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総合芸術家・藤田嗣治の科学的発想法
Ismael_Nery_-_Retrato_de_Foujita,_déc._1930
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%
E3%83%AB:Ismael_Nery_-_Retrato_de_Foujita,_d%C3%A9c._1930.jpg

藤田嗣治の肖像(イスマエル・ネリ、1930年代)


藤田嗣治の名作・‘乳白色の肌’を世界で初めて表現した「寝室の裸婦キキ」は、当時大評判になったが、その‘作製方法’については、パリの芸術家達にも判らなかったし、彼もその方法を公開しなかった。

kiki.jpg
http://www2.plala.or.jp/Donna/foujita.htm「寝室の裸婦キキ」

inseculaより転載しています
「寝室の裸婦キキ」1922

漆黒の背景に浮かび上がる素晴らしき乳白色の肌。
全体の色調を抑えることで、より肢体の優美さが強調される。
画面に流れる静けさや、極限までデフォルメした輪郭に繊細な細部描写は、
北斎が好きだったというFoujitaの体に流れる日本人の血がよくあらわれている。
”モンパルナスの女王”と呼ばれたキキがモデルで、
マネ「オランピア」を模したような構図は、西洋の名作に挑戦する心意気が窺い知れる。
http://www2.plala.or.jp/Donna/foujita.htm


その方法は、正に現代の‘科学者の研究方法’と同じである。やはり、日本人の発想法だ。

先ずは、藤田嗣治とはどんな人物だったかを解説しておかないと‘科学的発想法’を理解することが出来ない。

次のブログに、明確に簡潔に示されている。

 

http://www2.plala.or.jp/Donna/foujita.htm

藤田嗣治は家老の家柄に次男として生まれた。母を早くに失い、畏敬する軍医の父(のちの軍医総監)は医者になることを望んでいたが、14の時嗣治が画家になりたいとあらたまって告げると、黙って画材を買うための大金を渡したという。東京美術学校への入学するも、当時の師であった印象派の流れをくむ『紫派』の黒田清輝には、嗣治の暗くクラシックな趣の画風はまったく評価されなかった。

 卒業後、最初の妻・登美子と駆け落ちしながらも、画業で生活を成り立たせることができなかった嗣治は、翌年期限付きの仕送りを得てパリへと向かう。芸術の都で、日本では考えられないほど自由な表現と画家の地位が認められていることを知った嗣治は、日本人の自分がパリを魅了する絵描きになってやると強く心に誓う。

 日本に残してきた登美子とパリで暮らすことを夢見ながら、おりしも第一次世界大戦が勃発する。灯火規制の中、ひたすら絵だけを追求する生活を通して、貧しいがようやくこの地で手ごたえを感じ始めていた嗣治は、父の仕送りを断り、成功するまで日本に戻らぬ意志を伝える。最愛の登美子とも、どうにも避けられぬ別れを迎えることになる。ここにのちのFoujitaの基盤が出来たといえる。

 異国の地で傷心のFoujitaはさらに絵に打ち込んだ。まだ芽を出す前の彼を喜んで支えた2番目の妻・フェルナンド、モディリアーニをはじめとする貧しいながら志し高い画家仲間との出会い、初めての個展でピカソに注目されたこと、日本では得られなかったこれらひとつひとつが、生きる糧となったであろう。

 そしてパリへ来て8年がたった1921年、サロン・ドートンヌで独特の「乳白色の肌」と精緻な表現が絶賛を集める。絵を焼いて暖をとるほどの貧しい生活の中、Foujitaは血の滲む努力で”素晴らしき乳白色の肌”と絶賛される独自の方法を生み出したのだった。平滑で白いキャンバスの地に墨で描かれる陰影は、今でもどうやって描いたのかすべては解明されていない。日本人として世界とわたり合う覚悟を決めたFoujitaは、こうして一躍パリの売れっ子へと躍り出たのだった。



NHKの番組を見たが、次のアドレスで内容が良く判ることになっている。

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https://pid.nhk.or.jp/pid04/ProgramIntro/Show.do?pkey=001-20120822-10-17974

番組タイトル:極上美の饗宴「藤田嗣治・乳白色の裸婦の秘密」

チャンネル:BSプレミアム
放送日時: 2012年8月22日(水)
午前8:00~午前9:00(60分)
ジャンル: ドキュメンタリー/教養 > カルチャー・伝統文化
趣味/教育 > 音楽・美術・工芸
番組HP: http://www.nhk.or.jp/bs/gokujou/

“乳白色の肌”の裸婦像で、パリの人々をあっといわせた日本の画家がいた。藤田嗣治。藤田が生涯秘密にした乳白色の肌の描法を修復家によって初めて再現、その謎に迫る。

およそ90年前、パリの人々をあっといわせた日本の画家がいた。藤田嗣治。人々を魅了したのは、象牙のような半透明の白い肌、“乳白色の肌”であった。藤田は生涯、乳白色の肌の描法を秘密にした。しかし近年、修復家などによって、その驚きの描き方が解明されてきた。代表作「寝室の裸婦 キキ」の描法を徹底的に再現! 西洋と日本を見事に融合させてフランスで大成功を収めた、藤田嗣治の絵の秘密に迫る。

