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大相撲は、‘スポーツ’か?
いやはや大変なことになった!


大相撲を錦絵
http://blogs.yahoo.co.jp/umayado17/61561668.html

この弊ブログでは、何度も‘国技たる’と言う表現は使わなかったが、大相撲の不人気の大きな原因の一つは‘NHK’の無様な‘ダイジェスト放送時間帯'にある、と指摘してきた。

そして、大相撲は‘スポーツ’か? という話題があるとも書かせて貰った。

調べて行くうちに、他の分野でもそう言う認識は有ったのだが、大相撲を論じるには‘浅学非才’であると認識せざるを得ない状況となった。

先ず、

1) 大相撲は、日本の‘国技’か? そもそも‘国技’とは何か?

(2) ‘スポーツ’の定義は何か? 大相撲はスポーツか?


これら二つについても‘きちんとした議論’が出来るだけの‘基礎知識’がないことをハッキリと‘自覚’させられたのである。

これらの基本的知識なくして、大相撲を論じてはいけないし、他人様の議論を‘引用’してもいけない! と気が付いた。

さて、それでは‘国技とは?’から・・・。

① 国技とは? 
Wikipedia にはこう書かれている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E6%8A%80
国技(こくぎ)とは、一般には、その国の特有の技芸、ある国の代表的な競技のことである。たとえば一般的には、スポーツ競技や武術 等々である。

ただし、厳密な定義は存在しておらず、事実上の”国技であるものもあるし(米国のベースボールなど)、各国の法令でわざわざ定めてあるもの(デ・ジュリ)もある(カナダのラクロスやアイスホッケーなど)。また、その国で最も人気のあるスポーツとも必ずしも一致していない。
米国で言うとアメリカン・フットボールやベースボールなどがそれにあたり、日本で言えば相撲がそれにあたるとみなされることがある。

基準

広義の国技は、人によってさまざまな意味で使われるが、おおむね次の二つのどちらかの意味で使われることが多い(国花・国鳥と類似する)。
国家機関によって特別の地位・待遇を与えられているもの
例:テコンドー(韓国)、アイスホッケー(カナダ)
国民に深く親しまれ、その国の文化にとって特に重要な位置を占めるという考えが提唱され、一定の範囲で広められているもの
例:相撲(日本)、野球(アメリカ合衆国)
前者の場合は、国家機関から法令等で正式に「国技 (national sport) 」としての地位を認定されている。後者の場合は、歴史が古く、その国の伝統文化と深く結びついていると愛好者の間でみなされていれば国技であるとする考えもあれば、現在国民の間に人気が高く、競技者人口や観戦者人口が多ければいいとする考えもあって、定まった意味内容はない。
国技の条件として、その国で生まれたものでなければならないと考える者もいる。しかし、国民から深く愛されているスポーツが、外国に起源を持っていることが判明するというケースも珍しいものではない。
国民的スポーツ
国技と呼ばれているスポーツでも、必ずしもその国で人気ナンバー1のスポーツとは限らない。確固たる人気を得たスポーツであっても、様々な理由で国技として認知されないことがある。特に、そのスポーツが「外国から輸入されたもの」という認識が強く、より一層自国の文化に根ざしたスポーツや伝統武道が他に存在する場合には国技と見なされないケースが多い(例:日本における野球、中国におけるバスケットボール、フランスにおけるサッカー)。この場合、「国民的スポーツ」などという表現をすることが多い。
一方で、海外から伝わったスポーツが国技としての地位を得るに至った国も多い(例:台湾における野球、英連邦諸国におけるクリケット)。
また、国技として認められるには至らないが、世界大会などで常に上位を占める競技をお家芸などと称し、国技に準ずるものと考える場合がある。

世界各国の国技

世界各国の国技を挙げる。法令で定められているもの、“事実上のもの”に分けて挙げる。そして、

法令で定められているもの として、世界各国の国技が沢山列挙されている。 

そして、

法令で定められていないもの として

日本 - 相撲、武道(柔道・剣道)

 との記載がある。
このことから、

「日本は、国技を法令で定めていない」

と言う事を、少なくとも‘大相撲を論じる’前に‘認識’しておく必要がある。ここからは、‘大相撲は国技か?’について・・・。

② 大相撲は‘国技’か?

