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長崎平和祈念式典と親父の祥月命日
毎年8月9日は、長崎原爆に日であると同時に、個人的なことで恐縮だが、私の実の親父の祥月命日である。

正直なところ、祥月命日であるから長崎の原爆に日を思い出すのではなく、長崎の原爆の日であるから親父の祥月命日を忘れずにいる。

それ程原爆の日の印象が我々世代の人間には深いふか~い傷跡として‘こころ’に刻まれているのである。

ところで、広島の原爆の日に関する弊ブログでは、朝日新聞ともあろう大メディアの朝刊の一面にその見出しが見つからないことを指摘した。風化を自ら促進させているのではないかと思ったからだ。

さて、本日の朝日新聞の朝刊には、一面は勿論、どの紙面にも「今日が、‘長崎原爆の日’」という見出しどころか記事さえ無い。看板の‘天声人語’にも忘れられている!

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この新聞で唯一‘長崎平和祈念式典’の文字が見えるのは、TV&ラジオ番組紹介欄だけである。これで、世界へ向けて‘原爆禁止’を訴え続けなければならない日本のメディアとしての責任が果たせると思っているのであろうか?新聞社の記者の間で既に‘原爆に関する風化’が進行してしまっているのだろう!

でも、67年と言うのがそんなに長~い時間なのであろうか? 確かに、この新聞社の幹部連中は67年前には生まれていなかったに違いないが、そんなに‘視野の狭い’気持ちで記者が務まるものなのだろうか?疑問だらけである。

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しかも驚いたことに、NHK以外は‘長崎原爆の日、平和祈念式典’に関する特別番組を組んでさえいないのだ!

この国のマスコミ・メディア関連者の頭脳は、先人達の苦しみを理解することも出来ない程に狂ってしまっているのであろうか?

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8月9日朝日新聞記事0002-2

NHKによる‘長崎平和祈念式典’の放映は、10:30から始まった。(以後の中継映像は全てNHK・TVをカメラで撮影したものである)

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10:38  もう二度と‘被爆者’を作るなと全世界に歌で訴えている。

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10:38  北村西望作・長崎平和祈念像もこの日を待っていたようにも見える。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3
%E5%92%8C%E7%A5%88%E5%BF%B5%E5%83%8F


平和祈念像(へいわきねんぞう)は、長崎県長崎市松山町にある平和公園の北端に建てられた像。北村西望(きたむら せいぼう)によって造られた。
神の愛と仏の慈悲を象徴し、垂直に高く掲げた右手は原爆の脅威を、水平に伸ばした左手は平和を、横にした足は原爆投下直後の長崎市の静けさを、立てた足は救った命 を表し、軽く閉じた目は原爆犠牲者の冥福を祈っている。被爆10周年にあたる1955年8月8日に完成。像の高さ9.7メートル、台座の高さ3.9メートル、重さは約30トンあり、鉄骨を芯にして、青銅製のパーツをステンレスのボルトで縫ってある。右手の人差し指には避雷針が設置されている。



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10:40  本日の司会を務める二人の高校生

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10:42  原爆死没者名簿の奉納のために代表者が登場

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10:43  死没者名簿

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10:43  長崎市原爆死没者名簿(新たな3巻の内一つ)

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10:46  被爆二世もやっと腰を上げられる状態になったという。

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10:49  献水の儀式。広島にはない長崎の特徴。被爆者は皆水を欲しがった。

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10:50  水は奉納された。

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10:51  続いて献花の儀式。

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10:52  続いて野田内閣総理大臣の献花。

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10:53  高校生平和大使。

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10:53  高校生平和大使の高野桜さん。福島で原発の被害を受けた。

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10:56  彼女も悩んだ末に平和大使を引き受けた。

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10:58  長崎の人達も福島を応援。

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11:02  原爆投下の時刻がきた!‘長崎の鐘’が鳴らされる!

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11:02  全員黙祷。

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11:03  野田総理も黙祷。

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11:05  主催者・長崎市長の平和宣言。

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11:05  原稿は自分で書かれたのだろう。ほとんど原稿に目を落とされない堂々とした平和宣言である。

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11:12  市長による7分間の平和宣言が終了した。

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11:14  被爆者代表の挨拶

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11:14  家族の悲惨な被爆状況が切々と語られた。

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11:22  生々しい被爆者の報告に場内は静まり返った!

