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長柄ダム(市津湖)の近況(その4):観光
長柄ダム(市津湖)の近況(その4):観光
『‘観光’とは、何か?』という題名の記事をおよそ30年くたい前の「文芸春秋」で読んだことがある!

「観光とは何か?」「文芸春秋」で検索して見たが、ヒットしない!作者も覚えていないし、題名そのものも怪しい!

その記事で「話題」にされたのが、「観光」の‘光’で、何故‘観行’ではないのか?ということとは違ったように思う。この記事は、きっと段ボール箱の中にしまい込まれている文芸春秋の中に・・・。

「観光」とは何か?

https://kotobank.jp/word/%E8%A6%B3%E5%85%89-469729#
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
観光
かんこう
一般的には「日常の生活では見ることのできない風景や風俗、習慣などを見て回る旅行」を意味したが、旅行の安全性や快適性が進むにつれて、遊覧や保養のための旅行など「楽しみのための旅」全般をさすことばとして広く使用されるようになった。[小谷達男]
語源と概念目次を見る

日本で観光という語が使用されたのは、1855年(安政2)にオランダより徳川幕府に寄贈された木造蒸気船を幕府が軍艦として「観光丸」と名づけたのが最初である。

その意図は、国の威光を海外に示す意味が込められていたといわれる。ちなみに「観光」の語源は中国の『易経』の「観」の卦(か)(観察についての項)に由来している。「観国之光 利用賓于王」(国の光を観(み)るは、もって王の賓たるによろし)から生まれた語で、その本来の語義は「他国の制度や文物を視察する」から転じて「他国を旅して見聞を広める」の意味となる。また同時に「観」には「示す」意味もあり、外国の要人に国の光を誇らかに示す意味も含まれているという説もある。(井上萬壽藏(ますぞう)著『観光と観光事業』1967)

 日本で観光の語が現代的な意味で使用されるようになったのは、英語のツーリズムtourismの訳語としてあてられるようになった明治なかば以降である。とくに一般化したのは大正に入ってからで、とりわけ1923~1924年(大正12~13)ごろ、アメリカ移住団の祖国訪問に際して新聞紙上で「母国観光団」として華々しく報道されたためだといわれる。しかし、日常的な語として広く使用されるようになったのは昭和初期以降であり、世界的な観光黄金時代を背景にして鉄道省に国際観光局が設置(1930)されたのを契機に民間機関も設立され、国内観光の気運が高まりをみせ始めたころからである。ただ、現代用語としての観光の概念は、英語のツアーとは語源、語義を異にするため、かならずしも概念的に合致しているわけではない。すなわち、ツアーはラテン語のターナスtornus(ろくろの意)を語源としており、巡回旅行を意味する用語として生まれた語である。したがって、語意的には旅行の内容や目的には関係なく、旅行の態様に意味づけられた用語といえる。これに対して観光は、その語源から旅行の内容や目的によって意味づけられている面が強い。観光の状況に対して、そのあり方やあるべき姿について絶えず強い関心がもたれるのはそのためでもある。そこで観光とはごく一般的には「人々が気晴らしや休息ならびに見聞を広めるために、日常生活では体験不可能な文化や自然に接する余暇行動である」と規定することができる。なお、これは観光行動についての規定であるが、このような観光行動によって生起する社会現象としての観光を対象にする視点もある。この場合、前者を狭義の概念とし、後者を広義の概念としている。観光問題とか観光対策という場合の観光は広義の立場からの使用である。
 世界の各国が国策として観光振興に乗り出したのは20世紀に入ってからであり、ヨーロッパ諸国では第一次世界大戦後の経済復興に国際観光を積極的に振興した。同時に西欧諸国では国内観光政策にも努め、とくに北欧諸国やスイスで推進された、観光旅行に出かけにくい国民層を対象とした施策(ソシアル・ツーリズムsocial tourism)は注目に値する。[小谷達男]


さて、さて、また前置きが長くなったが、関東・房総半島に「水」を供給する目的で作られた「房総導水路」の一つである長柄ダム(市津湖)の散歩コースの風景を見て歩く、正に「観光」である。

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房総半島の九十九里地域や南房総地域では、その昔、多くの家々が不安定な井戸水をくんで暮らしていました。人口の増加や都市化が進み、水道水の要望が高まってきました。一方、千葉市から君津市にいたる京葉臨海工業地帯では、安定した工業用水が必要とされていました。

ところが房総半島には、これらの水への要求を充分に満たすだけの大きな水源はありませんでした。そこで、これらの地域に利根川の水を運ぶ「房総導水路」がつくられたのです。 今では、利根川の水を南房総にある大多喜町まで、約100キロメートルもの長い距離を運び、必要な地域での水不足の心配をなくし、人々の暮らしを支えているのです。

<長柄ダム>

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房総導水路にある2つのダムのうちの1つです。

長柄ダムは、昭和60年(1985年)に完成しました。このダムはコンクリートではなく土を盛り上げて作られたアースダムです。

房総導水路を流れてきた水はこの長柄ダムで貯えられるのです。

ダムの高さは52m、長さは250mで、満水になった時には、水面は海抜75.1mに達します。  
総貯水量は1,000万m3で、このタイプでは国内最大級のダムとなります。


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下の数枚の画像が、房総導水路を通ってきた「利根川」の水が市津湖に流れ込んでいる様子!

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何という亀かは知らないが、亀も沢山生息しているらしい!

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「今はもう秋、誰もいない湖(うみ)!?」

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正に「観光」に値する見事な風景である!

(つづく)
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