何となく、今大騒ぎになっている‘領土問題’と観点が似ているようにも思える。

‘事実上のもの’として‘我が国の領土だ!’と韓国が言っている‘竹島’問題と考え方が酷似している。

私は、‘国技館’と言うから‘大相撲は国技’だとばかり思っていた。大相撲が国技なら‘相撲は国技’だという方程式が成り立つ。

ここで注意が必要なのは、‘大相撲’と‘相撲’の違いである。‘スポーツ’を論じる時に大いなる注意がいる。

後述するが、「相撲はスポーツではない!」という見方の多くは多分「‘大相撲’がスポーツではない」との立場の様である。

wikipedia の国技の項にも、‘相撲’とあるだけで、‘大相撲’とは書いていない。‘相撲’=‘大相撲’と思いがちだが、場合場合によっては、必ずしも同じものではなく、‘区別’をした方が良い場合があることを認識して議論をしないと、議論が発散して収斂しないことになる恐れが生じる。

註):ここでいう‘大相撲’とは、「日本相撲協会によっておこなわれる‘相撲興行」のこと。 誤解無きように。

次のようなブログがあるが、これは‘相撲=大相撲’との認識で書かれたものである。区別していたら、意見が変わっていたかもしれない!

http://smartass.blog10.fc2.com/blog-entry-1851.html

「相撲は国技にあらず」by日本相撲協会
2007-11-30-Fri
今まで、「日本の国技は相撲ということになっている」もしくは、「厳密には決まっていないが、そういうコンセンサスを得ている」と思っていました。そして、ちょっと語弊があるかもしれません、「その背景としては、日本相撲協会がうまいことやってそういう認識を得ることに成功した」と思っていました。つまり、「相撲協会の陰謀」とまでは言いませんけれど、「国技館」という名称が奏功して、「相撲は日本の国技たる地位を得た」と信じていました。

ところが、こんなライブドア・ニュースを見て、あれ、どうなってるの?と思いました。

相撲はいつから、どういう経緯で国技と見なされるようになったのだろうか。早速、日本相撲協会の広報部に聞いたところ、驚愕の事実が発覚!

「相撲は国技ではありません」

なんと、当の日本相撲協会から否定されてしまいました! どういうことですか?
  → ライブドアニュース:「「国技」をめぐる日本と世界の不思議な事情」
ほんとうです。驚愕ですよ。どういうことなんですか……。相撲協会の返事はこうだったようです。
「国技館で行われているために、そう思う方々が多いのではないでしょうか。国技館は、日本相撲協会が相撲を行うために建てた施設で、明治42年の6月に開館されたのですが、完成前までは『常設館』という名称の予定でした。しかし、完成した際に「国技館と命名しよう」という提案があり、それが了承されたため、現在の名称になったんです。そのあたりから、相撲は国技といわれてきたのでしょう」
  → (同)
はい、こういうおおよそのことは知っていました。で、事実はその通りにしても、「……こういう経緯で、相撲は国技と言われてきており、国民のコンセンサスも得られていると思います」と言ってしまうのかと思っていたのですが、そうでないのが、実はびっくりです。

※すでにライブドアニュースは削除されています。ライブドアニュースが参照していたのは、この記事です。
 → R25:「え、相撲って国技じゃないの?~「国技」をめぐる日本と世界の不思議な事情」(掲載日 2007.11.22) ※URL補正(2010/11/17)

もし、相撲協会に背負う気がないなら、わたしも「相撲は国技」っていう認識を捨て、今後はそういう方向で発言していきたいと思っています。ちょっと皮肉な言い方をすれば、島国根性的なナショナリズムの抜けない大相撲の現状を見ていると、むしろ「国技」と呼ぶにぴったりだと思うのですが、もし、相撲協会が引き受ける気がなく、日本の国技を見直すことが可能であるなら、わたしは「柔道」を押したいと思います。理由は、「日本発のスポーツであり、かつ、国際的な競技にまで広がっていること」、「老若男女(ちと「老」は苦しいかも)を問わず、広く愛好者がいること」、また、「国際大会にもそれなりの好成績を残していること」などが上げられます