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11:22  続いて原爆で焼かれた学校関係者の歌が始まった。

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11:22  学校は丸焼け。人々はどうなったのだろうか?

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11:23  モニュメントが建立されている。

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11:23  現在の山田小学校の皆さんによる合唱。

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11:23  「あの子」という歌。作詞は、永井隆博士である。

http://www.nagasaki-city.ed.jp/yamazato-e/05%20heiwa/04%20nagai%20hakase.htm

 ~ 人を愛し,平和を願い,忍耐と奉仕に生きた 永井隆博士 ~

 明治41年2月3日,島根県に生まれた永井博士は,医者を目指して長崎医科大学に入学し,卒業後は放射線医学を研究した。研究熱心な永井博士は,このころ治らない病気と言われていた結核を研究するために,一日に何百人ものレントゲン写真を撮るという無理が重なって,37才の時,白血病にかかってしまった。しかし,その後も病気の体をおして,熱心に治療と研究を続けていた。
 昭和20年8月9日,午前11時2分。長崎に原子爆弾が落とされ,この1発の爆弾で15万人もの人々が死んだり,けがをしたりした。この時,永井博士もこめかみの血管を切るという大けがを負ったが,「如己愛人」(自分と同じように人も愛する)の精神で,自分のけがの手当は後回しにし,生き残った看護婦を集め,自分が失神して倒れるまでの3日間,必死にけがの手当にあたった。

その後,奇跡的に回復した永井博士は,しばらくは原爆の被害報告書を書いたり,大学での研究を始めたりしていたが,病気は永井博士の体を確実にむしばんで,とうとう立てなくなってしまった。しかし,「腕や指はまだ動く。自分には書くことができるではないか」と,平和への強い願いをこめて「如己堂」で本を書き始めた。病気は日に日に悪くなる一方だったが,それでも永井博士は本を書くことをやめず,HBから2B,さらに4Bへと濃い鉛筆に変え,最後はこするように一生懸命,本を書き続けた。永井博士が書いた「長崎の鐘」「ロザリオの鎖」などの本は,日本中の多くの人々に読まれ,感動を与えている。また,半紙1000枚に「平和を」の3文字を記して多くの人々に送り続け,遠くはヨーロッパやアメリカの人々にまで平和を強く訴えた。
 不自由な体で平和を祈り,本を書き続けている永井博士のもとには,ヘレン・ケラーさんをはじめ,外国からも多くの人々が励ましにやってきた。こうして永井博士の平和への願いは,世界中の人々にますます知られるようになった。
 また,永井博士は,焼け野原になった長崎の町に,「平和を」「如己愛人」の思いを込めて1000本の桜を贈った。
 昭和26年5月1日,ついに病が重くなり,多くの人々に見守られながら43才の若さで亡くなってしまったが,永井博士の「平和を」の願いは,いつまでもいつまでも人々の心の中に生き続けていくことだろう。


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11:23 大合唱が始まった。

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11:24  永井博士の思いが込められている!

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11:25  「ああ、あの子が生きていたならば・・・」

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11:34  やっと野田内閣総理大臣の挨拶の出番が回って来た。
私は彼の挨拶を瞬きもせずに見ていたが、彼は、式典に集まった人達を一度も見なかった!原稿を必死で読むだけである。勿論自分で作った原稿ではないだろうから、読み間違えないようにと必死のご様子だった。これでは、長崎に失礼である!心は‘政局’に向いているらしく、何とも情けない!これで一国の指導者だろうか?

広島原爆の日の挨拶文の中の‘広島’の部分を‘長崎’に替えただけだったら、と危惧していた。(8月6日の弊ブログ)

比較の意味で‘広島原爆の式典’での首相の挨拶文を掲載した。
それぞれの挨拶文で‘共通の文字’を赤字表示してみた。

完全に一致しているとは言わないが、試験なら‘カンニング’である。これなら‘こころ’が入っているいないの議論の外であろう。彼には‘恥ずかしい’という気持ちなど全くないのであろうか?

