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8月6日は広島原爆投下の日
8月6日は、言わずと知れた‘広島原爆投下の日’である。

今朝(2012年8月6日)の朝日新聞第一面を見て驚いた!

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2012年8月6日の朝日新聞朝刊第一面。‘原爆’の見出しは何処にも見当たらない!

第二次世界大戦での‘最大の悲劇’、そして人類誕生から今日までの‘最大の悪夢’としか言いようのない‘原子爆弾’が日本に投下された日。

人類が決して忘れてはならぬこの日の大新聞の朝日の一面の見出しに‘原爆’の文字がない!

今日は8月6日ではないのかと一瞬そう思った。でも日付けは、明らかに8月6日。

一面のトップ記事が何のとご覧の通り、‘フェンシング銀以上’である!

これには恐れ入った!

原爆の記事に比べて、フェンシング関係者には申し訳なしが、その価値など一万分の一ほどもない!

‘原爆の日’を‘風化させてはならない’と日本の新聞なら第一面のトップ記事にすべきだ!

‘風化’の文字さえこの新聞には出て来ない。

‘原爆の風化’のお手伝いをこの新聞はしているのであろうか、と疑いたくなる。

今日の朝刊は、オリンピックの記事など一面から外すべきだろう!

そうしなければ、広島で被爆した人達に、また第二次大戦で辛酸をなめた先輩達に顔向けが出来まい。

唯、申し訳なさそうに、‘天声人語’に原爆の事が掲載されているが、世界に向かっての‘平和祈願’という立場ではない! 視点が大きく間違ってしまっている。

天声人語 8月6日
朝日新聞・天声人語(2012年8月6日)

8月6日朝日新聞記事
朝日新聞・39面の記事(2012年8月6日)

第39面に、小さく‘きょう原爆の日’という見出しである。何だかこれもおかしい!世界に訴える気はあるのか?!
‘きょうからお盆の帰省ラッシュ’程度の扱いに朝から頭に来たのは私だけではあるまい。

社説に原爆の事が書かれていなかったら、‘こんな新聞明日からお断りだ!’と思ったが、‘恐る恐る’「核廃絶と脱原発・破滅リスクのない世界へ」と言う見出しである。

社説0001
朝日新聞・社説(2012年8月6日)

この論点も、‘ヒロシマ原爆の恐ろしさ’を世界へ向けて発信するということではない。

本当に日本のジャーナリズムは、ジャーナリストは、‘原爆の恐ろしさ’を世界に向けて訴えようとしているのだろうか?

それとも‘悲惨さ’を封印しようとしているのだろうか? もっともっと熱く語る必要がある。そして、それが出来るのは日本人だけである!



それに比べて、今朝のNHKが放映した‘平和祈念式典’での広島市長の挨拶は流石である。(写真は全てNHK・TVの画像をカメラで撮影したもの)

http://news.goo.ne.jp/article/mainichi/life/education
/20120806dde007040078000c.html


<広島原爆の日>広島平和宣言(全文)

<2012年8月6日(月)18:00>

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 1945年8月6日8時15分、私たちの故郷は、一発の原子爆弾により灰じんに帰しました。帰る家や慣れ親しんだ暮らし、大切に守ってきた文化までもが失われてしまいました。――「広島が無くなっていた。何もかも無くなっていた。道も無い。辺り一面焼け野原。悲しいことに一目で遠くまで見える。市電の線路であろう道に焼け落ちた電線を目安に歩いた。市電の道は熱かった。人々の死があちこちにあった。」――それは、当時20歳の女性が見た街であり、被爆者の誰もが目の当たりにした広島の姿です。川辺からは、賑(にぎ)やかな祭り、ボート遊び、魚釣りや貝掘り、手長えびを捕る子どもたちの姿も消えてしまいました。

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 そして原爆は、かけがえのない人の命を簡単に破壊してしまいました。――「警防団の人と一緒にトラックで遺体の収容作業に出る。少年の私は、足首を持つように言われ、つかむが、ズルッと皮がむけて握れない。覚悟を決めて指先に力を入れると、滴が垂れた。臭い。骨が握れた。いちにのさんでトラックに積んだ。」――この当時13歳の少年の体験のように、辺り一面は、無数の屍(しかばね)が重なり、声にならない呻(うめ)き声の中、息のない母親のお乳を吸い続ける幼児、死んだ赤子を抱き締め虚(うつ)ろな顔の母親など、まさに生き地獄だったのです。

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 当時16歳の少女は、大切な家族を次々と亡くしました。――「7歳だった弟は、被爆直後に全身火傷で亡くなり、ひと月後には、父と母、そして13歳の弟と11歳の妹が亡くなりました。唯一生き残った当時3歳の弟も、その後、癌(がん)で亡くなりました。」――広島では、幼子からお年寄りまで、その年の暮れまでに14万人もの尊い命が失われました。