剣道や弓道あたりも、日本的な種目で「国技」とも言えると思うのですが、愛好者がひどく国内に限定されている感があります。また、相撲は「男女に等しく愛好者がいる(※「見物」でなく「実技」という点です)」とは言えないし、アマチュアでは国際大会がおこなわれるようになっているようですが、大相撲では外国人差別などが色濃く残っているようで、その点が個人的には嫌なんです。「国技」を決めるにあたって、なにもわざわざ、女性があまりしない種目を採用することもないでしょう。

それに比べたら、柔道は、男女とも愛好者(競技者)がいて、なおかつオリンピックなどの国際大会でも、近年多少ピンチの感がないでもないですが、まだまだ日本が活躍していると思います。

相撲協会に「国技」を背負う気がないようですから、わたしは今日から、「日本の国技は柔道の方がふさわしい」と言うことにしたいと思います(「野球」を推す人がいらっしゃるようですが、まだまだ女性の競技者は少ないし、柔道や相撲をさし置いてわざわざ西洋の球技を採用することはないと思います。強いと思いますけどね、日本の野球)。



しかし、‘大相撲を国技である’と言う人達も沢山おられる。その根拠として挙げられる‘物的証拠’は、日本相撲協会の次の表現である。

日本相撲協会寄付行為0001-2
http://www.sumo.or.jp/kyokai/goannai/0024/index.html
この日本相撲協会と言う‘財団法人’を設立するための基本的事項を定めた‘寄付行為’に定められた‘第3条’の‘わが国固有の国技である相撲道を’の文語。これを以って‘大相撲は国技だ’という。

そして、次のような‘回答’もある。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1251262507
Q:相撲は国技ではないというのは本当ですか?

A:財団法人日本相撲協会が1966年4月1日に財団法人大日本相撲協会から改称する際に文部省に提出した寄附行為第3条(目的)に「この法人は、わが国固有の国技である相撲道を研究し、相撲の技術を練磨し、その指導普及を図るとともに、これに必要な施設を経営し、もって相撲道の維持発展と国民 の心身の向上に寄与することを目的とする。」と明記し昭和41年文部省令第6号として監督官庁からの省令認可されています。現在の文部科学省も昭和41年文部省令第6号を踏襲してるので大相撲に限らず相撲は国技だと中央官庁からも認められているので国技です。


ここは議論の分かれ目で、日本相撲協会も‘寄付行為第3条では、‘相撲は国技だ’とは言っているが‘大相撲’が国技だとは言っていないのである。‘国技である相撲道を研究し’と言っているだけに過ぎない。従ってこのコメントの‘大相撲に限らず’は省かれるべきなのであろう。これも‘相撲=大相撲’と誤解している。

これは誰もが知っている‘レスリングとプロレス’の違いの認識があったら、こんな誤解にはならないはずであるのに・・・。

また、‘大相撲’に関しては、‘吉田司家’の意見も重要である。こんな単行本も有る。

http://www.amazon.co.jp/dp/4915796884?tag=o
shieteba-goo-22&linkCode=as1&creative=6339

原点に還れ―国技相撲廃止の危機を突破した男 吉田司家二十三世追風吉田善門 [単行本]
吉田 長孝 (著)

商品の説明

内容(「BOOK」データベースより)