本当に、本当に一度も原稿から目を外さなかった!
 

http://www.asahi.com/national/update/0809/TKY201208090182.html

長崎平和祈念式典・野田首相あいさつ(全文)

67年前の今日、原子爆弾が長崎を襲い、約万人もの尊い命が一瞬にして奪われ、多くの市民の方々が筆舌に尽くしがたい苦痛を受けられました。長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に当たり、原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊(みたま)に対し、謹んで哀悼の誠を捧げます。そして今なお原子爆弾の後遺症に苦しまれている方々に、心よりお見舞いを申し上げます。

 人類は、核兵器の惨禍を決して忘れてはいけません。そして、人類史に刻まれたこの悲劇を二度と繰り返してはなりません。唯一の戦争被爆国として核兵器の惨禍を体験した我が国は、人類全体に対して、地球の未来に対して、崇高な責任を負っています。それは、この悲惨な体験の「記憶」を次の世代に伝承していくことです。そして、「核兵器のない世界」を目指して「行動」する情熱を、世界中に広めていくことです。被爆から67年を迎える本日、私は日本国政府を代表し、核兵器の廃絶と世界の恒久平和の実現に向けて、日本国憲法を順守し、非核三原則を堅持していくことを、ここに改めてお誓いいたします。

 67年の歳月を経て、被爆体験を肉声で語っていただける方々もかなりのお年となられています。被爆体験の伝承は、歴史的に極めて重要な局面を迎えつつあります。「記憶」を新たにする社会基盤として何よりも重要なのは、軍縮・不拡散教育です。その担い手は、公的部門だけではありません。研究・教育機関、NGO、メディアなど、幅広い主体が既に熱心に取り組んでおられます。そして、何よりも、市民自らの取り組みが大きな原動力となることを忘れてはなりません。被爆体験を世界に伝える、世界49カ所での「非核特使」の活動に、改めて感謝を申し上げます。政府としては、これからも「核兵器のない世界」の重要性を訴え、被爆体験の「記憶」を、国境を越え、世代を超えて確かに伝承する取り組みを様々な形で後押ししてまいります。

 また来る8月10日から11日には、長崎市と国連大学の協力を得て、「軍縮・不拡散教育グローバル・フォーラム」を開催します。政府や国際機関の関係者に、有識者や市民の皆さんが加わって、軍縮・不拡散教育のあり方について議論する予定です。皆様とともに、いっそう精力的に取り組み、世界に広げてまいります。「核兵器のない世界」の実現に向けて、国際社会も確かな歩みを進めています。核兵器保有国の間でも、昨年、米露の「新START」が発効し、我が国が国連総会に提出した核軍縮決議が圧倒的な賛成多数で採択されました。こうした動きを発展させ、世界全体の大きなうねりにしていかなければなりません。

 原子爆弾の後遺症により、現在も苦しんでいる方々に目を向けることも忘れてはなりません。認定制度のあり方については、有識者や被爆者団体などの関係者に熱心にご議論いただき、本年6月に「中間とりまとめ」をいただきました。原爆症の認定を待っておられる方々を一日でも早く認定できるよう、最善を尽くします。これからも、被爆者の方々の声に耳を傾けながら、より良い制度への改善を進め、総合的な援護策を進めてまいります。

 東日本大震災、そして東京電力福島第一原子力発電所の事故から、1年以上が経過しました。ここ長崎からも、福島の再生に心を砕き、様々な支援を寄せていただいています。今なお不自由な生活を余儀なくされている方々が一日も早く普通の日常生活を取り戻せるよう、除染などの生活基盤の再建に全力を尽くします。また、脱原発依存の基本方針の下、中長期的に国民が安心できるエネルギー構成の確立を目指します。

 結びに、原子爆弾の犠牲となられた方々のご冥福と、被爆された方々、ご遺族の皆様の今後のご多幸を心からお祈りするとともに、参列者並びに長崎市民の皆様のご健勝を祈念申し上げ、私のあいさつといたします。





http://kissyarita.blog.fc2.com/

広島原爆の日>野田佳彦首相あいさつ(全文)

67年前の今日、原子爆弾が広島を襲い、約14万人もの尊い命が一瞬にして奪われ、多くの市民の方々が筆舌に尽くしがたい苦痛を受けられました。

 広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式に当たり、原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊に対し、謹んで哀悼の誠を捧げます。

 そして今なお原子爆弾の後遺症に苦しまれている方々に、心よりお見舞いを申し上げます。

 人類は、核兵器の惨禍を決して忘れてはいけません。そして、人類史に刻まれたこの悲劇を二度と繰り返してはなりません。

 唯一の戦争被爆国として核兵器の惨禍を体験した我が国は、人類全体に対して、地球の未来に対して、崇高な責任を負っています。それは、この悲惨な体験の「記憶」を次の世代に伝承していくことです。
そして、「核兵器のない世界」を目指して「行動」する情熱を、世界中に広めていくことです。