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 深い闇に突き落とされたヒロシマ。被爆者は、そのヒロシマで原爆を身を以(もっ)て体験し、後障害や偏見に苦しみながらも生き抜いてきました。そして、自らの体験を語り、怒りや憎しみを乗り越え、核兵器の非人道性を訴え、核兵器廃絶に尽力してきました。私たちは、その辛(つら)さ、悲しさ、苦しみと共に、その切なる願いを世界に伝えたいのです。

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 広島市はこの夏、平均年齢が78歳を超えた被爆者の体験と願いを受け継ぎ、語り伝えたいという人々の思いに応え、伝承者養成事業を開始しました。被爆の実相を風化させず、国内外のより多くの人々と核兵器廃絶に向けた思いを共有していくためです。

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 世界中の皆さん、とりわけ核兵器を保有する国の為政者の皆さん、

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被爆地で平和について考えるため、ぜひとも広島を訪れてください。

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 平和市長会議は今年、設立30周年を迎えました。2020年までの核兵器廃絶を目指す加盟都市は5300を超え、約10億人の市民を擁する会議へと成長しています。その平和市長会議の総会を来年8月に広島で開催します。核兵器禁止条約の締結、さらには核兵器廃絶の実現を願う圧倒的多数の市民の声が発信されることになります。そして、再来年の春には、我が国をはじめ10の非核兵器国による「軍縮・不拡散イニシアティブ」の外相会合も開催されます。核兵器廃絶の願いや決意は、必ずや、広島を起点として全世界に広がり、

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世界恒久平和に結実するものと信じています。

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 2011年3月11日は、自然災害に原子力発電所の事故が重なる未曽有の大惨事が発生した、人類にとって忘れ難い日となりました。今も苦しい生活を強いられながらも、前向きに生きようとする被災者の皆さんの姿は、

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67年前のあの日を経験したヒロシマの人々と重なります。皆さん、必ず訪れる明日への希望を信じてください。私たちの心は、皆さんと共にあります。

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 あの忌まわしい事故を教訓とし、我が国のエネルギー政策について、「核と人類は共存できない」という訴えのほかさまざまな声を反映した国民的議論が進められています。日本政府は、市民の暮らしと安全を守るためのエネルギー政策を一刻も早く確立してください。

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また、唯一の被爆国としてヒロシマ・ナガサキと思いを共有し、さらに、私たちの住む北東アジアに不安定な情勢が見られることをしっかり認識した上で、

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核兵器廃絶に向けリーダーシップを一層発揮してください。そして、原爆により今なお苦しんでいる国内外の被爆者への温かい支援策を充実させるとともに、「黒い雨降雨地域」の拡大に向けた政治判断をしてください。

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 私たちは、今改めて、原爆犠牲者の御霊(みたま)に心から哀悼の誠を捧(ささ)げるとともに、この広島を拠点にして、被爆者の体験と願いを世界に伝え、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に全力を尽くすことを、ここに誓います。

 平成24年(2012年)8月6日

 広島市長 松井一実


こども代表の‘平和への誓い’、これだまた良かった!

http://mainichi.jp/area/news/20120806ddf010040010000c.html

広島原爆の日:こども代表平和への誓い(全文)
毎日新聞 2012年08月06日 大阪夕刊

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 67年前、一発の原子爆弾によって、広島の街は、爆風がかけめぐり、火の海となりました。たくさんの人の尊い命が、一瞬のうちに奪われました。建物の下敷きになった人、大やけどを負った人、家族を探し叫び続けた人。

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身も心も深く傷つけられ、今もその被害に苦しむ人がたくさんいます。

 あの日のことを、何十年もの間、誰にも、家族にも話さなかった祖父。ずっとずっと苦しんでいた。でも、一生懸命話してくれた。戦争によって奪われた一つ一つの命の重み。残された人たちの生きようとする強い気持ち。伝えておきたいという思いが、心に強く響きました。

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 故郷を離れ、広島の小学校に通うことになったわたしたちの仲間。はじめは、震災のことや福島から来たことを話せなかった。家族が一緒に生活できないこと、突然、友だちと離ればなれになり、今も会えないこと。でも、勇気を出して話してくれました。「わかってくれて、ありがとう。広島に来てよかった。」その言葉がうれしかった。

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つらい出来事を、同じように体験することはできないけれど、わたしたちは、想像することによって、共感することができます。悲しい過去を変えることはできないけれど、わたしたちは、未来をつくるための夢と希望をもつことができます。

 平和はわたしたちでつくるものです。身近なところに、できることがあります。

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違いを認め合い、相手の立場になって考えることも平和です。思いを伝え合い、力を合わせ支え合うことも平和です。わたしたちは、平和をつくり続けます。仲間とともに、行動していくことを誓います。