歴史的に相撲の形式を整えてきたのは吉田司家である。横綱を考案し、免許を与えつづけ、その土俵入りも指導した。行司への教育はもちろん免状も渡した。その吉田司家の後裔が、存廃の危機にある大相撲に「歴史に学べ」と一言を呈す。相撲廃止の危機は明治時代にもあった。それを二十三世追風はどのように乗り切ったか。歴史に学び、原点に還ることこそ、今、必要だ。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
吉田/長孝
1944年、熊本市生まれ。1951年、24世追風引退により7歳で25世追風を継承。13歳で九州場所前夜祭において横綱鏡里・吉葉山の三段構えを司式した。明治神宮での横綱推挙式において41人目横綱千代の山から59人目横綱隆の里まで横綱及び故実門人を授与し、熊本の吉田司家邸内にて1985年まで立行司木村庄之助、式守伊之助以下三役格の行司の免許状も授与してきた。また、1919年から始まった全国学生選手権の個人優勝者に「絹手綱」を1985年まで授与した(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)



なかなか複雑になって来た!

この本の中身は読んでいないから‘正確なところは判らないし、判断しようもない’が、単行本のタイトルにある‘国技相撲廃止の危機’と言う文語からすると、吉田司家では、‘当然’のことだが、「‘相撲も大相撲も’国技である」との認識のようである。

一方、「‘大相撲’は国技ではない 」と言う観点からの発言は、次のブログに‘その理由’が述べられている。

http://plaza.rakuten.co.jp/bluestone9
98/diary/201103230000/

2011年03月23日
相撲は神聖な国技などではない(23日の日記) (1)

「ニュース(250065)」
[ 文化 ]

 劇作家の山崎正和(やまざきまさかず)氏は、2月25日の朝日新聞で、わが国の相撲の歴史と昨今の八百長騒ぎについて、次のように述べている;


 相撲は神聖な国技だという人がいますが、筋の通らない話です。起源の点でも大陸から朝鮮半島を経て、日本に輸入されたという説が有力です。日本固有とは言えません。

 相撲はもともと、農作物の豊凶を占う宗教儀式でした。神様に見せるパフォーマンスだったんですね。それが神事といわれる起源なのでしょうが、神事に結びついた競技は、流鏑馬(やぶさめ)など相撲以外にいくらでもあります。

 また、今はパフォーマンスじゃなくスポーツだと言う人がいるかもしれませんが、両者は対立する概念ではなくなだらかな関係性を持っています。

 例えば、新体操やフィギュアスケート、チアリーディングなどはダンスそのもの、芸術に近いものです。本来は美しい演技を楽しむもので、クラシックバレエと似たパフォーマンスなんですね。今は演技を数値化し、勝ち負けをつけて競技スポーツとして認知されているだけの話です。

 プロレスに八百長があるかどうかは知りませんが、あれもお客さんは鍛え上げられた肉体や鮮やかな技に、お金を払っているのではないですか。相撲がかつて宗教的儀式だった時代に、スポーツとしての実質的な勝敗が問題にされなかったのと同じです。

 国技としての成り立ちを、奈良時代の相撲節会(すまいのせちえ)に求める向きもあるかもしれません。確かに相撲節会は、平安時代まで天皇臨席のもと、公家が国家行事として行ったものです。しかし農民を強制的に集めて、相撲を取らせ、それを公家が見ていたわけで、ローマ帝国の奴隷競技と変わりません。

 ■国技の根拠薄弱

 武家社会になると国家から離れていき、江戸時代には剣術、柔術より社会的に、はるか下にみられていました。当時、盛んだった勧進相撲は、寺社が神社仏閣の造営、再興の資金を集めるためのものですが、侠客(きょうかく)の金もうけの道具となって、たちまち腐敗していきます。反社会的勢力との結びつきを嫌った江戸幕府は、厳しく取り締まります。

 相撲取りも武士から脱落した浪人者です。当時、相撲取りと侠客は同類と見られていたんですね。芝居の演目でも知られる「一本刀土俵入り」も、相撲取りになりそこねた青年が博徒となり、昔、世話になった女性を助けるというお話です。

 国技と呼ばれるようになったのは、明治時代です。柔道や剣道ではなく相撲が国技となったのは、あくまで偶然だったと私は見ています。旧幕臣で、明治天皇の侍従を務めた山岡鉄舟が大の相撲好きで、天皇に相撲を教えたというんですね。さらに欧化政策に抵抗する保守派と結びついて、地位が一気に上がったのだと思います。明治42(1909)年、東京・両国に常設小屋、国技館が建設され、いよいよ大相撲が国技として認知されていきます。その後、相撲協会の財団法人化によって、裏付けも得ました。