 被爆から67年を迎える本日、私は、日本国政府を代表し、核兵器の廃絶と世界の恒久平和の実現に向けて、日本国憲法を遵守(じゅんしゅ)し、非核三原則を堅持していくことを、ここに改めてお誓いいたします。

 67年の歳月を経て、被爆体験を肉声で語っていただける方々もかなりのお年となられています。被爆体験の伝承は、歴史的に極めて重要な局面を迎えつつあります。

 「記憶」を新たにする社会基盤として何よりも重要なのは、軍縮・不拡散教育です。その担い手は、公的部門だけではありません。研究・教育機関、NGO、メディアなど、幅広い主体が既に熱心に取り組んでおられます。そして、何よりも、市民自らの取り組みが大きな原動力となることを忘れてはなりません。被爆体験を世界に伝える、世界49カ所での「非核特使」の活動に、改めて感謝を申し上げます。政府としては、これからも、「核兵器のない世界」の重要性を訴え、被爆体験の「記憶」を、国境を越え、世代を超えて確かに伝承する取り組みを様々な形で後押ししてまいります。

 「核兵器のない世界」の実現に向けて、国際社会も確かな歩みを進めています。核兵器保有国の間でも、昨年、米露の「新START」が発効し、我が国が国連総会に提出した核軍縮決議が圧倒的な賛成多数で採択されました。こうした動きを発展させ、世界全体の大きなうねりにしていかなければなりません。

 我が国は、志を同じくする国々とも連携しながら、核軍縮・不拡散分野での国際的な議論を主導し、「行動への情熱」を世界に広めてまいります。再来年には、ここ広島で、我が国が主導する非核兵器国のグループである軍縮・不拡散イニシアティブ(NPDI)の外相会合を開催いたします。

 原子爆弾の後遺症により、現在も苦しんでいる方々に目を向けることも忘れてはなりません。認定制度のあり方については、有識者や被爆者団体などの関係者に熱心にご議論いただき、本年6月に「中間とりまとめ」をいただきました。原爆症の認定を待っておられる方々を一日でも早く認定できるよう最善を尽くします。これからも、被爆者の方々の声に耳を傾けながら、より良い制度への改善を進め、総合的な援護策を進めてまいります。

 東日本大震災、そして東京電力福島第1原子力発電所の事故から、1年以上が経過しました。ここ広島からも、福島の再生に心を砕き、様々な支援を寄せていただいています。今なお不自由な生活を余儀なくされている方々が一日も早く普通の日常生活を取り戻せるよう、除染などの生活基盤の再建に全力を尽くします。また、脱原発依存の基本方針の下、中長期的に国民が安心できるエネルギー構成の確立を目指します。

 結びに、原子爆弾の犠牲となられた方々のご冥福と、被爆された方々、ご遺族の皆様の今後のご多幸を心よりお祈りするとともに、参列者並びに広島市民の皆様のご健勝を祈念申し上げ、私のあいさつといたします。


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11:35  続いて長崎県知事の挨拶。

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11:35  長崎県知事さんも長崎市長さんと同じく集まった人達の方を見て切々と訴えられた。

ここまでで中継は終了した。




さて、最初に述べた通り、8月9日は、私の‘実父’の祥月命日である。

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昭和51年だったから、今から36年前だ。やはり第二次大戦では‘一兵卒’とし、マレー半島の戦線に派遣された。シンガポールに滞在したらしいが、終戦後は捕虜として‘レンバン島’に抑留され、食うものも食わずに痩せ衰えてはいたが、昭和21年5月21日(実兄の誕生日)に無事福岡県・直方市へ帰還した。

明治45年(1911年)1月5日の生まれだったから、昨年(2011年)、生誕100年記念祭を長男の実兄が幹事役となって挙行した。

実際に、戦線に兵役義務を負って参加した親父達は、原爆に関して我々とは違った思いがあっただろうが、親父の生前には原爆についての議論はした覚えがない。

兎に角、‘戦争はしてはならない’という事は、我々以上に深く深く思っていたことは事実である。

上述した通り、マスコミはもっと核戦争の恐ろしさを世界にアピールすべきである。

マスコミが自らの体たらくで、「‘原爆’の風化」に拍車をかけるような真似だけは決してして貰いたくはない!




























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[2012/08/09 23:18] | 戦争の記憶 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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