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皇居・和田倉門界隈(その1)
皇居・和田倉門界隈(その1)

今年(2019年)7月5日、打ち合わせの合間に時間が出来たので、久し振りに喧騒を離れて「皇居和田倉門」近辺へへ行ってみた・・。

ここは、東京駅からほんの数分で行ける距離にあるのに、流石、皇居の一部(?)とあって、静けさが満喫出来る!

 

http://fng.or.jp/koukyo/news
/2015/08/post-74.html

和田倉噴水公園の「和田倉門」と「和田倉橋」

和田倉噴水公園は、昭和36年に今上天皇の御成婚を記念して創建された水と緑の広がる癒しの公園。園内には公園のシンボルである大噴水と、様々なテーマが設けられた流水施設があり、都会のアオシスとして人々に親しまれています。

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そんな噴水公園の北東に位置する、公園の入り口の一つが和田倉門です。

 和田倉門は1620年(元和6年)の改築で東北の諸大名により枡形が構築されました。

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そしてこちらの木橋が和田倉橋。皇居のお濠に架かる橋で江戸時代の「木橋」の姿が残されているのは、この「和田倉橋」と「平川橋」のみです。

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この橋より内側は、大手門や桔梗門(内桜田門)から入場する大名や武士が通行する橋で、一般人は通ることができませんでした。

建設年は不明ですが、1620年にはすでに存在していたとの記録があります。橋は関東大震災で大きな被害を受け、その後1953年に往時の木橋を模したコンクリートの橋へと生まれ変わりました。

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明治天皇がはじめて江戸城に入場する際には、呉服橋を通った後、こちらの和田倉門を通り、江戸城西の丸に入られました。

近代的なモニュメントや大噴水がある一方で、江戸時代の面影を色濃く残す和田倉噴水公園。皇居外苑散策の際は、是非お立ち寄りください。


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これは、橋の欄干には良く見かける「擬宝珠」というものである!

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E
6%93%AC%E5%AE%9D%E7%8F%A0

擬宝珠(ぎぼし)は、伝統的な建築物の装飾で橋や神社、寺院の階段、廻縁の高欄(手すり、欄干)の柱の上に設けられている飾りである。ネギの花に似ていることから「葱台(そうだい)」とも呼ばれる。

擬宝珠が取り付けられるのは親柱(両端および一定の間隔で並ぶ主要な柱)であり、「宝珠柱」という。親柱が木製の場合、擬宝珠は銅、青銅などの金属製である場合が多く、雨水などによる木材の腐食を抑える役目もある。親柱が石の場合、擬宝珠も含めて石造りになっている場合もある。まれにすべて木製のものもある。より古い時代の瓦製のものも見つかっている。

紛らわしいものとしては五重塔、五輪塔などの仏塔の先端に飾られるもので、これは擬宝珠ではなく宝珠である。

起源
起源は諸説あり、一つは仏教における宝珠から来ているとするものである。宝珠は釈迦の骨壺(舎利壺)の形とも、龍神の頭の中から出てきたという珠のこととも言われ、地蔵菩薩などの仏像が手のひらに乗せているものである。 この宝珠を模した形から模擬の宝珠という意味で擬宝珠とつけられたというもの。

もう一つはネギのもつ独特の臭気が魔除けにもなると信じられ、その力にあやかって使われるようになったとする説であり、擬宝珠という用字は葱帽子、葱坊主に後から付けられた当て字であるとするもの。橋や神社など仏教建築以外でも使われることの説明にもなる。

歴史
神社では伊勢神宮正殿の高欄の五色の宝珠型の飾りが原型とされ、当初は朝廷と関わる建造物にのみ存在したらしい。

古い例としては中国、漢代の画像石や敦煌の壁画にそれらしいものが見られる。日本での例では平城京跡の二条大橋のものとされる、瓦のものが見つかっている。

橋の擬宝珠には、その由来が刻まれている場合もある。銘があり現存するものとしては京都 三条大橋に一部残っているものが古く、天正年間に豊臣秀吉の命で改築した際のものとされる。五条大橋も同時期で橋に用いられた最初のものとされる(ただし現在のものではない)。他に、それを模したものとして江戸時代初期の盛岡 上の橋、下の橋のものがある。

江戸市中で擬宝珠を持っていた橋は、日本橋 (東京都中央区)と京橋 (東京都中央区)、新橋 (東京都港区)のみである[1]。

形状、各部名称

先端の宝珠状の部分のみをさして、「擬宝珠」という場合もある。下にあるお椀を伏せたような部分を「覆鉢」、間をつなぐくびれた部分を「欠首」という。さらにその下、覆鉢の下の円筒形部分を「胴」という。

擬宝珠は時代により形状が変化しており、一例として高さに比べ直径の大きく頭の宝珠状部分が小さいものを「鎌倉型」という。この宝珠部分の大きさは概ね時代とともに大きくなっている。


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[2019/07/12 10:32] | 伝統文化 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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