 昭和の初めには、メディアの発達とともに大衆化し、第2次世界大戦へと向かう中で、外来スポーツの排除というナショナリズムと結びついた。それで一気に国民的なものとなるのです。私も子どものころの記憶にありますが、双葉山、男女ノ川(みなのがわ)というスターが大人気を博しました。

 こう見てくると、相撲は大して神聖ではなく、国技である根拠も極めて薄弱。国家と結びついていた期間も長くない。賛否どちらにしても、大相撲を特別視する必要はないことが分かると思います。

 ■防げない八百長

 さて、八百長問題です。これは今の相撲界では防げません。新弟子のころから寝食をともにし、おかみさんの世話になり、兄弟子にしごかれ、という前近代的な疑似家族の関係があるのです。相撲界は、そんな間柄の部屋で構成する一族です。親しい力士が十両から幕下へ転落する危機にある、となったときにフッと力が抜けることを誰がとがめられるでしょうか。賭博と結びついていない限りは、どっちが勝っても面白ければそれでいいんです。

 あまり露骨に八百長をやれば、真剣勝負を楽しんでいた人は去っていき、それでも相撲が好きだという人が残る。それだけのことです。市場原理に委ねればいい。お客を楽しませるのがプロスポーツですから、相撲協会が真剣勝負が魅力だというのなら、そうすればいい。一方で八百長があったとしても、お客が楽しんでいるなら、またそれでいいのです。司法で断罪するような形で八百長の全容解明みたいなことをするのは、あまり賛成できません。プロスポーツの魅力は均質なものではありません。

 国技と名乗って国の監督下にあるから、八百長はけしからんと言われるのであって、国と関係がなければ、八百長だ何だと騒ぐ必要がありますか。相撲協会が国技と言いたいなら言えばいいが、国が優遇する必要は、まったくありません。プロレスだって何だって、あらゆる格闘技が、国とは何の関係もなくやってるじゃないですか。国技の名の下に、大相撲を権威化、神格化したことが、禍根を残したのです。

 もしファンが見放して大相撲がなくなるなら、私はそれで構わないと思っています。確かに大相撲のファンは多い。なくなれば、寂しい思いをする人も多いでしょう。しかし、これは習慣の問題で、歴史の中でなくなったものは、帯刀やちょんまげなどいっぱいあるんです。今ある伝統文化をすべて残すとなれば、お金がいくらあっても足りません。

 雪舟の名画、これは保存しなきゃなりません。しかし相撲は今も生きている興行営業なのです。


2011年2月25日 朝日新聞朝刊 12版 17ページ「オピニオン-国が特別視する必要はない」から引用

 ここに述べられた意見に、私は賛成です。賭博にからんだ八百長なら、それなりに刑法が適用されるのが当然ですが、日頃から世話になった兄弟子がカド番だなどという特別な状況なら、勝負に多少の手心が加わっても、返って人情味が増して相撲の魅力が増大するというものではないでしょうか。あくまでもスポーツとしてガチンコ勝負でなければ気に入らないという方は、学生相撲でもお楽しみになるのが宜しいと思います。


このコメントにも相撲に‘大’を付けて欲しかった!

③ ‘スポーツ’の定義は何か?

