kikuti.jpg

直木菊池論争 挿絵
昭和7年10月27日 読売新聞



いわゆる‘小説家’は、‘歴史学者’でもなければ、‘国文学者’でもない。でもだからと言って、歴史的事実の裏付けが何もなくても良いという訳にも行くまい。

司馬遼太郎によって‘坂本龍馬’が偶像化された趣があるが、少々ひど過ぎると思っている。
現地、土佐では、そんな評判とは真逆の噂をする人が多いのは事実である。

おっと、これも十二分に調査・研究をした上で、しっかりとした事実を述べないと、上の引用・転載文のように‘コテンパー’にどやされそうである。

くわばら、くわばら・・・。


























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[2012/07/28 09:20] | 学習と文化 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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