 平成24年(2012年)8月6日

 こども代表

 広島市立比治山小学校6年・三保竜己(みほ・りゅうき)

 広島市立安北小学校6年・遠藤真優(えんどう・まゆ)






未だに福島原発の適切な処理も出来ない野田首相の紋切り型の挨拶には、心がこもってなく、広島の人々や福島の人達は、どんな思いでこの挨拶を聞いたのであろうか?

http://news.goo.ne.jp/article/mainichi/life/20120806dde007040079000c.html

<広島原爆の日>野田佳彦首相あいさつ(全文)

<2012年8月6日(月)18:00>

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 67年前の今日、原子爆弾が広島を襲い、約14万人もの尊い命が一瞬にして奪われ、多くの市民の方々が筆舌に尽くしがたい苦痛を受けられました。

 広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式に当たり、原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊に対し、謹んで哀悼の誠を捧げます。

 そして今なお原子爆弾の後遺症に苦しまれている方々に、心よりお見舞いを申し上げます。

 人類は、核兵器の惨禍を決して忘れてはいけません。そして、人類史に刻まれたこの悲劇を二度と繰り返してはなりません。

 唯一の戦争被爆国として核兵器の惨禍を体験した我が国は、人類全体に対して、地球の未来に対して、崇高な責任を負っています。それは、この悲惨な体験の「記憶」を次の世代に伝承していくことです。そして、「核兵器のない世界」を目指して「行動」する情熱を、世界中に広めていくことです。

 被爆から67年を迎える本日、私は、日本国政府を代表し、核兵器の廃絶と世界の恒久平和の実現に向けて、日本国憲法を遵守(じゅんしゅ)し、非核三原則を堅持していくことを、ここに改めてお誓いいたします。

 67年の歳月を経て、被爆体験を肉声で語っていただける方々もかなりのお年となられています。被爆体験の伝承は、歴史的に極めて重要な局面を迎えつつあります。

 「記憶」を新たにする社会基盤として何よりも重要なのは、軍縮・不拡散教育です。その担い手は、公的部門だけではありません。研究・教育機関、NGO、メディアなど、幅広い主体が既に熱心に取り組んでおられます。そして、何よりも、市民自らの取り組みが大きな原動力となることを忘れてはなりません。被爆体験を世界に伝える、世界49カ所での「非核特使」の活動に、改めて感謝を申し上げます。政府としては、これからも、「核兵器のない世界」の重要性を訴え、被爆体験の「記憶」を、国境を越え、世代を超えて確かに伝承する取り組みを様々な形で後押ししてまいります。

 「核兵器のない世界」の実現に向けて、国際社会も確かな歩みを進めています。核兵器保有国の間でも、昨年、米露の「新START」が発効し、我が国が国連総会に提出した核軍縮決議が圧倒的な賛成多数で採択されました。こうした動きを発展させ、世界全体の大きなうねりにしていかなければなりません。

 我が国は、志を同じくする国々とも連携しながら、核軍縮・不拡散分野での国際的な議論を主導し、「行動への情熱」を世界に広めてまいります。再来年には、ここ広島で、我が国が主導する非核兵器国のグループである軍縮・不拡散イニシアティブ(NPDI)の外相会合を開催いたします。

 原子爆弾の後遺症により、現在も苦しんでいる方々に目を向けることも忘れてはなりません。認定制度のあり方については、有識者や被爆者団体などの関係者に熱心にご議論いただき、本年6月に「中間とりまとめ」をいただきました。原爆症の認定を待っておられる方々を一日でも早く認定できるよう最善を尽くします。これからも、被爆者の方々の声に耳を傾けながら、より良い制度への改善を進め、総合的な援護策を進めてまいります。

 東日本大震災、そして東京電力福島第1原子力発電所の事故から、1年以上が経過しました。ここ広島からも、福島の再生に心を砕き、様々な支援を寄せていただいています。今なお不自由な生活を余儀なくされている方々が一日も早く普通の日常生活を取り戻せるよう、除染などの生活基盤の再建に全力を尽くします。また、脱原発依存の基本方針の下、中長期的に国民が安心できるエネルギー構成の確立を目指します。

 結びに、原子爆弾の犠牲となられた方々のご冥福と、被爆された方々、ご遺族の皆様の今後のご多幸を心よりお祈りするとともに、参列者並びに広島市民の皆様のご健勝を祈念申し上げ、私のあいさつといたします。

 平成24年8月6日

 内閣総理大臣 野田佳彦



この挨拶が済んだら、広島の件は終わったと思って貰っては困る。黒い雨に関する処置がここまで延び延びになった事の責任を国の為政者は、もっと真剣に考えるべきだろう。

9日の長崎での挨拶文が今回の‘広島’の文字を‘長崎’に書き換えるだけであってはならぬ!
























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[2012/08/06 23:53] | 戦争の記憶 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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