http://plaza.rakuten.co.jp/sportssite/4000/

スポーツ は、英語のsports(sportの複数形)のカタカナ表記である。sportという単語は江戸時代後期の英和辞典に見られるが、スポーツという日本語が定着したのは大正年間のことである。 語源はラテン語のdeportareにさかのぼるとされ、「ある物を別の場所に運び去る」転じて「憂いを持ち去る」という語感、あるいはportare「荷を担う」の否定形「荷を担わない、働かない」という語感から、古フランス語のdesport「気晴らしをする、遊ぶ、楽しむ」を経て現在のsportに至ったと考えられる。 その原義は現在も保持されているが、意味するものは時代とともに変化している。17世紀~18世紀には、sportは新興階級の地主ジェントリの特権的遊びである狐狩り等の狩猟を第一に指した。 しかし19世紀に入ると、キリスト教徒 (muscular christian) 運動や、運動競技による人格形成論が台頭。sportとは、スポーツ専門組織(競技連盟など)によって整備されたルールに則って運営され、試合結果を記録として比較し、その更新をよしとする運動競技を第一に意味するようになった。これが現在も行われている近代スポーツである。 一方、明治以来の富国強兵、殖産興業の国策を執っていた日本では、遊び戯れるという意味のスポーツが公には肯定されず、国民体育としてスポーツが認識されるようになり、昭和初期には原義とは異なった価値観で発展を遂げた。従って、マインドスポーツと言われ、欧州では記事が新聞のスポーツ面で扱われるチェスや囲碁が国際スポーツ大会の種目になっていたり、五輪の公式競技採用を目指しているという事実に対しては違和感を示す日本人が極めて多い。また、アジアオリンピック評議会がアジア室内競技大会の種目としてテレビゲームを「eスポーツ」として採用したことを決定した際には、JOCでさえ「そもそもスポーツと言えるのか」という反応を示した。


これじゃあ、何でもスポーツである。議論する気にもならない。

ただし、大相撲はスポーツか?という我々の‘大命題’を論ずる場合には、‘狭義の’(=‘競技の’(?))意味でのスポーツでよい。

④ 大相撲はスポーツか?

http://k21komatsu.blogspot.jp/2007/09/blog-post_27.html
木曜日, 9月 27, 2007

大相撲はスポーツではない

朝青龍問題、力士リンチ死亡事件と問題山積みの大相撲だが、私は大相撲をスポーツと思ったことが一度もない。あれはスポーツでなく、彼らが言っているように「興行」でしかない。こんなことはマスコミで働いている人なら誰もが周知しているであろう。それなのに、大相撲は国技だと政府に断わりもなく厚かましく名乗っている。文部科学省は大相撲を国技と認めたことはこれまで一度もない。

私が大相撲が スポーツでないという理由 はいくつもある。まず第一に同部屋対決がない。以前は一門対決すらなかったので、少しはマシになったと思う人がいるかもしれない。しかし、柔道、剣道、テニス、卓球、バトミントン、アマチュア相撲・・・、どんなスポーツでも同一チームの選手同士で試合をしている。しかし、大相撲にはそれがない。剣道なんかいつも警視庁同士で戦っているような気がする。(笑)

次に大相撲の取組表は協会が勝手に作り変えることができる。どんなスポーツでも対戦表というのは事前にすべてわかっているはずだ。大相撲がスポーツならば、横綱は上位15人と対戦すると初日に決めるべきである。こうなれば、いくら新入幕力士が勝ち進んだとはいえ、横綱にあたるなんてことはありえない。

いずれにしろ、取組表は横綱を優勝させるようなために作られている。ナンセンスとしかいいようがない。なんで平幕力士が優勝しちゃいけないのだろうか。幕内最高優勝は横綱を倒さなければいけないのだろうか。そうならば、幕内だの十両だの区分けする必要性はなくなる。全く矛盾に満ちている。そもそも相撲は取組といって、試合と言わない。これは習慣かもしれないが、やはりスポーツならば試合というべきだろう。

大相撲は巡業やトーナメント戦を積極的に行って、相撲の普及活動に力をそそいでいる。しかしである。これらの取組はいつも怪我しないように、手抜きで行っている。これも信じられない。高い入場料を取って取組を行っているのだから、どんなときでも真剣に行うべきではないだろうか。つまり、これらは所詮「顔見せ」でしかなく興行なのである。

また、大相撲は入場者数を発表していない。今日どんなスポーツでも入場者数を発表している。それなのに、8割ぐらいしかお客が入っていないのに、満員御礼という垂れ幕を下ろしたりする。税務署は何をしているのだろうか。こんな税金にルーズなスポーツが他にあるだろうか。

