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「伝統と革新」(その1):書道
「伝統と革新」、昔からよく言われる言葉である。

以前もこの頃も‘伝統’を理解しないで、‘革新’に突っ走る人が多い。

例えば、筆を使う‘書’にしても、功を焦るのかどうかは知らないが、‘奇妙な字’を書いて素人受けをして‘名人気取り’の御仁も多い。

書道は、お習字から始まって、独学も含めた‘臨書’を毎日欠かさずやることの実行なくして‘書道’という‘道’には到達しない。

ただし、ここまでやっても‘書道’のほんの発端についたばかりで、本物はここから始まる。

「‘道’を極めること」、これは‘目標値’であって終わりではない。‘道’を極めることに‘完成’だとか‘終わり’という事は無い! いつも言われる通りである。

手元に一冊の本がある。

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小山天舟 著 「書に道をもとめて」

小山天舟:

埼玉の人で、名前は清、号を天舟と称し、尾上柴舟に師事した仮名の書家で、日本教育書道連盟理事長や日本書道美術館理事長等を歴任している。

この本の中から‘臨書手本’を抜粋。

<1> 書のこころを育てる方法

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「実際に書を書いて‘楽しむ’ことこそ、書のこころを育てる最大の方法」と言っている。この考え方は、スポーツにもその他の芸術にも通じるものであろう。実際にこの度のロンドン・オリンピックに於いても‘金メダリスト’達は異口同音に‘楽しんだ’と感想を漏らしている。

楽しめば、‘何か特別の力’が生まれるものらしい。

これも‘楽しむ’事が、その‘作用’の基本になっているのだろうが、次のような事例について‘生理学的’な研究がなされているという。

<娘の酌>:昔から‘娘の酌’は、‘何よりも酒が美味くなる’という。‘呑み手’の方が酌をしてくれるのが自分の娘だと認識した瞬間から‘お酒の味を変化させるホルモン’が‘呑み手’の方に抽出されるという研究があるらしい。(これは別途説明)

きっと‘書道’の方でも、素晴しい先生の手解きやお手本があると‘字が上手くなるホルモン(?)’が身体の中で抽出されるのかも知れない。

人間の体の仕組みは、ことほど左様に上手く出来ているものらしい。

<2> 書の古典に親しむ
臨書の古典として掲げられている代表作。

① 九成宮醴泉銘(唐)欧陽詢(76歳)

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② 雁塔聖教序(唐)褚遂良(58歳)

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③ 蘭亭叙(晋)王羲之

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解説にある通り、残念ながら、王羲之の真筆版は残っていないというから、次の写真版は‘臨書’なのであろう。褚遂良のものかも(??)

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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%
98%AD%E4%BA%AD%E5%BA%8F

蘭亭序(らんていじょ)は、王羲之が書いた書道史上最も有名な書作品。

<前略> 王羲之の書の真偽鑑定を行った唐の褚遂良は『晋右軍王羲之書目』において行書の第一番に「永和九年 二八行 蘭亭序」と掲載している。<中略>

王羲之の真跡は現存せず、蘭亭序もその例にもれない。しかし、太宗の命により唐代の能筆が臨摸したと伝えられる墨跡や模刻が伝えられている。
墨跡では清の乾隆帝が蒐集した三点の模写本が有名である(北京故宮博物院所蔵)。
八柱第一本は虞世南の臨摸であろうと董其昌が推定した。墨気が抜けたうえに入墨も多く一見不鮮明であるが、西川寧は、王羲之の真跡に最も近い双鉤填墨本であると評価している。元時代に張金界奴が献上したので、張金界奴本ともいう。
八柱第二本は褚遂良の臨摸ともされていたが、現在は北宋の無名の人の臨摸と推測されている。線が細いのが特徴的である。
八柱第三本は馮承素の臨摸といわれる。筆路が鮮明であるのが特徴的で、高校の教科書などで紹介されることが多いが、逆にそれが不自然過ぎると指摘されることもある。割り印として使われた「神龍」の印が、端に半分残っているので神龍半印本ともいわれる。「神龍」は唐時代の年号である(2008年、江戸東京博物館で日本初公開された)。
ともあれ、各臨本を実際に初唐の能筆が臨摸したという根拠はない。<後略>



④ 風信帖(平安)空海

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その他、この「書に道をもとめて」の本に掲載されている‘臨書手本’は、紙面の都合上もあり、割愛。

最後に‘かな’の臨書手本として、この本の著者・小山天舟先生の短冊を。

小山天舟短冊 201106-S2722
http://fukuchishoten.com/index.php?main_page=popup_image&pID=21573
小山天舟短冊

これらの素晴しい作品の臨書を毎日続けられるか?これが‘書道における伝統’を守るためには是非とも必要な工程であり、これこそが伝統を超えて革新を齎す原動力である。

(つづく)



















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[2012/09/14 11:16] | 学習と文化 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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