木島康隆, 林洋子, マーシャル・ルノワール, ジャクリーヌ・ジョケ, 【語り】井上二郎



これらを総合して見ると、藤田嗣治の‘発明’は次のように纏められる。

① 日本画独特(ex.浮世絵等の水墨画)の技法を西洋画に適用した。

② カンバスに目の細かい麻布を使った。

③ カンバスに‘下地塗り’をした。その材料は、炭酸カルシウム+オイル

④ その上に‘タルク’と白絵の具を混合したもので‘上塗り’をした。

⑤ 輪郭の均一な極細線。この手法はまだ‘解明されていない’という。

⑥ シーツに影を入れて、人物の白さを強調した。

⑦ ベッドの天蓋にフランスの伝統織物(ジュイ布)のデザインを活用した。

等々の‘知恵’が窺われる。お見事である。


この手法こそ、われわれ‘材料研究者’がいつも‘新材料’を開発する時の心構えの一つである。
あらゆる手法を総合せねば、新材料は生み出せない。

ここに出て来る‘タルク’とは・・・。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BB%91%E7%9F%B3

滑石(かっせき、talc、タルク)は、水酸化マグネシウムとケイ酸塩からなる鉱物で、粘土鉱物の一種である。
組成式は Mg3Si4O10(OH)2 である。蛇紋石(Mg3Si2O5(OH)4)が熱水変質、あるいは苦灰石(CaMg(CO3)2)が接触変成してできる。

2Mg3Si2O5(OH)4 + 3CO2 → Mg3Si4O10(OH)2 + 3MgCO3 + 3H2O
3CaMg(CO3)2 + 4SiO2 + H2O → Mg3Si4O10(OH)2 + 3CaCO3 + 3CO2

色は一般に白でろうそくの蝋や真珠のような光沢を持っているために、これを主成分とする岩石(後述)はろう石と呼ばれることもある。微細な薄片状の結晶が集合し、固まっている産状を呈することが多く、大きな単結晶状態で産出することはまれである。不純物により灰色や緑色をしたものもある。
滑石はモース硬度1の基準となる標準物質で、鉱物の中で最もやわらかいもののひとつである。爪で傷つけることもできる(爪の硬度は2.5度)。純粋なものは安定した硬度を示すが、不純物が含まれる場合は硬度が高くなる。

用途 [編集]

用途としては、粉末にして黒板用のチョーク、玩具、工事現場などでのマーキング用、ベビーパウダーなど化粧品類、医薬品や上質紙の混ぜ物など
がある。ベビーパウダーをタルカムパウダーと呼ぶ事があるのは、滑石の英語名 talc に由来する。
低品質のものは、アスベストを含有することがあるので不用意に吸入したりすることのないよう注意が必要である。一般的には北イタリア産のものが上質とされている。
利尿作用、消炎作用があるとされ、猪苓湯(ちょれいとう)、防風通聖散(ぼうふうつうしょうさん)などの漢方薬に配合される。 海外においては悪性胸水患者に対する胸膜癒着術に用いられる。日本においても、医薬品としての承認を目指して医師主導治験が行われている。



また、次のような解説もある。

http://homepage3.nifty.com/okadamasa/enjoypai/FujiLion.html
藤田 レオナール 嗣治 xx Fujita, Leonard Tsuguji

絵も売れぬ貧乏に長い間苦しんだが、やがて徐々に売れる様になった。35歳の時にキキを モデルに描いてサロン・ドートンヌに出品した 《寝室の裸婦キキ》 で、細い面相筆による繊細な 筆致と "素晴しき 乳白色 の地" と賛嘆された塗りが大評判となり、会員に推されて一躍 エコール・ド・パリの寵児となって、ヨーロッパに名を轟かせた。39歳の時にはベルギーから レオポルド勲章を贈られた。この "素晴しき 乳白色 の地" の技法の秘密を藤田は一生 明かさなかったが、後年の修復時の分析により、硫酸バリウムを下地に用い、その上に 炭酸カルシウムと鉛白を1:3の割合で混ぜた絵具を塗っていた事が分っている。 炭酸カルシウムは油と混ざるとほんの僅かに黄色を帯びる。更に、面相筆の中には 針を仕込む事で均一な線を描いていたと言う。



もうこうなったら、藤田嗣治は‘単なる画家’ではない。絵画に‘新技術’を持ち込んで、絵画の魅力を引き出した総合芸術家・天才というところだろうか?




材料の開発には、ここで言う‘総合力’が必要であるが、予期せぬ‘出来事’が、‘発明の要’になる場合が多い。

最も有名な開発秘話は、‘ジュラルミン’である。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A5%E
3%83%A9%E3%83%AB%E3%83%9F%E3%83%B3


ジュラルミンは、1906年ドイツ中西部のデュレン (Düren) で、ウィルム (Alfred Wilm) によって偶然に発見された。このデュレンとアルミニウムの合成語が、ジュラルミン (duralumin) である。また、ウィルムによって、ジュラルミンの時効硬化現象が見出された。もともとは薬莢の材料として、銅と亜鉛の合金の黄銅を用いていたが、「もっと軽いアルミニウムを銅と混ぜたらよいのではないか」という発想から得られたものである。結果としてその試みは失敗したが、思わぬ大きな成果を得た。



藤田嗣治の後を継ぐような総合芸術家はまだ現れてはいないような気がする。

時代は、まだ要求しないのだろうか?

























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[2012/08/29 12:23] | 芸術 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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