だから、私は大相撲をスポーツと呼ぶことはできない。ただ、大相撲は日本の伝統文化であり、歌舞伎などと同様に世界に誇れるものである。それなのに、リンチで力士を死亡させるとは憤懣極まりない。これはスポーツと興行を混同している証なのかもしれない。
投稿者 小松克彦 時刻: 12:55


ここまで明確に指摘されると、これまで私が思っていた‘大相撲の図式’

  相撲 → 大相撲 = 日本が誇れる国技 ≒ スポーツ

という‘変な’方程式は、完全に成り立たなくなってしまった!

私が得た結論:

<1>‘相撲’はスポーツであるが、‘大相撲’はスポーツではない!

<2>‘相撲’は、国技であるが、‘大相撲’は国技ではない!

<3> 従って、‘大相撲’は、スポーツでも国技でもない!

<4> ただし、‘相撲’は、スポーツであり、国技である。


最後に、こんなブログがあることを紹介しておきたい。

http://blog.goo.ne.jp/kzuo007/e/1aae73bf
246a673478932e95dbb4f8f2

相撲は国技であるが大相撲は国技ではない。
2010-06-22 04:37:14 | 社会

・大相撲の多くの力士が野球賭博、かけマージャン、かけ花札等の疑いがかけられている。大相撲も終わりである。しかし日本の国技は相撲であり日本相撲協会が興行する大相撲は日本の国技ではない。相撲ファンとしてはここで頑張らなくてはならない。

・大相撲には以前より不満が多かった。八百長が多いのではとのうわさもあった。外国からの力士は真面目に頑張るが日本の力士は関取になると給料と後援会からの支援に満足してしまってだらけてしまっている力士が多いとの話もあった。酒の上とは言え一般人ファンへの暴力事件もあった。暴力事件も暴力団との関係もあるとのうわさが立ったことも何度かあった。もちろん全ての力士ではないとは思われるのだが。

・今回の野球賭博事件では100人近くの力士が名前を連ねているようだ。親方、床山さん達も名前を連ねているようだ。そのうちに後援会の担当者、相撲協会役員にも広がることがなければよいがと心配するものである。当然後ろには資金集めのための暴力団の活動があるものと推定される。

・これだけ多くの力士が関与していることは大相撲を興行日本相撲協会全体では普通に黙認されていたものと考えざるを得ない。今まで分かっていたはずなのにそれを更生させようとした動きもなく、内部からの告発もなく、助けを求める動きもなかったのだ。これは、力士や親方だけでなく相撲協会関係者全員が関与していたものと考えざるを得ない。

・こんな大相撲を私たち多くの相撲ファンが応援していたと思うと情けなくなる。こんな日本相撲協会の興行に多くの後援会が騙されていたと思うと残念である。企業からの勝ち力士えの賞金もかけごとに使われていたと思うと残念である。こんな日本相撲協会に文部省が多くの税金を使っていたと思うと残念であるとともに政府のいい加減な税金使用にも腹が立つ。何故「事業仕分け」に上がってこなかったのだろうか??。事業仕分けも国民の生活にマイナス効果が出る事でなく、このような税金事業を対象にしてほしいものだ。

・よくは知らないが相撲は昔からの日本特有のスポーツ、力比べとして伝統として残ってきているものだ。奈良・平安時代には毎年七月に宮中で天皇の前での奉納相撲が儀式としておこなわれていたようである。私は企業に就職してすぐに若い人達と企業内での職場対抗相撲を始めた。もちろん強くはなかったが友達と職場の名誉と我々の意地をかけての苦しい相撲の鍛錬は今でも多くの相撲友達として消えることなく続いているのだ。こんな相撲もあるのだ。

・あくまでも大相撲は日本相撲協会が主催する単なる金儲けのための一つの興行である。名古屋場所だけの話ではない。大相撲が無くなってもよい。日本相撲協会が無くなってもよい。相撲が国技であって大相撲は国技ではない。相撲ファンよ今後も頑張ろう!!!。















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