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‘カニ’の集団移動?
昨日を境に、我が家の敷地に沿って流れる小川の‘カニ’が約4~5mほど、‘出現場所’を変えた。

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画像ー35 194 posted by (C)mobaradesu

こちら側(此岸<しがん>)のこの部分に‘カニ’達は、出現していたが、昨日からこの場所には一匹も姿を現さなくなった。

小川を挟んで対岸(彼岸<ひがん>)を見ると、うじゃうじゃいる!

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画像ー35 196 posted by (C)mobaradesu

少々判りづらいので、望遠で拡大して見ると・・・、

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さらに拡大して見た。

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こちら岸からあちら岸への移動! この距離が大凡、4~5m。

カニの世界にも此岸<しがん>と彼岸<ひがん>の‘思想’があるのかもしれない!?

そうだとすれば、この小川が‘三途の川’ということになる。

この際だから、‘此岸’と‘彼岸’と‘三途の川’について蘊蓄を蓄積しておこう!



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A4%E5%B2%B8

此岸

此岸(しがん)とは、仏教において、彼岸に対比される世界をいい、私たちが住んでいる現世のこと。

概要 [編集]

仏教の民間信仰の教えの一部では、仏の世界は大きな川を隔てた向こう側にあるとされ、彼岸と呼ばれる。それに対し、人間の住む世界を此岸と呼び区別している。死後には彼岸へいけると考えられ、彼岸では、煩悩に煩わされることなく永遠に平穏無事に暮らせると考えられている。それに対し現世である此岸は生きた人間であるゆえの煩悩に苦しめられ、あくせく暮らすとされる。彼岸と此岸の距離は、暦により変化すると考えられ毎年、3月20日の「お彼岸」は彼岸と此岸がもっとその距離が縮まると考えられる。



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%BC%E5%B2%B8

彼岸

彼岸(ひがん)とは、煩悩を脱した悟りの境地のことで、煩悩や迷いに満ちたこの世をこちら側の岸「此岸」(しがん)と言うのに対して、向う側の岸「彼岸」という。
「彼岸会(ひがんえ)」は、雑節の一つで、春分・秋分を中日とし、前後各3日を合わせた7日間のこと。また、この期間に行われる仏事のこと。暦の上では最初の日を「彼岸の入り」、最後の日を「彼岸明け」なお、地方によっては最後の日を「はしりくち」という地方もある。俗に、中日に先祖に感謝し、残る6日は、悟りの境地に達するのに必要な6つの徳目、六波羅蜜を1日に1つずつ修めるためとされている。



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E9%80%94%E5%B7%9D

三途川(冥界) [編集]

此岸(現世)と彼岸(あの世)を分ける境目にあるとされる川。一般的に仏教の概念の1つと思われがちだが、実際は仏教に民間信仰が多分に混じって生まれた概念である。

起源 [編集]

三途川の出典は『金光明経』1の「この経、よく地獄餓鬼畜生の諸河をして焦乾枯渇せしむ」である。この地獄・餓鬼・畜生を三途(三悪道)といい、これが広く三悪道を指して三途川と称する典拠であるといわれる。しかしながら俗に言うところは『地蔵菩薩発心因縁十王経』(略称:地蔵十王経)の「葬頭河曲。於初江辺官聴相連承所渡。前大河。即是葬頭。見渡亡人名奈河津。所渡有三。一山水瀬。二江深淵。三有橋渡」に基づいて行われた十王信仰(閻魔大王は十王のうちの1人)による。

この十王経は中国で成立した経典であり、オリジナルの仏教の教義にはなく中国で変容した際に付け加えられた偽経である。この経典の日本への渡来は飛鳥時代と思われるが、信仰として広まったのは平安時代末期とされる。正式には「葬頭河」といい、また「三途の川」・「三途河」(しょうずか、正塚)・「三瀬川」・「渡り川」などとも呼ばれる。

一説には、俗に三途川の名の由来は、初期には「渡河方法に三種類あったため」であるともいわれる。これは善人は金銀七宝で作られた橋を渡り、軽い罪人は山水瀬と呼ばれる浅瀬を渡り、重い罪人は強深瀬あるいは江深淵と呼ばれる難所を渡る、とされていた。
しかしながら、平安時代の末期に、「橋を渡る(場合がある)」という考え方が消え、その後は全員が渡舟によって渡河するという考え方に変形する。渡船の料金は六文と定められており、仏教様式の葬儀の際には六文銭を持たせるという習俗が以来ずっと続いており、現在では「文」という貨幣単位がないことや火葬における副葬品制限が強まっていることから、紙に印刷した六文銭(→冥銭)が使われることが多いようである。

また、三途川には十王の配下に位置づけられる懸衣翁・奪衣婆という老夫婦の係員がおり、六文銭を持たない死者が来た場合に渡し賃のかわりに衣類を剥ぎ取ることになっていた。この二人の係員のうち奪衣婆は江戸時代末期に民衆信仰の対象としてブームとなった。




この川は、15,6年前引っ越しをして来て以来長年に亘って毎日見ている小川であるが、まさかこれが‘三途の川’に当たるとは想像もしていなかった。

でも‘カニ’がそれを教えてくれた。

ものの考え方一つで、現世もいろいろ変化出来る。

何だか彼岸へ行ったカニが‘悟り’を開いているようにも見えて来た。此岸に居る我々人間よりも立派に見える。

これ、僻ん(彼岸)でるって?

















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[2012/08/18 11:58] | 趣味 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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